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2017年05月01日

グレイタイガーの4月30日

※2017年5月3日加筆・修正

過去の記事

 昨日、このブログを始めて4回目の4月30日『サイゴン陥落』の日を迎えました。ベトナム本土では今年も相変わらず、ベトナム共産党(当時労働党)が800万人もの人命を犠牲にして強行した『解放』と『統一』の偉業が喧伝され、祝賀ムードが演出されています。
 一方、終戦後共産政権による弾圧と暴政から逃れ国外に脱出したベトナム難民とその子孫ら約300万人の在外ベトナム人たちは、この『国恨の日(Ngày Quốc Hận)と呼び、ベトナム全土がベトナム共産党というテロ組織の支配下に墜ちた悲劇の日として記憶されています。

 昨年12月、私は友人の紹介で、米国カリフォルニア州在住の元ベトナム難民、ファム・チャウ・タイ(Phạm Châu Tài)という人物にお会いしてきました。タイ氏グレイタイガー(Hổ Xám)』の異名で知られる元ベトナム陸軍特殊部隊少佐で、ベトナム戦争中MACV-SOGプロジェクト・デルタ、第81空挺コマンド群に所属し、常に最前線で共産軍と戦い続けた歴史の生き証人の一人です。今回はタイ氏が経験した4月30日の物語をお伝えします。

▲タイ少佐(左手前)、ホア少尉(左手奥)、ハウ監督(右手前)、私(右手奥) [2016年12月カリフォルニア州ウェストミンスター]

▲タイ氏が所属したNKT雷虎第1強襲戦闘団(MACV-SOG CCN) FOB2 チーム『オハイオ』 [1966-1967年頃 コントゥム]

▲LLĐBプロジェクト・デルタ時代のタイ大尉(当時 写真右から2番目) [1960年代末]

▲タイ大尉(当時)が指揮した第81空挺コマンド群第3強襲中隊 [1972年 アンロクの戦い]
戦車砲の防盾上に立つ人物がタイ大尉

 幾多もの激戦を渡り歩き、特に1972年の『アンロクの戦い』において、迫りくる共産軍機甲部隊に対し歩兵による対戦車戦闘を指揮して見事な勝利を掴んだタイ大尉は、同年少佐に昇進し、『グレイタイガー(灰虎)』の勇名は国中に知れ渡るところとなった。
 それから3年後の1975年、アメリカからの支援を失ったベトナム共和国軍は、依然中ソによる支援を受けながら南侵を続ける北ベトナム軍の勢いを止める事が出来ず、戦況は悪化の一途をだどっていた。3月には南ベトナム中部(第2軍管区)の失陥を許し、補給路が分断された事で北部の第1軍管区も孤立。さらに4月には、サイゴン防衛の要衝であるロンカン省スンロクが北ベトナム軍4個師団に包囲される。この『スンロクの戦い』において、レ・ミン・ダオ准将麾下の共和国軍第18歩兵師団および第81空挺コマンド群は4倍の兵力の敵に対し猛烈な反撃を行い北ベトナムの進攻を12日間遅らせる事に成功したものの、最終的に共和国軍は首都防衛の戦力を温存するためスンロクを放棄し、ビエンホア街道からサイゴンに撤退した。

▲1975年3月から4月にかけての北ベトナム軍の南侵 (クリックで拡大)
South Vietnam - The final days 1975, U.S.Army

 この逼迫した状況の中で、タイ少佐が指揮する第81空挺コマンド群第3戦術本部(Bộ Chỉ Huy Chiến Thuật Số 3)は4月26日、参謀総本部を含むタンソンニュット空港・空軍基地周囲の守備を命じらる。
 一方、ベトコン側のスパイとしてベトナム共和国空軍に潜入しており、4月8日にF-5戦闘機で総統府を爆撃したグエン・タン・チュンは、北ベトナムへの逃亡後すぐさま南侵部隊に合流しており、4月28日には北ベトナム軍によって占領されたファンラン基地からA-37攻撃機で再びサイゴンへ向けて飛び立ち、タンソンニット空港への爆撃を実行した。この時タイ少佐は、守備対象である空港が自軍の攻撃機によって爆撃されるのを地上から見ている事しか出来なかったた。
 同28日、1965年以来10年間に渡ってベトナム共和国軍参謀総長を務めていたカオ・バン・ビエン大将は、敗戦すれば家族もろとも共産軍から拷問を受けて処刑されると考え、正式な辞任を経ずに家族を連れて密かにサイゴンから脱出してしまった。また辞任したグエン・バン・チュー前総統に代わって4月21日に総統に就任したチャン・バン・フォンも、就任から1週間後のこの日、ベトコン側に停戦交渉を拒否されたため総統を辞任した。

▲ベトナム共和国軍参謀総本部庁舎 [ジアディン省タンビン区]

 翌4月29日、敵が目前まで迫る中、ビエン大将の失踪を受けて参謀総本部(BTTM)はビン・ロック中将を新たな参謀総長に選任した。そして同日午後、タイ少佐はサイゴン守備部隊指揮官の一人として、新体制となった参謀総本部での戦況会議に招集される。参謀総本部はタンソンニットから目と鼻の先であり、タイ少佐が完全武装した4名の護衛と共に会議室に入ると、彼は英雄が到着したとしてビン・ロック中将ら幹部に紹介された。この時、会議室内の雰囲気は非常に緊迫しており、数十人居る参謀将官・佐官たちの内、椅子に座っている者はほとんどいなかったと言う。
 参謀総長への挨拶を済ませると、タイ少佐はグエン・フー・コ(Nguyễn Hữu Có)中将ら幹部の将官らと今後の対応を協議した。この中でタイ少佐は、もはや敗戦は避けられない情勢である事を理解し、将軍たちにこう語った。

「我が隊は、明日の朝まではここ参謀総本部を守り抜くつもりです。明日の朝が限度です。もう答えは出ています」 

タイ少佐は顔をあげて将軍たちの顔を見渡した。これに対し、将は自信を持った口調で皆に向けて答えた。

「私はこの部屋にいる将官や士官たちに誓う。今夜、ここ参謀総本部にはアリ一匹、ハエ一匹通しはしない。当然ベトコンもだ。」

▲グエン・フー・コ中将
 グエン・フー・コ中将かつて軍事政権で国防長官を務めていたが、1967年に政権内部の政争に敗れ軍から追放されていた。しかし1975年になり戦況が悪化すると、停戦交渉の前提としてチュー政権関係者の排除を求めるベトコン側の要求に応じ、ベトナム政府は1975年4月28日にズオン・バン・ミン大将を総統に、グエン・フー・コ中将を軍部の顧問として政府に復帰させた。しかしそれでもベトコン側は交渉のテーブルに付く事はなかった。

 それからコ中将はタイ少佐に、何か手伝える事はあるかと尋ね、タイ少佐は以下の提案をした。

「私の隊の一部を閉鎖された陸軍工廠に撤退させて頂けませんか。あそこに立て籠れば戦力を補えます。」

しかしそれにはタイ少佐が受け持つ約1000名の部隊からその1/4の人員を裂く必要があり、首都防衛最後の拠点である参謀総本部の守備が薄くなる事を意味していた。コ中将はこの提案を受け、すぐに結論を出すため電話で緊急の会議を招集した。そこで参謀たちは守備兵力を裂くことに不安を滲ませたものの、タイ少佐の案は了承され、部隊は陸軍工廠への移動を開始した。しかし夜になると命令は変更され、陸軍工廠守備隊は再びタイ少佐の元へ引き返す事となる。

 4月29日の夜になると、タンソンニット周辺で多数の銃声が鳴り響いた。空挺コマンド部隊は複数の地点に分かれて散発的な銃撃戦を続けたが、その都度敵は少なからぬ損害を出し退却していった。この時点でタイ少佐の部隊の損害は軽微であり、兵士たちは高い士気を維持していたという。
 散発的な戦闘の後、一旦敵の攻撃が収まると、長い静かな夜が訪れた。兵士たちは狭い指揮所の中で身を寄せ合い、眠れぬ夜を過ごした。しかし部隊長のタイ少佐は、命令を出す必要がある時だけ起き上がり、それ以外の時間は横になって寝ていた。それは、この参謀総本部を守る戦いがこの一晩で終わるとは考えていなかったからであった。必要であれば、タイ少佐は南ベトナムを救う手立てが見つかるまで何日でもこの場所で戦い続けるつもりであった。

 そして運命の4月30日が始まった。夜明けと共に北ベトナム軍の機甲部隊は多方面からサイゴン市内への突入を開始した。タイ少佐は、ついに最後の時がやってきたと部下のホアン・クイ・フォンに伝え、兵士たちに無線で指示を送った。
 タイ少佐は、敵は必ず戦車を先頭にし、それに続いて歩兵部隊が前進する事を知っており、それを阻止するにまず先頭の戦車を足止めする必要があった。そのためタイ少佐は、敵が通行するであろうクアンチュン訓練センター付近で攻撃を行う事に決めた。クアンチュン訓練センターはタンソンニュットの北に位置し、その周囲は戦車を待ち伏せ攻撃するのに適した地形であった。また訓練センターには、対戦車戦闘の教育を受けた新兵たちが今も多数立てこもっていた。タイ少佐は彼ら新兵に無線で指示を送り、2両の戦車を撃破することに成功した。しかし他の戦車は歩兵を乗せたトラックを従えてサイゴン市街へと前進を続けた。
 そして敵部隊が参謀総本部まで約2kmのバイヒェン交差点に到達すると、待ち構えていた第81空挺コマンド群第3戦術本部本隊と接触した。空挺コマンドは周囲の建物に身を潜め、交差点に差し掛かった敵戦車を頭上からM72対戦車ロケットで攻撃した。同時刻、敵戦車はタンソンニット空港のフィーロン門およびランチャカ(ピニョー・ド・ベーヌ廟)付近にも進軍し、空挺コマンドはそこでも対戦車戦闘を行い、複数の敵戦車を撃破した。
 しかし後続の戦車が次々と押し寄せ敵が反撃に転じると、空挺コマンドは参謀総本部まで撤退するよう命じられた。

▲タンソンニュット周辺およびサイゴン市街の位置関係 [1971年版サイゴン・ジアディン省地図より]

ランチャカ前で空挺コマンドに撃破された北ベトナム軍のT-54/55戦車 [1975年4月30日ジアディン省タンビン区]

 参謀総本部正門前まで退却したタイ少佐らは午前9時30分に、参謀総本部第3室(作戦参謀部)の参謀から無線を受け、停戦を命じられた。しかしタイ少佐はこれを拒否し、その参謀に、自分は参謀総長からの直接命令以外受け入れない。空挺コマンドは今も参謀総本部を守って戦っているのだと回答した。
 それから30分後の午前10時、ズオン・バン・ミン大将(総統)は無線通信を通じて、全軍将兵に戦闘を停止し武器を捨てるよう命じた。これを聞いたタイ少佐は参謀総本部前の防御陣地離れ、独立宮殿(総統府)に居る新参謀総長グエン・ヒュー・ハン准将に個人的に電話をかけ、軍の最高司令官であるズオン・バン・ミン将軍と直接話したいと伝えた。そして電話口で15分待った後、ついにミンが応答した。

「こちらはズオン・バン・ミン大将だ」

大将閣下、私は空挺コマンドのファム・チャウ・タイ少佐です。我々は最終的決定が下るまで、ここ参謀総本部を防衛せよと命令を受けています。1時間前、我々は停戦するよう無線を受け、そして先ほども将軍が無線で停戦を呼びかけているのを聞きました。我々としては、その停戦について、もう一度詳しくお聞きしたいです。」

ミン将軍はしばらく言葉を発するのを躊躇った後、タイ少佐に語った。

「・・・もうなす術はない。君も投降する準備をしてほしい。」

大将閣下、それでは無条件降伏ではないですか!」

重苦しい沈黙の後、タイ少佐は口を開いた。

「閣下、我々はここを死守せよと命令を受けました。事実我々は朝から敵の攻撃を退けており、すでにこの付近だけで敵戦車を6両撃破しました。しかも我が方はほぼ無傷です。閣下、我々は降伏などできません。我々はいったい何年軍の為に尽くしてきたとお思いですか・・・」

「従いたまえ」

「閣下、もし閣下が降伏なされば、今も参謀総本部で戦っている2000名の将兵の身は安全であるという保証はどこにあるのですか」

沈黙の後、ミン将軍は最後にタイ少佐に一言だけ述べ、電話を切った。

「敵の戦車が市街に突入しようとしている。従ってくれ」

▲ベトナム共和国最後の総統ズオン・バン・ミン大将 [1975年4月30日 独立宮殿]

 電話を切られたタイ少佐は、やむなく自分の防御陣地に戻る事にした。そして正門に続く基地内の長い道路を歩いている途中で、ある高級将校と出くわし、独立宮殿で何が起こっているかを知らされた。彼が最後に聞いたズオン・バン・ミン大将からの通信は、独立宮殿に敵戦車が突入したという言葉だったという。
 それを聞いたタイ少佐は、すぐさま部隊を率いて独立宮殿に乗り込んでミン将軍を救出し、そして軍と兵士の安全を確保した上での停戦となるようミン将軍を今一度説得しようと考えた。タイ少佐は防御陣地に戻ると、自分の部隊を見渡した。空挺コマンドの兵士たちはいまだ銃を手にし、眼前に迫る敵軍から目をそらしていなかった。

▲タイ少佐が最後の防御陣地とした参謀総本部正門 [ジアディン省タンビン区]

 その時、無線機から再びズオン・バン・ミン大将発の命令が聞こえてきた。そしてその命令は停戦ではなく、速やかな投降、つまり無条件降伏を命じるものであった。この瞬間、1946年以来30年間近くにおよんだベトナム政府と共産主義勢力との戦いは、共産側の勝利に終わった。北ベトナム軍は参謀総本部を包囲するため次々と押し寄せてきたが、銃声は止んでおり、辺りは不気味な静けさに包まれていた。

 15分後、参謀総本部周辺の住民たちが通りに出てきて、兵士たちに語り掛けてきた。

「兄さんたち、もう戦わなくていいんだよ。平和になったんだ。家に帰ろう」

そして人々は家から急いでTシャツなどの私服を持ってきて空挺コマンド隊員たちに与えた。

「軍服を着てちゃダメだ。これに着替えな」

サイゴン市民は政府軍降伏の知らせを聞くと、兵士たちを共産軍による報復から守るため、街の至る所で早く私服に着替えて逃げるよう促していた。

▲軍服を脱ぎ捨てる第81空挺コマンド群兵士 [1975年4月30日ジアディン省タンビン区]


 兵士たちが投降の準備を進める中、タイ少佐は最後にもう一度自分の部隊を集めた。そして彼は部下への命令としてではなく、共に幾多の苦難を乗り越えてきた兄弟たちへの言葉として、兵士たちに訴えた。

「我々は空挺コマンドである。降伏などしない。戦いを投げ出し、怯え隠れてはならない。どうか降伏しないで欲しい。空挺コマンドは決して降伏しない!」

 兵士たちも皆、同じ気持であった。しかし最高司令官から下った命令は明白であり、またこれ以上の抵抗は誰の目にも無意味であった。最終的にタイ少佐は参謀総本部正門前で、部下たちと共に共産軍による武装解除に応じた。こうしてファム・チャウ・タイの戦争は終わった。

空挺コマンド "グレイタイガー" ファム・チャウ・タイ少佐

出典:
Hoàng Khởi Phong
30-4-1975: Trận Chiến Cuối của Hổ Xám Phạm Châu Tài- Liên Đoàn 81- Biệt Cách Nhảy Dù

Vương Hồng Anh
30.4.75: Nhảy Dù, Biệt Cách Dù Kịch Chiến Với CQ Trước Giờ G


 投降後、戦犯として共産軍に逮捕されたタイは強制収容所での長く過酷な生活を経験した後アメリカに亡命し、現在はカリフォルニア州ウェストミンスター市のベトナム移民街リトル・サイゴンで穏やかな生活を送っておられます。
 氏は普段、メディアからの取材は全て断っているそうですが、今回は「戦後ベトナム生まれの若者たちに自分たち祖父の時代を知ってほしい」という熱意を持った若き映像作家からの依頼により、インタビューが実現しました。その為インタビューは全てベトナム語で進められたので、はその場では内容をあまり理解出来ませんでしたが、友人が「今のベトナムの若者に何を伝えたいですか?」と問いかけた時のタイ氏の表情を私は決して忘れません。
 友人の問いかけに、氏は目にうっすら涙を浮かべ、言葉を詰まらせたままおよそ3分間ほど沈黙が続きました。その間、氏の脳裏には恐らく、当時死んでいった若者たちの事、自分たちが共産軍を倒せなかった為に祖国を恐怖が支配する独裁国家にしてしまった事、そしてその中でホー・チ・ミンと共産党の偉業だけを教育され育っていく戦後のベトナム人たちのへの複雑な思いが駆け巡っていただろう思います。長い沈黙の後、タイ氏は友人に自らの思いを打ち明けました。その内容はインタビューの英語翻訳版の完成を待たなければなりませんが、その言葉を語るタイ氏の目を見ているうちに、少なくともそれは、この41年間、氏の心に重くのしかかり、口を閉ざしていた想いの片鱗であった事は理解できました。この貴重なインタビューを日本で公開できる日を心待ちにしています。

  


2017年03月05日

ベテランの軍装

 ベトナム共和国軍は1975年4月30日の敗戦によって解体されましたが、当の共和国軍人たちにとって、彼らが最後に受け取った正式な命令は、4月30日午前10時30分にズオン・バン・ミン総統から下された『戦闘停止』までと認識されています。
 なぜなら午前12時にミン総統が全面降伏とベトナム共和国政府・軍・警察の即時解散をラジオ放送を通じて命じた時点で、ミン総統は既に共産軍に拘束されており、この降伏声明は共産軍側が用意した原稿を無理やり読まされたもので正式な命令ではないと考えられているからです。総統府(独立宮殿)が占領されミン総統が拘束された時点で、ミン総統は憲法が定める政府を代表する職権を遂行できない状態にあり、その状態で発せられた命令に効力は無いと軍人たちに受け取らています。
 そのためベトナム共和国軍は1975年に離散はしたものの、解散はしておらず、彼ら軍人も事実上復員しただけで、正式な退役はしていません。なのでこの状態を表す日本語としては残党』が当てはまると思いますが、残党はあまり聞こえの良い言葉ではないですし、実際には軍事的な活動もしていないので、僕は彼らのこと事を復員軍人もしくはベテラン*と呼ぶことにしています。(Veteranは日本では退役軍人と訳されますが、必ずしも退役している必要はなく、言わば『古参兵』を意味する言葉です。)
 従って彼らベテランは終戦から40年以上たった現在もベトナム共和国と共和国軍に『所属』しており、その軍服のデザインは彼らの歴史と誇りを語り継ぐ『現役』の制服として、今もベテランの方々に式典や会合などで着用されています。


作戦服

 当時ベトナム共和国軍将兵の大半は日ごろから作戦服(Quân phục Tác chiến)を勤務服として着用していたため、ベテランの方々も作戦服を着て式典に参加される事が多いです。しかし彼らは軍装マニアではないので、高価な実物やレプリカを購入する人はごく一部であり、殆どの人は住んでいる街の洋服屋やサープラスショップで購入した代用軍服を着用しています。その為、服の形状や迷彩柄はバラバラな事が多いです。世の中にはマニア向けの高価なレプリカ軍服がたくさんありますが、ベテランたちが着ている服は一セットの30ドルほどの中古BDUに過ぎません。しかし彼らが軍人としてそれを着た瞬間、その服はまぎれもない『本物』の共和国軍軍服になるのですから、どんな気合入ったコスプレもこれには敵いませんね。


<オリーブグリーンBDUおよびユーティリティユニフォーム、その他で代用>

▲陸軍歩兵科(Bộ Binh)


陸軍装甲騎兵科(Thiết Giáp Kỵ Binh)


▲憲兵隊(Quân Cảnh)


技術局連絡部"雷虎"偵察チーム(Biệt kích Lôi Hổ / Sở Liên Lạc / Nha Kỹ Thuật)、通称MACV-SOGの作戦時の個人装備


地方軍(Địa Phương Quân)


地方軍独立偵察中隊(Đại Đội Trinh sát biệt lập / Địa Phương Quân)、英語名PRU


<ウッドランドBDUで代用>

▲陸軍レンジャー科(Biệt Động Quân)


▲陸軍特殊部隊科(Lực Lượng Đặc Biệt)/空挺コマンド部隊(Biệt Cách Nhẩy Dù)


<仏軍その他のリザード系迷彩服で代用>

陸軍空挺科(Nhẩy Dù)


アパレル各社のタイガーストライプ系迷彩服で代用>

海兵隊(Thủy Quân Lục Chiến)


技術局連絡部"雷虎"部隊(Biệt kích Lôi Hổ / Sở Liên Lạc / Nha Kỹ Thuật)


技術局作戦部"黒龍"部隊(Biệt kích Hắc Long / Sở Công Tác Nha Kỹ Thuật)


<6カラーデザート迷彩BDUで代用>

▲国家警察野戦警察隊(Cảnh Sát Dã Chiến)/武装支援隊(Yểm Trợ Võ Trang)


<米軍パイロットスーツはまたは民間のカバーオールで代用>

▲空軍パイロット(Phi công Không quân)


黒色のアオババ>

技術局沿岸警備部"特海"部隊(Lực Lượng Biệt Hải / Sở Phòng Vệ Duyên Hải / Nha Kỹ Thuật)
黒色のアオババ(Áo bà ba)は外国人から『ブラックパジャマ』と呼ばれベトナム共産ゲリラの代名詞とされていますが、当時のベトナムでは極ありふれた作業着であり、政府軍でも特に海軍や水上部隊が作業着として好んで使用しました。※ただし当時はパッチはほとんど付けていません。


農村開拓団(Xây Dựng Nông Thôn)
黒色のアオババやシャツはベトナム国民の多数を占める農業労働者を象徴する服として、全国で数百万人が所属した人民自衛団(NDTV)や農村開拓団(XDNT)などの民兵・自警団組織では制服としても使われていました。同時にベトコンも政府軍と同様に、貧しい農家の味方である事をアピールすため同じ服をゲリラだけでなく常設戦闘部隊の戦闘服に採用していました。


正装

 元士官候補生や将校は当然ながら全員職業軍人であり、終戦後も共和国軍への強い帰属意識を維持しておられます。そのため式典の際には作戦服だけでなく、勤務服以上の正装を着用することがままあります。これら正装は、アメリカ軍の制服などで代用できるものは代用されるものの、デザイン的に大きく異なる物に関しては、ベテラン向けのリプロ業者が製作したものが使用されています。中でも元PRU将校のフン少尉は全米で最大のベテラン向けリプロ業者であり、少尉の店に行けば共和国軍の殆どの部隊の制服が手に入るところまでラインナップを充実させておられます。なお、これらベテラン向けリプロは我々マニア向けではないので、当時の物を細部まで再現する事は目的としていません。なので、サイズや材質は当時の物とは一目見て分かるほど別物です。しかし本物の軍人たちが使用する為の物である以上、これらも先述の代用品と同様に、レプリカではなく現在製の本物と言っていいと僕は思っています。

▲カリフォルニアのフン少尉のお店にて。2015年に初めて訪問し、2016年12月にもお会いしてきました。


▲陸軍士官 外出服(Quân phục Dạo phó)


海軍士官 冬季外出服(Quân phục Dạo phó Mùa đông)


海軍士官、士官候補生、下士官・水兵 夏季勤務服(Quân phục Làm việc Mùa hè)、外出服(Quân phục Dạo phó Mùa hè)




国家警察 勤務服、夏季外出服、作戦服


女性軍人(Nữ Quân nhân)外出服


幼年学校生徒(Thiếu Sinh Quân)準礼服、大礼服


空軍士官候補生およびベトナム国立武備学校士官候補生 大礼服(Quân phục Đại Lễ)
青が空軍士官候補生、赤がベトナム国立武備学校(Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam)の大礼服です。


ベトナム国立武備学校(Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam)士官候補生 夏季準礼服(Quân phục Tiểu Lễ Mùa hè)
なんと服だけでなく縮小版のダラットの校門まで作って再現います。


▲空軍士官候補生 夏季外出服


トゥドゥック武科学校群・歩兵学校(Liên Trường Võ Khoa & Trường Bộ Binh Thủ Đức)予備士官候補生 大礼服
白が武科学校群時代(1960年代前半)、カーキが歩兵学校時代(1960年代後半以降)の大礼服です。



ゥドゥック歩兵学校(Trường Bộ Binh Thủ Đức)予備士官候補生 夏季準礼服


ドンジェ軍校(Quân trường Đồng Đế)予備士官候補生 夏季準礼服


▲国家警察アカデミー(Học Viện Cảnh Sát Quốc Gia)士官候補生 外出服、勤務服



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 話は変わって、ちょっと小言を。今月のコンバットマガジン(2017年4月号)に載っていた菊月俊之氏のベトナム戦争特集の中の、『南ベトナム軍』の部分には正直がっかりしました。氏が米軍軍装に大変お詳しい事は私も承知していますし、専門外の南ベトナム軍について知らない事があるのは決して恥ずかしい事ではありませんが、興味も無いのに知ったかぶりして明らかな間違いや決めつけを書かれていたのはとても残念に感じました。
 私は基本的に、他人が個人ブログやサイトで間違った事を書いていても無視しています。しかしコンバットマガジンが何冊売れているのかは知りませんが、全国で売っているのだから少なくともウチみたいな一日200~500ビューくらいの個人のブログなんかよりはるかに多くの読者が居るはずです。またライターさんは素人ではなく、仕事としてお金をもらって記事を書いている訳ですから、今回は厳しめに苦言を呈します。

 加えて、コンバットマガジンはなぜかベトナム戦争終結41周年目の去年に終戦40周年記念特集号(2016年5月号)を出してましたが、その時も、ミリタリー雑誌のベトナム戦争(特にベトナム共和国)に対する認識は所詮こんなものか、という残念な感想しか抱けませんでした。(なのでこの号はむしろ菊月氏の米軍個人装備ガイドブックだけを目当てに買いました)
 商業誌は読者が読みたがってる記事を書かなきゃ商売にならないから、私みたいに好き勝手には書けないというのは分かります。しかしそうだとしても、日本国内には難民として来日しこの国に定住した約1万人の旧ベトナム共和国出身者と、日本で生まれたその家族たちが生活しています。また世界に目を広げれば、旧ベトナム共和国を祖国と仰ぐベトナム難民・移民の数は約300万人に上ります。彼ら反共派のベトナム人は1960年代から半世紀以上に渡って、大手メディアや自称『平和活動家』たちの歪んだ『正義感』の犠牲となってきました。ベトナム戦争を自身の思想を肯定するための道具にしようとする人々は、ベトコンが掲げる『民族解放』という言葉の気持ち良さに溺れ、反戦』という言葉をアメリカをバッシングする為だけに使い、一方でベトナム国民への恐怖政治と大量虐殺を繰り返すホー・チ・ミン政権とベトコンによる『解放戦争』を称賛し続けてきました。さらにその上、彼らはこの気持ち良い『正義』に相反するベトナム共和国政府と反共派ベトナム人を敵視し、終戦から40年以上経った今でも誹謗中傷の的としています。私はこのような一方的な正義感で立場の弱い人々を傷つけ、あまつさえ『良い事』をしたつもりになっている人々に強い憤りと軽蔑の念を抱いています。
 もちろん、コンバットマガジンがそのような政治思想に基づいた主張を行ったとは思っていません。記事に書かれていたのは、ベトナム戦争当時から日本国内で出回っていたごく一般的な論評であり、特別な事は何もありませんでした。しかし、その一般的な論評こそが、当時流行した反米運動、そしてその流れに迎合したメディアによって流布されたものであり、半世紀にわたって300万人の在外ベトナム人、そして数えきれない数のベトナム国民を落胆させてきたのです。
 ミリタリー、そして歴史を論ずるという事は、すなわち人間の命と人生を論ずる事に他なりません。戦争とは人間同士の憎悪と暴力の塊であり、たった40年くらいで遺恨が消えるようなものではありません。当事者はもちろん、第三者がいかに『公平』に語ろうとしても、それは必ずどちらか一方に利し、もう一方に不利と受け取られてしまいます。なのでもちろん、私が主張している事は、それと相反する立場の人々にとっては大変偏った暴論であると見做されているでしょう。しかし同時に、反対の立場の人々がどんなに自信満々に『正しい』と思う事を言ったところで、それによって傷つく人々が確実にいる事を忘れないで頂きたいです。私は、たまたまその弱い立場の人々と縁があったので、日本国内では声を上げにくい彼らに変わって、矢面に立って言うべきことを言わせてもらいます。




  


2017年01月21日

ベトナム人とドナルド・トランプ



 昨日、ついにドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任してしまいました。私が付き合いのあるベトナム人およびベトナム系アメリカ人のほとんどは熱烈なトランプ支持者なので、選挙の時からず~と、Facebookを開けば毎日トランプへの賛辞にあふれていて、人間の心の弱さというものを嫌というほど見せつけられました。

 彼らがそこまでトランプを支持する主たる動機、それは中国への憎悪です。
 本土ベトナム人にとって、ベトナムは第2次インドシナ戦争終結後、常に中国からの圧力に晒されており、もともと中国へのコンプレックスが強いベトナム人の反中感情は近年の中国の南シナ海への進出によってより強まっています(ベトナム共産党は中国からの莫大な援助によって戦争に勝利したのだから戦後中国がその投資を回収しようとするのはある意味当然ですが)。またベトナム共産党政府は国民のガス抜きのため領土問題で中国との対立を装っているものの、実際にはベトナム経済の中国依存は強まるばかりであり、ベトナム政府が中国の言いなりである事はベトナム国民も理解しています。だからこそ彼らは、自国の政府ではなくアメリカのトランプに、中国弱体化の期待を抱いているのだと私は見ています。
 またベトナム(難民)系アメリカ人にとって、彼らの祖国ベトナム共和国はベトコンを介した中国の侵略によって滅ぼされており、1954年の南北分断よりも遥か彼方に分断された彼ら難民の恨みと悲しみが消え去る事は永遠にないでしょう。さらに現在は、第二の故郷アメリカの経済が下火になる一方で、中国が国際社会におけるプレゼンスを増しており、彼らの中国への憎悪と劣等感は頂点に達していました。そこにドナルド・トランプ出現したことで、彼らは既存の日和見主義政治家とは違う強固な(=他人の意見に耳を貸さない)政治姿勢のトランプならこの状況を変えられるかも知れないという期待を抱いてしまいました。またベトナム系コミュニティの中心にいる元ベトナム共和国軍人たちはトランプの支持基盤の一つであるアメリカ軍退役軍人協会と強い結びつきもあり、ベトナム系市民の中でもトランプ支持が拡大してしまいました。この流れはアメリカ以外に住むベトナム難民系コミュニティでも同じような傾向があるように見えます。

 以上が、彼らがなぜトランプを支持するのかについての私なりの理解ですが、私はこのような憎悪と劣等感に突き動かされた政治選択に強い懸念を抱いています。すでに大統領選の時点で、ベトナム系市民はアメリカ社会全体と同様に、トランプ支持と反トランプで大きく分断されていました。選挙とは常に人々の意見が対立するもので、それ自体は悪い事ではないのですが、今回の選挙がこれまでと違う所は、選挙の後もその対立感情が強まる一方だという事です。
 あるトランプ支持派の元ベトナム共和国軍人は大統領選の直後、トランプへの反対を述べたベトナム系の若者に対し、「お前らは負け犬だ」、「アメリカから出ていけ」などの罵詈雑言を浴びせていました。またある時は、オバマ大統領を(明らかに黒人であるという理由で)ゴリラに見立てて、「猿は檻(刑務所)に入れ」という内容の書き込みがベトナム人の間で大量にシェアされていました。また私と懇意にして下さっている元共和国軍人の方も、反トランプデモについて度々嫌悪感を露わにしています。「ほら見ろ、あいつらは暴動を起こした。反対派はアメリカの敵だ」と。
 私はそれを見ていて、「そんな考え方してるからあんたらの国は潰れたんだよ」と思ってしまいました。今まであえて書いてきませんでしたが、正直、戦後の元共和国軍人たちの多くは、敗戦の原因を全て中国や共産主義者のせいにして、自国の政府が行った暴政や弾圧が国内のベトコンを拡大させた事実については無視し続けています。彼らには家族や国を失い、言葉の通じぬ異国に逃げざるを得なかったという非常に辛い過去がありますし、私自身も現在まで続くベトコンによる国民へのテロリズムを憎んでいるので共和国軍人への敬意を持ってこのブログを書いてきましたが、あの時代のあの政府が最善の選択をしていたとは到底思えません。残念ながら彼らの味わった悲しみと絶望感は、彼から過去の自分たちの過ちを反省するという判断力を奪ってしまったように思えます。

 本題に戻りますが、このような自分と異なる意見に対し、それを愚かな事だと決めつけ、話を聞かず、排除しようとする安直な思考は、人権や文化の多様性を奪う、民主主義に最も逆行する行為だと私は断言します。曲がりなりにも民主主義・自由主義という理念を牽引していたアメリカ合衆国が、感情論に流されて自らその理想に背を向ける事は、アメリカ国民ひいては世界の未来に暗い影を落とす行為ではないかと思いっています。レッド・チャイナが憎いからと言って、ホワイト・チャイナになったのでは意味が無いのです。
 なので私は、友人全員を敵に回す覚悟で、あえてトランプ本人およびその支持者の一部は民主主義への理解が欠けており、危険な排外主義であると批判しました。また昨晩はトランプの大統領就任式の生中継を見ながらベトナム人たちがお祭りをしている最中、私は彼らに向けて、オバマ大統領が最後のホワイトハウス記者会見で報道陣に対して述べた言葉を投稿しました。



"But I have enjoyed working with all of you. That does not, of course, mean that I’ve enjoyed every story that you have filed, but that’s the point of this relationship. You’re not supposed to be (inaudible) fans, you’re supposed to be skeptics, you’re supposed to ask me tough questions. You’re not supposed to be complimentary, but you’re supposed to cast a critical eye on folks who hold enormous power and make sure that we are accountable to the people who sent us here, and you have done that."

「私は皆さんと一緒に楽しみながら仕事をしてきました。もちろん、あなた方が書いたすべての話を楽しめた訳ではありませんが。しかしそれこそがこの関係に大切な事なのです。あなた方は私のファンではないし、私を懐疑的に見ており、厳しい質問を投げかけるでしょう。あなた方は私を称賛しないでしょう。しかしあなた方は巨大な権力を持つ者に批判的な目を向け、我々をここホワイトハウスに送ってくれた国民に対し責任がある事を認識させてくれました。」

"And so my hope is is that you will continue with the same tenacity that you showed us, to do the hard work of getting to the bottom of stories and getting them right and to push those of us in power to be the best version of ourselves and to push this country to be the best version of itself.
I have no doubt that you will do so, I’m looking forward to being an active consumer of your work, rather than always the subject of it. I want to thank you all for your extraordinary service to our democracy."

「そして私の望みは、今後もあなた方が私に見せたように粘り強くある事です。徹底的に取材し、正義を求め、権力の座にある者、そしてこの国を最善の状態にすべく仕事に打ち込む事です。私はあなた方がそうすると信じて疑いませんし、今後もそのニュースの題材よりも、あなた方がその仕事の積極的な担い手であることを楽しみにしています。私は皆さんの民主主義への特段の貢献に感謝したいです。」

"if you find yourself isolated because the process breaks down or if you’re only hearing from people who agree with you on everything or if you haven’t created a process that is fact-checking and probing and asking hard questions about policies or promises that you’ve made, that’s when you start making mistakes."

「物事がうまくいかずに孤立した時や、自分に同意する人たちからしか話を聞こうとしない時、事実確認をせずに物事を進め自身の政策や公約に対し手厳しい追及を受ける時、それは間違いを犯す時なのです。」

The New York Times
Obama’s Last News Conference: Full Transcript and Video (JAN. 18, 2017)

 投稿してすぐに、予想通りオバマは詐欺師、容共、イスラムシンパなど批判的な書き込みが相次ぎました。もうタダでベトナム人の家に泊めてもらえないかもね。でもこのくらいで縁を切るような度量が狭い人間とは最初から付き合う気はないので、別に良いのです。それにFacebookで友達になったベトナム人500人のうち、5人はイイネ!してくれたし(笑)、ベトナム系アメリカ人の中にもオバマ大統領を擁護する声は存在しました。しかしトランプ支持派と反対派で口論になり始めたので、私としては以下の考えを述べて締めくくりました。

"Thank you all for give me your opinions. I don't know actually his domestic politics because I'm not in America, and the news from foreign lands have been reported in fragments in Japan. I just know American society has big and deep problems still now so it is natural that people find fault with Obama. Of course excepting a violence even there is any reason, I believe that the act of criticizing makes the wholesome Democracy."

「みんな意見をくれてありがとう。僕はアメリカに住んでるわけではないし、外国のニュースは日本には断片的にしか入ってこないから、実際のところ僕はオバマ政権の内政に関してはよく知らないんだ。ただアメリカ社会はいまだに大きく深刻な問題を抱えている事は知っている。だからオバマ政権の問題点が指摘されることは当然の事だと思うよ。もちろんいかなる理由があろうとも暴力に走る事を除いてだけど、『批判する事』こそが健全な民主主義を作るのだと信じているよ。」


当てつけも含んでいるけど、僕の意図が伝わってくれていればいいなぁ。
  


2016年11月09日

ベトナム系市民から見たアメリカ大統領選

候補者がアレなのでいつになく注目されているアメリカ大統領選。
もう間もなく結果が出ますが、その結果を見る前に、アメリカ在住の友人たち(主にベトナム系アメリカ市民)の大統領選に関する言動をここ数か月間見てきたので、僕から見た彼らの考えをまとめてみます。

ベトナム系はトランプ派?ヒラリー派?】

在米ベトナム系コミュニティとして統一した意向は形成されておらず、アメリカ社会全体と同様に大きく割れています。


【トランプ派の人々】

かなり多く見受けられます。人数的には多数派かも。
現在アメリカに住む200万人のベトナム系市民の多くは、1975年以降ベトナム共産党政権から逃れて海外に脱出した難民とその家族であり、現在でも旧ベトナム共和国(南ベトナム)の軍・政府関係者がコミュニティの中心的存在となっています。
彼らにとってヒラリーのようなベトナム反戦運動を行っていたリベラルは、アメリカ軍をベトナムから撤退させ、共産主義陣営によるベトナム侵略を加速させた人々、つまり自分たちの祖国を蹂躙した勢力の一部と見なされており、非常に嫌われています。
ベトナムに従軍したアメリカ軍人の間でも、戦後も一部のリベラルによって軍人への誹謗中傷が続いたため、退役軍人アソシエーション(※日本では考えられないくらい強い政治力を持っている)では民主党などのリベラルを嫌う人が多く、保守的な共和党が強い支持を得ています。
また銃規制の面からも民主党を拒否する声を多く聞きます。オバマ政権から始まった銃規制強化は今後ヒラリーによってさらに強化されると予想されますが、規制への反対は国内の銃器・弾薬産業のみならず、普通のアメリカ市民の間でも広まっています。これはもちろんNRAら業界団体が規制を回避するため、高い犯罪発生率の中で市民の自衛手段だけが奪われるのでは、という不安を煽った結果ですが、それだけアメリカ市民にとって銃は身近な、そして切実な問題のようです。現にアメリカでは規制前の駆け込み需要によって銃器の売り上げがアメリカ史上最高を記録しており、僕の友人も規制の対象になりそうなAR-15用30連マガジンや5.56mmNATO弾を大量に買い貯めしていました。
まとめると僕の周りのトランプ支持派は、トランプ本人を支持しているというよりは、ヒラリーと民主党への反対を動機としている人が多いように見受けられます。
またトランプによる不法移民やイスラム教徒への誹謗中傷も、自分たちは正当な移民なので関係なく、むしろ社会が安全になるのなら多少の無茶も構わないといった感じでした。これは現在のアメリカ社会が抱える不安感を如実に表しているでしょう。


【ヒラリー派の人々】

ベトナム系でも若い世代の間ではヒラリー支持、と言うか反トランプ派が多く居ます。
理由は言わずもがな、あれほど下品で浅はかな人間をアメリカ合衆国大統領にするのはアメリカの恥であり、そもそもトランプは大統領候補として不適格だという見方です。彼のデマゴーグとしか言いようのない扇動的な言動は既にアメリア国内に大きな分裂をもたらしており、その上万が一大統領になろうものなら、アメリカの外交・内政は大混乱に陥る事が必至であるとしています。
また保守層から史上最悪と非難される民主党オバマ政権ですが、実際はこれまでになく失業率が低下しており、経済も一時期よりは回復。多くの犠牲者を出したアフガニスタン、イラク戦争からの撤退を実現するなど、(ヒラリー、トランプが嫌われ過ぎているので)オバマ大統領に対する前向きな評価は任期満了が近付くにつれて高まっています。ヒラリーも基本的にはオバマ政権の方針を引き継ぐと見られており、このまま経済を安定させる事に期待する人々は民主党政権の存続を望んでいます。
銃規制に関しても、これだけ銃犯罪や無差別テロ、子供による暴発事故が頻発している中で、誰でも弾薬を無制限に買え、犯罪歴さえなければ何丁でも銃を所有できる状況は、とても自衛のための必要最小限の武装とは言えず、規制反対は銃器産業と政治家の既得権益の保護でしかないという声も根強くあります。
まとめると、ヒラリー支持者は、まずトランプの人間性を大いに疑問視しており、トランプが大統領になった場合のアメリカの混乱と破滅を恐れている訳です。トランプ同様、ヒラリー本人も嫌われている事には変わりないですが、少なくともトランプよりはマシ、というのが穏健なアメリカ市民の見方のようです。



さて、この記事を書いている時点(日本時間11/9 13:00)での出口調査ではトランプ優勢。
マジかー。悪い冗談が現実になっちまうかも。

※追記
日本時間11/9 18:00現在、トランプ当選確実。あ~あ。

He Will Make America America Again.

  


2016年10月15日

NKT雷虎について

NKTおじさんの戦友で元雷虎隊員のダニエルおじさんから聞いた話をご紹介します。

ダニエル・フォーこと、フォー・ズン氏。米国で開催されたNKTベテランの集会にて。
ベトナム戦争時代、ズン氏はベトナム共和国軍の特殊作戦機関"NKT(技術局)"内のコマンド部隊"雷虎(Lôi Hổ)"に所属していました。


ズン氏が1960年代末に所属していたNKT連絡部"雷虎" CCNの偵察チーム(RT)ダコタ。1968年9月18日
上段右から2番目がズン氏。バンダナを巻いた2名の白人がチームを指揮するアメリカ軍SOG-35 CCNの隊員。

NKTと雷虎の歴史についてはこちらも参照


タイガ:
雷虎の隊員はLLĐBからNKTに編入されたのですか?また他の部隊から移ってきた人も居ましたか?

フォー・ズン:
雷虎がSOGの指揮下にあった1966年から1970年頃にかけては、LLĐB出身もいるし、空挺師団出身も確か居たよ。
その後、1970年末にLLĐBが解散すると、プロジェクト・デルタのチームがNKTに編入されたんだ。
(その為NKT内に連絡部に加えて作戦部"黒龍"が編成されNKTは規模を拡大した)
またSCU(Special Commando Unit)として知られるSOG指揮下のヌン族、モンタニヤード、クメール族、ベトナム人で構成された民族別チームも、1970年から1971年にかけてベトナミゼーションの一環として雷虎に再統合されたよ。
ただし全てのSCUが雷虎に移った訳ではなく、一部は故郷に帰って陸軍一般部隊に加わったようだ。
共にSOGチームとして戦ってきた勇敢な男たち(SCU)が加わったことで、雷虎チームはより精強になったよ。
しかしSOGから特殊作戦の全権を引き継いだNKTは、これまで以上に危険な任務に挑む事になったんだ。

この写真を見てくれ。左の男は雷虎に編入されたSCU隊員で、ユニフォームに雷虎の部隊章とAIRBORNEタブを着けている。
多分彼はCCCかCCS所属のジャライ族とかのモンタニヤードか、クメール族だ。
第3軍団のQuảng LợiかLộc Ninhでの写真だったと思う。

タイガ:
SOGは日本のミリタリーファンの間でも有名ですが、残念ながら実際にチームを構成していた雷虎やSCU、そしてNKTの存在についてはまだまだ知られていません。
ちなみに、あなたの写真(上のRTダコタの写真)を私のブログに載せていいですか?

フォー・ズン
私のチームの写真は、すでに誰かに右側の文字の部分を切り取られてインターネットで転載されているようだね。
フェイスブックでこの写真をプロフィール画像にしているベトナム人の若者を見るよ。ハハハ
でも私は気にしていないよ。些細な事さ。
しかし、(インターネットで)この写真がSEALとして紹介されているのを見付けた時は困ったよ。
似たようなものに見えるかもしれないけど、違うんだよ。
SEALは顔を緑に塗るし、ライフジャケットと1・2日間の作戦用のデイパックしか身に付けない。
SOGは顔を黒に塗り、ロープを携帯し、5日間の作戦用にバックパックを背負うんだよ。

私たちを指導したMACV-SOG(SOG-35)の隊員たちは軍服の左胸ポケットに雷虎の部隊章を付けていたよ。
奥のNKT連絡部所属者はSOGとの調整役だった。

その後、1970年から1973年にかけてベトナミゼーションが進行し、SOGがベトナムから撤退する過程で、雷虎CCNは第1強襲戦闘団(Chiến Đoàn 1 Xung Kích)へと改編された。CCC、CCSも同様に第2、第3強襲戦闘団として再編されたよ。
同時に、SOG-35もSMAG (Special Mission Advisory Group)へと改称され、引き続きNKT連絡部と共に作戦の指揮を執っていたよ。

タイガ:
"雷虎"は、連絡部本部勤務者も含むのですか?それとも前線のコマンド部隊のみを指すのですか?

フォー・ズン
雷虎の公式な組織名が連絡部(Sở Liên Lạc)だよ。しかし敬意をこめて、いまだに雷虎の名で呼ばれているのさ。
ちなみにこれはNKT訓練センターのSOGアドバイザーチームが写っている写真だよ。

タイガ:
この服のレプリカ持ってますわ。

フォー・ズン
私はこれと似た服を着ていたけど、袖と脚にコンパスやタバコを入れる小さいポケットが付いていたよ。
CISOや沖縄メイドと呼ばれるやつさ。

タイガ:
これですか?

フォー・ズン:
そう!まさにその服を着ていた。
また、作戦時は時々、スプレーで迷彩を描く代わりに、この服を黒く染めたものを着ていたよ

▲作戦中のズン氏(右)

▲同じくズン氏。1970年以前、クアンチ省DMZ/ニッケル・スチールOA付近にて
黒染めのCISOファティーグを着て、顔をまっ黒に塗っている。

日本・沖縄のCISOから送られてくるMACV-SOG向けの装備は、まず最初にダナンのCCNに届くんだよ。
だからCCNは他のC&C部隊の装備を真似する必要はなかった。
我々CCNはC&C兄弟のお兄さんだったんだ。へへへ

これはダナン市ノンヌックにあったCCN FOB4の偵察チームの写真だけど、この中共式AKマガジンポーチをよく見てくれ。一つのポケットにマガジンが2本入るよう厚くなっていて、スナップボタンで留めれるようになっているんだよ。
あと、チームリーダーだけは新品のXM177を持ってるけど、あとのメンバーはみんな収縮式バットストックをM16の固定式に変えてある。
これらの装備は全部日本・沖縄のCISOから送られてきた物さ。

当時、一部の人はCCNの"North"を"North Vietnam"の事だと思い、我々が北ベトナム領内に駐屯していると勘違いしたんだ。
実際は南ベトナムの北部、DMZの南側およびラオス中部国境の辺りだよ。"ニッケル・スチール・オペレーション・エリア (Nickel steel OA)"ってやつさ。
なので我々CCNのチームは1971年に開始されたラオス侵攻作戦"ラムソン719"に先駆けて、1970年12月から1971年1月までラオス領内に先行して潜入していたよ。
CCCはベトナム、ラオス、カンボジア三角国境あたりだね。

これは君の写真だね?


タイガ:
はい、そうです。本物の雷虎隊員に見られるのは恥ずかしいですが。へへ

フォー・ズン:
私があの部隊を愛しているように、君もあの部隊を愛してるという事さ。
恥ずかしがる事はないよ。

私が知っている範囲で君に言える事は以上だよ。はっきりとした答えを探すには時間と手間がかかるよ。
その人が経験した活動や条件によって見解は異なるからね。ハハ
何が言いたいかというと、私は一介の兵士に過ぎないという事さ。私はただ訓練された事をやっていただけだよ。
ただ一つ言えるのは、私たちの活動は、君たちの活動(リエナクト)よりもずっと陰惨だったという事さ。
タイガ:
ありがとうございます。大変勉強になりました。


【あとがき】
以前ちょっと書きましたが、このダニエルおじさんの妹さんが東京都内でベトナム料理レストランを経営しているので、以前食べに行ってご挨拶させていただきました。
その妹さんが先日、誕生日を迎えたので、彼女のフェイスブックには日本で知り合った友人やお客さんたち(主に中年の主婦)から沢山のおめでとうコメントが寄せられていましたが、その中に混じってダニエルおじさんやNKTおじさん等NKTベテランたちのコメントが並んでいました。
日本の主婦と、20世紀を代表する特殊部隊の兵士たちが同じ場所で話している光景はなかなかシュールで、つい笑ってしまいました。
しかし少し見方を変えると、彼ら特殊部隊員もまた家族を思いやるごく普通の人間であり、戦争さえなければ人を殺すという経験をする事も、故郷を捨ててアメリカに亡命する事もなかったはずです。
私はマニアとして彼ら軍人に対しカッコいいという憧れを抱いてしまいますが、同時に人間としては、人生から取り返しのつかない大きなものを失ってしまった人たちなのだと、時々思い起こされます。
  


2016年05月14日

在インドシナ・フランス連合軍 1945-1954

取り合えず一覧にしただけで、まだ作成中です。
この表に無い部隊も多くありますし、載っていても実際はもっと細かく分かれてたり、逆に部隊名が変わっただけで同じ部隊だったりで、もっと精査する必要があります。
空挺およびコマンド部隊については『CEFEO空挺部隊』
1945年以前の編成については『ヴィシー・フランス インドシナ軍団』参照

コーチシナ トンキン アンナン ベトナム国軍 ラオス カンボジア
CEFEO砲兵 CEFEO機甲 CEFEO派遣師団 外人部隊 極東コマンド 未分類

日本語表記 フランス語表記 フランス語略 英語表記
極東フランス遠征軍団 Corps Expéditionnaire Français en Extrême-Orient CEFEO
北西作戦グループ Groupe d'Opération Nord-Ouest GONO
極東地上軍 Forces Terrestres en Extrême-Orient FTEO
北部ベトナム地上軍 Forces Terrestres du Nord Vietnam FTNV
南部ベトナム地上軍 Forces Terrestres du Sud Vietnam FTSV
第1極東旅団


第9植民地歩兵師団 1er Brigade d'Extrême-Orient 1er BEO
第2トンキン徒歩師団 9è Division d'Infanterie Coloniale 9e DIC
機動グループ Groupes Mobiles
Groupes Mobiles
第2装甲師団機動グループ Groupe Mobile de la 2e division blindée GM/2e DB
機動グループ1 (北アフリカ) Groupe Mobile n° 1 GM 1 GM 1 (N African)
機動グループ2 (北アフリカ/空挺) Groupe Mobile n° 2 GM 2 GM 2 (N African/Paras)
機動グループ3 (北アフリカ/セネガル) Groupe Mobile n° 3 GM 3 GM 3 (N African/Senegalese)
機動グループ4 (インドシナ徒歩大隊/フランス外人部隊) Groupe Mobile n° 4 GM 4 GM 4 (BMI/FFL)
機動グループ5 Groupe Mobile n° 5 GM 5 GM 5
機動グループ6 (SAS空挺準旅団内) Groupe Mobile n° 6 GM 6 GM 6 (Fought at DBP)
機動グループ7 (ベトナム) Groupe Mobile n° 7 GM 7 GM 7 (Vietnamese)
機動グループ8 Groupe Mobile n° 8 GM 8 GM 8
機動グループ9 (SAS空挺準旅団内) Groupe Mobile n° 9 GM 9 GM 9 (Fought at DBP)
機動グループ10 (北アフリカ) Groupe Mobile n° 10 GM 10 GM 10 (N African)
機動グループ11 (ベトナム) Groupe Mobile n° 11 GM 11 GM 11 (Vietnamese)
機動グループ14 Groupe Mobile n° 14 GM 14 GM 14
機動グループ21 (ベトナム) Groupe Mobile n° 21 GM 21 GM 21 (Vietnamese)
機動グループ32 (ベトナム) Groupe Mobile n° 32 GM 32 GM 32 (Vietnamese)
機動グループ42 (モンタニャール) Groupe Mobile n° 42 GM 42 GM 42 (Montagnard)
機動グループ51 (北アフリカ) Groupe Mobile n° 51 GM 51 GM 51 (N African)
機動グループ100 (コヒー連隊 ※在韓国連軍フランス大隊) Groupement Mobile N°100 (Régiment de Corée) GM 100 GM 100 (Korea Regiment)
北アフリカ機動グループ Groupe Mobile Nord-Africain GMNA
空挺 Troupe aéroportée TAP
空挺師団 Division Aéroportée DAP
SAS強襲大隊 Bataillon de Choc S.A.S BC SAS
空挺SAS準旅団 Demi Brigade de Parachutistes SAS DBP SAS
SAS空挺コマンド植民地準旅団 Demi-Brigade Coloniale de Commandos Parachutistes SAS DBCCP SAS
空挺コマンド植民地準旅団 Demi-Brigade Coloniale de Commandos Parachutistes DBCCP
空挺徒歩準旅団 Demi-Brigade de Marche Parachutiste DBMP
第1空挺猟兵連隊 1er Régiment de Chasseurs Parachutistes 1er RCP
第1空挺猟兵連隊 1er Régiment de Chasseurs Parachutistes 1er RCP
第10猟兵空挺大隊 10è Bataillon Parachutiste de Chasseurs à Pieds 10e BPCP
SAS空挺大隊 Bataillon de Parachutistes S.A.S BP SAS
第1植民地空挺コマンドSAS大隊 1er Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes SAS 1er BCCP SAS
第1植民地空挺コマンド大隊 1er Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 1er BCCP
第2植民地空挺コマンド大隊 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 2e BCCP
第2植民地空挺コマンド大隊 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 2e BCCP
第2植民地空挺コマンド大隊 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 2e BCCP
第3植民地空挺コマンド大隊 3è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 3e BCCP
第5植民地空挺コマンド大隊 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutiste 5e BCCP
第5植民地空挺コマンド大隊 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 5e BCCP
第5植民地空挺コマンド大隊 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 5e BCCP
第6植民地空挺コマンド大隊 6è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 6e BCCP
第6植民地空挺コマンド大隊 6è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 6e BCCP
第7植民地空挺コマンド大隊 7è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes 7e BCCP
空挺コマンド植民地グループ Groupe Colonial de Commandos Parachutistes GCCP
植民地空挺大隊 Bataillon de Parachutistes Coloniaux BPC
強襲空挺大隊 Bataillon Parachutiste de Choc BPC
第1強襲空挺大隊 1er Bataillon de Parachutistes de Choc 1er BPC
第8強襲空挺大隊 8è Bataillon de Parachutistes de Choc 8e BPC
植民地歩兵空挺大隊 Bataillon Parachutiste d'Infanterie Coloniale BPIC
第5植民地空挺歩兵大隊 5è Bataillon Parachutiste d'Infanterie Coloniale. 5e BPIC
第8空挺コマンドグループ 8è Groupement de Commados Parachutistes 8e GCP
混成空挺コマンドグループ Groupement de Commandos Mixtes Aéroportés GCMA
コマンド・ベルジュホル Commando " Bergerol "

コマンド・ポンシャフジー Commando " Ponchardier "

軽介入軍団 Corps Léger d'Intervention CLI
第1猟騎兵連隊コマンド Commando 1er Régiment de Chasseurs à Cheval

ホアハオ空挺コマンド Commandos Parachutistes Hoa Hao

ラオス・コマンド Commandos du LAOS

コマンド・コニュー Commando CONUS

極東空挺コマンド Commandos Parachutistes d'Extrême-Orient

自由フレ軍 Forces Hre Libres

インドシナ空挺教導センター Centre d'Instruction des Troupes Aeroportee d'Indochine CITAP
空挺インドシナ中隊 Compagnies Indochinoises Parachutistes CIP
空挺グループ Groupement aéroporté GAP
歩兵 Infanterie

第3植民地歩兵師団 3è Division d'Infanterie Coloniale 3e DIC
第3植民地歩兵師団 3è Division d'Infanterie Coloniale 3e DIC
第9植民地歩兵師団 9è Division d'Infanterie Coloniale 9e DIC
国連フランス軍 (BF/ONU)コヒー連隊  Régiment de Corée RC
第5植民地歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 5è Régiment d'Infanterie Coloniale BM/5e RIC
第6植民地歩兵連隊 6è Régiment d'Infanterie Coloniale 6e RIC
第6植民地歩兵連隊 6è Régiment d'Infanterie Coloniale 6e RIC
第6植民地歩兵連隊 6è Régiment d'Infanterie Coloniale 6e RIC
第6植民地歩兵連隊 第2大隊 II/6è Régiment d'Infanterie Coloniale II/6e RIC
第9植民地歩兵連隊 徒歩大隊 B.M du 9è Régiment d' Infanterie Coloniale BM/9e RIC
第11植民地歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 11è Régiment d'Infanterie Coloniale BM/11e RIC
第16植民地歩兵連隊 16è Régiment d' Infanterie Coloniale 16e RIC
第21植民地歩兵連隊 21è Régiment d'Infanterie Coloniale 21e RIC
第21植民地歩兵連隊 21è Régiment d'Infanterie Coloniale 21e RIC
第21植民地歩兵連隊 21è Régiment d'Infanterie Coloniale 21e RIC
第22植民地歩兵連隊 22è Régiment d'Infanterie Coloniale 22e RIC
第23植民地歩兵連隊 23è Régiment d'Infanterie Coloniale 23e RIC
第23植民地歩兵連隊 23è Régiment d'Infanterie Coloniale 23e RIC
第43植民地歩兵連隊 43è Régiment d' Infanterie Coloniale 43e RIC
第43植民地歩兵連隊 徒歩大隊 B.M du 43è Régiment d'Infanterie Coloniale BM/43e RIC
第35歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 35è Régiment d'Infanterie BM/35e RI
第36歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 36è Régiment d'Infanterie BM/36e RI
第49歩兵連隊第1徒歩大隊 1er Bataillon de Marche du 49è Régiment d'Infanterie 1er BM/49e RI
第110歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 110è Régiment d'Infanterie BM/110e RI
第151歩兵連隊 徒歩大隊 Bataillon de Marche du 151è Régiment d'Infanterie BM/151e RI
装甲騎兵 Blindés / Cavalerie

極東機甲指令センター Centre d'Instruction de l'Arme Blindée en Extrême-Orient CIAB/EO
第1猟騎兵連隊 1er Régiment de Chasseurs à Cheval 1er RCC
第2装甲師団機動グループ Groupe Mobile de la 2e division blindée GM/2e DB
第4装甲竜騎兵大隊 4è Bataillon de Dragons Portés 4e BDP
第4装甲竜騎兵連隊 4è Régiment de Dragons Portés 4e RDP
第4竜騎兵連隊 4è Régiment de Dragons 4e RDP
第5胸甲騎兵連隊 5è Régiment de Cuirassiers 5e RC
第9竜騎兵戦隊 Escadron du 9è Dragon

第8アルジェリア・スパッヒ・グループ 8è Groupe de Spahis Algériens 8e GSA
第8アルジェリア・スパッヒ連隊 8è Régiment de Spahis Algériens 8e RSA
第2モロッコ・スパッヒ連隊 2è Régiment se Spahis Marocains 2e RSM
第5モロッコ・スパッヒ連隊 5è Régiment de Spahis Marocains 5e RSM
第6モロッコ・スパッヒ連隊 6è Régiment de Spahis Marocain 6e RSM
極東スパッヒ徒歩連隊 Régiment de Marche de Spahis d'Extrême-Orient RMSEO
極東植民地装甲連隊 Régiment Blindé Colonial d' Extrème-Orient RBCEO
自動車偵察戦隊 Escadron Autonome de Reconnaissance EAR
第1徒歩機甲戦隊グループ 1er Groupe d'Escadrons de Marche de l'Arme Blindée 1er GEMAB
第1モロッコ・スパッヒ連隊第7戦隊

7th Squadron, 1st Moroccan Spahis Marche Regiment
第2極東インドシナ偵察戦隊

1st Far East Independent Reconnaissance Squadron
第3極東インドシナ偵察戦隊

2nd Far East Independent Reconnaissance Squadron
第4極東インドシナ偵察戦隊

3rd Far East Independent Reconnaissance Squadron
第5極東インドシナ偵察戦隊

4th Far East Independent Reconnaissance Squadron
第1極東インドシナ偵察戦隊

5th Far East Independent Reconnaissance Squadron
砲兵 Artillerie
Artillery
第2砲兵連隊 2è Régiment d'Artillerie 3e RA 2nd Artillery Regiment
第4植民地砲兵連隊 4è Régiment d'Artillerie Coloniale 4e RAC 4th Colonial Artillery Regiment
第10植民地砲兵連隊 10è Régiment d'Artillerie Coloniale 5e RAC 10th Colonial Artillery Regiment
第41植民地砲兵連隊 41è Régiment d'Artillerie Coloniale 6e RAC 41st Colonial Artillery Regiment
第69アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ G.M du 69è Régiment d'Artillerie d'Afrique GM/69e RAA 69th African Artillery Regiment
モロッコ植民地砲兵連隊 Régiment d'artillerie coloniale du Maroc RACM Moroccan Colonial Artillery Regiment
第64アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ G.M du 64è Régiment d'Artillerie d'Afrique GM/64e RAA Marche Battalion, 64th Artillery Regiment
第66アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ G.M du 66è Régiment d'Artillerie d'Afrique GM/66e RAA Marche Battalion, 66th Artillery Regiment
第1極東植民地対空砲兵グループ 1er groupe antiaérien d'artillerie coloniale d'Extrême-Orient 1er GAACEO 1st Battalion, Far East Colonial Antiaircraft Regiment
第35空挺軽砲兵連隊 35è Régiment d'Artillerie Légère Parachutiste 35e RALP 1st Group, 35th Parachute Regiment (Light Artillery) 
第21空中観測大隊

21st Aerial Observation Battalion
第22空中観測大隊

22nd Aerial Observation Battalion
第23空中観測大隊

23rd Aerial Observation Battalion
第24空中観測大隊

24th Aerial Observation Battalion
第216対空砲兵大隊

261st Antiaircraft Battalion
西アフリカ・フランス植民地砲兵グループ Groupe d'Artillerie Coloniale d'Afrique Occidentale Française GACAOF French East African Colonial Artillery Battalion
レバント植民地山岳砲兵大隊

Levant Colonial Mountain Artillery Battalion 
第1中央アンナン砲兵大隊

1st Central Annam Artillery Battalion
第2中央アンナン砲兵大隊

2nd Central Annam Artillery Battalion
インドシナ Indochinoise
Indochinese
第2トンキン徒歩師団 2è Division de Marche du Tonkin 2e DMT
第1トンキン狙撃兵連隊

1st Tonkin Rifle Regiment
第4トンキン狙撃兵連隊 徒歩大隊

Marche Battalion, 4th Tonkin Rifle Regiment
第1カンボジア混成連隊 1er Régiment Mixte du Cambodge 1er RMC Cambodian Composite Battalion
第2カンボジア混成連隊 2è Régiment Mixte du Cambodge 2e RMC
第3カンボジア混成連隊 3è Régiment Mixte du Cambodge 3e RMC
第3カンボジア猟兵大隊 3è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens 3e BCC
第5カンボジア猟兵大隊 5è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens 5e BCC
アンナン大隊

Annam Battalion
サイゴン・チョロン守備大隊

Saigon-Cholon Garrison Battalion
第1極東旅団 1er Brigade d'Extrême-Orient 1er BEO
第1極東徒歩大隊 1er Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 1er BMEO 1st Far East Marche Battalion
第2極東徒歩大隊 2è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 2e BMEO 2nd Far East Marche Battalion
第3極東徒歩大隊 3è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 3e BMEO 3rd Far East Marche Battalion
第4極東徒歩大隊 4è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 4e BMEO 4th Far East Marche Battalion
第5極東徒歩大隊 5è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 5e BMEO 5th Far East Marche Battalion
第6極東徒歩大隊 6è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 6e BMEO 6th Far East Marche Battalion
第7極東徒歩大隊 7è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient 7e BMEO 7th Far East Marche Battalion
第1インドシナ徒歩大隊 1er Bataillon de Marche Indochinois 1er BMI 1st Indochina Marche Battalion
第2インドシナ徒歩大隊 2è Bataillon de Marche Indochinois 2e BMI 2nd Indochina Marche Battalion
第3インドシナ徒歩大隊 3è Bataillon de Marche Indochinois 3e BMI 3rd Indochina Marche Battalion
第1インドシナ空挺中隊 1ère Compagnie Indochinoise Parachutiste 1er CIP
第6インドシナ空挺中隊 6è Compagnie Indochinoise Parachutiste 6e CIP
第8インドシナ空挺中隊 8è Compagnie Indochinoise Parachutiste 8e CIP
第1ラオ・クメール偵察戦隊 1er Escadron de Reconnaissance Laotien & Kmer

マキ・ラオス Maquis laotiens

ムオン族 Muongs
Muongs
第1ムオン大隊 1er Bataillons Muongs
1st Muong Battalion
第2ムオン大隊 2è Bataillons Muongs
2nd Muong Battalion
タイー族 Thaï
Thais
第1タイー大隊 1er Bataillon Thaï 1er BT 1st Thai Battalion
第2タイー大隊 2è Bataillon Thaï 2e BT 2nd Thai Battalion
第3タイー大隊 3è Bataillon Thaï 3e BT 3rd Thai Battalion
ベトナム国軍 Armée Nationale Vietnamienne ANV
第1ベトナム大隊 1er Bataillon Vietnamien 1er BVN
第2ベトナム大隊 2è Bataillon Vietnamien 2e BVN
第3ベトナム大隊 3è Bataillon Vietnamien 3e BVN
第4ベトナム大隊 4è Bataillon Vietnamien 4e BVN
第56ベトナム大隊 56è Bataillon Vietnamien 56e BVN
第82ベトナム大隊 82è Bataillon Vietnamien 82e BVN
第1ベトナム空挺大隊 1er Bataillon de Parachutistes Vietnamiens 1er BPVN
第3ベトナム空挺大隊 3è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens 3e BPVN
第5ベトナム空挺大隊 5è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens 5e BPVN
第6ベトナム空挺大隊 6è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens 6e BPVN
第7ベトナム空挺大隊 7è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens 7e BPVN
第1ベトナム偵察戦隊 1er Escadron de Reconnaissance Vietnamien 1er ERVN
第2ベトナム偵察戦隊 2è Escadron de Reconnaissance Vietnamien 2e ERVN
第3ベトナム偵察戦隊 3è Escadron de Reconnaissance Vietnamien 3e ERVN
第4ベトナム偵察戦隊 4è Escadron de Reconnaissance Vietnamien 4e ERVN
第5ベトナム偵察戦隊 5è escadron de Reconnaissance Vietnamien 5e ERVN
第6ベトナム偵察戦隊 6è Escadron de Reconnaissance Vietnamien 6e ERVN
第8ベトナム偵察戦隊 8è Escadron de Reconnaissance Vietnamien 8e ERVN
第1ベトナム竜騎兵連隊 1er Régiment de Dragons Vietnamien

第3ベトナム竜騎兵連隊 3è Régiment de Dragons Vietnamien

第4ベトナム砲兵グループ 4è Groupe d'Artillerie Vietnamienne 4e GAVN
第5ベトナム砲兵グループ 5è Groupe d'Artillerie Vietnamienne 5e GAVN
ラオス国軍 Armée Nationale Laotienne
Laotians
第1ラオス猟兵大隊

1st Laotian Chasseurs Battalion
第2ラオス猟兵大隊

2nd Laotian Chasseurs Battalion
第3ラオス猟兵大隊

3rd Laotian Chasseurs Battalion
第4ラオス猟兵大隊

4th Laotian Chasseurs Battalion
第5ラオス猟兵大隊

5th Laotian Chasseurs Battalion
第6ラオス猟兵大隊

6th Laotian Chasseurs Battalion
第7ラオス猟兵大隊

7th Laotian Chasseurs Battalion
第8ラオス猟兵大隊

8th Laotian Chasseurs Battalion
第1ラオス空挺大隊 1er Bataillon de Parachutistes Laotien 1er BPL
第3ラオス空挺中隊 3è Compagnie de Parachutistes Laotiens 3e CPL
第1ラオス空挺コマンド中隊 1ère Compagnie de Commandos Parachutistes Laotiens 1er CCPL
第5ラオス・コマンド 5è Commando Laotien

クメール王国軍 Forces armées royales khmères FARK
第1クメール空挺大隊 1er Bataillon de Parachutistes Khmers 1er BPK
第1カンボジア混成連隊 1er Régiment Mixte du Cambodge 1er RMC
第2カンボジア混成連隊 2è Régiment Mixte du Cambodge 2e RMC
第3カンボジア混成連隊 3è Régiment Mixte du Cambodge 3e RMC
第3カンボジア猟兵大隊 3è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens 3e BCC
第5カンボジア猟兵大隊 5è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens 5e BCC
プノンペン守備大隊

Phnom Penh Garrison Battalion
アルジェリア・チュニジア Algérien / Tunisiens
Algerians/Tunisians
第1アルジェリア狙撃兵連隊 第2徒歩大隊 2è BM du 1er Régiment de Tirailleurs Algérien 2e BM/1er RTA 1st Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment
第2アルジェリア狙撃兵連隊

2nd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment
第3アルジェリア狙撃兵連隊 3è Régiment de Tirailleurs Algérien 3e RTA 3rd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment
第6アルジェリア狙撃兵連隊 6è Régiment de Tirailleurs Algérien 6e RTA
第7アルジェリア狙撃兵連隊 7è Régiment de Titailleurs Algérien 7e RTA 7th Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment
第22アルジェリア狙撃兵連隊

22nd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment
第21アルジェリア狙撃兵大隊

21st Algerian Rifle Battalion
第22アルジェリア狙撃兵大隊 22è Bataillon de Tirailleurs Algériens 22e BTA 22nd Algerian Rifle Battalion
第23アルジェリア狙撃兵大隊

23rd Algerian Rifle Battalion
第25アルジェリア狙撃兵大隊

25th Algerian Rifle Battalion
第27アルジェリア狙撃兵大隊

27th Algerian Rifle Battalion
第205アルジェリア狙撃兵大隊

205th Algerian Rifle Battalion
第217アルジェリア狙撃兵大隊

217th Algerian Rifle Battalion
第8アルジェリア・スパッヒ・グループ 8è Groupe de Spahis Algériens 8e GSA
第4チュニジア狙撃兵連隊 4è Régiment de Tirailleurs Tunisiens 4e RTT 4th Tunisian Rifle Regiment
第4チュニジア狙撃兵連隊 4è Régiment de Tirailleurs Tunisiens 4e RTT
第1アフリカ軽歩兵大隊

1st African Light Infantry Battalion
モロッコ Marocains
Moroccans
モロッコ植民地歩兵連隊 Régiment d’Infanterie Coloniale du Maroc RICM Moroccan Colonial Rifle Regiment
第1モロッコ狙撃兵連隊 1er Régiment de Tirailleurs Marocains 1er RTM 1st Moroccan Rifle Regiment
第2モロッコ狙撃兵連隊

2nd Moroccan Rifle Regiment
第3モロッコ狙撃兵連隊

3rd Moroccan Rifle Regiment
第4モロッコ狙撃兵連隊 第1徒歩大隊 1er BM du 4è Régiment de Tirailleurs Marocains 1er BM/4e RTM 4th Moroccan Rifle Regiment
第5モロッコ狙撃兵連隊 5è Régiment de Tirailleurs Marocain 5e RTM 5th Moroccan Rifle Regiment
第6モロッコ狙撃兵連隊

6th Moroccan Rifle Regiment
第7モロッコ狙撃兵連隊 徒歩大隊

Marche Battalion, 7th Moroccan Rifle Regiment
第8モロッコ狙撃兵連隊 徒歩大隊 B.M du 8è Régiment de Tirailleurs Marocains BM/8e RTM 0st Marche Battalion, 8th Moroccan Rifle Regiment
第201北アフリカ工兵歩兵連隊 第1徒歩大隊

1st Marche Battalion, 201st North African Pioneer Infantry Regiment
第5モロッコ・スパッヒ連隊 5è Régiment de Spahis Marocains 5e RSM
タボール・グループ ※タボール:アフリカ支援兵(グエミ) Groupement des Tabors GT
第1モロッコ・タボール大隊

1st Moroccan Tabor Battalion
第2モロッコ・タボール大隊

2nd Moroccan Tabor Battalion
第3モロッコ・タボール大隊

3rd Moroccan Tabor Battalion
第5モロッコ・タボール大隊

5th Moroccan Tabor Battalion
第8モロッコ・タボール大隊

8th Moroccan Tabor Battalion
第9モロッコ・タボール大隊

9th Moroccan Tabor Battalion
第10モロッコ・タボール大隊

10th Moroccan Tabor Battalion
第11モロッコ・タボール大隊

11th Moroccan Tabor Battalion
第17モロッコ・タボール大隊

17th Moroccan Tabor Battalion
第207モロッコ極東徒歩狙撃兵大隊

207th Moroccan Far East Rifle Marche Battalion
第214モロッコ極東大隊

214th Moroccan Far East Battalion
セネガル・中央アフリア

Senegalese/Central Africans
第13セネガル狙撃兵連隊 徒歩大隊

Marche Battalion, 13th Senegalese Rifle Regiment
第24セネガル狙撃兵連隊

24th Senegalese Rifle Marche Regiment
第26セネガル狙撃兵大隊

26th Senegalese Rifle Marche Battalion
第27セネガル狙撃兵大隊

27th Senegalese Rifle Marche Battalion
第28セネガル狙撃兵大隊

28th Senegalese Rifle Marche Battalion
第29セネガル狙撃兵大隊

29th Senegalese Rifle Marche Battalion
第30セネガル狙撃兵大隊

30th Senegalese Rifle Marche Battalion
第31セネガル狙撃兵大隊

31st Senegalese Rifle Marche Battalion
第32セネガル狙撃兵大隊

32nd Senegalese Rifle Marche Battalion
第104セネガル大隊

104th Senegalese Battalion
チャド徒歩連隊 第4大隊

4th Battalion, Chad Marche Regiment
第1フランス東アフリカ徒歩大隊

1st French East African Marche Battalion (West?)
第2フランス中央アフリカ徒歩大隊

2nd French Central African Marche Battalion
第3フランス東アフリカ徒歩大隊

3rd French East African Marche Battalion (West?)
外人部隊 Légion Etrangère

第1外人空挺大隊 1er Bataillon Etranger Parachutiste 1er BEP
外人空挺インドシナ中隊 Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère CIPLE
第1外人空挺インドシナ中隊 1er Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère 1er CIPLE
第2外人空挺大隊 2è Bataillon Etranger Parachutiste 2e BEP
第2外人空挺インドシナ中隊 2e Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère 2e CIPLE
第1外人歩兵連隊徒歩大隊 BM du 1er Régiment Etranger d' Infanterie BM/1er REI
第2外人歩兵連隊 2è Régiment Etranger d' Infanterie 2e REI
第3外人歩兵連隊 3e Régiment Etranger d'Infanterie 3e REI
第4外人歩兵連隊第5大隊 5e BM du 4è Régiment Etranger d'Infanterie 5e BM/4e REI
第5外人歩兵連隊 5è Régiment Etranger d'Infanterie 5e REI
第6外人歩兵連隊第3大隊 3e BM du 6è Régiment Etranger d'Infanterie 3eBM/6e REI
第13外人準旅団 13è Demi Brigade de Légion Etrangère 13e DBLE
外人中央整備中隊 Compagnie Moyenne de Réparation de la Légion Etrangère CMRLE
第1外人空挺重迫撃砲中隊 1ère Compagnie Etrangère Parachutiste de Mortiers lourds 1re CEPML
外人徒歩連隊 Régiment de Marche de la Légion Etrangère RMLE
第1外人騎兵連隊 1er Régiment Etranger de Cavalerie 1er REC
支援軽中隊 Compagnie Légère de Supplétifs Militaire CLSM
コマンド610 Commando 610

コマンド620 Commando 620

北部ベトナムコマンド Commandos d'Intervalles du Nord-Vietnam

コマンド1 Commando n°1

コマンド2 ※ 後の海軍コマンド・ティプル Commando n°2 (Commando Trepel)

コマンド3 Commando n°3

コマンド4 ※後の海軍コマンド・ペンフェンテニュー Commando n°4 (Commando Penfentenyo)

コマンド5 Commando n°5

コマンド6 Commando n°6

コマンド7 Commando n°7

コマンド8 Commando n°8

コマンド9 Commando n°9

コマンド10 (コマンド・プレヴィーエ/第2外人空挺大隊) Commando n°10 (Commando de Preville)

コマンド11 Commando n°11

コマンド12 Commando n°12

コマンド13(モロッコ植民地歩兵連隊) Commando n°13 (Régiment d’Infanterie Coloniale du Maroc)

コマンド14 Commando n°14

コマンド15 Commando n°15

コマンド16 Commando n°16

コマンド17 Commando n°17

コマンド18 Commando n°18

コマンド19 Commando n°19

コマンド20 (ムオン支援軍) Commando n°20 (Suppletifs Muong)

コマンド21 Commando n°21

コマンド22 Commando n°22

コマンド23 (コマンド・ルイスコニー) Commando n°23

コマンド24 (コマンド・ヴァンデンベルゲ) Commando n°24

コマンド25 Commando n°25

コマンド26 Commando n°26

コマンド27 Commando n°27

コマンド28 Commando n°28

コマンド29 Commando n°29

コマンド30 (コマンド・ローベル) Commando n°30 (Commando Robert)

コマンド31 Commando n°31

コマンド32 Commando n°32

コマンド33 Commando n°33

コマンド34 Commando n°34

コマンド35 Commando n°35

コマンド36 Commando n°36

コマンド37 Commando n°37

コマンド38 Commando n°38

コマンド39 Commando n°39

コマンド40 Commando n°40

コマンド41 Commando n°41

コマンド42 Commando n°42

コマンド43 Commando n°43

コマンド44 Commando n°44

コマンド45 Commando n°45

コマンド61 Commando n°61

コマンド62 Commando n°62

コマンド63 Commando n°63

コマンド65 Commando n°65

工兵 Engineer
Engineers
第17工兵大隊

17th Engineer Battalion
第22工兵大隊

22nd Engineer Battalion
第26工兵大隊

26th Engineer Battalion
第28工兵大隊

28th Legion Engineer Battalion 
第31工兵大隊

31st Engineer Battalion
第61工兵大隊

61st Engineer Battalion
第62工兵大隊

62nd Engineer Battalion
第71工兵大隊

71st Engineer Battalion
第72工兵大隊

72nd Engineer Battalion
第73工兵大隊

73rd Engineer Battalion
第75工兵大隊

75th Engineer Battalion
第61植民地工兵大隊

61st Colonial Engineer Battalion
第71植民地工兵大隊

71st Colonial Engineer Battalion
第72植民地工兵大隊

72nd Colonial Engineer Battalion
第73植民地工兵大隊

73rd Colonial Engineer Battalion
第74植民地工兵大隊

74th Colonial Engineer Battalion
第76植民地工兵大隊

76th Legion Engineer Battalion
後方支援

Support
第532衛生輸送中隊

532nd Medical Transportation Company
極東暫定旅団 植民活動・輸送中隊

Far Eastern Provisional Brigade's Colonial Service and Transportation Company
第71交通管制中隊

71st Traffic Control Company
第73交通管制中隊

73rd Traffic Control Company
第503輸送中隊

503rd Transportation Battalion
第515輸送中隊

515th Transportation Battalion
第516輸送中隊

516th Transportation Battalion
第519輸送中隊

519th Transportation Battalion
第163伝令植民地大隊

163eme Colonial Battalion of Transmissions


 見ての通り、第一次インドシナ戦争を戦った『フランス軍』のほとんどが植民地軍の部隊です。つまり、フランス連合軍兵士のほとんどは植民地出身のアジア人とアフリカ人であり、本土フランス人(ウーホピアン)は士官としてその指揮を執るだけという形が大半でした。そのため第二次大戦後のインドシナ半島では、フランスの支配下で生まれ育った彼ら植民地兵が、フランスのため、インドシナ連邦維持のため、植民地解放を掲げるベトミン軍と殺し合うという矛盾に満ちた光景が繰り広げられました。
 これを傍から見れば、植民地兵たちは単に帝国主義の道具として消耗された哀れな人々であります。さらに悲劇的な事に、この戦争の震源地であるベトナム出身の兵士たちにとって、敵は同じベトナム人でした。しかし、彼らは果たしてベトナム共産党が宣伝するような「フランス帝国主義に追従し、自国の解放を妨げた傀儡勢力」だったのでしょうか?
 ベトミンが掲げる民族自決の理想は、植民地支配を受ける多くのベトナム人にとって悲願でした。しかしその一方で、ベトミンの一部にはベトナム人がフランスや日本軍に協力的または単に反抗しなかったというだけで裏切り者と見なす過激な思想があり、ホー・チ・ミンによる八月革命が成功した当初からベトナム国内では『裏切り者』へのテロ、虐殺が相次いでいました。独立への期待が高まる一方で、実際にはベトナム国民の中には長い植民地支配の中で抵抗を諦めフランス人との共存を選んだ者も少なくなく、ベトミンが支配地域を拡大すれば特にキリスト教徒などの親仏派住民がさらに弾圧される事が危惧されていました。
 そんな中、1948年に皇帝バオダイを首班とするベトナム国が建国された事でベトナム国民の中には、戦争による犠牲者ばかりを増やすベトミンを見限り、フランスの勢力下に甘んじるとしても平和な日常を求める声が日増しに強まっていきました。ベトナム独立を志す若者の中にも、ベトミンの闘争が中国・ソ連からの支援に依存している以上、フランスに勝利したとしてもこれらの国からの干渉は避けられず、ベトナムに真の平和と独立はもたらされないと考える者も多くなり、大勢の若者がベトミン政権阻止のため国軍に志願していきました。そしてピーク時の1954年1月には、ベトナム国軍の総兵力は20万人に達し、ベトミン掃討を目指すフランス連合軍の主力として大きな役割を担いました。
 しかし戦いはベトミン軍の勝利に終わり、ベトミンとフランスがジュネーヴ協定を締結した事で、ベトナム国は領土の北半分を失う結果となりました。そして北ベトナムを支配したホー・チ・ミン政権は、その後もベトナム国/ベトナム共和国政府の解体を目指し南ベトナム解放民族戦線を介した政府関係者・一般市民へのテロ攻撃と、周辺国への軍事侵攻を推し進めていきます。(=ベトナム戦争)
 ベトナム共産党は現在でもこの坑仏戦争を、植民地からの解放を成し遂げた英雄的偉業と規定しており、その栄光と犠牲の物語を国内の求心力維持にフル活用しています。しかしその偉業の影には、帝国主義と過激な民族主義の板ばさみの中で祖国の行く末を案じ、あえてフランスと協調する道を選んだベトナム人も大勢いた事を忘れてはならないでしょう。

『忘れられた物語: インドシナ降下兵』 (ドキュメンタリー番組『トリコロールの帝国』より)



フランス ノジャン・シュル・マルヌのベトナム兵記念碑で毎年11月2日に行われる戦没者追悼式典



ノジャン・シュル・マルヌの記念碑にはこう記されています。

天歐赫義越───ベトナム義士欧州の天に輝く
  


2016年04月30日

2016年の『30-4』

過去の記事

41年前の今日、1975年4月30日。
ベトナム共和国の首都サイゴンがベトナム人民軍の侵攻の前に陥落し、15年間続いたベトナム戦争が終結しました。
総犠牲者数700万人以上と言われるこの戦争は、ベトナム共産党(当時はベトナム労働党)のテーゼ通り南北ベトナムの統一という形で幕を閉じ、現在もなおベトナム政府によって『侵略者アメリカとその傀儡政権からベトナム人民を救った英雄的偉業』と喧伝されています。
しかし1975年以降、戦争に勝利たベトナム共産党によって強行された一連の『解放』によって100万人を超える難民が発生し、ベトナム民族に新たな分断をもたらす結果となった事実は、日本ではあまり知られていません。
実際には、日本には1975年から1980年代にかけてボートピープルと呼ばれるベトナム難民が多数入国しており、その内約1万人が日本に定住しています。
その一方で、戦争当時ベトナム反戦運動で勝手に盛り上がっていた日本社会は、彼らが何故戦争の最中ではなく、終戦後の『平和になったベトナム』から逃げ出さざるを得なかったのか理解に苦しみ、そしてあれだけ声援を送っていたベトナム人民に対し急に冷淡な目を向けるようになりました。
中には、「ベトナム難民などアメリカの傀儡として人民を苦しめてきた圧政者の家族なのだから苦しんで当然」と公言する元反戦運動家も居たといいます。
それは極端な例だとしても、日本における一般的なベトナム戦争に対する理解は、ほとんど当時のメディアによる(アメリカ批判に終始した)戦争報道で終わってしまっていると言えるでしょう。

私の友人のある在日ベトナム難民二世の青年は、私にこう言いました。

「日本でベトナム戦争と言うと、アメリカとベトナムの戦争だと思われてるんですよね。。。日本は親越なのになんでですかね?」

私「日本人はベトナムが大好きだよ。日本では右翼も左翼も、アメリカを非難するためにベトナム人の死を利用し、韓国を非難するためにベトナム人の死を利用し、中国を非難するためにベトナム人の苦難の歴史を利用しているんだもん。日本人は、そういう利用価値がある国を『親日』と呼んで大好きになるんだ。」

彼「ああ、なるほど・・・」

私「あ、もちろん右翼連中は第二次大戦中に日本軍の軍政下で百万人のベトナム人が餓死したなんて話は無かった事にしているから。むしろ日本兵はベトナム独立戦争に協力してやったんだから感謝しろって言ってるよ。そしてそれに同調しない外国人は『反日』だから人種差別の対象さ。君も気をつけないと、馬鹿どもに『反日外国人』として嫌がらせされるよ

彼「本当にあの人たちすごいですよね・・・(呆れ顔)」



私がベトナムという国の歴史に興味を持って十年ほどが過ぎましたが、こうして生でベトナム人と接する機会が増えた(ネットを含めると日本人よりベトナム人と話す機会の方が多いかも)ことに、不思議な縁を感じずには居られません。
先日は、『映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で』で紹介したハウ・ルック君が、実は僕の友達の日本在住ベトナム人S君と、ベトナムの中学校で同級生だったことが発覚しました。僕もルックも、それを聞いてびっくら仰天。
なんでも子供の頃は家が近所で、よく一緒にTVゲームをして遊んでいたそうです。そんな二人が中学卒業後離れ離れとなり、それぞれアメリカと日本に渡って生活している中で、別々に日本に住む私と友達になり、その縁で10年ぶりに同級生と再開するという。なんという偶然。世界狭すぎだろ・・・。

↑ハウ・ルック監督作品『記憶』の予告編ロングバージョン公開されてます。



そして今日は、4月30日だからって理由ではありませんが、都内某所のベトナム料理レストランにお邪魔してきました。
ホア少尉の戦友で、元CCN RTダコタ所属のフォー・ズン氏から、「私の妹が日本でレストランやってるよ!」と連絡があったので、妹さんに連絡を取ってランチを食べに行ってきました。
まぁお店は普通の飲食店だし、妹さんは戦後生まれなので戦争の話なんてしませんでしたが、日本に来る前はアメリカに住んでいたためホア少尉とも親しく、共通の友人を介してこうして日本でお会いできた事をとても嬉しく思います。
また今日・明日はお店として熊本地震へのチャリティーを行っており、売り上げは全額熊本県へ寄付されると言う事で、普段ケチな僕も奮発して1500円のランチを頂きました。
僕は、2011年の東日本大震災の時も在日ベトナム人の皆さんが、自費で日本を応援する横断幕をつくり、ベトナム人コミュニティーの間で募金活動する様子を取材してきましたが、今回もまた暖かなお心遣いを頂き、日本人として感謝の念にたえません。


Cam ơn rât nhiêu!
  


2016年04月09日

映画『記憶』:共和国兵士三世の視点で

 以前『リエナクターの輪』で紹介した"My bro"ハウ・ルック君(25歳)の監督作品が、カリフォルニアのベトナム移民系テレビ局SBTN(Saigon Broadcasting Television Network)で放映される事が決定しました。SBTNの公式サイトに詳細が掲載されていますので、その全文を邦訳したものをここに記します。

引用: Saigon Broadcasting Television Network
http://www.sbtn.tv/vi/tin-cong-dong-hai-ngoai/sbtn-trinh-chieu-phim-hoi-uc-goc-nhin-nguoi-linh-cong-hoa-tu-he-thu-ba.html


映画『記憶』SBTNにて放映決定:共和国軍兵士三世の視点で

 今年の"暗黒の四月(サイゴン陥落)"を記念し、SBTNテレビは『記憶(Hồi Ức)』と題された全12話の短編映画を放映します。この作品はSBTNと若干25歳のアマチュア映画監督ハウ・ルック氏との共同制作作品です。この作品はおそらく、海外在住ベトナム人コミュニティにおいて、共和国軍兵士の孫の世代が彼らの祖父達を描いた初の映像作品であり、彼らが祖父たちの時代をどのように理解しているかも見所です。


画像: 映画『記憶』より

 ベトナム ドンタップ出身のハウ・ルック氏は今から10年前、15歳の時にベトナムを去り、アメリカ合衆国ジョージア州に移住しました。彼の祖父は元ベトナム共和国軍の空挺部隊兵士でした。ハウ・ルック氏は少年時代にベトナム本土で受けた"社会主義教育"を覚えており、教師たちは今だに、1975年以前の南ベトナムの政権関係者を"米帝の傀儡"、"猟犬"、"売国奴"と罵り、子供たちに旧政権への憎悪を繰り返し植え付けていたといいます。
 彼はある日、家で両親と祖父母が"私たちの国"について話しているのを聞きました。「ちくしょう、共産のやつらめ・・・」という声が聞こえてきました。ルック氏は子供ながらに好奇心に駆られ、独学で歴史を勉強するようになり、ついに教師の教える歴史は事実とは全く異なる捏造だという事に気付いてしまいました。そして再び授業中に教師が"米帝の傀儡"を非難したとき、ルック氏は席から立ち上がって反論しました。すると教師はルック氏を「クソ反動め!」と罵ったといいます。休み時間になり、ルック氏の周りには「なんであんな事を言ったの?」とクラスメイト達が集まったので、ルックは知っている事を説明したそうです。

 家族の過去、そして少年時代の好奇心から、ルック氏は次第にベトナム共和国軍人への憧れを強めていきました。さらにアメリカに移住した事で、ベトナム本土では"勝者(ベトナム共産党)"と"融和を拒んだ者(旧ベトナム共和国政府)"という歪んだ二元論によって隠蔽・捏造されているベトナム共和国時代の真実の情報が得られ、その情熱はさらに燃え上がっていきました。彼は共和国軍に関するアイテムに魅了され、彼の家は小さな軍事史博物館と化していきました。

 それから彼は、共和国軍人への敬意を何らかの形で示そうと考え、戦時中の自分の祖父を演じることにしました。映画への情熱と学習意欲を持つ彼は、理系大学で学んでいるもののあえてCGを用いない映画を目指しており、モンタージュ技法を得意としています。そして彼は共和国軍の兵士テーマとして短編映像を制作し、それを大学生アマチュア映画コンテストに出品すると、作品は見事入賞を果たしました。

▲全米学生映画祭(Campus MovieFest)に出品されたハウ・ルック氏の監督作品『Nightmare』

 この作品をきっかけにSBTNテレビは彼の存在を知り、我々は彼を奨励すると共に彼の情熱がさらに実を結ぶようサポートする事となりました。こうして生まれたのが『記憶』と題された12の短編映画です。

 ハウ・ルック氏は自身について、ワンマンバンドのようなアマチュア映画監督だと冗談めかして答えました。各フィルムは20分ほどの短編であり、作品のプロットは全て共和国軍兵士達の証言に基づいています。ストーリーはルック氏自身が元空挺部隊、海兵隊、レンジャー隊員などから聞き取った実話であり、また作品に使われている衣装、軍装品などはすべてルック氏個人のコレクションが使用されています。映画に出演する俳優はルック氏の情熱に賛同する若い仲間達であり、彼らもまた映画を作る中で自分自身のルーツを学び、探求する喜びを分かち合っていきました。

 一方でルック氏は、自分ひとりの情熱だけでは当時の歴史・政治の側面を詳細に調べきるには不十分だとも自覚しています。彼の映画は、正直だが思慮深い者、家庭的だが誇り高い者、温和だが祖国と同盟国の為に自分を犠牲にする覚悟がある者など、共和国軍兵士の人生の物語を再構成しようとするものです。その為、我々はこの記事を読まれている元共和国軍兵士からのお便りを心からお待ちしております。あなたの物語は、この熱意と誇りに満ちた若き映画製作者の作品に特別な魂を吹き込み、あなた自身の人生の価値を後世に残すものとなります。

 『記憶』は、海外で生まれ育った若い世代が、自分達の祖父・父親の世代が辿った物語を尊重する作品です。そこには軍隊時代の良き思い出と共に、祖国防衛を果たせなかった無念が綴られています。『記憶』のように、世代と世代との認識がつながっている限り、ベトナム共和国の歴史は決して忘れ去られる事のないものだと信じます。

 またルック氏は『記憶』を通じて、ベトナムに住んでいる若者に、我々の世代は何をすべきか、情熱をどこに向けるべきかを考えて欲しいと語っています。

 映画『記憶』は2016年4月15日よりSBTNにて放映を開始します。『記憶』は海外在住ベトナム人にとって今年の暗黒の四月を記念するものであり、また同時に全てのベトナム共和国軍兵士へ捧げる、意義のある作品であります。

ドアン・フン / SBTN


映画『記憶』予告編

【あとがき】
 ちなみに彼らが着ている衣装のうち何着かは、僕が日本で代理購入し発送したリプロ迷彩服。このような記念碑的な作品に、自分も衣装協力という形で関れた事を大変光栄に思います。でもルックから衣装を集めて欲しいと依頼された時には、既に品切れになっている商品が多くて、人数分揃えてあげられなかったのが少し心残り。今度、NKTコマンド雷虎(いわゆるMACV-SOGのRT)の作品撮るんだけど、よかったら君も出演してみない?ってお誘いが来たけど、さすがにアトランタは遠いな・・・。ただ今は無理でも、彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。
  


2016年01月09日

リエナクターの輪

リエナクトメントという趣味はアメリカが本場ですが、アメリカで行われるベトナム戦争イベントと言えば、当然アメリカ軍ごっこが主流となっています。
また世界的に見ても、ベトナム戦争ヒストリカルゲームは日本・韓国・中国・台湾・タイでも行われていますが、全てアメリカ軍ごっこがメイン。
(韓国やタイは参戦国なんだから、自国軍を演じたら良いじゃんと思うんだけど、やっぱり皆アメリカ軍をやりたがります笑)
日本は多分ナム戦イベント人口が世界で最も多いので、共産軍役の人も比較的多く、イベントの盛り上がり的に嬉しいですね。

しかしまぁ、見事なまでにベトナム共和国(南ベトナム)軍は人気ないですね。今さら過ぎて嘆く気もないけど。コレクションの世界では長年不動の人気を誇る軍隊なんだけどなぁ~
たまに欧米のグループで、白人に混じって一人だけアジア系が居て"ARVNの通訳"役だったりするけど、再現の主体はあくまで米軍。
タイで一緒に遊んだゲーム君も、サバゲの時に個人で共和国軍コスプレしているだけで、周りは誰も一緒にやってくれないと言っていました。

なので、ある程度人数を揃えて共和国軍の再現を行うグループが存在するのは、今のところアメリカ、日本、中国だけのようです。

▲知り合いが所属する中国のグループ。活動拠点は香港だけど、メンバーは中国本土の人も多い。
エアガンやレプリカ軍服メーカーの多い中国だけあって、軍装の再現度はかなり高いです。

アメリカではアメリカ軍が主流と書きましたが、それでも共産政権を逃れて国外脱出したベトナム難民およびその家族は現在アメリカ国内に200万人くらい住んでいるので、彼らによる再現はかなり盛んに行われています。
中でもカリフォルニア州では、ホア少尉の呼びかけで在米二世・三世のベトナム系住民が集まり、ベトナム共和国軍伝統保存会』としてベトナム移民系のイベントに参加しています。
ただし彼らの活動は亡き祖国を偲ぶベトナム系コミュニティの出し物であり、我々が言う趣味としての『リエナクトメント』とは若干異なりますが。


▲ベトナム系テレビ局Hồn Việt TVのインタビューを受けるベトナム共和国軍伝統保存会の皆さん


さらに去年は、ジョージア州アトランタのグループからも、「うちも共和国軍やってるよ~!」とコンタクトがありました。

左がリーダーのハウ君。
日本人も大戦以前と現在では体格が全然違うように、ベトナム人も(本土・在外ともに)現代の食生活のせいで体格が大きくなってて、見た目が当時のベトナム人っぽくない人が多いけど・・・
彼の友達はなかなか"当時っぽい"なぁ(褒め言葉)

しかもハウ君は大学で映像制作を学んでいて、リエナクト趣味の仲間と共にショートフィルムを作製し、昨年の全米学生映画祭(Campus MovieFest)に出品しています。


いや~、よく出来てますね!
敵も黒パジャマ着ただけの適当ベトコンではなく、ちゃんと人民軍だし。
そしてなにより、ベトナム語で台詞話せるのが羨ましい。

そんなハウ君から、日本で売ってるリプロ迷彩服欲しいよ~!チームの皆が欲しがってるよ~!とお願いされたので、昨年から何点か代理で迷彩服を購入、発送しています。
僕はあまりeBay見てないので、アメリカ国内での流通状況は知らないけど、わざわざ日本から買おうって言うくらいなんだから、意外と手に入らないらしいです。
彼らが喜んでくれたらそれで良いので、僕なりのボランティアです。
(さすがにPayPalの手数料分くらいはもらうけど、この前は重量の計算をミスってEMSの送料を1500円くらい安く伝えちゃったので、仕方なく自腹きった・・・)

いつかアメリカで彼らのイベントに混ぜてもらえたらいいなぁ~face02
  


2015年11月27日

ベトナム語を読む

僕は高校の英語の授業以来まともに外国語を勉強したことがないのですが、この趣味やってると知りたいことが日本語ではなかなか見つからないので、仕方なく独学で外国語を翻訳してきました。
その中で、英語・ドイツ語はGoogle翻訳と辞書を使えば割と簡単に意味が理解できますが、ベトナム語はなかなか苦戦しました。
1975年以降世界各地に散らばったベトナム共和国軍アソシエーション系のサイトには、日本語はおろか英語の書籍にも書かれていない当事者による貴重な証言が無数にあります。
なのに、知りたい情報がそこに山ほどあると分かっていながら言葉の壁に阻まれて読むことが出来ないなんて僕には我慢なりません。
なので、いろいろ試行錯誤しながら自分なりの翻訳方法を編み出したので、僕がいつも使っている方法をご紹介します。
(あくまで文章の内容理解が目的なので、会話とかには役立ちません)

例文として、ホア少尉のブログの一つ、『NKTの歴史(Lịch Sử Nha Kỹ Thuật)』より、以下の文章を翻訳してみます。
"Sở Liên Lạc (Biệt Kích Lôi Hổ) gồm có một Bộ Chỉ Huy đồn trú tại Saigon và 3 Chiến đoàn đồn trú tại Saigon và 3 Chiến đoàn đồn trú tại các Khu vực khác nhau, thích hợp với khu vực mục tiêu hoạt động:
• Chiến đoàn I đồn trú tại Đà Nẵng
• Chiến đoàn II đồn trú tại Kontum
• Chiến đoàn II đồn trú tại Ban mê Thuột.
Song song với các chiến đoàn này, MACV-SOG cũng có những cơ sở hành quân riêng rẽ đồn trú chung cùng doanh trại với các chiến đoàn. Kế hoạch hành quân được phối hợp chặt chẽ giữa các Bộ chỉ huy Hoa Kỳ và Việt Nam liên hệ. Mỗi Chiến đoàn có nhiều Liên toán và mỗi Liên toán gồm có nhiều Toán. Các Toán này được tổ chức huấn luyện và hành quân theo Kỹ thuật của Lực Lượng Đặc biệt. Sự khác biệt là các Toán của Sở Liên lạc có nhiệm vụ hoạt động ngoài biên giới lãnh thổ và ngay trong lòng địch."
まず、ただGoogle翻訳につっ込んだだけだと、こんな感じ。


ベトナム語→日本語への翻訳精度が低いため、ただコピー貼り付けしただけでは全然意味が分かりません。
これでもまだマシな方です。

では作業スタート。

①文の中から句読点や単語、接続詞(特にvàなど)を見つけ、改行していく 


Google翻訳の場合リアルタイムで右に翻訳を表示してくれるので、なんとなく意味が分かるような文になるまで、細かく分割していきます。
この際、あまり細かく分けすぎると逆に意味不明になるので、単語を切らないよう、文節を意識しながら改行していきます。
ベトナム語は名詞の頭文字が大文字になるので、慣れれば文節はわりと分かり易いです。
(この作業は英語の時にも使える方法です。)


②不自然な単語を正しい訳語に直す

単語に関しては、特に軍事用語はGoogle翻訳では正しく翻訳されない事が多いです。
なので、自作したベトナム軍事用語対応表と、以前ベトナム人にプレゼントしてもらったベトナム共和国軍公式軍事用語辞典(越・仏・英語。1962年統合参謀本部作成)で調べます。
(※自作の方は過去記事で公開していますので、よろしければどうぞ。http://ichiban.militaryblog.jp/e498889.html)
実はよく使われる軍事用語はある程度頭に入っているので、上の改行作業は、すでに文脈を推理しながら行っています。

例) Sở Liên Lạc →連絡局 Bộ Chỉ Huy→司令部 hành quân→作戦 Toán→チーム


③英語訳を見る


実は、Google翻訳はベトナム語をダイレクトに日本語翻訳するのではなく、一度英語にしてからさらに日本語化という手順が行われているようです。(時々カタカナ英語が出てくるのはそのせい)
なので日本語訳の精度は低いですが、逆に言うとベトナム語→英語はそんなに悪い精度ではないので、英語を読む(あるいは邦訳する)と、意味がすんなり分かる事があります。


④分からない言葉は漢字にする

辞書やネット検索でも分からない単語は、漢字にすると日本人にとって理解し易いです。
ベトナム語は今でこそコックグー(ラテン文字)表記ですが、元々は我々日本人と同じ漢字文化の国なので、ほとんどの名詞が漢字で表記できます。
それを助けてくれる素晴らしいサイトがこちら→漢越辭典摘引 Hán Việt Từ Điển Trích Dẫnとこちら漢字ー漢越オンライン辞書2001

例) Lôi Hổ→雷虎 liên hệ→連携


⑤文を組み立てて日本語にする

以上の手順を経て把握した内容をまとめて日本語の文章にします。
今回の例文は、(多少意訳も含めて)以下のように翻訳できました。
"連絡局(コマンド雷虎)はサイゴンの司令部、サイゴン駐屯の3個戦闘団および各地に展開する3個戦闘団で構成されており、その作戦展開地域は以下となる。
・第1戦闘団 ダナン駐屯(CCN)
・第2戦闘団 コントゥム駐屯(CCC)
・第3戦闘団 バンメトート駐屯(CCS)
これら雷虎戦闘団と共に、MACV-SOGの運用施設も各駐屯地に併設されており、作戦計画はアメリカ軍・ベトナム軍合同指令部で綿密に調整された。各戦闘団は複数の作戦グループ(FOB)を有しており、さらにその中には多数の作戦チーム(RT)が所属していた。各隊はLLDB(特殊部隊)技術局による訓練・作戦計画の下に組織されたが、連絡局が国外、LLDBが国内での作戦を担う点で異なっていた。"
大抵の文章はこのやり方で翻訳できますが、それでもベトナム語に多く使われる地名の略語とかは候補が多すぎて調べようがないので、直接ベトナム人の友人に尋ねちゃってます。

[最近教えてもらった事]
過去記事『ヘルメットと腕章』で載せた、よく分からないヘルメットの文字がそれぞれ何の略なのか意見を頂きました。

こちらの"BT"は、キャプションにファンティエット市と書いてある事から、同市を省都としているビントゥアン(Bình Thuận)省を意味しているはず、との事です。
なるほど。多分それで当たってますね。緑色のラインの意味はまだいまいち分からないですが・・・。
(警察のTC(警ら隊)は軍の憲兵(QC)と赤白が逆になる=中心に赤、上下に白となるので、このBTは警察ではないと思いますが)
※2015年11月29日訂正 TCにもQCと同じ配色が確認できたので、「警察ではない」という断定は誤りでした。

"PV"は割とすぐ分かりました。『防備(Phòng Vệ)』の略で、素直に空軍基地の警備隊でした。

逆に、過去記事で単なる警備要員と紹介した保安隊(AN=An Ninh)は、実は敵スパイに対する防諜・情報保全などを担う部署っぽいです。
憲兵隊はあくまで軍の規律維持を目的とした警察組織(Quân Cảnh=軍警)ですが、保安隊は政治戦総局の指揮下で国内の共産シンパの摘発を独自に行う、軍の諜報機関のようです。
ただし、まだ詳しい情報は得られていないので、引き続き調べたいと思います。

  


2015年11月08日

北米之旅三日目 ありがとうコンサート前編


2015年7月12日
いよいよ今回の旅最大の目的であるチャリティーコンサートの日がやってまいりました。
と、その前に、コンサート会場の隣にあるケリー公園内に、もう一ヶ所見ておくべき場所がありました。
それが世界で唯一のベトナム共和国およびベトナム難民歴史資料館『ヴェト・ミュージアム』です。コンサート開始は正午だったので、まずこちらを先に見学しに行きました。

・・・しかし、なんと運の無いことか、この日に限って公園内でクラシックカーのイベントが開催されていたため、ヴェト・ミュージアムは休館となっていました。なんてこったい・・・。
その場でフェップ少尉が、資料館の管理者に電話で問い合わせてくれましたが、やはり今日は一日開けないそうです。
翌日は朝から高速バスで移動なので、もう見に来るチャンスはありません。とても楽しみにしていたので非常に残念ですが、今回は資料館の外観と屋外の施設のみ見学させて頂きました。
僕にとってヴェト・ミュージアムは絶対に見なければならない場所なので、いずれまたサンノゼに足を運ぶつもりです。

ヴェト・ミュージアム前でフェップ少尉と

1975年4月30日、サイゴン陥落に際し敗戦の責を負って自決した7名の将校(将官5名・佐官2名)の記念碑

レ・バン・フン少将
チャン・バン・ハイ少将
ファム・バン・フー少将
レ・グエン・ビイ准将
グエン・コア・ナム少将
ホー・ゴック・カン大佐
グエン・バン・ロン警察中佐

戦後、ボートピープルと呼ばれたベトナム難民たちが、祖国を脱出する際に乗っていた漁船(再現)



ベトナム共和国傷痍軍人支援チャリティーコンサート
Đại nhạc hội Cám Ơn Anh kỳ 9 (第9回ありがとうコンサート)
(第8回以前の様子は過去記事『傷痍軍人支援チャリティーコンサート』参照)

11時頃、一眼レフとレンズ2本、そして招待状とプレスカードを携えて、ついにコンサート会場のイェバ・ブエナ高校グラウンドに入ります。
僕は当日写真しか撮っていないので、サンフランシスコのベトナム移民向けニュースサイトViệt Vùng Vịnhのビデオも併せてでご覧下さい。




午後0時、開会式
ベトナム共和国海軍北カリフォルニア協会『白藤(Bạch Đằng)によるセレモニー。ベトナム共和国国旗・軍旗、アメリカ合衆国国旗の入場。国歌斉唱
白藤は歴史上幾度も中国軍との海戦が行われたハロン湾の白藤江の意。中国・ソ連の尖兵として南侵する北ベトナム軍との戦いは、ベトナム共和国海軍にとって第四の白藤江の戦い』であった。







つづく
  


2015年11月04日

北米之旅二日目(その二) サンノゼ


サンフランシスコ観光を終えて、15時過ぎにホステル前で落ち合う約束をしていたレ・ホアン少尉と合流。車で一緒にサンノゼに向かう。

サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジを通る

実は今回のアメリカ行きに先立ち、NKTおじさんことファム・ホア少尉がNKTの戦友たちに声をかけ、北カリフォルニアで僕のお世話をして頂ける事になっていました。
レ・ホアン少尉はサンフランシスコ在住で、しかも奥様が日本語を話せるとの事で当初は一緒にサンフランシスコを案内して頂く予定でした。
残念ながら仕事の休み取れなかったので観光案内はなくなりましたが、それでもこの日は仕事場を抜けて、僕をサンノゼまで車で送り届けてくれたのです。ありがとうございます!

▲戦時中のレ・ホアン少尉(写真右側 1973年ケサン ラオス領内に出撃する際の写真)
元NKT作戦部第11グループ"STRATA(短期監視・目標捕捉)"所属

そして高速を2時間くらい走り、これからサンノゼで3日間お世話になるグエン・バン・フェップ少尉のお宅に到着。

グエン・バン・フェップ少尉(左)と、レ・ホアン少尉(右)
フェップ少尉は元NKT本部P3(作戦参謀室)所属で、ベトナム国家軍事アカデミー(VBQG)卒業生でもあります。
ホアン少尉は仕事があってすぐにサンフランシスコに戻らねばならなかったので、残念ながらここでお別れ。

 
ホアン少尉が帰った後、フェップ少尉宅に続々とNKTの戦友が集まりホームパーティーが開催されました。
左より トゥン・カーベイ氏(元NKT連絡"雷虎")、フェップ氏の奥様、チュン氏の奥様、チュン氏(元NKT作戦"黒龍"第75作戦グループ)、ヒュー氏(元NKT連絡"雷虎")

食事のあと、フェップ少尉が「今日は車でちょっと行った場所でもパーティーやってるよ」と言うので、そちらにもお邪魔させて頂きました。

北カリフォルニアCCS連絡会(元NKT連絡"雷虎"第3強襲戦闘団ベテラン)のホームパーティー。
分かり易く言うと、元MACV-SOG CCSの方々です。(※正確には米軍SOGはNKT付きのアドバイザー機関であり、C&C部隊はNKT雷虎(第1~3強襲戦闘団)で構成されていた)
普通は一般のアメリカ人すら立ち入れない内輪のパーティーに僕のような外国人が来てしまいどういう反応されるか心配でしたが、ホア少尉が事前に僕の活動を紹介するブログを立ち上げてくれていて、それをフェップ少尉がタブレットで皆さんに見せてくれたので、意外にもすんなり受け入れて頂けました。
そこにたまたま元NKT沿岸警備(※NKTの海上潜入作戦部門。SOG-37 / 米海軍SEALの作戦指揮下)の副指令(大佐)が居られたので、ご挨拶させて頂きました。
あとは、デロデロに酔っ払った元特殊部隊のじっちゃんに肩を組まれて、ずっと絡まれてました。僕に何かを熱く語ってくれたけど、呂律の回らないベトナム語まじりの英語なので何言ってるかさっぱり分かりませんでした。
おじいちゃん最後には仲間に両肩を抱えられて、迎えに来た家族の車に押し込まれてました。飲みすぎだよー
その後も(シラフの人間が少ないので)パーティー会場となったお宅の家族の方と一緒にテーブルの片付けとかを手伝ってたけど、帰り際に挨拶するまで、その方々はずっと僕のことを『日本から来た在日ベトナム人』だと思ってたみたいです(笑)

そして夜、フェップ邸に帰宅。

翌日のコンサートで身に付けるプレスカードを受領しました。
正式にプレス扱いされるなんて全然聞いてなかったので、ちょっと舞い上がりました。ちゃんとスーツ持ってきて良かった・・・。

この日は朝から船乗ったりベテランの皆さんと飯食ったり、いろんな体験をした一日でした。

  


2015年10月30日

北米之旅一日目 埼玉~サンフランシスコ

僕はすごく楽しいイベントなどがあると、その後片付けとか、ブログの記事にする事がなかなかできないタイプなんです。
なんか、あの素晴らしい時間が終わってしまう気がして。だから旅で使ったスーツケースとか、まだ部屋に広げて置いたままだし。
しかし、さすがに三ヶ月も経てばもういいので、記憶が薄れる前に北米一人旅の思い出を記しておこうと思います。


2015年7月10日、成田空港からエア・ベトナムじゃなかった、エア・カナダ便で出発

それから約10時間、飛行機の中で放屁が止まらない。隣の人ごめんよ。
あと座席のイヤホン指す穴がぶっ壊れてて、片側のスピーカーしか聞けなかった。

カナダのカルガリー空港で乗り継ぎ。滞在時間2時間くらい。空港内のバーガーキングで昼飯を食う。(値段高い)
カルガリーは空港内に喫煙所が無く、乗り継ぎなので外に出ることも出来ず、アメリカに着くまで煙草は我慢するしかなかった・・・

カルガリーから3時間くらいでサンフランシスコ着。空港着いて、まず外で煙草をすう。いや~太陽がまぶしいぜ。
エコノミークラスだった事より、食事のあとに喫煙できない事の方が辛かったよ。

その次に、タイで使ってたノキアの携帯を使えるようにするために、空港内のプリペイドSIM屋に行く。
しかしその店では僕の携帯に対応するSIMカード扱ってないとのこと。うわー、いきなり困ったな。
しかたないのでiPhoneのSMSでホア少尉らと連絡をとることにする。

空港からホステルまではシャトル(バン)で向かう。
そしてホステルのあるサンフランシスコのダウンタウンに着くと、そこはリトル・サイゴンだった・・・



マジで偶然、ベトナム移民街のど真ん中の宿を予約していました。なんというディスティニー。
なので、アメリカに着いて最初の食事は、近くのベトナミーズレストランで。

 .
フォーガー(鳥スープのフォー)と

ナマズか何かを揚げたやつ (よく分からないので、とりあえず見た目で注文した)

ついでに付近を歩いて散策。

サンフランシスコ市役所。とても立派です。

市役所の向かいにあるアジアン・アート・ミュージアム。さすが移民の街サンフランシスコらしい美術館です。中は見てないけど。


日が落ちて美しいトワイライトな街並みに。この時点で既にPM9:00過ぎ。サマータイムにしたって日が長いよな。
しかしホステルにチェックインした時、受付の人から「この辺はチョー治安悪いから夜は出歩かないで」と脅されたので、おとなしく宿に帰る。

僕が泊まったホステルは男性4人部屋(二段ベッド二つ)で、韓国人2人、日本人1人、カナダ人1人という面子。ここでもアジア感がただよってる。
シャワーを浴び終えると、同室の韓国人の青年(22歳)が、「一緒に1階のバーで飲もう」と誘ってくれたので、二人でホステル1階に併設されたバーに行く。(写真撮り忘れた)
彼はソウルに住んでて、一人で海外旅行するのが趣味なので休みの度にこうして世界を回り、安宿で外国人と友達になってるらしい。スゲーな。
また彼は野球が好きなので、今回はアメリカにメジャーリーグの試合を見に来たとの事。いいねぇ
「僕は韓国の時代劇が大好きだよ。うちの両親も好きだから、チャングム、トンイ、ホ・ジュンはDVDレンタルして全話(数百話)見たよ!」と言うと、「それ韓国人より見てるから」だって(笑)
そしていい感じに酔っ払って、そのままベッドでお休みなさいです。

  


2015年10月25日

アンクル・ビル/モンスーン少佐

過去記事『ウェストミンスターにて』で少し書きましたが、7月に米国リトル・サイゴンで食事をご一緒させて頂いた『アンクル・ビル』について、氏がSNSで公開されている写真と共に改めてご紹介します。



『アンクル・ビル』ことウィリアム・ミミエイガ氏は1946年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる
ウィリアムの祖父スピリットはアメリカン・インディアンであった








1964年、高校卒業後アメリカ海兵隊入隊
サンディエゴMCRD(海兵新兵訓練所) 第156小隊卒業







第3海兵師団第3海兵連隊第3大隊に所属、1965年よりベトナムに派遣。以後7期、計26ヶ月間ベトナムに駐留し、クアンナム省チューライ、アンホアで戦う
ベトナム派遣中、あらゆる騒動がウィリアムの周りで起こるため、海兵隊員たちは彼を嵐を呼ぶ男『モンスーン』とあだ名した
(写真右: ベトナム共和国クアンナム省チューライ, 1965年)


ベトナムでの任務を終えた後、海兵隊に勤務しながら1968年~1969年にサンタ・アナ短期大学で学び、準学士号取得

1970年、MCRDサンディエゴの教練指導官に赴任
(写真: カリフォルニア州サンディエゴ, 1970年)







この後、第1海兵師団第11海兵連隊(キャンプ・ペンドルトン)に異動

1975年、士官昇級試験に合格し准尉に昇進

同年、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地のインドシナ難民キャンプ建設に第11海兵連隊の現場監督として従事
第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争・ラオス内戦・カンボジア内戦)は1975年4月に相次いで終結するが、各国で共産政権が成立したため累計144万人のインドシナ難民が発生
アメリカ・オーストラリア・カナダ等が難民を受け入れ、キャンプ・ペンドルトンには1975年4月より5万人の難民(主にベトナム人)を収容する大規模な難民キャンプが設置された

1978年、中尉(輸送科LDO: 限定当直士官)に昇進





1980年より第5海兵連隊第3大隊『ダークホース』(第1海兵師団隷下)に異動
沖縄、韓国、日本、フィリピンで勤務




グアンタナモ湾にて地上警備任務に従事
(写真: キューバ グアンタナモ米海軍基地, 1985年)






1984年~1986年、チャップマン大学にてBA(人文科学学士号)取得

1980年代末、少佐に昇進

1990年~1991年、湾岸戦争に派遣。サウジアラビア、クウェートに展開
(写真中央: クウェート, 1991年)




以後、ロサンゼルスMEPS(米軍入隊事務局)に勤務




苦楽を共にした戦友たちと海兵隊を心から愛し、生涯レザーネックスを貫くつもりだった『モンスーン少佐』ですが、突如人生の転機が訪れます。
それは膝の関節炎の悪化でした。そして松葉杖無しでは歩けなくなったミミエイガ氏は1994年についに退役を決断し、31年間の海兵隊生活に幕を下ろしました。

[在隊中の受勲]
Defense Meritorious Service Medal, Meritorious Service Medal, Navy Commendation, Navy Achievement with Combat “V” with 2nd & 3rd Gold Star, Combat Action Ribbon, Presidential Unit Citation with one Bronze Star,
Joint Meritorious Unit Citation, Navy Unit Citation, Meritorious Unit Citations with 2 Bronze Stars, Good Conduct Medal with 2 Bronze Stars, National Defense Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Service Medal with 1 Silver and 1 Bronze Star, Southwest Service Medal with 2 Bronze Stars, Korean Defense Medal, Vietnam Cross of Gallantry with Palm, Humanitarian Service Medal, Sea Service Deployment Ribbon with 2 Bronze Stars, Drill Instructor Service Ribbon with 1 Bronze Star, Overseas Service Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Cross of Gallantry with Palm and Frame, Vietnam Civil Affairs First Order with Palm and Frame, Vietnam Campaign Medal with 60 device, Kingdom of Saudi Arabia Medal, and Kuwait Liberation Medal. Combat promotion to Staff Sergeant in Vietnam 1970 Meritorious promotion to Gunnery Sergeant MCRD San Diego Drill Field 1974


しかし退役してもなおモンスーンの覇気は衰えませんでした。ミミエイガ氏は第二の人生を、国の未来を担う若者たちの支援に捧げることを決意します。
丁度その頃、アメリカ空軍の入隊募集官をしていた妻のクリスさんがハワイ州に異動となった事から、これを機に夫婦でハワイに移住し、1995年にオアフ島のシャミナード大学およびハワイ大学マノア校に入学します。

そして1996年よりハワイ州内の中学校で特別教員として勤務を始めます。1999年からは地元のカリフォルニア州ロングビーチのステファンス中学校にて16年間に渡って特別教員を務め、『アンクル・ビル』として多くの人に親しまれています。
アンクル・ビルが専門とするのは複雑な家庭環境などで心を閉ざし、問題行動を起こしてしまう子供たちへの授業です。そういった子供たちはしばしば暴力的になり、刑事事件を起こしたりギャングに入ってしまったりと、普通の教師では対応しきれない問題を沢山抱えています。アンクル・ビルはそのような子供たちの助けとなるべく、リクリエーションなどを通じて彼らが前向きに生きる手助けを行っておられます。この活動は非常に高い評価を受け、ミミエイガ氏は現在までにカリフォルニア州年間優秀教員賞(2005年・2006年)、ロングビーチ特別児童協議会年間優秀教員賞(2008年)、カリフォルニア州議会勤続10年優秀教育賞(2009年)を受賞しています。

またアンクル・ビルは元海兵隊将校として、退役軍人の互助、および傷痍軍人・殉職者遺族への支援活動を積極的に行っています。
中でも氏が理事を勤めるNPO団体スノーボール・エクスプレスアメリカン航空をスポンサーとし、殉職した軍人の子供たちに少しでも笑顔を取り戻してもらえるよう、遺族を無料でツアーに招待する活動を行う団体です。



ハリウッド俳優のゲイリー・シニーズ氏スノーボール・エクスプレスの顧問を勤めており、アンクル・ビルと共に長年この活動に尽力されてきました。
シニーズ氏は進んで米軍USOショーに出演するなど、長年軍人への支援活動を続けてきた功績を認められ、2013年に海兵隊司令官より『名誉海兵隊員』の称号を授与されています



『ダン中尉バンド』としてUSOショーを行うゲイリー・シニーズ氏
(日本 普天間海兵隊航空基地, 2013年)


またアンクル・ビルは第1海兵師団協会副会長でもあります。





なので海兵隊と言ったらこの人、皆大好きガニー軍曹ことロナルド・リー・アーメイ氏とも旧知の仲。
二人ともベトナム従軍経験があり、かつ同じMCRDサンディエゴで教練指導官を務めていました。(勤務していた時期は別々です)




また、アンクル・ビルは全米ベトナム従軍兵協会785支部(カリフォルニア州オレンジ郡)の支部長も務めておられます。





この地域はウェストミンスター市およびガーデングエローブ市にまたがる世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンを擁することから、米軍ベテランとベトナム共和国軍人・ベトナム系市民との交流がとても盛んです。
中でもリトル・サイゴンの顔役を務めるファム・ホア少尉とは各種ベテラン系イベントを通じて親交を深め、今ではプライベートも共に過ごす『義兄弟』の仲です。







リトル・サイゴンは1970~80年代にチェリー農園しかなかった寒村をベトナム移民が開拓した街であり、現在では20万人のベトナム系住民が暮らしているため、若い世代のベトナム系アメリカ市民が手腕を発揮する、正に移民の街です。
アンクル・ビルはそのリトル・サイゴンで開催されるイベントに頻繁に参加し、彼らとも強い絆で結ばれています。

ガーデングローブ市議会議員クリス・ファン氏(左)と、同じくファット・ブイ氏(右)と
クリス・ファン氏は市議会議員と同時にアメリカ海軍判事・オレンジ群副地方検事・大学での法学教授を務めています。
(写真: ウェストミンスターベトナム戦争記念碑, 4月30日『国恨の日』式典にて)



カリフォルニア州議会上院議員ジャネット・グエン氏
(写真: リトル・サイゴン テト・パレードにて)







またプライベートでは、アンクル・ビルはバイクを趣味としています。絵に描いたようなコッテコテのハーレーおじさんで、69歳になった今でもベトナムベテラン仲間と共に『ラン・フォー・ザ・ウォール』に参加しています。
ラン・フォー・ザ・ウォールはベトナム戦争および全ての戦争犠牲者の追悼を目的とした全米のバイク愛好家によるツーリング活動で、毎年アメリカ西海岸をスタートし、ワシントンDCのベトナム従軍者記念碑(通称 ザ・ウォール)までたすきリレー形式で走行会を行っています。





ホア少尉の紹介とは言え、まさか僕のような一介のマニアがあのような立派なお方と知り合えるとは思いもよりませんでした。
69歳になってもいまだ熱意の衰えない『モンスーン』の愛と勇気の人生を垣間見れたこの幸運を天に感謝しています。
  


2015年08月08日

一生の宝

昨晩家に帰ると、アメリカから郵便が来ていました。


差出人はカリフォルニア州サンタアナに事務所を置くベトナム共和国傷痍軍人・寡婦互助会 (Hội HO Cứu Trợ Thương Phế Binh và Quả Phụ VNCH) 様。


 傷痍軍人・寡婦互助会は、先月7月12日にカリフォルニア州サンノゼにて開催されたベトナム共和国傷痍軍人チャリティーコンサート『Đại nhạc hội Cám Ơn Anh kỳ 9』の主催団体す。僕はそのコンサートに、ホア少尉らNKT戦友会の皆様の計らいでプレスとして参加したため入場料の$10は免除されていましたが、最初からチャリティーに参加するつもりで行ったので、心ばかりの寄付を行わせて頂きました。
 僕は散々ベトナム戦争という彼らの惨い歴史をネタに遊んでいる訳ですから、せめてこのくらいは恩返ししたいとずっと思っていました。そして先月ついに、本物のベトナム共和国軍人の皆様を前に寄付が叶ったという訳です。まぁ、アメリカ行きの旅費の方がはるかにかかっているので、純粋に寄付が目的なら日本から振り込みするべきでしたが。
 しかし会場で寄付した際に書類に住所指名を記入したら、わざわざ日本にまで感謝の手紙を送ってきてくれるんですね。しかも会場で寄付した人は数千人いるはずなのに、僕がベトナム語を読めない事を見越して、英語で直筆メッセージまで添えて頂けました。なんというお心遣いでしょう。感動しました。
 あとご丁寧に領収書まで付いてきました。こういった寄付は米国でも日本でも税金の控除対象であり、特に米国では控除の額が大きい為、富裕層による慈善事業への寄付は日本とは比べ物にならないほど多いそうです。ただ、今回僕がいただいた領収書が、日本で所得税の控除対象になるかどうかは不明。まず、宛名のスペル間違ってるし(笑)


また以下は、今回のチャリティーコンサートにまつわる記念の品々。
僕にとって、まさに一生のお宝です。

主催から僕宛の招待状



こちらも主催から発行されたプレスカード



肝心のコンサート本編については、書きたい事が多すぎてまだ執筆中なので、近日公開とさせて下さい。
  


2015年07月21日

帰国しました

サンフランシスコでジャンキーに絡まれたり、LAXでコンタクトの洗浄液没収されたり、飛行機の中で放屁が止まらなくなったりと色々ありましたが、無事日本に戻ってきました。

アメリカではホア少尉をはじめとする元ベトナム共和国軍人および関係者の皆さんには、お宅に泊めて頂いたりユニバーサルスタジオに連れて行ってもらったりと、何から何までお世話になりっぱなしでした。
私のような外国人をここまで暖かく迎えて頂けるなんて、本当に感謝してもしきれません。
今回アメリカで過ごした日々は、私にとって単なる趣味の延長を超えた、人生最高の旅となりました。
このご恩は一生忘れません。Cảm ơn nhiều!

お世話になった皆様

グエン・バン・フェップ少尉(左) 元NKT本部P3(作戦・訓練参謀室)
レ・ホアン少尉(右) 元NKT作戦第11グループ"STRATA(短期監視・目標捕捉)"
STRATA時代のホアン少尉(写真右側 1973年)


元NKTの皆様 左より
トゥン・カーベイ氏 元NKT連絡"雷虎"
タイガ
フェップ氏の奥様
チュン氏の奥様
チュン氏 元NKT作戦"黒龍"第75作戦グループ
ヒュー氏 元NKT連絡"雷虎"


元NKT沿岸警備副指令
および元NKT連絡"雷虎"第3戦闘強襲団北カリフォルニアCCS連絡会の皆様


トム・トラン氏 陸軍大佐(第21歩兵師団副師団長)のご子息


カン・ブイ氏 空軍大佐(ベトナム総統専用機の機長)のご子息


ウィリアム・ミミエイガ少佐 元アメリカ海兵隊第3海兵師団


ファム・ホア少尉 元NKT作戦"黒龍"チーム723


ヴゥ・フン少尉 元地方軍第4軍管区PRU



こうして見ると最終階級が少尉(Thiếu úy)の方が多いですが、これには訳があります。
まず、お世話になった方の多くが士官学校もしくはNKT配属時にホア少尉とほぼ同期(1972年前後)であり、だから今回ホア少尉の呼びかけで皆さんが僕をお世話して下さったという訳です。
また、本来将校は任官後も軍の様々な学校で教育を受けて昇進するそうなのですが、1970年代に士官学校を卒業したホア少尉ら若い将校は、戦況の悪化から常に前線で戦っていたため、新しい教育を受ける機会が無かったのだそうです。
さらに仮に教育を受けた者はすぐに大尉に昇進してしまうため、この年代の尉官は中尉が少なく、少尉のまま終戦を迎えた方が多かったのだそうです。なるほど~
  


2015年07月16日

ウェストミンスターにて

カリフォルニア州ウェストミンスターに位置する世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンにて、
ついに長年憧れていた僕のヒーロー、ファム・ホア少尉と、またホア少尉の親友のミミエイガ少佐ともお会いする事が出来ました。



左からご紹介します。

ウィリアム ”ビル” ミミエイガ氏
元アメリカ合衆国海兵隊少佐
悠々と葉巻をふかす姿は豪快で、それでいて優しさの溢れる、見事なまでにアメリカンヒーローを体現するお方でした。
(2015年10月25日訂正。詳細な紹介は『アンクル・ビル/モンスーン少佐』参照)


トム・トラン氏
ウェストミンスターで僕を案内してくれているベトナム共和国出身のおじさん。
トム氏のお父様はベトナム共和国陸軍第21歩兵師団の副師団長でしたが、1975年に共産政権に逮捕され強制収容所に10年間も投獄されました。(それでも病気を患った為、他の高級将校より数年早く釈放されたそうです)
父が囚われ生活の糧を失ったトラン一家は1982年にベトナムから脱出。タイ、フィリピンを経由して1983年にアメリカに定住されました。
トム氏は14歳で終戦を迎えたため軍隊経験はありませんが、お父様を初めとするベトナム共和国軍人を大変尊敬されてます。
またトム氏の息子さんは現在、大学でアメリカ軍のROTC(予備役将校訓練課程)を受講中です。


タイガ・クン
日本からやって来た性欲の奴隷。
ユニバーサルスタジオハリウッドのジェットコースター(ハメナプトラ)で、走行中恐怖のあまり「オマンコやらせろー!」と絶叫し続けたが、周囲にそのような極東の少数言語を理解できる者は誰一人居なかった。


ファム・ホア氏
元ベトナム共和国陸軍特殊部隊少尉。
人呼んでリトル・サイゴンのゴッドファーザー。
サングラスして黒塗りのメルセデスから出てくる姿はベトナム・ヤクザにしか見えない。
実際ホア少尉がアメリカに来た当初は、周りのアメリカ人から舐められないよう、上から下まで映画で見たイタリアンマフィアの服装を完コピして、内緒でピストルまで携帯してたそうです(笑)
でも実はベトナム語の他にフランス語、英語、スペイン語を話せて、しかも本業は世界規模の某有名企業に勤めるエリートエンジニアだということが今回発覚しました。端的に言うと、Windowsが生まれる前からコンピュータ開発に携わっていた人。
アメリカに来てからの話が面白過ぎて、つい戦争中の話を聞くのを忘れてしまいました。
過去記事参照


またこの日は、トムさん、ホア少尉と共に元PRUのホン少尉が経営するベトナム共和国軍専門軍装店へもお邪魔しました。
元共和国軍人および在米二世、三世のベトナム共和国市民向けにリプロ軍装を作成・販売するお店です。
マジで動悸息切れするくらい素晴らしい、夢の中にいるような気分になるお店だったので、後日詳しいレポートを書きます。
  


2015年07月14日

サンノゼにて

詳しい話は帰国してから書きますが、とりあえず簡潔に報告。

ホア少尉の計らいで、正式に日本からのプレスとしてコンサートを取材させて頂きました。



プレスなので、そこらじゅう歩き放題、取り放題でした。



会場では、サンノゼでお世話になった元NKT本部P3(作戦参謀室)のフェップ少尉から、沢山のベトナム共和国軍ベテランの皆さんを紹介して頂きました。
まさか元ベトナム国家警察長官 兼 中央情報院(ベトナムのCIA)長官とお話しできるとは夢にも思いませんでしたよ。

あと、なんか目立ってたせいか、在米ベトナム移民系テレビ局のSBTNからインタビューを受けました。
いきなりマイク向けられたので、かなりテンパりながら答える羽目になりました。
呂律が回らず、あうあうあ…って感じです。
あれ全米(ケーブルテレビ契約者)に生放送っぽいんだよな…。恥ずかし…  


2015年07月06日

俺らアメリカさ行ぐだ

えー、今週末ですが、僕は山梨のベトナムではなく、アメリカのベトナムに行く事になりました。

一年前から計画しておりましたベトナム共和国傷痍軍人支援チャリティーコンサート『Đại Nhạc Hội Cám Ơn Anh』への参加がようやく叶います。

ただしこのコンサート、例年は7月末から8月上旬くらいに開催されていたのですが、今年に限ってなぜか7月12日開催で、見事にアホカリの日程と被ってしまいました。なので残念ですが、今年のアホカリは不参加となります。

今回は遊びのようで遊びじゃないんで、コスプレはしません。ビジターとして失礼の無いようスーツ着て行きます。


なお、このコンサートは毎年カリフォルニア州南部ウェストミンスター(リトル・サイゴン)と、北部のサンノゼで交互に開催されており、今年はサンノゼでの開催となります。

なのでリトル・サイゴンからは遠くなっちゃったけど、サンノゼには世界で唯一のベトナム共和国およびベトナム難民歴史資料館 Viet Museumがあるし、サンフランシスコが近い為アルカトラズ島でニコラス・ケイジごっこもできるので、それはそれで楽しみです。

またコンサートの後は高速バスでウェストミンスターに移動し、リトル・サイゴンのVietnam War Memorialにて焼香させて頂きます。

そんでリトル・サイゴンで数日間ベトナム人の家に泊まって、ロサンゼルスで遊んで、アメリカを後に。

帰りは途中でカナダに寄って、カルガリーに住んでる友達(中学の同級生)と遊んでから帰国する予定。(直行便よりカナダで乗り継ぎor滞在した方が飛行機代安い)

なので行くのはアメリカとカナダの二ヵ国だけど、ほとんどベトナム人(ベトナム共和国市民)に会うのが目的なので、実質三ヵ国周遊というお得な旅になりそうです。
  


2015年04月30日

30-4-1975 40年

去年の記事も参照 『黒い4月』サイゴン陥落の日


本日、ベトナム共和国の首都サイゴンが陥落し、ベトナム全土がベトナム共産党の支配下に墜ちた国恨(Quốc Hận)の日』から40年が経過しました。
終戦40周年に際し、元ベトナム共和国軍ファム・ホア少尉が英国BBCのインタビューに答えています。

BBC Vietnamese 4月24日(4月25日編集)
1975年までベトナム共和国軍コマンド部隊に所属していた元兵士はBBCのインタビューに対し、サイゴン陥落に至った大きな要因として、同盟国の撤退を挙げた。特殊部隊将校ファム・ホア氏は1972年の『燃える夏(イースター攻勢)』から軍務に就いている。

 「あれは私の人生の中で、短くも壮絶な日々でした」

 ホア氏が語ったところによると、1975年4月29日、彼の部隊はフーコック島への移動を命じられたが、それが首都陥落に伴う脱出とは知らなかったという。そして翌4月30日には、避難民は『ほとんどパニック状態』に陥っていたと語る。

 「これから海外でどうやって生きればいいか分からない。言葉も分からない。誰の助けも無い。国が無くなってしまったのだから、国籍すら無くしてしまった。本当に全てを失ったのです。」

 続けてホア氏は語った。

 「私のような若い将校のほとんどは、アメリカからの支援が無くなった事で南ベトナムが滅びるなどとは考えもしませんでした。」

 なぜ南ベトナム軍は北ベトナム軍に敗れたのか?という問いにホア氏は以下のように答えた。

 「今日では、それが同盟国の支援に左右されていた事は誰の目にも明らかです。敵は共産圏、つまり中国、ソビエト、チェコスロバキア、東欧諸国、東ドイツからの支援を受けていました。世界中の共産陣営がアメリカを叩くためにベトナムの戦場に手を伸ばしていたのです。アメリカが撤退した後、ベトナム共和国一国でどうやって全世界の共産国家を相手にできますか?」

 戦争で最も記憶に残っている事は何か尋ねたところ、ホア氏は1974年に自分の部隊と遭遇し、戦死した北ベトナム兵から回収した手紙を読んだ時だと語った。

 「あの兵士は、自分は死ぬと分かっていたから、故郷の母と恋人に向けた手紙に、わざわざ我々南の兵士に向けたメッセージを書いたのでしょう。私はあの手紙に書かれた北ベトナム兵の思いを一生忘れる事ができません。」

その手紙にはこう書かれていたという。
 
『南部人へ。私達北の人間は、この戦争にとてつもなく大きな代償を払い続けています。これはベトナムという国にとって不幸でしかありません。だからもしあなたが北ベトナム兵と戦う事になっても、憎しみ合う必要はありません。我々はお互いに、自らの義務を果たす一人の兵士に過ぎないのです。  ―――南ベトナム軍の兄弟達、私達は君たち兵士を恨んではいません。君たちもまた、ベトナムの南北分断によって、南側としての犠牲を強いられている同胞なのですから』

ホア氏は最後にこのように語った。

「今のベトナムは、我々ベトナム共和国が願った姿、そしてあの北ベトナム兵が願った祖国の姿、そのどちらでもありません。」

 ホア少尉は40年経った今も、軍人として祖国を守れなかった悔しさと、そして自ら手にかけた北の兵士の言葉の重みを背負って生きておられます。この思いは彼一人だけではありません。サイゴン陥落時および終戦後海外に脱出した200万人を超える在外ベトナム人、そして現在もベトナム国内で暮らす大勢の人々が同じ思いを持って生きています。彼らは、ベトナム共産党政権が求心力を維持するため40年間続けてきた『解放戦争』の賛美と旧政権への憎悪を煽るプロパガンダがベトナムの将来の為にならないことを知っています。そして過去の遺恨を乗り越えベトナムが真に平和で豊かな国家となる為には、現在の独裁政権による恐怖政治を終わらせなければならないと訴え続けています。こうして遠く離れた国で彼らの声を聞く私も、いつの日かベトナムが、彼らの願う自由で平等な国家へ生まれ変わる事を心から祈っています。
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