カテゴリ
News! (90)
銃器 (60)
映画 (19)
音楽 (16)
言論 (32)
民生 (3)
阮朝 (2)
人物 (33)
式典 (3)
BB/歩兵 (29)
ND/空挺 (47)
KB/騎兵 (8)
PB/砲兵 (1)
TT/通信 (3)
QV/輸送 (2)
HQ/海軍 (9)
KQ/空軍 (10)
QY/衛生 (2)
QC/軍警 (6)
軍犬隊 (1)
FULRO (11)
デガ (25)
モン族 (15)
ヌン族 (9)
本土軍 (2)
コマンド (10)
SDECE (3)
1914-1918 (2)
1918-1939 (8)
1939-1945 (22)
1945-1954 (88)
1954-1975 (463)
1975-1989 (19)

2023年12月30日

ベトナム共和国とカトリック(概説)

※2023年12月31日更新

1860年代から1954年まで1世紀近くフランスの統治下にあったベトナムは、アジアの中でも特にキリスト教(主にカトリック)の割合が多い国です。
ベトナムとカトリックの関係については、掘ろうと思えばいくらでも深く掘れる分野ではありますが、僕もまだそんなに詳しくは分かってないので、今回は概説だけ書きたいと思います。


第一次インドシナ戦争

第二次大戦における日本の敗北と同時にベトナムの政権を握ったホー・チ・ミンらベトミンは、共産主義・民族主義的イデオロギーからカトリックを敵視し、カトリック信徒に対するテロ攻撃を開始します。
その後すぐにフランスがインドシナの再占領に成功し、カトリックはフランスによって保護されますが、ベトミンによるテロは続き、フランス連合側ではベトナム人カトリック信徒による民兵組織『キリスト防衛機動隊 (UMDC)』等が組織され、カトリック勢力はフランスと団結してベトミンと対峙しました。(過去記事第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍 その3:その他の戦闘部隊』参照)
しかし1954年、ジュネーヴ協定によってフランスが撤退し、北ベトナムにホー・チ・ミン政権(ベトナム民主共和国)が成立すると、北ベトナム領に住むカトリック信徒は生命の危機に晒されます。そしてホー・チ・ミン政権による弾圧から逃れるため、30万人以上のベトナム国民(内8割がカトリック信徒とされる)が北ベトナムを脱出して南ベトナム(ベトナム国)に退避しました。

米仏軍による輸送作戦Operation Passage to Freedomにより北ベトナム領を脱出するカトリック難民[1954年]


第一共和国期

一方、1955年に無血クーデターによって南ベトナム(ベトナム国改めベトナム共和国)の実権を握ったゴ・ディン・ジェム総統は熱心なカトリック信徒であり、カトリックはむしろ政府によって優遇される事になります。
1964年の時点で、ベトナム共和国人口1450万人の内、カトリック信徒の割合は約10%に過ぎませんでしたが、ジェム政権(第一共和国期)下では政府・軍高官の大半、そして全国の省長官の2/3をカトリック信徒が占めるなど、ベトナム共和国の政治権力はカトリック勢力が握る事となりました。
また歴史的にベトナム人は中国人を快く思っていませんでしたが、それでもジェム総統は中国共産党に弾圧された中国人カトリック難民のベトナム共和国への移住を受け入れ、土地を与えたばかりか、中国人難民が国内で武装・民兵組織化する事も許可しました。(過去記事グエン・ラック・ホア神父』参照)

▲第一共和国期を率いたゴ家の兄弟3名。左からゴ・ディン・ニュー(カンラオ党=事実上の秘密警察指導者)、ゴ・ディン・トゥック(カトリック教会フエ大司教)、ゴ・ディン・ジェム(ベトナム共和国総統)

しかし、こうした極端なカトリック優遇政策が国内に深刻な宗教対立をもたらします。
ベトコンとの内戦を抱えながら、内政でも混迷が続いた事で、ついにはジェムのスポンサーだった米国CIAもジェムを見限る結果となりました。そして新たにCIAの支援を取り付けたズオン・バン・ミン将軍ら軍部の反ジェム派は1963年11月にクーデターで政権を奪取し、ジェム総統と弟のニューは革命軍によって暗殺され、ジェム政権関係者も軒並み粛清されます。
しかしそれでも、カトリック信徒には仏領時代から続く良家・エリート層が多く、ジェム政権を倒した軍内部にもカトリック信徒が多かったため、カトリックそのものが排斥される事はなく、以後カトリック勢力とベトナム共和国政府は共存していくこととなります。


ベトナム共和国軍の従軍司祭

上記のようにベトナム共和国の人口の10%はカトリック信徒だったため、当然ベトナム共和国軍に所属する将兵の中にもカトリック信徒が一定数存在しており、特に軍の高官やエリート部隊ではカトリックの割合が非常に高かったそうです。なのでベトナム共和国軍には欧米の軍隊のようにカトリックの従軍司祭およびカトリック司祭局(政治戦総局所属)が存在しており、これは他のアジア諸国には無いベトナム共和国軍の特徴と言えます。

▲前線で礼拝するベトナム共和国軍のカトリック信徒[1970年カンボジア領内]



左胸に十字架の職種章を佩用する従軍司祭(陸軍大尉)。キャロット(略帽)にも十字架を付けていますが、陸軍ではキャロット用いられないので、カトリック司祭局独自の軍装かも知れません。

▲キャソック(司祭平服)を着た従軍司祭。恐らく上の写真と同一人物。ベレー章は他に使用例のないデザインなので、これもカトリック司祭局独自の物かも知れません。

▲陸軍第1歩兵師団所属の従軍司祭/陸軍大尉(右の人物)。[1971年ラオス領内]
前線部隊に同行する従軍司祭は、カトリック司祭局ではなく師団パッチを佩用していた模様。

▲政治戦総局カトリック司祭局の部隊章

政治戦総局カトリック司祭局局長ポール・レ・チュン・ティン神父(陸軍大佐)
ティン神父は元ブンタウ聖ヨセフ神学校の校長であり、ベトナム共和国軍カトリック司祭局の最後の局長として終戦を迎える。終戦後、ティン神父は共産政権に逮捕され、再教育キャンプに10年間投獄された後、1985年にアメリカに移住。1994年にその地で死去する。


なお、政治戦総局にはプロテスタント司祭局や仏教司祭局も存在していましたが、ベトナムにおけるプロテスタントの信徒数は非常に少なく、しかもその信徒の大半は中部高原に住むデガ(少数民族)なので、プロテスタント司祭局の活動に関する情報はほとんど見た事がありません。仏教司祭局に所属する従軍僧については、現在資料集め中ですので、ある程度揃ったら記事にしたいと思います。


カトリック民兵(人民自衛団?)

こちらはカトリック民兵とされる組織です。人民自衛団は本来、都市村落毎に編成される政府指揮下の自警団ですが、これはそのカトリック教区版と言ったところでしょうか。映像を見つけただけで、詳しい事はまだ分かりません。


ボーイスカウト


ベトナム共和国時代のボーイスカウト/ガールスカウトは、公にはカトリック教会所属の組織ではありませんでしたが、教会・修道院との繋がりが深く、事実上のカトリック関連組織と言って良いと思います。(ただし非カトリックでも入団できる)
戦時中、ボーイスカウトは軍の補助組織として後方支援任務の一部を担いましたが、公には民間の慈善団体であり、またカトリック教会直営という訳でもなかったため、戦後の共産主義政権下でも(共産党への忠誠を第一義とする条件で)解体をまのがれ、今日でも存続しています。
  


2018年03月24日

49年前のペーパークラフトPBR

 先日、あるコレクターさんがフェイスブックに、1969年にベトナムで出版された子供向けのペーパークラフトの画像を投稿されました。戦時下なので、共産軍の投降を促すと同時に国内の結束をアピールする心理作戦"チューホイ計画(Chiêu Hồi)"の一環として作成されたもののようです。おそらく娯楽の乏しい農村地帯にこのチラシを飛行機からばら撒き、子供がそれを拾って遊ぶことで、子供たちにベトナム共和国政府への帰属意識を植え付ける事を意図していたと思われます。


僕はこれを見た瞬間、「こりゃ作らなきゃ!」と思ったので、さっそく画像をフォトショップで補正して、厚紙に印刷しました。
持ち主によるとオリジナルのリーフレットの寸法は12in×18inらしいので、それに合わせて実寸大で出力しました。


あとは童心に帰ってハサミでチョキチョキ、糊でペタペタするだけ。
そして完成したのがこちら!

船体の文字は"Đây là Trạm Chiêu Hồi (こちらチューホイ事務局)"。
子供向けなのでかなりいい加減なペーパークラフトですが、船首の2連装重機関銃や、後部重機関銃の防盾、ドーム型の通信アンテナなどPBRの特徴は押さえていますね。

こちらがモデルになったベトナム海軍のMkII PBR(米国製)


今回使ったデータはこちらで公開しています。そのままA4サイズで印刷してお使いください。



【おまけ】

実家の荷物から、懐かしい物が出てきました。たしか中3の最後の方で、美術の時間に卒業して離れ離れになる友達へのメッセージカードを作った際のものだと思います。なお、文の内容は恥ずかしくて見せられません。


当時どんなガキんちょだったかがうかがい知れますね。他にも美術の時間に、紙粘土や木工で「卑猥な物体」を本気でリアルに作って、それを教室の壁に設置していた記憶があります。
あと夏休みの宿題でロシアのSu-37戦闘機を描いてきたり、靖国神社の桜の前で軍刀持った日本陸軍士官の絵を描いてきて、しかもそれなりの画力で本気で描いてあっただけに、先生は対応に苦慮しておられました。
当時の絵はどこに行っちゃったのかな~?捨ててないはずなんだけど。
  


Posted by 森泉大河 at 17:54Comments(0)1954-1975自作グッズCTCT/政治戦

2015年03月13日

ダラット政治戦大学の軍装

※2024年4月13日


ダラット政治戦大学(Trường Đại học Chiến tranh Chính trị)は政治戦総局(TCCTCT)が所管する政治戦士官(SQ/CTCT)教育機関で、ダラット国家武備学校(VBQG)と並ぶ、ベトナム共和国軍のエリート養成施設でした。※過去記事政治戦総局/TCCTCT』参照
しかし、設立は1966年と比較的遅く、卒業者数も少ない(6期のみ)ため、当時の写真はネット上でも意外と少ないのです。そのため、僕にとってはベトナム軍の士官学校の中で最も謎の多い学校でした。
それが先日、フェイスブックで知り合ったベトナム共和国軍人のご子息が、この政治戦大学の制服に関する当時の資料を公開されていたので、非常に勉強になりました。とても貴重な資料ですので、僕のブログでも紹介してみようと思います。

大礼服
冬季大礼装


冬季準礼服 


冬季外出服


冬季勤務服


夏季大礼


夏季準礼服


夏季外出服


夏季勤務服


勤務服


作戦服


新課生訓練服
※上級生が新課生(一年生)を指導する際の服。

この分類は政治戦大学に限らず、他の士官学校を含めた全軍で同じようです。
今まで沢山の種類の制服を見てきましたが、それらがどのように着分けられているのか全く分からなかったので、今回この資料を見せて頂くことが出来て非常に勉強になりました。
ベトナムに冬服なんて要るの?って思われがちなのですが、実はベトナムでも高原地帯で天候が悪いと気温が10℃近くまで下がるので、冬服を着ている写真は非常に多いです。一応フランス軍型のオーバーコートまで使用されてますし。(さすがに着てる写真はかなり少ないけど)
以前お話を伺った、日本に住んでいるダラット国家武備学校卒業者の方も、ダラットは高原にあるので普通に寒かったと仰ってました。


おまけ画像

  続きを読む


2015年01月13日

おすすめベトナム映画

僕のところには時々、「南ベ装備やるのにお勧めの映画ってありますか?」というご質問を頂くことがあります。

あります。あるんですよ。超お勧めのが。

Chiếc bóng bên đường (道端の影) / 1973年
出演: Kim Cương, Kiều Chinh, Thành Được, bà Bảy Nam, Vũ Thành An
監督 : Nguyễn Văn Tường 


<ストーリー>
ある日、少年が外で遊んでいたところベトナム地方軍(DPQ)駐屯地の地雷原に足を踏み入れて身動きが出来なくなってしまった。
少年の姉マイが見守る中、部隊指揮官のトゥアン中尉は自ら地雷原に入り少年を救出。後日、駐屯地近くの洋裁店に勤めるマイはお礼を言う為駐屯地を訪問し、DPQ兵士達と親睦を深める。
マイは弟を助けてくれたトゥアン中尉に惹かれていったが、トゥアンと同部隊のロアン中尉は以前からマイを好きだったためトゥアンをライバル視し、恋の三角関係に発展する。
(中略)
ようやく結ばれたトゥアンとマイだったが、戦争は無情にも二人の中を切り裂き、トゥアンは戦死する。
トゥアンを失ったマイと弟たちは悲しみにくれるが、トゥアンが教えてくれた勇気と慈しみの精神はいつまでも消えることは無い・・・
(中国語とフランス語字幕しかないので台詞がぜんぜん分からないんですが(笑)、映像と中国語字幕の漢字、あとキャプションから何となく分かったストーリーはこんな感じ)
  続きを読む


2014年05月12日

心理戦部隊

毎度お馴染み『CriticalPast』さんのYoutubeチャンネルから。
いや~、本当にここは良い映像が出てきますね。もちろん南ベトナム以外の映像も沢山ある、というかメインはアメリカ軍なので、アメリカ軍を研究されている方にも絶対にお勧めなチャンネルです。
(CriticalPastは古い記録フィルムをメディアなどに販売している会社なので、これらの動画は商品の試し見なのですが、それでも十分マニア的には美味しい映像が盛り沢山です。)

さて、今回は南ベトナム軍の心理戦(CTTL)部隊です。
心理戦などの政治戦(CTCT)部隊を統括する総参謀部付きの部局、政治戦総局(TCCTCT)の概要については過去記事『政治戦総局/TCCTCT』を参照。


  続きを読む


Posted by 森泉大河 at 21:08Comments(1)1954-1975CTCT/政治戦

2013年09月27日

政治戦総局/TCCTCT

※2024年4月13日更新

あれは僕が二十歳くらいの頃。
ある日、ブラックホールだかビクトリーショーに一人で行ったら、あるディーラーで南ベトナム陸軍の肩章が売っていました。
肩章は二種類あり、一つは一般的な略式(スリーブ型)肩章に金属製階級章(少尉)。
もう一つは、それとほぼ同じ肩章の上に、謎の金属製徽章が付いた物でした。
どっちを買おうか迷いましたが、両方同じ値段だったので徽章付きの方がお得だろうと思って、後者を選びました。
しかし、その後もこの徽章の正体が分からない状態がずっと続いてました。


それから数年後、インターネットで在米南ベトナム軍人アソシエーションのサイトを見ていたら、見覚えのあるマークが出てきました。
どうやらあの徽章は、政治戦総局という組織の物のようです。
具体的にどういう事をしてた機関なのか以下にまとめてみました。

政治戦総局[ Tổng Cục Chiến tranh Chính trị (TCCTCT) / POLWAR General Department ]とは、プロパガンダや宣伝工作など国内外への心理作戦を行うため1964年11月に創設された総参謀部(BTTM)直属の機関。
ベトナム戦争は、その当初から国内の反政府勢力の反乱という非正規戦争の要素が大きく、通常の軍事作戦だけでは対処出来ない事は明白だった。そのためには、まず南ベトナム政府が人心を掌握し、民衆がベトコンなどの反政府勢力に流れないようする必要があった。
また、末端の共産軍兵士の中には共産主義に懐疑的で、純粋に民族自決や宗教解放が目的であったり、貧困や徴兵によってしかたなく
戦っている者も多く居たため、これらの人々に対しては南ベトナム政府の正当性をアピールすることで戦意を削いだり、投降・寝返りを促す心理作戦が有効であった。
政治戦総局はその実行機関として様々な宣伝工作を遂行し、ベトナム戦争において重要な役割を担った。

政治戦総局は以下の五つの部局から構成されています。

軍事保安局(Cục An Ninh Quân Đội)
敵スパイに対する防諜・情報保全などを担う保安機関。
1952年にベトナム国軍総参謀部が発足した際、その部局として軍事保安課(Nha ANQD)が設置された。
1965年の軍の組織改編に伴い政治戦総局の部局となり、軍事保安局(Cục ANQD)へと改称される。
形式上は政治戦総局の下にあるが、諜報戦に関しては独立した権限を有しており、国内の共産軍シンパの摘発を独自に行っている。


心理戦局(Cục Tâm Lý Chiến)
軍民から集められた数百人の歌手・俳優による中央芸能集団(Biệt đoàn Văn nghệ Trung ương)を擁し、ラジオ・テレビ・映画・出版物
等のメディアを通じて国内の国威宣揚、および敵へのプロパガンダと撹乱工作を行う。
心理戦局はゴ・ディン・ジェム政権時代に発足し、1962~64年の間は心理戦の専門家を育成するための15の基礎心理戦訓練コースを
運営した。1965年には改編に伴い政治戦総局の所管となり、それまで予算が足りず心理戦を実行する事が出来なかった各部隊に代わって、
心理戦局が一括して心理作戦を引き受けた。これは特に、部隊規模が小さいながら地元民間人との協力関係が重要な地方軍(DPQ,NQ)
にとって非常に効率的なシステムとなった。
また、心理戦局はベトナム・ボーイスカウトも所管していたが、1970年以降は組織を改編し社会福祉局に移管した。
共産軍への心理作戦は米軍特殊部隊心理戦(PSYOP)部門と共同で行われ、チューホイ計画本部(Bộ Chiêu Hồi)は、敵支配地域に投降
を促すビラを散布したり、スピーカー放送による呼びかけを行い、多数の北ベトナム兵やベトコンから投降・転向者を引き抜くことに成功した。
さらに"母なるベトナム"、"聖剣愛国戦線(OP-39作戦)"、"南部の声"、"クメールの声"、"インドシナ民族戦線"といった秘密ラジオ放送を
敵側に送信し続けた。この中には単に敵の戦意を削ぐだけでなく、もともとベトナム人を嫌っているカンボジアの共産ゲリラ"クメール・ルー
ジュ"に対し、カンボジア領を往来する北ベトナム・ベトコンとの対立を煽り、共産主義勢力内での内紛を意図する放送もあった。

▲心理戦局の全面協力によって製作された映画"晴れた日の午後/Nắng Chiều"(1973)
主演のフン・クオン(本名チャン・キム・クオン)は南ベトナムを代表するスター歌手。登場する軍人は皆、心理戦局の徽章を身に付けている。


教育局(Cục Chính Huấn)
軍の教育プログラムの作成や文化・生活面での活動によって兵士(警察官含む)への愛国精神教育を行う。
戦意高揚のため"旗ははためく"、"忠国の誓い"、"立ち上がる幾千戦士"、"北からの侵略者"など多数の国威宣揚音楽の作曲も行った。
直接の教育機関として、政治戦の専門家を育成する政治戦大学(Trường Đại học CTCT)および政治戦訓練センターを運営した。
政治戦大学は心理戦局の訓練コースを基に1966年に設立された政治戦士官(SQ/CTCT)教育課程で、カリキュラムは社会科学および
政治に焦点が当てられた。それ以外の軍事分野については、ダラット国家武備学校(VBQG)に出向して中隊指揮官レベルの戦術教育
を施された。教育期間は2年間で、終戦までに6期の卒業生を輩出した。卒業後は各部隊の先任政治戦士官として任に就くはずであったが、
実際には戦争の激化で戦闘部隊指揮官が不足したため、歩兵部隊の中隊参謀または小隊長になる者が多かった。


厚生局(Cục Xã Hội)
出征した将兵に代わってその家族の住居、学校教育、医療などの生活支援・福利厚生を行う。
多数の婦人将兵(Nữ Quân nhân)が所属しており、福祉分野を専門に教育する婦人学校(Trường NQN)を運営する。
職員は傷病兵のいる病院や家庭に訪問して看護・介護・慰問を行ったり、補助教員として一般学校で教鞭を執った。
また文部省と共同で、公立小中学校における青少年向けの軍事教練や、軍人子息に対する私立学校の授業料無料化を行った。
1970年には、それまで心理戦局が所管していたベトナム・ボーイスカウトが新たに『少年軍事連盟(Liên đoàn Thiếu nhi Quân đội)』
として再編され、社会福祉局の所管となった。
また従軍司祭としてカトリック(Công giáo)、プロテスタント(Tin lành)、仏教(Phật giáo)それぞれの司祭課(Nha Tuyên Úy)を所管
した。


需品購買局(Cục Quân Tiếp Vụ)
将兵およびその家族に、軍の生活物資を免税で提供するサービスを行う。
世帯あたりの家族数に応じて購入量は定められているが、特に嗜好品であるタバコビール、牛乳、砂糖、その他生活用品が市場価格の
30%~60%で購入でき、兵士・国民の士気を高めた。


この他、心理戦大隊や軍事保安大隊の徽章はこちらに掲載。(うわこのサイト、マニアック~w)

では、僕の買った徽章はどこの部署だったかというと・・・よく分かりません。
心理戦局(炎マーク)に似ているのですが、うちのは炎だけでなく星マークが入っているのです。
同じデザインのパッチは存在はしているんですが、なんと言う部署なのかはっきりせず。

▼心理戦局(左)と、謎の部署(右)

炎+星というデザインは他にも使われてまして、政治戦心理戦訓練センター※(左・中)と、心理戦訓練センター(右)のパッチに見られます。
※2014年5月13日訂正


では訓練センター(教育局)系で決まりかと言うとそうでもなく、
心理戦局に属すると思われる心理戦大隊(左)や対モンタニヤード心理戦部隊(右)にも、同じシンボルが・・・


こうなると、もう分かりませんw

とりあえず、心理戦局か教育局のどちらかっぽいです。
ま、政治戦士官は徽章以外は普通の陸軍将校と同じ格好だし、パッチも自作できるので、コスプレする分には困らなそうです。


ギター片手に市民と交流する政治戦士官とか、まぢクール!!
  続きを読む


Posted by 森泉大河 at 15:50Comments(2)1954-1975コレクションCTCT/政治戦