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2017年08月07日

第11回ありがとうコンサートとハン・ニョン中佐

米国時間8月6日、今年もカリフォルニア州サンノゼにて『Đại Nhạc Hội Cám Ơn Anh(ありがとうコンサート)』が開催されました。『ありがとうコンサート』は毎年夏にベトナム系アメリカ市民がカリフォルニア州サンノゼとガーデングローブ市の持ち回りで開催しているチャリティーコンサートで、コンサートで得られた寄付・収益は、現在もベトナムに住む元ベトナム共和国軍傷痍軍人・寡婦・遺族への生活支援にあてられます。


Người Việt Daily News: Đại Nhạc Hội ‘Cám Ơn Anh’ ở San Jose, hàng ngàn người tham dự

コンサートの様子はカリフォルニアのベトナム移民系テレビ局SBTNのYoutube公式チャンネルにて、全世界に生中継されました。


SBTNOfficial: LIVE: ĐẠI NHẠC HỘI CÁM ƠN ANH KỲ 11

当ブログも毎年このコンサートを応援しており、今年も滞りなく運んだとの事で、遠く離れた日本からもお祝い申し上げます。
2年前の第9回には、私自身も主催団体のベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会(Hội HO Cứu Trợ Thương Phế Binh và Quả Phụ Việt Nam Cộng Hòa)からプレスとして招待され、現地で取材を行ってきました。
その時の写真の一部はこちらの記事に掲載してあります。また、過去の開催内容についてはこちらの記事にまとめてあります。


しかし残念ながら、今年の『ありがとうコンサート』には、このコンサートを長年支え続けたある女性の出席は叶いませんでした。
彼女の名はグエン・ティ・ハン・ニョン(Nguyễn Thị Hạnh Nhơn)空軍中佐戦後、ベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会会長として長年戦争で身体障害を負った将兵や、戦死者の遺族への支援活動に尽力されてきた元ベトナム共和国空軍の女性将校です。
ハン・ニョン中佐はこの『ありがとうコンサート』の主催者の一人として、ご高齢の身を押して自ら先頭に立って会を率いてこられましたが、第11回コンサートが3か月後に迫った2017年4月18日、カリフォルニア州ファウンテンバレーの病院で息を引き取られました。享年91歳でした。

ベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会会長
グエン・ティ・ハン・ニョン空軍中佐(1927-2017)

 グエン・ティ・ハン・ニョンは仏領インドシナ時代の1927年、ベトナム中部のフエに生まれます。1941年にガールスカウトに入団したハン・ニョン氏は第一次インドシナ戦争中の1950年に、ガールスカウトの指導者として、ベトナム国軍第2軍管区の地方保安部隊『越兵隊(Việt binh đoàn)』に財務スタッフとして参加。後に正式にベトナム国軍の婦人隊員となります。
 終戦後の1957年、ハン・ニョン氏はフエのグエン・チ・フォン軍病院で勤務しますが、そこで多くの傷病兵や未亡人、孤児達を目の当たりにしたことが、後の彼女の人生を決定付けました。
 ベトナム戦争が悪化の一途を辿る1965年、ベトナム共和国軍は男性兵士の不足を補うため、軍の後方支援業務を担う女性軍人(Nữ Quân Nhân)制度を正式に発足し、ハン・ニョン氏は婦人隊の創設および女性軍人学校で教鞭を執った最初の女性将校となります。
 その後、ハン・ニョン氏は1967年にベトナム共和国軍総参謀部勤務となり、1969年には空軍少佐に、1972年には中佐に昇進します。ハン・ニョン中佐その後、1975年までタンソンニュット基地の空軍司令部婦人分団長を務めると共に、1950年以来25年間に渡って軍で勤務するとともに女性軍人の活躍を主導した功績を称えられ、ベトナム共和国最高位の"保国勲章5級(Đệ Ngũ Đẳng Bảo Quốc Huân Chương)"を授章します。

▲中佐に昇進し、総参謀部チャン・タイン・フォン少将によって階級章を交換されるハン・ニョン氏(1972年ジアディン省)

 しかし1975年の敗戦によりベトナム共産党政権に逮捕されたハン・ニョン中佐は、その後4年以上も強制収容所に投獄された後、1990年に家族と共にアメリカに亡命します。以後、ハン・ニョン中佐はカリフォルニア州オレンジ郡でベトナム"政治犯"互助会に参加し、共産党政権に"政治犯"として弾圧される人々への支援活動を開始します。そして1996年にベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会を発足し、以後21年間に渡って同会の会長を務めてこられました。また2006年からは、カリフォルニアのベトナム系音楽企業アジア・エンターテイメント、テレビ局のSBTNと共同で『ありがとうコンサート』を開催し、2017年で11回目の開催となります。ハン・ニョン中佐がこれまでの活動で集めた寄付金は100万米ドルを超えており、現在もベトナム戦争の傷跡に苦しむ元軍人や戦死者の遺族に届けられました。
 このように、今日では大々的に開催されているテャリティーコンサートですが、一方で、私が2年前にコンサートを取材した際には、ベトナム国内で行われる慈善活動はベトナム共産党政府の厳重な管理下にあり、実際には送られた寄付金の半分は支援には使われず、汚職役人や共産党幹部の懐に入れられてしまっているという嘆きもコンサート参加者から聞かれました。そのため当初は、こういった支援活動は共産党政府を間接的に支援する事になるのではと、在米ベトナム人コミュニティの中でも反対の声が多かったそうです。しかしそれでもハン・ニョン中佐らは、今も祖国で苦しむ同胞たちに少しでも支援が送れるのならと、活動を続けてこられました。
 私は、守るべき国家を失ってもなおハン・ニョン中佐が示し続けた同胞への奉仕と人間愛の精神は、これからも在米ベトナム人(ベトナム系アメリカ人)コミュニティの中で生き続けるものと確信しています。

[出典] 
Vietbao.com: Cựu Trung Tá Không Quân VNCH Nguyễn Thị Hạnh Nhơn Qua Đời Sinh Năm 1927 Qua Đời Ngày 18 Tháng 4 Năm 2017, Đại Thọ 91
VOA: Vĩnh biệt bà Nguyễn Thị Hạnh Nhơn  


2017年07月22日

EAリーフをレビュー

先日お伝えしたEast Asia Supplyの新商品、ベトナム共和国軍ERDLグリーンリーフ迷彩作戦服がCLASSIFIEDさんより発売となりました!

CLASSIFIEDさん商品ページ


先日アホカリに参加された方には現物をお見せしましたが、仕上がりは期待以上です!
生地はポプリン生地のERDLグリーンリーフ迷彩を再現しています。裁断はベトナム軍の迷彩服として最もオーソドックスなスタイルの、肩当・エポレット付き2ポケットジャケット、膝当て付き4ポケットパンツです。



ボタンはどのメーカーも再現を妥協しがちな部分ですが、今回のEAリーフのボタンは当時のベトナム製ボタン(厚手タイプ)の雰囲気を比較的再現できていると思います。


このくらいアップで見ると違いが分かりますが、着用してしてしまえば、ほとんど違和感は感じられません。
こだわりたい方は、完成度の高いCLASSIFIEDさんオリジナルのベトナム軍ボタンレプリカが発売されてるので、そちらに交換すればさらにリアリティが増すのでお勧めです。


雰囲気だしにTTSXQT(国防省軍需部装備生産センター)スタンプも再現されています。
この辺は着てしまえば分からないので、おまけみたいなものですね。


なお実際の服のサイズはスタンプされているベトナム軍被服サイズ表記通りではなく、現在一般的なUS-SからXLとなっているので、現代の私たちにはむしろ着やすい裁断となっています。


全体的に、コスプレやリエナクトで実用するには十分な再現度を誇るリプロであり、これを作ってくれたEAは流石だなと思います。
これが完売してしまえば、次にこのレベルのレプリカが入手できるのは何年後になるか分かりません。
ベトナム戦争コスプレに興味がある方は、迷わず最低一着は持っておくべき服だと思います!
さらに、この服さえあれば、1967年以降のベトナム共和国軍地上戦闘部隊の再現がほとんど何でも出来ちゃいます。

BĐQ (レンジャー大隊)

ND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (師団付き偵察中隊)

LĐNN (海軍フロッグマン/SEAL部隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術局)MACV-SOG


またこれらの部隊を指導していたアメリカ軍、オーストラリア軍のアドバイザーたちも同じベトナム軍リーフ迷彩服を着用していました。
このようにリーフは何着持っていても困らない服なので、手に入るうちにご注文される事を強くお勧めします!


  


2017年07月08日

新ブログスタート

これまで当ブログでは、現在ベトナムの国内外で行われている民主化運動や、それに対するベトナム共産党政権による凄惨な弾圧について度々お伝えしてきましたが、この度、そういった戦後および現代ベトナムの社会問題に関するブログを新たに立ち上げました。

やはりどんなに真剣にそういった問題を扱っていても、他の記事で『戦争ごっこ』などという常識を欠ていると見られかねない遊びをしているようでは、ちょっと説得力に欠けるよなと前々から思っていました。

そこで、ちょうど先日、お台場で行われた在日ベトナム人によるベトナム共産党政権への抗議デモを取材し、そこで知り合った皆さんに必ずブログに書きますと約束したので、この際新しくブログを作る事にしました。これまでこの一番槍ブログに載せてきた記事も掲載してあります。

ベトナムウォッチ ※ブログ名を変更しました。


今後戦後および現代ベトナム関連の話題はこちらのブログに書いていきますが、記事をアップしたら一番槍の方にもリンクを貼ってお知らせします。

興味のある方は是非ご覧いただき、テレビでは報じられない、ベトナム国民の生の声に少しでも耳を傾けて頂けたら幸いです。
  


2017年06月15日

映画 Trên Bốn Vùng Chiến Thuật ── 四つの戦術地区で ──

前回の記事に「おまけ」として書きましたが、改めて記事にします。

ベトナム出身で米国在住のセミプロ映像作家の友人が監督し、僕も制作に関わった新作ドキュメンタリー映画『Trên Bốn Vùng Chiến Thuật (四つの戦術地区で)』が6月18日(僕の誕生日!)に米国のベトナム移民系テレビ局SBTNで放映され、翌6月19日『国軍の日(Ngày Quân Lực)』にDVDでリリースされます!
この『四つの戦術地区で』は、元共和国軍人やご遺族へのインタビュー、現在の戦跡、当時の記録映像と再現VTRなどで、若い世代の目線からベトナム共和国軍とベトナム戦争の歴史を紐解いていくドキュメンタリー映画です。

画像: SBTN chuẩn bị trình chiếu và ra mắt DVD bộ phim tài liệu “Trên Bốn Vùng Chiến Thuật”


新たにDVDのCMが公開されました。



僕もまだ完成版は見てないのですが、監督本人から、本編にはタイガもけっこう登場しているよ、と教えてもらいました。
たぶんここら辺の映像が使われていると思います。

サイゴン 独立宮殿(旧総統府)

ビエンホア国軍墓地


米国ジョージア州およびケンタッキー州 ドラマ・再現VTR撮影



去年4月、彼がHồi Ức』製作しSBTNで放映された事を記事にした時、僕はこう書いていました。

「彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。」

しかし、まさかその3か月後に二人でベトナムを旅し、12月にはアメリカで一緒に映画を撮る事になるとは予想だにしていませんでした。
しかも彼は、彼と出会う前に僕が日本で友達になった別の在日ベトナム人とドンタップ省の中学校で同級生だったという奇跡まで発生しました。
地球狭いとは言ったけど、狭すぎるだろ!(笑)
  


2017年01月21日

ベトナム人とドナルド・トランプ



 昨日、ついにドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任してしまいました。私が付き合いのあるベトナム人およびベトナム系アメリカ人のほとんどは熱烈なトランプ支持者なので、選挙の時からず~と、Facebookを開けば毎日トランプへの賛辞にあふれていて、人間の心の弱さというものを嫌というほど見せつけられました。

 彼らがそこまでトランプを支持する主たる動機、それは中国への憎悪です。
 本土ベトナム人にとって、ベトナムは第2次インドシナ戦争終結後、常に中国からの圧力に晒されており、もともと中国へのコンプレックスが強いベトナム人の反中感情は近年の中国の南シナ海への進出によってより強まっています(ベトナム共産党は中国からの莫大な援助によって戦争に勝利したのだから戦後中国がその投資を回収しようとするのはある意味当然ですが)。またベトナム共産党政府は国民のガス抜きのため領土問題で中国との対立を装っているものの、実際にはベトナム経済の中国依存は強まるばかりであり、ベトナム政府が中国の言いなりである事はベトナム国民も理解しています。だからこそ彼らは、自国の政府ではなくアメリカのトランプに、中国弱体化の期待を抱いているのだと私は見ています。
 またベトナム(難民)系アメリカ人にとって、彼らの祖国ベトナム共和国はベトコンを介した中国の侵略によって滅ぼされており、1954年の南北分断よりも遥か彼方に分断された彼ら難民の恨みと悲しみが消え去る事は永遠にないでしょう。さらに現在は、第二の故郷アメリカの経済が下火になる一方で、中国が国際社会におけるプレゼンスを増しており、彼らの中国への憎悪と劣等感は頂点に達していました。そこにドナルド・トランプ出現したことで、彼らは既存の日和見主義政治家とは違う強固な(=他人の意見に耳を貸さない)政治姿勢のトランプならこの状況を変えられるかも知れないという期待を抱いてしまいました。またベトナム系コミュニティの中心にいる元ベトナム共和国軍人たちはトランプの支持基盤の一つであるアメリカ軍退役軍人協会と強い結びつきもあり、ベトナム系市民の中でもトランプ支持が拡大してしまいました。この流れはアメリカ以外に住むベトナム難民系コミュニティでも同じような傾向があるように見えます。

 以上が、彼らがなぜトランプを支持するのかについての私なりの理解ですが、私はこのような憎悪と劣等感に突き動かされた政治選択に強い懸念を抱いています。すでに大統領選の時点で、ベトナム系市民はアメリカ社会全体と同様に、トランプ支持と反トランプで大きく分断されていました。選挙とは常に人々の意見が対立するもので、それ自体は悪い事ではないのですが、今回の選挙がこれまでと違う所は、選挙の後もその対立感情が強まる一方だという事です。
 あるトランプ支持派の元ベトナム共和国軍人は大統領選の直後、トランプへの反対を述べたベトナム系の若者に対し、「お前らは負け犬だ」、「アメリカから出ていけ」などの罵詈雑言を浴びせていました。またある時は、オバマ大統領を(明らかに黒人であるという理由で)ゴリラに見立てて、「猿は檻(刑務所)に入れ」という内容の書き込みがベトナム人の間で大量にシェアされていました。また私と懇意にして下さっている元共和国軍人の方も、反トランプデモについて度々嫌悪感を露わにしています。「ほら見ろ、あいつらは暴動を起こした。反対派はアメリカの敵だ」と。
 私はそれを見ていて、「そんな考え方してるからあんたらの国は潰れたんだよ」と思ってしまいました。今まであえて書いてきませんでしたが、正直、戦後の元共和国軍人たちの多くは、敗戦の原因を全て中国や共産主義者のせいにして、自国の政府が行った暴政や弾圧が国内のベトコンを拡大させた事実については無視し続けています。彼らには家族や国を失い、言葉の通じぬ異国に逃げざるを得なかったという非常に辛い過去がありますし、私自身も現在まで続くベトコンによる国民へのテロリズムを憎んでいるので共和国軍人への敬意を持ってこのブログを書いてきましたが、あの時代のあの政府が最善の選択をしていたとは到底思えません。残念ながら彼らの味わった悲しみと絶望感は、彼から過去の自分たちの過ちを反省するという判断力を奪ってしまったように思えます。

 本題に戻りますが、このような自分と異なる意見に対し、それを愚かな事だと決めつけ、話を聞かず、排除しようとする安直な思考は、人権や文化の多様性を奪う、民主主義に最も逆行する行為だと私は断言します。曲がりなりにも民主主義・自由主義という理念を牽引していたアメリカ合衆国が、感情論に流されて自らその理想に背を向ける事は、アメリカ国民ひいては世界の未来に暗い影を落とす行為ではないかと思いっています。レッド・チャイナが憎いからと言って、ホワイト・チャイナになったのでは意味が無いのです。
 なので私は、友人全員を敵に回す覚悟で、あえてトランプ本人およびその支持者の一部は民主主義への理解が欠けており、危険な排外主義であると批判しました。また昨晩はトランプの大統領就任式の生中継を見ながらベトナム人たちがお祭りをしている最中、私は彼らに向けて、オバマ大統領が最後のホワイトハウス記者会見で報道陣に対して述べた言葉を投稿しました。



"But I have enjoyed working with all of you. That does not, of course, mean that I’ve enjoyed every story that you have filed, but that’s the point of this relationship. You’re not supposed to be (inaudible) fans, you’re supposed to be skeptics, you’re supposed to ask me tough questions. You’re not supposed to be complimentary, but you’re supposed to cast a critical eye on folks who hold enormous power and make sure that we are accountable to the people who sent us here, and you have done that."

「私は皆さんと一緒に楽しみながら仕事をしてきました。もちろん、あなた方が書いたすべての話を楽しめた訳ではありませんが。しかしそれこそがこの関係に大切な事なのです。あなた方は私のファンではないし、私を懐疑的に見ており、厳しい質問を投げかけるでしょう。あなた方は私を称賛しないでしょう。しかしあなた方は巨大な権力を持つ者に批判的な目を向け、我々をここホワイトハウスに送ってくれた国民に対し責任がある事を認識させてくれました。」

"And so my hope is is that you will continue with the same tenacity that you showed us, to do the hard work of getting to the bottom of stories and getting them right and to push those of us in power to be the best version of ourselves and to push this country to be the best version of itself.
I have no doubt that you will do so, I’m looking forward to being an active consumer of your work, rather than always the subject of it. I want to thank you all for your extraordinary service to our democracy."

「そして私の望みは、今後もあなた方が私に見せたように粘り強くある事です。徹底的に取材し、正義を求め、権力の座にある者、そしてこの国を最善の状態にすべく仕事に打ち込む事です。私はあなた方がそうすると信じて疑いませんし、今後もそのニュースの題材よりも、あなた方がその仕事の積極的な担い手であることを楽しみにしています。私は皆さんの民主主義への特段の貢献に感謝したいです。」

"if you find yourself isolated because the process breaks down or if you’re only hearing from people who agree with you on everything or if you haven’t created a process that is fact-checking and probing and asking hard questions about policies or promises that you’ve made, that’s when you start making mistakes."

「物事がうまくいかずに孤立した時や、自分に同意する人たちからしか話を聞こうとしない時、事実確認をせずに物事を進め自身の政策や公約に対し手厳しい追及を受ける時、それは間違いを犯す時なのです。」

The New York Times
Obama’s Last News Conference: Full Transcript and Video (JAN. 18, 2017)

 投稿してすぐに、予想通りオバマは詐欺師、容共、イスラムシンパなど批判的な書き込みが相次ぎました。もうタダでベトナム人の家に泊めてもらえないかもね。でもこのくらいで縁を切るような度量が狭い人間とは最初から付き合う気はないので、別に良いのです。それにFacebookで友達になったベトナム人500人のうち、5人はイイネ!してくれたし(笑)、ベトナム系アメリカ人の中にもオバマ大統領を擁護する声は存在しました。しかしトランプ支持派と反対派で口論になり始めたので、私としては以下の考えを述べて締めくくりました。

"Thank you all for give me your opinions. I don't know actually his domestic politics because I'm not in America, and the news from foreign lands have been reported in fragments in Japan. I just know American society has big and deep problems still now so it is natural that people find fault with Obama. Of course excepting a violence even there is any reason, I believe that the act of criticizing makes the wholesome Democracy."

「みんな意見をくれてありがとう。僕はアメリカに住んでるわけではないし、外国のニュースは日本には断片的にしか入ってこないから、実際のところ僕はオバマ政権の内政に関してはよく知らないんだ。ただアメリカ社会はいまだに大きく深刻な問題を抱えている事は知っている。だからオバマ政権の問題点が指摘されることは当然の事だと思うよ。もちろんいかなる理由があろうとも暴力に走る事を除いてだけど、『批判する事』こそが健全な民主主義を作るのだと信じているよ。」


当てつけも含んでいるけど、僕の意図が伝わってくれていればいいなぁ。
  


2016年12月30日

2016年の思い出



2016年1月
例年通り元日に、ベトナム寺の陽暦節(Tết Dương lịch)に初詣。

2月
念願のアオヤイ着て元旦節(Tết Nguyên Đán)の初詣。

台湾の医療・健康保険制度を視察。(観光してたら急性胃腸炎になり病院を4回受診、注射を計8発射たれる)
でも気合いで鹽水蜂炮に参加。祭りの翌日、行程をギブアップして緊急帰国。

3月
雪で通行止めの道をスニーカーのまま歩いて進めという業務命令を忍耐で遂行。

4月
地方軍撮影会に参加。ヒルに脚を3カ所食われてブーツとズボンが血まみれになる。


一人フランス連合撮影会。上半身だけコスプレ

ベトベトマニアにレンジャーとして参加。

ベトベトでもフランス連合軍プチ撮影会。

4月30日、ダニエルおじさんの妹さんの店でお食事。

5月

数年ぶりに家族全員集まって庭でバーベキュー

6月

Sくん、Tくんとベトナムフェスティバル、江戸東京博物館に。
さらに翌日Sくんと東京国立博物館、ニコライ堂を周る。


『帰ってきたヒトラー』を鑑賞。出来が良すぎて笑えない映画。
現実に、世界はこの作品が警鐘を鳴らした通りの方向に進もうとしている。
中国もロシアもヨーロッパもアメリカも、そして日本も。
浅はかな大衆心理と結びついた国家権力がいかに邪悪で恐ろしいものか、今一度歴史を振り返ってみる必要があります。

7月

急遽ベトナムに行く事に。

現ドンナイ省スンロクに残る第18歩兵師団前線指揮所跡

ビエンホア国軍墓地の霊廟『死士殿(Tử Sĩ)』にお忍びで参拝。

なおベトナムでは、放し飼いの犬に餌をあげてたら手の指を噛まれてしまったので、帰国後ソッコー成田空港内の病院で狂犬病と破傷風のワクチンを接種。その後も計5回、2か月間に渡って継続的に狂犬病の予防注射を受ける羽目となりましたface07


アホカリ2016

8月

シン・ゴジラを観に行く。予想外の出来に度肝を抜かれる。以後、今までに計5回観ました。

9月

2月に台湾でお世話になったSさんが来日。恩返しに4日間同行して関東各地を案内しました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e796527.html

ベトベトマニア。前回に引き続きレンジャーで参加。

10月

キャンプがてらプチ撮影会

11月

前線司令部撮影会
http://ichiban.militaryblog.jp/e815017.html

12月

2度目のアメリカ訪問。ケンタッキーでフリーメイソンおじさんとそのお友達にデカい銃をたくさん貸してもらう。

ジョージア州でアマチュア映画の撮影。僕はまさかのベトコンゲリラ役。
外は気温3℃。ベトナム戦争のはずなのに息が白い・・・。
しかも頭から血糊ぶっかけられて、滅茶苦茶寒かったです。

カリフォルニアに移動して、LAとリトルサイゴンで計5名の元ベトナム共和国軍将校の方々を取材&ドキュメンタリー撮影。
なかでも1975年4月30日の朝、ズォン・バン・ミン総統からの降伏命令を拒否して最期まで共産軍への抵抗を続けた第81空挺コマンドのファム・チャウ・タイ少佐(写真左)は、マスコミ嫌いなので普段はベトナム難民系メディアであっても取材は受けないそうですが、今回は若い世代の情熱に応えたいという事で、特別に我々の取材に応じて頂けました。
あと偶然にも、ロスの空港から載ったタクシーの運転手のおっちゃんが、かつてベトナムに従軍した元韓国陸軍猛虎師団の兵士でした。リトルサイゴンの隣はコリアンタウンだから、探せば韓国軍のベテランも沢山住んでるんだろうな。

帰国後、インドネシアからの旅行者に同行して観光案内。
築地場外市場、浅草寺、皇居外苑、河口湖、忍野八海、御殿場のアウトレットを周りました。



今年を振り返った感想

今年はいろんな体験をし過ぎて、なんか1年間という感覚がよく分からなくなりました。計40日くらい国外に出てたし。
台湾やベトナムが大分昔の事のように感じますが、まだ1年も経ってなかったんですね。

悲しい事に、今年ついに日本国内で犯罪を犯した外国人はベトナム人が最多となってしまいました。
またベトナム国内のインターネットを見ていると、学校や街中での集団リンチを撮影した映像が毎日のように報じられています。来る日も来る日も暴力、暴力、暴力の連続。
地方では、今年も水害によって農村地帯で大勢の死者がでました。
ある警察官は、その水害で亡くなった子供の遺体の横に座り、笑顔でピースサインをしている写真をSNSにアップして炎上していましたが、政府によるお咎めはありません。
ベトナム社会主義共和国において何よりも優先されるのは『秩序』、つまりベトナム共産党と公権力の保護であり、次に金。おそらく道徳や人権、そして人命は一番最後でしょう。
そんな抑圧と矛盾に満ち鬱屈した社会で、人が健全に育ち、希望を持って生きるのは容易な事ではないのかも知れません。

今年は多くの友人たちと出会い、彼らの優しさや友情に幾度となく感動した一年でした。
しかし同時に、人の世にはびこる悪の根深さを痛感し、強い悲しみと怒りを覚えた一年でもありました。

来年はどういう年にしたいか。
毎年、ちょっとは考えてみるものの、特に何の抱負も浮かばないので、なるようにしかならないという考えで生きてきました。
しかしここ数年の体験を振り返ると、この「なるようになる」が、想像もしていなかった素晴らしい出会いを運んできてくれました。
だから来年も、このままなり続けてくれ!お願い年神様!


おまけ
今年食べた二郎&二郎インスパイア

  


Posted by タイガ at 22:10Comments(0)News!

2016年06月06日

ブログのデザイン変更

 このブログ始めたのが2013年8月なので、もうすぐ3周年を迎えるのを機に、ブログのPC向けデザインをちょっといじってみました。
 まず、今までウィンドウ幅100%のデンプレートを使っていたせいで文章が横に長くなりすぎて読み辛いと感じていたので、今更ですが幅を縮めました。ただ、ミリブロに最初から用意してある幅の狭いテンプレートを使うとあまりに狭くなりすぎて画像が見辛くなるので、仕方なく自分でHTMLタグをいじりました。僕はこういう作業は素人なのですが、Google Chromeの『検証』って機能使うと、どのタグがどの部分を意味しているのか視覚的に分かって非常に楽ですね。そんで新しい幅は、今まで画像やYoutubeの埋め込みによく使ってきた640pxにしました。(あと両サイドのリンクとかも少し広げました。)
 しかし問題もありまして、過去の記事に載っている画像のうち幅が640pxより大きいものは当然ながらケラレちゃいます。どうしよう。過去の記事全部修正するのは大変過ぎる・・・。うん、もうこの際過去記事なんてどうでもいいや。過ぎた事は忘れよう。多少見辛くなるけど十字キーやスクロールで見る気になれば見れるし。
 あと、よそ様のブログ見てて、うちも画面の上にバナーがあったら良いのになと思っていたので、無理やり追加。他のテンプレートのタグをコピペしたら割とすんなりできました。やったー


≪変更前≫

 


≪変更後≫


うんうん。だいぶ普通のブログっぷくなりましたね。文章も前よりは読みやすくなりました。


なお、初バナーに使用した画像はこちら。

アメリカ空軍のC-130輸送機に乗り込む(or降り立った)ベトナム共和国陸軍空挺師団の兵士たち。(1971年2月1日)
 空挺師団はベトナム戦争中、ベトナム空軍のC-119やC-123輸送機からの空挺降下作戦を幾度も実施しているけど、この写真は装備からして降下ではなく単なる移動のようです。またC-130は貨物室が密閉、与圧されているはずなので熱帯地域で普通ここまで防寒着は着ないはずなんですが、みんなM65ジャケットを着込んでますね。これはおそらく、翌週2月8日から開始されたラムソン719作戦に備えてケサンあたりに移動してるところだと思います。ラムソン719の進攻目標であるラオスの山岳地帯は標高が高く、天候によっては気温がかなり低くなるので防寒対策は必須でした。


 ついでに、3年記念にこのブログのアクセス解析を振り返ってみると、一日の訪問者数はだいたい60~90件、ページビューは100~250件くらい。アクセス元はブックマークが一番多くて、1ヶ月に1400~1500件。という事は、1日平均48人はブックマークから見に来ていて、残り12~42人くらいが検索エンジンから来ているという計算になりますね。
 検索に引っかかるのはともかく、ブックマークしていただいている方がこれだけ居らっしゃるという事に、正直驚いています。僕としてはこのブログは決してマイナー路線を狙っている訳ではなく、むしろ歴史としてのベトナム戦争の一番オーソドックスな部分を率直に見ているつもりなのですが、それでもこの分野は趣味の世界でダントツ不人気なのは承知しているで、こんなに見に来る人がいるというのは意外でした。また、イベントなどで読者の方に声を掛けて頂くことも増えて、読んでくれている人が居た事を実感できて嬉しくなります。
 僕がこのブログを書く理由は、あくまで自分の頭の中の情報を記録に残す、そしてそれを他人に見せて自己顕示欲を満たすという自分自身の楽しみの為であり、人様の役に立ちたいなどとは考えたこともないですが、それでも見て下さる方が居るというのは表現者として幸せな事だと感じています。
  


2016年04月30日

2016年の『30-4』

過去の記事

41年前の今日、1975年4月30日。
ベトナム共和国の首都サイゴンがベトナム人民軍の侵攻の前に陥落し、15年間続いたベトナム戦争が終結しました。
総犠牲者数700万人以上と言われるこの戦争は、ベトナム共産党(当時はベトナム労働党)のテーゼ通り南北ベトナムの統一という形で幕を閉じ、現在もなおベトナム政府によって『侵略者アメリカとその傀儡政権からベトナム人民を救った英雄的偉業』と喧伝されています。
しかし1975年以降、戦争に勝利たベトナム共産党によって強行された一連の『解放』によって100万人を超える難民が発生し、ベトナム民族に新たな分断をもたらす結果となった事実は、日本ではあまり知られていません。
実際には、日本には1975年から1980年代にかけてボートピープルと呼ばれるベトナム難民が多数入国しており、その内約1万人が日本に定住しています。
その一方で、戦争当時ベトナム反戦運動で勝手に盛り上がっていた日本社会は、彼らが何故戦争の最中ではなく、終戦後の『平和になったベトナム』から逃げ出さざるを得なかったのか理解に苦しみ、そしてあれだけ声援を送っていたベトナム人民に対し急に冷淡な目を向けるようになりました。
中には、「ベトナム難民などアメリカの傀儡として人民を苦しめてきた圧政者の家族なのだから苦しんで当然」と公言する元反戦運動家も居たといいます。
それは極端な例だとしても、日本における一般的なベトナム戦争に対する理解は、ほとんど当時のメディアによる(アメリカ批判に終始した)戦争報道で終わってしまっていると言えるでしょう。

私の友人のある在日ベトナム難民二世の青年は、私にこう言いました。

「日本でベトナム戦争と言うと、アメリカとベトナムの戦争だと思われてるんですよね。。。日本は親越なのになんでですかね?」

私「日本人はベトナムが大好きだよ。日本では右翼も左翼も、アメリカを非難するためにベトナム人の死を利用し、韓国を非難するためにベトナム人の死を利用し、中国を非難するためにベトナム人の苦難の歴史を利用しているんだもん。日本人は、そういう利用価値がある国を『親日』と呼んで大好きになるんだ。」

彼「ああ、なるほど・・・」

私「あ、もちろん右翼連中は第二次大戦中に日本軍の軍政下で百万人のベトナム人が餓死したなんて話は無かった事にしているから。むしろ日本兵はベトナム独立戦争に協力してやったんだから感謝しろって言ってるよ。そしてそれに同調しない外国人は『反日』だから人種差別の対象さ。君も気をつけないと、馬鹿どもに『反日外国人』として嫌がらせされるよ

彼「本当にあの人たちすごいですよね・・・(呆れ顔)」



私がベトナムという国の歴史に興味を持って十年ほどが過ぎましたが、こうして生でベトナム人と接する機会が増えた(ネットを含めると日本人よりベトナム人と話す機会の方が多いかも)ことに、不思議な縁を感じずには居られません。
先日は、『映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で』で紹介したハウ・ルック君が、実は僕の友達の日本在住ベトナム人S君と、ベトナムの中学校で同級生だったことが発覚しました。僕もルックも、それを聞いてびっくら仰天。
なんでも子供の頃は家が近所で、よく一緒にTVゲームをして遊んでいたそうです。そんな二人が中学卒業後離れ離れとなり、それぞれアメリカと日本に渡って生活している中で、別々に日本に住む私と友達になり、その縁で10年ぶりに同級生と再開するという。なんという偶然。世界狭すぎだろ・・・。

↑ハウ・ルック監督作品『記憶』の予告編ロングバージョン公開されてます。



そして今日は、4月30日だからって理由ではありませんが、都内某所のベトナム料理レストランにお邪魔してきました。
ホア少尉の戦友で、元CCN RTダコタ所属のフォー・ズン氏から、「私の妹が日本でレストランやってるよ!」と連絡があったので、妹さんに連絡を取ってランチを食べに行ってきました。
まぁお店は普通の飲食店だし、妹さんは戦後生まれなので戦争の話なんてしませんでしたが、日本に来る前はアメリカに住んでいたためホア少尉とも親しく、共通の友人を介してこうして日本でお会いできた事をとても嬉しく思います。
また今日・明日はお店として熊本地震へのチャリティーを行っており、売り上げは全額熊本県へ寄付されると言う事で、普段ケチな僕も奮発して1500円のランチを頂きました。
僕は、2011年の東日本大震災の時も在日ベトナム人の皆さんが、自費で日本を応援する横断幕をつくり、ベトナム人コミュニティーの間で募金活動する様子を取材してきましたが、今回もまた暖かなお心遣いを頂き、日本人として感謝の念にたえません。


Cam ơn rât nhiêu!
  


2016年04月09日

映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で

 以前『リエナクターの輪』で紹介した"My bro"ハウ・ルック君(25歳)の監督作品が、カリフォルニアのベトナム移民系テレビ局SBTN(Saigon Broadcasting Television Network)で放映される事が決定しました。SBTNの公式サイトに詳細が掲載されていますので、その全文を邦訳したものをここに記します。

引用: Saigon Broadcasting Television Network
http://www.sbtn.tv/vi/tin-cong-dong-hai-ngoai/sbtn-trinh-chieu-phim-hoi-uc-goc-nhin-nguoi-linh-cong-hoa-tu-he-thu-ba.html


映画『記憶』SBTNにて放映決定:共和国軍兵士三世の視点で

 今年の"暗黒の四月(サイゴン陥落)"を記念し、SBTNテレビは『記憶(Hồi Ức)』と題された全12話の短編映画を放映します。この作品はSBTNと若干25歳のアマチュア映画監督ハウ・ルック氏との共同制作作品です。この作品はおそらく、海外在住ベトナム人コミュニティにおいて、共和国軍兵士の孫の世代が彼らの祖父達を描いた初の映像作品であり、彼らが祖父たちの時代をどのように理解しているかも見所です。


画像: 映画『記憶』より

 ベトナム ドンタップ出身のハウ・ルック氏は今から10年前、15歳の時にベトナムを去り、アメリカ合衆国ジョージア州に移住しました。彼の祖父は元ベトナム共和国軍の空挺部隊兵士でした。ハウ・ルック氏は少年時代にベトナム本土で受けた"社会主義教育"を覚えており、教師たちは今だに、1975年以前の南ベトナムの政権関係者を"米帝の傀儡"、"猟犬"、"売国奴"と罵り、子供たちに旧政権への憎悪を繰り返し植え付けていたといいます。
 彼はある日、家で両親と祖父母が"私たちの国"について話しているのを聞きました。「ちくしょう、共産のやつらめ・・・」という声が聞こえてきました。ルック氏は子供ながらに好奇心に駆られ、独学で歴史を勉強するようになり、ついに教師の教える歴史は事実とは全く異なる捏造だという事に気付いてしまいました。そして再び授業中に教師が"米帝の傀儡"を非難したとき、ルック氏は席から立ち上がって反論しました。すると教師はルック氏を「クソ反動め!」と罵ったといいます。休み時間になり、ルック氏の周りには「なんであんな事を言ったの?」とクラスメイト達が集まったので、ルックは知っている事を説明したそうです。

 家族の過去、そして少年時代の好奇心から、ルック氏は次第にベトナム共和国軍人への憧れを強めていきました。さらにアメリカに移住した事で、ベトナム本土では"勝者(ベトナム共産党)"と"融和を拒んだ者(旧ベトナム共和国政府)"という歪んだ二元論によって隠蔽・捏造されているベトナム共和国時代の真実の情報が得られ、その情熱はさらに燃え上がっていきました。彼は共和国軍に関するアイテムに魅了され、彼の家は小さな軍事史博物館と化していきました。

 それから彼は、共和国軍人への敬意を何らかの形で示そうと考え、戦時中の自分の祖父を演じることにしました。映画への情熱と学習意欲を持つ彼は、理系大学で学んでいるもののあえてCGを用いない映画を目指しており、モンタージュ技法を得意としています。そして彼は共和国軍の兵士テーマとして短編映像を制作し、それを大学生アマチュア映画コンテストに出品すると、作品は見事入賞を果たしました。

▲全米学生映画祭(Campus MovieFest)に出品されたハウ・ルック氏の監督作品『Nightmare』

 この作品をきっかけにSBTNテレビは彼の存在を知り、我々は彼を奨励すると共に彼の情熱がさらに実を結ぶようサポートする事となりました。こうして生まれたのが『記憶』と題された12の短編映画です。

 ハウ・ルック氏は自身について、ワンマンバンドのようなアマチュア映画監督だと冗談めかして答えました。各フィルムは20分ほどの短編であり、作品のプロットは全て共和国軍兵士達の証言に基づいています。ストーリーはルック氏自身が元空挺部隊、海兵隊、レンジャー隊員などから聞き取った実話であり、また作品に使われている衣装、軍装品などはすべてルック氏個人のコレクションが使用されています。映画に出演する俳優はルック氏の情熱に賛同する若い仲間達であり、彼らもまた映画を作る中で自分自身のルーツを学び、探求する喜びを分かち合っていきました。

 一方でルック氏は、自分ひとりの情熱だけでは当時の歴史・政治の側面を詳細に調べきるには不十分だとも自覚しています。彼の映画は、正直だが思慮深い者、家庭的だが誇り高い者、温和だが祖国と同盟国の為に自分を犠牲にする覚悟がある者など、共和国軍兵士の人生の物語を再構成しようとするものです。その為、我々はこの記事を読まれている元共和国軍兵士からのお便りを心からお待ちしております。あなたの物語は、この熱意と誇りに満ちた若き映画製作者の作品に特別な魂を吹き込み、あなた自身の人生の価値を後世に残すものとなります。

 『記憶』は、海外で生まれ育った若い世代が、自分達の祖父・父親の世代が辿った物語を尊重する作品です。そこには軍隊時代の良き思い出と共に、祖国防衛を果たせなかった無念が綴られています。『記憶』のように、世代と世代との認識がつながっている限り、ベトナム共和国の歴史は決して忘れ去られる事のないものだと信じます。

 またルック氏は『記憶』を通じて、ベトナムに住んでいる若者に、我々の世代は何をすべきか、情熱をどこに向けるべきかを考えて欲しいと語っています。

 映画『記憶』は2016年4月15日よりSBTNにて放映を開始します。『記憶』は海外在住ベトナム人にとって今年の暗黒の四月を記念するものであり、また同時に全てのベトナム共和国軍兵士へ捧げる、意義のある作品であります。

ドアン・フン / SBTN


映画『記憶』予告編

【あとがき】
 ちなみに彼らが着ている衣装のうち何着かは、僕が日本で代理購入し発送したリプロ迷彩服。このような記念碑的な作品に、自分も衣装協力という形で関れた事を大変光栄に思います。でもルックから衣装を集めて欲しいと依頼された時には、既に品切れになっている商品が多くて、人数分揃えてあげられなかったのが少し心残り。今度、NKTコマンド雷虎(いわゆるMACV-SOGのRT)の作品撮るんだけど、よかったら君も出演してみない?ってお誘いが来たけど、さすがにアトランタは遠いな・・・。ただ今は無理でも、彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。
  


2016年02月19日

台湾 近況

台北滞在三日目に胃腸炎にかかり病院で注射を4本射たれる。

今はいくらか回復したので、台南でロケット花火300万発を発射台に設置中です。


  


Posted by タイガ at 23:35Comments(0)News!旅行・海外【台湾】

2016年02月08日

元旦節2016

皆様、新年あけましておめでとうございます!

今年は元旦節(Tết Nguyên Đán)を祝い、正装で初詣に行って参りました。 (正確には、陽暦2月6日なので年明け前ですが。)

 


お寺に誰も居なかったら、敷地の外で黙ってゲリラ撮影しちゃうつもりでしたが、翌日の元旦節のお祭の準備で、寺の関係者が数名居られたので、ちゃんと許可を得て撮影しました。
突然日本人(彼らにとっては外国人)の男がアオザイ持参で現れ、「ベトナムが大好きなんです!この服着て写真撮っていいですか?」と言い出したので、困惑と言うか、変な奴も居るもんだなって空気になってました。
日本人が滅多に羽織袴を着ないのと同じで、今日日ベトナム人ですら(成人男性は)アオザイ着る機会なんてほぼ無いからね(笑)

ちなみに、このアオザイは去年カリフォルニアのベトナミーズショッピングモール"Phước Lộc Thọ"で買ってきたやつ。日本じゃ男性用のアオザイ、特に頭に被るカンドンがなかなか売ってないんですよね。
(女性のアオザイも、正装の時はカンドンを被ります。ノンラー(笠)は日よけの為の日用品であり、正確には民族衣装ではありません。)

Phước Lộc Thọはこんな感じでした。

 


 

このモールには、南カリフォルニアで僕をお世話してくださったトム・トラン氏と一緒に行きました。
僕がそこで「アオザイ欲しい」と言うと、トムが衣装屋さん(民族衣装やら社交ダンスのドレスやらを扱ってる店)のおばちゃんに、日本からこういう若者が来てくれているんだよ、と説明してくれたお陰で、メチャメチャ値引きしてもらうことが出来ました。
ありがとうございます。お陰さまで、アオザイ着てベトナム寺で元旦節を祝うという長年の夢がついに叶いましたface02
  


2016年01月31日

期待の新作

先日FacebookのEA公式アカウントがチラッと公開した写真


待ってましたーーー!
多分最初は米軍TCUを作るんだろうけど、この生地(ノンリップ)は米軍ではほとんど使われなかったんだから、最終的にはあれを作ってくれるに違いない!(と思いたい)
その服さえあれば60年代末のベトナム軍がほとんど何でも出来ちゃうんだから!

BĐQ (レンジャー)

SĐND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (偵察中隊)

LĐNN (海軍潜水工作隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術総局)

まだ公式発表は何も無いけど、勝手に期待しています。ワクワク




思い起こせば、2008年に初めて本栖のイベント(当時はMVG2008)に参加した時も、2ポケERDL(東京ファントム製)着てた。
単純に見た目のカッコ良さ的にも、ERDLは僕が一番好きな迷彩柄なんです。


プロジェクト・デルタ (LLĐB第81空挺コマンド大隊)のつもり
  


2016年01月26日

ベトナムで大雪...

東アジア全域を襲っているこの異常な寒波は、日本でもニュースになっていますが、
一昨日にはハノイに住んでる友達からこんな写真が送られてきました。

2016年1月24日ハノイ市内


さらにハノイより200kmほど南に位置するゲアン省もこんな状態。

 


最低気温-4℃って、ウチより寒いじゃん。。。

ベトナムでは過去にも、2013年に中国国境に面するライカオ省サパで雪が降り、その地域の農業に深刻なダメージを与えたそうですが、今回のはそれを大きく上回る異常気象ですね。
『ベトナム北部に降り続ける「異常な降雪」での被害が拡大』 地球の記録 http://119110.seesaa.net/article/383540111.html
『Sa Pa snowfall damages farms』 Viet Nam News http://vietnamnews.vn/society/249033/sa-pa-snowfall-damages-farms.html

一方、ベトナム国内では、積雪を珍しがって見物に来る人が大勢いるそうで、当局は交通事故等を警戒し、降雪地域での『観光目的』での移動を4週間禁止にしたそうです。
『Những lưu ý khi du lịch vùng băng tuyết』 VTC News http://vtc.vn/nhung-luu-y-khi-du-lich-vung-bang-tuyet.594.592310.htm

普段温暖な台湾では、家庭に暖房器具が無いために、この寒さで高齢者を中心に80名以上が低体温症で亡くなられたそうです。
当然、台湾よりもはるか南に位置するベトナムの一般家庭に暖房なんてまず無いでしょう。まだそういったニュースは伝わってきていませんが、心配です。


以下、私事
実は僕、日本の寒さから逃れるために来月台湾旅行に行く予定だったんですが、寒いのかなぁ・・・
  


2016年01月13日

グリーンベレー"ベトナム"フラッシュ復活

アメリカ合衆国陸軍特殊作戦部隊"グリーンベレー"は、第5空挺特殊部隊群(5thSFG(A))のベレーフラッシュのデザインを更新し、その切り替えセレモニーを2016年3月26日にケンタッキー州フォートキャンベル基地で行う事を発表しました。
新たに制定されるベレーフラッシュは、1964年から1985年にかけて5thSFG(A)が使用してたデザインに回帰したもので、ベトナム派遣時代に制定された旧ベトナム共和国の国旗をあしらったデザインとなっています。
このベトナム国旗デザインの復活は、5thSFG(A)がベトナム戦争において多大な役割を担った事、また大規模な戦闘任務に従事した最初の米軍特殊部隊である事を称えるものとの事です。



アメリカ陸軍の公式記録によると、当時の5thSFG(A)司令官ジョン・H・スピアーズ大佐は1964年10月、グループのベレーフラッシュを斜めの黄色と赤のストライプに変更する事を認めるよう陸軍省に請願した。
このストライプは、戦争初期にベトナムに派遣されていた第1空挺特殊部隊群(1st SFG(A))および第7空挺特殊部隊群(7thSFG(A))が使用していたもので、第5特殊部隊群(5thSFG(A))はこのデザインを引き継いで第5グループの黒のベレーフラッシュに追加した。
またベトナム共和国国旗を表すこのストライプは、ベトナム共和国およびモンタニヤードに対し、彼らを心から支援するというグリーンベレーの姿勢をアピールするのにうってつけであり、ベレーフラッシュは1964年12月に正式に承認された。

スピアーズ大佐が陸軍省に提出した要望書 (1964年10月14日)

[1月16日追記]

▲ベトナム駐留1stSFG(A)および7thSFG(A)のベレーフラッシュ(1964年以前)

第1グループ(本部 沖縄)および第7グループ(本部 フォートブラッグ)は、1961年から1964年にかけて暫定的にベトナムに派遣されていたため、双方のベレーフラッシュ色、つまり第1の黄色、第7の赤を組み合わせたベトナム国旗柄のフラッシュが暫定ベトナム派遣特殊部隊のフラッシュとして考案、着用された。
その後1964年にベトナム共和国ニャチャンに第5グループが設置され第1、第7グループを統合すると、第5グループのフラッシュ色である黒に第1、第7を示すベトナム国旗柄が追加された。



以下、現5thSFG(A)司令官 ケビン・リーヒ大佐のコメント
「私は、我々第5グループの歴史が認められ、公式にベトナム時代のベレーフラッシュが復活した事をお伝えでき、大変誇りに思います。
これはベトナムにおいて、20個の議会名誉勲章と3つのオーストラリア・ビクトリア十字勲章を受章した第5グループ隊員たちの燦然と輝く勇気と名誉の証であります。
ストライプ(ベトナム国旗の事)の復活は、第5グループの歴史を物語ると共に、ベトナムで帰らぬ人となった800名を含む、全ての隊員たちの名誉を称えるものです。
またストライプの復活は、他の歴史を無視するものではありません。むしろこれは、ベトナム時代と、その後の湾岸戦争、ソマリア、アフガニスタン、イラク、そして今も続くISILとの戦いに挑む我が第5グループの歴史を結びつける物なのです。」

リーヒ大佐による公式発表


  


2015年09月19日

国会議事堂にて



 遅ればせながら国会議事堂前で行われている安保法案(もう成立したので安保法か)に反対する集会に参加してきました。本当は昨日(金曜)行きたかったのですが、仕事があって無理だったのでやむなく土曜日の参加となりました。参院本会議が行われた昨晩は夜を徹してデモが行われたそうですが、一夜明けた今日は皆さん昨晩の疲れもあって帰宅されており、国会も休みの為、組織だったデモは行われていませんでした。しかし今もなお200人くらいの方が抗議の為に集まっていたので、僕もシュプレヒコールに加わってきました。
 僕は昼過ぎに現地に到着しましたが、とても腹が減っていたので周囲の人に「この辺にコンビニありませんか?朝から何も食べてないんでお腹減っちゃって」と聞いたら、ありがたい事に皆さん持参したパンやおにぎり、ポテチを僕に恵んでくれたので、空腹に負けず声を出すことが出来ました。それらを食べながらパンをくれたお婆ちゃんと話していると、彼女は45年前の『70年安保闘争』経験者という大ベテランでした。僕は当時の経験者と直に話すのは初めてだったので興味深くお話を伺わせて頂きました。そこの中で特に以下のお話が印象的でした。
(要約)「私達は数十年前、日米安保や原子力空母入港、そして原発建設反対に熱くなっていたのに、いつの間にか自分を含む多くの仲間がこれらの問題に関心を失っていきました。そして歳月が経った今、当時から懸念されていた事が福島の原発事故や安倍政権によって現実の物となってしまいました。私はつい最近自分の娘に指摘されるまで、当時それらについて熱心に反対していた事すら忘れていたんです。こうなる事を防ぐために声を挙げていたはずだったのに、日常生活に流されてこの数十年間何もしてきませんでした。私はそう長く生きていませんが、孫やこれからの時代を生きる人たちには、本当に申し訳なく思います・・・。」
 僕たちが今生きているこの時代は、年寄りにこんな事を言わせる時代なのか。人間としての良心は、多数決主義や権威主義の前に無力であり続けるのか。
 本法律に反対し続けた政治家、メディア、有識者、一般国民、国会前に集まった4万人、そしてこれを書いている僕自身も、自らの決意を試されています。
  


Posted by タイガ at 17:57Comments(2)2010年代・現在News!【日本】

2015年09月16日

続・安保法案について

丁度この件を記事にしようとしていたところ、先に投稿した記事『安保関連法案』について以下のご質問を頂きましたので、今回はそれにお答えする形で前記事の補足説明を述べさせていただきます。

【質問】

> 現行の法律と日米安保で対処出来ています

この部分について、具体的にお聞かせいただけないでしょうか? 
それと法案に関しては、米政府内で法案成立に同意を示しているだろうという意見がありますが、
そのあたりについてはいかがでしょうか、与党のことについては記事内で言及されていましたが、
日本政府は米国側に何という反応を示すのが妥当だとお考えでしょうか? 

> 実際僕もタイ人やベトナム人の友人から、日本軍の蛮行について耳の痛いことを聞かされます

この部分について、具体的にお聞かせいただけないでしょうか、
それからそれらの話が、デマや誤解、誇張にもとづいていない話かどうか検証できるか検討したいと思っていますので。

【回答】

>現行の法律と日米安保で対処出来ています 
言葉の通りの意味でして、日本は戦後70年間外国からの攻撃を受けず、今現在も平和と繁栄を保っています。これは国家の安全保障政策が目指すところを十二分に達成しており、これまでの政策が大成功している証であると捉えています。
問題は今後も対処し続けられるかという点だと思いますが、まず大前提として未来に起こることは私にも安倍首相にも誰にも断言は出来ません。出来ることと言えば今後の展開を予想することだけですが、それは件の法案に賛成であれ反対であれ、誰にとっても綱渡りな推論でしかありません。
その上で安倍政権は以下のストーリーを想定して本法案(特に集団的自衛権の部分)を作ったものであると私は解釈しています。

『中国軍の海洋進出、北朝鮮の核ミサイル開発等によって今後日本の経済的・物理的安全が脅かされる危険性はより高まるだろう』
『日米同盟等によって米国などの同盟国は日本を守ってくれるはずだが、金を払って守ってもらう一方ではいつか同盟国に見捨てられるかもしれない』
『日本も対等な責任を負って同盟軍を武力によって守る事で、同盟国との信頼関係は深まり日本の安全保障はより安泰になるだろう』

この推論は一見説得力があるように見えますが、メディアや有識者が声を上げているように、法案の内容を見ると数々の懸念が沸いてきます。

・日本はこれまでも国民の経済的・精神的苦痛を伴いながら膨大な資金・基地などを米軍に提供し、その要求に十分応えてきたはずだが、日本が人命を賭して同盟国を守りさえすれば、米軍基地や財政面での負担が解消される確約はあるのか?
・そうでないなら、これまでの負担に加えてさらに国民・自衛官の命までも差し出さなければ維持できない非常に不平等な関係となるのではないか?
・そのような歪な関係で、最後まで同盟国が日本を守ってくれると言い切れるのか?仮に守られたとして、それは本当に日本の自主独立を維持した状態なのか?
・武力行使の条件たる『存立危機事態』の定義が曖昧であり、さらにその判断を憲法や国会ではなく内閣が決定する以上、実際には日本に直接的な脅威がなくとも時の政権の都合で恣意的に運用される危険性は拭えないのではないか?
・恣意的に運用された場合、日本を守るどころか、むしろ余計な危険を背負う羽目になるのではないか?
・憲法違反である可能性が限りなく高い以上、法案そのものが日本の立憲主義を否定する物であり、それはつまり日本国民が長年培ってきた良識ある社会を破壊し無法な権威主義国家へと貶める行為ではないか?

これまでの国会審議でこれらの疑念が払拭されたとは到底考えられず、またそもそも政府が憲法を無視する事自体が国の安全を脅かす異常事態ですので、私は本法案への反対と、安倍内閣への批判を行っています。

>米政府内で法案成立に同意
我が国の法律ですので、外国政府の同意・不同意に左右されてはならないものだと考えます。
それが日米関係を極端に悪化させる恐れのある場合はまた別ですが、今回の法案が流れたところですぐさま関係が悪化し日本が窮地に陥るという事は、米国にとっても不利益であるため考えにくい事だと思います。

>日本政府は米国側に何という反応を示すのが妥当
これまで通り「日本には(米国が作った)憲法9条があるし反戦世論が根強い為、日本の周辺に直接的な攻撃が無い限り、外国に対し軍事的な協力は出来ないんですよ。」という『建前』を通し続けるべきだと考えます。
この白々しい戦後日本の建前は、明治~第二次大戦時代の惨禍によって日本を快く思わない東アジア・東南アジア地域や、米国を敵視するイスラム世界においても、『軍事的脅威は無い上にやたら経済支援をくれるお人好し』という評価を得て友好関係を築き日本企業参入を可能にしました。したがってこの方針は今日の経済発展や国際社会での地位、すなわち我が国の安全保障を支える必須条件と考えます。
一方で日本周辺の不安定な情勢を見れば在日米軍の存在は必要不可欠だという事は私も認識していますので、当面はこれまでのように基地の提供や財政面で米国と密に協力し、現行の日米安保を維持するしかないと思います。これは特に沖縄など長年基地問題に悩まされている人々にさらに我慢を強いる物であり本当に申し訳ない限りですが、現状ではもっと良い方法が思いつきません。

>タイ人やベトナム人
具体的に言われたのは以下についてです。
・1941年12月に日本が独立国であるタイ王国に侵攻し、防衛に当たった多くのタイ軍兵が戦死。さらに武力による恫喝によってタイ政府を枢軸国側に編入させ、それによってタイ国土が戦場となり国民が犠牲となった。
・泰緬鉄道建設において、日本軍が使役した連合国捕虜、タイ人、ビルマ人、マレーシア人、インドネシア人労働者が大量死した件。
・1944年~1945年にかけて日本軍・仏印政府統治下のベトナムで発生した大飢饉によって膨大な人数のベトナム人が餓死した件。

>デマや誤解、誇張
私自身は、これらの事件のうち犠牲者数については誇張が含まれると思っています。(ただし、例え犠牲者がたった一人であっても許されざる犯罪であり、その不名誉は永遠に消せないですが)
史学的に公正な研究が進むことには大賛成ですが、前記事で『事実かどうかに関わらず』と書いたように、残念ながら歴史とはその地の体制によって都合良く書き換えられるものなので、いくらこちらが学術的な主張をしたところで、外国人が持つ歴史認識を変える事は難しいでしょうね・・・。どこの国でも、自己辯護に聞こえる外国人の主張より、学校や自分の親から教わった常識を信じるのが普通ですからね。
私が記事でこの件を引き合いに出したのはこの点を言いたかったからでして、軍隊が自国以外で(偶発的にでも)戦闘すれば、理由の如何を問わずその時点で敵対勢力に対し格好の宣伝材料を与えてしまうという事です。そうして権力・体制によって造られた歴史認識は、何十年でもその地域の人々に憎悪と共に残り、我が国にとって不名誉と不利益であり続ける訳です。
特に相手がテロ組織の場合、その経緯が何であれ、一度敵と見なされれば永遠に攻撃対象とされてしまう危険性が高いと考えます。そしてこういったテロ集団に対し軍事力は抑止力にならず、むしろ敵を増やすばかりだという事は冷戦終結後の米国・欧州・ロシア・中国の状況を見れば明らかです。
そこで本法案が恣意的に運用され米国主導の対テロ戦争に日本が軍事的協力を行う事になれば、我が国までもが敵と見なされ、一層国民を危険に晒すことになるのでは?という懸念は当然浮かびます。これも言わば仮定の話に過ぎませんが、安部政権はこうした事態への防止策を考慮していないようなので、このまま成立させてはならないと考えた次第です。

以上が私の見解です。




【あとがき】

正直、いまさら安部政権が良識を取り戻して法案を取り下げるなんて事は無いだろうから、もう成立は避けられない情勢だという事は分かっています。と言うか、選挙で自民党が大勢取った時点でもう遅かったんだよな・・・。
しかしこの国はまだ独裁国家にまでは墜ちちゃいねぇ。政治家は選挙に負ければ無職なんだから、あんまり調子こいてると議席を減らすという当たり前の事が分かれば、連中だって内閣支持率を気にせざるを得ない。自民だって数年前の政権転落のトラウマはもう繰り返したくはないでしょう。
そうすれば例え法律はあったとしても、懸念される国民の命を駒にした大戦略ゴッコに少しは歯止めがかかるんじゃないかな。かかるといいなぁ・・・。
だから今後も、絶え間なく与党を突つきまくる必要がある。これは嫌がらせとかじゃなくて、権力の横暴を防ぎ健全な民主主義国家を維持する為に必要不可欠なプロセスです。
物心ついた時から『へそ曲がり』と呼ばれ続けて二十余年、いまさらお利口さんにはなれません。生きてる限り一人でも声を挙げ続けていきますよ。
  


Posted by タイガ at 22:52Comments(1)2010年代・現在News!【日本】言論

2015年08月01日

安保関連法案

 遅ればせながら、安倍政権が強行しようとしている『他国の紛争への軍事介入』を目指す法案に反対する署名に一筆加えさせて頂きました。本当はデモにも参加したかったんですが、機会が無かったので、以下に本法案に対する私の考えを述べます。

 まず日本への直接的な脅威なら、現行の法律と日米安保で対処出来ています。今でこそ中国や北朝鮮への警戒が求められていますが、それ以前に日本は冷戦下の50余年、ソ連による侵攻を警戒して長年法整備と自衛隊の増強を行ってきました。その中で、もし時代にそぐわない法律上の不備が出てきたのなら、その部分を改正すればいいだけの話。それなら国民の理解だって得られたでしょう。誰も自国を防衛する事に反対している訳ではありません。

 しかし自民党・公明党はそれをせず、あくまで『外国軍への自衛隊の戦力提供』に拘っています。戦力の提供とは、つまり自衛官の命、そして日本国民と国家の命運を外国に提供する事に他なりません。

 自衛隊は、法律上の位置づけはともかく実質的には軍隊です。その任務は、災害派遣等でいくら良いイメージを得ようとも、本質的には軍事力によって敵軍を排除する事を本分としています。これは同時に、戦時においては外国軍が自衛官を殺害する事が国際法上認められていることを意味します。武器を持って戦えば、こちら側も殺されて当然という構図になるのです。さらに相手が国家ではなくテロリストの場合、攻撃対象は自衛隊だけなく日本国民全体という事になります。

 まして、それが外国に赴いて戦った場合、現地の人々にどう思われるか。こちら側がどんなに「これは自衛の為に仕方なくやってるんです」と言っても無駄ですよ。外国軍隊が国内に攻め込んできた時点で、それは侵略者としか受け取られないんです。一発でも引き金を引いてしまえば、その時点で相手が不法なゲリラだろうが何だろうが関係なく、敵対勢力には『侵略者による我が国民への殺戮』として宣伝材料にされてしまいます。ベトナム戦争におけるアメリカ軍、韓国軍しかり。日中戦争における日本軍しかり。それが事実かどうかに関係なく、一度ついてしまった汚名は何十年経っても消せないという事を、我々はよく知っているはずです。

 2003年に始まった自衛隊イラク派遣も、アメリカ軍に家族を殺されたイラク人から見れば、日本もアメリカの同盟軍という事に変わりはないでしょう。それでも、たまたま当時ゲリラ側の規模がまだ小さく、自衛隊に攻撃を行わなかったため一人の死傷者も出さずに済みました。もしかしたらイラク人側も、日本は人道支援のみでイラクを占領統治する意図はない事を分かってくれていたから、幸いにも攻撃対象にならずに済んだのかもしれません。

 しかし今後は、日本は『自衛』を名目に同盟軍と共同で戦争を遂行する事が可能になります。いわゆる集団的自衛権ってやつですが、そもそも自衛という言葉自体、いくらでも拡大解釈が可能なもので、一体どこまでが必要最小限なのか、一切決まっていません。

 参考までに、アメリカ、韓国、オーストラリア、タイ王国がベトナム戦争に参戦した名目は、集団的自衛権の行使です。冷戦下では、戦争をしてでも同盟国を支援し共産圏の勢力拡大を防ぐという事は、必要最小限の自衛行為と考えられていました。幸いにも日本には憲法9条があったためベトナムに自衛隊を派兵せずに済みましたが、それでもアメリカの同盟国として物資・サービス面でアメリカの戦争遂行を強力に支援していました。

 また、310万人の日本国民の命を奪ったあの忌々しい太平洋戦争も、戦時中はあくまで自衛の為の戦争と宣伝されていましたよね。こんな小さな島国が、アリューシャンからシドニー、ハワイからインドという気の遠くなるような広大な地域を欧米から奪取して大東亜共栄圏(=日本による経済支配圏)を構築しようなどという無謀な政策が、自衛の為のやむを得ぬ措置と真面目に考えられていたのが、つい70年前の事です。そしてその結果、日本軍の侵攻によって数百万人のアジア同胞が死に追いやられたという事実は、我が国の歴史に拭いがたい汚点として永遠に残ってしまいました。

 日本軍を恨んでいるのは国策で日本を非難している中国・韓国だけではありませんよ。日本人から親日国だと思われているタイやミャンマー、ベトナムも、彼らが好いてくれているのは『戦後』の日本であって、戦時中の日本軍への恨みは今だに根深いものがあります。実際僕もタイ人やベトナム人の友人から、日本軍の蛮行について耳の痛いことを聞かされます。日本で保守を自称する方々は、このような自身にとって気持ちの良くない『反日』には耳を貸さず、それどころかインドネシア一国の例のみを見て『日本はアジアを欧米植民地支配から解放した』などという妄想に浸っている方が多いようですが、今でもタイやミャンマーの日本軍墓地に現地の人々が落書きや破壊行為をしている現状を見れば、日本があの人たちに何をしてしまったのかが見て取れます。

 また日本国民にとっても、数百万人の若者が徴兵され上官に殴られ続け、見知らぬジャングルの奥地に送られ、救うはずのアジア同胞を死体の山に変えてしまい、最後は弾薬も食料も無く飢え死に。かつ本土防衛すら満足に出来ず米軍の無差別爆撃により数十万人の女子供が生きたまま焼夷弾や原爆で焼き殺される。そして最後は無条件降伏し、国の全てを敵国の采配にまかせる占領下に。これが70年前に日本政府が行った政策の結果です。

 この過去の我が国の愚行の根底には、国民個人の幸福よりも全体の秩序(という名目の権力者の権益)を優先する、権威主義がありました。お上の言う事は黙って聞けというものです。この日本の愚かな慣習は、不幸中の幸いで日本を占領統治したアメリカが自国の民主主義を新生日本国憲法に反映してくれたお陰で、制度上は国民主権の国家へ成長することが出来ました。

 にも拘らず、安倍政権は戦後70年経った今日、再び国民の命を掛け金にした危うい軍事ゲームに参加しようとしています。自衛官の命も国民の命も、自身の理想(妄想)の為には『やむを得ない犠牲』なのでしょう。こういう輩は国が滅んだら責任とって腹を切るつもりなんでしょうが、こいつが腹を切ったところで死んだ人間は何も報われません。失った国の名誉も何も帰ってきません。最初から最後まで単なる独りよがりの自己満足です。

 そんな連中に、自分の生まれ育ったたった一つの祖国をオモチャにされてたまるか。例え今国会で法律が成立してしまったとしても、私は生きている限りこの法律の廃止へむけて各方面の方々に協力していきたいと考えています。
  


Posted by タイガ at 16:06Comments(2)2010年代・現在News!【日本】言論

2015年07月21日

帰国しました

サンフランシスコでジャンキーに絡まれたり、LAXでコンタクトの洗浄液没収されたり、飛行機の中で放屁が止まらなくなったりと色々ありましたが、無事日本に戻ってきました。

アメリカではホア少尉をはじめとする元ベトナム共和国軍人および関係者の皆さんには、お宅に泊めて頂いたりユニバーサルスタジオに連れて行ってもらったりと、何から何までお世話になりっぱなしでした。
私のような外国人をここまで暖かく迎えて頂けるなんて、本当に感謝してもしきれません。
今回アメリカで過ごした日々は、私にとって単なる趣味の延長を超えた、人生最高の旅となりました。
このご恩は一生忘れません。Cảm ơn nhiều!

お世話になった皆様

グエン・バン・フェップ少尉(左) 元NKT本部P3(作戦・訓練参謀室)
レ・ホアン少尉(右) 元NKT作戦第11グループ"STRATA(短期監視・目標捕捉)"
STRATA時代のホアン少尉(写真右側 1973年)


元NKTの皆様 左より
トゥン・カーベイ氏 元NKT連絡"雷虎"
タイガ
フェップ氏の奥様
チュン氏の奥様
チュン氏 元NKT作戦"黒龍"第75作戦グループ
ヒュー氏 元NKT連絡"雷虎"


元NKT沿岸警備副指令
および元NKT連絡"雷虎"第3戦闘強襲団北カリフォルニアCCS連絡会の皆様


トム・トラン氏 陸軍大佐(第21歩兵師団副師団長)のご子息


カン・ブイ氏 空軍大佐(ベトナム総統専用機の機長)のご子息


ウィリアム・ミミエイガ少佐 元アメリカ海兵隊第3海兵師団


ファム・ホア少尉 元NKT作戦"黒龍"チーム723


ヴゥ・フン少尉 元地方軍第4軍管区PRU



こうして見ると最終階級が少尉(Thiếu úy)の方が多いですが、これには訳があります。
まず、お世話になった方の多くが士官学校もしくはNKT配属時にホア少尉とほぼ同期(1972年前後)であり、だから今回ホア少尉の呼びかけで皆さんが僕をお世話して下さったという訳です。
また、本来将校は任官後も軍の様々な学校で教育を受けて昇進するそうなのですが、1970年代に士官学校を卒業したホア少尉ら若い将校は、戦況の悪化から常に前線で戦っていたため、新しい教育を受ける機会が無かったのだそうです。
さらに仮に教育を受けた者はすぐに大尉に昇進してしまうため、この年代の尉官は中尉が少なく、少尉のまま終戦を迎えた方が多かったのだそうです。なるほど~
  


2015年07月16日

ウェストミンスターにて

カリフォルニア州ウェストミンスターに位置する世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンにて、
ついに長年憧れていた僕のヒーロー、ファム・ホア少尉と、またホア少尉の親友のミミエイガ少佐ともお会いする事が出来ました。



左からご紹介します。

ウィリアム ”ビル” ミミエイガ氏
元アメリカ合衆国海兵隊少佐
悠々と葉巻をふかす姿は豪快で、それでいて優しさの溢れる、見事なまでにアメリカンヒーローを体現するお方でした。
(2015年10月25日訂正。詳細な紹介は『アンクル・ビル/モンスーン少佐』参照)


トム・トラン氏
ウェストミンスターで僕を案内してくれているベトナム共和国出身のおじさん。
トム氏のお父様はベトナム共和国陸軍第21歩兵師団の副師団長でしたが、1975年に共産政権に逮捕され強制収容所に10年間も投獄されました。(それでも病気を患った為、他の高級将校より数年早く釈放されたそうです)
父が囚われ生活の糧を失ったトラン一家は1982年にベトナムから脱出。タイ、フィリピンを経由して1983年にアメリカに定住されました。
トム氏は14歳で終戦を迎えたため軍隊経験はありませんが、お父様を初めとするベトナム共和国軍人を大変尊敬されてます。
またトム氏の息子さんは現在、大学でアメリカ軍のROTC(予備役将校訓練課程)を受講中です。


タイガ・クン
日本からやって来た性欲の奴隷。
ユニバーサルスタジオハリウッドのジェットコースター(ハメナプトラ)で、走行中恐怖のあまり「オマンコやらせろー!」と絶叫し続けたが、周囲にそのような極東の少数言語を理解できる者は誰一人居なかった。


ファム・ホア氏
元ベトナム共和国陸軍特殊部隊少尉。
人呼んでリトル・サイゴンのゴッドファーザー。
サングラスして黒塗りのメルセデスから出てくる姿はベトナム・ヤクザにしか見えない。
実際ホア少尉がアメリカに来た当初は、周りのアメリカ人から舐められないよう、上から下まで映画で見たイタリアンマフィアの服装を完コピして、内緒でピストルまで携帯してたそうです(笑)
でも実はベトナム語の他にフランス語、英語、スペイン語を話せて、しかも本業は世界規模の某有名企業に勤めるエリートエンジニアだということが今回発覚しました。端的に言うと、Windowsが生まれる前からコンピュータ開発に携わっていた人。
アメリカに来てからの話が面白過ぎて、つい戦争中の話を聞くのを忘れてしまいました。
過去記事参照


またこの日は、トムさん、ホア少尉と共に元PRUのホン少尉が経営するベトナム共和国軍専門軍装店へもお邪魔しました。
元共和国軍人および在米二世、三世のベトナム共和国市民向けにリプロ軍装を作成・販売するお店です。
マジで動悸息切れするくらい素晴らしい、夢の中にいるような気分になるお店だったので、後日詳しいレポートを書きます。
  


2015年07月14日

サンノゼにて

詳しい話は帰国してから書きますが、とりあえず簡潔に報告。

ホア少尉の計らいで、正式に日本からのプレスとしてコンサートを取材させて頂きました。



プレスなので、そこらじゅう歩き放題、取り放題でした。



会場では、サンノゼでお世話になった元NKT本部P3(作戦参謀室)のフェップ少尉から、沢山のベトナム共和国軍ベテランの皆さんを紹介して頂きました。
まさか元ベトナム国家警察長官 兼 中央情報院(ベトナムのCIA)長官とお話しできるとは夢にも思いませんでしたよ。

あと、なんか目立ってたせいか、在米ベトナム移民系テレビ局のSBTNからインタビューを受けました。
いきなりマイク向けられたので、かなりテンパりながら答える羽目になりました。
呂律が回らず、あうあうあ…って感じです。
あれ全米(ケーブルテレビ契約者)に生放送っぽいんだよな…。恥ずかし…