2014年11月25日
生き証人
※2019年11月24日更新
※2024年4月13日更新
ご本人の希望で、あまり詳しくは書きませんが、以下Tさん(仮名)の大まかな来歴です。
1950年 某メコンデルタ付近の町に生まれる
1968年 ダラット・ベトナム国家武備学校(TVBQG)25期に入学 (※三軍統合の士官学校。日本の防衛大のようなもの)
在学中に中隊指揮課程、空挺降下課程、レンジャー課程、一般大学教育を修了
1972年 TVBQG 25期卒業。陸軍中尉に任官
同年 メコンデルタ地帯に展開する第7歩兵師団第11連隊第1大隊第1中隊本部に着任
1973年 任務中に地雷を踏んで右足を失う。この負傷により除隊
1979年 ボートピープルとして共産党政権下から脱出
1980年 広島県に漂着。日本政府のインドシナ難民受け入れ施設に入居
1983年 東京の国際救援センターにて日本語教育、就職斡旋を受け、日本に定住
Tさんは僕の趣味を知って、日本人がここまでベトナム共和国軍に関心を持っていることに喜んで頂けましたが、僕にとっても本物のベトナム軍人の方と直接お話するのはこれが初めての事なので、とても貴重な体験になりました。
それは当時の体験を語って頂けた事もありますが、何より全体として、除隊から40年以上経った今でもTさんが持ち続けているベトナム陸軍将校としての矜持を感じられた事が感慨深かったです。
特に、国家武備学校の卒業生であるという自負は、Tさんの人生の中でかなり大きな部分を占めるものだという事が強く伝わってきました。
Tさんが持参した、アメリカで発行されている国家武備学校卒業生アソシエーションの機関誌"Đa Hiệu (最精鋭)"
内容はPDFで公開されているので、こちらからダウンロードすることが出来ます。
国家武備学校のカリキュラムや制服について詳しく伺う事が出来ましたが、そういう趣味的な部分はまた今度の記事にします。
正直今は、地雷で吹き飛ばされ義足になった足や、そのせいで除隊を余儀なくされ祖国を守る事が出来なかった悔しさ、共産ベトナムからの決死の脱出と、身体障害を抱えながら言葉の通じない異国での生活と、Tさんが目頭を熱くしながら語ってくれた言葉の一つ一つの重みに、言葉が出ません。
いくつかの戦史上有名な戦闘が話題になりましたが、そこでTさんの口から出るのは、「ああ、その戦いで友達が死んだ」という言葉です。
僕はいまさら自分の趣味を恥じるほど純粋な人間ではないですし、Tさんも好意的に受け取ってくれているので何も問題は無いのですが、改めて自分がやっている遊びは人の生き死にや人生をネタにしている行為なのだなと自覚させられました。
縁もゆかりも無い外国人の僕にとっては、Tさんの人生もベトナム戦争も、単なる趣味の対象、興味本位でしかありません。
だけど、興味を持ってしまった以上は、マニアとしてとことん真実に近付きたいという気持ちを新たにしました。
この記事へのコメント
記事とは全然関係ないですが、サッカーのベトナム代表に日本人監督がいい仕事をしているみたいです。ナム戦趣味の人間として(&サッカーファンとして)密かに応援したいですね。http://nofootynolife.blog.fc2.com/blog-entry-1038.html
Posted by トヨ at 2014年12月06日 23:57
>トヨさん
三浦監督にとっては初の海外チームみたいですが、にも拘らず就任から半年ほどでここまで高い評価を受けてるんですから凄いですよね~!
ベトナムのサポーターから見ても、本当に「チームが変わった」という印象みたいですね。
それにベトナムって、かつてフランス領だっただけあってアジアで一番早くサッカーに親しんだ国なんですよね。ワールドカップでは予選敗退ですが、アジアカップでは優勝経験もあるので、これからどんどん伸びていくんではないでしょうか。
三浦監督にとっては初の海外チームみたいですが、にも拘らず就任から半年ほどでここまで高い評価を受けてるんですから凄いですよね~!
ベトナムのサポーターから見ても、本当に「チームが変わった」という印象みたいですね。
それにベトナムって、かつてフランス領だっただけあってアジアで一番早くサッカーに親しんだ国なんですよね。ワールドカップでは予選敗退ですが、アジアカップでは優勝経験もあるので、これからどんどん伸びていくんではないでしょうか。
Posted by タイガ at 2014年12月07日 17:35
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