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2016年03月27日

ベトナム陸軍の制服 1949-1975

※2022年1月30日更新
※2022年7月15日更新

1949年~1950年代末

 第一次インドシナ戦争中の1949年、ベトナム独立の気運の高まりから、フランスは仏領インドシナ連邦成立によってトンキン、アンナン、コーチシナの三地域に分割されていたベトナムを再統一し、フランス連合の枠内での独立国『ベトナム国(Quốc gia Việt Nam)』へと昇格させます。これに伴い、フランス植民地軍(Troupes coloniales)のベトナム人部隊は『ベトナム国家衛兵隊(Vệ binh Quốc gia Việt Nam)』として再編成され、晴れてベトナムに国軍が創設されました。ベトナム国家衛兵隊はその後、1952年に『ベトナム国軍(Quân đội Quốc gia Việt Nam)』へと改称され、インドシナ平定を目指すフランス連合軍の主力※を担いました。さらにゴ・ディン・ジェム首相が『ベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)』の成立を宣言した1955年、ベトナム国軍は『ベトナム共和国軍(Quân đội Việt Nam Cộng Hòa)』へと改称されます。
 ※私は、第一次インドシナ戦争とはベトナムの独立戦争などではなく、ホー・チ・ミン率いるソ連・中共に支援された共産ゲリラ・ベトミンと、ベトナム政府との内戦だったと捉えています。当時ベトナムでは、国軍の増強にともないベトミン掃討の主力はベトナム国軍にシフトし、フランス軍自体は徐々にインドシナから撤退していったため、ベトナムは名実共に独立国に近付きつつありました。その為、ベトナム独立を志す多くの若者が、ベトミンによる恐怖政治を阻止し、共産主義以外の道でベトナムの独立を達成させるべく国軍に志願していきました。(無論これは親仏政権であることが前提の、フランス連合の枠内での自治権の拡大でしたが、冷戦時代に大国の勢力下にない新興国など存在しえず、東西いずれかの陣営に組するしかないのは、世界中どこでも同じでした。)さらに1955年には、フランスが据えたお飾りの国家元首であった保大帝(バオダイ)をゴ・ディン・ジェム首相が国民投票により追放したことで、ベトナムはフランスから完全独立を果たします。しかしホー・チ・ミンの目的はベトナム人国家の独立ではなく、あくまで共産政権による支配であったため、フランスやアメリカが完全撤退した後も共産軍は支配地域の拡大を続け、1975年のサイゴン陥落までにおびただしい数のベトナム国民がその野望の犠牲となりました。


ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<将校制帽>
1949年に国軍が設立された当時、被服・装備は植民地軍時代のものをそのまま引き継いでいましたが、あくまで独立国であるため、将校の制帽だけはフランス陸軍/植民地軍のケピではなく、世界的に一般的な官帽(Peaked cap)が採用されました。
陸軍の制帽は、当初はカーキ色の帽体に黒の鉢巻というデザインでした。また階級によってチンコードのデザインは以下に分かれていました。
尉官・佐官: 金モールねじりチンコード
将官: オーク刺繍チンストラップ
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)


ベトナム陸軍の制服 1949-1975
その後、50年代中盤になると陸軍の制帽はカーキ帽体にカーキの鉢巻が付くアメリカ陸軍に似たスタイルに変わり、チンコードも以下に変更されました。
尉官・黒革チンストラップ
将官: オーク刺繍チンストラップ
(写真: グエン・ガク・ニョ准将, 1955年サイゴン)







ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<サイドキャップ>
植民地軍の略帽だったカーキの米軍型サイドキャップは、植民地軍を示す錨の徽章が外され、国軍兵・下士官の制帽として多用されました。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<ベレー帽>
植民地軍カーキ色コットン生地の熱帯ベレーは、略帽として全階級で広く着用されました。また空挺部隊など独自のベレー帽が制定されている兵科では、正装の際もベレーが制帽として用いられました。
(写真: 空挺群第5空挺大隊の将校たち, 1955年ダナン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<シャツ制服>
フランス軍のカーキシャツ制服は、全軍・全階級で着用され、戦闘服としても用いられた最も一般的な勤務服でした。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<熱帯制服
植民地軍の熱帯用カーキ半袖シャツ・半ズボン制服も、全階級で制服として着用されました。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年ハノイ)





ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<Mle 46制服
フランス陸軍の1946年型短ジャケット制服(Tenue modèle 46)も勤務服として引き継がれましたが、着用例はあまり多くありません。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
カーキジャケット制服
フランス植民地軍のカーキジャケット制服はベトナム陸軍の制服として採用され、以後20年以上に渡って同様のスタイルの外出服が引き継がれていきました。当時のカーキジャケット制服には、通気性の良いコットン生地と、高品質なウール生地の2種類があります。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
サファリジャケット>
カーキジャケット制服と同時に植民地軍のサファリジャケット(Saharienne)も制服として採用され、1950年代を通して着用されました。フランス軍では開襟のサファリジャケットはカジュアルな作業着扱いですが、ベトナムでは高温多湿な土地柄、フォーマルな場でも着用されました。
(写真: ゴ・ディン・ジェム首相(当時)とベトナム国軍参謀長グエン・バン・ヒン将軍, 1954年サイゴン)


ベトナム陸軍の制服 1949-1975
礼服
フランス植民地軍の白い熱帯礼服も、ベトナム陸軍に将校用礼服として採用されました。礼装用の制帽も、当初は白色の帽体に黒の鉢巻というデザインでした。
(写真: ベトナム国家衛兵隊のパレード, 1951年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
その後50年代中盤になると、礼装用制帽の鉢巻部分は白色になります。
(写真: ジェム総統による共和国宣言式典に参加するベトナム国軍幹部, 1955年サイゴン)









ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<儀仗礼服>
カーキシャツ制服と同じ裁断ですが、白い生地で仕立てられたものは儀仗用の礼服として式典の際に儀仗隊に着用されました。
(写真: ベトナム国軍カオダイ軍団によるティン・ミン・デ将軍の葬儀, 1955年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<皇族大礼服>
当時士官候補生だったバオ・ロン皇太子が着用している皇族用の大礼服です。しかしフランス留学中の1955年に首相ゴ・ディン・ジェムによるクーデターで父親の保大帝(バオダイ)が追放されたため、バオ・ロンはそのままフランスに亡命。その後、バオ・ロンはフランス外人部隊に入隊し、アルジェリア戦争を戦う事となります。
(写真: グエン・フク・バオ・ロン皇太子, 1953年)








1960年頃~1967年

 1960年代に入ると被服の国産化が進み、また新たな同盟国アメリカの影響を受けて軍装も変化していきました。国内情勢としては、1963年11月1日に発生した軍事クーデターによってジェム総統は処刑され、あらたな軍事政権が樹立されます。しかし政権を握った軍部の足並みが揃わず、ズオン・バン・ミン将軍派とグエン・カーン将軍派で互いにクーデターを繰り返し、内政は乱れに乱れました。そして最終的に、グエン・バン・テュー将軍を首班とする軍の若手将官一派が1965年に無血クーデターで政権を握ったことで、混乱はようやく収まります。また、このテュー政権発足により、国軍の正式名は『Quân Lực Việt Nam Cộng Hòa』に改称されました。


ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<将校制帽>
階級を示すチンストラップとバイザーが以下に変更されました。
尉官: 金モール織りチンストラップ
佐官: 金モール織りチンストラップ+オーク刺繍バイザー
将官: オーク刺繍チンストラップオーク刺繍バイザー
(写真: ベトナム陸軍中佐のポートレート, 1960年代)





ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<一般兵科将校ベレー帽>
それまでベレーが制定されていなかった一般兵科の将校にも、ベレー帽が略帽として導入されました。
将校ベレー帽の帽体は黒またはオリーブ色でした。
(写真: ファム・バン・ドン少将, 1965年)








ベトナム陸軍の制服 1949-1975
一般兵科兵・下士官ベレー帽>
サイドキャップは廃止され、同じく50年代から使用されていたカーキ熱帯ベレーが兵・下士官の制帽となります。
(写真: 制服を支給される新兵, 1964年)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<勤務服>
シャツ制服は引き続き勤務服(Quân phục Làm việc)として広く着用されます。 
(写真: 軍事クーデター翌日のチャン・バン・ドン中将, 1963年サイゴン)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<勤務服>
シャツ勤務服はそれまでの長袖に加えて、半袖型も登場し将校に着用されるようになります。
(写真:空挺師団第1空挺大隊の将校たち1960年代)





ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<夏季準礼
アメリカ陸軍の影響を受け、勤務服にネクタイを着用する事で夏季準礼服(Quân phục Tiểu Lễ Mùa hè)としても使用されました。
(写真: 第5歩兵師団の勲章授与式, 1963年ビエンホア基地)








ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<外出服>
植民地軍カーキジャケット制服のデザインを踏襲したカーキ色の制服が外出服(Quân phục Dạo phó)として制定されました。ただし旧制服とは違い、外出服は将校(および士官候補生)のみに着用され、生地もウールが主となりました。
(写真: グエン・カーン軍事政権首脳部と外国軍高官, 1964年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<礼服>
50年代から引き続き、白のジャケット制服が礼服として着用されました。
(写真: グエン・バン・テュー軍事政権首脳部1966年サイゴン)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<大礼服>
1960年頃には詰襟の大礼服(Quân phục Đại Lễ)が制定され、式典で着用されました。しかし1963年にジェム政権が崩壊すると、大礼服はジェムシンパの象徴と見なされていたのか、急に着用例が見られなくなります。
(写真: 総統府別局参謀長レ・ニュー・フン中佐, 1963年頃)









ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<儀仗礼服>
引き続きシャツ勤務服と同じ裁断の白シャツ制服が衛兵・儀仗兵の礼服として使用されました。
(写真: 総参謀部衛兵, 1961年サイゴン)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<国長大礼服?>
グエン・カーン大将のみ着用している謎の礼服。一見すると通常の大礼服のようですが、襟章は付かず、胸ポケットがあり海軍の白詰襟のようなスタイルです。
(写真: ベトナム共和国国長グエン・カーン大将, 1964年頃?サイゴン)









1967年~1975年

 1967年に憲法が改正され、軍事政権から議会制民主主義に移行した第二共和国期が始ると、軍の徽章・階級章等のデザインも一新されます。またアメリカ軍との共同作戦が活発になり、ベトナム陸軍の軍装もアメリカ陸軍に影響を受け変化していきます。



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<将校制帽>
制帽のデザインはそのままで、尉官は帽章が変わったのみですが、佐官と将官用はバイザーとチンストラップのオーク模様が更新さています。
(写真: ホー・ニョック・キュン大佐, 1973~1975年頃)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
一般兵科将校ベレー帽
兵・下士官用のカーキベレーは廃止されますが、一般兵科将校の略帽としては引き続き黒またはオリーブ色のベレーが使用されました。
(写真: 国家警察に出向中の陸軍中尉1969年)



ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<外出服
上着の袖とズボンの両サイドに織りテープが追加され、アメリカ陸軍の夏季制服(Dress summer uniform)を意識したデザインに変更されました。
(写真: チャン・バン・ホン総統と陸軍の幹部, 1975年サイゴン)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<冬季外出服
冬季・寒冷地で着用される外出服です。国内では高地に位置し気温が比較的低いダラット国家軍事アカデミーなど限られた場所でしか見られませんが、研修でアメリカに派遣された陸軍将校は着用例が多数見られます。こちらも通常の外出服と同様、袖とズボンの両サイドに焦げ茶色の織りテープがつき、アメリカ陸軍のAG-44制服に酷似したデザインになっています。
(写真: アメリカ陸軍士官学校留学中のNKT幹部グエン・ファン・トゥー少佐, 1971年ニューヨーク州ウェストポイント)




ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<礼服
礼服は徽章が変更されたのみで、織りテープは追加されていません。制帽には常勤制帽に順じた階級区分の装飾が付きます。
(写真: ベトナム共和国総統グエン・バン・テュー中将と参謀総長カオ・バン・ビエン大将, 1967年トゥドゥック歩兵学校)








ベトナム陸軍の制服 1949-1975
<儀仗礼服>
儀仗礼服も引き続き儀仗・衛兵部隊に使用されました。
(写真: 首都保安群の衛兵, 1967年以降 サイゴン)










陸軍帽章の変遷
陸軍階級章の変遷

帽章・階級章については新しい情報が色々見つかったので、改めて記事にしています。


おまけ

先日ついに、ベトナム陸戦水軍(TQLC, いわゆる海兵隊)制服のカラー写真を発見しました!
TQLCの外出服(ジャケット制服)の写真は極めて少なく、僕はまだこの写真を含めて2枚しか確認できていません。うっひょ~!超うれしい!!

ベトナム陸軍の制服 1949-1975
▲FMT(外国軍研修生)としてアメリカ留学中のTQLC中尉(右), 1969年ニューヨーク

ベトナム陸軍の制服 1949-1975
TQLCはもともと、第一次インドシナ戦争中の1952年にベトナム海軍歩兵大隊として発足し、1956年に『陸戦水軍(Thủy Quân Lục Chiến)』へと改称。
その後1965年に海軍から独立し、TQLC旅団/師団として総参謀部直属の統合予備部隊へと発展しました。
このようにTQLCは元々海軍の一部門であったため、独立兵科となる以前は海軍と同じ制服を着用し、帽章・階級章のみTQLC独自のものを使っていました。
(写真: 海軍TQLC士官TQLC初代司令官レ・ニュー・フン中佐(中央), 1957年12月)


各士官学校の大礼服については過去記事『士官候補生の礼装』参照





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