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2015年10月04日

タイで買った物

載せるの忘れてたのでリストアップしておきます。

・民生ダック迷彩ベースボールキャップ(ビンテージ生地リメイク)
民生インビジブルリーフ迷彩ベトナム軍パンツ(新古品)
・タイ陸軍ベレー(新品)
タイ陸軍タハーン・プラーン SSI兼ベレー章(新品)
・タイ軍アーモバンダリア(60~70年代)
・タイ警察ベレー(新品)
・タイ警察空挺資格章3級(新品)
タイ軍/警察 黒色ベースボールキャップ(新品)
・民生レンザティックコンパス(新品)

タイの友達から記念にもらった物

タイリーフ迷彩アーモベスト(70~80年代)
・タイ陸軍タハーン・プラーン513部隊 SSI(新品)
・タイ陸軍タハーン・プラーン "勝利者"タブ(新品)

 見ての通り、タイ軍メインで買ってきました。ナム戦関係での収穫は、程度の良い民生インビジブルリーフのパンツと、タイ軍・警察向け黒キャップくらい。キャップはベトナム共和国軍コスプレに使うため何年も前から代用品を探していましたが、今回ようやくタイで見つけることが出来たました。なにげに今回一番のレアアイテムなので3個ばかし買ってきました。
 あとは大した物見つけることは出来ませんでした。十数年前に豊〇先生が仕入れしていた場所も周りましたが、やはりベトナム戦争時代の物はほぼ全滅ですね。どこ行っても韓国軍の90年代放出品ばかりです。ナム物は、有ったとしても普通のTCUとか、半袖短パンに改造されたERDLとか。また連中も知恵付けてるので、聞いてもいないのに「これベトナム物だよ」と売り込んできます。しかもeBay価格で(笑) 日本で買うよりは多少安いかも知れませんが、別に珍しい物は無かったし、ゴミとして二束三文で売られていた時代を知ってるので買う気にはなれませんでした。
 しかし幸いにも、丁度ラオス内戦や80年代のタイ軍に興味を持ったところだったので、タイ軍関係はそれなりに集まりました。ビンテージではありませんが、コスプレ用なのでこれで十分です。



おまけ 80年代タイ陸軍タハーン・プラーン連隊のカッチョイイ画像

 

そそられます
  


2015年09月26日

タイの思い出 チェンマイ編その3

チェンマイ滞在3日目

僕、ナット、オットの3人で、チェンマイ郊外の山の上にあるメオ族(モン族)の村に行く。
※『メオ(Meo, 苗)』という呼称は異民族がつけたもので、当人達は長年自分達の自称である『モン(Hmong)』を使うよう求めている。

山の方に行くバスはなんか不便らしいので、チェンマイ市街でソンテウのおっちゃんと交渉し、本来乗り合いタクシーであるソンテウをチャーターして送り迎えしてもらえる事になった。
そして峠道をけっこうな標高までず~と登って行く。


僕の目的地はモンの村だけど、その手前に「チェンマイに来たら絶対見なきゃ」という有名なお寺ドイ・ステープがあるらしいので、そこで途中下車。
さすがに有名なお寺だけあって、平日でも参拝者が多いです。



タイのお寺はどこでもそうですが、お寺が単に豪華なだけでなく、そこに参拝する人々がちゃんと信心を持ってお釈迦様を敬っているところが素晴らしいですし、とても羨ましく思います。
一方、我が国にも観光客が集まる寺社は沢山ありますが、そこが何のためにある施設なのかをちゃんと理解して参拝している人は、はたしてどれくらい居るんでしょうね。
自身の欲の為に仏に合掌し、宗教法人の税制優遇を妬んで親の葬式の時ですら僧侶の陰口を言い、仏教世界有数の歴史有る寺院を『遺跡』、『パワースポット』、『観光施設』にしてしまったのは、我々日本人自身ですよ。


境内を見学してたら突如豪雨に見舞われる。
雨だけならまだしも、標高が高いので雷の音がメチャ近いのが怖い。



30分くらい雨宿りしたら雨止んだので、来た階段を下って帰っていると、モン族の民族衣装来た女の子たちと遭遇。

詳しくは過去記事『山ガール』参照


そしてドイ・ステープを後にし、ソンテウでさらに山を登っていくと、ついに念願のモン村に到着です。


初めに断わっておかなければならないのですが、ここはモン村という名前の、少数民族文化を紹介するために整備された観光施設です。
確かにモン族の集落もあり皆さんそこで生活しているのですが、若い人は民族衣装なんて着ないですし、チェンマイが近いために働き口もあるので、普通のタイ人と何ら変わらない生活をしています。
と言うか、タイ王国は民族に関らずタイ国籍を持つ人を全員タイ人とみなす他民族国家なので、彼らもまた列記としたタイ人なんですよね。

年配者の女性はまだ民族衣装を着ている人がいますが、男性や若者は街に働きに行ってるので村では見かけませんでした。


あとこの村、ややこしいのですが、言語学上の分類で言うミャオ・ヤオ語系の『モン(Hmong)』だけでなく、モン・クメール語系の『モン(Mon)』の人たちも住んでるそうです。

しかし今でこそタイ国民の一部となったモン族ですが、つい数十年前までは、モン族は山奥で民族服を着て作物を自給自足し、ケシ栽培で生計を立てる昔ながらの生活をしていたそうです
『昔ながらの生活』というと聞こえは良いですが、実際にはそれらは多数派民族から迫害を受け山間部に逃げ込まざるを得ず、経済的に外界と孤立して服も食料も自給自足せざるを得ず、生活費を稼ぐためのケシ栽培は周辺の犯罪組織や軍閥、ゲリラの資金源として利用するだけ利用されて、最後には使い捨てられるという、モン族の苦難の歴史そのものでした。
タイ政府はこうしたモン族の状況が国境地帯の不安定化に繋がることを恐れ、対策を講じます。それは周辺諸国のようにモン族を追放するのではなく、むしろ積極的に王国に迎え入れて経済・教育支援を行い、国王自ら出向いてモン族を説得し、ケシ畑をコーヒー農園に変える事でした。
この政策は大成功し、多くのモン族が反社会・反体制勢力とのつながりを絶ち、経済的な苦境からも抜け出すことが出来ました。古代から大国による迫害を受け続け、20世紀に入ってもなおベトナム共産党、ラオス共産党による大量虐殺に晒されるモン族にとって、タイ王国は有史以来初めて自分達を受け入れてくれた国家と言えます。
(ただしラオスから難民としてタイに押し寄せるモン族は後を絶たず、タイ側も受け入れには限界があるため、モン族難民をラオスに強制送還するなど決して全てが解決した訳ではない)

 
▲自らモン族集落に赴いて王国政府の庇護の下に入るよう促すタイ国王ラーマ9世陛下

▲集落にタイ陸軍が駐屯する事で、モン族は犯罪組織との縁を切りケシ栽培を止めることができた


こうした経緯から、このモン族村の段々畑も、かつてはケシ畑だったところが今ではとても綺麗な庭園になっています。

所々綺麗なケシの花が咲いてるんだけど、あれは大丈夫な種類なのか?(笑)

観光客向けにモン族の民族衣装(祭礼用の正装)をレンタルしてたので、迷わず着用。

女性用の服は土産物屋でも売ってますが、男性用はなかなか見ないので貴重な体験ができました。
店のおばちゃんに「この服、売るとしたらいくら?」と訊いたら、日本円で5万円ほどの金額を言われたので、そもそも売る気は無いようです。

そのまま園内をお散歩します。


弩(クロスボウ)で射的して遊ぶ


的の瓜を撃つ。小動物なら余裕で撃ち取れる威力でした。
ただし照準器が無いので実用性は皆無。武器や狩猟用ではなく、子供の玩具です。まぁ射的屋だしね。

また、ここにはモン族をはじめとするタイ各地の山岳民族の文化を展示している資料館があります。
それぞれの民族衣装や農具などに加えて、大昔から彼らが使っている手作りのマスケット銃など、面白いものが沢山見れました。


解説は基本タイ語のみなので詳細はよく分からなかったんですが、途中で欧米のツアー客を連れたタイ人係員が英語で展示物を説明してたので、勝手に彼について回って解説を聞くことができました(笑)


ここには沢山の土産屋があるので、僕は日本でもモン族のコスプレをするために色々買っていこうと思ってたんですが、なかなかこれといった物が見つかりませんでした。
やはり有るのは観光客向けの刺繍の入ったバッグとか、女性向けのアクセサリーとかばかりで、本当の民族衣装的なものは無いんです。そりゃそうだよね、商売でやってるんだから、売れそうな物しか置かないよね。
唯一、男女問わずモン族が使う太い金属製ネックリングを見つけたので買うことが出来ました。ただしこれもお土産用のレプリカです。
本物は銀製なので売ってたとしてもとても高価なんですが、僕が買ったのはアルミ板をプレスしただけの安物。でもコスプレに使いたいだけなので、これで十分です。

▲この丸いネックリング。左の人がしているのはスピリット・ロック(魂の鍵)というネックレスで、これも一般的なもの。
(写真は第一次インドシナ戦争期のフランス植民地軍GCMA(混成空挺コマンドクループ)所属のモン族兵)


つづく 
  


Posted by タイガ at 21:40Comments(0)【タイ】旅行・海外

2015年09月25日

タイの思い出 チェンマイ編その2

チェンマイ滞在二日目。

遅く起きて、昼にみんなで集まって若者に人気のお洒落レストランでランチ。

 

このチキンカツと揚げた葉っぱのやつ、超美味い。タイで一番美味かった料理はこれでした。(名前忘れたけど)
夜も他の店で同じ物食べちゃいました。


バンコクで世話になった人には悪いけど、やっぱ飯も自然も雰囲気も、全部チェンマイの方が好き。
なぜ定年後の海外移住先にチェンマイを選ぶ日本人が多いのかよく分かります。ここは良い所だ・・・


そのあと僕と数名はタイ式マッサージのお店に行ってきました。店の看板には漢字で『泰式按摩』と書いてあります。わかりやすい。
タイってもともと中華文化が濃い国なのでどこに行っても漢字を見ますが、中でもバンコクやチェンマイといった大都市では、お店の看板もだいたいタイ語・英語・中国語の三つが併記されていますね。
タイ語・英語は勉強しなきゃ分からないけど、中国語は漢字なのでなんとなく日本人にも分かって便利ですね。

タイ式マッサージは初めてだったんですが、感想は痛いが半分、気持ちいいが半分って感じでした。
痛かったら「もっとソフトに」と言えたのですが、どうせならプロに思う存分やってもらった方が効果有るだろうと思って、超痛いのを頑張って我慢しました。
なお、痛いのは太ももの筋肉を肘でグリグリやられる系だけで、他の全身の関節を指一本まで伸ばされたり、全身使ってコブラツイスト決められたり等は気持ちよかったです。

マッサージ屋の近くにゴジラがいた。ジャパニーズレストランの置物みたいです。


マッサージのあとは、カフェで駄弁りタイム。

 

この間、近くに古着屋があったのでミリタリー物でも無いかと見に行きました。
まぁあったのは日本でもよく見るハンター用ダックとか、米軍TCUとかぐらい。別に欲しいものは無いや。
ただ、明らかにCISOリュックと同じ生地・裁断で作られたリュックが壁にぶら下がってました。
よく見ると樹脂製バックル留めになってて細部がかなり異なるので、ベトナム戦争時代のものではなく戦後の民生品だと思いますが、ちょっと珍しいなと思いました。
あと、カッコイイ革ジャンが沢山売ってました。外の気温は38℃です。誰が買うんだ・・・(ミャンマーやラオス国境に面する山岳地帯では夜はけっこう気温が下がるらしいけど)


そして日が暮れ始めた頃に、チェンマイ名物サンデイマーケット(日曜市)に移動。
ここでまとめて家族や友達へのお土産を買いました。同じ品でも、やはりここの方が明らかにバンコクより値段安いです。

 

マーケットの道沿いにあるお寺にもお参り

 

地元の子供達が頭を丸めて体験出家していました。
敬虔な仏教国であるタイでは、ほとんどの男性がこうして子供のうちにお寺で仏門を学ぶのだそうです。
なおタイでは僧侶は男性のみが成れるものであって、女性信徒が出家しても尼僧という地位ではないそうです。

しかしタイは夜もクソ暑い。気温だけじゃなく湿度もすごい。
この蒸し暑さ、バルベルデに居た頃を思い出すぜ・・・と思ってら、醜い顔の宇宙人に襲われた。

宇宙人よ、君は既にマスクを取った状態だが、もう一つのマスクも出来るだけ早く外すことをお勧めする(熱中症的な意味で)


夕飯はスポーツバーのデカい版みたいな、野外の大型スクリーンでサッカーとか音楽ライブみながら飯食べるレストランで。


酔っ払った

 

後は寝るだけ


巨根オットのベッドに雑魚寝


なんか撮られてたらしい
  


Posted by タイガ at 19:52Comments(0)【タイ】旅行・海外

2015年09月23日

タイの思い出 チェンマイ編その1

ランパンで一泊した後、チェンマイに到着!レストランでチェンマイ組と合流しました。
僕は事前に「チェンマイで象に乗りたい!モン族の村行きたい!」と言っておいたので、僕の為にそれらに案内してくれるそうです。

まず初めは象さん!
チェンマイはそれなりに大きな街ですが、ちょっと走って山の中に入ると、こんな大自然に突入します。


そして、カレン族がやってる象園で人生初のエレファント・ライディング
本当はベトナム中部高原のデガの民族衣装を着て乗りたかったのですが、まわりの皆が困惑しそうなので仕方なく私服で行きました。


動物なので、若干臭いのはしょうがない。二頭の象をロープでつないでジャングルの中を優雅にお散歩。
と思ったら、象の頭に座ってた象使いの兄ちゃんが、「写真撮ってあげるよ」と言って象から降りてしまった。
そのまま黙々と歩き続ける象さん。いや、このまま止まらなくなったら超怖いんですけど。



ひとしきり象乗りを楽しんだ後は、カレン族伝統の竹製イカダで川下り。
川の上流までピックアップトラックで運んでもらう。

(峠道を物凄いスピードで走られて、荷台から落ちそうで怖かった)


二つのイカダにビールやお菓子を積んで楽しい川下りの始まり始まり~!


と思ったら、所々けっこうな激流。
水深は浅かったけど、その分イカダから落ちると川底の岩に身体を強打しまくる。
よく見ると、他の観光客はみんなライフジャケット着て船頭もつけて乗ってるのに、なぜかうちらはノープラン。
最終的に全員どこかしら出血してたし。僕も足の親指の爪が割れました。超痛い。
みんな『マイペンライ(大丈夫・問題ない)』って言ってたけど、決してマイペンライではないね。

イカダにはナットの愛犬ミーちゃん(生後3ヶ月)も乗ってたけど、イカダが岩にぶつかってひっくり返った瞬間、ミーちゃんはピョーンと吹っ飛ばされて、そのまま川にドボンと落ちていきました。
「うわ、ヤベー!」「ミーちゃんを助けろー!」と皆で泳いで助けに行ったら、ミーちゃんは必死に犬掻きで泳いでいて、事なきを得ました。超うける

とんだ災難だったミーちゃん

川下りの最中、ふと「豊〇氏と出会うまで全くタイに接点のなかった俺が、まさか一年後にはタイの山奥でイカダ漕いでるとはね」と思いました。
人生何があるかわかりませんね。

そんな感じでゴール地点まで2時間ほどジャングル・クルーズを楽しんできました。痛かったけど超楽しかったです。
でも次やる時は安全靴とヘルメットが欲しいです。


夜はチェンマイ市街に戻り、ジャパニーズレストラン『ネオ・スキ・シャブ』にて、しゃぶしゃぶのような物を食べました。

 


その晩、バンコク組は、チェンマイに住んでいる人の家に2グループに分かれて泊めてもらいました。

つづく
  


Posted by タイガ at 16:25Comments(0)【タイ】旅行・海外

2015年09月23日

タイの思い出 バンコク編

以前、タイにホームステイした時に空軍博物館でコスプレ撮影会した話は書きましたが、今回は趣味とは関係ない普通の旅行の話です。

今年の1月、僕は日本に観光に来たタイ人グループに三日間同行して、ボランティアで通訳と観光案内をしてきました。過去記事参照
その時「次は僕がタイに行くよ!」と言ったので、約束通りタイで一緒に遊んできました。まさか向こうも、たった4ヵ月後に会う事になるとは思ってなかっただろうけど(笑)

彼らは遊び仲間の友人グループで、首都バンコクに住んでる組と、北部のチェンマイに住んでる組とで一緒に日本に来ていました。
僕はバンコクで生活していたので、まずバンコク組と合流。再開を祝し、すごく雰囲気の良い湖畔(本当は農業用貯水池だけど)のレストランで夕食。



二日後、ナットさん(上の写真中央)と二人だけで合流。
僕は日本を案内した時、自称"夜のバンコクのエキスパート"のナットさんにタイのお店の話を聞いて「超行きたい!」と言いまくってたので、今回は僕の為にバンコクのお風呂屋さんを案内してくれるというのです。コップンカッ!
(ナットさんは彼女持ちなので、彼の部下の運転手と一緒に僕が終わるまでラウンジで待っていてくれました)

うへへ、楽しかった。

そして、その足でナットさんの彼女フォンさんと合流してレストランで夕食。それまで僕らがどこに行ってたかは内緒(笑)


前々から食べてみたかった、カオ・パット・アメリカン(アメリカ炒飯)を食べる。
この料理はベトナム戦争期にタイに駐留する米兵向けに考案されたもので、アメリカのタイレストランでは定番メニューだそうです。過去記事参照
なので米軍駐留が終わって久しい現在のタイではあまり見かけないのですが、この店はアメリカンテイストを売りにしているレストランだったので、運よく食べることが出来ました。



三日後、いよいよバンコクから600km北にあるチェンマイへ向けて出発です。
なんとバンコクに住むナットや、パタヤのペーター達も仕事のスケジュールを調整して一緒にチェンマイに行けることになりました。
バンコクで昼飯食った後、ペーターの車でいざ出発。ブイーーン!


タイには日本で言う高速道路的なものはバンコク市内にしか無い(多分)ので、制限速度が有るのか無いのかよく分からない一般の幹線道路をひたすらかっ飛ばす。
長い道中、彼らにタイ語をいろいろ教えてもらいました。例えばガウニュー(巨根)、プンサウ(オカマ野郎)、ウォータモニタ(クソ野郎)などなど。

しかし、昼過ぎに出たんじゃさすがに9時間走ってもチェンマイにはたどり着かなかったので、この日はチェンマイの手前にあるランパンという街に一泊することに。
ランパンに付いたのは夜遅くだったけど、デザートの屋台がギリギリ営業してたので糖分補給。


実は、ペーターの彼女(現在は妻)のエイムちゃんはここランパンに住んでるので、エイムちゃんの家に皆で泊めさせてもらいました。

チェンマイ編に続く
  


Posted by タイガ at 14:33Comments(0)【タイ】旅行・海外

2015年09月01日

雑記

この歌カッコイイ!!


今出回ってる中国製の仏軍風キャンバスブーツってもう、くるぶし保護のゴムがコンバースみたいに脚の外側にあるやつしかないの?
今回注文した店によると、商品画面に載ってた(内側にゴムが付く)のは旧モデルで、すでにメーカーがこの形にモデルチェンジしてしまったらしい。マジか
返品に応じてもらえたから良かったけど、もしかしたら旧モデルはとっくに在庫が枯渇しているのかも。
無いなら定番のパラディウム買うしかないけど、あれも結局フランス軍のとは似て非なるものだしなぁ。
もしかしたら、この中国製キャンバスブーツシリーズの2バックルブーツ仕様を買って、上の部分をぶった切るのも有りかなと思い始めている。


こちらはCLASSIFIED (クラッシファイド)さんで販売中の、別メーカー(ドイツ製でしたっけ?)の丈長仕様を改造したもの。
イベントの用意するついでに、また少しお色直ししました。
最初はアイレットを全てアルミ製に打ち替えるつもりだったんですが、なんか億劫になったので、タミヤカラーで塗っちゃいました。
ちょっとは雰囲気良くなったかな。



つい2ヶ月前訪れたばかりのプラ・プロム(エラワン廟)。
日本なんかよりずっと文化・人種・宗教に寛容で慈愛あるタイという国を象徴する、平和で美しい場所でした。

写真:Daily Mail Online
それが、こんな姿にされるとはね・・・。
さすがに寛容なタイ人だって、王都のど真ん中でこんな事されたら、「危機感」やら「自衛」やら、もっともらしい言葉の誘惑に苛まれてしまうよ。
それでも今のところ特定の宗教に対して表立った対応をしていないタイ政府の判断は賢明だと思う。(と言うか下手にムスリムを敵に回すと本当に内戦になる)
何を理由にしようが、人間の抱く『怒り』なんて、結局は利己的なものに過ぎない。
それなのに人はそれを容易く『正義感』なるものにすり替えてしまう。
そして、この浅はかな自己暗示が産むものは、結局こんなものなんだよ。



ネトウヨという無知な子供(および子供並の知能の成人)が罹る病気の方々は、やたらベトナム派遣韓国軍に執着があるみたいですが、
少なくとも僕の友人のライダイハン(韓国軍人を父に持つ韓国・ベトナムハーフ)は皆、ベトナム防衛の為に命がけで戦った韓国軍人をいたく尊敬されていますよ。
ネットなんて所詮、ベトナム共産党のプロパガンダが外国のレイシストに利用され、無条件で垂れ流されるような、便所の落書き以下の場所なんですから、読む価値のある文章なんて本当に限られてますよ。
糞を眺める趣味は無いので、僕はGoogleの検索結果に日本語を表示させないように設定しています。



友達に誘われて、大井競馬場で人生初の競馬を体験。
僕はギャンブルやらないので、大井競馬場で開催されていたタイ&ビールフェスティバル目当てで付いてきました。
ただしビールはあまり好きじゃないので、本当にただタイ料理を食いに来ただけ。

タイに住んでた時幾度となく食べたパッタイ(ケチャップ味米粉焼きそば)と、お店オリジナルのトムヤムクーン味カオパット(炒飯)
こういう日本の出店で買うと合計1000円(ビール入れて1600円)になるのは仕方ないんだけど、タイの屋台の値段知ってると、なんか馬鹿らしくなる。向こうじゃ300円で腹いっぱい食えたのに・・・
なお戯れに計1000円ほど馬券を買ってみました。一本も当たりはしなかったけど、3頭中2頭は当たってて、何度も惜しいところまでいってました。
もう一回やれば僕でも当たりそうな気がします。なるほど、こうやって人は身を滅ぼすのか。


ギザギザハートだった頃はだれかれ構わず突っかかってたけど、さすがに僕も大人になったので、今は噛み付く相手は自分より目上の人だけにしている。
  


2015年06月24日

タイでコスプレ 撮影会編

【コスプレ撮影会に至った経緯】

ベトナム共和国軍マニアのタイ人に、今度タイに行くよと言ったら、一緒にコスプレしようと誘われる
タイで合流。彼の友達も集まって、計4名でドンムアン空港内にある空軍ミュージアムに行く
ミュージアム内の食堂で、持ち寄った軍服を広げてあれこれ駄弁りながら昼飯を食う
展示を一通り見学し終えると、友人達は「ここでコスプレするから、将校の人と交渉してくる」と言って空軍の事務所内へ
僕も事務所に通されて、彼らが交渉している間、来客用のソファーで待つ
司令官(将校のおばちゃん)からOKが出て、正式な許可証をもらう
空軍の下士官さん3名が僕らの案内(および監視役w)に任命され、撮影会開始

想定:ビエンホア空軍基地の守備にあたる第3軍団BDQ部隊 1969年

南に亡命した北ベトナム軍のMiG-21戦闘機
(近年ベトナム人民空軍から本ミュージアムに寄贈された機体)


過去記事に載せた写真はこちら
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2015年06月22日

山ガール

タイ北部の都市チェンマイに行った時の事。
事前にタイの友人たちに「モン族(苗族)の村に行きたい!」と言っておいたので、案内してもらう事ができました。
まずチェンマイ市街でソンテウ(ハイラックス改造した乗り合いタクシー)に乗って山を登る。
けっこうな高さまで上がりました。山の上からチェンマイ空港から飛び立ったばかりの飛行機が見えましたが、自分より低い高度で飛行機が飛んでる風景なんて初めて見ました。
途中に「チェンマイに行ったら必ず見なきゃ!」と言われる有名なお寺、ドイ・ステープがあるので、最終目的地はモン族村ですが、そのまずそこに参拝しました。

そしてお寺に続く長い階段で出会ったのが、モン族の女の子(7・8歳くらい)三人組。
観光客相手に、チップ払うと一緒に記念写真が撮れるという商売をしてます。せっかくなので僕らも写真をお願いしました。
すると女の子のうち一人が、僕の友人(タイ人)の事を気に入ってしまい、ず~と彼に抱きついて離れません。

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Posted by タイガ at 19:34Comments(0)モン族【タイ】

2015年06月02日

近況




タイ北部の山の上にあるモン族(苗族)の村でボウガン射ったりしてました。  


2015年03月30日

インドシナ半島の諸民族と歴代勢力

僕がベトナム戦争コスプレを集め始めた当初は米軍LRRPのつもりで装備を集めてましたが、周りから「どう見てもヤードor南ベ」と言われまくったせいで、だんだん興味がベトナム人や少数民族の方に移っていきました。
また今思えば、歴史趣味の観点から見ても、20世紀後半最大の戦争であるベトナム戦争は(当然の事ながら)インドシナ半島の人々を中心に発生しており、彼らを知ることはあの戦争を学ぶ上で避けては通れない道でした。
(つまり僕の中では、第2次大戦を学ぶ上でナチス・ドイツを調べるってくらいオーソドックスな事をしているつもり。)

そんな中、最近ベトナムの少数民族に興味があるという声を(極少数w)頂くので、自分用に作った表を公開してみます。
この表は少数民族に限らず、マジョリティーも含めたインドシナ半島に住む民族と歴代の勢力のまとめです。(ただしミャンマーやマレーシアを含めると書ききれないので、インドシナ戦争に関った人々限定)
こうしてまとめてみると、あの地域の歴史の奥深さを感じるのと同時に、何年経っても争い絶えない怨恨の根深さも垣間見れました・・・
付け焼刃な知識なもので、もしかしたら間違ってる部分もあるかも。

(↑クリックで拡大)
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2015年01月18日

オ モ テ ナ シ

先日、日本に旅行に来たタイ人グループ12人に三日間同行して、ボランティアで観光案内や通訳をしてきました。
当初は都内を案内するだけのつもりだったんですが、つい勢いで河口湖まで付いて行っちゃいました。なんかリアル『Youは何にし日本へ?』みたいな感じ。
僕の英語はかなり微妙だし、向こうも決して英語が上手い訳ではないので半分くらい何言ってるか分からなかったけど、けっこう何とかなるものですね。



【一日目】

昼まで寝てたら、以前も台湾人の旅行者を一緒に案内した豊〇氏から「今からタイ人を案内しない?」とラインが来てたので、東京駅へ向かう。
(彼らは関空に降りて大阪・京都を観光した後、東京に新幹線で向かっていた)

16時ごろタイ人たちと合流。みんな30代で男性7名、女性5名の12人。まさかこんなに大勢居るとは思わなかった。
大所帯なので迷子を出さないよう、先頭に豊〇氏、最後尾に僕が付いてホテルのある日暮里まで誘導。
ホテルに荷物を置くと、今度は上野に向けて出発。

上野でアメ横を散策する。彼らは日本のイチゴを見て「大きすぎ!」とすごく驚いて、買ってその場で一緒に食べた。
夕飯はアメ横の中の、半屋台式海鮮丼屋。タイでも日本食レストランはメジャーだそうで、みんな生魚を平気で食ってた。

夕飯食べ終えると、途中古着屋に寄りつつ秋葉原まで歩く。
道中、男達にタイの風俗店について聞くと、「俺は夜のバンコクのエキスパートだ」と言うので色々教えてもらった。
僕は「日本にも吉原というセックスタウンがあるよ、ここから近いよ」と教えたけど、今回は彼女と来てるので無理だって(笑)

秋葉原に着いてドンキの中を見て回ってると、男達が「セックス・トイどこ?」とか言い出したので、彼女連れのままエログッツコーナーに突撃。
ショーケースに展示されてる、ボタンを押すと動く各種電動コケシに一同大爆笑した。

秋葉原を見た後は浅草の浅草寺にお参り。
夜中なので本堂も仲見世も閉まってたけど、逆に人が少ないお陰で雰囲気良いし、自由に見て回れたので良かった。

最後に、明日河口湖に行くけど来る?って聞かれたので、行くって約束して僕は帰宅。


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Posted by タイガ at 02:15Comments(0)【タイ】旅行・海外

2014年12月29日

今年入手したもの

うちのブログはなんかウンチクばかりで、手持ちの軍装品の写真を載せるのをすっかり忘れていたので、年末という事でまとめて書いてみます。

まず今年最もテンション上がったアイテムと言えば、既にこのブログで何度も取り上げていますが、これです!


待ちに待ったベトナム軍2ポケット作戦軍服のリプロが販売されました!!
もう米軍ユーティリティ代用でお茶を濁す必要は無いのです!
これ一着あればもう、歩兵に限らず陸海空軍・地方軍・国家警察・CIDG・NKT(SOGのRT・スパイクチーム)など、60年代のベトナム軍装備がほとんど何でも出来ちゃいます!

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2014年11月15日

タイ軍の友達

以前、ベトナム戦争時代に生まれたタイ料理について教えてくれた絵描き・ミリタリー趣味友達であり、現役タイ軍兵士でもあるSさんが、僕の『ラオス王国軍モン族SGUとタイ国境警備警察PARUのイラストを見て、またいろいろ教えてくれました。


ラオス内戦について

PARU(警察航空支援隊)は、タイ警察の準軍事部門である国境警備警察の特殊部隊だよ。同じ警察でも、バンコク首都警察等とは全く別の組織なんだ。もし興味があったらこれを見て。

『タイガースカウト』 ラオス派遣タイ秘密任務部隊:匿名333部隊 


彼らタイ義勇部隊は認識票を身に付けなかったんだ。なぜならラオスへの派遣は非公式なものであり、捕虜になった場合も最後まで秘密を守らなくてはならなかったから。
だから彼らは皆、本名ではなくコードネームを使っていんだ。(そのため匿名333部隊と呼ばれる)
これは※リマ・サイト85に駐屯したPARU隊員だちだよ。


【リマ・サイト85】
アメリカ空軍およびCIAが同盟国であるラオス王国北部のフアパン県の山岳地帯に設置したレーダー・無線中継施設。
GPSが無かった当時、北ベトナムやラオスへの長距離空爆にはこのような地上電波誘導施設が必要不可欠であり、その防衛任務をモン族SGUと軍事顧問のPARUが担った。
1968年3月、ラオスに侵攻した北ベトナム軍の総攻撃を受けて守備部隊は全滅した。
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2014年10月16日

2014年06月21日

ベトナム戦争とタイ料理

最近ネットで知り合ったタイ海軍の軍人さんが、冷戦時代のタイ軍のマニアなので、いろいろ話が聞けて面白いです。
ベトナムやラオス・カンボジア派遣タイ軍、タイ国内の共産ゲリラ掃討戦、はたまた仏領インドシナとの国境紛争まで。
特にタイ軍vsフランス外人部隊の戦いは興味深いです。考えてみれば19世紀に仏領インドシナができてから1954年に消滅するまで、タイとフランスって100年近く戦争してるんですよね。

彼と話してて、僕が最近タイ料理にハマってると言うと、彼はベトナム戦争が生んだ二つのタイ料理を教えてくれました。


カオ・パット・アメリカン(ข้าวผัดอเมริกัน / American fried rice)

画像引用:Wikipedia
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Posted by タイガ at 20:43Comments(0)【タイ】