2022年12月01日
NKTおじさんコンバットマガジンデビュー
友人から連絡を受けて知ったのですが、コンバットマガジンの2022年12月号および2023年1月号に、当ブログで度々紹介している「NKTおじさん」ことファム・バン・ホア(米国名ホア・ファム)氏のインタビュー記事が掲載されました!
しかも2023年1月号では雑誌の表紙まで飾っています。

よく知っている人なので、書店でこの表紙を見て、つい吹き出してしまいました。
ホア少尉についてはこちらの過去記事をお読みください。
僕がホア少尉とリアルで会ったのは2回。
1回目は黒塗りのメルセデスにサングラス、スーツ姿で僕を迎えに来て、家に連れて行ってくれました。
なんでも、アメリカに移住した当時、アジア人はよくチンピラにからまれたので、舐められないよう映画ゴッドファーザーで見たイタリアンマフィアの服装を真似して、懐にはピストル(不法所持)を忍ばせていたそうです。それ以来、そういうスタイルが好みなのだとか。

この時、ホア少尉からブー・ディン・ヒュー著『Lực Lượng Đặc Biệt(特殊部隊)』と『Cuộc Chiến Bí Mật (秘密戦争)』全4巻の計5冊をプレゼントして頂きました。

当時LLĐBやNKTに所属したベテランの証言をまとめた本です。
なんでも、この本は在米ベトナム人コミュニティー内のみでの販売であり、どうせ一般のアメリカ人は読めないので、まだペンタゴンが機密指定解除していない情報も書いちゃった。てへっ
だそうです(笑)

2022年08月19日
ベトナム国産SMGアンモポーチ
先日、EA社からベトナム国産SMG用アンモポーチ(チェストリグ)のレプリカが発売されたので、早速購入しました。

このアンモポーチのレプリカが登場してくれるのを十数年間待っていた、と言うか、まさか本当に商品化される日が来るとは思っていませんでした。
EA社とは以前、代金を支払ったのに半年も商品を発送せず、結局注文キャンセルとなったというトラブルがあったので距離を置いていましたが、今回ばかりはこのレプリカを発売した心意気に感謝せざるを得ません。
ただし、また直接取引するのは嫌なので、今回は日本でEA社製品を扱っているベースエクスチェンジさんを通じて購入しました。

このアンモポーチはチェストリグ式ですが、ポーチが二つベルトで繋がっており、体の前後にポーチを下げるように出来ています。

またベルトを外してポーチ単体をピストルベルトに吊るす事も可能です。

なお、このポーチは当時の写真では(特に国家警察で)使用例が多数見られるものの、なぜか現存数は異様に少なく、長年インターネットを見回しても、まだ実物が紹介されている例は見たことがありません。
なのでEA社が実物を入手ないし細部を確認したとは考えにくく、このレプリカは当時の写真からおおよその形状を再現したものだろうと僕は考えています。
2022年07月21日
ViLT6級合格
6月に受験した実用ベトナム語技能検定試験(ViLT)の結果が、今日届きました。
(前記事『ベトナム語技能検定試験を受けてきました』参照)
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・
・
6級・準6級ともに合格です!!!

やった~!!!
実用ベトナム語技能検定試験には1級から準6級まであり、今回合格した6級のレベルはこんな感じ。

前記事でも書いたように、6級は僕にとってまだ難しい問題も多く、半分くらいしか解けた気がしなかったのですが、届いた得点結果を見てみると、意外にも筆記問題は7割取れてました。
リスニングはもっと自信なかったのですが、こちらもなんとか合格ラインの6割を超えてくれてました。(運もあると思います。)

僕はもともと、趣味を通じてほんの少しだけベトナム語の知識があったとは言え、実際にはごく基本的な単語も文法も知らない状態でした。
そんな状態からオンラインレッスンに申し込んで本格的に勉強を始めたのは今年の4月からですから、試験までの勉強期間は2か月ほどしかありませんでした。
またレッスンを始めた当初はそもそもこの試験の存在すら知らなかったので、勉強もこの試験を目標としていた訳ではなく、単に腕試し程度の気持ちで受験したのですが、意外にも一発で受かってしまいました。
これもひとえに、丁寧にレッスンをつけて下さった先生方のお陰であり、感謝でいっぱいです。
Xin cảm ơn các thầy cô nhiều ạ
2022年06月19日
ベトナム語技能検定試験を受けてきました
以前こちらの記事で、今年の4月から本格的にベトナム語の勉強を始めたと書きましたが、そのレッスンの中で先生から実用ベトナム語技能検定試験を受けてはどうかとお話がありました。
当初は、ただベトナム人の友達と会話できるようになりたいという気持ちだけでレッスンを受け始めましたが、せっかく勉強しているのだから試しに受けてみようという気持ちになり、さっそく試験申し込みと過去問集を購入。
そして今日、6級と準6級を受験してきました。

▲実用ベトナム語技能検定試験公式ページより
試験を終えた感想としては、準6級はほとんど余裕をもって回答できたので問題無さそう。と言うか、のべ90回もレッスンを受けててこれに落ちてたら恥ずかしくて先生たちに顔向けできません。
問題は6級。6級から急に問題が難しくなるので、過去問やってる段階で、合否は半々な感じがしてました。特にリスニングと長文読解はまだ僕には難しく、結局半分くらいは運任せで適当な回答をマークしました。
ただし合否基準はリスニング・筆記それぞれ65%なので、運が良ければ合格点に達しているかもしれません。
結果発表は7月下旬だそうですので、結果が出たら報告します。
ちなみに僕が使っている教材はこちら。

オンラインレッスンで使っている教材
・ベトナム語レッスン中級←今ここ
試験対策
実のところ、ベトナム語技能検定の6級の段階では、文法は簡単なものしか出でこないので、文法の面では『ベトナム語レッスン初級1』だけでカバーできてしまう気がします。
ただしベトナム語技能検定には出題範囲というものが存在せず、テキストの中から出題される訳ではないのが、この試験の難しいところ。
特に単語に関しては、手持ちのテキストには出てきていないものも試験に出題されるので、突然現れる新しい言葉にいちいち思考停止してしまいます。。。
写真にある『ベトナム語が面白いほど身につく本』は、僕が本格的なベトナム語学習を始める前に買った本で、内容的には初歩中の初歩ですが、要点がまとまっいて分かりやすい便利な本です。
オンラインレッスンを始めた後も、自分でベトナム語の文章を書く時などは、テキストよりもこちらの方が使い勝手が良かったりします。
あと昔、話のネタとして買ったのがこちらの『男と女のベトナム語会話術』

ナンパに始まりエロトークや卑猥な単語集も収録されてるので、ベトナム人男性に見せると毎回爆笑を取れる優秀なネタ本です。
ただし当のベトナム人が言うには、「こんな言い方しないよ」という変な例文がけっこう多いそうです。
また例文には日本人向け(=ベトナム人ネーチャンをナンパするため)にカタカナが振ってありますが、実際にはベトナム語をカタカナ読みしても99%通じないので、例え全ての例文を暗記しても、その発音が正しくなければ一つも言葉として機能しません。
また相手の言葉を聞き取り理解できなければ、会話も成り立ちません。
結局は地道に、ベトナム語の発音とリスニング、語彙という基本的な会話能力を身に着けるしかなさそうです。
2022年04月01日
ベトナムロケから帰国
実は3月中盤から約2週間ベトナムに行っており、本日、日本に帰国しました。
(エイプリルフールじゃないですよ。笑)
前回のベトナム訪問同様、安全のため日本に帰国するまでは一切の情報を伏せていました。
【2016年のベトナム訪問】
ビエンホア国軍墓地
https://ichiban.militaryblog.jp/e789059.html
スンロクの戦跡
https://ichiban.militaryblog.jp/e789541.html
ベトナム戦跡めぐりダイジェスト
https://ichiban.militaryblog.jp/e790372.html
今回はアメリカ在住の友人がプロデュースする、南のベトナム人から見たベトナム戦争をテーマとする映像作品制作が主たる目的であり、僕もそのロケに同行して一部出演してきました。
内容は主にベトナム各地の史跡訪問やベテランへのインタビューですが、一部当時の軍装を再現して、戦時中の再現ビデオ、つまりリエナクト撮影も行いました。
現在の社会主義ベトナムでは、例えアマチュアであってもベトナム共和国時代をテーマとする取材は危険ですし、まして軍装を着て撮影なんて完全アウトなので、警察の目の届かない私有地や田舎の田んぼで撮影しました。




まさにベトナムその地なので、本当にこれ以上ないロケーション。
かつて埼玉の普通の高校生がナム戦コスプレサバゲを始めてから18年。運命に導かれてついにここまで来てしまいました。なかなか感慨深いです。
撮影で巡った場所などについては、おいおい記事にしていきます。
まずは、無事日本に帰ってこれた事の報告になります。
実は僕は出発前、日本での生活に未練なんか無いので最悪向こうでくたばっても構わない、くらいの気持ちで出国したのですが、いざ羽田に帰ってきて高速道路から満開の桜を見たら、なぜか急に感動しちゃったんです。
何だかんだ言って、僕の故郷はこの国だったようです。
あと、便所にトイレットペーパーが置いてあるってだけで十分素晴らしい事。
(エイプリルフールじゃないですよ。笑)
前回のベトナム訪問同様、安全のため日本に帰国するまでは一切の情報を伏せていました。
【2016年のベトナム訪問】
ビエンホア国軍墓地
https://ichiban.militaryblog.jp/e789059.html
スンロクの戦跡
https://ichiban.militaryblog.jp/e789541.html
ベトナム戦跡めぐりダイジェスト
https://ichiban.militaryblog.jp/e790372.html
今回はアメリカ在住の友人がプロデュースする、南のベトナム人から見たベトナム戦争をテーマとする映像作品制作が主たる目的であり、僕もそのロケに同行して一部出演してきました。
内容は主にベトナム各地の史跡訪問やベテランへのインタビューですが、一部当時の軍装を再現して、戦時中の再現ビデオ、つまりリエナクト撮影も行いました。
現在の社会主義ベトナムでは、例えアマチュアであってもベトナム共和国時代をテーマとする取材は危険ですし、まして軍装を着て撮影なんて完全アウトなので、警察の目の届かない私有地や田舎の田んぼで撮影しました。




まさにベトナムその地なので、本当にこれ以上ないロケーション。
かつて埼玉の普通の高校生がナム戦コスプレサバゲを始めてから18年。運命に導かれてついにここまで来てしまいました。なかなか感慨深いです。
撮影で巡った場所などについては、おいおい記事にしていきます。
まずは、無事日本に帰ってこれた事の報告になります。
実は僕は出発前、日本での生活に未練なんか無いので最悪向こうでくたばっても構わない、くらいの気持ちで出国したのですが、いざ羽田に帰ってきて高速道路から満開の桜を見たら、なぜか急に感動しちゃったんです。
何だかんだ言って、僕の故郷はこの国だったようです。
あと、便所にトイレットペーパーが置いてあるってだけで十分素晴らしい事。
2022年01月02日
陽暦節2022
明けましておめでとうございます。



また今年も元日に、いつものベトナム寺に陽暦節の初詣に行ってきました。
お寺でふるまわれる精進ブン(米粉麺)には、お好みで唐辛子の調味料を入れることができるのですが、この調味料が異様に辛いです。なんか辛み成分が濃縮されている感じで、見た目の数倍辛いです。
僕はいつも控えめに入れているつもりなのに、それでも辛くなりすぎます。今回もつい入れ過ぎてしまいました。
なのでこの日は気温5℃で風も強く、器を持っている手は凍えているものの、額だけは汗をかきながら食べることとなりました。
年末に作った物の続き
友人に着用してもらうため、MACVハンガーバッジに続き、ベトナム軍の上級降下章(Bằng Nhảy Dù Cao Cấp)も製作しました。
降下章については過去記事『戦技系技能章』参照
まず手持ちの降下章(基礎)レプリカをおゆまるで型取る。

型にプラリペアを流し込むと同時に、太さ1.2mmのステンレス針金を足として埋め込む。
また今回は上級降下章なので、上級を示すヤシ葉のデバイスをエポキシパテで自作。

ヤシ葉をくっつけて塗装したら完成!

あまり出来の良くないレプリカからの複製なので見苦しい点はありますが、コスプレ用の間に合わせとしては見れるレベルかなと。
2020年12月31日
2020年の思い出
毎年年末にやっている、一年の思い出を振り返る回です。
今回でこのブログを始めて6回目の年末ですか。案外続くものですね。
1月
その1 ベトナム寺で陽暦節(グレゴリオ暦正月)初詣
僕は10年前からこのお寺に初詣に行っていますが、在日ベトナム人の急増に伴い、年々装飾が豪華になって行ってますね。
それでもここは元々難民系の寺なので、信徒の布施でやり繰りしており、まだ控えめな方。
日本国内にはベトナム大使館=ベトナム共産党が金を出して作った寺もいくつもありますが、あっち系は宗教を隠れ蓑にした政府の情報機関なので、予算も組織も桁違いに大きいです。そんな寺には行かないけど。
1月
その2 タイの友達と上野で銭湯

いつも日本やタイで遊んでくれている日本軍マニアのタイの友人が仕事で日本に来たので、仕事帰りに上野で落ち合いました。
アメ横で馬刺しを食べ、その後、歩いて台東区三筋にある三筋湯という銭湯でひとっ風呂浴びてきました。
お互い仕事があるので今回は一日遊ぶ時間は取れませんでしたが、まぁ、しょっちゅう会ってるので、また今度ゆっくり会いましょう・・・とお互い思ってたら、この後コロナで世界が大変な事になってしまい、しばらく会えそうにありません。

ひと月で2回もお正月がありました。出し物の舞いを披露していたお寺の信徒のお姉さんと記念撮影。
2月
二人インドシナ撮影会

どこかのアホが河原に犬の糞を放置していったので、あわや踏みそうに。
せっかくなので地雷処理ごっこしましたが、まだ新しいやつだったので、この距離でも十分臭かったです。
3月
特に何も無し
4月~5月
パンデミックが本格的に襲来。
本年3月19日に永眠されたレ・ミン・ダオ中将を偲ぶ追悼式を計画したものの、緊急事態宣言を受けやむを得ず中止に。
さらに1年前から楽しみにしていたMVGまでも中止。
そのフラストレーションから、自宅待機をしている間、ひたすら軍装品の改造に没頭しました。
・HT-1のスリング
・カーキTCU型ジャケット
・FANK隠しボタン2ポケットジャケット
・ERDL迷彩服
・カーキ作戦服
・カーキ4ポケットジャケット
https://ichiban.militaryblog.jp/e1029882.html
・夏季勤務服
・フランス軍モデル44/46外出服
・初期ERDL迷彩服
・第1空挺大隊ベレー章
・K-2Bフライトスーツ
・ラオス王国軍勤務服
・モシャハット
5月
二人撮影会
https://ichiban.militaryblog.jp/e1033172.html

緊急事態宣言解除を受け、ようやく屋外で撮影会を再開できました。
6月~7月
ステイホーム期のテンションそのままに軍装改造を継続。
・迷彩ヘルメット
https://ichiban.militaryblog.jp/e1034703.html
・K-2Bフライトスーツ
・タイガーストライプ迷彩服
・CISOラックサック
7月
その1 動画撮影会

ひさしぶりに(僕らとしては)大人数が集まった回でした。
7月
その2 空軍撮影会

念願だった空軍フライトスーツ合わせがついに実現。
8月
特に何も無し
9月
インドアサバゲー開催

普段着る事の無い軍装(?)を着るのは良い気分転換になりました。
10月
ダニエルおじさんの妹さんの誕生日祝い

よく考えたら、ひとの誕生日に花束とプレゼントを持って祝いに行くなんて、人生初かも知れない。
11月
教練&撮影会

教練のために、この黒板自作したんです。ホームセンターで買った合板に黒板シートというものを貼っただけですけど、けっこう雰囲気出せたかなと思います。
12月
バーベキュー忘年会

元々はレンタルスペースを使っての制服撮影会兼パーティーを企画していたのですが、またコロナが広がってきてたせいで、屋内での開催には不安がぬぐえず、結局河原でバーベキューする事となりました。
しかし当日は天気がとても良くて風もなく、12月末とは思えない穏やかな陽気。久しぶりに、心の和む一日でした。
今、世界は、1年前には誰も予想しなかったとんでもない状況に陥っていますが、どんな悪夢にも終わりはやってくると信じたいものです。
また来年のこの時期に1年を振り返った時、自分はどんな気持ちでいるのか。
現段階ではあまり良い予想は出来ないのですが、とは言え、それもまた想像でしかありません。
とりあえず、明日には否応なしに始まる2021年の日々を、あまり先回りすることなく、一歩ずつ踏みしめて生きて行ければと思います。
それでは皆様、どうか良いお年をお迎えください。
2020年12月12日
レプリカ英雄章飾緒
先日、ベトナム軍の『英勇章飾緒(Dây Biểu Chương "Anh Dũng Bội tinh")』のレプリカの新製品が発売されたので、さっそく注文してみました。
飾緒の詳細については過去記事『英勇章部隊感状と飾緒について』参照
さっそく実物と見比べてみます。
左が実物(ペンシル欠損)、右が今回のレプリカ

こうして並べてみると、紐の赤い模様の部分の色が薄く、どちらかと言うと赤よりもピンク色に見えます。
しかし実物も日焼けして色落ちする事はよくあるので、単体で見れはほとんど気にならないレベルだと思います。
また、この新レプリカの一番素晴らしい点は、おそらくレプリカとして初めて、紐の太さ・長さがほぼ実物通りに再現された事です!
左から実物、新レプリカ、従来のレプリカ

見ての通り、従来のレプリカは太さ長さ共に実物の1.5倍ほど大きく、再現度的にはあまり良くない物でした。
それが今回のレプリカでようやく、実物とほとんど同じ寸法で再現されたのです。ありがたい事です。
ちなみにうちの実物の英勇章飾緒は、買った時点でペンシルが無くなっていたので、何かサイズの合う代用品はないかと長年探していました。
そこで、今回の新レプリカは付いているペンシルのサイズも丁度良いので、これを外して実物のレストアに使ってしまおうと思ってます。
んで、うちには英勇章飾緒とは別にもう一本、『保国勲章飾緒 (Dây Biểu Chương "Bảo Quốc Huân Chương")』の実物があるので、それに付いてるペンシルから型を取り、プラリペアで複製した物を、その新レプリカに取り付けようと考えています。
どうせレプリカなので、見た目さえ悪くなければペンシルの素材はプラスチックでも何でも良いです。
また作る物が増えちゃって、いつやる気になるか分かりませんが…
飾緒の詳細については過去記事『英勇章部隊感状と飾緒について』参照
さっそく実物と見比べてみます。
左が実物(ペンシル欠損)、右が今回のレプリカ

こうして並べてみると、紐の赤い模様の部分の色が薄く、どちらかと言うと赤よりもピンク色に見えます。
しかし実物も日焼けして色落ちする事はよくあるので、単体で見れはほとんど気にならないレベルだと思います。
また、この新レプリカの一番素晴らしい点は、おそらくレプリカとして初めて、紐の太さ・長さがほぼ実物通りに再現された事です!
左から実物、新レプリカ、従来のレプリカ

見ての通り、従来のレプリカは太さ長さ共に実物の1.5倍ほど大きく、再現度的にはあまり良くない物でした。
それが今回のレプリカでようやく、実物とほとんど同じ寸法で再現されたのです。ありがたい事です。
ちなみにうちの実物の英勇章飾緒は、買った時点でペンシルが無くなっていたので、何かサイズの合う代用品はないかと長年探していました。
そこで、今回の新レプリカは付いているペンシルのサイズも丁度良いので、これを外して実物のレストアに使ってしまおうと思ってます。
んで、うちには英勇章飾緒とは別にもう一本、『保国勲章飾緒 (Dây Biểu Chương "Bảo Quốc Huân Chương")』の実物があるので、それに付いてるペンシルから型を取り、プラリペアで複製した物を、その新レプリカに取り付けようと考えています。
どうせレプリカなので、見た目さえ悪くなければペンシルの素材はプラスチックでも何でも良いです。
また作る物が増えちゃって、いつやる気になるか分かりませんが…
2020年11月22日
新作シーウェーブ
先日香港のIllusion militariaから発売されたベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服のレプリカがついに手元に届きました。
今回モデルアップされたのは数あるザーコップ系迷彩の中でも、1967年頃から海兵隊で支給が開始された、通称『VMD/シーウェーブ』パターンです。
ちょうどこのパターンが導入された直後に、海兵隊はマウタン1968(テト攻勢)やカンボジア進攻など有名な激戦に投入されました。
そのせいか、シーウェーブは(アドバイザーを除き)アメリカ軍には使用されていない割にはマニアの間でも比較的人気の高いパターンの一つであり、過去に何度もレプリカが販売されてきました。
そこで今回は、某豊〇氏の協力を得て、シーウェーブの実物、過去のレプリカ、そして新発売のイリュージョン製を比較してみました。

まず古いレプリカから。
たぶん、ずいぶん前にフランスのコレクターグループが製作したものだと思われます。
その後、このレプリカのパターンをコピーしたものが中国やアメリカ、ベトナムなどで生産されました。
(コピーからのコピーを繰り返しているため、最新のベトナム製は、もはやまったくの別物になり果てています)

ぱっと見の雰囲気は悪くないのですが、こうして実物と見比べてみると、パターンの一部が再現しきれず、それっぽく想像で描いている事が分かります。

そして次が、今回発売されたイリュージョン製。

パターンに大きな欠損はなく、ほぼほぼ再現されています。
黒縞の色はけっこう青っぽいですが、こうして実物と見比べない限りは、そんなに気になるレベルではないと思います。
またレプリカの生地は大抵厚くなりがちですが、こちらは実物とほぼ同じか、若干薄いくらいペラペラで良い感じです。
またボタンも、さすがに低品質な当時物のようなバリは無いものの、厚さや色合いは忠実に再現されており、とても雰囲気が良いです。

いや~、これは買って良かったです。
まだこの服に付ける徽章が揃ってないので、縫い付けは後日のお楽しみ。
ベトナム海兵隊隊歌『海兵隊行進曲』
2020年05月01日
4月30日に際して
2019年:
サイゴン陥落の殉難者
正直、こんな零細ブログを何年書き続けようが、どうせ日本人の脳裏に刷り込まれたステレオタイプなベトナム史・ベトナム戦争観は今後も変わる事は無いだろうという諦めは年々募っております。しかしそれでも、当のベトナム人たちからは、私を応援する声を常に頂いておりますので、彼らに向けた言葉だけは絶やさないようにしています。

2016年、私はベトナムの友人たちと共に旧ベトナム共和国ビエンホア軍人墓地を参拝し、在日本ベトナム共和国軍伝統保存会の代表として、戦争で亡くなったベトナム共和国の軍人・市民に追悼を捧げました。
今日、私たちはベトナム戦争終結から45年を迎えます。そしてこの日、私は「平和」の意味について思いを馳せます。1975年にベトナム戦争は終結しました。しかし私の目には、1945年以来多くの善良なベトナムの人々が望んでいた平和は、いまだにベトナムには訪れていないと感じています。
いつの日か、あの墓地に眠る霊たちが、真の平和の中で安らかに眠れる日が来ることを祈ります。
Năm 2016, tôi đến thăm Nghĩa trang Quân đội Biên Hòa của Việt Nam Cộng Hòa cùng các bạn người Việt. Và tôi đã bày tỏ sự tưởng nhớ đến những người trực thăng và công dân của VNCH với tư cách là đại biểu của Hội Bảo Tồn Truyền Thống QLVNCH tại Nhật.
Hôm nay chúng tôi đã đạt được 45 năm kể từ khi kết thúc Chiến tranh Việt Nam, và tôi nghĩ về "hòa bình" nghĩa là gì. Chiến tranh đã kết thúc. Tuy nhiên, trong mắt tôi, Việt Nam chưa có được một hòa bình mà nhiều người tốt đã mong muốn kể từ năm 1945.
Tôi cầu nguyện các linh hồn ở nghĩa trang đó sẽ ngủ yên với hòa bình thật một ngày nào đó.
In 2016, I visited the Bien Hoa Military Cemetery of the Republic of Vietnam with my Vietnamese friends. And I paid our tribute to the memory of the fallen heloes and citizens of the Republic Of Vietnam as the delegate of the RVN Armed Forces Preservation Association in Japan.
Today we reached 45 years from the end of the Vietnam War, and I think about what "peace" means. The war is over. However, in my eyes, Vietnam don't get yet a peace what many good people have been wishing since 1945.
I pray that the spirits in that cemetery have rest in the true peace someday.

2020年01月03日
2020年陽暦節
新年あけましておめでとうございます。
そして三が日最終日、こちらの初詣にも。

今年も例年通り、日付が変わると同時に地元の氏神様をお参りし、お昼にいつものベトナム寺にも初詣に行ってきました。
お寺の公式チャンネル
東アジア・東南アジア全域で広く親しまれており、ベトナム語では「ムアサップ(Múa Sạp)」と呼ばれる、
リズムに合わせて竹の間をケンケンパする遊びを僕も友人とやってきました。
僕はこの遊び、たぶん保育園時代にやって以来です。
今年のテト(元旦節)は1月25日と早いから、あと3週間もすれば、またお正月が来るんですよね。
僕がこのお寺に初詣に来るようになって今年で8年目ですが、年々参拝者も増え、飾りも豪華になっていきますね。
でもこれは、手放しで喜べることではありません。
つい10年前まで、日本に住んでいるベトナム人のほとんどは、インドシナ難民として来日した1万人足らずでした。
ところが近年、日本政府は「人手不足だから(=日本人の給料上げる気はないだけ)」と、なりふりかまわず技能実習生という名目の出稼ぎ労働者を年間8万人呼び込み、留学生がバイト漬けになる事を最初から見込んで労働力確保のために留学ビザを発給しまくり、ついに在日ベトナム人の数は35万人を超えました。
日本という国は、もうベトナム人無しにはやっていけない国なっています。日本政府が、そうしてしまいました。
でもはたして日本社会は、ベトナムの事をどのくらい分かっているんでしょうかね。
僕は、たまにはベトナムの明るい面も見ておきたいので度々このお寺に参拝しておりますが、そうでもしないとマジで関わるのが嫌になるくらいベトナムには暗い面が沢山あります。
本当にベトナムを理解するのであれば、「ベトナムの人々は貧しくても心は豊か」などと言う日本人特有のアホな幻想を捨てて、60年以上続くベトナム共産党独裁政権の下で庶民から政府レベルまでモラル・道徳が荒廃した現在のベトナムの実態にもっと目を向けるべきだと考えます。
その辺は僕の別ブログ『ベトナムウォッチ』で記事にしていますので、是非ご高覧下さい。
そして三が日最終日、こちらの初詣にも。

ラーメン二郎越谷店 ラーメン小「ニンニク、アブラ」で今年の二郎お食い初め。
2019年10月29日
ベトナム空挺81名の遺骨 54年の時を経て米国ベトナム人墓地に埋葬
ベトナム戦争最中の1965年12月11日、4名の米空軍搭乗員および81名のベトナム陸軍空挺隊員を乗せた米空軍のC-123輸送機がベトナム共産軍の攻撃を受けて撃墜され、計85名の将兵が死亡しました。しかし墜落地点は南北両軍が断続的に戦闘を繰り返す激戦地であり、現地での遺品・遺骨回収が行われたのは墜落から9年後の1974年の事でした。
回収された遺骨は個人の特定が困難であったため一つの大きな保管箱に収められ、タイ バンコクの米軍JCRC(統合遭難者解決センター)に移送されます。その後、医学的調査によって4名のアメリカ人搭乗員分については遺骨が特定され、無事米国本土に戻され埋葬されました。
しかし残る81名のベトナム人兵士については、当時の米軍の飛行記録にベトナム軍部隊に関する詳細な記録が残っていなかったこと、また1975年にベトナム共和国政府が消滅し、確認すべき資料も散逸してしまっていたことから、この兵士たちが「ベトナム陸軍空挺師団所属者」である事以外は不明なままでした。
その後、彼らの81名の遺骨は1986年に米国ハワイ州の米軍捕虜・行方不明者調査機関 JPAC(統合捕虜・不明者対策コマンド)に送られます。以後、米国政府は遺骨を彼らの故郷ベトナムの地に返すべく、ベトナム共産党政府に対し二度も遺骨の返還を申し出ましたが、今もなお旧南ベトナム軍人を売国奴と宣伝し迫害し続ける共産党政府は、二度ともこれを拒否します。さらに遺骨はアメリカ軍人ではないため米軍墓地に埋葬する事も出来ず、81名の遺骨は忘れ去られた存在として33年間もハワイで保管されつづけました。
事態が動いたのは墜落から52年後の2017年でした。いくつかの米国メディアがハワイに保管されていたこの遺骨を「国の無い兵士」として取り上げた事をきっかけに、在米ベトナム人コミュニティーが遺骨の存在を知り、その埋葬に関して米軍との交渉を開始します。その結果、遺骨はカリフォルニア州オレンジ郡のウェストミンスター市・ガーデングローブ市にまたがる世界最大のベトナム人街=リトル・サイゴンにあるベトナム人墓地に埋葬される事が決定し、遺骨が納められた箱は2019年9月に米空軍機によってハワイからカリフォルニアに移送されました。

Photo: USA TODAY Soldiers without a country: We're finally honoring South Vietnamese who fought with us
そして去る10月26日、米軍・在米ベトナム人コミュニティー合同の埋葬式典がリトル・サイゴンのベトナム戦争記念碑前で執り行われました。
Photo: Hoa Pham / Facebook
米軍の調査では、彼ら81名の所属は「空挺師団」という所までしか分かりませんでしたが、在米ベトナム人コミュニティーは元ベトナム軍人のネットワークを通じて独自の調査を行い、より詳細な所属は空挺師団の「第7空挺大隊 第72中隊」であった事を突き止めました。
DNA検査による確実な個人の特定までには至らなかったものの、こうして所属部隊が判明した事で、行方不明となった時期と照らし合わせ、その遺骨の中に自分の家族が居るはずと、式典では故人の遺影を手に参加する元ベトナム難民の姿も見られました。
こうして彼ら第72中隊81名の兵士たちは、その死から54年の時を経て、ついに自分たちを迎えてくれる同胞の住む街で、彼らの祖国への奉仕、そして犠牲への感謝と共に埋葬される事が叶ったのでした。
一方、かつて戦場となったベトナム、ラオス、カンボジア(特に山岳地帯)の地中には、まだまだ大量の兵士や民間人の遺骨が、誰にも知られる事なく埋まったままでいます。そういった人々と比べると、今回の81名はまだ幸運だったと言えるかもしれませんが、そんな彼らでさえ、埋葬されたのは生まれ故郷から1万2000km以上離れた異国の地です。
残念ながら彼らベトナム軍人が命がけで守ろうとした祖国ベトナムとベトナム国民は、今日においても依然、ベトナム共産党による恐怖政治と中国による間接支配の下にあります。
いつの日か彼らの霊が浮かばれる事を願って、これからも私はベトナムの歴史をリアルタイムで見つめ続けます。
2019年09月13日
ルオン少将と特科隊旗
去る9月5日、自衛隊と在日米軍の共同訓練(年次演習) 『Orient Shield 2019』が開始され、熊本県の健軍駐屯地にて訓練開始式が執り行われました。開始式には陸自西部方面総監の本松陸将と在日米陸軍(USARJ)司令官のルオン少将が出席しました。

ルオン少将(左)と本松陸将(右)
[Photo: US Army]
この演習は毎年行われているのですが、今回の開会式の映像は、ネット上のベトナム人の間でちょっとした話題になりました。

[Photo: US Army]
もう想像はつくと思いますが、ベトナム人の間では、
「なぜ日本軍がベトナム国旗(1948-1975)を掲げているんだ!?」
「ルオン将軍はベトナム共和国出身だから、きっと日本人はルオン将軍に敬意を示しているんだ!」
などなど、憶測が飛び交っています。
実際には、自衛隊がもう存在しない国家の国旗を掲げるはずもなく、これは陸自の特科群の隊旗であり、黄色地に赤い3本線のデザインが、たまたまベトナム国旗と酷似していただけです。

ちなみに上の図(右側)の『ベトナム国旗に共和国軍のシンボル(1967年以降)である鷲の紋章が描かれた図柄』は1975年まで、軍に関係する様々な場で用いられましたが、実際のベトナム共和国軍の正式な軍旗は、国旗柄ではなく、黄色単色に四隅のオリーブが描かれたこちらのものでした。(四隅のオリーブのデザインはフランス軍旗から継承されている)

ベトナム共和国軍旗 [Huấn Lệnh Điều Hành Căn Bản (1969)より]
これ以前にも、この陸自特科群の隊旗については度々ベトナム人から質問を受けていたので、この機会にベトナム人に向けて、Facebook上でこの旗の正体について説明をしました。辞書を使いながらの拙いベトナム語ですが、なんとか意味は伝わったと思います。
Tôi thường được bạn bè người Việt hỏi về lá cờ vàng này ở Nhật.
Đây chỉ là một cờ đội của Lực lượng Phòng vệ Mặt đất Nhật (Lục quân Nhật). Màu vàng có nghĩa là "Pháo binh" và ba đường ngang là "Liên đoàn". Và thiết kế (Sakura) đặt ở trung tâm của lá cờ là biểu tượng của Lục quân Nhật.
Trong trường hợp này, cờ này người lính Nhật có nghĩa "Liên đoàn Pháo binh". Vì vậy, Lục quân Nhật có cờ đội đủ thứ màu sắc và đường kẻ. Ví dụ: một cờ hai đường ngang trắng trên nền đỏ là một Tiểu đoàn Bộ binh.
Tuy nhiên, tôi cảm cờ này đã được trình bày cho Tướng Lương Xuân Việt sinh ở VNCH lá một ngẫu nhiên thú vị.
[日本語訳]
私は度々ベトナム人の友人から、日本のこの黄色い旗について質問を受けます。
これは陸上自衛隊の隊旗の一つです。黄色は特科(砲兵)を意味し、赤い三本線は群(または指揮官が一佐)の部隊を示します。そして旗の中心の紋章(サクラ)は陸上自衛隊のシンボルです。
なのでこの場合、写真の日本人兵士が持っている旗は特科群の隊旗です。陸上自衛隊にはこれ以外にも、様々な色や線の本数の隊旗があります。例えば赤地に白二本線は普通科(歩兵)大隊です。
しかし、この(ベトナム共和国国旗によく似た)旗が、ベトナム共和国出身のルオン少将の前で掲げられた事は、非常に興味深い偶然だと私は感じています。
ちなみに以前、僕の友達の在日ベトナム人たちは、キャンプ座間の中にあるルオン少将の家(戸建て米軍住宅)でのパーティーにお呼ばれして、遊びに行ってました。
僕も何かの間違いで呼ばれたりしないかなぁ。中佐までは遊びに行ったことがあるけど、さすがに将官は無理か(笑)
※2019年9月15日 誤字訂正
Posted by 森泉大河 at
18:56
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2019年05月01日
サイゴン陥落の殉難者
2017年: グレイタイガーの4月30日
2018年: 不覚にも書けず
今回は、もう4年近く前に行った場所についてですが、改めて記事にさせて頂きます。
私は2015年にベトナム共和国傷痍軍人支援チャリティーコンサートを取材するためアメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼを訪れた際、会場近くにあったベトナム難民博物館「ヴェト・ミュージアム」にも訪問しました。
(この時のアメリカ紀行はこちら)
北米之旅二日目(その一) サンフランシスコ
北米之旅二日目(その二) サンノゼ

サンノゼで私をお世話して下さったグエン・バン・フェップ元NKT少尉とヴェト・ミュージアム前で
この時は残念ながら閉館日であったため中を見学する事は出来ませんでしたが、博物館の前には、1975年4月30日の敗戦およびその直後に自決または共産軍に処刑された多くのベトナム共和国軍将兵・警察官の中でも、特に有名な7名のベトナム共和国軍将官・将校を顕彰する記念碑が建立されていたので、手を合わせてきました。


[肖像に描かれた7名]
左から
グエン・バン・ロン中佐
チャン・バン・ハイ准将
レ・グエン・ビイ准将
グエン・コア・ナム少将
レ・バン・フン准将
ファム・バン・フー少将
ホー・ゴック・カン大佐


碑文にはこう綴られています。(英語版から翻訳)
この記念碑は1950年から1975年のベトナム戦争において、自由を守るために多大な犠牲を払った数百万人のベトナム共和国市民を顕彰するものである。この戦いの中で数十万もの軍人、市民、政府職員および公務員が戦場で、あるいは共産政権下の収容所で命を落とした。また数百名もの将兵が、共産軍への降伏を拒み自決を選択した。この記念碑には、自決を選んだ、あるいは共産政権に処刑された7名のベトナムの英雄の肖像が描かれている。彼らの高潔な死は、ベトナム共和国軍人の愛国心と不屈の精神を象徴している。この記念碑は1975年4月30日の南ベトナム陥落の語り部である。2014年4月―サンノゼ市歴史公園
終戦から44年。いつになったら世界はベトナム戦争を各々の感情論を正当化するための手段として都合よく利用し続けてきた事実を認める勇気を持てるのだろう。アメリカにも日本にも、数えきれないほどの学者や知識人、報道関係者がいるのに、そのほとんどはベトナム戦争を『(アメリカを批判するための)アメリカ中心主義』の色眼鏡を通して捉え、人間の人生・生命の価値に優劣をつける悪質な言論ごっこを60年間も繰り返してきた。ベトナム戦争に限って言えば、単に無感心な人の方がよっぽど罪は軽い。
2019年01月14日
年明けの近況
だいぶ時間が開いてしまいましたが、あらためまして、皆さまあけましておめでとうございます。
年末年始はなにかと忙しくて、例の軍装ガイド「ベトナム共和国軍軍装史」は可能な限り進めるようにしていましたが、他の趣味関係は何もしないまま元日から二週間も経ってしまいました。
ベトナム軍装史
ベトナム軍装史については、去年、「なんとか年内に完成させる」と宣言しましたが、結局完成には至りませんでした。待っていただいている方には本当に申し訳ありません。
言い訳になりますが、この本ではインドシナに復帰したフランス植民地内にベトナム人部隊が再組織された1945年から、共産軍がサイゴンを占領してベトナム共和国政府が滅亡する1975年までの30年分の携帯火器・個人装備を網羅する事を目標にしています。
また扱う部隊の範囲も陸軍正規部隊だけでなく、フランス軍内のベトナム人コマンドからMACV-SOG指揮下のNKTコマンドも含めているので、イラスト化すべき物品があまりに多すぎて、そもそも年内完成という見通しが甘すぎました。
(特殊部隊の装備は別の号にしようと何度も考えましたが、SOGがNKTに支給したSTABOやV40グレネードなどいかにも特殊部隊っぽい装備の多くが、実は1970年代に入るとベトナム陸軍の一般部隊でも使われるようになっており、確実に「特殊部隊限定」と言えるような装備などほとんど無い事が分かってきました。そのため一冊にまとめざるを得ないのです)
以下、現状でほぼ仕上がってるページをすこしチラ見せいたします。



あれもこれもとアイテムを書き足しているうちに現状でページ数が39ページにまで増えてしまいましたが、どうせ発表するからには自分自信満足のいくものを作りたいので、ページ数はまだ増える見込みです。
神風航空団パッチ
先日、サイゴンに住んでいる知人から、仲間内でレプリカパッチを作ったから一枚あげると連絡があり、今日そのパッチが届きました。

ベトナム空軍第83特殊作戦航空団『神風(Thần Phong)』です。

神風部隊と言えば空軍司令時代のグエン・カオ・キ少将(後の副総統)が直接指揮し、時にはキ将軍自ら愛機のA-1スカイレイダー攻撃機を駆って出撃した事でも知られる、ベトナム空軍で最も目立っていた航空団ですね。
同航空団所属のスカイレイダーに描かれているノーズアートについては過去記事参照。
ベトナム寺で念仏フルコース
昨年11月に亡くなった恩人の四十九日法要の翌日、ご遺族と一緒にベトナム寺で定例の念仏会に参加してきました。
僕は実家の菩提寺ですら、墓参りに行くだけで本堂に入って拝んだ事の無い不束者ですが、誘われるとなんでもホイホイ付いていっちゃう性格なので、今回ベトナム寺で法衣着てベトナム語のお経を読むことで念仏デビューと相成りました。
何時間読んだか分からないNam Mô Bổn Sư Thích Ca Mâu Ni Phật (南無本師釈迦牟尼仏)
念仏会は9:00~19:00まで、途中休憩をはさみつつ10時間続きました。何時間もお経を読み続けるというのはなかなか体力を使うもので、初めて参加する身としては、けっこう過酷です。
この念仏会は毎週日曜に開催されており、信徒全員が毎週来ている訳ではありませんが、それでも会で知り合った若い女の子ですら、月に一回は来ていると言っていました。
自分は今まで仏教徒のつもりで生きてきましたが、お寺に来てる他のベトナム人信徒と比べると、墓参りと葬式でしかお寺と接点が無い僕なんか、仏教徒と名乗るのが恥ずかしいレベルですわ。
しっかし、このお寺で出される精進料理は全部美味しいです。年配の人が多かったので、余ったおこわを僕が全部平らげましたが、そのせいで午後が眠くてたまりませんでした。
Posted by 森泉大河 at
02:26
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2018年11月12日
SESSIION限定配信記事
※2019年11月24日追記
これまで複数の方々にご支援いただいておりましたが、時間と気力の問題から、定期的に限定配信記事を書くという約束を守る事が出来なくなったため、SESSIIONでの支援募集は中止いたしました。誠に申し訳ございません。
クリエーター支援サイトSESSIIONにて記事の配信を始めてからはや三ヶ月が経ちました。
これまで当ブログにコメントを頂いていた読者の方々に加え、なんと中国に住むベトナム共和国軍マニアの方からも、日本語が読めないのにもかかわらず私の執筆活動を応援したいとSESSIIONを通じてご支援を頂くようになり、感謝の念に堪えません。
SESSIIONでは当ブログ「一番槍BLOG」を書くための資料や考察・下書きに加えて、今後もインターネット上で公にするつもりは無い少々込み入った話も時々配信しています。以下はこれまでに投稿したタイトルの一部です。
2018年09月28日
ベトナム戦争観

古森義久「池上彰氏のベトナム戦争論の欠陥」 Yahooニュース/Japan In-depth
この記事にある池上彰氏に対する批判は至極真っ当かつ、日本ではなかなか取り上げられなかった貴重な意見だと思います。私自身は一応リベラル派なつもりなので、この記事の掲載元である保守系ニュースサイトや著者 古森氏の出身である産経新聞は大嫌いなのですが、それでもこの記事の内容には同意します。また、この記事がYahooニュースという大手メディアに取り上げられた事は私にとっても嬉しい事です。日本人でも、実際に当時ベトナムで取材した人は、本当の事を分かっているんですね。この人も、私と同じ気持ちを40年以上持っていたのだと思います。ジャーナリストの意見にしては、批判の仕方がやけに感情的ですし。
なお、この記事は池上氏個人の記事に対する批判という形ですが、この池上氏の見解は世の中にはびこるベトナム戦争への誤った認識の典型例に過ぎず、これは池上氏一人がおかしいのではなく、彼が育った日本の言論界全体が長年に渡って空想の世界に浸っていた結果だと私は思います。
日本を含む先進国の人々の多く(右派・左派ともに)が持つベトナム戦争への歪んだ色眼鏡、つまりアメリカへの劣等感と、「アメリカに立ち向かう解放勢力」への空想じみた憧れを捨てて事実だけを見つめれば、この記事に書いてある事は、あの戦争に対するごく当たり前の認識だと分かるはずです。
しかし情けない事に、「坑仏」や「坑米」という意図的に単純化された分かりやすくヒロイックなストーリーは、実に多くの人々の思考を停止させる事に成功しています。アメリカへの劣等感(ある意味でアメリカ中心主義)の中に生きる人々は50年以上、ベトナムという国を己の対米感情を肯定するための道具として利用し、歪んだ色眼鏡越しに見る気持ちの良い空想にしがみつき、事実をないがしろにしてきました。
彼らは幸運にも手にする事の出来た言論と良心の自由をアメリカへの批判に傾ける一方で、ベトナム国民からその自由を奪ったホー・チ・ミンを初めとするベトナム共産党に対しては英雄視を続けてきました。彼らは、自分たちさえ自由なら、ベトナムや他の国の国民の自由などどうでも良かったのです。
世の中には多くの知識人がいる事になっていますが、その多くはアカデミックなふりをしていても、結局は感情論を優先していると私は感じています。最初から感情的な結論は決まっていて、それに合わせて都合のいい情報を集め、研究したつもりになってしまう。これは大なり小なり全ての人間に当てはまる事ですが、しかしあれほど世間で評価されている池上氏のような人でもこのレベルなのは悲しいです。
また、それだけに留まらず、なぜあれほど多くのベトナム人がフランス連合やサイゴン政府側についたのかについては、そもそもその存在を無視したり、または彼らを単に拝金主義で大国の帝国主義に迎合した日和見主義者と卑下する事により、「解放」という気持ちの良いストーリーの整合性を保とうとしている事が、私には我慢なりません。
2018年09月01日
SESSIION限定配信開始します
※2019年11月29日更新
これまで複数の方々にご支援いただいておりましたが、時間と気力の問題から、定期的に限定配信記事を書くという約束を守る事が出来なくなったため、SESSIIONでの支援募集は中止いたしました。誠に申し訳ございません。
『一番槍BLOG』を始めてから5年が経ち、改めてアクセス解析を見てみると、検索で来る人よりもブックマークから定期的に読みに来られる読者の方が圧倒的に多い事に驚かされました。しかし私の記事は取材や調査にかかる時間が長く、頻繁には更新できないので、熱心に足を運んでくださる読者の方々には申し訳ない気持ちを感じていました。
そこでこの度、SESSIIONにて私の執筆活動を応援して下さるパトロン様を募る事を思い立ちました。ご支援を頂いた方には、SESSIION内の非公開アクティビティにて、普段ブログには書いていない最新情報や執筆中の内容などを随時配信させて頂きます。
頂いたご支援は取材における交通費等の経費に充てさせていただきます。またチャリティー枠では毎月一定額を積み立て、まとまった額になった時点でベトナムの障がい者支援事業に寄付いたします。 集まった金額と寄付先はその都度ご報告させて頂きます。
プレッジの種類
【最新情報アクティビティ 500 円/月】
最新の研究・取材内容や執筆中の記事、筆者の近況、ちょっとした思い付きなど、普段ブログには書いていない事をSESSION内の非公開アクティビティにてSNSのように配信させて頂きます。更新は随時とし、最低でも週2回は投稿します。
【チャリティーアクティビティ 1,000 円/月】
通常の最新情報アクティビティに加え、本プレッジ購入者限定で、下書き中の記事や翻訳した資料など、特別なアクティビティを閲覧できます。(限定公開アクティビティの投稿は不定期です)
チャリティーとして、戦争で身体障害を負った元兵士やそのご家族の生活支援のために、頂いた金額の中から毎月500円ずつを積み立て、ある程度まとまった額になった時点で日本財団も公式協力しているベトナム障害者支援機構(VNAH)またはベトナム共和国軍傷痍軍人寡婦互助会が行っている障がい者支援事業に募金させて頂きます。
ご利用の流れ
1. SESSIIONに登録
メールアドレスまたはSNSのアカウントで簡単に登録できます。
パトロンからのプレッジ購入以外に利用料は一切かかりません。
2. プレッジ代金のお支払い方法を選択
・クレジットカードはVISA・MasterCardがご利用いただけます。
・チャージ(コンビニ支払い):アカウント内にコンビニで入金することをチャージと呼び、チャージしたアカウント内残高からプレッジ購入をすることができます。
3. クリエイターページでプレッジを購入

こちら()のページ内にある「パトロンになる」または「支援する」ボタンからプレッジを選択して購入する=パトロンになることができます。
※「チャリティーアクティビティ」 には「最新情報アクティビティ」の内容が含まれておりますので、二重で購入しないようご注意ください。
※購入したプレッジの解約はいつでも可能です。(月の途中で退会した場合でも1ヶ月分の料金が発生します。(当月分は日割り計算になりません)。
4. プレッジ購入が完了すると、各自のパトロンページもしくは私のクリエーターページ上で、プレッジに応じたアクティビティが閲覧できるようになります。
最後に
私にとっても有料配信は初めての事で、当面は手探り状態なので、なにかとご迷惑をおかけするかも知れませんが、ご支援いただいた分、より一層記事の質に磨きをかける事でお返しできたらと思っています。今後ともよろしくお願いします。
2018年08月30日
サマーキャンプ
日本在住ベトナム人協会サマーキャンプ2018
先日、日本在住ベトナム人協会主催のサマーキャンプに参加してきました。今年のキャンプにはテレサ・チャン・キウ・ゴック氏とナンシー・ハン・ヴィ・グエン氏が特別ゲストとして参加し、日本に住む大勢の若いベトナム人たちと議論会をおこないました。一番槍の姉妹ブログ[ベトナムウゥッチ]に、その討論の要約を日本語で記してあります。私はこのお二方とお話しする事が出来てとても光栄です。彼女たちが持つ祖国ベトナムと国民への愛情、思いやりは、必ずや善良な人々の心に届くものと信じています。
またキャンプではリクリエーションとして、口にくわえたスプーン同士でビー玉を渡してリレーし、かつ水鉄砲で紙の的を破くという、けっこう難易度の高い競争をしました。

実は私はナンシーさんと同じチームだったので、ずっとナンシーさんにビー玉を渡す役でした。まさかあんな有名人とこんなに顔面近付けて遊ぶことになるとはね。けっこう本気で照れちゃいました(笑) 下の写真のピンク色の服着ているのがナンシーさんで、黒いのが私。

バーベキューでは日本各地に住んでいる、初めてお会いする方々ともお話しする事ができて良かったです。

キャンプファイヤーでは皆で輪になって踊りました。

この時私は酒が入っていたので、ボビナム(ベトナム格闘技)やってる友達に酔拳で戦いを挑み、何度も投げ飛ばされたので服が泥だらけになりました。また来年も参加したいと思います。
ニュース:ヴェト・ルォン少将、在日米陸軍司令官に就任
当ブログでは旧ベトナム共和国出身のベトナム系アメリカ軍人ヴェト・ルォン(ベトナム名 ルゥン・スァン・ヴェト)少将が2014年に、アメリカ陸軍第1騎兵師団副師団長に就任した事をお伝えしましたが、この度ルォン少将は在日米陸軍(USARJ)司令官に任命され、2018年8月28日に神奈川県のキャンプ座間米陸軍基地にて司令官交代式が執り行われました。ベトナム系初の米軍将官であるがルォン少将が、北朝鮮とも近い≪実戦的な≫在日米軍の陸軍司令官に任命されたニュースは、世界のベトナム移民系メディアで大きく取り上げられています。
動画: U.S. Army in Japan / Facebook
過去記事にも載せていますが、改めてルォン少将の経歴を記します。
ヴェト・ルォン氏は1965年、ベトナム共和国ビエンホア生まれ。彼の父はベトナム共和国海兵隊(TQLC)第6海兵大隊『聖鳥』大隊本部所属のルゥン・スァン・デュウン少佐で、1972年の"クアンチの戦い"ではベトナム戦争で最大の対戦車戦闘を指揮し、多大な戦果を挙げた人物でした。(参照:TQLC戦友会 デュウン少佐『聖鳥の赤く燃ゆる夏』)
ルゥン・スァン・デュウン ベトナム海兵隊少佐
デュウン少佐と子供達(左端がヴェト・ルォン)
しかし1975年、敗戦に伴いルゥン一家はサイゴンからの脱出を余儀なくされ、政治難民としてアメリカに移住します。この時、ヴェト・ルォン氏は9歳でした。カリフォルニア州マウンテンビューで成長したルォン氏は、父の影響で軍人を志し、勉学に勤しみます。そして南カリフォルニア大学(USC)で生物学の学士号を取得後、同大学院で軍事科学の修士号を取得。1987年、アメリカ陸軍歩兵中尉に任官しました。
【ルォン少将の軍歴】
第8歩兵連隊第1大隊/小銃小隊長・対戦車小隊長・副中隊長・大隊管理将校 〔コロラド州フォート・カーソン〕第82空挺師団第325空挺歩兵連隊第2大隊/大隊S-3(作戦参謀)補佐・A中隊長 〔ノースカロライナ州フォート・ブラッグ〕Theater Quick即応部隊/指揮官 〔ハイチ〕JATC(統合即応訓練センター)/総監部員 〔ルイジアナ州フォート・ポーク〕陸軍指揮幕僚大学/参謀教育受講 〔カンザス州レブンワース〕SETAF (南欧タスクフォース)/SETAF G-3(作戦参謀)主任参謀 〔イタリア ヴェニツィア〕第173空挺旅団第508空挺歩兵連隊第1大隊/副大隊長 〔コソボおよびボスニア・ヘルツェゴビナ〕JTF North (北部統合タスクフォース)/計画参謀・国土安全保障省訓練開発部門主任 〔テキサス州フォート・ブリス〕第82空挺師団第3旅団戦闘団第505空挺歩兵連隊第2大隊/大隊長 〔イラク〕第101空挺師団第3旅団戦闘団第187歩兵連隊/連隊長 〔アフガニスタン〕スタンフォード大学/国家安全保障研究員 〔カリフォルニア州スタンフォード〕統合参謀本部J5(戦略計画・政策)パキスタン・アフガニスタン調整部/副部長 〔ワシントンDC〕第1騎兵師団/副師団長 〔テキサス州フォート・フッド〕在日米陸軍/司令官(現職) 〔日本キャンプ座間〕
2018年07月21日
軍装ガイド進捗
服以外の小物も出来る限りイラストにしております。



正直、風呂敷広げ過ぎたかも知れない・・・
つい「1946年からやる(=植民地軍も含める)」と口走ってしまったせいで、ベルティエ小銃なんて19世紀の骨董品を一から調べる羽目になっております。(これがまたバリエーションが多いんだ・・・)
こんなにこだわっても、タイトルが『ベトナム軍』である限りろくに売れないのは分かってます。
もしこれが『フランス外人部隊』とか『ナム戦アメリカ軍』だったら、この本の3分の1の内容で3倍は売れるでしょう。
でも、それは出来ません。
そもそも愛がなければ、こんな七面倒くさい事やってないですしね。
まだ個人装備の方には手を付けてないので、まだまだがんばるゾーイ!!
【おまけ】
アイドルに興味無かった僕が唯一好きになった台湾のアイドルグループ 伊梓帆(イー・ツー・ファン)を宣伝。
伊梓帆はもともと台湾プロ野球のチアリーダーからアイドルとして独立した3人組で、グループ名の由来は各メンバーの名前/ニックネームから。
末っ子:陳奕如/陳伊(チェンイー)または伊伊(イーイー)
隊長:董梓甯/梓梓(ツーツー)またはChloe(クロエ)
副隊長:楊曉帆/小帆(シャオファン)またはFan(ファン)
僕は特に小帆ちゃんが好きです。
僕は4年前から彼女たちのFacebookをチェックしており、その間2回も台湾に行く機会があったのですが、向こうは芸能人なのでそうそうお目にかかれるものではないですね。ライブの日にちも合いませんでしたし。
逆に伊梓帆は時々日本にも来てるようなのですが、いつも写真集やVTR撮影で来るだけで、ライブやファンとの交流会はありません。
おそらく日本にファンがいるって事自体認識してないかも・・・。ここにいるぞー!!!
もともとチアだけあって今まではイベントでのダンス活動が中心だったけど、今年4月にはついに1stシングル『Boy,Why Boy』をリリースした事だし、いつかK-POPみたいに日本進出する日を待ってるよー