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2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙った共産ゲリラによる同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土は以後半年間に渡って戦火に包まれ、ベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、泥沼と呼ばれたベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2018年02月20日

作画工程

 今作ってるベトナム軍装ガイドに使うイラスト(名付けて新マネキン男くん)がほぼ完成しました。
 僕はパソコンで絵を描く時はいつも、ちょいちょい途中経過を画像で保存し、それを見直す事で、「うん、進んでる。進んでる」と自分に言い聞かす事で、どうにか絵を描くモチベーションを保つよう心がけています。
 今回はちょっとした思い付きから、それら途中経過を繋ぎ合わせてGIFアニメを作ってみました。

参考にしたのはこちら
 isLog〜イズログ〜 https://www.islog.jp/entry/gif-animation/


新マネキン男くんの作画工程

 



2010年に描いた2011年テトの年賀状


 爆れつハンターのショコラとティラがベトナム共和国軍の女性軍人(Nữ Quân Nhân)制服を着ているという、なんともオタクくさいイラスト。しかしこんな絵でも、ネット上で拡散した末に、このイラストの題材とした政治戦総局厚生局にかつて所属していた元女性将校の方が、米国で開催されるNQNベテランの集会の告知に毎回このイラストを使ってくれているのだから、嬉しいやら恥ずかしいやら。


 僕は素人にしてはまぁまぁ絵が得意な方ですが、本当は絵を描くのが好きではありません。理由は簡単で、とても面倒くさいからです。僕にとって絵は、写真や文章と同じ情報伝達手段の一つに過ぎず、またその中でも絵はとんでもなく時間と気力を使う、極めて効率の悪い手段だと感じています。
 なので僕が絵を描くのは、その情報を表現するにはイラストしかないと諦めた場合のみ。つまり他に良い手がないので仕方なく描くといった感じです。こんな心構えなので、描くのが毎回億劫でなりません。電脳化して脳内で作った映像を直接デジタルで出力出来たらどんなに楽だろうと、いつも考えています。
 ないものねだりしても始まりませんが、やっぱり面倒なものは面倒なので、いかに効率良く情報を伝えるか考えた末に生まれたのが、上の新マネキン男くんなのです。その名の通りマネキンとして着せ替え人形になってもらいます。
 昔は自分の可能性を広げようと風景画から美人画、アダルトまで何でも描きましたが、数年前に気付いてしまいました。やっぱり僕は軍服それ自体にしか興味が持てない人間です。これを自分で認められるようになってからは、今まで『手抜き』だと思い避けていた手段を、『効率化』の名目で遠慮なく使えるようになったので、むしろやる気がアップしました。今後の新マネキン男くんの活躍に乞うご期待。
  


2017年12月23日

リプロネームテープと軍人身分証明書

【お知らせ】

先日のチャリティーパーティーの詳細を私の別ブログに投稿いたしました。よろしければご覧ください。

ベトナムウォッチ 『良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー』 

もし、これら現代ベトナムの社会問題について関心をお持ちの方が居られましたら、コメント欄にその旨と連絡先をご記入いただければ、こちらからご連絡さし上げます。(そのコメントは公開しません)

ちなみに、僕と面識のない方には誤解を与えているかも知れませんが、僕自身は自分の趣味とこの活動は別物と考えているので、ミリタリー趣味の場でこういった活動に誘う事はありませんので、どこかで会っても逃げないで下さい(笑)

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外注刺繍ネームテープ完成

友人たちから注文を募って刺繍屋さんに制作していただきました。



ありがたい事に刺繍屋さんは持ち込み無料なので、これまで服を改造する度に貯め込んできた各種リプロ軍服の端切れから生地を切り出し、それに刺繍していただきました。


工賃は枚数が多い方が割安になるので、僕は思い切って15枚注文。そんなに付ける服持ってないけど、今後欲しくなった時にこんなに安くは作れないので、この機会に一生分作っちゃいました。それに友人たちの注文分も加えて、計37枚作ってもらいました。
注文する際、お店側に分かり易いよう「サバゲーで使う軍服の名札です」と説明しましたが、刺繍する名前は日本でも欧米風でもない謎のローマ字の羅列なので、不思議がられたと思います(笑)


自家製軍人身分証明書

サイゴンに住んでる友達が僕の身分証を作ってくれました。


ただ実物画像をプリントアウトしたのではなく、印字は全て僕の指定した内容にし、写真も別でプリントしたものを貼り付けてくれています
ただし、階級は下士(Hạ sĩ =伍長)にしてって言ったのに、友人は「君は士官候補生のコスプレしたんだから、今後は将校ね」と言って勝手に少尉(Thiếu úy)にされました。いや、遊びとは言え、本物の将校さん達と付き合いのある身としては、僕みたいな外人が勝手に将校の階級名乗るのは宜しくないというか、今まで気を遣って避けてたんだよねぇ。
なお、裏面の誕生日や両親の名前は実名(漢字をクォックグー表記したもの)なので載せないでおきます。友人曰く、漢字を直にクォックグーに変換した名前は、実際にホア族(在越華人)で使われているそうなので、きっと君のご両親はチョロンのホア族だねと言われました(笑)

なおベトナム共和国軍の軍人身分証明書には少なくともテンプレート番号『QĐ-849』と『QĐ-849A』2種類のタイプが確認できまして、今回作ってもらったのはその中のQĐ-849になります。


シンプルなデザインのQĐ-849
表面左下に記載されているように、このテンプレートの制定は1966年8月のようです。
問題はいつまで使われていたのかという点ですが、それを説明する資料にはまだ出合えていないません。
ネットで実物画像を集めた限りでは、1972年発行まで確認できました。

偽造防止が施された改良型の『QĐ-849A
こちらはテンプレート制定年が印字されていませんが、同じくネットにある実物画像を観察した限りでは、1973年以降に発行されたものしか見つかりませんでした。
これは上記のQĐ-849が1972年まで確認できた事と辻褄があっており、軍人身分証のテンプレートは1972~1973年頃にQĐ-849Aへと切り替わったと考えていいかもしれません。

ところで、QĐ-849は1966年制定と書きましたが、当然、じゃあそれ以前の身分証は何だ?となりますよね。
実は、僕もよく分かりません。1972年以降なら、戦況の悪化から徴兵しまくったために証明書発行が間に合わず、軍人身分証に代わる簡易な『現役証明書(QĐ-750FおよびQĐ-750G/V)』も使われていたようですが、逆に1966年以前のものはなかなか見つかりません。
書類関係はネットで画像集めるだけで、本格的に研究した事はないので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、教えて頂けると幸いです。
  


2017年12月15日

服いじりの進捗

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(近況)

レプリカ軍装メーカーEA(East Asia Supply Co.)は、企業としての態度が腐りきっていると感じました。

【経緯】

商品代金を11月3日に支払い。受注生産の為、 5-7日かかると連絡あり。
その後2週間何の連絡も無し。
納期を問い合わせたところ、11月17日に「来週やる」と返答あり。
さらにその後4週間、音信不通。メール、電話にも応答せず。
12月14日、Paypalの問題解決センターから異議申し立てした事でようやく返答あり。
「今週はスターウォーズ衣装の制作で忙しいから、来週制作して送る」


あの社長は、下手に出ると、こういう態度で返す人間だったんだな。
どうやら半端なマニア達にチヤホヤされて天狗になってるらしい。
もうあそこの製品は二度と買いません。意欲的なメーカーだと思っていたのに、残念です。

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(ここから記事本編)

外注ボタンホール

 11月25日の記事に書いた3着のボタンホールが仕上りました。僕は親が仕事で使っている工業用ミシンを借りて使っているのですが、工業用ミシンには家庭用ミシンのようにジグザグ縫いやボタンホール縫いといった機能は無いので、ボタンホールを作る際は毎回穴かがり所(ボタンホール専門業者)に外注しています。
 毎回持ち込むのは面倒くさいのですが、穴かがり以外の工業用ミシンはうちに揃っているので、わざわざボタンホールの為だけに家庭用ミシンを買うのももったいないんです。家庭用ミシンだって安くはないので、外注と比較した場合、ミシン代の元を取るためにはボタンホールを数百個作らなければなりません。さすがにそんなに作らないし。

実物4ポケ カーキ作戦服 レストア

レプリカ警察クラウド迷彩服リニューアル

ヒューストン製米軍グリーンリーフTCUレプリカ ベトナム軍2ポケ化


ボタン取り換え

 ミシンの無い人でもお手軽に服のディテールアップを楽しめるのがボタン交換。上下セット7000円で売ってたセスラー製タイガーも、ボタンを良いものに交換するだけでそれなりに見栄えします。




 先月半ばから交換作業を始めましたが、やってるうちに「どうせならこれも交換しちゃおう」と、次から次へとボタンを外しては付けて、外しては付けてを繰り返しているうちに延べ100個くらい交換しています。(うちに自動ボタン付けミシンは無いので、全て自分で手作業です。)
 だけどまた新しい服が増えたりしたせいで、上のタイガーがボタン交換対象のラスト1着だったはずが、気付いたらさらにもう3着手を付ける事になってしまいました。自分が欲かいた為とはいえ、いつになったら終わるんだよ・・・。もう針糸持つの嫌になってきたので、ボタン付けはちょっとお休みしてます。




セスラー残念リーフキャップをベトナム軍八角帽化

 セスラーのグリーンリーフは生地がとても良い感じなんですが、なぜかキャップは、大戦中のP41P44キャップの裁断でU.S.M.C. CAPとして売られています。なぜこんな事したのか意味不明ですが、幸いトップ部分をミシンで縫うと簡単に八角帽の形になるので、安価な代用品としては絶好の素材です。
(2017年12月17日訂正 P41ではなくP44でした)


 当時のベトナム陸軍空挺師団や特殊部隊の写真を見ていると、よく帽子正面に降下資格章(シルク織り)を縫い付けて空挺隊員である事を誇示しているのが確認できます。一方、当然ですが降下資格の無い者は資格章を付けられないので、降下資格者がそれほど多くはないレンジャーや海兵隊ではあまり見かけません。

空気穴はP41P44と同じ緑色のハトメだったので、油性ペンで黒く塗りました。

 実物の迷彩八角帽は、帽体前面に芯が入っているタイプと、入っていないタイプの両方が確認できますが、やはり八角帽はトップが立っていた方がカッコ良いので、今回は帽子用のポリエチレン芯を縫い込んみました。
ただし実物の様に前側三面の芯を裏地で覆うよう改造するのは面倒な作業なので、ポリ芯は正面一面のみで、むき出しになってます。しかも空挺資格章縫う位置を間違えて何度も縫い直ししたせいで、芯もご覧のあり様。中は見ないで~!(笑)
  


2017年12月09日

おもいでのダクツタイガー

※今回は僕の思いでメインの記事です。

 幼少期より銃火器・ミリタリーが好きで、小3で初めてマルイのエアコキ(ベレッタ92F)を手にして以来、ずっとエアガンで遊んでいた僕は、当然のようにサバイバルゲームというものに惹かれていました。
 そして高校に入学すると、偶然にも自転車通学ルート上に草加のエアガンカスタム・サバゲショップUENS☆DAYさんがあり、僕はそのショップ主催のサバゲに参加すると共に、学校帰りにお店に寄り、ほとんど毎日入り浸るようになりました。お金のない高校生の僕は、店に行ってもエアガンを買う金は無いので、お店で売ってるカップラーメンとスーパーBIGチョコを店内で食べるのが日課になっていました。今考えると、サバゲを始めたこの時期にUENS☆DAYさんに出会った事が、僕の人生に大いに影響あるいは悪影響?(笑)を及ぼす事になります。

 僕はサバゲを始めた時点では、1990年代の米海軍SEALs装備が好きだったので、(当然金は無いので代用品で誤魔化しながら)それっぽい服装をしておりました。

▲16歳の時のわたくし。この時点ではベトナムには何の興味もなかったです。

 しかし周囲の環境と人間は完全にナム戦モード。関東で昔からナム戦ゲームやってる人なら知っているかも知れませんが、僕が偶然通うようになったUENS☆DAYさんは、オリジナルの電動M16A1アルミレシーバーやCISOリュック、STABOハーネス、SEALベストなどのナム戦軍装アイテムを制作・発売しており、また三郷の河川敷で度々開催されていたナム戦ヒストリカルサバゲイベントの運営にも携わっておられました。また店内には、常連が置いていったベトナム軍装関連の洋書が多数置いてあり、好きなだけ読む事が出来たのです。これだけナム戦ファン率が高いのは、たぶん当時でも珍しかったと思います。
 そしてそんな場所に足しげく通う僕も、自然とナム戦装備のカッコ良さに魅せられ、自分もやりたい言い出します。そこで周りの先輩たちが、予算に限りのある僕に勧めてくれた設定が、米陸軍の師団司令部付き長距離偵察チームLRRPでした。「LRRPならタイガー着てM56装備付けるだけでOKだよ。パッチも要らないよ」と。
 まぁ今振り返るとかなり大雑把な説明ですが、「君はこれを読みなさい」と、フランク・キャンパー著『ザ・ラープ』まで渡され、僕はウキウキ気分でLRRP隊員になる決意をしたのでした。そしてこれが運命の分かれ目でした。ここでもし通常の米軍歩兵装備を勧められていたら、僕は今頃違う人生を歩んでいたかもしれません。

 そしてLRRP装備の第一歩、そしてその後十数年どっぷり浸かる事となるベトナム軍装趣味の第一号として16歳の時に買ったのが、米国タイガー・ストライプ・プロダクツ(以下ダクツ)社製のレプリカ迷彩服。中古で上下セット3000円くらいでした。当時ダクツタイガーは日本全国どこのサバゲーフィールドに行っても見られる、極ありふれた迷彩服で、サバゲ用品としてはもちろん、街の古着屋でもいくらでも中古が安く売られていました。
 その後、1年かけて小遣いやバイト代をやり繰りしながらM1956個人装備やCISOリュックを集め、晴れてナム戦デビューを果たすのですが、そこで周囲の大人たちから思いもよらぬ言葉を浴びせられました。

「どう見てもヤードwww」 「南べ似合うね~!羨ましい(笑)」

 みんなひどい!だって僕はLRRPのアメリカ兵ごっこがやりたいからコツコツお金を貯めて装備を集めてきたんですから。高校生にとって装備一式と電動ガン集める金は大金でしたよ。
 今思えば、僕が言われた「タイガー買うだけでOK」云々の甘い誘い文句は、(あくまでアメリカ人役だけやりたい)自分たちの仲間に、CIDG役を一人加えたかったから、痩せてて背の低かった僕をCIDG役として引き入れるための策略だったのでは?と疑わしく思えてきます。
 とは言え、何度も何度も「似合う」、「羨ましい」と言われていると、悪い気はしないので、自分でもだんだんその気になってきちゃいました(笑) そしてインターネットで当時のCIDGやベトナム共和国軍の写真を集めるようになったのが、現在このブログを書くに至っているベトナム研究の入り口でした。

▲一度もLRRP役を経ぬままナム戦イベントにベトナム共和国軍特殊部隊役で参加。2004年『NAMっぽいのが好き』


 当時、周囲のナム戦趣味の先輩たちと南ベトナム軍ついて話していた時に言われた言葉を今でも覚えています。ある方が僕に、冗談のつもりでこう言いました。

「もしかしてタイガ君、十年後には"南ベトナム軍の第〇師団の配置は~"とか言うようになってるんじゃないの(笑)」

 どなたが言った言葉なのかちょっと思い出せませんが・・・。その冗談、現実になってますよ。多分その人も、そして僕自身も想定していなかったレベルで。

 今も似たようなものですが、当時もベトナム共和国軍というの不人気軍隊の師団の配置に関する知識など、超マイナー・マニアックと見做される物でした。そして、そんな変態そうは居ないという意味で、この台詞は冗談になり得たのです。
 なお今現在の僕は、「マイナー」や「マニアック」という言葉に興味がありません。人の興味が千差万別なのは当たり前であり、僕にとっては多数派である事に価値は無いのと同時に、少数派である事もまた無価値です。
 ではなぜ、あれから十数年もベトナム共和国軍に興味が持ち続けているのかと言いますと、それは単純に20世紀後半最大の戦争の中心勢力に興味を持ったために、それを調ているだけなのです。僕にとってそれは歴史を振り返る上で非常にオーソドックスなアプローチの仕方であり、今となっては寧ろこれが「マニアック」と見做されている現状の方に違和感を感じています。
(マニアックという言葉の本来の意味って、「ある事に極端に熱中しているさま」なんですね。てっきり酔狂や奇特な志向の事だと思ってました。本来の意味では、確かに僕はマニアでありマニアックしてますね。)

 話が脱線しましたが、かつて自転車で1時間かけてサバゲに行っていた埼玉の高校生が、たまたまナム戦コスプレと出会い、10年後には自分がコスプレしていた部隊の元将兵たちに親しくして頂けるまでになったわけですから、我ながら数奇な縁があったものです。これは決してそうなる事を見越して努力した訳ではなく、たまたま出くわした状況に対し好奇心の赴くままに突き進んだ結果なのですが、今振り返ってみると、単なる偶然と呼ぶには出来過ぎてる気もします。なにか運命めいたものでもあるのでしょうか。
 こんな感じで僕の人生常に流動的ですので、この先どうなるのか全く予想がつきませんが、10年後の自分がこの記事を読み返した時どう思うのか、今から楽しみにしておきます。



ダクツタイガーのレストア&改造

 この記事、本当はこのレストアの話がメインのはずだったのですが、思い出話を書いているうちに随分長くなてしまい、こっちがおまけみたいになっちゃいました。まぁ大して内容も無いので、簡潔に書きます。

 上記の16歳の時にLRRPやるために初めて買ったダクツ製のタイガーは、まだ捨てずに家の軍服入れにしまってあります。しかし長いこと、ダクツなんていつでも手に入る安物リプロという認識だったので、まだ知識が浅かった時分に改造服のベースにしており、いろいろイタズラした結果、今やジャケットとパンツ共に、ポケットやボタンも無いまっさらな状態になって、箪笥の肥やしになっていました。


 しかし今になって実物や他のメーカーのリプロと見比べてみると、ダクツタイガーは案外出来が良かった事に気付かされます。タイガーストライプは現在でも複数のメーカーから絶え間なくリプロが発売される人気迷彩服ですが、値段が張るそれら新作リプロと比べても、ダクツの再現性は馬鹿に出来ません。ボタンを変えるだけで、ぱっと見本物っぽく見えてしまいます。(ただし僕が持ってるような古いロットの物だけ。それ以降だんだんおかしくなり、現行品はリプロ軍装ですらない、ただのミリタリー風ファッション)
 また、かつてはあれだけ投げ売りされていたこの服も、いつしか市場から消えてしまい、気付いたら良い時代のダクツ製品が手に入りにくくなってしまいました。
 こうして、生地取り素材として箪笥に眠っていたダクツタイガーの価値にようやく気付いた僕は、この服を再び着る為、どうにかしてレストアする事にしました。
 まず必要なのはポケット用の布です。胸ポケットだけならジャケットの袖を切って半袖にする事で生地を確保できますが、今回はパンツのカーゴポケットも必要なので、袖だけでは生地が足りません。そこでしばらくダクツタイガーの中古を探し回った結果、運良くほぼ同じロットと思われるパンツを入手する事に成功しました。
 素材さえ手に入れば、あとの縫製は馴れたものです。ただ、ダクツと同じ裁断(通称USタイプ)のリプロは他にも持っているので、オリジナルに戻すだけではつまらないと思い、今まで持っていなかったタイプを再現してみました。


MADP系タイガーストライプの裁断には多数のバリエーションがあったことが知られていますが、今回はその中でも、当時2ボタンマチポケット(USタイプ)、1ボタンマチポケット(アジアンタイプ)に次いで多く用いられた、隠しボタン雨蓋マチポケットを再現してみました。

隠しボタン雨蓋の使用例(ベトナム陸軍特殊部隊)

ボタンを留める輪っかも再現。ボタン自体は東京ファントム製ベトナム軍2ポケグリーンリーフ迷彩服に付いていた物を移植しました。またポケットの寸法はMASHのアジアンタイプから採寸して再現しています。

 
ズボンは一般的な2ボタンマチポケットで、素材用パンツからカーゴポケットをそのまま移植。

ここまでやれば、思い出の品のレストアとしては十分でしょう。
しかし毎度の事ながら、服をいじるのは良いけど、その服をイベントで着るはいったい何年先なるのか分かりません。
  


2017年11月25日

最近やった服いじり

実物4ポケ レストア

無知な業者によって残念な姿にされてしまった『元』ベトナム軍実物4ポケット カーキ作戦服をレストア中です。


胸ポケットの形状(ほぼ正方形)や背中側のウエストを絞るフラップから、この服は元々4ポケットだった事が分かります。
ベトナム戦争末期の1970年代に普及した4ポケットは、1960年初頭以来使われている2ポケットよりも遥かに生産時期が短いため、今となっては貴重な服なのですが、ベトナム共和国軍軍装の研究が進んでいなかった一昔前は、マニアですら4ポケットの存在をあまり認識しておらず4ポケットを買い求める者が少なかったため、一部の軍装ディーラーはそれら実物4ポケットから下のポケットを取り払い、『より売れる』2ポケット風に改造して販売するという事を繰り返していました。この粗悪改造によって一体何着の実物4ポケが潰された事か…。
その内の一着が巡りめぐって僕の手元に来たので、せめてもの供養に本来の4ポケットの姿にレストアする事にしました。やる事は単純で、下ポケットを作り直せばいいのです。ただし別の布を使ってしまうと服の生地と色が合わないため、色を合わせるためにはこの服からポケット用の布を捻出するしかありません。そこで七分丈になっていた袖をさらに切って半袖にし、その布でポケットを作る事にしました。(半袖化自体は戦時中もよく行われた改造です)
ポケットの寸法は、服に元のポケットが外された跡がうっすら残っていたので、それに合わせて作成。


幸い部分的に色落ち具合が違うという事も無く、目論見通り色はマッチしています。外されていたウエストフラップのボタンも、実物と瓜二つの戦後ベトナム製ボタンを付けて再現。あとは穴かがり屋さんに持ち込んでポケットの雨蓋にボタンホールを開けるだけです。
本当にこだわってレストアするなら、ミシン糸やボタンホールの処理は現代のポリエステル糸ではなく、当時風の綿糸を使うべきなのですが・・・、僕はコレクターではないので、そこは妥協してしまいました。


警察迷彩服リニューアル

以前『警察迷彩服の続き』でいじったリプロ迷彩服を、さらにいじり倒しました。

新品状態


改造後



前回からの変更点は、エポレット追加、ポケット形状変更、半袖化、ベトナム製ボタンに取り換え、自作第611野戦警察中隊パッチ取り付け、以上です。ぱっと見本物っぽい雰囲気出てきたかも。
あとはエポレットにボタンホールを開け、注文中の刺繍ネームテープを取り付けて、階級章を自作すれば完成です。


ヒューストン製米軍TCU ベトナム軍2ポケ化

数年前ベトナム国産TCU型作戦服を再現すべく改造したヒューストン製TCUを、さらに2ポケ型に大幅改修。ついでに七分袖化も。


ポケットを作り直しただけで大分イメージが変わるけど、実は背中を見るとTCUだった名残りで当て布が残ってます。これを外すためには袖だけじゃなくて襟周りまで一度糸を解かなくてはならず、なかなか大変なので、今回は手を付けませんでした。なおボタンはクラッシファイド製を付けています。
これもあとはポケット雨蓋のボタンホールを開けるだけです。この服をどういう設定にするかは、完成するまでナイショ♥



根性のボタン交換

服自体の改造ではないものの、手持ちの各種戦闘服のボタンをよりリアルな物に交換する作業を始めました。
ボタン交換は地味に面倒くさい作業なので、そのうちやると言って何年も放置している服が何着もたまってしまいました。
このままではいつになっても出来上がらないので、上記の改造をやるついでに、ボタン交換予定の服から今付いているボタンを全て外し、ボタンを取り付けない限り着られない状態にしてやりました。ああ、せいせいした。


ここから先は自分との戦いです。やる気があるうちに一気に進めるしかありません。




EA製2ポケERDL作戦服×ベトナム製ボタン (これで手持ちのベトナム製ボタンの在庫は全て使い果たしました。)



東京ファントム(だっけ?)MDAPタイガーストライプ×EA製ボタン



改造服も含めて6着、ボタン60個以上を一気に交換しました。ああ疲れた。でもまだ1着ボタン未取り付けが残ってる。



おまけ

作業中はずっとvistlipの曲を聴いてました。良い歌作るなぁ。
特に「HEART ch.」と「深海魚の夢は所詮、」は聞く度にウルッと来るので、車の中でもいつも聞いてます。



  


2017年11月21日

いろんなTAP47

先日撮影会を行った際に、TAP47系ジャケットを着て集合写真を撮る事が出来ました。


左から
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品)
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品・染色加工)
実物 パステルリーフTAP47
実物 TAP47/53

僕は当日メダルを忘れてしまい、さらに持参した白靴紐のジャンプブーツに履き替えるタイミングも逃してしまったので、礼装状態ではありません。また改めてフルメダルのパレード装をやりたいと思います。


 Tenue de saut Mle 1947、通称『TAP47降下服』とは、フランス軍が1947年に採用した戦闘服の一種で、落下傘降下時の防風・防寒を目的とした空挺部隊(TAP)向け被服です。折しも当時は第一次インドシナ戦争が激化の一途を辿っており、TAP47降下服はインドシナに派遣されたフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に使用されます。そしてその後もTAP47は改良を重ねながらアルジェリア戦争期まで使用されていました。
 また第一次インドシナ戦争中にフランス植民地軍内に組織され、後にそれぞれの国軍となったインドシナ諸国の空挺部隊もフランス軍からこのTAP47系降下服を供与されており、それらの国々では1956年にフランス軍がインドシナ半島から完全撤退した後も、TAP47という服はエリート部隊の証と見做され、1970年代まで空挺部隊の伝統を表す正装として扱われていました。この記事では特にベトナム軍で使用された各種TAP47系降下服をご紹介します。




※2017年11月26日追記

<フランス軍TAP47>
インドシナ諸国で使用されたTAP47はフランス連合時代にフランス軍から供与されたものがでした。

TAP47

最初期のTAP47にはリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在し、その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1951年]


TAP47/51

TAP47/51はTAP47の1951年改良型で、こちらもリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在しました。(パンツはカーキのみ)。(※ごく少数ながらリザード迷彩の47/51パンツも生産されていたとご指摘いただきました。)その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1953~1955年頃]


TAP47/52

TAP47/52はTAP47の1952年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。1953~1954年までベトナム国軍空挺部隊に供与され、ディエンビエンフーの戦いなど数々の激戦で用いられた、TAP47シリーズの中でも最も多く戦闘に用いられたタイプです。第一インドシナ戦争終結後も、1960年代初頭までTAP47/52は空挺部隊で実用される降下用被服でしたが、後に作戦服はブラッドケーキ迷彩服等に切り替わっていったため、以後TAP47/52(主にジャケット)は礼装として珍重されるようになります。
[画像: ベトナム陸軍特殊部隊, 1960年代後半~1970年代前半]


TAP47/53

TAP47/53はTAP47の1953年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。第一インドシナ戦争中に採用されたものの、フランスで生産されたこの服が実際にインドシナに到着したのは終戦間際の1954年前半であり、本格的に前線部隊への支給が始まったのは第一インドシナ戦争終結後と考えられています。戦後に支給されたため47/52と比べると戦闘による消耗は少なく、1960年代以降はこの47/53が礼装として多く用いられるようになります。なお上の写真のように上下揃いで着用されるのは部隊単位で在庫していたまたは購入した場合のみで、個人の場合は上下揃いで買う者は少なく、多くの場合着用されるのはジャケットのみでした。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1967年11月1日国慶日]


<非正規TAP47>

 1960年代に第二次インドシナ戦争が激化すると、需要と反比例してフランス製TAP47シリーズの在庫は枯渇していったため、特にベトナム共和国軍では当時国内に存在していた各種迷彩生地を使ったTAP47と同型の非正規な服が、パレード用の礼装や晴れ着として、部隊単位あるいは個人的に製作されるようになりました。

イギリス軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩生地
ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩は元々、第二次大戦中にイギリス軍が開発した空挺部隊の降下スモックに用いられていた生地で、第一次インドシナ戦争期にイギリスがフランス軍に供与し、さらにその後フランス軍によってベトナム軍にも供与されました。こうした経緯から、1960年代初頭にはウィンドプルーフ迷彩を基にしたブラッドケーキ迷彩がベトナム軍によって新たに開発されます。ただしウィンドプルーフ迷彩の被服は通常、イギリス軍と同型のスモックや、フランス軍独自のジャケット・パンツであり、写真のTAP47型は個人的にオーダーメイドされたと思われる非常に稀な例です。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代後半]


ベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩生地
ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩は、フランス軍のTAP47(および同じ生地のTTA47)のリザード迷彩を基にベトナム海兵隊が1950年代末に開発した迷彩です。ただし海兵隊は空挺部隊を保有していない為、実戦で降下服を着用する事はなく、写真のTAP47型は純粋にパレード用の礼装として極わずかに制作された物と考えられます。
[画像: ベトナム海兵隊海兵旅団, 1966年6月19日国軍の日]


民間ERDL(インビジブルリーフ)迷彩生地
ERDLパターンは元々、1948年に米陸軍ナティック研究所で開発されたものの、米軍での採用は長年見送られており、軍よりも先に民間のハンター用迷彩服として出回った迷彩でした。ベトナム軍は1965頃にこのERDL(インビジブル)迷彩を作戦服の迷彩として採用し、1967年頃まで支給しました。このTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1966年?]


アメリカ軍ERDL(グリーンリーフ)迷彩生地
1967年にアメリカ軍がついにTCU(熱帯戦闘服)用迷彩として改良型ERDL(グリーンリーフ)迷彩を採用すると、ベトナム軍の標準迷彩もインビジブルからグリーンリーフに切り替わり、以後70年代初頭までグリーンリーフ迷彩の作戦服が支給されました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: トナム陸軍空挺師団および海兵隊, 1967~1969年頃]


ベトナム軍ERDLレンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩生地
レンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩はアメリカ軍のERDL迷彩を基にしたベトナム国産の迷彩で、1968年頃から支給が始まり、1970年代に入るとグリーンリーフにとって代わってベトナム軍の標準迷彩となりました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代末~70年代前半]


フランス軍リザード迷彩ポンチョ生地
上記のようにベトナム国産のTAP47系降下服には様々な迷彩生地が用いられたものの、将兵の間で最もステータスとされたのはやはりオリジナルのフランス製(リザード迷彩)でした。しかしフランス連合脱退から20年近く経過し、オリジナルは入手困難であったことから、中には迷彩服ではなく、フランス軍の迷彩ポンチョを改造してまでリザード迷彩にこだわる士官もいた事が写真から伺えます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団衛生大隊主任軍医チャン・ドゥック・トゥオン博士, 1970年代前半]


上記以外にも、聞くこところによるとフランス製TAP47の欠乏に伴いベトナム軍が韓国に発注して作らせたという韓国製リザード迷彩や、ベトナム国家警察ナショナルポリス(クラウド)迷彩のTAP47系降下服まで存在したそうなのですが、残念ながらそれと確認できる当時の写真を僕はまだ見付けられていません。


<おまけ>

今回記事を書くにあたってTAP47系の着用例を見直していたところ、非常に気になる写真を見つけてしまいました。

 
撮影時期は不詳なのですが、クーデターによって1963年11月2日に暗殺されるゴ・ディン・ジエム総統が映っている事から、確実にそれ以前の写真です。
手前の兵士はTAP47系の降下服を着ていますが、問題は服ではなくその袖に付いている部隊章です。服装から部隊は空挺旅団である事は間違いないと思うのですが、その部隊章が、どうも当時空挺旅団で使われていたと考えられているタイプ(下向きの鷲)には見えないのです。むしろ、どちらかと言うと、1964年後半以降(※)に見られる新型(白頭鷲)に見えます。かなり不鮮明なのですが、拡大して見比べてみるとこうなります。

※新型が使われたのは、一般的には空挺旅団が師団に昇格した1965年12月末(実質的に1966年)以降とされていますが、実際には1964年中から使用されていた事を以前記事にしました。過去記事撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』参照
 
もしこれが新型であったらなら、これまで一般に1965年12月と書かれ、僕自身も1964年中だと思っていた採用時期は、さらに遡って1963年以前という事になります。これはすごい発見かも知れません。しかしこの画像だけでは確かな事は言えないので、さらに当時の写真を調べて行こうと思います。
  


2017年11月13日

迷彩ヘルメット塗装

ずっと前からこの柄の迷彩ヘルメットが欲しかったんです。



過去記事『つるつるヘルメット』でやったように、安物のレプリカM1ヘルメットの塗装をペイントリムーバーで剥離。



最初はカモフラージュの下書きをマジックで塗装面に直接書いたけど、いざ塗り始めると境目が見えなくなって下書きの意味が無くなってしまったので、これは失敗。塗装全部落としてやり直し。



今度はマスキングテープを全体に貼り、その上に下書き。
さらに下書きに沿ってマスキングテープを各色ごとに切り出し、一旦すべてはがす。



各色ごとにエアブラシで塗装。塗ったら切り出したマスキングテープを再度乗せて、別の色を吹く。


しかし調色時と吹き付け時、乾燥後で色が全然違って見えてしまい、気に入った色にならず何度も何度も塗り直す事になる。
薄青緑の部分はMr.カラーの「ライトブルー」をベースに「エアスペリオリティーブルー」、「スカイブルー」、「グリーン(緑)」を加えて調色。最終的には納得のいく色になったけど、もう二度とこの色を再現できない。
茶色部分は「艦底色」に「ブラック(黒)」と「レッド(赤)」を混ぜたもの。黒を入れ過ぎたせいで赤みが薄れてしまった。何も加えず「艦底色」そのままの方が良かったかもしれない。


塗り分けから調色まで何度も何度もやり直す事となり疲れてしまったので、一応これで完成とします・・・。
結局最後まで茶色の部分の調色に悔いが残ったので、自分としては70点。
なんか納得いかないので、今回のは試作品として、そのうちまた作り直します。
  


2017年11月07日

ベトナム製リプロの憂鬱

 前回の記事『2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服』で紹介したベトナム製リプロにもうひと手間かけてディテールアップ、と言うか悪あがき。
 前回、この服は肩部分は迷彩服型のように肩当とエポレットの両方を備えており、カーキ作戦服としては不自然と書きましたが、変な部分はそれだけではありません。本来、2ポケット作戦服は首元まで襟を閉じられるよう第1ボタンとボタンホールが備わっているのですが、このリプロにはそれがありません。1970年代に普及する4ポケット作戦服からは第1ボタンが省略されるようになりますが、2ポケットはどのタイプでも必ずと言っていいほど第1ボタンを備えています。(改めて写真を見直したところ、無いタイプも結構見られました。)なので昨日、自分で穴かがり所(ボタンホール加工専門業者)にこの服を持ち込み持ち込み、ボタンホールを作ってもらいました。単発だと工賃は結構高くて、一カ所開けただけなのに540円しました。
 しかし、ボタンホールは単に加工すれば簡単に解決できる事なので大した問題ではありません。この服の本当の恐ろしさは下の写真の中に隠されています・・・。

おわかりいただけただろうか・・・・・・。

 そう、第2ボタン以降、前合わせのボタンホールが4つ全て縦に開けられているのだ・・・。これはベトナムで買った時点で最初からこうなっていました。無駄に肩当・エポレット付けてそれっぽい雰囲気出そうとしてるくせに、なんでこの部分を間違える・・・。
 なので当初は前合わせの生地の端を内側に織り込んで縦ボタンホールを隠し、新たに横穴を4つ開けようと考えていましたが、いざ工程を考えてみると、前合わせは襟の形に直結する部分なので、下手にいじれないという事が分かり、結局その案は断念せざるを得ませんでした。
 したがって第1ボタンを追加するにあたっては、ボタンホールの向きを正しい横向きにするか、他の穴に合わせて縦にするか悩みました。第1ボタンも縦にしてしまえば、一つだけ向きが違うという違和感は無いですが、襟はボタンホールが一番目立つところなので、そこが縦なのは恥ずかし過ぎます。結局、第2~第4ボタンは、ボタンを閉じてしまえば穴の向きなんてあまり見えよね!と自分に言い聞かせて、第1ボタンは横穴にしました。不本意ですが、僕にはこれ以上の改修は無理です・・・。

 ちなみに過去に何度か記事に載せている、このベトナム製実物パステルリーフ生地リプロ(生地は当時物だけど縫われたのは近年)も全く同じ状態でした。2ポケットなのに第1ボタン無し。前合わせボタンホールは縦穴・・・。せっかく実物生地なのにこれは残念過ぎます。もったいない・・・。


 今気付いたのですが、この服も一緒にボタンホール開けてもらえばよかったです。すっかり忘れてました。また近いうち穴かがり所に持ち込みます。

 なんで本国製のリプロがこんなにいい加減なんじゃい!と憤りを覚えます。恐らくこれらのリプロは外国のマニアや業者がベトナムの洋裁屋に発注して作らせたものですが、その際服の仕様のに指示が上手く伝わらなかった、あるいはそもそも発注する側に知識がなかったのだと思います。当然ですが、いくらベトナムであっても、その辺の町の洋裁屋さんが3・40年前に消えた旧政権の軍服について詳しい知識を持っている訳が無く、単に注文された通りに作っただだけのはずです。またその後、「こういう服は外国のマニアに高く売れる」と気付いたベトナムの業者が、先に生産した=誤った仕様の服をそのまま同じ形で作り続けた為に、このような粗悪なリプロが出回っているのだろうと推測しています。
 これはパッチについても言える事で、一度マニアがベトナムにレプリカパッチを発注すると、その後同じものが大量に出回るという現象が20年以上前から続いています。ただし、近年はナム戦マニア人口の減少によって正しい知識を持った客が少なくなってきたためか、レプリカを作る側もどんどんいい加減になり、最近ベトナム国内で作られているレプリカパッチの多くは、もはやレプリカとも言えない劣化版?お土産品?ばかりになってしまいました。これからは過去に作られた良質なレプリカパッチの値段が上がっていくかもしれませんね・・・。いや、マニア人口が減って需要が無くなるから、そうでもないか。


おまけ

なかなかしっくりくる色合いにならず、3回目の塗り直し中。塗料代えらい使ってます。
完成したら改めて記事にします。



ベトナム軍ごっこに季節は関係ない。
ベトナムやラオスでも高地なら気温は10℃くらいまで下がるし、草木も茶色くなる。


雪が降ったらアメリカ研修ごっこすればいい。


まだ冬服そろってないけど。
  


2017年11月03日

2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服

2ポケット作戦服の裁断について

改修について語る前に、まずベトナム共和国軍の作戦服の裁断についておさらいです。
ベトナム共和国軍は1950年代末まで、フランス連合時代に供与されたTTA Mle47系戦闘服を主に使用していましたが、1955年のフランス連合脱退によってフランスによる軍事援助が終了したため、TTA47系の在庫は減っていく一方でした。
そこでベトナム海兵隊(TQLC)は、独自に開発したザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服用の裁断として、TTA47が持つエポレット・肩当のデザインを残しつつも、新たな同盟国アメリカのユーティリティユニフォームの意匠から貼り付けポケットシャツ・パンツのデザインを取り入れた新たな戦闘服を1950年代末に採用します。

1960年以降は、この海兵隊作戦服から派生した各種2ポケット裁断が一般部隊向けのカーキ作戦服(Quân phục Tác chiến Khaki)の裁断としても採用され、以後1975年の終戦まで、ベトナム共和国軍の標準的な作戦服として15年以上に渡って使用されていきます。
2ポケット作戦服にはポケットの形状や袖丈・肘当て・ペンポケット・袖ボタンの有無など、細かく見ると数えきれないくらいのバリエーションがありますが、一番分かり易い肩部分の構造に絞って分類すると、大きく分けて肩当型・迷彩服型・エポレット型・簡略型の4種類の裁断がありました。
※この名称は僕が名付けたもので、一般的なマニア間での呼び方ではありません。

・肩当型

1950年代末にベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服に採用した裁断で、肩に肩当のみを持つタイプです。1960年代初頭からは一般部隊向けのカーキ作戦服の裁断としても採用され、こちらは以後1960年代末まで全軍で広く用いられました。なお、日本ではこの裁断は迷彩服型と共にM59と呼ばれてきましたが、この裁断は1958年製が確認されており、M59という呼び方は不適切だと思います。


・迷彩服型
肩当型に加えてエポレットも備えたタイプで、1960年代初頭から各種迷彩服の裁断として用いられ、1975年まで製造が続いた、エリート部隊を象徴する裁断です。一般部隊向けのカーキ作戦服にはほとんど用いられません。こちらも日本では長年M59と呼ばれてきましたが、1959年採用ではないので、M59という呼び方は不適切だと思います。



・エポレット型
肩にエポレットのみを備えたタイプで、こちらも1960年代初頭から海兵隊ザーコップ迷彩作戦服の裁断として一部で用いられました。また同時にカーキ作戦服の裁断としても採用され、以後1975年までカーキ作戦服や各種迷彩服のバリエーションとして使用例が見られます。


・簡略型
エポレットと肩当の両方を省略したタイプで、カーキ作戦服の代表的な裁断です。肩当タイプと並行して1960年代初頭から支給が開始され、以後1975年の終戦まで約15年間に渡ってベトナム共和国軍の最もスタンダードな作戦服として用いられました。また稀に迷彩服に用いられる事もあります。

[2017年11月5日追記]

また、パンツにも膝当て、カーゴポケット、貼り付けポケット等に様々なバリエーションがありますが、今回は割愛します。



戦後ベトナム製リプロをエポレット型化

昨年ベトナムに行った際、このようなベトナム共和国軍カーキ作戦服の戦後製リプロを買ってきました。使われているボタンは、ベトナム共和国軍用の実物金型をそのまま使用して戦後ベトナム人民軍の軍服用に再生産されたと思われる物で、本物と瓜二つです。


しかし上着の裁断に不満があるので自分好みに改修する事にしました。
まず、この服は肩にエポレットと肩当布の両方を備える迷彩服型の裁断ですが、カーキ作戦服にこの裁断が用いられている例はほとんど無いので、迷彩服型以外の裁断に改修する必要があります。なので今回は肩当を取り払って、エポレット型に改修してみました。一度肩口の上半分を外して肩当を取り、再度エポレットと肩口を繋げます。



ミシン跡は残るけど、生地は新品なので色違いにはならないし、何度か洗濯すれば縫い跡も目立たなくなるので大丈夫さきっと。
あと、胴体がやたら太かったので、脇から下を18cmほど詰めてスリム化しました。

残念ながら脇の辺りは立体構造なので素人には難しいく、シワになってしまいました。着てしまえば分かりませんが。
ベトナム共和国軍コスプレを始めて14年目にしてようやく気付いたのですが、実はベトナム兵を演じるにあたってスリム化すべきはパンツではなく、ジャケットである気がしてきました。確かに当時のベトナム兵の間ではパンツを細く改造する事が流行っていたようですが、それを私のような典型的な胴長短足体形の人間が真似しても、ただ足がムチムチになるだけでちっともカッコ良くありません。当時のベトナム兵はとにかく足が長くて顔が小さいモデル体型が多かったので、細いパンツも似合っていたのです。ですから、私のような体形でも足を長く見せるためには、パンツはあまり細くせず、代わりに上着を細くして上半身を小さく見せるのが一番良いと考えるようになりました。


クラッシファイド製リプロを簡略型化


こちらは友人の依頼で、肩当型を忠実に再現しているクラッシファイド製リプロから、肩当を外して簡略型にする改造を施したものです。こちらもベトナム製リプロと同様に、肩口の上半分の糸を外して肩当を取り外し、再度肩口を縫い直しています。こうする事で、肩当型の使用例が少ない1970年代の設定でも使えるようになります。
ただし、この改造は色落ちしていない新品の生地でないと、肩当を外した部分だけ色が変わってしまい恥ずかしい感じになるので、お勧めできません。やる場合は新品を購入しましょう。それだけの価値はあります。クオリティも上のベトナム製よりクラッシファイド製の方がずっと良いです。http://www.mil-classified.jp/SHOP/A-1-010-01.html

また各種裁断のカーキ作戦服はベトナム陸海空軍・地方軍・国家警察はもちろん、

CIDG(CSFおよびマイクフォース)や

PRU(米CIA指揮下)、

NKT(米MACV-SOG指揮下)、

LĐNN(米海軍SEAL出向)

といった特殊部隊にも大々的に支給されていました。
なので僕はそれぞれの部隊設定が出来るよう、カーキ作戦服をあと7着くらい欲しいです。
(パンツは7本も要らないので、できれば上着だけ売って欲しいんですけど(笑))



  


2017年10月20日

通称"カオダイ軍ベレー"の正体について

我が家にある数少ない実物軍装の一つなので、まずは外観から。


リボンに使われた形跡が無いので未使用品。TTSXQT(ベトナム国防省装備生産センター)スタンプは画像ではかなり薄いですが、目で見ると辛うじてサイズA5、1965年11月と読めます。


知ってる人には常識ですが、このベレーに付いているベレー章は『カオダイ軍(Cao Dai Army)』の物として知られています。しかし、このベレーについて調べれば調べるほど、その通説が疑わしく思えてきたので、その訳を書いていきます。またこの疑問を抱いていたのは私だけではなかったようで、海外のコレクターの間でもいくつかの説が唱えられていました。

Wehrmacht-Awards.com

このベレー章の正体については現在、大まかに言って以下の3つの仮設が挙がっています。

1. カオダイ軍およびカオダイ教徒を示すベレー章である。(通説)
2. 元々はカオダイ部隊のものだったが、1955年にカオダイ部隊がベトナム国軍に吸収されると陸軍一般兵科用として広まった。(某ベトナム人コレクター)
3. そもそもカオダイ教は無関係。ただの陸軍一般兵科ベレー章だ。(某米国人コレクターなど)

僕は正しいのは2か3の説であり、1の通説は間違っていると考えています。以下にその理由を挙げていきます。


カオダイ部隊が最も活躍した第一次インドシナ戦争中には問題のベレー章は確認できない

 
▲フランス連合カオダイ部隊(Troupes Caodaïstes)部隊章 [1947-1955年2月]
第1次インドシナ戦争中に編成されたカオダイ部隊の部隊章は右胸に付けるバッジのみでした。


◆ベレー章の使用が確認できるのは1955年から

チン・ミン・テー准将の葬儀 [1955年5月6日サイゴン]

上の写真は僕が問題のベレー章の使用を確認している最も早い時期の写真です。カオダイ部隊はフランス軍の撤退に伴い1955年2月13日にベトナム国軍に編入されると同時に部隊章も新しいデザインに更新されおり、このカオダイ部隊司令官チン・ミン・テー准将の葬儀の写真にも新デザインの部隊章を付けたカオダイ兵士が確認できます。そしてこの時点で問題のベレー章が使用されている事から、少なくともその採用時期は1955年前半だという事が分かります。

▲ベトナム国軍カオダイ部隊(Force Armée Cao Dai)部隊章 [1955年2月~1955年10月?]

ただし、このベレー章はほぼ同じ時期に他のベトナム国軍部隊でも使用例が確認できるため、カオダイ部隊を示すベレー章とは言い切れません。

 
▲ベレー章と共に看護総隊(Tổng đoàn Quân y tá)の徽章が確認できる [1955年7月]


◆ジエム政権によってカオダイ教が弾圧された時代もベレー章が政府軍によって広く使われている

1955年10月にベトナム国首相ゴ・ディン・ジエムが国民投票でバオダイ(保大帝)を追放しベトナム共和国の初代総統に就任すると間もなく、150万人以上の信徒を抱えるカオダイ教団とカオダイ部隊を危険視していたジエムは、政府軍をカオダイ教団本部のあるタイニン省に投入してカオダイ教団の動きを封じるとともに、カオダイ部隊を解散させます(先記のカオダイ部隊司令チン・ミン・テー准将の死も、ジエムら政府首脳による暗殺だという説が根強く残っています)
政府に恭順したカオダイ兵たちは一般兵としてベトナム各地の部隊に散り散りとなっていきましたが、一部の元カオダイ部隊将兵は降伏を拒否して反政府勢力として地下に潜伏したため、ジエム政権は1956~1958年にかけて3000人以上のカオダイ教徒を逮捕してカオダイ部隊の残党狩りを行っていきます。このようにベトナム共和国政府とカオダイ教は、ジエム政権が崩壊する1963年末まで敵対関係にありました。
しかし、カオダイ教が弾圧された時代でも、問題のベレー章は(弾圧していた側の)政府軍将兵に広く使用されていました。従ってこの時点でベレー章がカオダイ部隊・カオダイ教徒を示すものだったとは考えられません。

▲問題のベレー章を着用した将校に案内されるジエム総統の弟の妻チャン・レ・スアン [1960年代初頭]


◆明らかにカオダイ教徒ではない政府軍の高級将校たちも問題のベレー章を身に着けている

▲グエン・ゴック・ロアン(写真左・当時大佐・軍事保安局長官) [1965年11月1日]

1963年11月のクーデターによってジエム政権が崩壊し、新たに軍事政権が発足すると政府とカオダイ教との対立は終わり、元カオダイ部隊の幹部らもベトナム共和国軍へと復帰します。とは言え、あくまで宗教差別が撤廃されただけで、1955年以来8年間も軍から離れていたカオダイ教の将校が復帰してすぐに要職に就くという事はありえず、政権に近い高級将校の中にカオダイ教徒は居なかったと考えられます。
一方、カオダイ教が迫害されていた時期にも出世を続け高級将校になった者たちの中には、問題のベレー章を使用する者が少なからず居るため、ベレー章とカオダイ教に関係があるとはさらに考え辛くなります。


◆アメリカ国防省が作成したベトナム共和国軍制服の図解には、陸軍ベレー章(兵科士官用)として記載されている

 
(左) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 年代不詳 / (右) Pocket Guide to Vietnam, DOD, 5 April 1966


▲A Pocket Guide to Vietnam, DOD, 20 Nov 1970
1967年の徽章改定後の版には問題のベレー章は記載されていません。これはそのベレー章が宗教を示すものではなく、単なる陸軍の帽章であり、1967年に他の徽章と同じくデザインが改定された事を意味していると言えそうです。


◆ベトナム共和国軍付きのアメリカ軍アドバイザーも着用しているが、彼らの担当はカオダイ教とは関係ない


▲ゲイリー・カミングス米陸軍特技兵 [1966-1967年頃]
当時カミングス特技兵はサデク省ヴィンロンに駐屯するMACVアドバイザーチーム60に所属しており、ベトナム陸軍第9歩兵師団付きのアドバイザーを勤めていましたが、サデク省や第9歩兵師団が特にカオダイ教にゆかりのある地域・部隊という事はありません。


◆そもそもカオダイ教のシンボルマークとベレー章のデザインとの類似性は、単に『三角形の図柄が入っている』という点のみで、見比べると全く似ていない

▲カオダイ教のシンボル(左)と問題のベレー章(右)
なおカオダイ教的には三角形ではなく『カオダイの目』と呼ばれる目の意匠の方が重要視されている模様


以上が、このベレー章をカオダイ軍の物とする1の通説への反証になります。
では、このベレー章の正体は何なのかと言うと、僕は少なくとも1955年末以降は、単なる陸軍一般兵科ベレー章(1955-1967)であったと考えています。
問題は2の「採用当初(1955年前半)はカオダイ部隊を示すものだった」という説をどう見るかです。僕としてはこれも怪しい気がしますが、これを否定できる確固たる証拠はまだ得られていませんので、まだしばらく情報収集を続けていきたいと思います。

なお、カオダイ部隊およびカオダイ教徒の戦いの歴史については現在執筆中なので、気長にお待ちください。
  


2017年09月30日

最近やった縫物

ひとまず完成したもの

◆ベトナム陸軍空挺旅団(1962-1964年頃)


◆ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生(1967-1975年頃)


◆ベトナム共和国軍ヴァンキェップ訓練センター 教導士官(1967-1975年頃)


まだ作成中

◆ベトナム国家警察 第222野戦警察群 第611野戦警察中隊"白虎" (1967-1975年頃)
本当はネームテープはプリントではなく刺繍が正解なので、いずれ作り直します。


◆ベトナム陸軍第3軍団マイクフォース (1966-1968年頃)
やる気が出たらボタン取り替えます。


◆ベトナム陸軍第5マイクフォース (1966-1968年頃)
既存の第5マイクフォースパッチのリプロは、上側にMIKE FORCE / AIRBORNEタブが予め組み合わさってるもの(画像左)しか出ていないようです。しかし当時の写真をよく見てみると、このタイプはMSF付きのアメリカ兵が左胸ポケットに付けているのは見ますが、ベトナム兵はどちらかと言うと上側にタブが無いタイプのパッチにAIRBORNEタブのみを後付けしている(画像右)事が多い気がしています。

 
なので、そのタブ無し(かつ上側が丸くなっている)タイプが、どうにか手に入らないかな~と探し中です。別にタブ付きタイプでも間違いではないのですが、思い入れのある部隊なので、どうせならそこも拘りたいんです。それに当時はパッチ付けてない兵隊も多く居ましたから、良いパッチが見つかるまでは無理して付ける事ないかと思ってます。


◆ラオス軍モン族第21機動群 (1970-1975年頃)
当時の兵隊が野戦服に徽章つけてるのあまり見ないので、、これで完成としちゃっても良いんですが、この上あえて付けるとしたら落下傘降下資格章とネームテープくらいかな。作ろうと思えばいつでも作れるので、気が向いた時にでも進めていきます。


次作ろうとしている服

◆迷彩じゃないマイクフォース (1968-1970年頃)

ベトナマイゼーションに伴い1968年に米国のCIDG計画が終了すると、マイクフォースを含む全CIDG部隊の指揮権は正式に米軍からベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)に移管されます。それまでCIDG部隊の被服・装備品の多くはCIAの予算で調達されたMDAPやCISOによる非正規装備品(タイガーストライプなど)が支給されていましたが、この移管によってそれらの支給は終わり、以後CIDG部隊にはベトナム軍2ポケ作戦服や米軍TCUなど越米軍の迷彩ではない正式な被服が支給されていく事になります。(※)
またこの際、それまでCSFおよびMSF(マイクフォース)の部隊章は部隊ごとにバラバラだった事から、それぞれCSF共通(画像左)、MSF共通(画像右)の新デザインが採用されます。

 

※ただしLLĐB移管から2年弱経った1970年にはLLĐBが解散し、CSFはベトナム陸軍BĐQ(レンジャー科)へ、MSFはNKT(越境特殊部隊)へと編入されて、それぞれの編入先でベトナム軍制式の迷彩服を支給されます。


◆ラオス陸軍モン族SGU (1960-1970年頃)

ベレー(ラオス陸軍一般兵科ベレー)入手済み。被服はベトナム軍ので代用。


あとはパッチのみ。
  


2017年09月13日

TTHL/QGインストラクターのヘルメット

今度は新潟に1週間出張中なので、ネットカフェで記事書いてます。

近々、ベトナム共和国軍リエナクトメント兼撮影会兼勉強会として、基本教練会を友人たちと行う予定です。シチュエーションとては、1960年代末から1970年代前半の国立訓練センター(Trung Tâm Huấn Luyện Quốc Gia (TTHL/QG))の新兵教育を想定しています。TTHL/QGは全国に少なくとも10か所*設置されていたベトナム共和国軍の訓練センターで、兵卒から士官候補生まで、陸海空軍・海兵隊・地方軍・義勇軍を含む、共和国軍に入隊した全ての者が最初に基本教育を受ける場所です。
僕が今現在把握しているTTHL/QGは以下の通りです。

【第1戦術地区/軍管区】
ドンダ国訓練センター (TTHL/QG/Đống Đa)
フアケム国訓練センター (TTHL/QG/Hòa Cầm)

【第2戦術地区/軍管区】
ラムソン国訓練センター (TTHL/QG/Lam Sơn)
フーキャット国訓練センター (TTHL/QG/Phù Cát)
プレイク/トュルンション国訓練センター (TTHL/QG/Pleiku / Trường Sơn)

【第3戦術地区/軍管区】
クアンチュン国訓練センター (TTHL/QG/Quang Trung)
ヴァンキェップ国訓練センター (TTHL/QG/Vạn Kiếp)
ソンマオ国訓練センター (TTHL/QG/Sông Mao) ※2017年9月24日追記

【第4戦術地区/軍管区】
チーラン国訓練センター (TTHL/QG/Chi Lăng)
カオラン国訓練センター (TTHL/QG/Cao Lãnh)

▲ベトナム共和国軍の教育機関の部隊章

教練会開催の言い出しっぺの僕は今回、インストラクター役を務めることとなったので、TTHL/QGにおける教練を再現するにあたり、教練内容に加えてインストラクターとしての衣装もちゃんと用意しなくてはと思い、当時の写真を整理・分析してみました。またそれに当たって、複数の共和国軍ベテランの方々から貴重な情報を提供していただけましたので、この場を借りて御礼申し上げます。

まず、TTHL/QGのインストラクターには、大きく分けて『教導』と『訓練』の2種類の職種があり、それぞれに士官(教官・主に尉官)と下士官(助教・軍曹・曹長クラス)が存在します。教導と訓練の違いについては、ある程度想像はできますが、まだはっきりとは言えないので今後の課題としていきます。

次に、彼らが訓練時に被るヘルメットライナーには、担当する訓練に応じてその役職名がペイントされており、多くの場合一目でそのインストラクターが士官なのか下士官なのか、何の訓練を担当しているかが分かるようになっていました。ただし後述するように、そのペイントは完全に統一されていた訳ではなく、訓練センターそれぞれや、時代によっても変わってくるため多数のパターンが見られ、僕もそれを完全に把握するまでには至っていません。


教導士官および教導下士官
(Sĩ Quan Hướng dẫn / Hạ Sĩ Quan Hướng dẫn)
ヘルメットライナーの正面に担当する訓練名(略語)が赤字で書かれ、全周に白と水色のライン(士官は上下、下士官は下のみ水色)がペイントされています。側面には何も描かれません。訓練センターで最も多く目にするパターンです。

【訓練名】

武器 Vũ Khí (VK): 射撃や整備など基本的な武器の取り扱いを担当

戦術 Chiến Thuật (CT): 障害物走や行軍、戦闘行動など戦闘訓練を担当

体育 Thể Dục (TD): 体力錬成を担当

総括 Tổng Quát (TQ) : 訓練全体を統括



訓練士官および訓練下士官
(Sĩ Quan Huấn luyện / Hạ Sĩ Quan Huấn luyện)
ヘルメット正面に階級章がペイントされ、両側面には担当訓練と訓練センター名が略語で記されます。各センターによってラインのデザインが大きく異なります。

訓練士官 Sĩ Quan Huấn luyện

訓練下士官 Hạ Sĩ Quan Huấn luyện


不明なもの

訓練員 Huấn Luyện Viên (HLV)
『教導』のように白・水色ラインがペイントされているものの、両側面には『訓練』のように担当とセンター名が書かれている例があるため、そのどちらなのか、あるいはどちらでもない他のカテゴリーが存在していたのか未だ不明です。(実物画像: Francois Millard氏コレクション)

幹部 Cadre
フランス語で幹部を意味する"CADRE"とペイントされています。1962年にフアケム演習場で撮影された訓練の映像の中に見られます。しかしこの映像以外にこのパターンはまだ確認できておらず、またフランス語で書かれていることからも、1960年代の早い時期に撤廃されたパターンだろうと予測しています。


教導士官ヘルメット作成!

さて、ある程度ペイントのパターンが出そろったところで、今回の教練会で使うヘルメット作りを始めます。
今回の設定は、比較的映像資料の多いヴァンキェップ訓練センターとし、他の設定でも使いまわせるようセンター名の入らない教導士官のヘルメットを作りたいと思います。

▲ヴァンキェップ訓練センターにおける義勇軍兵士への訓練 [1970年2月10日]


素材は以前つるつるヘルメットを作る際に買った安っすいレプリカM1のライナー。これなら失敗しても痛くありません。
それを缶スプレーと筆塗りで塗装していきます。


そして完成したのがこちら。


今回、正面の文字はTQ(統括)としましたが、実は文字は塗装ではなく赤いカッティングシートを貼ってあるだけなので、今後教練内容によってVKやCTなど他の文字にも変える事が出来るようになっています。

ヴァンキェップ訓練センターの自家製プリント部隊章も出来たし、あとは服に縫い付けるだけです。


おまけ

ヴァンキェップの訓練兵の左胸ポケット上には白や赤、青色の三角形の布が縫い付けられているのをよく目にします。

そのうち白色については、ヴァンキェップ教育隊の『タインタイ(※)大隊』を意味しているという事が当時の映像から判明しました。
※阮朝の第10代皇帝 成泰帝(Thành Thái)の事

布を三角に切って貼るだけなので、さっそく真似してみたいと思います!
  


2017年08月11日

制服計画の進捗

ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生 夏季準礼服
(1960年代後半~1975年)


トゥドゥック歩兵学校については過去記事参照

ほぼ完成。
肩章のみ実物で、チノ制服はセスラーの米軍レプリカで代用。
トゥドゥック制帽と英勇章飾緒(Dây Biểu Chương Anh Dũng Bội tinh)は米国製レプリカ。

トゥドゥック歩兵学校部隊章は、実物持ってるけど付けるのがもったいないので、自作プリントパッチを使用。

唯一の問題は、ちびちびと徽章などを集めている間に、僕のお腹にお肉がついてしまい、最初に買ったチノパンが履けなくなった事。買い直すの悔しいし、どうせ着る機会もそう無いから、引き続きダイエットに励みたいと思います。




フランス植民地軍 空挺インドシナ人中隊 准尉 外出服
(1948年~1950年頃)


部隊の歴史については過去記事参照


こちらの進捗はまだ7割くらい。
ベレーおよびベレー章、キメラのバッジはレプリカ。
肩章、降下資格章、飾緒は当時とほぼ同じデザインなので現用実物で代用。

剣を持つキメラがデザインされた第1および第2空挺コマンド植民地準旅団の徽章は1950年に向きが変更されており、
僕が持ってるレプリカは1950年以前のタイプ。当時既に編成されていた空挺インドシナ人中隊(CIP)というと、
1951年に編成されたベトナム国軍初の空挺部隊『第1(ベトナム)空挺大隊』の基となった、第1空挺インドシナ人中隊(1er CIP)
したがって正式な所属部隊を書くと、『フランス植民地軍 / 極東フランス遠征軍団 第2空挺コマンド植民地準旅団 第1空挺コマンド植民地大隊 第1空挺インドシナ人中隊』という長ったらしい肩書になります。
なので、胸に付ける大隊バッジは1er CIPの親部隊の『第1空挺コマンド植民地大隊(1er BCCP)』となるので、それのレプリカを探し中。左袖に付ける植民地軍バッジは、肩章と同じく現在のフランス海兵隊とほぼ同じデザインなので、それで代用しようと思っています。

※第2次大戦後から1950年代にかけてインドシナやマダカスカル、アルジェリアなどで相次いだ独立戦争によってフランス政府も帝国主義を放棄せざるを得なくなったため、1958年にフランス連合は解体され、フランス海軍省所属の植民地派遣部隊である『植民地軍(Troupes coloniales)』は、新たに海外即応派遣部隊と定義され、名称も『海兵隊(Troupes de marine)』へと改名されます。その後、海兵隊は1967年に海軍省の所管から離れ、正式にフランス陸軍に編入されました。
しかし海兵隊は現在も、陸軍内でも独立した地位を有する組織であり、肩章や袖章などのデザインは1940年代から変わっていません。その為、現在の海兵隊の徽章類が、第一次インドシナ戦争期の植民地軍制服用に使えちゃう訳です。
ただしデザインは変わっていないものの、実際には素材がモール刺繍からただの金糸刺繍に変わっているので、よく見ると別物なんですが・・・、当時物を集めるのはかなり大変だしレプリカも存在しないので、今は現用のもので妥協するしかない感じです。


なお、この服も、ウエストを絞らないとパンツが履けません。買った当時は履けたんですが…。
でもまぁ、水泳を始めてから5kgは減量したし、筋肉が復活した事で代謝も良くなっただろうから、このまま続ければきっと大丈夫なはず。はず。一応、スポーツ系の大学で水泳サークルに入ってる19歳の子と二人で、同じメニューの練習をしているので、オッサンのダイエットとしてはけっこうハードな練習をしてるつもり。最低でも一日2000m、週2回は泳いでるし。本気で競争すれば、25mまでなら現役にも負けないスピードで泳げています。25m過ぎると一気にバテて、どんどん引き離されるけど。
あと、ここ1ヶ月間体重が減らないのは、脂肪がより重い筋肉に変わったせいだと自分に言い聞かせてます。

  


2017年07月22日

EAリーフをレビュー

先日お伝えしたEast Asia Supplyの新商品、ベトナム共和国軍ERDLグリーンリーフ迷彩作戦服がCLASSIFIEDさんより発売となりました!

CLASSIFIEDさん商品ページ


先日アホカリに参加された方には現物をお見せしましたが、仕上がりは期待以上です!
生地はポプリン生地のERDLグリーンリーフ迷彩を再現しています。裁断はベトナム軍の迷彩服として最もオーソドックスなスタイルの、肩当・エポレット付き2ポケットジャケット、膝当て付き4ポケットパンツです。



ボタンはどのメーカーも再現を妥協しがちな部分ですが、今回のEAリーフのボタンは当時のベトナム製ボタン(厚手タイプ)の雰囲気を比較的再現できていると思います。


このくらいアップで見ると違いが分かりますが、着用してしてしまえば、ほとんど違和感は感じられません。
こだわりたい方は、完成度の高いCLASSIFIEDさんオリジナルのベトナム軍ボタンレプリカが発売されてるので、そちらに交換すればさらにリアリティが増すのでお勧めです。


雰囲気だしにTTSXQT(国防省軍需部装備生産センター)スタンプも再現されています。
この辺は着てしまえば分からないので、おまけみたいなものですね。


なお実際の服のサイズはスタンプされているベトナム軍被服サイズ表記通りではなく、現在一般的なUS-SからXLとなっているので、現代の私たちにはむしろ着やすい裁断となっています。


全体的に、コスプレやリエナクトで実用するには十分な再現度を誇るリプロであり、これを作ってくれたEAは流石だなと思います。
これが完売してしまえば、次にこのレベルのレプリカが入手できるのは何年後になるか分かりません。
ベトナム戦争コスプレに興味がある方は、迷わず最低一着は持っておくべき服だと思います!
さらに、この服さえあれば、1967年以降のベトナム共和国軍地上戦闘部隊の再現がほとんど何でも出来ちゃいます。

BĐQ (レンジャー大隊)

ND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (師団付き偵察中隊)

LĐNN (海軍フロッグマン/SEAL部隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術局)MACV-SOG


またこれらの部隊を指導していたアメリカ軍、オーストラリア軍のアドバイザーたちも同じベトナム軍リーフ迷彩服を着用していました。
このようにリーフは何着持っていても困らない服なので、手に入るうちにご注文される事を強くお勧めします!


  


2017年07月10日

アホカリ準備完了


当初はレンジャーリーフを着よう思っていたので、友人と青テープ合わせをするためテープを作って縫い付け。
この服は生地は実物だけど縫製は戦後なので、遠慮せずリプロ徽章を取り付けちゃいます。
しかし後になって、参加申込書ををよく読んだら設定年代が「1967~68年頃」と書かれていた事に気付いてしまう。
レンジャーリーフは1968年中には前線への支給が確認できるので決して間違いではないし、年代設定も努力目標であって絶対ではないのは分かっているけど、やっぱり1967~68年頃といったらグリーンリーフの方がメイン。
それに、自分がコスプレしたいからと言って主催が設定したイベントの年代設定から外れるのは僕のプライドが許さないので、この服を着るのはやめる事にする


という訳で急遽、東京ファントム製のグリーンリーフを着る事に。
すでにこの状態にセットアップしてあったので、特に今回手を付け加える点はないです。


友人が今回初めて空挺師団として参加するので、
彼が購入したレンジャーリーフのリプロに、僕の自家製プリントパッチ3点セットを縫い付け。
オリジナルからトレースしたものなので、廉価版とは言え、見た目は悪くないと思います。



友人たちが土曜日に、黒のパイロットスーツを着てベトナム空軍のヘリコプター搭乗員コスプレするのを知り、
僕も仲間に入れてもらいたくて、大急ぎで自家製パッチを作って作戦服に縫い付け。
ベトナム空軍第3空軍師団(ビエンホア基地)第23戦術航空団の整備兵を再現してます。

でも一番の自慢は服ではなく、一昨年タイで入手した黒キャップです(笑)


青緑つるつるヘルメット3点完成。真ん中が自分用で、両サイドが友人からの依頼分です。


これで今回作らなくてはならない物は全て完成しました。
あとは当日忘れ物のないよう気を付けるしかありません。
最近はイベントの度に、ヘルメットやらブーツやら、なかなかの大物を忘れる事態が続いているので、
今回はちゃんとパソコンの前に持ち物リストを貼って、すべてチェックしてから出発するようにします。


そうそう、待ちに待ったEAの新作ベトナム軍2ポケット・グリーンリーフが届いたので、これも現地に持参します。
まだ日本発売前ですが、EAの社長が「欲しい?」と聞いてきたので、二つ返事で注文して、一足早く入手しました。
(たぶん僕に宣伝させたいんでしょう)

嬉しさのあまり、届いてすぐに袖を通し、リビングで弟に写真を撮らせました。
服の出来は、この表情が物語ってるとお考え下さい。
詳細は後日改めて記事にします!
  


2017年06月01日

つるつるヘルメット

 『ベトナム軍のM1系ヘルメット その1』で少し書きましたが、ベトナム共和国軍では米国製M1ヘルメットに加えて、ベトナム国産のM1ヘルメットも1960年代半ば以降大量に使用されていました。このベトナム国産ヘルメットはオリジナルのM1と異なり、反射防止の砂吹付塗装が省略され、表面がツルツルなのが大きな特徴でした。
 また塗装も米軍のようなオリーブドラブではなく、「青みがかった緑」のような色を多く見ます。例えるなら、昔の黒板の色とでも言いましょうか。
 またレンジャー科・空挺科・空挺コマンドなどのエリート部隊や、歩兵科の一部ではこの国産ヘルメットに迷彩塗装を施したものも使われていました。その迷彩パターンは部隊によって様々ですが、当時の写真からは、迷彩を描きこんだ上に塗装面を保護するためのクリアーコーティングが施され、ツルツル感が一層増している物が多く見られます。ただし一部では明らかにクリアーが吹かれていないものも見ますし、また前線ではヘルメットは大抵泥や土埃をかぶって汚れているので、表面がどういう仕上げなのか写真からでは判断できない例も多々あります。


 ベトナム軍装やるからにはこの国産ヘルメットは喉から手が出るほど欲しいアイテムなのですが、あれだけ大量に使われていたこのヘルメットの実物は、不思議な事にほとんど市場に流通していません。みんな戦後に回収されて、溶かして鍋だか鍬だかにリサイクルされちゃったのかな。

 ちなみに、欧米や日本で『実物ARVNヘルメット』として売られているヘルメットはほぼ全て米国製M1であり、しかも揃いもそろって「売れそうな」60年代のレンジャー科の黒豹マーキングが描かれているので、ほとんどは戦後に業者が作ったフェイクだろうなと思っています。徽章やベトナムジッポーにも言える事ですが、真贋を見極める上で「ベトナムの倉庫で見つかった」という触れ込みはほとんど意味を持ちません。だってベトナム人は外国のマニアが高い値段で買ってくれるのを知っているから、実物を装ったフェイク品を作りまくってるもん。マニアと言ってもピンキリだから、ベトナムで見つかった=本物と信じて大金払う人が沢山いるんです。僕も昔は、今見るととんでもない低品質のニセモノに高い金出してました。まぁ、マニアの世界は自己責任なので、自分の眼力が足らなかったと反省するしかないです。

 話を本題に戻して、この国産ヘルメットの実物はたぶん今後もそうそう手に入らないので、コスプレ用に自分で作る事にしました。幸い形状は米軍のM1と全く同じっぽいので、Amazonで買った激安レプリカM1を素材に出来ます。

開封して即、ペイントリムーバー(塗料はがし)をハケで塗布。

数十分で塗装面はデロデロ。あとはワカメみたいに柔らかくなった塗装面をスクレーパーやスポンジタワシで落としていきます。

綺麗になりました。このレプリカ、米軍用としては値段なりにショボいですが、つるつるヘルメットの素材としては申し分ないです。

さて、ここから塗装を施していきます。まず、金属面にそのまま塗装すると塗料の食いつきが悪くて剝がれてしまうので、メタルプライマー(金属用下地塗料)を塗布します。今回は塗料も一緒に模型屋に買いに行ったので、プラモ経験者にはお馴染みGSIクレオスのMr.メタルプライマー改 スプレータイプを使いました。

次に塗料を調色します。今回は1回目という事で、まず基本の「青緑」塗装を再現する事にしました。とは言え実物が手元に無く、ネットでも実物コレクションを載せているページは見つからなかったので、色は当時のカラー写真を見ながら推測で作るしかありませんでした。

ヘルメットは野外のリエナクトメントで実用するものなので、塗装が簡単には剥がれないよう、被膜が強いラッカー系のMr.カラーを使いました。色は、今後も調色する際に分かりやすいよう、シンプルにのブラック、ブルー、グリーンの三色を使ってみました。

写真を見ながら調色していった結果、結局比率はブラック、ブルー、グリーンそろぞれ1:1:1くらいが丁度良くなりました(※下に追記あり)。ただし色に関しては光の具合でいくらでも違って見えてしまうので、今後も検証が必要だと思っています。これをエアブラシで吹くので、うすめ液を1:2で入れて希釈します。

約9年ぶりにエアブラシを使用。実はこのエアブラシとコンプレッサーは、元々は僕が買ったものですが、僕がプラモを作らなくなったので友人に煙草1カートンと引き換えに譲った物です。しかし今回ヘルメットを塗装するにあたって調色した塗料を広い面積に塗る必要があったため、急遽友人に「あのエアブラシまだある?」と連絡を取って借りてきました。なんでも友人も、家が新築だし、まだ小さい子供が二人もいるわで、とてもプラモを作る余裕は無く、このエアブラシもほとんど使っていなかったそうです。でも家に行ったら、まだ作っていないガンプラの箱は何個も積んでありました。奥さんに捨てられないよう気を付けてね~(笑)

いざ塗装開始。エアブラシで何度も重ね塗りしていく。思った以上にヘルメットって塗る面積が広くて、ブラシのサイズを最大にしても全然塗り進まない。その上塗料をえらい消費します。結局塗料は計50ml、うすめ液は100mlくらい必要でした。スケールモデルの感覚でやっちゃダメですね。

色付けが終わったら、つるつる感を出すためにMr.スーパークリアー 光沢を塗布。そして最後に、コンパウンドとして金属磨き用のピカール液をウエスに付けて磨いていきます。この磨き作業をする為に、被膜の弱い水性ではなく、強度の高いラッカー系の塗料・クリアーを使いました。おそらく実物も水性ではなく、ラッカー系で塗装されていたと思います。

これでようやく完成。つるつる感は出せたと思います。

再度比較。色に関しては光源の違いや塗装面の変色、汚れ具合、写真の変色も加味しなくてはならないので、まだ僕自身、明確な答えは出せていません。ゼロ戦の塗装色ですらいまだに論争が続いているくらいですから、色の再現というのはやりだしたら切りがない世界なのですよね。
幸いヘルメットというのは汚れていて当たり前の物なので、野外で使う時はまず、泥まみれにして色をうやむやにしちゃいましょう(笑)

<追記>

あと4個作ります。


※2017年7月10日追記


その後何度か色の調整を繰り返した結果、ブルー5, ネイビーブルー4, グリーン1, ブラック1くらいの比率(全てMr.カラー)が今のところベターかなと思ってます。
  


2017年04月18日

ベトナム軍のM1系ヘルメット その1

 ベトナム共和国軍では、1948年の国軍創設から1975年のベトナム戦争終結まで、30年近くに渡って様々なモデルの米軍M1系ヘルメットが使用されていました。今回は、それらベトナム軍で使用されたヘルメットについてご紹介します。


M1ヘルメット (大戦モデル)/アメリカ製
使用期間: 1948年~


 第1次インドシナ戦争中、ベトナム軍で最も普及していたヘルメットがアメリカ製のM1ヘルメットでした。これは第2次大戦集結後、再建が始まったフランス軍への軍事支援としてアメリカが供与したもので、第1次インドシナ戦争期のフランス連合軍で最も多用されたヘルメットでした。またM1ヘルメットには各種空挺部隊仕様(後述)が存在しましたが、それらは十分な数が揃わなかったため、空挺部隊でも通常型(一般兵科用)のM1ヘルメットが使用されていました。
 なお、ここで言うM1ヘルメットとは第二次大戦中の1940年代前半に生産されたモデルになります。大戦モデルと言っても色々ありますが、写真から判別できるのは、大戦中一般的だったJフック型チンストラップが付いたM1という事ぐらいであり、また米軍の中古がまとめて供与されたものなので、細かい仕様はごちゃ混ぜだったと思われます。


M1Cヘルメット (布製チンストラップモデル)/アメリカ製
使用期間: 1951年~


 M1Cヘルメットはアメリカ軍が1943年に採用したM1ヘルメットの空挺部隊仕様で、M1のライナーに空挺降下時の安定性を高めるAストラップを追加し、またシェル側のチンストラップにスナップボタンを備えライナーと固定できるデザインとなっていました。第1次インドシナ戦争中、ベトナム国軍を含むフランス連合軍の空挺部隊では、M1と同じくアメリカから供与されたこのM1Cヘルメットが多用されていました。なお当時のM1Cは、革製チンカップに代わって大戦末期に採用された布製チンストラップのタイプが一般的でした。


M1ヘルメット EO改修型アメリカ製・フランス軍改造
使用期間: 1952年~


 フランス連合軍の空挺部隊にはアメリカ製のM1Cヘルメットが支給されていたものの、その数には限りがあり、空挺部隊の規模拡大と共にヘルメットが不足していきました。そこでフランス軍は1952年に、在庫に余裕のある一般兵科用M1ヘルメットのライナーにM1Cのような空挺降下時の安定性を高めるAストラップを取り付ける改造を行い極東(EO)=インドシナ派遣部隊への支給を開始します。この改造されたM1は"M1ヘルメットEO改修型(Casque M-1 modifié Extrême-Orient)"と呼ばれ、M1Cのような爪付きバックルではなく、左右2個ずつ備えたDリングで布製のウェビングチンストラップを締め上げる方式のAストラップを備えていました。


Mle 51 TTA OTANヘルメット/フランス製
使用期間: 1952年~


 Mle 51 TTA OTANヘルメット(Casque troupes toutes armes modèle 51 OTAN)はM1ヘルメットを基にフランス軍が1951年に制式採用した一般兵科用ヘルメットです。第2次大戦による荒廃と戦後の東西冷戦による緊張状態を迎えた西欧諸国は、軍の再建をアメリカからの軍事支援に頼っており、ヘルメットもアメリカ製のM1ヘルメットが北大西洋条約機構軍の標準装備となっていました。この中でフランスは装備の国産化を図り、北大西洋条約機構(仏語略称:OTAN)の標準ヘルメットであるM1を国産化した物がMle 51 TTA、通称OTANヘルメットでした。 このOTANヘルメットはM1ヘルメットとほぼ同じ構造でしたが、シェルの前側のバイザー部分がM1より短く、逆に後ろ側がM1より大きく突き出ているのが特徴でした。OTANヘルメットはフランスからベトナム軍に供与された期間が短かったため数は少ないものの、1960年代まで使用例が見られます。

なお、フランス軍は1953年に、OTANヘルメットにM1Cと同様のAストラップを追加した空挺部隊向けの"Mle 51 TAPヘルメット"を採用しましたが、インドシナ派遣部隊もしくはベトナム国軍での使用例については未確認です。


M1ヘルメット (戦後モデル)/アメリカ製
使用期間: 1950年代末?~


 フランスがベトナムから撤退した後、ベトナム共和国軍はアメリカから直接軍事支援を受けるようになり、個人装備も急速にアメリカ式に切り替わっていきます。M1ヘルメットも大戦期の旧モデルから、当時のアメリカ軍の現用(いわゆる戦後モデル)へと更新されていきます。さらに1960年代に入るとベトナム軍のヘルメットの大半はこの戦後モデルに置き換わり、以後1975年まで長きに渡って使用されました。なお空挺部隊においても、空挺用ヘルメットの不足から、一般兵科用M1は引き続き使用されました。
 戦後モデル(1950年代から1960年代前半)のM1ヘルメットは、大戦期のJフック型に代わり、既定の圧力でバックルが外れるように設計されたT1型チンストラップが装備されているのが大きな特徴でした。(T1ストラップは1944年に採用されたものの、実際に普及するのは1950年代になってからでした。) また、ライナーの革製チンストラップは標準装備でしたが、前線ではシェルの内側に隠されたり、外されている場合も多々ありました。


M1Cヘルメット (戦後モデル)/アメリカ製
使用期間: 1950年代末?~


 M1と同様に、空挺部隊向けのM1Cヘルメットも順次戦後モデルに切り替わっていきました。M1C戦後モデルは、M1と同様シェル側にはT1型チンストラップ(スナップボタン付き)が装備されており、またライナー側のウェブチンストラップも金属ハトメ付きの新型になっています(※2017年4月19日訂正: 形状は大戦末期の物と同じでした)。なお、M1Cのライナーは一般兵科用M1のシェルと互換性がある為、戦後モデルもしくは後述する国産M1のシェルにM1C(空挺用)ライナーが取り付けられている事もあります。


国産M1ヘルメット/ベトナム製
使用期間: 1960年代中盤?~


 1960年代半ばになると米国製M1(戦後モデル)をコピーしたベトナム国産のヘルメットの生産が始まり、以後終戦まで米国製と共に広く使われていきます。国産M1ヘルメットの特徴は、米国製M1のような反射防止の砂吹付塗装がなされておらず表面がツルツルであった事でした。この砂吹付の省略は、同じくM1を国産化していた台湾軍やタイ王国軍でも行われました。塗装色は米軍のようなオリーブドラブではなく、青みがかった緑色と言った感じの色をよく見ます。またライナーの革製チンストラップは不要と見なされ、最初から備えていなかったと思われます。


◆M1 / M1Cヘルメット (1965年モデル)/アメリカ製について
 アメリカ軍は1941年以来ほぼ同じ構造だったM1およびM1Cヘルメットの大掛かりなマイナーチェンジを1965年に行い、ベトナム派遣アメリカ軍部隊が使用するヘルメットは順次この新型(1965年モデル*)に切り替わっていきました。この1965年モデルのM1/M1Cは、戦後モデルと同様にベトナム共和国軍に供与された可能性は十分あるものの、ライナーの内装が写っていない限り当時の写真からではそのM1が戦後モデルなのか1965年モデルなのかを判断するのは難しいため、僕はまだ1965年モデルのM1がベトナム軍でも使用されていたという確証は得られていません。
マニアの間では1965年モデルのM1およびM1Cに"M2"という通称がつけられていますが、M2とは本来、1942年に開発された最初期の空挺仕様M1ヘルメット(M1Cより前のモデル)の名称です。1965年モデルをM2と呼ぶのはかなり間違ってるので止めた方がいいと思います。



おまけ

ツルツルヘルメット計画、進行中

   


2017年04月04日

ボディアーマー

M1952Aボディアーマー再生

去年ベトナムに行った際に、中のアラミド繊維が抜かれペラペラのカバーのみの状態になったM1952Aボディアーマーを買ってきました。(もしかしたら防弾性能のあるボディアーマーはベトナムの法律では『武器』扱いになり違法だから中身が抜かれたのかも)
このカバーは中身がないだけで、ほぼデッド状態の良品だったので、どうにかしてこの中に詰め物を入れて外観を再生させようと思っていました。
問題は何を詰めるかという事で、一番リアルなのは本来入っていたはずのアラミド繊維を戻す事ですが、今時のトラウマプレートと違ってこの時代のボディアーマーは中身を交換する事は考えられていないので、アラミド繊維単品はまず手に入りません。
次に思い浮かぶのは、ヒューストン社などのミリタリー系アパレル企業が作っているボディアーマー風ベストのように、ダウンや綿を詰めるという手段ですが、実はこれには難がありまして、本来均等な厚みのアラミド繊維が入っているはずなのに、綿などの形状が定まっていないものを入れるとどうしても中で偏りカバーにたるみが出来てしまいますし、それを防ぐためにカバー一杯にパンパンに詰めると、今度は厚くなり過ぎて形が不格好になってしまう事が予想されました。市販のボディアーマー風ベストも、実物よりだいぶ分厚くなってるので一目で代用品だと分かりますものね。なので中に入れる素材としては、実物とほぼ同じ厚みで、かつ中で偏らない適度な硬さがあるものを選ぶ必要がありました。
ただし厚みに関しては、正常な状態のM1952Aを持っていないので実際の厚みは分かりませんでした。しかし、その後継である3/4カラーボディアーマー(RVNAF)(※後述)は手元にあるので、それとほとんど同じだろうと予想して選ぶことにしました。3/4カラーのアーマー各部をノギスで測ったところ、カバーを含めた厚みは概ね9mmだったので、中のアラミド繊維は約8mmと考える事にします。思っていたより薄いですね。
当初、素材としてはお風呂マットやウレタンフォームを候補として考えていましたが、ホームセンターに行って商品を見てみると、どれも思ったよりぶ厚くて、厚さ8mmの品はなかなかありません。何か良いのは無いかと探していると、ありましたよ丁度いいのが。

ユーザー(USER) アルミロールマットL U-P851

キャンプなどで地面に寝る時に寝袋の下に敷く保温・緩衝用アルミロールマット、通称銀マットです。偶然にも厚さ8mmの品が並んでいました。これなら適度な硬さもあり、型崩れしなさそうなので中に入れるのにピッタリだと思いました。
さっそく買って帰って作業開始。やる事は単純で、ボディアーマーのカバーを広げて縁の形を取り、そこから縫い代分の10mm内側を切り出します。これをカバーの中に入れて、カバー開口部をミシンで縫い直せば完成。

※銀マットはもともと十分な大きさだったのに、寸法を測り間違って余計な部分を切ってしまいた。しかたなくガムテープでつなげ直しています。

こうして復活したM1952Aボディアーマー。本当に銀マットは丁度良い硬さで、思っていた以上に見栄えが良いです。

M1952Aのタグ



3/4カラーボディアーマー(RVNAF)

ついでに、今回アラミド繊維の厚みの参考にした3/4カラー・ボディアーマー(RVNAF)をご紹介。

名前の通り、このボディアーマーはRepublic of Vietnam Armed Forces=ベトナム共和国軍*に供与するために生産されたもので、タグが違うだけで物は米軍のM69ボディアーマー**と全く同一です。

アメリカ製ですが、ベトナム共和国軍での使用を前提としているため、最初からベトナム語の取説タグが付いています。なおアメリカ政府におけるFSN(連邦備品番号)は、米軍M69は8470-122-1299ですが、ベトナム軍仕様は8470-144-5798となっています。

* RVNAF
戦後誤解されていますが、当時のベトナム共和国軍の正式な英語表記はRepublic of Vietnam Armed Forces(RVNAF)であり、Army of Republic of Vietnam(ARVN)はベトナム陸軍のみを指しました。過去記事『ARVNとは?』参照

** M69ボディアーマー
3/4カラーおよびM69ボディアーマーの名称についてはマニア間でかなり誤解されています。
まず、マニア間でM69と呼ばれている物(ジッパー閉じ)は米軍でいうM69ではありません本来の名称は"3/4カラー"ボディアーマーであり、1969年制定でもありません。M69とはこの3/4カラーの後継モデルの名称なのですが、なぜかマニア間では3/4カラーそのものを指してM69と呼ばれています。
さらにこの誤った認識の上で、本来のM69(ベルクロ閉じ)は、「M69(実際は3/4カラー)の1970年仕様」だと誤解され、"M69/70"という謎の分類化がされています。タグに本来の名称書いてあるのに、なんでわざわざ関係ない名前付けるかね。
なお、RVNAF仕様は(真の)M69と全く同じ仕様ですが、タグに記載された名称はM69ではなく、なぜか3/4カラー(RVNAF)となっています。


おまけ: T61-5 3/4カラーボディアーマー

T61-5ボディアーマーがベトナム海軍でも使われていたの図。

 
T61-5はアメリカ海軍で開発されていたチタン・ナイロン混合ボディアーマーです。
フランスの米軍コレクターグループUSMC-COLLECTORSのページLES GILETS PARE-ECLATS DE L'US NAVYによると、1964年11月に海軍での採用が決定されたものの、1965年12月になっても生産前の試験が継続しており、生産されたものについてはベトナムに派遣されたアメリカ海軍の河川哨戒艇部隊で使用されたそうです。しかしこのT61-5は体温がこもりやすく、熱帯地域での着用は厳しいもので、結局大量生産には至らず消えて行ったようです。
上のベトナム海軍の写真は、アメリカ海軍が装備品をベトナム側に供与した際、その中にT61-5も混ざっていたためにそのまま使われていたのであろうと推測します。

  


2017年03月27日

ブラッドケーキ/ブラッシュ迷彩

 先日ベトナム海兵隊のタイガーストライプ迷彩について書きましたが、タイガーストライプと同じく1960年代初頭から使用され始め、ベトナム共和国軍を代表する迷彩服としてタイガーストライプと双璧を成していたのが『ブラッドケーキ』または『ブラッシュ』と呼ばれる迷彩服でした。(これらの呼び名はマニア間での通称であり、当時のベトナム軍における呼び名ではありません。) 今回はこのブラッドケーキ迷彩服について、当時の写真を交えながらご紹介します。



ブラッドケーキ迷彩の起源

 愛好家・コレクターの間では、ベトナム軍ブラッドケーキ迷彩の源流は第2次大戦中に開発されたイギリス陸軍の迷彩ウィンドプルーフスモックにあると考えられています。

Smock, Windproof, Camouflaged: British Army© IWM (UNI 4081)

 このウィンドプルーフスモックは第2次大戦中、ギリス軍の指導の下組織された自由フランス軍SASにデニソンスモック等の英軍装備と供与されており、さらに大戦後は米英軍の支援の下再建中のフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に供与され、スモックだけでなく同じ生地で作られたジャケットやパンツも生産されました。
 時を同じく、1946年に第1次インドシナ戦争が勃発すると、このウィンドプルーフ系迷彩服はインドシナ派遣部隊(CEFEO)の各空挺部隊にも支給されます。さらに1948年からは植民地軍のインドシナ人空挺中隊(CIP)に、1951年からはフランス連合の枠内で独立したベトナム、ラオス、カンボジア各国の空挺部隊でも使用されるようになります。



ウィンドプルーフ迷彩スモック、パンツを着用したCEFEO第6空挺植民地大隊CIPのベトナム人兵士[1952年11月1日]


国産化

 こうしてウィンドプルーフ系迷彩服はベトナム共和国軍へと受け継がれていった訳ですが、ジュネーブ協定後の1950年代後半になるとウィンドプルーフ迷彩の使用例は急激に減少します。なぜならフランス連合軍はベトナムから撤退する際、これから部隊に支給するはずだった新品の空挺部隊用リザード系迷彩服(TAP47系、TTA47系)を大量に南ベトナムに置いて帰ったため、ベトナム軍空挺部隊の使用する迷彩服はそれら新品のリザード系だけで十分となり、古いウィンドプルーフ系を着る必要がなくなってしまったからです。
 しかし、当然ながらフランス軍が残していったリザード系迷彩服の数にも限りがあり、訓練や戦闘で消耗されればいずれ迷彩服が不足する事は明白でした。その為ベトナム軍は空挺部隊向け新型国産迷彩服の開発を進めていきます。こうして生まれたのが、ウィンドプルーフ迷彩を基に開発されたブラッドケーキ迷彩服でした。
 このブラッドケーキ迷彩服の裁断は、海兵隊タイガーストライプや、その発展型であるベトナム軍共通の作戦服とは異なる独特のものでした。この服は空挺部隊向けの作戦服である為、空挺降下時に着用する事を念頭に設計されています。海兵隊式と違い、降下時に風圧で空気が服の中に入ってバタついたり、装備・ベルト類が引っかからないよう、前合わせやポケットのフラップが隠しボタンになっているのが大きな特徴でした。また、迷彩パターンだけでなく、ウィンドプルーフスモック本来の防風性も受け継ぎ、風を通しにくい生地が使われていました。なお、パンツは概ね海兵/一般と同じく米軍ユーティリティ式の貼り付けポケットで、カーゴポケット有り・無しが存在していました。

 しかし残念ながら、僕はまだブラッドケーキ迷彩服がいつごろ開発されたのか、詳しい情報はつかめていません。僕が写真で着用を確認している最も古い時期は、1962年になります。もっと古くからあるよ!という情報をお持ちの方、是非ご連絡下さい!
 
ブラッドケーキ迷彩服を着用し降下訓練に臨む空挺旅団兵士[1962年]

 またブラッドケーキ迷彩服は1960年代初頭から60年代末まで10年近く使用された服であるため、いくつかバリエーションが存在します。以下は、僕が写真で確認しているもののまとめになります。

2ポケット
おそらく最初に生産されたブラッドケーキ迷彩服の裁断。大きめの胸ポケットと隠しボタンの前合わせが特徴。ポケットのマチ、TTA47のような肩当て補強、エポレットはそれぞれ有り・無し両方が見受けられます。

[1963-1964年?]


ライセンス企業Alamyではこの写真の撮影年を1973年と記載していますが、僕の見立てでは1964~1966年頃だと思います。


◆小2ポケット
大ポケットの簡略型と考えられており、海兵/一般部隊向け裁断のようにポケットが小さくなっています。またエポレット無しタイプもちらほら見受けられます。※2017年4月1日訂正

ム政権への軍事クーデターに参加した空挺旅団兵士[1963年11月サイゴン ザーロン宮殿]


◆隠しジッパーポケット改造
胸ポケットの内側にさらにTAP47系降下服のような隠しジッパーポケットを追加した改造モデル。大ポケット、小ポケット共にこの改造が行われた模様です。

同じくAlamyでは1973年撮影としていますが、個人装備からして1964~1966年頃だと思います。

僕が持っている香港製のリプロは、このタイプを再現したものです。新品だとコントラストが高すぎて別物みたいですね。リアルにするには全体がグレーっぽくなるまで退色させる必要がありますが、失敗すると取り返しのつかないリスキーな作業になるので、まだ踏み出す勇気が出ません。


◆TCU(1stパターン)裁断
その名の通りアメリカ軍のTCU(熱帯戦闘服)を模した裁断です。空挺部隊ではなく、主に特殊部隊(LLĐB)で着用されていました。どちらも空挺作戦を行うエリート部隊でしたが、フランス軍によって創設された空挺部隊とは異なり、LLĐBは1950年代末からアメリカ軍特殊部隊によって育成された組織であるため、米軍グリーンベレーに倣って緑色のベレーを採用するなど、米軍からの影響をより色濃く受けていたようです。

CIDGキャンプ訪れたベン・ハレル米陸軍中将の激励を受けるベトナム軍LLĐB隊員[1964年11月]


1960年代後半

 1960年代後半になると、ベトナム陸軍のエリート部隊全体で米国の民間ハンター向け迷彩パターンをコピーした『シビリアンリーフ』迷彩が作戦服に採用され、空挺師団ではブラッドケーキからシビリアンリーフへの切り替えが始まります。さらに1967年には、米軍の新型TCU迷彩『ERDL』パターンが、海兵隊を含むベトナム軍エリート部隊共通の迷彩服として採用されます。その後も1969年からは国産の新型迷彩『レンジャー/エアボーン』パターンの配備が進められ、ベトナム軍の迷彩服は一気に様変わりしていきます。
 とは言え、数万人の兵士の迷彩服を一度に更新する事は不可能であり、徐々に切り替えが進められたため、前線部隊でのブラッドケーキ迷彩の着用例は1968年頃まで見受けられます。また自費でブラッドケーキ迷彩服をテーラーメイドした将校たちは、新型迷彩が採用された後も手持ちの迷彩服を着続けたので、あまり前線に出る事のない司令部や後方勤務者は1970年頃になってもブラッドケーキ迷彩服を着ている事がありました。

空挺師団第5空挺大隊の中尉[1967年]

テト攻勢の最中の空挺師団兵士 [1968年サイゴン]
この時期、空挺師団ではERDL迷彩が一般的となっており、一部ではレンジャー/エアボーン迷彩の支給も始まっていました。


高級将校の仕立服

高級将校は自費で迷彩服をテーラーで仕立てるため、服の裁断はある程度個人の好みで作られます。そのため、高級将校の着ている迷彩服の裁断は、一般兵に支給されていたものとは異なる可能性がある事に留意する必要があります。

2ポケット
高級将校であっても多くの場合、(仕立服だとは思いますが)一般的な2ポケット型のブラッドケーキを着ています。ただし官給品とは違い、殆どの場合でエポレットや肩当は省略される事なく備わっています。

カオ・バン・ビエン少将(当時) (写真左) [1965年10月]


ゴ・クアン・チュウン少佐(当時)(写真中央)と空挺師団付き米陸軍アドバイサー ウェスト大尉(写真左) [1964年8月]


◆TCU(1stパターン)裁断

 
ド・カオ・チ中将[1960年代中盤]
チ中将の出身部隊である空挺師団ではTCU型ブラッドケーキはほとんど見られませんが、当時チ中将は軍団司令なので米軍式の服も作ったようです。


2ポケット/前合わせボタン露出

トン・タット・ディン中将[1963年11月]
胸ポケットは隠しボタンのままですが、前合わせだけボタンが露出しています。隠しボタンは降下服としての実用性を目的とするものなので、それが取り払われたこの服は、実際に空挺降下をする事はない高級将校専用の服と言えそうです。


小2ポケット/胸ポケットボタン露出

 
グエン・チャン・チ少将[1965年ダナン]
上の中将の服とは逆に、胸ポケットだけボタンが露出しているタイプ。また、仕立服でありながらエポレットを備えていないのも珍しいです。


※2017年4月1日追記
◆大2ポケット前合わせ・胸ポケットボタン露出

グエン・カーン中将(当時)(写真左) [1964年サイゴン]
前合わせと胸ポケット両方のボタンが露出し、エポレット無しという、海兵/一般部隊向けとほぼ同じ裁断になっています。


※2017年3月29日追記
◆大4ポケット/胸ポケットボタン露出

グエン・バン・チュー中将(写真左) [1966年]
(TCU型を除いて)珍しい4つポケットのタイプです。ウエスト周りには降下時の空気の侵入を防ぐドローコードが見受けられます。チュー中将の出身部隊は空挺ではありませんが、降下資格は持っていますし、当時空挺科幹部の独壇場だった軍事政権の中で新たな政権を発足させたチューですから、空挺科に舐められないよう、服で箔をつけるという目的があったのかも知れません。