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2017年03月27日

ブラッドケーキ/ブラッシュ迷彩

 先日ベトナム海兵隊のタイガーストライプ迷彩について書きましたが、タイガーストライプと同じく1960年代初頭から使用され始め、ベトナム共和国軍を代表する迷彩服としてタイガーストライプと双璧を成していたのが『ブラッドケーキ』または『ブラッシュ』と呼ばれる迷彩服でした。(これらの呼び名はマニア間での通称であり、当時のベトナム軍における呼び名ではありません。) 今回はこのブラッドケーキ迷彩服について、当時の写真を交えながらご紹介します。



ブラッドケーキ迷彩の起源

 愛好家・コレクターの間では、ベトナム軍ブラッドケーキ迷彩の源流は第2次大戦中に開発されたイギリス陸軍の迷彩ウィンドプルーフスモックにあると考えられています。

Smock, Windproof, Camouflaged: British Army© IWM (UNI 4081)

 このウィンドプルーフスモックは第2次大戦中、ギリス軍の指導の下組織された自由フランス軍SASにデニソンスモック等の英軍装備と供与されており、さらに大戦後は米英軍の支援の下再建中のフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に供与され、スモックだけでなく同じ生地で作られたジャケットやパンツも生産されました。
 時を同じく、1946年に第1次インドシナ戦争が勃発すると、このウィンドプルーフ系迷彩服はインドシナ派遣部隊(CEFEO)の各空挺部隊にも支給されます。さらに1948年からは植民地軍のインドシナ人空挺中隊(CIP)に、1951年からはフランス連合の枠内で独立したベトナム、ラオス、カンボジア各国の空挺部隊でも使用されるようになります。



ウィンドプルーフ迷彩スモック、パンツを着用したCEFEO第6空挺植民地大隊CIPのベトナム人兵士[1952年11月1日]


国産化

 こうしてウィンドプルーフ系迷彩服はベトナム共和国軍へと受け継がれていった訳ですが、ジュネーブ協定後の1950年代後半になるとウィンドプルーフ迷彩の使用例は急激に減少します。なぜならフランス連合軍はベトナムから撤退する際、これから部隊に支給するはずだった新品の空挺部隊用リザード系迷彩服(TAP47系、TTA47系)を大量に南ベトナムに置いて帰ったため、ベトナム軍空挺部隊の使用する迷彩服はそれら新品のリザード系だけで十分となり、古いウィンドプルーフ系を着る必要がなくなってしまったからです。
 しかし、当然ながらフランス軍が残していったリザード系迷彩服の数にも限りがあり、訓練や戦闘で消耗されればいずれ迷彩服が不足する事は明白でした。その為ベトナム軍は空挺部隊向け新型国産迷彩服の開発を進めていきます。こうして生まれたのが、ウィンドプルーフ迷彩を基に開発されたブラッドケーキ迷彩服でした。
 このブラッドケーキ迷彩服の裁断は、海兵隊タイガーストライプや、その発展型であるベトナム軍共通の作戦服とは異なる独特のものでした。この服は空挺部隊向けの作戦服である為、空挺降下時に着用する事を念頭に設計されています。海兵隊式と違い、降下時に風圧で空気が服の中に入ってバタついたり、装備・ベルト類が引っかからないよう、前合わせやポケットのフラップが隠しボタンになっているのが大きな特徴でした。また、迷彩パターンだけでなく、ウィンドプルーフスモック本来の防風性も受け継ぎ、風を通しにくい生地が使われていました。なお、パンツは概ね海兵/一般と同じく米軍ユーティリティ式の貼り付けポケットで、カーゴポケット有り・無しが存在していました。

 しかし残念ながら、僕はまだブラッドケーキ迷彩服がいつごろ開発されたのか、詳しい情報はつかめていません。僕が写真で着用を確認している最も古い時期は、1962年になります。もっと古くからあるよ!という情報をお持ちの方、是非ご連絡下さい!
 
ブラッドケーキ迷彩服を着用し降下訓練に臨む空挺旅団兵士[1962年]

 またブラッドケーキ迷彩服は1960年代初頭から60年代末まで10年近く使用された服であるため、いくつかバリエーションが存在します。以下は、僕が写真で確認しているもののまとめになります。

2ポケット
おそらく最初に生産されたブラッドケーキ迷彩服の裁断。大きめの胸ポケットと隠しボタンの前合わせが特徴。ポケットのマチ、TTA47のような肩当て補強、エポレットはそれぞれ有り・無し両方が見受けられます。

[1963-1964年?]


ライセンス企業Alamyではこの写真の撮影年を1973年と記載していますが、僕の見立てでは1964~1966年頃だと思います。


◆小2ポケット
大ポケットの簡略型と考えられており、海兵/一般部隊向け裁断のようにポケットが小さくなっています。またエポレット無しタイプもちらほら見受けられます。※2017年4月1日訂正

ム政権への軍事クーデターに参加した空挺旅団兵士[1963年11月サイゴン ザーロン宮殿]


◆隠しジッパーポケット改造
胸ポケットの内側にさらにTAP47系降下服のような隠しジッパーポケットを追加した改造モデル。大ポケット、小ポケット共にこの改造が行われた模様です。

同じくAlamyでは1973年撮影としていますが、個人装備からして1964~1966年頃だと思います。

僕が持っている香港製のリプロは、このタイプを再現したものです。新品だとコントラストが高すぎて別物みたいですね。リアルにするには全体がグレーっぽくなるまで退色させる必要がありますが、失敗すると取り返しのつかないリスキーな作業になるので、まだ踏み出す勇気が出ません。


◆TCU(1stパターン)裁断
その名の通りアメリカ軍のTCU(熱帯戦闘服)を模した裁断です。空挺部隊ではなく、主に特殊部隊(LLĐB)で着用されていました。どちらも空挺作戦を行うエリート部隊でしたが、フランス軍によって創設された空挺部隊とは異なり、LLĐBは1950年代末からアメリカ軍特殊部隊によって育成された組織であるため、米軍グリーンベレーに倣って緑色のベレーを採用するなど、米軍からの影響をより色濃く受けていたようです。

CIDGキャンプ訪れたベン・ハレル米陸軍中将の激励を受けるベトナム軍LLĐB隊員[1964年11月]


1960年代後半

 1960年代後半になると、ベトナム陸軍のエリート部隊全体で米国の民間ハンター向け迷彩パターンをコピーした『シビリアンリーフ』迷彩が作戦服に採用され、空挺師団ではブラッドケーキからシビリアンリーフへの切り替えが始まります。さらに1967年には、米軍の新型TCU迷彩『ERDL』パターンが、海兵隊を含むベトナム軍エリート部隊共通の迷彩服として採用されます。その後も1969年からは国産の新型迷彩『レンジャー/エアボーン』パターンの配備が進められ、ベトナム軍の迷彩服は一気に様変わりしていきます。
 とは言え、数万人の兵士の迷彩服を一度に更新する事は不可能であり、徐々に切り替えが進められたため、前線部隊でのブラッドケーキ迷彩の着用例は1968年頃まで見受けられます。また自費でブラッドケーキ迷彩服をテーラーメイドした将校たちは、新型迷彩が採用された後も手持ちの迷彩服を着続けたので、あまり前線に出る事のない司令部や後方勤務者は1970年頃になってもブラッドケーキ迷彩服を着ている事がありました。

空挺師団第5空挺大隊の中尉[1967年]

テト攻勢の最中の空挺師団兵士 [1968年サイゴン]
この時期、空挺師団ではERDL迷彩が一般的となっており、一部ではレンジャー/エアボーン迷彩の支給も始まっていました。


高級将校の仕立服

高級将校は自費で迷彩服をテーラーで仕立てるため、服の裁断はある程度個人の好みで作られます。そのため、高級将校の着ている迷彩服の裁断は、一般兵に支給されていたものとは異なる可能性がある事に留意する必要があります。

2ポケット
高級将校であっても多くの場合、(仕立服だとは思いますが)一般的な2ポケット型のブラッドケーキを着ています。ただし官給品とは違い、殆どの場合でエポレットや肩当は省略される事なく備わっています。

カオ・バン・ビエン少将(当時) (写真左) [1965年10月]


ゴ・クアン・チュウン少佐(当時)(写真中央)と空挺師団付き米陸軍アドバイサー ウェスト大尉(写真左) [1964年8月]


◆TCU(1stパターン)裁断

 
ド・カオ・チ中将[1960年代中盤]
チ中将の出身部隊である空挺師団ではTCU型ブラッドケーキはほとんど見られませんが、当時チ中将は軍団司令なので米軍式の服も作ったようです。


2ポケット/前合わせボタン露出

トン・タット・ディン中将[1963年11月]
胸ポケットは隠しボタンのままですが、前合わせだけボタンが露出しています。隠しボタンは降下服としての実用性を目的とするものなので、それが取り払われたこの服は、実際に空挺降下をする事はない高級将校専用の服と言えそうです。


小2ポケット/胸ポケットボタン露出

 
グエン・チャン・チ少将[1965年ダナン]
上の中将の服とは逆に、胸ポケットだけボタンが露出しているタイプ。また、仕立服でありながらエポレットを備えていないのも珍しいです。


※2017年4月1日追記
◆大2ポケット前合わせ・胸ポケットボタン露出

グエン・カーン中将(当時)(写真左) [1964年サイゴン]
前合わせと胸ポケット両方のボタンが露出し、エポレット無しという、海兵/一般部隊向けとほぼ同じ裁断になっています。


※2017年3月29日追記
◆大4ポケット/胸ポケットボタン露出

グエン・バン・チュー中将(写真左) [1966年]
(TCU型を除いて)珍しい4つポケットのタイプです。ウエスト周りには降下時の空気の侵入を防ぐドローコードが見受けられます。チュー中将の出身部隊は空挺ではありませんが、降下資格は持っていますし、当時空挺科幹部の独壇場だった軍事政権の中で新たな政権を発足させたチューですから、空挺科に舐められないよう、服で箔をつけるという目的があったのかも知れません。
  


2017年01月09日

ベトナム空挺の降下作戦1955-1975

 先日ジャンクションシティー作戦について記事を書きましたが、ジャンクションシティー作戦と言えばベトナム戦争中アメリカ軍が行った唯一のエアボーン作戦として有名ですよね。一方、第1次インドシナ戦争中に40回以上のエアボーン作戦に参加していたベトナム空挺部隊(フランス植民地軍時代含む)は、ベトナム戦争においても度々エアボーン作戦を実施していました。以下は1955年から1975年までにベトナム共和国軍が行ったエアボーン作戦の概要です。


ベトナム共和国軍空挺部隊のエアボーン作戦

空挺部隊が降下した地点
黒が陸軍空挺部隊(Binh Chủng Nhẩy Dù)
青がマイクフォース(Lực lượng xung kích cơ động)

 ヘリコプターの性能向上によってヘリボーンによる迅速な展開・強襲が可能になったことから、第1次インドシナ戦争期と比べるとエアボーン作戦の回数はかなり少なくなりましたが、それでも大規模な戦闘降下作戦は少なくとも13回は実施されたようです。
 なお、マイクフォースは特殊部隊の指揮下にありましたが、マイクフォース自体は小人数で偵察や破壊工作を行うコマンド部隊ではなく、中隊規模以上の戦力でエアボーンまたはヘリボーンによる強襲を行大規模な空中機動部隊でした。

日付: 1955年9月23日・24日
降下部隊: 空挺群
目的: ビンスェン派の掃討
領域: ベトナム共和国ジアディン省ズンサック

日付: 1962年3月5日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 守備隊の支援
領域: ベトナム共和国タイニン省ボートゥック

日付: 1962年7月14日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 待ち伏せ攻撃の支援
領域: ベトナム共和国ジアディン省サイゴン北部

日付: 1963年1月2日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 第7歩兵師団の支援(アプバクの戦い)
領域: ベトナム共和国ディントゥオン省アプバク

日付: 1965年8月3日
降下部隊: 空挺旅団
目的: ドゥッコー特殊部隊キャンプ奪還の支援
領域: ベトナム共和国プレイク省ドゥッコー

日付: 1965年11月
降下部隊: 空挺旅団
目的: 解放戦線部隊への強襲
領域: ベトナム共和国ビンディン省アンケー

日付: 1966年3月3日
降下部隊: 空挺師団
目的: 敵部隊への強襲
領域: ベトナム共和国フーイェン省ソンコウ

日付: 1966年12月27日
降下部隊: 空挺師団
目的: 解放戦線支配地域中心部の強襲
領域: ベトナム共和国チュンティエン省

日付: 1967年4月2日
降下部隊: 特殊部隊第5MSFC(第5マイクフォース), 第1MSF大隊, 第2・第3中隊
作戦: ハーヴェスト・ムーン作戦
兵員: 356名
領域: ベトナム共和国クアンドゥック省
降下地点: Bu Prang CIDG訓練キャンプ
航空機: C-130輸送機
降下方法: 昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ

日付: 1967年5月13日午前6時
降下部隊: 特殊部隊第5MSFC(第5マイクフォース), 第1MSF大隊, 第3・第4・第5中隊および4.2インチ迫撃砲小隊
作戦: ブラックジャック作戦
兵員: 486名
領域: ベトナム共和国チャウドゥック省バイニュー
降下地点:バイニュー付近の水田
降下方法:  昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ, 高度200mより水田上に降下

日付: 1967年10月5日
降下部隊: 特殊部隊第2MSFC(第2軍団マイクフォース)第2MSF大隊, 第24中隊・第25中隊
作戦: ブルーマックス作戦
兵員: 250名
領域: ベトナム共和国クアンドゥック省
降下地点: Bu Prang CIDG訓練キャンプ
降下方法:  昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ

日付: 1968年11月17日
降下部隊: 空挺師団
目的: 特殊部隊による掃討作戦の支援
領域: ベトナム共和国チャウドゥック省バイニュー

日付: 1972年5月4日
降下部隊: 空挺師団
目的: 進軍ルート(チューパオ・パス)の確保
領域: ベトナム共和国コントゥム省チューパオ


ベトナム共和国軍特殊部隊の越境エアボーン潜入作戦

▲NKTのコマンド部隊がエアボーンによって潜入した地点
北ベトナム領だけで少なくとも30カ所に上る。(南カリフォルニアNKTアソシエーション資料より)

  特殊部隊が敵地に潜入するために行う小人数のエアボーン降下は、空挺部隊が行ったものよりもはるかに多くの回数が実施されました。また潜入のための降下作戦は、低高度を飛行する輸送機から順に飛び出す通常のスタティックラインジャンプだけでなく、潜入作戦という都合上、より隠密性を高めるためにHALO(高高度降下低高度開傘)を、しかも夜間に行っていた点が通常の空挺部隊とは大きく異なっていました。
 ベトナム共和国軍特殊部隊による北ベトナムへの越境潜入は、1961年に開始されたパラソル・スイッチバック作戦に始まります。作戦はアメリカ軍MAAGベトナムおよびCIAによって指揮され、ゴ・ディン・ジェム総統直属の特殊作戦機関『地理開拓局(後のLLĐB)』がその実行に当たりました。この作戦はコマンド隊員が北ベトナムまたはラオス領内にエアボーン降下で潜入した後、民間人に成りすまして敵支配地域内に長期間潜伏し、諜報および破壊活動を行うという大規模なスパイ工作でした。そのため潜入要員は南ベトナムから来た者だと悟られないよう北部出身のベトナム人はたはヌン族の兵士が選抜されました。
 ゴ・ディン・ジェム政権崩壊後の1964年、ベトナム共和国軍特殊部隊LLĐBの対外工作部門(第45室)はLLĐBから分離され、新たに参謀総本部直属の特殊作戦機関SKT(後のNKT)として再編されます。そしてそのSKT/NKTが行う対外作戦の立案・指揮をアメリカ軍MACV-SOGおよびCIAが担っていきます。以後、MACV-SOGが計画しNKTが実行した越境作戦は大きく分けて2系統ありました。

OP-34 / OP-36 ※1967年12月にOP-34からOP-36に改称
敵性地域内での直接的なサボタージュ工作。米軍SOG-36およびSOG-37が担当。作戦は任務によってさらに三段階に分類される。
・OP-34A / OP-36A: NKT沿岸警備局およびNKT第68群が実行。パラソル・スイッチバック作戦に続く長期または短期潜入・諜報・破壊工作。
・OP-34B / OP-36B: NKT第11群が実行。STRATA(短期監視・目標捕捉)チームによる機動的なロードウォッチ任務
・OP-34C / オペレーション・フォーレ: 心理作戦

OP-35
敵性地域への偵察、破壊活動。NKT連絡部『雷虎』と米軍SOG-35合同のC&C部隊が実行。



※以下は特殊部隊が実施した越境エアボーン潜入作戦の一部ですが、元が秘密作戦だけあって具体的な回数や細かい日付は把握できていないものが多いです。今後資料を見つけ次第加筆修正していきます。

日付:1961年から1964年にかけて複数回
降下部隊: 総統連絡部 地理開拓局北方部 第77群
作戦: パラソル・スイッチバック作戦
領域: 北ベトナム, ラオス
航空機: C-46輸送機

日付:1964年から1967年にかけて複数回
降下部隊: SKT第68群
作戦: OP-34A
領域: 北ベトナム, ラオス

日付:1968年から1973年にかけて複数回
降下部隊NKT第68群
作戦: OP-36A / エルデストサン作戦
目的: 敵の弾薬集積地に潜入し、敵の使う銃弾に爆発物を仕込んだ物を紛れ込ます事で、敵兵に自軍兵器への不信感を抱かせ戦意を削ぐ
領域: 北ベトナム, ラオス, カンボジア
航空機: C-130またはMC-130輸送機
降下方法: 夜間HALO

日付: 1970年11月
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, CCN,  チーム・フロリダ
作戦: OP-35
兵員: 9名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法: 高度6400mより夜間HALO

日付: 1971年2月
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, CCN,  チーム・アラスカ
作戦: OP-35
兵員: 9名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法: 高度6400mより夜間HALO

日付: 1971年4月15日
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, 第1強襲戦闘団, チーム・ワンゼロ
作戦: OP-35
兵員: 4名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法:  高度6400mより夜間HALO

日付:1970年から1971年にかけて13回
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, C&C部隊
作戦: OP-35
領域: 北ベトナム, ラオス, カンボジア
降下方法: スタティックラインジャンプ



おまけ

▲一昨年カリフォルニアでお世話になったレ・ホアン少尉の、
STRATA時代(当時19歳)の写真。

なんか面白い銃持ってますね。


(再現図)

発想としてはシンプルだけど、意外なほど今まで見た事ないパターンだったので目からウロコです。
  


2016年11月19日

ベトナム共和国軍陸軍部隊一覧

また一覧表系。
地方軍、特殊部隊と来たら、正規の陸軍部隊をやらない訳にはいかないですよね。
まだ創設年や支援部隊など調べ切れていない部分はありますが、陸上戦闘部隊に関しては大隊単位まで大体(笑)網羅出来てると思います。

軍団師団旅団・連隊・群大隊・中隊
第1軍団第21機動群 (1953-1954)
第21師団 (1954-1955)
第1歩兵師団 (1955-)
第1歩兵連隊第1歩兵大隊(1/1)
第2歩兵大隊(2/1)
第3歩兵大隊(3/1)
第4歩兵大隊(4/1)
第2歩兵連隊
※11/1971 SD3BBへ異動
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
第3歩兵連隊第1歩兵大隊(1/3)
第2歩兵大隊(2/3)
第3歩兵大隊(3/3)
第4歩兵大隊(4/3)
第51歩兵連隊第1歩兵大隊(1/51)
第2歩兵大隊(2/51)
第3歩兵大隊(3/51)
第4歩兵大隊(4/51)
第54歩兵連隊 (6/1968-)第1歩兵大隊(1/54)
第2歩兵大隊(2/54)
第3歩兵大隊(3/54)
第4歩兵大隊(4/54)
(師団付き)第10砲兵大隊
第11砲兵大隊
第12砲兵大隊
第14砲兵大隊
第7騎兵大隊 (1966-)
第1工兵大隊
第1衛生大隊
第101憲兵中隊
第1偵察中隊
強襲中隊
第32機動群 (1953-1954)
第32師団 (1954-1955)
第2歩兵師団 (1955-)
第4歩兵連隊第1歩兵大隊(1/4)
第2歩兵大隊(2/4)
第3歩兵大隊(3/4)
第4歩兵大隊(4/4)
第5歩兵連隊第1歩兵大隊(1/5)
第2歩兵大隊(2/5)
第3歩兵大隊(3/5)
第4歩兵大隊(4/5)
第6歩兵連隊第1歩兵大隊(1/6)
第2歩兵大隊(2/6)
第3歩兵大隊(3/6)
第4歩兵大隊(4/6)
(師団付き)第20砲兵大隊
第21砲兵大隊
第22砲兵大隊
第23砲兵大隊
第4装甲連隊 (1955-1963)
第4騎兵大隊 (1963-)
第2工兵大隊
第102憲兵中隊
第3歩兵師団 (1971-)第56歩兵連隊第1歩兵大隊(1/56)
第2歩兵大隊(2/56)
第3歩兵大隊(3/56)
第4歩兵大隊(4/56)
第57歩兵連隊第1歩兵大隊(1/57)
第2歩兵大隊(2/57)
第3歩兵大隊(3/57)
第4歩兵大隊(4/57)
第2歩兵連隊 (11/1971-)
※1971年第1歩兵師団より編入
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
(師団付き)第30砲兵大隊
第31砲兵大隊
第32砲兵大隊
第33砲兵大隊
第11騎兵大隊 (1968-)
第3工兵大隊
第3衛生大隊
第103憲兵中隊
(第1軍団レンジャー)第1レンジャー群 (1966-1973)
第12レンジャー群 (1973-)
第21レンジャー大隊
第37レンジャー大隊
第39レンジャー大隊
第11レンジャー群 (1973-)第68国境レンジャー大隊 (1970-)
第69国境レンジャー大隊 (1970-)
第70国境レンジャー大隊 (1970-)
第14レンジャー群 (1973-)第77国境レンジャー大隊 (1970-)
第78国境レンジャー大隊 (1970-)
第79国境レンジャー大隊 (1970-)
第15レンジャー群 (1973-)第60国境レンジャー大隊
第61国境レンジャー大隊(1970-)
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第4軍団より編入
第87国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年 第8レンジャー群に異動
第1騎兵旅団 (1968-)第17騎兵大隊 (1968-)
第20騎兵大隊 (1972-)
(第1軍団砲兵)第1砲兵大隊
第3砲兵大隊
第44砲兵大隊
第64砲兵大隊
第101砲兵大隊
第102砲兵大隊
第105砲兵大隊
第1憲兵大隊
第1海軍管区
第1空軍師団
第2軍団第2軽師団 (1955-1956)
第4軽師団 (1955-1956)
第12軽師団 (1956-1959)
第14軽師団 (1956-1959)
第22歩兵師団 (1959-)
第40歩兵連隊第1歩兵大隊(1/40)
第2歩兵大隊(2/40)
第3歩兵大隊(3/40)
第4歩兵大隊(4/40)
第41歩兵連隊
※1973年 SD23BBへ異動
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第24特殊戦団
第42歩兵連隊 (1969-)
※1969年SD22BBへ編入
第1歩兵大隊(1/42)
第2歩兵大隊(2/42)
第3歩兵大隊(3/42)
第4歩兵大隊(4/42)
第47歩兵連隊第1歩兵大隊(1/47)
第2歩兵大隊(2/47)
第3歩兵大隊(3/47)
第4歩兵大隊(4/47)
(師団付き)第220砲兵大隊
第221砲兵大隊
第222砲兵大隊
第223砲兵大隊
第14騎兵大隊 (1968-)
第22工兵大隊
第22衛生大隊
第22偵察中隊
第5軽師団 (1955-1956)
第15軽師団 (1956-1959)
第23歩兵師団 (1959-)
第41歩兵連隊
※1973年 SD22BBより編入
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第44歩兵連隊第1歩兵大隊(1/44)
第2歩兵大隊(2/44)
第3歩兵大隊(3/44)
第4歩兵大隊(4/44)
第45歩兵連隊第1歩兵大隊(1/45)
第2歩兵大隊(2/45)
第3歩兵大隊(3/45)
第4歩兵大隊(4/45)
第53歩兵連隊第1歩兵大隊(1/53)
第2歩兵大隊(2/53)
第3歩兵大隊(3/53)
第4歩兵大隊(4/53)
(師団付き)第230砲兵大隊
第231砲兵大隊
第232砲兵大隊
第233砲兵大隊
第8騎兵大隊 (1966-)
第23工兵大隊
第23偵察中隊
第23政治戦中隊
第2騎兵旅団 (1971-)第19騎兵大隊 (1971-)
第21騎兵大隊 (1972?-)
(第2軍団砲兵)第4砲兵大隊
第37砲兵大隊
第63砲兵大隊
第69砲兵大隊
第103砲兵大隊
(第2軍団レンジャー)第2レンジャー群 (1966-1973)
第23レンジャー群 (1973-)
第11レンジャー大隊
第22レンジャー大隊
第23レンジャー大隊
第21レンジャー群 (1973-)第72国境レンジャー大隊 (1970-)
第89国境レンジャー大隊 (1970-)
第96国境レンジャー大隊 (1971-)
第22レンジャー群 (1973-)第62国境レンジャー大隊 (1970-)
第88国境レンジャー大隊 (1970-)
第95国境レンジャー大隊 (1970-)
第24レンジャー群 (1973-)第63国境レンジャー大隊 (1970-)
第81国境レンジャー大隊 (1970-)
第82国境レンジャー大隊 (1970-)
第25レンジャー群 (1973-)第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第90国境レンジャー大隊 (1970-)
?第71国境レンジャー大隊 (1970-)
?第80国境レンジャー大隊 (1970-)
第2憲兵大隊
第2海軍管区
第2空軍師団
第6空軍師団
第3軍団第6軽師団 (1955-1956)
第3野戦師団 (1956-1959)
第5歩兵師団 (1959-)
第7歩兵連隊第1歩兵大隊(1/7)
第2歩兵大隊(2/7)
第3歩兵大隊(3/7)
第4歩兵大隊(4/7)
第8歩兵連隊第1歩兵大隊(1/8)
第2歩兵大隊(2/8)
第3歩兵大隊(3/8)
第4歩兵大隊(4/8)
第9歩兵連隊第1歩兵大隊(1/9)
第2歩兵大隊(2/9)
第3歩兵大隊(3/9)
第4歩兵大隊(4/9)
(師団付き)第50砲兵大隊
第51砲兵大隊
第52砲兵大隊
第53砲兵大隊
第1装甲連隊 (1955-1963)
第1騎兵大隊 (1963-)
第5工兵大隊
第5偵察中隊
第10歩兵師団 (1965-1967)
第18歩兵師団 (1967-)
第43歩兵連隊第1歩兵大隊(1/43)
第2歩兵大隊(2/43)
第3歩兵大隊(3/43)
第4歩兵大隊(4/48)
第48歩兵連隊第1歩兵大隊(1/48)
第2歩兵大隊(2/48)
第3歩兵大隊(3/48)
第4歩兵大隊(4/48)
第52歩兵連隊第1歩兵大隊(1/52)
第2歩兵大隊(2/52)
第3歩兵大隊(3/52)
第4歩兵大隊(4/52)
(師団付き)第180砲兵大隊
第181砲兵大隊
第182砲兵大隊
第183砲兵大隊
第5騎兵大隊 (1963-)
第18工兵大隊
第18偵察中隊
第18憲兵中隊
第25歩兵師団 (1962-)第46歩兵連隊第1歩兵大隊(1/46)
第2歩兵大隊(2/46)
第3歩兵大隊(3/46)
第4歩兵大隊(4/46)
第49歩兵連隊第1歩兵大隊(1/49)
第2歩兵大隊(2/49)
第3歩兵大隊(3/49)
第4歩兵大隊(4/49)
第50歩兵連隊第1歩兵大隊(1/50)
第2歩兵大隊(2/50)
第3歩兵大隊(3/50)
第4歩兵大隊(4/50)
(師団付き)第250砲兵大隊
第251砲兵大隊
第252砲兵大隊
第253砲兵大隊
第10騎兵大隊 (1966-)
第25工兵大隊
第25通信大隊
第25偵察中隊
第3強襲団 (1974-)第3騎兵旅団 (1970-)第15騎兵大隊 (1968-1974)
第315戦闘団 (1974-)
第18騎兵大隊 (1968-1974)
第318戦闘団 (1974-)
第22騎兵大隊 (1974?)
第322戦闘団 (1974-)
第33レンジャー群 (1973-)第64国境レンジャー大隊 (1970-)
第83国境レンジャー大隊 (1970-)
第92国境レンジャー大隊 (1970-)
(第3軍団レンジャー)第3レンジャー群 (1966-1973)
第31レンジャー群 (1973-)
第31レンジャー大隊
第36レンジャー大隊
第52レンジャー大隊
第5レンジャー群 (1966-1973)
第32レンジャー群 (1973-)
第30レンジャー大隊
第33レンジャー大隊
第38レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1974年総合予備部隊へ異動
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第65国境レンジャー大隊 (1970-)
第73国境レンジャー大隊 (1970-)
第74国境レンジャー大隊 (1970-)
第84国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第8レンジャー群へ異動
第91国境レンジャー大隊 (1970-)
第97国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
(第3軍団砲兵)第4砲兵大隊
第61砲兵大隊
第104砲兵大隊
第3憲兵大隊
第3海軍管区
第3河川管区
第3空軍師団
第5空軍師団
第4軍団第7機動群 (1953-1955)
第7軽師団 (1955-1956)
第7野戦師団 (1956-1959)
第7歩兵師団 (1959-)
第10歩兵連隊第1歩兵大隊(1/10)
第2歩兵大隊(2/10)
第3歩兵大隊(3/10)
第4歩兵大隊(4/10)
第11歩兵連隊第1歩兵大隊(1/11)
第2歩兵大隊(2/11)
第3歩兵大隊(3/11)
第4歩兵大隊(4/11)
第12歩兵連隊第1歩兵大隊(1/12)
第2歩兵大隊(2/12)
第3歩兵大隊(3/12)
第4歩兵大隊(4/12)
(師団付き)第70砲兵大隊
第71砲兵大隊
第72砲兵大隊
第73砲兵大隊
第6騎兵大隊 (1963-)
第7工兵大隊
第7衛生大隊
第7通信大隊
第7偵察中隊
第107憲兵中隊
第9歩兵師団 (1962-)第14歩兵連隊第1歩兵大隊(1/14)
第2歩兵大隊(2/14)
第3歩兵大隊(3/14)
第4歩兵大隊(4/14)
第15歩兵連隊第1歩兵大隊(1/15)
第2歩兵大隊(2/15)
第3歩兵大隊(3/15)
第4歩兵大隊(4/15)
第16歩兵連隊第1歩兵大隊(1/16)
第2歩兵大隊(2/16)
第3歩兵大隊(3/16)
第4歩兵大隊(4/16)
(師団付き)第90砲兵大隊
第91砲兵大隊
第92砲兵大隊
第93砲兵大隊
第2装甲連隊 (1955-1963)
第2騎兵大隊 (1963-)
第9工兵大隊
第9衛生大隊
第9通信大隊
第9憲兵中隊
第9偵察中隊
第11歩兵連隊 (1954-1955)
第1軽師団 (1955-1956)
第3軽師団 (1955-1956)
第11軽師団 (1956-1959)
第13軽師団 (1956-1959)
第21歩兵師団 (1959-)
第31歩兵連隊第1歩兵大隊(1/31)
第2歩兵大隊(2/31)
第3歩兵大隊(3/31)
第4歩兵大隊(4/31)
第32歩兵連隊第1歩兵大隊(1/32)
第2歩兵大隊(2/32)
第3歩兵大隊(3/32)
第4歩兵大隊(4/32)
第33歩兵連隊第1歩兵大隊(1/33)
第2歩兵大隊(2/33)
第3歩兵大隊(3/33)
第4歩兵大隊(4/33)
(師団付き)第210砲兵大隊
第211砲兵大隊
第212砲兵大隊
第213砲兵大隊
第9騎兵大隊 (1966-)
第21工兵大隊
第4騎兵旅団 (1969-)第12騎兵大隊 (1968-)
第16騎兵大隊 (1968-)
(第4軍団砲兵)第47砲兵大隊
第67砲兵大隊
第68砲兵大隊
第4軍団レンジャー第4レンジャー群 (1966-)
※1974年総合予備部隊へ異動
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊
第66国境レンジャー大隊 (1970-)
第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第75国境レンジャー大隊 (1970-)
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第7レンジャー群へ異動
第86国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第8レンジャー群へ異動
第93国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第15レンジャー群へ異動
第98国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
第4憲兵大隊
第4海軍管区
第5海軍管区
第4河川管区
第4空軍師団
首都特別管区隊(儀仗部隊)
第6憲兵大隊
(総合予備部隊)GAP3 (1954-1955)
空挺群 (1955-1959)
空挺旅団 (1959-1965)
空挺師団 (1965-)
第1空挺旅団第1空挺大隊 (1951-)
第8空挺大隊 (1961-)
第9空挺大隊 (1965-)
第1砲兵大隊 (1968-)
第1偵察中隊 (1968-)
第2空挺旅団第5空挺大隊 (1953-)
第7空挺大隊 (1953-1955, 1961-)
第11空挺大隊 (1967-)
第2砲兵大隊 (1967-)
第2偵察中隊 (1968-)
第3空挺旅団第2空挺大隊 (1965-)
第3空挺大隊 (1952-)
第6空挺大隊 (1954-)
第3砲兵大隊 (1968-)
第3偵察中隊 (1968-)
第4空挺旅団 (1974-)第12空挺大隊 (1974-)
第14空挺大隊 (1974-)
第15空挺大隊 (1974-)
(師団付き)空挺支援大隊 (1954-)
空挺通信大隊
空挺工兵大隊
空挺衛生大隊
海兵群 (1956-1965)
海兵旅団 (1965-1968)
海兵師団 (1968-)
第147海兵旅団第1海軍歩兵大隊
第1海兵大隊
第4海兵大隊 (1961-)
第7海兵大隊 (1969-)
第147偵察中隊
第1砲兵大隊
第258海兵旅団第2海軍歩兵大隊 (1955-)
第2海兵大隊
第5海兵大隊 (1964-)
第8海兵大隊 (1969-)
第258偵察中隊
第2砲兵大隊
第369海兵旅団第3海軍歩兵大隊 (1957-)
第3海兵大隊
第6海兵大隊 (1967-)
第9海兵大隊 (1970-)
第369偵察中隊
第3砲兵大隊
第468海兵旅団第14海兵大隊
第16海兵大隊
第18海兵大隊
第468偵察中隊
第4砲兵大隊
(師団付き)偵察中隊
第202憲兵中隊
第91空挺コマンド大隊 (1964-1968)
第81空挺コマンド大隊 (1968-1970)
第81空挺コマンド群 (1970-)
第1戦術司令部 (1975-)
第2戦術司令部 (1975-)
第3戦術司令部 (1975-)
第811部隊 (1975-)
第812部隊 (1975-)
第813部隊 (1975-)
第814部隊 (1975-)
デルタ偵察チーム (1964-1968)
偵察中隊 (1968-1975)
第815部隊 (1975-)
(総合予備レンジャー)
※1974年 総合予備部隊として再編制、1975年 レンジャー師団創設予定のまま未完
第4レンジャー群 (1966-)
※1974年第4軍団より編入
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1974年第3軍団より編入
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第7レンジャー群 (1974-)第32レンジャー大隊
第58レンジャー大隊
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第4軍団より編入
第8レンジャー群 (1974-)第84国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第3軍団より編入
第86国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第4軍団より編入
第87国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年 第1軍団より編入
第9レンジャー群 (1975-)第93国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第4軍団より編入
第97国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第3軍団より編入
第98国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第4軍団より編入
第5憲兵大隊



おまけ: インシグニアについて

ベトナム共和国軍というのは部隊章に非常にこだわりのある軍隊でして、米軍では通常連隊単位までしか部隊章を持たないのに対し、ベトナム陸軍は大隊単位(中には中隊まで)で部隊章が制定されているので、その種類は膨大です。そしてその一部が米国のベトナム共和国歴史協会 (Republic of Vietnam Historical Society)さんのサイトで公開されています。
歩兵師団・連隊・大隊 http://rvnhs.com/museum/arvninsignia.html

以下、歩兵師団、地方軍、空挺師団、レンジャー、海兵師団のインシグニアの種類についてまとめ中の図解。


 
レンジャーと海兵は、そのうち作ります。
  


2016年10月04日

ベトナム共和国軍年代別歩兵個人装備

※ 注 意 ※

ベトナム共和国軍(CIDG含む)では以下のM1956個人装備のうち、
エントレンチングツールカバーとフィールドパックは99.99%使われませんでした。
せっかくお金をかけて軍装をそろえても、これらを装備に加えた瞬間に間違った再現になります。
どうかご注意下さい。


念のため言っておくと、使用例が完全に無い訳ではありません。
この10年間、何万枚と当時の写真を見てきた中で、3例くらいは使用例を見つけました。
なので一応100%ではなく、99.99%としておきます。



---------------------  歩兵科  ---------------------
(Binh Chủng Bộ Binh)

  
▲1958年、1968年、1972年当時の師団章配置



[1948年~1950年代中頃]

(写真: 1951年ハノイ)

戦闘服:    仏軍半袖・半ズボンチノ制服
鉄帽:       なし
帽子:       仏軍サイドキャップ、Mle49ジャングルハット
靴:          仏軍アンクルブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍戦前期個人装備、Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍戦前期個人装備、仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1950年代初頭~1960年代初頭]

(写真: 1954年ハノイ)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、
      M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
      M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: [左]1963年、[右]1966年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装なし、擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1975年]

(写真: 1973年)

鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918A2自動小銃、M1919A6機関銃、
      M60機関銃、M26手榴弾、


[1970年頃~1975年]

(写真: 1975年スンロク)

戦闘服:    アーミーグリーン2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、ミッチェル迷彩カバー、手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  レンジャー  ---------------------
(Biệt Động Quân)


[1960年代初頭~中頃]

(写真: 1965年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット(手書き迷彩・黒豹擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、米軍M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、他


[1960年代中頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

鉄帽:       米軍M1ヘルメット、米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩・黒豹、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   米軍M1945フィールドパックARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年代初頭]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩・黒豹、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1975年頃)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (手書き迷彩※黒豹なし、ミッチェル/リーフ迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  空挺  ---------------------
(Nhẩy Dù)



[1951年~1960年代初頭]

(写真: 1955年サイゴン)

戦闘服:    仏軍TAP47系降下服、リザード迷彩TTA47系戦闘服、英軍ウェインドプルーフスモック、米軍ダックハンター戦闘服、他
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、空挺キャップ
靴:    仏軍アンクルブーツ、空挺ブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系一般/TAP個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TAP Mle50ミュゼットザック、TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36CR39小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、M1カービン、M1/M2A1カービン
              M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年代初頭~]

(写真: [左]1962年、[右]1963年サイゴン)

戦闘服:    リザード迷彩TTA47系戦闘服、ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   仏軍Mle50 TAPミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1960年代頃~1960年代末]

(写真: 1967年サイゴン)

戦闘服:  ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服、シビリアンリーフ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       米軍M1/M1Cヘルメット 、グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: M1956個人装備
背嚢:   米軍M1942マウンテンリュック、ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年ケサン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット、手書き迷彩、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1969年)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用  (擬装なし、手書き迷彩、ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他

---------------------  海兵隊  ---------------------
(Thủy Quân Lục Chiến)



[1952年~1960年代初頭]

(写真: 1957年ホンサ諸島)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、
      M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: 1962年ベトナム)

戦闘服:  タイガー2ポケット作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    タイガー2ポケット作戦服ERDL2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1970年頃~1975年]

(写真: 1972年フエ)

戦闘服:  タイガー2ポケット/4ポケット作戦服レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  地方軍・義勇軍  ---------------------
(Địa phương quânn-Nghĩa quân)


[1954年~1964年頃]

(写真: 1963年フバイ)

戦闘服:     民兵戦闘服(黒)、農作業服(黒)
鉄帽:    なし
帽子:        ジャングルハット、フィールドキャップ、その他民生品
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:  MAS36小銃、MAT49短機関銃、M1903小銃、M1カービン、M1928/M1短機関銃、M3A1短機関銃、
      DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1964年頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


[1967年頃~1975年]

(写真: 1969年)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


------------------------------------------

以上で基本的な歩兵個人装備はほぼ押さえられたと思います。
約30年分の変遷をまとめたのでやたら装備の種類が多く見えますが、時代を区切って、
例えばハリウッド映画の影響で人気のある1960年代末であれば、最低限必要なのはこれだけです。

・2ポッケット作戦服(グリーンまたは迷彩)
・米軍ヘルメット
・ジャングルブーツ

レプリカ使えば、だいぶお安く揃っちゃいますね。
過去に何度か「南ベトナム装備は敷居が高い」という声を耳にした事がありますが、
それは単に共和国軍の軍装が日本語で紹介される機会が少ないために、何を揃えるべきか情報が出回っていないだけで、
それが分かってしまえば差し当たって難しい事はありません。
むしろ、常に実物やリプロが何かしら市場に存在している時点で、他の大多数の国の軍装よりもずっと敷居低いんです。
日本語の情報はここに書いたので、あとは当時の写真とにらめっこしてもらえば、大体把握できると思います。


インターネットで当時のベトナムの写真を探すのであれば、
flickrにあるmanhhai氏tommy japan氏のアルバムが最強なので超超お勧めです!

あと動画では、YoutubeチャンネルNgười Nhập CuộcがクリパスやAP通信のアーカイブなどからベトナム共和国関係の
動画をピックアップしているので、こんな映像が有ったのか!と毎回驚きの連続です。

いや~、インターネット様様face05
  


2016年09月28日

ベトベトマニア1966 -Operation Voting-


―エピローグ―
 1966年9月、民政移管の第一歩として制憲議会設置のための選挙が行なわれる。グエン・カオ・キ政権を盤石とする為の選挙である事は明らかであり、当然のごとく解放民族戦線と統一仏教会は反発。ボイコットを決め選挙妨害の為テロを繰り返していた。
 米軍は選挙に合わせ過去最大500波の空襲を行う北爆を決定。ベトベト地区でも選挙妨害を防ぎ投票率81%を守るための-Operation Voting-≪投票作戦≫が発令された。ベトナム共和国の未来を占うこの選挙を成功させるため戦いの火蓋が今切られる!
(ベトベトマニア公式サイト http://www.viet-viet.com/)


 投票を控え、サイゴンの参謀本部とMACVはカンボジア国境に近く、かねてよりベトコンの活動地域であったコーガン村における選挙活動の警備強化を命じた。警戒監視の為、多数の米軍部隊がコーガン村周辺に派遣されると共に、コーガン村に最も近いFSBサボイに駐屯する我々レンジャー大隊、空挺師団、オーストラリア陸軍および韓国海兵隊には、サボイ周辺の警戒任務が与えられる。
 しかし、南ベトナムの混乱を収めるはずだったこの選挙の裏は、ベトコンと通じる金権政治家と高級将校、そしてベトコン内のCIA内通者それぞれの思惑が交錯し、情勢は混迷を深めていった・・・









実は今回、迫撃砲班を真面目にやりたかったので、砲に関するコラムというか台本を作成してメンバーに配布しました。
元は2年前のアホカリで105mm榴弾砲の為に作ったものですが、今回はSAITAMA101さんの教練会で教わった迫撃砲班の行動についてもまとめてあります。
僕、本当は歩兵より砲兵の方が好きなんです。出来る事ならエアガン担いで歩くのではなく、一日中陣地の中で大砲を撃っていたいんです。

(ミリブロは画像ファイルしかアップロードできないんですね。もしこの資料を使いたいという要望があれば、どこかのローダーにPDFでアップするのでお気軽にコメントください。)

曲射砲の間接射撃について

射撃・無線交信の流れ

迫撃砲班の行動


と、やる気満々だったのですが、土曜日はあいにくの悪天候で、カーバイト用いるうちの迫撃砲は外に出せず。
また日曜日はFO(前進観測班)として、FDC(射撃指揮班)に見立てたうちのテント組と実際に無線交信して迫撃砲の射撃要求などをしようと考えていたのですが、打ち合わせが完全に不足しており、結局砲に関する事は何もできずに二日間が終わってしまった・・・。
次から何か企画をやる時は、楽しいおしゃべりを中断してでも企画を優先すると決意しました。
  


2016年09月10日

オールインワンショット

一枚の写真にいろんなリーフ迷彩が写ってるナイスな写真見つけました。
カッコいいのでうちのブログのバナーに使わせてもらいます。

ベトナム陸軍空挺師団第1空挺大隊 [1969年1月 タイニン省]

(大きい写真なので2分割して載せてます)

①コマーシャル/シビリアン/インビジブル
②ERDL/グリーンリーフ
③レンジャー/エアボーン(パステル系)
レンジャー/エアボーン(エメラルド系)

※上の迷彩パターンの名称は戦後のマニアの間で使われるもので、当時のものではない
各迷彩については過去記事『ベトナム軍の迷彩』参照


ついでに、一枚にいろいろ写ってる系の写真をご紹介。

ベトナム陸軍第5歩兵師団 [1966年ニントゥアン省ファンラン]

 兵隊の持ってる銃がM1ガランド、M1/M2カービン、M1A1トンプソン、M1918A2 BARとバラエティー豊か。この写真には写っていませんが、M79グレネードランチャーやM3A1グリースガン、M1919A6機関銃も当時歩兵部隊で使われていました。
 この時期のベトナム共和国軍は武器が足りず、アメリカから供与された銃をとりあえず何でも使っていた感じです。その後、1966年にXM16E1ライフルがベトナム陸軍で正式採用されると、1967年末頃には一線級部隊の小銃は全てXM16E1/M16A1に統一されます。(士官・下士官はその後もあえて軽量なM1/M2カービンを携帯する事がありますが) また分隊支援火器も徐々にM60機関銃に更新され、60年代末には当時の米軍と同じ武装となりました。


サイゴンを占領したベトナム人民軍 [1975年4月30日サイゴン]

一枚の写真に、少なくとも4種類のカラシニコフ自動小銃(Vz58は見た目だけだけど)が写ってます。
・中国製56式自動歩槍
・AK-47系(ソ連製AK-47、中国製56式自動歩槍輸出型、北朝鮮製58式自動歩槍のいずれか)
・ルーマニア製AIM
・チェコスロバキア製Vz58

 スパイク銃剣の56式以外はどこ製だか写真からは判断しにくいですが、基本的には北ベトナム軍では東側諸国から輸入された各種カラシニコフがごちゃ混ぜで使われていたようです。一口にカラシニコフと言っても各モデルで部品の寸法が異なりますし、Vz58に至っては外観が似ているだけで中身は完全に別の銃なので、北ベトナム軍も外国からの援助兵器を次から次へと前線に送るだけで、結局終戦まで弾薬以外は統一する余裕はなかったようです。

 また各国のカラシニコフが見られるこの写真からは、ベトナム戦争が東西冷戦による代理戦争であった事、そして共産主義陣営に蹂躙されたベトナムという国の悲劇が見て取れます。
 僕が知り合った元ベトナム共和国軍人やそのご家族は、ベトナム戦争について皆さん口をそろえてこう言います。「我々は北ベトナム一国と戦ったのではない。共産主義陣営全体と戦っていたのだ」と。
 1973年、アメリカ軍がベトナムからの撤退が完了し、パリ協定による休戦が発効した段階で、ベトナム戦争は一時終息したかのように思われました。しかし北ベトナムははなっから休戦などする気はなく、アメリカが撤退したこの機を逃すまいと早々に協定を無視し、再び南侵を再開します
 この時点で北ベトナムはいまだソ連・中国の思惑を背景に周辺国への軍事侵攻を続けており、これまで通り東側諸国からの膨大な経済・軍事支援を受けていました。一方、ベトナムからの完全撤退を決めたアメリカや韓国、オーストラリアは政治・経済面でもベトナム共和国への支援を縮小し、ベトナム共和国は同盟国から見捨てられた形となっていました。これにより、それまでの東西の代理戦争という構図は終わり、アメリカという大きな後ろ盾を失ったベトナム共和国は、たった一国で共産主義陣営による侵略から自国を防衛せざるをえなくなりました。
 その後ベトナム共和国軍は2年近くにわたり単独で共産軍との戦いを続けましたが、多勢に無勢で1975年4月30日、ついに首都サイゴンが陥落し、ベトナム全土がベトナム労働党(現・共産党)の支配下に失陥したのでした…。


▲1973年以降のベトナム戦争の政治的構図
  


2016年06月26日

ベトナム空挺 1948-1954




1948-1954年
フランス植民地軍 空挺インドシナ中隊
(Compagnie Indochinoise Parachutiste)

 ベトナム空挺部隊の歴史は、1948年にに創設されたフランス植民地軍空挺インドシナ中隊(CIP)』から始まった。
 遡る事1945年8月14日、連合国によるポツダム宣言を日本政府が受諾し、第2次世界大戦は終結を迎えた。これに伴いフランスは、同年3月の『仏印処理』によって日本軍に奪われたインドシナの支配権を取り戻すべく、二日後の8月16日にはインドシナ遠征部隊の派遣を決定した。
 1946年6月、大戦中に活躍した自由フランス空挺SASから発展した『第1SAS大隊(1er SAS)』がインドシナに到着し、フランス植民地軍(Troupes coloniales)の一員として『極東フランス遠征軍団(CEFEO)』の指揮下に入るその後、第1SAS大隊はインドシナにおいて7月にSAS空挺準旅団(DBP SAS)』へ、1947年12月には『SAS空挺コマンド植民地準旅団(DBCCP SAS)』へと拡大。1948年には『第2空挺コマンド植民地準旅団(2e DBCCP)』へと改編された。
 同時期に、同じく大戦中に自由フランス政府側で組織された植民地軍のコマンド部隊も、1947年イギリスにおいて空挺コマンド植民地準旅団(DBCCP)』として統合され、次いで『第1空挺コマンド植民地準旅団(1er DBCCP)』へと発展した。
 最終的に第1および第2空挺コマンド植民地準旅団には計9個(第1・2・3・4・5・6・7・8・10)空挺コマンド植民地大隊(※)が編成され、インドシナ平定を目指すCEFEO空挺部隊の主力を担った。



※大隊の名称は以下のように改称される
1947-1950年: 空挺コマンド植民地大隊(BCCP)
1950-1951年: 空挺コマンド植民地群(GCCP)
1951-1955年: 植民地空挺大隊(BPC)

 第1次インドシナ戦争が激化していく中でCEFEO空挺部隊の被害も増加していったことからSAS空挺コマンドのグリエ=ペイゾン中尉はその戦力を補填すべく、植民地軍の主力であるインドシナ人兵士に降下訓練を施し、インドシナ人で構成された空挺部隊を創設する事を立案した。この計画には反対の声も挙がったが、グリエ=ペイゾンは計画を実行に移し、コーチシナ(ベトナム南部)において志願者を募った。その結果、約200名のベトナム人兵士が選抜され、サイゴン近郊のキャンプ『ディアン』にて訓練が開始された。そして1948年1月1日、初のベトナム人空挺部隊『空挺インドシナ中隊(CIP)』が創設され、グリエ=ペイゾン中尉およびメッシャジー中尉が指揮官に着任した。


 最初のCIPであるグリエ=ペイゾン中尉の部隊はまず、第1空挺コマンド植民地大隊(1er BCCP)に第3中隊として組み込まれた。以後CIPは各BCCP内に設置され、フランス人降下兵による指導を受けながら数々の実戦を経験していく。なお、CIPの多くはベトナム人で構成されていたが、その名の通りインドシナ人部隊という括りであるため、ベトナム人の他にもラオス人、カンボジア人、少数民族で構成されたCIPも存在する。

1948年 最初のCIPが1er BCCPに編入される
1948年7月 5e BCCP内にCIP設置
1948年10月 2e DBCCP指揮下の各BCCP内部にCIP設置
1949年11月 2e BCCPのCIPが『第2空挺インドシナ中隊(2e CIP)』へ改称
1949年12月 1er BCCPのCIPが『第1空挺インドシナ中隊(1er CIP)』へ改称
1950年10月 CIPが『空挺インドシナ中隊群(GCIP)』へ改称
1951年3月 GCIPが再びCIPへ改称

▲フランス人降下兵から空挺降下訓練を施されるインドシナ兵[1951年トンキン地方]

▲勲章を授与される6e BCCP大隊長マルセル・ビジャール大佐とCIPのベトナム人降下兵[1953年ロンソン]



1951-1954年
フランス外人部隊 空挺インドシナ中隊
(Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion Etrangère)

 1951年初旬、フランス軍CEFEO司令ド=ラトル将軍はインドシナに展開する二つの外人空挺大隊(BEP)にもCIPの設置を命じ、それぞれの大隊に主にベトナム人で構成された外人部隊空挺インドシナ中隊(CIPLE)』が組織された。

第1外人空挺大隊(1er BEP) 第4中隊 / 第1外人部隊空挺インドシナ中隊(1er CIPLE)
第2外人空挺大隊(2e BEP) 第8中隊 / 第2外人部隊空挺インドシナ中隊(2e CIPLE) 

 元々外人部隊は兵士の出身地を問わない他民族部隊であったが、植民地軍がCIP育成に苦慮したように、一度に多数のベトナム人兵士が部隊に入ることは外人部隊にとっても管理上の困難が付きまとった。またCIPLEは当初からベトナム国軍の強化を目的とした教育部隊としての役割を持っていたため、CIPLE隊員は半ばベトナム国軍=植民地兵であり、通常の外人部隊兵士のようにフランス軍と個人的に契約した外国人という扱いではなかった。
 CIPLEでは外人部隊の代名詞でもある『白ケピ(Kepi Blanc)』は使用されなかったが、代わりに白ケピに習った白いベレー帽(ベレー章はフランス陸軍空挺部隊共通のサン・ミシェルの剣)が制帽として制定された。CIPLE隊員自身は、歴史あるフランス外人部隊の一部となれた事を大変誇りとしており、隊員たちに以下のスローガンが広まったほどであった。

"我らベトナム兵にあらず、外人部隊なり!"
(Moi, c'est être légionnaire, pas vietnamien!)

▲パレードに参加する2e CIPLE [1954年1月ハノイ]
下士官まではベトナム人もいるが、将校は他の外人部隊と同様フランス人が務めた



1951-1955年
ベトナム国軍 空挺大隊
(Tiểu Đoàn Nhẩy Dù / Bataillon de Parachutistes Vietnamiens)

 1948年、フランス政府はベトミンによる対仏闘争を鎮静化するため、阮朝皇帝バオダイ(保大帝)を国長とする『ベトナム国(Quốc gia Việt Nam)』を擁立し、フランス連合の枠内での独立を認めた。1949年にはフランス植民地軍のベトナム人部隊が『ベトナム国家衛兵隊(Vệ binh Quốc gia Việt Nam)』として再編成され、晴れてベトナムに国軍が創設された。ベトナム国家衛兵隊はその後、1952年に『ベトナム国軍(Quân đội Quốc gia Việt Nam)』へと改称され、インドシナ平定を目指すフランス連合軍の主力を担う事となる。
 1950年、グエン・カーン大尉を中隊長、ド・カオ・チ中尉を副長とするベトナム人CIP 『特別空挺中隊(Đại đội Nhảy dù Biệt)』がトンキン地方に編成される。翌1951年、CEFEO司令ド=ラトル将軍はフランス軍のインドシナからの段階的な撤退を発表し、ベトナムの統治をベトナム国政府に委ねる『ベトナミゼーション』の方針を明らかにした。これによりベトナム国軍の増強が急がれ、同年、ド=ラトルはCEFEO全空挺部隊に対し、CIPを拡大したインドシナ人空挺大隊を創設するよう命じる。そして8月1日グエン・カーン大尉の特別空挺中隊を発展させたベトナム国軍初の空挺部隊『第1(ベトナム)空挺大隊 (TĐ1 ND / 1er BPVN)』が発足した。初代大隊長は引き続きグエン・カーン大尉、副長をド・カオ・チ中尉が務めた。

▲ベトナム空挺の黎明期を牽引した初代第1空挺大隊長グエン・カーン(右)と副長ド・カオ・チ(中) [1950年代初頭]
後にチはベトナム共和国軍中将・軍団司令に、カーンは大将・国長(国家元首)にまで登りつめる

 以後、ベトナム人CIPは順次ベトナム国軍に編入されていき、ジュネーヴ協定が結ばれる1954年までに計5個の空挺大隊(第1・3・5・6・7大隊)編成され、第1次インドシナ戦争が最も激化した時期において常に最前線に投入された。

1951年 TĐ1 ND / 1er BPVN - 特別空挺中隊
1952年 TĐ3 ND / 3e BPVN - 第10猟兵空挺大隊(10e BPCP) CIP
1953年 TĐ5 ND / 5e BPVN - 3e BPC CIP
1953年 TĐ7 ND / 7e BPVN
1954年 TĐ6 ND / 6e BPVN


▲ベトナム国長/阮朝皇帝バオダイの閲兵を受ける第1ベトナム空挺大隊[1951年12月ホアビン]

▲ショミエー作戦において空挺降下する第1ベトナム空挺大隊[1952年4月タイニン]

▲バンハイシウの戦いに派遣された第3ベトナム空挺大隊 [1954年1月ラオス サワンナケート県バンハイシウ]
ECPAD | Combats à Banh-Hine-Siu et Na Pho auxquels prend part un bataillon de parachutistes viêtnamiens.

▲カスター作戦においてディエンビエンフーに降下した第5ベトナム空挺大隊[1953年11月ディエンビエンフー]
第5ベトナム空挺大隊は1954年5月のディエンビエンフー陥落までフランス軍と共にこの地の防衛にあたり、第1次インドシナ戦争で最も壮絶な戦闘に身を投じた
ECPAD | Reconnaissance au nord de Diên Biên Phu.

 また同時期にクメール人およびラオス人CIPからそれぞれ、第1クメール空挺大隊(1er BPK)、第1ラオス空挺大隊(1er BPL)が編成されたが、両大隊は1953年のラオス サムヌア県における戦闘で壊滅した。
 1954年5月1日、CEFEOはこれら5つのベトナム空挺大隊を統括する『第3空挺群 (Groupement Aéroport 3 / GAP3)』を設置した。 当初フランスは、1951年にベトナム人初の空挺大隊長となったグエン・カーン中佐をGAP3指揮官に選考していたと言われるが、実際にはカーンの部下であるド・カオ・チ少佐が任命された。それまでベトナム空挺大隊は国軍を名乗りながらも依然フランス植民地軍の指揮下にあったが、GAP3は空挺部隊として初めてベトナム人将校が指揮を執るため、これはフランス植民地軍の下部組織という地位を脱却し、正式な国軍へと昇格した瞬間であった。
 1954年7月、フランスとベトミンとの間でジュネーヴ協定が締結され、9年間続いた第一次インドシナ戦争がついに終結を迎えた。しかしその条件はベトナム国の国土の北半分をホー・チ・ミンのベトミン政権に明け渡すという、ベトナム国政府にとって最悪の結末となった。北部に駐屯するGAP3本部と第3・5・7空挺大隊の3大隊は北緯17度線以南(南ベトナム)への撤退を余儀なくされた。

ディエンビエンフーの戦いを生き伸び、南ベトナム領へたどり着いた第5ベトナム空挺大隊の将校たち[1954年9月ダナン]
ディエンビエンフーに降下した第5大隊将兵のほとんどは戦死、あるいは陥落後にベトミンの捕虜収容所の過酷な環境の中で病死しており、南ベトナムに撤退できたのは ディエンビエンフーに投入されなかった第5大隊の残存兵力のみ。(2017年3月20日訂正)


ベトナム降下兵が参加した空挺降下作戦
1948-1954年

▲Angels In Red Hats: Paratroopers of the Second Indochina War (M. Martin, 1995)より
※この表ではTDNDとBPVNが別々に書かれているが、ベトナム語・フランス語表記という違いであって実際は同じ部隊




赤ベレーとサン・ミシェル
(Béret rouge / Mũ Đỏ)


 フランス降下兵の代名詞である『赤ベレー(Béret rouge)』の歴史は第2次大戦中の1944年、自由フランス軍空挺SASが同部隊の創設に携わったイギリス陸軍空挺部隊のベレー色を受け継ぎ、マルーン色のベレーを採用した事から始まった。大戦終結後、空挺SASは1946年にSAS空挺準旅団としてインドシナに派遣されると共に、ベレー色はいつしかマルーンからより明るい赤色であるアマランスに変わっていき、以後アマランス色ベレーがインドシナの植民地軍空挺部隊共通のベレーとして使用された。また空挺部隊のベレー章は1946年以降、陸軍(本土・植民地・外人部隊)共通で『サン・ミシェル(=聖ミカエル)』をデザインしたタイプが制定されていた。植民地軍CIPから発展したベトナムやラオス、カンボジアの空挺大隊もこの伝統を引き継ぎ、フランス兵と同じ赤ベレー、サン・ミシェルの剣のベレー帽を使用した。
 なお、フランス陸軍本土空挺部隊のベレー色は元々青色および黒色であったが、インドシナに派遣された本土空挺部隊は植民地空挺部隊に倣って1951年にアマランス色のベレーを採用した。さらに1957年には本土の全空挺部隊が正式に赤ベレーを採用したことで、第2外人空挺連隊(外人部隊であるため緑ベレー)を除くフランス陸軍空挺部隊のベレー色は全てアマランス色となり今日に至る。その後、1958年に『植民地軍(Troupes coloniales)』が『海兵隊(Troupes de marine)』に改称されると、海兵空挺歩兵(旧・植民地空挺)ではベレーは赤ベレーのまま、サン・ミシェルの剣に海兵を示す錨をデザインした独自のベレー章が制定された。一方、本土および外人空挺では現在でもサン・ミシェルの剣が使われているが、デザインは1950年代以前とは若干異なる。


▲毎年パリの凱旋門で行われる、空挺部隊戦没者追悼式典 [フランス パリ]
ディエン・ビエン・フーから60年以上経った現在でも、フランス・ベトナム降下兵="サン・ミシェル"たちは強い絆で結ばれている。



つづく
  


2016年06月06日

ブログのデザイン変更

 このブログ始めたのが2013年8月なので、もうすぐ3周年を迎えるのを機に、ブログのPC向けデザインをちょっといじってみました。
 まず、今までウィンドウ幅100%のデンプレートを使っていたせいで文章が横に長くなりすぎて読み辛いと感じていたので、今更ですが幅を縮めました。ただ、ミリブロに最初から用意してある幅の狭いテンプレートを使うとあまりに狭くなりすぎて画像が見辛くなるので、仕方なく自分でHTMLタグをいじりました。僕はこういう作業は素人なのですが、Google Chromeの『検証』って機能使うと、どのタグがどの部分を意味しているのか視覚的に分かって非常に楽ですね。そんで新しい幅は、今まで画像やYoutubeの埋め込みによく使ってきた640pxにしました。(あと両サイドのリンクとかも少し広げました。)
 しかし問題もありまして、過去の記事に載っている画像のうち幅が640pxより大きいものは当然ながらケラレちゃいます。どうしよう。過去の記事全部修正するのは大変過ぎる・・・。うん、もうこの際過去記事なんてどうでもいいや。過ぎた事は忘れよう。多少見辛くなるけど十字キーやスクロールで見る気になれば見れるし。
 あと、よそ様のブログ見てて、うちも画面の上にバナーがあったら良いのになと思っていたので、無理やり追加。他のテンプレートのタグをコピペしたら割とすんなりできました。やったー


≪変更前≫

 


≪変更後≫


うんうん。だいぶ普通のブログっぷくなりましたね。文章も前よりは読みやすくなりました。


なお、初バナーに使用した画像はこちら。

アメリカ空軍のC-130輸送機に乗り込む(or降り立った)ベトナム共和国陸軍空挺師団の兵士たち。(1971年2月1日)
 空挺師団はベトナム戦争中、ベトナム空軍のC-119やC-123輸送機からの空挺降下作戦を幾度も実施しているけど、この写真は装備からして降下ではなく単なる移動のようです。またC-130は貨物室が密閉、与圧されているはずなので熱帯地域で普通ここまで防寒着は着ないはずなんですが、みんなM65ジャケットを着込んでますね。これはおそらく、翌週2月8日から開始されたラムソン719作戦に備えてケサンあたりに移動してるところだと思います。ラムソン719の進攻目標であるラオスの山岳地帯は標高が高く、天候によっては気温がかなり低くなるので防寒対策は必須でした。


 ついでに、3年記念にこのブログのアクセス解析を振り返ってみると、一日の訪問者数はだいたい60~90件、ページビューは100~250件くらい。アクセス元はブックマークが一番多くて、1ヶ月に1400~1500件。という事は、1日平均48人はブックマークから見に来ていて、残り12~42人くらいが検索エンジンから来ているという計算になりますね。
 検索に引っかかるのはともかく、ブックマークしていただいている方がこれだけ居らっしゃるという事に、正直驚いています。僕としてはこのブログは決してマイナー路線を狙っている訳ではなく、むしろ歴史としてのベトナム戦争の一番オーソドックスな部分を率直に見ているつもりなのですが、それでもこの分野は趣味の世界でダントツ不人気なのは承知しているで、こんなに見に来る人がいるというのは意外でした。また、イベントなどで読者の方に声を掛けて頂くことも増えて、読んでくれている人が居た事を実感できて嬉しくなります。
 僕がこのブログを書く理由は、あくまで自分の頭の中の情報を記録に残す、そしてそれを他人に見せて自己顕示欲を満たすという自分自身の楽しみの為であり、人様の役に立ちたいなどとは考えたこともないですが、それでも見て下さる方が居るというのは表現者として幸せな事だと感じています。
  


2016年01月05日

あけおめこ とよろ!

元日は、いつものベトナム寺で初詣。5年ほど前から、正月はこのお寺で過ごすのが習慣になってます。
今年は一緒に行く仲間も増えて、尼さんのベトナム語の説法を隣でリアルタイム翻訳してもらえて、とても有意義なものとなりました。
これで今年もベト充間違いなし!


半年前に、軍装ガイドは年内に仕上げたいって書いたけど、全然無理でしたね。
当初は歩兵・レンジャー・空挺・海兵の4兵科を一冊で紹介するつもりでしたが、その後載せたい情報が増えていって描かなくてはいけないイラストが増えすぎたので、形式を変えようと思います。
まず最初に歩兵部隊共通の『被服・個人装備』編を作っちゃって、その後に『歩兵師団・地方軍・レンジャー』編、次に『空挺・海兵』編など部隊ごとに作れば、毎回同じ話を書かなくて済むし、作業ペースも余裕が出るだろうと思索中。


昨年12月から急に忙しくなってしまい、1月も当分、自宅でゆっくりパソコンに向かう時間は無さそう。
なので、とりあえず最近ナイスな動画を次々YoutubeにアップしてくれているNgười Nhập Cuộc氏のチャンネルから、気になった動画を貼っていきます。(解説はまたいずれ)


空挺師団降下課程 (1969年10月4日 サイゴン キャンプ“ホアン・ホア・タム”空挺師団本部)



米軍アドバイザーによるベトナム空挺師団への講習会・模擬戦闘展示 (1968年9月9日)


空挺師団を視察するグエン・バン・チュー総統 (1971年3月31日クアンチ省ドンハ)



人民自衛団(NDTV)ビントイ村訓練校における女性隊員の射撃訓練 (1969年8月10日 ジアディン省ビントイ)


タイニン人民自衛団の射撃訓練 (1974年1月12日 タイニン省)



レンジャー訓練センターにおける訓練(1965年10月19日 カインホア省ドゥックミ)


  


2015年05月02日

スンロク1975

 記事にするのが遅くなりましたが、先月は『スンロクの戦い』から40周年でした。ベトナム戦争最末期の1975年4月9日から21日にかけて、サイゴンの東30kmに位置する都市スンロクでは、首都防衛のため集結したベトナム共和国軍とサイゴン攻略を目指す共産軍(※)との間で、ベトナム戦争最後の大激戦が繰り広げられました。この戦闘において、スンロクの死守を命じられた第18歩兵師団を中心とするベトナム共和国軍部隊はレ・ミン・ダオ少将(当時准将)指揮の下、歴史に残る壮絶な戦いに身を投じます。
(※解放戦線という体だが実体は南進した北ベトナム軍)







 両軍ともに多大な犠牲者を出したこの戦いは、4月21日にベトナム共和国軍側がスンロクを放棄・撤退したことで共産軍の勝利に終わりました。しかし圧倒的な兵力で押し寄せる共産軍を前に、撤退命令を受けるまでの12日間一歩も引くことなく戦い続けたベトナム共和国軍将兵の奮戦ぶりは、永く後世に記憶されるものとなりました。また、この戦いを指揮した第18歩兵師団長レ・ミン・ダオ准将は後に『スンロクの英雄(Người Hùng Xuân Lộc)』と称され、4月24日に少将へと昇格します。
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2014年10月03日

フランス軍TAP 47/53降下ジャケット

うちのブログは、ベトナム戦争に関する人文系の情報を同好の方々にシェアできたら良いなと思ってやってるものなので、あまり『軍装趣味』っぽい記事が無いですね。
それでも思ってた以上に読んでくれる人が居た事に驚きと喜びを覚えていますが、やはり多くの人が気になってるのは、「南ベトナムの〇〇将軍は今何してる」等ではなく、野戦服や装備などの軍装品である事は重々承知しています。
なので、僕はコレクターではないので大した物は持っていませんが、今回からちょっとずつ、最近入手した軍装品を載せてみようかと思います。

フランス軍 TAP 47/53降下ジャケット

 フランス軍の空挺部隊向け1947年型降下ジャケット(Veste de saut TAP modèle 1947)です。TAP 47は年代毎に服の構造や迷彩パターン(通称リザード迷彩)が徐々に変化していますが、今回譲って頂いたこの服はTAP 47/53と呼ばれる、1953年改良型です。
 TAP 47と言えば第1次インドシナ戦争でフランス軍空挺部隊が使用していたイメージが強いですが、この47/53は戦争の末期に生産された為、完成した服がインドシナに到着した頃には戦争が終結してしまい、第1次インドシナ戦争中に使用された数はかなり少なかったそうです。
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2014年04月25日

またYoutubeから

空飛ぶ首相 グエン・カオ・キ(1965年)


「お!このB-57、米軍じゃなくて南ベ空軍機だ!」と思ったら、中から出てきたのはグエン・カオ・キww
この人ジェット爆撃機まで操縦してたのかw

南ベトナム空軍司令官であったキ少将はこの年の2月、グエン・バン・チューら軍の若手将軍グループと共にクーデターを実行します。(1965年クーデター)
当時南ベトナムは国家評議会議長ファン・カク・スーを首班とする文民政府がようやく復活したばかりでしたが、実際には先の権力者グエン・カーン大将が政治を牛耳っており、カーン大将の排除はアメリカの意向でもありました。
そしてクーデターの結果、カーン大将およびその一派は失脚。6月にはグエン・バン・チュー中将が国家元首である国家評議会議長へ、グエン・カオ・キ少将が首相へと就任したのでした。(1967年からはチューは総統、キは副総統となる)
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2014年02月08日

レアな写真

南ベトナム陸軍の各歩兵師団には師団直属の偵察中隊が存在しましたが、空挺師団(※)にも各旅団ごとに1個中隊ずつ、計3つの空挺偵察中隊(空挺LRRP)がありました。
※『空挺師団(Sư Đoàn Nhẩy Dù)』は固有の部隊名であって、第○と師団番号は付かない

▲空挺偵察中隊の部隊章(全中隊共通)

このパッチのリプロ品は持ってるんですが、肝心の当時使われていた写真を見た事が無かったんです。
それが最近ようやく見つかりました。
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2014年01月13日

自作品

これまでナム戦イベントやコスプレ用に自作してきたアイテムをご紹介しますー


トリコロール・ネッカチーフ

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2013年12月27日

CEFEO空挺部隊

南ベトナム軍を調べていると、必然的にその前身であるフランス軍に興味が沸いてきます。
中でも第1次インドシナ戦争時代の空挺部隊(Troupes Aéroportées)が超カッコいいんですわ。


しかしフランス軍の空挺部隊って、なんか部隊名がコロコロ変わってて、どういう組織だったのか全体像が分かりにくかったんです。
なので今回は、第2次世界大戦から第1次インドシナ戦争にかけて、日本軍・ベトミン軍と戦ったCEFEO(極東フランス遠征軍団)の空挺部隊の変遷をまとめてみました。
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