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2015年10月25日

アンクル・ビル/モンスーン少佐

過去記事『ウェストミンスターにて』で少し書きましたが、7月に米国リトル・サイゴンで食事をご一緒させて頂いた『アンクル・ビル』について、氏がSNSで公開されている写真と共に改めてご紹介します。

アンクル・ビル/モンスーン少佐


アンクル・ビル/モンスーン少佐
『アンクル・ビル』ことウィリアム・ミミエイガ氏は1946年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる
ウィリアムの祖父スピリットはアメリカン・インディアンであった








アンクル・ビル/モンスーン少佐
1964年、高校卒業後アメリカ海兵隊入隊
サンディエゴMCRD(海兵新兵訓練所) 第156小隊卒業







アンクル・ビル/モンスーン少佐
第3海兵師団第3海兵連隊第3大隊に所属、1965年よりベトナムに派遣。以後7期、計26ヶ月間ベトナムに駐留し、クアンナム省チューライ、アンホアで戦う
ベトナム派遣中、あらゆる騒動がウィリアムの周りで起こるため、海兵隊員たちは彼を嵐を呼ぶ男『モンスーン』とあだ名した
(写真右: ベトナム共和国クアンナム省チューライ, 1965年)


ベトナムでの任務を終えた後、海兵隊に勤務しながら1968年~1969年にサンタ・アナ短期大学で学び、準学士号取得

アンクル・ビル/モンスーン少佐
1970年、MCRDサンディエゴの教練指導官に赴任
(写真: カリフォルニア州サンディエゴ, 1970年)







この後、第1海兵師団第11海兵連隊(キャンプ・ペンドルトン)に異動

1975年、士官昇級試験に合格し准尉に昇進

アンクル・ビル/モンスーン少佐
同年、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地のインドシナ難民キャンプ建設に第11海兵連隊の現場監督として従事
第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争・ラオス内戦・カンボジア内戦)は1975年4月に相次いで終結するが、各国で共産政権が成立したため累計144万人のインドシナ難民が発生
アメリカ・オーストラリア・カナダ等が難民を受け入れ、キャンプ・ペンドルトンには1975年4月より5万人の難民(主にベトナム人)を収容する大規模な難民キャンプが設置された

アンクル・ビル/モンスーン少佐
1978年、中尉(輸送科LDO: 限定当直士官)に昇進





アンクル・ビル/モンスーン少佐
1980年より第5海兵連隊第3大隊『ダークホース』(第1海兵師団隷下)に異動
沖縄、韓国、日本、フィリピンで勤務




アンクル・ビル/モンスーン少佐
グアンタナモ湾にて地上警備任務に従事
(写真: キューバ グアンタナモ米海軍基地, 1985年)






1984年~1986年、チャップマン大学にてBA(人文科学学士号)取得

1980年代末、少佐に昇進

アンクル・ビル/モンスーン少佐
1990年~1991年、湾岸戦争に派遣。サウジアラビア、クウェートに展開
(写真中央: クウェート, 1991年)




アンクル・ビル/モンスーン少佐
以後、ロサンゼルスMEPS(米軍入隊事務局)に勤務




苦楽を共にした戦友たちと海兵隊を心から愛し、生涯レザーネックスを貫くつもりだった『モンスーン少佐』ですが、突如人生の転機が訪れます。
それは膝の関節炎の悪化でした。そして松葉杖無しでは歩けなくなったミミエイガ氏は1994年についに退役を決断し、31年間の海兵隊生活に幕を下ろしました。

[在隊中の受勲]
Defense Meritorious Service Medal, Meritorious Service Medal, Navy Commendation, Navy Achievement with Combat “V” with 2nd & 3rd Gold Star, Combat Action Ribbon, Presidential Unit Citation with one Bronze Star,
Joint Meritorious Unit Citation, Navy Unit Citation, Meritorious Unit Citations with 2 Bronze Stars, Good Conduct Medal with 2 Bronze Stars, National Defense Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Service Medal with 1 Silver and 1 Bronze Star, Southwest Service Medal with 2 Bronze Stars, Korean Defense Medal, Vietnam Cross of Gallantry with Palm, Humanitarian Service Medal, Sea Service Deployment Ribbon with 2 Bronze Stars, Drill Instructor Service Ribbon with 1 Bronze Star, Overseas Service Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Cross of Gallantry with Palm and Frame, Vietnam Civil Affairs First Order with Palm and Frame, Vietnam Campaign Medal with 60 device, Kingdom of Saudi Arabia Medal, and Kuwait Liberation Medal. Combat promotion to Staff Sergeant in Vietnam 1970 Meritorious promotion to Gunnery Sergeant MCRD San Diego Drill Field 1974


しかし退役してもなおモンスーンの覇気は衰えませんでした。ミミエイガ氏は第二の人生を、国の未来を担う若者たちの支援に捧げることを決意します。
丁度その頃、アメリカ空軍の入隊募集官をしていた妻のクリスさんがハワイ州に異動となった事から、これを機に夫婦でハワイに移住し、1995年にオアフ島のシャミナード大学およびハワイ大学マノア校に入学します。

アンクル・ビル/モンスーン少佐
そして1996年よりハワイ州内の中学校で特別教員として勤務を始めます。1999年からは地元のカリフォルニア州ロングビーチのステファンス中学校にて16年間に渡って特別教員を務め、『アンクル・ビル』として多くの人に親しまれています。
アンクル・ビルが専門とするのは複雑な家庭環境などで心を閉ざし、問題行動を起こしてしまう子供たちへの授業です。そういった子供たちはしばしば暴力的になり、刑事事件を起こしたりギャングに入ってしまったりと、普通の教師では対応しきれない問題を沢山抱えています。アンクル・ビルはそのような子供たちの助けとなるべく、リクリエーションなどを通じて彼らが前向きに生きる手助けを行っておられます。この活動は非常に高い評価を受け、ミミエイガ氏は現在までにカリフォルニア州年間優秀教員賞(2005年・2006年)、ロングビーチ特別児童協議会年間優秀教員賞(2008年)、カリフォルニア州議会勤続10年優秀教育賞(2009年)を受賞しています。

またアンクル・ビルは元海兵隊将校として、退役軍人の互助、および傷痍軍人・殉職者遺族への支援活動を積極的に行っています。
中でも氏が理事を勤めるNPO団体スノーボール・エクスプレスアメリカン航空をスポンサーとし、殉職した軍人の子供たちに少しでも笑顔を取り戻してもらえるよう、遺族を無料でツアーに招待する活動を行う団体です。



アンクル・ビル/モンスーン少佐
ハリウッド俳優のゲイリー・シニーズ氏スノーボール・エクスプレスの顧問を勤めており、アンクル・ビルと共に長年この活動に尽力されてきました。
シニーズ氏は進んで米軍USOショーに出演するなど、長年軍人への支援活動を続けてきた功績を認められ、2013年に海兵隊司令官より『名誉海兵隊員』の称号を授与されています



『ダン中尉バンド』としてUSOショーを行うゲイリー・シニーズ氏
(日本 普天間海兵隊航空基地, 2013年)


アンクル・ビル/モンスーン少佐
またアンクル・ビルは第1海兵師団協会副会長でもあります。





アンクル・ビル/モンスーン少佐
なので海兵隊と言ったらこの人、皆大好きガニー軍曹ことロナルド・リー・アーメイ氏とも旧知の仲。
二人ともベトナム従軍経験があり、かつ同じMCRDサンディエゴで教練指導官を務めていました。(勤務していた時期は別々です)




アンクル・ビル/モンスーン少佐
また、アンクル・ビルは全米ベトナム従軍兵協会785支部(カリフォルニア州オレンジ郡)の支部長も務めておられます。





アンクル・ビル/モンスーン少佐
この地域はウェストミンスター市およびガーデングエローブ市にまたがる世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンを擁することから、米軍ベテランとベトナム共和国軍人・ベトナム系市民との交流がとても盛んです。
中でもリトル・サイゴンの顔役を務めるファム・ホア少尉とは各種ベテラン系イベントを通じて親交を深め、今ではプライベートも共に過ごす『義兄弟』の仲です。







リトル・サイゴンは1970~80年代にチェリー農園しかなかった寒村をベトナム移民が開拓した街であり、現在では20万人のベトナム系住民が暮らしているため、若い世代のベトナム系アメリカ市民が手腕を発揮する、正に移民の街です。
アンクル・ビルはそのリトル・サイゴンで開催されるイベントに頻繁に参加し、彼らとも強い絆で結ばれています。

アンクル・ビル/モンスーン少佐
ガーデングローブ市議会議員クリス・ファン氏(左)と、同じくファット・ブイ氏(右)と
クリス・ファン氏は市議会議員と同時にアメリカ海軍判事・オレンジ群副地方検事・大学での法学教授を務めています。
(写真: ウェストミンスターベトナム戦争記念碑, 4月30日『国恨の日』式典にて)



アンクル・ビル/モンスーン少佐
カリフォルニア州議会上院議員ジャネット・グエン氏
(写真: リトル・サイゴン テト・パレードにて)







アンクル・ビル/モンスーン少佐
またプライベートでは、アンクル・ビルはバイクを趣味としています。絵に描いたようなコッテコテのハーレーおじさんで、69歳になった今でもベトナムベテラン仲間と共に『ラン・フォー・ザ・ウォール』に参加しています。
ラン・フォー・ザ・ウォールはベトナム戦争および全ての戦争犠牲者の追悼を目的とした全米のバイク愛好家によるツーリング活動で、毎年アメリカ西海岸をスタートし、ワシントンDCのベトナム従軍者記念碑(通称 ザ・ウォール)までたすきリレー形式で走行会を行っています。





ホア少尉の紹介とは言え、まさか僕のような一介のマニアがあのような立派なお方と知り合えるとは思いもよりませんでした。
69歳になってもいまだ熱意の衰えない『モンスーン』の愛と勇気の人生を垣間見れたこの幸運を天に感謝しています。




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