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2018年06月08日

ベトナム空軍神風部隊~トートン~浮世絵

 ベトナム空軍では、他の西側諸国と同様に、航空機の機首にノーズアートが描かれている例がいくつかありましたが、中でも特によく知られているのが、グエン・カオ・キ中将(後の副総統)の直接指揮下にあった第83特殊作戦航空団『※神風部隊(Biệt Đoàn Thần Phong)』のものだと思います。この神風部隊では少なくとも以下の二種類の特徴的なノーズアートがA-1スカイレイダー攻撃機の機首右側面に描かれていました。



※日本の神風特攻隊とは関係ありません。
※なお、この神風部隊は特殊作戦を専門とする『空の特殊部隊』であったからか、本来国籍マークが入るはずの機体胴体側面には部隊のシンボルマークがペインいる点が他の部隊の機体ペイントとは大きく異なります。

 この二つの漢字のような梵字のようなよく分からない図形の正体については、僕自身長年把握できておらず、たぶんチュノム(ベトナム語表記にローマ字=クォックグーが採用される以前に使われていた漢字を基にした表語文字)の一種なのかな、くらいに考えていました。ところがある日、さるベトナム空軍研究家にこのノーズアートについて話を振ったところ、即座に正解を教えて頂く事が出来ました。
 なんでもこの図形はチュノムや特定の言語の文字ではなく、ベトナムの伝統的なカードゲーム『トートン(Tổ tôm)』に描かれた、漢字を基にした記号なのだそうです。
 トートンは中国発祥のカードゲーム(紙牌)である『ハンフー(看虎)』から派生したもので、麻雀やトランプのようにいくつかのスート(柄)と数字の組み合わせでデッキが構成されていました。
 スートと数字は文字(漢字)と漢数字を組み合わせた記号で表されており、スートの文字が漢字の部首の偏のように左側に、漢数字が旁(つくり)のように右側に配置され、その記号自体が一つの漢字のようにデザインされていました。(チュノムも同様に二つの漢字を組み合わせて一つの文字としていましたが、トートンに用いられたのはチュノムではなく、単なる記号です。)
 左側のスートは、現在のトートンでは専ら文(Văn)、索(Sách)、萬(Vạn)の3つが用いられていますが、過去には升(Xừng)や[※1]湯(Thang)といった文字も使われていたようです。このうち索と萬は、もっと後の時代に考案された麻雀(索子と萬子)に受け継がれていますね。 [※2]右側の数字は1~10まであり、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十と漢数字で表記されています。(十は謎の異字体が使われていますが) 

[2018年6月13日訂正]
※1 Thang (湯)は現在でも使われていました。
※2 右側に入る数字は正しくは1~9であり、一、二、三、四、五、六、七、八、九と漢数字で表記されています。下のカード一覧の一番右側にある3枚はそれぞれのスートの十ではなく、それぞれÔng Cụ (萬の行)、Chi Chi (文の行)、Thang Thang (策の行)という役を作るのに使う特殊なカードであり、これに各スートの一(萬の一、策の一、文の一)を含めたカード6種のカードが『Yêu』と呼ばれ、麻雀で言うドラのような役割を持っているそうです。

▲現在出回っている一般的なトートンのカード

そしてこの中で、神風部隊にノーズアートとして描かれたのは、升の九(Cửu Xừng)』と索の九(Cửu Sách)になります。


※なおRobert C Mikesh著『Flying Dragons: The South Vietnamese Air Force』には、神風部隊では上記の二つに加えて『萬の九』、『文の九』もマーキングされていたと記述されているそうですが、当時の写真を探してもその実例を確認する事はできませんでした。

 実はこれらを調べる過程で、頭を悩ませたのが、Cửu Xừng』についてでした。先述したように、現在のトートンで用いられているスートは文・索・萬の三つであり、インターネットで調べても、このカードに関する情報はなかなか見つかりませんでした。しかもかなり文字を崩したデザインなので、元の漢字が何だったかも全く分かりませんでした。
 さらに僕を混乱させたのが、この漢字のクォックグー表記は『Sừng』だというベトナム人からの情報でした。結果から言うと、これは間違いであり、ほぼ同じ発音をする『Xừng』の書き間違いでした。僕はさっそくSừngの漢字・チュノム表記を調べましたが、その表記は漢字では『角』、チュノムでは『䈊』、『表示不可(https://jigen.net/kanji/162049参照)』、、『表示不可(https://jigen.net/kanji/162050参照)』であり、カードに描かれた文字とは似ても似つきません。
 その後、別の人から『Xừng』と書かれている資料をもらい、その表記を調べると、漢字にはXừngに対応する文字はありませんでしたが、チュノムにはありました。それが『表示不可(hyouhttps://jigen.net/kanji/133567参照)』です。これも一見、カードに描かれた文字とはだいぶ違うように見えますが、上で述べたようにチュノムは、中国の漢字では表す事の出来ないベトナム語の発音を表記するために、別々の漢字を組み合わせて一つの文字としているので、このチュノムの構成要素は、『称』と『升』という二つの漢字になります。(出典: Chu Nom.org https://www.chunom.org/pages/209BF/#209BF)
 そして、この中の『升』が、かなり崩されてはいるものの、問題のカードの文字と一致しているように見えます。これでようやく点と点が繋がりました。なお、漢越辞書によると、『升』という漢字を単にクォックグー表記した場合は『Xừng』ではなく『Thăng』になるようですが、日本人なら知っているように、漢字というものはその時代や地域によって様々な読み方をされる物であり、この場合も升という漢字がXừngと読まれていたのではないかと推測しています。この推測に則り、この記事ではCửu Xừng』を『升の九』と書いています。(もし違っていたらごめんなさい)

 ところで、お気付きかも知れませんが、これらのトートンのカードに描かれている人間のイラストは、19世紀の日本人の姿だったりします。その由来はWikipediaによると、フランス植民地時代にマルセイユの玩具メーカー カモワン社(Camoin)が、自社がベトナム向けに生産していたトートンに、日本から輸入された木版画・浮世絵に描かれた日本の庶民の姿をプリントしたのが始まりだそうです。そしてそのカモワン社製トートンがベトナムで広く流通したことで、それらのイラストはトートンの絵柄として定着し、100年以上経った現在でも変わらずに使われ続けているそうです。
 では、なぜカモワン社はベトナム人向けのカードゲームに日本の木版画のイラストを採用したのかと言いますと、具体的には説明されていません。しかしおそらくは、当時フランスでは日本から輸入された木版画・浮世絵などの『エキゾチック』な芸術作品が人気を博し、ジャポニスム(Japonisme)』と呼ばれる流行が発生したため、デザイン業界でも浮世絵に描かれた『オリエント』なモチーフを取り入れられた事がその一因であろうと推察できます。また、当時ほとんどの西洋人はベトナムも日本も中国も一括りにアジア、オリエントと見做しており、それぞれの文化の違いなど気にしなかったため、両国の文化は混同され、ベトナム向けのカードゲームに浮世絵のイラストが採用されたのだろうと僕は思っています。

 余談ですが、『オリエンタリズム(Orientalisme)』という言葉に代表される、このような当時のフランス人(およびほとんどの西洋人)が持っていた『想像上の』アジアへの憧憬、そして偏見は、つい半世紀前まで続いていた欧米諸国によるアジアへの植民地支配、帝国主義と深く結びついた概念でもありました。
 ただし、異国の文化についての誤解は、なにも西洋人に限った話ではなく、日本人もヨーロッパ諸国それぞれの国の文化の違いを正しく理解している者は少ないでしょうし、もっと言えば日本の周りの国ですら、いまだにあまりよく分かっていません。過去には、自国中心の偏見に満ちたアジア観を基に周辺国への領土拡大と統治を行い、大変な反発と遺恨を生じさせた事実は日本人なら誰もが知っておくべき事柄です。また現在でも、例えば日本のテレビ番組ではしばしば海外で日本の文化がいかに誤解されているかを取り上げていますが、では日本にある外国料理は?日本人が話す外来語やカタカナ英語は本来の意味で使われているのか?と思い返してみれば、他人の事は言えないですよね。
 さらに言えば、マスメディアやインターネットでは、タイと台湾は当然のように(反日の対義語として)『親日国』として語られますが、では実際、所謂『反日国』や、それ以外の国々とどれほど違うかと言いますと、実はそんなに変わらないと僕は思っています。第二次大戦において日本と戦ったアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・フランスはもちろん、日本軍の恫喝によって軍政下に置かれたタイや、長く中国国民党政権が続いた台湾でも、大戦中の日本軍を好意的に見ている人はほとんど居ないです。一方、戦後日本が育んだ食事や音楽などの文化、工業・医療製品については、世界の大半の国々、そして日本で反日』と呼ばれる中国や韓国でも大人気であり、特に中国の小金持ちはこぞって日本に観光に訪れ、帰国後日本に行ったと自慢する事が一種のステータスとなっている感すらあります。
 数年前、あるニュース番組で、中国で発行されている『知日』という情報誌が紹介されていました。その雑誌を編集している僕と同じ世代、1980年代生まれの中国人編集者たちはインタビューの中で、「私たちはこの雑誌で、読者に日本を好きになってもらおうとは思ってはいません。ただ、彼らを好くにせよ嫌うにせよ、まずは相手の本当の姿を知る事が、我々自身にとっても大切な事なのです」という趣旨の言葉を語っていました。その通りだと思います。日本に訪れる中国人観光客が皆こういった意識を持っているとは思っていませんが、少なくとも中国国内にはこういう理知的な人々が居り、彼らの雑誌が人気を博してる事実は、両国の未来にとって歓迎すべきことだと思います。
 なお、知日は日本でも買えるようですが、ちょっと良い値段しますし、どうせ中国語読めないのでまだ呼んだ事は無いです。もし日本語訳版を作ってくれたら、是非読んでみたいですね。

こちらで販売中

今日は我ながら、いろんな方向に話が飛んでいくブログでした。
  


2018年06月07日

ヒーノス歯磨き粉

 随分前の事ですが、DeMilitarized Zone氏のブログこちらの記事で、『ヒーノス(Hynos)』がまだ製造されている事を知り驚きました。ヒーノスとはベトナム国産の歯磨き粉ブランドで、ベトナム共和国時代の写真を見ていると、ヒーノストレードマークである白い歯を輝かせて笑う黒人おじさん看板をよく見かけます。


 そのヒーノスがまだ売っているなら僕としては是非とも欲しいし、日本のベトナム軍リエナクター仲間へのお土産にも良いだろうと思い、一昨年ベトナムに行った時にコンビニなどで探したのですが、残念ながらその時は見つける事はできませんでした。サイゴン在住の友人に訊いても、どこで売ってるかは分からないと言っていました。
 それからしばらくヒーノスの事は忘れていましたが、最近ふと思い出しFacebookで友人たちに「これどこで売ってるの?」と質問してみたら、いろいろ教えてもらう事が出来ました。
 まず彼らから得た情報としては、ヒーノスブランドは現在市販されておらず、ホテルのアメニティグッズとしてのみブランドが継続しているとの事でした。なるほど、どうりで街のコンビニでは見つからないはずだ。ただし、当然ベトナムの全てのホテルに備わっている訳ではないので、僕がサイゴンのホテルに泊まった時は残念ながら見かけませんでした。
 ありがたいことに、何人かは「このホテルに置いてあったよ」と、ヒーノスが置いてあったというホテルをいくつか教えてくれたので、どこのホテルに置いてあるかは分かったのですが、歯磨き粉をもらう為だけにわざわざその街に行く訳にはいかないですよね。おそらくサイゴンのホテルにも普通に置いてあるっぽいですが、部屋を予約する時に「ヒーノスの歯磨き粉置いてますか?」なんて聞くのは恥ずかしいなぁ(笑) 

 さらにインターネットを調べてみると、ヒーノスに関する詳細な情報が載っていました。

Báo điện tử Pháp Luật thành phố Hồ Chí Minh(ーチミン市司法局 ホーチミン市法律電子新聞)
Hynos - cứ ngỡ kem đánh răng ngoại

Người Lao Động (ホーチミン市労働者連盟電子新聞 労働者)
Thắp lại hào quang thương hiệu Việt: Từ P/S đến Hynos

 これによると、ヒーノスは元々1950年代にユダヤ系アメリカ人実業家が南ベトナムに工場を作り立ち上げたブランドでした。しかしその創業者は、国に残してきた妻が亡くなった事で傷心し、アメリカに帰国してしまいす。その後、ヒーノスの経営を受け継いだのが、創業者の下で働いていたベトナム人従業員のブン・ダオ・ギア(Vương Đạo Nghĩa)でした。商才に恵まれたギアは、その後10年間でヒーノスをベトナムを代表する有名ブランドに成長させます。
 当時、サイゴンを中心とするベトナム南部の都市部の消費者の指向は欧米的で、いかに広告を打つかがビジネスの鍵であったため、多くの企業が美男美女をイメージキャラクターとして広告に使用しました。しかしヒーノスはあえてありきたりな美男美女を避け、ストレートに歯磨き粉としての効能、歯を白く美しくするという点をアピールするために、あえて肌の色と白い歯のコントラストが印象的な黒人男性の顔をトレードマークに採用します。そして街の至る所に看板を設置し、ラジオCMでは子供向けの陽気なテーマソングを放送するなどして、大人から子供まで誰もが知っている有名ブランドの地位を確立していきました。以下はラジオ広告で放送されたヒーノスの歌です。
Chà chà chà, Hynos, chà chà chà.
Chà chà chà, hàm răng em trắng bóc.
Cha cha cha, cha cha cha.
Và ngàn nụ cười, nụ cười tươi như hoa.

チャチャチャ ヒーノス チャチャチャ
チャチャチャ みんなの歯を白くする
チャチャチャ チャチャチャ
だからみんながにっこり 花のようににっこり
(筆者による意訳)
 しかし1975年4月30日、ベトナム共産軍がサイゴンを占領しベトナム全土がベトナム共産党の支配下に堕ちると、共産主義に則り南ベトナムに存在したすべての企業が国有化され、政府の統制下に置かれます。ヒーノスも例外ではなく、1975年に国有化された後、かつてのライバル企業であるコルペルロン(Kolperlon)と合併し、歯磨き粉の生産はその子会社のフォンラン(Phong Lan)へと引き継がれました。
 さらに1980年には他の三社とも合併し、ホーチミン市産業局直轄の化学化粧品合弁会社(Xí nghiệp Liên hiệp Hóa Mỹ Phẩm)となりますが、ドイモイ政策開始後の1990年に同社は解体され、フォンラン歯磨き粉を含む傘下にあった企業はそれぞれホーチミン市産業局の下で独立した企業となります。
 翌1991年、フォンラン歯磨き粉はP/S化学会社(Công ty Hóa phẩm P/S)へと改称され、さらにその後、1997年には英・蘭の多国籍企業ユニリーバ(Unilever)がP/Sに出資し、以後P/Sはユニリーバ傘下の化学化粧品メーカーとして現在にいたります。
 現在でもP/Sはベトナムの歯磨き粉トップシェアを誇り、どこのコンビニやスーパーに行ってもP/Sの歯磨き粉が売られていますが、ヒーノスというブランド自体は既に多くのベトナム国民から忘れられており、ホテルのアメニティとして細々と存続しているだけのようです。(もしかしたら一部では市販されているかも知れませんが、少なくとも若い世代におけるヒーノスという商品名の認知度はかなり低いです)


おまけ:1970年代初頭のサイゴン市内のスーパーマーケット


この数年後、サイゴンは北ベトナム軍の侵攻を受けて陥落し、ベトナム共産党政権による南部の『解放』が開始されます。以後ベトナムはベトナム共産党の施政下で世界の最貧国の一つに転落し、ベトナム国民は歯磨き粉はおろか食料すら満足に得られず、数十万人の国民が難民として国外に脱出する事となります。その後ベトナムは自由市場を一部導入する事でなんとか経済を持ち直し、ベトナム共和国時代に存在したような近代的なスーパーマーケットもようやく復活しましたが、そこに至るまでには十数年の歳月と数えきれない国民の犠牲を要したのでした。