2021年11月11日
グリースガンいぢり その4:完成
ようやく最後の工程である塗装に入ります。
この機会に、トイガンの塗装についてインターネットで他の人の作例を検索してみたところ、下地に染めQのミッチャクロンマルチ、塗料にインディのパーカーシールを使っている方が多かったので、僕も真似して、これらの塗料を初めて使ってみました。
僕はかなりせっかちな性格なので、ぱっぱと大雑把に塗り進めたのですが、それでも評判に違わぬ仕上がりとなりました!こりゃすごい!
ビフォーアフター
塗料のおかげでだいぶ雰囲気が良くなりました。
表面は磨いていませんが、使っているうちに自然に擦れや傷ができるでしょうから、これにて完成とします。
お疲れさまでした。
おまけ
去年オークションで入手した個人製作・フルスクラッチのMAT-49電動ガンの塗装がだいぶ剥げてきたので、ついでにこちらもパーカーシールで再塗装しました。
過去にはガレージガンワークスから、かの有名なソシミ電動ユニット入りMAT-49が発売されていましたが、僕がフランス装備に興味を持ったのはつい最近のことなので、その時には既にガレージガンワークス製は入手困難となっていました。
なのでジャンク品でもいいからどこかにMAT-49が転がってないものかと何年も探していたところ、こちらのフルスクラッチMAT-49に出会うことができました。なんと中にはマルイ電動スコーピオンSMGのユニットが仕込んであります。言わずもがな射撃性能は段違い。
さらに最近は別の人(チェコ人らしい)が設計した、マルイVer.3メカボックスが組み込み可能なMAT-49の3D出力用データもダウンロード販売されているようですね。
ただ、これくらい各パーツのサイズが大きいと3D出力する価格もけっこう高く、またせめてストックだけは金属製じゃないと強度的に不安ですが、金属を3D出力するのは不可能ではないにせよかなり値段が張る加工なので、まだ二の足を踏んでいます。
いつかネタ切れになった外国のエアソフトメーカーやデニックスが、何かの間違いでMAT-49を作ってしまうことを願って止みませんが、それまでは手持ちのこの銃を大事に使わせていただきます。
2021年11月10日
グリースガンいぢり その3
前記事
グリップに続いて、ハドソンは省略してしまった細部の形状も(あまり拘りないので大体で)作成。
ダストカバーのリベット
M3サブマシンガンはダストカバーを開けた状態がカッコいいと思うのですが、これを再現するには、ダストカバー内側のボルトストップ/セーフティと、レシーバー側のボルトまで再現する必要があり、かなり大仕事なので今回は諦めました。(そこまでするならガスブロやモデルガンを買ったほうが早い)
レシーバー右側のピン2個
レシーバー前端の溶接跡とバレルラチェット
バレルラチェットはアルミ板をカットしたもの。溶接跡はエポパテを細く伸ばして貼り付け、その表面を割り箸でグリグリ擦って不規則な模様を付けました。
なお実銃ではバレル基部の加工はセレーション(並行の溝)ではなくチェッカリング(格子状の溝)ですが、それを自力で再現するのはかなり大変なので、そのままにしています。
ボルトガイドロッド後端、スリングスイベルのボルト穴埋め
このボルトガイドロッドはBB弾を半分に切ったものです(笑)
これにて形状修正は完了。塗装に進みます。
2021年11月08日
グリースガンいぢり その2
前記事『グリースガンいぢり その1』
とりあえずグリップの修正はこれで完了です。
ハドソンの外部ソース式グリースガンは、グリップの滑り止めの形状を、本来は凹形状(へこみ)のところを誤って、逆に凸形状(盛り上がり)で作ってしまっています。
これを修正するため、まず凸部分をニッパーで切除。
そして凸形状だった部分にハンダゴテの先っちょを押し当て、溶かして凹ませる。
溶けてクレーター状になった部分をナイフで切除し、サンドペーパーで平らにする。
追記
やっぱり穴が小さすぎて気に食わないので、3mmのドリルで穴を広げました。
その上にタミヤセメントを厚く塗布して、穴の中にたまった削りカスごと溶かして固めてしまいます。
うん、いい感じになったと思います。
おまけ:ラーメン二郎の旅
今年の9月からラストスパートかけて、今まで行けていなかった店舗に遠征してきました。
札幌店
京都店
千葉店
これで、長期休業中の立川店を除く、全ての店舗で食べる事が出来ました。
移転した前後も含めると、足を運んだ店は計47か所になります。
足を運ぶ前に閉店してしまった店舗もあるので真の全店制覇とは言い難いけど、とりあえず行ける範囲では行き終えました。
でも、今年中に新店のひたちなか店がオープンするらしいので、またラーメンのためだけに遠出する羽目になりそうです。
2021年10月22日
謎のM16A1 w/ XM148
先日、海外の友人が、ベトナムにおける不可思議なM16ライフルの写真を見せてくれました。
写真その1
アドバイサーと思しき米兵がXM148グレネードランチャー付きのM16A1ライフルを持っていますが、なんとハンドガードがXM148専用の物ではなく、通常のM16A1のままです。
なお撮影された場所・年代等は不明ですが、ボートを運転しているベトナム兵の左胸に付いているパッチは情報学校のものです。
写真その2
上の写真と続けて撮影されたと思われるこの写真では、XM148に加えてE4Aらしきサイレンサーまで装着されています。こちらもハンドガードは通常タイプで、スリングベルトも同じように付いているので、もしかしたら銃自体が同じ個体かも知れません。
なので撮影場所は第4軍管区(旧・第4戦術区)内のどこかという事になります。
この銃をイラストにすると、こんな感じ。
ベトナム軍(しかも二線級の地方軍)でサイレンサーが見られる事自体驚きですが、こちらは物さえあれば取り付けられるのでひとまず置いておくとして、とにかくハンドガードが謎過ぎます。こんな取り付け方は他に見た事がありません。
XM148を取り付けるために、わざわざハンドガードの下面を大きくくり貫いて穴を開けたとしか思えません。
たまたまグレネードランチャー本体だけ手元にあって、専用ハンドガードが無かったから、無理くり付けちゃったのでしょうか・・・。
なおベトナム軍では、XM148やM203といったアンダーバレルグレネードランチャー自体が一般部隊にはほとんど出回っておらず、その支給先は特殊部隊、特にNKT傘下のコマンド部隊に限られていました。
NKTはベトナム軍の特殊工作機関であるものの、1960年代を通じて米軍SOGによる特殊工作の実行部隊として活動しており、アンダーバレルグレネードランチャーを含む最近の火器・装備をSOGから直接支給されていました。
また下の写真のように、1970年代にはベトナム海軍LĐNN(フロッグマン部隊)でもまとまった数のXM148付きM16A1が見られますが、LĐNNは創立当初よりSOG指揮下のNKTシーコマンド部隊を構成していたため、このXM148もSOGがシーコマンドに対して支給した物を引き継いでいるのではないかと思われます。
(1973年の休戦に伴い潜入工作部隊であるシーコマンドは解散となったため、海軍シーコマンド中隊はそのままの装備で原隊であるLĐNNに復帰した)
国軍記念日のパレードにおけるLĐNN隊員(1973年6月19日サイゴン)
Posted by 森泉大河 at
14:57
│Comments(0)
│【ベトナム共和国軍】│【アメリカ】│銃器│1954-1975│NKT/技術局│SOG/特殊作戦│被服・装備│LĐNN/フロッグマン│HQ/海軍│ĐPQ-NQ/地方軍・義勇軍
2021年10月19日
グリースガンいぢり その1
先日、いにしえのハドソン製外部ソース式M3A1サブマシンガンを入手しました。
箱の「俺の心をブチ抜いた強烈パワーに脱帽」の謳い文句に、80年代へのノスタルジーを禁じ得ません。
世の中にはガスブロに電動、モデルガンなど様々なグリースガンのトイガンが存在しますが、僕はグリースガン自体には大して思い入れは無く、コスプレ用のデコガンとして欲しかっただけなので、値段が一番安い(そして外見も安っぽい)外部ソース式をあえて購入しました。
しかし、いくら安物とは言え、どうせグリースガンを使うなら、どうしてもセットで欲しかったのがM9フラッシュハイダー。
とは言え、M9の実物は良いお値段するし、国内ではレプリカも売ってないので、3Dプリンターで自作する事にしました。
まず、M9の正確な寸法は分からなかったので、ネットで拾ったこの目盛付きの写真からおおよその寸法を割り出しました。
Autodesk Fusion 360で3Dデータを作成。
最初は、ハイダー後端を締め上げる蝶ナットは市販品を使い、実物通りの方法で銃側のバレルに固定しようと考えていましたが、よく見ると形状が市販品とは全然違かったので、見た目の再現度を優先し、蝶ナットおよびブラケットはハイダーと一体成型のダミーとしました。
なお3D出力に際し、以前AR-15モデル601の各パーツを作った時はナイロン素材を使いましたが、今回は試しに、MJF(マルチジェットフュージョン)方式のPA12GB(ポリアミド12ガラスビーズ)という素材を使ってみました。
そしてDMM.makeさんに注文して5日後に到着。
PA12GBは素材の性質上それなりにザラつきはあるものの、それでもナイロンよりはきめが細かい気がします。粗めのサンドブラストみたいな感じです。
ナイロンの時は全体に溶きパテを塗ってペーパーがけする事でザラつきを隠そうと頑張ってたけど、これならサーフェイサーと塗料だけでもいいかもしれません。(自分自身がどの程度のザラつきを許容するかによりますが)
さっそく銃に仮組み。
ウヒョー!!一気にカッコ良くなった!
それではこれから、グリースガン本体のディテールアップに進んでいきます。
2021年07月31日
40mmダミーカート自作その3
前回は弾頭風防まで塗装したので、次に本体(弾頭弾帯と薬莢)を塗装してきます。
全体にシルバーを筆塗り。
シルバーが乾いたら、弾帯部分にマスキングして、薬莢をエアブラシで塗装。
塗料は基本色のグリーンとブラウンを混ぜてオリーブドラブっぽく調色したもの。
下地の金属感が残るように、通常よりも希釈したものを薄く塗りました。
先に塗装してある風防と、本体をホットボンドで接着。
最後に(風防が発泡スチロール製なので)水性のトップコート光沢を吹いたら完成。
これを20個繰り返すと・・・
こんな感じ!
単体で見るとショボいけど、20個もあると、それなにり迫力がありますね。
もちろんリアルサイズなのでアムニションキャリングベストにもぴったり収納できます。
ダミーカートを自作するきっかけとなった、ポケット上下からのチラ見え問題もこれで解決しました。
・・・しかし実は、まだポケットが4つ空いています。
ベスト最上段の、信号/発煙弾用の長いポケットです。
なんか、もう疲れたよ・・・。せっかく机の上が片付いたのに。
待てよ。そう言えば40mm信号弾って保護用の紙筒が付いてたよな・・・
うん、決まり。
トイレットペーパーの芯を突っ込んでおこう。
2021年07月23日
40mmダミーカート自作その2
前回の続きです。
20個という数を前に途中で面倒くさくなり、最後に作業してから2週間ほど経ってしまいましたが、連休を利用して作業再開しました。
前回作った木製の本体に、少しでも木目を隠すため全体に溶きパテを筆塗りし、乾燥後にサンドペーパーで研磨。
次に本体に弾帯(砲身内でライリングと密着する部分)の形状を追加。
弾帯はビニールテープを細く切って巻いただけです。
本体の加工はひとまずこれで終わりとし、弾頭風防部分の制作に入ります。
素材としたのはAmazonで売ってたΦ40mmのタマゴ型発砲スチロール。
これの上下をカッターナイフで切り落とし、風防の形状にします。
本体と仮組するとこんな感じ。
これにて形状加工は完了とし、ようやく塗装に進みます。
まず先に風防をクレオスの水性ホビーカラー ゴールド(金)で筆塗りしました。
風防は発泡スチロール製なので、水性塗料で塗らないと溶けてしまうのです。
↑まだ風防と本体は接着していません。
塗料を塗った風防を乾かすのにちょうど良かったので、本体の上に置いてるだけです。
同時進行で本体も塗り始めましたが、6本塗ったところで手持ちのシルバーの塗料を使い切ってしまったので、今日はここまで。
新しい塗料が届いたらまた再開します。
2021年07月10日
40mmダミーカート自作
先日、米軍のグレネーダーベスト(アムニションキャリングベスト)を買ったんです。
でもこのベストって、ポケットの中に弾薬が入ってないとペシャンコでカッコ悪い。
なので最初は塩ビ管でも切って入れておこうと思っていたのですが、よく見るとポケットのボタンを閉じた状態でも弾薬の上下がチラ見えしているではありませんか。
それでは流石に見栄えが悪いので、ちゃんとダミーの40mm弾薬を入れる事にしました。
まず40mmダミーカートとして一番入手が楽なのが、AMAやTMCなど各社からレプリカが発売されているM433 HEDPです。
しかしこのM433は現用の40mm弾薬であり、ベトナム戦争期には存在していないので、ベトナム専門でやってる僕は使えません。
ベトナム期をやるにはM381やM406など、弾頭先端がフラットになっている初期のHE弾が必要なのです。
ネットで探すと、海外にはそれら旧式のHE弾のレプリカを販売している業者もあります。
しかしこのM406は、本来あるはずの弾頭弾帯部分と風防との繋ぎ目がありません。
もしかしたら実物ではなく、エアソフト用のモスカートの形状をコピーしたのかも知れませんね・・・。
数個ならともなく、ベストには20発も詰めなくてはならないので、送料考えたら値段も安くも無い上に出来も微妙では、買う気になりません。
一方、文句なく出来が良いのはこちらのM381。
画像: Yourprops.com
なんと、ターミネーター2のT-800コスプレ用小道具として販売されているそうです。
しかし出来が良い分、受注生産の為、価格もかなり行きそう。
しかも金属製なため、そもそも税関を通すのが難しそうなので諦めました。
こうして市販品でまかなう事は諦め、結局自作する羽目に。
ホームセンターで40mmの木材丸棒を購入し、長さ66mmに切ってもらいました。
66mmとはおおよそ、弾薬の全長から弾頭風防部分を抜いた長さです。
旋盤加工できれば風防を別に作る必要も無かったのですが、このために旋盤を買うのではコストに見合わないので、他の方法を考えました。
ネット上には電動ドライバーを使う自作簡易旋盤の作例がいくつかありましたが、それも何だかんだ部品を揃えたり加工したりする手間がかかります。
なので僕が考えたのが、木材に全ネジを貫通させ、ナットで固定し、電動ドライバーで回すというもの。
今回のように、加工物に不要な穴を開けてもかまわない状況でしか使えない方法ですが、その分コストはネジ・ナット代しかかかりません。
うまくいくと、こんな感じ。
加工するのはケースの下側のグルーブ部分だけです。
形状の再現性はかなりいい加減ですが、どうせベストにしまえば上下がちょっと見えるだけなので、個々の再現度よりも作業効率を優先しました。
20個もあると、もう細かい形状なんてどうでも良くなってきます。
また理論上は上手くいくはずだったこの方法ですが、僕の加工技術の問題から、実際やってみると失敗が幾度もありました。
ちゃんと円の中心に目印を書き、ドリルの先端をそれに合わせたはずなのに、いざドリルを回すとなぜか中心からずれた場所に刃が入ってしまいます・・・
この状態の物をドライバーに接続して回すと、偏心しているせいでグワングワンと揺れまくり、削るどころではなくなります。
これを防止するには、加工物とドリル両方をちゃんと固定して穴あけできるボール盤が必要ですが・・・
旋盤をケチったがためにボール盤が必要になるとか、ドツボじゃん
2021年05月01日
AR-15モデル601完成
【前記事】
最後に残っていた改造箇所を片付けました。
エジェクションポートカバー
もともとJACのエジェクションポートカバーはAR-15第2・第3世代(つまりM16/XM16E1からM16A1シリーズ)の形状をとても良く再現しているのですが、今回はこれをプラ棒等で、もっと古い第1世代の形状に改造しました。
改造前、改造後
ちょっと接着剤の跡が汚くなってしまいました・・・
マガジンリリース
これもセレーションが水平になっている第1世代タイプに改造。
元からある円形のセレーションを削り落とし、パテで水平の溝を作成
改造前、改造後
う~ん、やはりセレーションは難しい。
でも細かい部分を気にしだすとキリがないので、ひとまずこれで完了とします。
レシーバーピボットピン
ジャンク箱に入っていた、中がメスネジになっている謎のボルトをベースに改造。
第2世代以降が備えている脱落防止のピンを内蔵したエジェクションポート下のリブが第1世代のレシーバーには無いので、第1世代の脱落防止機構はピボットピン側に付いています。
しかし、それを再現するのは大変なので、ピンの太さをレシーバー側の穴の径ギリギリにして圧入する事で簡単には落ちないようにしました。
改造前、改造後
これが我が家のコルト・アーマライトAR-15(モデル601)
刻印はいじってないし、僕の工作技術も未熟なため、まだ完璧とは程遠いものの、なんとか形になりました。
当面はこの状態で使うつもりですが、もしかしたらそのうち我慢できなくなって刻印も打ち直す事になるかも。でもその時はちゃんと業者に頼みます。
モデル601とベトナム軍
そもそも僕がモデル601を作った動機は、この銃がコルトによって製造された最初のAR-15であるという銃器マニア的な興味に加えて、ベトナム共和国軍マニアとしても長年渇望していた銃だったからであります。
AR-15モデル601は1960年にアメリカ空軍に採用され、さらにその後ベトナムにおいて米陸軍特殊部隊が実地テストを行った事は広く知られています。
しかし実はその陰で、1961年から1962年にかけて約1,000丁のモデル601が軍事支援物資としてアメリカからベトナム共和国軍に供与されていました。
当時、東南アジアにおける共産主義勢力の排除を目的とした限定的非対称戦争『プロジェクト・アージル(Project AGILE)』を実行していたアメリカ国防総省ARPA(高等研究計画局)は、軽量・高威力を両立しているAR-15(モデル601)は従来の米軍火器よりも体格の小柄なベトナム人兵士に適していると考え、コルトに対し新たにモデル601を発注、1962年に計965丁のモデル601と5.56mm弾薬55万発をベトナム軍の各部隊に供与しました。
【モデル601のベトナム軍における配備先】
空挺旅団 390
CIGD 125
第7歩兵師団 100
レンジャー部隊 100
海兵隊 100
特殊部隊 100
第5歩兵師団 40
NDTVハイイェン 10
(出典:Black Rifle: M16 Retrospective, R.Blake Stevens, Edward C. Ezell, 1992)
こうして米軍はモデル601を空軍基地の地上警備および特殊部隊による小規模なテストでしか使用しなかった一方、ベトナム軍はAR-15という銃を初めて実戦で本格的に運用した組織となりました。
▲AR-15モデル601とベトナム陸軍空挺旅団の兵士(1960年代前半撮影)
それから2年後の1964年、アメリカ陸軍および海兵隊はようやく重い腰を上げてAR-15(モデル603 1964年型)を『XM16E1』として試験採用。翌65年からベトナム派遣部隊に大々的に配備していきます。
その一方でベトナム軍へのAR-15の供与は1962年分で一旦打ち切られており、新型のXM16E1が配備されるのは米軍から2年遅れの1967年となりました。
なおXM16E1の改良型として1967年に制式採用された『M16A1』(モデル603 1967年型)の配備はアメリカ・ベトナム両軍共に順調に進められ、米軍での採用翌年の1968年初頭にはベトナム軍でも、一線級部隊の主力小火器はM16A1に置き換わりました。
2021年04月29日
モデル601その3
【これまでのお話】
・モデル601の進捗マガジン
前回、形状修正までやったので、塗装に向けてサーフェイサーを吹きました。
白い成形色装状態では分かりませんでしたが、サフを吹くと表面の粗さが目立ちます。
これはナイロンを素材にした以上避けられないと分かっていたので、対策は考えてあります。
全体に溶きパテを厚めに筆塗り。その後サンドペーパーで、ひたすら研磨。
表面が滑らかになったらエアブラシで塗装します。
まず下地に、ボルトキャリアを塗ったのと同じMr.スーパーメタリック2を塗布。
その上にあえて新品っぽく見えるよう、薄くセミグロスブラックを吹いてみました。
(ワッフルマガジンは使っているアルミ合金の種類が違うのか、普及型マガジンのように黄色く変色している例は見ない気がします。)
よく見ると細かい傷が沢山あるけど、最初のコンクリートブロック状態と比べたら、だいぶ金属っぽくなりました。
このマガジンは一応、側面のリブだけでなく、底面も極初期のAR-15のものを再現したつもりです。
上から自作品、実物初期型、実物普及型
しかし底面は特に3Dプリンターによる成形時の角度の問題で積層跡が大きく、溶きパテ+サンドペーパーをもってしても細かい部分をきれいに仕上げる事は出来ませんでした。
チャージングハンドル
さて最後に残った大物、チャージングハンドルです。
これは形を作るだけなら簡単なものの、強度を保つためにオリジナルのダイキャスト製ハンドルと3D出力した物とを合体させニコイチにしよう思案していました。
(後になって、ナイロンなら十分強度があるのでニコイチにせずとも大丈夫ったっと分かりましたが・・・)
そのため、3Dプリンターのデータはこのような形状にしました。
ダイキャスト製ハンドルからハンドル部分を切除し、ロッド部分のみを新造ハンドルに移植します。
外からは見えませんが、内部にはハンドルをロックするためのスプリングをはめる穴やスリットがある関係上、どうしてもこんな形状でしか接合できませんでした。
あとはマガジンと同じように溶きパテとサンドペーパーで表面を滑らかにして塗装。
こんな感じになりました。うん、悪くないと思います。
これにて大きな部品は終了。
あとは小物を何点か作っていきます。
2021年04月23日
今週の601
前記事『モデル601の進捗』
セレーションはアップで見るとまだとちょっと歪んでいますが、やり直しても手作業ではこれ以上精密には作れなそうなので、許容範囲とします。
ボルトキャリア
エジェクションポートから見えてる部分の塗装をワイヤーブラシではがし、ボルトフォアードアシストのラチェットの切り欠き、その他開口部分をパテで埋める。
これにサーフェイサー→Mr.カラー ブラック(黒)→Mr.スーパーメタリック2 スーパークロームシルバーをエアブラシで塗装。
改造前のJAC M16A1(モデル603)と改造後の比較
スーパーメタリックすごい!こんなにリアルな金属感でるんだ。これは大成功!
ボルトキャッチ
当初はボルトキャッチは3Dプリンターで作ろうと思っていましたが、JACの改造でも大した手間では無さそうだったので、手作りしました。
第3世代(モデル603/604)タイプのボルトキャッチをベースに、ボルトキャリアを手動で止めるための下側のでっぱりを切り落とし、パテで肉盛りし、手作業でセレーションを彫る。
一回目はパテで延長すべき部分の長さが足りなかったり、セレーションがかなり歪になったのでボツ。パテ部分を全部取ってやり直し、2回目でなんとか形になりました。
左から改造前、改造後、実物
セレーションはアップで見るとまだとちょっと歪んでいますが、やり直しても手作業ではこれ以上精密には作れなそうなので、許容範囲とします。
あ、よく見たら、実物ってボルトキャッチの下側のレシーバーに窪みがあるんだ。これは見なかった事にしたいな・・・
マガジン
自分でデータ作成し、DMM.makeに3Dプリントを注文していたワッフルマガジンが届きました。
塗装前に取り付けチェック。うん、マガジンキャッチの穴の位置もばっちり。ウエ~イ!
と思ったら、なんか横リブの位置がおかしい。あれれ?
改めて寸法を測り直したら、なんと3Dデータを作る際に採寸したJAC製マガジン自体がもとから、装着した際に実銃よりも11mmほど長くレシーバーから出ている事が分かりました。
しかし横リブの位置は実銃の位置に合わせて作ってあるので、そこにズレが生じてしまったのです。
横リブの無いマガジンなら気になりませんでしたが、ワッフルマガジンだと11mmの差は大きく、違和感が出てしまっています。
しかたないので手作業で修正。せっかく3Dプリンター使ったのに~(泣)
マガジンの長さ(正確にはレシーバーからの飛び出し長)を実銃に合わすため、JACサイズに作ったマガジンの上部を11mm切除して短縮。マガジンキャッチの穴も手作業で開け直します。
修正完了。微妙な違いだけど、やはりこうして並べてみると雰囲気が違う事が分かります。
そうしたところで、今回はここまで。
なんとかゴールが見えてきました。
2021年04月12日
モデル601の進捗
ちびちびと進めてます。
ストックにあるガスホースの穴をエポキシパテで埋める。
樹脂パーツを食器洗剤で洗ったら、クレオスのMr.マホガニーサーフェイサーで下地処理。
601特有のダークグリーン色で塗装。
塗料はMr.カラーのC302/グリーン FS34092をベースに、オリーブドラブ(2)や基本色のグリーン、ブラックを足して調色しました。
樹脂パーツの色は写真にによって色味がかなり違って見えるので、自分がイメージする色を作りました。
僕の中では、あの色は普通のオリーブドラブよりもかなりグリーンの色味が強いイメージです。
最後にMr.スーパークリアー 半光沢で表面仕上げして完成。
まだ自作しなくてはならないパーツがいくつかありますが、だいぶ形になってきたので、仮組みしてやる気を出していきます。
現状ではこんな感じ。
601フラッシュハイダーは、G&P製の物の段差の谷部分にイモネジを立ててJACのバレルにで無理やり装着してます。
レシーバーはJAC M16A1の樹脂製レシーバーをAR-15第1世代型レシーバーに改造したもの。(前オーナーによる改造)
ストックも前オーナーがJAC製ストックに可動式スリングスイベルを取り付けたもの。
その他のパーツは3Dプリンターで作る予定です。
横リブの入った"ワッフルマガジン"は、JACのレシーバーに挿せるようにJAC製マガジンの寸法で作成。
すでにデータは完成しているので、他のパーツのデータが出来たら一緒に出力します。
チャージングハンドルは、取っ手部分の形状はすでに出来上がっていますが、エジェクションポートカバーを開ける*ためにはある程度強度が必要であり、できればその部分だけJACの金属製チャージングハンドルと合体させたいので、ニコイチにする方法を検討中です。
※ベースにしたJACガスガンはブローバック式ではないので、チャージングハンドルを引いてもボルトキャリアは動かないが、エジェクションポートカバーは開く。
2021年03月20日
手榴弾ディテイルアップ、と言うか悪あがき
最初からちゃんとしたレプリカを買えば済む話なのですが、ケチって安く済ませようとしたばかりに、手持ちのレプリカ手榴弾の形状・塗装に満足できず、結局自分で手を加えて少しでもリアルに見えるよう誤魔化し(悪あがき)する羽目になっています。
その1 G&G製M18スモークグレネード
G&G製M18は金属製かつ低価格というのが魅力的ですが、いかんせん塗装がおかしい。
十歩譲ってベースのOD色が明るすぎるのに目をつぶっても、さすがに本体底面にまで色が塗ってあるのはいただけません。
なので全体をMr.カラーのオリーブドラブ(2)で塗装。(本体の白い帯のみマスキングで残しました)
上面の煙の色を示すカラーを(縁の内側のみに)再塗装しました。
本物は底面に煙の噴出穴があり、水・異物侵入防止のためにテープで穴を覆ってあります。なのでテープを貼ってしまえば実際に穴を開けなくても誤魔化せるのですが、ちょうど家にODテープの在庫が無かったので、後日買ったら貼り付けます。
また本体にプリントされるM18 SMOKE...等の文字は、ステンシルで一文字ずつ切り抜いて塗る事も可能ではあるのですが・・・面倒くさい。家庭用のプリンターでは白インクによるデカールを作ることも不可能。
という事で、この際割り切って印字は省略しました。実物も印字がかすれてほとんど見えなくなってる物も多いし。リグに付けちゃえばほとんど気にならないでしょう。
その2 TMC製M18スモークグレネード
TMC製M18は、G&Gのようにスモーク色が上面の縁の外側まで塗られているので、縁の外側のみODで塗って隠しました。
これだけでグッと雰囲気が良くなります。
本当は、本体のサイズ自体が細かったり、上面の形状が違うのですが、それを修正するのは難しいので無視しています。
その3 サンプロジェクト製M33→M67フラググレネード
貧乏装備の定番、サンプロ手榴弾型BBボトル。数を揃えるのには良いのですが、再現度は、さすがに価格相応。
特にM67(セーフティクリップが無いので正確にはM33と呼ぶべき)は、使われているヒューズ・レバーが同社のMk.IIやM26と共通なのでレバーが長過ぎて不格好でした。
なので、これまた定番改造ですが、プラスチック製の本体上部に穴を開け、M67と同型(たぶんM69訓練用手榴弾)の実物ヒューズ・レバー一式を無理やりねじ込んで装着。レバーは訓練用の青色だったのでOD色に塗装してあります。
あと本体は、如何にもプラスチックと言う感じにテカっていたので、800番のサンドペーパーで表面を荒らしてつや消ししました。
雰囲気はかなり良くなりました。なお、こちらも印字は省略します。
その4 サンプロジェクト製Mk.IIおよびM26フラググレネード
実物ヒューズもそんなに安くはないので、レバーの形状がそこまで変ではないMk.IIとM26に関しては、レバーの色をODに塗っただけで、そのまま使用しています。
ただしセーフティーピン&リングは、他の実物手榴弾(機種不明)のものに変えてあります。リングを太くするだけで、雰囲気はだいぶ違って見えます。
大してディテールアップしてないので単体で見るとショボいですが、グレネードアダプター(左がM1、右がM1A2)に装着する事で全体的に迫力が出で、細かい部分など気にならなくなる・・・はず。
そして今初めて気付いたのですが、よく見たら、実物M1A2アタプターにプラスチック製のグレネードを何年も付けっ放しにしていたせいで、アダプター側の板バネの力に負けてM26の本体がベッコリへこんでます。いや~ん、恥ずかし。
2021年03月12日
調査中のインシグニア① 共匪防衛パッチ
調査中なので、まだ正体がよく分かっていないベトナム軍のインシグニアについてです。
本当はちゃんと調べがついてから発表したいのですが、なかなか情報が集まらず行き詰っているので、情報提供を呼びかけたく記事にしました。
このパッチは米陸軍特殊部隊のヴァーノン・ギレスピー大尉も着用していた事から、デザインだけは有名なのですが、実はその詳細はよく分かっていません。
なおパッチの上下端に入る文字には、少なくとも二種類のバリエーションがあった事が知られています。
左:CHỐNG CỘNG PHI (反共匪)/BẢO-VỆ QUYỀN TỰ-CHỦ (自主権防衛)
右:DIỆT CỘNG PHI (滅共匪)/BẢO-VỆ TỔ-QUỐC (祖国防衛)
※カッコ内は日本語訳
このように文言は若干異なるものの、「CỘNG PHI(共匪)」と「BẢO-VỆ(防衛)」の部分は共通なので、以下便宜的に「共匪防衛パッチ」と呼びます。
この共匪防衛パッチは長年、ほとんど『ギレスピー大尉が着けている』という部分でしか注目されてきませんでした。
なので当時ギレスピー大尉が第2戦術区ダルラク省内のCIDGキャンプ、ブォンブリェン基地(Căn cứ Buôn Briêng)を担当していた事から、共匪防衛パッチは「CIDG(の何か)」や「ダルラク省CIDG」のパッチと呼ばれてきました。
疑問
しかし僕は、この通説について前々から疑問に思っていました。
・・・これ、本当にCIDGなの?
共匪防衛パッチのデザインを、ブォンブリェン基地が存在した1964年5月~1965年9月と同時期に、同じ第2戦術区内に存在した他のCIDGキャンプのパッチと比べてみても、共匪防衛だけはその意匠がかなり異なるように見えます。
※下段の西暦はその基地が存在した期間であり、パッチが使用された時期と必ずしも同一ではない。
一部例外はあるものの、60年代前半から1970年のCIDG計画終了まで、CIDGの部隊章に使われるモチーフは多くの場合『虎』でした。
また大半のCIDGパッチに入る基地の名前も、共匪防衛パッチには入っていません。
そして何より、共匪防衛パッチに描かれている人物が被っているノンラー(葉笠)は、ベトナムの支配民族であるキン族の庶民・農民の象徴であり、CIDGを構成する少数民族、特に中部高原のデガ(南インドシナ・モンタニャール)諸部族がノンラーを被ることはほとんど無いのです。(なお1975年以降は共産党政権下でキン族への同化政策が強行され少数民族固有の文化は衰退しつつあるので、デガも単に安い日傘としてノンラーを被ることがあります)
このように共匪防衛パッチには、CIDGの部隊章としては不自然な点が多数あり、通説をすんなり受け入れる事は到底できないのです。
一方、ノンラーを被った民兵のデザインから連想されるのが、ベトナム共和国軍の指揮下にある、共産ゲリラからの自衛・自警を目的とする民兵組織『人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)』です。
▲人民自衛団の徽章
ノンラーを被った民兵の意匠が描かれている。
▲ノンラーを着用する人民自衛団の女性団員(1968年フエ)
この黒アオババ(通称ブラックパジャマ)+ノンラーの組み合わせは、ハリウッド映画において典型的なベトコンゲリラの服装として描かれていますが、実際には黒アオババは政府側民兵の制服でもあり、決してベトコンの象徴ではありません。
なお、ノンラーは伝統的に(キン族の)庶民の象徴であるためパッチのデザインに採用されましたが、実際の活動時にはもっと実用性の高い軍隊式のブッシュハットやキャップが着用されました。
このように、共匪防衛パッチのデザインは、少数民族主体のCIDGよりも、キン族を主体とした人民自衛団にふさわしい印象を受けます。
ではなぜCIDGキャンプを担当する米軍将校が、キン族民兵を示すデザインのパッチを着用しているのでしょうか?
仮説
その答えとして、僕は「少なくとも1960年代中盤まで、CIDGは人民自衛団の一部として扱われていたのではないか」と推測しています。
米軍側呼称『Civilian Irregular Defense Group(通訳「不正規民間防衛隊」)』は、ベトナム語では『Lực Lượng Dân Sự Chiến Đấu(民間戦闘部隊)』と呼ばれていました。
つまり構成員が少数民族かキン族かの違いこそあれ、CIDG・人民自衛団のどちらも基本的には、民間人で構成された民兵なのです。
1961年に米国がCIDG計画を開始した当時、ベトナム共和国政府はすでに人民自衛団を始めとするキン族による民兵組織を保有していました。
一方、ベトナムでは南北どちらの政権でも、少数民族への差別・圧政が敷かれており、少数民族はほとんど自国民とは見なされていませんでした。そのため政府としては、反乱の危険性がある少数民族に武器を持たせる事などもっての他であり、第一次インドシナ戦争中にフランスによって組織され、後にベトナム国軍に編入されたモンタニャール大隊も、1955年のフランス連合脱退後、すぐさま解体されていました。
ところが、最大のスポンサーであるアメリカが、フランスのように少数民族を戦力として活用したいと言い出したのです。軍事・経済の両面でアメリカからの支援に依存していたベトナム政府は不本意ながらこれを承認せざるを得ませんでした。(そして実際にCIDG計画開始から3年後の1964年、ベトナム政府が懸念した通りCIDGによる大規模な武装蜂起『FULROの反乱』が発生し、短期間ながら民族紛争に発展します)
こうして少数民族が米軍によって懐柔されCIDGとして武装化されていく訳ですが、CIDG計画の目的は国境付近に住む少数民族自身にベトコンの侵入を阻止、掃討させる事であるため、兵士は毎日家族の住む自宅に帰り、地元を離れる事はありません。その有り様は民兵そのものです。
またベトナム政府としても、本心では少数民族を二等国民以下と見下していながらも、対外的には一応ベトナム国民なので、CIDGは『ベトナム国民で構成された民兵』という事になります。つまりCIDGは、構成民族や指揮系統以外の面では既存の人民自衛団と同じ形態の組織なのです。
また人民自衛団の構成員は、必ずしもキン族でなければならないという訳ではありません。キン族以外が人民自衛団に編入された例として、主に中国人(漢族)で構成された武装組織『海燕(ハイイェン)』があります。海燕は中国共産党による弾圧を逃れ、1959年にベトナムのカマウ半島に集団移住した中国キリスト教難民(元国民革命軍兵士を多数含む)が村落防衛のため結成した自衛組織です。(過去記事『グエン・ラック・ホア神父』参照)
つまり元から国内に居た少数民族ですらない、外国人(ただし政府から市民権は与えられている)の組織であっても、人民自衛団に編入された例があるという事です。無論、ベトコンに対抗する政府側戦力であり、政府の指揮監督下にあるという事が必須条件ですが。
以上の点から、僕は以下のように推測します。
・共匪防衛パッチは人民自衛団内の何らかの徽章である。
・CIDGは形式的には人民自衛団の一部とされていた。
・それ故、共匪防衛パッチはもCIDG関係者にも着用された。
とは言えまだ史料による裏付けは得られていないので、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非お教えください。
Posted by 森泉大河 at
15:14
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2020年10月18日
100均ミニスモーク
自作の士官候補生階級章は、思ったより手間がかかっており、まだ完成していませんが、その間片手間で別の工作をしていました。
先日、仕事帰りに100円ショップのダイソーに寄ったら、良い小瓶、と言うか良い「アルミ蓋」を見つけました。2個セットで100円です。
これを見た瞬間、ある物が思い浮かびました。
そう、米軍SOG、およびSOG指揮下のベトナム軍NKTコマンド部隊御用達の超小型発煙手榴弾、通称『ミニスモーク』です。
このアルミケースは、形だけなら似たようなものがいくらでもあるのですが、
ミニスモークの代用に使えるような小さいサイズの物は、何年探しても見つかりませんでした。
それが今回偶然、蓋だけとは言えサイズ・形状がそっくりな物が手に入ったので、
さっそくミニスモークを自作する事にしました。
なお、僕はこれをコスプレ時のアクセサリーとしか考えていないので、
最初から精密に再現する気も、お金をかける気もありませんでした。
まず、蓋と同じような太さのプラスチック製ボトルを切って接着。
最初は同じくダイソーで売っていたデオドラントローションのボトル(直径33mm)を使いましたが、
いざ蓋に付けてみたら思ったより太かったので他の物を探したところ、
家にあった親の白髪染めのボトル(31.5mm)が丁度良かったです。
これを目分量で切って、ダイソーのホットボンド(200円)で蓋に接着。
そしてプラスチックの部分を、これまたダイソーのアクリル絵の具(銀色)で筆塗り。
どう見ても同じ素材には見えませんし、ケース上部のリブも再現できていませんが、
どうせリグに取り付ける時はビニルテープで巻き付けるのでほとんどテープで隠れてしまい、
下の部分がちょっと見えるだけなので、僕的にはこの程度で十分です。
以上、『ダイソーから始まったのだからダイソーで終わらせる』と半分意地になりながら作ったミニスモーク制作記でした。
2020年09月05日
14年ぶりのサバゲー
仕事終わりの夜に、いつもベトナム軍リエナクトを一緒やっている友人たちと集合して、貸し切りインドアサバゲーをやってきました。
ただし今回は気分転換に、ベトナムとは関係なく服装は各自自由です。
僕がヒストリカルとは関係ない純粋なサバゲーに参加するのは、実に14年ぶりです。
せっかく普段と違う事をするなら何か変わった服装がしたいと思い、今回のために友人の協力を得て揃えたのが、映画「ザ・ロック」の反乱海兵隊。
政府に見捨てられた戦友の無念を晴らす為(そして何より金のため)、英雄ハメル准将の決起に馳せ参じ候!
でも、タクティカルベストってけっこう暑いんですね。インドアなので一応エアコンはかかってますが、それでも汗だくで気持ち悪くなったので、早々に装備は脱ぎ捨てました。
結局、僕にとってはこのラーメン店員スタイルが最善でした。
銃もマルイのエアコキ1911一丁。セガール映画で学んだ近接戦闘術が役立ち、思った以上に撃ちとることが出来ました。
3時間強のゲームでしたが、ものすごく楽しめました。
また近々やれたらと思います。
ただし今回は気分転換に、ベトナムとは関係なく服装は各自自由です。
僕がヒストリカルとは関係ない純粋なサバゲーに参加するのは、実に14年ぶりです。
せっかく普段と違う事をするなら何か変わった服装がしたいと思い、今回のために友人の協力を得て揃えたのが、映画「ザ・ロック」の反乱海兵隊。
政府に見捨てられた戦友の無念を晴らす為(そして何より金のため)、英雄ハメル准将の決起に馳せ参じ候!
でも、タクティカルベストってけっこう暑いんですね。インドアなので一応エアコンはかかってますが、それでも汗だくで気持ち悪くなったので、早々に装備は脱ぎ捨てました。
結局、僕にとってはこのラーメン店員スタイルが最善でした。
銃もマルイのエアコキ1911一丁。セガール映画で学んだ近接戦闘術が役立ち、思った以上に撃ちとることが出来ました。
3時間強のゲームでしたが、ものすごく楽しめました。
また近々やれたらと思います。
2020年07月11日
シルク織りパッチ改造
すでに数年前にはほとんどのインシグニアを作成、縫い付け終わっていたのに、1枚だけ手に入らないパッチがあり作成途中になっていた服がありました。目標としている服の設定は、1967~1968年頃のベトナム陸軍第5マイクフォースです。
第5マイクフォースのパッチはレプリカが沢山販売されているのですが、僕が欲しいのは上側に"MIKE FORCE / AIR BORNE"のタブが付いていないシンプルな細身タイプのシルク織りパッチであり、この仕様は何年も探しましたが、いまだにレプリカが製造された事はない模様です。
市販のタブ付きタイプのレプリカ(左)とシンプルタイプの実物(右)
※その他のマイクフォースの部隊章については過去記事『続・マイクフォースのパッチについて』参照
恐らく今後もシンプルタイプのレプリカが発売される見込みは無いので、自分で作る事にしました。
とは言え、シルク織りパッチを業者に頼む場合、数百枚単位で作る事になりますが、そんなに作ったところで誰も買わないのは目に見えているので、あくまで自分用として、市販のタブ付きタイプのレプリカをベースに改造しました。
最初は余分な部分をマジックで塗ろうとしましたが、思った以上にインクが滲んだので却下。
次に、必要な部分のみマスキングテープで覆って、その外側をスプレーのつや消しブラックで塗りました。
思い付きでやった割には上手くいったと思います。
さらに弩(石弓)の弦の部分もマスキングしてスプレー塗りし、あとはいつも通り裏地をあてて服に付いつけました。
なおシンプル細身タイプでは、米軍から授与されるAIR BORNEタブは後付けとなります。
今回の改造品(左)、実物(右)
ぱっと見、違和感なく仕上がったかと思います。
あくまでインチキな改造品ですが、無い物ねだりしてても始まらないので、とりあえずは形になって良かったです。
こうして念願の第5マイクフォース一式が完成!
服はMASHのシルバータイガー。ベレーはメーカー不明。
胸の徽章は昔作った自作のCIDG階級章です。
マイクフォースと言えばエアボーン、ヘリボーンによる強襲任務に特化した空中機動CIDG部隊として有名ですが、中でも第5マイクフォースは1967年4月のハーヴェスト・ムーン作戦、翌5月のブラックジャック作戦という二つの作戦において、計800名以上が戦闘空挺降下を行った実績を持つ、ベトナム戦争を代表する空挺部隊の一つでもあります。
過去記事『ベトナム空挺の降下作戦1955-1975』参照
▲降下訓練中の第5マイクフォース隊員(1967年頃)
最終的な目標はこのスタイルなので、残すはT-10パラシュートだけとなりました・・・
Posted by 森泉大河 at
18:43
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2020年06月15日
週末の工作
再度、70年代迷彩ヘルメットの再現にチャレンジ中。
以前『ヘルメット塗装の実験』で塗ったレンジャーのヘルメットは、スモークの効果を試す役割を終えたので、再度実験台になってもらいます。
ペイントリムーバーで塗装全落とし。水性の塗料はがしなのでお風呂場でやっちゃいました。
下地が結構強力で完全には落ちなかったけど、上から塗り直しするので問題ありません。
今回はプラモデル用の塗料ではなく、当時と同じようにペンキで塗っていきます。
さて、どうなる事やら。
さらに同時並行で、自分用にこんなのも作っています。
前々から温めていたAR-15モデル601再現計画を本格始動。
(上の写真はオリジナルのコルト製ではなく、Brownells社製の5.56mmNATO対応版リプロ実銃)
いろいろ自作しなくてはならない部品が多いですが、今の時代は無料の3D制作ソフトでデータを作って、DMMの3Dプリンターで出力できるそうなので、重い腰を上げて制作をスタートしました。
こういう外観上の部品だけでなく、既製品のフラッシュハイダーを取り付けるためのスペーサーなど細かいワンオフの部品も、自分で設計して1,000円以下で作れましたから、スクラッチの敷居がだいぶ低くなりましたね。
2020年06月08日
リュックのコキ交換
今日は空気がからっとした初夏の晴天。
こんな気持ちの良い日は、ラックサックの改造がしたくなりますよね。
僕が高校生の頃に買った、UENS☆DAY製リプロのインディジナスラックサック(当時は「インディジナス」なんて呼び名は知られておらず、「LRRPリュック」で通っていた)
生地がトラックの幌用の帆布で出来ているので、硬さがあってとても雰囲気がいいです。
しかしこのリプロを企画した当時、ベルトを留めるコキ(アジャスターバックル)だけはどうしてもオリジナルと同形状の物(板コキ/角板送り)が手に入らなかったらしく、一般に流通している線コキが使われています。
このコキは、いつかリアルなものに交換しようと考えてはいたのですが、コキを交換するためには一度リュック本体に縫い付けられたベルトを取り外し、再度縫い直す作業をしなければならず、それを面倒くさがっているうちに、あれよあれよと15年が経ってしまいました。
しかし最近の僕は何かに憑りつかれたように、今まで後回しにしてきた軍装品改造を片付けているので、この勢いでインディジナスラックサックのコキ交換もやってしまいます。
材料となる板コキ(角板送り)はネット通販で簡単に買えました。ニッケル仕上げだったので、サンドペーパーで艶消ししてからスプレーブラッセンで黒染め。
今回は硬い帆布に分厚い織ベルトを縫い付けるので、家庭用ミシンでは歯が立ちません。
レザー用のロウ引き糸と、ごん太縫い針で手縫いしていきます。
一旦ベルトを外して、新しいコキに替えてまた縫い付け。
バッグが縫えるような工業用ミシンがあれば他愛のない作業なのですが、これが手縫いとなると話は別です。生地やベルトが硬いのなんの。指ぬきを使っても、指先が痛くなります。この作業を計7カ所やらなければなりませんでした。
昔NSドイツのコスプレやってた頃、LSSAH儀仗隊の白革装備を手縫いで自作した事がありますが、縫い穴を開けてから糸を通すレザークラフトの方がまだ楽でした。
肩ひもは分厚くて幅も広いので、この2個だけ大きいサイズの板コキを使っています。
こうして指の痛みと戦いながら、なんとか7個全てのコキの交換を完了。俺は満足だった。
今のきもち
2020年04月08日
インドシナのショットガン
Pan American Airwaysさんの記事『米軍のコンバットショットガン』に触発され、僕もベトナム戦争/第2次インドシナ戦争中アメリカの援助を受けていたインドシナ諸国の政府軍におけるショットガンの使用状況について記事にしてみました。ただし文献による裏付けは無いので、この記事はあくまで僕がこれまで集めた写真・映像資料の中にあった使用例、およびそれから推察した内容になります。
まず、ベトナムを始め、インドシナ諸国におけるショットガンの使用例は極めて少ないです。どのくらい少ないかと言うと、僕がパソコンに保存してある第2次インドシナ戦争期の写真・動画、約3万点の中で、ショットガンが写っているものは、この記事に挙げた写真3枚+動画1個だけでした。今後も探し続ければ多少は使用例が見つかるかも知れませんが、それでもかな~り稀であったことは間違いありません。
以下、そんな超スーパーレア兵器『ショットガン』の写真・映像です。
ベトナム
▲ウィンチェスター モデル1897トレンチ
『トレンチガン』として有名な、第1次大戦期に導入された米軍制式12ゲージショットガンの一つです。
使用者は軍装から、陸軍歩兵部隊もしくは地方軍と思われますが、詳細は不明です。
▲レミントン モデル870?
地方軍とされる写真の中に、モデル870らしきショットガンを持った兵士が一人写っていました。
モデル870が米軍で正式採用されるのは海兵隊仕様の"Mark 1"からであり、写真のタイプは米軍制式仕様ではない(ただし米軍での使用例はある)ので、どういった経緯でベトナム軍に渡ったのか気になります。案外、米軍をすっ飛ばしてベトナム政府がレミントン社から直接買ってたりしたりして。
▲形式不明
写真右端と左から2番目の人物がショットガンを持っていますが、ちょうど形式を見極める特徴的な部位が手とスリングで隠れていて、僕にはその種類がわかりません。知識のある方、ご意見をお待ちしております。
なお、こちらも部隊は地方軍とされています。
ラオス
▲スティーブンス モデル77E
まさかのラオス王国警察の婦人警察官の訓練の映像に、スティーブンス モデル77Eが写っていました。
最初はイサカ モデル37かと思いましたが、トリガーガードの形状からスティーブンスの方っぽいです。
▲映像:ラオス王国警察 婦人警察官学校(1964年)
僕が把握している使用例は以上になります。ベトナム政府にはイサカ モデル37やスティーブンス モデル77Eが米軍から大量に供与されていたという記録があるようですが、不思議な事に僕はその使用例をいまだ確認できていません。
またベトナムと言えば年がら年中反政府デモが頻発しており、その度に国家警察や軍が警備・鎮圧に出動していましたが、そういったライアット(暴徒鎮圧)任務の際に使われている装備も、盾と棍棒、銃剣を装着したライフルやカービン、そしてCSガス手榴弾であり、本来ライアットに使われるはずのショットガンがデモ鎮圧で使われている例は、一度も見たことがありません。
▼ベトナム政府軍のライアット装備の例
情報が少なすぎて、まだ確かな事は何も言えないので、今後何か進展があったら改めて記事にしたいと思います。