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2018年07月03日

ベトナム陸軍空挺部隊の部隊章

 過去記事『撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』の中で、ベトナム陸軍空挺部隊の3rdタイプ(白頭鷲のデザイン)の部隊章は、マニアの間で一般に空挺旅団が空挺師団に昇格した1965年12月31日、実質1966年以降に使用されたと言われているが、実際には旅団時代の1964年11月には現場で使われていた事をご紹介しました。

▲反政府デモを鎮圧する空挺旅団兵士[サイゴン, 1964年11月30日]


 更ににその後の記事『いろんなTAP47』では、ゴ・ディン・ジエム総統の閲兵を受ける空挺旅団の写真の中に、3rdタイプに似たパッチを身に着けた兵士が映っており、もしこれが本当に3rdタイプならその採用時期は遅くともジエム総統がクーデターで暗殺される1963年11月より前となると書きました。ただし、その時点では画像が不鮮明なため、あくまで可能性があるという表現に留めておきました。

ジエム総統の閲兵を受ける空挺旅団 [サイゴン]
※画像のキャプションには1962年3月撮影と記載されていましたが、そのまま鵜呑みには出来ません。


 ところが先日、僕と同じ疑問を持っていた海外の研究者の方とこのパッチについて話し合ったところ、決定的な情報を提供していただく事が出来ました。まず、不鮮明だった上の写真の高画質版が発見され、3rdタイプは1963年11月以前から使われていた事が確定しました。

(画像提供: Francois Millard氏)

 さらに別の方から提供された史料が驚きです。1951年に設立された民間で最も権威ある軍事徽章研究者グループThe Military Heraldry Societyが発行している会報の1963年4月版で、すでに3rdタイプが紹介されていたのです!

▲The Military Heraldry Society 1963年4月
(画像提供: Richard Woods氏)

 という事は、3rdタイプの採用は遅くとも1963年4月より前という事になります。さらに、インターネットの無い時代に民間のマニアが採用から即座にパッチの詳細を把握できたとは考え辛い事から、Millard氏は3rdタイプの実際の採用時期は1962年中だった可能性も大いにあると述べています。
 まさか、こんなに時代が遡るとは驚きです。だって3rdタイプの使用時期は一般には1966年以降と言われており、僕自身も確実に使用例が確認できるのは1964年以降という認識だったのですから。

つまり、改めてまとめると、ベトナム陸軍空挺部隊の部隊章は以下の変遷を辿りました。


 しかし、今も多くの元空挺部隊ベテランが存命であり、マニア・研究者の中でも人気の高い部隊なのに、なぜその部隊章の採用時期がここまであやふやだったのかと言いますと、まず当時軍が作成した徽章に関する命令書の多くは敗戦による混乱で失われており、一次史料による検証はまず困難となっています。
 次に今もご健在のベテランの多くは1960年代末以降に入隊した比較的若い世代であり、1960年代初頭に現役だった世代はもうほとんど他界しているため、当人たちによる証言が得られない点が挙げられます。(仮に生きていても、そんな事覚えている人はなかなかいないでしょうし)
 さらに、写真史料による採用時期特定を困難にしているのが、当時の空挺部隊における部隊章の位置づけです。上で「確実に使用例が確認できるのは1964年以降」と述べたように、実は空挺部隊が前線で部隊章を身に着けるようになったのは1964年末以降であり、逆に言うと1951年のベトナム陸軍空挺部隊創立から1964年までの13年間、作戦時に部隊章を縫い付けている例は全く見られません。
 その時代、空挺部隊が部隊章を身に着けるのは、儀仗、パレード、チノ勤務服などのフォーマルな軍装の場合に限られており、それらの写真が撮影される機会はそう多くは無いため、今まで多くのマニアが部隊章のデザインは1962~63年に変更されていた事に気付かなかったという訳です。現に、上のジエム総統の閲兵の写真も、部隊章を付けているのは儀仗隊であり、同時期の前線の写真を見ても、部隊章を身に着けている兵士は見られません。

▲ジエム政権に対するクーデター成功直後の空挺旅団兵士 [サイゴン, 1963年11月]



おまけ

これの準備は9割がた整ったので



次の目標はこれ


  


2018年06月23日

撮影会の準備 その2

前記事『撮影会の準備』の続きです。

去年作ったつるつるM1ヘルメットを庭にぶん投げて土でウェザリング。

メンバーに貸し出しする個人装備を組む。M1小銃/擲弾手用。
ちなみに写真のM1923カートリッジベルトは米国ではなくタイ製の代用品です。USスタンプが無い点以外は50年代の米国製と何も変わりません。アーモクリップは10個も持っていないので、段ボールでアンコ作ってポーチに詰めてあります。
M1945フィールドパックにはポンチョ(自衛隊ので代用)と鍋(タイ製)、ビーチサンダル(ダイソー製品)でデコレーション。ついでにグレネードアダプターやらアーモクリップやら、持ってるもの全部付けちゃった。これじゃあちょっとやり過ぎだな。何個か外そう。

これも貸し出し用。M1918ブローニング自動小銃射手用。これもマガジンがなくてペチャンコだったので急遽段ボールでアンコを作成しました。
 
これは僕の分。分隊長なのでベルト一本とカービンで十分です。(普通の兵隊も同様にサスペンダー無しの場合が結構多い)
M36ピストルベルトは僕が中学生の頃に親戚のお兄さんからもらった物で、メーカー不明のレプリカです。


この時代の米軍式個人装備はハトメにフック通しづらかったり、生地が縮んでいてスナップボタンが閉じれなかったりで、すんなり組める事の方が少ないのが困った所。入れ辛くとも力技でやってしまいますが、これを一日に何度も繰り返したせいで右手親指が内出血したみたいに痛くなってしまいました。夜お風呂に入ったら、血流が良くなったせいでさらに指先が痛みだし、いまだにズキズキします。いや~ん。。。


そう言えば先日32歳の誕生日を迎えました。当日は早朝から深夜まで仕事でへろへろになった一日でしたが、その前々日が知人のベトナム人の誕生日だったので彼女の家で誕生日パーティーをし、その席で僕の誕生日も祝ってもらえました。またその翌日も懇意にして頂いている在日ベトナム人グループの友人たちと食事をご一緒した際、そこでも皆さんからお祝いの言葉を頂きました。
僕は親以外に誕生日を祝ってもらった経験がほとんど無いので、急に大勢の人からおめでとうと言われるとなんだか気恥ずかしく感じてしまいますが、皆さんには縁もゆかりもない外国人だった僕をこうして暖かく受け入れて頂き、本当にありがたく思っています。
  


2018年06月02日

レンジャー大隊識別色

 前回、1971年以降にレンジャー部隊で使用された軍団色付きタブについて書きましたが、それ以前に使用されていた色付きタブについてもかなり踏み込んだ情報をベテラン兼研究者の方々から得られました。

(元レンジャー部隊付きアドバイザーの米陸軍大尉Dennis Kim氏の回答, 2018年5月16日)
1962年から1970年まで、レンジャー部隊は6個レンジャー群、計20個のレンジャー大隊で構成されており、それらは全国4つの戦略区に分かれて配置されていた。この時期、軍団を示すタブは用いられていなかったが、大隊を示す色付きタブが左肩に縫い付けられていた。タブには手書きで中隊番号が記入され、色によって各レンジャー群(LĐ BĐQ)内の大隊を以下のように示していた:
1st RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 21st Bn., Blue 37th Bn., Yellow 39th Bn. 
2nd RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 11th Bn., Blue 22nd Bn., Yellow 23rd Bn. 
3rd RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 31st Bn., Blue 36th Bn., Yellow 52nd Bn. 
4th RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 32nd Bn., Blue 41st Bn., Yellow 42nd Bn. Purple 43rd Bn., Maroon 44th Bn. 
5th RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 30th Bn., Blue 33rd Bn., Yellow 38th Bn. 
6th RANGER GROUP: Green: Group Headquarters, Red 34th Bn., Black 35th Bn., Yellow 51st Bn. 

これを要約すると、色分けは基本的には群本部(BCH/LĐ BĐQ)が緑、次いでそのレンジャー群内で番号の若い大隊(TĐ BĐQ)順に赤・青・黄であった事になります。
ただし第4レンジャー群は他の群よりも大隊の数が多かったため、通常の4色に加えて第43レンジャー大隊が紫、第44レンジャー大隊がマルーンとなっています。また理由は不明ですが、第6レンジャー群内の第35レンジャー大隊だけは青ではなく黒とされています。
またこの色分けは左肩上*またはレンジャー部隊章の上のタブだけでなく、右胸のネームテープでも同様だったようでうす。

※作戦服にエポレットがある場合はエポレットに通すスリーブ状のタブになりますが、エポレットが無い場合は単に四角形の布を直接縫い付ける方式でした。

これら大隊識別色タブ・ネームテープの使用状況は全部隊で統一されていたわけでく、当時の写真からはいくつかのパターンが見られるので、以下に使用例を示していきます。

ネームテープ
この写真は第4レンジャー群とされているので、赤いネームテープから第32レンジャー大隊だと分かります。

▲ネームテープ
上と同時期の第4レンジャー群の写真ですが、紫色のネームテープなのでこの写真は第43レンジャー大隊だと分かります。

▲レンジャー部隊章上のタブ
右手前の人物は赤色、中央は紫色のタブを縫い付けている。
紫色が用いられた大隊は一つだけなので、写真中央の人物は第4レンジャー群第43レンジャー大隊と特定できます。また右の人物は同じ第4レンジャー群の第32レンジャー大隊の可能性が高いと考えられます。
1971年以降の軍団タブと紛らわしいですが、大隊タブには軍団タブのように群や大隊番号は入りません。

レンジャー部隊章上のタブとネームテープ併用
この写真は1971年のラムソン719作戦中に撮影されたものであり、ラムソン719に投入されたレンジャー群は第1レンジャー群のみなので、この部隊は第1レンジャー群第37レンジャー大隊だと考えられます。

エポレットの無い服の左肩上タブとネームテープ併用
第1レンジャー群第21レンジャー大隊
エポレットがない為タブが肩の上側に直接縫い付けられています。

エポレットのある服の左肩上タブとネームテープ併用
エポレットがあるため、タブはスリーブ状になっています。
この写真は1971年のラムソン719作戦中に撮影されたものであり、ラムソン719に投入されたレンジャー群は第1レンジャー群のみなので、この部隊は第1レンジャー群第39レンジャー大隊だと考えられます。



ネッカチーフについて

なお、前線で使用されるネッカチーフは大隊ではなく、各大隊内の中隊を示していたそうです。しかしその色については単色以外にも二色や三色もあり、その色の組み合わせにはいくつものパターンがあるので、これらが全での大隊で統一されていた配色かは疑問であり、恐らくは各大隊が独自に決めていたものと思われます。

▲赤青二色のネッカチーフ(第4レンジャー群第42レンジャー大隊)
  


2018年05月15日

タイガーストライプの始まり Part 3

 僕はこれまでベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服を使用し始めた時期について、タイガーストライプの始まり続・タイガーストライプの始まりの二つの記事で以下の見解を述べてきました。

ザーコップ迷彩服が採用されたのは1960年
ザーコップ迷彩服が50年代中に支給されていたと断定できる写真はまだ発見されていない

ところが先日、その認識を覆す写真が見つかりました。

(写真: Rừng Cấm / Facebook)

元ベトナム海兵隊ズン・カム中士が公開している自身のプライベート写真の中の一枚なのですが、この写真についてカム中士は以下のようにコメントしています。(2016年11月26日書き込み)

"Người đứng đầu tiên là Đồ Sơn đó, vào khoảng thời gian 1958 "
(手前の人物はドゥ・スン・ドー、1958年頃)

 プライベート写真なので本人の記憶以外に撮影日時を裏付けるものは無いのですが、当時この部隊に所属していた人物の証言なので、その信憑性は高いかと思います。
 確かにTIGER PATTERNS (1999)に掲載されているように、ザーコップ迷彩服は最も早いもので1957年製造のスタンプが確認されているので、1958年の時点で現場に支給されていても、何らおかしくはありません。
 また僕が「ザーコップ採用は1960年」の根拠としたチャン・バン・ヒェン元中佐の証言も、それまで試験的に支給が行われていたザーコップ迷彩服が正式に採用されたのが1960年だったというだけで、実際の使用開始時期が1960年だった訳ではないとも解釈できます。
 という訳で今回の発見により、ザーコップ迷彩服は遅くとも1958年頃には(部隊ごとに支給状況は異なるでしょうが、少なくとも一部では)既にまとまった数が使用されていた可能性が高いという認識へと訂正させて頂きます。

前記事では60年代初頭の可能性もあるとしたこれら旧型パッチ(1955-1960)付きの写真も、50年代中にザーコップの支給が始まっていたことを考えれば、50年代末の撮影と見るのが自然かも知れません。



おまけ:テコンドー章

新たな発見という意味では、こちらの徽章の存在も、最近ベテランから教わって初めて知りました。

元ベトナム陸軍特殊部隊将校のフォー・コック・ユン氏によると、こちらの徽章はベトナム共和国軍のテコンドー資格章(Bằng Taekwondo)であり、なかでも左の人物が付けている大きな白っぽい図柄の上に二つの点(星?)がある物は『黒帯二段テコンドー章』だそうです。
右の空軍兵士の写真は「なんか見覚えあるな」と思って自分のHDDの中から探し当てた物なので特に説明はありませんが、上側に点はありません。初段かな?とも思いましたが、初段の次は二段なんだから、初段は点1個じゃないと変じゃないか?という疑問も湧いてきます。
なお、1960年代以降、ベトナム共和国軍は軍の徒手格闘訓練にテコンドーを全面的に採用しており、将兵のほぼ全員が一度はテコンドーを経験したはずですが、僕も今まで把握していなかったくらいこのテコンドー章の使用例は少ないので、おそらくこれらのテコンドー章は黒帯(初段)以上の者だけに与えられたのだろうと推測しています。
いずれにせよまだ詳細な画像すら見た事の無い謎の多い徽章なので、これから調べていきたいと思います。



地方軍カントー訓練基地における徒手格闘訓練(1967年5月6日)
※動画のキャプションには『空手』と書いてありますが、韓国人インストラクターが教えているとも書いてあるので、正しくはテコンドーでしょう。



ドン・バ・シン特殊部隊訓練センター内のテコンドー道場 (1970年6月23日)

この時代、テコンドーはまだ日本式の道着を使っていたから、普通に国内で売ってる道着を買えば、テコンドー訓練ごっこが出来るんです。たしか高校の体育で使ってたやつをまだ持ってるはずなんだけど、どこ行っちゃったんだろう・・・?
  


2018年05月10日

お披露目

まだ十分とは言えないですが、以前から集めていた50年代前半のフランス連合軍空挺装備がだいぶ形になってきました。

ジャケット:セスラー製 米陸軍カモフラージュHBTジャケット
パンツ:リアルマッコイズ製 英軍ウィンドプルーフ迷彩仕様のP44風なパンツ
ヘルメット:自衛隊?っぽいボロボロの放出品を米軍40年代後半製M1ヘルメットっぽくレストア
ブーツ:メーカー不明品にゴムを貼って仏軍ブッシュシューズ風に改造
銃:デニックス製M1A1カービン

サスペンダー:実物TAP50(53?)サスペンダー
ベルト:ポルトガル軍ベルト改造TAP50ベルト
ポーチ類・銃剣:米軍実物

第一次インドシナ戦争期に使われていた空挺部隊(TAP)用ピストルベルトとしては『TAP50』と、その改良型である『TAP50/53』の二種類が知られています。そのうち50/53ベルトは日本でも実物が安く売られいて入手も容易ですが、このベルトが前線で使われ始めたのは終戦間際の1954年からなので、第一次インドシナ戦争に限って言えば、使用された期間はかなり短いです。一方、初期型のTAP50ベルトは1951年の配備開始以来、空挺部隊のみならずフランス連合軍のほとんどの地上部隊で広く使われていた当時のフランス個人装備を代表するベルトなのですが、残念ながら現在は入手困難かつ非常に高価なアイテムとなっています。また僕の知る限りレプリカも存在しません。
このようにTAP50ベルトはフランス連合装備の必需品であるのと同時に最大のネックでもあり、その再現は半ば諦めていました。しかし今回そのTAP50をどうにか再現すべく、フランス軍趣味の先輩に、バックルの形状がよく似たポルトガル軍のピストルベルトをベースにTAP50風に改造して頂く事が出来ました。こうして出来上がった素晴らしい出来の代用品お陰で、ようやく装備が一式形になりました。本当にありがとうございます。




おまけ:ベトナム国軍ドッグタグ

1952年(おそらく入隊年)と打刻されたベトナム国軍のベトナム人兵士の認識票です。
板自体はフランス植民地軍のものと同一ですが、ベトナム国軍らしく内容はベトナム語で記載されており、MAUは血液型(Máu)、SQは軍籍番号(Số Quân)を意味しています。金属板は少し湾曲しており、両面に同じ内容(板を割った状態でそれぞれの両面に全ての情報が載るよう上下入れ替えて)打刻されています。

凸面。文字数の制限から氏名Ngo Ba NinhのBaはB一文字に省略されています。

凹面。割板の下側は戦死した場合に遺体から回収される物なので、輸血用の血液型情報は不要なため記載されていません。

  


2018年05月03日

おフランスのおべべ

前回の続き

仏軍供与の戦闘服を一気に作りました。





カットがいろいろあって困っていたフロッグスキンは結局、米海兵隊のP44で描きました。同じくウィンドプルーフも仏軍によるジャケット改造型とかありますが、今回は一番数が多いであろうオリジナルの英軍プルオーバー式スモックにしておきました。
これで1948年から1975年までのベトナム陸軍空挺部隊の主だった戦闘服は一通り書き終えました。次は小火器と個人装備。



おまけ:国産リザード迷彩パンツ?

リザード迷彩の戦闘服はいつ頃まで現場で使われていたんだろう?と60年代の写真を調べていたところ、今まで把握していなかった謎のパンツの存在が浮かび上がってきました。

この人の着てる服、上着は普通のTAP47/52っぽいですが、パンツに付いているべきカーゴポケットがありません。という事はTAP47でもTTA47でもないという事になります。なんじゃこりゃ?生地は上着と同じフランス製に見えます。
(写真: Southeast Asia US Army Security Agency Veterans Association, 1963-1964年頃, サイゴン)

こちらのパンツにいたっては、カーゴポケットが無いどころか、あきらかに米軍およびベトナム国産作戦服と同じ「貼り付け式ポケット」を備えている事がわかります。こんなパンツがあったんだ~!こちらも生地は上着と同じに見えるので、フランス製の生地から縫製したと考えられます。
(写真: 1963年11月, サイゴン)

しかしこれらのパンツ、個人がテーラーで作らせたにしてはデザインが地味過ぎると思います。フランスが置いていったTAP47は1960年代には在庫が枯渇しており、将兵の間でプレミア価格で取引される人気の服のはずなのに、そのオリジナルの生地を使ってわざわざ地味な国産型を作る意味が分からない。となると、このパンツは個人オーダーではなく、国産型の裁断が採用された1960年以降に工場で正規に生産された物である可能性もあります。リザード迷彩を含むフランスから供与された被服は全てフランスで縫製された後、インドシナに輸送されたという認識だったのですが、縫製前の生地も送られていたのでしょうか・・・?
  


2018年04月28日

イラスト進捗

とりあえず、空挺とレンジャーの迷彩服は1962~1975年までほぼ完了。海兵隊はまだ。


僕は常々「あの戦争を理解するためには、1940年代から1975年までの歴史を通しで捉える必要がある。」
と考えているので、そうなると軍装ガイドも1946年から始めたくなってしまいます。
当初は1960年以降に絞る気だったけど、もうここまで来たら、思い残す事の無いよう全部やってしまおう。
まだまだ時間かかるぜこりゃ。

あと問題は、その時代のフロッグスキンのカットがバラバラ過ぎて、
どれを一般的なスタイルとして載せたらいいか判断しかねる事。

(フランス植民地軍空挺インドシナ人中隊のベトナム人落下傘兵 1950年代前半)

「何でもいい」は困るんだよ。
夕飯何がいい?って聞いてるお母さんの気分。


  


2018年04月16日

代用ブーツ

ブラックレザーコンバットブーツ

 ベトナム共和国軍のブーツと言えばオリーブやブラック色キャンバス生地のキャンバスブーツがよく知られていますが、実はオーソドックスなスタイルのブラックレザーコンバットブーツも1960年代を通じて大量に使われていました。ある元陸軍将校の話では、当時キャンバスブーツは兵卒に支給される安物の靴という認識だったと言い、実際当時の写真を見てみても、空挺・海兵隊等のエリート部隊の隊員や一般部隊の士官・下士官は、1960年代末まで主に米軍式のコンバットブーツを履いていた事が見て取れます。また一般部隊の兵卒でも、キャンバスブーツと併用してコンバットブーツを使用している例が多数確認できるので、コンバットブーツは部隊・階級に関係なく支給された1960年代のベトナム軍を代表するブーツだったと言えます。

1966年トゥアティエン省フエ


 なのでベトナム軍リエナクターだったら最低一足は持っておくべきマストアイテムなのですが、実は僕、今の今までコンバットブーツを持っていませんでした。だって60年代の米軍のコンバットブーツってもうレアアイテムになって久しく、そんな貴重なものを屋外で実用したくはありません。
 そこで、ほとんど同じ形で値段の安い代用品を長らく探していたところ、コレクターの先輩に、タイ軍のブーツが最適だと教えてもらいました。そしてその後2回ほどタイに行く機会があったので、そのタイ軍ブーツを探したのですが、2回ともちょうどいい物を見つける事は出来ませんでした。ぱっと見似たような物はいくらでもあるのですが、なんか所々イメージと違います。タイの友人に聞いたところ、ああいう古い形のブーツはもうタイ軍でも使ってないから、今となってはタイ国内でもレアなのだそうです。残念。
 しかし僕が帰国した後、友人から良い感じのブーツを見つけたと連絡が入りました。なんでも、今から11年前に解体されたタイ国防省関係の教育機関で支給されていたブーツらしいです。しかも幸運にも彼は仕事で日本に来る事になったので、わざわざそのブーツを持ってきてくれました。あっりがとー!


米軍のようなお尻の割れ目はありません

この靴底は今時探したってなかなか無いから嬉しいです。



トロピカルコンバットブーツ

 ブラックレザーコンバットブーツは1960年代末まで全軍で広く使用されていたと述べましたが、それ以降、60年代末から70年代にかけて急速に普及したのが米軍のトロピカルコンバットブーツ(通称ジャングルブーツ)です。これもブラックレザーと同様に、特にエリート部隊隊員や一般部隊の士官・下士官に愛用され、一般部隊兵卒にもキャンバスブーツと並行して支給されました。

1973年3月 サイゴン近郊
(Photo by Peter Bregg/Canadian Press)

 このトロピカルコンバットブーツのレプリカ(およびデザインを真似たもの)は多数のメーカーから販売されていますが、僕が今代用品として使っているのは一昔前に出回った『韓国製』と呼ばれる物です。民間メーカーがファッション用に作ったものなのか、韓国軍で使われていた物なのかはよく知りません。米軍のオリジナルと比べると、なんかキャンバスの色がやたら黄色っぽいのですが、トゥーや空気穴の形状は今売っているレプリカよりも良いと思います。また靴底がDMSソール(通称ビブラムソール)なので、使える年代が広いのもうれしいです。DMSソールトロピカルコンバットブーツ(通称3rdパターン)のレプリカは過去にエリカクラブ(現S&Graf)から発売されていましたが、今となっては入手困難ですね。

これもオリジナルとは異なり、お尻の割れ目はありません。






オリーブキャンバスブーツ(仏軍ブッシュシューズ)

 第一次インドシナ戦争中の1949年にフランス連合軍の一部として発足したベトナム陸軍は当時装備品の調達をフランス軍からの供与に依存しており、最初に陸軍の戦闘用ブーツとして普及したのがフランス軍のオリーブ色熱帯地域用キャンバスブーツ『ブッシュシューズ(Chaussures de brousse)』でした。当時インドシナに展開していたフランス軍人の間では、雨やぬかるみの多いベトナムでは革製のブーツよりもこのブッシュシューズが実用的で好まれたといいます。その後、1960年代に入りアメリカ軍による軍事援助が始まると、アメリカ軍はベトナム軍で使用されていた仏軍ブッシュシューズのコピー品を沖縄や日本本土などで生産させ、ベトナム軍に供与していきました。(詳しくは過去記事キャンバスブーツ』参照)
 ただし上で述べたように、1960年代初頭にアメリカによる軍事援助が拡大し、ベトナム軍に米軍コンバットブーツが普及すると、見た目の問題からかキャンバスブーツは将兵からの人気を失い、以後は主に一般部隊(レンジャー部隊含む)の兵卒や訓練兵、CIDG部隊に使用されるにとどまりました。とは言え、人数的にはそういった兵卒が軍の大部分を占めるので、キャンバスブーツは依然ベトナム軍の主要なブーツの一つである事に変わりはありませんでした。

キャンバスブーツを着用するレンジャー隊員
※ただし60年代後半にはレンジャー部隊ではコンバットブーツが一般的となる。


 このオリーブ色キャンバスブーツの代用品および改造については以前『短丈キャンバスブーツ』に少しの載せましたが、それとは別の代用品(改造ベース)を入手したので、これも載せておきます。仏軍ブッシュシューズのデザインはファッション業界で人気を博したため、今でもパラディウムを始めたくさんのメーカーがそのデザインをモチーフにした靴を販売していますが、残念ながらどのメーカーもことごとく、オリジナルの仏軍ブッシュシューズそのものは再現していません。なので現状では、どのメーカーの物を買おうとも改造が必要です。
 さて今回はMAG FORCEというメーカーの物らしいです。こういった中国製の安い靴は改造ベースにうってつけだったのですが、近年販売されている物は、本来内側にあるはずの踝保護用の丸いゴム板が、何故かコンバースの様に外側に取り付けられてしまっているのです。これは剥がそうと思えば剥がせない物ではありませんが、確実に跡が残るのであまりやりたくはありません。そのためコンバース風になる前の古いロットの物を探していたところ、新品をリサイクルショップで発見しました。まだ改造前なので、そのうち改造していきたいと思います。

オリジナルの仏軍ブッシュシューズが備える土踏まず保護のゴムは、どこのメーカーも再現してくれません

  


2018年03月31日

部隊識別色

 この趣味をやっていると、度々、「南ベトナム軍が付けてる色付きネームテープやネッカチーフはどういう意味?」という質問を頂きます。マニアの間では、それらは一般に『大隊または中隊の識別色』と言われており、パレード用などいくつかの例外はあるものの、前線で使われているものに関しては僕も部隊識別色と考えていいと思っています。


 では、具体的にどの色がどの部隊を示していたかと言いますと・・・ほとんど分かっていません。師団や連隊までならそれなりに研究が進んでいますが、大隊・中隊といった末端の単位までは、さすがに資料が出てきません。なおかつ、その識別色に関しては、もしかしすると全軍で統一された規定によるものではなく、それぞれの部隊が独自に決めたものである可能性もあります。その場合、色と部隊の関係を知るには中隊単位まで所属がはっきりしている当時の写真を探して確認していく、もしくはその部隊に所属していた人に聞き取りするという手段で、全国に数千個存在した大隊・中隊を一つ一つ調べていく以外に術はありません。しかし、それはいくらなんでも不可能です。なので、特に人数の多い陸軍歩兵部隊や地方軍の識別色の全容解明は、今後も期待できないかも知れません。


ベトナム海兵隊のネームテープ

 しかしその一方で、数は少いですが、資料によって把握できている部隊もあります。まずはベトナム海兵隊。海兵隊では1960年代中盤以降、作戦服に付けるネームテープに大隊識別色が採用されましたが、陸軍や地方軍と比べるとはるかに規模が小さかったため、その識別色についてはほぼ解明されています。以下は大隊とネームテープの対応関係をまとめた図になります。


【識別色ネームテープの例】

 
(左)第2海兵大隊、(右)第1海兵砲兵大隊



空挺師団の大隊章

 また陸軍空挺師団では1960年代中盤以降、軍服の左肩エポレットに付ける大隊章の背景・台布が中隊ごとに色分けされていた事が知られています。空挺師団の各大隊は、中隊番号「0」の大隊本部中隊、「1」~「4」の歩兵中隊の計5個中隊で構成されており、大隊番号の末尾に中隊番号を加えたものが中隊名になります。そしてその0~4の各中隊に5色の識別色が割り振られており、0が緑、1が紫、2が青、3が黄(橙)、4が赤というパターンでほぼ統一されていました。例えば第11空挺大隊の本部中隊は「第110中隊」で、背景は「緑」になります。


 ただし理由は不明ですが、上の赤枠で囲っている大隊章だけはこの規則から外れています。まず、第3空挺大隊および第5空挺大隊では中隊ごとの色分けはされておらず、背景は全ての中隊(第30~34中隊および第50~54中隊)で青のみとなります。
 また更に不可解なのが第7空挺大隊の第71中隊でして、同大隊の他の中隊はすべて規則通りの配色になっているのにも関わらず、第71中隊だけは規則に倣った「紫」ではなく、例外的に「水色」で制定されています。

▲こちらの写真は戦時中、サイゴン市内の徽章屋が自社の空挺関連の徽章一覧を撮影したものですが、やはり第71中隊だけは水色であり、色の個体差等ではない事が分かります。(1964年制定の空挺部隊章があり、かつ1965年に編成される第9空挺大隊が入っていないので、撮影時期は64~65年頃だと思われます。)
同じ日に撮影されたと思われる別ショットの写真が見つかり、その中に1971年末に制定された徽章があったため、撮影時期はそれ以降である事が判明しました。[※2018年5月18日訂正]

▲左肩エポレットに取り付けられた中隊色付き大隊章。他部隊でもこの位置に識別色のスリーブを通す事はありますが、大隊章を取り付けるのは1960年代後半以降の空挺師団のみです。なお、この徽章の購入は任意だったようで、全体的には使用率は低かったようです。


レンジャー部隊の軍団タブ

[※2018年5月18日訂正]

 陸軍レンジャー部隊では、レンジャー部隊章の上にレンジャー群・大隊を示すタブが1970年頃1971年末採用されます。ベトナム共和国軍は第1~第4軍団という計4つの軍団および総参謀部直属の統合予備部隊で構成されており、レンジャー部隊はそれぞれの軍団本部直属の機動歩兵部隊であった事から、新たに制定された群・大隊タブでは、その色で所属している軍団(および統合予備部隊)を示していました。
しかし、この軍団ごとの色分けは制定から2年足らずの1972年ごろに廃止され、それ以降タブの色は軍団に関係なく全て「青」で統一される事となります。
※複数の研究者による検証・ベテランの証言などから、全ての軍団が青で統一されたとするRepublic of Vietnam Historical Societyの見解はどうやら誤りであったようです。

[2018年6月4日追記]
軍団タブについては新たに記事にしましたのでこちらをご覧ください。


▲レンジャー群・大隊タブの使用例。第33レンジャー群第83国境レンジャー大隊[※2018年5月6日追記]

レンジャー群・大隊タブと同じ場所に、同じような色付きのタブが付いている例が見られますが、これらは部隊を示す数字が入っておらず、色も軍団を示すものではありません。恐らくは各部隊が独自に作った、役職などを示すタブと思われます。群・大隊タブと非常に紛らわしいので要注意。


[2018年6月4日追記]
軍団タブ以前に使用されていた色付き大隊タブ・ネームテープについて新たに記事にしました。



僕が今現在把握している情報は以上になります。こういう地味な徽章に関してはまだまだ分からない事だらけなので、今後も地道に情報収集していこうと思います。



おまけ

突然ですが、色の話をしたのでラルクのVivid Colors。昨日車を運転しながら歌ってたら、またカラオケ行きたいモードに入ってきたので。

う~ん、最高。久しぶりに一人カラオケ行っちゃお~。うふふ。
  


2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトナム共産軍(ベトコン)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土が戦火に包まれ、以後半年間でベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ組織(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、ベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2018年02月20日

作画工程

 今作ってるベトナム軍装ガイドに使うイラスト(名付けて新マネキン男くん)がほぼ完成しました。
 僕はパソコンで絵を描く時はいつも、ちょいちょい途中経過を画像で保存し、それを見直す事で、「うん、進んでる。進んでる」と自分に言い聞かす事で、どうにか絵を描くモチベーションを保つよう心がけています。
 今回はちょっとした思い付きから、それら途中経過を繋ぎ合わせてGIFアニメを作ってみました。

参考にしたのはこちら
 isLog〜イズログ〜 https://www.islog.jp/entry/gif-animation/


新マネキン男くんの作画工程

 



2010年に描いた2011年テトの年賀状


 爆れつハンターのショコラとティラがベトナム共和国軍の女性軍人(Nữ Quân Nhân)制服を着ているという、なんともオタクくさいイラスト。しかしこんな絵でも、ネット上で拡散した末に、このイラストの題材とした政治戦総局厚生局にかつて所属していた元女性将校の方が、米国で開催されるNQNベテランの集会の告知に毎回このイラストを使ってくれているのだから、嬉しいやら恥ずかしいやら。


 僕は素人にしてはまぁまぁ絵が得意な方ですが、本当は絵を描くのが好きではありません。理由は簡単で、とても面倒くさいからです。僕にとって絵は、写真や文章と同じ情報伝達手段の一つに過ぎず、またその中でも絵はとんでもなく時間と気力を使う、極めて効率の悪い手段だと感じています。
 なので僕が絵を描くのは、その情報を表現するにはイラストしかないと諦めた場合のみ。つまり他に良い手がないので仕方なく描くといった感じです。こんな心構えなので、描くのが毎回億劫でなりません。電脳化して脳内で作った映像を直接デジタルで出力出来たらどんなに楽だろうと、いつも考えています。
 ないものねだりしても始まりませんが、やっぱり面倒なものは面倒なので、いかに効率良く情報を伝えるか考えた末に生まれたのが、上の新マネキン男くんなのです。その名の通りマネキンとして着せ替え人形になってもらいます。
 昔は自分の可能性を広げようと風景画から美人画、アダルトまで何でも描きましたが、数年前に気付いてしまいました。やっぱり僕は軍服それ自体にしか興味が持てない人間です。これを自分で認められるようになってからは、今まで『手抜き』だと思い避けていた手段を、『効率化』の名目で遠慮なく使えるようになったので、むしろやる気がアップしました。今後の新マネキン男くんの活躍に乞うご期待。
  


2017年12月23日

リプロネームテープと軍人身分証明書

【お知らせ】

先日のチャリティーパーティーの詳細を私の別ブログに投稿いたしました。よろしければご覧ください。

ベトナムウォッチ 『良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー』 

もし、これら現代ベトナムの社会問題について関心をお持ちの方が居られましたら、コメント欄にその旨と連絡先をご記入いただければ、こちらからご連絡さし上げます。(そのコメントは公開しません)

ちなみに、僕と面識のない方には誤解を与えているかも知れませんが、僕自身は自分の趣味とこの活動は別物と考えているので、ミリタリー趣味の場でこういった活動に誘う事はありませんので、どこかで会っても逃げないで下さい(笑)

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外注刺繍ネームテープ完成

友人たちから注文を募って刺繍屋さんに制作していただきました。



ありがたい事に刺繍屋さんは持ち込み無料なので、これまで服を改造する度に貯め込んできた各種リプロ軍服の端切れから生地を切り出し、それに刺繍していただきました。


工賃は枚数が多い方が割安になるので、僕は思い切って15枚注文。そんなに付ける服持ってないけど、今後欲しくなった時にこんなに安くは作れないので、この機会に一生分作っちゃいました。それに友人たちの注文分も加えて、計37枚作ってもらいました。
注文する際、お店側に分かり易いよう「サバゲーで使う軍服の名札です」と説明しましたが、刺繍する名前は日本でも欧米風でもない謎のローマ字の羅列なので、不思議がられたと思います(笑)


自家製軍人身分証明書

サイゴンに住んでる友達が僕の身分証を作ってくれました。


ただ実物画像をプリントアウトしたのではなく、印字は全て僕の指定した内容にし、写真も別でプリントしたものを貼り付けてくれています
ただし、階級は下士(Hạ sĩ =伍長)にしてって言ったのに、友人は「君は士官候補生のコスプレしたんだから、今後は将校ね」と言って勝手に少尉(Thiếu úy)にされました。いや、遊びとは言え、本物の将校さん達と付き合いのある身としては、僕みたいな外人が勝手に将校の階級名乗るのは宜しくないというか、今まで気を遣って避けてたんだよねぇ。
なお、裏面の誕生日や両親の名前は実名(漢字をクォックグー表記したもの)なので載せないでおきます。友人曰く、漢字を直にクォックグーに変換した名前は、実際にホア族(在越華人)で使われているそうなので、きっと君のご両親はチョロンのホア族だねと言われました(笑)

なおベトナム共和国軍の軍人身分証明書には少なくともテンプレート番号『QĐ-849』と『QĐ-849A』2種類のタイプが確認できまして、今回作ってもらったのはその中のQĐ-849になります。


シンプルなデザインのQĐ-849
表面左下に記載されているように、このテンプレートの制定は1966年8月のようです。
問題はいつまで使われていたのかという点ですが、それを説明する資料にはまだ出合えていないません。
ネットで実物画像を集めた限りでは、1972年発行まで確認できました。

偽造防止が施された改良型の『QĐ-849A
こちらはテンプレート制定年が印字されていませんが、同じくネットにある実物画像を観察した限りでは、1973年以降に発行されたものしか見つかりませんでした。
これは上記のQĐ-849が1972年まで確認できた事と辻褄があっており、軍人身分証のテンプレートは1972~1973年頃にQĐ-849Aへと切り替わったと考えていいかもしれません。

ところで、QĐ-849は1966年制定と書きましたが、当然、じゃあそれ以前の身分証は何だ?となりますよね。
実は、僕もよく分かりません。1972年以降なら、戦況の悪化から徴兵しまくったために証明書発行が間に合わず、軍人身分証に代わる簡易な『現役証明書(QĐ-750FおよびQĐ-750G/V)』も使われていたようですが、逆に1966年以前のものはなかなか見つかりません。
書類関係はネットで画像集めるだけで、本格的に研究した事はないので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、教えて頂けると幸いです。
  


2017年12月15日

服いじりの進捗

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(近況)

レプリカ軍装メーカーEA(East Asia Supply Co.)は、企業としての態度が腐りきっていると感じました。

【経緯】

商品代金を11月3日に支払い。受注生産の為、 5-7日かかると連絡あり。
その後2週間何の連絡も無し。
納期を問い合わせたところ、11月17日に「来週やる」と返答あり。
さらにその後4週間、音信不通。メール、電話にも応答せず。
12月14日、Paypalの問題解決センターから異議申し立てした事でようやく返答あり。
「今週はスターウォーズ衣装の制作で忙しいから、来週制作して送る」


あの社長は、下手に出ると、こういう態度で返す人間だったんだな。
どうやら半端なマニア達にチヤホヤされて天狗になってるらしい。
もうあそこの製品は二度と買いません。意欲的なメーカーだと思っていたのに、残念です。

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(ここから記事本編)

外注ボタンホール

 11月25日の記事に書いた3着のボタンホールが仕上りました。僕は親が仕事で使っている工業用ミシンを借りて使っているのですが、工業用ミシンには家庭用ミシンのようにジグザグ縫いやボタンホール縫いといった機能は無いので、ボタンホールを作る際は毎回穴かがり所(ボタンホール専門業者)に外注しています。
 毎回持ち込むのは面倒くさいのですが、穴かがり以外の工業用ミシンはうちに揃っているので、わざわざボタンホールの為だけに家庭用ミシンを買うのももったいないんです。家庭用ミシンだって安くはないので、外注と比較した場合、ミシン代の元を取るためにはボタンホールを数百個作らなければなりません。さすがにそんなに作らないし。

実物4ポケ カーキ作戦服 レストア

レプリカ警察クラウド迷彩服リニューアル

ヒューストン製米軍グリーンリーフTCUレプリカ ベトナム軍2ポケ化


ボタン取り換え

 ミシンの無い人でもお手軽に服のディテールアップを楽しめるのがボタン交換。上下セット7000円で売ってたセスラー製タイガーも、ボタンを良いものに交換するだけでそれなりに見栄えします。




 先月半ばから交換作業を始めましたが、やってるうちに「どうせならこれも交換しちゃおう」と、次から次へとボタンを外しては付けて、外しては付けてを繰り返しているうちに延べ100個くらい交換しています。(うちに自動ボタン付けミシンは無いので、全て自分で手作業です。)
 だけどまた新しい服が増えたりしたせいで、上のタイガーがボタン交換対象のラスト1着だったはずが、気付いたらさらにもう3着手を付ける事になってしまいました。自分が欲かいた為とはいえ、いつになったら終わるんだよ・・・。もう針糸持つの嫌になってきたので、ボタン付けはちょっとお休みしてます。




セスラー残念リーフキャップをベトナム軍八角帽化

 セスラーのグリーンリーフは生地がとても良い感じなんですが、なぜかキャップは、大戦中のP41P44キャップの裁断でU.S.M.C. CAPとして売られています。なぜこんな事したのか意味不明ですが、幸いトップ部分をミシンで縫うと簡単に八角帽の形になるので、安価な代用品としては絶好の素材です。
(2017年12月17日訂正 P41ではなくP44でした)


 当時のベトナム陸軍空挺師団や特殊部隊の写真を見ていると、よく帽子正面に降下資格章(シルク織り)を縫い付けて空挺隊員である事を誇示しているのが確認できます。一方、当然ですが降下資格の無い者は資格章を付けられないので、降下資格者がそれほど多くはないレンジャーや海兵隊ではあまり見かけません。

空気穴はP41P44と同じ緑色のハトメだったので、油性ペンで黒く塗りました。

 実物の迷彩八角帽は、帽体前面に芯が入っているタイプと、入っていないタイプの両方が確認できますが、やはり八角帽はトップが立っていた方がカッコ良いので、今回は帽子用のポリエチレン芯を縫い込んみました。
ただし実物の様に前側三面の芯を裏地で覆うよう改造するのは面倒な作業なので、ポリ芯は正面一面のみで、むき出しになってます。しかも空挺資格章縫う位置を間違えて何度も縫い直ししたせいで、芯もご覧のあり様。中は見ないで~!(笑)
  


2017年12月09日

おもいでのダクツタイガー

※今回は僕の思いでメインの記事です。

 幼少期より銃火器・ミリタリーが好きで、小3で初めてマルイのエアコキ(ベレッタ92F)を手にして以来、ずっとエアガンで遊んでいた僕は、当然のようにサバイバルゲームというものに惹かれていました。
 そして高校に入学すると、偶然にも自転車通学ルート上に草加のエアガンカスタム・サバゲショップUENS☆DAYさんがあり、僕はそのショップ主催のサバゲに参加すると共に、学校帰りにお店に寄り、ほとんど毎日入り浸るようになりました。お金のない高校生の僕は、店に行ってもエアガンを買う金は無いので、お店で売ってるカップラーメンとスーパーBIGチョコを店内で食べるのが日課になっていました。今考えると、サバゲを始めたこの時期にUENS☆DAYさんに出会った事が、僕の人生に大いに影響あるいは悪影響?(笑)を及ぼす事になります。

 僕はサバゲを始めた時点では、1990年代の米海軍SEALs装備が好きだったので、(当然金は無いので代用品で誤魔化しながら)それっぽい服装をしておりました。

▲16歳の時のわたくし。この時点ではベトナムには何の興味もなかったです。

 しかし周囲の環境と人間は完全にナム戦モード。関東で昔からナム戦ゲームやってる人なら知っているかも知れませんが、僕が偶然通うようになったUENS☆DAYさんは、オリジナルの電動M16A1アルミレシーバーやCISOリュック、STABOハーネス、SEALベストなどのナム戦軍装アイテムを制作・発売しており、また三郷の河川敷で度々開催されていたナム戦ヒストリカルサバゲイベントの運営にも携わっておられました。また店内には、常連が置いていったベトナム軍装関連の洋書が多数置いてあり、好きなだけ読む事が出来たのです。これだけナム戦ファン率が高いのは、たぶん当時でも珍しかったと思います。
 そしてそんな場所に足しげく通う僕も、自然とナム戦装備のカッコ良さに魅せられ、自分もやりたい言い出します。そこで周りの先輩たちが、予算に限りのある僕に勧めてくれた設定が、米陸軍の師団司令部付き長距離偵察チームLRRPでした。「LRRPならタイガー着てM56装備付けるだけでOKだよ。パッチも要らないよ」と。
 まぁ今振り返るとかなり大雑把な説明ですが、「君はこれを読みなさい」と、フランク・キャンパー著『ザ・ラープ』まで渡され、僕はウキウキ気分でLRRP隊員になる決意をしたのでした。そしてこれが運命の分かれ目でした。ここでもし通常の米軍歩兵装備を勧められていたら、僕は今頃違う人生を歩んでいたかもしれません。

 そしてLRRP装備の第一歩、そしてその後十数年どっぷり浸かる事となるベトナム軍装趣味の第一号として16歳の時に買ったのが、米国タイガー・ストライプ・プロダクツ(以下ダクツ)社製のレプリカ迷彩服。中古で上下セット3000円くらいでした。当時ダクツタイガーは日本全国どこのサバゲーフィールドに行っても見られる、極ありふれた迷彩服で、サバゲ用品としてはもちろん、街の古着屋でもいくらでも中古が安く売られていました。
 その後、1年かけて小遣いやバイト代をやり繰りしながらM1956個人装備やCISOリュックを集め、晴れてナム戦デビューを果たすのですが、そこで周囲の大人たちから思いもよらぬ言葉を浴びせられました。

「どう見てもヤードwww」 「南べ似合うね~!羨ましい(笑)」

 みんなひどい!だって僕はLRRPのアメリカ兵ごっこがやりたいからコツコツお金を貯めて装備を集めてきたんですから。高校生にとって装備一式と電動ガン集める金は大金でしたよ。
 今思えば、僕が言われた「タイガー買うだけでOK」云々の甘い誘い文句は、(あくまでアメリカ人役だけやりたい)自分たちの仲間に、CIDG役を一人加えたかったから、痩せてて背の低かった僕をCIDG役として引き入れるための策略だったのでは?と疑わしく思えてきます。
 とは言え、何度も何度も「似合う」、「羨ましい」と言われていると、悪い気はしないので、自分でもだんだんその気になってきちゃいました(笑) そしてインターネットで当時のCIDGやベトナム共和国軍の写真を集めるようになったのが、現在このブログを書くに至っているベトナム研究の入り口でした。

▲一度もLRRP役を経ぬままナム戦イベントにベトナム共和国軍特殊部隊役で参加。2004年『NAMっぽいのが好き』


 当時、周囲のナム戦趣味の先輩たちと南ベトナム軍ついて話していた時に言われた言葉を今でも覚えています。ある方が僕に、冗談のつもりでこう言いました。

「もしかしてタイガ君、十年後には"南ベトナム軍の第〇師団の配置は~"とか言うようになってるんじゃないの(笑)」

 どなたが言った言葉なのかちょっと思い出せませんが・・・。その冗談、現実になってますよ。多分その人も、そして僕自身も想定していなかったレベルで。

 今も似たようなものですが、当時もベトナム共和国軍というの不人気軍隊の師団の配置に関する知識など、超マイナー・マニアックと見做される物でした。そして、そんな変態そうは居ないという意味で、この台詞は冗談になり得たのです。
 なお今現在の僕は、「マイナー」や「マニアック」という言葉に興味がありません。人の興味が千差万別なのは当たり前であり、僕にとっては多数派である事に価値は無いのと同時に、少数派である事もまた無価値です。
 ではなぜ、あれから十数年もベトナム共和国軍に興味が持ち続けているのかと言いますと、それは単純に20世紀後半最大の戦争の中心勢力に興味を持ったために、それを調ているだけなのです。僕にとってそれは歴史を振り返る上で非常にオーソドックスなアプローチの仕方であり、今となっては寧ろこれが「マニアック」と見做されている現状の方に違和感を感じています。
(マニアックという言葉の本来の意味って、「ある事に極端に熱中しているさま」なんですね。てっきり酔狂や奇特な志向の事だと思ってました。本来の意味では、確かに僕はマニアでありマニアックしてますね。)

 話が脱線しましたが、かつて自転車で1時間かけてサバゲに行っていた埼玉の高校生が、たまたまナム戦コスプレと出会い、10年後には自分がコスプレしていた部隊の元将兵たちに親しくして頂けるまでになったわけですから、我ながら数奇な縁があったものです。これは決してそうなる事を見越して努力した訳ではなく、たまたま出くわした状況に対し好奇心の赴くままに突き進んだ結果なのですが、今振り返ってみると、単なる偶然と呼ぶには出来過ぎてる気もします。なにか運命めいたものでもあるのでしょうか。
 こんな感じで僕の人生常に流動的ですので、この先どうなるのか全く予想がつきませんが、10年後の自分がこの記事を読み返した時どう思うのか、今から楽しみにしておきます。



ダクツタイガーのレストア&改造

 この記事、本当はこのレストアの話がメインのはずだったのですが、思い出話を書いているうちに随分長くなてしまい、こっちがおまけみたいになっちゃいました。まぁ大して内容も無いので、簡潔に書きます。

 上記の16歳の時にLRRPやるために初めて買ったダクツ製のタイガーは、まだ捨てずに家の軍服入れにしまってあります。しかし長いこと、ダクツなんていつでも手に入る安物リプロという認識だったので、まだ知識が浅かった時分に改造服のベースにしており、いろいろイタズラした結果、今やジャケットとパンツ共に、ポケットやボタンも無いまっさらな状態になって、箪笥の肥やしになっていました。


 しかし今になって実物や他のメーカーのリプロと見比べてみると、ダクツタイガーは案外出来が良かった事に気付かされます。タイガーストライプは現在でも複数のメーカーから絶え間なくリプロが発売される人気迷彩服ですが、値段が張るそれら新作リプロと比べても、ダクツの再現性は馬鹿に出来ません。ボタンを変えるだけで、ぱっと見本物っぽく見えてしまいます。(ただし僕が持ってるような古いロットの物だけ。それ以降だんだんおかしくなり、現行品はリプロ軍装ですらない、ただのミリタリー風ファッション)
 また、かつてはあれだけ投げ売りされていたこの服も、いつしか市場から消えてしまい、気付いたら良い時代のダクツ製品が手に入りにくくなってしまいました。
 こうして、生地取り素材として箪笥に眠っていたダクツタイガーの価値にようやく気付いた僕は、この服を再び着る為、どうにかしてレストアする事にしました。
 まず必要なのはポケット用の布です。胸ポケットだけならジャケットの袖を切って半袖にする事で生地を確保できますが、今回はパンツのカーゴポケットも必要なので、袖だけでは生地が足りません。そこでしばらくダクツタイガーの中古を探し回った結果、運良くほぼ同じロットと思われるパンツを入手する事に成功しました。
 素材さえ手に入れば、あとの縫製は馴れたものです。ただ、ダクツと同じ裁断(通称USタイプ)のリプロは他にも持っているので、オリジナルに戻すだけではつまらないと思い、今まで持っていなかったタイプを再現してみました。


MADP系タイガーストライプの裁断には多数のバリエーションがあったことが知られていますが、今回はその中でも、当時2ボタンマチポケット(USタイプ)、1ボタンマチポケット(アジアンタイプ)に次いで多く用いられた、隠しボタン雨蓋マチポケットを再現してみました。

隠しボタン雨蓋の使用例(ベトナム陸軍特殊部隊)

ボタンを留める輪っかも再現。ボタン自体は東京ファントム製ベトナム軍2ポケグリーンリーフ迷彩服に付いていた物を移植しました。またポケットの寸法はMASHのアジアンタイプから採寸して再現しています。

 
ズボンは一般的な2ボタンマチポケットで、素材用パンツからカーゴポケットをそのまま移植。

ここまでやれば、思い出の品のレストアとしては十分でしょう。
しかし毎度の事ながら、服をいじるのは良いけど、その服をイベントで着るはいったい何年先なるのか分かりません。
  


2017年11月25日

最近やった服いじり

実物4ポケ レストア

無知な業者によって残念な姿にされてしまった『元』ベトナム軍実物4ポケット カーキ作戦服をレストア中です。


胸ポケットの形状(ほぼ正方形)や背中側のウエストを絞るフラップから、この服は元々4ポケットだった事が分かります。
ベトナム戦争末期の1970年代に普及した4ポケットは、1960年初頭以来使われている2ポケットよりも遥かに生産時期が短いため、今となっては貴重な服なのですが、ベトナム共和国軍軍装の研究が進んでいなかった一昔前は、マニアですら4ポケットの存在をあまり認識しておらず4ポケットを買い求める者が少なかったため、一部の軍装ディーラーはそれら実物4ポケットから下のポケットを取り払い、『より売れる』2ポケット風に改造して販売するという事を繰り返していました。この粗悪改造によって一体何着の実物4ポケが潰された事か…。
その内の一着が巡りめぐって僕の手元に来たので、せめてもの供養に本来の4ポケットの姿にレストアする事にしました。やる事は単純で、下ポケットを作り直せばいいのです。ただし別の布を使ってしまうと服の生地と色が合わないため、色を合わせるためにはこの服からポケット用の布を捻出するしかありません。そこで七分丈になっていた袖をさらに切って半袖にし、その布でポケットを作る事にしました。(半袖化自体は戦時中もよく行われた改造です)
ポケットの寸法は、服に元のポケットが外された跡がうっすら残っていたので、それに合わせて作成。


幸い部分的に色落ち具合が違うという事も無く、目論見通り色はマッチしています。外されていたウエストフラップのボタンも、実物と瓜二つの戦後ベトナム製ボタンを付けて再現。あとは穴かがり屋さんに持ち込んでポケットの雨蓋にボタンホールを開けるだけです。
本当にこだわってレストアするなら、ミシン糸やボタンホールの処理は現代のポリエステル糸ではなく、当時風の綿糸を使うべきなのですが・・・、僕はコレクターではないので、そこは妥協してしまいました。


警察迷彩服リニューアル

以前『警察迷彩服の続き』でいじったリプロ迷彩服を、さらにいじり倒しました。

新品状態


改造後



前回からの変更点は、エポレット追加、ポケット形状変更、半袖化、ベトナム製ボタンに取り換え、自作第611野戦警察中隊パッチ取り付け、以上です。ぱっと見本物っぽい雰囲気出てきたかも。
あとはエポレットにボタンホールを開け、注文中の刺繍ネームテープを取り付けて、階級章を自作すれば完成です。


ヒューストン製米軍TCU ベトナム軍2ポケ化

数年前ベトナム国産TCU型作戦服を再現すべく改造したヒューストン製TCUを、さらに2ポケ型に大幅改修。ついでに七分袖化も。


ポケットを作り直しただけで大分イメージが変わるけど、実は背中を見るとTCUだった名残りで当て布が残ってます。これを外すためには袖だけじゃなくて襟周りまで一度糸を解かなくてはならず、なかなか大変なので、今回は手を付けませんでした。なおボタンはクラッシファイド製を付けています。
これもあとはポケット雨蓋のボタンホールを開けるだけです。この服をどういう設定にするかは、完成するまでナイショ♥



根性のボタン交換

服自体の改造ではないものの、手持ちの各種戦闘服のボタンをよりリアルな物に交換する作業を始めました。
ボタン交換は地味に面倒くさい作業なので、そのうちやると言って何年も放置している服が何着もたまってしまいました。
このままではいつになっても出来上がらないので、上記の改造をやるついでに、ボタン交換予定の服から今付いているボタンを全て外し、ボタンを取り付けない限り着られない状態にしてやりました。ああ、せいせいした。


ここから先は自分との戦いです。やる気があるうちに一気に進めるしかありません。




EA製2ポケERDL作戦服×ベトナム製ボタン (これで手持ちのベトナム製ボタンの在庫は全て使い果たしました。)



東京ファントム(だっけ?)MDAPタイガーストライプ×EA製ボタン



改造服も含めて6着、ボタン60個以上を一気に交換しました。ああ疲れた。でもまだ1着ボタン未取り付けが残ってる。



おまけ

作業中はずっとvistlipの曲を聴いてました。良い歌作るなぁ。
特に「HEART ch.」と「深海魚の夢は所詮、」は聞く度にウルッと来るので、車の中でもいつも聞いてます。



  


2017年11月21日

いろんなTAP47

先日撮影会を行った際に、TAP47系ジャケットを着て集合写真を撮る事が出来ました。


左から
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品)
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品・染色加工)
実物 パステルリーフTAP47
実物 TAP47/53

僕は当日メダルを忘れてしまい、さらに持参した白靴紐のジャンプブーツに履き替えるタイミングも逃してしまったので、礼装状態ではありません。また改めてフルメダルのパレード装をやりたいと思います。


 Tenue de saut Mle 1947、通称『TAP47降下服』とは、フランス軍が1947年に採用した戦闘服の一種で、落下傘降下時の防風・防寒を目的とした空挺部隊(TAP)向け被服です。折しも当時は第一次インドシナ戦争が激化の一途を辿っており、TAP47降下服はインドシナに派遣されたフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に使用されます。そしてその後もTAP47は改良を重ねながらアルジェリア戦争期まで使用されていました。
 また第一次インドシナ戦争中にフランス植民地軍内に組織され、後にそれぞれの国軍となったインドシナ諸国の空挺部隊もフランス軍からこのTAP47系降下服を供与されており、それらの国々では1956年にフランス軍がインドシナ半島から完全撤退した後も、TAP47という服はエリート部隊の証と見做され、1970年代まで空挺部隊の伝統を表す正装として扱われていました。この記事では特にベトナム軍で使用された各種TAP47系降下服をご紹介します。




※2017年11月26日追記

<フランス軍TAP47>
インドシナ諸国で使用されたTAP47はフランス連合時代にフランス軍から供与されたものがでした。

TAP47

最初期のTAP47にはリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在し、その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1951年]


TAP47/51

TAP47/51はTAP47の1951年改良型で、こちらもリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在しました。(パンツはカーキのみ)。(※ごく少数ながらリザード迷彩の47/51パンツも生産されていたとご指摘いただきました。)その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1953~1955年頃]


TAP47/52

TAP47/52はTAP47の1952年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。1953~1954年までベトナム国軍空挺部隊に供与され、ディエンビエンフーの戦いなど数々の激戦で用いられた、TAP47シリーズの中でも最も多く戦闘に用いられたタイプです。第一インドシナ戦争終結後も、1960年代初頭までTAP47/52は空挺部隊で実用される降下用被服でしたが、後に作戦服はブラッドケーキ迷彩服等に切り替わっていったため、以後TAP47/52(主にジャケット)は礼装として珍重されるようになります。
[画像: ベトナム陸軍特殊部隊, 1960年代後半~1970年代前半]


TAP47/53

TAP47/53はTAP47の1953年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。第一インドシナ戦争中に採用されたものの、フランスで生産されたこの服が実際にインドシナに到着したのは終戦間際の1954年前半であり、本格的に前線部隊への支給が始まったのは第一インドシナ戦争終結後と考えられています。戦後に支給されたため47/52と比べると戦闘による消耗は少なく、1960年代以降はこの47/53が礼装として多く用いられるようになります。なお上の写真のように上下揃いで着用されるのは部隊単位で在庫していたまたは購入した場合のみで、個人の場合は上下揃いで買う者は少なく、多くの場合着用されるのはジャケットのみでした。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1967年11月1日国慶日]


<非正規TAP47>

 1960年代に第二次インドシナ戦争が激化すると、需要と反比例してフランス製TAP47シリーズの在庫は枯渇していったため、特にベトナム共和国軍では当時国内に存在していた各種迷彩生地を使ったTAP47と同型の非正規な服が、パレード用の礼装や晴れ着として、部隊単位あるいは個人的に製作されるようになりました。

イギリス軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩生地
ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩は元々、第二次大戦中にイギリス軍が開発した空挺部隊の降下スモックに用いられていた生地で、第一次インドシナ戦争期にイギリスがフランス軍に供与し、さらにその後フランス軍によってベトナム軍にも供与されました。こうした経緯から、1960年代初頭にはウィンドプルーフ迷彩を基にしたブラッドケーキ迷彩がベトナム軍によって新たに開発されます。ただしウィンドプルーフ迷彩の被服は通常、イギリス軍と同型のスモックや、フランス軍独自のジャケット・パンツであり、写真のTAP47型は個人的にオーダーメイドされたと思われる非常に稀な例です。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代後半]


ベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩生地
ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩は、フランス軍のTAP47(および同じ生地のTTA47)のリザード迷彩を基にベトナム海兵隊が1950年代末に開発した迷彩です。ただし海兵隊は空挺部隊を保有していない為、実戦で降下服を着用する事はなく、写真のTAP47型は純粋にパレード用の礼装として極わずかに制作された物と考えられます。
[画像: ベトナム海兵隊海兵旅団, 1966年6月19日国軍の日]


民間ERDL(インビジブルリーフ)迷彩生地
ERDLパターンは元々、1948年に米陸軍ナティック研究所で開発されたものの、米軍での採用は長年見送られており、軍よりも先に民間のハンター用迷彩服として出回った迷彩でした。ベトナム軍は1965頃にこのERDL(インビジブル)迷彩を作戦服の迷彩として採用し、1967年頃まで支給しました。このTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1966年?]


アメリカ軍ERDL(グリーンリーフ)迷彩生地
1967年にアメリカ軍がついにTCU(熱帯戦闘服)用迷彩として改良型ERDL(グリーンリーフ)迷彩を採用すると、ベトナム軍の標準迷彩もインビジブルからグリーンリーフに切り替わり、以後70年代初頭までグリーンリーフ迷彩の作戦服が支給されました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: トナム陸軍空挺師団および海兵隊, 1967~1969年頃]


ベトナム軍ERDLレンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩生地
レンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩はアメリカ軍のERDL迷彩を基にしたベトナム国産の迷彩で、1968年頃から支給が始まり、1970年代に入るとグリーンリーフにとって代わってベトナム軍の標準迷彩となりました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代末~70年代前半]


フランス軍リザード迷彩ポンチョ生地
上記のようにベトナム国産のTAP47系降下服には様々な迷彩生地が用いられたものの、将兵の間で最もステータスとされたのはやはりオリジナルのフランス製(リザード迷彩)でした。しかしフランス連合脱退から20年近く経過し、オリジナルは入手困難であったことから、中には迷彩服ではなく、フランス軍の迷彩ポンチョを改造してまでリザード迷彩にこだわる士官もいた事が写真から伺えます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団衛生大隊主任軍医チャン・ドゥック・トゥオン博士, 1970年代前半]


上記以外にも、聞くこところによるとフランス製TAP47の欠乏に伴いベトナム軍が韓国に発注して作らせたという韓国製リザード迷彩や、ベトナム国家警察ナショナルポリス(クラウド)迷彩のTAP47系降下服まで存在したそうなのですが、残念ながらそれと確認できる当時の写真を僕はまだ見付けられていません。


<おまけ>

今回記事を書くにあたってTAP47系の着用例を見直していたところ、非常に気になる写真を見つけてしまいました。

 
撮影時期は不詳なのですが、クーデターによって1963年11月2日に暗殺されるゴ・ディン・ジエム総統が映っている事から、確実にそれ以前の写真です。
手前の兵士はTAP47系の降下服を着ていますが、問題は服ではなくその袖に付いている部隊章です。服装から部隊は空挺旅団である事は間違いないと思うのですが、その部隊章が、どうも当時空挺旅団で使われていたと考えられているタイプ(下向きの鷲)には見えないのです。むしろ、どちらかと言うと、1964年後半以降(※)に見られる新型(白頭鷲)に見えます。かなり不鮮明なのですが、拡大して見比べてみるとこうなります。

※新型が使われたのは、一般的には空挺旅団が師団に昇格した1965年12月末(実質的に1966年)以降とされていますが、実際には1964年中から使用されていた事を以前記事にしました。過去記事撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』参照
 
もしこれが新型であったらなら、これまで一般に1965年12月と書かれ、僕自身も1964年中だと思っていた採用時期は、さらに遡って1963年以前という事になります。これはすごい発見かも知れません。しかしこの画像だけでは確かな事は言えないので、さらに当時の写真を調べて行こうと思います。

※2018年7月12日追記
部隊章の採用時期について新たな知見が寄せられました。
新記事参照 『ベトナム陸軍空挺部隊の部隊章』 
  


2017年11月13日

迷彩ヘルメット塗装

ずっと前からこの柄の迷彩ヘルメットが欲しかったんです。



過去記事『つるつるヘルメット』でやったように、安物のレプリカM1ヘルメットの塗装をペイントリムーバーで剥離。



最初はカモフラージュの下書きをマジックで塗装面に直接書いたけど、いざ塗り始めると境目が見えなくなって下書きの意味が無くなってしまったので、これは失敗。塗装全部落としてやり直し。



今度はマスキングテープを全体に貼り、その上に下書き。
さらに下書きに沿ってマスキングテープを各色ごとに切り出し、一旦すべてはがす。



各色ごとにエアブラシで塗装。塗ったら切り出したマスキングテープを再度乗せて、別の色を吹く。


しかし調色時と吹き付け時、乾燥後で色が全然違って見えてしまい、気に入った色にならず何度も何度も塗り直す事になる。
薄青緑の部分はMr.カラーの「ライトブルー」をベースに「エアスペリオリティーブルー」、「スカイブルー」、「グリーン(緑)」を加えて調色。最終的には納得のいく色になったけど、もう二度とこの色を再現できない。
茶色部分は「艦底色」に「ブラック(黒)」と「レッド(赤)」を混ぜたもの。黒を入れ過ぎたせいで赤みが薄れてしまった。何も加えず「艦底色」そのままの方が良かったかもしれない。


塗り分けから調色まで何度も何度もやり直す事となり疲れてしまったので、一応これで完成とします・・・。
結局最後まで茶色の部分の調色に悔いが残ったので、自分としては70点。
なんか納得いかないので、今回のは試作品として、そのうちまた作り直します。
  


2017年11月07日

ベトナム製リプロの憂鬱

 前回の記事『2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服』で紹介したベトナム製リプロにもうひと手間かけてディテールアップ、と言うか悪あがき。
 前回、この服は肩部分は迷彩服型のように肩当とエポレットの両方を備えており、カーキ作戦服としては不自然と書きましたが、変な部分はそれだけではありません。本来、2ポケット作戦服は首元まで襟を閉じられるよう第1ボタンとボタンホールが備わっているのですが、このリプロにはそれがありません。1970年代に普及する4ポケット作戦服からは第1ボタンが省略されるようになりますが、2ポケットはどのタイプでも必ずと言っていいほど第1ボタンを備えています。(改めて写真を見直したところ、無いタイプも結構見られました。)なので昨日、自分で穴かがり所(ボタンホール加工専門業者)にこの服を持ち込み持ち込み、ボタンホールを作ってもらいました。単発だと工賃は結構高くて、一カ所開けただけなのに540円しました。
 しかし、ボタンホールは単に加工すれば簡単に解決できる事なので大した問題ではありません。この服の本当の恐ろしさは下の写真の中に隠されています・・・。

おわかりいただけただろうか・・・・・・。

 そう、第2ボタン以降、前合わせのボタンホールが4つ全て縦に開けられているのだ・・・。これはベトナムで買った時点で最初からこうなっていました。無駄に肩当・エポレット付けてそれっぽい雰囲気出そうとしてるくせに、なんでこの部分を間違える・・・。
 なので当初は前合わせの生地の端を内側に織り込んで縦ボタンホールを隠し、新たに横穴を4つ開けようと考えていましたが、いざ工程を考えてみると、前合わせは襟の形に直結する部分なので、下手にいじれないという事が分かり、結局その案は断念せざるを得ませんでした。
 したがって第1ボタンを追加するにあたっては、ボタンホールの向きを正しい横向きにするか、他の穴に合わせて縦にするか悩みました。第1ボタンも縦にしてしまえば、一つだけ向きが違うという違和感は無いですが、襟はボタンホールが一番目立つところなので、そこが縦なのは恥ずかし過ぎます。結局、第2~第4ボタンは、ボタンを閉じてしまえば穴の向きなんてあまり見えよね!と自分に言い聞かせて、第1ボタンは横穴にしました。不本意ですが、僕にはこれ以上の改修は無理です・・・。

 ちなみに過去に何度か記事に載せている、このベトナム製実物パステルリーフ生地リプロ(生地は当時物だけど縫われたのは近年)も全く同じ状態でした。2ポケットなのに第1ボタン無し。前合わせボタンホールは縦穴・・・。せっかく実物生地なのにこれは残念過ぎます。もったいない・・・。


 今気付いたのですが、この服も一緒にボタンホール開けてもらえばよかったです。すっかり忘れてました。また近いうち穴かがり所に持ち込みます。

 なんで本国製のリプロがこんなにいい加減なんじゃい!と憤りを覚えます。恐らくこれらのリプロは外国のマニアや業者がベトナムの洋裁屋に発注して作らせたものですが、その際服の仕様のに指示が上手く伝わらなかった、あるいはそもそも発注する側に知識がなかったのだと思います。当然ですが、いくらベトナムであっても、その辺の町の洋裁屋さんが3・40年前に消えた旧政権の軍服について詳しい知識を持っている訳が無く、単に注文された通りに作っただだけのはずです。またその後、「こういう服は外国のマニアに高く売れる」と気付いたベトナムの業者が、先に生産した=誤った仕様の服をそのまま同じ形で作り続けた為に、このような粗悪なリプロが出回っているのだろうと推測しています。
 これはパッチについても言える事で、一度マニアがベトナムにレプリカパッチを発注すると、その後同じものが大量に出回るという現象が20年以上前から続いています。ただし、近年はナム戦マニア人口の減少によって正しい知識を持った客が少なくなってきたためか、レプリカを作る側もどんどんいい加減になり、最近ベトナム国内で作られているレプリカパッチの多くは、もはやレプリカとも言えない劣化版?お土産品?ばかりになってしまいました。これからは過去に作られた良質なレプリカパッチの値段が上がっていくかもしれませんね・・・。いや、マニア人口が減って需要が無くなるから、そうでもないか。


おまけ

なかなかしっくりくる色合いにならず、3回目の塗り直し中。塗料代えらい使ってます。
完成したら改めて記事にします。



ベトナム軍ごっこに季節は関係ない。
ベトナムやラオスでも高地なら気温は10℃くらいまで下がるし、草木も茶色くなる。


雪が降ったらアメリカ研修ごっこすればいい。


まだ冬服そろってないけど。
  


2017年11月03日

2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服

2ポケット作戦服の裁断について

改修について語る前に、まずベトナム共和国軍の作戦服の裁断についておさらいです。
ベトナム共和国軍は1950年代末まで、フランス連合時代に供与されたTTA Mle47系戦闘服を主に使用していましたが、1955年のフランス連合脱退によってフランスによる軍事援助が終了したため、TTA47系の在庫は減っていく一方でした。
そこでベトナム海兵隊(TQLC)は、独自に開発したザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服用の裁断として、TTA47が持つエポレット・肩当のデザインを残しつつも、新たな同盟国アメリカのユーティリティユニフォームの意匠から貼り付けポケットシャツ・パンツのデザインを取り入れた新たな戦闘服を1950年代末に採用します。

1960年以降は、この海兵隊作戦服から派生した各種2ポケット裁断が一般部隊向けのカーキ作戦服(Quân phục Tác chiến Khaki)の裁断としても採用され、以後1975年の終戦まで、ベトナム共和国軍の標準的な作戦服として15年以上に渡って使用されていきます。
2ポケット作戦服にはポケットの形状や袖丈・肘当て・ペンポケット・袖ボタンの有無など、細かく見ると数えきれないくらいのバリエーションがありますが、一番分かり易い肩部分の構造に絞って分類すると、大きく分けて肩当型・迷彩服型・エポレット型・簡略型の4種類の裁断がありました。
※この名称は僕が名付けたもので、一般的なマニア間での呼び方ではありません。

・肩当型

1950年代末にベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服に採用した裁断で、肩に肩当のみを持つタイプです。1960年代初頭からは一般部隊向けのカーキ作戦服の裁断としても採用され、こちらは以後1960年代末まで全軍で広く用いられました。なお、日本ではこの裁断は迷彩服型と共にM59と呼ばれてきましたが、この裁断は1958年製が確認されており、M59という呼び方は不適切だと思います。


・迷彩服型
肩当型に加えてエポレットも備えたタイプで、1960年代初頭から各種迷彩服の裁断として用いられ、1975年まで製造が続いた、エリート部隊を象徴する裁断です。一般部隊向けのカーキ作戦服にはほとんど用いられません。こちらも日本では長年M59と呼ばれてきましたが、1959年採用ではないので、M59という呼び方は不適切だと思います。



・エポレット型
肩にエポレットのみを備えたタイプで、こちらも1960年代初頭から海兵隊ザーコップ迷彩作戦服の裁断として一部で用いられました。また同時にカーキ作戦服の裁断としても採用され、以後1975年までカーキ作戦服や各種迷彩服のバリエーションとして使用例が見られます。


・簡略型
エポレットと肩当の両方を省略したタイプで、カーキ作戦服の代表的な裁断です。肩当タイプと並行して1960年代初頭から支給が開始され、以後1975年の終戦まで約15年間に渡ってベトナム共和国軍の最もスタンダードな作戦服として用いられました。また稀に迷彩服に用いられる事もあります。

[2017年11月5日追記]

また、パンツにも膝当て、カーゴポケット、貼り付けポケット等に様々なバリエーションがありますが、今回は割愛します。



戦後ベトナム製リプロをエポレット型化

昨年ベトナムに行った際、このようなベトナム共和国軍カーキ作戦服の戦後製リプロを買ってきました。使われているボタンは、ベトナム共和国軍用の実物金型をそのまま使用して戦後ベトナム人民軍の軍服用に再生産されたと思われる物で、本物と瓜二つです。


しかし上着の裁断に不満があるので自分好みに改修する事にしました。
まず、この服は肩にエポレットと肩当布の両方を備える迷彩服型の裁断ですが、カーキ作戦服にこの裁断が用いられている例はほとんど無いので、迷彩服型以外の裁断に改修する必要があります。なので今回は肩当を取り払って、エポレット型に改修してみました。一度肩口の上半分を外して肩当を取り、再度エポレットと肩口を繋げます。



ミシン跡は残るけど、生地は新品なので色違いにはならないし、何度か洗濯すれば縫い跡も目立たなくなるので大丈夫さきっと。
あと、胴体がやたら太かったので、脇から下を18cmほど詰めてスリム化しました。

残念ながら脇の辺りは立体構造なので素人には難しいく、シワになってしまいました。着てしまえば分かりませんが。
ベトナム共和国軍コスプレを始めて14年目にしてようやく気付いたのですが、実はベトナム兵を演じるにあたってスリム化すべきはパンツではなく、ジャケットである気がしてきました。確かに当時のベトナム兵の間ではパンツを細く改造する事が流行っていたようですが、それを私のような典型的な胴長短足体形の人間が真似しても、ただ足がムチムチになるだけでちっともカッコ良くありません。当時のベトナム兵はとにかく足が長くて顔が小さいモデル体型が多かったので、細いパンツも似合っていたのです。ですから、私のような体形でも足を長く見せるためには、パンツはあまり細くせず、代わりに上着を細くして上半身を小さく見せるのが一番良いと考えるようになりました。


クラッシファイド製リプロを簡略型化


こちらは友人の依頼で、肩当型を忠実に再現しているクラッシファイド製リプロから、肩当を外して簡略型にする改造を施したものです。こちらもベトナム製リプロと同様に、肩口の上半分の糸を外して肩当を取り外し、再度肩口を縫い直しています。こうする事で、肩当型の使用例が少ない1970年代の設定でも使えるようになります。
ただし、この改造は色落ちしていない新品の生地でないと、肩当を外した部分だけ色が変わってしまい恥ずかしい感じになるので、お勧めできません。やる場合は新品を購入しましょう。それだけの価値はあります。クオリティも上のベトナム製よりクラッシファイド製の方がずっと良いです。http://www.mil-classified.jp/SHOP/A-1-010-01.html

また各種裁断のカーキ作戦服はベトナム陸海空軍・地方軍・国家警察はもちろん、

CIDG(CSFおよびマイクフォース)や

PRU(米CIA指揮下)、

NKT(米MACV-SOG指揮下)、

LĐNN(米海軍SEAL出向)

といった特殊部隊にも大々的に支給されていました。
なので僕はそれぞれの部隊設定が出来るよう、カーキ作戦服をあと7着くらい欲しいです。
(パンツは7本も要らないので、できれば上着だけ売って欲しいんですけど(笑))



  


2017年10月20日

通称"カオダイ軍ベレー"の正体について

我が家にある数少ない実物軍装の一つなので、まずは外観から。


リボンに使われた形跡が無いので未使用品。TTSXQT(ベトナム国防省装備生産センター)スタンプは画像ではかなり薄いですが、目で見ると辛うじてサイズA5、1965年11月と読めます。


知ってる人には常識ですが、このベレーに付いているベレー章は『カオダイ軍(Cao Dai Army)』の物として知られています。しかし、このベレーについて調べれば調べるほど、その通説が疑わしく思えてきたので、その訳を書いていきます。またこの疑問を抱いていたのは私だけではなかったようで、海外のコレクターの間でもいくつかの説が唱えられていました。

Wehrmacht-Awards.com

このベレー章の正体については現在、大まかに言って以下の3つの仮設が挙がっています。

1. カオダイ軍およびカオダイ教徒を示すベレー章である。(通説)
2. 元々はカオダイ部隊のものだったが、1955年にカオダイ部隊がベトナム国軍に吸収されると陸軍一般兵科用として広まった。(某ベトナム人コレクター)
3. そもそもカオダイ教は無関係。ただの陸軍一般兵科ベレー章だ。(某米国人コレクターなど)

僕は正しいのは2か3の説であり、1の通説は間違っていると考えています。以下にその理由を挙げていきます。


カオダイ部隊が最も活躍した第一次インドシナ戦争中には問題のベレー章は確認できない

 
▲フランス連合カオダイ部隊(Troupes Caodaïstes)部隊章 [1947-1955年2月]
第1次インドシナ戦争中に編成されたカオダイ部隊の部隊章は右胸に付けるバッジのみでした。


◆ベレー章の使用が確認できるのは1955年から

チン・ミン・テー准将の葬儀 [1955年5月6日サイゴン]

上の写真は僕が問題のベレー章の使用を確認している最も早い時期の写真です。カオダイ部隊はフランス軍の撤退に伴い1955年2月13日にベトナム国軍に編入されると同時に部隊章も新しいデザインに更新されおり、このカオダイ部隊司令官チン・ミン・テー准将の葬儀の写真にも新デザインの部隊章を付けたカオダイ兵士が確認できます。そしてこの時点で問題のベレー章が使用されている事から、少なくともその採用時期は1955年前半だという事が分かります。

▲ベトナム国軍カオダイ部隊(Force Armée Cao Dai)部隊章 [1955年2月~1955年10月?]

ただし、このベレー章はほぼ同じ時期に他のベトナム国軍部隊でも使用例が確認できるため、カオダイ部隊を示すベレー章とは言い切れません。

 
▲ベレー章と共に看護総隊(Tổng đoàn Quân y tá)の徽章が確認できる [1955年7月]


◆ジエム政権によってカオダイ教が弾圧された時代もベレー章が政府軍によって広く使われている

1955年10月にベトナム国首相ゴ・ディン・ジエムが国民投票でバオダイ(保大帝)を追放しベトナム共和国の初代総統に就任すると間もなく、150万人以上の信徒を抱えるカオダイ教団とカオダイ部隊を危険視していたジエムは、政府軍をカオダイ教団本部のあるタイニン省に投入してカオダイ教団の動きを封じるとともに、カオダイ部隊を解散させます(先記のカオダイ部隊司令チン・ミン・テー准将の死も、ジエムら政府首脳による暗殺だという説が根強く残っています)
政府に恭順したカオダイ兵たちは一般兵としてベトナム各地の部隊に散り散りとなっていきましたが、一部の元カオダイ部隊将兵は降伏を拒否して反政府勢力として地下に潜伏したため、ジエム政権は1956~1958年にかけて3000人以上のカオダイ教徒を逮捕してカオダイ部隊の残党狩りを行っていきます。このようにベトナム共和国政府とカオダイ教は、ジエム政権が崩壊する1963年末まで敵対関係にありました。
しかし、カオダイ教が弾圧された時代でも、問題のベレー章は(弾圧していた側の)政府軍将兵に広く使用されていました。従ってこの時点でベレー章がカオダイ部隊・カオダイ教徒を示すものだったとは考えられません。

▲問題のベレー章を着用した将校に案内されるジエム総統の弟の妻チャン・レ・スアン [1960年代初頭]


◆明らかにカオダイ教徒ではない政府軍の高級将校たちも問題のベレー章を身に着けている

▲グエン・ゴック・ロアン(写真左・当時大佐・軍事保安局長官) [1965年11月1日]

1963年11月のクーデターによってジエム政権が崩壊し、新たに軍事政権が発足すると政府とカオダイ教との対立は終わり、元カオダイ部隊の幹部らもベトナム共和国軍へと復帰します。とは言え、あくまで宗教差別が撤廃されただけで、1955年以来8年間も軍から離れていたカオダイ教の将校が復帰してすぐに要職に就くという事はありえず、政権に近い高級将校の中にカオダイ教徒は居なかったと考えられます。
一方、カオダイ教が迫害されていた時期にも出世を続け高級将校になった者たちの中には、問題のベレー章を使用する者が少なからず居るため、ベレー章とカオダイ教に関係があるとはさらに考え辛くなります。


◆アメリカ国防省が作成したベトナム共和国軍制服の図解には、陸軍ベレー章(兵科士官用)として記載されている

 
(左) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 年代不詳 / (右) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 5 April 1966


▲A Pocket Guide to Vietnam, DOD, 20 Nov 1970
1967年の徽章改定後の版には問題のベレー章は記載されていません。これはそのベレー章が宗教を示すものではなく、単なる陸軍の帽章であり、1967年に他の徽章と同じくデザインが改定された事を意味していると言えそうです。


◆ベトナム共和国軍付きのアメリカ軍アドバイザーも着用しているが、彼らの担当はカオダイ教とは関係ない


▲ゲイリー・カミングス米陸軍特技兵 [1966-1967年頃]
当時カミングス特技兵はサデク省ヴィンロンに駐屯するMACVアドバイザーチーム60に所属しており、ベトナム陸軍第9歩兵師団付きのアドバイザーを勤めていましたが、サデク省や第9歩兵師団が特にカオダイ教にゆかりのある地域・部隊という事はありません。


◆そもそもカオダイ教のシンボルマークとベレー章のデザインとの類似性は、単に『三角形の図柄が入っている』という点のみで、見比べると全く似ていない

▲カオダイ教のシンボル(左)と問題のベレー章(右)
なおカオダイ教的には三角形ではなく『カオダイの目』と呼ばれる目の意匠の方が重要視されている模様


以上が、このベレー章をカオダイ軍の物とする1の通説への反証になります。
では、このベレー章の正体は何なのかと言うと、僕は少なくとも1955年末以降は、単なる陸軍一般兵科ベレー章(1955-1967)であったと考えています。
問題は2の「採用当初(1955年前半)はカオダイ部隊を示すものだった」という説をどう見るかです。僕としてはこれも怪しい気がしますが、これを否定できる確固たる証拠はまだ得られていませんので、まだしばらく情報収集を続けていきたいと思います。

なお、カオダイ部隊およびカオダイ教徒の戦いの歴史については現在執筆中なので、気長にお待ちください。