2023年07月02日
怪しいタイ土産
先日一緒にサバゲーをやったタイの友人に、日本まで運んできてもらった品物です。
その1:タイの土方バラクラバ
別のタイの友人がタハーンプラーン装備用にコレクションしていたものを譲ってもらうことが出来ました。
このバラクラバは民生品であり、タイではよく、建設工事作業員がかぶっているそうです。
友人が「その辺の工事現場からかっぱらってきてあげようか?」と言ってきましたが、汗臭そうなので新品にしてくれとお願いしておきました。
▲タハーンプラーンでの使用例(1980年代)
その2:ラタン製ライオットシールド(籐盾)
ベトナム戦争期のベトナム軍・警察では、ライオット任務用に、昔ながらの籐(ラタン)製の盾が使われていました。
これを再現すべく、友人の伝手でタイのラタン家具職人に、盾の制作を依頼しており、この度ついに手元に届きました。
コレクター所有の実物を参考に、構造もほぼ完全に再現しています。
▲ベトナム国家警察野戦警察隊の使用例(1974年)
軍ではOD単色塗装も見られますが、どうせなら派手派手にしたいので、これから警察仕様の国旗柄に塗装していきます。
ちなみに友人はタイを発つ際、この盾を空港に持参し、普通に手荷物として預けたそうです。
さすがに空港の係員に「なんですかこれ?」と訊かれたみたいですが、「装飾品です」とだけ答えたら、スルーしてもらえたそうです(笑)
2023年06月06日
56-1式っぽくしたい その3
※2023年6月9日更新
前記事『56-1式っぽくしたい その2』で製作した56式風フロントサイトを塗装しました。
ビフォー
アフター
当初は横着して下地の塗料を落とさず、上からミッチャクロンマルチを塗って、その上にキャロムショットのメタルブルーコートで塗ったのですが・・・
メタルブルーコートが下地を溶かし、剥離剤を塗布した状態になってしまい大失敗。
しかたないのでワイヤーブラシで元の塗装を剥がそうとしましたが、全部は取り切れなかったので、メタルブルーコートは諦めてファイン・スプレーブラッセンで塗装しました。
残る改造箇所であるレシーバーは下地塗装が無いので、あらためてメタルブルーコートで塗りたいと思います。
※その後気が変わり、フロントサイトと同じくマットブラックに塗る事にしました。
つづく
おまけ
装備に何十万もかけるより、布団を綺麗に畳めるようになった方がよっぽど軍人らしく見えるという教えを与えてくれる動画。
2023年06月03日
56-1式っぽくしたい その2
前記事『56-1式(後期型)っぽくしたい』で作った部品が届いたので、マルイのAKS-47を改造していきます。
まずはフロントサイトから。
フロントサイト両サイドのガードをノコギリで切り飛ばす。
3Dプリンターで作った56式風フロントサイトガードとマズルを瞬間接着剤で取り付け。
また不要な穴をパテで埋める。
パテが硬化しないと次に進めないので、今日はここまで。
おまけ
地元にハラール屋台村八潮スタンという、パキスタンおよび各国ハラール料理フードコートがオープンしたので、友人と食べに行ってきました。
タンドリーチキン盛り合わせ
日替わりカレー(肉団子)と、マトンビリヤニ(炊き込みごはん)
おいしゅうございました!
2023年05月20日
タイフェスティバル
今日は、先日土浦の武器学校に一緒に行ったタイ人の友人を誘って、東京・代々木公園で開催されたタイフェスティバル東京に行ってきました。
実は僕は8~9年くらい前、代々木公園で度々開催されているこういった国際交流系イベントの運営スタッフ(バイト)としてテントの設営や会場の清掃、はたまた駐日カンボジア大使館のセキュリティスタッフまでやっていたので、僕にとって代々木公園は古巣と言った感じです。
午前11時に友人と現地集合し、早々に屋台でお昼ご飯を買う。
ぐずぐずしていると物凄い長蛇の列が出来てしまうのは経験上分かっていたので、午前中に昼食を済ませておくのが鉄則です。
カオマンガイ(蒸し鶏ごはん)とパッブン(空心菜炒め)と春雨サラダのセットを食べました。
8年前、バンコクに1か月間ホームステイした時は、滞在3日目にしてタイ料理が辛すぎて胃痛になってしまったので、滞在中ほとんどの期間、安定して食べられるパッブンばかりを食べていた思い出があります。
あと、今日は蒸し暑かったので、珍しくビールを飲みました。僕は基本的にお酒を飲まないので、アルコールを摂取するのは去年の盆休みにベトナムに行った時以来です。
あと、タバコを吸いに会場内の喫煙所に行ったら、この手のイベント喫煙所にお決まりの、JTのスタッフによる電子タバコのプロモーション(勧誘?)が行われていました。
そして案の定、JTのお姉さんが僕に話しかけてきたので、僕は忍法『外人のふり』を発動し、「Sorry, I don't speak Japanese」と即答。僕の人相とも相まって、この作戦は非常に高い成功率を誇ります。
このあと、友人の高校の同級生(タイ人)がたまたま日本に住んでいたので、彼も合流して、二人を明治神宮に案内しました。
神社のあとは原宿駅前のユニクロでちょっと買い物して解散。
いや~、普段が運動不足だから、今日は足が疲れました。
2023年05月14日
56-1式(後期型)っぽくしたい
1980年代、タイ王国タハーンプラーンでは中国製の56-1式自動歩槍が制式小銃として使われていました。56式/56-1式自動歩槍には前期型(切削レシーバー)と後期型(プレスレシーバー)が存在しており、タハーンプラーンで使われた56-1式は、僕が確認している限りでは全て後期型です。
僕は特段AKシリーズが好きという訳ではなく、単にタハーンプラーンが使っているから56-1式が必要になっただけなので、正直そんなにお金を出したくない。なので当初は、形の似ている東京マルイ製AKS47(ジャンクで購入)で代用するつもりでした。
しかし、いざ被服を手間暇かけて揃えてみると、銃だけ代用品で誤魔化す事に納得いかなくなってきてしまいました。とは言え、リアルソードは高い。
じゃあ、AKS47にどっかのメーカーのAKMSレシーバーを付たらいいじゃん、と思って調べてみたら、これはこれで安くない。しかも56-1式とAKMSのレシーバーは一見似ているようで、よく見るとけっこう違う。
しかたないので、AKS47をベースに、56-1式(後期型)っぽく改造する部品を3Dプリンターで作る事にしました。
レシーバー側面の長方形のへこみを埋める板
フロントサイトのガード
マズル
データはできたので、これをDMM.makeで出力してもらいます。
つづく
おまけ:最近お気に入りの解説系音声合成Youtubeチャンネル
ゆっくりユプシロン
五回目は正直【ゆっくり解説】
歴史雑記ヒストリカ
鳥人間 中国史三昧
ゆっくりドラッグストア
僕は基本的に人間嫌いなので、人間が話している動画は一切見ません。
でも、ゆっくりや音声合成なら抵抗なく聞けるから不思議。
2023年05月07日
ゴールデンウイーク撮影会
ゴールデンウィーク終盤の今日は、少人数ながら撮影会を行ってきました。
今回は全体としてのテーマは設けず、服装は各自自由です。
僕は二つの衣装を持っていきましたが、両方ともタイ王国のものです。
その1:タイ王国義勇連隊クイーンズコブラ(ベトナム, 1967-1968年)
タイ兵が二人に増殖しました。
当時のクイーンズコブラで着用されていた戦闘服は大きく分けて4種類あり、いずれも米陸軍の物をそのまま使用、もしくは同型のタイ国産品と思われます。
・ユーティリティ・ユニフォーム四角フラップ
・ユーティリティ・ユニフォーム五角ポケット
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム1stモデル(露出ボタン)
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム2ndモデル(隠しボタン・エポレットあり)
なお、将校は自費で仕立てた服を着ているので、上記以外にもかなりバリエーションがあります。
その2:タイ王国タハーンプラーン第513計画管理調整部隊(タイ東北部, 1980年代前半)
2015年にタイでベレー章を買う&パッチをプレゼントしてもらってから早8年。
ついに一式着て写真を撮る事ができました。長かった~!
いや実際は、長年この計画をほったらかしにしてきて、それを今年になって一気に被服を揃えたので、その気になればとっくの昔に揃っていたのかも知れませんが・・・。
[過去記事]
ちなみに今回の写真は、とりあえず人様に見せれる最低限は揃ったので撮りましたが、被服・装備については今後もブラッシュアップしていくつもりです。
手始めにAKS47で代用しているライフルをちゃんと56-1式にしなくては。
もうすでに、次に写真撮りたい服の候補が渋滞しているので、できるだけ早く次回の撮影会を開催したいと思います。お楽しみに。
(こんなの見て喜ぶ人間なんか居るのかよと思う一方、このブログは毎日200~300回くらい閲覧されてるみたいなので、案外定期的に読んでくださる方が居る模様。有難いような気恥しいような)
2023年04月22日
軍装の進捗
その1:ベトナム陸軍空挺部隊(1964~1968年頃)
服のカット名は僕が勝手に名付けただけであり、また部隊によってカットが決まっていた訳でもありません。
なのでレンジャー部隊でも、インビジブル迷彩の上衣は主に空挺型が使用されていました。
その2:ド・カオ・チ中尉の夏季勤務服(1951~1954年頃)
当時の階級章は、ベトナム陸軍で最初に制定されたもの(1949~1955年)で、将校はフランス軍と同一のデザインでした。(過去記事『ベトナム陸軍の帽章・階級章』参照)
その3:タイ王国タハーンプラーン513部隊(1980年代前半)
すでに被服・装備類は最低限は揃っていますが、それに加えて、当時使用例の多い止血用ゴム管を56式弾帯のベルトに追加しました。
おまけ:ベトナム陸軍第3空挺大隊(1954年)
このカッコいい写真、昔から持っていたけど、よく見たら手持ちの物だけですぐに再現できる。
今度この軍装で写真撮ろっと。
Posted by 森泉大河 at
16:00
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│【ベトナム共和国軍】│1954-1975│1945-1954│自作グッズ│1975-1989│被服・装備│ND/空挺│【タイ】
2023年04月05日
タハーンプラーン計画その3
前記事
その後いろいろ物が集まり、80年代タハーンプラーン計画が大詰めを迎えました。
まずは先日来日したタイの友人にお願いしてタイで買ってきてもらったNanyangのスニーカー。
タハーンプラーンは国軍ではなく、タイ王国政府に所属する独立した準軍事組織なので、必ずしも国軍と同じ装備を使っているわけではありません。特にタハーンプラーンが発足して間もない1980年代は、予算が少なかったせいか、民生品が多く使われていました。
その中の一つが、タイの靴メーカーNanyangのスニーカーです。特にこの白一色のものは、タイでは一般的に『学生靴』と認識されているそうです。また同じものが日本ではセパタクロー用として売られているようですね。
靴はこれ以外にも、中国軍キャンバスブーツ(解放靴)やアディダスのスニーカー、サッカー用スパイクシューズの使用例も多々見られます。
その2 サッカー用ソックス
当時のタハーンプラーンで多く見られるのが、パンツの裾をサッカー用ソックスに入れるスタイルです。
これも民生品なので様々な色の物が用いられましたが、僕はコスプレするにあたり、単に色合いがカッコいいからという理由で紫色を着用する事にしました。
しかしこの紫色が曲者で、意外な事に、どんなに探しても当時と同じ白3本線の紫ソックスが見つかりません。もう海外のAmazonとかも探したのに全然売ってません。
諦めかけたその時、とある日本のスポーツ用品メーカーのサイトに、僕が探し求めていたデザインの紫色ソックスを発見!しかしそのサイトには、個人への直販は行っていないと書いてありました。でも諦めきれない僕は無理を承知でその会社に頼み込み、なんとか売ってもらうことに成功しました。
ご迷惑をかけてはいけないので会社名は控えさせていただきますが、感謝の念に堪えません!(先方も、なぜそこまで紫色にこだわるのか不思議だっただろうな)
その3 ファーストエイドドレッシング(包帯)
これはまだ確定ではないのですが、当時の写真にはファーストエイドドレッシングと思われるOD色のビニールに包まれた長方形の物体を、中国軍の56式弹匣袋の紐にテープで取り付けている例が多数見られます。
このドレッシング、売ってれば数百円で買える物なのに、なかなか在庫が見つかりませんでした。困って友人に相談したところ、友人から90年代の米軍の物を譲ってもらいました。ありがとう!
理想のスタイルにかなり近づいてきました。
ちなみに当時のタハーンプラーンは、中国に支援されたタイ共産党軍の討伐に投入されていましたが、一方で使用する火器・装備は56-1式自動歩槍(AKS)、56式機槍(RPD)、56式火箭筒(RPG-2)など、中国製の物が制式装備とされていました。なかなか矛盾していますよね。
(その後1990年代に入ると陸軍と同じM16A1やHK33の配備が進みます)
2023年04月01日
桜の園
なんだか最近タイ関係の記事が続いていますが、今回もタイです。
うちからそう遠くない距離に住んでいるので、今日は彼をピックアップして土浦駐屯地の観桜一般開放イベントへGO。
彼はタイで日本軍リエナクトや自衛隊コスプレしている人なので、土浦は持ってこいだと思った次第です。
彼の一番好きな自衛隊の車両は60式自走106mm無反動砲だそうです。そんなタイ人いるのかよ。
初めて見る実物に大興奮で写真を撮りまくってました。
ただ今回は、渋滞にハマって到着するのが遅くなり、昼食を食べていたら閉会時間が来てしまったため、旧軍の戦車や火砲のあるゾーンを案内できなかったのが心残り。
まぁ彼は数年日本に滞在するので、また来年来たいと思います。
土浦駐屯地の展示の後は、隣にある予科練平和記念館も見学。
予科練となると必然的に特攻の展示が多いので、正直僕は見ていて辛い(そして市ヶ谷の老害が始めた戦争を無知なガキに押し付けて死に追いやった当時の日本が大嫌い)のですが、日本海軍コスプレもしている彼には一度見てもらった方が良いので、展示内容を英語に通訳しながら一緒に見て周りました。
おまけ
今回彼からもらったタイ土産。
タイのタバコ(Krobgthip)と、僕たっての希望で買ってきてもらったNanyangのスニーカー。
スニーカーは軍装コスプレで使うので、追って記事にしたいと思います。
2023年03月11日
タハーンプラーン計画その2
上着に続いて、タハーンプラーン用のネッカチーフを作りました。材料費300円。
まだ一式は揃ってないけど、前回作った上着と合わせて自撮り。
僕が再現しようとしているのは1980年代のタハーンプラーンPCCS513(第513計画管理調整部隊)でして、その513部隊では隊員のほとんどがこの黒服と黒/赤のネッカチーフを着用しています。
▲PCCS513
一方、同じタハーンプラーンでも、第514部隊では、隊員は陸軍と同じタイ国産リーフ迷彩服を着ており、またネッカチーフは無しか、もしくは緑単色を着用している写真をよく見ます。
▲PCCS514
という事は、黒/赤ネッカチーフは513部隊の制服/識別色という事なのかな・・・。
まだ調べが足りないので結論は出さないでおきます。
2023年03月05日
王妃陛下の毒蛇
推奨BGM:クイーンズコブラ行進曲
先日の記事『作成中の服』の中で紹介した、ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ仕様の戦闘服が完成しました。.
そもそもクイーンズコブラを始めようと思ったのは、2018年にタイのリエナクター仲間と軍装撮影会をした際、クイーンズコブラの部隊パッチをプレゼントされたのがきっかけなので、あれから5年かけて、ようやく形になりました。
▲2018年、バンコクのナショナル・メモリアルにて
クイーンズコブラ連隊はベトナム派遣FWMF(自由世界軍)の一員として臨時に編成されたタスクフォースであり、またFWMFの盟主であるアメリカ軍(第9歩兵師団)の作戦指揮下に組み込まれたため、その徽章類は通常(国内)のタイ軍とは大きく異なります。
以下は今回の為にタイで購入したり、友達からもらったり、オーダーメイドしたクイーンズコブラ連隊仕様の徽章類です。
1. 帽章:タイ陸軍
2. 兵科章:歩兵科
3. 部隊章:第21歩兵連隊*1
4. 国籍タブ:タイ王国
5. 部隊章:アメリカ陸軍第9歩兵師団
6. 部隊章:クイーンズコブラ連隊
7. 近衛徽章: シリキット王妃栄誉章*2
8. 軍種章:タイ王国陸軍
9. 名札:パヤック(友人に命名してもらいました)
※1:クイーンズコブラはタスクフォースであるため、原隊(この場合は第21歩兵連隊)部隊章も佩用される。
※2:第21歩兵連隊は近衛部隊(王妃近衛)であるため、シリキット王妃栄誉章を佩用する。ちなみにクイーンズコブラの「クイーン」もシリキット王妃(現・王太后)陛下を意味している。
また、タイ軍では布製徽章類はジグザグ縫いで縫い付けられる事が多い(全てではない)ので、そこも再現しています。
これは上手く縫えた部分であって、他の部分では僕の技量不足で縫い目が汚くなっちゃったのもあります
ともあれ、これで被服・装備はほとんど揃いました。
あと足りないのは・・・プラクルアン(仏像・高僧像のお守り)。
現時点で友人からお土産としてもらった分の3個持ってますが、プラクルアンは「タイ軍のボディーアーマー」と揶揄されるくらいジャラジャラ首に下げられているタイ兵のソウルアイテムなので、少なくともこの倍は欲しいです。
2023年03月01日
80年代タハーンプラーン計画
※2023年3月15日更新
素材はアルファ社の米軍ユーティリティ裁断の黒い服。
これのポケットを四角く改造して、2015年にタイの友達にもらったパッチを縫い付け。
1980年代のタイ王国タハーンプラーン部隊(陸軍の傘下にある準軍事国境防衛組織)という設定です。
ベレーは現在タイで売っているPX品の陸軍/警察ベレーを使用。
現状で全体の7割くらいは揃いました。
ライフルは中国製の56-1式(プレス加工タイプ)が主だったようですが、当面はAKS-47で代用するつもりです。
僕はこの20年くらい、「1946-1975年のインドシナ諸国」と範囲を決めて軍装を集めてきましたが、今回この枠を初めて超えて、80年代のタイ軍装に挑戦しています。
僕にとってはかなり新しいチャレンジなので、久しぶりにウキウキしています。
早く一式そろえてタイの友人たちに写真を送ってやりたいです!
2023年02月15日
作成中の服
こう寒いと外で撮影会をする気にならないので、冬は物品収集に専念してます。
その中で、まだ一式は揃っていませんが、完成する目途が立った軍装を予告的に公開。
①ベトナム陸軍第1空挺大隊 副大隊長ド・カオ・チ中尉 夏季勤務服(1951-1954年)
▲左から2番目がド・カオ・チ
僕の一番好きなベトナム軍人であるド・カオ・チ大将の中尉・第1空挺大隊時代の夏季勤務服を作成中。
上着は米軍半袖チノで代用。第1空挺大隊の徽章・ベレー章は過去記事『ステホ10』の時に揃えてあるので、あとは階級章を自作すればすぐにできそうです。
タイの刺繍屋にオーダーしていた徽章一式がようやく完成したと知らせが来ました。ここまでの道のりは長かったんですよ。②ベトナム陸軍特殊部隊(1963-1964年)
発足当初の特殊部隊(LLĐB)の軍装です。
LLĐBはジエム総統直属の特務機関として仏教徒危機で学生とかお坊さんをボコボコに殴ってたら、ミン将軍のクーデターでLLĐB司令タン大佐はジエム総統もろとも暗殺。発足から1年経たずしてLLĐB本部は解体。翌年には新体制下で再スタートできたけど、ベレー・徽章類はその時変更となったので、この黒ベレーはとても短命に終わったスタイルです。(過去記事『LLĐBのベレー』参照)
服は民生ハンティングウェアですが、60年初頭の特殊部隊では同型の米国製ハンティングウェアが多数使われていたので、無改造で使うものありだと思っています。
③ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ(1967-1968年)
バンコクにベトナム戦争時代に実際にこれらの徽章を作っていた刺繍屋があるので、そこに頼もうと思っていたら、店主が高齢で、コロナが怖くて店を閉めてしまったそうなんです。なので店を探すところからやり直し。
幸いタイの友人がバンコクではない他の街に古い刺繍屋を見つけてくれたので、そこに頼むことが出来ました。到着が待ち遠しい!
2022年10月24日
3年弱ぶりの再会
コロナ前、タイや日本でよく一緒に遊んでいたタイの友人と、2年8か月ぶりに東京で再会しました。
久しぶりの再会を祝してアメリカ軍特殊レスキュー部隊式の握手を交わします。
どうやらお互い、デスクワークで腕が鈍ったようです。
彼と初めて出会ったのは2015年。
バンコクのタイ空軍博物館で軍装コスプレ撮影会した際に知り合いました。
しかし2020年2月に彼が来日し一緒に上野で遊んだ直後、コロナが世界的に流行してしまい、それ以来お互い国外に行き来できなくなってしまいました。
あれから3年弱が経ち、ようやく世の中が落ち着いてきたので、今回彼は奥さんと久しぶりの日本旅行に訪れた次第です。
当日はお台場で集合して、世にも珍しい首なしガンダム:ユニコーンガンダム・デストロイドモードの前で記念撮影。
ダイバーシティー内のガンダムベースや、うんこミュージアムで遊びました。
また、彼が日本に来る前、僕に「お土産何が欲しい?」と聞いてきたので、タイのお守り『プラクルアン』が欲しいとお願いしたら、3つも買ってきてくれました。
家に帰って自撮りした写真。半裸で身に着けると南国感が高まります。
今後数を増やして、いずれこうなる予定。
▲ラオス派遣タイ軍とされる写真
第2次インドシナ戦争期はタイ国内でプラクルアンが一番流行っていた時期だそうです。
今回僕は仕事の都合でこの一日しか遊べませんでしたが、彼は来年、別のタイの友達も誘ってまた日本に来ると言っていたので、その時はちゃんと休みを取って何日か一緒に日本を周れたらと思います。
2020年08月06日
タイ製ARVNラックサック
僕の持ち物ではないのですが、タイに住むベトナム共和国軍リエナクターの友人が、彼のコレクションの中から興味深い写真を送ってくれたのでご紹介します。
ARVNラックサック
今回はタイ製ARVNラックサックの話なのですが、その前に、こんなブログをやっていながら未だにオリジナルのARVNラックサックについて書いた事がなかったので、軽くおさらいしておきます。
ARVNラックサックとはその名の通り、ベトナム戦争期のベトナム共和国軍で用いられた代表的な背嚢です。
このARVNラックサックは、アメリカ陸軍の装備開発機関ナティック研究所が1960年代前半に、同盟軍であるベトナム共和国軍の戦力増強を目的として開発した軍事支援物資の一つであり、1964年末よりベトナム軍への本格的な支給が始まり、以後1975年の終戦まで10年間に渡って歩兵の基本装備として大量に用いられました。
なお『ARVNラックサック』は単なる通称ではなく、この背嚢を開発・生産したアメリカ軍での正式名称も『Rucksack, ARVN』であり、またアメリカ政府の予算で生産された為、8465-782-3133というFSN(連邦備品番号)も付与されています。
▲納品時に付くARVNラックサックの製品タグ
なお、過去記事『ARVNとは?』で書いたように、当時ARVNとはベトナム共和国軍全体ではなく、陸軍のみを指す言葉でした。
したがって海兵隊や地方軍も陸軍同様ARVNラックサックを支給されていたものの、これらの組織は陸軍には属しておらず、ARVN(陸軍)ラックサックという名称は支給対象を正確に反映したものではありません。
ちなみに1970年には、アメリカはARVNラックサックと同じくベトナム軍向け援助装備として、米軍3/4カラー・M69ボディーアーマーのサイズをベトナム人の体格に合わせて全体的に縮小したボディーアーマーを生産・供与しますが、その名称はARVNではなく、ベトナム共和国軍全体を意味するRVNAFを取り入れ、『3/4カラー・ボディアーマー(RVNAF)』となっています。
タイ製ARVNラックサック
ここからが本題のタイ王国製ARVNラックサックについてです。
第2次大戦後、東西冷戦を背景にタイ軍はアメリカによる軍事支援によって増強され、タイはアメリカを盟主とする反共軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)およびFWMAO(自由世界軍事支援機構)の主要構成国となっていました。
ベトナム戦争にアメリカが本格参戦すると、タイもこれに同調して1967年から1972年までベトナムへの大規模派兵を行い、最終的な派兵兵力はオーストラリアを上回り、アメリカ・韓国に次ぐ第3位のベトナム駐留外国軍となりました。
こうした立ち位置から、当然タイ軍の装備は他の親米諸国と同様に、そのほとんどをアメリカからの供与品およびその国内生産品が占めており、その中には米軍がベトナム軍支援のために開発したARVNラックサックも含まれていました。
ただしタイで生産されたARVNラックサックの中には、ベトナムに供与された物とは明らかに異なる仕様の物が存在していたようです。
以下、友人が所有するアメリカ製(左)・タイ製(右)ARVNラックサックの比較です。
ポケット側に違いはほとんど見られません。
大きな違いは背中側にあります。
まず、オリジナルには無い、X型フレームのクロス部分を覆う布が追加されています。このフレームは四隅をストラップで締め上げる事でフレームを弓上に反らせ、背嚢本体が背中に当たることを防ぐ(腰と両サイドの縦ストラップだけが身体に触れる)ための物なので、正しい使い方をすればこのような保護布を付ける必要は無いはずなのですが・・・タイでは不評だったのでしょうか?
また背嚢そのものの寸法もおよそ1.5インチ(3.8cm)ほど縦長に延長されているそうです。
タイ製ARVNラックサック派生型
ベトナム戦争期に導入されたARVNラックサックはタイ軍でもなかなか好評だったようで、戦後も様々な派生型が生産されました。
しかし、上記のベトナム期モデルではフレームを覆う布が追加されたように、X型フレーム自体は嫌われたらしく、戦後の派生型には最初からフレームが備わっていません。
①タイ国境警備警察ラックサック
全体の構造はオリジナルのARVNラックサックとほぼ同じですが、X型フレームは廃止され、背中側の構造がシンプルになっています。
②タイ軍予備役将校訓練軍団学生ラックサック
素材がコットンに代わってナイロン製となっています。こちらもフレームは備わっていませんが、上の国境警備警察の物とは違って、フレームを覆うカバーのドットボタンや縦に縫い付けられたテープはオリジナルのARVNラックサックの面影を残しています。
学生ラックサックの現用モデル。
タイ人には悪いですが、これをバンコクの軍装品店で見た時は、「いつまで使ってるんだよ!」と吹き出してしまいました。(笑)
もちろんデジタル迷彩になる前のウッドランドっぽい迷彩の物も売っています。
米軍ナティックが最初にARVNラックサックを開発してから今年で56年。
それほどナティックの設計が素晴らしかったと言えなくもないだろうけど、実のところは、何十年もこの形の背嚢を使ってきたので、単に「予備士官候補生といえばこの形!」と形式化しているだけのような気がしなくも無いです。
いつもタイで遊んでくれる友人達も、ミリタリー好き+兵役が嫌という理由で、学生時代に予備役将校の訓練を受けており、みんなこの背嚢のお世話になったそうです。(予備役将校になると兵役抽選が免除になる)
普通のタイ人にとっては何の変哲もない背嚢ですが、ナム戦好きの友人たちの間では、「うちの国いまだにARVNラックサックなんですけど」とネタにされていました。
2020年02月22日
タイ土産?
今日仕事から帰ったら、家にタイからのエアメールが届いていました。
ん?何も聞いてないぞ。
差出人は、いつも日本やタイで遊んでくれている、タイの軍装趣味の友人でした。
封筒を開けてみると、中には何のメッセージも無く、ただタイ語のネームテープと徽章が入っていました。
ああ、そう言えば先月彼が仕事で日本に出張で来た時、二人で上野のアメ横で飲んで、その後銭湯に入ってきたんです。
その時確か、彼が「ごめん、お土産忘れちゃった。後で送るよ」と言っていたような気がします。
たぶんこの徽章類は、その事だと思います。
そんな、気にしないでいいのに。ありがたや。
すぐに彼にお礼のメッセージを送り、ついでに「ネームテープには何て書いてあるの?」と聞いたら、
この文字は『タイガ・モリイズミ』のタイ語表記であり、僕のためにわざわざネームテープを刺繍屋で作ってくれたそうです!
うわー、嬉しい!
タブの方は、左がタイ陸軍歩兵科兵科章、右が第6歩兵師団だそうです。
もともとベトナム共和国軍を専門としている僕は、、ちょっとした浮気気分で、ラオス内戦中、米国CIAと共にラオス王国軍(実質的には右派モン族軍閥)を支援・指揮していたタイ国境警備警察PARU(空挺支援隊)と、
1980年代のタハーンプラーン(国境地帯の防衛、共産主義勢力掃討のために組織された準軍事民兵組織)のコスプレをしてみようと思い、徽章類をちょっとずつ買っていました。
しかしそれらに加えて、タイの友人と遊ぶ度に何かしら徽章類をプレゼントされるので、服に取り付けられるのを待っているタイ軍関係の徽章がどんどん増えていっています。
なんかもう、お土産って言うよりは、「あげたんだから使ってね」という無言の圧力すら感じます。
ベトナムの方も改造・縫い付け待ちの服がたまっていますが、タイの方も、そろそろちゃんと服を作らねばなりませんね。
2019年07月09日
主にタイ、一部ベトナムな週末。
タイの軍装マニア友達がまた来日したので、2日間一緒に遊んできました。
なんか彼とは、最近は半年に一回くらい会ってる気がする。
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1日目 横浜
お昼に合流して新横浜ラーメン博物館でお昼ご飯
ラーメンを食べ終わり外に出ると、友人がTVの街頭インタビューに捕まる。
外国人に漢字を書いてもらう企画のやつ。
加えて、TV局のお姉さんが彼にいろいろ質問する。
「なぜ日本に来ましたか?」、「どのラーメンが好きですか?」
そして最後の質問「日本のどこに興味がありますか?」
彼は慎重に言葉を選びながら
「う~ん... 歴史とか...」と口を濁して終了。
お姉さんは、期待していた観光客っぽい答えを得られなかったので、少し残念そうにインタビューを終えました。
インタビューの後、僕は彼に言ってやりました。
「正直に『大日本帝国陸軍です!』と言っちゃえばよかったのに(笑)」
彼 「いや、やばいっしょ~(笑)」
普通のガイジンの振りをするのも大変ですね。
気を取り直して、みんなで『抜刀隊』を歌いながら次の目的地に移動。
※僕は今は日本軍マニアではありませんが、一応、中高生の頃はそっちもかじっていたので、多少わかります。
キリンビール横浜工場を見学。見学の最後にビールを三杯まで無料で味わう事が出来ます。
見学無料、ついでにビールにおつまみまで無料と来て、みんな「なんでそんなに太っ腹なの!?」と本気で驚いていました。
「これタイにあったら、タイ人毎日来て大行列だよ」って言ってます(笑)
神奈川県庁や赤レンガ倉庫周辺を散策。
みんなレトロな街並みを見て、案の定、『檄!帝国華撃団』をで歌いながら歩く。
ほんとサクラ大戦好きね~
みんな、みなとみらいの事は知らないようだったので、
「ゴジラとモスラが戦った場所だよ」と説明したら、
「ああ~!わかった!」と一発で理解してもらえました。
夜は中華街で夕食。
2,000円で食べ放題の店でたらふく食う。
調子乗って注文しすぎ、苦しくてちょっとテンション下がるくらい食べ過ぎてしまいました。
2日目 東京
有楽町でショッピングと食事して、日比谷公園に移動。
途中、某所で上半身だけコスプレ撮影会が始まってしまった。
こんな所でやるなんて聞いてなかったよ(汗)
さすがに鉄砲持つわけにはいかないので、陸軍報道部と言う設定だって。
とは言え場所が場所だけに、大急ぎで撮って撤収させました。
隣の〇の内署が建て替え工事中だったのは本当にラッキー。
日比谷公園を散策し終えたところで、僕は前々から別のグループのフットサルに行く約束があったので、ここで皆とお別れ。
今回は1日半と短い時間しか一緒に遊べなかったけど、まぁ、どうせそのうち、日本かタイでまた会う事になるでしょう。
新宿に移動して、月一で開催されている、日本在住ベトナム人のフットサル交流会に参加。今回は20名近く集まりました。
僕のスポーツマンっぷりをアピールしたいところだけど、残念ながら煙草で肺をやられているので、まともに体が動く時間は3分が限界。
もう、すぐに足がもつれて転びそうになるので、日本在住歴40年超えの長老にバトンタッチして、僕は2/3くらいピッチの外で休んでました。
でも暇そうにしてたら、僕の一歳年下で同じくメタボに危機感を抱き始めた友人から、一緒に腹筋やろうと言われたので、ピッチの外で腹筋してました。
久しぶりの運動だったので、翌日は足だけでなく腹まで、仕事やる気にならないくらい、重度の筋肉痛になってしまいました。
フットサルのあとは大塚のベトナム料理屋で飲み会。
今回初めて会った人たちとも友達になりました。
みんな、「タイガーさん早くベトナム人の彼女つくってよ!」と言ってくるので、
「うるせー!がんばってるけど毎回フラれるんだよ!」と答えてたら、
次第に店員の女性の方も混ざって、僕のためにベトナム人女性の口説き方講座が始まりました。
ただし、その講義をしている男たちも全員独り身。ああ、悲しい。
2018年10月15日
タイの友達に同行二日目:埼玉
二日目は埼玉県与野市で開催された大正時代祭りに参加しました。
このお祭りでは大正時代の人々の衣装の再現やコスプレパレードが行わており、軍人コスプレも有りなので、個人の軍装愛好家も当時の帝国陸海軍の軍装を再現してパレード参加しています。
これを聞きつけたタイのみんなは、なんとこの日の為に1910年代末のシャム王国(後にタイ王国に改名)の軍装をタイから持参してパレードに参加しました。
シャム陸軍第一次世界大戦欧州遠征部隊および戦後の軍装
日本でこの時代のシャム軍がお目にかかれるなんて後にも先にも今回だけではないでしょうか。
実は彼らは三人とも好きな分野が違いまして、一人は第二次大戦期の日本陸海軍およびイギリス軍、一人は第二次大戦期のタイ軍および日本陸軍、残る一人はベトナム戦争期のタイ軍および米軍だったりします。でも今回はせっかくタイ人としてパレードに参加するという事で、三人とも友人から借りた衣装を持参してシャム軍で合せてました。
できれば僕もこの時代のフランス植民地軍アンナン狙撃兵(ベトナム兵)の軍装でパレードに出てみたかったけど、まだ全然揃ってないので、今回は普通にビールと焼き鳥を食べらながら、沿道で彼らのパレードを撮影していました。
あの三人は顔があまりタイ人っぽくないので、日本人の僕が一番タイ人っぽいと言われました。この日は特に服装がトロピカルだったし。
日本ではないっぽい謎の軍服を着た外国人3人組に他の参加者の方々も興味津々。何度も記念撮影を頼まれていました。
当の彼らはと言いますと、日本の文化・カルチャーをよくご存じなので、袴姿の女学生たちを目にすると嬉しそうに「ハーシーレー コウソクノー!」とサクラ大戦の檄帝を口ずさみご満悦な様子でした。それ大正じゃなくて太正!(笑)
太正桜に浪漫の嵐!
パレードを終え大正時代祭りを後にした一行が次に向かったのが『小江戸』として知られる川越市。
ここでは普通に観光し、川越いものアイスクリームや饅頭、お団子をみんなで食べました。東京なんてバンコクと大して変わらないので、川越でいかにも日本っぽい風景を見てもらう事が出来て良かったです。
僕は川越に来るのは3回目でしたが、昼間しか来た事がなかったので、日が落ちると街灯とライトアップでとても幻想的な街並みになる事を初めて知りました。
夜になると、彼らのホテルがある東京の御徒町に戻り、中田商店を物色。
その後、昨晩満席で入る事の出来なかった磯丸水産に、今度はアメ横で再挑戦。無事席が空いていたので、みんなで夕食を取りました。蟹味噌甲羅焼が美味しかったです。
彼らは翌日以降も日本を観光するそうですが、僕が同行できるのはこの日が最後だったので、「次はバンコクで会おう!」とお別れを言って解散となりました。
なんか僕にとってタイはあまり異国という気がしない場所なので、お別れは言いましたが、どうせまたそのうち会います。気が向いたらふらっと行くかもね。
2018年10月12日
タイの友達に同行一日目:東京
前回に引き続きタイの友達との日本紀行です。
なお、今回遊んだのは2月に東京案内した友人とは別のグループです。あっちは一般人。
今回は趣味を通じて知り合った濃い~リエナクター・軍装マニアのグループの方々です。
なので一日目の目的地は東京九段の靖国神社遊就館と昭和館という、およそ観光客とは思えない見学ルートです。
僕は遊就館に行くと毎回、割と本気で気持ちが陰るので、あえて冗談交じりに艦これとかストライクウィッチーズの話しをしながら明るく振舞っていました。
またタイ人は(自国が日本の半占領下だったので当然)日本人が考えるよりもはるかにクールに大戦期の日本について理解していますし、一人はバンコクの博物館の学芸員ってのもあり、お互い歴史愛好家として率直に感想を言い合いました。
僕が「ここは公的な博物館ではなく、民間の宗教団体の施設だから、彼らの望む歴史観にそぐわない=日本に都合の悪い話は展示しないよ」って言ったら、彼らも「うん、知ってる」って感じでした。
見学を終え、そのまま遊就館の食堂で海軍カレーを食べようとしましたが、やたら混んでたので断念して神社の外のインドカレー屋で昼食。どっちみちカレーなのね(笑)
次に昭和館で、戦中・戦後の庶民の生活などを見学しました。
学芸員の彼は職業としてタイの大衆文化の歴史を研究している上に、大の日本陸海軍および日本文化マニアなので、この時代の日本の大衆文化についてもかなり造詣が深く、日本人の僕も知らなかった事を色々教えてくれました。これ、外国マニアあるあるですわ。
ちなみに偶然、館内に居た別の見学者のグループが、サイゴンにある戦争証跡博物館の館長一行でした。一行を案内している日本人のおっちゃんが、昭和館で戦争体験を語り伝えるおじいちゃん達に得意げに話しているのを横で聞いていました。
なんでもそのおじさんは、学生時代の反戦運動以来、アメリカによるベトナムへの戦争犯罪を世に知らしめる活動に尽力されているそうです。だからベトナム共産党直営の博物館とも深~い付き合いなのだそうです。
その後は普通に渋谷と新宿でショッピングなどして遊んできました。
夜ご飯は、海鮮居酒屋の磯丸水産に行こうとしたけど、土曜の夜という事もあり、新宿西口側にある三店舗まわったけど全部満席で断られました。
仕方ないので、最終的に「すた丼」で食べました。わざわざ日本まで旅行に来てすた丼?!とは思ったけど、まぁ翌日も遊びに行くので、今夜は安く済ませましょう。普通に美味しいし。
偶然通りかかった新宿駅のルミネが「ジョジョの奇妙な冒険」とコラボしていたので、ジョジョ好きな彼らは喜んで記念撮影開始。
僕も一緒にポーズしたけど、実はジョジョをちゃんと読んだ事ないんだよね・・・。知ってるふりして適当にやりました。ごめん。
2018年10月08日
タイからのお土産
バンコクでのコスプレ撮影会など、いつもタイで世話になってる友達4人が日本に遊びに来たので、彼らの旅に二日間同行してきました。
友人の内一人は以前日本に留学しており、東京の地理に(僕よりも)詳しく、日本語も話せるので、僕は案内役ではなく、ただくっついていっただけです(笑)
いろいろ行ったので、何回かに分けて記事にしていきます。
まずは初日にもらったお土産。
タイ陸軍レンジャー学校Tシャツと、タイ軍自由市民防衛章(第二級第二種)
自由市民防衛章はタイ国内の共産ゲリラとの戦いで功績を挙げた人物を表彰する勲章です。
他にもタイの国章ガルーダのブローチと、タイの若者で流行っているというアロハシャツ風のトロピカルな柄のTシャツをもらいました。
あとついでに、彼らが成田に着いた際に、免税店でタバコも買ってきてもらいました。日本じゃまた煙草が増税され、僕の吸ってる銘柄はついに1カートン5000円に達したので、たまったもんじゃありません。免税店だと1カートン当たり2000円も安い事になるので、「何か買って行こうか?」と聞かれた際、まっ先にお願いしておきました。まぁ、煙草はどんなに値段上がっても止めませんけどね。こうなりゃ意地です。
タイと言えば、今僕は1980年代のタハーンプラーン(タイ陸軍レンジャー対ゲリラ・国共防衛部隊)の軍装を揃えようとしていますが、完成度はまだ50%も行っていません。
※英語圏ではタハーンプラーンを「レンジャー」と意訳している例が多く見られますが、実際にはタイ陸軍レンジャー部隊は別に存在しているので、ケネス・コンボイ先生より、「タハーンプラーンとレンジャーは全然別物だから混同しないで」とご指摘いただきました。
▲この写真で着てる黒シャツは家にあったただの私服
やはり僕の関心のメインは第2次インドシナ戦争なので、現段階でベトナム、ラオス、カンボジア軍を並行して集めている以上、タイ軍は予算の都合上後回しになっています。
とは言え、どうせイベントで着る予定も無い本当に個人的なコスプレなので、ゆっくり集めていきます。