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2018年02月10日

【祝】WAR全米大学映画祭 審査員賞受賞!

過去のハウ・ルック監督作品いついては過去記事参照

2016年12月、僕は米国ジョージア州にて、アマチュア映画監督の友人が製作しているショートフィルムの撮影に参加してきました。あれから1年強、その時撮った作品がようやく完成し、この度、全米大学映画祭(Campus Movie Fest)に出品されました。
そしてその結果・・・

審査員賞(Jury Award)を受賞しました!!やったーーーーー!!!

※動画を再生出来ない場合は他のブラウザに変えてお試し下さい。



こちらが審査員賞受賞作品「WAR」 監督 ハウ・ルック



なんとなく分かると思いますが、あるベトナム人兄弟が生き別れとなり、それぞれ別々にベトナム政府軍と共産ゲリラ兵士となり、その二人が不幸にも戦場で再会し、お互いを兄弟と知らずに殺し合ってしまうという大変悲しいストーリーです。
実はこの話には元ネタがありまして、それらを全て撮れれば、なぜ兄が首にドッグタグではなく紙を三角形に折った物を下げているのか等が分かってもらえたのですが、ショートフィルムなので時間的な制限からストーリーは大幅にカットせざるを得ず、そこは描ききれませんでした。
とは言え、撮影や編集の技術が認められ、この度賞を頂けたのですから、出演者としては素直に嬉しいです。

しかし観客も審査員も、弟役を演じているのは当日ゲリラ役やってよと言われて気軽に引き受けた日本人だなんて思いもよらないだろうな。我ながら熱の入った演技をしたものだ(笑)


世にも珍しいゲリラ役のわたくし





なお我々はアマチュアなのでプロップ買うお金が無いため、銃やナイフは全部本物です。
M16はコルトAR-15モデルSP-1、56式自動歩槍はノリンコMAK-90で代用。
空砲なんて一般人には手に入らないので、発砲シーンは全部実弾。(この作品では実弾を使ったシーンは使われていません)
銃剣で腹を刺すシーンは、「ゆっくりやれ」、「ベルトに当てろ」と言われましても、なかなか怖い物です。
あと、この作品には使われていませんが、拳銃で自殺するシーンも撮りました。
いくら弾が入っていない事を何度も確認したとは言え、やっぱり実銃を頭に当てて引き金を引くのはかなり気持ち悪いものです。
しかもテイク5くらい撮り直したし・・・。
監督曰く今年の5月ごろまでには、それらの映像も使った作品をDVDでリリースするらしいので、完成を楽しみに待っています。

  


2018年01月28日

SOGの組織構造

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【お知らせ】

 このブログでも岡山県美作市が市営博物館に設置した『ホーチミン空間』なる展示に世界中のベトナム人から批判が集まっている事をお伝えしましたが、今月に入り、日本在住ベトナム人協会も、ホーチミン空間の撤去を求め美作市長および市議会議員へ送付する請願書へのウェブ署名運動を開始しました。

Change.org: 美作市作東芸術文化博物館のホー・チ・ミン像撤去に関する請願書

 私の別ブログ ベトナムウォッチに、日本在住ベトナム人協会会長グェン・フォン・カィン氏による日本語版請願文を掲載してありますので是非ご一読いただき、ご賛同いただけるようでしたらウェブ署名へのご協力をお願いいたします。



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【以下、記事本文】


 当ブログでは度々、米軍SOGが支援するベトナム共和国軍の特殊作戦機関 NKT(技術局, 英略称STD)について紹介にしてきましたが、SOGそのものについてはまだちゃんと解説していなかったので、今回は戦争当時SOG本部がペンタゴンの統合参謀本部に向けて作成した報告書"Draft MACSOG Documentation Study (U) (1970年7月10日)"に掲載されている組織図で、SOGの組織構造についてざっとまとめてみます。



※SOGの意味と邦訳について
 SOG (Studies and Observation Group)という組織名は、実は"Special Operations Group (特殊作戦群)"のカバーネームであるという噂が、現在のマニアはもちろん、当時SOGに所属していた兵士たちにも実しやかに信じられています。現在Studies and Observation Groupの日本語訳としては"研究・観測グループ"という訳が定着しており、多くのマニアが「『アメリカ軍最強特殊部隊』の名称に"研究"や"観測"という不相応な言葉が使われているのは、実態を隠すためのカバーネームだろう」と考えているようです。しかし私はこれに異を唱えたいと思います。
 まずStudyの意味は一般的には"研究"や"勉強"ですが、ジーニアス英和辞典によるとStudyはもともと"努力する"を原義としており、"専門とする"というような意味もあるようです。さらに複数形のStudiesの場合には研究対象の題目を表す時に用いられる事もあるそうで、例えば"cultual studies"で"教養学科"となるそうです。これは軍隊風に意訳すれば、"専門分野=技術"と捉える事ができ、SOGのようなアメリカ陸海空軍海兵隊・CIA・NSAなどから集結した各分野における特殊作戦の専門家集団の名称としては自然だと思います。また実際、SOGと一体で作戦を遂行するベトナム軍側の特殊作戦機関は"技術局(Nha Kỹ Thuật)"という名称です。その為この記事では、意味が分かり易いよう"Studies"を"研究"ではなく"技術"と訳しています。
 次に"Observation (観測)"ですが、これは科学の分野での観測だけでなく、"オブザーバー(観測者)"という言葉に表されるように、"意見する"も意味します。これもSOGの主任務であるベトナム軍特殊部隊への支援・助言と合致します。
 以上の点から、"Studies and Observation"は実態を隠すための無意味なカバーネームではなく、SOGの任務をありのままに表記した、非常に実態に即した名称だと私は考えています。
 
MACVと列記する場合の表記について
 SOGはアメリカ軍ベトナム軍事援助司令部(MACV, MAC-V))直属の機関であったことから、MACV-SOGあるいはMACSOGとも表記されます。民間の書籍ではMACV-SOGが一般的ですが、今回引用している報告書など、当時の米軍の公式文書ではMACVのVは省略されて"MACSOG"が使用されている場合が多いです。

作戦計画について
 SOG参謀および作戦部門の各部署は、ペンタゴンおよびCIAが策定した"作戦計画(Operation Plan)"に合わせて編成されていました。例えば作戦計画30(Operation Plan 30)の担当はSOG-30となります。なお、Operation Planの略称としてはOP, OPLAN, Opsなどが使われますが、意味はどれも同じです。




【SOGの全体像】

▲SOG組織図(1965年1月)

▲SOG組織図(1968年12月)

▲SOG組織図(1969年6月)

▲SOGとベトナム軍NKT(STD)各部署の対応関係



【SOG本部】

SOG-00 司令室 (Office of the Chief)

SOG-01 次席司令 (Deputy)
SOG-02 副司令 (Executive Officer)
SOG-03 特別補佐官(Special Assistant)
SOG-04 総監 (Inspector General)
SOG-05 本部支援隊 (Headquarters Support)


SOG-10 人事・管理部 (Personnel and Administration Division)


SOG-20 情報部 (Intelligence Division)



SOG-40 兵站部 (Logistics Division)



SOG-50 計画部 (Plans Division)


SOG-60 通信部 (Communications Division)



SOG-90 監査部 (Comptroller Division)



【SOG参謀部門】

SOG-30 / OP-30 作戦・訓練技術部
(Operations and Training Studies Division)


SOG-31 / OP-31 海上技術課 (Maritime Studies Branch)
SOG-32 / OP-32 航空技術 (Air Studies Branch)
SOG-33 / OP-33 心理戦技術 (Psyops Studies Branch)
SOG-34 / OP-34 地上技術 (Ground Studies Branch)
状況分析班 (Status and Analysis Section)




【SOG作戦部門】

SOG-35 / OP-35 地上技術グループ (Ground Studies Group)


OP-35はベトナム軍NKT連絡部(コマンド雷虎)で構成されたC&C部隊(SCU)による国境地帯への越境偵察作戦。
規模はSOG作戦部門の中で最大。また本部での指揮だけでなくSCU偵察チームの現場指揮もSOG-35隊員が担った。

▲SOG-35隊員
主に陸軍第5特殊部隊群隊員で構成

▲NKTコマンド雷虎(SCU)とSOG-35隊員(右)
雷虎は元々正規のベトナム軍人のみで構成されていたが、後にOP-35の規模拡大に伴い、CIDG兵士で構成されたプロジェクト・シグマやガンマのチームもSCUに編入された。


SOG-36 / OP-36 空挺技術グループ (Airborne Studies Group)


OP-36はNKT第11群および第68群による空挺降下潜入工作作戦。主に敵軍または民間人に変装して敵性地域に潜入し、情報収集および破壊工作を行う。
1961年にCIAの指揮の下開始されたパラソル・スイッチバック作戦を起源とし、1964年にOP-34AとしてSOG所管の作戦となる。後に作戦の実行はOP-36として独立した作戦となる。
SOG-36隊員は本部での指揮・運用のみで出撃はしない。

▲NKT第11群STRATAチーム(チーム111)

▲NKT第68群アースエンジェルチームとSOG-36隊員(左)


SOG-37 / OP-37 海上技術グループ (Maritime Studies Group)

OP-37はNKT沿岸警備部による海上からの越境工作作戦。1964年にOP-34Aとして開始され、後に作戦の実行はOP-37として独立した作戦となる。
SOG-37は当初はNAD(海軍顧問団)として編成され、主に本部での指揮・運用を担ったが、一部でSOG-37所属のSEALおよび特殊ボート隊員がNKT沿岸警備部部隊と共に出撃する事もあった。

▲SOG-37隊員
主に海軍および海兵隊員で構成

▲NKT沿岸警備局シーコマンド(特海部隊)とSOG-37のSEAL隊員

NKT沿岸警備局シーパトロール(海探部隊)のナスティ高速哨戒艇


SOG-38 / OP-38 教導技術グループ (Training Studies Group)


OP-38はNKTの各コマンド部隊への訓練計画サイゴン東部ロンタンに設置されたNKT訓練センター"クェッタン / イェンディ"を運営する。またOP-35の規模が拡大すると、C&C部隊のチームリーダー(1-0)を育成するため、SOG-35所属のアメリカ兵に訓練を施す『ワンゼロ偵察訓練プログラム(通称ワンゼロスクール)』も実施した。
SOG-38は主に陸軍第5特殊部隊群B-53分遣隊で構成され、NKT訓練センターのインストラクターを務めた。

▲SOG-38のインストラクターとNKTコマンド訓練生

SOG-38によるワンゼロ偵察訓練コースを受講するSOG-35隊員



SOG-39 / OP-39 心理戦技術グループ (Psyops Studies Group)


OP-39はNKT心理戦部による北ベトナム・ラオス・カンボジアへの心理戦工作。
宣伝ラジオ放送はOP-70でも行われたが、OP-39は偽情報による攪乱を行う、心理戦の中でも『ブラック』と規定される作戦を行った。
例えばベトナム人とカンボジア人の歴史的な対立感情を煽る事で、ベトナム共産軍とクメールルージュ間での対立を画策するなど、より攻撃的な心理作戦を担った。


SOG-70 / OP-70 ラジオ技術グループ (Radio Studies Group)


OP-70は当初はSOG-40として編成された、NKT心理戦部によるラジオ放送心理戦工作。
偽情報を流すOP-39と異なり、OP-70では『ホワイト』ないし『グレー』と規定される、概ね事実に基づいた情報を放送した。


SOG-75 航空技術グループ (Air Studies Group)

SOG-75はNKT航空支援部およびアメリカ軍飛行隊の運用調整を行う。
以下の飛行隊が常時SOG-75の調整の下、NKTによる作戦の支援にあたった。

SOG第1飛行隊(1st Flight Squadron): C-123輸送機
アメリカ空軍 第15特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第90特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第20特殊作戦飛行隊: UH-1Fヘリコプター
ベトナム空軍 第219ヘリコプター飛行隊: H-34ヘリコプター
アメリカ海軍: EC-121電子戦機

また上記以外にも必要に応じてベトナム空軍・アメリカ空軍の飛行隊を運用した。

▲SOG-75第1飛行隊

▲NKT航空支援部/ベトナム空軍第219飛行隊"龍馬”/キングビー飛行隊とSOG-75隊員


SOG-80 / OP-80 救難技術グループ (Recovery Studies Group)


OP-80はにNKT作戦部隊を支援する特殊作戦レスキュー計画。
人員はSOG-80 "統合捜索救難センター(Joint Personnel Recovery Center)"のアメリカ兵で構成され、行方不明となったNKTおよびSOGのコマンド隊員の捜索・救難を担った。
1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退した後も、JPRCは"統合遭難者解決センター(Joint Casualty Resolution Center)"と改称してベトナムに残留し、NSA(国家安全保障局)およびDIA(国防情報局)の指揮下でアメリカ軍捕虜・行方不明者の捜索にあたった。
1975年にサイゴンが陥落すると、JCRC本部はハワイ ハーバーズポイントのNSA秘密施設972に移転。その後インドシナ地域を担当するJCRCは他の捜索機関と統合されていき、現在はハワイ州ヒッカム空軍基地に本部を置くJPAC(統合捕虜・不明者対策コマンド)となっている。




おまけ: ベトナム軍装ガイド制作進行中


 以前、アニメ風女性キャラクターが軍服を着ているイラストでベトナム軍装ガイドを制作している事をブログに載せてきましたが、その後気が変わり、男性の絵に描き直す事にしたので、時間がかかってしまいました。イラストさえ出来てしまえば、解説なんていつもブログで書いているのと大差ないので、完成まで大してかからないはずです。多分。
 残念ながら、これまで日本のベトナム戦争ヒストリカルにおいて、<フィクションではなく現実の>ベトナム共和国軍への理解度は非常に低いものだったと言わざるを得ない為、今後少しでも正しい情報が普及する事を祈って、イベントで最も需要があると思われる1968~1969年頃の軍装については無料公開しようと考えています。
 なお有料版では、仏領インドシナ成立後、初めてベトナムに国軍が創設された1948年から、サイゴン政府が消滅する1975年までの約30年分の各部隊の軍装を紹介する事が最終的な目標です。なのでこの軍装ガイドのタイトルは『南ベトナム』ではなく、『ベトナム』軍装ガイドなのです。
  


2018年01月21日

ホンサ海戦から44年

 1974年1月19日にホンサ諸島(Quần đảo Hoàng Sa, 中国名:西沙諸島)を巡ってベトナム共和国軍と中国軍が衝突した『ホンサ海戦(西沙諸島の戦い)』における犠牲者を追悼する式典が、今年も米国在住のベトナム共和国海軍軍人協会によって執り行われました。

(映像: SBTNOfficial)

 この戦いでベトナム共和国軍は撃沈1隻、戦死者75名*という損害を出し、ホンサ諸島からの撤退を余儀なくされます。同年、ベトナム共和国軍はホンサ諸島の奪還を計画し、多数の戦闘機・攻撃機が出撃準備を完了する状態にまで至りましたが、決行直前にアメリカ政府から作戦中止の要請を受け、結局奪還作戦が実行される事はありませんでした。そしてそれ以来、ホンサ諸島は44年間に渡って中国軍の占領下にあります。
*戦死者数については資料によって数名の誤差あり

▲中国海軍艦艇のロケット砲で撃沈されたベトナム海軍掃海艇HQ-10 ニャッタオ

 なお、当時北ベトナムを支配していたベトナム労働党政権は大戦後から一貫して中国共産党の指導下にあり、中国による支援に全面的に依存しながら南侵(ベトナム戦争)を続けていた為、ベトナム民主共和国として中国に対しホンサ諸島の領有を主張する事はありませんでした。ホンサ海戦により諸島全域が占領された後も、ホンサ諸島について言及する事は避けており、ホー・チ・ミンおよびベトナム労働党は事実上、ホンサ諸島を中国に売り渡していたと言えます。
 一方、ベトナム労働党の下部組織である南部のゲリラ組織 南ベトナム解放民族戦線は、南部人による独立した組織という建前もあったため、中国軍によるホンサ諸島占領を非難したそうですが、彼らの闘争もまた中国による軍事支援に依存しきっており、いずれの共産主義勢力も事実上の宗主国である中国に抗う事はできませんでした。

 ベトナムの歴史は「中国への抵抗の歴史」と言われるように、元来ベトナム人にとって中国に国土を奪われる事は最大の屈辱であり、ホンサ海戦は今日でも多くのベトナム人にとって忘れがたい悲劇として記憶されています。その為、ベトナム共産党への服従とベトナム共和国政府への憎悪教育が60年以上続いている今日の社会主義ベトナムにおいても、このホンサ海戦で犠牲となったベトナム共和国軍人に対しては、多くの人々がイデオロギーの違いを超えてベトナム民族の英雄として追悼の対象としています。

中国に立ち向かったベトナム共和国軍、そしてベトナム民族の歴史を象徴する歌 『Đáp Lời Sông Núi (山河に応えて)』


歌詞はこちらにあるので、Google翻訳か何かで雰囲気を感じて下さい。

おまけ: 土曜日の作業

金曜日は疲れてたので、夕方帰宅したあと布団に横になったら、そのまま翌日の朝まで約12時間寝てしまいました。
なので土曜日は朝8時からじっくり趣味の作業に没頭。

◆友人依頼分の自家製プリントパッチ作成
・ベトナム国家警察野戦警察隊
・第222野戦警察群
・第611野戦警察中隊
・陸軍第1歩兵師団(サブデュード)


◆徽章縫い付け

来月着る服


多分5月ごろ着る服。気が早いけど、テンション上がって作っちゃいました。


いつ着るか分からない服。まだパッチが全て揃ってないので、続きはおいおい。

  


2018年01月06日

美作市のホーチミン像問題

 昨年11月、岡山県美作市が市の施設に設置したホーチミン像に、世界中から批判が殺到しています。

 もともと美作市では市内在住ベトナム人の増加に伴い、ベトナムとの交流事業を積極的に行っていました。

 しかしその一方で、美作市は軽率にもベトナム政府が寄贈したホーチミン像を受け取り、あろうことか同市の運営する美作博物館に「ベトナム・ホーチミン空間」なる展示を、市民の税金を使って設置してしまいました。


 外国の一政治家の像を市の公的な場所に設置する事については、美作市民の間でも疑問視され、市議会で質疑が行われるとともに、設置に反対する署名運動も美作市民によって行われました。

 しかし美作市はホーチミン空間の設置を強行し、市民の冷たい目線の中、完成式典が執り行われました。



 そして、その事がメディアで報じられると、日本を含む世界各地の在外ベトナム人から、落胆と怒りの声が上がりました。
 特にTrân Trọng氏が美作市長に送付した意見書はインターネット上で大変な反響を呼びました。そして彼に賛同する大勢の人々によって、美作市に対しホーチミン空間の撤去を要望するネット署名運動が開始されました。無論私も署名しています。
Change.org, Inc.: Protest against installing the statue of Ho Chi Minh at Mimasaka, Japan 

 この署名は開始から4日目の2018年1月6日現在で2100件以上に上っており、今後も増え続ける事が予想されます。ホーチミンに家族を殺され、故郷を失ったベトナム人は現在、ベトナム国外だけで300万人もいるのですから。
 以下、署名運動に当たって有志の方が日本語訳したTrân Trọng氏の手紙の全文です。

拝啓

 コミュニティ団体及び日本、オーストラリア、ベルギー、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、ノルウェー、スイス、米国に住むベトナム共産主義者からの難民団体を代表してお便りさせて頂きますことをお許し下さい。 
 私達は、日本とベトナムの人々の間の不朽の友情を願い、萩原市長ならびに美作市の人々にご挨拶を申し上げます。 
 私達は、メディア情報にて、2017年11月21日に、日本とベトナムの外交関係樹立45周年を祝う式典で、美作市役所はベトナム共産党の中央委員会のメンバーによるホーチミン主席の銅像の寄贈を受け入れて設置し、併せて「ベトナム・ホーチミン空間」が美作博物館に作られたことを知りました。

 私達は日本とベトナムの友情の絆を深めるあなた方の努力を称賛しますが、同時に、私達はあなた方のホーチミンに対する認識の再考を是非ともお願いしたいと思います。理由は以下の通りです。 
 私達は、ベトナムの歴史において、はるかに敬愛に値する適切な人物がいることを美作市の皆様にご理解を頂きたいと思います。それは、ベトナムの独立と維持の戦いの中で、13世紀にモンゴルの侵攻を3度破ったチャン フン ダオ、そして、15世紀に明の支配の駆逐に活躍したグエン トライのような方々です。彼等は、真にベトナム人が尊敬する人物です。 
 一方、ソ連で教育を受けたコミンテルンの幹部であるホーチミンは、ベトナム共産党を創設し、ベトナム人をスターリン主義の独裁政権の支配下に置くためベトナムに戻りました。1950年代に北ベトナムで行われたホーチミン主導のいわゆる「土地改革」において、何千人もの人々が「土地所有者」であるとの理由で虐殺されました。 
 1960年代と1970年代には、ホーチミンとベトナム共産党の首脳は、10年間に及ぶベトナム戦争の間にベトナム共和国 (南ベトナム) への侵略を開始し、国を荒廃させ、何百万人もの犠牲者を出しました。 
 日本人は、過去70年のベトナム共産党政権による政敵の暗殺、人権侵害、反政府派の虐待と投獄を許さないことを私たちは知っています。
 今日に残る恐ろしい記憶は、ベトナムの人々にこれらすべての残虐行為を招いたホー チ ミンに責任があるのです。 
 したがって、ホーチミンとベトナム共産党の犠牲者の名のもとに、ホーチミンの盛名に真っ向から異を唱えるとともに、ホーチミンの銅像と美作市博物館の「ベトナム ホーチミン空間」の撤去を切にお願い申し上げます。
 独裁と腐敗した共産主義政権の象徴である人物を讃えるよりも、ベトナム史上で敬愛される人物の展示こそが美作博物館の来訪者にふさわしいものと私達は確信しております。

私達は、萩原市長と美作市の人々の幸せを願っています。

敬具


 彼らにとって美作市は外国の行政機関なので、このような丁寧な言葉でお伺いを立てる形となっていますが、私は日本国民なので、率直に私の考えを述べさせていただきます。以下は、私が日本在住ベトナム人協会およびベトナム人権運動グループの友人たちに宣言した言葉です。

 ”私の意見では、美作市の行為は日本の恥であり、彼らの無神経さを悔しく思います。なので私はTrọng氏の手紙に100%同意しますし、その日本語訳版をブログに載せて日本の人にも知ってもらうようにしたいです。もし美作市に抗議するグループがあれば、私は何の躊躇いも無く協力させて頂きます。
 残念ながら日本では、左派だけに限らず、ほとんどの人々がベトナム共産党によるプロパガンダを60年以上に渡って信じています。それはベトナム共産党によって書かれたベトナム戦争の『解放』と『統一』のストーリーが、手軽に正義感を満たしてくれる『英雄的』で『感動的』なストーリーを欲していた日本国民の偽善的な欲求と合致してしまっていたからです。だからベトナム戦争時代、多くの日本人が『アメリカと戦うベトナムの民衆』を支持していました。
 しかし戦争が終わると、人々はベトナム国民への関心を失いました。それはベトナムに『感動的なストーリー』としての利用価値が無くなったからです。そしてそれ以来、彼らはベトナムを単に『学生時代の反戦運動の良き思い出』として見るだけで、現実のベトナムに目を向ける事はありませんでした。
 私は一日本国民として、日本とベトナムの関係がこのような状態である事を本当に残念に思います。同時にこの悔しさは、この状況を変えたいという私の原動力でもあります。”

 美作市に悪意があったとは思いませんが、その行為はあまりに軽率であり、多くのベトナム人の感情を傷つけるものであった事は間違いありません。美作市は交流事業による利益目当ての大使館や事業者ではなく、彼らの一般市民の声を真摯に受け止め、早急に展示を取りやめるべきだと考えます。
  


2018年01月01日

2017年の思い出

明けましておめでとうございます。
今年も年明けから平常運転でいきます。

もう年が明けてしまいましたが、毎年年末に書いていたその年のまとめを書いていきます。

2015年 http://ichiban.militaryblog.jp/e724040.html


2017年1月

また今年も元日に、ベトナム寺に初詣。


アメリカに住んでる友達がベトナムに帰省する途中、羽田で乗り継ぎするけど待ち時間が半日ある言うので、
車で迎えに行って浅草を案内。美味しい刺身を食べてきました。


2月

友達と茨城県の袋田の滝と大洗に遊びに行く


3月

SAITAMA101さんが開催しているリエナクトメント・トレーニング会に、ベトナム陸軍として3名でお邪魔させて頂きました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e839668.html


4月

ベトベトマニアVol.3 -Operation JUNCTION CITY -に、ベトナム海兵隊として参加。
泥んこまみれも良い思い出です。


5月

台湾のSさんが再来日。渋谷で飲み会しました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e851188.html


河原で二日間に渡って撮影会
http://ichiban.militaryblog.jp/e853461.html


6月

地元の友達と茨城県の常陸出雲大社、笠間稲荷にお参り


7月

2017年にベトナム中部で発生したベトナム史上最悪の環境汚染『フォルモサ事件』に抗議する
日本在住ベトナム人の人権運動グループによるハンガーストライキを取材に行ったら、
いつの間にか参加者の一人になってました。
https://watching-vn.blogspot.jp/2017/07/blog-post_18.html


アホカリ2017に参加。
形だけの『黙祷』の空虚さが浮き彫りとなりましたね。
実は今回、私の友人でベテランのお孫さんがアホカリに参加する予定だったのですが、
直前で都合が悪くなり彼の参加は叶いませんでした。
しかし、彼にあの寸劇を見せずに済んで良かったと思います。
私の友人たちは皆真っ当に自分の趣味と向き合っているため、
あの寸劇へは誰一人参加しませんでしたが、
あれは日本のミリタリーマニア全体で考えねばならない重大な事件だったと考えます。
今回私は尊敬する先輩から、対応は自分にまかせるよう諭されたので、
この件に関しては発言を控えましたが、次は許しません。


8月

在日ベトナム人協会のサマーキャンプにお誘い頂いたので二日間お邪魔してきました。
友達がたくさんできました。
https://watching-vn.blogspot.jp/2017/08/1.html


9月

デモやキャンプで知り合った友人たちとカラオケ&飲み会。
国際人権運動のキーホルダーを頂きました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e881806.html


今までで一番大規模な撮影会を実施。長年の夢が叶いました!!
士官候補生 夏季準礼服あわせ http://ichiban.militaryblog.jp/e878558.html
空挺旅団 1963年サイゴン 
http://ichiban.militaryblog.jp/e879529.html


10月

都内で開催されたファム・ミン・ホアン教授の講演会を取材。
これが現在ベトナムで行われているテロル政治の一部始終です。
https://watching-vn.blogspot.jp/2017/10/blog-post_29.html


11月

日本の政府系団体が開催する『日本定住難民のつどい』を観覧。
前半は、先進国の中で最も難民問題に冷淡な国—日本の偉い人たちが、自分たちの善行を自画自賛する中身の無い式典です。
後半は真っ当な文化交流イベントなので、東南アジア各地の伝統舞踊が生で見れて良かったです。
https://watching-vn.blogspot.jp/2017/11/38.html


2017年最後の撮影会。1971年のラオス戦役『ラムソン719作戦』を想定。
皆様1年間お付き合い頂きありがとうございました!
http://ichiban.militaryblog.jp/e892457.html


12月

現在ベトナムで『政治犯』として収監中の人々への支援を募るクリスマス・チャリティー・パーティーにお招きいただきました。
参加者の半分くらいは顔見知りなので、当日は普通に友達とのパーティーを楽しみました。
これは決してお金持ちの集まりではありません。僕を含むほとんどの人は、日本で働くごく普通の労働者です。
遠く離れた異国に住み、生活も楽ではありませんが、それでも祖国の未来を想い、やれる範囲の事をコツコツと続けておられます。
彼らのように良心と熱意を持った方々と出会えた事は、僕の人生にとっても大きなプラスだったと感じています。
https://watching-vn.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html


大晦日はテレビゲームマニアの友達の家で年越しゲーム会。
Nintendo Switchで初めてロケットリーグをやってみたら、やたら面白くて午前2時くらいまでみんな夢中になってやってました。



2017年を振り返ってみると、その前の2年間で5回も海外に行ったのに対し、
2017年は一度も日本から出ませんでした。
(夏頃オーストラリアで開催されるベトナム人権問題の会議に誘われたけど、仕事があって行けなかった)

でもその分、日本国内で友達がたくさん増えて、とても素晴らしい年になりました。
2018年もこの調子でつっ走ります。おす。
  


Posted by 森泉大河 at 15:14Comments(0)News!

2017年12月24日

結果発表

メリークリスマス!!今夜はクリスマスイブという事で、男の半裸写真を見ながらお過ごしください。

今年の3月、さして親しくもない人たちから「そんな腹の出たARVNいねーよwww」と馬鹿にされてブチっと来た僕は、減量する事を決意し、「今年の年末までに成果を出す」と宣言しました。

減量開始前の2017年3月。確かに今見るとひどい。BMIは26と、完全に肥満に入ってました。
これでも20代半ばまでは、身体が細すぎてコンプレックスなくらい痩せてたのにね。

数年前から「ダイエットしなくちゃな~」とか言いながら、一方で「ヤバい、ズボン履けなくなった」とか自虐ネタに走って行動する事から逃げていた僕も、知ったかぶりの外人に小馬鹿にされた事でようやく『怒り』という動機を得て、人生初の減量を始める事となります。

【減量のために行った事】

・ダイエット(節食)
噂に聞く低糖質ダイエットとやらを始めてみました。夜は米や麺類など炭水化物を一切摂らないように心がけました。これが一番効果あったと思います。
食べる量は制限しなかったので、お米が無くてもおかずをたくさん食べる事で満腹になったので、特に苦痛はありませんでした。ただし米抜きカレーライスだけは辛かったです。
また夕食の際にサプリ替わりの減量用プロテインを飲む事で、お腹も膨れて食事量は自然と減らせました。


・ワークアウト(運動)
僕は走ったりジムでのトレーニングなど、汗をかく運動が大嫌いなので、初めからやる気はありませんでした。
なので週2回、近所のスイミングスクールで泳ぐ事にしました。水泳なら高校生までやってましたし、何より水の中なので汗だくになって気持ち悪くなることが無くて済みます。
いざ始めると、長年の運動不足から、最初は普通にクロールするのも辛かったですが、徐々に内容を濃くしていきました。初めてすぐに肩こりが治ったのはめっけもんでした。

以下、馴れてきたてからやってた基本メニュー
・アップ 50m×10
・キック(ビート板でバタ足) 50m(1分20秒サイクル)×5 
・プル(パドル+プルブイ50m(55秒サクル)×5
・キック 50m(1分20秒サクル)×5
・プル 50m(55秒サクル)×5
・スイム 125m+125m+100m+75m+75m
・ダウン 50m×10
計2500m

僕はキックが苦手で、最初は1分20秒サイクルが全然守れませんでしたが、今は最後まで1分15秒サイクルで回れるようになりました。また、ある程度体重が落ちてからは、泳ぐ距離を2000mにして、残りの時間を腹筋・腕立て・体幹トレーニングに充てています。
あと、意味あるか分かりませんが、通勤の際は駅のエスカレーターを一切使わず、常に階段で上ってます。


そして、約8か月間の減量で、このような結果になりました。

体重マイナス12kg。BMI 26→21



まじめに鍛えてる人に比べたらカスですが、単に痩身目的の減量としては、まぁ人様に見せても恥ずかしくない結果でしょう。
ここまで減らせたのなら、どうせなら昔みたいに腹筋割りたいという欲も出てきたので、来年もこの生活を継続したいと思います。


ちなみに僕に減量のきっかけを与えてくれた彼らは、単に"南ベトナム兵は痩せてる"という浅はかなイメージしか持っていなかったみたいだけど、単に食糧事情が悪くて痩せこけていた共産軍と違って、共和国の兵隊は十分な食事とトレーニングが施されていたから、細くても屈強な人が多いよ。


来年も目指せ越南男子!
  


Posted by 森泉大河 at 23:41Comments(2)【ベトナム共和国】1954-1975News!

2017年12月23日

リプロネームテープと軍人身分証明書

【お知らせ】

先日のチャリティーパーティーの詳細を私の別ブログに投稿いたしました。よろしければご覧ください。

ベトナムウォッチ 『良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー』 

もし、これら現代ベトナムの社会問題について関心をお持ちの方が居られましたら、コメント欄にその旨と連絡先をご記入いただければ、こちらからご連絡さし上げます。(そのコメントは公開しません)

ちなみに、僕と面識のない方には誤解を与えているかも知れませんが、僕自身は自分の趣味とこの活動は別物と考えているので、ミリタリー趣味の場でこういった活動に誘う事はありませんので、どこかで会っても逃げないで下さい(笑)

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外注刺繍ネームテープ完成

友人たちから注文を募って刺繍屋さんに制作していただきました。



ありがたい事に刺繍屋さんは持ち込み無料なので、これまで服を改造する度に貯め込んできた各種リプロ軍服の端切れから生地を切り出し、それに刺繍していただきました。


工賃は枚数が多い方が割安になるので、僕は思い切って15枚注文。そんなに付ける服持ってないけど、今後欲しくなった時にこんなに安くは作れないので、この機会に一生分作っちゃいました。それに友人たちの注文分も加えて、計37枚作ってもらいました。
注文する際、お店側に分かり易いよう「サバゲーで使う軍服の名札です」と説明しましたが、刺繍する名前は日本でも欧米風でもない謎のローマ字の羅列なので、不思議がられたと思います(笑)


自家製軍人身分証明書

サイゴンに住んでる友達が僕の身分証を作ってくれました。


ただ実物画像をプリントアウトしたのではなく、印字は全て僕の指定した内容にし、写真も別でプリントしたものを貼り付けてくれています
ただし、階級は下士(Hạ sĩ =伍長)にしてって言ったのに、友人は「君は士官候補生のコスプレしたんだから、今後は将校ね」と言って勝手に少尉(Thiếu úy)にされました。いや、遊びとは言え、本物の将校さん達と付き合いのある身としては、僕みたいな外人が勝手に将校の階級名乗るのは宜しくないというか、今まで気を遣って避けてたんだよねぇ。
なお、裏面の誕生日や両親の名前は実名(漢字をクォックグー表記したもの)なので載せないでおきます。友人曰く、漢字を直にクォックグーに変換した名前は、実際にホア族(在越華人)で使われているそうなので、きっと君のご両親はチョロンのホア族だねと言われました(笑)

なおベトナム共和国軍の軍人身分証明書には少なくともテンプレート番号『QĐ-849』と『QĐ-849A』2種類のタイプが確認できまして、今回作ってもらったのはその中のQĐ-849になります。


シンプルなデザインのQĐ-849
表面左下に記載されているように、このテンプレートの制定は1966年8月のようです。
問題はいつまで使われていたのかという点ですが、それを説明する資料にはまだ出合えていないません。
ネットで実物画像を集めた限りでは、1972年発行まで確認できました。

偽造防止が施された改良型の『QĐ-849A
こちらはテンプレート制定年が印字されていませんが、同じくネットにある実物画像を観察した限りでは、1973年以降に発行されたものしか見つかりませんでした。
これは上記のQĐ-849が1972年まで確認できた事と辻褄があっており、軍人身分証のテンプレートは1972~1973年頃にQĐ-849Aへと切り替わったと考えていいかもしれません。

ところで、QĐ-849は1966年制定と書きましたが、当然、じゃあそれ以前の身分証は何だ?となりますよね。
実は、僕もよく分かりません。1972年以降なら、戦況の悪化から徴兵しまくったために証明書発行が間に合わず、軍人身分証に代わる簡易な『現役証明書(QĐ-750FおよびQĐ-750G/V)』も使われていたようですが、逆に1966年以前のものはなかなか見つかりません。
書類関係はネットで画像集めるだけで、本格的に研究した事はないので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、教えて頂けると幸いです。
  


2017年12月18日

X'masパーリー

先日、日本で活動するベトナム人権活動団体 青い海forベトナム様およびヒューマンライツウォッチ様共催のクリスマス・チャリティー・パーティーにご招待頂いたので参加してきました。パーティーの収益は現在ベトナムで『政治犯』として投獄されている多くの善良な人々の解放を働きかける活動の資金に充てられます。僕は会場に着くまで身内のこじんまりとした集まりを想像していたのですが、いざ会場に入ると、ヒューマンライツウォッチ日本代表の土井先生や、個人的に参加されたアメリカ陸軍・空軍軍人の方も居られびっくりました。会の詳細については後日私の別ブログ ベトナムウォッチに掲載いたします。

※2017年12月23日ベトナムウォッチに記事投稿しました。

という訳で、真面目な話はあちらでじっくり書くので、こちらのブログでは今時の若者らしくベト充アピール。

パーティー会場は国会議事堂を見下ろす平河町森タワーのスカイラウンジを貸し切り。
シャンメリー、じゃなかったスパークリングワインで乾杯。

三十路過ぎて初めてこういう華やかな感じの事しました。かつてはクリスマスイブにおはぎをデコレーションして独りクリスマス会してる写真を2ちゃんねるに投稿して寂しさを紛らわせていた男でも、生きてればこういう機会が巡って来るんですね。

嬉しい事に、食べ物は普通のオードブル以外にも、参加者の有志がその場で手作りしてくれたベトナム料理が盛り沢山!
バインミ―のパンはオーブンで焼き直して外カリカリ中モチモチ。

ちまき(バインチュン)とピリ辛牛肉炒め。ベトナムのおっ母さんの手作り料理超おいしいですface05
ただし、牛肉炒めはその場で鉄板で炒めましたが、換気扇がやたら弱くて、肉を火にかけた瞬間濃縮された香辛料の煙が周囲に立ちこめて催涙ガス状態となり、部屋中が咳き込むハプニングが発生しました。

宴もたけなわ。いつも通りギター演奏でカラオケが始まります。僕の経験上、ベトナム人が宴会でカラオケする率120%。


いや~、素晴らしい時間を過ごせました。いろいろ新しい出会いもあり、楽しい以上に勉強になった会でした。

閉会後は六本木での二次会に誘われたけど、僕は次の日仕事で5時半起きだったので、泣く泣く帰る事にしました。
みんな「え、行かないの!?」と引き留めてくるけど、俺だって行きたいんじゃー!
なんでよりにもよってパーティー翌日の日曜に仕事が入るんじゃー!!

てゆーか他の人も朝4時半起きなのに二次会行くとか凄いね。僕は最低6時間寝ないと朝起きれない体質だから無理。
いいな~。行きたかったな~。いいな~。
  


Posted by 森泉大河 at 21:58Comments(0)2010年代・現在News!

2017年11月15日

11月近況

第38回 日本定住難民のつどい 

 11月12日(日)、新宿区新宿文化センターで開催された「日本定住難民のつどい」を観覧してきました。この催しは日本政府の委託で日本定住難民への支援を行うFWEAP(公益財団法人アジア福祉教育財団)が昭和57から毎年主催しているもので、今年で38回目を迎えます。詳しくは私の別ブログ ベトナムウォッチの方に記事を投稿しましたので、そちらをご覧ください。


 実は僕、以前このFWEAPの下で難民支援を行う団体の面接を受けた事があるのですが、その席で「これは国の仕事だからブログ等で自分の意見を書いてはいけない」と言われ、多分黙ってるのは無理だと思い、その場で辞退した思い出があります。
 まぁ僕自身は大したスキル持ってないので、もっと良い人材に仕事してもらった方が難民の方々にとっても良いでしょう。僕に出来るのは、この国では政府も知識人も右翼も左翼も利用価値無しとして無視し続ける、人間の生の声をブログで発表する事くらいですから。
 正直ミリタリー趣味なんてただの遊びだからいつ止めてもいいと思ってるけど、こっちは人間としてやらなければならない仕事だから、ずっとやって行くんだと思います。自分をやめる事はできないし。



あと2店

行ってきましたよ仙台二郎。
仙台出張来たー!と思ったら、行先はその50km北の大崎市。
でも、これを逃すともうしばらくチャンスは無いので、仕事終わったあと高速バスに乗って仙台まで行ってきました。


良いお姿です。


おいしゅうございました。

これで残すところは札幌と京都の二店舗のみとなりました。
志ある所に機あり。
いずれ遠からぬうちに。



無敵海兵隊

友人が買った服だけど、あまりにそそられるので転載。
韓国海兵隊ベテラン服。このセンス、すっごい見覚えあるわー。


韓国でも漢字はオラオラ系なイメージなのね。
集めてる範囲の物ではないけど、これは欲しくなっちゃう。



KUNG FURY見てたらジーパン欲しくなってきた。

  


Posted by 森泉大河 at 01:03Comments(0)News!ラーメン

2017年10月29日

巷で見かけないベトナム料理

 去る10月22日に、東京都品川区で開催されたファム・ミン・ホアン(Phạm Minh Hoàng)氏の講演会にお邪魔させて頂きました。ホアン氏は元ホーチミン工科大学教授で、2010年に学生への講義の中で人権に関する内容を扱った事で警察に逮捕され、2017年6月にはベトナム共産党政府によって市民権を剥奪され、国外追放となった人物です。講演の内容については私の別ブログ ベトナムウォッチの方に記事を投稿しましたので、そちらをご覧ください。


告知だけじゃなんなので、こちらが当日会場で頂いたお昼ご飯です。

ベトナム料理の定番中の定番、バインミー(Bánh mì)、生春巻き(Gỏi cuốn)、チェー(Chè)の3点セット。美味しかったです。


ついでに、毎年元日(陽暦節)やテト(元旦節)に日本にあるベトナム仏教寺院でふるまわれている、普通のベトナムレストランには置いていない料理をご紹介。

ブン(Bún)ですが、お寺なので肉はもちろん鶏ガラスープも使われていません。全て野菜などの植物から作られてるので、精進ブンとでも言いましょうか。さっぱりですが野菜の出汁がしっかりした、とても美味しいスープです。お肉っぽい色の物体が見えますが、実はこれ肉に見立てたキノコらしいです。食感も油揚げや高野豆腐のような繊維質で噛み応えがあり、本当に肉のようです。そんなキノコ日本では聞いたことも無いので、わざわざベトナムから仕入れたんでしょうか。

同じく精進ブン・トマトバージョン。見た目が辛そうですが、上に載ってる唐辛子さえ入れなければ全く辛くありません。

ココナッツミルクのお汁粉(左)と、甘く味付けしたもち米(右)。僕みたいな甘党にはたまりませんな。

みたらし団子みたいなお餅。

即席チェーと言った感じの袋に入った液体デザート


最後に、こちらは日本でもベトナム本土でも見た事が無い、アメリカのベトナムレストランで食べた料理。

なんと生の牛肉を甘辛ソースでそのまま頂く料理です。厚切りユッケとでも言いましょうか。超美味いです。一人で二皿くらい食えます。生肉を食らう命知らずは世界で日本人と韓国人だけだと思ってましたが、ベトナム料理にもあったのか。しかしベトナム本土で生まれ育ったベトナム人に聞いても、そんな料理知らないと言うので、もしかしたらこれはベトナムの中でも限られた地方でのみ食べられている郷土料理か、もしくはアメリカに渡ったベトナム移民たちが韓国料理のユッケを取り入れて考案したものなのかも。まぁ、美味ければ何でも良いよね。
  


2017年08月07日

第11回ありがとうコンサートとハン・ニョン中佐

米国時間8月6日、今年もカリフォルニア州サンノゼにて『Đại Nhạc Hội Cám Ơn Anh(ありがとうコンサート)』が開催されました。『ありがとうコンサート』は毎年夏にベトナム系アメリカ市民がカリフォルニア州サンノゼとガーデングローブ市の持ち回りで開催しているチャリティーコンサートで、コンサートで得られた寄付・収益は、現在もベトナムに住む元ベトナム共和国軍傷痍軍人・寡婦・遺族への生活支援にあてられます。


Người Việt Daily News: Đại Nhạc Hội ‘Cám Ơn Anh’ ở San Jose, hàng ngàn người tham dự

コンサートの様子はカリフォルニアのベトナム移民系テレビ局SBTNのYoutube公式チャンネルにて、全世界に生中継されました。


SBTNOfficial: LIVE: ĐẠI NHẠC HỘI CÁM ƠN ANH KỲ 11

当ブログも毎年このコンサートを応援しており、今年も滞りなく運んだとの事で、遠く離れた日本からもお祝い申し上げます。
2年前の第9回には、私自身も主催団体のベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会(Hội HO Cứu Trợ Thương Phế Binh và Quả Phụ Việt Nam Cộng Hòa)からプレスとして招待され、現地で取材を行ってきました。
その時の写真の一部はこちらの記事に掲載してあります。また、過去の開催内容についてはこちらの記事にまとめてあります。


しかし残念ながら、今年の『ありがとうコンサート』には、このコンサートを長年支え続けたある女性の出席は叶いませんでした。
彼女の名はグエン・ティ・ハン・ニョン(Nguyễn Thị Hạnh Nhơn)空軍中佐戦後、ベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会会長として長年戦争で身体障害を負った将兵や、戦死者の遺族への支援活動に尽力されてきた元ベトナム共和国空軍の女性将校です。
ハン・ニョン中佐はこの『ありがとうコンサート』の主催者の一人として、ご高齢の身を押して自ら先頭に立って会を率いてこられましたが、第11回コンサートが3か月後に迫った2017年4月18日、カリフォルニア州ファウンテンバレーの病院で息を引き取られました。享年91歳でした。

ベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会会長
グエン・ティ・ハン・ニョン空軍中佐(1927-2017)

 グエン・ティ・ハン・ニョンは仏領インドシナ時代の1927年、ベトナム中部のフエに生まれます。1941年にガールスカウトに入団したハン・ニョン氏は第一次インドシナ戦争中の1950年に、ガールスカウトの指導者として、ベトナム国軍第2軍管区の地方保安部隊『越兵隊(Việt binh đoàn)』に財務スタッフとして参加。後に正式にベトナム国軍の婦人隊員となります。
 終戦後の1957年、ハン・ニョン氏はフエのグエン・チ・フォン軍病院で勤務しますが、そこで多くの傷病兵や未亡人、孤児達を目の当たりにしたことが、後の彼女の人生を決定付けました。
 ベトナム戦争が悪化の一途を辿る1965年、ベトナム共和国軍は男性兵士の不足を補うため、軍の後方支援業務を担う女性軍人(Nữ Quân Nhân)制度を正式に発足し、ハン・ニョン氏は婦人隊の創設および女性軍人学校で教鞭を執った最初の女性将校となります。
 その後、ハン・ニョン氏は1967年にベトナム共和国軍総参謀部勤務となり、1969年には空軍少佐に、1972年には中佐に昇進します。ハン・ニョン中佐その後、1975年までタンソンニュット基地の空軍司令部婦人分団長を務めると共に、1950年以来25年間に渡って軍で勤務するとともに女性軍人の活躍を主導した功績を称えられ、ベトナム共和国最高位の"保国勲章5級(Đệ Ngũ Đẳng Bảo Quốc Huân Chương)"を授章します。

▲中佐に昇進し、総参謀部チャン・タイン・フォン少将によって階級章を交換されるハン・ニョン氏(1972年ジアディン省)

 しかし1975年の敗戦によりベトナム共産党政権に逮捕されたハン・ニョン中佐は、その後4年以上も強制収容所に投獄された後、1990年に家族と共にアメリカに亡命します。以後、ハン・ニョン中佐はカリフォルニア州オレンジ郡でベトナム"政治犯"互助会に参加し、共産党政権に"政治犯"として弾圧される人々への支援活動を開始します。そして1996年にベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会を発足し、以後21年間に渡って同会の会長を務めてこられました。また2006年からは、カリフォルニアのベトナム系音楽企業アジア・エンターテイメント、テレビ局のSBTNと共同で『ありがとうコンサート』を開催し、2017年で11回目の開催となります。ハン・ニョン中佐がこれまでの活動で集めた寄付金は100万米ドルを超えており、現在もベトナム戦争の傷跡に苦しむ元軍人や戦死者の遺族に届けられました。
 このように、今日では大々的に開催されているテャリティーコンサートですが、一方で、私が2年前にコンサートを取材した際には、ベトナム国内で行われる慈善活動はベトナム共産党政府の厳重な管理下にあり、実際には送られた寄付金の半分は支援には使われず、汚職役人や共産党幹部の懐に入れられてしまっているという嘆きもコンサート参加者から聞かれました。そのため当初は、こういった支援活動は共産党政府を間接的に支援する事になるのではと、在米ベトナム人コミュニティの中でも反対の声が多かったそうです。しかしそれでもハン・ニョン中佐らは、今も祖国で苦しむ同胞たちに少しでも支援が送れるのならと、活動を続けてこられました。
 私は、守るべき国家を失ってもなおハン・ニョン中佐が示し続けた同胞への奉仕と人間愛の精神は、これからも在米ベトナム人(ベトナム系アメリカ人)コミュニティの中で生き続けるものと確信しています。

[出典] 
Vietbao.com: Cựu Trung Tá Không Quân VNCH Nguyễn Thị Hạnh Nhơn Qua Đời Sinh Năm 1927 Qua Đời Ngày 18 Tháng 4 Năm 2017, Đại Thọ 91
VOA: Vĩnh biệt bà Nguyễn Thị Hạnh Nhơn  


2017年07月22日

EAリーフをレビュー

先日お伝えしたEast Asia Supplyの新商品、ベトナム共和国軍ERDLグリーンリーフ迷彩作戦服がCLASSIFIEDさんより発売となりました!

CLASSIFIEDさん商品ページ


先日アホカリに参加された方には現物をお見せしましたが、仕上がりは期待以上です!
生地はポプリン生地のERDLグリーンリーフ迷彩を再現しています。裁断はベトナム軍の迷彩服として最もオーソドックスなスタイルの、肩当・エポレット付き2ポケットジャケット、膝当て付き4ポケットパンツです。



ボタンはどのメーカーも再現を妥協しがちな部分ですが、今回のEAリーフのボタンは当時のベトナム製ボタン(厚手タイプ)の雰囲気を比較的再現できていると思います。


このくらいアップで見ると違いが分かりますが、着用してしてしまえば、ほとんど違和感は感じられません。
こだわりたい方は、完成度の高いCLASSIFIEDさんオリジナルのベトナム軍ボタンレプリカが発売されてるので、そちらに交換すればさらにリアリティが増すのでお勧めです。


雰囲気だしにTTSXQT(国防省軍需部装備生産センター)スタンプも再現されています。
この辺は着てしまえば分からないので、おまけみたいなものですね。


なお実際の服のサイズはスタンプされているベトナム軍被服サイズ表記通りではなく、現在一般的なUS-SからXLとなっているので、現代の私たちにはむしろ着やすい裁断となっています。


全体的に、コスプレやリエナクトで実用するには十分な再現度を誇るリプロであり、これを作ってくれたEAは流石だなと思います。
これが完売してしまえば、次にこのレベルのレプリカが入手できるのは何年後になるか分かりません。
ベトナム戦争コスプレに興味がある方は、迷わず最低一着は持っておくべき服だと思います!
さらに、この服さえあれば、1967年以降のベトナム共和国軍地上戦闘部隊の再現がほとんど何でも出来ちゃいます。

BĐQ (レンジャー大隊)

ND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (師団付き偵察中隊)

LĐNN (海軍フロッグマン/SEAL部隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術局)MACV-SOG


またこれらの部隊を指導していたアメリカ軍、オーストラリア軍のアドバイザーたちも同じベトナム軍リーフ迷彩服を着用していました。
このようにリーフは何着持っていても困らない服なので、手に入るうちにご注文される事を強くお勧めします!


  


2017年07月08日

新ブログスタート

これまで当ブログでは、現在ベトナムの国内外で行われている民主化運動や、それに対するベトナム共産党政権による凄惨な弾圧について度々お伝えしてきましたが、この度、そういった戦後および現代ベトナムの社会問題に関するブログを新たに立ち上げました。

やはりどんなに真剣にそういった問題を扱っていても、他の記事で『戦争ごっこ』などという常識を欠ていると見られかねない遊びをしているようでは、ちょっと説得力に欠けるよなと前々から思っていました。

そこで、ちょうど先日、お台場で行われた在日ベトナム人によるベトナム共産党政権への抗議デモを取材し、そこで知り合った皆さんに必ずブログに書きますと約束したので、この際新しくブログを作る事にしました。これまでこの一番槍ブログに載せてきた記事も掲載してあります。

ベトナムウォッチ ※ブログ名を変更しました。


今後戦後および現代ベトナム関連の話題はこちらのブログに書いていきますが、記事をアップしたら一番槍の方にもリンクを貼ってお知らせします。

興味のある方は是非ご覧いただき、テレビでは報じられない、ベトナム国民の生の声に少しでも耳を傾けて頂けたら幸いです。
  


2017年06月15日

映画 Trên Bốn Vùng Chiến Thuật ── 四つの戦術地区で ──

前回の記事に「おまけ」として書きましたが、改めて記事にします。

ベトナム出身で米国在住のセミプロ映像作家の友人が監督し、僕も制作に関わった新作ドキュメンタリー映画『Trên Bốn Vùng Chiến Thuật (四つの戦術地区で)』が6月18日(僕の誕生日!)に米国のベトナム移民系テレビ局SBTNで放映され、翌6月19日『国軍の日(Ngày Quân Lực)』にDVDでリリースされます!
この『四つの戦術地区で』は、元共和国軍人やご遺族へのインタビュー、現在の戦跡、当時の記録映像と再現VTRなどで、若い世代の目線からベトナム共和国軍とベトナム戦争の歴史を紐解いていくドキュメンタリー映画です。

画像: SBTN chuẩn bị trình chiếu và ra mắt DVD bộ phim tài liệu “Trên Bốn Vùng Chiến Thuật”


新たにDVDのCMが公開されました。



僕もまだ完成版は見てないのですが、監督本人から、本編にはタイガもけっこう登場しているよ、と教えてもらいました。
たぶんここら辺の映像が使われていると思います。

サイゴン 独立宮殿(旧総統府)

ビエンホア国軍墓地


米国ジョージア州およびケンタッキー州 ドラマ・再現VTR撮影



去年4月、彼がHồi Ức』製作しSBTNで放映された事を記事にした時、僕はこう書いていました。

「彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。」

しかし、まさかその3か月後に二人でベトナムを旅し、12月にはアメリカで一緒に映画を撮る事になるとは予想だにしていませんでした。
しかも彼は、彼と出会う前に僕が日本で友達になった別の在日ベトナム人とドンタップ省の中学校で同級生だったという奇跡まで発生しました。
地球狭いとは言ったけど、狭すぎるだろ!(笑)
  


2017年01月21日

ベトナム人とドナルド・トランプ



 昨日、ついにドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任してしまいました。私が付き合いのあるベトナム人およびベトナム系アメリカ人のほとんどは熱烈なトランプ支持者なので、選挙の時からず~と、Facebookを開けば毎日トランプへの賛辞にあふれていて、人間の心の弱さというものを嫌というほど見せつけられました。

 彼らがそこまでトランプを支持する主たる動機、それは中国への憎悪です。
 本土ベトナム人にとって、ベトナムは第2次インドシナ戦争終結後、常に中国からの圧力に晒されており、もともと中国へのコンプレックスが強いベトナム人の反中感情は近年の中国の南シナ海への進出によってより強まっています(ベトナム共産党は中国からの莫大な援助によって戦争に勝利したのだから戦後中国がその投資を回収しようとするのはある意味当然ですが)。またベトナム共産党政府は国民のガス抜きのため領土問題で中国との対立を装っているものの、実際にはベトナム経済の中国依存は強まるばかりであり、ベトナム政府が中国の言いなりである事はベトナム国民も理解しています。だからこそ彼らは、自国の政府ではなくアメリカのトランプに、中国弱体化の期待を抱いているのだと私は見ています。
 またベトナム(難民)系アメリカ人にとって、彼らの祖国ベトナム共和国はベトコンを介した中国の侵略によって滅ぼされており、1954年の南北分断よりも遥か彼方に分断された彼ら難民の恨みと悲しみが消え去る事は永遠にないでしょう。さらに現在は、第二の故郷アメリカの経済が下火になる一方で、中国が国際社会におけるプレゼンスを増しており、彼らの中国への憎悪と劣等感は頂点に達していました。そこにドナルド・トランプ出現したことで、彼らは既存の日和見主義政治家とは違う強固な(=他人の意見に耳を貸さない)政治姿勢のトランプならこの状況を変えられるかも知れないという期待を抱いてしまいました。またベトナム系コミュニティの中心にいる元ベトナム共和国軍人たちはトランプの支持基盤の一つであるアメリカ軍退役軍人協会と強い結びつきもあり、ベトナム系市民の中でもトランプ支持が拡大してしまいました。この流れはアメリカ以外に住むベトナム難民系コミュニティでも同じような傾向があるように見えます。

 以上が、彼らがなぜトランプを支持するのかについての私なりの理解ですが、私はこのような憎悪と劣等感に突き動かされた政治選択に強い懸念を抱いています。すでに大統領選の時点で、ベトナム系市民はアメリカ社会全体と同様に、トランプ支持と反トランプで大きく分断されていました。選挙とは常に人々の意見が対立するもので、それ自体は悪い事ではないのですが、今回の選挙がこれまでと違う所は、選挙の後もその対立感情が強まる一方だという事です。
 あるトランプ支持派の元ベトナム共和国軍人は大統領選の直後、トランプへの反対を述べたベトナム系の若者に対し、「お前らは負け犬だ」、「アメリカから出ていけ」などの罵詈雑言を浴びせていました。またある時は、オバマ大統領を(明らかに黒人であるという理由で)ゴリラに見立てて、「猿は檻(刑務所)に入れ」という内容の書き込みがベトナム人の間で大量にシェアされていました。また私と懇意にして下さっている元共和国軍人の方も、反トランプデモについて度々嫌悪感を露わにしています。「ほら見ろ、あいつらは暴動を起こした。反対派はアメリカの敵だ」と。
 私はそれを見ていて、「そんな考え方してるからあんたらの国は潰れたんだよ」と思ってしまいました。今まであえて書いてきませんでしたが、正直、戦後の元共和国軍人たちの多くは、敗戦の原因を全て中国や共産主義者のせいにして、自国の政府が行った暴政や弾圧が国内のベトコンを拡大させた事実については無視し続けています。彼らには家族や国を失い、言葉の通じぬ異国に逃げざるを得なかったという非常に辛い過去がありますし、私自身も現在まで続くベトコンによる国民へのテロリズムを憎んでいるので共和国軍人への敬意を持ってこのブログを書いてきましたが、あの時代のあの政府が最善の選択をしていたとは到底思えません。残念ながら彼らの味わった悲しみと絶望感は、彼から過去の自分たちの過ちを反省するという判断力を奪ってしまったように思えます。

 本題に戻りますが、このような自分と異なる意見に対し、それを愚かな事だと決めつけ、話を聞かず、排除しようとする安直な思考は、人権や文化の多様性を奪う、民主主義に最も逆行する行為だと私は断言します。曲がりなりにも民主主義・自由主義という理念を牽引していたアメリカ合衆国が、感情論に流されて自らその理想に背を向ける事は、アメリカ国民ひいては世界の未来に暗い影を落とす行為ではないかと思いっています。レッド・チャイナが憎いからと言って、ホワイト・チャイナになったのでは意味が無いのです。
 なので私は、友人全員を敵に回す覚悟で、あえてトランプ本人およびその支持者の一部は民主主義への理解が欠けており、危険な排外主義であると批判しました。また昨晩はトランプの大統領就任式の生中継を見ながらベトナム人たちがお祭りをしている最中、私は彼らに向けて、オバマ大統領が最後のホワイトハウス記者会見で報道陣に対して述べた言葉を投稿しました。



"But I have enjoyed working with all of you. That does not, of course, mean that I’ve enjoyed every story that you have filed, but that’s the point of this relationship. You’re not supposed to be (inaudible) fans, you’re supposed to be skeptics, you’re supposed to ask me tough questions. You’re not supposed to be complimentary, but you’re supposed to cast a critical eye on folks who hold enormous power and make sure that we are accountable to the people who sent us here, and you have done that."

「私は皆さんと一緒に楽しみながら仕事をしてきました。もちろん、あなた方が書いたすべての話を楽しめた訳ではありませんが。しかしそれこそがこの関係に大切な事なのです。あなた方は私のファンではないし、私を懐疑的に見ており、厳しい質問を投げかけるでしょう。あなた方は私を称賛しないでしょう。しかしあなた方は巨大な権力を持つ者に批判的な目を向け、我々をここホワイトハウスに送ってくれた国民に対し責任がある事を認識させてくれました。」

"And so my hope is is that you will continue with the same tenacity that you showed us, to do the hard work of getting to the bottom of stories and getting them right and to push those of us in power to be the best version of ourselves and to push this country to be the best version of itself.
I have no doubt that you will do so, I’m looking forward to being an active consumer of your work, rather than always the subject of it. I want to thank you all for your extraordinary service to our democracy."

「そして私の望みは、今後もあなた方が私に見せたように粘り強くある事です。徹底的に取材し、正義を求め、権力の座にある者、そしてこの国を最善の状態にすべく仕事に打ち込む事です。私はあなた方がそうすると信じて疑いませんし、今後もそのニュースの題材よりも、あなた方がその仕事の積極的な担い手であることを楽しみにしています。私は皆さんの民主主義への特段の貢献に感謝したいです。」

"if you find yourself isolated because the process breaks down or if you’re only hearing from people who agree with you on everything or if you haven’t created a process that is fact-checking and probing and asking hard questions about policies or promises that you’ve made, that’s when you start making mistakes."

「物事がうまくいかずに孤立した時や、自分に同意する人たちからしか話を聞こうとしない時、事実確認をせずに物事を進め自身の政策や公約に対し手厳しい追及を受ける時、それは間違いを犯す時なのです。」

The New York Times
Obama’s Last News Conference: Full Transcript and Video (JAN. 18, 2017)

 投稿してすぐに、予想通りオバマは詐欺師、容共、イスラムシンパなど批判的な書き込みが相次ぎました。もうタダでベトナム人の家に泊めてもらえないかもね。でもこのくらいで縁を切るような度量が狭い人間とは最初から付き合う気はないので、別に良いのです。それにFacebookで友達になったベトナム人500人のうち、5人はイイネ!してくれたし(笑)、ベトナム系アメリカ人の中にもオバマ大統領を擁護する声は存在しました。しかしトランプ支持派と反対派で口論になり始めたので、私としては以下の考えを述べて締めくくりました。

"Thank you all for give me your opinions. I don't know actually his domestic politics because I'm not in America, and the news from foreign lands have been reported in fragments in Japan. I just know American society has big and deep problems still now so it is natural that people find fault with Obama. Of course excepting a violence even there is any reason, I believe that the act of criticizing makes the wholesome Democracy."

「みんな意見をくれてありがとう。僕はアメリカに住んでるわけではないし、外国のニュースは日本には断片的にしか入ってこないから、実際のところ僕はオバマ政権の内政に関してはよく知らないんだ。ただアメリカ社会はいまだに大きく深刻な問題を抱えている事は知っている。だからオバマ政権の問題点が指摘されることは当然の事だと思うよ。もちろんいかなる理由があろうとも暴力に走る事を除いてだけど、『批判する事』こそが健全な民主主義を作るのだと信じているよ。」


当てつけも含んでいるけど、僕の意図が伝わってくれていればいいなぁ。
  


2016年12月30日

2016年の思い出



2016年1月
例年通り元日に、ベトナム寺の陽暦節(Tết Dương lịch)に初詣。

2月
念願のアオヤイ着て元旦節(Tết Nguyên Đán)の初詣。

台湾の医療・健康保険制度を視察。(観光してたら急性胃腸炎になり病院を4回受診、注射を計8発射たれる)
でも気合いで鹽水蜂炮に参加。祭りの翌日、行程をギブアップして緊急帰国。

3月
雪で通行止めの道をスニーカーのまま歩いて進めという業務命令を忍耐で遂行。

4月
地方軍撮影会に参加。ヒルに脚を3カ所食われてブーツとズボンが血まみれになる。


一人フランス連合撮影会。上半身だけコスプレ

ベトベトマニアにレンジャーとして参加。

ベトベトでもフランス連合軍プチ撮影会。

4月30日、ダニエルおじさんの妹さんの店でお食事。

5月

数年ぶりに家族全員集まって庭でバーベキュー

6月

Sくん、Tくんとベトナムフェスティバル、江戸東京博物館に。
さらに翌日Sくんと東京国立博物館、ニコライ堂を周る。


『帰ってきたヒトラー』を鑑賞。出来が良すぎて笑えない映画。
現実に、世界はこの作品が警鐘を鳴らした通りの方向に進もうとしている。
中国もロシアもヨーロッパもアメリカも、そして日本も。
浅はかな大衆心理と結びついた国家権力がいかに邪悪で恐ろしいものか、今一度歴史を振り返ってみる必要があります。

7月

急遽ベトナムに行く事に。

現ドンナイ省スンロクに残る第18歩兵師団前線指揮所跡

ビエンホア国軍墓地の霊廟『死士殿(Tử Sĩ)』にお忍びで参拝。

なおベトナムでは、放し飼いの犬に餌をあげてたら手の指を噛まれてしまったので、帰国後ソッコー成田空港内の病院で狂犬病と破傷風のワクチンを接種。その後も計5回、2か月間に渡って継続的に狂犬病の予防注射を受ける羽目となりましたface07


アホカリ2016

8月

シン・ゴジラを観に行く。予想外の出来に度肝を抜かれる。以後、今までに計5回観ました。

9月

2月に台湾でお世話になったSさんが来日。恩返しに4日間同行して関東各地を案内しました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e796527.html

ベトベトマニア。前回に引き続きレンジャーで参加。

10月

キャンプがてらプチ撮影会

11月

前線司令部撮影会
http://ichiban.militaryblog.jp/e815017.html

12月

2度目のアメリカ訪問。ケンタッキーでフリーメイソンおじさんとそのお友達にデカい銃をたくさん貸してもらう。

ジョージア州でアマチュア映画の撮影。僕はまさかのベトコンゲリラ役。
外は気温3℃。ベトナム戦争のはずなのに息が白い・・・。
しかも頭から血糊ぶっかけられて、滅茶苦茶寒かったです。

カリフォルニアに移動して、LAとリトルサイゴンで計5名の元ベトナム共和国軍将校の方々を取材&ドキュメンタリー撮影。
なかでも1975年4月30日の朝、ズォン・バン・ミン総統からの降伏命令を拒否して最期まで共産軍への抵抗を続けた第81空挺コマンドのファム・チャウ・タイ少佐(写真左)は、マスコミ嫌いなので普段はベトナム難民系メディアであっても取材は受けないそうですが、今回は若い世代の情熱に応えたいという事で、特別に我々の取材に応じて頂けました。
あと偶然にも、ロスの空港から載ったタクシーの運転手のおっちゃんが、かつてベトナムに従軍した元韓国陸軍猛虎師団の兵士でした。リトルサイゴンの隣はコリアンタウンだから、探せば韓国軍のベテランも沢山住んでるんだろうな。

帰国後、インドネシアからの旅行者に同行して観光案内。
築地場外市場、浅草寺、皇居外苑、河口湖、忍野八海、御殿場のアウトレットを周りました。



今年を振り返った感想

今年はいろんな体験をし過ぎて、なんか1年間という感覚がよく分からなくなりました。計40日くらい国外に出てたし。
台湾やベトナムが大分昔の事のように感じますが、まだ1年も経ってなかったんですね。

悲しい事に、今年ついに日本国内で犯罪を犯した外国人はベトナム人が最多となってしまいました。
またベトナム国内のインターネットを見ていると、学校や街中での集団リンチを撮影した映像が毎日のように報じられています。来る日も来る日も暴力、暴力、暴力の連続。
地方では、今年も水害によって農村地帯で大勢の死者がでました。
ある警察官は、その水害で亡くなった子供の遺体の横に座り、笑顔でピースサインをしている写真をSNSにアップして炎上していましたが、政府によるお咎めはありません。
ベトナム社会主義共和国において何よりも優先されるのは『秩序』、つまりベトナム共産党と公権力の保護であり、次に金。おそらく道徳や人権、そして人命は一番最後でしょう。
そんな抑圧と矛盾に満ち鬱屈した社会で、人が健全に育ち、希望を持って生きるのは容易な事ではないのかも知れません。

今年は多くの友人たちと出会い、彼らの優しさや友情に幾度となく感動した一年でした。
しかし同時に、人の世にはびこる悪の根深さを痛感し、強い悲しみと怒りを覚えた一年でもありました。

来年はどういう年にしたいか。
毎年、ちょっとは考えてみるものの、特に何の抱負も浮かばないので、なるようにしかならないという考えで生きてきました。
しかしここ数年の体験を振り返ると、この「なるようになる」が、想像もしていなかった素晴らしい出会いを運んできてくれました。
だから来年も、このままなり続けてくれ!お願い年神様!


おまけ
今年食べた二郎&二郎インスパイア

  


Posted by 森泉大河 at 22:10Comments(0)News!

2016年06月06日

ブログのデザイン変更

 このブログ始めたのが2013年8月なので、もうすぐ3周年を迎えるのを機に、ブログのPC向けデザインをちょっといじってみました。
 まず、今までウィンドウ幅100%のデンプレートを使っていたせいで文章が横に長くなりすぎて読み辛いと感じていたので、今更ですが幅を縮めました。ただ、ミリブロに最初から用意してある幅の狭いテンプレートを使うとあまりに狭くなりすぎて画像が見辛くなるので、仕方なく自分でHTMLタグをいじりました。僕はこういう作業は素人なのですが、Google Chromeの『検証』って機能使うと、どのタグがどの部分を意味しているのか視覚的に分かって非常に楽ですね。そんで新しい幅は、今まで画像やYoutubeの埋め込みによく使ってきた640pxにしました。(あと両サイドのリンクとかも少し広げました。)
 しかし問題もありまして、過去の記事に載っている画像のうち幅が640pxより大きいものは当然ながらケラレちゃいます。どうしよう。過去の記事全部修正するのは大変過ぎる・・・。うん、もうこの際過去記事なんてどうでもいいや。過ぎた事は忘れよう。多少見辛くなるけど十字キーやスクロールで見る気になれば見れるし。
 あと、よそ様のブログ見てて、うちも画面の上にバナーがあったら良いのになと思っていたので、無理やり追加。他のテンプレートのタグをコピペしたら割とすんなりできました。やったー


≪変更前≫

 


≪変更後≫


うんうん。だいぶ普通のブログっぷくなりましたね。文章も前よりは読みやすくなりました。


なお、初バナーに使用した画像はこちら。

アメリカ空軍のC-130輸送機に乗り込む(or降り立った)ベトナム共和国陸軍空挺師団の兵士たち。(1971年2月1日)
 空挺師団はベトナム戦争中、ベトナム空軍のC-119やC-123輸送機からの空挺降下作戦を幾度も実施しているけど、この写真は装備からして降下ではなく単なる移動のようです。またC-130は貨物室が密閉、与圧されているはずなので熱帯地域で普通ここまで防寒着は着ないはずなんですが、みんなM65ジャケットを着込んでますね。これはおそらく、翌週2月8日から開始されたラムソン719作戦に備えてケサンあたりに移動してるところだと思います。ラムソン719の進攻目標であるラオスの山岳地帯は標高が高く、天候によっては気温がかなり低くなるので防寒対策は必須でした。


 ついでに、3年記念にこのブログのアクセス解析を振り返ってみると、一日の訪問者数はだいたい60~90件、ページビューは100~250件くらい。アクセス元はブックマークが一番多くて、1ヶ月に1400~1500件。という事は、1日平均48人はブックマークから見に来ていて、残り12~42人くらいが検索エンジンから来ているという計算になりますね。
 検索に引っかかるのはともかく、ブックマークしていただいている方がこれだけ居らっしゃるという事に、正直驚いています。僕としてはこのブログは決してマイナー路線を狙っている訳ではなく、むしろ歴史としてのベトナム戦争の一番オーソドックスな部分を率直に見ているつもりなのですが、それでもこの分野は趣味の世界でダントツ不人気なのは承知しているで、こんなに見に来る人がいるというのは意外でした。また、イベントなどで読者の方に声を掛けて頂くことも増えて、読んでくれている人が居た事を実感できて嬉しくなります。
 僕がこのブログを書く理由は、あくまで自分の頭の中の情報を記録に残す、そしてそれを他人に見せて自己顕示欲を満たすという自分自身の楽しみの為であり、人様の役に立ちたいなどとは考えたこともないですが、それでも見て下さる方が居るというのは表現者として幸せな事だと感じています。
  


2016年04月30日

2016年の『30-4』

過去の記事

41年前の今日、1975年4月30日。
ベトナム共和国の首都サイゴンがベトナム人民軍の侵攻の前に陥落し、15年間続いたベトナム戦争が終結しました。
総犠牲者数700万人以上と言われるこの戦争は、ベトナム共産党(当時はベトナム労働党)のテーゼ通り南北ベトナムの統一という形で幕を閉じ、現在もなおベトナム政府によって『侵略者アメリカとその傀儡政権からベトナム人民を救った英雄的偉業』と喧伝されています。
しかし1975年以降、戦争に勝利たベトナム共産党によって強行された一連の『解放』によって100万人を超える難民が発生し、ベトナム民族に新たな分断をもたらす結果となった事実は、日本ではあまり知られていません。
実際には、日本には1975年から1980年代にかけてボートピープルと呼ばれるベトナム難民が多数入国しており、その内約1万人が日本に定住しています。
その一方で、戦争当時ベトナム反戦運動で勝手に盛り上がっていた日本社会は、彼らが何故戦争の最中ではなく、終戦後の『平和になったベトナム』から逃げ出さざるを得なかったのか理解に苦しみ、そしてあれだけ声援を送っていたベトナム人民に対し急に冷淡な目を向けるようになりました。
中には、「ベトナム難民などアメリカの傀儡として人民を苦しめてきた圧政者の家族なのだから苦しんで当然」と公言する元反戦運動家も居たといいます。
それは極端な例だとしても、日本における一般的なベトナム戦争に対する理解は、ほとんど当時のメディアによる(アメリカ批判に終始した)戦争報道で終わってしまっていると言えるでしょう。

私の友人のある在日ベトナム難民二世の青年は、私にこう言いました。

「日本でベトナム戦争と言うと、アメリカとベトナムの戦争だと思われてるんですよね。。。日本は親越なのになんでですかね?」

私「日本人はベトナムが大好きだよ。日本では右翼も左翼も、アメリカを非難するためにベトナム人の死を利用し、韓国を非難するためにベトナム人の死を利用し、中国を非難するためにベトナム人の苦難の歴史を利用しているんだもん。日本人は、そういう利用価値がある国を『親日』と呼んで大好きになるんだ。」

彼「ああ、なるほど・・・」

私「あ、もちろん右翼連中は第二次大戦中に日本軍の軍政下で百万人のベトナム人が餓死したなんて話は無かった事にしているから。むしろ日本兵はベトナム独立戦争に協力してやったんだから感謝しろって言ってるよ。そしてそれに同調しない外国人は『反日』だから人種差別の対象さ。君も気をつけないと、馬鹿どもに『反日外国人』として嫌がらせされるよ

彼「本当にあの人たちすごいですよね・・・(呆れ顔)」



私がベトナムという国の歴史に興味を持って十年ほどが過ぎましたが、こうして生でベトナム人と接する機会が増えた(ネットを含めると日本人よりベトナム人と話す機会の方が多いかも)ことに、不思議な縁を感じずには居られません。
先日は、『映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で』で紹介したハウ・ルック君が、実は僕の友達の日本在住ベトナム人S君と、ベトナムの中学校で同級生だったことが発覚しました。僕もルックも、それを聞いてびっくら仰天。
なんでも子供の頃は家が近所で、よく一緒にTVゲームをして遊んでいたそうです。そんな二人が中学卒業後離れ離れとなり、それぞれアメリカと日本に渡って生活している中で、別々に日本に住む私と友達になり、その縁で10年ぶりに同級生と再開するという。なんという偶然。世界狭すぎだろ・・・。

↑ハウ・ルック監督作品『記憶』の予告編ロングバージョン公開されてます。



そして今日は、4月30日だからって理由ではありませんが、都内某所のベトナム料理レストランにお邪魔してきました。
ホア少尉の戦友で、元CCN RTダコタ所属のフォー・ズン氏から、「私の妹が日本でレストランやってるよ!」と連絡があったので、妹さんに連絡を取ってランチを食べに行ってきました。
まぁお店は普通の飲食店だし、妹さんは戦後生まれなので戦争の話なんてしませんでしたが、日本に来る前はアメリカに住んでいたためホア少尉とも親しく、共通の友人を介してこうして日本でお会いできた事をとても嬉しく思います。
また今日・明日はお店として熊本地震へのチャリティーを行っており、売り上げは全額熊本県へ寄付されると言う事で、普段ケチな僕も奮発して1500円のランチを頂きました。
僕は、2011年の東日本大震災の時も在日ベトナム人の皆さんが、自費で日本を応援する横断幕をつくり、ベトナム人コミュニティーの間で募金活動する様子を取材してきましたが、今回もまた暖かなお心遣いを頂き、日本人として感謝の念にたえません。


Cam ơn rât nhiêu!
  


2016年04月09日

映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で

 以前『リエナクターの輪』で紹介した"My bro"ハウ・ルック君(25歳)の監督作品が、カリフォルニアのベトナム移民系テレビ局SBTN(Saigon Broadcasting Television Network)で放映される事が決定しました。SBTNの公式サイトに詳細が掲載されていますので、その全文を邦訳したものをここに記します。

引用: Saigon Broadcasting Television Network
http://www.sbtn.tv/vi/tin-cong-dong-hai-ngoai/sbtn-trinh-chieu-phim-hoi-uc-goc-nhin-nguoi-linh-cong-hoa-tu-he-thu-ba.html


映画『記憶』SBTNにて放映決定:共和国軍兵士三世の視点で

 今年の"暗黒の四月(サイゴン陥落)"を記念し、SBTNテレビは『記憶(Hồi Ức)』と題された全12話の短編映画を放映します。この作品はSBTNと若干25歳のアマチュア映画監督ハウ・ルック氏との共同制作作品です。この作品はおそらく、海外在住ベトナム人コミュニティにおいて、共和国軍兵士の孫の世代が彼らの祖父達を描いた初の映像作品であり、彼らが祖父たちの時代をどのように理解しているかも見所です。


画像: 映画『記憶』より

 ベトナム ドンタップ出身のハウ・ルック氏は今から10年前、15歳の時にベトナムを去り、アメリカ合衆国ジョージア州に移住しました。彼の祖父は元ベトナム共和国軍の空挺部隊兵士でした。ハウ・ルック氏は少年時代にベトナム本土で受けた"社会主義教育"を覚えており、教師たちは今だに、1975年以前の南ベトナムの政権関係者を"米帝の傀儡"、"猟犬"、"売国奴"と罵り、子供たちに旧政権への憎悪を繰り返し植え付けていたといいます。
 彼はある日、家で両親と祖父母が"私たちの国"について話しているのを聞きました。「ちくしょう、共産のやつらめ・・・」という声が聞こえてきました。ルック氏は子供ながらに好奇心に駆られ、独学で歴史を勉強するようになり、ついに教師の教える歴史は事実とは全く異なる捏造だという事に気付いてしまいました。そして再び授業中に教師が"米帝の傀儡"を非難したとき、ルック氏は席から立ち上がって反論しました。すると教師はルック氏を「クソ反動め!」と罵ったといいます。休み時間になり、ルック氏の周りには「なんであんな事を言ったの?」とクラスメイト達が集まったので、ルックは知っている事を説明したそうです。

 家族の過去、そして少年時代の好奇心から、ルック氏は次第にベトナム共和国軍人への憧れを強めていきました。さらにアメリカに移住した事で、ベトナム本土では"勝者(ベトナム共産党)"と"融和を拒んだ者(旧ベトナム共和国政府)"という歪んだ二元論によって隠蔽・捏造されているベトナム共和国時代の真実の情報が得られ、その情熱はさらに燃え上がっていきました。彼は共和国軍に関するアイテムに魅了され、彼の家は小さな軍事史博物館と化していきました。

 それから彼は、共和国軍人への敬意を何らかの形で示そうと考え、戦時中の自分の祖父を演じることにしました。映画への情熱と学習意欲を持つ彼は、理系大学で学んでいるもののあえてCGを用いない映画を目指しており、モンタージュ技法を得意としています。そして彼は共和国軍の兵士テーマとして短編映像を制作し、それを大学生アマチュア映画コンテストに出品すると、作品は見事入賞を果たしました。

▲全米学生映画祭(Campus MovieFest)に出品されたハウ・ルック氏の監督作品『Nightmare』

 この作品をきっかけにSBTNテレビは彼の存在を知り、我々は彼を奨励すると共に彼の情熱がさらに実を結ぶようサポートする事となりました。こうして生まれたのが『記憶』と題された12の短編映画です。

 ハウ・ルック氏は自身について、ワンマンバンドのようなアマチュア映画監督だと冗談めかして答えました。各フィルムは20分ほどの短編であり、作品のプロットは全て共和国軍兵士達の証言に基づいています。ストーリーはルック氏自身が元空挺部隊、海兵隊、レンジャー隊員などから聞き取った実話であり、また作品に使われている衣装、軍装品などはすべてルック氏個人のコレクションが使用されています。映画に出演する俳優はルック氏の情熱に賛同する若い仲間達であり、彼らもまた映画を作る中で自分自身のルーツを学び、探求する喜びを分かち合っていきました。

 一方でルック氏は、自分ひとりの情熱だけでは当時の歴史・政治の側面を詳細に調べきるには不十分だとも自覚しています。彼の映画は、正直だが思慮深い者、家庭的だが誇り高い者、温和だが祖国と同盟国の為に自分を犠牲にする覚悟がある者など、共和国軍兵士の人生の物語を再構成しようとするものです。その為、我々はこの記事を読まれている元共和国軍兵士からのお便りを心からお待ちしております。あなたの物語は、この熱意と誇りに満ちた若き映画製作者の作品に特別な魂を吹き込み、あなた自身の人生の価値を後世に残すものとなります。

 『記憶』は、海外で生まれ育った若い世代が、自分達の祖父・父親の世代が辿った物語を尊重する作品です。そこには軍隊時代の良き思い出と共に、祖国防衛を果たせなかった無念が綴られています。『記憶』のように、世代と世代との認識がつながっている限り、ベトナム共和国の歴史は決して忘れ去られる事のないものだと信じます。

 またルック氏は『記憶』を通じて、ベトナムに住んでいる若者に、我々の世代は何をすべきか、情熱をどこに向けるべきかを考えて欲しいと語っています。

 映画『記憶』は2016年4月15日よりSBTNにて放映を開始します。『記憶』は海外在住ベトナム人にとって今年の暗黒の四月を記念するものであり、また同時に全てのベトナム共和国軍兵士へ捧げる、意義のある作品であります。

ドアン・フン / SBTN


映画『記憶』予告編

【あとがき】
 ちなみに彼らが着ている衣装のうち何着かは、僕が日本で代理購入し発送したリプロ迷彩服。このような記念碑的な作品に、自分も衣装協力という形で関れた事を大変光栄に思います。でもルックから衣装を集めて欲しいと依頼された時には、既に品切れになっている商品が多くて、人数分揃えてあげられなかったのが少し心残り。今度、NKTコマンド雷虎(いわゆるMACV-SOGのRT)の作品撮るんだけど、よかったら君も出演してみない?ってお誘いが来たけど、さすがにアトランタは遠いな・・・。ただ今は無理でも、彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。
  


2016年02月19日

台湾 近況

台北滞在三日目に胃腸炎にかかり病院で注射を4本射たれる。

今はいくらか回復したので、台南でロケット花火300万発を発射台に設置中です。


  


Posted by 森泉大河 at 23:35Comments(0)News!旅行・海外【台湾】