2016年01月23日
ARVNとは?
以前、このブログではあえて"ARVN"という用語を使わないようにしていると書きましたが、そもそもARVNとは一体何を指す言葉なのでしょうか?







現在ARVNは、日本はもとより米国・ベトナムでも単に"南ベトナム軍"を指す言葉として使われていますが、実はその意味するところはもう少し複雑なのです。
その説明の前に、まず大前提として、ベトナムの軍隊の正式名称は、当然ながらベトナム語で命名されました。
そして1954年のベトナム南北分断後に"南ベトナム"となった国家の軍隊は、時期によって以下の三つの正式名を持ちます。
1952-1955年
第一インドシナ戦争中にフランス連合内で独立したベトナム国(Quốc Gia Việt Nam)の国軍。1954年のジュネーヴ協定によって国土の北半分を失う。
Quân Đội Quốc Gia Việt Nam (QĐQGVN):軍隊國家越南
1955-1965年
ベトナム国首相ゴ・ディン・ジェムのクーデターによってベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)が成立。同時に国軍も改称。
Quân Đội Việt Nam Cộng Hòa (QĐVNCH):軍隊越南共和
1965-1975年
グエン・バン・テュー軍事政権発足によって再び改称。
Quân Lực Việt Nam Cộng Hòa (QLVNCH):軍力越南共和
※ベトナム語の文字は19世紀にラテン文字(クォックグー)が採用されるまで長く漢字が使われてきたので、現代でもベトナム語の名詞の多くが漢字で表記できます。私を含む日本語話者には漢字の方がよりニュアンスが分かり易いので補足として載せていますが、20世紀後半になると公に漢字が使用されることはなくなるので正式な表記ではありません。
この中で、主に"南ベトナム"と認知されているのは1955年から1975年までのベトナム共和国時代だと思いますが、その時代ベトナム共和国政府は、アメリカを初めとする同盟軍とのコミュニケーションに、自国(ベトナム語)の軍事用語を英訳して用いていました。
今回はその公式な訳語を、1962年に発行されたベトナム共和国軍総参謀部編纂の越・仏・英軍事用語辞書からご紹介します。
まず国軍の名称ですが、軍が制定した公式な英語表記は"Republic of Vietnam Armed Forces (RVNAF)"でした。
なお軍のベトナム語正式名がQĐVNCHからQLVNCHに変わった後も、RVNAFという表記は引き続き使用されました。

そしてアメリカ政府・アメリカ軍も、このRVNAFをベトナム共和国軍の公式な英語呼称をとして使用していきます。(ただし一部に"Republic of Vietnam Military Forces (RVNMF)"という表記揺れも見られます。)

また1975年にベトナム共和国政府が消滅した後も、アメリカ陸軍戦史センターが作成する公式資料にはRVNAFが使用されます。
次に、先記の軍事用語辞書によると、軍を構成する陸・海・空軍・海兵隊の外国語訳は、それぞれ以下のようになっています。
陸軍

海軍

空軍

海兵隊(水軍陸戦)

※この資料が作成された1962年当時、海兵隊は海軍の下部組織であり、1965年に独立した組織に発展すると"Viet-Nam Marine Corps (VNMC)"と英語表記されるようになる。
ここで気になるのが、ベトナム陸軍の英語表記。軍が制定した公式表記は"Việt-Nam Army (VNA)"だという事です。
しかしアメリカ軍は、ベトナム海軍・空軍の英語表記をベトナム側に合わせたのに対し、なぜかベトナム陸軍のみVNAという表記を使いませんでした。
その理由は定かではありませんが、ベトナム陸軍の英語表記として当時アメリカ軍が使ったのが"Army of the Republic of Vietnam (ARVN)"でした。

VNN、VNAFと列記されている事から、ARVNは国軍全体ではなく、陸軍を指している事が分かります。
このように、1975年以前の公的文書で使われる英語表記は、ベトナム共和国軍=RVNAF、ベトナム陸軍=ARVNという使い分けがなされていました。
ではなぜ、戦後ARVNが陸軍のみならずベトナム共和国軍全体を指す言葉として認知されているのでしょうか?
その理由としてひとつ思い当たるのが、上の国軍の名称に記載されているフランス語表記の"Armée de la République du Việt-Nam (ARVN)"です。
英語の"Army"は(軍隊の組織名で使われる狭義では)陸軍という意味ですが、フランス語の"Armée"は陸軍に限らず軍隊全般を意味し、言わば漢字の"軍"に相当する言葉です。
なのでフランス語において陸軍は単に"Armée"ではなく、"Armée de terre (陸の軍隊)"と、同様に空軍は"Armée de l'Air (空の軍隊)"と表記されます。
従って、フランス語におけるARVNとは陸軍ではなく、ベトナム共和国軍を意味する言葉なのです。
ベトナムでは20世紀中盤まで、軍人を含む上流階級・エリート層はもれなくフランス語で教育を受けていたため、ベトナム共和国では1955年にフランス連合から独立した後もフランス語が第二公用語として扱われていました。
そのため、ベトナム戦争当時にベトナム人が国軍という意味でARVNというフランス語名称を使った可能性はありますし、当然フランス語で書かれた文書ではARVNは国軍という意味で使われています。
さらにフランス語の"Armée"と同様、狭義には陸軍を指す英語の"Army"も語源はラテン語の"Armada (武装する)"から来ており、広義には軍隊全般を意味します。
なので言葉の上では英語圏の人間が"Army of the Republic of Vietnam"を陸軍以外も含むベトナム共和国軍と解釈する事は不自然ではありません。
したがって戦後に生まれたARVN=ベトナム共和国軍という認識は、フランス語的には正しいですが、同時に英語的には、Armyを陸軍ではなく国軍と解釈をしたために起こった非公式ものと私は考えています。
まとめると、ARVNという言葉には以下の三つの意味があります。
・フランス語 Armée de la République du Việt-Nam:ベトナム共和国軍(ベトナム政府公式)
・英語 Army of the Republic of Vietnam:ベトナム共和国陸軍(アメリカ政府公式)
・英語 Army of the Republic of Vietnam:ベトナム共和国軍(非公式・戦後)
ね、面倒臭いでしょ?だから僕はARVNという言葉を使わないんです。
それに、私やこのブログの読者である日本語話者がベトナム語の単語を理解するのに必要なのは、元のベトナム語と日本語訳のみで、わざわざそれ以外の外国語を使う意味なんて無いし。
(ただし上記のように、英語・フランス語表記も知っておいて損はありません)
ちなみに、この記事ではさらっと"ベトナム共和国軍"や"国軍"と書いちゃったけど、日本語で何と表記するかは、いろいろ考えるべき事があるんです。
正式な国名である"ベトナム共和国"と呼ぶか一般的な"南ベトナム"と呼ぶかとか、QĐVNCHとQLVNCHを区別するべきか?とか。
ここは人それぞれだと思いますが、私は1955年~1975年まで一貫して"ベトナム共和国軍"と書くというスタンスでやってます。
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