2018年10月26日
越風総本家 ARVNを支える職人たち
※2018年10月27日更新
※2022年10月23日更新
このアンタンが戦後どうなったのか定かではありませんが、箱やカタログに書いてある店の住所「サイゴン市レ・タン・トン154」をGoogleマップで見てみると、お店があった場所は現在(2014年撮影)こうなっているそうです。
アンタン (An-Thành)
かつてサイゴンには『アンタン』という軍御用達の勲章・徽章メーカーがありまして、コレクターが公開している当時の勲章やチラシ・カタログでその名がよく見られます。
今回、そのアンタンの実店舗の写真をようやく見つける事が出来ました。1965年撮影との事です。
店の中はよく見えないですが、表の略綬の看板がかっこいいです。
アンタンは制服は扱っていないので直接は関係無いのですが、上の看板に描いてあるこの絵↓の制服は
こちらの陸軍大礼服のようです。
しかしこの服は1963年を最後に使用例がパタリと消えています。第一共和国(ゴ・ディン・ジエム政権期)、この服はジエム総統の側近の陸軍幹部によく着用されていたので、恐らく反ジエム派の軍人たちはこの服をジエム・シンパの服と忌み嫌っており、63年11月のクーデターでジエム政権が崩壊すると、この大礼服も廃止されたのではないかと私は推測しています。
そのため、看板の写真が1965年撮影であったとしても、この服自体は当時の大礼服ではありません。おそらく看板が描かれたのは1963年以前で、制服が変わった後も看板はそのままだったのでしょう。
当時と同じ建物かどうかはよく分かりませんが、通りの雰囲気はあまり変わっていないようですね。
ルォンファン (Luong Phan)
一方、コレクター界で最も有名なサイゴンのテーラー『ルォンファン』があった「サイゴン市ハイ・バー・チュン64」の現在の様子はこちらです。
当時のルォンファンの写真はまだ見付けられていませんが、見るからに新しい建物が建っているので、多分ほとんど面影はないでしょうね。
ルォンファンはテーラーですが、どちらかと言うと帽子と布製インシグニアで知られたお店です。特に手刺繍パッチが有名でして、ベトナム軍だけでなくアメリカ軍からも注文を受けて、いわゆる「ローカルメイド」と呼ばれる非公式な徽章類を作っていました。
以下はルォンファンの製品見本を撮影した貴重な写真です。デニス・キム氏、ボブ・チャット氏らが公開したもので、1971年制定のレンジャー部隊ラオス遠征章が写っている事から撮影時期は1971年以降と思われますが、中には60年代初頭に廃止された古い物も混ざっています。
街のテーラー
こちらは場所や店名は不明ですが、当時軍人たちがよく使っていた街のテーラー(あるいはお直し屋)の典型的な例です。
当時ベトナム軍では支給された軍服を自分の体形に合わせて細身にしたり、上着の袖を七分袖・半袖化したり、ズボンを脛まで裾上げしたりといった改造が当たり前に行われており、基地や駐屯地の周りにはこうした町テーラーが無数にあったようです。
今日私のようなマニアが、40年以上前に消滅したベトナム共和国軍の軍装を取り憑かれたように調べているのは、過酷な戦場でも見栄えにこだわる軍人ならではのお洒落根性と、彼ら町テーラーの存在があってこその事だと思います。
国防省需品局 (Cục Quân Nhu)
最後に、上の町工場とは比べ物にならない膨大な数の軍服を正規に生産していたベトナム国防省需品局の軍服工場の映像をいくつかご紹介します。
米軍が制作した、キャンプ・イェンテー内の『軍装生産センター(TTSXQT)』における軍服生産を紹介する映像
ちなみにこのキャンプ・イェンテーにはNKTとMACV-SOGが共同運営するNKT訓練センターも設置されており、米軍からはキャンプ・ロンタンと呼ばれていました。
第121需品中隊が運営する別の軍服工場 (1970年)
国防省需品局および需品中隊の部隊章の例(第131需品中隊)
ベトナム共和国軍の軍服と言うとTTSXQTのスタンプがよく知られていますが、これらの映像から、実はTTSXQTは軍服を生産する工場ではなかった事が分かってきました。
映像にあるように、実際の縫製工場は各地に複数存在しており、またそれらの工場は国防省需品局所属の各需品中隊が運営し、民間人工員を雇用する形で生産を行っていた模様です。
私が思うに、TTSXQTとは軍服の規格を管理する需品局内の部署であり、動画のナレーションにあるように、各需品中隊が正規に生産した軍服は最後に検品され、合格したものにTTSXQTスタンプが押されるようです。
TTSXQTはキャンプ・イェンテー内に実在する工場でした。ただし軍服の生産自体はTTSXQT以外の工場でも行われていた模様です。
TTSXQTスタンプの例
完成した軍服にTTSXQTと思しき検印が押される瞬間
またキャンプ・イェンテーの動画はアメリカが供給した生地が軍服になるまでを紹介したものであり、さらに下の写真(第121需品中隊)にも、アメリカからの援助物資である事を示すUSAIDの印刷が生地が入った段ボール箱が写っています。
ベトナム軍ではタイガーストライプやERDL(リーフ)系迷彩服の生地をアメリカからの援助(中でもタイガーは沖縄・日本本土・韓国製が主)に頼っていた事は広く知られていますが、カーキ作戦服の生地もアメリカ軍から来ていたんですね。
考えてみれば、一般部隊向けのカーキ作戦服の方が、迷彩服とは比べ物にならないくらい遥かに大量に必要だったでしょうから、別に不思議な事ではないですね。
そうなるとこのカーキ生地の生産国も気になりますが、迷彩ならまだしもただの緑色の布なので、どうやって調べたらいいのか見当もつきません。
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