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2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙った共産ゲリラによる同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土は以後半年間に渡って戦火に包まれ、ベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、泥沼と呼ばれたベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2018年02月20日

作画工程

 今作ってるベトナム軍装ガイドに使うイラスト(名付けて新マネキン男くん)がほぼ完成しました。
 僕はパソコンで絵を描く時はいつも、ちょいちょい途中経過を画像で保存し、それを見直す事で、「うん、進んでる。進んでる」と自分に言い聞かす事で、どうにか絵を描くモチベーションを保つよう心がけています。
 今回はちょっとした思い付きから、それら途中経過を繋ぎ合わせてGIFアニメを作ってみました。

参考にしたのはこちら
 isLog〜イズログ〜 https://www.islog.jp/entry/gif-animation/


新マネキン男くんの作画工程

 



2010年に描いた2011年テトの年賀状


 爆れつハンターのショコラとティラがベトナム共和国軍の女性軍人(Nữ Quân Nhân)制服を着ているという、なんともオタクくさいイラスト。しかしこんな絵でも、ネット上で拡散した末に、このイラストの題材とした政治戦総局厚生局にかつて所属していた元女性将校の方が、米国で開催されるNQNベテランの集会の告知に毎回このイラストを使ってくれているのだから、嬉しいやら恥ずかしいやら。


 僕は素人にしてはまぁまぁ絵が得意な方ですが、本当は絵を描くのが好きではありません。理由は簡単で、とても面倒くさいからです。僕にとって絵は、写真や文章と同じ情報伝達手段の一つに過ぎず、またその中でも絵はとんでもなく時間と気力を使う、極めて効率の悪い手段だと感じています。
 なので僕が絵を描くのは、その情報を表現するにはイラストしかないと諦めた場合のみ。つまり他に良い手がないので仕方なく描くといった感じです。こんな心構えなので、描くのが毎回億劫でなりません。電脳化して脳内で作った映像を直接デジタルで出力出来たらどんなに楽だろうと、いつも考えています。
 ないものねだりしても始まりませんが、やっぱり面倒なものは面倒なので、いかに効率良く情報を伝えるか考えた末に生まれたのが、上の新マネキン男くんなのです。その名の通りマネキンとして着せ替え人形になってもらいます。
 昔は自分の可能性を広げようと風景画から美人画、アダルトまで何でも描きましたが、数年前に気付いてしまいました。やっぱり僕は軍服それ自体にしか興味が持てない人間です。これを自分で認められるようになってからは、今まで『手抜き』だと思い避けていた手段を、『効率化』の名目で遠慮なく使えるようになったので、むしろやる気がアップしました。今後の新マネキン男くんの活躍に乞うご期待。
  


2018年02月10日

【祝】WAR全米大学映画祭 審査員賞受賞!

過去のハウ・ルック監督作品いついては過去記事参照

2016年12月、僕は米国ジョージア州にて、アマチュア映画監督の友人が製作しているショートフィルムの撮影に参加してきました。あれから1年強、その時撮った作品がようやく完成し、この度、全米大学映画祭(Campus Movie Fest)に出品されました。
そしてその結果・・・

審査員賞(Jury Award)を受賞しました!!やったーーーーー!!!

※動画を再生出来ない場合は他のブラウザに変えてお試し下さい。



こちらが審査員賞受賞作品「WAR」 監督 ハウ・ルック



なんとなく分かると思いますが、あるベトナム人兄弟が生き別れとなり、それぞれ別々にベトナム政府軍と共産ゲリラ兵士となり、その二人が不幸にも戦場で再会し、お互いを兄弟と知らずに殺し合ってしまうという大変悲しいストーリーです。
実はこの話には元ネタがありまして、それらを全て撮れれば、なぜ兄が首にドッグタグではなく紙を三角形に折った物を下げているのか等が分かってもらえたのですが、ショートフィルムなので時間的な制限からストーリーは大幅にカットせざるを得ず、そこは描ききれませんでした。
とは言え、撮影や編集の技術が認められ、この度賞を頂けたのですから、出演者としては素直に嬉しいです。

しかし観客も審査員も、弟役を演じているのは当日ゲリラ役やってよと言われて気軽に引き受けた日本人だなんて思いもよらないだろうな。我ながら熱の入った演技をしたものだ(笑)


世にも珍しいゲリラ役のわたくし





なお我々はアマチュアなのでプロップ買うお金が無いため、銃やナイフは全部本物です。
M16はコルトAR-15モデルSP-1、56式自動歩槍はノリンコMAK-90で代用。
空砲なんて一般人には手に入らないので、発砲シーンは全部実弾。(この作品では実弾を使ったシーンは使われていません)
銃剣で腹を刺すシーンは、「ゆっくりやれ」、「ベルトに当てろ」と言われましても、なかなか怖い物です。
あと、この作品には使われていませんが、拳銃で自殺するシーンも撮りました。
いくら弾が入っていない事を何度も確認したとは言え、やっぱり実銃を頭に当てて引き金を引くのはかなり気持ち悪いものです。
しかもテイク5くらい撮り直したし・・・。
監督曰く今年の5月ごろまでには、それらの映像も使った作品をDVDでリリースするらしいので、完成を楽しみに待っています。

  


2018年01月28日

SOGの組織構造

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【お知らせ】

 このブログでも岡山県美作市が市営博物館に設置した『ホーチミン空間』なる展示に世界中のベトナム人から批判が集まっている事をお伝えしましたが、今月に入り、日本在住ベトナム人協会も、ホーチミン空間の撤去を求め美作市長および市議会議員へ送付する請願書へのウェブ署名運動を開始しました。

Change.org: 美作市作東芸術文化博物館のホー・チ・ミン像撤去に関する請願書

 私の別ブログ ベトナムウォッチに、日本在住ベトナム人協会会長グェン・フォン・カィン氏による日本語版請願文を掲載してありますので是非ご一読いただき、ご賛同いただけるようでしたらウェブ署名へのご協力をお願いいたします。



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【以下、記事本文】


 当ブログでは度々、米軍SOGが支援するベトナム共和国軍の特殊作戦機関 NKT(技術局, 英略称STD)について紹介にしてきましたが、SOGそのものについてはまだちゃんと解説していなかったので、今回は戦争当時SOG本部がペンタゴンの統合参謀本部に向けて作成した報告書"Draft MACSOG Documentation Study (U) (1970年7月10日)"に掲載されている組織図で、SOGの組織構造についてざっとまとめてみます。



※SOGの意味と邦訳について
 SOG (Studies and Observation Group)という組織名は、実は"Special Operations Group (特殊作戦群)"のカバーネームであるという噂が、現在のマニアはもちろん、当時SOGに所属していた兵士たちにも実しやかに信じられています。現在Studies and Observation Groupの日本語訳としては"研究・観測グループ"という訳が定着しており、多くのマニアが「『アメリカ軍最強特殊部隊』の名称に"研究"や"観測"という不相応な言葉が使われているのは、実態を隠すためのカバーネームだろう」と考えているようです。しかし私はこれに異を唱えたいと思います。
 まずStudyの意味は一般的には"研究"や"勉強"ですが、ジーニアス英和辞典によるとStudyはもともと"努力する"を原義としており、"専門とする"というような意味もあるようです。さらに複数形のStudiesの場合には研究対象の題目を表す時に用いられる事もあるそうで、例えば"cultual studies"で"教養学科"となるそうです。これは軍隊風に意訳すれば、"専門分野=技術"と捉える事ができ、SOGのようなアメリカ陸海空軍海兵隊・CIA・NSAなどから集結した各分野における特殊作戦の専門家集団の名称としては自然だと思います。また実際、SOGと一体で作戦を遂行するベトナム軍側の特殊作戦機関は"技術局(Nha Kỹ Thuật)"という名称です。その為この記事では、意味が分かり易いよう"Studies"を"研究"ではなく"技術"と訳しています。
 次に"Observation (観測)"ですが、これは科学の分野での観測だけでなく、"オブザーバー(観測者)"という言葉に表されるように、"意見する"も意味します。これもSOGの主任務であるベトナム軍特殊部隊への支援・助言と合致します。
 以上の点から、"Studies and Observation"は実態を隠すための無意味なカバーネームではなく、SOGの任務をありのままに表記した、非常に実態に即した名称だと私は考えています。
 
MACVと列記する場合の表記について
 SOGはアメリカ軍ベトナム軍事援助司令部(MACV, MAC-V))直属の機関であったことから、MACV-SOGあるいはMACSOGとも表記されます。民間の書籍ではMACV-SOGが一般的ですが、今回引用している報告書など、当時の米軍の公式文書ではMACVのVは省略されて"MACSOG"が使用されている場合が多いです。

作戦計画について
 SOG参謀および作戦部門の各部署は、ペンタゴンおよびCIAが策定した"作戦計画(Operation Plan)"に合わせて編成されていました。例えば作戦計画30(Operation Plan 30)の担当はSOG-30となります。なお、Operation Planの略称としてはOP, OPLAN, Opsなどが使われますが、意味はどれも同じです。




【SOGの全体像】

▲SOG組織図(1965年1月)

▲SOG組織図(1968年12月)

▲SOG組織図(1969年6月)

▲SOGとベトナム軍NKT(STD)各部署の対応関係



【SOG本部】

SOG-00 司令室 (Office of the Chief)

SOG-01 次席司令 (Deputy)
SOG-02 副司令 (Executive Officer)
SOG-03 特別補佐官(Special Assistant)
SOG-04 総監 (Inspector General)
SOG-05 本部支援隊 (Headquarters Support)


SOG-10 人事・管理部 (Personnel and Administration Division)


SOG-20 情報部 (Intelligence Division)



SOG-40 兵站部 (Logistics Division)



SOG-50 計画部 (Plans Division)


SOG-60 通信部 (Communications Division)



SOG-90 監査部 (Comptroller Division)



【SOG参謀部門】

SOG-30 / OP-30 作戦・訓練技術部
(Operations and Training Studies Division)


SOG-31 / OP-31 海上技術課 (Maritime Studies Branch)
SOG-32 / OP-32 航空技術 (Air Studies Branch)
SOG-33 / OP-33 心理戦技術 (Psyops Studies Branch)
SOG-34 / OP-34 地上技術 (Ground Studies Branch)
状況分析班 (Status and Analysis Section)




【SOG作戦部門】

SOG-35 / OP-35 地上技術グループ (Ground Studies Group)


OP-35はベトナム軍NKT連絡部(コマンド雷虎)で構成されたC&C部隊(SCU)による国境地帯への越境偵察作戦。
規模はSOG作戦部門の中で最大。また本部での指揮だけでなくSCU偵察チームの現場指揮もSOG-35隊員が担った。

▲SOG-35隊員
主に陸軍第5特殊部隊群隊員で構成

▲NKTコマンド雷虎(SCU)とSOG-35隊員(右)
雷虎は元々正規のベトナム軍人のみで構成されていたが、後にOP-35の規模拡大に伴い、CIDG兵士で構成されたプロジェクト・シグマやガンマのチームもSCUに編入された。


SOG-36 / OP-36 空挺技術グループ (Airborne Studies Group)


OP-36はNKT第11群および第68群による空挺降下潜入工作作戦。主に敵軍または民間人に変装して敵性地域に潜入し、情報収集および破壊工作を行う。
1961年にCIAの指揮の下開始されたパラソル・スイッチバック作戦を起源とし、1964年にOP-34AとしてSOG所管の作戦となる。後に作戦の実行はOP-36として独立した作戦となる。
SOG-36隊員は本部での指揮・運用のみで出撃はしない。

▲NKT第11群STRATAチーム(チーム111)

▲NKT第68群アースエンジェルチームとSOG-36隊員(左)


SOG-37 / OP-37 海上技術グループ (Maritime Studies Group)

OP-37はNKT沿岸警備部による海上からの越境工作作戦。1964年にOP-34Aとして開始され、後に作戦の実行はOP-37として独立した作戦となる。
SOG-37は当初はNAD(海軍顧問団)として編成され、主に本部での指揮・運用を担ったが、一部でSOG-37所属のSEALおよび特殊ボート隊員がNKT沿岸警備部部隊と共に出撃する事もあった。

▲SOG-37隊員
主に海軍および海兵隊員で構成

▲NKT沿岸警備局シーコマンド(特海部隊)とSOG-37のSEAL隊員

NKT沿岸警備局シーパトロール(海探部隊)のナスティ高速哨戒艇


SOG-38 / OP-38 教導技術グループ (Training Studies Group)


OP-38はNKTの各コマンド部隊への訓練計画サイゴン東部ロンタンに設置されたNKT訓練センター"クェッタン / イェンディ"を運営する。またOP-35の規模が拡大すると、C&C部隊のチームリーダー(1-0)を育成するため、SOG-35所属のアメリカ兵に訓練を施す『ワンゼロ偵察訓練プログラム(通称ワンゼロスクール)』も実施した。
SOG-38は主に陸軍第5特殊部隊群B-53分遣隊で構成され、NKT訓練センターのインストラクターを務めた。

▲SOG-38のインストラクターとNKTコマンド訓練生

SOG-38によるワンゼロ偵察訓練コースを受講するSOG-35隊員



SOG-39 / OP-39 心理戦技術グループ (Psyops Studies Group)


OP-39はNKT心理戦部による北ベトナム・ラオス・カンボジアへの心理戦工作。
宣伝ラジオ放送はOP-70でも行われたが、OP-39は偽情報による攪乱を行う、心理戦の中でも『ブラック』と規定される作戦を行った。
例えばベトナム人とカンボジア人の歴史的な対立感情を煽る事で、ベトナム共産軍とクメールルージュ間での対立を画策するなど、より攻撃的な心理作戦を担った。


SOG-70 / OP-70 ラジオ技術グループ (Radio Studies Group)


OP-70は当初はSOG-40として編成された、NKT心理戦部によるラジオ放送心理戦工作。
偽情報を流すOP-39と異なり、OP-70では『ホワイト』ないし『グレー』と規定される、概ね事実に基づいた情報を放送した。


SOG-75 航空技術グループ (Air Studies Group)

SOG-75はNKT航空支援部およびアメリカ軍飛行隊の運用調整を行う。
以下の飛行隊が常時SOG-75の調整の下、NKTによる作戦の支援にあたった。

SOG第1飛行隊(1st Flight Squadron): C-123輸送機
アメリカ空軍 第15特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第90特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第20特殊作戦飛行隊: UH-1Fヘリコプター
ベトナム空軍 第219ヘリコプター飛行隊: H-34ヘリコプター
アメリカ海軍: EC-121電子戦機

また上記以外にも必要に応じてベトナム空軍・アメリカ空軍の飛行隊を運用した。

▲SOG-75第1飛行隊

▲NKT航空支援部/ベトナム空軍第219飛行隊"龍馬”/キングビー飛行隊とSOG-75隊員


SOG-80 / OP-80 救難技術グループ (Recovery Studies Group)


OP-80はにNKT作戦部隊を支援する特殊作戦レスキュー計画。
人員はSOG-80 "統合捜索救難センター(Joint Personnel Recovery Center)"のアメリカ兵で構成され、行方不明となったNKTおよびSOGのコマンド隊員の捜索・救難を担った。
1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退した後も、JPRCは"統合遭難者解決センター(Joint Casualty Resolution Center)"と改称してベトナムに残留し、NSA(国家安全保障局)およびDIA(国防情報局)の指揮下でアメリカ軍捕虜・行方不明者の捜索にあたった。
1975年にサイゴンが陥落すると、JCRC本部はハワイ ハーバーズポイントのNSA秘密施設972に移転。その後インドシナ地域を担当するJCRCは他の捜索機関と統合されていき、現在はハワイ州ヒッカム空軍基地に本部を置くJPAC(統合捕虜・不明者対策コマンド)となっている。




おまけ: ベトナム軍装ガイド制作進行中


 以前、アニメ風女性キャラクターが軍服を着ているイラストでベトナム軍装ガイドを制作している事をブログに載せてきましたが、その後気が変わり、男性の絵に描き直す事にしたので、時間がかかってしまいました。イラストさえ出来てしまえば、解説なんていつもブログで書いているのと大差ないので、完成まで大してかからないはずです。多分。
 残念ながら、これまで日本のベトナム戦争ヒストリカルにおいて、<フィクションではなく現実の>ベトナム共和国軍への理解度は非常に低いものだったと言わざるを得ない為、今後少しでも正しい情報が普及する事を祈って、イベントで最も需要があると思われる1968~1969年頃の軍装については無料公開しようと考えています。
 なお有料版では、仏領インドシナ成立後、初めてベトナムに国軍が創設された1948年から、サイゴン政府が消滅する1975年までの約30年分の各部隊の軍装を紹介する事が最終的な目標です。なのでこの軍装ガイドのタイトルは『南ベトナム』ではなく、『ベトナム』軍装ガイドなのです。
  


2018年01月21日

ホンサ海戦から44年

 1974年1月19日にホンサ諸島(Quần đảo Hoàng Sa, 中国名:西沙諸島)を巡ってベトナム共和国軍と中国軍が衝突した『ホンサ海戦(西沙諸島の戦い)』における犠牲者を追悼する式典が、今年も米国在住のベトナム共和国海軍軍人協会によって執り行われました。

(映像: SBTNOfficial)

 この戦いでベトナム共和国軍は撃沈1隻、戦死者75名*という損害を出し、ホンサ諸島からの撤退を余儀なくされます。同年、ベトナム共和国軍はホンサ諸島の奪還を計画し、多数の戦闘機・攻撃機が出撃準備を完了する状態にまで至りましたが、決行直前にアメリカ政府から作戦中止の要請を受け、結局奪還作戦が実行される事はありませんでした。そしてそれ以来、ホンサ諸島は44年間に渡って中国軍の占領下にあります。
*戦死者数については資料によって数名の誤差あり

▲中国海軍艦艇のロケット砲で撃沈されたベトナム海軍掃海艇HQ-10 ニャッタオ

 なお、当時北ベトナムを支配していたベトナム労働党政権は大戦後から一貫して中国共産党の指導下にあり、中国による支援に全面的に依存しながら南侵(ベトナム戦争)を続けていた為、ベトナム民主共和国として中国に対しホンサ諸島の領有を主張する事はありませんでした。ホンサ海戦により諸島全域が占領された後も、ホンサ諸島について言及する事は避けており、ホー・チ・ミンおよびベトナム労働党は事実上、ホンサ諸島を中国に売り渡していたと言えます。
 一方、ベトナム労働党の下部組織である南部のゲリラ組織 南ベトナム解放民族戦線は、南部人による独立した組織という建前もあったため、中国軍によるホンサ諸島占領を非難したそうですが、彼らの闘争もまた中国による軍事支援に依存しきっており、いずれの共産主義勢力も事実上の宗主国である中国に抗う事はできませんでした。

 ベトナムの歴史は「中国への抵抗の歴史」と言われるように、元来ベトナム人にとって中国に国土を奪われる事は最大の屈辱であり、ホンサ海戦は今日でも多くのベトナム人にとって忘れがたい悲劇として記憶されています。その為、ベトナム共産党への服従とベトナム共和国政府への憎悪教育が60年以上続いている今日の社会主義ベトナムにおいても、このホンサ海戦で犠牲となったベトナム共和国軍人に対しては、多くの人々がイデオロギーの違いを超えてベトナム民族の英雄として追悼の対象としています。

中国に立ち向かったベトナム共和国軍、そしてベトナム民族の歴史を象徴する歌 『Đáp Lời Sông Núi (山河に応えて)』


歌詞はこちらにあるので、Google翻訳か何かで雰囲気を感じて下さい。

おまけ: 土曜日の作業

金曜日は疲れてたので、夕方帰宅したあと布団に横になったら、そのまま翌日の朝まで約12時間寝てしまいました。
なので土曜日は朝8時からじっくり趣味の作業に没頭。

◆友人依頼分の自家製プリントパッチ作成
・ベトナム国家警察野戦警察隊
・第222野戦警察群
・第611野戦警察中隊
・陸軍第1歩兵師団(サブデュード)


◆徽章縫い付け

来月着る服


多分5月ごろ着る服。気が早いけど、テンション上がって作っちゃいました。


いつ着るか分からない服。まだパッチが全て揃ってないので、続きはおいおい。

  


2018年01月04日

あけおめ

お正月という事で、今年は日本在住ベトナム人協会様の新年のつどいにお邪魔してきました。

関東各地のベトナム人コミュニティ―が集まり、様々な手作りベトナム正月料理を販売しています。



僕は友人のところでチェー(お汁粉)売りをお手伝い


開会式を行うベトナム国旗の祭壇の前で記念撮影
すごいお正月感のある絵になりましたface02

行く前から分かっていたけど、会場内でアオザイ着てる人間は僕一人。
生来の目立ちたがり屋なので、しょうがない。

詳しいレポートは私の別ブログ ベトナムウォッチの方に掲載する予定です。
少々お待ちください。



ここ十数年で、本土から日本に渡るベトナム人研修生・留学生の数は、
難民として来日した日本定住者の2倍を上回り、
ベトナム大使館=共産党政府は現在、彼ら在日ベトナム人の思想を管理・統制すべく、
日本国内のベトナム人コミュニティーの乗っ取りに勤しんでいます。

具体的には、大使館が資金を出してベトナム人団体・学生団体を創設し、
また日本各地にベトナム仏教寺院を建設して
そこを在日ベトナム人コミュニティーの場とする事で、
共産党政府の指揮下にある青年団や僧侶が、
そこに集まる人々を監視および教化するという仕組みです。

残念ながら一国の政府が行う政策というのは強力なもので、
現在は資金的・人員的にも共産党系組織の方が日本国内で優勢です。
日本以外の先進国では、ベトナム政府による国民への弾圧は問題視されているため
共産党政府系組織が野放しにされる事はありませんが、
日本政府(自民党政権)はベトナムで金儲けさえ出来れば良いと思っているので、
あのような邪悪な独裁政権に非常に好意的であり、日本国内でも好きにさせています。
私はこのように恥知らずな我が国の政府を心から軽蔑しています。

しかしそんな中でも、政府による思想統制の異常性に気付き、
自由を求める若者が少なからずいます。
彼らは自分で学び、自分の意志で、あの黄色い
—かつてベトナムに自由と民主主義があった時代の
に下に集っています。

自国民を食い物にする邪悪な権力は必ずや滅びると信じて、
私は今年も、彼らのように人間としての正義を貫く人々を応援していきます。
  


2017年12月24日

結果発表

メリークリスマス!!今夜はクリスマスイブという事で、男の半裸写真を見ながらお過ごしください。

今年の3月、さして親しくもない人たちから「そんな腹の出たARVNいねーよwww」と馬鹿にされてブチっと来た僕は、減量する事を決意し、「今年の年末までに成果を出す」と宣言しました。

減量開始前の2017年3月。確かに今見るとひどい。BMIは26と、完全に肥満に入ってました。
これでも20代半ばまでは、身体が細すぎてコンプレックスなくらい痩せてたのにね。

数年前から「ダイエットしなくちゃな~」とか言いながら、一方で「ヤバい、ズボン履けなくなった」とか自虐ネタに走って行動する事から逃げていた僕も、知ったかぶりの外人に小馬鹿にされた事でようやく『怒り』という動機を得て、人生初の減量を始める事となります。

【減量のために行った事】

・ダイエット(節食)
噂に聞く低糖質ダイエットとやらを始めてみました。夜は米や麺類など炭水化物を一切摂らないように心がけました。これが一番効果あったと思います。
食べる量は制限しなかったので、お米が無くてもおかずをたくさん食べる事で満腹になったので、特に苦痛はありませんでした。ただし米抜きカレーライスだけは辛かったです。
また夕食の際にサプリ替わりの減量用プロテインを飲む事で、お腹も膨れて食事量は自然と減らせました。


・ワークアウト(運動)
僕は走ったりジムでのトレーニングなど、汗をかく運動が大嫌いなので、初めからやる気はありませんでした。
なので週2回、近所のスイミングスクールで泳ぐ事にしました。水泳なら高校生までやってましたし、何より水の中なので汗だくになって気持ち悪くなることが無くて済みます。
いざ始めると、長年の運動不足から、最初は普通にクロールするのも辛かったですが、徐々に内容を濃くしていきました。初めてすぐに肩こりが治ったのはめっけもんでした。

以下、馴れてきたてからやってた基本メニュー
・アップ 50m×10
・キック(ビート板でバタ足) 50m(1分20秒サイクル)×5 
・プル(パドル+プルブイ50m(55秒サクル)×5
・キック 50m(1分20秒サクル)×5
・プル 50m(55秒サクル)×5
・スイム 125m+125m+100m+75m+75m
・ダウン 50m×10
計2500m

僕はキックが苦手で、最初は1分20秒サイクルが全然守れませんでしたが、今は最後まで1分15秒サイクルで回れるようになりました。また、ある程度体重が落ちてからは、泳ぐ距離を2000mにして、残りの時間を腹筋・腕立て・体幹トレーニングに充てています。
あと、意味あるか分かりませんが、通勤の際は駅のエスカレーターを一切使わず、常に階段で上ってます。


そして、約8か月間の減量で、このような結果になりました。

体重マイナス12kg。BMI 26→21



まじめに鍛えてる人に比べたらカスですが、単に痩身目的の減量としては、まぁ人様に見せても恥ずかしくない結果でしょう。
ここまで減らせたのなら、どうせなら昔みたいに腹筋割りたいという欲も出てきたので、来年もこの生活を継続したいと思います。


ちなみに僕に減量のきっかけを与えてくれた彼らは、単に"南ベトナム兵は痩せてる"という浅はかなイメージしか持っていなかったみたいだけど、単に食糧事情が悪くて痩せこけていた共産軍と違って、共和国の兵隊は十分な食事とトレーニングが施されていたから、細くても屈強な人が多いよ。


来年も目指せ越南男子!
  


Posted by 森泉大河 at 23:41Comments(2)【ベトナム共和国】1954-1975News!

2017年12月23日

リプロネームテープと軍人身分証明書

【お知らせ】

先日のチャリティーパーティーの詳細を私の別ブログに投稿いたしました。よろしければご覧ください。

ベトナムウォッチ 『良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー』 

もし、これら現代ベトナムの社会問題について関心をお持ちの方が居られましたら、コメント欄にその旨と連絡先をご記入いただければ、こちらからご連絡さし上げます。(そのコメントは公開しません)

ちなみに、僕と面識のない方には誤解を与えているかも知れませんが、僕自身は自分の趣味とこの活動は別物と考えているので、ミリタリー趣味の場でこういった活動に誘う事はありませんので、どこかで会っても逃げないで下さい(笑)

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外注刺繍ネームテープ完成

友人たちから注文を募って刺繍屋さんに制作していただきました。



ありがたい事に刺繍屋さんは持ち込み無料なので、これまで服を改造する度に貯め込んできた各種リプロ軍服の端切れから生地を切り出し、それに刺繍していただきました。


工賃は枚数が多い方が割安になるので、僕は思い切って15枚注文。そんなに付ける服持ってないけど、今後欲しくなった時にこんなに安くは作れないので、この機会に一生分作っちゃいました。それに友人たちの注文分も加えて、計37枚作ってもらいました。
注文する際、お店側に分かり易いよう「サバゲーで使う軍服の名札です」と説明しましたが、刺繍する名前は日本でも欧米風でもない謎のローマ字の羅列なので、不思議がられたと思います(笑)


自家製軍人身分証明書

サイゴンに住んでる友達が僕の身分証を作ってくれました。


ただ実物画像をプリントアウトしたのではなく、印字は全て僕の指定した内容にし、写真も別でプリントしたものを貼り付けてくれています
ただし、階級は下士(Hạ sĩ =伍長)にしてって言ったのに、友人は「君は士官候補生のコスプレしたんだから、今後は将校ね」と言って勝手に少尉(Thiếu úy)にされました。いや、遊びとは言え、本物の将校さん達と付き合いのある身としては、僕みたいな外人が勝手に将校の階級名乗るのは宜しくないというか、今まで気を遣って避けてたんだよねぇ。
なお、裏面の誕生日や両親の名前は実名(漢字をクォックグー表記したもの)なので載せないでおきます。友人曰く、漢字を直にクォックグーに変換した名前は、実際にホア族(在越華人)で使われているそうなので、きっと君のご両親はチョロンのホア族だねと言われました(笑)

なおベトナム共和国軍の軍人身分証明書には少なくともテンプレート番号『QĐ-849』と『QĐ-849A』2種類のタイプが確認できまして、今回作ってもらったのはその中のQĐ-849になります。


シンプルなデザインのQĐ-849
表面左下に記載されているように、このテンプレートの制定は1966年8月のようです。
問題はいつまで使われていたのかという点ですが、それを説明する資料にはまだ出合えていないません。
ネットで実物画像を集めた限りでは、1972年発行まで確認できました。

偽造防止が施された改良型の『QĐ-849A
こちらはテンプレート制定年が印字されていませんが、同じくネットにある実物画像を観察した限りでは、1973年以降に発行されたものしか見つかりませんでした。
これは上記のQĐ-849が1972年まで確認できた事と辻褄があっており、軍人身分証のテンプレートは1972~1973年頃にQĐ-849Aへと切り替わったと考えていいかもしれません。

ところで、QĐ-849は1966年制定と書きましたが、当然、じゃあそれ以前の身分証は何だ?となりますよね。
実は、僕もよく分かりません。1972年以降なら、戦況の悪化から徴兵しまくったために証明書発行が間に合わず、軍人身分証に代わる簡易な『現役証明書(QĐ-750FおよびQĐ-750G/V)』も使われていたようですが、逆に1966年以前のものはなかなか見つかりません。
書類関係はネットで画像集めるだけで、本格的に研究した事はないので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、教えて頂けると幸いです。
  


2017年12月15日

服いじりの進捗

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(近況)

レプリカ軍装メーカーEA(East Asia Supply Co.)は、企業としての態度が腐りきっていると感じました。

【経緯】

商品代金を11月3日に支払い。受注生産の為、 5-7日かかると連絡あり。
その後2週間何の連絡も無し。
納期を問い合わせたところ、11月17日に「来週やる」と返答あり。
さらにその後4週間、音信不通。メール、電話にも応答せず。
12月14日、Paypalの問題解決センターから異議申し立てした事でようやく返答あり。
「今週はスターウォーズ衣装の制作で忙しいから、来週制作して送る」


あの社長は、下手に出ると、こういう態度で返す人間だったんだな。
どうやら半端なマニア達にチヤホヤされて天狗になってるらしい。
もうあそこの製品は二度と買いません。意欲的なメーカーだと思っていたのに、残念です。

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(ここから記事本編)

外注ボタンホール

 11月25日の記事に書いた3着のボタンホールが仕上りました。僕は親が仕事で使っている工業用ミシンを借りて使っているのですが、工業用ミシンには家庭用ミシンのようにジグザグ縫いやボタンホール縫いといった機能は無いので、ボタンホールを作る際は毎回穴かがり所(ボタンホール専門業者)に外注しています。
 毎回持ち込むのは面倒くさいのですが、穴かがり以外の工業用ミシンはうちに揃っているので、わざわざボタンホールの為だけに家庭用ミシンを買うのももったいないんです。家庭用ミシンだって安くはないので、外注と比較した場合、ミシン代の元を取るためにはボタンホールを数百個作らなければなりません。さすがにそんなに作らないし。

実物4ポケ カーキ作戦服 レストア

レプリカ警察クラウド迷彩服リニューアル

ヒューストン製米軍グリーンリーフTCUレプリカ ベトナム軍2ポケ化


ボタン取り換え

 ミシンの無い人でもお手軽に服のディテールアップを楽しめるのがボタン交換。上下セット7000円で売ってたセスラー製タイガーも、ボタンを良いものに交換するだけでそれなりに見栄えします。




 先月半ばから交換作業を始めましたが、やってるうちに「どうせならこれも交換しちゃおう」と、次から次へとボタンを外しては付けて、外しては付けてを繰り返しているうちに延べ100個くらい交換しています。(うちに自動ボタン付けミシンは無いので、全て自分で手作業です。)
 だけどまた新しい服が増えたりしたせいで、上のタイガーがボタン交換対象のラスト1着だったはずが、気付いたらさらにもう3着手を付ける事になってしまいました。自分が欲かいた為とはいえ、いつになったら終わるんだよ・・・。もう針糸持つの嫌になってきたので、ボタン付けはちょっとお休みしてます。




セスラー残念リーフキャップをベトナム軍八角帽化

 セスラーのグリーンリーフは生地がとても良い感じなんですが、なぜかキャップは、大戦中のP41P44キャップの裁断でU.S.M.C. CAPとして売られています。なぜこんな事したのか意味不明ですが、幸いトップ部分をミシンで縫うと簡単に八角帽の形になるので、安価な代用品としては絶好の素材です。
(2017年12月17日訂正 P41ではなくP44でした)


 当時のベトナム陸軍空挺師団や特殊部隊の写真を見ていると、よく帽子正面に降下資格章(シルク織り)を縫い付けて空挺隊員である事を誇示しているのが確認できます。一方、当然ですが降下資格の無い者は資格章を付けられないので、降下資格者がそれほど多くはないレンジャーや海兵隊ではあまり見かけません。

空気穴はP41P44と同じ緑色のハトメだったので、油性ペンで黒く塗りました。

 実物の迷彩八角帽は、帽体前面に芯が入っているタイプと、入っていないタイプの両方が確認できますが、やはり八角帽はトップが立っていた方がカッコ良いので、今回は帽子用のポリエチレン芯を縫い込んみました。
ただし実物の様に前側三面の芯を裏地で覆うよう改造するのは面倒な作業なので、ポリ芯は正面一面のみで、むき出しになってます。しかも空挺資格章縫う位置を間違えて何度も縫い直ししたせいで、芯もご覧のあり様。中は見ないで~!(笑)
  


2017年12月09日

おもいでのダクツタイガー

※今回は僕の思いでメインの記事です。

 幼少期より銃火器・ミリタリーが好きで、小3で初めてマルイのエアコキ(ベレッタ92F)を手にして以来、ずっとエアガンで遊んでいた僕は、当然のようにサバイバルゲームというものに惹かれていました。
 そして高校に入学すると、偶然にも自転車通学ルート上に草加のエアガンカスタム・サバゲショップUENS☆DAYさんがあり、僕はそのショップ主催のサバゲに参加すると共に、学校帰りにお店に寄り、ほとんど毎日入り浸るようになりました。お金のない高校生の僕は、店に行ってもエアガンを買う金は無いので、お店で売ってるカップラーメンとスーパーBIGチョコを店内で食べるのが日課になっていました。今考えると、サバゲを始めたこの時期にUENS☆DAYさんに出会った事が、僕の人生に大いに影響あるいは悪影響?(笑)を及ぼす事になります。

 僕はサバゲを始めた時点では、1990年代の米海軍SEALs装備が好きだったので、(当然金は無いので代用品で誤魔化しながら)それっぽい服装をしておりました。

▲16歳の時のわたくし。この時点ではベトナムには何の興味もなかったです。

 しかし周囲の環境と人間は完全にナム戦モード。関東で昔からナム戦ゲームやってる人なら知っているかも知れませんが、僕が偶然通うようになったUENS☆DAYさんは、オリジナルの電動M16A1アルミレシーバーやCISOリュック、STABOハーネス、SEALベストなどのナム戦軍装アイテムを制作・発売しており、また三郷の河川敷で度々開催されていたナム戦ヒストリカルサバゲイベントの運営にも携わっておられました。また店内には、常連が置いていったベトナム軍装関連の洋書が多数置いてあり、好きなだけ読む事が出来たのです。これだけナム戦ファン率が高いのは、たぶん当時でも珍しかったと思います。
 そしてそんな場所に足しげく通う僕も、自然とナム戦装備のカッコ良さに魅せられ、自分もやりたい言い出します。そこで周りの先輩たちが、予算に限りのある僕に勧めてくれた設定が、米陸軍の師団司令部付き長距離偵察チームLRRPでした。「LRRPならタイガー着てM56装備付けるだけでOKだよ。パッチも要らないよ」と。
 まぁ今振り返るとかなり大雑把な説明ですが、「君はこれを読みなさい」と、フランク・キャンパー著『ザ・ラープ』まで渡され、僕はウキウキ気分でLRRP隊員になる決意をしたのでした。そしてこれが運命の分かれ目でした。ここでもし通常の米軍歩兵装備を勧められていたら、僕は今頃違う人生を歩んでいたかもしれません。

 そしてLRRP装備の第一歩、そしてその後十数年どっぷり浸かる事となるベトナム軍装趣味の第一号として16歳の時に買ったのが、米国タイガー・ストライプ・プロダクツ(以下ダクツ)社製のレプリカ迷彩服。中古で上下セット3000円くらいでした。当時ダクツタイガーは日本全国どこのサバゲーフィールドに行っても見られる、極ありふれた迷彩服で、サバゲ用品としてはもちろん、街の古着屋でもいくらでも中古が安く売られていました。
 その後、1年かけて小遣いやバイト代をやり繰りしながらM1956個人装備やCISOリュックを集め、晴れてナム戦デビューを果たすのですが、そこで周囲の大人たちから思いもよらぬ言葉を浴びせられました。

「どう見てもヤードwww」 「南べ似合うね~!羨ましい(笑)」

 みんなひどい!だって僕はLRRPのアメリカ兵ごっこがやりたいからコツコツお金を貯めて装備を集めてきたんですから。高校生にとって装備一式と電動ガン集める金は大金でしたよ。
 今思えば、僕が言われた「タイガー買うだけでOK」云々の甘い誘い文句は、(あくまでアメリカ人役だけやりたい)自分たちの仲間に、CIDG役を一人加えたかったから、痩せてて背の低かった僕をCIDG役として引き入れるための策略だったのでは?と疑わしく思えてきます。
 とは言え、何度も何度も「似合う」、「羨ましい」と言われていると、悪い気はしないので、自分でもだんだんその気になってきちゃいました(笑) そしてインターネットで当時のCIDGやベトナム共和国軍の写真を集めるようになったのが、現在このブログを書くに至っているベトナム研究の入り口でした。

▲一度もLRRP役を経ぬままナム戦イベントにベトナム共和国軍特殊部隊役で参加。2004年『NAMっぽいのが好き』


 当時、周囲のナム戦趣味の先輩たちと南ベトナム軍ついて話していた時に言われた言葉を今でも覚えています。ある方が僕に、冗談のつもりでこう言いました。

「もしかしてタイガ君、十年後には"南ベトナム軍の第〇師団の配置は~"とか言うようになってるんじゃないの(笑)」

 どなたが言った言葉なのかちょっと思い出せませんが・・・。その冗談、現実になってますよ。多分その人も、そして僕自身も想定していなかったレベルで。

 今も似たようなものですが、当時もベトナム共和国軍というの不人気軍隊の師団の配置に関する知識など、超マイナー・マニアックと見做される物でした。そして、そんな変態そうは居ないという意味で、この台詞は冗談になり得たのです。
 なお今現在の僕は、「マイナー」や「マニアック」という言葉に興味がありません。人の興味が千差万別なのは当たり前であり、僕にとっては多数派である事に価値は無いのと同時に、少数派である事もまた無価値です。
 ではなぜ、あれから十数年もベトナム共和国軍に興味が持ち続けているのかと言いますと、それは単純に20世紀後半最大の戦争の中心勢力に興味を持ったために、それを調ているだけなのです。僕にとってそれは歴史を振り返る上で非常にオーソドックスなアプローチの仕方であり、今となっては寧ろこれが「マニアック」と見做されている現状の方に違和感を感じています。
(マニアックという言葉の本来の意味って、「ある事に極端に熱中しているさま」なんですね。てっきり酔狂や奇特な志向の事だと思ってました。本来の意味では、確かに僕はマニアでありマニアックしてますね。)

 話が脱線しましたが、かつて自転車で1時間かけてサバゲに行っていた埼玉の高校生が、たまたまナム戦コスプレと出会い、10年後には自分がコスプレしていた部隊の元将兵たちに親しくして頂けるまでになったわけですから、我ながら数奇な縁があったものです。これは決してそうなる事を見越して努力した訳ではなく、たまたま出くわした状況に対し好奇心の赴くままに突き進んだ結果なのですが、今振り返ってみると、単なる偶然と呼ぶには出来過ぎてる気もします。なにか運命めいたものでもあるのでしょうか。
 こんな感じで僕の人生常に流動的ですので、この先どうなるのか全く予想がつきませんが、10年後の自分がこの記事を読み返した時どう思うのか、今から楽しみにしておきます。



ダクツタイガーのレストア&改造

 この記事、本当はこのレストアの話がメインのはずだったのですが、思い出話を書いているうちに随分長くなてしまい、こっちがおまけみたいになっちゃいました。まぁ大して内容も無いので、簡潔に書きます。

 上記の16歳の時にLRRPやるために初めて買ったダクツ製のタイガーは、まだ捨てずに家の軍服入れにしまってあります。しかし長いこと、ダクツなんていつでも手に入る安物リプロという認識だったので、まだ知識が浅かった時分に改造服のベースにしており、いろいろイタズラした結果、今やジャケットとパンツ共に、ポケットやボタンも無いまっさらな状態になって、箪笥の肥やしになっていました。


 しかし今になって実物や他のメーカーのリプロと見比べてみると、ダクツタイガーは案外出来が良かった事に気付かされます。タイガーストライプは現在でも複数のメーカーから絶え間なくリプロが発売される人気迷彩服ですが、値段が張るそれら新作リプロと比べても、ダクツの再現性は馬鹿に出来ません。ボタンを変えるだけで、ぱっと見本物っぽく見えてしまいます。(ただし僕が持ってるような古いロットの物だけ。それ以降だんだんおかしくなり、現行品はリプロ軍装ですらない、ただのミリタリー風ファッション)
 また、かつてはあれだけ投げ売りされていたこの服も、いつしか市場から消えてしまい、気付いたら良い時代のダクツ製品が手に入りにくくなってしまいました。
 こうして、生地取り素材として箪笥に眠っていたダクツタイガーの価値にようやく気付いた僕は、この服を再び着る為、どうにかしてレストアする事にしました。
 まず必要なのはポケット用の布です。胸ポケットだけならジャケットの袖を切って半袖にする事で生地を確保できますが、今回はパンツのカーゴポケットも必要なので、袖だけでは生地が足りません。そこでしばらくダクツタイガーの中古を探し回った結果、運良くほぼ同じロットと思われるパンツを入手する事に成功しました。
 素材さえ手に入れば、あとの縫製は馴れたものです。ただ、ダクツと同じ裁断(通称USタイプ)のリプロは他にも持っているので、オリジナルに戻すだけではつまらないと思い、今まで持っていなかったタイプを再現してみました。


MADP系タイガーストライプの裁断には多数のバリエーションがあったことが知られていますが、今回はその中でも、当時2ボタンマチポケット(USタイプ)、1ボタンマチポケット(アジアンタイプ)に次いで多く用いられた、隠しボタン雨蓋マチポケットを再現してみました。

隠しボタン雨蓋の使用例(ベトナム陸軍特殊部隊)

ボタンを留める輪っかも再現。ボタン自体は東京ファントム製ベトナム軍2ポケグリーンリーフ迷彩服に付いていた物を移植しました。またポケットの寸法はMASHのアジアンタイプから採寸して再現しています。

 
ズボンは一般的な2ボタンマチポケットで、素材用パンツからカーゴポケットをそのまま移植。

ここまでやれば、思い出の品のレストアとしては十分でしょう。
しかし毎度の事ながら、服をいじるのは良いけど、その服をイベントで着るはいったい何年先なるのか分かりません。
  


2017年11月30日

ベトナム共和国軍 地上戦闘部隊の構成

 今までベトナム共和国軍の部隊構成については、それぞれの部隊ごとに記事にしてきましたが、それだけでは全体像が分かりにくかったので、地上戦闘部隊の構成を概念図にまとめてみました。
 部隊の構成は年代と共に刻々と変化していますが、今回はまず、資料が豊富だったテト攻勢の最中の1968年前半と、軍の規模が最大となった1974年の二つの年代をまとめました。

※2017年12月1日訂正

【1968年】

【1974年】


各部隊の詳細については過去記事をご参照ください。

正規部隊および総合予備部隊一覧
http://ichiban.militaryblog.jp/e813649.html

正規部隊および総合予備部隊の歴代司令官

装甲騎兵部隊

特殊部隊キャンプ一覧

CIDG部隊の構成

MSF(マイクフォース)の構成

空挺コマンド部隊の歴史

技術局(NKT)の構成(1)

技術局(NKT)の構成(2)

地方軍・義勇軍の歴史

地方軍・義勇軍の構成(1)

地方軍・義勇軍の構成(2)

LĐNN(フロッグマン部隊)の歴史

国家警察野戦警察隊

フェニックス・プログラムとPRU

おまけ

長年正体不明だったパッチについて、ある研究者の方から情報を頂いたのは良いけど、また新たな謎が浮かんでしまいました。


(画像: David Levesque氏コレクション)

 Richard Woods氏によると、このパッチは元々"第135地方軍連隊(135th Territorial Forces Regiment/ Trung Doan 135 Dia Phuong)"のものであり、後にこの部隊は地方軍から正規部隊に昇格し、第52歩兵連隊(第10/第18歩兵師団隷下)になったとの事です。他の資料にもこのパッチは第52歩兵連隊の初期の部隊章と紹介されているらしいので、恐らくその説明で正しいでしょう。
 しかし問題は第135地方軍「連隊」という部隊名。僕の知る限り、1960年代まで地方軍の編成単位は最大でも「中隊」であり、1970年代に入ってようやく大隊・群編成になるはずなので、地方軍の連隊なんて初めて聞きました。
 Woods氏が言う"連隊(Regiment/ Trung Doan)"とは、単に"中隊(Company / Đại Đội)"の記憶違いなのか・・・?しかしそうだとすると、たかだか100名程度の地方軍中隊が、数千名からなる陸軍の歩兵連隊に昇格する理由が分かりません。
 考えられるのは、その第135地方軍連隊は例外的に他の地方軍の一般的な編成と異なり、本当に連隊(後の地方軍群に相当?)編成だったという可能性です。それならば色々と辻褄が合うのですが、まだ資料による裏付けが得られていないので、改めて地方部隊関係の資料をあさってみようと思います。
  


2017年11月29日

撮影会:ラムソン719作戦―ラオス1971年2月―

寒くなってきたので、防寒着を着ても不自然にならないよう、
1971年のラムソン719作戦をテーマに
撮影会&プチ演習を行いました。




番外編

最高気温10℃。でもそんなの関係ねぇ~


これで今年の撮影会は最後になると思います。
また来年も遊びましょう!

  


Posted by 森泉大河 at 23:34Comments(0)【ベトナム共和国】1954-1975

2017年11月25日

最近やった服いじり

実物4ポケ レストア

無知な業者によって残念な姿にされてしまった『元』ベトナム軍実物4ポケット カーキ作戦服をレストア中です。


胸ポケットの形状(ほぼ正方形)や背中側のウエストを絞るフラップから、この服は元々4ポケットだった事が分かります。
ベトナム戦争末期の1970年代に普及した4ポケットは、1960年初頭以来使われている2ポケットよりも遥かに生産時期が短いため、今となっては貴重な服なのですが、ベトナム共和国軍軍装の研究が進んでいなかった一昔前は、マニアですら4ポケットの存在をあまり認識しておらず4ポケットを買い求める者が少なかったため、一部の軍装ディーラーはそれら実物4ポケットから下のポケットを取り払い、『より売れる』2ポケット風に改造して販売するという事を繰り返していました。この粗悪改造によって一体何着の実物4ポケが潰された事か…。
その内の一着が巡りめぐって僕の手元に来たので、せめてもの供養に本来の4ポケットの姿にレストアする事にしました。やる事は単純で、下ポケットを作り直せばいいのです。ただし別の布を使ってしまうと服の生地と色が合わないため、色を合わせるためにはこの服からポケット用の布を捻出するしかありません。そこで七分丈になっていた袖をさらに切って半袖にし、その布でポケットを作る事にしました。(半袖化自体は戦時中もよく行われた改造です)
ポケットの寸法は、服に元のポケットが外された跡がうっすら残っていたので、それに合わせて作成。


幸い部分的に色落ち具合が違うという事も無く、目論見通り色はマッチしています。外されていたウエストフラップのボタンも、実物と瓜二つの戦後ベトナム製ボタンを付けて再現。あとは穴かがり屋さんに持ち込んでポケットの雨蓋にボタンホールを開けるだけです。
本当にこだわってレストアするなら、ミシン糸やボタンホールの処理は現代のポリエステル糸ではなく、当時風の綿糸を使うべきなのですが・・・、僕はコレクターではないので、そこは妥協してしまいました。


警察迷彩服リニューアル

以前『警察迷彩服の続き』でいじったリプロ迷彩服を、さらにいじり倒しました。

新品状態


改造後



前回からの変更点は、エポレット追加、ポケット形状変更、半袖化、ベトナム製ボタンに取り換え、自作第611野戦警察中隊パッチ取り付け、以上です。ぱっと見本物っぽい雰囲気出てきたかも。
あとはエポレットにボタンホールを開け、注文中の刺繍ネームテープを取り付けて、階級章を自作すれば完成です。


ヒューストン製米軍TCU ベトナム軍2ポケ化

数年前ベトナム国産TCU型作戦服を再現すべく改造したヒューストン製TCUを、さらに2ポケ型に大幅改修。ついでに七分袖化も。


ポケットを作り直しただけで大分イメージが変わるけど、実は背中を見るとTCUだった名残りで当て布が残ってます。これを外すためには袖だけじゃなくて襟周りまで一度糸を解かなくてはならず、なかなか大変なので、今回は手を付けませんでした。なおボタンはクラッシファイド製を付けています。
これもあとはポケット雨蓋のボタンホールを開けるだけです。この服をどういう設定にするかは、完成するまでナイショ♥



根性のボタン交換

服自体の改造ではないものの、手持ちの各種戦闘服のボタンをよりリアルな物に交換する作業を始めました。
ボタン交換は地味に面倒くさい作業なので、そのうちやると言って何年も放置している服が何着もたまってしまいました。
このままではいつになっても出来上がらないので、上記の改造をやるついでに、ボタン交換予定の服から今付いているボタンを全て外し、ボタンを取り付けない限り着られない状態にしてやりました。ああ、せいせいした。


ここから先は自分との戦いです。やる気があるうちに一気に進めるしかありません。




EA製2ポケERDL作戦服×ベトナム製ボタン (これで手持ちのベトナム製ボタンの在庫は全て使い果たしました。)



東京ファントム(だっけ?)MDAPタイガーストライプ×EA製ボタン



改造服も含めて6着、ボタン60個以上を一気に交換しました。ああ疲れた。でもまだ1着ボタン未取り付けが残ってる。



おまけ

作業中はずっとvistlipの曲を聴いてました。良い歌作るなぁ。
特に「HEART ch.」と「深海魚の夢は所詮、」は聞く度にウルッと来るので、車の中でもいつも聞いてます。



  


2017年11月21日

いろんなTAP47

先日撮影会を行った際に、TAP47系ジャケットを着て集合写真を撮る事が出来ました。


左から
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品)
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品・染色加工)
実物 パステルリーフTAP47
実物 TAP47/53

僕は当日メダルを忘れてしまい、さらに持参した白靴紐のジャンプブーツに履き替えるタイミングも逃してしまったので、礼装状態ではありません。また改めてフルメダルのパレード装をやりたいと思います。


 Tenue de saut Mle 1947、通称『TAP47降下服』とは、フランス軍が1947年に採用した戦闘服の一種で、落下傘降下時の防風・防寒を目的とした空挺部隊(TAP)向け被服です。折しも当時は第一次インドシナ戦争が激化の一途を辿っており、TAP47降下服はインドシナに派遣されたフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に使用されます。そしてその後もTAP47は改良を重ねながらアルジェリア戦争期まで使用されていました。
 また第一次インドシナ戦争中にフランス植民地軍内に組織され、後にそれぞれの国軍となったインドシナ諸国の空挺部隊もフランス軍からこのTAP47系降下服を供与されており、それらの国々では1956年にフランス軍がインドシナ半島から完全撤退した後も、TAP47という服はエリート部隊の証と見做され、1970年代まで空挺部隊の伝統を表す正装として扱われていました。この記事では特にベトナム軍で使用された各種TAP47系降下服をご紹介します。




※2017年11月26日追記

<フランス軍TAP47>
インドシナ諸国で使用されたTAP47はフランス連合時代にフランス軍から供与されたものがでした。

TAP47

最初期のTAP47にはリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在し、その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1951年]


TAP47/51

TAP47/51はTAP47の1951年改良型で、こちらもリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在しました。(パンツはカーキのみ)。(※ごく少数ながらリザード迷彩の47/51パンツも生産されていたとご指摘いただきました。)その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1953~1955年頃]


TAP47/52

TAP47/52はTAP47の1952年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。1953~1954年までベトナム国軍空挺部隊に供与され、ディエンビエンフーの戦いなど数々の激戦で用いられた、TAP47シリーズの中でも最も多く戦闘に用いられたタイプです。第一インドシナ戦争終結後も、1960年代初頭までTAP47/52は空挺部隊で実用される降下用被服でしたが、後に作戦服はブラッドケーキ迷彩服等に切り替わっていったため、以後TAP47/52(主にジャケット)は礼装として珍重されるようになります。
[画像: ベトナム陸軍特殊部隊, 1960年代後半~1970年代前半]


TAP47/53

TAP47/53はTAP47の1953年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。第一インドシナ戦争中に採用されたものの、フランスで生産されたこの服が実際にインドシナに到着したのは終戦間際の1954年前半であり、本格的に前線部隊への支給が始まったのは第一インドシナ戦争終結後と考えられています。戦後に支給されたため47/52と比べると戦闘による消耗は少なく、1960年代以降はこの47/53が礼装として多く用いられるようになります。なお上の写真のように上下揃いで着用されるのは部隊単位で在庫していたまたは購入した場合のみで、個人の場合は上下揃いで買う者は少なく、多くの場合着用されるのはジャケットのみでした。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1967年11月1日国慶日]


<非正規TAP47>

 1960年代に第二次インドシナ戦争が激化すると、需要と反比例してフランス製TAP47シリーズの在庫は枯渇していったため、特にベトナム共和国軍では当時国内に存在していた各種迷彩生地を使ったTAP47と同型の非正規な服が、パレード用の礼装や晴れ着として、部隊単位あるいは個人的に製作されるようになりました。

イギリス軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩生地
ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩は元々、第二次大戦中にイギリス軍が開発した空挺部隊の降下スモックに用いられていた生地で、第一次インドシナ戦争期にイギリスがフランス軍に供与し、さらにその後フランス軍によってベトナム軍にも供与されました。こうした経緯から、1960年代初頭にはウィンドプルーフ迷彩を基にしたブラッドケーキ迷彩がベトナム軍によって新たに開発されます。ただしウィンドプルーフ迷彩の被服は通常、イギリス軍と同型のスモックや、フランス軍独自のジャケット・パンツであり、写真のTAP47型は個人的にオーダーメイドされたと思われる非常に稀な例です。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代後半]


ベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩生地
ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩は、フランス軍のTAP47(および同じ生地のTTA47)のリザード迷彩を基にベトナム海兵隊が1950年代末に開発した迷彩です。ただし海兵隊は空挺部隊を保有していない為、実戦で降下服を着用する事はなく、写真のTAP47型は純粋にパレード用の礼装として極わずかに制作された物と考えられます。
[画像: ベトナム海兵隊海兵旅団, 1966年6月19日国軍の日]


民間ERDL(インビジブルリーフ)迷彩生地
ERDLパターンは元々、1948年に米陸軍ナティック研究所で開発されたものの、米軍での採用は長年見送られており、軍よりも先に民間のハンター用迷彩服として出回った迷彩でした。ベトナム軍は1965頃にこのERDL(インビジブル)迷彩を作戦服の迷彩として採用し、1967年頃まで支給しました。このTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1966年?]


アメリカ軍ERDL(グリーンリーフ)迷彩生地
1967年にアメリカ軍がついにTCU(熱帯戦闘服)用迷彩として改良型ERDL(グリーンリーフ)迷彩を採用すると、ベトナム軍の標準迷彩もインビジブルからグリーンリーフに切り替わり、以後70年代初頭までグリーンリーフ迷彩の作戦服が支給されました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: トナム陸軍空挺師団および海兵隊, 1967~1969年頃]


ベトナム軍ERDLレンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩生地
レンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩はアメリカ軍のERDL迷彩を基にしたベトナム国産の迷彩で、1968年頃から支給が始まり、1970年代に入るとグリーンリーフにとって代わってベトナム軍の標準迷彩となりました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代末~70年代前半]


フランス軍リザード迷彩ポンチョ生地
上記のようにベトナム国産のTAP47系降下服には様々な迷彩生地が用いられたものの、将兵の間で最もステータスとされたのはやはりオリジナルのフランス製(リザード迷彩)でした。しかしフランス連合脱退から20年近く経過し、オリジナルは入手困難であったことから、中には迷彩服ではなく、フランス軍の迷彩ポンチョを改造してまでリザード迷彩にこだわる士官もいた事が写真から伺えます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団衛生大隊主任軍医チャン・ドゥック・トゥオン博士, 1970年代前半]


上記以外にも、聞くこところによるとフランス製TAP47の欠乏に伴いベトナム軍が韓国に発注して作らせたという韓国製リザード迷彩や、ベトナム国家警察ナショナルポリス(クラウド)迷彩のTAP47系降下服まで存在したそうなのですが、残念ながらそれと確認できる当時の写真を僕はまだ見付けられていません。


<おまけ>

今回記事を書くにあたってTAP47系の着用例を見直していたところ、非常に気になる写真を見つけてしまいました。

 
撮影時期は不詳なのですが、クーデターによって1963年11月2日に暗殺されるゴ・ディン・ジエム総統が映っている事から、確実にそれ以前の写真です。
手前の兵士はTAP47系の降下服を着ていますが、問題は服ではなくその袖に付いている部隊章です。服装から部隊は空挺旅団である事は間違いないと思うのですが、その部隊章が、どうも当時空挺旅団で使われていたと考えられているタイプ(下向きの鷲)には見えないのです。むしろ、どちらかと言うと、1964年後半以降(※)に見られる新型(白頭鷲)に見えます。かなり不鮮明なのですが、拡大して見比べてみるとこうなります。

※新型が使われたのは、一般的には空挺旅団が師団に昇格した1965年12月末(実質的に1966年)以降とされていますが、実際には1964年中から使用されていた事を以前記事にしました。過去記事撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』参照
 
もしこれが新型であったらなら、これまで一般に1965年12月と書かれ、僕自身も1964年中だと思っていた採用時期は、さらに遡って1963年以前という事になります。これはすごい発見かも知れません。しかしこの画像だけでは確かな事は言えないので、さらに当時の写真を調べて行こうと思います。
  


2017年11月13日

迷彩ヘルメット塗装

ずっと前からこの柄の迷彩ヘルメットが欲しかったんです。



過去記事『つるつるヘルメット』でやったように、安物のレプリカM1ヘルメットの塗装をペイントリムーバーで剥離。



最初はカモフラージュの下書きをマジックで塗装面に直接書いたけど、いざ塗り始めると境目が見えなくなって下書きの意味が無くなってしまったので、これは失敗。塗装全部落としてやり直し。



今度はマスキングテープを全体に貼り、その上に下書き。
さらに下書きに沿ってマスキングテープを各色ごとに切り出し、一旦すべてはがす。



各色ごとにエアブラシで塗装。塗ったら切り出したマスキングテープを再度乗せて、別の色を吹く。


しかし調色時と吹き付け時、乾燥後で色が全然違って見えてしまい、気に入った色にならず何度も何度も塗り直す事になる。
薄青緑の部分はMr.カラーの「ライトブルー」をベースに「エアスペリオリティーブルー」、「スカイブルー」、「グリーン(緑)」を加えて調色。最終的には納得のいく色になったけど、もう二度とこの色を再現できない。
茶色部分は「艦底色」に「ブラック(黒)」と「レッド(赤)」を混ぜたもの。黒を入れ過ぎたせいで赤みが薄れてしまった。何も加えず「艦底色」そのままの方が良かったかもしれない。


塗り分けから調色まで何度も何度もやり直す事となり疲れてしまったので、一応これで完成とします・・・。
結局最後まで茶色の部分の調色に悔いが残ったので、自分としては70点。
なんか納得いかないので、今回のは試作品として、そのうちまた作り直します。
  


2017年11月07日

ベトナム製リプロの憂鬱

 前回の記事『2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服』で紹介したベトナム製リプロにもうひと手間かけてディテールアップ、と言うか悪あがき。
 前回、この服は肩部分は迷彩服型のように肩当とエポレットの両方を備えており、カーキ作戦服としては不自然と書きましたが、変な部分はそれだけではありません。本来、2ポケット作戦服は首元まで襟を閉じられるよう第1ボタンとボタンホールが備わっているのですが、このリプロにはそれがありません。1970年代に普及する4ポケット作戦服からは第1ボタンが省略されるようになりますが、2ポケットはどのタイプでも必ずと言っていいほど第1ボタンを備えています。(改めて写真を見直したところ、無いタイプも結構見られました。)なので昨日、自分で穴かがり所(ボタンホール加工専門業者)にこの服を持ち込み持ち込み、ボタンホールを作ってもらいました。単発だと工賃は結構高くて、一カ所開けただけなのに540円しました。
 しかし、ボタンホールは単に加工すれば簡単に解決できる事なので大した問題ではありません。この服の本当の恐ろしさは下の写真の中に隠されています・・・。

おわかりいただけただろうか・・・・・・。

 そう、第2ボタン以降、前合わせのボタンホールが4つ全て縦に開けられているのだ・・・。これはベトナムで買った時点で最初からこうなっていました。無駄に肩当・エポレット付けてそれっぽい雰囲気出そうとしてるくせに、なんでこの部分を間違える・・・。
 なので当初は前合わせの生地の端を内側に織り込んで縦ボタンホールを隠し、新たに横穴を4つ開けようと考えていましたが、いざ工程を考えてみると、前合わせは襟の形に直結する部分なので、下手にいじれないという事が分かり、結局その案は断念せざるを得ませんでした。
 したがって第1ボタンを追加するにあたっては、ボタンホールの向きを正しい横向きにするか、他の穴に合わせて縦にするか悩みました。第1ボタンも縦にしてしまえば、一つだけ向きが違うという違和感は無いですが、襟はボタンホールが一番目立つところなので、そこが縦なのは恥ずかし過ぎます。結局、第2~第4ボタンは、ボタンを閉じてしまえば穴の向きなんてあまり見えよね!と自分に言い聞かせて、第1ボタンは横穴にしました。不本意ですが、僕にはこれ以上の改修は無理です・・・。

 ちなみに過去に何度か記事に載せている、このベトナム製実物パステルリーフ生地リプロ(生地は当時物だけど縫われたのは近年)も全く同じ状態でした。2ポケットなのに第1ボタン無し。前合わせボタンホールは縦穴・・・。せっかく実物生地なのにこれは残念過ぎます。もったいない・・・。


 今気付いたのですが、この服も一緒にボタンホール開けてもらえばよかったです。すっかり忘れてました。また近いうち穴かがり所に持ち込みます。

 なんで本国製のリプロがこんなにいい加減なんじゃい!と憤りを覚えます。恐らくこれらのリプロは外国のマニアや業者がベトナムの洋裁屋に発注して作らせたものですが、その際服の仕様のに指示が上手く伝わらなかった、あるいはそもそも発注する側に知識がなかったのだと思います。当然ですが、いくらベトナムであっても、その辺の町の洋裁屋さんが3・40年前に消えた旧政権の軍服について詳しい知識を持っている訳が無く、単に注文された通りに作っただだけのはずです。またその後、「こういう服は外国のマニアに高く売れる」と気付いたベトナムの業者が、先に生産した=誤った仕様の服をそのまま同じ形で作り続けた為に、このような粗悪なリプロが出回っているのだろうと推測しています。
 これはパッチについても言える事で、一度マニアがベトナムにレプリカパッチを発注すると、その後同じものが大量に出回るという現象が20年以上前から続いています。ただし、近年はナム戦マニア人口の減少によって正しい知識を持った客が少なくなってきたためか、レプリカを作る側もどんどんいい加減になり、最近ベトナム国内で作られているレプリカパッチの多くは、もはやレプリカとも言えない劣化版?お土産品?ばかりになってしまいました。これからは過去に作られた良質なレプリカパッチの値段が上がっていくかもしれませんね・・・。いや、マニア人口が減って需要が無くなるから、そうでもないか。


おまけ

なかなかしっくりくる色合いにならず、3回目の塗り直し中。塗料代えらい使ってます。
完成したら改めて記事にします。



ベトナム軍ごっこに季節は関係ない。
ベトナムやラオスでも高地なら気温は10℃くらいまで下がるし、草木も茶色くなる。


雪が降ったらアメリカ研修ごっこすればいい。


まだ冬服そろってないけど。
  


2017年11月03日

2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服

2ポケット作戦服の裁断について

改修について語る前に、まずベトナム共和国軍の作戦服の裁断についておさらいです。
ベトナム共和国軍は1950年代末まで、フランス連合時代に供与されたTTA Mle47系戦闘服を主に使用していましたが、1955年のフランス連合脱退によってフランスによる軍事援助が終了したため、TTA47系の在庫は減っていく一方でした。
そこでベトナム海兵隊(TQLC)は、独自に開発したザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服用の裁断として、TTA47が持つエポレット・肩当のデザインを残しつつも、新たな同盟国アメリカのユーティリティユニフォームの意匠から貼り付けポケットシャツ・パンツのデザインを取り入れた新たな戦闘服を1950年代末に採用します。

1960年以降は、この海兵隊作戦服から派生した各種2ポケット裁断が一般部隊向けのカーキ作戦服(Quân phục Tác chiến Khaki)の裁断としても採用され、以後1975年の終戦まで、ベトナム共和国軍の標準的な作戦服として15年以上に渡って使用されていきます。
2ポケット作戦服にはポケットの形状や袖丈・肘当て・ペンポケット・袖ボタンの有無など、細かく見ると数えきれないくらいのバリエーションがありますが、一番分かり易い肩部分の構造に絞って分類すると、大きく分けて肩当型・迷彩服型・エポレット型・簡略型の4種類の裁断がありました。
※この名称は僕が名付けたもので、一般的なマニア間での呼び方ではありません。

・肩当型

1950年代末にベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服に採用した裁断で、肩に肩当のみを持つタイプです。1960年代初頭からは一般部隊向けのカーキ作戦服の裁断としても採用され、こちらは以後1960年代末まで全軍で広く用いられました。なお、日本ではこの裁断は迷彩服型と共にM59と呼ばれてきましたが、この裁断は1958年製が確認されており、M59という呼び方は不適切だと思います。


・迷彩服型
肩当型に加えてエポレットも備えたタイプで、1960年代初頭から各種迷彩服の裁断として用いられ、1975年まで製造が続いた、エリート部隊を象徴する裁断です。一般部隊向けのカーキ作戦服にはほとんど用いられません。こちらも日本では長年M59と呼ばれてきましたが、1959年採用ではないので、M59という呼び方は不適切だと思います。



・エポレット型
肩にエポレットのみを備えたタイプで、こちらも1960年代初頭から海兵隊ザーコップ迷彩作戦服の裁断として一部で用いられました。また同時にカーキ作戦服の裁断としても採用され、以後1975年までカーキ作戦服や各種迷彩服のバリエーションとして使用例が見られます。


・簡略型
エポレットと肩当の両方を省略したタイプで、カーキ作戦服の代表的な裁断です。肩当タイプと並行して1960年代初頭から支給が開始され、以後1975年の終戦まで約15年間に渡ってベトナム共和国軍の最もスタンダードな作戦服として用いられました。また稀に迷彩服に用いられる事もあります。

[2017年11月5日追記]

また、パンツにも膝当て、カーゴポケット、貼り付けポケット等に様々なバリエーションがありますが、今回は割愛します。



戦後ベトナム製リプロをエポレット型化

昨年ベトナムに行った際、このようなベトナム共和国軍カーキ作戦服の戦後製リプロを買ってきました。使われているボタンは、ベトナム共和国軍用の実物金型をそのまま使用して戦後ベトナム人民軍の軍服用に再生産されたと思われる物で、本物と瓜二つです。


しかし上着の裁断に不満があるので自分好みに改修する事にしました。
まず、この服は肩にエポレットと肩当布の両方を備える迷彩服型の裁断ですが、カーキ作戦服にこの裁断が用いられている例はほとんど無いので、迷彩服型以外の裁断に改修する必要があります。なので今回は肩当を取り払って、エポレット型に改修してみました。一度肩口の上半分を外して肩当を取り、再度エポレットと肩口を繋げます。



ミシン跡は残るけど、生地は新品なので色違いにはならないし、何度か洗濯すれば縫い跡も目立たなくなるので大丈夫さきっと。
あと、胴体がやたら太かったので、脇から下を18cmほど詰めてスリム化しました。

残念ながら脇の辺りは立体構造なので素人には難しいく、シワになってしまいました。着てしまえば分かりませんが。
ベトナム共和国軍コスプレを始めて14年目にしてようやく気付いたのですが、実はベトナム兵を演じるにあたってスリム化すべきはパンツではなく、ジャケットである気がしてきました。確かに当時のベトナム兵の間ではパンツを細く改造する事が流行っていたようですが、それを私のような典型的な胴長短足体形の人間が真似しても、ただ足がムチムチになるだけでちっともカッコ良くありません。当時のベトナム兵はとにかく足が長くて顔が小さいモデル体型が多かったので、細いパンツも似合っていたのです。ですから、私のような体形でも足を長く見せるためには、パンツはあまり細くせず、代わりに上着を細くして上半身を小さく見せるのが一番良いと考えるようになりました。


クラッシファイド製リプロを簡略型化


こちらは友人の依頼で、肩当型を忠実に再現しているクラッシファイド製リプロから、肩当を外して簡略型にする改造を施したものです。こちらもベトナム製リプロと同様に、肩口の上半分の糸を外して肩当を取り外し、再度肩口を縫い直しています。こうする事で、肩当型の使用例が少ない1970年代の設定でも使えるようになります。
ただし、この改造は色落ちしていない新品の生地でないと、肩当を外した部分だけ色が変わってしまい恥ずかしい感じになるので、お勧めできません。やる場合は新品を購入しましょう。それだけの価値はあります。クオリティも上のベトナム製よりクラッシファイド製の方がずっと良いです。http://www.mil-classified.jp/SHOP/A-1-010-01.html

また各種裁断のカーキ作戦服はベトナム陸海空軍・地方軍・国家警察はもちろん、

CIDG(CSFおよびマイクフォース)や

PRU(米CIA指揮下)、

NKT(米MACV-SOG指揮下)、

LĐNN(米海軍SEAL出向)

といった特殊部隊にも大々的に支給されていました。
なので僕はそれぞれの部隊設定が出来るよう、カーキ作戦服をあと7着くらい欲しいです。
(パンツは7本も要らないので、できれば上着だけ売って欲しいんですけど(笑))



  


2017年10月20日

通称"カオダイ軍ベレー"の正体について

我が家にある数少ない実物軍装の一つなので、まずは外観から。


リボンに使われた形跡が無いので未使用品。TTSXQT(ベトナム国防省装備生産センター)スタンプは画像ではかなり薄いですが、目で見ると辛うじてサイズA5、1965年11月と読めます。


知ってる人には常識ですが、このベレーに付いているベレー章は『カオダイ軍(Cao Dai Army)』の物として知られています。しかし、このベレーについて調べれば調べるほど、その通説が疑わしく思えてきたので、その訳を書いていきます。またこの疑問を抱いていたのは私だけではなかったようで、海外のコレクターの間でもいくつかの説が唱えられていました。

Wehrmacht-Awards.com

このベレー章の正体については現在、大まかに言って以下の3つの仮設が挙がっています。

1. カオダイ軍およびカオダイ教徒を示すベレー章である。(通説)
2. 元々はカオダイ部隊のものだったが、1955年にカオダイ部隊がベトナム国軍に吸収されると陸軍一般兵科用として広まった。(某ベトナム人コレクター)
3. そもそもカオダイ教は無関係。ただの陸軍一般兵科ベレー章だ。(某米国人コレクターなど)

僕は正しいのは2か3の説であり、1の通説は間違っていると考えています。以下にその理由を挙げていきます。


カオダイ部隊が最も活躍した第一次インドシナ戦争中には問題のベレー章は確認できない

 
▲フランス連合カオダイ部隊(Troupes Caodaïstes)部隊章 [1947-1955年2月]
第1次インドシナ戦争中に編成されたカオダイ部隊の部隊章は右胸に付けるバッジのみでした。


◆ベレー章の使用が確認できるのは1955年から

チン・ミン・テー准将の葬儀 [1955年5月6日サイゴン]

上の写真は僕が問題のベレー章の使用を確認している最も早い時期の写真です。カオダイ部隊はフランス軍の撤退に伴い1955年2月13日にベトナム国軍に編入されると同時に部隊章も新しいデザインに更新されおり、このカオダイ部隊司令官チン・ミン・テー准将の葬儀の写真にも新デザインの部隊章を付けたカオダイ兵士が確認できます。そしてこの時点で問題のベレー章が使用されている事から、少なくともその採用時期は1955年前半だという事が分かります。

▲ベトナム国軍カオダイ部隊(Force Armée Cao Dai)部隊章 [1955年2月~1955年10月?]

ただし、このベレー章はほぼ同じ時期に他のベトナム国軍部隊でも使用例が確認できるため、カオダイ部隊を示すベレー章とは言い切れません。

 
▲ベレー章と共に看護総隊(Tổng đoàn Quân y tá)の徽章が確認できる [1955年7月]


◆ジエム政権によってカオダイ教が弾圧された時代もベレー章が政府軍によって広く使われている

1955年10月にベトナム国首相ゴ・ディン・ジエムが国民投票でバオダイ(保大帝)を追放しベトナム共和国の初代総統に就任すると間もなく、150万人以上の信徒を抱えるカオダイ教団とカオダイ部隊を危険視していたジエムは、政府軍をカオダイ教団本部のあるタイニン省に投入してカオダイ教団の動きを封じるとともに、カオダイ部隊を解散させます(先記のカオダイ部隊司令チン・ミン・テー准将の死も、ジエムら政府首脳による暗殺だという説が根強く残っています)
政府に恭順したカオダイ兵たちは一般兵としてベトナム各地の部隊に散り散りとなっていきましたが、一部の元カオダイ部隊将兵は降伏を拒否して反政府勢力として地下に潜伏したため、ジエム政権は1956~1958年にかけて3000人以上のカオダイ教徒を逮捕してカオダイ部隊の残党狩りを行っていきます。このようにベトナム共和国政府とカオダイ教は、ジエム政権が崩壊する1963年末まで敵対関係にありました。
しかし、カオダイ教が弾圧された時代でも、問題のベレー章は(弾圧していた側の)政府軍将兵に広く使用されていました。従ってこの時点でベレー章がカオダイ部隊・カオダイ教徒を示すものだったとは考えられません。

▲問題のベレー章を着用した将校に案内されるジエム総統の弟の妻チャン・レ・スアン [1960年代初頭]


◆明らかにカオダイ教徒ではない政府軍の高級将校たちも問題のベレー章を身に着けている

▲グエン・ゴック・ロアン(写真左・当時大佐・軍事保安局長官) [1965年11月1日]

1963年11月のクーデターによってジエム政権が崩壊し、新たに軍事政権が発足すると政府とカオダイ教との対立は終わり、元カオダイ部隊の幹部らもベトナム共和国軍へと復帰します。とは言え、あくまで宗教差別が撤廃されただけで、1955年以来8年間も軍から離れていたカオダイ教の将校が復帰してすぐに要職に就くという事はありえず、政権に近い高級将校の中にカオダイ教徒は居なかったと考えられます。
一方、カオダイ教が迫害されていた時期にも出世を続け高級将校になった者たちの中には、問題のベレー章を使用する者が少なからず居るため、ベレー章とカオダイ教に関係があるとはさらに考え辛くなります。


◆アメリカ国防省が作成したベトナム共和国軍制服の図解には、陸軍ベレー章(兵科士官用)として記載されている

 
(左) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 年代不詳 / (右) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 5 April 1966


▲A Pocket Guide to Vietnam, DOD, 20 Nov 1970
1967年の徽章改定後の版には問題のベレー章は記載されていません。これはそのベレー章が宗教を示すものではなく、単なる陸軍の帽章であり、1967年に他の徽章と同じくデザインが改定された事を意味していると言えそうです。


◆ベトナム共和国軍付きのアメリカ軍アドバイザーも着用しているが、彼らの担当はカオダイ教とは関係ない


▲ゲイリー・カミングス米陸軍特技兵 [1966-1967年頃]
当時カミングス特技兵はサデク省ヴィンロンに駐屯するMACVアドバイザーチーム60に所属しており、ベトナム陸軍第9歩兵師団付きのアドバイザーを勤めていましたが、サデク省や第9歩兵師団が特にカオダイ教にゆかりのある地域・部隊という事はありません。


◆そもそもカオダイ教のシンボルマークとベレー章のデザインとの類似性は、単に『三角形の図柄が入っている』という点のみで、見比べると全く似ていない

▲カオダイ教のシンボル(左)と問題のベレー章(右)
なおカオダイ教的には三角形ではなく『カオダイの目』と呼ばれる目の意匠の方が重要視されている模様


以上が、このベレー章をカオダイ軍の物とする1の通説への反証になります。
では、このベレー章の正体は何なのかと言うと、僕は少なくとも1955年末以降は、単なる陸軍一般兵科ベレー章(1955-1967)であったと考えています。
問題は2の「採用当初(1955年前半)はカオダイ部隊を示すものだった」という説をどう見るかです。僕としてはこれも怪しい気がしますが、これを否定できる確固たる証拠はまだ得られていませんので、まだしばらく情報収集を続けていきたいと思います。

なお、カオダイ部隊およびカオダイ教徒の戦いの歴史については現在執筆中なので、気長にお待ちください。
  


2017年09月30日

最近やった縫物

ひとまず完成したもの

◆ベトナム陸軍空挺旅団(1962-1964年頃)


◆ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生(1967-1975年頃)


◆ベトナム共和国軍ヴァンキェップ訓練センター 教導士官(1967-1975年頃)


まだ作成中

◆ベトナム国家警察 第222野戦警察群 第611野戦警察中隊"白虎" (1967-1975年頃)
本当はネームテープはプリントではなく刺繍が正解なので、いずれ作り直します。


◆ベトナム陸軍第3軍団マイクフォース (1966-1968年頃)
やる気が出たらボタン取り替えます。


◆ベトナム陸軍第5マイクフォース (1966-1968年頃)
既存の第5マイクフォースパッチのリプロは、上側にMIKE FORCE / AIRBORNEタブが予め組み合わさってるもの(画像左)しか出ていないようです。しかし当時の写真をよく見てみると、このタイプはMSF付きのアメリカ兵が左胸ポケットに付けているのは見ますが、ベトナム兵はどちらかと言うと上側にタブが無いタイプのパッチにAIRBORNEタブのみを後付けしている(画像右)事が多い気がしています。

 
なので、そのタブ無し(かつ上側が丸くなっている)タイプが、どうにか手に入らないかな~と探し中です。別にタブ付きタイプでも間違いではないのですが、思い入れのある部隊なので、どうせならそこも拘りたいんです。それに当時はパッチ付けてない兵隊も多く居ましたから、良いパッチが見つかるまでは無理して付ける事ないかと思ってます。


◆ラオス軍モン族第21機動群 (1970-1975年頃)
当時の兵隊が野戦服に徽章つけてるのあまり見ないので、、これで完成としちゃっても良いんですが、この上あえて付けるとしたら落下傘降下資格章とネームテープくらいかな。作ろうと思えばいつでも作れるので、気が向いた時にでも進めていきます。


次作ろうとしている服

◆迷彩じゃないマイクフォース (1968-1970年頃)

ベトナマイゼーションに伴い1968年に米国のCIDG計画が終了すると、マイクフォースを含む全CIDG部隊の指揮権は正式に米軍からベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)に移管されます。それまでCIDG部隊の被服・装備品の多くはCIAの予算で調達されたMDAPやCISOによる非正規装備品(タイガーストライプなど)が支給されていましたが、この移管によってそれらの支給は終わり、以後CIDG部隊にはベトナム軍2ポケ作戦服や米軍TCUなど越米軍の迷彩ではない正式な被服が支給されていく事になります。(※)
またこの際、それまでCSFおよびMSF(マイクフォース)の部隊章は部隊ごとにバラバラだった事から、それぞれCSF共通(画像左)、MSF共通(画像右)の新デザインが採用されます。

 

※ただしLLĐB移管から2年弱経った1970年にはLLĐBが解散し、CSFはベトナム陸軍BĐQ(レンジャー科)へ、MSFはNKT(越境特殊部隊)へと編入されて、それぞれの編入先でベトナム軍制式の迷彩服を支給されます。


◆ラオス陸軍モン族SGU (1960-1970年頃)

ベレー(ラオス陸軍一般兵科ベレー)入手済み。被服はベトナム軍ので代用。


あとはパッチのみ。
  


2017年09月26日

撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン

撮影会後半は、これまた念願の空挺旅団。翌年よりベトナムの新たな国慶節として記念された、1963年11月1日の出来事のワンシーンを再現。


革命軍のご飯タイム




赤帽の天使たち




おまけ: 空挺旅団部隊章の謎


ベトナム戦争だけで13回、第一次インドシナ戦争期を含めると50回以上の空挺降下作戦を行った20世紀を代表する空挺部隊の一つであるベトナム陸軍空挺科部隊ですが、その部隊章は1954年の空挺群創設から1975年の敗戦までに二度の変更がありました。
まず空挺科としての部隊章が最初に制定されたのは、それまでフランス軍の指揮下にあったベトナム国軍空挺大隊で構成されたフランス連合軍部隊『GAP3』が、フランスの撤退に伴い正式にベトナム国軍の指揮系統に統合され、『空挺群(Liên Đoàn Nhẩy Dù)』として再編された1954年5月1日でした。この時制定された空挺群の部隊章は、『赤地にペガサス』というデザインです。

  

その後、空挺群は規模拡大と陸軍の大規模再編に伴い、1959年10月26日に『空挺旅団(Lữ Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この際、一度目の部隊章の変更が行われ、『白いパラーシュートに青緑色の鷲』がデザインされたものが空挺旅団の部隊章として採用されました。

 
※2枚目の写真はモノクロ写真に後から着色されたものなのでパッチの配色は正しくない

このように、一度目の変更は空挺科部隊が群(Liên Đoàn)から旅団(Lữ Đoàn)へと昇格した際に行われたのでタイミングとしては分かり易いのですが、次の二度目の変更は少し不可解なのです。
旅団昇格から6年後の1965年12月31日、空挺旅団はついに『空挺師団(Sư Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この空挺師団では『青いパラシュートに白頭鷲』という新しいデザインの部隊章が1975年の終戦まで使われていきました。空挺科ベテラン公式サイトでも、この三代目の部隊章は空挺師団のものとして紹介されています。

しかし当時の写真をよく見てみると、実際には新デザインの部隊章は師団に昇格する1年以上前から空挺旅団の部隊章として使われている事が分かります。まだ正確な時期は把握していませんが、遅くとも1964年11月までには、新しいデザインに変更されていたのです。また同時に、空挺科の兵科章『天使の翼章』(※後述)をデザインした胸章も採用され、以後左袖の部隊章と左胸の胸章はセットで服に縫い付けられるようになります。
この1964年中に行われた二度目の変更については、一度目の時のように部隊の編成が大幅に変わったという事もなく、どのような理由で部隊章の変更と胸章の採用が行われたかについては、未だ把握できていません。

 
▲写真二枚: 1964年11月30日サイゴンで発生した反政府デモを鎮圧する空挺旅団兵士
新デザインの部隊章と胸章が確認できます。


【天使の翼について】


剣を握る大天使ミカエルをモチーフにした天使のは、元々1946年にフランス軍空挺部隊のベレー章として採用されたデザインで、フランス植民地軍から発展したベトナム陸軍空挺部隊も1955年までフランス軍と同じベレー帽およびベレー章を使用していました。またベトナムがフランス連合から脱退した後も、ベトナム陸軍空挺科はフランス連合時代の伝統と栄光を受け継いで天使ののデザインを空挺科の兵科章『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)』として採用します。
なお、天使の翼章は、英語では"Parachutist Jump Status Indicator (降下資格章)"と呼ばれますが、実際には落下傘降下資格を示す徽章は軍服の右胸ポケット上に佩用する他の金属または布製バッジ(Bằng nhảy dù)であり、また天使の翼は(兵科章なので当然)空挺科以外の部隊では一切使用されないため、Jump Statusという英語名は不適切だと思います。