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2017年07月22日

EAリーフをレビュー

先日お伝えしたEast Asia Supplyの新商品、ベトナム共和国軍ERDLグリーンリーフ迷彩作戦服がCLASSIFIEDさんより発売となりました!

CLASSIFIEDさん商品ページ


先日アホカリに参加された方には現物をお見せしましたが、仕上がりは期待以上です!
生地はポプリン生地のERDLグリーンリーフ迷彩を再現しています。裁断はベトナム軍の迷彩服として最もオーソドックスなスタイルの、肩当・エポレット付き2ポケットジャケット、膝当て付き4ポケットパンツです。



ボタンはどのメーカーも再現を妥協しがちな部分ですが、今回のEAリーフのボタンは当時のベトナム製ボタン(厚手タイプ)の雰囲気を比較的再現できていると思います。


このくらいアップで見ると違いが分かりますが、着用してしてしまえば、ほとんど違和感は感じられません。
こだわりたい方は、完成度の高いCLASSIFIEDさんオリジナルのベトナム軍ボタンレプリカが発売されてるので、そちらに交換すればさらにリアリティが増すのでお勧めです。


雰囲気だしにTTSXQT(国防省軍需部装備生産センター)スタンプも再現されています。
この辺は着てしまえば分からないので、おまけみたいなものですね。


なお実際の服のサイズはスタンプされているベトナム軍被服サイズ表記通りではなく、現在一般的なUS-SからXLとなっているので、現代の私たちにはむしろ着やすい裁断となっています。


全体的に、コスプレやリエナクトで実用するには十分な再現度を誇るリプロであり、これを作ってくれたEAは流石だなと思います。
これが完売してしまえば、次にこのレベルのレプリカが入手できるのは何年後になるか分かりません。
ベトナム戦争コスプレに興味がある方は、迷わず最低一着は持っておくべき服だと思います!
さらに、この服さえあれば、1967年以降のベトナム共和国軍地上戦闘部隊の再現がほとんど何でも出来ちゃいます。

BĐQ (レンジャー大隊)

ND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (師団付き偵察中隊)

LĐNN (海軍フロッグマン/SEAL部隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術総局)MACV-SOG


またこれらの部隊を指導していたアメリカ軍、オーストラリア軍のアドバイザーたちも同じベトナム軍リーフ迷彩服を着用していました。
このようにリーフは何着持っていても困らない服なので、手に入るうちにご注文される事を強くお勧めします!


  


2017年07月10日

アホカリ準備完了


当初はレンジャーリーフを着よう思っていたので、友人と青テープ合わせをするためテープを作って縫い付け。
この服は生地は実物だけど縫製は戦後なので、遠慮せずリプロ徽章を取り付けちゃいます。
しかし後になって、参加申込書ををよく読んだら設定年代が「1967~68年頃」と書かれていた事に気付いてしまう。
レンジャーリーフは1968年中には前線への支給が確認できるので決して間違いではないし、年代設定も努力目標であって絶対ではないのは分かっているけど、やっぱり1967~68年頃といったらグリーンリーフの方がメイン。
それに、自分がコスプレしたいからと言って主催が設定したイベントの年代設定から外れるのは僕のプライドが許さないので、この服を着るのはやめる事にする


という訳で急遽、東京ファントム製のグリーンリーフを着る事に。
すでにこの状態にセットアップしてあったので、特に今回手を付け加える点はないです。


友人が今回初めて空挺師団として参加するので、
彼が購入したレンジャーリーフのリプロに、僕の自家製プリントパッチ3点セットを縫い付け。
オリジナルからトレースしたものなので、廉価版とは言え、見た目は悪くないと思います。



友人たちが土曜日に、黒のパイロットスーツを着てベトナム空軍のヘリコプター搭乗員コスプレするのを知り、
僕も仲間に入れてもらいたくて、大急ぎで自家製パッチを作って作戦服に縫い付け。
ベトナム空軍第3空軍師団(ビエンホア基地)第23戦術航空団の整備兵を再現してます。

でも一番の自慢は服ではなく、一昨年タイで入手した黒キャップです(笑)


青緑つるつるヘルメット3点完成。真ん中が自分用で、両サイドが友人からの依頼分です。


これで今回作らなくてはならない物は全て完成しました。
あとは当日忘れ物のないよう気を付けるしかありません。
最近はイベントの度に、ヘルメットやらブーツやら、なかなかの大物を忘れる事態が続いているので、
今回はちゃんとパソコンの前に持ち物リストを貼って、すべてチェックしてから出発するようにします。


そうそう、待ちに待ったEAの新作ベトナム軍2ポケット・グリーンリーフが届いたので、これも現地に持参します。
まだ日本発売前ですが、EAの社長が「欲しい?」と聞いてきたので、二つ返事で注文して、一足早く入手しました。
(たぶん僕に宣伝させたいんでしょう)

嬉しさのあまり、届いてすぐに袖を通し、リビングで弟に写真を撮らせました。
服の出来は、この表情が物語ってるとお考え下さい。
詳細は後日改めて記事にします!
  


2017年06月01日

つるつるヘルメット

 『ベトナム軍のM1系ヘルメット その1』で少し書きましたが、ベトナム共和国軍では米国製M1ヘルメットに加えて、ベトナム国産のM1ヘルメットも1960年代半ば以降大量に使用されていました。このベトナム国産ヘルメットはオリジナルのM1と異なり、反射防止の砂吹付塗装が省略され、表面がツルツルなのが大きな特徴でした。
 また塗装も米軍のようなオリーブドラブではなく、「青みがかった緑」のような色を多く見ます。例えるなら、昔の黒板の色とでも言いましょうか。
 またレンジャー科・空挺科・空挺コマンドなどのエリート部隊や、歩兵科の一部ではこの国産ヘルメットに迷彩塗装を施したものも使われていました。その迷彩パターンは部隊によって様々ですが、当時の写真からは、迷彩を描きこんだ上に塗装面を保護するためのクリアーコーティングが施され、ツルツル感が一層増している物が多く見られます。ただし一部では明らかにクリアーが吹かれていないものも見ますし、また前線ではヘルメットは大抵泥や土埃をかぶって汚れているので、表面がどういう仕上げなのか写真からでは判断できない例も多々あります。


 ベトナム軍装やるからにはこの国産ヘルメットは喉から手が出るほど欲しいアイテムなのですが、あれだけ大量に使われていたこのヘルメットの実物は、不思議な事にほとんど市場に流通していません。みんな戦後に回収されて、溶かして鍋だか鍬だかにリサイクルされちゃったのかな。

 ちなみに、欧米や日本で『実物ARVNヘルメット』として売られているヘルメットはほぼ全て米国製M1であり、しかも揃いもそろって「売れそうな」60年代のレンジャー科の黒豹マーキングが描かれているので、ほとんどは戦後に業者が作ったフェイクだろうなと思っています。徽章やベトナムジッポーにも言える事ですが、真贋を見極める上で「ベトナムの倉庫で見つかった」という触れ込みはほとんど意味を持ちません。だってベトナム人は外国のマニアが高い値段で買ってくれるのを知っているから、実物を装ったフェイク品を作りまくってるもん。マニアと言ってもピンキリだから、ベトナムで見つかった=本物と信じて大金払う人が沢山いるんです。僕も昔は、今見るととんでもない低品質のニセモノに高い金出してました。まぁ、マニアの世界は自己責任なので、自分の眼力が足らなかったと反省するしかないです。

 話を本題に戻して、この国産ヘルメットの実物はたぶん今後もそうそう手に入らないので、コスプレ用に自分で作る事にしました。幸い形状は米軍のM1と全く同じっぽいので、Amazonで買った激安レプリカM1を素材に出来ます。

開封して即、ペイントリムーバー(塗料はがし)をハケで塗布。

数十分で塗装面はデロデロ。あとはワカメみたいに柔らかくなった塗装面をスクレーパーやスポンジタワシで落としていきます。

綺麗になりました。このレプリカ、米軍用としては値段なりにショボいですが、つるつるヘルメットの素材としては申し分ないです。

さて、ここから塗装を施していきます。まず、金属面にそのまま塗装すると塗料の食いつきが悪くて剝がれてしまうので、メタルプライマー(金属用下地塗料)を塗布します。今回は塗料も一緒に模型屋に買いに行ったので、プラモ経験者にはお馴染みGSIクレオスのMr.メタルプライマー改 スプレータイプを使いました。

次に塗料を調色します。今回は1回目という事で、まず基本の「青緑」塗装を再現する事にしました。とは言え実物が手元に無く、ネットでも実物コレクションを載せているページは見つからなかったので、色は当時のカラー写真を見ながら推測で作るしかありませんでした。

ヘルメットは野外のリエナクトメントで実用するものなので、塗装が簡単には剥がれないよう、被膜が強いラッカー系のMr.カラーを使いました。色は、今後も調色する際に分かりやすいよう、シンプルにのブラック、ブルー、グリーンの三色を使ってみました。

写真を見ながら調色していった結果、結局比率はブラック、ブルー、グリーンそろぞれ1:1:1くらいが丁度良くなりました(※下に追記あり)。ただし色に関しては光の具合でいくらでも違って見えてしまうので、今後も検証が必要だと思っています。これをエアブラシで吹くので、うすめ液を1:2で入れて希釈します。

約9年ぶりにエアブラシを使用。実はこのエアブラシとコンプレッサーは、元々は僕が買ったものですが、僕がプラモを作らなくなったので友人に煙草1カートンと引き換えに譲った物です。しかし今回ヘルメットを塗装するにあたって調色した塗料を広い面積に塗る必要があったため、急遽友人に「あのエアブラシまだある?」と連絡を取って借りてきました。なんでも友人も、家が新築だし、まだ小さい子供が二人もいるわで、とてもプラモを作る余裕は無く、このエアブラシもほとんど使っていなかったそうです。でも家に行ったら、まだ作っていないガンプラの箱は何個も積んでありました。奥さんに捨てられないよう気を付けてね~(笑)

いざ塗装開始。エアブラシで何度も重ね塗りしていく。思った以上にヘルメットって塗る面積が広くて、ブラシのサイズを最大にしても全然塗り進まない。その上塗料をえらい消費します。結局塗料は計50ml、うすめ液は100mlくらい必要でした。スケールモデルの感覚でやっちゃダメですね。

色付けが終わったら、つるつる感を出すためにMr.スーパークリアー 光沢を塗布。そして最後に、コンパウンドとして金属磨き用のピカール液をウエスに付けて磨いていきます。この磨き作業をする為に、被膜の弱い水性ではなく、強度の高いラッカー系の塗料・クリアーを使いました。おそらく実物も水性ではなく、ラッカー系で塗装されていたと思います。

これでようやく完成。つるつる感は出せたと思います。

再度比較。色に関しては光源の違いや塗装面の変色、汚れ具合、写真の変色も加味しなくてはならないので、まだ僕自身、明確な答えは出せていません。ゼロ戦の塗装色ですらいまだに論争が続いているくらいですから、色の再現というのはやりだしたら切りがない世界なのですよね。
幸いヘルメットというのは汚れていて当たり前の物なので、野外で使う時はまず、泥まみれにして色をうやむやにしちゃいましょう(笑)

<追記>

あと4個作ります。


※2017年7月10日追記


その後何度か色の調整を繰り返した結果、ブルー5, ネイビーブルー4, グリーン1, ブラック1くらいの比率(全てMr.カラー)が今のところベターかなと思ってます。
  


2017年04月18日

ベトナム軍のM1系ヘルメット その1

 ベトナム共和国軍では、1948年の国軍創設から1975年のベトナム戦争終結まで、30年近くに渡って様々なモデルの米軍M1系ヘルメットが使用されていました。今回は、それらベトナム軍で使用されたヘルメットについてご紹介します。


M1ヘルメット (大戦モデル)/アメリカ製
使用期間: 1948年~


 第1次インドシナ戦争中、ベトナム軍で最も普及していたヘルメットがアメリカ製のM1ヘルメットでした。これは第2次大戦集結後、再建が始まったフランス軍への軍事支援としてアメリカが供与したもので、第1次インドシナ戦争期のフランス連合軍で最も多用されたヘルメットでした。またM1ヘルメットには各種空挺部隊仕様(後述)が存在しましたが、それらは十分な数が揃わなかったため、空挺部隊でも通常型(一般兵科用)のM1ヘルメットが使用されていました。
 なお、ここで言うM1ヘルメットとは第二次大戦中の1940年代前半に生産されたモデルになります。大戦モデルと言っても色々ありますが、写真から判別できるのは、大戦中一般的だったJフック型チンストラップが付いたM1という事ぐらいであり、また米軍の中古がまとめて供与されたものなので、細かい仕様はごちゃ混ぜだったと思われます。


M1Cヘルメット (布製チンストラップモデル)/アメリカ製
使用期間: 1951年~


 M1Cヘルメットはアメリカ軍が1943年に採用したM1ヘルメットの空挺部隊仕様で、M1のライナーに空挺降下時の安定性を高めるAストラップを追加し、またシェル側のチンストラップにスナップボタンを備えライナーと固定できるデザインとなっていました。第1次インドシナ戦争中、ベトナム国軍を含むフランス連合軍の空挺部隊では、M1と同じくアメリカから供与されたこのM1Cヘルメットが多用されていました。なお当時のM1Cは、革製チンカップに代わって大戦末期に採用された布製チンストラップのタイプが一般的でした。


M1ヘルメット EO改修型アメリカ製・フランス軍改造
使用期間: 1952年~


 フランス連合軍の空挺部隊にはアメリカ製のM1Cヘルメットが支給されていたものの、その数には限りがあり、空挺部隊の規模拡大と共にヘルメットが不足していきました。そこでフランス軍は1952年に、在庫に余裕のある一般兵科用M1ヘルメットのライナーにM1Cのような空挺降下時の安定性を高めるAストラップを取り付ける改造を行い極東(EO)=インドシナ派遣部隊への支給を開始します。この改造されたM1は"M1ヘルメットEO改修型(Casque M-1 modifié Extrême-Orient)"と呼ばれ、M1Cのような爪付きバックルではなく、左右2個ずつ備えたDリングで布製のウェビングチンストラップを締め上げる方式のAストラップを備えていました。


Mle 51 TTA OTANヘルメット/フランス製
使用期間: 1952年~


 Mle 51 TTA OTANヘルメット(Casque troupes toutes armes modèle 51 OTAN)はM1ヘルメットを基にフランス軍が1951年に制式採用した一般兵科用ヘルメットです。第2次大戦による荒廃と戦後の東西冷戦による緊張状態を迎えた西欧諸国は、軍の再建をアメリカからの軍事支援に頼っており、ヘルメットもアメリカ製のM1ヘルメットが北大西洋条約機構軍の標準装備となっていました。この中でフランスは装備の国産化を図り、北大西洋条約機構(仏語略称:OTAN)の標準ヘルメットであるM1を国産化した物がMle 51 TTA、通称OTANヘルメットでした。 このOTANヘルメットはM1ヘルメットとほぼ同じ構造でしたが、シェルの前側のバイザー部分がM1より短く、逆に後ろ側がM1より大きく突き出ているのが特徴でした。OTANヘルメットはフランスからベトナム軍に供与された期間が短かったため数は少ないものの、1960年代まで使用例が見られます。

なお、フランス軍は1953年に、OTANヘルメットにM1Cと同様のAストラップを追加した空挺部隊向けの"Mle 51 TAPヘルメット"を採用しましたが、インドシナ派遣部隊もしくはベトナム国軍での使用例については未確認です。


M1ヘルメット (戦後モデル)/アメリカ製
使用期間: 1950年代末?~


 フランスがベトナムから撤退した後、ベトナム共和国軍はアメリカから直接軍事支援を受けるようになり、個人装備も急速にアメリカ式に切り替わっていきます。M1ヘルメットも大戦期の旧モデルから、当時のアメリカ軍の現用(いわゆる戦後モデル)へと更新されていきます。さらに1960年代に入るとベトナム軍のヘルメットの大半はこの戦後モデルに置き換わり、以後1975年まで長きに渡って使用されました。なお空挺部隊においても、空挺用ヘルメットの不足から、一般兵科用M1は引き続き使用されました。
 戦後モデル(1950年代から1960年代前半)のM1ヘルメットは、大戦期のJフック型に代わり、既定の圧力でバックルが外れるように設計されたT1型チンストラップが装備されているのが大きな特徴でした。(T1ストラップは1944年に採用されたものの、実際に普及するのは1950年代になってからでした。) また、ライナーの革製チンストラップは標準装備でしたが、前線ではシェルの内側に隠されたり、外されている場合も多々ありました。


M1Cヘルメット (戦後モデル)/アメリカ製
使用期間: 1950年代末?~


 M1と同様に、空挺部隊向けのM1Cヘルメットも順次戦後モデルに切り替わっていきました。M1C戦後モデルは、M1と同様シェル側にはT1型チンストラップ(スナップボタン付き)が装備されており、またライナー側のウェブチンストラップも金属ハトメ付きの新型になっています(※2017年4月19日訂正: 形状は大戦末期の物と同じでした)。なお、M1Cのライナーは一般兵科用M1のシェルと互換性がある為、戦後モデルもしくは後述する国産M1のシェルにM1C(空挺用)ライナーが取り付けられている事もあります。


国産M1ヘルメット/ベトナム製
使用期間: 1960年代中盤?~


 1960年代半ばになると米国製M1(戦後モデル)をコピーしたベトナム国産のヘルメットの生産が始まり、以後終戦まで米国製と共に広く使われていきます。国産M1ヘルメットの特徴は、米国製M1のような反射防止の砂吹付塗装がなされておらず表面がツルツルであった事でした。この砂吹付の省略は、同じくM1を国産化していた台湾軍やタイ王国軍でも行われました。塗装色は米軍のようなオリーブドラブではなく、青みがかった緑色と言った感じの色をよく見ます。またライナーの革製チンストラップは不要と見なされ、最初から備えていなかったと思われます。


◆M1 / M1Cヘルメット (1965年モデル)/アメリカ製について
 アメリカ軍は1941年以来ほぼ同じ構造だったM1およびM1Cヘルメットの大掛かりなマイナーチェンジを1965年に行い、ベトナム派遣アメリカ軍部隊が使用するヘルメットは順次この新型(1965年モデル*)に切り替わっていきました。この1965年モデルのM1/M1Cは、戦後モデルと同様にベトナム共和国軍に供与された可能性は十分あるものの、ライナーの内装が写っていない限り当時の写真からではそのM1が戦後モデルなのか1965年モデルなのかを判断するのは難しいため、僕はまだ1965年モデルのM1がベトナム軍でも使用されていたという確証は得られていません。
マニアの間では1965年モデルのM1およびM1Cに"M2"という通称がつけられていますが、M2とは本来、1942年に開発された最初期の空挺仕様M1ヘルメット(M1Cより前のモデル)の名称です。1965年モデルをM2と呼ぶのはかなり間違ってるので止めた方がいいと思います。



おまけ

ツルツルヘルメット計画、進行中

   


2017年04月04日

ボディアーマー

M1952Aボディアーマー再生

去年ベトナムに行った際に、中のアラミド繊維が抜かれペラペラのカバーのみの状態になったM1952Aボディアーマーを買ってきました。(もしかしたら防弾性能のあるボディアーマーはベトナムの法律では『武器』扱いになり違法だから中身が抜かれたのかも)
このカバーは中身がないだけで、ほぼデッド状態の良品だったので、どうにかしてこの中に詰め物を入れて外観を再生させようと思っていました。
問題は何を詰めるかという事で、一番リアルなのは本来入っていたはずのアラミド繊維を戻す事ですが、今時のトラウマプレートと違ってこの時代のボディアーマーは中身を交換する事は考えられていないので、アラミド繊維単品はまず手に入りません。
次に思い浮かぶのは、ヒューストン社などのミリタリー系アパレル企業が作っているボディアーマー風ベストのように、ダウンや綿を詰めるという手段ですが、実はこれには難がありまして、本来均等な厚みのアラミド繊維が入っているはずなのに、綿などの形状が定まっていないものを入れるとどうしても中で偏りカバーにたるみが出来てしまいますし、それを防ぐためにカバー一杯にパンパンに詰めると、今度は厚くなり過ぎて形が不格好になってしまう事が予想されました。市販のボディアーマー風ベストも、実物よりだいぶ分厚くなってるので一目で代用品だと分かりますものね。なので中に入れる素材としては、実物とほぼ同じ厚みで、かつ中で偏らない適度な硬さがあるものを選ぶ必要がありました。
ただし厚みに関しては、正常な状態のM1952Aを持っていないので実際の厚みは分かりませんでした。しかし、その後継である3/4カラーボディアーマー(RVNAF)(※後述)は手元にあるので、それとほとんど同じだろうと予想して選ぶことにしました。3/4カラーのアーマー各部をノギスで測ったところ、カバーを含めた厚みは概ね9mmだったので、中のアラミド繊維は約8mmと考える事にします。思っていたより薄いですね。
当初、素材としてはお風呂マットやウレタンフォームを候補として考えていましたが、ホームセンターに行って商品を見てみると、どれも思ったよりぶ厚くて、厚さ8mmの品はなかなかありません。何か良いのは無いかと探していると、ありましたよ丁度いいのが。

ユーザー(USER) アルミロールマットL U-P851

キャンプなどで地面に寝る時に寝袋の下に敷く保温・緩衝用アルミロールマット、通称銀マットです。偶然にも厚さ8mmの品が並んでいました。これなら適度な硬さもあり、型崩れしなさそうなので中に入れるのにピッタリだと思いました。
さっそく買って帰って作業開始。やる事は単純で、ボディアーマーのカバーを広げて縁の形を取り、そこから縫い代分の10mm内側を切り出します。これをカバーの中に入れて、カバー開口部をミシンで縫い直せば完成。

※銀マットはもともと十分な大きさだったのに、寸法を測り間違って余計な部分を切ってしまいた。しかたなくガムテープでつなげ直しています。

こうして復活したM1952Aボディアーマー。本当に銀マットは丁度良い硬さで、思っていた以上に見栄えが良いです。

M1952Aのタグ



3/4カラーボディアーマー(RVNAF)

ついでに、今回アラミド繊維の厚みの参考にした3/4カラー・ボディアーマー(RVNAF)をご紹介。

名前の通り、このボディアーマーはRepublic of Vietnam Armed Forces=ベトナム共和国軍*に供与するために生産されたもので、タグが違うだけで物は米軍のM69ボディアーマー**と全く同一です。

アメリカ製ですが、ベトナム共和国軍での使用を前提としているため、最初からベトナム語の取説タグが付いています。なおアメリカ政府におけるFSN(連邦備品番号)は、米軍M69は8470-122-1299ですが、ベトナム軍仕様は8470-144-5798となっています。

* RVNAF
戦後誤解されていますが、当時のベトナム共和国軍の正式な英語表記はRepublic of Vietnam Armed Forces(RVNAF)であり、Army of Republic of Vietnam(ARVN)はベトナム陸軍のみを指しました。過去記事『ARVNとは?』参照

** M69ボディアーマー
3/4カラーおよびM69ボディアーマーの名称についてはマニア間でかなり誤解されています。
まず、マニア間でM69と呼ばれている物(ジッパー閉じ)は米軍でいうM69ではありません本来の名称は"3/4カラー"ボディアーマーであり、1969年制定でもありません。M69とはこの3/4カラーの後継モデルの名称なのですが、なぜかマニア間では3/4カラーそのものを指してM69と呼ばれています。
さらにこの誤った認識の上で、本来のM69(ベルクロ閉じ)は、「M69(実際は3/4カラー)の1970年仕様」だと誤解され、"M69/70"という謎の分類化がされています。タグに本来の名称書いてあるのに、なんでわざわざ関係ない名前付けるかね。
なお、RVNAF仕様は(真の)M69と全く同じ仕様ですが、タグに記載された名称はM69ではなく、なぜか3/4カラー(RVNAF)となっています。


おまけ: T61-5 3/4カラーボディアーマー

T61-5ボディアーマーがベトナム海軍でも使われていたの図。

 
T61-5はアメリカ海軍で開発されていたチタン・ナイロン混合ボディアーマーです。
フランスの米軍コレクターグループUSMC-COLLECTORSのページLES GILETS PARE-ECLATS DE L'US NAVYによると、1964年11月に海軍での採用が決定されたものの、1965年12月になっても生産前の試験が継続しており、生産されたものについてはベトナムに派遣されたアメリカ海軍の河川哨戒艇部隊で使用されたそうです。しかしこのT61-5は体温がこもりやすく、熱帯地域での着用は厳しいもので、結局大量生産には至らず消えて行ったようです。
上のベトナム海軍の写真は、アメリカ海軍が装備品をベトナム側に供与した際、その中にT61-5も混ざっていたためにそのまま使われていたのであろうと推測します。

  


2017年03月27日

ブラッドケーキ/ブラッシュ迷彩

 先日ベトナム海兵隊のタイガーストライプ迷彩について書きましたが、タイガーストライプと同じく1960年代初頭から使用され始め、ベトナム共和国軍を代表する迷彩服としてタイガーストライプと双璧を成していたのが『ブラッドケーキ』または『ブラッシュ』と呼ばれる迷彩服でした。(これらの呼び名はマニア間での通称であり、当時のベトナム軍における呼び名ではありません。) 今回はこのブラッドケーキ迷彩服について、当時の写真を交えながらご紹介します。



ブラッドケーキ迷彩の起源

 愛好家・コレクターの間では、ベトナム軍ブラッドケーキ迷彩の源流は第2次大戦中に開発されたイギリス陸軍の迷彩ウィンドプルーフスモックにあると考えられています。

Smock, Windproof, Camouflaged: British Army© IWM (UNI 4081)

 このウィンドプルーフスモックは第2次大戦中、ギリス軍の指導の下組織された自由フランス軍SASにデニソンスモック等の英軍装備と供与されており、さらに大戦後は米英軍の支援の下再建中のフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に供与され、スモックだけでなく同じ生地で作られたジャケットやパンツも生産されました。
 時を同じく、1946年に第1次インドシナ戦争が勃発すると、このウィンドプルーフ系迷彩服はインドシナ派遣部隊(CEFEO)の各空挺部隊にも支給されます。さらに1948年からは植民地軍のインドシナ人空挺中隊(CIP)に、1951年からはフランス連合の枠内で独立したベトナム、ラオス、カンボジア各国の空挺部隊でも使用されるようになります。



ウィンドプルーフ迷彩スモック、パンツを着用したCEFEO第6空挺植民地大隊CIPのベトナム人兵士[1952年11月1日]


国産化

 こうしてウィンドプルーフ系迷彩服はベトナム共和国軍へと受け継がれていった訳ですが、ジュネーブ協定後の1950年代後半になるとウィンドプルーフ迷彩の使用例は急激に減少します。なぜならフランス連合軍はベトナムから撤退する際、これから部隊に支給するはずだった新品の空挺部隊用リザード系迷彩服(TAP47系、TTA47系)を大量に南ベトナムに置いて帰ったため、ベトナム軍空挺部隊の使用する迷彩服はそれら新品のリザード系だけで十分となり、古いウィンドプルーフ系を着る必要がなくなってしまったからです。
 しかし、当然ながらフランス軍が残していったリザード系迷彩服の数にも限りがあり、訓練や戦闘で消耗されればいずれ迷彩服が不足する事は明白でした。その為ベトナム軍は空挺部隊向け新型国産迷彩服の開発を進めていきます。こうして生まれたのが、ウィンドプルーフ迷彩を基に開発されたブラッドケーキ迷彩服でした。
 このブラッドケーキ迷彩服の裁断は、海兵隊タイガーストライプや、その発展型であるベトナム軍共通の作戦服とは異なる独特のものでした。この服は空挺部隊向けの作戦服である為、空挺降下時に着用する事を念頭に設計されています。海兵隊式と違い、降下時に風圧で空気が服の中に入ってバタついたり、装備・ベルト類が引っかからないよう、前合わせやポケットのフラップが隠しボタンになっているのが大きな特徴でした。また、迷彩パターンだけでなく、ウィンドプルーフスモック本来の防風性も受け継ぎ、風を通しにくい生地が使われていました。なお、パンツは概ね海兵/一般と同じく米軍ユーティリティ式の貼り付けポケットで、カーゴポケット有り・無しが存在していました。

 しかし残念ながら、僕はまだブラッドケーキ迷彩服がいつごろ開発されたのか、詳しい情報はつかめていません。僕が写真で着用を確認している最も古い時期は、1962年になります。もっと古くからあるよ!という情報をお持ちの方、是非ご連絡下さい!
 
ブラッドケーキ迷彩服を着用し降下訓練に臨む空挺旅団兵士[1962年]

 またブラッドケーキ迷彩服は1960年代初頭から60年代末まで10年近く使用された服であるため、いくつかバリエーションが存在します。以下は、僕が写真で確認しているもののまとめになります。

2ポケット
おそらく最初に生産されたブラッドケーキ迷彩服の裁断。大きめの胸ポケットと隠しボタンの前合わせが特徴。ポケットのマチ、TTA47のような肩当て補強、エポレットはそれぞれ有り・無し両方が見受けられます。

[1963-1964年?]


ライセンス企業Alamyではこの写真の撮影年を1973年と記載していますが、僕の見立てでは1964~1966年頃だと思います。


◆小2ポケット
大ポケットの簡略型と考えられており、海兵/一般部隊向け裁断のようにポケットが小さくなっています。またエポレット無しタイプもちらほら見受けられます。※2017年4月1日訂正

ム政権への軍事クーデターに参加した空挺旅団兵士[1963年11月サイゴン ザーロン宮殿]


◆隠しジッパーポケット改造
胸ポケットの内側にさらにTAP47系降下服のような隠しジッパーポケットを追加した改造モデル。大ポケット、小ポケット共にこの改造が行われた模様です。

同じくAlamyでは1973年撮影としていますが、個人装備からして1964~1966年頃だと思います。

僕が持っている香港製のリプロは、このタイプを再現したものです。新品だとコントラストが高すぎて別物みたいですね。リアルにするには全体がグレーっぽくなるまで退色させる必要がありますが、失敗すると取り返しのつかないリスキーな作業になるので、まだ踏み出す勇気が出ません。


◆TCU(1stパターン)裁断
その名の通りアメリカ軍のTCU(熱帯戦闘服)を模した裁断です。空挺部隊ではなく、主に特殊部隊(LLĐB)で着用されていました。どちらも空挺作戦を行うエリート部隊でしたが、フランス軍によって創設された空挺部隊とは異なり、LLĐBは1950年代末からアメリカ軍特殊部隊によって育成された組織であるため、米軍グリーンベレーに倣って緑色のベレーを採用するなど、米軍からの影響をより色濃く受けていたようです。

CIDGキャンプ訪れたベン・ハレル米陸軍中将の激励を受けるベトナム軍LLĐB隊員[1964年11月]


1960年代後半

 1960年代後半になると、ベトナム陸軍のエリート部隊全体で米国の民間ハンター向け迷彩パターンをコピーした『シビリアンリーフ』迷彩が作戦服に採用され、空挺師団ではブラッドケーキからシビリアンリーフへの切り替えが始まります。さらに1967年には、米軍の新型TCU迷彩『ERDL』パターンが、海兵隊を含むベトナム軍エリート部隊共通の迷彩服として採用されます。その後も1969年からは国産の新型迷彩『レンジャー/エアボーン』パターンの配備が進められ、ベトナム軍の迷彩服は一気に様変わりしていきます。
 とは言え、数万人の兵士の迷彩服を一度に更新する事は不可能であり、徐々に切り替えが進められたため、前線部隊でのブラッドケーキ迷彩の着用例は1968年頃まで見受けられます。また自費でブラッドケーキ迷彩服をテーラーメイドした将校たちは、新型迷彩が採用された後も手持ちの迷彩服を着続けたので、あまり前線に出る事のない司令部や後方勤務者は1970年頃になってもブラッドケーキ迷彩服を着ている事がありました。

空挺師団第5空挺大隊の中尉[1967年]

テト攻勢の最中の空挺師団兵士 [1968年サイゴン]
この時期、空挺師団ではERDL迷彩が一般的となっており、一部ではレンジャー/エアボーン迷彩の支給も始まっていました。


高級将校の仕立服

高級将校は自費で迷彩服をテーラーで仕立てるため、服の裁断はある程度個人の好みで作られます。そのため、高級将校の着ている迷彩服の裁断は、一般兵に支給されていたものとは異なる可能性がある事に留意する必要があります。

2ポケット
高級将校であっても多くの場合、(仕立服だとは思いますが)一般的な2ポケット型のブラッドケーキを着ています。ただし官給品とは違い、殆どの場合でエポレットや肩当は省略される事なく備わっています。

カオ・バン・ビエン少将(当時) (写真左) [1965年10月]


ゴ・クアン・チュウン少佐(当時)(写真中央)と空挺師団付き米陸軍アドバイサー ウェスト大尉(写真左) [1964年8月]


◆TCU(1stパターン)裁断

 
ド・カオ・チ中将[1960年代中盤]
チ中将の出身部隊である空挺師団ではTCU型ブラッドケーキはほとんど見られませんが、当時チ中将は軍団司令なので米軍式の服も作ったようです。


2ポケット/前合わせボタン露出

トン・タット・ディン中将[1963年11月]
胸ポケットは隠しボタンのままですが、前合わせだけボタンが露出しています。隠しボタンは降下服としての実用性を目的とするものなので、それが取り払われたこの服は、実際に空挺降下をする事はない高級将校専用の服と言えそうです。


小2ポケット/胸ポケットボタン露出

 
グエン・チャン・チ少将[1965年ダナン]
上の中将の服とは逆に、胸ポケットだけボタンが露出しているタイプ。また、仕立服でありながらエポレットを備えていないのも珍しいです。


※2017年4月1日追記
◆大2ポケット前合わせ・胸ポケットボタン露出

グエン・カーン中将(当時)(写真左) [1964年サイゴン]
前合わせと胸ポケット両方のボタンが露出し、エポレット無しという、海兵/一般部隊向けとほぼ同じ裁断になっています。


※2017年3月29日追記
◆大4ポケット/胸ポケットボタン露出

グエン・バン・チュー中将(写真左) [1966年]
(TCU型を除いて)珍しい4つポケットのタイプです。ウエスト周りには降下時の空気の侵入を防ぐドローコードが見受けられます。チュー中将の出身部隊は空挺ではありませんが、降下資格は持っていますし、当時空挺科幹部の独壇場だった軍事政権の中で新たな政権を発足させたチューですから、空挺科に舐められないよう、服で箔をつけるという目的があったのかも知れません。
  


2017年03月25日

ボタンとっかえ

ここ3ヶ月間、仕事で週に3・4日は家に帰れない状況が続いているので、さすがにお疲れモードになってます。
なので休日は家から出ず、チクチク軍服をいじる事で疲れを癒しています。


前にも書きましたが、ベトナムに行った時に良い作戦服用ボタンを仕入れてきたので、手持ちのレプリカ軍服のボタンをそのベトナム製ボタンに交換する作業を進めています。


外したボタンは今後何かに使えるかもしれないので、全部保管しています。




◆東京ファントム(日本)製 2ポケット型ERDL迷彩 (半袖改造) 空挺師団仕様



◆東京ファントム(日本)製 2ポケットERDL迷彩 海兵旅団仕様



パンツァーファウスト(香港)製 2ポケット空挺型 ブラッドケーキ迷彩



実物レンジャー・エアボーン迷彩生地を使用した2ポケット型のリプロ 空挺師団仕様
こちらは上記のベトナム製ボタンではなく、当時の実物ボタン(たぶん)に交換しています。



(メーカー失念、日本製) 2ポケット型 クラウド・ナショナルポリス迷彩 第222野戦警察群仕様
軍と同じ緑ボタンでも良かったのですが、黒ボタンの方が警察っぽさが出るかなと思い、形の似たもので代用しています。またポケットの位置、形状も大幅に変更しました。過去記事警察迷彩服の続き』参照

 


あとは、朝起きたらハワイのウクレレガールズ Honoka & Azita (ホノカ&アジータ)の動画を見て、出来るだけ現実から目をそらすようにしています。いいなぁ、ハワイ。南国。常夏。まぢパラダイス。

  


2017年03月05日

ベテランの軍装

 ベトナム共和国軍は1975年4月30日の敗戦によって解体されましたが、当の共和国軍人たちにとって、彼らが最後に受け取った正式な命令は、4月30日午前10時30分にズオン・バン・ミン総統から下された『戦闘停止』までと認識されています。
 なぜなら午前12時にミン総統が全面降伏とベトナム共和国政府・軍・警察の即時解散をラジオ放送を通じて命じた時点で、ミン総統は既に共産軍に拘束されており、この降伏声明は共産軍側が用意した原稿を無理やり読まされたもので正式な命令ではないと考えられているからです。総統府(独立宮殿)が占領されミン総統が拘束された時点で、ミン総統は憲法が定める政府を代表する職権を遂行できない状態にあり、その状態で発せられた命令に効力は無いと軍人たちに受け取らています。
 そのためベトナム共和国軍は1975年に離散はしたものの、解散はしておらず、彼ら軍人も事実上復員しただけで、正式な退役はしていません。なのでこの状態を表す日本語としては残党』が当てはまると思いますが、残党はあまり聞こえの良い言葉ではないですし、実際には軍事的な活動もしていないので、僕は彼らのこと事を復員軍人もしくはベテラン*と呼ぶことにしています。(Veteranは日本では退役軍人と訳されますが、必ずしも退役している必要はなく、言わば『古参兵』を意味する言葉です。)
 従って彼らベテランは終戦から40年以上たった現在もベトナム共和国と共和国軍に『所属』しており、その軍服のデザインは彼らの歴史と誇りを語り継ぐ『現役』の制服として、今もベテランの方々に式典や会合などで着用されています。


作戦服

 当時ベトナム共和国軍将兵の大半は日ごろから作戦服(Quân phục Tác chiến)を勤務服として着用していたため、ベテランの方々も作戦服を着て式典に参加される事が多いです。しかし彼らは軍装マニアではないので、高価な実物やレプリカを購入する人はごく一部であり、殆どの人は住んでいる街の洋服屋やサープラスショップで購入した代用軍服を着用しています。その為、服の形状や迷彩柄はバラバラな事が多いです。世の中にはマニア向けの高価なレプリカ軍服がたくさんありますが、ベテランたちが着ている服は一セットの30ドルほどの中古BDUに過ぎません。しかし彼らが軍人としてそれを着た瞬間、その服はまぎれもない『本物』の共和国軍軍服になるのですから、どんな気合入ったコスプレもこれには敵いませんね。


<オリーブグリーンBDUおよびユーティリティユニフォーム、その他で代用>

▲陸軍歩兵科(Bộ Binh)


陸軍装甲騎兵科(Thiết Giáp Kỵ Binh)


▲憲兵隊(Quân Cảnh)


技術局連絡部"雷虎"偵察チーム(Biệt kích Lôi Hổ / Sở Liên Lạc / Nha Kỹ Thuật)、通称MACV-SOGの作戦時の個人装備


地方軍(Địa Phương Quân)


地方軍独立偵察中隊(Đại Đội Trinh sát biệt lập / Địa Phương Quân)、英語名PRU


<ウッドランドBDUで代用>

▲陸軍レンジャー科(Biệt Động Quân)


▲陸軍特殊部隊科(Lực Lượng Đặc Biệt)/空挺コマンド部隊(Biệt Cách Nhẩy Dù)


<仏軍その他のリザード系迷彩服で代用>

陸軍空挺科(Nhẩy Dù)


アパレル各社のタイガーストライプ系迷彩服で代用>

海兵隊(Thủy Quân Lục Chiến)


技術局連絡部"雷虎"部隊(Biệt kích Lôi Hổ / Sở Liên Lạc / Nha Kỹ Thuật)


技術局作戦部"黒龍"部隊(Biệt kích Hắc Long / Sở Công Tác Nha Kỹ Thuật)


<6カラーデザート迷彩BDUで代用>

▲国家警察野戦警察隊(Cảnh Sát Dã Chiến)/武装支援隊(Yểm Trợ Võ Trang)


<米軍パイロットスーツはまたは民間のカバーオールで代用>

▲空軍パイロット(Phi công Không quân)


黒色のアオババ>

技術局沿岸警備部"特海"部隊(Lực Lượng Biệt Hải / Sở Phòng Vệ Duyên Hải / Nha Kỹ Thuật)
黒色のアオババ(Áo bà ba)は外国人から『ブラックパジャマ』と呼ばれベトナム共産ゲリラの代名詞とされていますが、当時のベトナムでは極ありふれた作業着であり、政府軍でも特に海軍や水上部隊が作業着として好んで使用しました。※ただし当時はパッチはほとんど付けていません。


農村開拓団(Xây Dựng Nông Thôn)
黒色のアオババやシャツはベトナム国民の多数を占める農業労働者を象徴する服として、全国で数百万人が所属した人民自衛団(NDTV)や農村開拓団(XDNT)などの民兵・自警団組織では制服としても使われていました。同時にベトコンも政府軍と同様に、貧しい農家の味方である事をアピールすため同じ服をゲリラだけでなく常設戦闘部隊の戦闘服に採用していました。


正装

 元士官候補生や将校は当然ながら全員職業軍人であり、終戦後も共和国軍への強い帰属意識を維持しておられます。そのため式典の際には作戦服だけでなく、勤務服以上の正装を着用することがままあります。これら正装は、アメリカ軍の制服などで代用できるものは代用されるものの、デザイン的に大きく異なる物に関しては、ベテラン向けのリプロ業者が製作したものが使用されています。中でも元PRU将校のフン少尉は全米で最大のベテラン向けリプロ業者であり、少尉の店に行けば共和国軍の殆どの部隊の制服が手に入るところまでラインナップを充実させておられます。なお、これらベテラン向けリプロは我々マニア向けではないので、当時の物を細部まで再現する事は目的としていません。なので、サイズや材質は当時の物とは一目見て分かるほど別物です。しかし本物の軍人たちが使用する為の物である以上、これらも先述の代用品と同様に、レプリカではなく現在製の本物と言っていいと僕は思っています。

▲カリフォルニアのフン少尉のお店にて。2015年に初めて訪問し、2016年12月にもお会いしてきました。


▲陸軍士官 外出服(Quân phục Dạo phó)


海軍士官 冬季外出服(Quân phục Dạo phó Mùa đông)


海軍士官、士官候補生、下士官・水兵 夏季勤務服(Quân phục Làm việc Mùa hè)、外出服(Quân phục Dạo phó Mùa hè)




国家警察 勤務服、夏季外出服、作戦服


女性軍人(Nữ Quân nhân)外出服


幼年学校生徒(Thiếu Sinh Quân)準礼服、大礼服


空軍士官候補生およびベトナム国立武備学校士官候補生 大礼服(Quân phục Đại Lễ)
青が空軍士官候補生、赤がベトナム国立武備学校(Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam)の大礼服です。


ベトナム国立武備学校(Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam)士官候補生 夏季準礼服(Quân phục Tiểu Lễ Mùa hè)
なんと服だけでなく縮小版のダラットの校門まで作って再現います。


▲空軍士官候補生 夏季外出服


トゥドゥック武科学校群・歩兵学校(Liên Trường Võ Khoa & Trường Bộ Binh Thủ Đức)予備士官候補生 大礼服
白が武科学校群時代(1960年代前半)、カーキが歩兵学校時代(1960年代後半以降)の大礼服です。



ゥドゥック歩兵学校(Trường Bộ Binh Thủ Đức)予備士官候補生 夏季準礼服


ドンジェ軍校(Quân trường Đồng Đế)予備士官候補生 夏季準礼服


▲国家警察アカデミー(Học Viện Cảnh Sát Quốc Gia)士官候補生 外出服、勤務服



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 話は変わって、ちょっと小言を。今月のコンバットマガジン(2017年4月号)に載っていた菊月俊之氏のベトナム戦争特集の中の、『南ベトナム軍』の部分には正直がっかりしました。氏が米軍軍装に大変お詳しい事は私も承知していますし、専門外の南ベトナム軍について知らない事があるのは決して恥ずかしい事ではありませんが、興味も無いのに知ったかぶりして明らかな間違いや決めつけを書かれていたのはとても残念に感じました。
 私は基本的に、他人が個人ブログやサイトで間違った事を書いていても無視しています。しかしコンバットマガジンが何冊売れているのかは知りませんが、全国で売っているのだから少なくともウチみたいな一日200~500ビューくらいの個人のブログなんかよりはるかに多くの読者が居るはずです。またライターさんは素人ではなく、仕事としてお金をもらって記事を書いている訳ですから、今回は厳しめに苦言を呈します。

 加えて、コンバットマガジンはなぜかベトナム戦争終結41周年目の去年に終戦40周年記念特集号(2016年5月号)を出してましたが、その時も、ミリタリー雑誌のベトナム戦争(特にベトナム共和国)に対する認識は所詮こんなものか、という残念な感想しか抱けませんでした。(なのでこの号はむしろ菊月氏の米軍個人装備ガイドブックだけを目当てに買いました)
 商業誌は読者が読みたがってる記事を書かなきゃ商売にならないから、私みたいに好き勝手には書けないというのは分かります。しかしそうだとしても、日本国内には難民として来日しこの国に定住した約1万人の旧ベトナム共和国出身者と、日本で生まれたその家族たちが生活しています。また世界に目を広げれば、旧ベトナム共和国を祖国と仰ぐベトナム難民・移民の数は約300万人に上ります。彼ら反共派のベトナム人は1960年代から半世紀以上に渡って、大手メディアや自称『平和活動家』たちの歪んだ『正義感』の犠牲となってきました。ベトナム戦争を自身の思想を肯定するための道具にしようとする人々は、ベトコンが掲げる『民族解放』という言葉の気持ち良さに溺れ、反戦』という言葉をアメリカをバッシングする為だけに使い、一方でベトナム国民への恐怖政治と大量虐殺を繰り返すホー・チ・ミン政権とベトコンによる『解放戦争』を称賛し続けてきました。さらにその上、彼らはこの気持ち良い『正義』に相反するベトナム共和国政府と反共派ベトナム人を敵視し、終戦から40年以上経った今でも誹謗中傷の的としています。私はこのような一方的な正義感で立場の弱い人々を傷つけ、あまつさえ『良い事』をしたつもりになっている人々に強い憤りと軽蔑の念を抱いています。
 もちろん、コンバットマガジンがそのような政治思想に基づいた主張を行ったとは思っていません。記事に書かれていたのは、ベトナム戦争当時から日本国内で出回っていたごく一般的な論評であり、特別な事は何もありませんでした。しかし、その一般的な論評こそが、当時流行した反米運動、そしてその流れに迎合したメディアによって流布されたものであり、半世紀にわたって300万人の在外ベトナム人、そして数えきれない数のベトナム国民を落胆させてきたのです。
 ミリタリー、そして歴史を論ずるという事は、すなわち人間の命と人生を論ずる事に他なりません。戦争とは人間同士の憎悪と暴力の塊であり、たった40年くらいで遺恨が消えるようなものではありません。当事者はもちろん、第三者がいかに『公平』に語ろうとしても、それは必ずどちらか一方に利し、もう一方に不利と受け取られてしまいます。なのでもちろん、私が主張している事は、それと相反する立場の人々にとっては大変偏った暴論であると見做されているでしょう。しかし同時に、反対の立場の人々がどんなに自信満々に『正しい』と思う事を言ったところで、それによって傷つく人々が確実にいる事を忘れないで頂きたいです。私は、たまたまその弱い立場の人々と縁があったので、日本国内では声を上げにくい彼らに変わって、矢面に立って言うべきことを言わせてもらいます。




  


2017年02月26日

続・タイガーストライプの始まり

過去記事『タイガーストライプの始まり』の補足・訂正です。

※2017年3月1日加筆訂正

 まず、ベトナム海兵隊迷彩『Da Cọp(虎皮)』、通称タイガーストライプの原型となったのは、フランス軍の空挺部隊用迷彩(通称リザード迷彩)と言われてきましたが、それを裏付ける分かりやすい写真がM-51Parkaに関する2,3の事柄様のこちらの記事『サイゴン1955 あるいはタイガーストライプの始まり?』で紹介されています。
 一口にリザード迷彩と言っても様々なパターンがありまして、中でもタイガーストライプの原型となったのは、第一次インドシナ戦争末期に登場した、マニア間呼称で言うところのC1パターンと考えられています。フランスはフランス連合各国の空挺部隊に、このC1リザードパターン迷彩で作られたTAP47/52降下服TTA47系戦闘服を供与しており、それらの迷彩服はインドシナ諸国がフランス連合から独立した後も、1960年代まで各国の空挺部隊に使用されていきます。
※TAPとかTTAとかややこしいですが、TAPはTroupes AéroPortées(空挺部隊)、TTAはTreillis Toutes Armes(全兵科)を意味しており、同じ"Modèle 47"でも服の形が全然違います。

▲"C1パターン"TTA47/52型チュニックおよびTTA47/53型パンツ
画像引用: Vonstuck Camouflage

また、この時代のリザード系迷彩はパターンだけでなく色のバラつきも大きく、同じC1パターンであっても、全体が緑っぽく、茶色の部分がかなり黒っぽい、まるで別物のような柄があったようです。これらはあくまでフランス製のリザード迷彩なのですが、ぱっと見タイガーにしか見えません。

C1パターン亜種のTTA47/50または53型パンツ。
資料提供: デスボランティア様

 ベトナム海兵隊の新型迷彩は、当時ベトナム陸軍空挺部隊が使用していたフランス軍C1パターンをベースに、こういった亜種の影響も受けながら開発されたのではないかと推察されます。その為、現在タイガーストライプと呼ばれている迷彩の最初のモデル(通称VMX)は、ベースとなったC1と同じく、フランス軍TTA47系戦闘服の裁断で作られました。

VMXパターンTTA47戦闘服

▲フランス軍C1パターンとベトナム海兵隊VMSパターンの比較

 僕は今まで知らなかったのですが、タイガーストライプ研究のバイブルTIGER PATTERNSによると、1957年8月には既に最初のVMXパターンTTA47戦闘服が完成していたとしており、実際に1957年製造を示すベトナム国防省のスタンプの写真が掲載されています。なので『タイガーストライプの始まり』と言った場合、それは1957年まで遡れたんですね。やっぱり値段高い本は、高いなりに良い情報が載ってるんだなぁ。
 しかし1957年に開発とは言え、その時点ではタイガーストライプはまだ試作段階の迷彩であり、その服が海兵隊に制式採用され、大量発注・生産・納入されて実際に現場での着用が始まるまでには、やはり年月がかかりました。僕が他の研究者の方に意見を求めたところでも、実際にタイガーストライプの着用が確認できる最も古い時期の写真は概ね1960年頃のようです。

▲VMXパターンTTA47戦闘服を着用したベトナム海兵隊員
※これらの服の袖についているパッチは1950年代後半の海兵隊のもので、1960年に制定された新型(現在は初期型と呼ばれている)海兵隊章より前のタイプです。しかしパッチが1960年に制定されたとしても、実際に行き渡るのはもっと後なので、写真からでは50年代末~60年代初頭としか言えない感じです。その為、タイガーが50年代に支給されていたと断定できる写真はまだ発見されていないようです。

 このように最初に部隊への支給が始まったタイガーストライプはTTA47型からでしたが、1960年代以降TTA47に代わってベトナム共和国軍の標準的な戦闘服となる貼り付け2ポケット裁断(通称ARVN型/M59)のタイプも、1958年製造スタンプが確認されているとデスボランティア様より情報を頂きました。なんと!貼り付け2ポケット裁断はこんな早い時期に存在していたんですね!(つまりM59という呼び方は無意味になりますね)

▲1958年製が確認されたベトナム海兵隊『貼り付け2ポケット型』
1960年代以降、この貼り付け2ポケット型は海兵隊のみならずベトナム共和国軍全体の標準作戦服となり、一般部隊向けのオリーブグリーン単色が陸海空軍で広く用いられます。さらにその後、エポレットを追加し各種迷彩生地で作られた迷彩服型や、主にオリーブグリーン単色で肩当を省略した簡略型もしくは肩当なしエポレット追加型が終戦まで全軍で広く用いられました。

※それまでフランス軍式の野戦服を使っていたベトナム軍が、アメリカ軍のユーティリティユニフォームに似たデザイン(特にパンツ)を採用した背景には、当時ゴ・ディン・ジエム政権がアメリカからの支援に依存を強めていった事と同時に、国内での生産が間に合わなかったため、これら迷彩服の生産の大部分を同じ親米国家の日本や韓国に委託していた事が影響していたのではないか、という考察をデスボランティア様からご指摘いただきました。

 しかし、当初タイガーストライプ迷彩服の生産は先に登場したTTA47型が優先されていたようで、手持ちの写真を見た限りでは、現場に支給されるタイガーがTTA47から2ポケットに切り替わるのは1961~62年頃のようです。

VMXもしくは1stパターンの2ポケット戦闘服を着用したベトナム海兵隊員[1962年]

 以上が、ベトナム共和国海兵隊がタイガーストライプを着用するまでの流れになります。それ以降は米軍がCIDGに支給するために海兵隊迷彩のコピー品をアジア各国で生産させたことで種類が多くなり過ぎて、ちょっと僕には付いていけません(汗)


おまけ

海兵隊つながりで、ちょっとレアな写真

 
▲『初期型』と呼ばれる海兵隊胸章が使われてる写真。
僕はこの胸章をこの写真でしか見た事ありません。なので本当に初期型なのか怪しいと思ってます。もしかしたら一般的な丸い胸章と同時期に存在したバリエーションなのかも。
ちなみにこの女性は髪型からして軍の婦人隊員ではなく、おそらく兵士の彼女が彼氏の軍服を着て写真館で撮ったものだと思います。

 
▲ジエム政権末期の1963年頃だけ使われていた海兵隊の帽章(ベレー章)
1963年11月1日のクーデターでジエム政権が崩壊すると、この1963年式帽章はすぐに廃止されて、改定前のタイプに戻ります。

▲海兵隊胸章を訳の分からない場所に付けてる人の図
たぶん、こうした理由は「カッコいいと思った」からなんだろうな・・・
  


2016年12月03日

リュックのおまけ

先日知人が某所でオリジナルの『インディジネス・ラックサック』を入手しました。
これ自体かなりの掘り出し物だったのですが、さらにそのポケットの中から、面白いものが出てきました。


くしゃくしゃに丸まったB5サイズほどの紙2枚と、小さめの紙1枚です。あ!なんか出てきた~!と、思わぬおまけにみんなウキウキ。だけどそれはなかなかの古い紙で所々虫に食われており、無理に広げるとそのままボロボロと崩れそうなので、慎重を期して広げていきます。
するとその紙には、なにやらベトナム語が印刷されていました。おおー!これはもしかしたら、ベトナム戦争当時NKTやLLĐBなどのベトナム共和国軍特殊部隊員が使った当時の書類がそのまま入ってたんじゃないか!?と、一気に興奮しました。
でも誰もベトナム語が読めないので、それが何の書類なのかその場では分からず。なので僕がこれを借り受け、内容を調べる事になりました。
その後、一応自分でもGoogle翻訳を使って翻訳してみましたが、ベトナム人に読んでもらう方が確実なので、スキャンした画像を知り合いに見てもらったところ、以下の内容だという事が分かりました。

まず大きい紙の方は、何かの『返品請求書』だそうです。内容は記載されておらず、真ん中の表は注文商品、商品の説明、重量・サイズ、材質、数量、単価、合計金額がを記入する欄だそうです。また、このフォーマットの作成日は1983年3月24日と印刷されていました。

次に赤い印刷の紙は、手巻き煙草の巻紙のパッケージだそうです。こちらに印字されている日付は1988年9月12日となっていました。

両方とも1980年代の物なので、期待していたようにベトナム戦争時代の物ではありませんでしたが、これはこれで、このリュックが戦後も使われていた事の証拠と言えます。
1975年に戦争に勝利したハノイ政権は戦後、旧ベトナム共和国軍の装備品を接収し、戦闘機からブーツに至るまでベトナム人民軍の装備に加えてその後のカンボジアや中国との戦争に使用していきました。
なので1960年代初頭にアメリカ軍がCIDG向けの装備として設計したこのインディジネス・ラックサックも、戦後のベトナム人民軍で長らく使用されたそうです。
今回見つけたリュックが人民軍で使用された物かどうかはこれらの書類からだけでは判然としませんが、少なくとも80年代までベトナム国内で誰かに使われていた事は確かであり、このリュックが見てきたであろうベトナムの苦難の歴史につい思いを馳せます。

ちなみに、旧ベトナム共和国軍の装備品の一部は今でも人民軍で現役で使用されており、僕が今年ベトナムに行った時も、人民軍の基地近くの街道を米国製のM35トラックが何台も走っていました。またM113やXM706(V-100)装甲兵員輸送車もまだまだ現役であり、さらに近年、長年倉庫に眠っていたXM16E1/M16A1ライフルをカービン風に改修した『M18小銃 (Súng M18)』が新たに人民軍の特殊部隊に採用されるなど、いかに大量のアメリカ製装備が戦後も残っていたかを物語っていますね。

▲現在のベトナム人民軍陸軍の憲兵
車輌はともかく、M1ヘルメットやM69ボディーアーマーまで現役ってのには驚かされます。
決して物が無い訳ではないので、こうまでして使い続ける理由は多分、
単純に『見た目がカッコいいから』なんだろうなぁ。
  


2016年11月19日

ベトナム共和国軍陸軍部隊一覧

また一覧表系。
地方軍、特殊部隊と来たら、正規の陸軍部隊をやらない訳にはいかないですよね。
まだ創設年や支援部隊など調べ切れていない部分はありますが、陸上戦闘部隊に関しては大隊単位まで大体(笑)網羅出来てると思います。

軍団師団旅団・連隊・群大隊・中隊
第1軍団第21機動群 (1953-1954)
第21師団 (1954-1955)
第1歩兵師団 (1955-)
第1歩兵連隊第1歩兵大隊(1/1)
第2歩兵大隊(2/1)
第3歩兵大隊(3/1)
第4歩兵大隊(4/1)
第2歩兵連隊
※11/1971 SD3BBへ異動
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
第3歩兵連隊第1歩兵大隊(1/3)
第2歩兵大隊(2/3)
第3歩兵大隊(3/3)
第4歩兵大隊(4/3)
第51歩兵連隊第1歩兵大隊(1/51)
第2歩兵大隊(2/51)
第3歩兵大隊(3/51)
第4歩兵大隊(4/51)
第54歩兵連隊 (6/1968-)第1歩兵大隊(1/54)
第2歩兵大隊(2/54)
第3歩兵大隊(3/54)
第4歩兵大隊(4/54)
(師団付き)第10砲兵大隊
第11砲兵大隊
第12砲兵大隊
第14砲兵大隊
第7騎兵大隊 (1966-)
第1工兵大隊
第1衛生大隊
第101憲兵中隊
第1偵察中隊
強襲中隊
第32機動群 (1953-1954)
第32師団 (1954-1955)
第2歩兵師団 (1955-)
第4歩兵連隊第1歩兵大隊(1/4)
第2歩兵大隊(2/4)
第3歩兵大隊(3/4)
第4歩兵大隊(4/4)
第5歩兵連隊第1歩兵大隊(1/5)
第2歩兵大隊(2/5)
第3歩兵大隊(3/5)
第4歩兵大隊(4/5)
第6歩兵連隊第1歩兵大隊(1/6)
第2歩兵大隊(2/6)
第3歩兵大隊(3/6)
第4歩兵大隊(4/6)
(師団付き)第20砲兵大隊
第21砲兵大隊
第22砲兵大隊
第23砲兵大隊
第4装甲連隊 (1955-1963)
第4騎兵大隊 (1963-)
第2工兵大隊
第102憲兵中隊
第3歩兵師団 (1971-)第56歩兵連隊第1歩兵大隊(1/56)
第2歩兵大隊(2/56)
第3歩兵大隊(3/56)
第4歩兵大隊(4/56)
第57歩兵連隊第1歩兵大隊(1/57)
第2歩兵大隊(2/57)
第3歩兵大隊(3/57)
第4歩兵大隊(4/57)
第2歩兵連隊 (11/1971-)
※1971年第1歩兵師団より編入
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
(師団付き)第30砲兵大隊
第31砲兵大隊
第32砲兵大隊
第33砲兵大隊
第11騎兵大隊 (1968-)
第3工兵大隊
第3衛生大隊
第103憲兵中隊
(第1軍団レンジャー)第1レンジャー群 (1966-1973)
第12レンジャー群 (1973-)
第21レンジャー大隊
第37レンジャー大隊
第39レンジャー大隊
第11レンジャー群 (1973-)第68国境レンジャー大隊 (1970-)
第69国境レンジャー大隊 (1970-)
第70国境レンジャー大隊 (1970-)
第14レンジャー群 (1973-)第77国境レンジャー大隊 (1970-)
第78国境レンジャー大隊 (1970-)
第79国境レンジャー大隊 (1970-)
第15レンジャー群 (1973-)第60国境レンジャー大隊
第61国境レンジャー大隊(1970-)
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第4軍団より編入
第87国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年 第8レンジャー群に異動
第1騎兵旅団 (1968-)第17騎兵大隊 (1968-)
第20騎兵大隊 (1972-)
(第1軍団砲兵)第1砲兵大隊
第3砲兵大隊
第44砲兵大隊
第64砲兵大隊
第101砲兵大隊
第102砲兵大隊
第105砲兵大隊
第1憲兵大隊
第1海軍管区
第1空軍師団
第2軍団第2軽師団 (1955-1956)
第4軽師団 (1955-1956)
第12軽師団 (1956-1959)
第14軽師団 (1956-1959)
第22歩兵師団 (1959-)
第40歩兵連隊第1歩兵大隊(1/40)
第2歩兵大隊(2/40)
第3歩兵大隊(3/40)
第4歩兵大隊(4/40)
第41歩兵連隊
※1973年 SD23BBへ異動
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第24特殊戦団
第42歩兵連隊 (1969-)
※1969年SD22BBへ編入
第1歩兵大隊(1/42)
第2歩兵大隊(2/42)
第3歩兵大隊(3/42)
第4歩兵大隊(4/42)
第47歩兵連隊第1歩兵大隊(1/47)
第2歩兵大隊(2/47)
第3歩兵大隊(3/47)
第4歩兵大隊(4/47)
(師団付き)第220砲兵大隊
第221砲兵大隊
第222砲兵大隊
第223砲兵大隊
第14騎兵大隊 (1968-)
第22工兵大隊
第22衛生大隊
第22偵察中隊
第5軽師団 (1955-1956)
第15軽師団 (1956-1959)
第23歩兵師団 (1959-)
第41歩兵連隊
※1973年 SD22BBより編入
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第44歩兵連隊第1歩兵大隊(1/44)
第2歩兵大隊(2/44)
第3歩兵大隊(3/44)
第4歩兵大隊(4/44)
第45歩兵連隊第1歩兵大隊(1/45)
第2歩兵大隊(2/45)
第3歩兵大隊(3/45)
第4歩兵大隊(4/45)
第53歩兵連隊第1歩兵大隊(1/53)
第2歩兵大隊(2/53)
第3歩兵大隊(3/53)
第4歩兵大隊(4/53)
(師団付き)第230砲兵大隊
第231砲兵大隊
第232砲兵大隊
第233砲兵大隊
第8騎兵大隊 (1966-)
第23工兵大隊
第23偵察中隊
第23政治戦中隊
第2騎兵旅団 (1971-)第19騎兵大隊 (1971-)
第21騎兵大隊 (1972?-)
(第2軍団砲兵)第4砲兵大隊
第37砲兵大隊
第63砲兵大隊
第69砲兵大隊
第103砲兵大隊
(第2軍団レンジャー)第2レンジャー群 (1966-1973)
第23レンジャー群 (1973-)
第11レンジャー大隊
第22レンジャー大隊
第23レンジャー大隊
第21レンジャー群 (1973-)第72国境レンジャー大隊 (1970-)
第89国境レンジャー大隊 (1970-)
第96国境レンジャー大隊 (1971-)
第22レンジャー群 (1973-)第62国境レンジャー大隊 (1970-)
第88国境レンジャー大隊 (1970-)
第95国境レンジャー大隊 (1970-)
第24レンジャー群 (1973-)第63国境レンジャー大隊 (1970-)
第81国境レンジャー大隊 (1970-)
第82国境レンジャー大隊 (1970-)
第25レンジャー群 (1973-)第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第90国境レンジャー大隊 (1970-)
?第71国境レンジャー大隊 (1970-)
?第80国境レンジャー大隊 (1970-)
第2憲兵大隊
第2海軍管区
第2空軍師団
第6空軍師団
第3軍団第6軽師団 (1955-1956)
第3野戦師団 (1956-1959)
第5歩兵師団 (1959-)
第7歩兵連隊第1歩兵大隊(1/7)
第2歩兵大隊(2/7)
第3歩兵大隊(3/7)
第4歩兵大隊(4/7)
第8歩兵連隊第1歩兵大隊(1/8)
第2歩兵大隊(2/8)
第3歩兵大隊(3/8)
第4歩兵大隊(4/8)
第9歩兵連隊第1歩兵大隊(1/9)
第2歩兵大隊(2/9)
第3歩兵大隊(3/9)
第4歩兵大隊(4/9)
(師団付き)第50砲兵大隊
第51砲兵大隊
第52砲兵大隊
第53砲兵大隊
第1装甲連隊 (1955-1963)
第1騎兵大隊 (1963-)
第5工兵大隊
第5偵察中隊
第10歩兵師団 (1965-1967)
第18歩兵師団 (1967-)
第43歩兵連隊第1歩兵大隊(1/43)
第2歩兵大隊(2/43)
第3歩兵大隊(3/43)
第4歩兵大隊(4/48)
第48歩兵連隊第1歩兵大隊(1/48)
第2歩兵大隊(2/48)
第3歩兵大隊(3/48)
第4歩兵大隊(4/48)
第52歩兵連隊第1歩兵大隊(1/52)
第2歩兵大隊(2/52)
第3歩兵大隊(3/52)
第4歩兵大隊(4/52)
(師団付き)第180砲兵大隊
第181砲兵大隊
第182砲兵大隊
第183砲兵大隊
第5騎兵大隊 (1963-)
第18工兵大隊
第18偵察中隊
第18憲兵中隊
第25歩兵師団 (1962-)第46歩兵連隊第1歩兵大隊(1/46)
第2歩兵大隊(2/46)
第3歩兵大隊(3/46)
第4歩兵大隊(4/46)
第49歩兵連隊第1歩兵大隊(1/49)
第2歩兵大隊(2/49)
第3歩兵大隊(3/49)
第4歩兵大隊(4/49)
第50歩兵連隊第1歩兵大隊(1/50)
第2歩兵大隊(2/50)
第3歩兵大隊(3/50)
第4歩兵大隊(4/50)
(師団付き)第250砲兵大隊
第251砲兵大隊
第252砲兵大隊
第253砲兵大隊
第10騎兵大隊 (1966-)
第25工兵大隊
第25通信大隊
第25偵察中隊
第3強襲団 (1974-)第3騎兵旅団 (1970-)第15騎兵大隊 (1968-1974)
第315戦闘団 (1974-)
第18騎兵大隊 (1968-1974)
第318戦闘団 (1974-)
第22騎兵大隊 (1974?)
第322戦闘団 (1974-)
第33レンジャー群 (1973-)第64国境レンジャー大隊 (1970-)
第83国境レンジャー大隊 (1970-)
第92国境レンジャー大隊 (1970-)
(第3軍団レンジャー)第3レンジャー群 (1966-1973)
第31レンジャー群 (1973-)
第31レンジャー大隊
第36レンジャー大隊
第52レンジャー大隊
第5レンジャー群 (1966-1973)
第32レンジャー群 (1973-)
第30レンジャー大隊
第33レンジャー大隊
第38レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1974年総合予備部隊へ異動
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第65国境レンジャー大隊 (1970-)
第73国境レンジャー大隊 (1970-)
第74国境レンジャー大隊 (1970-)
第84国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第8レンジャー群へ異動
第91国境レンジャー大隊 (1970-)
第97国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
(第3軍団砲兵)第4砲兵大隊
第61砲兵大隊
第104砲兵大隊
第3憲兵大隊
第3海軍管区
第3河川管区
第3空軍師団
第5空軍師団
第4軍団第7機動群 (1953-1955)
第7軽師団 (1955-1956)
第7野戦師団 (1956-1959)
第7歩兵師団 (1959-)
第10歩兵連隊第1歩兵大隊(1/10)
第2歩兵大隊(2/10)
第3歩兵大隊(3/10)
第4歩兵大隊(4/10)
第11歩兵連隊第1歩兵大隊(1/11)
第2歩兵大隊(2/11)
第3歩兵大隊(3/11)
第4歩兵大隊(4/11)
第12歩兵連隊第1歩兵大隊(1/12)
第2歩兵大隊(2/12)
第3歩兵大隊(3/12)
第4歩兵大隊(4/12)
(師団付き)第70砲兵大隊
第71砲兵大隊
第72砲兵大隊
第73砲兵大隊
第6騎兵大隊 (1963-)
第7工兵大隊
第7衛生大隊
第7通信大隊
第7偵察中隊
第107憲兵中隊
第9歩兵師団 (1962-)第14歩兵連隊第1歩兵大隊(1/14)
第2歩兵大隊(2/14)
第3歩兵大隊(3/14)
第4歩兵大隊(4/14)
第15歩兵連隊第1歩兵大隊(1/15)
第2歩兵大隊(2/15)
第3歩兵大隊(3/15)
第4歩兵大隊(4/15)
第16歩兵連隊第1歩兵大隊(1/16)
第2歩兵大隊(2/16)
第3歩兵大隊(3/16)
第4歩兵大隊(4/16)
(師団付き)第90砲兵大隊
第91砲兵大隊
第92砲兵大隊
第93砲兵大隊
第2装甲連隊 (1955-1963)
第2騎兵大隊 (1963-)
第9工兵大隊
第9衛生大隊
第9通信大隊
第9憲兵中隊
第9偵察中隊
第11歩兵連隊 (1954-1955)
第1軽師団 (1955-1956)
第3軽師団 (1955-1956)
第11軽師団 (1956-1959)
第13軽師団 (1956-1959)
第21歩兵師団 (1959-)
第31歩兵連隊第1歩兵大隊(1/31)
第2歩兵大隊(2/31)
第3歩兵大隊(3/31)
第4歩兵大隊(4/31)
第32歩兵連隊第1歩兵大隊(1/32)
第2歩兵大隊(2/32)
第3歩兵大隊(3/32)
第4歩兵大隊(4/32)
第33歩兵連隊第1歩兵大隊(1/33)
第2歩兵大隊(2/33)
第3歩兵大隊(3/33)
第4歩兵大隊(4/33)
(師団付き)第210砲兵大隊
第211砲兵大隊
第212砲兵大隊
第213砲兵大隊
第9騎兵大隊 (1966-)
第21工兵大隊
第4騎兵旅団 (1969-)第12騎兵大隊 (1968-)
第16騎兵大隊 (1968-)
(第4軍団砲兵)第47砲兵大隊
第67砲兵大隊
第68砲兵大隊
第4軍団レンジャー第4レンジャー群 (1966-)
※1974年総合予備部隊へ異動
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊
第66国境レンジャー大隊 (1970-)
第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第75国境レンジャー大隊 (1970-)
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第7レンジャー群へ異動
第86国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第8レンジャー群へ異動
第93国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第15レンジャー群へ異動
第98国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
第4憲兵大隊
第4海軍管区
第5海軍管区
第4河川管区
第4空軍師団
首都特別管区隊(儀仗部隊)
第6憲兵大隊
(総合予備部隊)GAP3 (1954-1955)
空挺群 (1955-1959)
空挺旅団 (1959-1965)
空挺師団 (1965-)
第1空挺旅団第1空挺大隊 (1951-)
第8空挺大隊 (1961-)
第9空挺大隊 (1965-)
第1砲兵大隊 (1968-)
第1偵察中隊 (1968-)
第2空挺旅団第5空挺大隊 (1953-)
第7空挺大隊 (1953-1955, 1961-)
第11空挺大隊 (1967-)
第2砲兵大隊 (1967-)
第2偵察中隊 (1968-)
第3空挺旅団第2空挺大隊 (1965-)
第3空挺大隊 (1952-)
第6空挺大隊 (1954-)
第3砲兵大隊 (1968-)
第3偵察中隊 (1968-)
第4空挺旅団 (1974-)第12空挺大隊 (1974-)
第14空挺大隊 (1974-)
第15空挺大隊 (1974-)
(師団付き)空挺支援大隊 (1954-)
空挺通信大隊
空挺工兵大隊
空挺衛生大隊
海兵群 (1956-1965)
海兵旅団 (1965-1968)
海兵師団 (1968-)
第147海兵旅団第1海軍歩兵大隊
第1海兵大隊
第4海兵大隊 (1961-)
第7海兵大隊 (1969-)
第147偵察中隊
第1砲兵大隊
第258海兵旅団第2海軍歩兵大隊 (1955-)
第2海兵大隊
第5海兵大隊 (1964-)
第8海兵大隊 (1969-)
第258偵察中隊
第2砲兵大隊
第369海兵旅団第3海軍歩兵大隊 (1957-)
第3海兵大隊
第6海兵大隊 (1967-)
第9海兵大隊 (1970-)
第369偵察中隊
第3砲兵大隊
第468海兵旅団第14海兵大隊
第16海兵大隊
第18海兵大隊
第468偵察中隊
第4砲兵大隊
(師団付き)偵察中隊
第202憲兵中隊
第91空挺コマンド大隊 (1964-1968)
第81空挺コマンド大隊 (1968-1970)
第81空挺コマンド群 (1970-)
第1戦術司令部 (1975-)
第2戦術司令部 (1975-)
第3戦術司令部 (1975-)
第811部隊 (1975-)
第812部隊 (1975-)
第813部隊 (1975-)
第814部隊 (1975-)
デルタ偵察チーム (1964-1968)
偵察中隊 (1968-1975)
第815部隊 (1975-)
(総合予備レンジャー)
※1974年 総合予備部隊として再編制、1975年 レンジャー師団創設予定のまま未完
第4レンジャー群 (1966-)
※1974年第4軍団より編入
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1974年第3軍団より編入
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第7レンジャー群 (1974-)第32レンジャー大隊
第58レンジャー大隊
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第4軍団より編入
第8レンジャー群 (1974-)第84国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第3軍団より編入
第86国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第4軍団より編入
第87国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年 第1軍団より編入
第9レンジャー群 (1975-)第93国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第4軍団より編入
第97国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第3軍団より編入
第98国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第4軍団より編入
第5憲兵大隊



おまけ: インシグニアについて

ベトナム共和国軍というのは部隊章に非常にこだわりのある軍隊でして、米軍では通常連隊単位までしか部隊章を持たないのに対し、ベトナム陸軍は大隊単位(中には中隊まで)で部隊章が制定されているので、その種類は膨大です。そしてその一部が米国のベトナム共和国歴史協会 (Republic of Vietnam Historical Society)さんのサイトで公開されています。
歩兵師団・連隊・大隊 http://rvnhs.com/museum/arvninsignia.html

以下、歩兵師団、地方軍、空挺師団、レンジャー、海兵師団のインシグニアの種類についてまとめ中の図解。


 
レンジャーと海兵は、そのうち作ります。
  


2016年10月15日

NKT雷虎について

NKTおじさんの戦友で元雷虎隊員のダニエルおじさんから聞いた話をご紹介します。

ダニエル・フォーこと、フォー・ズン氏。米国で開催されたNKTベテランの集会にて。
ベトナム戦争時代、ズン氏はベトナム共和国軍の特殊作戦機関"NKT(技術局)"内のコマンド部隊"雷虎(Lôi Hổ)"に所属していました。


ズン氏が1960年代末に所属していたNKT連絡部"雷虎" CCNの偵察チーム(RT)ダコタ。1968年9月18日
上段右から2番目がズン氏。バンダナを巻いた2名の白人がチームを指揮するアメリカ軍SOG-35 CCNの隊員。

NKTと雷虎の歴史についてはこちらも参照


タイガ:
雷虎の隊員はLLĐBからNKTに編入されたのですか?また他の部隊から移ってきた人も居ましたか?

フォー・ズン:
雷虎がSOGの指揮下にあった1966年から1970年頃にかけては、LLĐB出身もいるし、空挺師団出身も確か居たよ。
その後、1970年末にLLĐBが解散すると、プロジェクト・デルタのチームがNKTに編入されたんだ。
(その為NKT内に連絡部に加えて作戦部"黒龍"が編成されNKTは規模を拡大した)
またSCU(Special Commando Unit)として知られるSOG指揮下のヌン族、モンタニヤード、クメール族、ベトナム人で構成された民族別チームも、1970年から1971年にかけてベトナミゼーションの一環として雷虎に再統合されたよ。
ただし全てのSCUが雷虎に移った訳ではなく、一部は故郷に帰って陸軍一般部隊に加わったようだ。
共にSOGチームとして戦ってきた勇敢な男たち(SCU)が加わったことで、雷虎チームはより精強になったよ。
しかしSOGから特殊作戦の全権を引き継いだNKTは、これまで以上に危険な任務に挑む事になったんだ。

この写真を見てくれ。左の男は雷虎に編入されたSCU隊員で、ユニフォームに雷虎の部隊章とAIRBORNEタブを着けている。
多分彼はCCCかCCS所属のジャライ族とかのモンタニヤードか、クメール族だ。
第3軍団のQuảng LợiかLộc Ninhでの写真だったと思う。

タイガ:
SOGは日本のミリタリーファンの間でも有名ですが、残念ながら実際にチームを構成していた雷虎やSCU、そしてNKTの存在についてはまだまだ知られていません。
ちなみに、あなたの写真(上のRTダコタの写真)を私のブログに載せていいですか?

フォー・ズン
私のチームの写真は、すでに誰かに右側の文字の部分を切り取られてインターネットで転載されているようだね。
フェイスブックでこの写真をプロフィール画像にしているベトナム人の若者を見るよ。ハハハ
でも私は気にしていないよ。些細な事さ。
しかし、(インターネットで)この写真がSEALとして紹介されているのを見付けた時は困ったよ。
似たようなものに見えるかもしれないけど、違うんだよ。
SEALは顔を緑に塗るし、ライフジャケットと1・2日間の作戦用のデイパックしか身に付けない。
SOGは顔を黒に塗り、ロープを携帯し、5日間の作戦用にバックパックを背負うんだよ。

私たちを指導したMACV-SOG(SOG-35)の隊員たちは軍服の左胸ポケットに雷虎の部隊章を付けていたよ。
奥のNKT連絡部所属者はSOGとの調整役だった。

その後、1970年から1973年にかけてベトナミゼーションが進行し、SOGがベトナムから撤退する過程で、雷虎CCNは第1強襲戦闘団(Chiến Đoàn 1 Xung Kích)へと改編された。CCC、CCSも同様に第2、第3強襲戦闘団として再編されたよ。
同時に、SOG-35もSMAG (Special Mission Advisory Group)へと改称され、引き続きNKT連絡部と共に作戦の指揮を執っていたよ。

タイガ:
"雷虎"は、連絡部本部勤務者も含むのですか?それとも前線のコマンド部隊のみを指すのですか?

フォー・ズン
雷虎の公式な組織名が連絡部(Sở Liên Lạc)だよ。しかし敬意をこめて、いまだに雷虎の名で呼ばれているのさ。
ちなみにこれはNKT訓練センターのSOGアドバイザーチームが写っている写真だよ。

タイガ:
この服のレプリカ持ってますわ。

フォー・ズン
私はこれと似た服を着ていたけど、袖と脚にコンパスやタバコを入れる小さいポケットが付いていたよ。
CISOや沖縄メイドと呼ばれるやつさ。

タイガ:
これですか?

フォー・ズン:
そう!まさにその服を着ていた。
また、作戦時は時々、スプレーで迷彩を描く代わりに、この服を黒く染めたものを着ていたよ

▲作戦中のズン氏(右)

▲同じくズン氏。1970年以前、クアンチ省DMZ/ニッケル・スチールOA付近にて
黒染めのCISOファティーグを着て、顔をまっ黒に塗っている。

日本・沖縄のCISOから送られてくるMACV-SOG向けの装備は、まず最初にダナンのCCNに届くんだよ。
だからCCNは他のC&C部隊の装備を真似する必要はなかった。
我々CCNはC&C兄弟のお兄さんだったんだ。へへへ

これはダナン市ノンヌックにあったCCN FOB4の偵察チームの写真だけど、この中共式AKマガジンポーチをよく見てくれ。一つのポケットにマガジンが2本入るよう厚くなっていて、スナップボタンで留めれるようになっているんだよ。
あと、チームリーダーだけは新品のXM177を持ってるけど、あとのメンバーはみんな収縮式バットストックをM16の固定式に変えてある。
これらの装備は全部日本・沖縄のCISOから送られてきた物さ。

当時、一部の人はCCNの"North"を"North Vietnam"の事だと思い、我々が北ベトナム領内に駐屯していると勘違いしたんだ。
実際は南ベトナムの北部、DMZの南側およびラオス中部国境の辺りだよ。"ニッケル・スチール・オペレーション・エリア (Nickel steel OA)"ってやつさ。
なので我々CCNのチームは1971年に開始されたラオス侵攻作戦"ラムソン719"に先駆けて、1970年12月から1971年1月までラオス領内に先行して潜入していたよ。
CCCはベトナム、ラオス、カンボジア三角国境あたりだね。

これは君の写真だね?


タイガ:
はい、そうです。本物の雷虎隊員に見られるのは恥ずかしいですが。へへ

フォー・ズン:
私があの部隊を愛しているように、君もあの部隊を愛してるという事さ。
恥ずかしがる事はないよ。

私が知っている範囲で君に言える事は以上だよ。はっきりとした答えを探すには時間と手間がかかるよ。
その人が経験した活動や条件によって見解は異なるからね。ハハ
何が言いたいかというと、私は一介の兵士に過ぎないという事さ。私はただ訓練された事をやっていただけだよ。
ただ一つ言えるのは、私たちの活動は、君たちの活動(リエナクト)よりもずっと陰惨だったという事さ。
タイガ:
ありがとうございます。大変勉強になりました。


【あとがき】
以前ちょっと書きましたが、このダニエルおじさんの妹さんが東京都内でベトナム料理レストランを経営しているので、以前食べに行ってご挨拶させていただきました。
その妹さんが先日、誕生日を迎えたので、彼女のフェイスブックには日本で知り合った友人やお客さんたち(主に中年の主婦)から沢山のおめでとうコメントが寄せられていましたが、その中に混じってダニエルおじさんやNKTおじさん等NKTベテランたちのコメントが並んでいました。
日本の主婦と、20世紀を代表する特殊部隊の兵士たちが同じ場所で話している光景はなかなかシュールで、つい笑ってしまいました。
しかし少し見方を変えると、彼ら特殊部隊員もまた家族を思いやるごく普通の人間であり、戦争さえなければ人を殺すという経験をする事も、故郷を捨ててアメリカに亡命する事もなかったはずです。
私はマニアとして彼ら軍人に対しカッコいいという憧れを抱いてしまいますが、同時に人間としては、人生から取り返しのつかない大きなものを失ってしまった人たちなのだと、時々思い起こされます。
  


2016年10月04日

ベトナム共和国軍年代別歩兵個人装備

※ 注 意 ※

ベトナム共和国軍(CIDG含む)では以下のM1956個人装備のうち、
エントレンチングツールカバーとフィールドパックは99.99%使われませんでした。
せっかくお金をかけて軍装をそろえても、これらを装備に加えた瞬間に間違った再現になります。
どうかご注意下さい。


念のため言っておくと、使用例が完全に無い訳ではありません。
この10年間、何万枚と当時の写真を見てきた中で、3例くらいは使用例を見つけました。
なので一応100%ではなく、99.99%としておきます。



---------------------  歩兵科  ---------------------
(Binh Chủng Bộ Binh)

  
▲1958年、1968年、1972年当時の師団章配置



[1948年~1950年代中頃]

(写真: 1951年ハノイ)

戦闘服:    仏軍半袖・半ズボンチノ制服
鉄帽:       なし
帽子:       仏軍サイドキャップ、Mle49ジャングルハット
靴:          仏軍アンクルブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍戦前期個人装備、Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍戦前期個人装備、仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1950年代初頭~1960年代初頭]

(写真: 1954年ハノイ)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、
      M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
      M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: [左]1963年、[右]1966年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装なし、擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1975年]

(写真: 1973年)

鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918A2自動小銃、M1919A6機関銃、
      M60機関銃、M26手榴弾、


[1970年頃~1975年]

(写真: 1975年スンロク)

戦闘服:    アーミーグリーン2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、ミッチェル迷彩カバー、手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  レンジャー  ---------------------
(Biệt Động Quân)


[1960年代初頭~中頃]

(写真: 1965年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット(手書き迷彩・黒豹擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、米軍M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、他


[1960年代中頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

鉄帽:       米軍M1ヘルメット、米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩・黒豹、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   米軍M1945フィールドパックARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年代初頭]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩・黒豹、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1975年頃)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (手書き迷彩※黒豹なし、ミッチェル/リーフ迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  空挺  ---------------------
(Nhẩy Dù)



[1951年~1960年代初頭]

(写真: 1955年サイゴン)

戦闘服:    仏軍TAP47系降下服、リザード迷彩TTA47系戦闘服、英軍ウェインドプルーフスモック、米軍ダックハンター戦闘服、他
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、空挺キャップ
靴:    仏軍アンクルブーツ、空挺ブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系一般/TAP個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TAP Mle50ミュゼットザック、TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36CR39小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、M1カービン、M1/M2A1カービン
              M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年代初頭~]

(写真: [左]1962年、[右]1963年サイゴン)

戦闘服:    リザード迷彩TTA47系戦闘服、ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   仏軍Mle50 TAPミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1960年代頃~1960年代末]

(写真: 1967年サイゴン)

戦闘服:  ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服、シビリアンリーフ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       米軍M1/M1Cヘルメット 、グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: M1956個人装備
背嚢:   米軍M1942マウンテンリュック、ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年ケサン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット、手書き迷彩、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1969年)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用  (擬装なし、手書き迷彩、ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他

---------------------  海兵隊  ---------------------
(Thủy Quân Lục Chiến)



[1952年~1960年代初頭]

(写真: 1957年ホンサ諸島)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、
      M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: 1962年ベトナム)

戦闘服:  タイガー2ポケット作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    タイガー2ポケット作戦服ERDL2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1970年頃~1975年]

(写真: 1972年フエ)

戦闘服:  タイガー2ポケット/4ポケット作戦服レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  地方軍・義勇軍  ---------------------
(Địa phương quânn-Nghĩa quân)


[1954年~1964年頃]

(写真: 1963年フバイ)

戦闘服:     民兵戦闘服(黒)、農作業服(黒)
鉄帽:    なし
帽子:        ジャングルハット、フィールドキャップ、その他民生品
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:  MAS36小銃、MAT49短機関銃、M1903小銃、M1カービン、M1928/M1短機関銃、M3A1短機関銃、
      DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1964年頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


[1967年頃~1975年]

(写真: 1969年)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


------------------------------------------

以上で基本的な歩兵個人装備はほぼ押さえられたと思います。
約30年分の変遷をまとめたのでやたら装備の種類が多く見えますが、時代を区切って、
例えばハリウッド映画の影響で人気のある1960年代末であれば、最低限必要なのはこれだけです。

・2ポッケット作戦服(グリーンまたは迷彩)
・米軍ヘルメット
・ジャングルブーツ

レプリカ使えば、だいぶお安く揃っちゃいますね。
過去に何度か「南ベトナム装備は敷居が高い」という声を耳にした事がありますが、
それは単に共和国軍の軍装が日本語で紹介される機会が少ないために、何を揃えるべきか情報が出回っていないだけで、
それが分かってしまえば差し当たって難しい事はありません。
むしろ、常に実物やリプロが何かしら市場に存在している時点で、他の大多数の国の軍装よりもずっと敷居低いんです。
日本語の情報はここに書いたので、あとは当時の写真とにらめっこしてもらえば、大体把握できると思います。


インターネットで当時のベトナムの写真を探すのであれば、
flickrにあるmanhhai氏tommy japan氏のアルバムが最強なので超超お勧めです!

あと動画では、YoutubeチャンネルNgười Nhập CuộcがクリパスやAP通信のアーカイブなどからベトナム共和国関係の
動画をピックアップしているので、こんな映像が有ったのか!と毎回驚きの連続です。

いや~、インターネット様様face05
  


2016年09月10日

オールインワンショット

一枚の写真にいろんなリーフ迷彩が写ってるナイスな写真見つけました。
カッコいいのでうちのブログのバナーに使わせてもらいます。

ベトナム陸軍空挺師団第1空挺大隊 [1969年1月 タイニン省]

(大きい写真なので2分割して載せてます)

①コマーシャル/シビリアン/インビジブル
②ERDL/グリーンリーフ
③レンジャー/エアボーン(パステル系)
レンジャー/エアボーン(エメラルド系)

※上の迷彩パターンの名称は戦後のマニアの間で使われるもので、当時のものではない
各迷彩については過去記事『ベトナム軍の迷彩』参照


ついでに、一枚にいろいろ写ってる系の写真をご紹介。

ベトナム陸軍第5歩兵師団 [1966年ニントゥアン省ファンラン]

 兵隊の持ってる銃がM1ガランド、M1/M2カービン、M1A1トンプソン、M1918A2 BARとバラエティー豊か。この写真には写っていませんが、M79グレネードランチャーやM3A1グリースガン、M1919A6機関銃も当時歩兵部隊で使われていました。
 この時期のベトナム共和国軍は武器が足りず、アメリカから供与された銃をとりあえず何でも使っていた感じです。その後、1966年にXM16E1ライフルがベトナム陸軍で正式採用されると、1967年末頃には一線級部隊の小銃は全てXM16E1/M16A1に統一されます。(士官・下士官はその後もあえて軽量なM1/M2カービンを携帯する事がありますが) また分隊支援火器も徐々にM60機関銃に更新され、60年代末には当時の米軍と同じ武装となりました。


サイゴンを占領したベトナム人民軍 [1975年4月30日サイゴン]

一枚の写真に、少なくとも4種類のカラシニコフ自動小銃(Vz58は見た目だけだけど)が写ってます。
・中国製56式自動歩槍
・AK-47系(ソ連製AK-47、中国製56式自動歩槍輸出型、北朝鮮製58式自動歩槍のいずれか)
・ルーマニア製AIM
・チェコスロバキア製Vz58

 スパイク銃剣の56式以外はどこ製だか写真からは判断しにくいですが、基本的には北ベトナム軍では東側諸国から輸入された各種カラシニコフがごちゃ混ぜで使われていたようです。一口にカラシニコフと言っても各モデルで部品の寸法が異なりますし、Vz58に至っては外観が似ているだけで中身は完全に別の銃なので、北ベトナム軍も外国からの援助兵器を次から次へと前線に送るだけで、結局終戦まで弾薬以外は統一する余裕はなかったようです。

 また各国のカラシニコフが見られるこの写真からは、ベトナム戦争が東西冷戦による代理戦争であった事、そして共産主義陣営に蹂躙されたベトナムという国の悲劇が見て取れます。
 僕が知り合った元ベトナム共和国軍人やそのご家族は、ベトナム戦争について皆さん口をそろえてこう言います。「我々は北ベトナム一国と戦ったのではない。共産主義陣営全体と戦っていたのだ」と。
 1973年、アメリカ軍がベトナムからの撤退が完了し、パリ協定による休戦が発効した段階で、ベトナム戦争は一時終息したかのように思われました。しかし北ベトナムははなっから休戦などする気はなく、アメリカが撤退したこの機を逃すまいと早々に協定を無視し、再び南侵を再開します
 この時点で北ベトナムはいまだソ連・中国の思惑を背景に周辺国への軍事侵攻を続けており、これまで通り東側諸国からの膨大な経済・軍事支援を受けていました。一方、ベトナムからの完全撤退を決めたアメリカや韓国、オーストラリアは政治・経済面でもベトナム共和国への支援を縮小し、ベトナム共和国は同盟国から見捨てられた形となっていました。これにより、それまでの東西の代理戦争という構図は終わり、アメリカという大きな後ろ盾を失ったベトナム共和国は、たった一国で共産主義陣営による侵略から自国を防衛せざるをえなくなりました。
 その後ベトナム共和国軍は2年近くにわたり単独で共産軍との戦いを続けましたが、多勢に無勢で1975年4月30日、ついに首都サイゴンが陥落し、ベトナム全土がベトナム労働党(現・共産党)の支配下に失陥したのでした…。


▲1973年以降のベトナム戦争の政治的構図
  


2016年08月28日

地方軍ベレー

実在した事は確かなんだけど、当時の写真を見る限りほとんど使われてなかったっぽい超不人気ベレーについて。

▲地方軍・義勇軍部隊章

▲地方軍ベレー章



以下、着用が確認できる数少ない写真。

内務省保安隊司令官・初代地方軍司令官ズン・ゴック・ラム少将 [1964年3月ベトナム]
この写真の時点では保安隊は内務省が管轄する民兵組織だったが、同年5月に組織が国防省に移管され『地方軍 (ĐPQ)』として再編される。

▲地方軍の軍楽隊 [1960年代ベトナム]
地方軍ベレーは基本青色ですが、この写真の指揮官は陸軍一般将兵と同じく黒色のベレーに地方軍のベレー章を付けているように見えます。

アメリカ軍MACV地方軍付きアドバイザー [1970年サイゴン]
カナダのドキュメンタリー番組『SAD SONG OF YELLOW SKIN』より

▲米国在住地方軍ベテラン [2015年アメリカ サンノゼ]
去年行ったカリフォルニアの傷痍軍人チャリティーコンサートに参加されていたベテランの方です。

 僕が確認している着用例は以上です。地方軍・義勇軍と言えば最終的に55万人もの兵力を有し、ベトナム共和国軍の総兵力の半数を占める巨大な組織であったのにも関わらず、不思議なことにこのベレー帽の着用例は数えるほどしか見受けられません。もちろん、僕も実物をこの目で見た事はありません。なぜこんなにも使われた数が少ないのでしょうか?
 僕は、その理由は単純に『人気が無かったから』だと思っています。まず、独自のベレー帽が制定されているエリート部隊(空挺やレンジャーなど)では、そのベレーを被る事は将兵にとってステータスであり、礼装時も制帽として着用されました。ただし、当時のベトナム共和国軍では多くの部隊でベレー帽は官給品ではなく自費購入品だったそうです。なのでエリート部隊以外の陸軍一般部隊にもベレー帽は制定されていましたが、こちらはあくまで略帽の一種であり、兵科毎の違いもなく、制帽の代わりにはなりませんでした。その為、そんな物をわざわざ自費で購入する兵士は少なく、せいぜい経済的に余裕のある士官・下士官がオシャレとして被る程度でした。
 一方、地方軍・義勇軍には陸軍一般部隊とは別の青いベレー帽が制定されていましたが、これはエリート部隊のようなステータスとは見做されませんでした。なぜなら地方軍・義勇軍は元々民兵組織であり、陸軍一般部隊よりも格下の補助部隊であるため、ベレーが何色であろうと決してエリートではなかったからです。従って、陸軍一般部隊よりもさらに給料の安い地方軍・義勇軍の兵士が、わざわざ格下部隊を示す地方軍ベレーを購入する事はほとんど無かった、というのが着用例が極端に少ない原因だと考えています。

 しかし、地方軍ベレーが不人気であり続けた一方で、実は地方軍将校の中には地方軍ベレー以外を購入して着用する者が数多くいました。彼らが着用したのが、オリーブ色または黒色の陸軍一般部隊将校ベレーです。むしろベレーを被っている地方軍将校のほとんどが一般部隊ベレーを着用していたので、僕も最近まで、地方軍も陸軍と同じベレーが制定されているのだと誤解していたほどです。

 
▲アメリカ海兵隊員にベトナム語の講習を行う義勇軍将校 [1960年代後半ダナン]
アメリカ海兵隊司令部戦闘撮影課製作『Combined Action Program』より

 地方軍と言えども、将校は正式な士官教育を修了した正真正銘の陸軍士官ですから、他の部隊から格下と見られたくなかったのでしょう。これは本来制定されているものとは別の被服を身に着けることになるので、正確には規定違反だったようですが、特に咎められることもなったようです。これについてはアメリカ在住の元地方軍PRUやNKTベテランの方々に僕が直接聞き取りを行い、「本当は違かったけど慣例として使ってたよ」と証言を頂いています。
 
 以上、戦後のマニアどころか、当時の兵隊からも見向きもされなかった残念なベレーについてでした。
  


2016年08月20日

ジャラジャラ系

少し前ですが、何年も前から欲しかったM1ガランドの無可動をゲットしました。う~ん!カッコいい!

 無可動と言っても、実銃ベースではありません。マルシンのガスガンがベースの無可動エアソフトガン。つまり、ただの壊れたオモチャです(笑)
 僕は戦争ごっこの時もほとんど発砲しないので、弾が出る出ないは気になりません。ただ安価で外観がリアルな模造品があれば十分なので、デニックス製のモデルガンでも買おうかなと考えていた矢先にこの格安ジャンク品と出会えたので迷わず購入。良い買い物ができました。

 しかしライフルが手に入ったとなると、今度は銃に付随するアイテムも必要になってきます。特にベトナム戦争時代のM1というと欲しくなるのが、あの特徴的なアーモ&クリップ。それも出来るだけ沢山。
 M1ライフルを使った国は数多くありますが、弾薬クリップをサスペンダーやベルトに挟んでジャラジャラ下げている事が多いのはベトナム共和国軍ならではだと思います。(もしかしたら僕が知らないだけで他の国でもやってるかもしれないけど)

▲赤十字社による学童への牛乳配給を警備するベトナム共和国軍の国民行動隊員[1967年ベトナム]
※国民行動隊=民事心理戦(国内を対象とした宣伝・政治工作)を行う特殊作戦部隊。たぶん政治戦総局(TCCTCT)の下部組織。
余談ですが、そもそも特殊作戦とは通常の戦闘行動以外の作戦を指すので、銃を持って戦う戦闘部隊よりも、こういった市民への生活支援を行う部隊の方がよっぽど『特殊部隊』と呼ぶにふさわしいと考えます。実際、ベトナム時代の米軍特殊部隊の活動も、人道支援を通じた民事心理戦抜きには語れません。


 本題。これは単に弾薬を多く携帯したいという理由と共に、アメリカ政府による軍事援助として1960年代初頭からM1ライフルと共に供与されていたM1923カートリッジベルトの在庫が60年代後半に枯渇し、銃は現役で使われているのに専用の弾帯が手に入らなくなってしまった事が原因ではないかと推測しています。
 もちろんカートリッジベルトが枯渇した後もアムニションバンダリアで携帯している例はありますが、それよりもクリップを裸で吊るす方式の方がはるかに人気だったようです。(なんか見た目がカッコいいからという理由だった気がしますが)

 という訳で、せっかくM1が手に入ったからには弾薬ジャラジャラを真似しない訳にはいかないので、さっそく.30-06のダミーカートリッジを2クリップ分(16発)買いました。だけど、2個ではジャラジャラには程遠い。最低でももう2個くらい欲しい。でもダミーカートリッジって結構高い。お財布に厳しいよ・・・。
 と思っていたところ、ちょうどタイミングよく米軍のM2ボールと同じ150grのFMJ弾頭がお安く手に入ったので、元々家にあった.30-06の使用済みケースにこれを装着してダミーカートリッジを自作する事にしました。



 手持ちのケースは僕が小学生の時に叔父さんからもらった物なので、だいぶブラスの色がくすんでいました。なのでまず、弾頭を装着する前にケースを紙やすりで磨きます。マスキングテープで電動ドライバーに装着しひたすら回転。
 本当は紙やすりの後に布とピカールでポリッシュするところまでやればピカピカになるんだけど、ピカールが手元に無かったし、数が多いので途中で面倒くさくなってしまい、とりあえず黒ずみを落とす程度までしかやっていません。



 そしていよいよ弾頭装着作業に突入。しかし、ケースに弾頭を取り付けるには弾頭を既定の位置に挿した状態でケースごとかしめる必要があるのですが、うちにハンドロード用の工具など無いので、弾頭をどう取り付けるかがボトルネックでした。薬莢だけに。
 初めは頑張って木型を作ろうとか考えていたのですが、ある日こんな考えが頭に浮かびました。「こんなのグルーで接着しちゃえば良くね!?」
 フッ・・・。水は低きに流れるもの。私もまた、楽な道を選択します。そもそも実包をリローディングしている訳ではないので、弾頭なんてただ付いてさえいればいいんだもん。という訳で、弾頭はダイソーで買ったグルーガンで接着する事にしました。
 ただしこの場合、弾頭がケースの奥に行き過ぎないよう気をつけなけばなりません。とは言え内部を全てグルーで満たすのは時間かかるので、手っ取り早く5cmに切ったグルーのスティックを詰め物にして、その上に溶かしたグルーを流し込みます。そしてその上に弾頭を手作業で押し込みます。発砲済みのケースなので弾頭をかしめる部分は若干広がっているものの、そこまでスカスカではないので、多分これでポロッと弾頭が抜け落ちる事は無いはず。
 

 そして完成したのがこちら。奥の二つが自家製。手前の二つが業者が丁寧に製作した使用済みケース再使用ダミーカートリッジ。磨きをサボった分ブラスの輝きは遠く及ばないけど、まぁイベントの時に個人装備にぶら下げておく分には目立たないでしょう。

 実はもう一つインチキやってます。8発入りのクリップに詰める.30-06のケースが2個足りなかったので、外径がほとんど同じ.45ACPのケースを突っ込んで誤魔化しちゃってます。どうせサスペンダーとかに挿せば後ろ側なんて見えないし。
 こうして数々のインチキもとい創意工夫によって、ジャラジャラ系に一歩近付くことが出来たのでした。イェイ!
  


2016年03月27日

ベトナム陸軍の制服 1949-1975

1949年~1950年代末

 第一次インドシナ戦争中の1949年、ベトナム独立の気運の高まりから、フランスは仏領インドシナ連邦成立によってトンキン、アンナン、コーチシナの三地域に分割されていたベトナムを再統一し、フランス連合の枠内での独立国『ベトナム国(Quốc gia Việt Nam)』へと昇格させます。これに伴い、フランス植民地軍(Troupes coloniales)のベトナム人部隊は『ベトナム国家衛兵隊(Vệ binh Quốc gia Việt Nam)』として再編成され、晴れてベトナムに国軍が創設されました。ベトナム国家衛兵隊はその後、1952年に『ベトナム国軍(Quân đội Quốc gia Việt Nam)』へと改称され、インドシナ平定を目指すフランス連合軍の主力※を担いました。さらにゴ・ディン・ジェム首相が『ベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)』の成立を宣言した1955年、ベトナム国軍は『ベトナム共和国軍(Quân đội Việt Nam Cộng Hòa)』へと改称されます。
 ※私は、第一次インドシナ戦争とはベトナムの独立戦争などではなく、ホー・チ・ミン率いるソ連・中共に支援された共産ゲリラ・ベトミンと、ベトナム政府との内戦だったと捉えています。当時ベトナムでは、国軍の増強にともないベトミン掃討の主力はベトナム国軍にシフトし、フランス軍自体は徐々にインドシナから撤退していったため、ベトナムは名実共に独立国に近付きつつありました。その為、ベトナム独立を志す多くの若者が、ベトミンによる恐怖政治を阻止し、共産主義以外の道でベトナムの独立を達成させるべく国軍に志願していきました。(無論これは親仏政権であることが前提の、フランス連合の枠内での自治権の拡大でしたが、冷戦時代に大国の勢力下にない新興国など存在しえず、東西いずれかの陣営に組するしかないのは、世界中どこでも同じでした。)さらに1955年には、フランスが据えたお飾りの国家元首であった保大帝(バオダイ)をゴ・ディン・ジェム首相が国民投票により追放したことで、ベトナムはフランスから完全独立を果たします。しかしホー・チ・ミンの目的はベトナム人国家の独立ではなく、あくまで共産政権による支配であったため、フランスやアメリカが完全撤退した後も共産軍は支配地域の拡大を続け、1975年のサイゴン陥落までにおびただしい数のベトナム国民がその野望の犠牲となりました。


<将校制帽>
1949年に国軍が設立された当時、被服・装備は植民地軍時代のものをそのまま引き継いでいましたが、あくまで独立国であるため、将校の制帽だけはフランス陸軍/植民地軍のケピではなく、世界的に一般的な官帽(Peaked cap)が採用されました。
陸軍の制帽は、当初はカーキ色の帽体に黒の鉢巻というデザインでした。また階級によってチンコードのデザインは以下に分かれていました。
尉官・佐官: 金モールねじりチンコード
将官: オーク刺繍チンストラップ
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)


その後、50年代中盤になると陸軍の制帽はカーキ帽体にカーキの鉢巻が付くアメリカ陸軍に似たスタイルに変わり、チンコードも以下に変更されました。
尉官・黒革チンストラップ
将官: オーク刺繍チンストラップ
(写真: グエン・ガク・ニョ准将, 1955年サイゴン)







<サイドキャップ>
植民地軍の略帽だったカーキの米軍型サイドキャップは、植民地軍を示す錨の徽章が外され、国軍兵・下士官の制帽として多用されました。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



<ベレー帽>
植民地軍カーキ色コットン生地の熱帯ベレーは、略帽として全階級で広く着用されました。また空挺部隊など独自のベレー帽が制定されている兵科では、正装の際もベレーが制帽として用いられました。
(写真: 空挺群第5空挺大隊の将校たち, 1955年ダナン)



<シャツ制服>
フランス軍のカーキシャツ制服は、全軍・全階級で着用され、戦闘服としても用いられた最も一般的な勤務服でした。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)




<熱帯制服
植民地軍の熱帯用カーキ半袖シャツ・半ズボン制服も、全階級で制服として着用されました。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年ハノイ)





<Mle 46制服
フランス陸軍の1946年型短ジャケット制服(Tenue modèle 46)も勤務服として引き継がれましたが、着用例はあまり多くありません。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



カーキジャケット制服
フランス植民地軍のカーキジャケット制服はベトナム陸軍の制服として採用され、以後20年以上に渡って同様のスタイルの外出服が引き継がれていきました。当時のカーキジャケット制服には、通気性の良いコットン生地と、高品質なウール生地の2種類があります。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)



サファリジャケット>
カーキジャケット制服と同時に植民地軍のサファリジャケット(Saharienne)も制服として採用され、1950年代を通して着用されました。フランス軍では開襟のサファリジャケットはカジュアルな作業着扱いですが、ベトナムでは高温多湿な土地柄、フォーマルな場でも着用されました。
(写真: ゴ・ディン・ジェム首相(当時)とベトナム国軍参謀長グエン・バン・ヒン将軍, 1954年サイゴン)


礼服
フランス植民地軍の白い熱帯礼服も、ベトナム陸軍に将校用礼服として採用されました。礼装用の制帽も、当初は白色の帽体に黒の鉢巻というデザインでした。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)



その後50年代中盤になると、礼装用制帽の鉢巻部分は白色になります。
(写真: ジェム総統による共和国宣言式典に参加するベトナム国軍幹部, 1955年サイゴン)









<儀仗礼服>
カーキシャツ制服と同じ裁断ですが、白い生地で仕立てられたものは儀仗用の礼服として式典の際に儀仗隊に着用されました。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



<皇族大礼服>
当時士官候補生だったバオ・ロン皇太子が着用している皇族用の大礼服です。しかしフランス留学中の1955年に首相ゴ・ディン・ジェムによるクーデターで父親の保大帝(バオダイ)が追放されたため、バオ・ロンはそのままフランスに亡命。その後、バオ・ロンはフランス外人部隊に入隊し、アルジェリア戦争を戦う事となります。
(写真: グエン・フク・バオ・ロン皇太子, 1953年)








1960年頃~1967年

 1960年代に入ると被服の国産化が進み、また新たな同盟国アメリカの影響を受けて軍装も変化していきました。国内情勢としては、1963年11月1日に発生した軍事クーデターによってジェム総統は処刑され、あらたな軍事政権が樹立されます。しかし政権を握った軍部の足並みが揃わず、ズオン・バン・ミン将軍派とグエン・カーン将軍派で互いにクーデターを繰り返し、内政は乱れに乱れました。そして最終的に、グエン・バン・チュー将軍を首班とする軍の若手将官一派が1965年に無血クーデターで政権を握ったことで、混乱はようやく収まります。また、このチュー政権発足により、国軍の正式名は『Quân Lực Việt Nam Cộng Hòa』に改称されました。


<将校制帽>
階級を示すチンストラップとバイザーが以下に変更されました。
尉官: 金モール織りチンストラップ
佐官: 金モール織りチンストラップ+オーク刺繍バイザー
将官: オーク刺繍チンストラップオーク刺繍バイザー
(写真: ベトナム陸軍中佐のポートレート, 1960年代)





<一般兵科将校ベレー帽>
それまでベレーが制定されていなかった一般兵科の将校にも、ベレー帽が略帽として導入されました。
将校ベレー帽の帽体は黒またはオリーブ色でした。
(写真: ファム・バン・ドン少将, 1965年)








一般兵科兵・下士官ベレー帽>
サイドキャップは廃止され、同じく50年代から使用されていたカーキ熱帯ベレーが兵・下士官の制帽となります。
(写真: 制服を支給される新兵, 1964年)




<勤務服>
シャツ制服は引き続き勤務服(Quân phục Làm việc)として広く着用されます。 
(写真: 軍事クーデター翌日のチャン・バン・ドン中将, 1963年サイゴン)




<勤務服>
シャツ勤務服はそれまでの長袖に加えて、半袖型も登場し将校に着用されるようになります。
(写真:空挺師団第1空挺大隊の将校たち1960年代)





<夏季準礼
アメリカ陸軍の影響を受け、勤務服にネクタイを着用する事で夏季準礼服(Quân phục Tiểu Lễ Mùa hè)としても使用されました。
(写真: 第5歩兵師団の勲章授与式, 1963年ビエンホア基地)








<外出服>
植民地軍カーキジャケット制服のデザインを踏襲したカーキ色の制服が外出服(Quân phục Dạo phó)として制定されました。ただし旧制服とは違い、外出服は将校(および士官候補生)のみに着用され、生地もウールが主となりました。
(写真: グエン・カーン軍事政権首脳部と外国軍高官, 1964年サイゴン)



<礼服>
50年代から引き続き、白のジャケット制服が礼服として着用されました。
(写真: グエン・バン・チュー軍事政権首脳部1966年サイゴン)



<大礼服>
1960年頃には詰襟の大礼服(Quân phục Đại Lễ)が制定され、式典で着用されました。しかし1963年にジェム政権が崩壊すると、大礼服はジェムシンパの象徴と見なされていたのか、急に着用例が見られなくなります。
(写真: 総統府別局参謀長レ・ニュー・フン中佐, 1963年頃)









<儀仗礼服>
引き続きシャツ勤務服と同じ裁断の白シャツ制服が衛兵・儀仗兵の礼服として使用されました。
(写真: 統合参謀本部の衛兵, 1961年サイゴン)




<国長大礼服?>
グエン・カーン大将のみ着用している謎の礼服。一見すると通常の大礼服のようですが、襟章は付かず、胸ポケットがあり海軍の白詰襟のようなスタイルです。
(写真: ベトナム共和国国長グエン・カーン大将, 1964年頃?サイゴン)









1967年~1975年

 1967年に憲法が改正され、軍事政権から議会制民主主義に移行した第二共和国期が始ると、軍の徽章・階級章等のデザインも一新されます。またアメリカ軍との共同作戦が活発になり、ベトナム陸軍の軍装もアメリカ陸軍に影響を受け変化していきます。



<将校制帽>
制帽のデザインはそのままで、尉官は帽章が変わったのみですが、佐官と将官用はバイザーとチンストラップのオーク模様が更新さています。
(写真: ホー・ニョック・キュン大佐, 1973~1975年頃)



一般兵科将校ベレー帽
兵・下士官用のカーキベレーは廃止されますが、一般兵科将校の略帽としては引き続き黒またはオリーブ色のベレーが使用されました。
(写真: 国家警察に出向中の陸軍中尉1969年)



<外出服
上着の袖とズボンの両サイドに織りテープが追加され、アメリカ陸軍の夏季制服(Dress summer uniform)を意識したデザインに変更されました。
(写真: チャン・バン・ホン総統と陸軍の幹部, 1975年サイゴン)




<冬季外出服
冬季・寒冷地で着用される外出服です。国内では高地に位置し気温が比較的低いダラット国家軍事アカデミーなど限られた場所でしか見られませんが、研修でアメリカに派遣された陸軍将校は着用例が多数見られます。こちらも通常の外出服と同様、袖とズボンの両サイドに焦げ茶色の織りテープがつき、アメリカ陸軍のAG-44制服に酷似したデザインになっています。
(写真: アメリカ陸軍士官学校留学中のNKT幹部グエン・ファン・トゥー少佐, 1971年ニューヨーク州ウェストポイント)




<礼服
礼服は徽章が変更されたのみで、織りテープは追加されていません。制帽には常勤制帽に順じた階級区分の装飾が付きます。
(写真: ベトナム共和国総統グエン・バン・チュー中将と参謀総長カオ・バン・ビエン大将, 1967年トゥドゥック歩兵学校)








<儀仗礼服>
儀仗礼服も引き続き儀仗・衛兵部隊に使用されました。
(写真: 首都特区隊の衛兵, 1967年以降 サイゴン)










陸軍帽章の変遷

<1949年~1955年>
フランス連合期
バナーの文字は『Quốc gia Việt Nam』




<1955年~1963年>
第一共和国期
共和制移行に伴いバナーの文字が『Việt Nam Cộng Hòa』に変更



<1963年~1964年>
ジェム政権末期
1963年に各軍の帽章のデザインが一新されるが、間もなく発生した軍事クーデターによってジェム政権が崩壊したため、このデザインは短命に終わる






<1964年~1967年>
軍事政権期
クーデター後、1963年制定の帽章は廃止され、変更前のデザインに戻る



<1967年~1975年>
第二共和国期
新憲法施行に伴い、軍の体制を大幅に改革
帽章や階級章なども改定される





陸軍階級章の変遷



<1949年~1955年>
フランス連合期
階級章は植民地軍時代のものをそのまま引き継いでいるため、当時のフランス陸軍と同じシステムとなっています。
(図は現在のフランス陸軍の肩章。当時兵・下士官に肩章は設定されていない)



<1955年~1967年>
第一共和国期
フランス連合脱退に伴い、ベトナム共和国軍独自の階級システム・デザインが制定されました。









<1967年~1975年>
第二共和国期
軍の改編に伴い階級章のデザインも一新されました。
またこの際、准将・総将(元帥)の位も新設されました。











おまけ

先日ついに、ベトナム陸戦水軍(TQLC, いわゆる海兵隊)制服のカラー写真を発見しました!
TQLCの外出服(ジャケット制服)の写真は極めて少なく、僕はまだこの写真を含めて2枚しか確認できていません。うっひょ~!超うれしい!!

▲FMT(外国軍研修生)としてアメリカ留学中のTQLC中尉(右), 1969年ニューヨーク

TQLCはもともと、第一次インドシナ戦争中の1952年にベトナム海軍歩兵大隊として発足し、1956年に『陸戦水軍(Thủy Quân Lục Chiến)』へと改称。
その後1965年に海軍から独立し、TQLC旅団/師団として統合参謀本部直属の総合予備部隊へと発展しました。
このようにTQLCは元々海軍の一部門であったため、独立兵科となる以前は海軍と同じ制服を着用し、帽章・階級章のみTQLC独自のものを使っていました。
(写真: 海軍TQLC士官TQLC初代司令官レ・ニュー・フン中佐(中央), 1957年12月)


各士官学校の大礼服については過去記事『士官候補生の礼装』参照

  


2016年02月27日

食器と配膳


先日、近々予定しているイベントで食事をどうするか話題になったので、パソコンに保存してある画像を見直し、ベトナム共和国軍の野外での食事風景の代表的なパターンをまとめてみました。


米軍式メスキット

当時の写真を見ると、野外での配膳はこうして鍋or寸胴で炊いた(乾燥米の場合はお湯で戻した)お米やスープを、各自の米軍式メスキットに盛り付けている様子が数多く見うけられます。
1960年代以降では、多分これが最もポピュラーなスタイルだったと思います。

▲日時不明

▲ジェム政権への軍事クーデター 1963年11月サイゴン

トゥドゥック歩兵学校の予備士官候補生 1960年代末~1970年代



飯ごう(ドイツ軍式メスキット)

数は少ないですが、飯ごうを使って食事している写真が何点かあります。それらを見ると、お米が盛り付けられていますが、これらが飯ごうで炊いたか、鍋から配膳したものなのかは不明です。
飯ごうというと日本ではご飯を炊くものと考えられていますが、飯ごうという器具がヨーロッパ発祥である事からも分かるように、本来は単なる個人携帯用の食器セットであり、炊飯を目的とした器具ではありません。
飯ごうで炊飯するのは日本軍独自の(アジアでも異色な)文化であり、1954年までフランス軍の一部であったベトナム共和国軍に、飯ごう炊爨の文化があったかは疑わしいと思っています。
※うちの調理班長どのより情報を頂きました。日本ではお米は通常『炊き干し法』で炊かれるため飯ごう炊爨に適していますが、東南アジアではお米を大量の水で煮て、米に火が通ったらお湯を捨てて笊で蒸らす『湯取り法』が一般的であるため、飯ごうで炊飯したとは考えにくい、との事です。

▲ドンジェ軍校の予備士官候補生 1972年



お皿
大型テントを設置するような野営地では、炊事部隊も大規模なので食器が少し豪華になるようです。
生鮮食品を冷蔵して運搬したとは考えづらいですが、それでも行軍中よりは食事内容がいくらかマシになってると思います。

▲国家警察野戦警察隊(CSDC)の野営地にて



メストレー

士官学校・訓練センターにおける野外訓練では米軍式メスキットを使った食事風景をよく見ますが、それと同じくらいメストレーでの配膳も多く見られます。
メストレーは基地内の食堂で広く使われましたが、訓練センターではさらに屋外での給食にも使用されたようです。
訓練センターには大規模な調理施設が常設されている事から、もしかしたら食堂と変わらない献立もあったかもしれません。

トゥドゥック歩兵学校の予備士官候補生 1960年代末~1970年代




戦闘糧食の代用品計画

話は変わって、僕はだいぶ前から当時ベトナム共和国軍で食されていた乾燥米を主食とする戦闘糧食(コンバット・レーション)を再現すべく、いろいろ当たってはいるのですが、代用に適した乾燥米がなかなか見つかりません。
ジャポニカ米の乾燥米なら簡単に入手できますが、どうせならベトナムらしく、ちゃんとインディカ米のを食べたいんです。
でもインディカ米の乾燥米は、日本はおろか、タイのスーパー・デパートを探し回っても全く売っていませんでした。タイ人に聞いても、そんなの売ってるの見た事ないそうです。
お湯で作るライススープが売ってたので試しに買ってみましたが、最初から米粒に味付けされているので、お米だけだとしょっぱくて食べれませんでした。
そんな中、唯一の候補として考えていたのが、楽天市場で売ってた『タイの台所 Rice Now!』というシリーズ。
乾燥ジャスミン米にレトルトのソースをかけてレンジで5分で食べられる物で、この商品の乾燥米の部分だけを取り出してレーションの代用品にしようかと考えていました。
しかしお米だけ使うには微妙に割高だったので二の足踏んでいるうちに、この商品自体が廃盤になってしまいました。あらら
という訳で、代用品計画は現在頓挫しているところです。。。

いや、待てよ・・・。この文章書いてて今ふと気が付きました。
もしこのベトナム共和国軍レーションが、CISO発注のPIRレーションのように日本製だったとしたら、乾燥米に使われていた米はジャポニカ米だった可能性もあるんじゃないか?
だったら簡単に手に入るじゃん。全て解決する。
う~ん、でもベトナム軍レーションもPIRレーションも、実物確認した事無いから分からない。レプリカじゃ信用出来ないし。
どなたか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうか教えてくださいm(_ _)m
  


2016年01月31日

期待の新作

先日FacebookのEA公式アカウントがチラッと公開した写真


待ってましたーーー!
多分最初は米軍TCUを作るんだろうけど、この生地(ノンリップ)は米軍ではほとんど使われなかったんだから、最終的にはあれを作ってくれるに違いない!(と思いたい)
その服さえあれば60年代末のベトナム軍がほとんど何でも出来ちゃうんだから!

BĐQ (レンジャー)

SĐND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (偵察中隊)

LĐNN (海軍潜水工作隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術総局)

まだ公式発表は何も無いけど、勝手に期待しています。ワクワク




思い起こせば、2008年に初めて本栖のイベント(当時はMVG2008)に参加した時も、2ポケERDL(東京ファントム製)着てた。
単純に見た目のカッコ良さ的にも、ERDLは僕が一番好きな迷彩柄なんです。


プロジェクト・デルタ (LLĐB第81空挺コマンド大隊)のつもり
  


2016年01月17日

ボタン比較

柄にもなく、真面目に手持ちのベトナム共和国軍作戦服(戦闘服)の実物ボタンと、各社のレプリカのボタンを比較してみました。

※出来るだけ目で見た色味に近付くよう調整しましたが、それでも照明やモニター等の環境によって色は違って見えます。
※ボタンを外してまで正確に測る気はなかったので、厚みはなるべく厚そうな部分にノギスをつっこんで測った数値です。


今のところ、過去にチャーリーさんが制作した2ポケット緑色(肩当付き)作戦服に付いていたボタンが一番出来が良いと思います。
こうして並べてみると若干黄緑色が強い気もしますが、単体で見れば区別つかないレベル。なので僕はこのボタンを実物作戦服の補修用に使っています。
ただしチャーリー製作戦服はだいぶ昔に販売終了してますし、ボタン単体では出回ってないので入手困難です。
なので僕は長らく、色形の似たボタンということでMASHさんの米軍OG-107作業服用ボタンをメインの代用品として使ってきました。
しかしこのOG-107ボタンはパッと見違和感はありませんが、やはりよく見ると色味はベトナム軍のグリーン色と言うよりはOD色ですし、形も中心部が膨らんでいるので、その部分は妥協するしかありませんでした。
ところが一昨年、ついにクラッシファイドさんより2ポケット作戦服のレプリカが発売され、そのボタンも単体で買えるようになりました!→RVN 南ベトナム軍 ユニフォーム用 OD ボタン 20個セット レプリカ新品【DM便可】
現在唯一入手可能なベトナム軍ボタンのレプリカであり、補修や改造に大変重宝しています。ありがたや、ありがたや


しっかし、こうして見るとベトナム軍作戦服のレプリカって意外と多くのメーカーが作ってるんですね。
上記の他にもアメリカやフランス、香港、台湾などのメーカーからも発売されていましたし。
よくよく考えると、レプリカ軍服の豊富さで言えばベトナム軍は、軍装趣味の王道であるアメリカとナチス・ドイツの次くらいに恵まれているのかも。
まして同じインドシナ諸国でも、ラオスやカンボジアの軍服が商品化される見込みは皆無だし。
ラオス王国軍は出たら必ず買うんだけどなぁ。



おまけ (またいつもように、ただYoutube動画を貼るだけ)


▲ベトナム共和国海軍の訓練・教育とその指導に当たる米海軍軍事顧問 (1962年9月2日)
第一共和国(ジェム政権)期の海軍の動画はかなり珍しいと思います。


▲第25歩兵師団の戦闘 (ハウギア省, 1972年11月13日)


▲ベトコンによる国立報道センター爆弾テロ事件 (サイゴン, 1970年2月10日)


▲FSBダクトの砲兵とレンジャー部隊 (コントゥム省ダクト・トゥカイン, 1970年4月14日)


▲クアンチの戦い (クアンチ省クアンチ, 1972年8月7日)


▲カンボジア領内で作戦中のレンジャー部隊 (クメール共和国Krek, 1971年11月27日)


▲パトロール中の装甲騎兵部隊 (タイニン省, 1973年1月21日)
M48戦車を装備していることから、歩兵師団付きの騎兵大隊ではなく、軍団付き騎兵旅団の騎兵大隊(独立戦車大隊)のようです。