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2016年09月10日

オールインワンショット



一枚の写真にいろんなリーフ迷彩が写ってるナイスな写真見つけました。
カッコいいのでうちのブログのバナーに使わせてもらいます。

ベトナム陸軍空挺師団第1空挺大隊 [1969年1月 タイニン省]

(大きい写真なので2分割して載せてます)
オールインワンショット
オールインワンショット

①コマーシャル/シビリアン/インビジブル
②ERDL/グリーンリーフ
③レンジャー/エアボーン(パステル系)
レンジャー/エアボーン(エメラルド系)

※上の迷彩パターンの名称は戦後のマニアの間で使われるもので、当時のものではない
各迷彩については過去記事『ベトナム軍の迷彩』参照


ついでに、一枚にいろいろ写ってる系の写真をご紹介。

ベトナム陸軍第5歩兵師団 [1966年ニントゥアン省ファンラン]

オールインワンショット
 兵隊の持ってる銃がM1ガランド、M1/M2カービン、M1A1トンプソン、M1918A2 BARとバラエティー豊か。この写真には写っていませんが、M79グレネードランチャーやM3A1グリースガン、M1919A6機関銃も当時歩兵部隊で使われていました。
 この時期のベトナム共和国軍は武器が足りず、アメリカから供与された銃をとりあえず何でも使っていた感じです。その後、1966年にXM16E1ライフルがベトナム陸軍で正式採用されると、1967年末頃には一線級部隊の小銃は全てXM16E1/M16A1に統一されます。(士官・下士官はその後もあえて軽量なM1/M2カービンを携帯する事がありますが) また分隊支援火器も徐々にM60機関銃に更新され、60年代末には当時の米軍と同じ武装となりました。


サイゴンを占領したベトナム人民軍 [1975年4月30日サイゴン]

オールインワンショット
一枚の写真に、少なくとも4種類のカラシニコフ自動小銃(Vz58は見た目だけだけど)が写ってます。
・中国製56式自動歩槍
・AK-47系(ソ連製AK-47、中国製56式自動歩槍輸出型、北朝鮮製58式自動歩槍のいずれか)
・ルーマニア製AIM
・チェコスロバキア製Vz58

 スパイク銃剣の56式以外はどこ製だか写真からは判断しにくいですが、基本的には北ベトナム軍では東側諸国から輸入された各種カラシニコフがごちゃ混ぜで使われていたようです。一口にカラシニコフと言っても各モデルで部品の寸法が異なりますし、Vz58に至っては外観が似ているだけで中身は完全に別の銃なので、北ベトナム軍も外国からの援助兵器を次から次へと前線に送るだけで、結局終戦まで弾薬以外は統一する余裕はなかったようです。

 また各国のカラシニコフが見られるこの写真からは、ベトナム戦争が東西冷戦による代理戦争であった事、そして共産主義陣営に蹂躙されたベトナムという国の悲劇が見て取れます。
 僕が知り合った元ベトナム共和国軍人やそのご家族は、ベトナム戦争について皆さん口をそろえてこう言います。「我々は北ベトナム一国と戦ったのではない。共産主義陣営全体と戦っていたのだ」と。
 1973年、アメリカ軍がベトナムからの撤退が完了し、パリ協定による休戦が発効した段階で、ベトナム戦争は一時終息したかのように思われました。しかし北ベトナムははなっから休戦などする気はなく、アメリカが撤退したこの機を逃すまいと早々に協定を無視し、再び南侵を再開します
 この時点で北ベトナムはいまだソ連・中国の思惑を背景に周辺国への軍事侵攻を続けており、これまで通り東側諸国からの膨大な経済・軍事支援を受けていました。一方、ベトナムからの完全撤退を決めたアメリカや韓国、オーストラリアは政治・経済面でもベトナム共和国への支援を縮小し、ベトナム共和国は同盟国から見捨てられた形となっていました。これにより、それまでの東西の代理戦争という構図は終わり、アメリカという大きな後ろ盾を失ったベトナム共和国は、たった一国で共産主義陣営による侵略から自国を防衛せざるをえなくなりました。
 その後ベトナム共和国軍は2年近くにわたり単独で共産軍との戦いを続けましたが、多勢に無勢で1975年4月30日、ついに首都サイゴンが陥落し、ベトナム全土がベトナム労働党(現・共産党)の支配下に失陥したのでした…。


オールインワンショット
▲1973年以降のベトナム戦争の政治的構図




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