2014年12月01日
カラオケ&黒服
一月ぶりにカラオケ行ってきました。
最盛期は休みの度に、カラオケ好きの友達と2人でフリータイム入って8時間ぶっ続けで歌ってましたが、最近めっきりカラオケに行く機会が減ってしまったので、喉の筋肉の衰えを感じてます。
前回と今回歌った曲
10/31
NEXUS 4/L'Arc~en~Ciel
GLAMOROUS SKY/中島美嘉
X/X (X JAPAN)
ジュリア/河村隆一
ロマンス/PENICILLIN
旅立ちの日に/合唱曲
SKILL/JAM Project
이등병의 편지(二等兵の手紙)/金光石(キム・グァンソク)
英雄故事/成龍(ジャッキー・チェン)
MASK/奥井雅美・松村香澄
撲殺天使ドクロちゃん/ドクロちゃん(千葉紗子)
巫女みこナース・愛のテーマ/Chu☆
11/30
街/SOPHIA
北風小僧の寒太郎/堺正章・東京放送児童合唱団
喝采と激情のグロリア/摩天楼オペラ
虚空の迷宮/聖飢魔Ⅱ
snow drop/L'Arc~en~Ciel
Mizérable/Gackt
紅/X (X JAPAN)
Journey through the Decade/Gackt
Vivid Colors/L'Arc~en~Ciel
Try Again/FIRE BOMBER
GOOD LUCK MY WAY/L'Arc~en~Ciel
NEXUS 4/L'Arc~en~Ciel
来週から、ラルクの『WORLD TOUR 2012』の模様を映画化した『Over The L'Arc-en-Ciel』が公開されるので、
今回はラルク多めにして気合いれました。((o(^-^)o))わくわく
そう言えば『AWAKE TUER2005』の時、hydeがSSの黒服っぽい衣装着てたので、すでに黒服持ってる事だしhydeのコスプレしてみようかと考えた時期が有りました。
そもそも僕がSSのコスプレ始めたのは、V系バンドが好きだったからだし。
過去にはこんな自撮り写真をレイヤー同士で交換する名刺に使うという黒歴史的な事もしてたし。
(いったい裏表どちらを黒歴史と呼ぶべきか・・・)
で、ライブの時のhydeの写真集めて服を観察したんですが、どうもあの服はリプロ軍装ではないっぽいんです。
前身頃はたしかに4ポケット・4ボタンっぽくなってるけど、ラペルの形や袖のボタンから、多分普通の紳士服の2ボタンジャケットを改造したものではないかと思います。
イラストにするとこんな感じ。
で、着いてる徽章はこれら。
胸のリボンは、ドイツ軍の二級鉄十字(1939)と、ドイツ・イタリア軍のアフリカ従軍メダル。30mm幅タイプ
帽子はどっかのメーカーが作ったリプロっぽいですが、ちょっと酷いな・・・
多分、衣装屋が倉庫から引っ張り出してきたお古を使わされてるんでしょうけど、虫食い酷すぎでしょ・・・
仮にも日本屈指の一流ミュージシャンの舞台衣装なんだから、衣装屋としてせめてまともな物を用意しなさいよ・・・
とまぁ、服本体はSSの黒服ではないし、それ以外にも色々揃えなければならない物があるので、結局僕のhydeコスプレは企画倒れで終わりました。
実はシングル『虹』のPVでもhydeは黒服着てまして、こっちの方はちゃんとしたSS黒服のリプロ着てます。
こっちは徽章も無くシンプルそのものなので、いつもでも再現できるんですが、逆に「シンプル過ぎて誰のコスだか分からなくね?」という疑問にかられたので、これも却下。
ちなみに、hydeと仲良しのGacktさんもステージで黒服っぽいもの着た事があるので、調べるだけ調べました。
ЯR 2001
4ボタンジャケット(黒服)スタイル
ЯRII 2008-2009
黒服じゃなくてフェルトヤッケ(戦車服)スタイル
これらは、たしかエスグラが衣装協力してたはず。
オリジナル徽章多くて、物凄く手間がかかってますね。これを自作する根性は僕には無いです。
う~ん、なかなかちょうど良いのが無いな。
余談
聞いた話では、外国でもマリリン・マンソンをはじめ、V系・耽美系アーティストと黒服はもはやワンセットになってるようで、
いまだにナチの後遺症引きずってるドイツでも、アートやポップカルチャーの世界ではアレルギーが薄れて、黒服の意匠を受け入れ始めているそうですね。
一方、今後も受け入れらる見込みが無いのが、ナチ党およびSAの褐色制服。こっちの方がアートだとか言い訳しようの無い、メチャメチャ政治色の強い服なので、完全アウトらしいです。
でも僕から見れば、黒服(戦前のSS)も褐色(SA)もあくまで『国内に対する白色テロ集団』であって、その後の第2次大戦期に比べれば、まだ大人しい時期の服。
最も忌諱されるべきは、ヨーロッパ全土で20世紀最悪の民族浄化をしでかした、グレーの服(戦時中のSS。もちろん武装SS含む)な気がしますが。
この記事へのコメント
私は 日本人とユダヤ系アメリカ人のハーフですが
街でハーケンクロイツを付けた服装をみると 英語(適当英語)ほとんど片言しか喋れないので で 絡むようにしています。
この前の親衛隊の格好の日本人は 泣きそうな顔で すいませんすいませんと言ってました。
一応サバゲーの時だけは知らない顔してあげています。
街でハーケンクロイツを付けた服装をみると 英語(適当英語)ほとんど片言しか喋れないので で 絡むようにしています。
この前の親衛隊の格好の日本人は 泣きそうな顔で すいませんすいませんと言ってました。
一応サバゲーの時だけは知らない顔してあげています。
Posted by 星 at 2014年12月01日 09:49
>星さん
はじめまして。公共の場所でハーケンクロイツを身に付けるのは、本人はファッションのつもりにしても非常識過ぎると思います。
しかし、街で絡んだ、泣かしてやったと自慢するするのも・・・ちょっと大人げないですよ。
あなたがナチに関する物を許せないと思う心情は理解できますが、それを口実に恐喝のような態度をとって相手を怖がらせて喜ぶのは、性格悪いですよ。
ユダヤ系として民族のために尽くしたいと思うのであれば、他にやることが沢山あると思います・・・
はじめまして。公共の場所でハーケンクロイツを身に付けるのは、本人はファッションのつもりにしても非常識過ぎると思います。
しかし、街で絡んだ、泣かしてやったと自慢するするのも・・・ちょっと大人げないですよ。
あなたがナチに関する物を許せないと思う心情は理解できますが、それを口実に恐喝のような態度をとって相手を怖がらせて喜ぶのは、性格悪いですよ。
ユダヤ系として民族のために尽くしたいと思うのであれば、他にやることが沢山あると思います・・・
Posted by タイガ at 2014年12月01日 16:28
私はベトナム人ですが
カラオケとナチスの話と関係ないですが、死んだおじいさんの昔話で、フランス人の屋敷?の警備の仕事をしていました。そんなある日いつもどおり警備をしようとした時に屋敷の中からフランス人を捕らえた日本軍が出てきて日本人は僕のおじいさんに農民になるか、日本軍になるか問いかけたそうです。そうしておじいさんは農民になったそうですが日本軍に入ったベトナム人はいたのでしょうか?またいたとしたら装備は日本軍と同じなのでしょうか?
カラオケとナチスの話と関係ないですが、死んだおじいさんの昔話で、フランス人の屋敷?の警備の仕事をしていました。そんなある日いつもどおり警備をしようとした時に屋敷の中からフランス人を捕らえた日本軍が出てきて日本人は僕のおじいさんに農民になるか、日本軍になるか問いかけたそうです。そうしておじいさんは農民になったそうですが日本軍に入ったベトナム人はいたのでしょうか?またいたとしたら装備は日本軍と同じなのでしょうか?
Posted by 惑星 at 2014年12月01日 20:36
>惑星さん
はじめまして。外国人が日本軍に入ることは出来ませんが、もしかしたらそれは『ベトナム帝国軍』の事を言っているのかも知れません。
知っての通り、日本軍は1940年から仏領インドシナに駐屯し、フランス植民地政府と共同でベトナムを統治していました。
しかし枢軸国の負けが濃厚になってくると、インドシナ駐留フランス軍は連合国側へ接近するようになり、これを恐れた日本軍は1945年3月、フランス軍を攻撃してインドシナ全土を軍事占領します。おじい様が見た『フランス人を捕らえた日本軍』は、この時の事だと思います。
このフランス軍降伏により、ベトナムはフランスから一時的に独立し、日本軍の統制下でバオ・ダイ帝を皇帝とする『ベトナム帝国(Đế quốc Việt Nam)』が建国されました。
この時日本軍は、ベトナム帝国軍を友軍として利用するため、日本の三八式歩兵銃などの装備を供与し、訓練を行ったそうです。(ただし、数の上ではフランス軍から接収した装備が主だったと思いますが)
おじい様がその日本人から言われたのは、「日本軍の仲間であるベトナム帝国軍に入らないか?」という意味だったのではないかなと思います。
はじめまして。外国人が日本軍に入ることは出来ませんが、もしかしたらそれは『ベトナム帝国軍』の事を言っているのかも知れません。
知っての通り、日本軍は1940年から仏領インドシナに駐屯し、フランス植民地政府と共同でベトナムを統治していました。
しかし枢軸国の負けが濃厚になってくると、インドシナ駐留フランス軍は連合国側へ接近するようになり、これを恐れた日本軍は1945年3月、フランス軍を攻撃してインドシナ全土を軍事占領します。おじい様が見た『フランス人を捕らえた日本軍』は、この時の事だと思います。
このフランス軍降伏により、ベトナムはフランスから一時的に独立し、日本軍の統制下でバオ・ダイ帝を皇帝とする『ベトナム帝国(Đế quốc Việt Nam)』が建国されました。
この時日本軍は、ベトナム帝国軍を友軍として利用するため、日本の三八式歩兵銃などの装備を供与し、訓練を行ったそうです。(ただし、数の上ではフランス軍から接収した装備が主だったと思いますが)
おじい様がその日本人から言われたのは、「日本軍の仲間であるベトナム帝国軍に入らないか?」という意味だったのではないかなと思います。
Posted by タイガ at 2014年12月01日 22:06
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