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2018年03月16日

マウタン1968(テト攻勢)から50年

マウタン1968犠牲者追悼式典

 今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトコン(ベトナム共産軍)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』が発生し、ベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。
 このマウタン1968から50年目の節目を迎え、日本在住ベトナム人協会は2018年2月11日、神奈川県藤沢市の寺院においてマウタン1968の犠牲者を追悼する法要・式典を執り行いました。式にはかつてのベトナム難民を始め、現在日本に住んでいるベトナム人研修生や一般労働者、在日米軍のベトナム系アメリカ軍人らも参列しました。



映像: Hiệp Hội Người Việt tại Nhật

フエ虐殺事件目撃者の声

 また法要後の懇談会では、共産軍によって行われたあの惨たらしい事件を風化させないよう、当時その場でマウタン1968を体験した方々が、戦後生まれの若い世代に自身の体験を語りかけました。お世話になってる知人が、今回も話の内容を同時通訳してくださったので、その一部をご紹介します。


映像: Hiệp Hội Người Việt tại Nhật



ブウ氏

 ブウ氏は当時、フエ在住の13歳の少年であり、共産軍による26日間のフエ占領を体験しました。
 ブウ氏によると、フエでマウタンの戦闘が始まったのはテト二日目の夜であり、最初は誰もが銃声を爆竹の音だと思い、戦闘が始まったとは思いもしなかったそうです。
 しかし朝になると街は共産軍に占領されており、通りには共産軍の兵士たちが堂々と歩いていました。戦争とは無縁の生活を送っていたブウ氏はこの時初めて実際に共産軍の姿を見ましたが、当時は子供だったため特に恐怖は感じなかったそうです。
 しかしその日、フエ市内で拘留されていた共産ゲリラ容疑者が釈放されると状況は一変します。共産軍が住民の家々に押し入り、軍人、警察、政府関係者を次々と逮捕し始めました。ブウ氏の兄2名も軍人でしたが、その年はたまたま二人とも帰省していなかったため、父がその場で尋問されただけで済んだそうです。しかし父の友人であり恩師の神父は連行され、二度と帰ることはありませんでした。
 占領下の生活の中で、ブウ氏は自宅周辺では夜しか戦闘の音が聞こえず、なぜ夜だけなのか不思議に思っていたそうです。
 その後、共産軍は逮捕者リストを作り、再度ブウ氏の自宅に押し入ってきました。そして兄たちがフエには居ないことが分かると、共産軍はブウ氏の自宅を完全に破壊しました。翌朝、ブウ氏は瓦礫の中から家族の写真を探そうとしましたが、軍服姿の兄の写真が共産軍に見つかると危険なため、父に止められたそうです。
 まもなくフエ市街と対岸を結ぶチュンティエン橋が共産軍によって爆破され、大人たちは共産軍が撤退を始めたと言いいました。この時すでに、逮捕された数千人のうち約900名が市内で殺害されていた事が後に判明します。人々は銃ではなく、鉈などで頭を割られて殺されていました。そして残る4000名の逮捕者は撤退する共産軍によって郊外に連行されました。
 共産軍が去ったのを見計らい、ブウ氏らフエ市民はすぐさま政府軍のいる方向に避難しました。しばらくすると前からアメリカ軍の黒人兵士が走ってきて、市民たちに「逃げろ!」と叫びました。市民たちはこれでようやく共産軍の恐怖から解放されました。
 一方、共産軍に連行された4000名の人々は行方知れずでしたが、間もなく郊外で全員虐殺された事が判明します。生存者は一人もおらず、遺体が遺棄された場所の捜索に一年間かかりました。結果22箇所の地中から遺体が見つかりましたが、遺体の多くは白骨化しており、遺族は残された衣服などから家族の亡骸を探し続けたそうです。
 それ以来、家族が集うベトナム民族にとって最も幸福な祝日であるはずのテトは、フエでは虐殺の日、家族の命日として記憶されており、当時を知る家庭では今でもテトは祝われず、帰省もしないとの事です。
 ベトナムの歴史上、血塗られた虐殺事件は幾度もありましたが、それらは全て、中国やフランスなど、外国によって行われたものでした。しかしベトコン、ホーチミンは同じベトナム人に対してそれを行ったのです。


カイン氏

 カイン氏は当時サイゴンの大学に通う学生で、社会奉仕団体でボランティア活動をしていたため、フエ奪還から一週間後、復興支援の為フエに赴きました。そこでカイン氏らが任されたのは、共産軍によって虐殺された人々の遺体捜索・回収でした。
 カイン氏によると、人々は地面から比較的浅い深さに、座ったような姿勢ですし詰め状態で埋められていました。外傷のある遺体は少なく、ほとんどが生き埋めにされて殺害されていました。地中から掘り出された遺体は腐乱しており、ある時は野犬が遺体から足をちぎり取っていったため、カイン氏が犬を追いかけて足を取り返すといった事もありました。
 二週間の捜索で数百の遺体を掘り出した後、カイン氏はサイゴンに戻りましたが、その後半年間は肉を食べられなくなりました。この経験でカイン氏は共産軍の残虐性を目の当たりにし、人生観が一変します。そして共産軍と戦うため、翌69年に政府軍に志願入隊しました。





戦後世代の声


ザカット氏

 ザカット氏はフエ出身で、両親祖父母がフエ占領を経験しました。戦後、フエ虐殺は共産党政府によって闇に葬られましたが、当時フエにいた者なら全員、共産軍によって何が行われたかを知っています。私は戦後生まれですが、家族から当時の話を聞いていました。


ウエン氏

 ウエン氏も両親祖父母がフエ占領の恐怖を経験しました。しかし多くの一般市民は戦後、共産党政府による弾圧を恐れてそれを口にする事は出来ませんでした。ウエン氏の両親も、娘に戦中の事を詳しくは話しておらず、戦後生まれのウエン氏は、学校で教わった共産軍の英雄的な物語を信じきっていました。ウエン氏が自国の真の歴史、家族の思いに気付く事が出来たのは、成長してインターネットで国外の情報に触れる事が出来るようになってからの事でした。



また懇談会では私も意見を求められたので、僭越ながらほぼ唯一の日本人参加者の視点から私の考えを述べさせていただきました。

映像: Hiệp Hội Người Việt tại Nhật



 1946年以来、数限りないテロで大量のベトナム人の命を奪い、今現在もベトナムを恐怖と暴力で支配しているベトナム共産党政権は依然として、このマウタンを解放戦争の英雄的な戦果として喧伝しています。
 欧米や日本はもちろん、世界中のほとんどの国々が民主主義を重んじている今日において、普通、非民主的な独裁政権のプロパガンダが真実として受け入れられる事はほとんどありません。例えば中国や北朝鮮政府による主張や宣伝を鵜呑みにする人はほとんど居ないでしょう。
 しかし非常に残念な事に、ベトナムに関してだけは、特定の思想によって都合良く作り出されたプロパガンダが多くの人々の思考を停止させる事に成功しており、ベトナム共産党(現ベトナム社会主義共和国政府)というテロ組織の主張や宣伝が無批判に受け入れられてしまっています。
 私はこの記事を読んでいる方に今一度、ベトナムという国に対する認識の再考をお願いしたく思います。これは単なる『外国の歴史』の問題ではありません。この記事にあるのは今現在日本に住んでいる隣人の声です。そしてその声に耳を傾けるか事が、日本を「どんな残虐な独裁政権でも都合よく解釈して好意的に見る恥知らずな国」から、「正義と人道を旨とする矜持ある国」へと挽回する唯一のチャンスです。大げさに聞こえるかもしれませんが、本来こんなのは50年前にやっておくべきだった事であり、私の世代はもう目をそらす事なく、この50年分の誤り・怠慢と向き合っていく必要があると考えています。





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