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2014年09月12日

ベトナミーズアメリカン

※2019年9月13日更新


陸軍少将 ヴェト・スァン・ルォン

ベトナミーズアメリカン
紹介が遅れましたが、去る2014年8月6日、テキサス州フォート・フッド基地にて、アメリカ合衆国陸軍将校ヴェト・スァン・ルォン(ベトナム名 ルン・スァン・ヴェト)氏の陸軍准将昇進、ならびに第1騎兵師団・副師団長就任式が開催されました。


ルォン准将はイラク戦争において第82空挺師団第505空挺歩兵連隊で大隊長を、アフガニスタンでは"ラッカサンズ"として名高い第101空挺師団第187歩兵連隊の連隊長を務めた合衆国陸軍将校です。
アフガニスタンでの任務を終えた後は、ワシントンDCの統合参謀本部に勤務していましたが、この度アメリカ陸軍で最も伝統のある第1騎兵師団の副師団長に任命されました。
これによりルォン准将はアメリカ軍史上初のベトナム系将官となり、ベトナム系アメリカ市民【ベトナミーズアメリカン】にとって歴史的な瞬間と喜びの声が上がっています。
またアメリカのメディアも、ベトナム難民の少年が合衆国軍の将官に登りつめたという事実を、驚きと敬意を持って報じています。

アメリカ陸軍報道官のインタビューに対しルォン准将は以下のように語っています。
「将官への昇進は私個人にとっては名誉なことですが、本音を言えば私はあまり昇進したくないのです」
「この昇進は、私を現場で支えてくれた兵・下士官達が与えてくれたものす。私はこれを受け取ることで、彼らへの敬意を表します」

Người Việt PhotoBlog VINH THĂNG TƯỚNG LƯƠNG XUÂN VIỆT


2019年9月13日追記
2018年8月28日、ルォン少将は在日米陸軍(USARJ)司令官に任命され、神奈川県のキャンプ座間米陸軍基地に着任しました。

ルォン将は1965年、ベトナム共和国ビエンホア生まれ。
彼の父はベトナム共和国海兵隊(TQLC)第6海兵大隊『聖鳥』大隊本部所属のルン・スァン・デュウン少佐で、1972年の"クアンチの戦い"ではベトナム戦争で最大の対戦車戦闘を指揮し、多大な戦果を挙げた人物でした。

ベトナミーズアメリカン
ン・スァン・デュウン ベトナム海兵隊少佐

ベトナミーズアメリカン
デュウン少佐と子供達(左端がヴェト)

しかし1975年、敗戦に伴いルン一家はサイゴンからの脱出を余儀なくされ、政治難民としてアメリカに移住します。この時、ヴェトは9歳でした。
カリフォルニア州マウンテンビューで成長したヴェトは、父の影響で軍人を志し、勉学に勤しみます。
そして南カリフォルニア大学(USC)で生物学の学士号を取得後、同大学院で軍事科学の修士号を取得。1987年、アメリカ陸軍歩兵中尉に任官しました。

【ル将の軍歴】

第8歩兵連隊第1大隊/小銃小隊長・対戦車小隊長・副中隊長・大隊管理将校 〔コロラド州フォート・カーソン〕
第82空挺師団第325空挺歩兵連隊第2大隊/大隊S-3(作戦参謀)補佐・A中隊長 〔ノースカロライナ州フォート・ブラッグ〕
Theater Quick即応部隊/指揮官 〔ハイチ〕
JATC(統合即応訓練センター)/総監部員 〔ルイジアナ州フォート・ポーク〕
陸軍指揮幕僚大学/参謀教育受講 〔カンザス州レブンワース〕
SETAF (南欧タスクフォース)/SETAF G-3(作戦参謀)主任参謀 〔イタリア ヴェニツィア〕
第173空挺旅団第508空挺歩兵連隊第1大隊/副大隊長 〔コソボおよびボスニア・ヘルツェゴビナ〕
JTF North (北部統合タスクフォース)/計画参謀・国土安全保障省訓練開発部門主任 〔テキサス州フォート・ブリス〕
第82空挺師団第3旅団戦闘団第505空挺歩兵連隊第2大隊/大隊長 〔イラク〕
第101空挺師団第3旅団戦闘団第187歩兵連隊/連隊長 〔アフガニスタン〕
スタンフォード大学/国家安全保障研究員 〔カリフォルニア州スタンフォード〕
統合参謀本部J5(戦略計画・政策)パキスタン・アフガニスタン調整部/副部長 〔ワシントンDC〕
第1騎兵師団/副師団長 〔テキサス州フォート・フッド〕
在日米陸軍司令官(現職) 〔日本キャンプ座間〕


イラクでCNNのインタビューに応じる大隊長時代のルォン(当時中佐)



海軍中佐 ハン・バ・レ

ベトナミーズアメリカン
ルォン将同様、ベトナム難民としてアメリカに渡り、合衆国軍人として出世したベトナミーズアメリカンとして有名なのが、合衆国海軍中佐ハン・バ・レ(ベトナム名 レ・バン・フン)氏です。
レ中佐は2009年に、アメリカ海軍で始めて戦闘艦の艦長に任命されたベトナム系軍人です。
また、現在は日本の横須賀基地を母港とするアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦USSカーティス・ウィルバーの副長を務められておられます。

レ中佐は1970年、ベトナム共和国フエに生まれます。
彼の父親レ・バ・チョンも軍人で、ベトナム共和国海軍中佐でした。

ベトナミーズアメリカン
レ・バ・チョン ベトナム海軍中佐

1975年、ハンが5歳の時にサイゴンは陥落。レ一家は漁船に乗ってベトナムから脱出し、アメリカ海軍の揚陸艇に救助されます。
その後家族はアメリカ・ヴァージニア州に移住し、高校を卒業したハンはアナポリスのアメリカ海軍兵学校に入学。1992年に卒業し、合衆国海軍中尉に任官します。

【レ中佐の軍歴】

海軍兵学校 〔メリーランド州アナポリス〕
ミサイル巡洋艦タイコンデロガ/補助将校 〔ヴァージニア州ノーフォーク基地〕
強襲揚陸艦ワスプ/兵装士官・戦闘システム責任者 〔ヴァージニア州ノーフォーク基地〕
ミサイル巡洋艦ヒュー・シティ/兵装士官・戦闘システム責任者 〔フロリダ州メイポート基地〕
ミサイル駆逐艦ラッセン/艦長 〔日本・横須賀基地〕
第7艦隊司令部/総監補佐官 〔ハワイ州パールハーバー基地〕
ミサイル駆逐艦カーティス・ウィルバー/副長(現職) 〔日本・横須賀基地〕

2009年11月、米海軍史上初のベトナム系艦長レ中佐が指揮するミサイル駆逐艦USSラッセンに、ベトナムへの寄港が命じられました。
これは対中国を念頭に置いた、アメリカとベトナムの友好関係をアピールする為の親善寄港であり、ベトナム出身であるレ中佐はこれ以上無い適役としてその任に選ばれました。
こうしてレ中佐は、5歳の時に離れて以来もう二度と帰れないと思われていた祖国ベトナムの大地を、アメリカ海軍将校として35年ぶりに踏みしめました。
故郷のフエを訪れたレ中佐は、当時国外脱出が出来ず生き別れとなっていた親類たちとも再会を果たします。


一見和やかなムードのニュースではありますが、レ中佐にとって現在の社会主義ベトナムは、生まれ故郷であるのと同時に、父や自分を難民にしたベトナム共産党が支配する国であり、現在の祖国アメリカと戦った旧敵国です。
時代は移り変わり、アメリカとベトナム共産党が協調している現在では、軍人である彼はアメリカ政府の方針に従うしかありませんが、その心中は我々外国人が考える以上に複雑ではないでしょうか。



海兵隊少佐 エリザベス・ファム

女性の躍進が目覚しいアメリカ軍では、ベトナム系の女性士官も多数活躍しています。
中でもファム少佐はなんと、F/A-18戦闘攻撃機を駆るアメリカ海兵隊の女性パイロットです。
ベトナム移民で医師のファム・ヴァン・ミンの娘としてワシントン州シアトルで生まれた在米二世のエリザベスは、高校卒業後に海軍でパイロットの訓練を受け、後に海兵隊のF/A-18パイロットに選抜されます。
海兵隊第242全天候戦闘攻撃飛行隊(VMFA(AW)-242)に配属されるとイラクに派遣され、バグダッドへの空爆ミッションを遂行しました。
また同じ部隊の男性パイロットと結婚し、パイロット夫婦として交互に戦場での任務に就いているとの事です。






海軍少佐 ジョセフィーヌ・カン・ヴァン・グエン

グエン少佐はアメリカ海軍の軍医で、なおかつパイロットの資格も持っています。
現在はその知識と技術を活かし、宇宙飛行士の訓練を受けているそうです。スゲー!





陸軍少佐 カーン・ディップ

ディップ少佐は現在、陸軍参謀本部に勤務。
2012年まで第1騎兵師団に所属しイラクに派遣されていました。

ベトナミーズアメリカン

【ディップ少佐の軍歴】

陸軍士官学校〔ニューヨーク州ウェストポイント〕
退役軍人省/陸軍職員
第1騎兵師団第1旅団戦闘団/旅団S1(人事・事務)〔イラク〕
陸軍士官学校/体育学科〔ニューヨーク州ウェストポイント〕
陸軍参謀本部/特別補佐官(現職) 〔ヴァージニア州フォート・ベルボア〕



VAAFA - ベトナミーズアメリカン軍人協会

ベトナミーズアメリカン

VAAFA (Vietnamese American Armed Forces Association)は、アメリカ合衆国陸海空軍・海兵隊・沿岸警備隊に所属・退役したベトナミーズアメリカンの連携と互助を目的とした非営利団体です。
現在のVAAFA会長および事務局長はアメリカ陸軍退役中佐ロス・グエン氏で、事務局長次長は元海軍中佐で現在はUSPHS(アメリカ公衆衛生局)所属のミミ・ファン氏。



VAAFAでは、ベトナミーズアメリカンの軍人同士の交流とリクリエーションを目的としたミーティング・イベントを頻繁に開催しています。
ベトナミーズアメリカンはアメリカの一般社会においてマイノリティな存在ですが、軍に入ると同胞の住む街から離れざるを得ず、より一層ベトナミーズアメリカン同士で会う機会が減ってしまいます。
彼らのほとんどはアメリカ生まれの合衆国軍人であり、まぎれも無いアメリカ市民ですが、それでも民族のアイデンティティを大事にしている人々です。
こうしたコミュニティは、国防の最前線で命がけの仕事をする彼らにとって、掛け替えの無い心の支えと言えるでしょう。




イラクの地にはためくベトナム共和国国旗

ベトナミーズアメリカン ベトナミーズアメリカン
イラク戦争やアフガニスタンに出征したベトナミーズアメリカン達の中には、かつてベトナム戦争時代に多くのアメリカ兵がベトナム防衛のために戦ってくれた事への恩返しとして、自分達がアメリカの為に戦うベトナム人である事をアピールする者も多かったようです。
またそれを表彰して、アメリカ陸軍省からベトナミーズアメリカンへの感謝状も贈られました。




そして散っていった者たち・・・



空軍技術軍曹 タイン・V・グエン 1996年7月26日没
海兵隊上等兵 アラン・ディン・ラム 2003年4月29日没
海兵隊上等兵 アンドリュー・S・ダン 2004年3月22日没
陸軍特技兵 クォック・ビン・トラン 2004年11月7日没
海兵隊伍長 ジェフェリー・ラム 2004年11月8日没
海兵隊上等兵 ヴィクター・ヒュエン・ルー 2004年11月13日没
海兵隊伍長 ビン・N・レ 2004年12月3日没
陸軍軍曹 ロン・N・グエン 2005年2月20日没
陸軍一等軍曹 タン・M・グエン 2006年11月14日没
陸軍特技兵 ダン・H・グエン 2007年5月8日没
陸軍二等軍曹 ズ・ハイ・トラン 2008年6月20日没
陸軍上等兵 タン・Q・ゴ 2008年8月27日没
海兵隊伍長 テヴァン・L・グエン 2010年12月28日没
※2014年現在、VAAFA公式サイトより


アメリカに、移民の少年が将軍にだってなれる、機会ある社会がある限り、
彼らの犠牲が無駄なものと考えるベトナミーズアメリカは、決して居ないでしょう。
なぜなら、彼らは正真正銘のアメリカ人なのだから。


(注)
英語圏ではベトナム人名の発音記号は無視される為、この記事では英語読みの発音で表記しています。
また、本来ベトナム人は姓ではなく名(呼びかけの名)が個人名となりますが、アメリカでは姓が用いられるため、それに倣った表記をしています。





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