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2017年07月30日

続・マイクフォースのパッチについて



過去記事『マイクフォースのパッチについて』の後、いろいろ新たな発見があったので、内容を改訂したものをここに掲載します。


各パッチの使用例

【黒い鳥】

続・マイクフォースのパッチについて
I Corps MSFのみで確認

続・マイクフォースのパッチについて
I Corps MSF (1st MSFC 第113MSF中隊)



【ドラゴン】

続・マイクフォースのパッチについて
II Corps MSFで確認
IV Corps MSFでも使用という情報あり

続・マイクフォースのパッチについて
▲II Corps MSF (2nd MSFC)

IV Corps MSFでの使用例については写真では確認できなかったものの、
元グリーンベレー隊員のRichard Hayse氏より、
「ドラゴンの部隊章は最初IV Corrps MSFで採用され、
後にII Corrpsに受け継がれた」
と指摘を頂きました。



【ジョリーロジャー】

続・マイクフォースのパッチについて
II, III, IV Corps MSFの三部隊で確認

続・マイクフォースのパッチについて 
▲II Corps MSF (USSF B-20分遣隊)

続・マイクフォースのパッチについて
▲III Corps MSF (3th / 36th MSFC )

 続・マイクフォースのパッチについて
▲IV Corps MSF (4th / 40th MSFC エアボート中隊)



柳葉刀と稲妻】

続・マイクフォースのパッチについて
IIIV Corps MSFおよび5th MSFの三部隊で確認

続・マイクフォースのパッチについて
▲II Corps MSF (2nd / 20th MSFC 第4MSF大隊)

続・マイクフォースのパッチについて
▲IV Corps MSF (4th / 40th MSFC エアボート中隊)

続・マイクフォースのパッチについて
▲5th MSF (5th MSFC)
※5th MSFではベレー章としての使用のみ確認



【柳葉刀・稲妻・石弓】

続・マイクフォースのパッチについて
5th MSFのみで確認

続・マイクフォースのパッチについて
▲5th MSF (5th MSFC)


以上の使用例を踏まえた上で、全国で組織されたMSF(マイクフォース)の組織およびパッチの使われ方を図にまとめると以下になります。

続・マイクフォースのパッチについて
▲クリックで拡大


このように、長年マニアの間で信じられてきた、各部隊章は「C-1~C-5/第1~第5マイクフォースに対応している」という説は誤りであったことが分かります。
通常、一つのデザインの部隊章は一つまたはその直系の部隊でのみ使用されるものですが、なぜマイクフォースでだけこのように複雑な使われ方をされていたのでしょうか?
その理由について、個々の事例については当事者に確認するまで断言はできませんが、一般論として、『部隊の異動』が大きく関係していると僕は考えています。
そもそもマイクフォースは最初から予定されて全国で一斉に編成された部隊ではありませんでした。1961年以降、CIDG計画によって全国に数十の特殊部隊キャンプが建設され、それぞれのキャンプに、後にキャンプストライクフォース(CSF)と呼ばれるCIDG歩兵部隊が編成されます。このCSFは国境地帯の防衛、パトロールを主任務とする守備部隊であり、移動手段は主に徒歩もしくはトラックしかありませんでした。
その後、CSFの一部にヘリボーンやエアボーンといった専門技能を教育し、攻撃任務に適した機動部隊として1964年に第2戦術地区に誕生したのが"イーグルフライト小隊"です。このコンセプトはMACVに高く評価され、以後全国に順次MSF(マイクフォース)が編成されていきます。
そして当時、各CSF、MSFはアドバイザーである米軍グリーンベレーおよび豪軍AATTV分遣隊の指揮下(※)にあり、部隊の編成や部隊章は彼等アドバイザーが決めていました。またこの時期、これら分遣隊は一般部隊と比べてはるかに人数が少ないため、彼等は一つのキャンプを構築し部隊を訓練し終えると、また次のキャンプに異動して同じように部隊を組織するとう作業を繰り返していました。また、編成されたMSF部隊自体も、配置換えで移動する事が度々ありました。
この際、異動する先は同じ省や戦術地区内とは限らず、要請に応じて別の戦術地区に移動する事もよくあります。そしておそらく彼等は、先に制定したMSFの部隊章を、異動した先でも使っていたのではないかと私は推測しています。つまり、これら部隊章は第1~第5MSFという分類で制定したものではなく、彼等を指導したアドバイザー分遣隊や、他の地域から異動してきたMSF部隊によって、MSF大隊・中隊毎にもたらされた考えれば、いくつもの部隊章が複数の軍管区にまたがって使われていた事にも説明がつくかと思います。

※形式的な指揮権は当初からベトナム共和国軍LLDBにあったものの、ベトナマイゼーションが開始される1968年までは、作戦計画や予算の面では、CIDG部隊の運営はほとんど米豪軍に依存している状態でした。


また繰り返しになりますが、そもそもマイクフォースをC-1~C-5と呼ぶ事自体が間違いだと考えます。C-1~C-5の"C"は"Corps (軍団)"の略ではなく、米軍グリーンベレーおよびベトナム軍LLDBの"Cチーム"を意味していました。実際にはCチームの下位にあるBチームのうちマイクフォースを担当しているのは各Cチームにつき1チーム(つまり全国で5チーム)のみで、他の数十のBチームはCSFや訓練センターなどの、マイクフォース以外の部隊を担当していました。

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おまけ: MSFCの名称について

上の図のように、第1~第4軍団MFSおよび第5MSFにはそれぞれ1つのMSFC(連隊規模のMSF司令部)が設置されており、米豪越特殊部隊の指揮下で作戦を遂行していました。しかしそのMSFCの名称については、以前から不思議に思っていた事がありました。
と言うのも、各MSFCはベトナマイゼーションの開始に伴い1968年5月に改編され、それぞれグリーンベレー分遣隊の部隊番号を受け継いだ部隊番号に改称された事がMobile Strike Forces in Vietnam 1966-70など複数の資料に記載されています。
しかし、どうもこの改称については米軍内でも徹底されていなかった、もしくは改称された事すら認識されていなかったように見受けられます。

例えばマイクフォース最精鋭部隊として知られる第5MSF(ニャチャン・マイクフォース)の"5th MSFC"は、"55th MSFC"に改称されました。

続・マイクフォースのパッチについて
このように、司令部の看板は確実に55th MSFCに変更されています。

続・マイクフォースのパッチについて
しかしその一方で、現場のアメリカ兵が書いたFSBの看板には、改称から2年以上たった1970年以降も"5th MSFC"と記載されています。

また、現在のアメリカ陸軍の公式サイトや、退役軍人協会の公式サイトにも、"55th"ではなく"5th MSFC"と記載されています。
同様に1st~4th MSFCもそれぞれ16th, 20th, 36th, 40th MSFCに改称されているのですが、多くの資料に改称前の部隊名のまま記載されています。
恐らくこれは、MSFCが改称された後も全体の部隊名としては1st~5th MSFが使用され続けた事から当時から"MSF"と"MSFC"が混同されており、改称後のMSFCの名称が使われる機会が少なかった為に生じた誤解ではないかと思っています。



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この記事へのコメント
こんばんは、お初にお目にかかります。
Nightと申します。

まず最初に、このblogを拝見して感動しました!

自分は特殊部隊に関する情報収集をライフワークにしてまして、勿論ヴェトナム戦争時代の特殊作戦や秘密工作にも大いに興味があるんですが、ここまで詳しく網羅的に調査・整理して公開されている情報は初めてで、大変勉強になりました。

自分のヴェトナムでの特殊作戦についての情報源は、元SOGだったJohn Plaster少佐や故三島瑞穂軍曹の著書、あとは海外のインターネットサイトぐらいのものなので、主様はかなり有力な情報源をお持ちなのだと推測しています。

初回の書き込みでいきなり質問するのは失礼かもしれないのですが、何点かご教授いただいてよろしいでしょうか?

1. SOGのRTのチームリーダーは「ワン・ゼロ」というコールサインだったと思います。このリーダーを養成する「ワン・ゼロ・スクール」なる組織が存在したそうなのですが、この運営にあたっていたのはB-53なのでしょうか?
表向き?B-53はARVN空挺レンジャーの訓練支援を担当していたそうですが、実際は機密性の高い部隊だったと考えており、ここが「ワン・ゼロ・スクール」を運営していたものと睨んでいます。

2. B-57について、他のギリシャ文字計画とは一線を画す部隊だったと認識しています。
他のDELTA, OMEGA, SIGMAなどが越境任務に特化していたのとは別に、GAMMAは諜報工作分野を担当しており、フェニックス計画とも深い関連があったと推測しています。
もし具体的な部隊概要等ご存知でしたら是非ともご教授ください。

長々と書かせていただきましたが、これからもこちらで勉強させていただきたいので、今後ともどうぞよろしくお願いしますm(__)m
Posted by Night at 2017年07月30日 22:28
Nightさん
こちらこそ、この分野に興味のある方に記事を読んで頂けて光栄です!
自分は元RT隊員のベトナム人やヌン族の兵士たちと交流があるにはあるのですが、彼等も40年以上前の記憶はけっこうあやふやであり、結局は地道に資料を集め、断片的な情報から全体像を組み立てていくしかないような状態です。
ご質問頂いた件ですが、コメント欄では画像等が載せられないのと、ブログのネタとして良いかと思いましていまして、勝手ながら自分の考えを新しい記事として投稿させて頂きました。
http://ichiban.militaryblog.jp/e868606.html
B-57の件についても、同じく記事に出来ればと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by タイガタイガ at 2017年08月01日 23:03
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