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2016年11月05日

続・地方軍の構成

前記事も併せてお読みください。

今回はベトナム空挺アソシエーション『GĐMĐVN=ベトナム赤帽家族』に掲載されていた地方軍の指揮系統、各軍管区を構成する小区についてのまとめを邦訳しました。
出典: Gia Đình Mũ Đỏ Việt Nam: Trang Huy Hiệu Địa Phương Quân & Nghĩa Quân QLVNCH (by. Hiệp Nguyễn)


指揮系統

地方軍・義勇軍中央司令部 (Bộ Chỉ huy Trung ương ĐPQ-NQ)
サイゴンのベトナム共和国軍参謀本部内に設置された地方軍の最高司令部

戦略区/軍管区 (Vùng Chiến Thuật / Quân Khu): 
ベトナム共和国軍の管区。全国4つ管区に分かれ、それぞれに軍団本部および地方軍管区司令部が併設されている。1970年に戦略区から軍管区に改称される

小区 (Tiểu khu)
省毎に設置される地方軍司令部。全国44省にそれぞれ小区本部が設置された

特区 (Đặc khu): 
小区の下に特別に設置される地方軍地区。全国に計5個の特区本部が設置された。特区はいくつかの支区を束ねるが、全ての支区が特区に含まれる訳ではない

支区 (Chi khu): 
小区の下に設置される都市(Thành phố)毎の地方軍地区。全国に242個支区本部が設置された


部隊編成

ĐPQ群 (Liên Đoàn ĐPQ): 
小区の下に設置される地方軍部隊。最終的に全国で50個のĐPQ群が編成された。それぞれのĐPQ群は4~8個のĐPQ大隊で構成される

ĐPQ大隊 (Tiểu Đoàn ĐPQ):
小区の下に設置される地方軍部隊。ĐPQ部隊は当初、中隊(Đại Đội ĐPQ)として編成されていたが、地方軍の規模拡大に伴い1972年にĐPQ大隊に改変、最終的に全国で353個ĐPQ大隊が編成された。ĐPQ大隊は5個の中隊で構成され、本部中隊が80名、4個の作戦中隊はそれぞれ123名が定員とされた。ただし実際にはĐPQ大隊の規模は平均して400名ほどであった

独立ĐPQ中隊 (Đại Đội ĐPQ Biệt lập): 
ĐPQ大隊に属さない小区本部直属の地方軍中隊

偵察ĐPQ中隊 (Đại Đội Trinh sát ĐPQ): 
ĐPQ大隊に属さない小区本部直属の独立地方軍パトロール中隊。小区=省に所属していることから別名"省偵察隊(Đơn Vị Thám Sát Tỉnh)"とも呼ばれ、これを英訳したものがProvisional Reconnaissance Unit (PRU)という呼称である

NQ小隊(Trung Đội Nghĩa Quân): 
村長の指揮下に置かれる地方軍の最小単位。独立ĐPQ中隊・NQ小隊は合わせて数千個小隊が編成された

地方砲兵 (Pháo binh diện địa):
全国で計176個の砲兵小隊が編成された。地方砲兵は105mm榴弾砲を計352門装備し、その規模は砲兵大隊20個分に相当した

 
第1戦略区/軍管区
5個小区本部・38個支区本部・1個特区本部(クァンダ特区)
7個ĐPQ群・53個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数
兵力約75,000名

1. クアンチ小区
計3支区・7個ĐPQ大隊/後に第913ĐPQ群を編成

2. トィアティエン小区(フエ市)
計10支区・12個ĐPQ大隊/後に第914ĐPQ群を編成

3. クアンナム小区
計9支区・14個ĐPQ大隊/後に第911ĐPQ群・第915ĐPQ群を編成

4. クアンティン小区
計6支区・8個ĐPQ大隊/後に第916ĐPQ群を編成

5. クアンガイ小区
計10支区・12個ĐPQ大隊/後に第912ĐPQ群・第917ĐPQ群を編成

6. ダナン市


第2戦略区/軍管区
12個小区本部・60個支区本部・1個特区本部(カムラン特区)
81個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数

1. ビンディン小区(クイニョン市)
計11支区・18個ĐPQ大隊・12個独立ĐPQ中隊・620個NQ小隊/
後にトゥドゥック歩兵学校71年4期生により以下の2個ĐPQ群を編成
第921ĐPQ群(第215ĐPQ大隊・第216ĐPQ大隊・第215ĐPQ大隊・第234ĐPQ大隊)
第927ĐPQ群(第209ĐPQ大隊・第217ĐPQ大隊・第218ĐPQ大隊・第234ĐPQ大隊)
3個独立ĐPQ大隊(第201ĐPQ大隊・第207ĐPQ大隊・第263ĐPQ大隊)
1個独立偵察中隊(第108偵察ĐPQ中隊)

2. フーイェン小区
計6支区・7個ĐPQ大隊/後に第924ĐPQ群を編成

3. カンホア(ニャチャン市およびカムラン市)小区
計6支区

4. ニントゥアン小区
計5支区・3個ĐPQ大隊
第129ĐPQ中隊 - チャンビンニア村
第215ĐPQ大隊 - タンホー
第273ĐPQ大隊
第280ĐPQ大隊 - タンソイ
第373ĐPQ大隊 - タンロン・ソンファ

5. ビントゥアン小区
計8支区・8個ĐPQ大隊/後に第925ĐPQ群を編成
第202ĐPQ大隊
第249ĐPQ大隊
第275ĐPQ大隊

6. フーボン小区
計3支区・4個ĐPQ大隊・10個独立ĐPQ中隊・30個NQ小隊

7. トゥエンドゥック小区(ダラット市)
計3支区

8. ラムドン小区
計2支区

9. コントゥン小区
計5支区

10. プレイク小区
計3支区・9個ĐPQ大隊・2個独立ĐPQ中隊

11. ダクラク小区(バンメトート市)
計5支区・6個ĐPQ大隊/後に第918ĐPQ群・第924ĐPQ群を編成
第924ĐPQ群(第612ĐPQ中隊・第204ĐPQ大隊・第2224ĐPQ大隊・第233ĐPQ大隊)

12. クァンドゥック小区
計3支区・4個ĐPQ大隊


第3戦略区/軍管区
11個小区本部・53個支区本部・2個特区本部(ズンサット特区・ブンタウ特区)
75個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数

1. ビントゥイ小区
計3支区・4個ĐPQ大隊・9個独立ĐPQ中隊
3個ĐPQ群(各3個中隊)が1972年初頭ĐPQ大隊に改編
1975年1月にフォクロン小区が陥落するとフォクロンの第341ĐPQ大隊はビントゥイ小区で再編成される。※第341ĐPQ大隊の人員はもともと第1軍管区クアンチ省出身で、1972年の"クアンチの戦い"の際に難民として南部に避難した人々
第344ĐPQ大隊 - ホァイドゥック地区(ボーダット)
第369ĐPQ大隊 - 国号1号線・第5基地(ロンカン)、第15基地(ビントゥアン)
第370ĐPQ大隊 -  ビントゥイおよびビントゥイ小区本部
第341ĐPQ大隊
第512偵察ĐPQ中隊
第513偵察ĐPQ中隊
その他8個独立ĐPQ中隊
タンリン支区: 第700独立ĐPQ中隊、第710独立ĐPQ中隊、第720独立ĐPQ中隊、第878独立ĐPQ中隊
ハムタン支区: 第514独立ĐPQ中隊、他1個独立ĐPQ中隊

2. フゥックトゥイ小区(ブンタウ市)
計5支区・6個ĐPQ大隊

3. ジアディン小区(首都サイゴンおよびコンソン島)
計8支区・9個ĐPQ大隊
クアンスェン支区、カンゾウ支区が属するズンサット特区に3個ĐPQ大隊・4個独立ĐPQ中隊

4.ロンカン小区
計3支区・4個ĐPQ大隊・3個独立ĐPQ中隊

5. ビエンホア小区
計6支区・13個ĐPQ大隊(6675名)・12個独立ĐPQ中隊・133個NQ小隊(2979名)

6. ロンアン小区
計7支区・12個ĐPQ大隊・5個独立ĐPQ中隊・192個NQ小隊

7. ビンズゥン小区
計6支区・8個ĐPQ大隊/後に第935ĐPQ群を編成

8. ハウニア小区
計4支区・5個ĐPQ大隊

9. フックロン小区
計4支区・4個ĐPQ大隊・48個NQ小隊

10. ビンロン小区
計2支区・2個ĐPQ大隊

11. イニン小区
計5支区・8個ĐPQ大隊


第4戦略区/軍管区
16個小区本部・92個支区本部・1個特区本部(フーコック特区)
17個ĐPQ群・144個ĐPQ大隊・125個独立ĐPQ中隊・NQ小隊1000個以上
兵力約115,000名

1. ゴーコン小区
計4支区

2. キェンホア小区
計9支区・14個ĐPQ大隊(第401ĐPQ大隊・他)

3. ヴィンビンン小区
計7支区

4. バースェン小区
計5支区/後に第953ĐPQ群を編成
ロンフー支区: 第486ĐPQ大隊

5. バクリュウ小区
計4支区・ĐPQ / NQ兵士13000名

6. アンスェン小区
計6支区・7個ĐPQ大隊
第412ĐPQ大隊"Cá Hóa Long"
第446ĐPQ大隊"Thần Hổ 446"
第490ĐPQ大隊"Mãnh Hổ"
第491ĐPQ大隊"Mãnh Sư"
第492ĐPQ大隊"Thần Điểu"
第536ĐPQ大隊"Hắc Báo"
第537ĐPQ大隊"Bạch Phụng"

7. ディントゥン小区(ミトー市)
計8支区

8. ビンロン小区
計7支区・11個ĐPQ大隊/後に3個ĐPQ群を編成

9. フォンズィン小区(カントー市)
計6支区

10. シュンティエン小区
計6支区

11. サデク小区
計4支

12. アンザン小区
計4支区・6個ĐPQ大隊・5個独立ĐPQ中隊/後に第954ĐPQ群を編成

13. キェントゥン小区
計4支

14. キェンフォン小区
計5支

15. チョウドック小区
計5支

16. キェンザン小区(ザックザー市)
計7支


以上がGĐMĐVNに掲載されていた地方軍の構成です。支区・ĐPQ大隊の数を把握できたのは嬉しいですが、それぞれの小区内の構成についてはまだまだ不明な部分が多く、その全貌はつかめていません。NQ小隊は多すぎるにしても、せめてĐPQ大隊くらいは全てリスト化したいので、引き続き情報収集を行っていきます。


おまけ: 軍籍番号 (Số Quân)について

最近、長年謎だったベトナム共和国軍軍人が入隊時に取得する軍籍・軍人番号の規則性について進展がありました。
僕はこれまで軍籍番号の先頭桁は入隊年だと認識していたため過去記事ベトナム共和国軍のドッグタグでもそのように書いてしまいましたが、それにしては不自然な番号がある事も薄々感じていました。
また他の人の意見では、先頭桁は兵役地区番号ではないかという説も耳にしました。数字に一桁代が見られない(数十以上)なのは、フランス連合時代にベトナム北部から順に地区番号がふられたため、ジュネーヴ協定後は南部の(数字の大きい)番号しか残らなかったためだと考えられるそうです。しかしこれも、不自然な番号や文字が用いられる場合があり、根拠が不足していました。
その後、元共和国軍人の方から「先頭二桁は生まれた年に20を足した数だ」と教えてもらいました。しかしこれも、軍人身分証をいくつも確認していくとそれに当てはまらないパターン、つまり先頭2桁が身分証に記載されている生年下二桁+20にならないパターンも多くある事が分かり暗礁に乗り上げました。


ところが先日、別のベテランの人から決定的な情報を教えて頂く事が出来ました。
正規兵(陸海空軍)は生年下二桁+20 例)1951年生まれ=71
・非正規兵(ĐPQ-NQ)は生年下二桁そのまま 例)1951年生まれ=51
なるほど~!確かに言われてみれば、上記以外の軍人身分証を確認してみても、+20になっていないのはĐPQやNQ所属者(階級の横にĐPQもしくはNQと書いてある)だけでした。ただしNQだけは、生年が入る場合と"NQ"という文字が入る場合の2パターンがあるようです。
また正規兵の番号には、単に生年下二桁+20の場合と、生年下二桁+20に"A"というアルファベットが追加される場合があります。今確認できている限りでは、Aが付くのは海軍軍人のみとなっています。しかしなぜ海軍のみAが付くのか、なぜ空軍や海兵隊には何もつかないのかは全く分かりません。今後も調べて行こうと思います。

1974年1月、西沙諸島をめぐる中国海軍との武力衝突"ホンサ海戦"において戦死したベトナム海軍軍人のリスト
(海軍艦隊司令部 1974年3月2日作成の文書より)


  


2016年08月28日

地方軍ベレー

実在した事は確かなんだけど、当時の写真を見る限りほとんど使われてなかったっぽい超不人気ベレーについて。

▲地方軍・義勇軍部隊章

▲地方軍ベレー章



以下、着用が確認できる数少ない写真。

内務省保安隊司令官・初代地方軍司令官ズン・ゴック・ラム少将 [1964年3月ベトナム]
この写真の時点では保安隊は内務省が管轄する民兵組織だったが、同年5月に組織が国防省に移管され『地方軍 (ĐPQ)』として再編される。

▲地方軍の軍楽隊 [1960年代ベトナム]
地方軍ベレーは基本青色ですが、この写真の指揮官は陸軍一般将兵と同じく黒色のベレーに地方軍のベレー章を付けているように見えます。

アメリカ軍MACV地方軍付きアドバイザー [1970年サイゴン]
カナダのドキュメンタリー番組『SAD SONG OF YELLOW SKIN』より

▲米国在住地方軍ベテラン [2015年アメリカ サンノゼ]
去年行ったカリフォルニアの傷痍軍人チャリティーコンサートに参加されていたベテランの方です。

 僕が確認している着用例は以上です。地方軍・義勇軍と言えば最終的に55万人もの兵力を有し、ベトナム共和国軍の総兵力の半数を占める巨大な組織であったのにも関わらず、不思議なことにこのベレー帽の着用例は数えるほどしか見受けられません。もちろん、僕も実物をこの目で見た事はありません。なぜこんなにも使われた数が少ないのでしょうか?
 僕は、その理由は単純に『人気が無かったから』だと思っています。まず、独自のベレー帽が制定されているエリート部隊(空挺やレンジャーなど)では、そのベレーを被る事は将兵にとってステータスであり、礼装時も制帽として着用されました。ただし、当時のベトナム共和国軍では多くの部隊でベレー帽は官給品ではなく自費購入品だったそうです。なのでエリート部隊以外の陸軍一般部隊にもベレー帽は制定されていましたが、こちらはあくまで略帽の一種であり、兵科毎の違いもなく、制帽の代わりにはなりませんでした。その為、そんな物をわざわざ自費で購入する兵士は少なく、せいぜい経済的に余裕のある士官・下士官がオシャレとして被る程度でした。
 一方、地方軍・義勇軍には陸軍一般部隊とは別の青いベレー帽が制定されていましたが、これはエリート部隊のようなステータスとは見做されませんでした。なぜなら地方軍・義勇軍は元々民兵組織であり、陸軍一般部隊よりも格下の補助部隊であるため、ベレーが何色であろうと決してエリートではなかったからです。従って、陸軍一般部隊よりもさらに給料の安い地方軍・義勇軍の兵士が、わざわざ格下部隊を示す地方軍ベレーを購入する事はほとんど無かった、というのが着用例が極端に少ない原因だと考えています。

 しかし、地方軍ベレーが不人気であり続けた一方で、実は地方軍将校の中には地方軍ベレー以外を購入して着用する者が数多くいました。彼らが着用したのが、オリーブ色または黒色の陸軍一般部隊将校ベレーです。むしろベレーを被っている地方軍将校のほとんどが一般部隊ベレーを着用していたので、僕も最近まで、地方軍も陸軍と同じベレーが制定されているのだと誤解していたほどです。

 
▲アメリカ海兵隊員にベトナム語の講習を行う義勇軍将校 [1960年代後半ダナン]
アメリカ海兵隊司令部戦闘撮影課製作『Combined Action Program』より

 地方軍と言えども、将校は正式な士官教育を修了した正真正銘の陸軍士官ですから、他の部隊から格下と見られたくなかったのでしょう。これは本来制定されているものとは別の被服を身に着けることになるので、正確には規定違反だったようですが、特に咎められることもなったようです。これについてはアメリカ在住の元地方軍PRUやNKTベテランの方々に僕が直接聞き取りを行い、「本当は違かったけど慣例として使ってたよ」と証言を頂いています。
 
 以上、戦後のマニアどころか、当時の兵隊からも見向きもされなかった残念なベレーについてでした。
  


2016年04月06日

先週末

土曜日
プチ生活体験&撮影会: ベトナム共和国軍地方軍, 中部高原のどこか, 1968年 
初の試みだったので全てが行き当たりばったりでしたが、課題の洗い出しもでき、次に繋がる経験が出来たと思います。
小雨が降ってて一日中寒かったけど、ラオス・カンボジア国境に接する高原地帯も気温が10℃くらいまで下がる事があるそうなので、これはこれでリアルな天候です。






日曜日
コスプレ: ベトナム軍装甲連隊兵士とフランス軍M24軽戦車,  ハノイ, 1954年
今年は第一次インドシナ戦争期で。
ディエン・ビエン・フー行きを志願し、ハノイを発つ直前という感じで。

  


2016年03月19日

地方軍・義勇軍の構成

4月に、恐らく世界初のベトナム共和国軍の地方軍(Địa Phương Quân)』をテーマとしたリエナクトメント・撮影会に参加させていただくので、今からお勉強して気分を盛り上げ中です。
地方軍、義勇軍、その他地方部隊については、元ベトナム共和国陸軍中将ニョ・クアン・チュウン氏が執筆、アメリカ陸軍戦史センターが編纂した第一級の資料『Indochina Monographs - Territorial Forces (1981)』がインターネット上で公開されていますので、今回はその中から、(英文を全部訳すのは面倒くさいので)組織図の部分を邦訳したものを作りました。

出典 Indochina Monographs - Territorial Forces (1981) (テキサス工科大学公式サイト内直リンク)

※2016年11月5日更新




こちらは別の資料から、ベトナム共和国軍の兵力の推移と内訳を示したものです。
地方軍は1964年の編成以降その兵力を急速に増やし、1971年には国軍全体の半数を占めるまでに至ったことが分かります。


写真:1960年代末~1970年代の地方軍兵士
    
  


2015年12月05日

12月ですね

関東地方のラーメン二郎全店喫食完了

二郎を食い始めてから約7年。正直関東全域周れるとは思ってなかったけど、最近仕事で神奈川方面に行くことが多くなったお陰で達成できちゃいました。(閉店・長期休業の店舗を除く)
ラストは、昨日行った桜台駅前店。そんなに遠くないので過去二回トライしているんだけど、店の前まで行って、定休日や臨時休業で開いてないことに気付くという情けない失敗を繰り返してしまった因縁のお店でした。
それが昨日で一区切り付いて、ほっとしています。ごちそうさまでした!



全店制覇までは、残り5店舗。(休業中の立川店含む)
ここからは長い道のりになりそうです。
さすがにラーメンのみを目的に行ける距離ではないので、何かの用事でそっち方面に行く機会があれば多少無理してでも食べに行こうかな、といったところです。




新しい友達

先日Facebookで友達になった日本在住のベトナム人S君から、一度会って話しませんか?とメッセージが来たので会ってきました。
いろいろ脅迫を受けている身としては、正直本土から来たベトナム人に対しては警戒心を抱いてしまうので、人通りの多い池袋駅で待ち合わせ。相手が複数人いたらそのまま逃げるつもりでした。
しかし幸い、S君は一人で来てくれたし、テロリストでもなかったので良かったです(笑)
彼は(僕のコスプレ写真みて喜ぶくらいなので当然)現在のベトナム共産党政府に批判的な立場の若者ですが、民主派というよりは、純粋にベトナム共和国軍の戦史マニアって感じでした。
デニーズでお茶しながら色々話しましたが、僕がS君に「どこの出身?」と尋ねると、「メコンデルタの方の街。共和国軍の第7、第9、第21師団がいたあたり」と、細かい部隊の配置までスラスラでてきます。ワーオ!
さすがにベトナム語が読み放題なだけあって、僕なんかよりずぅ~と共和国軍の戦史や軍人の経歴に詳しいです。羨ましい。
また彼は日本で働くという夢を持ってサイゴンの大学で日本語を学び、大阪大学に留学し、現在は東京都内の会社に就職しているので、日本語ペラペラです。
なので、僕が共和国軍の事を勉強するためにベトナム語を頑張って訳してる事を知ると、「それなら私が日本語に訳しますよ!」と申し出てくれました。超ありがたいです。
さすがに翻訳したい文章を全て丸投げする気はありませんが、どうしても理解できない文については今後彼にお願いしようと思います。

ちなみにS君が一番好きな共和国軍人はニョ・クアン・チュウン (Ngô Quang Trưởng)中将。
政治に進出して大物になった将軍は多いけど、純粋に軍人としての指揮能力ではチュウン将軍がベトナム戦争の中で最高だよ!」といたく尊敬してました。
【チュウン中将の経歴】
空挺旅団副指令(1964-1966)
第1歩兵師団長(1966-1970)
第Ⅳ軍団司令(1970-1972)
第Ⅰ軍団司令(1972-1975)


その一方で、彼は軍装に関しては素人なので、その分野では僕が先輩です。
せっかく池袋にいるので、S君に「この近くに有名な軍服屋があるよ」と伝えると、是非行ってみたいと言うので、そのまま二人でサムズさんにお邪魔してきました。
まさか日本で旧ベトナム共和国の国旗が販売されているとは思いもよらなかったようで、各種サイズの国旗のどれを買おうか目を輝かせながら選んでいました。

あと意外だったんですが、僕が「さすがに共和国の旗は無いだろうけど、今はアメリカの国旗くらいならベトナムでも売ってるんじゃん?」と訊いたところ、「いや、売ってるの見たことない」とS君は言ってました。
社会主義ベトナムは、今でこそ中国と揉めているふり(※)をしているためアメリカと協調する姿勢をとっていますが、それでもかつての敵国であるアメリカの国旗は、まだ一般人が買えるものではないようです。
だってアメリカを悪の帝国主義者って事にしておかないと、ホー・チ・ミン政権以来60年間続いている『坑米』やら『解放』やらのプロパガンダが全部嘘だったとバレちゃうから。
※いくら領土問題で国民感情が悪化しようが、実際にはベトナム経済の中国依存は深まる一方。ベトナム共産党は、国民の不満を外国に向けさせ、政府の求心力を維持するというテンプレ通りのガス抜きをしているだけで、上辺だけ中国と『対立しているふり』をしているに過ぎないと考えます。党幹部が中国関係の莫大な既得権益を手放す訳が無いし。



地方部隊の史料


いい資料み~けっ!アメリカ陸軍戦史センター編纂の、ベトナム共和国軍地方部隊に関する資料(1981年)です。
地方軍(DPQ)、義勇軍(NQ)、人民自衛団(NDTV)、農村開拓団(XDNT)など地域ごとに組織された部隊の詳細な記録が盛り沢山。
これ一冊で洋書数万円分以上の価値があるとおもいます。(文字だけで、写真は無いけど)
それがなんと、アメリカのテキサス工科大学のサイトで公開されてました。
PDFは5つに分かれているので、以下ファイル直リンク
しかも執筆者は偶然にも、先に挙げたニョ・クアン・チュウン中将その人。アメリカに亡命した後、米軍の戦史編纂に参加したようです。
同様にNKT副指令だったニョ・ディ・リン大佐も、戦後アメリカ国防総省に非常勤翻訳者として務めていましたね。
戦史センターのように資料の分析・編纂・保管までを一連の任務と捉えるのなら、ベトナム戦争という20世紀後半最大の戦争の戦後処理は1980年代になっても継続していた、と言えるのかも知れません。



ド・カオ・チ将軍の音声付動画


S君のお気に入りがチュウン中将なら、僕のフェイバリットコマンダーはド・カオ・チ中将!
音声の無い動画なら確認していたのですが、ようやく肉声を聞く事ができました。
しかも撮影は1970年4月30日。まさに一連のカンプチア作戦『トアンタン42(Toàn Thắng 42)』が始まった日のインタビューです。
チ中将は第Ⅲ軍団司令としてこのカンプチア作戦を指揮し、ニクソンをして”ベトナム戦争で最も成功した軍事作戦”と言わしめる大戦果をあげました。
しかし翌1971年のラオス作戦『ラムソン719』(第Ⅰ軍団司令ホアン・スァン・ラム中将指揮)において、チ中将は戦場をヘリで上空から視察していたところを対空砲の餌食となり墜落、死亡します。(死後大将に昇進)
第一次インドシナ戦争では空挺将校としてグエン・カーン(後のベトナム共和国国長)の下で死線を潜り抜け、戦後は謀反の疑いでジエム総統一派に拘束された将軍達を助けるため、独立宮殿に「今から部隊を率いてお前らを殺しに行く」と電話して将軍達を解放させたりと、色々伝説を残している人なだけに、あまりにあっけない最期でした・・・
  


2014年05月16日

クリパス速報

いっこうにアップロードするフィルムの質と量に衰えを知らないYoutubeチャンネルCriticalPast(以下クリパス)。
ホントありがたいことにほぼ毎日新しいフィルムを十数本アップロードしているので、ボヤボヤしてると良い映像を見逃してしまいそう。だから毎日のチェックが欠かせません。
別に、あとから検索すれば良いんですが、あまりにしょっちゅう見ているので、アップされてから最初の再生が僕ということが多くなってきて、なんかクセになってきました。
恐らく撮影した米軍関係者と、クリパスの担当者以外はまだ誰も見た事の無い映像なので、それを世界で最初に見れるのが楽しくてたまらないのです。


海軍司令官チャン・バン・チョン副提督(海軍准将) 1969年11月20日

1966年から1974年まで南ベトナム海軍司令官を務めたチャン・バン・チョン副提督(当時)の動画!今流行の「提督」です!

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2014年05月05日

地方軍

※2016年11月5日更新


 地方軍(Địa Phương Quân / ĐPQ)とはベトナム共和国陸軍の地方部隊で、必要に応じて戦地に投入される精鋭の歩兵師団とは異なり、地方軍は比較的小規模な編成で部隊ごとに担当地域(行政区画)の防衛を担う守備部隊でした。その為歩兵師団のように専属の機甲部隊や砲兵部隊は持っておらず、後方部隊の一つという位置づけでした。しかし基地や橋、道路など敵に狙われやすい交通網・重要施設を護り、何より対ゲリラ戦に必要不可欠な地域住民との協力関係を維持していた地方軍は、"縁の下の力持ち"として10年以上ベトコンとの戦いを支え続けました。ベトコンがいかに地方軍の存在に悩まされていたかは、ベトコンが撒いた伝単(宣伝ビラ)に表れています。
“Ngàn hai bắt được thì tha.Chín trăm bắt được đem ra chặt đầu.”
(月給1200ドンの一般兵は捕虜にする。月給900ドンのお前ら(地方軍)はもれなく斬首する。)
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