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2015年03月13日

ダラット政治戦大学の軍装

ダラット政治戦大学(Trường Đại học Chiến tranh Chính trị)は政治戦総局(TCCTCT)が所管する政治戦士官(SQ/CTCT)教育機関で、ダラット国家軍事アカデミー(VBQG)と並ぶ、ベトナム共和国軍のエリート養成施設でした。※過去記事政治戦総局/TCCTCT』参照
しかし、設立は1966年と比較的遅く、卒業者数も少ない(6期のみ)ため、当時の写真はネット上でも意外と少ないのです。そのため、僕にとってはベトナム軍の士官学校の中で最も謎の多い学校でした。
それが先日、フェイスブックで知り合ったベトナム共和国軍人のご子息が、この政治戦大学の制服に関する当時の資料を公開されていたので、非常に勉強になりました。とても貴重な資料ですので、僕のブログでも紹介してみようと思います。

大礼服
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2014年11月25日

生き証人

突然ですが昨日、日本に住んでいる元ベトナム共和国陸軍将校の方とお会いし、ロイヤルホストでお茶しながら当時のお話を伺う機会がありました。

ご本人の希望で、あまり詳しくは書きませんが、以下Tさん(仮名)の大まかな来歴です。

1950年 メコンデルタ付近の町に生まれる

1968年 ダラット・ベトナム国家軍事アカデミー(TVBQG)25期に入学 (※三軍統合の士官学校。日本の防衛大のようなもの)

在学中に中隊指揮課程、空挺降下課程、レンジャー課程、一般大学教育を修了

1972年 TVBQG 25期卒業。陸軍中尉に任官

同年    メコンデルタ地帯に展開する第7歩兵師団第11歩兵連隊第1大隊第1中隊本部に着任

1973年 任務中に地雷を踏んで右足を失う。この負傷により除隊

1979年 ボートピープルとして共産党政権下から脱出

1980年 広島県に漂着。日本政府のインドシナ難民受け入れ施設に入居

1983年 東京の国際救援センターにて日本語教育、就職斡旋を受け、日本に定住


Tさんは僕の趣味を知って、日本人がここまでベトナム共和国軍に関心を持っていることに喜んで頂けましたが、僕にとっても本物のベトナム軍人の方と直接お話するのはこれが初めての事なので、とても貴重な体験になりました。

それは当時の体験を語って頂けた事もありますが、何より全体として、除隊から40年以上経った今でもTさんが持ち続けているベトナム陸軍将校としての矜持を感じられた事が感慨深かったです。

特に、国家軍事アカデミーの卒業生であるという自負は、Tさんの人生の中でかなり大きな部分を占めるものだという事が強く伝わってきました。

Tさんが持参した、アメリカで発行されている国家軍事アカデミー卒業生アソシエーションの機関誌"Đa Hiệu (最精鋭)"
内容はPDFで公開されているので、こちらからダウンロードすることが出来ます。


国家軍事アカデミーのカリキュラムや制服について詳しく伺う事が出来ましたが、そういう趣味的な部分はまた今度の記事にします。

正直今は、地雷で吹き飛ばされ義足になった足や、そのせいで除隊を余儀なくされ祖国を守る事が出来なかった悔しさ、共産ベトナムからの決死の脱出と、身体障害を抱えながら言葉の通じない異国での生活と、Tさんが目頭を熱くしながら語ってくれた言葉の一つ一つの重みに、言葉が出ません。

いくつかの戦史上有名な戦闘が話題になりましたが、そこでTさんの口から出るのは、「ああ、その戦いで友達が死んだ」という言葉です。

僕はいまさら自分の趣味を恥じるほど純粋な人間ではないですし、Tさんも好意的に受け取ってくれているので何も問題は無いのですが、改めて自分がやっている遊びは人の生き死にや人生をネタにしている行為なのだなと自覚させられました。

縁もゆかりも無い外国人の僕にとっては、Tさんの人生もベトナム戦争も、単なる趣味の対象、興味本位でしかありません。

だけど、興味を持ってしまった以上は、マニアとしてとことん真実に近付きたいという気持ちを新たにしました。
  


2014年04月21日

士官候補生の礼装

南ベトナム軍に存在した各士官学校の士官候補生制服(礼服)をいくつかイラストにしてみました。

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2014年04月18日

素晴らしきYoutube動画

最近Youtubeに上がってるベトナム戦争期の記録映像がマジで素晴らしい!
今まで何千枚も当時の写真を見てきたのに、初めて見るような映像が次から次へと出てきます。
また写真では分からない、兵士の動きや雰囲気も動画ならビンビン伝わってきますねぇ。サイコーです。
今回はその中から、つい見入ってしまった興味深い動画をいくつかご紹介します。


PRU(1968年8月31日)

南ベトナム領内で村落探索をしているアメリカ陸軍第1歩兵師団第18歩兵連隊第2大隊を記録した映像ですが、なんと南ベトナム軍のPRU(Đơn Vị Thám Sát Tỉnh, 地方偵察隊)が同行し、通訳や捜索の指導をしていました。PRUの動画なんて初めて見ましたよ。
確かに米軍の一般歩兵部隊は対ゲリラ戦に関しては素人なので、グリーンベレーに一から特殊作戦を叩き込まれたPRUが、オブザーバー兼通訳として歩兵部隊を指導するのは理にかなっていますね。

なお、PRUやプロジェクト・フェニックスは『CIAが雇った殺戮部隊』などイメージ先行の誇張した内容で語られがちですが、実際の活動は1961年以来ベトナムで幾度となく行われてきた典型的な対ゲリラ作戦の一つに過ぎないと僕は考えています。
なので、PRUは秘密傭兵部隊などではなく、れっきとした南ベトナム軍の地方部隊の一つです。逆に言えば、プロジェクト・フェニックスと同等の掃討作戦が十数年間もの長きに渡って繰り返されたのがベトナムという戦場でした。
この部隊の目的はCIDG部隊とまったく同様(※)で、ベトコンの活動が疑われる地域に政府軍部隊が村落単位で駐屯し、その地域の防衛・防諜を担うと同時に、医療支援等の民事心理戦を行って住民をサイゴン政府側に抱き込む事を目的としていました。
こうする事によって、住民に対しベトコンへの関与があれば容赦なく攻撃するという脅しになると同時に、住民自身にサイゴン政府への帰属・自衛意識を芽生えさせてベトコンを密告させる等、敵に浸透する隙を与えない体制作りが作戦の肝と言えます。
これはまさしく、CIA・グリーンベレーが指導する対ゲリラ作戦の典型であり、ベトナム以外でも韓国や中南米、ラオス、タイでも成果を挙げた効果的な戦術でした。
※そもそものCIDG計画はこのように国境地帯の村落の防衛のみを目的としており、マイクフォース等の大規模な戦闘部隊への発展は後になって考案されたものでした。
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2014年02月02日

テト年賀イラストまとめ

今年も、某県にある在日ベトナム仏教寺院で行われたテト(旧正月)のお祭に参加してきました!
(本当のテトは1月31日でしたが、平日なので日本の会社に勤めるベトナム人は仕事なため、お祭は日曜に開催されました。)
ベトナムの正月料理(お寺なので精進料理)やデザートを振舞って頂き、念願だった獅子舞も見れて最高でした!

しかし、先日このお祭をレポートすると書きましたが、ごめんなさい。やっぱやめておきます。
ベトナムの皆さんの文化や親切さを多くの日本人に知って欲しいという気持ちは強いのですが、僕のブログはミリタリー色が強すぎるので、そんな偏った日本人(彼らにしてみれば外国人)が神聖な寺に興味本位で来ていると思われると、今後の交流に差し障るので詳細は差し控えたいと思います。
僕の『趣味・遊び』の対象であるベトナム戦争は、彼らにとっては親や肉親の命を奪い、同族同士で殺し合い、国土を焦土と化した悲しすぎる歴史なので・・・。

代わりと言っちゃなんですが、前の記事のようにここ数年テト年賀イラストを描いてるので、今まで描いてきたものをご紹介します。
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2013年11月08日

予備士官候補生(SVSQTB)

今回はうちにある数少ない実物コレクションの一つと、その歴史をご紹介します。

じゃーん

ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生の半袖シャツ制服です。
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