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2014年01月13日

自作品

これまでナム戦イベントやコスプレ用に自作してきたアイテムをご紹介しますー


トリコロール・ネッカチーフ

自作品
ベトベトにMSF(マイクフォース)C-3の"濃族突撃隊(ヌン族コマンド)"で出ようと思い作りました。が、この回のベトベトには行けなかったのでお蔵入りとなってます。
このトリコロール柄は、いかにもMSFって感じでカッコイイです。配色はフランス国旗と同じですが、関係あるのかどうかは未確認です。

自作品

南ベトナム軍およびCIDGではこの他にもいろんな種類のネッカッチーフが使われていますね。
これらは中隊識別色として使われていた事がオスプレイのマイクフォース本に記載されています。

511th / 1st:レッド
512th / 2nd:ブラック
513th / 3rd:ダークグリーン
521st / 4th:イエロー
522nd / 5th:ネイビーブルー
523rd / 6th:インファントリーブルー
Recon:カモフラージュパラシュート生地

しかし逆に言えば、数十あるMSF中隊のうち、色が分かっているのはたったの7個中隊だけ。
また、部族による色分け(CIDGでは友好的な部族同士が合同で一つの部隊を編成する場合もある)って話も聞きます。

自作品

しかしCIDGのネッカチーフ色に関しては、細かい資料がなかなか出てきません。
おそらくおこの色分けは、CIDGキャンプを指揮するUSSF・LLDBスタッフが現場の判断で決めたもので、軍の公式資料には残っていないと思います。
各キャンプが独自に決めたことなので、同じ色が複数の地域で使われている事もよくあります。
特にトリコロール柄は、C-2のデガ(モンタニヤード)、C-3のヌン族・チャム族、C-4のクメール族と様々な部隊・人種で用いられていた事が写真で確認できます。
まぁ、コスプレする際はどうせ中身は日本人なので、どの部隊ですとはっきり言わない限り何色でも分からないんですがw
(僕は色の前に、ずばり"ヌン族"がやりたかったので写真探したらたまたまトリコロールだった感じです)



仏軍式ハンガーバッジの吊革

自作品
50年代製の実物ベトナム国軍/南ベトナム軍仏軍式短ジャケット制服に付けてみました。第5空挺大隊バッジはリプロ品です。

南ベトナム軍はもともとフランス軍の一部だった訳で、50年代の部隊章は仏軍式に、右ポケットに吊るす金属製ハンガーバッジが使われていました。
この金属製バッジはリプロが多く出てるんで入手は簡単なんですが、土台の吊革は仏軍のを使うか自作するしかないので、作りました。
だって、こんなカッコイイ写真見つけちゃったんだもん。

自作品
この吊革が当時物かどうかは断定できませんが、見た瞬間「コレだ!」と感じました。トレビアーン!
もちろんこれ以外にも吊革には多数のデザインがあります。革の端切れ買ってきてハサミで切るだけなので、どうぞお試しあれ!
(ミシンでステッチ入れるとさらにエレガンス)



野戦仏壇

自作品

「野戦仏壇」ってのは正式な名前ではなく、南ベトナム軍のキャンプ地に設置されている手製の仏壇の事を僕がそう呼んでるだけです。

自作品
これのイメージで作りました。形はぜんぜん違うけど、どうせ本物もありあわせの材料で手作りしたものなんだから良いでしょう。
(それに本栖の溶岩だらけの地面に杭を打つのはマジで大変だし)

中にはご本尊として、ベトナムの仏画(を印刷した物)を貼ってあります。
お線香は横浜中華街で買ってきた中国製。ベトナムなど東南アジア全域で一般的なタイプです。
そこに4年前亡くなった僕の南ベトナム軍趣味の師匠、やさぐれ氏の遺影を置いて、毎年本栖で拝んでます。
半分ネタですが、半分はマジで供養のつもりです。あの人も、こういうネタにされるの好きそうだしw

なお、欧米の軍隊が従軍司祭を中心に簡易の祭壇でお祈りするなんてのは映画でもよく見るシーンですが、仏教徒が多い日本軍や南ベトナム軍には正式な従軍僧侶がいました。
南ベトナムと言うと仏教徒を弾圧していたイメージを持たれますが、特に露骨な宗教差別を行っていたゴ・ディン・ジェム政権は1963年のクーデターによって終わり、それ以降政府と仏教徒は完全に和解1966年の大規模デモを最後に和解に向かっていきました。
(そもそも軍事クーデターが起きた原因の一つは、南ベトナム軍が同じ仏教徒の弾圧を命令される事に我慢できなかったから)
また、お隣のカンボジアやタイなどは上座部仏教(インドから伝わった南伝仏教)ですが、ベトナムは日本と同じ大乗仏教(中国経由の北伝仏教)なので、仏像やお経など共通する部分も多いです。



ジャライ族の民族衣装

自作品
ヌンパイごっこ中(ヌンパイ=米を発酵させた山岳民族の酒。どぶろくっぽい物らしい)
客人が来たら席を交えてヌンパイを互いに飲み合うのがジャライ族や他の山岳民族に共通する"おもてなし"であり礼儀作法でもある。

この服は長袖のポロシャツ(¥1000)をベースに、手芸屋で売ってる材料で作ったジャライ族の民族衣装"風"な服です。
当時はまだ詳細な構造を知らなかったので、あまり解像度の良くない写真から見よう見真似で作ったため、よく見るとぜんぜん再現できていません。
最近ようやく資料が揃ってきたので、そのうち作り直すと思います。

自作品
胸の赤い部分の構造がよく分かる写真。
ナム戦中の写真ばかり見ているので、ジャライ族のおっさんがケータイいじってる写真に違和感を感じてしまいましたw(失礼)

ただし、現代のジャライ族が着ている民族衣装が当時(1975年以前)の物と同じとは考えていません。
なぜなら彼ら少数民族は、1975年の共産政権成立以来激しい弾圧と民族浄化にさらされ、20年近く民族衣装を着ることすら許されなかったからです。
90年代にドイモイ政策が始まり、コーヒー農園での少数民族強制労働が収益を上げ、また少数民族が観光資源になる事を知ると、ベトナム共産党は一転して『少数民族文化の保護』を宣伝しだします。
しかしその間、彼ら独自の言葉や生活文化はことごとく破壊され、今ベトナム政府が『観光資源』として宣伝しているのは、ベトナム共産党が『許可』ないし『演出』したもののみ
そして彼らが着ている民族衣装。あれは本来、同じ部族の中でも村落や地位によって意匠が異なり、その人個人のアイデンティティを表す大事なものです。
しかし現在、(政府が許可した)お祭などで着用されている民族衣装は、どれも一般のアパレルメーカーが大量生産した『民族衣装"風"な服』ばかり。
(部族ごとのデザイン違いは作ってるようですが)

自作品
去年のベトナムフェスティバルで展示されていた『少数民族の民族衣装』と称される服。
ご丁寧に洗濯タグとファスナーまで付いてます。


という訳で、僕は現在ベトナムに住むジャライ族が着ているものよりも、もっと正確な民族衣装を目指します。



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この記事へのコメント
トロピックサンダーにジャライの衣装に似たものが出ていましたね
Posted by ごぼう at 2014年04月08日 19:21
>ごぼうさん
トロピックサンダーは未見なのですが、ネットで画像探してみました。
胸のボタンまで再現されていて、かなり良く出来ていますね!
僕の作った物よりはるかに完成度高いですw
もしかしたら現在ベトナムでジャライ族向けに売っている本物なのかもしれません。
Posted by タイガタイガ at 2014年04月08日 22:08
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