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2013年09月11日

カウボーイ

僕には、この趣味をする上で最も影響を受け、バイブルと崇めている本があります。その名も、
ジム・モリス著「グリーン・ベレー -私はベトナム戦争を戦った-」(原題:WAR STORY)


この本は1963年にCIDG部隊の指揮官としてベトナムに派遣され、ジャライ族、ヌン族部隊を率いた元グリーンベレー少佐の回想録で、
グリーンベレーの実情やCIDG兵士とその家族、そしてFULRO(被抑圧民族闘争統一戦線)に関する生々しい情報が盛り沢山です。
読んだ当初は、にわかに信じがたいような驚きの内容が満載で、いくら本人の回想とは言え、かなり脚色されているはずだと思っていました。
しかしその後、史実を調べれば調べるほど、この本に書かれていることの多くが真実であると気付かされます。例えば作中で南ベトナム軍に
処刑された無名のFULRO兵士の氏名・経歴までが、別の史料とぴたりと一致していました。
既に絶版となっていますが、中古はAmazonでも購入可能です。
デガ(モンタニヤード)やFULROを知る上で最高の本なので、ベトナム戦争の特殊部隊に興味がある方には絶対にお勧めです!

特にFULROに関しては、偶然にも著者の部隊に最重要幹部の一人が所属しており、彼と個人的な友情で結ばれていた事から、軍務を
超えてFULROとの関係を深めていきます。モリスは当時、最もFULROに接近したアメリカ人の一人と言っても過言ではないでしょう。
そしてその最重要幹部というのが、アメリカ兵からカウボーイと呼ばれたジャライ族のカリスマ戦士ィリップ・ドローインFULRO大佐
彼はもしかしたらベトナムの歴史を変えていたかもしれない、物凄いカリスマ性を持った人物です。「この人の事を知るために、自分は今
までベトナム戦争について調べてきた」と思うくらい衝撃的な出会いでした。
また、小林源文の漫画『Cat Shit One』に登場するCIDG兵チコの設定といくつかに似ている部分があり、チコのモデルはカウボーイだっ
たんじゃないかと想像しています。本物はチコほど大人しい人物ではありませんが(笑)

そういう訳で、今回はこのカウボーイについて、作中の記述をベースに他の史料から得た情報も交えて、
彼の闘いの軌跡"WAR STORY"を紹介したいと思います。

▼1967年ごろのモリスとカウボーイをイラストにしてみました(想像図)


“カウボーイ” フィリップ・ドローイン
Cowboy / Philippe Drouin

ベトナム中部高原(タイグエン)地方チェオレオ出身のデガ(ジャライ族)。
第1次インドシナ戦争中(13歳以下と思われる)にフランス軍に入隊。少年兵ながら落下傘降下資格を取得し、幾多の作戦に参加する。
戦後、デガ諸部族の中で最大の勢力(人口10万人以上)を持つジャライ族の首長ネイ・ムルの娘(ジャライ族とフランス人のハーフ)と結婚し、
二人の子を授かる。ジャライ族は母系社会のため、将来的に首長の家督は婿である彼が受け継ぐものと思われる。 また、ネイ・ムルの息子
で、後に南ベトナム政府民族発展省大臣となるネイ・ルェット(Nay Luett)が義弟となる。

1960年代初頭、デガは南ベトナム政府のみならず、共産ゲリラのベトコンからも激しい迫害を受けていた。そこにアメリカによるCIDG計画
が始まると、フィリップはベトコンと戦う為これに進んで参加。ブンベン・キャンプストライクフォース(Camp Strike Force)でグリーンベレー
(以下USSF)指揮官の通訳兼CIDG側リーダーを務める。この時点で非常に優れた語学力を持っており、ジャライ語・ラーデ語・バナール語
・フランス語・英語の読み書きができ、さらにタイ語・クメール語・広東語を多少理解できた。
この時期彼は常にカウボーイハット(仏軍ジャングルハット)被り、煙草のセーラムをふかしているのがトレードマークだった為、“カウボーイ
という渾名がついた。

▼列の先頭がカウボーイ(本人)。右手前はモリスの前任者で友人でもあるスウェイン大尉(1963年)

一時期USSFの上官ウェズレイ大尉とトラブルになりブンベン基地を追い出され、近くのチュドロン基地に異動となる。トラブルの原因は、
ウェズレイの部下がカウボーイの妻(フランス人とジャライ族のハーフ)に手を出そうとした為と言われている。
その後チュドロン基地で半年間勤務するが、そこでUSSF指揮官から非常に高い評価を得て、基地にあった3/4tトラックを 個人的に譲り
受ける。 
1963年12月、実家のあるチェオレオにより近いブンベン基地に戻りたいと希望し、チュドロンの指揮官による推薦状を持ってブンベンを
訪れる。その際、新任のブンベン指揮官であるモリス大尉に出会い、採用を願い出る。ブンベン基地にはすでにクパ・ドという通訳が居たが、
カウボーイは自分がかつてフランス軍に居た事、空挺降下の実戦経験がある事をアピールする。モリスは空挺降下に対し並々ならぬ愛着を
持っていたため意気投合し、再びブンベン基地の通訳として採用された。 

ブンベンに復帰したカウボーイは、旧友のクパ・ドと共にCIDGの中心人物として活躍する。モリスによると、カウボーイは非常に目立ちたがり
な性格で、敵の襲撃の最中、一人丘に立って目立つように銃を乱射するなど勇敢さを示そうとする行動が目立った。 また、ベトコンを激しく
憎んでおり、彼等を殺す事が生き甲斐と公言している。任務外でも「狩りに行く」と言って部下を率いてベトコンを待ち伏せして殺している。
モリスが捕虜を取ろうとしても、興奮して勝手に殺してしまう事もあった。しかし、カウボーイには人を惹きつける生来のカリスマ性があり、
モリスも次第に彼に魅せられていった。
またカウボーイは、当時米軍MAAG(軍事支援顧問団)と繋がりのあるUSOM(アメリカ民間協力顧問団)局長の個人通訳をしていた義弟の
ネイ・ルェット(ジャライ首長の実子。彼も母がフランス人)をモリス紹介した。ルェットにはカウボーイ程のカリスマ性は無かったが、政治手腕
に長け、ジャライ族の実質的リーダーとして米国顧問団との強いコネクションを持っていた。彼はモリスの考えるベトコン掃討計画に賛同し、
MAAG・USOMの承認を受けてブンベンCIDGの一員となる。こうしてモリスは、二人のジャライ指導者と、MAAGの後ろ盾を得た。

1963年、南ベトナム政府により1958年以来投獄されていたBAJARAKAの中心メンバー達が釈放されると、中部高原ではCIDG計画で
強力な戦力を得た事とも相まって、再びデガが結束する機運が高まっていった。ネイ・ルェットもこの時釈放されたBAJARAKAの一人であり、
かねてより運動の指導者イーバム・エニュオル(Y-Bham Enuol )の腹心の部下であった。この流れの中で、ジャライ族の次期首長である
カウボーイは、ネイ・ルェットと共に新たな同盟の結成に大きな役割を果たした。カウボーイはジャライ族とラーデ族(デガ第2の勢力)との間で
連絡役を務め、両民族の連携を強めた。
1964年9月、デガに加えてチャム族、クメール族とも連携した新たな反政府組織FULROが結成され、各地のCIDGキャンプで南ベトナム軍
への大規模な蜂起(FULROの反乱)が開始されると、カウボーイは南ベトナム当局の捜査から逃れるためブンベンから姿を消した。 

▼ネイ・ルェット(後の南ベトナム民族発展省大臣)

▼イーバム・エニュオル(FULRO最高指導者・チャンパ高地臨時政府大統領)

反乱事件の後、南ベトナム政府は事態を沈静化するため、少数民族への融和策としてCIDG内の優秀な兵士を政府軍(LLDB)将校として迎
え入れる案を提示した。カウボーイはこれに志願して南ベトナム軍の少尉に任官するが、入隊してから1年間も給料が支払われなかったため
軍から脱走。脱走兵として手配される。 
その後ニャチャン基地のマイクフォースに採用され主任通訳を務めるが、そこでも南ベトナム軍とトラブルになる。カウボーイはもともと女癖が
悪いと評判で、ある日基地近くのバーで飲んでいたところ、店に気に入ったベトナム人女性が居たのでちょっかいを出していた。しかしその女
性はLLDB隊員の愛人であったため、店の中でCIDGとLLDBのグループ同士のトラブルに発展してしまう。そして激怒したカウボーイは、
部下に命じて店の前でそのLLDB隊員を射殺してしまった。これによりカウボーイには、南ベトナム兵に対する殺人罪でも逮捕状が出された。

ニャチャンにも居られなくなったカウボーイは、FULROの活動に専念するため、クパ・ドと共にFULROの活動拠点である中部高原バンメトート
に移住。そしてFULRO指導者イーバム・エニュオルの下で、総勢三千人のFULRO兵士からなる私兵部隊ダン・イ機動師団を組織する。
カウボーイは反政府武装組織の幹部であり、脱走・殺人罪でも南ベトナムおよびアメリカ軍当局から手配・監視されているお尋ね者だったが、
一方でこれまでに培った経験と人脈から、水面下で双方の情報機関との強力なコネクションを形成していた。彼は軍当局の要請に応じて
ダン・イ機動師団の戦力を貸し出し、その見返りに組織の資金と保護を得ていた。例えばバンメトート基地のB-50分遣隊マイクフォースは、
隊員全員がダン・イ機動師団のメンバーによって構成された部隊であり、バンメトート南部の一部地域では、米軍より非公式にTAOR
(地域作戦権限)も与えられていた。 さらに中部高原全域にFULROによる自治警察を組織し、現地行政当局の暗黙の了解の下、総勢50台
のホンダ製バイク(90cc)を駆使してデガをベトコンから守るための警察・伝令業務を行っていく。

こうして1967年には、カウボーイは若干26歳ながらFULRO中部高原方面軍(FLHP)大佐として中部高原で最も影響力を持つ人物へと成長
し、バンメトートの外国人(フランス人)向け高級住宅街に護衛部隊付きの司令部兼邸宅を構えるまでに至った。そこに、1964年以来ずっと
カウボーイの行方を探していた、かつての上官であり戦友のモリス大尉が現れ、3年ぶりの再会を果たす。二人は既に、お互いアメリカ軍と
FULROという相容れない組織の将校であり、常に裏切りの可能性を探り合わなければならない立場であったが、それでもブンベン時代に交
わした友情に変わりは無かった。
かねてより共産軍への新たな対抗策を模索していモリスは、カウボーイからFULROの展開状況・作戦能力の説明を受け、独自の作戦を思い
つく。アメリカ軍は立場上、反政府組織であるFULROを公に支援する事はできないが、水面下で情報や人員などの協力体制を作れば、中部
高原における共産軍包囲網は一層強固になるはずというのがモリスの考えであった。これにカウボーイも同意し、モリスはこの案をニャチャン
の第5特殊部隊群本部に持ち帰り、実行の許可を求めた。しかし司令部は、アメリカ軍がFULROと関わる事は南ベトナムとの同盟関係上困
難だと告げる。しかし実際には司令部もこの作戦に興味を示しており、「本部の与り知らぬところで始まり、それが上手くいっているのなら口出
ししない」という、暗黙の了解を取り付けることに成功する。

こうして前代未聞のUSSF・FULRO協力体制の準備が非公式に始まったが、この中でカウボーイは突如窮地に立たされた。それまで順調に
勢力を伸ばしていたダン・イ機動師団だったが、カウボーイ自身が持つ強力な自己顕示欲と女癖の悪さが災いし、FULRO内部に敵を作って
しまう。そしてついに組織は分裂し、反対勢力は彼の身柄を押さえるべく実力行使に打って出た。
(ただしこの時期、デガの指導部は長年FULROを背後からコントロールしてきたカンボジア王国政府に対し不信感が高まっており、この分裂
カンボジア政府による造反派の粛清だった可能性もあると思う。)
これに身の危険を感じたカウボーイはバンメトート基地でアメリカ空軍機に乗り込み、空路でサイゴンへと脱出。そこでこれまで関係してきた
各情報機関を周り、活動資金の調達を開始した。自分の組織を失ったとは言え、カウボーイが持つCIDG達への影響力はいまだ計り知れな
いと理解していたこれらの機関は、彼の希望通り資金を提供し、混乱の収拾を命じた。
バンメトートへと戻ったカウボーイは、まず豊富な資金力でかつての仲間を募り、復権を図って敵対勢力との間で抗争を始めた。この内部闘
争の中で、カウボーイらの部隊は道を自転車で移動中、バイクに乗った敵勢力に襲撃を受け、カウボーイは消息を絶つ。 
この情報はサイゴンのアメリカ軍情報部にも伝わり、カウボーイは死亡したと判断された。この知らせを聞いたモリスは深く落胆するが、実は
カウボーイは過去に何度も死亡説が流れては、後に誤報と判明しており、モリスは一縷の望を捨てなかった。そして程なくして、カウボーイは
またしても無事生還していた事が判明する。モリスはその知らせを聞き、カウボーイが必死の形相で自転車をこぎ、銃弾を避けながらバイク
の追跡を振り切る様を想像し、腹の底から笑い転げたのだった。。。

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残念ながら、カウボーイの物語はここでお仕舞いです。
この後モリスはカウボーイと会う機会の無いままテト攻勢後の反撃戦に臨み、その最中に手の指を失う重症を負って本国帰還となってしまい
ます。以後、二度とカウボーイに会うことはできませんでした。
グリーンベレーとFULROの共闘も、中心人物が居なくなった事で立ち消えとなり、以後FULROの勢力は急速に衰えていきました。

カウボーイのその後については、1968年に南ベトナム当局によって処刑されたという未確認情報があるだけで、いまだ詳しい事は分かって
いません・・・。「実はカウボーイやっぱ生きてて、アメリカでこっそり暮らしてました」なんて奇跡が起こる事を願ってますが、なかなか。

その後モリスは少佐に昇進するも軍を退役し、ベトナムでの体験を本にすべく執筆業に転身します。そして個人で本を書く傍ら、元グリーンベ
レーの友人に誘われて、傭兵募集で有名なアメリカのミリタリー雑誌ソルジャー・オブ・フォーチュン誌のライターとしも活躍してゆきます。
が、戦後もベトナムに置き去りにしたデガ達のことが忘れられなかったモリスらは、民間人でありながら当時外国人の入国が困難だったカン
ボジアに潜入し、かつての部下数人を難民キャンプから救出したそうです。
その辺の話はまだ資料がそろってないので、判明次第記事にしたいと思います。





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この記事へのコメント
Amazonにいったらナイヨーと形容しがたい生物が踊ってましたw

映画が作れそうな内容ですね!

カウボーイの消息が気になります。
Posted by OscarOscar at 2013年09月12日 21:06
>Oscarさん
URL短縮したら変になっちゃったようです。修正しておきました(汗

本当にこんなドラマチックな人物が居たとは驚きでした。
カウボーイのその後は分からないのですが、義弟のネイ・ルェットははっきりと記録が残っています。
サイゴン陥落後、ルェットは北ベトナム軍に逮捕されて収容所で拷問を受け続け、80年代に釈放されるも間もなく亡くなりました。
当時のベトナム政府ははナチス並みに激しい人種偏見を持っていたので、劣等人種であるジャライ族がなぜ人間(ベトナム人)並みの高度な知能を持っていたのかを研究するため医師団を派遣し、ルェットの遺体から脳を切除して持ち去ったと言われています・・・。
Posted by タイガタイガ at 2013年09月13日 18:47
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