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2023年12月09日

続・国家警察の赤ベレー

過去記事『不可思議な写真』の中で、マウタン1968(テト攻勢)時の写真には、ベトナム国家警察の迷彩服であるホアマウダット(クラウド)を着ているにも関わらず、ベレーは赤系色(陸軍空挺もしくはレンジャー)を被っている将兵の例が複数見られると書きました。



そして先日、その中の一人が特定できました。
下の写真の中央の人物は当時の国家警察総局総監グエン・ゴック・ロアン空軍少将で、その右側の赤ベレーの人物がグエン・トゥア・ズー(Nguyễn Thừa Dzu)陸軍中佐(当時少佐)です。


ズー中佐は元々、ダナンに駐屯する陸軍第11レンジャー大隊の大隊長でした。
この第11レンジャー大隊は1966年3月に発生した中央政府(グエン・バン・テュー政権)への大規模な反政府運動の際、テュー政権に反対する立場を取り、政府の統制から離反して反政府勢力の一部となってしまいます。このまま行けば再びの軍事クーデターに繋がりかねない事態を前に、テュー政権で国家警察総監を務めていたロアン少将(当時大佐)はダナンに赴き、直接ズー中佐の説得に当たります。その結果、ズー中佐は説得を受け入れ、第11レンジャー大隊は政府の指揮下に復帰。反政府運動は鎮静化され、テュー政権は崩壊をまのがれます。以後、ベトナムでは軍事クーデターにつながるような大きな政変は起こりませんでした。
その縁からか、ズー中佐は1966年中に、ロアン少将直属の第9警察管区司令に就任します。そのためマウタン1968(テト攻勢)では、サイゴン市街戦で指揮を執るロアン少将の傍らにズー中佐の姿が見られます。

このように、ズー中佐は国家警察に出向しているレンジャー将校なので、服は国家警察の迷彩服*1であるホアマウダットを着ていますが、同時にベレーだけは自身が所属するレンジャーの物を着用していた*2ようです。
※1:ホアマウダットは国家警察全体の迷彩服なので、主に使われるのは戦闘部隊である野戦警察隊だが、その他の部署でも必要に応じて着用される
※2:通常、軍人が国家警察に出向した場合でも、ベレーは国家警察のもの(黒色)が着用される。ズー中佐のように原隊のベレーを被り続けるのは、あくまで自身の我がままを通した一部の将校のみ。
  


2023年11月15日

野戦警察撮影会

実はフランスに行く前の週にプチ撮影会を行ったのですが、まだ写真をアップしていなかったので記事にします。
今回のテーマは1960年代末~70年代前半のベトナム国家警察第222野戦警察団です。

まずは野戦風景。第222野戦警察団は元は陸軍の治安部隊だっただけあり、将校は軍のエリート部隊からの出向者が占めており、その他の隊員(警察官)も陸軍と同等の戦闘訓練を受けた、実質的な軽歩兵部隊でした。



次はデモ警備/ライオット装備。野戦警察隊は日本の警察に例えると警備部機動隊のようなもので、上記のように軍隊並みの戦闘能力は有しているものの、基本的には警察の一部であるため、デモ警備野戦警察隊の主要な任務の一つでした。


今回僕が身に付けた装備はこちら
・警杖:家にあった雪かきスコップの柄を外したもの(笑)
  


2023年07月22日

籐盾の塗装完了

『怪しいタイ土産』で書いた、タイの家具職人にオーダーメイドで作ってもらった籐盾(藤牌)を塗装しました。




ベトナム国旗をあしらった国家警察野戦警察隊の塗装を再現しました。念願がついに叶いましたface02
ちなみにこの籐盾は実物とほぼ同一の材料・構造なので、実際に投石や一定の斬撃にも耐える強度を持つ、れっきとした武具です。

塗装では、黄色と赤はMr.カラースプレーを使用。
外周の緑色は、スプレーに気に入った色が無かったので、緑と青の水性ペンキを調色したものをガイアノーツのイージーペインターで吹き付けました。面積が大きいのでイージーペインターのガス缶を2本近く消費しちゃいました。


ちなみに中国南部・東南アジア全域で広く用いられてきた武具である籐盾は、主に少数民族で構成されていたCIDG部隊でも、式典・パレード時の礼装として使用さされる事がありました。

 

7年前、このCIDG礼装用籐盾を自作しましたが、その時は手抜きして、市販の笊(ザル)に持ち手を付けて塗装しただけでした。


本物の籐盾と比べてみると、全然別物ですね。
作ったはいいものの、当時から気に入っておらず、結局一度もコスプレに使う事無く捨ててしまった記憶があります。
  


2022年11月13日

野戦警察の迷彩ヘルメット その2

その1で筆塗りしたものがこちら。


これをペイントリムーバーで全部洗い落としてやり直し。
前回は筆塗りだったけど、今回は紙で迷彩模様のステンシルを作ってエアブラシで塗っていきます。


その結果がこちら。


ベースの色をミスりました。これでは緑色過ぎます。
でも迷彩模様は悪くないので、ステンシル作戦自体は成功。

そして、また塗装をやり直したのが、こちら。


ようやく自分的に合格点に達しました。このウグイス色を出すのが難しかったんです。

今回見本にしたヘルメットはこちら。




  


2022年11月07日

野戦警察の迷彩ヘルメット その1

ベトナム国家警察野戦警察隊では、迷彩服と同じホアマウダット(クラウド)迷彩柄の塗装が施されたヘルメットの使用例が散見されます。

色合いは迷彩服同様、茶系から緑系まで様々だったようです。

前々からこの迷彩ヘルメットを作ろうと思っていたのですが、つい最近押し入れから、買ったきり使っていないM1系ヘルメット(北欧のどっかの国)が出てきたので、これを素材に塗る事にしました。

まずは手持ちの迷彩服を見ながら、模様を鉛筆で下書き。



そしてMr.カラーで塗るとこんな感じ。今回は僕の好みで緑系に塗装しました。


う~ん、なんか気に食わない。
僕は迷彩服のパターンを見本にしたので5色使ったけど、写真の例をよく見ると4色(うち茶色は1色)しか使ってない!?

やめだ、やめ。
こうなったらペイントリムーバーで全部落としてやり直します。

つづく
  


2022年08月22日

8月の勉強会&撮影会

先の日曜日、久しぶりに勉強会と撮影会を開催しました。
サイゼリアの店内で行った勉強会のテーマは、今年の2月の勉強会と同様、座標尺を使った座標の求め方と、ベトナム共和国軍フォネティックコードです。

その後、河原に移動して撮影会開始。
メインテーマはベトナム戦争期、サイゴン政府の統制下にあった自警団組織、人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)です。
この組織は、1960年代中盤から1975年の終戦まで、服や装備の変化はほとんど無いので、撮影会に当たって年代設定は特に設けていません。




今回僕が着た服は、第1次インドシナ戦争期のコマンドス・ノーヴィトナム用としても着れる、ディッキーズ製の黒色ワークシャツ改造品。
それに以前製作した自家製人民自衛団ビニールバッジを装着。


なおパンツに至っては、ユニクロ製のストレッチチノパンです。


次は僕の個人的なコスプレ。
先日買ったばかりのEA製ベトナム国産SMGアンモポーチを付けて、1967年、ビンディン省に於けるサーチ&デストロイ作戦に従事するベトナム共和国国家警察第222野戦警察団という設定です。



思えばこの装備が一式揃うまでに、けっこうな歳月がかかりました。
銃だって古いハドソン製ガスガンをディテールアップし、それに自分でデータ作った3Dプリンタ製フラッシュハイダーを付けた物ですし。(過去記事『グリースガンいぢり その4:完成』)
でもこの中で一番古いのは、タイガーストライプ迷彩のヘルメットカバー。これは二十年近く前、セスラー社が最初のタイガー迷彩服を発売した際、服と同じ生地で作られたもので、上野の中田商店で(おそらく)店頭のみで販売されていました。(過去記事『タイガー迷彩ヘルメットカバー』)


このように野戦警察隊においてはタイガーストライプ迷彩ヘルメットカバーが使われている例が複数見られますが、一方で使用期間は60年代後半の限られた時期のみで、長きに渡って使用されたアイテムではありませんでした。
なので正直持っていても滅多に使わないアイテムであり、実際このカバーを使用したのは、十数年前に購入して以来、これでようやく二度目です。
  


2022年08月19日

ベトナム国産SMGアンモポーチ

先日、EA社からベトナム国産SMG用アンモポーチ(チェストリグ)のレプリカが発売されたので、早速購入しました。



このアンモポーチのレプリカが登場してくれるのを十数年間待っていた、と言うか、まさか本当に商品化される日が来るとは思っていませんでした。
EA社とは以前、代金を支払ったのに半年も商品を発送せず、結局注文キャンセルとなったというトラブルがあったので距離を置いていましたが、今回ばかりはこのレプリカを発売した心意気に感謝せざるを得ません。
ただし、また直接取引するのは嫌なので、今回は日本でEA社製品を扱っているベースエクスチェンジさんを通じて購入しました。


このアンモポーチはチェストリグ式ですが、ポーチが二つベルトで繋がっており、体の前後にポーチを下げるように出来ています。


またベルトを外してポーチ単体をピストルベルトに吊るす事も可能です。



なお、このポーチは当時の写真では(特に国家警察で)使用例が多数見られるものの、なぜか現存数は異様に少なく、長年インターネットを見回しても、まだ実物が紹介されている例は見たことがありません。
なのでEA社が実物を入手ないし細部を確認したとは考えにくく、このレプリカは当時の写真からおおよその形状を再現したものだろうと僕は考えています。

  


2022年07月25日

ベトナム警察の制服と階級章

今回はベトナム共和国の警察の制服、中でもいわゆるお巡りさんの着る勤務服の変遷をまとめました。

なおベトナム共和国の警察組織は、時期によって『警察(Cảnh Sát)』と『国家警察(Cảnh Sát Quốc Gia)』の二つの名称があります。1955~1962年までベトナムでは公安警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Công An)の下で、警察と公安が別々の組織として存在していました。その後、1962年になると警察と公安は統合されて新たに国家警察が発足し、公安警察総局国家警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Quốc Gia)へと改編されたました。


制服(勤務服)の変遷



1st (1955-1962)※公安警察総局期
制帽: 白
シャツ: 白(長袖)
パンツ: 白

2nd (1962-1966)これ以降国家警察
制帽: 白
シャツ: 白(半袖)
パンツ: 白
1st~2nd期は全身白い制服を着ていたため、ベトナムに派遣されたアメリカ兵たちは街のベトナム人警察官たちを『ホワイトマウス』とあだ名した事が知られています。そのイメージが強いせいか、映画フルメタルジャケットではサイゴン市内で交通整理をしている警察官がこの白い制服を着ていますが、映画の時代設定である1968年には白制服は廃止されていたので時代考証的には誤りです。

3rd (1966-1971)
制帽: ライトブルーグレー
シャツ: 白(半袖)
パンツ: ライトブルーグレー

4th (1971-1975)
制帽: ブルーグレー
シャツ: ブルーグレー(半袖)
パンツ: ブルーグレー
なお内勤者では引き続き白シャツ(半袖)の着用例が多く見られる。


階級章の変遷



過去記事『国家警察の階級』も参照

ベトナム警察の階級システムおよび階級章は大きく分けて3つの時代に分けることが出来ます。

1st (1955-1962) ※公安警察総局期
公安警察総局期の階級章に関しては、まだ資料が手に入っていないので、今回は割愛しています。

2nd (1962-1971)
1962年制定の国家警察前期階級章は、1971年まで基本デザインは同じですが、1966年の制服改定(3rd制服導入)に伴い、パッド型からスリップオン式肩章に変更されています。

3rd (1971-1975)
1963年11月の軍事クーデター以降、国家警察は軍の指揮下に置かれており、国家警察総局総監を始めとする警察幹部の大半は軍からの出向者が務めていました。ベトナム戦争が激化すると軍と国家警察の同化はますます進み、1971年には新たに4thの制服が採用されるのと同時に、国家警察の階級システムおよび階級章のデザインも陸軍式に切り替わります。またこの1971年制定階級章では、台布の色でその人の身分が警察官(国家警察正職員)か、軍人(国家警察出向者)かを表すようになりました。
  


2022年07月09日

第222野戦警察団

※2022年7月10日更新
※2022年8月19日更新

ベトナム国家警察野戦警察隊については以前野戦警察』で概要をまとめましたが、今回は僕が野戦警察のコスプレをする際に設定としている第222野戦警察団についてまとめました。

▲手持ちのPhuoc Hung製レプリカの警察(ホアマウダット)迷彩服。詳しくはこちら


【組織の変遷】

I. 陸軍 第611白虎大隊(1961-1963)

ベトナム国家警察第222野戦警察団はもともと、陸軍の治安部隊として発足した。
1960年11月11日の政府軍幹部によるジエム政権へのクーデター未遂事件から1年後、ジエム政権は社会秩序の維持およびデモや暴動鎮圧を目的とする治安部隊を陸軍内に発足させた。
チャン・バン・ダン少佐が指揮するその部隊は1961年11月6日に創設され、その創設日にちなんで第611白虎大隊(Tiểu Đoàn Bạch Hổ 611)』と命名された。以後、白虎大隊は約2年間に渡ってジエム政権の下で治安維持任務に当たった
しかし1963年11月のクーデターでジエム政権は崩壊し、白虎大隊もその任務を終えた。


II. 国家警察 戦闘警察大隊(1963-1964)

1963年11月クーデター後にグエン・ゴック・トーを首相とする暫定政権『革命軍事評議会(HĐTLCM)』が発足すると、ジエムの配下にあった白虎大隊は陸軍から国家警察へと編入され、新たにフイン・ホン・カム少佐が指揮する『戦闘警察大隊(Tiểu Đoàn Cảnh Sát Chiến Đấu)として再出発した。
(なお、1963年の軍事クーデター以降、国家警察は軍の指揮下に置かれ、国家警察長官をはじめとする警察幹部のほとんどは軍からの出向者が務めた)

▲戦闘警察大隊部隊章(コレクター所蔵品)

戦闘警察大隊ベレー


III. 国家警察 秩序警察大隊(1964)

翌1964年、グエン・カーン将軍が革命軍事評議会を転覆させ、自らを首班とする『軍事評議会(HĐQL)』政府を発足させた。
この政変に伴い、戦闘警察大隊はズォン・クアン・ティェップ少佐(後の第1国家警察管区司令)が指揮する『秩序警察大隊(Tiểu Đoàn Cảnh Sát Trật Tự)へと再び改称された。


IV. 国家警察 第222野戦警察団(1964-1975)

1964年2月22日、秩序警察大隊は再び改編され、その改編日にちなんで第222野戦警察団(Biệt Đoàn 222 Cảnh Sát Dã Chiến)(以下BĐ222)』へと改称された。
さらに翌1965年1月からは、BĐ222に倣った国家警察の機動実力部隊=野戦警察中隊(Đại Đội CSDC)が全国の省警察本部に順次編成された。

▲野戦警察隊部隊章(袖章)

▲BĐ222部隊章(胸章)


白虎大隊の創設から数えてのべ14年間、BĐ222国内の治安維持を担っており、首都サイゴンにおける政府施設防衛、暴動鎮圧のほとんどに投入されている。サイゴンでは国家警察本部、独立宮殿、首相官邸、テレビ局、ラジオ局、各政府省庁などの重要施設がBĐ222の警備対象であった。
同時に、BĐ222は国家警察司令部直属の総予備(即応)部隊でもあり、各地方の治安部隊が対処能力を超えた事態に遭遇した場合、要請に応じて中隊群(Liên Đội)または中隊規模の部隊をしばしばブンタウ、ニャチャン、ダラット、コンソン、フーコックなどに派遣した。
また陸軍に匹敵する高い戦闘能力を持つBĐ222は、米軍と合同でのサーチ&デストロイ作戦や、CIAが主導するフェニックス・プログラムによる平定作戦の実行部隊としても活躍した。

BĐ222は国家警察に所属する部隊ではあったが、その編成は陸軍部隊に準じたものであった。
兵力はおよそ3,000名の少数精鋭部隊であり、部隊の編成は以下の通りであった。

・本部―参謀第1室(管理), 第2室(情報), 第3室(計画・作戦・訓練), 第4室(兵站)
          心理戦部
          警察保安部
          通信部
・公務中隊
・作戦中隊×12
・重火器小隊×1
・中隊群本部×3 (A, B, C中隊群)

各中隊は通常、団本部の直接指揮下にあるが、作戦に応じて2個以上の中隊を運用する場合、団本部の下位に中隊群本部が設置される。
治安維持と戦闘という二つの異なる性格の任務を果たすために、BĐ222の隊員は必要に応じて通常の軍事訓練に加えて、治安維持に関する専門的な訓練を受けた。
また軍事面での作戦能力を高めるため、BĐ222の将校は空挺、レンジャー、特殊部隊、空挺コマンドなど陸軍のエリート部隊から派遣されていた。


歴代指揮官

Trần văn Dần (第611白虎大隊)
Huỳnh Hồng Cẩm (戦闘警察大隊)
Dương Quang Tiếp (秩序警察大隊)
Phạm Huy Sảnh (第222野戦警察団)
Nguyển Trọng Tòng
Phạm Ngọc Anh
Nguyển Thành Sinh
Nguyển Kim Biên
Lai Văn Sáng
Nguyễn Công Triệu


【第222野戦警察団の主な活動】


1963年 仏教徒危機

1963年に仏教徒危機が発生すると、サイゴン市内は政府への抗議者で溢れ、首都は機能停止状態に陥っていた。これに対し政府は軍・警察の治安部隊を投入し、秩序回復を命じられた陸軍第611白虎大隊(後のBĐ222)はデモ参加者の鎮圧にあたった。

▲仏教徒危機においてデモ参加者を逮捕・移送する陸軍の治安部隊 [1963年サイゴン]
迷彩服を着用していることから、白虎大隊もしくは特殊部隊と思われる。


1966年 中部仏教徒デモ

1966年ベトナム中部のフエ、ダナンを中心に、僧侶ティック・チ・クアンおよびダム・クアン・イウ大佐らの主導による大規模な反政府デモが発生。
状況を打開するため、国家警察総局総監グエン・ゴック・ロアン(当時空軍大佐)は自ら現地に赴き、またロアン総監に随行してファム・フイ・サン少佐が率いるBĐ222がダナンに出動した。
ロアン総監BĐ222によるデモ隊強制排除の可能性を材料にデモ主導者のチ・クアンと直接交渉を行い、その結果チ・クアンは逮捕されサイゴンのズイタン病院に軟禁されたが、その見返りに警察側による実力行使は回避され、混乱は早々に終息した。

▲デモ指導者ティック・チ・クアン師との直接交渉にあたるグエン・ゴック・ロアン国家警察総監 [1966年ダナン]
ロアン総監は野戦警察の迷彩服を着用している。


1967年 ビンディン省におけるサーチ&デストロイ作戦

1967年、BĐ222は第4戦術区ビンディン省ボンソンにおいて、アメリカ陸軍第1騎兵師団と合同でサーチ&デストロイ作戦に従事した。ベトコンゲリラの聖域とされたこの地域での平定作戦は数ヶ月に渡って実施された。

▲BĐ222隊員と米陸軍第1騎兵師団第545憲兵中隊隊員 [1967年ビンディン省]


1968年 マウタン1968戦役(テト攻勢)

解放民族戦線がテト休戦の慣例を破り、ベトナム人にとって最も重要な祝日であるテトを狙って全国で同時多発的に攻撃を開始。
首都サイゴンにおいても複数の政府関連施設及び重要施設が解放民族戦線によって一時占拠される。
その後BĐ222は占拠されたサイゴン・ラジオ局の奪還に当たり、敵を掃討してラジオ局の奪還に成功した。


1972年 ロンタン孤児院一斉捜索

フェニックス・プログラムの一環として、BĐ222は1972年2月、国家警察司令部の直接指揮下でビエンホア省本部に派遣され、同省内にあるロンタン孤児院の一斉捜索へ投入された。
国家警察による捜査の結果、このロンタン孤児院の実態は共産ゲリラの隠れ蓑であり、慈善事業を装ってテロ活動のための資金・物資を調達する拠点となっていた。また院内では、孤児たちを共産側の兵力として利用すべく、解放戦線や労働党秘密党員幹部によって、子供たちに対する反サイゴン政府洗脳教育が行われていたとされている。


1973年 コンソン島捕虜収容所における捕虜交換

1973年、パリ協定によって北ベトナムとの戦争が一旦休戦し、南北の捕虜交換が開始されると、コンソン島の共産軍捕虜収容所にはパリ協定に基づき、収監されている囚人の中から北ベトナムへの送還者を共産軍側が選別する『コンソン矯正センター監督委員会』が設置された。
BĐ222はコンソン島に派遣され、共産側の監督委員会と合同で捕虜の送還に当たった。また同時に、人質として監督委員会に監禁されていた政府側の収容所所長がBĐ222によって保護された。


1974年 サイゴン反政府デモ

1974年10月、サイゴンにおいて政府の腐敗を糾弾する大規模デモが発生。BĐ222を含む治安部隊が鎮圧にあたる。



1974年 ホアハオ部隊反乱鎮圧

1974年末、第4軍管区カオランにて、それまで政府軍に属していたホアハオ教徒による地方部隊『ホアハオ保安総隊 (Tổng Đoàn Bảo An Hòa Hảo)』が反乱を起こしたため、BĐ222は鎮圧に派遣された。


1975年 サイゴン橋の戦い

共産軍が首都サイゴンを包囲した1975年4月28日から29日にかけて、BĐ222最後の戦いを行う。
4月28日午後4時頃、空挺師団が守備にあたっており、すでに共産軍との戦闘の最中にあったビエンホア街道上のサイゴン橋に、BĐ222 A中隊群(第5,8,10中隊)が到着。守備任務を空挺師団から引き継ぐ。
サイゴン橋をめぐる一昼夜に及ぶ激しい戦闘の末、共産軍はサイゴン橋の攻略を断念し、4月29日午後4時に一時撤退する。
辛くもサイゴン橋の防衛に成功したBĐ222は新たな戦闘に備え、武器・食料の補給を行う。
しかし翌30日午前10時15分、ズオン・バン・ミン総統が全軍に戦闘停止を下令し、戦争は終結した。


参考サイト

  


2020年02月11日

CSDC白虎中隊

※2023年3月25日更新

「鉄は熱いうちに打て」という事で、やる気があるうちに一気に作業すべく、久しぶりの祝日休みを利用して今日も一着片付けました。

今回の設定は、ベトナム国家警察第222野戦警察団です。
ベースの服はEAではなく、最近サイゴンで生産されたベトナム製リプロです。よく出来ています。
プロデューサー曰く、ボタンは戦中の実物を使っているそうです。最初それを聞いた時は「嘘くせ―」と思いましたが、うちにある戦後製の同型ボタンと見比べてみると、確かに色味が実物にそっくりです。まだ実物だと断定はできませんが、少なくとも見た目は最高にリアルです。
それに、いつもの自家製プリントパッチを縫い付けました。

※徽章類を付けなおしました。『第222野戦警察団』参照

ちなみにこのプロデューサーは服だけでなく、ちゃんと八角帽まで作ってくれました。さっすが~♪

 


なお、このブログを定期的に読まれている方ならお気づきでしょうが、第222野戦警察団の服はこれで2着目です。
1着目は、過去何度も改造過程を記事にしてきた服です。

こちらは十数年前に発売された日本製レプリカがベースです。メーカー名は忘れましたが、巷で言われている豊〇公司製ではありません。豊〇氏本人に確認したら、「確かに資料として実物の迷彩服を貸したけど、作ったのは俺じゃない」との事でした。
こちらの服の迷彩は、上のベトナム製のレプリカとは全く別物に見えますが、これはこれでちゃんと実在する迷彩パターンです。現在一口に『クラウド・パターン』と呼ばれているベトナム国家警察迷彩は、実際には多種多様なパターン、色使いが存在しています。
共通しているのは、米海兵隊のリバーシブル迷彩(通称ミッチェル)の茶色側(通称クラウド)をベースにしており、「全体的に茶色っぽい」というだけで、比べてみると全く別物の迷彩が入り混じって使用されていました。

これはうちにある実物の警察フィールドジャケットです。上で挙げた日本製のレプリカは、色使いは薄黄緑色が使われたこのパターンに似ていますが、パターンそのものはまた別になります。
このように、ベトナム警察迷彩:通称クラウドは、タイガーストライプ並みに様々なパターン・バリエーションが存在しているのですが、僕は迷彩そのもののマニアではないため、その分類や年代についてはよく分かりません。また迷彩マニアの間でも、ファンが少ないため、あまり研究は進んでいないようです。


ちなみに、新しい服を買ったのになぜまた今回も同じ白虎中隊という設定にしているかと言いますと、
第222野戦警察団は野戦警察で唯一管轄地域を持たず、要請に応じて全国に出動する警察の即応部隊なので、イベントの設定がどこであれ着ていて不自然になりにくいから(過去記事『野戦警察』参照)
という理由でございます。
本当はもっといろんなパッチを付けて遊びたいんですが、野戦警察の組織・パッチには未解明な部分が多くて、まだ手を出せないでいます。


おまけ

チャイマット野戦警察訓練センターにおける戦闘訓練の映像
[1970年テュインドゥック省ダラット]
  


2020年01月23日

国家警察の階級

※2020年1月24日更新
※2022年7月25日更新

現在、ベトナム共和国の警察組織の階級についてまとめ中なのですが、警察官の階級を日本語でどう表記すべきか迷っています。
過去記事『漢字にすれば、いいのです』で書いたように、ベトナム語の名詞はだいたい漢字に変換できるので、今回もまずは、1962年制定の国家警察(CSQG)の14階級を漢字に変換してみました。

CSQGの階級(1962-1971)
ベトナム語 ベトナム語漢字表記
Cảnh Sát Viên 警察員
Phó Thấm sát viên Công nhật 副審察員功日
Phó Thẩm sát viên 副審察員
Phó Thẩm sát viên Thượng hạng 副審察員上項
Thẩm sát viên Công nhật 審察員功日
Thẩm sát viên 審察員
Thẩm sát viên Thượng hạng 審察員上項
Biên tập viên Công nhật 編集員功日
Biên tập viên 編集員
Biên tập viên Thượng hạng 編集員上項
Quận trưởng 郡長
Quận trưởng Thượng hạng 郡長上項
Kiểm tra 検査
Tổng Kiểm tra 総検査

しかし軍隊の階級や軍事用語とは異なり、警察の階級名は日本のものとかなり違うので、漢字にしてもいまいちピンと来ません。

中でも特に『Công nhật (功日)』は自分で調べても意味が分からなかったので、ベトナムの友人たちに意見を求めました。
すると、Công nhật丁寧に言うと『Công sức bỏ ra Nhật』 、つまり『日払い労働』や『非常勤』という意味になるそうです。
これを警察の階級っぽく意訳すると、『補』と言ったところでしょうか。

『Thượng hạng (上項)』はそのまま『上級』や『上等』になるので、これはさして問題ありません。
なので、上記の点を踏まえて、各階級を日本の警察の階級名に当てはめつつ意訳すると以下のようになると思います。

CSQGの階級(1962-1971)
ベトナム語 ベトナム語漢字表記 日本風意訳
Cảnh Sát Viên 警察員 警察官見習
Phó Thấm sát viên Công nhật 副審察員功日 巡査
Phó Thẩm sát viên 副審察員 巡査部長
Phó Thẩm sát viên Thượng hạng 副審察員上項 上級巡査部長
Thẩm sát viên Công nhật 審察員功日 警部補
Thẩm sát viên 審察員 警部
Thẩm sát viên Thượng hạng 審察員上項 上級警部
Biên tập viên Công nhật 編集員功日 警視
Biên tập viên 編集員 警視正
Biên tập viên Thượng hạng 編集員上項 上級警視正
Quận trưởng 郡長 警視長
Quận trưởng Thượng hạng 郡長上項 上級警視長
Kiểm tra 検査 警視監
Tổng Kiểm tra 総検査 警視総監

※Cảnh Sát Viên(警察員)は階級章を持たない非正規職員なので、巡査ではなく『警察官見習』と意訳しました。


また1955年のベトナム共和国の成立から1962年の国家警察(CSQG)発足までは、ベトナムの警察組織は公安警察省(Tổng Nha Cảnh Sát Công An)の下で、警察(CS)と公安(CA)が別々の組織として存在していました。
上の1962年制定CSQGの階級および意訳から逆算すると、CS時代の階級は以下のようになると思います。

CSの階級(1955-1962)
ベトナム語 ベトナム語漢字表記 日本風意訳
Cảnh Sát Viên 警察員 警察官見習
Thẩm sát viên 審察員 警部
Biên tập viên 編集員 警視正
Quận trưởng 郡長 警視長
Kiểm tra 検査 警視監
Tổng Kiểm tra 総検査 警視総監

1962年制定のCSGQ階級は14階級ありましたが、この1955-1962年までのCS時代の階級は6階級しかありませんでした。
また1962年制定では6階級(副審察員功日/巡査~審察員上項/上級警部)になる下士官級が、この時代は審察員/警部の1階級しかありませんでした。

またさらに、CSGQ1971年に、北ベトナムとの戦争の本格化に伴い軍との協力体制を強化するため階級制度を大幅に変更し、階級名および階級章を陸軍式に改訂します。

※こちらの記事に改訂版を載せています。
ベトナム警察の制服と階級章
https://ichiban.militaryblog.jp/e1102221.html


以下、実際の階級章の使用例です。


また、1955年制定のCSおよびCA時代の階級章はまだ全容が掴めていないので、引き続き調べて行こうと思います。
  


2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトナム共産軍(ベトコン)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土が戦火に包まれ、以後半年間でベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ組織(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、ベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2017年05月21日

5月の撮影会

埼玉県某所で二日間に渡ってプチ撮影会をしてきました~
写真は全てスマホで撮った物をPCのPhotoshopで加工したものです。
古写真風加工についてはこちらの記事をご覧ください。

1日目 ベトナム陸軍歩兵 (1960年代前半~中盤)





以下、当時の動画


ベトナム陸軍第7歩兵師団 "アプバクの戦い" (1963年1月 ディントゥオン省アプバク)


アメリカ陸軍によるベトナム共和国軍への支援活動 (1963年)

世界的にベトナム戦争ヒストリカルというと、大抵ハリウッド映画の真似をするために1960年代末の設定にされしまいますが、僕にはその年代に拘る理由が無いので、1946年から1975年までのベトナム政府軍をリエナクトメントの対象としています。(まだ50年代以前はあまり揃ってないけど)
映画の真似をしたいと思う事自体は否定しませんが、この趣味はあくまでフィクション作品ではなく現実の歴史を題材とするものですので、もっと広い視野で歴史再現に取り組む人が増えてくれたら良いなと思っています。



2日目 ベトナム国家警察野戦警察隊(1960年代末)



同じく当時の動画


テト攻勢"チョロン市街戦" (1968年2月 ジアディン省サイゴン)


チャイマット野戦警察訓練キャンプ (1970年2月 トゥエンドゥック省ダラット)


  


2017年01月14日

警察迷彩服の続き

リプロお直し

以前『警察迷彩お直し』で手を付け始めてからしばらく放置していたリプロのベトナム国家警察迷彩服がとりあえず形になりました。

<新品状態>



<改造後>


 ジャケットはポケットの形を縫い直して、ボタンを別の物に交換、さらに自作のパッチを付けています。今後、もしやる気が出たらエポレットを追加して、半袖に改造しちゃってもいいかなと思ってます。パンツは特に面白くないので写真撮ってませんが、カーゴポケットを外して、ケツポケットは2ボタンのままマチの無い貼り付け式に改造しました。
 胸の部隊章は第222野戦警察群(Biệt Đoàn 222 CSDC)です。この部隊は要請に応じて全国に展開する即応部隊だったので、ヒストリカルイベントの際、他部隊と一緒に写真に写った時に、「その部隊は当時全く別の地域に居たので一緒に写っているのはおかしい」という状態にならないで済むので便利だなと思った次第です。しかしこの部隊内の構成はまだ調べ切れていないので、右袖に中隊パッチは付けていません。
※野戦警察の組織については過去記事『野戦警察』参照

▲第222野戦警察群と思しきパッチを付けた人たちが袖に第601中隊のパッチを(なぜか左袖に)付けている写真があったけど、まだ確証は得られていないので今回は作ってません。


野戦警察における階級章

 野戦警察はベトナム国家警察内の戦闘部隊(日本の警察で例えると警備部・機動隊)ですので、当然ながら隊員のほとんどは警察官であり、国家警察の階級章を身に着けていました。

 
▲国家警察の肩章式(制服用)階級章。この他に略式のスリーブ式(両肩)、バッジ式・金属バッジ式(胸に着用)が用いられました。

 しかし当時の写真を見ていると、野戦警察の将校の中にはしばしば警察ではなく陸軍の階級章を付けている者もいる事に気付きます。僕はこれらの例について当初、野戦警察は陸軍と共同で任務に当たる事もある戦闘部隊である為、陸軍側に階級を示すために警察将校が勝手に身に着けているものだと思っていました。ところがその後、どうもそうとは限らない事を示唆する写真が出てきました。

 この写真の撮影時期は不明ですが、皆作戦服姿で胸に警察戦誉勲章(Cảnh Sát Chiến Dự Bội Tinh)を佩用していることから、野戦警察における勲章授与式の写真だと思われます。ここに写っている兵士のほとんどは胸に警察下士官のバッジ式階級章を付けているのですが、真ん中のアーミーグリーン作戦服を着た人だけは、襟に陸軍中尉の階級章(刺繍)を付けています。そして彼の頭には、陸軍(一般兵科)将校用のベレーが乗っています。
 つまり彼は、陸軍の階級章を付けた警察官ではなく、正規の陸軍将校である可能性が高いという事が分かります。しかし警察の勲章を佩用し、胸ポケット上に青い警察のネームテープを付けている事からも、所属部隊は明らかに野戦警察のようです。なぜ野戦警察に陸軍将校が所属しているのでしょうか?
 これについて文献での確認はまだ取れていませんが、ある程度推測する事は可能です。まずベトナム共和国国家警察は、少なくともゴ・ディン・ジェム政権に対するクーデターによって軍事政権が発足した1963年11月以降、ベトナム共和国軍総参謀部の指揮下にありました。歴代の国家警察長官や警察幹部は軍の高官が兼任しており、国家警察は国内の治安を担当する軍の下部組織という状態でした。テト攻勢の際のテロリスト射殺で知られる国家警察長官グエン・ゴック・ロアン少将も、元々は空軍の戦闘機パイロットでした。
 そのため軍人が警察に出向する事は決して珍しい事ではなく、中でも特に軍と共同で戦闘任務に当たる野戦警察は、より軍と近しい関係にあったと思われます。したがって当時の野戦警察に見られる陸軍の階級章を付けた者たちの中には、軍から警察に出向している陸軍将校が多く含まれているはずと推測しています。



今後の製作物

 警察の階級章欲しいけどレプリカ売ってないし、自作するにも銀テープの織り目が独特だから材料が無いんだよね。どこかに良い代用品ないかなぁ~と探してたら、ありましたよ。我らがダイソーに。


100円で階級章10人分くらい作れる。うひひ
  


2016年12月24日

野戦警察

※2020年2月11日更新
※2022年7月15日更新


今回は、ベトナム共和国国家警察野戦警察部隊について、ベテランズアソシエーションのホームページで見付けた情報をいくつかご紹介します。
引用: Gia Đình Mũ Đỏ Việt Nam, Bộ Huy Hiệu Cảnh Sát Quốc Gia VNCH, BKT sưu tầm

※2016年12月25日加筆・修正


野戦警察の概要

野戦警察(Cảnh Sát Dã Chiến, CSDC)ベトナム共和国国家警察(Cảnh Sát Quốc Gia, CSQG)が保有する武装部隊であり、1965年1月27日に設立された。野戦警察は地域の秩序および安全の維持を目的とし、共産ゲリラによる破壊活動阻止及び国内の暴動の鎮圧を遂行した。野戦警察には陸軍歩兵部隊と同等の訓練・装備が施され、最終的に全国で約16,500名の警察官が戦闘任務に当たった。
野戦警察の士官は国家警察アカデミー(Học Viện CSQG)を卒業した後、共和国軍のトゥドゥック歩兵学校において軍の士官課程も修了する必要があった。また野戦警察の士官・下士官はマレーシアやフィリピンの訓練センターに派遣され、暴徒鎮圧やジャングル戦の訓練を受講した。一般の隊員はブンタウで警察官基本課程を修了した後、ダラットの野戦警察訓練センター(TTHL CSDC Ðà Lạt)において軍事および野戦警察の専門知識を学んだ上で部隊配属となった。

▲野戦警察の部隊章


野戦警察中隊 (省)
国家警察は各省の国家警察本部野戦警察中隊(Đại Đội CSDC)を1個中隊配置し、省付きとしては全国で計44個中隊が駐屯した。また各中隊にはその省の人口に応じた数の小隊が編成された。
例として第1戦術地区最大のフエ―トゥアティエン省を管轄する第102野戦警察中隊は10-13個小隊、計500名の小銃兵で構成された。またトゥアティエン国家警察本部(BCH CSQG Thừa Thiên)の職員は野戦警察を含めて約5000名に上り、共和国軍の少佐が本部長を務めた。

戦術地区/軍管区野戦警察中隊
1Quảng Trị101
Thừa Thiên102
Quảng Nam103
Quảng Tín104
Quảng Ngãi106
2Kontum201
Bình Định202
Pleiku203
Phú Bổn204
Phú Yên205
Darlac (BMT)206
Khánh Hòa 207
Quảng Đức208
Tuyên Đức209
Ninh Thuận210
Lâm Đồng211
Bình Thuận212
3Phước Long301
Bình Long302
Bình Tuy303
Long Khánh304
Bình Dương305
Biên Hòa306
Phước Tuy307
Tây Ninh308
Hậu Nghĩa309
Long An310
Gia Định311
4Định Tường401
Kiến Tường402
Gò Công403
Kiến Hòa404
Kiến Phong405
Vĩnh Bình406
Vĩnh Long407
Sa Đéc408
Châu Đốc409
Phong Dinh410
An Giang411
Ba Xuyên412
Bạc Liêu413
Chương Thiện414
Kiên Giang415
An xuyên417


野戦警察中隊 (自治都市)
省付きの他に、以下の6つの自治都市には野戦警察中隊が各1個中隊駐屯する。

戦術地区/軍管区都市野戦警察中隊
1Đà Nẵng105
2Thị xã Cam Ranh?
3Thị xã Vũng Tàu?
Thị xã Long Bình?
Thủ đô Sài Gòn?
4Đảo Phú Quốc?


中央野戦警察団

※2018年7月3日訂正  『Biệt Đoàn』の日本語訳を『群』から『部隊』に変更しました。
※2020年2月11日訂正  『Biệt Đoàn』の日本語訳を『部隊』から『団』に変更しました。

野戦警察には地方を所管する野戦警察中隊の他に、サイゴンに駐屯する中央野戦警察団(Biệt Đoàn CSDC Trung ương)が二部隊存在した。
サイゴン市警察本部に駐屯する第5野戦警察団は、首都サイゴンおよびジアディン省の都市部を管轄し、11-14個の作戦中隊で構成された。
同じくサイゴン駐屯の第222野戦警察は必要に応じて全国に派遣される国家警察本部直属の即応展開部隊であり、6個中隊で構成された。
なお各中央野戦警察部隊内の中隊は4個小隊で構成された。

戦術地区/軍管区 地域 中央野戦警察団
首都独立区・3 首都サイゴンおよびジアディン省 5
- 全国 222

第5野戦警察団(左), 第222野戦警察団(右)部隊章


特別警察本部
米国CIAの主導によるベトコンインフラ破壊工作『プロジェクト・フェニックス(Project Phoenix)』が開始されると、ベトナム国家警察はフェニックス計画の実行を指揮する特別警察(Cảnh sát Đặc Biệt)本部を軍団本部に設置した。警察の指揮下にはフェニックス計画の実行に当たる野戦警察、地方軍パトロール中隊(PRU)、CIDGキャンプおよび各民兵組織が集結し、市民への宣伝工作からベトコン容疑者の誘拐・暗殺まで様々な特殊作戦を統括した。

▲国家警察第1軍団特警察 部隊章


国家警察本部部隊

駐屯地 部隊名 部隊番号
サイゴン 国家警察本部 600
ブンタウ 国家警察アカデミー/ 国家警察幹部訓練センター 605
ダラット 野戦警察訓練センター 607 / 816

今回は発見できたのは主に野戦警察に関する事柄であり、他の警察組織についてはまだ不明な点だらけです。
とは言え上の野戦警察中隊リストを見る限りでは、制服の右袖に付ける丸い部隊章の数字は省を示す番号と思われ、恐らく野戦警察もその他の警察組織も共通だという事が分かったのは大きな収穫でした。
ただし500番台は、おそらく第5野戦警察団隷下の中隊だと思われますが、このリストには記載されておらず、まだはっきりとは把握できていません。

▲うちにある506のパッチ
正体が分かったら改造した警察迷彩服リプロに付けようと思ってたのに、まだ微妙なまま。
  


2016年09月17日

警察迷彩お直し

 去年、十数年前に売られていた懐かしのベトナム共和国国家警察迷彩服(通称クラウド)のリプロがデッドストックで某エアガンショップから格安で売り出され、身内でちょっとしたお祭り騒ぎになりました。以前から米国在住の国家警察ベテランの方がクラウドのリプロを欲しがっていたので、その時この服を代理購入して2着ほど米国に送ったくらいです。


 しかしこの服はいまいち完成度が足りない(と言うかいろいろ間違ってる)ので、ホア少尉も「この形じゃなよね・・・」と残念がってました。とは言え、今のところ使えるリプロはこれしかない(※)ので、贅沢は言えません。不満な部分は自分で手直ししちゃいます。

※なんか数年前からイーベイに国家警察迷彩服のリプロと称されるダックっぽい謎の迷彩服が出回ってるけど、あれは迷彩パターンそのものが出来が悪いを通り越して全くの別物なので無視しています。
※つい最近、EAがクラウドのリプロ作ってるような事を窺わせる写真を公開してますね。あれが試作品なら、なかなか期待できると思います。あとは変な裁断で作られない事を祈るばかりです。


 まず、全てのポケットがタイガーストライプのノリでマチつきになってるので、一旦全部服から外して作り直し。縫い跡が残るのは悔しいけど、新品なので比較的目立たないのがまだ救い。
 警察迷彩服は軍とは別の発注?生産ライン?のようで、軍の作戦服とは明らかに裁断が異なります。ポケットは1ボタンもあれば2ボタンもあり、形も四角だったり角面だったりで、実物軍服には疎い僕には、何が正解なのか全然わかりません。なのでとりあえず今回は、僕個人の好みで上着は1ボタン四角ポケットの2ポケットで、エポレットを追加。ズボンはケツポケットが(フラップを使いまわすために)2ボタンのままマチをなくし、カーゴポケットを撤去という形でやってみようと思います。


ボタンはたまたま家にあった市販の黒いABS製ボタンで代用。本当は上段にある真ん中が平らなタイプが実物と似ているので全てこれを使いたかったのですが、数が足りないので膨らんでいるタイプも使っちゃいます。


また服自体のサイズが僕には大きかったので、自分の体形にフィットしている服を重ねて、余った部分を詰めます。
※股の立体裁断部を無理に縫いつぶすと履き心地がかなり悪くなるので注意。僕は過去に何度も失敗してます。

 



とりあえず、今の進捗はここまで。
ミシン作業は馴れたものですが、エポレットをちゃんと肩口に差し込むか、上から縫い付けて誤魔化すか、まだ考え中です。


当時基地の近所に必ずあった軍服のお直し屋さん。もしかして店の二人が着てる服も余った軍服生地で作ったもの?(笑)
  


2014年06月05日

ヘルメットと腕章

先日、南ベトナム軍の軍犬隊(QK)の腕章を入手したので、ついでに軍犬隊同様、部隊専用のヘルメットマーキングと腕章を着用する部隊をまとめてみました。

まずは言わずと知れた


軍警隊(Quân Cảnh, QC)

第2軍警大隊に逮捕される兵士(恐らくCIDG)


軍警隊はその名の通り軍の規律を監督する部隊で、また国家警察と共同で後方地域の保安・治安任務にも当たりました。
軍警隊司令部は総参謀部の直下に置かれ、各部隊の命令系統から独立した機関でした。
軍警隊は軍管区ごとに各1個大隊が配置され、I~IV軍団(軍管区)は第1~4軍警大隊が、首都特別管区は第6軍警大隊が担当しました。また、第5軍警大隊は即応予備部隊として要請に応じ全国に派遣されました。
同時に、各歩兵師団や海軍、空軍などには専属の軍警中隊(もしくは分遣隊)が常駐します。
この他、軍警隊は全国に5ヶ所の捕虜・共産兵収容所を運営していました。(ベトコンは外国軍ではなく国内のテロリスト・政治犯なので捕虜ではなく犯罪者と扱われるが、一般犯罪者とは区別され軍警隊が管理する)

※2017年6月5日修正
こちらに新たに入手した資料も交えた部隊の一覧を掲載しました。

ちなみに軍警隊の採用基準は身長168cm以上、体重65~70kgの範囲内と、当時のベトナム人としてはかなり大柄な(かつ太ってはいない)人しか入れませんでした。


※2019年10月9日訂正

軍犬隊(Quân Khuyển, QK)
軍規員(Quân Kỷ, QK)

ヘルメット・腕章に"QK"と入る部隊は軍犬隊ではなく、同じくQKと略す軍規員(Quân Kỷ)という職種でした。
軍法に則り捜査・逮捕権を持つQC(軍警隊)ほど強い職権を持つ組織ではなく、隊内の秩序維持を担う風紀委員的な役割の隊員だったそうです。


ヘルメットのペイントや腕章は知っての通りアメリカ陸軍憲兵隊(MP)から影響を受けたものですが、南ベトナム軍では軍警隊に限らず、その他の警務・保安系の部隊でも使われていました。
その一つが軍犬(軍用犬/K-9)部隊です。軍犬隊も軍警隊のようにヘルメットにQKのペイントや腕章を使っていますが、
軍警隊の配下というわけではなく、国防省内の軍犬課(Nha Quân Khuyển)という部署が所管する独立した組織です。
部隊としては軍犬訓練補充センター(Trung tâm Huấn luyện và Bổ sung Quân khuyển)と各軍犬センター(Trung tâm Quân Khuyển)から構成されており、軍用犬・調教師の育成と共に、各部隊・軍警・警察の軍犬担当者への教育も行っていたようです。

▲そしてこれが今回入手したQKの腕章。僕は犬が好きなので、南ベのワンちゃんグッズとして買いました。
僕はあまり保安系部隊のグッズを集める気はなかったのですが、QKなら軍犬隊そのものに所属していなくても、各部隊の軍犬部隊という事でQKの腕章を付ける事は有り得そう。
つまり腕章さえあれば、ヘルメットとか革のベルト一式とか用意しないでも、手持ちの服に付けるだけででお手軽にコスプレできるんじゃないか?という淡い期待で購入w



統制員(Kiểm Soát, KS)


『統制』とは軍警や軍犬のように独立した部隊ではなく、軍隊の指揮系統において作戦の遂行を監視・監督する役職の事で、アメリカ軍で言う"Control"に当たります。
南ベトナム軍はもともとフランス軍の一部であったため、1950年代まで軍の指揮システムは完全にフランス軍のスタイルを引き継いだものでした。
しかし60年代に入りアメリカによる援助が本格化すると、南ベトナム軍はアメリカ軍との共同作戦を念頭に置き、軍事指揮システムを細部に至るまでアメリカ軍式(つまりNATO軍標準システム)に変更、統一化を目指すようになります。
この統制員も、そうしたアメリカ軍式指揮システムの導入によって生まれた部署ではないかと推測しています。



国家警察 警ら隊(Tuần Cảnh, TC)



左端の『TC』と書かれたヘルメットを被る二人は、一見上で紹介した軍の保安部隊と同じように見えますが、実は彼らは軍人ではなく警察官です。
よく見ると肩の階級章や右袖の分署パッチからも彼らが警察官だという事が分かります。
国家警察の中で軍隊っぽい見た目の部署と言うと『野戦警察(CSDC)』が有名ですが、他にも『河川警察(GC)』などは出動時は野戦服をメインに着用しており、TCもまた軍の軍警隊と共に都市部の治安任務にあたる武装警ら隊と言ったところのようです。



保安隊(An Ninh, AN)


まだ正確な情報は得られていないのですが、恐らく基地警備を行う保安隊だろうと思われます。
軍法に基づき司法・捜査権を持つ軍警隊とは異なり、保安隊は純粋に基地内外の警備を任務としていたようです。

※2017年6月6日訂正
正しくは、保安隊は政治戦総局軍事保安局(Cục An Ninh Quân Đội)に所属する防諜部隊で、軍内部のスパイ摘発などを任務とする内務調査部隊でした。



騎兵科(Kỵ Binh, KB)



保安部隊だけでなく、兵科部隊も儀仗の際に部隊ペイントが施されたヘルメットを使っていたようです。
横のラインが騎兵(機甲)科のイメージカラーであるブルーになってますね。腕章は見られません。
ただし、僕が見たことあるのは騎兵だけで、他の兵科でも同様に使われていたかは未確認です。



教育隊 / 軍事教育総局(Tổng Cục Quân huấn) 

▲ヴァンキェップ国家訓練センター(Trung Tâm Huấn Luyện Quốc Gia Vạn Kiếp)の職員

『軍事教育総局』は士官学校を含む各種学校・訓練センターを所管する国防省・総参謀部の部局で、要は教育隊の教官・助教・職員です。
これら教育隊(一部の学校で学生も)では、学校ごとに独自のマーキングのヘルメットが使用されました。ただし教育隊も腕章は付けません。
南ベトナム軍の教育隊は一般兵が訓練を受ける国家訓練センターだけで全国に9ヶ所、士官学校(軍医・政治戦・警察含む)が全軍で8校、その他各種兵科学校や軍事(指揮幕僚)大学、語学学校など多数あるので、個々の解説はまたの機会に。



よく分からない部隊


右の二人は正面の文字が見えず正体不明。緑色っぽいラインが入っていますね。
部隊章は『首都特別管区隊』に見えなくもないんだけど、なんか違う気もする。
側面の文字は普通、その部隊の中での部署を示すので、"BT"と略す部署もしくは地名だと思いますが、それが何なのか思いつきません。

※2017年6月6日訂正
キャプションにファンティエットでの撮影とある事から、BTは同市を省都とする『ビントゥアン省』の略と思われると、情報を頂きました。恐らくそれで間違いなさそうです。ただし、地名が分かっただけで具体的にどういう組織なのかは依然不明なので、引き続き調べていきます。


PV(空軍?)


これははっきり"PV"と書いてあるけど、何の略なのかさっぱり不明。ただし、胸に空軍を示すパッチが付いています。
隣にいる軍警も胸に空軍パッチを付け、ヘルメットの側面にも20~という部隊番号が見えるので、この軍警は空軍に派遣された第203軍警中隊という事が分かります。
と言う事は、一緒に写っているこのPVは、空軍側の保安要員とか?
今後も調べていきたいと思います。

※2017年6月6日訂正
PVは『防備(Phòng Vệ)』の略で、空軍基地の地上警備隊であるとの情報を頂きました。なるほど~
  


2014年03月29日

タイガー迷彩ヘルメットカバー


普通に売ってたリプロ品なのでレア物でも何でも無いんですが、実際これをコスプレ用に使ってる人が居るのかと言うと、
恐らく限りなくゼロに近いであろうと思われる、ある意味レア(=需要無し)なヘルメットカバーです。

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2014年03月13日

ベトベトまであと1ヶ月!



さぁ、関東最大のナム戦イベント『ベトベトしま戦か?』開催まで、残すところあと1ヶ月となりました!

http://vietviet.nomaki.jp/ 

『ベトベトしま戦か?第17戦』
日時 平成26年4月12~13日
作戦地域 ベトナム共和国サ・ワラ地区(千葉県香取市『エリア51』)


前回のベトベト第16戦では、南ベ好き仲間でベトナム共和国国家警察の野戦警察(CSDC)部隊を演じました。
野戦警察は暴徒鎮圧や都市警備を行う、南ベトナム警察の機動隊のような組織です。

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