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2017年10月16日

映画「最初に父が殺された」

 現在Netflixで配信中の映画「最初に父が殺された (First They Killed My Father )」を鑑賞しました。原作はカンボジア人女性ルオン・ウン(Loung Ung)が著した同名の自伝で、映画化にあたっては女優のアンジェリーナ・ジョリーが監督を務めた事でも話題になりました。5歳の少女が体験した民主カンプチア(ポル・ポト政権)下での過酷な生活が、容赦の無いリアリティーで描き出されます。




以下ネタバレあり。視聴予定の方は見終わってから読んでください。









 寝てる時間以外は365日常にインドシナ諸国の歴史に関連する事柄を考えてる僕からすると、特に目新しい情報というのはありませんでしたが、元々この作品は一人の少女が実際に体験した、少女の目線で語られるストーリーなので、当時知り得た情報が限定的なのは当然であり、むしろ説明臭さが一切無いのは、この手の歴史を扱った作品としては斬新かも知れません。反面、カンボジア内戦やベトナム・カンボジア戦争について予備知識が無いと、何が起こってるのか理解出来ないかも知れませんが。
 同じ時代のカンボジアを描いた映画と言うと真っ先に浮かぶのが「キリングフィールド(The Killing Fields)」ですが、あの映画のようなクメールルージュによる直接的な処刑や用水路を埋め尽くす腐乱死体の山といった描写はありませんでした。ただしこの「最初に父が殺された」にある、戦闘から逃げ惑う避難民たちが次々地雷を踏んで息絶えていくシーンは、CGが発達した現代だからこそ作れた、なかなかに酷い映像でした。
 また労働キャンプへの集団移住以降、7人の兄妹たちは離れ離れになりましましたが、ベトナム・カンボジア戦争の混乱の中で偶然5人の兄妹が難民キャンプで再会し生き延びるという話は、当時の状況を考えると出来すぎてる気もしました。しかし最後に現在の本人たちが出演していたので、本当にそんな幸運があったのかと驚きました。(ただし兄は過酷な労働により病死し、また当時幼児だったため母と労働キャンプに残った末っ子は、母と共にクメールルージュに殺害された模様)

 全体的に映画としても、あの時代を伝える伝記としても非常に完成度の高い作品でしたが、ただ一つ指摘したいのは、この作品はアメリカ人監督によって作られたが故に、原作者の意図とは別に、リベラル派のアメリカ人がカンボジアに対して抱いている罪悪感までもが追加されているという事です。具体的には冒頭とエンディングにあるカンボジア内戦についての説明が、アメリカ軍による『中立国』カンボジアへの爆撃のみで語られている点です。これだけ見ると、カンボジアの戦禍は全てアメリカによって引き起こされたかのような描き方であり、ベトナム戦争やカンボジア内戦についてある程度勉強した人でないと、あの戦争の背景について大きく誤解する事になります。(現にジョリー監督を含むハリウッド関係者の大半はそうした誤解を基にベトナム戦争における自国の行動を批判的に捉えているように見受けられます。)
 ではその誤解とは何かと言いますと、まずカンボジアは本当に中立国だったのか、という点です。確かに1970年以前のクメール王国政府(シハヌーク政権)は『中立』を標榜していましたが、実際には中国・ソ連と同じくベトナム共産軍(北ベトナム軍および南ベトナムの共産ゲリラ)を支援する立場でした。ベトナム共産軍がカンボジアの領土を進軍・補給路「ホーチミントレイル」として大々的に使用していた事は広く知られていますが、その外国軍の侵入をシハヌーク政権は黙認し、阻止しようとする事はありませんでした。さらにシハヌーク政権は、領有を巡って数百年間争い続けているベトナム南部を統治していたベトナム共和国(南ベトナム)を敵国と見なし、南ベトナム領内の少数民族による武装蜂起(FULROの反乱)を支援するなど、南ベトナムへのサボタージュ工作を続けてきました。このようにシハヌーク政権時代のカンボジアは、ベトナム共産軍に必要不可欠な補給路を提供しているという点では、中国以上に南ベトナムに対する間接的な攻撃を行っていた国でした。
 しかしそれでも、シハヌーク政権が中立を掲げている以上、アメリカ・南ベトナムは国際社会からの批判を避けるため―
特殊部隊による越境作戦は秘密裏に行われていたものの公にはベトナム戦争が始まってから10年もの間カンボジア領内への攻撃を踏み止まっていました。その後、業を煮やした米国CIAはシハヌークの側近であったロン・ノル将軍によるクーデターを支援し、1970年にクメール共和国(ロン・ノル政権)が成立します。そしてロン・ノル将軍はカンボジアをそれまでの親共産陣営から一転して親米反共路線へと転向させ、カンボジアは正式なアメリカの同盟国になります。これによってアメリカ軍・南ベトナム軍は、カンボジア政府からベトナム共産軍を駆逐する許可を得てカンボジア領内へ侵攻すると共にアメリカ軍による大規模な爆撃が始まりました。つまりアメリカは、カンボジアが中立国(事実上の敵国)だった頃は爆撃をしておらず、同盟国になった(した)後にカンボジア政府の同意の下カンボジア領内を爆撃した訳です。
 もちろん、そんな大国や権力者の思惑はカンボジアの農民・庶民には関係無いことであり、元々貧しかった上にさらに戦争の惨禍に晒された彼らがアメリカやロン・ノルの政府に憎しみを抱くのは当然の事です。しかし、その憎しみに支配されてクメールルージュ(カンボジア共産党軍)を支持し、ロン・ノル政府を打倒した後もポル・ポト政権による同胞への更なる殺戮を許してしまったのは、他でもないカンボジア人自身なのです。
 欧米や日本など当時ベトナム反戦運動がブームだった国では、いまだにベトナム戦争は「西洋列強からの独立を求める民衆と、それを阻止せんとするアメリカおよびその傀儡政権との戦争」という
共産軍側の主張のみが『信仰』されています。しかし1000万人の死者を出し、300万人の難民を生んだ20世紀後半最悪の戦争が、そんな短絡的かつ一方的な見方しかされていないのは本当に異常な事であり、私はこのような状態の国に住む人間として彼らに申し訳なさを感じています。
 一方、当時者であるカンボジア人自身は、当然ながらあの地獄の日々に至った経緯を他の誰よりもよく分かっており、またポル・ポト政権崩壊以降もベトナムの介入によって内戦が10年以上続いていた事は、まだ国民の心に深く刻まれているそうです。今日のカンボジアはそうした長い長い苦難の時代と同族同士の憎しみを乗り越え、ようやく平和と発展の道に進む事が出来たのです。
 配給の関係上、日本に住む我々が見ることができるあの時代のカンボジアを扱った作品というのは、どうしても外国人からの目線で描かれた、あるいはこの映画のように外国人による解釈・肉付けがなされた物に限られてしまう事を私は歯痒く感じています。私のメインの研究対象であるベトナム史に関しては、ベトナム人の友人ができた事で彼らの生の声を聞けるようになりましが、カンボジアについてはベトナムに住むクメール族=KKKの友人はできたものの、まだまだ勉強不足なので、これからも探求を続けていきたいと思います。





Posted by 森泉大河 at 01:41│Comments(1)
この記事へのコメント
全くその通りだと思います。
Posted by かめ at 2017年10月18日 22:50
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