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2013年12月07日

資料メモ

僕の趣味である南ベトナムや少数民族の歴史に関する本ってその辺の本屋や図書館にはなかなか置いてないので、何度か国会図書館に通って資料探ししてるんですが、さすがに日本最大の図書館。けっこう日本語の本も出てきますね。
興奮して色んな本から数十ページ分コピーしてきましたが、コピーするまでもない少量の記述に関してはメモしてきました。
そのメモを以下に記します。あくまでメモなので、雑多な状態ですが、興味のある方はどうぞ。


ジャライ族には十数個のグループがあり、方言、風習、農業、鋸状の歯、犬の肉を食べるかどうかなどの文化が異なる
古代より中部高原にはジャライ族の小国家(のような集団)"プタオの国"があり、"プタオ(火の王(Sdadat of Fire)"が中心に居た
プタオには火の王(Thủy Xá)と水の王(Hoa Xá)がいた
プタオはジャライ族の守護神"プラカーン(Prah Khan:聖なる剣)"を保有する
プタオの国はチャンパ王国と古くから繋がりがあるが独立した地位を有し、1601年にはカンボジアと友好国となる
ベトナム人の大南国はカンボジア、ラオス、プタオを同盟国として外交関係を持った
しかし大南国は1863~1869年に鎮静化の名目でプタオに徴税人を送り、中部高原の支配を目論んだ
フランスによる侵略の時代、バナール族とジャライ族は反フランス勢力として戦った
フランス領インドシナ総督ポール・ドウメル(Paul Doumer、任期1897~1902年)は軍事力で少数民族を鎮圧してフランスへの同化政策を推し進めた
バナール族およびラーデ族は早々に降伏したが、ジャライ族はプタオの国があったので最も抵抗した
しかしジャライの王プタオ(火の王または水の王)が独断でフランスと同盟を結んだ事で抵抗は終わった
この降伏によりジャライ族におけるプタオの権威は失墜した
フランスの支配下では、フランス人はキン族(ベトナム人)やラオ族(ラオス人)よりもラーデ族を優遇して登用し、秘書や工員に採用した
その見返りに病院が建設され、多くのラーデ族がフランス軍の兵士となった
1923年には少数民族から知事や裁判官を選出するに至った
1946年以降、フランスは少数民族を味方に付けるため、キン族から土地を守り、彼らに土地の所有を認める政策を行った
フランスはジャライ族からの支持を得るべく"プタオの国の後見人"を自称したが、すでにプタオに政治的権威は無かった




南ベトナムの教育制度
小学校
義務教育 第5学級~第1学級(5年制) 卒業試験あり
中学校
第7学級~第1学級(7年制)
前期4年で進学試験
後期3年の第2学級末に第1バカロレア(国家試験)
第1学級末に第2バカロレア(大学受験)
公立中学は進学希望者の1割しか入れない難関
私立中学はフランス人またはベトナム人が経営し、フランス語で教育される
小学校と併設された小中高一貫校(12学級)もある
華僑の学校では広東語、北京語も教育
大学
サイゴン、ダラット、フエの三校
文学部4年制、法学・教育学部3年制、医学部7年制
専門学校
3年制 農林、工業、美術学校あり
その他
スポーツ:サッカーとピンポンが盛ん
祝日:国慶節(共和国宣言記念日)10月26日
政府は1960年の時点でデガに対する蔑称"モイ"の使用を止め、"山地民"とする
静岡県登呂遺跡はデガの生活様式と瓜二つであり、高床式住宅や水田耕作などの文化は古代のデガから日本に持ち込まれた可能性あり




FULRO=中部高原タイグエン地方の運動
1958年6月に親フランスの軍人・官吏・有力者がBAJARAKAを結成
1960年10月、ベトナム労働党はこれをジェム政権と少数民族の軋轢ととらえ"タイグエン自治運動"を組織
同運動はNLFに参加。NLFはこの綱領で民族自治区の設置を謳った
1964年FULRO結成
1968年12月、サイゴン政府とFULROの間で一定の和解が成立
しかしFULROの一部はこれに応じず武装闘争を継続
ベトナム統一後、民族自治区は設置されず、タイグエン地方にも新経済区建設などで大量のキン族が入植
FULROは反共組織としてベトナム政府に対するゲリラ戦を継続、ポル・ポト派と連携
カンボジア和平で抵抗の見通しが立たなくなり、1992年10月にUNTACに対し降伏、アメリカに移住した



 
ポル・ポト政権下(1975年~1979年)、チャム族はモスクでの礼拝が出来ず
モスク144ヶ所、仏教寺院1968ヶ所が破壊される(ヘン・サムリン政権の調査)
クメール・ルージュはチャム人の男たちを集め、口に豚肉を押し込み、飲み込めない者を殺害した
チャム人が一箇所に集まらないよう強制移住させた
チャム人と見破られないようチャム語を使わず、クメール語を話した
カンボジア国内のチャム人の人口は1975年以前が約70万人
ポル・ポト政権終焉から6年後の調査では約18万人に減少(虐殺および難民として流出)
1995年の時点でチャム族男女の成人(有権者)が約28万人(UNTAC調べ)
ベトナム南部に住むチャム族はムスリムなのでカンボジアのチャム族と交流あり
ベトナム中部のチャム族は非ムスリム(ヒンドゥー教、仏教、バニ教)が多いのであまり交流がない
1995年当時、チャンパ王家の末裔グェン・ティー・テム女王(85歳)がホーチミン市から北に300kmのファンティエットに居住
ファンティエット村はヒンドゥー教徒の村で、テム女王は中国の王朝が発行した王家の証明書を所持
テム女王の姓"グエン"は、ベトナム人からの迫害を避けるため、ジェム政権時代に自ら名乗った
チャム人は長らく自らをチャムと自称できず、"クメール・イスラーム"と呼ばれた



以下、内容が豊富すぎてコピーしまくった本


この本マジ最強。僕の知りたい事の半分以上がこの本に載ってました。
古代チャンパ王国の徴税制度から時代別のシハヌークから見たFULRO、2000年以降の暴動事件まで想像を絶する情報量。
まさか日本語でこんな本があるとは思ってませんでした。読んでてマジ泣きそうになりましたよ。
本当は買いたいけど高過ぎて買えません。しかたなくコピーで我慢してます。


「ベトナム戦争初期における山岳民族部隊」 松岡完

内容としてはそんなに目新しい物はないけど、流言に近いような内容が実しやかに信じられてしまうミリタリーマニア界にあっては、このような全て出展が明示された学術本は貴重です。



キン族および各少数民族の文化・風習が写真つきで細かく説明されています。
戦争による人口・文化への影響も載ってます。
ただ、差別用語の"モイ"が勘違いされて"モイ族"と紹介されてるのはどうかと思うw


『週刊現代』 1966年5月
「キ政権を悩ますベトナムの山男・仏教徒デモにつづくフルロの反乱」 大森実

週刊現代にまさかのFULRO特集記事を発見!
日本のマスコミにも認識されてたんですね。ただ仏教徒危機は1963年に終わってるし、FULROの反乱が始まったのは1964年なので、タイムリーな情報ではないですね。
それに「キ政権」ってあるけど、グエン・カオ・キは当時首相で、国家元首は国家評議会議長のグエン・バン・テューなので、その辺よく分かってなかった模様。


『AERA』 朝日新聞出版社 1992年9月15日
「米軍が見捨てた2千人のゲリラ」 ネイト・タイヤー

まだカンボジアで武装闘争中のFULROにイギリス人記者が取材した記事なのですが、この取材がFULRO降伏の決定打になったという、感慨深い記事です。
取材当時、FULROのメンバーは1968年にカンボジア軍に拉致された運動の指導者イーバム・エニュオルがまだ生きていると信じて30年以上闘争を続けてきましたが、この記者がイーバムは1975年にクメール・ルージュによって処刑されたことを伝えると、真実を知ったFULROメンバーは言葉につまり、いつまでも咽び泣いたとの事です。
その2週間後、FULROはUNTACによる武装解除に応じ、公式に解散しました・・・。


『読売新聞』 1992年10月11日
「ベトナムの山岳民族ゲリラ 30余年 反共の戦いに幕」

国際ニュースにちょこっとだけ記述があります。
めちゃめちゃ小規模な記事だけど、唯一日本の新聞に載った記事なので記念に。



「短信:ベトナム 信教の自由-「信仰・宗教法令」を中心に-」 遠藤聡

国会図書館発行の報告書(?)。現在のベトナムにおける宗教および少数民族問題について。
特に2001年の暴動事件の背景は興味深いです。
ベトナムでは厳しい情報統制が敷かれていて、この手の情報はなかなか日本に情報が入ってこないのでありがたいです。



資料集めるのはいいんだけど、それをまとめて、かつ全ての出展を明示するのは、けっこう大変。
だから僕はウィキペディアには書かない。ウィキペディアに要求される正確な記述が出来ないから。(そんな記事少数派だけど)
いつか同人誌作ったら、ちゃんとした内容の本にしたいと思っています。



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