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2015年08月30日

目指せヌン族

引き続き来月のナム戦イベントに向けて

『第2回かめナベ会』 
日時:2015年9月12日~9月13日


ベトナム戦争においてCIDGとしてベトナム共産軍との激戦に身を投じたヌン族ですが、それ以前から彼らは20世紀という激動の時代に翻弄され、様々な勢力に取り込まれる事で幾多の激戦を経験してきました。彼らヌン族兵士の来歴を簡単にまとめると以下の流れになります。

1925年-1949年 中華民国国民革命軍
1951年-1954年 フランス植民地軍コマンド・ノーヴィトナム
1955年-1959年 ベトナム共和国軍ヌン師団(第6軽師団/第3野戦師団)
1959年-1975年 海燕独立区(在越中国国民党軍閥)
1961年-1970年 ベトナム共和国軍/アメリカ軍CIDG
1970年-1975年 ベトナム共和国軍国境レンジャー(BDQ-BP)


このようにヌン族兵は中国国民革命軍(国民党軍)出身者が多く、国共内戦に敗れてベトナムに集団移住してからも自らを中国人と自負していたそうです。
そのヌン族を演じるにあたり、そういった背景を少しでも行動や生活の再現に反映していくのはヒストリカルイベント、リエナクトメントの醍醐味だと思いますので、手前味噌ですが中国語の号令を使ってみようと思います。
普段ヌン族が話すのは広東語や客家語なので普通話(現中国・台湾の公用語)とは異なりますが、軍隊で使う号令はおそらく国民革命軍時代から引き継いでると思います。
なので本来なら1949年以前の国民革命軍の号令を調べるべきですが、ちょっと面倒臭いので、国民革命軍の直系である中華民国軍(台湾軍)式でやっちゃいます。
参考にしたのは、ネットで拾った台湾の『學生總隊基本教練操作手冊』、およびYoutubeにあった『陸軍歩兵学校教学影片』です。


個人の動きである『單兵基本教練』は各自自習してもらうとして、『班基本教練』の整齊・報數(整列・点呼)の号令を見ていきます。

全体集合: 全體注意、集合!(チェンティーチュイー、ジフー!)

気をつけ: 立正!(リージョン!)

右へ倣え: 向右看齐!(シャウユウカーン チ!)

直れ: 向前看!(シャンチェーン カン!)

休め: 稍息!(ショウ シー!)

番号: 報數!(バオシュウ!)
※自衛隊では「番号(予令)・始め(動令)」となるが、民国軍では「報數」のみ

一(イー)
二(アール)
三(サン)
四(スー)
五(ウー)
六(ルー)
七(チー)
八(パー)
九(ジョウ)
十(シー)

敬礼: 敬禮!(ジンリ!)

ここまでやれればいいや。当日みんなで練習しましょう。
それ以上はどうせ覚えられないので、日本語(自衛隊式)でやっちゃいます。
号令以外では、この辺も使えそうですね。

助けて: 救命呀!(ガウメンアー!)【広東語】
衛生兵: 軍醫(ジンイー)
先生: 醫生(イーサン)

中国っぽい日本語という事で、つい「~アル」と喋りたくなりますが、あれは協和語という満州国でのみ使われた言葉で、ヌン族とは関係ないのでやめときましょう。


あとベトナム戦争時代のヌン族マイクフォース部隊では、フランス国旗(トリコロール)柄のネッカチーフが使われていたので、今回もこの自作品を身に付けようと思います。

目指せヌン族

実はこのトリコロール柄はヌン族だけでなく、複数のCIDG部隊で、他の民族にも使われていました。
その理由は長年謎だったのですが、最近糸口が見えてきました。
フランス領インドシナ時代、フランスはベトナム北西部にタイ族の自治領『タイ国(Pays Taï)』を19世紀末から設置していましたが、1946年に第一次インドシナ戦争が始まると、フランスはより一層少数民族たちを味方に引き込みベトミン掃討の為の戦力(GCMAやコマンド・ノーヴィトナム)として活用するため、以下の少数民族自治区を設置していきました。

南インドシナ・モンタニャール国(Xứ Thượng Nam Đông Dương)1946年
北インドシナ・モンタニャール国(Xứ Thượng Bắc Đông Dương) 1947年
ヌン族自治区(Khu tự trị Nùng) 1947年
タイ自治区(Khu tự trị Thái) 1948年
ムオン自治区(Khu Tự trị Mường)
メオ(モン族)自治区(Khu Tự trị Mèo)
トー自治区(Khu Tự trị Thổ)

そしてその内いくつかの民族自治区の旗は、宗主国であるフランス国旗を改編もしくはそのまま流用したものだったのです。

目指せヌン族
▲タイ自治区(1947-48年)

目指せヌン族
南インドシナ・モンタニャール国 (1946-1950)

目指せヌン族
▲ヌン族自治区

植民地支配を受けていたベトナム人にとってフランスからの独立は長年の悲願でしたが、ベトナム人から人種差別を受け続ける少数民族にとって、フランスは差別からの解放者であり、民族の保護者でもありました。
しかし、1954年にフランスがインドシナからの撤退を開始すると状況は一変します。ジュネーヴ協定によって北ベトナムにホー・チ・ミン政権(ベトナム民主共和国)が誕生し、また南ベトナムでも1955年に反仏派のゴ・ディン・ジエム政権(ベトナム共和国)が成立したによって、少数民族自治区は全て消滅してしまいました。そして彼らは自治権を剥奪され、南北ともに多数派のベトナム人(キン族)からの迫害を受けていく事になります。その為、1960年代になってもFULROなどの少数民族勢力はかつての民族自治区の復活を求め続けていました。
こうした背景から、ベトナム戦争中に見られるトリコロール柄ネッカチーフは旧民族自治区旗を意味しており、その民族のシンボルマークとして使われていたのでは?と考えるようになりました。それならトリコロールを使う民族が複数ある事も説明がつきます。
しかし、まだ僕一人が唱えてるだけの仮説の段階なので、今後も調べていきたいです。

目指せヌン族
▲ネッカチーフに加え、左胸の所属テープもトリコロール柄になってる例(マイクフォース部隊)



【今日の作業】

目指せヌン族
服にパッチを付けるので、パッチの台布に使う生地を選定。
これまで服を改造する度に出た端切れを後生大事に取ってあるので、生地には事欠きません。
もちろん全部リプロですが、これも僕にとってはこの趣味をやってく上で大切な財産です。

目指せヌン族
このように、当時はシルク織りやシルクプリント製パッチは、別の布で台座を作って、それから服に縫い付けられました。
今回は高校生の頃に買った懐かしのタイガーストライププロダクツ製生地を台布に使用。見えないお洒落ってやつです。

目指せヌン族
とりあえず服はこんな感じでいいかと。
最初はマイクフォース部隊テープ、米軍降下章、エアボーンタブなど当時CIDG隊員がよく付けていた徽章を全部付けちゃおうかと思いましたが、なんかカラフル過ぎて恥ずかしくなりそうなので、今回の目玉である階級章が目立つよう、このくらいシンプルなスタイルに留めておきます。




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この記事へのコメント
少数民族自治区のシンボルにトリコロール!とは!初めて知りました。いやはや、こういった歴史のディティール、勉強になります!
CIDGネッカチーフ、納得です!
Posted by poema15 at 2015年09月05日 17:23
>poema15さん
まだ全ての民族自治区の旗を確認した訳ではないのですが、今のところこの解釈が一番スッキリするかなと思っています。
CIDGと一口に言っても、民族によってその来歴や戦う理由は様々なので、掘れば掘るほど興味深い話が出てきて興味が尽きません^ ^
Posted by タイガタイガ at 2015年09月06日 20:40
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