カテゴリ
News! (73)
銃器 (27)
映画 (14)
音楽 (13)
言論 (27)
民生 (2)
人物 (26)
式典 (3)
BB/歩兵 (18)
ND/空挺 (24)
KB/騎兵 (8)
PB/砲兵 (3)
TT/通信 (2)
QV/輸送 (2)
HQ/海軍 (5)
KQ/空軍 (4)
FULRO (9)
デガ (15)
モン族 (13)
ヌン族 (6)
本土軍 (2)
GCMA (2)
SDECE (3)
1914-1918 (1)
1918-1939 (4)
1939-1945 (11)
1945-1954 (35)
1954-1975 (236)
1975-1989 (6)

2015年02月04日

ヌン族について その1

 ベトナム戦争に関った勢力の中には、参戦国の正規軍や共産ゲリラには属さない、少数民族による独立した武装集団がいくつかありました。
 代表的なものが、デガ(南インドシナ・モンタニャール)・チャム族・クメール族の同盟であるFULRO(被抑圧民族闘争統一戦線)で、彼らはアメリカのCIDG計画に参加して共産軍と戦う一方で、同時に自治政府(チャンパ高地臨時政府)を樹立しベトナム共和国政府からの自治権獲得を目指しました。
 そしてもう一つ、歴史的には無名でありながらベトナム戦争において大きな役割を担ったのがヌンでした。今回はヌン族の歴史と、彼らに纏わる人物についてご紹介します。


【ヌン族の来歴】
 ヌン族(Nùng, 儂族)はもともと中国雲南省周辺に住むチワン族(中央タイ系)の一派で、男性は傭兵になる者が多く、歴代の中国の王朝に兵士として仕えてきた為、漢語(広東語や客家語)や漢字(ヌンノム)など中華文化を色濃く受け継いでいた。
 ヌン族は16世紀ごろから戦乱続きの中国を逃れて南下し、現在のベトナム北東部山岳地帯にも広まった。ベトナム北東部に移住したヌン族は、同じ中央タイ系民族でベトナム北西部山岳地帯に住んでいるモン族らと連携し、山岳地帯の支配を目論むベトナム人(キン族)と戦ったが、最終的にキン族に敗れて大南国(阮朝ベトナム)に降った。一方、中国国内のヌン族は、1851年に『太平天国の乱』(1851~1864)に参加し、清国政府に反乱を起した。
 フランスによるインドシナの植民地化が進む中で、フランス人は中央タイ系山岳民族のヌン族(北東部)、モン族・トー族・ムオン族(北西部)を総称して『北インドシナ・モンタニャール』と呼んだ。1885年の天津条約によってフランス領インドシナの領域が確定すると、ヌン族の住む地域は正式に清国領・ベトナム領に分断された。しかし国境のある山岳地帯は両政府の支配が行き届いては居らず、ヌン族は依然として中国・ベトナムにまたがって生活していた。20世紀初頭には清国の革命家 孫文が中国南部(広西省。現在の広西チワン族自治区)およびベトナム北東部で多くのヌン族傭兵を雇い、清国政府および中国にも勢力を広げようとするフランス軍に対し攻撃を行った。また第二次世界大戦では、ヌン族は中国国民革命軍やベトミン(ベトナム独立同盟会)に参加して日本軍と戦った。

【第一次インドシナ戦争】
 1945年に日本軍が降伏し第二次世界大戦が終結すると、ホー・チ・ミン率いるベトミンは『ベトナム民主共和国』の樹立を宣言した。しかしフランスへの復讐心に駆られたベトミンは、『民族の解放』を名目にフランス統治下で植民地政府に属していたベトナム人を反民族フランス協力者として拉致、殺害した。その対象はほとんどフランス人とは関りのなかった地方の農村の村長にまで向けられ、多数の無実のベトナム人がベトミンによって処刑された。またフランス・日本軍という統治者が失われたため、どさくさに紛れて中国軍が連合国に無断でベトナム北部に侵攻し、その地を占領した。この混乱は多くのベトナム人に、ベトミンと共産主義に対する嫌悪感を抱かせ、フランスによる安定した統治への復帰を望む声も強くなった。これによりベトミンは民衆の支持ではなく、ソ連を中心とする共産主義国による支援に依存する形で独立戦争を開始した。
 一方フランスは、大戦中西部戦線の主戦場となった本土の傷も癒えぬままインドシナの再統治に乗り出し、南部ベトナム反乱鎮圧(マスターダム作戦 / War in Vietnam)を開始した。この作戦にはインドシナで日本軍の武装解除を担当していたイギリス軍と、降伏後連合軍司令部の指揮下に入った日本軍も参加した。これにより都市部の治安は回復し、中国軍の追い出しにも成功した。
 しかし1946年にイギリス軍・日本軍がインドシナから撤退すると、ベトミンによるフランス植民地政府への攻撃は激しさを増した(第一次インドシナ戦争開戦)。この中で北東部国境地帯に住むヌン族たちはフランス植民地軍に参加し、ヌン族による国境パトロール・コマンド部隊が編成された。ヌン族コマンドの中には元からベトナム領に住んでいたヌン族だけでなく、中国共産党の弾圧を避けて中国領から逃げてきたヌン族市民や、国共内戦に敗れてベトナム領に敗走した中国国民革命軍のヌン族将兵も多数いた。
 第一次インドシナ戦争において、フランス植民地軍コマンドス・ノルト・ベトナム、GCMA(混成空挺コマンドグループ)など多数の少数民族コマンド部隊を編成したが、フランスは彼らを軍に参加させる見返りに以下の自治領を与えることで、自らを多数派のベトナム人(キン族)から少数民族を護る保護者と位置付け、少数民族からの支持を得ようと試みた。

南インドシナ・モンタニャール国(Xứ Thượng Nam Đông Dương)1946年
北インドシナ・モンタニャール国(Xứ Thượng Bắc Đông Dương) 1947年
ヌン自治区(Khu tự trị Nùng) 1947年
タイ自治区(Khu tự trị Thái) 1948年
ムオン自治区(Khu Tự trị Mường)
メオ(モン族)自治区(Khu Tự trị Mèo)
トー自治区(Khu Tự trị Thổ)

 1949年、ベトナム(トンキン・アンナン・コーチシナ)が植民地という立場から昇格し、フランス連合内のベトナム国(Quốc gia Việt Nam)』として独立した。これに伴い、フランスが制定した少数民族自治区はベトナム国政府に引き継がれ、1950年に皇朝疆土(Hoàng triều Cương thổ)』として統合された。皇朝疆土は、ベトナム国国長(=阮朝皇帝)バオ・ダイが少数民族に下賜した土地という意味で、実質的な自治領として1954年まで機能していた。

▲ベトミン軍に偽装した仏軍コマンドス・ノルト・ベトナム 第24コマンド『黒虎 (des tigres noirs)』
北インドシナ・モンタニャール(ヌン族・トー族・モン族)で構成されたコマンド部隊 

 しかしその一方で、ベトミンが掲げる民族自決の理想に同調し、フランスを倒せばヌン族の自治・独立が果たせると信じてベトミン軍に参加するヌン族も少なからず存在した。親ベトミン派ヌン族兵にも、仏軍と同様に元中国軍ヌン族将兵達がいた。ヌン族が暮らす北東山岳地帯は際しい山々が連なるためフランス軍の支配が行き届いておらず、また中国と隣接しているためベトミンは直接中国共産党からの支援を受ける事が出来たため、フランス・ベトミン双方にとってヌン族は重要な存在であった。
 そして1954年、ついにベトミン軍はフランス軍要塞ディエン・ビエン・フーを攻略した。この敗北によりフランスはインドシナ連邦の維持を諦め、ジュネーヴ協定を締結してベトミンによる北緯17度線以北のベトナム統治を認めた。(ベトミンが北部全域を軍事占領したわけではなく、フランスが統治権を移譲・撤退した。17度線以南は引き続きフランス連合ベトナム国が統治し、ベトナムは南北に分断された。しかしフランスから領土を明け渡されたベトミン政権(ベトナム労働党・北ベトナム)は、またしてもフランスに協力した北インドシナ・モンタニャールや同じベトナム人に対して激しい弾圧を開始した。そしてその対象はフランス協力者だけでなく、ベトミンと共に戦ったヌン族にも向けられ、ヌン族は自治権を得るどころか、北ベトナム政府による殺戮に晒される事となった。
 同時にフランス連合側は、ジュネーヴ協定に従って軍民全てのフランス関係者を17度線以南に撤退させるべく、アメリカ海軍の協力の下で一大海上輸送計画『自由への道作戦(Operation Passage to Freedom)』を開始した。この大規模撤退の中で、ベトミンによる弾圧から逃れるため約100万人のベトナム人が北ベトナム領から脱出した。ヌン族もこの撤退に加わり、フランス軍ヌン族コマンド部隊指揮官で、ヌン自治区の指導者ヴォン・アー・シャン(Vong A Sang)大佐に率いられ、5万人以上のヌン族がベトナム国(南ベトナム)へと移住した。一方、フランス・アメリカ海軍艦艇に乗れなかった者は、陸路を自力で脱出するしかなかった。
 100万人を超す北ベトナム難民たちは南ベトナム政府に保護され、しばらく難民キャンプで生活した後、政府が用意した新たな移住先へと散っていった。



 

つづく



同じカテゴリー(【ベトナム共和国軍】)の記事画像
50年代のベトナム海兵隊
ベトナム陸軍空挺部隊の成り立ち
サマーキャンプ
ベトナム語とフォネティックコード
続・下向きシェブロン階級章
下向きシェブロン階級章
同じカテゴリー(【ベトナム共和国軍】)の記事
 50年代のベトナム海兵隊 (2018-09-23 09:43)
 ベトナム陸軍空挺部隊の成り立ち (2018-09-13 00:24)
 サマーキャンプ (2018-08-30 17:02)
 ベトナム語とフォネティックコード (2018-08-28 22:32)
 続・下向きシェブロン階級章 (2018-08-07 18:29)
 下向きシェブロン階級章 (2018-08-02 02:04)

この記事へのコメント
はじめまして。
いつも勉強させていただいております。
私もベトナムの歴史に興味があり、その漫画を描いている人間です。

質問があります。
1954年以降、この北緯17度線以北における宗主国フランス人は、ホー・チ・ミンの政権によって「追放」「迫害」のような扱いを受けたのでしょうか?
また、そのあたりの時代の南北ベトナムについて詳しく書かれた資料はどのようにして探したらよいのでしょうか。
Posted by 連続射殺魔 at 2015年02月08日 19:39
>連続射殺魔さん
はじめまして。断片的な情報をかき集めただけの記事で恐縮ですが、読んで下さる方がいて嬉しいです。
1954年以降のフランス人についてですが、ジュネーヴ協定が調印された時点で多くのフランス人はベトミン政権下に取り残されることを恐れ、『自由への道作戦』でフランス軍に護衛されてほぼ全てのフランス人が北ベトナム領から脱出したようです。なので捕虜になった者以外はほとんど北ベトナムに残っておらず、また北ベトナム側もフランスの撤退をスムーズに進めたかったらしく、組織的なフランス人への迫害があったという話は聞きません。(引き揚げ者は全財産を失いましたが)
また、南ベトナムに残ったフランス人も、1955年のゴ・ディン・ジエム政権成立、1956年のフランス軍の撤退完了によってフランスの官憲による保護が受けられなくなった為、ほとんどが本国に引き揚げたようです。
なお、ラオス王国には引き続きフランス軍が駐屯していた為、ベトナム・カンボジアよりも長くフランス人が残っていたそうです。

この時期に関する資料ですが、日本語で書かれた本にはなかなか出会えないため、ほとんどが1975年以降アメリカ等に亡命したベトナム人および少数民族団体のホームページに頼っているのが現状です。
Posted by タイガタイガ at 2015年02月09日 11:59
詳しい回答ありがとうございます。
漫画の話を練る上で疑問だった事が一つ解けました。
またいろいろ調べて良い作品を完成させます。
これからも仲良くしてください。

では、また。
Posted by 連続射殺魔 at 2015年02月10日 21:55
詳しい回答ありがとうございます。
漫画の話を練る上で疑問だった事が一つ解けました。
またいろいろ調べて良い作品を完成させます。
サバゲの武装なら越共派の私ですが、これからも仲良くしてください。

では、また。
Posted by 連続射殺魔 at 2015年02月10日 21:57
タイガさま
いつも楽しく記事を拝見させていただいてます。
(べトナム共和国への歴史的評価はすこし異なりますが(笑))
ヌン族についてのコンパクトで分かりやすい解説をありがとうございました。こういったマイナー(?)な情報はネットでもなかなかお目にかかれないので非常に勉強になりました。ひとことお礼をお伝えしたくコメントさせていただきました。
日本以外のアジア人に対する排外的、侮蔑的な情報発信がネット上で吹き荒れるこのごろですが、公平な視点からのこういったブログを見ると少しほっとします。
今後も記事を楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
Posted by poema15 at 2015年03月11日 22:19
>poema15さん
はじめまして。この分野に興味のある方は世界的に見ても本当に少ないので、読んで下さる方がいて嬉しいです。
大国、多数派人種の対立に巻き込まれた彼らマイノリティの歴史を、少しでも語り継ぐ事が出来たらいいなと思っておりますので、今後もどマイナー路線を突き進みます(笑)
あの手の悪質な人種偏見は見るに耐えませんね。いつの時代も、ああいう安っぽい正義感振り回す輩は居るものですが、ネットという現実世界と隔絶した場ではもう歯止めが利かないのでしょうね。
Posted by タイガタイガ at 2015年03月12日 02:50
ヌン族の情報源が何処から入手したんですか。詳しく教えてください。
情報源も一切無くデマを流しているしか思えませんね。根拠と証拠も無くて馬鹿げている。どうせ自分自身がヌン族につい直接研究してないでしょう?昔のヌン族の定義と今のヌン族の定義の違いさえ分からない奴が「ヌン族」についてあれこれ書くのをやめてほしいです。
Posted by A at 2018年03月01日 06:08
Aさん 3年も前の記事なので、全ての出典は思い出しかねますね。論文じゃないんだから、普通個人のブログでそこまで書かないでしょう。
なので具体的にどの部分がおかしいのか指摘してくれませんか?もちろんAさんがそう考える出典と共に。そしたら、その部分をもう一度精査してみますわ。もちろん僕が間違ってたら訂正するんで、お願いしますよ。
あと「直接研究」がどういう意味なのかよく分かりませんが、僕自身は資料だけでなく、ヌン族の元将兵たちと個人的な縁があるので、直接聞き取りを行ったりしています。
なので、これからもヌン族についてどんどん書いていくつもりなので、ヌン族にお詳しいAさんには、是非その博識を貸していただけたらな~と思います。
Posted by 森泉大河森泉大河 at 2018年03月09日 21:46
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。