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2014年08月06日

傷痍軍人支援チャリティーコンサート

去る8月3日、今年もアメリカで、恒例の『第8回 ありがとうコンサート(Đại Nhạc Hội Cám Ơn Anh)』が開催されました。
この『ありがとうコンサート』はベトナム系アメリカ市民によるチャリティーコンサートで、コンサートで得られた寄付・収益は、現在もベトナムに住む元ベトナム共和国軍傷痍軍人への支援にあてられます。

Người Việt TV (c) 2013 - http://NGUOIVIETTV.com
Người Việt Online - http://NGUOI-VIET.com

15年間続いたベトナム戦争で、ベトナム共和国軍には20万人以上の戦死者、そして100万人を超す戦傷者が発生しました。
それでも戦争中は、政府国防省・復員省がアメリカの政府・大学や西ドイツ政府から資金提供を受け、傷痍軍人および戦死者の家族を経済的に支援していたため、(完全に十分ではなかったものの)ある程度の生活が保障されていました。
しかし国土が徐々に共産軍の手に墜ちていくなかで、ベトナム共和国は国家存亡の危機に陥っていきます。

1975年4月初旬、政府はサイゴン市民を共産軍による殺戮から守るため、米軍機によるサイゴンからの疎開を開始します。
これにより5万人以上の市民がサイゴンから脱出することに成功しましたが、4月28日にビエンホア空軍基地が砲撃を受け使用不能になると、逃げ場を失った大量の避難民はパニックに陥りました。
翌29日、米軍ヘリによる最後のサイゴン脱出計画"フリークエント・ウィンド作戦"が開始されますが、ヘリでは収容人数に限りがあり、翌日までに脱出できたベトナム人は約5600名に過ぎませんでした。
また、病院にいた軍民の傷病者は自力で移動する事ができず、ほとんどが共産軍の支配下に取り残されました。

そして4月30日、首都サイゴンが陥落しベトナム共和国政府が消滅。ベトナム共和国軍は即時解体され、将兵は全員共産軍に拘束されました。
そして始まった戦犯裁判という名の報復で、数万人の共和国軍将兵が有罪判決を受け、死刑や十年を越す懲役刑の判決を受けます。(特にベトコンを取り締まっていた国家警察関係者は、裁判無しでの即時処刑もありました)
また罪には問われなかった者も、全員が『再教育キャンプ』と呼ばれる思想教育施設へと収容され、そこでベトナム共産党への服従を誓わせられました。
さらに、『解放』と称した南部人への懲罰は軍人だけに留まらず、サイゴンに住む一般市民にまで及びました。
大量のサイゴン市民が山間部への強制移住、農地開拓を強いられ、かつて東洋のパリとして繁栄したサイゴンはもぬけの殻となります。
現在サイゴン(ホーチミン市)に、1975年以前からサイゴンに住んでいた市民はほとんど残っておらず、多くが北ベトナムから移住してきた人々と聞きます。
当然、元共和国軍傷痍軍人への補償などあろうはずも無く、彼らは身体障害により仕事に就くこともできず、家族共々路頭に迷いました。
終戦から20年経った1990年代になっても、社会主義を謳い国民全員が平等なはずのベトナム共産党支配化で、路上で物乞いをする傷痍軍人の姿は後を絶ちませんでした。

こうした中、ドイモイ政策によりベトナムへの外国人の入国が容易になると、かつての戦友たちの惨状はアメリカに渡ったベトナム移民たちにも伝わり、彼らを支援しようという動きが生まれました。
しかし傷痍軍人支援と言っても、それは同時にベトナム共産党の許可を得て資金を送る事になり、間接的に共産党の支配を認め現体制を援助することなるのではいかと、当初はベトナム移民コミュニティの内部から妨害を受けたようです。
また、ベトナム本土においても、旧ベトナム共和国系団体はテロ・スパイ容疑で監視下に置かれ、現地での支援も難航しました。
しかし、こうした努力は徐々に実を結び、現在ではベトナムやアメリカの政府機関までもが傷痍軍人援助活動への支援を行うまでに至っています。

統一後の経済不況と外貨不足に悩んだベトナム政府は、ついに1990年外貨目当てに脱出ベトナム人の再入国を解禁。カバントランさんはそのチャンスを逃さず、第一陣に加わりベトナムを再訪する。彼は17歳になった息子とついに再会するが、ベトナム政府は連れて帰ることは認めない。傷心の彼の心をさらに痛めたのは大勢の傷痍軍人の姿であった。地雷などで腕や脚を失った旧南ベトナム軍の兵士たちが街中の雑踏で物乞いをしていた。
彼は、ワシントンに帰るとすぐに、これら障害者支援のためのNGOを立ち上げた。ベトナム障害者支援組織=VNAH(Vietnam Assistance for the Handicapped)である。しかし、当初、仲間の在米亡命ベトナム人からは自分たちの敵である社会主義ベトナム政府を支援するものとして強い反対を受け、脅迫されるなどの目にあった。一方で、ベトナムに支援に行っても現地では長い間、警察に尾行されたり、尋問されたりするなどの嫌がらせを受けた。
孤立無援の彼を支えたのは夫人のキムさんであった。米国はおろか、助けに行ったベトナムでもスパイ扱いされ、トランさんは何度ももうやめようと思った。その都度、キム夫人が、やめてはいけないと励ましたという。孤立無援の中、トランさんは何年もの間、自己資金でベトナムに渡り、車イスや義足の寄付を続け、障害者のための職業訓練校を作るなどの支援を続けた。
その後、日本財団などが彼のこうした努力を知り支援を始め、今では米国政府やベトナム政府なども彼の事業を支援するまでになった。しかし、その間、彼は活動資金の捻出のため、自分で築いたレストラン・チェーンを切り売りし、結局、手元に残ったのは一店舗だけという。


今日では、こうした支援運動は在米移民コミュニティ全体に広く受け入れられており、NKTおじさん(ホア少尉)を筆頭とする共和国軍人アソシエーションもかつての戦友を救うため活発に支援・啓発に動いています。(ホア少尉の傷痍軍人支援ブログ:http://tpbnhatrang.blogspot.jp/)
そうした流れの中で始まったのが、今回ご紹介した『ありがとうコンサート』です。
その名の通り、このコンサートは祖国ベトナム防衛の為に忠義をつくした戦友・英霊たちを想い、感謝を捧げる祭典で、今回で8回目を迎えました。

【過去の映像】

第5回(2011年)




第6回(2012年)




第7回(2013年)






以下、主催のベトナム移民系地方テレビ局SBTN公式サイトで伝えられた会の報告です。

 本国在住のベトナム共和国軍傷痍軍人を支援する『第8回 ありがとうコンサート』が2014年8月3日(日曜)、カリフォルニア州ガーデングローブのボルサ·グランデ高校競技場で開催された。コンサートは午前12時に開始され、会場では共和国軍人らが仲間に寄付を呼びかけた。そして午後8時の閉会までに計52万ドルの寄付が集まった。
 音楽家でありSBTN社CEO・コンサート主催者のチュック・ホー氏は、寄付金は過去数年で累計約200万ドルに上っており、今後も観客数が増える事を願っていると述べた。このように、今回の『第8回 ありがとうコンサート』は例年のように成功を収めた。
 コンサートには在外ベトナム人コミュニティで人気のアーティストが100名以上出演し、中でもアジア・エンターテイメント所属のトゥルン・ニヤや、トゥルック・シンムーン・フラワーなど錚々たる顔ぶれだった。
 前日土曜の夜、カリフォルニア州オレンジ郡は小雨であり、日曜も予報では雨だったため主催側は天候を心配していたが、当日は雨が降ることもなく、またここ数日よりも涼しく過ごしやすい気温になり、来場者は快適に公演を楽しんだ。コンサートは終日順調に進んだ。
 傷痍軍人互助会およびベトナム共和国寡婦会会長のグエン・ティ・ハン・ニョン元中佐は開会の挨拶で、今回の『ありがとうコンサート』は8年目を迎え、例年以上に力強い会になったと述べた。
 一部の出演者や観客には600kmも離れたカリフォルニア州サンノゼから参加している人も居り、コンサートへの関心の高さを物語っていたが、遠方であるため最後まで残らず早めに会場を後にする人も居た。昨年2013年の『第7回 ありがとうコンサート』はサンノゼで開催されており、その際の収益は約73万5000ドルで大成功であった。
 今回も各アーティストは会場内で募金箱を抱えて観客に寄付を募り、人々は祖国の為に四肢を犠牲にしたベトナム共和国軍人に感謝の念をこめて米ドル札を入れていった。
 来場者は数千人に上り、日差しよけに設置された大型テントの下でコンサートを楽しんだ。またその様子はベトナム系地方局SET 57.4で遠方に住む同胞へも生中継された。
 また、事前に来場者からの問い合わせに対応する電話対応スタッフが長期間ボランティアで『ありがとうコンサート』をサポートした事も忘れてはならない。彼らボランティスタッフが居るからこそ、チャリティーとして高い収益が上げられるのだ。『第8回 ありがとうコンサート』は、こうした同胞達の助け合いによって成功したのだ。





アメリカ行きの資金も溜まってきたんで、来年のコンサートは現地で見ようと思います。



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