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2018年06月08日

ベトナム空軍神風部隊~トートン~浮世絵

 ベトナム空軍では、他の西側諸国と同様に、航空機の機首にノーズアートが描かれている例がいくつかありましたが、中でも特によく知られているのが、グエン・カオ・キ中将(後の副総統)の直接指揮下にあった第83特殊作戦航空団『※神風部隊(Biệt Đoàn Thần Phong)』のものだと思います。この神風部隊では少なくとも以下の二種類の特徴的なノーズアートがA-1スカイレイダー攻撃機の機首右側面に描かれていました。



※日本の神風特攻隊とは関係ありません。
※なお、この神風部隊は特殊作戦を専門とする『空の特殊部隊』であったからか、本来国籍マークが入るはずの機体胴体側面には部隊のシンボルマークがペインいる点が他の部隊の機体ペイントとは大きく異なります。

 この二つの漢字のような梵字のようなよく分からない図形の正体については、僕自身長年把握できておらず、たぶんチュノム(ベトナム語表記にローマ字=クォックグーが採用される以前に使われていた漢字を基にした表語文字)の一種なのかな、くらいに考えていました。ところがある日、さるベトナム空軍研究家にこのノーズアートについて話を振ったところ、即座に正解を教えて頂く事が出来ました。
 なんでもこの図形はチュノムや特定の言語の文字ではなく、ベトナムの伝統的なカードゲーム『トートン(Tổ tôm)』に描かれた、漢字を基にした記号なのだそうです。
 トートンは中国発祥のカードゲーム(紙牌)である『ハンフー(看虎)』から派生したもので、麻雀やトランプのようにいくつかのスート(柄)と数字の組み合わせでデッキが構成されていました。
 スートと数字は文字(漢字)と漢数字を組み合わせた記号で表されており、スートの文字が漢字の部首の偏のように左側に、漢数字が旁(つくり)のように右側に配置され、その記号自体が一つの漢字のようにデザインされていました。(チュノムも同様に二つの漢字を組み合わせて一つの文字としていましたが、トートンに用いられたのはチュノムではなく、単なる記号です。)
 左側のスートは、現在のトートンでは専ら文(Văn)、索(Sách)、萬(Vạn)の3つが用いられていますが、過去には升(Xừng)や[※1]湯(Thang)といった文字も使われていたようです。このうち索と萬は、もっと後の時代に考案された麻雀(索子と萬子)に受け継がれていますね。 [※2]右側の数字は1~10まであり、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十と漢数字で表記されています。(十は謎の異字体が使われていますが) 

[2018年6月13日訂正]
※1 Thang (湯)は現在でも使われていました。
※2 右側に入る数字は正しくは1~9であり、一、二、三、四、五、六、七、八、九と漢数字で表記されています。下のカード一覧の一番右側にある3枚はそれぞれのスートの十ではなく、それぞれÔng Cụ (萬の行)、Chi Chi (文の行)、Thang Thang (策の行)という役を作るのに使う特殊なカードであり、これに各スートの一(萬の一、策の一、文の一)を含めたカード6種のカードが『Yêu』と呼ばれ、麻雀で言うドラのような役割を持っているそうです。

▲現在出回っている一般的なトートンのカード

そしてこの中で、神風部隊にノーズアートとして描かれたのは、升の九(Cửu Xừng)』と索の九(Cửu Sách)になります。


※なおRobert C Mikesh著『Flying Dragons: The South Vietnamese Air Force』には、神風部隊では上記の二つに加えて『萬の九』、『文の九』もマーキングされていたと記述されているそうですが、当時の写真を探してもその実例を確認する事はできませんでした。

 実はこれらを調べる過程で、頭を悩ませたのが、Cửu Xừng』についてでした。先述したように、現在のトートンで用いられているスートは文・索・萬の三つであり、インターネットで調べても、このカードに関する情報はなかなか見つかりませんでした。しかもかなり文字を崩したデザインなので、元の漢字が何だったかも全く分かりませんでした。
 さらに僕を混乱させたのが、この漢字のクォックグー表記は『Sừng』だというベトナム人からの情報でした。結果から言うと、これは間違いであり、ほぼ同じ発音をする『Xừng』の書き間違いでした。僕はさっそくSừngの漢字・チュノム表記を調べましたが、その表記は漢字では『角』、チュノムでは『䈊』、『表示不可(https://jigen.net/kanji/162049参照)』、、『表示不可(https://jigen.net/kanji/162050参照)』であり、カードに描かれた文字とは似ても似つきません。
 その後、別の人から『Xừng』と書かれている資料をもらい、その表記を調べると、漢字にはXừngに対応する文字はありませんでしたが、チュノムにはありました。それが『表示不可(hyouhttps://jigen.net/kanji/133567参照)』です。これも一見、カードに描かれた文字とはだいぶ違うように見えますが、上で述べたようにチュノムは、中国の漢字では表す事の出来ないベトナム語の発音を表記するために、別々の漢字を組み合わせて一つの文字としているので、このチュノムの構成要素は、『称』と『升』という二つの漢字になります。(出典: Chu Nom.org https://www.chunom.org/pages/209BF/#209BF)
 そして、この中の『升』が、かなり崩されてはいるものの、問題のカードの文字と一致しているように見えます。これでようやく点と点が繋がりました。なお、漢越辞書によると、『升』という漢字を単にクォックグー表記した場合は『Xừng』ではなく『Thăng』になるようですが、日本人なら知っているように、漢字というものはその時代や地域によって様々な読み方をされる物であり、この場合も升という漢字がXừngと読まれていたのではないかと推測しています。この推測に則り、この記事ではCửu Xừng』を『升の九』と書いています。(もし違っていたらごめんなさい)

 ところで、お気付きかも知れませんが、これらのトートンのカードに描かれている人間のイラストは、19世紀の日本人の姿だったりします。その由来はWikipediaによると、フランス植民地時代にマルセイユの玩具メーカー カモワン社(Camoin)が、自社がベトナム向けに生産していたトートンに、日本から輸入された木版画・浮世絵に描かれた日本の庶民の姿をプリントしたのが始まりだそうです。そしてそのカモワン社製トートンがベトナムで広く流通したことで、それらのイラストはトートンの絵柄として定着し、100年以上経った現在でも変わらずに使われ続けているそうです。
 では、なぜカモワン社はベトナム人向けのカードゲームに日本の木版画のイラストを採用したのかと言いますと、具体的には説明されていません。しかしおそらくは、当時フランスでは日本から輸入された木版画・浮世絵などの『エキゾチック』な芸術作品が人気を博し、ジャポニスム(Japonisme)』と呼ばれる流行が発生したため、デザイン業界でも浮世絵に描かれた『オリエント』なモチーフを取り入れられた事がその一因であろうと推察できます。また、当時ほとんどの西洋人はベトナムも日本も中国も一括りにアジア、オリエントと見做しており、それぞれの文化の違いなど気にしなかったため、両国の文化は混同され、ベトナム向けのカードゲームに浮世絵のイラストが採用されたのだろうと僕は思っています。

 余談ですが、『オリエンタリズム(Orientalisme)』という言葉に代表される、このような当時のフランス人(およびほとんどの西洋人)が持っていた『想像上の』アジアへの憧憬、そして偏見は、つい半世紀前まで続いていた欧米諸国によるアジアへの植民地支配、帝国主義と深く結びついた概念でもありました。
 ただし、異国の文化についての誤解は、なにも西洋人に限った話ではなく、日本人もヨーロッパ諸国それぞれの国の文化の違いを正しく理解している者は少ないでしょうし、もっと言えば日本の周りの国ですら、いまだにあまりよく分かっていません。過去には、自国中心の偏見に満ちたアジア観を基に周辺国への領土拡大と統治を行い、大変な反発と遺恨を生じさせた事実は日本人なら誰もが知っておくべき事柄です。また現在でも、例えば日本のテレビ番組ではしばしば海外で日本の文化がいかに誤解されているかを取り上げていますが、では日本にある外国料理は?日本人が話す外来語やカタカナ英語は本来の意味で使われているのか?と思い返してみれば、他人の事は言えないですよね。
 さらに言えば、マスメディアやインターネットでは、タイと台湾は当然のように(反日の対義語として)『親日国』として語られますが、では実際、所謂『反日国』や、それ以外の国々とどれほど違うかと言いますと、実はそんなに変わらないと僕は思っています。第二次大戦において日本と戦ったアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・フランスはもちろん、日本軍の恫喝によって軍政下に置かれたタイや、長く中国国民党政権が続いた台湾でも、大戦中の日本軍を好意的に見ている人はほとんど居ないです。一方、戦後日本が育んだ食事や音楽などの文化、工業・医療製品については、世界の大半の国々、そして日本で反日』と呼ばれる中国や韓国でも大人気であり、特に中国の小金持ちはこぞって日本に観光に訪れ、帰国後日本に行ったと自慢する事が一種のステータスとなっている感すらあります。
 数年前、あるニュース番組で、中国で発行されている『知日』という情報誌が紹介されていました。その雑誌を編集している僕と同じ世代、1980年代生まれの中国人編集者たちはインタビューの中で、「私たちはこの雑誌で、読者に日本を好きになってもらおうとは思ってはいません。ただ、彼らを好くにせよ嫌うにせよ、まずは相手の本当の姿を知る事が、我々自身にとっても大切な事なのです」という趣旨の言葉を語っていました。その通りだと思います。日本に訪れる中国人観光客が皆こういった意識を持っているとは思っていませんが、少なくとも中国国内にはこういう理知的な人々が居り、彼らの雑誌が人気を博してる事実は、両国の未来にとって歓迎すべきことだと思います。
 なお、知日は日本でも買えるようですが、ちょっと良い値段しますし、どうせ中国語読めないのでまだ呼んだ事は無いです。もし日本語訳版を作ってくれたら、是非読んでみたいですね。

こちらで販売中

今日は我ながら、いろんな方向に話が飛んでいくブログでした。
  


2018年06月07日

ヒーノス歯磨き粉

 随分前の事ですが、DeMilitarized Zone氏のブログこちらの記事で、『ヒーノス(Hynos)』がまだ製造されている事を知り驚きました。ヒーノスとはベトナム国産の歯磨き粉ブランドで、ベトナム共和国時代の写真を見ていると、ヒーノストレードマークである白い歯を輝かせて笑う黒人おじさん看板をよく見かけます。


 そのヒーノスがまだ売っているなら僕としては是非とも欲しいし、日本のベトナム軍リエナクター仲間へのお土産にも良いだろうと思い、一昨年ベトナムに行った時にコンビニなどで探したのですが、残念ながらその時は見つける事はできませんでした。サイゴン在住の友人に訊いても、どこで売ってるかは分からないと言っていました。
 それからしばらくヒーノスの事は忘れていましたが、最近ふと思い出しFacebookで友人たちに「これどこで売ってるの?」と質問してみたら、いろいろ教えてもらう事が出来ました。
 まず彼らから得た情報としては、ヒーノスブランドは現在市販されておらず、ホテルのアメニティグッズとしてのみブランドが継続しているとの事でした。なるほど、どうりで街のコンビニでは見つからないはずだ。ただし、当然ベトナムの全てのホテルに備わっている訳ではないので、僕がサイゴンのホテルに泊まった時は残念ながら見かけませんでした。
 ありがたいことに、何人かは「このホテルに置いてあったよ」と、ヒーノスが置いてあったというホテルをいくつか教えてくれたので、どこのホテルに置いてあるかは分かったのですが、歯磨き粉をもらう為だけにわざわざその街に行く訳にはいかないですよね。おそらくサイゴンのホテルにも普通に置いてあるっぽいですが、部屋を予約する時に「ヒーノスの歯磨き粉置いてますか?」なんて聞くのは恥ずかしいなぁ(笑) 

 さらにインターネットを調べてみると、ヒーノスに関する詳細な情報が載っていました。

Báo điện tử Pháp Luật thành phố Hồ Chí Minh(ーチミン市司法局 ホーチミン市法律電子新聞)
Hynos - cứ ngỡ kem đánh răng ngoại

Người Lao Động (ホーチミン市労働者連盟電子新聞 労働者)
Thắp lại hào quang thương hiệu Việt: Từ P/S đến Hynos

 これによると、ヒーノスは元々1950年代にユダヤ系アメリカ人実業家が南ベトナムに工場を作り立ち上げたブランドでした。しかしその創業者は、国に残してきた妻が亡くなった事で傷心し、アメリカに帰国してしまいす。その後、ヒーノスの経営を受け継いだのが、創業者の下で働いていたベトナム人従業員のブン・ダオ・ギア(Vương Đạo Nghĩa)でした。商才に恵まれたギアは、その後10年間でヒーノスをベトナムを代表する有名ブランドに成長させます。
 当時、サイゴンを中心とするベトナム南部の都市部の消費者の指向は欧米的で、いかに広告を打つかがビジネスの鍵であったため、多くの企業が美男美女をイメージキャラクターとして広告に使用しました。しかしヒーノスはあえてありきたりな美男美女を避け、ストレートに歯磨き粉としての効能、歯を白く美しくするという点をアピールするために、あえて肌の色と白い歯のコントラストが印象的な黒人男性の顔をトレードマークに採用します。そして街の至る所に看板を設置し、ラジオCMでは子供向けの陽気なテーマソングを放送するなどして、大人から子供まで誰もが知っている有名ブランドの地位を確立していきました。以下はラジオ広告で放送されたヒーノスの歌です。
Chà chà chà, Hynos, chà chà chà.
Chà chà chà, hàm răng em trắng bóc.
Cha cha cha, cha cha cha.
Và ngàn nụ cười, nụ cười tươi như hoa.

チャチャチャ ヒーノス チャチャチャ
チャチャチャ みんなの歯を白くする
チャチャチャ チャチャチャ
だからみんながにっこり 花のようににっこり
(筆者による意訳)
 しかし1975年4月30日、ベトナム共産軍がサイゴンを占領しベトナム全土がベトナム共産党の支配下に堕ちると、共産主義に則り南ベトナムに存在したすべての企業が国有化され、政府の統制下に置かれます。ヒーノスも例外ではなく、1975年に国有化された後、かつてのライバル企業であるコルペルロン(Kolperlon)と合併し、歯磨き粉の生産はその子会社のフォンラン(Phong Lan)へと引き継がれました。
 さらに1980年には他の三社とも合併し、ホーチミン市産業局直轄の化学化粧品合弁会社(Xí nghiệp Liên hiệp Hóa Mỹ Phẩm)となりますが、ドイモイ政策開始後の1990年に同社は解体され、フォンラン歯磨き粉を含む傘下にあった企業はそれぞれホーチミン市産業局の下で独立した企業となります。
 翌1991年、フォンラン歯磨き粉はP/S化学会社(Công ty Hóa phẩm P/S)へと改称され、さらにその後、1997年には英・蘭の多国籍企業ユニリーバ(Unilever)がP/Sに出資し、以後P/Sはユニリーバ傘下の化学化粧品メーカーとして現在にいたります。
 現在でもP/Sはベトナムの歯磨き粉トップシェアを誇り、どこのコンビニやスーパーに行ってもP/Sの歯磨き粉が売られていますが、ヒーノスというブランド自体は既に多くのベトナム国民から忘れられており、ホテルのアメニティとして細々と存続しているだけのようです。(もしかしたら一部では市販されているかも知れませんが、少なくとも若い世代におけるヒーノスという商品名の認知度はかなり低いです)


おまけ:1970年代初頭のサイゴン市内のスーパーマーケット


この数年後、サイゴンは北ベトナム軍の侵攻を受けて陥落し、ベトナム共産党政権による南部の『解放』が開始されます。以後ベトナムはベトナム共産党の施政下で世界の最貧国の一つに転落し、ベトナム国民は歯磨き粉はおろか食料すら満足に得られず、数十万人の国民が難民として国外に脱出する事となります。その後ベトナムは自由市場を一部導入する事でなんとか経済を持ち直し、ベトナム共和国時代に存在したような近代的なスーパーマーケットもようやく復活しましたが、そこに至るまでには十数年の歳月と数えきれない国民の犠牲を要したのでした。
  


2018年04月24日

続・4月の出来事

 2018年4月、オーストラリアのベトナム人権活動家テレサ・チャン・キウ・ゴック弁護士が初来日し、東京・姫路・大阪の三都市で講演会を行いました。そしてその内の一つ、東京のニコラ・バレ修道院で開催された講演会を取材してきました。テレサ先生が語られた祖国ベトナム、そしてそこに住む人々への愛情は、必ずや日本に住むベトナムの若者たちの心にも響いた事でしょう。

 またこの講演会の翌日から3日間に渡ってテレサ先生ご一行の日本観光ガイドという大役を務めさせていただきました。その間、講演会を主催された修道会様のご厚意で、テレサ先生たちが泊まっている東京都内のカトリック教会の宿泊施設に私も泊めさせていただきました。私はベトナム人でもカトリックでもないのに、神父様をはじめ修道会の皆様には大変温かく迎えて頂き、感謝の念に堪えません。

 さらにこの数日後、市の美術館にホーチミンを称える展示を設置した岡山県美作市に各国のベトナム人団体代表団が抗議した際も、姫路に滞在していたテレサ先生らも駆け付け、美作市役所で一緒に抗議活動を行いました。

 そして先週は在日ベトナム人共同体様主催の『Lễ Giỗ Tổ Hùng Vương (雄王命日の祭礼)』祝賀交流会にお邪魔してきました。Hùng Vương(ホン・ヴウン/雄王)とは、紀元前2897年から紀元前257年にかけての約2600年間に渡って現在のベトナム北部に存在したとされるベトナム最古の(伝説上の)王朝『文郎(ヴァンラン)国』を治めた歴代の国王の称号であり、その初代雄王はベトナムを建国した最初の王として神格化されています。そしてその初代雄王の命日である黄歴3月10日はベトナムの建国を記念する日として、ベトナム民族の重要な祝日とされています。(その為Lễ Giỗ Tổの日本語訳として「ベトナム建国記念日」が当てられている)
 式に様子については、また後日記事にしますが、今回は特に、現代ベトナム研究の第一人者で、私もその著書で勉強させて頂いている大東文化大学の中野亜里教授のお話を初めて生で拝聴し、握手までしていただけたのが一番うれしかったです。
 ちなみに僕はこの日は元々仕事で行けないはずだったので、関係者には前もって不参加と伝えていたけど、当日急に仕事が早く終わったので、急いで会場に直行。いないはずの人間がいきなりやって来たのでみんな驚いてました。ゲストでも何でもないけど、サプライズ登場成功(笑)



式の中で友人たちと一緒に歌ったチュック・ホー(Trúc Hồ)の名曲『Bên Em Đang Có Ta』



僕はまだベトナム語が十分に読めないので、自分でカタカナふった歌詞を持参して合唱に参加しました。

  


2018年04月18日

カオダイ教と日本[1]

 カオダイ教(Đạo Cao Đài)とは現在ベトナム国内に約500万人の信徒を抱え、過去には日本との深い関わりもあったベトナム最大の新宗教です。今回はそのカオダイ教徒たちが辿った歴史をご紹介します。


カオダイ教団と松下光廣

 カオダイ教はベトナムのタイニン省で1920年頃に誕生した。カオダイ教はその後の20年間でコーチシナ地方(Nam Kỳ: サイゴンを中心とするベトナム南部)全域に急速に広がり、信徒数は100万人を優に超えていた。この新宗教の急速な勢力拡大に当時インドシナを支配していた仏領インドシナ植民地政府やフランス人は危機感を抱き、またカオダイ教側もタイニン省にける宗教的自治を求めて次第に植民地政府と対立していった。
 またカオダイ教団はこの時期、ベトナムで起業した日本人実業家 松下光廣(1896-1982)との関係を深めていった。熊本県天草出身の松下は1912年、若干15歳の若さでベトナムに移住し、現地の日系企業で勤めた後、1922年に貿易会社『大南公司』をハノイで創業した。その後大南公司は現地のベトナム人・ベトナム華僑と良好な関係を築き、さらにイ、マレーシア、シンガポール、ビルマ等にも支店を持つ巨大商社へと成長していった
 また松下は成功した実業家であるのと同時に、長年に渡ってベトナムの独立運動を支援してきた人物でもあった。ベトナム民族主義運動の祖ファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu, 1867-1940)と共にベトナム独立を志し、その活路を求めて日本に渡った阮朝の皇族クオン・デ(Cường Để, 1882-1950)は松下を盟友とし、松下はその財力を活かしてクオン・デが結成したベトナム復国同盟会(Việt Nam Phục quốc Đồng minh Hội)を資金面で支えていた。また松下は同じく抗仏運動を展開していたコーチシナの二大新宗教カオダイ教およびホアハオ教とも親しい関係を持っており、特にカオダイ教に対し非常に強い影響力を持っていた。
 そのため植民地政府は松下を危険視し、松下が日本に一時帰国していた1937年に欠席裁判によって『禁錮8年または国外追放』の有罪判決を下したため、松下はその後3年間ベトナムに戻る事が出来ず、東京やタイ王国を移動しながら大南公司の経営を続けた。

▲壮年期の松下光廣の肖像


日本軍進駐

 1939年、オダイ教教皇ファム・コン・タク(Phạm Công Tắc, 1890-1959)神からの啓示として、近く日本軍がベトナムに到来する事を予言し、カオダイ教団は来るべきフランスへの蜂起に備えてクオン・デのベトナム復国同盟会への支援を開始した
 同年、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、インドシナを統治するフランスは1940年にドイツに敗北し、フランスの政権はドイツが擁立したヴィシー政府に取って代わられた。フランスが枢軸国陣営に組み入れられた事で、ドイツの同盟国日本は米英ソによる中国への軍事支援輸送路『援蒋ルート』の遮断および資源奪取のため、1940年に北部仏印に進駐。さらに翌年には南部にも展開を進めインドシナ全域を掌握した。教皇の予言通り日本が仏印進駐を開始した事で、カオダイ教徒は日本軍を好意的に迎えた。

▲カオダイ教教皇"護法"ファム・コン・タク

 後の1941年12月に日本が米英蘭との戦争に突入すると、緒戦相次いで勝利した日本軍は、連合国が支配していた東南アジア諸地域を次々と占領していった。『八紘一宇』を掲げる日本軍は、これら占領地で現地の独立運動指導者を取り込んで親日政権を擁立し、『西洋列強植民地支配からのアジア解放という戦争の大義名分を実行していった。ただしこれらの『解放』は、実際には列強が作り上げた植民地経済・資源の利権構造を日本が掌握し日本を中心とする経済ブロック『大東亜共栄圏』を構築るための戦略的政策であり、あくまで親日政権かつ日本の軍政下である事を前提とする事実上の保護国化であった。
 一方、ベトナムを含む仏領インドシナへの対応は他のアジア占領地とは異なった。日本軍は1940~1941年に行った一連の進駐によってインドシナ全域を掌握しており、日本が必要とする経済的・軍事的な利益が十分に確保できていた事から、日本政府はドイツ・フランスとの関係に配慮してインドシナ諸国の独立運動への支援は行わず、「治安維持」の名目で引き続きフランス植民地政府に統治を委ねた。以後4年間、インドシナは植民地政府と日本軍による二重支配を受ける事となり日本軍によってインドシナの支配が「公認」されたフランスのインドシナ総督ジャン・ドゥクー(Jean Decoux, 1884-1963)海軍大将は、独立勢力への締め付けをより一層強めた。

インドシナ総督ジャン・ドゥクーと日本陸軍の将校(1941年インドシナ)

 民衆の間では日本への失望と反感が高まり、戦前から抗仏闘争を行ってきたホー・チ・ミン率いるベトナム最大の民族主義組織ベトミン(ベトナム独立同盟会)は、日本を新たな侵略者と見做し、アメリカOSSなどによる軍事支援を受けながら日本軍へのゲリラ戦を展開していく。さらに1944年後半から1945年前半にかけてベトナム北部で発生した大規模な飢饉によって数十万から数百万人とも言われる大量の餓死者を出した事で、日本軍はより一層敵視された。
 一方、ベトミンのような大規模な武装集団を持たないクオン・デのベトナム復国同盟会は、植民地政府による取り締まりから逃れるため地下に潜伏せざるを得なかった。また植民地政府は1941年7月にタイニン省のカオダイ教団本部にフランス軍部隊を突入させ、教皇ファム・コン・タクをはじめとする5名のカオダイ教指導者を逮捕した。そして彼らカオダイ教幹部は1941年8月20日に南シナ海のコンソン島に流刑され、さらにその後仏領マダガスカルに移送された。
 このような状況の中で、1940年の日本軍進駐によってベトナムに帰還を果たした松下は、彼ら非ベトミン系独立活動家への資金援助と連絡場所として、サイゴンの華人街チョロンに「レストラン ARISTO」を開業した。しかしこの活動はベトナムの独立運動を許さない日本政府の方針に反していたため、政府は松下がクオン・デを扇動して革命を起す事を危惧し、松下が日本に一時帰国すると彼の旅券を停止し、ベトナムに戻る事を禁じた。その後しばらくして、松下は日本軍に対し「現地の政治問題には関与しない」という誓約書を提出するとともに、松下の理解者である陸軍幹部の保証を得て、ようやくベトナムに帰還する事が出来た。



次回「カオダイ軍創設と明号作戦」に続く


[参考文献]

平田豊弘 (2011) 「松下光廣と大南公司」, 『周縁の文化交渉学シリーズ4 『磁器流通と西海地域』』 p.115-122, 関西大学文化交渉学教育研究拠点, <https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/5888/1/12_hirata.pdf>2018年4月15日アクセス
Andrew R. Finlayson (2008) 「The Tay Ninh Provincial Reconnaissance Unit and Its Role in the Phoenix Program, 1969-70」, 『A Retrospective on Counterinsurgency Operations』, Central Intelligence Agency<https://www.cia.gov/library/center-for-the-study-of-intelligence/csi-publications/csi-studies/studies/vol51no2/a-retrospective-on-counterinsurgency-operations.html>2018年4月15日アクセス
Arnaud Brotons・Yannick Bruneton・Nathalie Kouamé(dir.) (2011) 『Etat, religion et répression en Asie: Chine, Corée, Japon, Vietnam- (XIII-XXI siècles)』 KARTHALA
Chizuru Namba (2012) 『Français et Japonais en Indochine (1940-1945): Colonisation, propagande et rivalité culturelle』 KARTHALA
Dr Sergei Blagov 「Armée De Caodai」, 『Caodaisme』<http://caodaisu.tn.free.fr/cultue/0,,703,00.html>2018年4月15日アクセス
Shawn McHale 「Cochinchina – a failed revolution?」, 『End of Empire - 100 days in 1945』, <http://www.endofempire.asia/0825-cochinchina-a-failed-revolution-3/>2018年4月15日アクセス
松下光廣翁の足跡を辿る会 (2012) 「記念講演会開催のご報告墓参」<http://matsushitamitsuhiro.kataranna.com/e3246.html>2018年4月15日アクセス
Institut Pierre Renouvin1 (2015) 「La collaboration franco-caodaïste au début de la guerre d’Indochine (1945-1948) : un « pacte avec le Diable » ?」, 『Bulletin de l'Institut Pierre Renouvin1』 2015/1 (N° 41) Université Paris 1, <https://www.cairn.info/revue-bulletin-de-l-institut-pierre-renouvin1-2015-1-page-75.htm>2018年4月15日アクセス
Mémoires d'Indochine (2013) 「HỒI KÝ TRẦN QUANG VINH – MÉMOIRES DE TRAN QUANG VINH [1946]」, <https://indomemoires.hypotheses.org/8301>2018年4月15日アクセス
ORDRE DE LA LIBÉRATION 「GEORGES THIERRY D'ARGENLIEU」, <http://www.ordredelaliberation.fr/fr/les-compagnons/946/georges-thierry-d-argenlieu>2018年4月15日アクセス




  


2018年01月21日

ホンサ海戦から44年

 1974年1月19日にホンサ諸島(Quần đảo Hoàng Sa, 中国名:西沙諸島)を巡ってベトナム共和国軍と中国軍が衝突した『ホンサ海戦(西沙諸島の戦い)』における犠牲者を追悼する式典が、今年も米国在住のベトナム共和国海軍軍人協会によって執り行われました。

(映像: SBTNOfficial)

 この戦いでベトナム共和国軍は撃沈1隻、戦死者75名*という損害を出し、ホンサ諸島からの撤退を余儀なくされます。同年、ベトナム共和国軍はホンサ諸島の奪還を計画し、多数の戦闘機・攻撃機が出撃準備を完了する状態にまで至りましたが、決行直前にアメリカ政府から作戦中止の要請を受け、結局奪還作戦が実行される事はありませんでした。そしてそれ以来、ホンサ諸島は44年間に渡って中国軍の占領下にあります。
*戦死者数については資料によって数名の誤差あり

▲中国海軍艦艇のロケット砲で撃沈されたベトナム海軍掃海艇HQ-10 ニャッタオ

 なお、当時北ベトナムを支配していたベトナム労働党政権は大戦後から一貫して中国共産党の指導下にあり、中国による支援に全面的に依存しながら南侵(ベトナム戦争)を続けていた為、ベトナム民主共和国として中国に対しホンサ諸島の領有を主張する事はありませんでした。ホンサ海戦により諸島全域が占領された後も、ホンサ諸島について言及する事は避けており、ホー・チ・ミンおよびベトナム労働党は事実上、ホンサ諸島を中国に売り渡していたと言えます。
 一方、ベトナム労働党の下部組織である南部のゲリラ組織 南ベトナム解放民族戦線は、南部人による独立した組織という建前もあったため、中国軍によるホンサ諸島占領を非難したそうですが、彼らの闘争もまた中国による軍事支援に依存しきっており、いずれの共産主義勢力も事実上の宗主国である中国に抗う事はできませんでした。

 ベトナムの歴史は「中国への抵抗の歴史」と言われるように、元来ベトナム人にとって中国に国土を奪われる事は最大の屈辱であり、ホンサ海戦は今日でも多くのベトナム人にとって忘れがたい悲劇として記憶されています。その為、ベトナム共産党への服従とベトナム共和国政府への憎悪教育が60年以上続いている今日の社会主義ベトナムにおいても、このホンサ海戦で犠牲となったベトナム共和国軍人に対しては、多くの人々がイデオロギーの違いを超えてベトナム民族の英雄として追悼の対象としています。

中国に立ち向かったベトナム共和国軍、そしてベトナム民族の歴史を象徴する歌 『Đáp Lời Sông Núi (山河に応えて)』


歌詞はこちらにあるので、Google翻訳か何かで雰囲気を感じて下さい。

おまけ: 土曜日の作業

金曜日は疲れてたので、夕方帰宅したあと布団に横になったら、そのまま翌日の朝まで約12時間寝てしまいました。
なので土曜日は朝8時からじっくり趣味の作業に没頭。

◆友人依頼分の自家製プリントパッチ作成
・ベトナム国家警察野戦警察隊
・第222野戦警察群
・第611野戦警察中隊
・陸軍第1歩兵師団(サブデュード)


◆徽章縫い付け

来月着る服


多分5月ごろ着る服。気が早いけど、テンション上がって作っちゃいました。


いつ着るか分からない服。まだパッチが全て揃ってないので、続きはおいおい。

  


2018年01月04日

あけおめ

お正月という事で、今年は日本在住ベトナム人協会様の新年のつどいにお邪魔してきました。

関東各地のベトナム人コミュニティ―が集まり、様々な手作りベトナム正月料理を販売しています。



僕は友人のところでチェー(お汁粉)売りをお手伝い


開会式を行うベトナム国旗の祭壇の前で記念撮影
すごいお正月感のある絵になりましたface02

行く前から分かっていたけど、会場内でアオザイ着てる人間は僕一人。
生来の目立ちたがり屋なので、しょうがない。

詳しいレポートは私の別ブログ ベトナムウォッチの方に掲載する予定です。
少々お待ちください。



ここ十数年で、本土から日本に渡るベトナム人研修生・留学生の数は、
難民として来日した日本定住者の20倍を上回り、
ベトナム大使館=共産党政府は現在、彼ら在日ベトナム人の思想を管理・統制すべく、
日本国内のベトナム人コミュニティーの乗っ取りに勤しんでいます。

具体的には、大使館が資金を出してベトナム人団体・学生団体を創設し、
また日本各地にベトナム仏教寺院を建設して
そこを在日ベトナム人コミュニティーの場とする事で、
共産党政府の指揮下にある青年団や僧侶が、
そこに集まる人々を監視および教化するという仕組みです。

残念ながら一国の政府が行う政策というのは強力なもので、
現在は資金的・人員的にも共産党系組織の方が日本国内で優勢です。
日本以外の先進国では、ベトナム政府による国民への弾圧は問題視されているため
共産党政府系組織が野放しにされる事はありませんが、
日本政府(自民党政権)はベトナムで金儲けさえ出来れば良いと思っているので、
あのような邪悪な独裁政権に非常に好意的であり、日本国内でも好きにさせています。
私はこのように恥知らずな我が国の政府を心から軽蔑しています。

しかしそんな中でも、政府による思想統制の異常性に気付き、
自由を求める若者が少なからずいます。
彼らは自分で学び、自分の意志で、あの黄色い
—かつてベトナムに自由と民主主義があった時代の
に下に集っています。

自国民を食い物にする邪悪な権力は必ずや滅びると信じて、
私は今年も、彼らのように人間としての正義を貫く人々を応援していきます。
  


2017年10月29日

巷で見かけないベトナム料理

 去る10月22日に、東京都品川区で開催されたファム・ミン・ホアン(Phạm Minh Hoàng)氏の講演会にお邪魔させて頂きました。ホアン氏は元ホーチミン工科大学教授で、2010年に学生への講義の中で人権に関する内容を扱った事で警察に逮捕され、2017年6月にはベトナム共産党政府によって市民権を剥奪され、国外追放となった人物です。講演の内容については私の別ブログ ベトナムウォッチの方に記事を投稿しましたので、そちらをご覧ください。


告知だけじゃなんなので、こちらが当日会場で頂いたお昼ご飯です。

ベトナム料理の定番中の定番、バインミー(Bánh mì)、生春巻き(Gỏi cuốn)、チェー(Chè)の3点セット。美味しかったです。


ついでに、毎年元日(陽暦節)やテト(元旦節)に日本にあるベトナム仏教寺院でふるまわれている、普通のベトナムレストランには置いていない料理をご紹介。

ブン(Bún)ですが、お寺なので肉はもちろん鶏ガラスープも使われていません。全て野菜などの植物から作られてるので、精進ブンとでも言いましょうか。さっぱりですが野菜の出汁がしっかりした、とても美味しいスープです。お肉っぽい色の物体が見えますが、実はこれ肉に見立てたキノコらしいです。食感も油揚げや高野豆腐のような繊維質で噛み応えがあり、本当に肉のようです。そんなキノコ日本では聞いたことも無いので、わざわざベトナムから仕入れたんでしょうか。

同じく精進ブン・トマトバージョン。見た目が辛そうですが、上に載ってる唐辛子さえ入れなければ全く辛くありません。

ココナッツミルクのお汁粉(左)と、甘く味付けしたもち米(右)。僕みたいな甘党にはたまりませんな。

みたらし団子みたいなお餅。

即席チェーと言った感じの袋に入った液体デザート


最後に、こちらは日本でもベトナム本土でも見た事が無い、アメリカのベトナムレストランで食べた料理。

なんと生の牛肉を甘辛ソースでそのまま頂く料理です。厚切りユッケとでも言いましょうか。超美味いです。一人で二皿くらい食えます。生肉を食らう命知らずは世界で日本人と韓国人だけだと思ってましたが、ベトナム料理にもあったのか。しかしベトナム本土で生まれ育ったベトナム人に聞いても、そんな料理知らないと言うので、もしかしたらこれはベトナムの中でも限られた地方でのみ食べられている郷土料理か、もしくはアメリカに渡ったベトナム移民たちが韓国料理のユッケを取り入れて考案したものなのかも。まぁ、美味ければ何でも良いよね。
  


2017年08月17日

連休

しらこばと水上公園


数年前、『月曜から夜ふかし』でいじられて、大人げなく取材拒否しちゃった埼玉県民お約束の県営プールです。
この日、越谷市の気温は38℃。う~ん、プール来てよかった♪


在日ベトナム人協会サマーキャンプ2017


7月に在日ベトナム人の皆さんがお台場で行ったフォルモサ公害問題に抗議するハンガーストライキにご一緒させて頂いた際、他の参加者の方から、8月に毎年恒例のサマーキャンプがあるので来ませんか?とお誘い頂たので僕も友人(日本生まれのベトナム人)と二人で1泊2日のキャンプに参加してきました。
詳細は私の別ブログ『ベトナムウォッチ』にあります。


ターミネーター2 3D


映画好きな弟が帰省していたため、二人で有楽町のTOHOシネマズ 日劇に観に行ってきました。
7歳と時に親父と映画館で観て以来、僕の人生最高の映画であり続けているT2。僕の中の『カッコいい』の基準は全てターミネーターで出来ています。つい5年前くらいまでは、ジョン・コナーの写真を美容室に持って行って、「この髪型にして下さい!」と注文していました。もうさすがにオッサン化したので今は出来ないけど、逆に今度は親父の方=T1のカイル・リース(マイケル・ビーン)をやってみようかしら。
内容は、これまで100回は観ているので目をつぶっていても分かりますが、やはり劇場の大画面で見るのは迫力が違いますね。元々3D向けに作られた映画ではないので、正直3Dになったという実感は感じられませんでしたが、遠近感と言うか臨場感は確かにあります。
映画の後はファミレスに入り、スマホでグラインドハウスを見ながら楽しい映画談義。


向かいの席のグループも映画の話をしていたので、多分僕らと同じくターミネーターを観た帰りなんでしょう。
でも、なんで向こうには女子が2人もいるんだよ。楽しそうにスターウォーズの話しやがって。
こっちはヒゲ眼鏡デブの弟と二人でヴァイラスとか鉄甲無敵マリアについて話してんだよ。なにこの格差!




筑波海軍航空隊記念館

プロジェクト茨城様との打ち合わせのため初めて訪問しましたが、偶然にもこの日は8月15日という事で、館内の展示を感慨深く見学させて頂きました。2階の窓から、雨の降る練兵場を見ながら泣いているお婆さんを見た時は、ここがかつて日本国民300万人を死に至らしめた戦争の証跡である事を強く実感させられました。
よく聞く言葉ですが、僕は「あの犠牲があったから今の私たちがいる」などという嘘は大嫌いです。20歳そこそこの若者が大量死する事が、どうして世の中にとってプラスに作用するのでしょう。もし彼らが生きていれば、そのせいで日本は滅びたとでも言うのでしょうか。
彼等の遺書を読んでいると、皆さん僕よりずっと若いのに、大変立派な事を書かれています。そう書くように『教育』されたからです。人間の醜さを知らない子供に壮言大語ばかりを教え、霞が関がでっち上げた虚構を信じ、善意で命を挿し出す人間に仕立てる教育を。
僕は一人の人間として、あの時代、あの体制を心から憎んでいます。その気持ちは軍事マニアとしてあの時代の事を様々な面から知るにつれ、より一層強くなっています。



つくば植物園


航空隊記念館のあとは僕の希望で、つくば実験植物園で開催されている水草展を見学。
植物園内では、友達の息子(5歳)に、「サボテンに挿されると体がサボテンになるから気を付けろ。ここに展示されているのは全身サボテンになってしまった人間たちだよ」と教えました。
また、かき氷を食べながら、「かき氷のブルーハワイを食べると、ブルーマンになる。」「防ぐにはイチゴ(赤)とメロン(緑)を食べて体の中を中和するしかない。ただし、間違ってイチゴ(赤)とレモン(黄色)を食べると、色が混ざって黒人になる」と着色料の過剰摂取に警鐘を鳴らす食育を施しました。
ついに、その子は半ベソ状態になってしまい、僕はお父さんに「マジでやめて」と怒られました。子供チョー可愛い!

ブルーハワイを食べ過ぎた人たち

  


2017年02月12日

テレビ、映画、ベトナム語

【いつも見てるテレビ番組】

月: YOUは何しに日本へ?、世界まる見え!テレビ特捜部、月曜から夜ふかし

火: 開運!なんでも鑑定団、ガイアの夜明け

水: 和風総本家

木: カンブリア宮殿、超入門!落語 THE MOVIE

金: 全力!脱力タイムズ、モーガン・フリーマン 時空を超えて、タモリ倶楽部

土: さんまのお笑い向上委員会

日: ザ!鉄腕!DASH!!、世界の果てまでイッテQ!、サイエンスZERO

月~木: 午後のロードショー

月~金: 華政(ファジョン)

いろいろ: ER緊急救命室、警察24時系、世界の衝撃映像系

休止中: タイムスクープハンター

見れない時は録画して土日で一気に見るようにしているのに、うちの親父はハードディスクの容量を気にして、僕がまだ見てない回を次々消してしまう。『NEW!』マークの番組は消しちゃダメだって言ってるのにぃ!!!なぜ2・3年前の午後のロードショーを消さずに、録ったばかりの新しいのから消していく!?


【吹き替え大好き】

 昔、mixiやってた頃に映画好きコミュニティという所に入ってみたけど、なんか話題は所謂マイナーな、かつ芸術的な(僕にとっては退屈な)映画の話ばかりだったから、僕は「はじめまして。僕はハリウッド映画が大好きです。洋画は必ず吹き替えで見ます。午後のロードショー毎日録画して見てます。一番好きな映画はターミネーター2です。よろしくお願いします」と書きました。すると、普段会話に参加していなかった人たちがこぞってイイネ!してくれました。なんだ、本当はみんなこういうの好きなのね(笑)
 なぜか『映画好き』の間では、洋画の吹き替えは軽んじられてるみたいですが、僕は可能な限り吹き替えが良いですねぇ。だって字幕って画面に載せられる文字数の関係で台詞がメチャメチャ省略されてるんですもん。字幕では言葉の細かなニュアンスは書ききれないし、なまじ英語が聞き取れると、俳優の言ってる台詞と字幕の内容が違うのが分かってしまい残念な気分になります。とは言え、字幕なしで全編台詞を理解できるほどの英語力はないので、そうなると最初から声優に日本語吹き替えしてもらうのが僕にとって一番映画を楽しめる手段なんです。
 しかし吹き替えにも弱点はありまして、好きな映画をテレビ放送で録画して何度も見ていると、その声や台詞が頭に焼き付いてしまい、レンタル版や市販ソフト版では違う声優や翻訳になってるため違和感を感じて仕方なかったのです。これは全国の洋画吹き替えファンにとって長年悩みの種でありました。僕の場合、小学校に上がる前から親父がVHSに録画したターミネーター(テレビ朝日版)と、ターミネーター2(フジテレビ版)をテープが千切れるまで繰り返し見ていたので、もうその声でないと見れなくなってしまいました。なので大人になってからも、DVDを買おうと思えばいつでも手に入りましたが、納得のいく吹き替えが収録されたものがなかなか発売されなかったので、大好きな映画であるにも関わらず、ずっと手元に無い状態が続いていました。
 それがここ数年で、各テレビ吹き替え番が一気にDVD/BD化されてきて、我々吹き替えファンを長年の苦しみから解放してくれました。特に20世紀フォックスの『吹替の帝王』シリーズは、まさに吹替ファンのために作られたシリーズであり、もう予告動画を見てるだけで感動します。本当にフォックスさんには感謝の念に堪えません。


ただ一つ問題があるとすれば、それはうちのブルーレイレコーダーが壊れてしまったこと。とりあえず以前使っていたDVDレコーダーを繋ぎ直してテレビの録画とDVD鑑賞はできる状態だけど、せっかく買ったブルーレイが見れない状態が続いている。なんで壊れるんだよ・・・



【ベトナム語学習】


 今までベトナム人とは全部英語でやり取りしてきたけど、これだけ付き合いが増えたんだから、いい加減僕もベトナム語を身に着けようと先日ついに重い腰を上げました。英語は中学校で習った(高校ではほとんど授業寝てた)けど、ベトナム語はまったく下地の無い状態からスタートしなければならないため、英語学習には1円もお金を使わなかった僕が、今回ばかりはベトナム語のテキストを購入しました。
 このテキストはほんの入門用ですが、まずはこれを完全に頭に入れる事を目標としています。僕は毎日片道1時間の電車通勤をしているので、1日2時間、週10時間以上は電車の中で勉強する時間を確保できます。またこれまで英語の練習のためにFacebookは全て英語で書いてきましたが、これからは英語に加えてベトナム語でも同じ内容を書くことにしました。英語の時も、こうやって例文集を見ながら自分の言いたい事を作文するのは大いに役に立ったので、これからはベトナム語を学ぶために同じ方法を行っていきます。それにつたないベトナム語であっても、とにかく書いておけば、友人たちが「そこはこう書くべき」と教えてくれるのが何ともありがたいです。
 またベトナム語を学び始めるにあたり、友人たちに注意されたのが、「英語をベースにベトナム語を考えない事」でした。ベトナム語の語順は割と英語に似た部分もあるので、英語が分かる身としては、つい先に英語の文を思い浮かべて、それぞれの語に対応するベトナム語に入れ替えたくなるのですが、それだと何となく意味は伝わったとしても、いつまで経ってもまともなベトナム語は身に付かないとの事です。あとGoogle翻訳も文章が滅茶苦茶になるから使うなとよく言われます。たしかに教科書を見てるうちに、単に単語を入れ替えただけでは全然ベトナム語の言い方にならないし、英語には無いルール(自分や相手の性別・年齢によって人称が変わる、物の種類によって変わる類別詞があるなど)が沢山ある事が分かってきました。
 だから今は毎回、ちゃんと教科書を見て、ベトナム語のルールを頭に叩き込みながら作文をしています。そして昨日、このベトナム語作文を始めて1ヶ月にして、初めてベトナム人たちから「完璧!」と褒めてもらえる文を書く事が出来ました。嬉しかったのでここにも載せちゃいますface02

Tôi vẽ Bức tranh lính Mỹ, VNCH, VC trong Sổ tay Lịch sử Thế giới khi tôi 15 tuổi.
(僕は15歳の時、世界史のノートにアメリカ、ベトナム共和国、ベトコンの兵士の絵を描いていました。)

↑ちなみにこれは、中学の社会科の授業で、ノートに自主学習した内容を書くと点数がもらえるという事で、世界の兵隊シリーズを描いて提出していたものです。こんな感じで全20回くらい描きましたが、紹介している国がモルドバとかギリシャとかトルコとか、今見るとかなり不思議なチョイスでした。内容は今見るとかなり間違ってます。M653なんて無ぇよ・・・

 こんな感じで、読み書きはこの方法でなんとか身に付きそうな気がします。問題は発音ですね。こればかりは時間がかかります。友人は、外国人がベトナム語の発音をマスターするには20年かかるよと言っていました。あっそ、でも大丈夫。とりあえず意図が通じるくらいのレベルにもっていければ良いから。それは決して不可能ではないはず。
 てな訳で、先の教科書についてきたCDに収録されているベトナム語の発音集をスマホにコピーして、通勤中に毎日聴こう。毎日やってればそれなりに分かってくるべ。
 人が何かをする時、それができない理由を探せば恐らく無数に見つける事が出来ます。しかしそんなものいくつあっても何の役にも立ちません。本当に必要なのは、「したい」という動機ただ一つなのです。
  


2017年02月04日

最近やってたこと

足温器に包まり、椎名恵のLOVE IS ALLをリピートで聴きながらやってた事。




国旗とか



歴代指揮官リストとか

出典: Command histories and historical sketches of RVNAF divisions, アメリカ合衆国国務省

第1軍団
(1957年5月11日付の参謀部指令『2,145/TTM/1/1/MK』に
基づき1957年6月1日創隊)
中将 Thai Quang Hoang* 11/23/56 10/15/57
中将 Tran Van Don 10/15/57 12/07/62
少将 Le Van Nghiem 12/07/62 08/21/63
少将 Do Cao Tri 08/21/63 12/11/63
中将 Nguyen
Khanh 12/11/63 01/30/64
少将 Ton That Xung 01/30/64 11/14/64
中将 Nguyen Chanh Thi 11/14/64 03/14/66
少将 Nguyen Van Chuan 03/14/66 04/09/66
中将 Ton That Dinh 04/09/66 05/15/66
少将 Huynh Van Cao 05/15/66 05/30/66
中将 Hoang Xuan Lam 05/30/66 05/03/72
中将 Ngo Quang Truong 05/30/72
* 日付は第1軍管区の前身である旧第2軍管区司令への就任日






第2軍団
(1957年10月1日創隊)
少将 Tran Ngoc Tam 10/01/57 08/13/58
少将 Ton That Dinh 08/13/58 12/20/62
中将 Nguyen
Khanh 12/20/62 12/12/63
中将 Do Cao Tri 12/12/63 09/15/64
少将 Nguyen Huu Co 09/15/64 06/25/65
中将 Vinh
Loc 06/25/65 02/28/68
中将 Lu
Lan 02/25/68 09/28/70
中将 Ngo
Dzu 09/28/70 05/10/72
少将 Nguyen Van Toan 05/10/72
少将 Pham Van Phu 12/01/74 02/02/75






第3軍団
(1959年6月1日仮編成, 1960年5月20日正式創隊)
中将 Thai Quang Hoang 03/01/59 10/11/59
中将 Nguyen Ngoc Le 10/11/59 05/06/60
少将 Le Van Nghiem 05/06/60 12/07/62
少将 Ton That Dinh 12/07/62 01/05/64
中将 Tran Thien Khiem 01/05/64 02/02/64
少将 Lam Van Phat 02/02/64 04/04/64
中将 Tran Ngoc Tam 04/04/64 10/12/64
准将 Cao Van Vien 10/12/64 10/11/65
少将 Nguyen Bao Tri 10/11/65 06/09/66
中将 Le Nguyen Khang 06/09/66 08/05/68
中将 Do Cao Tri* 08/05/68 02/23/71
中将 Nguyen Van Minh 02/23/71 10/29/73
中将 Pham Quoc Thuan 10/29/73 10/23/74
中将 Du Quoc Dong 10/23/74 02/01/75
中将 Nguyen Van Toan 02/01/75 04/30/75
* 1971年2月23日ヘリコプター墜落により戦死






第4軍団
(1963年1月1日創隊)
少将 Huynh Van Cao* 01/01/63 11/04/63
少将 Nguyen Huu Co 11/04/63 03/04/64
少将 Duong Van Duc** 03/04/64 09/13/64
少将 Nguyen Van Thieu 09/15/64 01/20/65
中将 Dang Van Quang 01/20/65 11/23/66
少将 Nguyen Van Manh 11/23/66 02/29/68
中将 Nguyen Duc Thang 02/29/68 07/01/68
中将 Nguyen Viet Thanh*** 07/01/68 05/04/70
少将 Ngo
Dzu 05/04/70 08/24/70
中将 Ngo Quang Truong 08/24/70 05/04/72
少将 Nguyen Van Nghi 05/04/72
少将 Nguyen Khoa Nam 01/01/74 Suicide
* 1963年11月1日クーデターの直後に更迭
** 1964年9月13日クーデターを試み未遂に終わる
*** 1970年5月2日ヘリコプター墜落により戦死












第1歩兵師団
大佐 Le Van Nghiem 01/01/55 12/15/55
大佐 Nguyen
Khanh 12/15/55 08/14/57
大佐 Ton That Dinh 08/14/57 08/09/58
大佐 Nguyen Van Chuan 08/09/58 07/30/59
大佐 Ton That Xung 07/30/59 12/02/60
大佐 Nguyen Duc Thang 12/02/60 10/01/61
大佐 Nguyen Van Thieu 10/01/61 12/08/62
大佐 Do Cao Tri 12/08/62 12/12/63
大佐 Tran Thanh Phong 12/12/63 02/19/64
准将 Nguyen Chanh Thi 02/19/64 10/21/64
准将 Nguyen Van Chuan 10/21/64 03/14/66
准将 Phan Xuan Nhuan 03/14/66 06/18/66
少将 Ngo Quang Truong 06/18/66 08/23/70
少将 Pham Van Phu 08/23/70 11/12/72
准将 Le Van Thao 11/12/72 10/31/73
大佐 Nguyen Van Diem 10/31/73






第2歩兵師団
大佐 Ton That Dinh 01/01/55 11/02/56
中佐 Dang Van Son 11/22/56 06/14/57
中佐 Le Quang Luong 06/14/57 08/23/58
大佐 Duong Ngoc Lam 08/23/58 06/08/61
大佐 Lam Van Phat 06/08/61 06/18/63
大佐 Truong Van Chuong 06/18/63 01/30/64
准将 Ton That Xung 12/06/63 01/30/64
准将 Ngo
Dzu 01/30/64 07/29/64
大佐 Nguyen Thanh Sang 07/29/64 10/15/64
少将 Hoang Xuan Lam* 10/15/64 01/10/67
少将 Nguyen Van Toan 01/10/67 01/22/72
准将 Phan Hoa Hiep 01/22/72 08/27/72
准将 Tran Van Nhut 08/27/72 04/30/75
* 1966年5月30日より第1軍団指令兼任






第3歩兵師団
准将 Vu Van Giai** 10/01/71 05/03/72
少将 Nguyen Duy Hinh 06/09/72
准将 Vu Quang Giai 1973 04/30/75
** 1972年5月3日指揮官の任を解かれる






第5歩兵師団
大佐 Vong A Sang 03/01/53 10/25/56
大佐 Pham Van Dong 10/25/56 03/18/58
中佐 Nguyen Quang Thong 03/18/58 09/16/58
大佐 Ton That Xung 09/16/58 11/19/58
中佐 Dang Van Son 11/19/58 08/03/59
大佐 Nguyen Van Chuan 08/03/59 05/20/61
BG Tran Ngoc Tam 05/20/61 10/16/61
大佐 Nguyen Duc Thang 10/16/61 12/20/62
大佐 Nguyen Van Thieu 12/20/62 02/02/64
准将 Dang Thanh Liem 02/02/64 06/05/64
准将 Cao Hao Hon 06/05/64 10/21/64
准将 Tran Thanh Phong 10/21/64 07/19/65
少将 Pham Quoc Thuan 07/19/65 08/15/69
少将 Nguyen Van Hieu 08/15/69 06/14/71
准将 Le Van Hung 06/14/71 09/04/72
准将 Tran Quoc Lich 09/04/72 11/07/73
大佐 Le Nguyen Vy 11/07/73 suicide






第7歩兵師団
中佐 Nguyen Huu Co 01/01/55 06/15/55
大佐 Ton That Xung 06/15/55 04/27/57
中佐 Ngo
Dzu 04/27/57 03/17/58
大佐 Tran Thien Khiem 04/17/58 03/30/59
大佐 Huynh Van Cao 03/30/59 12/22/62
大佐 Bui Dinh Dam 12/22/62 11/01/63
准将 Nguyen Huu Co 11/01/63 11/05/63
大佐 Pham Van Dong 11/05/63 12/02/63
准将 Lam Van Phat 12/02/63 02/02/64
大佐 Hui Huu Nhon 02/02/64 03/07/64
大佐 Huynh Vau Ton 03/07/64 09/16/64
准将 Nguyen Bao Tri 09/16/64 10/09/65
准将 Nguyen Viet Thanh 10/09/65 07/03/68
准将 Nguyen Thanh Hoang 07/03/68 01/16/70
少将 Nguyen Khoa Nam 01/16/70 01/01/74
准将 Tran van Hai 04/30/75 suicide






第9歩兵師団
大佐 Bui
Dzinh 01/01/62 11/07/63
大佐 Doan Van Quang 11/07/63 02/09/64
准将 Vinh
Loc 02/09/64 05/29/65
准将 Lam Quang Thi 05/29/65 07/03/68
少将 Tran Ba Di 07/03/68 10/26/73
准将 Huynh Van Lac 10/26/73






第18歩兵師団
大佐 Nguyen Van Manh 06/05/65 08/20/65
准将 Lu
Lan 08/20/65 09/16/66
准将 Do Ke Giai 09/16/66 08/20/69
少将 Lam Quang Thi 08/20/69 04/04/72
准将 Le Minh Dao 04/04/72






第21歩兵師団
中佐 Nguyen Bao Tri* 06/01/59 09/08/59
中佐 Tran Thanh Chieu 09/08/59 02/02/60
大佐 Tran Thien Khiem 02/02/60 12/01/62
大佐 Bui Hue Nhon 12/01/62 11/01/63
大佐 Cao Hao Hon 11/01/63 06/01/64
准将 Dang Van Quang** 06/01/64 01/20/65
大佐 Nguyen Van Phuoc 01/20/65 03/24/65
准将 Nguyen Van Minh 03/24/65 06/15/68
少将 Nguyen Vinh Nghi 06/15/68 05/03/72
准将 Ho Trung Hau 05/03/72 08/21/72
准将 Chuong Dzenh Quay 08/21/72 06/09/73
准将 Le Van Hung 06/09/73 Suicide
* 1957年10月16日第21歩兵師団の前身の第11軽師団指揮官に就任
** 1965年1月20日辞職






第22歩兵師団
中佐 Nguyen Van Chuan* 08/01/55
中佐 Le Huy Duyen* 02/19/57
中佐 Ho Van To* 06/14/57
中佐 Tran Thanh Chieu* 04/01/60 09/08/60
中佐 Nguyen Hao Tri 09/08/59 11/05/63
大佐 Nguyen Thanh Sang 11/05/63 02/05/64
准将 Linh Quang Vien 02/05/64 09/07/64
大佐 Nguyen Van Hieu 09/07/64 10/24/64
准将 Nguyen Xuan Thinh 10/24/64 04/01/65
准将 Nguyen Thanh Sang 04/01/65 06/28/66
准将 Nguyen Van Hieu 06/28/66 08/11/69
准将 Le Ngoc Trien 08/11/69 03/01/72
大佐 Le Duc Dat** 03/01/72 04/01/72
准将 Phan Dinh Niem 04/02/72
* 第22歩兵師団の前身の第14軽師団指揮官
** 1972年4月22日戦闘中行方不明






第23歩兵師団
中佐 Nguyen The Nhu* 08/01/55
中佐 Nguyen Van Vinh* 09/16/56
中佐 Bui
Dzinh* 04/09/58
中佐 Tran Thanh Phong 05/19/59 05/17/61
大佐 Le Quang Luong 05/17/61 12/14/63
准将 Hoang Xuan Lam 12/14/63 10/14/64
准将 Lu
Lan 10/14/64 08/20/65
准将 Nguyen Van Manh 08/20/65 11/24/66
准将 Truong Quang An** 11/24/66 09/09/68
准将 Vo Van Canh 09/09/68 01/25/72
准将 Ly Tong Ba 01/25/72 10/20/72
准将 Tran Van Cam 10/20/72 11/14/73
大佐 Le Truong Tuong 11/24/73
* 第23歩兵師団の前身の第15軽師団指揮官
** ヘリコプター墜落により戦死






第25歩兵師団
大佐 Nguyen Van Chuan 07/01/62 12/28/62
大佐 Lu
Lan 12/28/62 04/19/64
大佐 Nguyen Viet Dan 04/19/64 12/01/64
准将 Nguyen Thanh Sang 12/01/64 04/06/65
准将 Phan Trong Chinh 04/06/65 01/10/68
中将 Nguyen Xuan Thinh 01/10/68 01/25/72
准将 Le Van Tu 01/25/72 11/07/73
大佐 Nguyen Huu Toan 11/07/73






空挺師団
中佐 Do Cao Tri 03/01/55 09/01/56
大佐 Nguyen Chanh Thi 09/01/56 11/12/60
大佐 Cao Van Vien 11/12/60 12/19/64
中将 Du Quoc Dong 12/19/64 11/11/72
准将 Le Quang Luong 11/11/72






海兵師団
中佐 Le Quang Trong 10/01/54 01/16/56
少佐 Pham Van Lieu 01/16/56 07/31/56
大尉 Bui Pho Chi* 07/31/56 09/30/56
少佐 Le Nhu Hung 09/30/56 05/07/60
少佐 Le Nguyen Khang 05/07/60 12/16/63
中佐 Nguyen Ba Lien 12/16/63 02/26/64
中将 Le Nguyen Khang 02/26/64 05/05/72
准将 Bui The Lan 05/05/72
* 指揮官代理




今こんな気分だけど、あと2か月したら終わるので、それまでじっと耐えよう・・・
  


2016年12月22日

アメリカで食べたご飯



やはり米国人向けにアレンジされているのか、洋食を食べなれた僕には、ベトナムで食べるより美味しく感じました。
野菜たっぷりヘルシー料理なはずなのに、行く前より体重増えてしまった・・・。




おまけ

ホテルで洗面器ラーメン

外でも洗面器ラーメン
  


2016年02月08日

元旦節2016

皆様、新年あけましておめでとうございます!

今年は元旦節(Tết Nguyên Đán)を祝い、正装で初詣に行って参りました。 (正確には、陽暦2月6日なので年明け前ですが。)

 


お寺に誰も居なかったら、敷地の外で黙ってゲリラ撮影しちゃうつもりでしたが、翌日の元旦節のお祭の準備で、寺の関係者が数名居られたので、ちゃんと許可を得て撮影しました。
突然日本人(彼らにとっては外国人)の男がアオザイ持参で現れ、「ベトナムが大好きなんです!この服着て写真撮っていいですか?」と言い出したので、困惑と言うか、変な奴も居るもんだなって空気になってました。
日本人が滅多に羽織袴を着ないのと同じで、今日日ベトナム人ですら(成人男性は)アオザイ着る機会なんてほぼ無いからね(笑)

ちなみに、このアオザイは去年カリフォルニアのベトナミーズショッピングモール"Phước Lộc Thọ"で買ってきたやつ。日本じゃ男性用のアオザイ、特に頭に被るカンドンがなかなか売ってないんですよね。
(女性のアオザイも、正装の時はカンドンを被ります。ノンラー(笠)は日よけの為の日用品であり、正確には民族衣装ではありません。)

Phước Lộc Thọはこんな感じでした。

 


 

このモールには、南カリフォルニアで僕をお世話してくださったトム・トラン氏と一緒に行きました。
僕がそこで「アオザイ欲しい」と言うと、トムが衣装屋さん(民族衣装やら社交ダンスのドレスやらを扱ってる店)のおばちゃんに、日本からこういう若者が来てくれているんだよ、と説明してくれたお陰で、メチャメチャ値引きしてもらうことが出来ました。
ありがとうございます。お陰さまで、アオザイ着てベトナム寺で元旦節を祝うという長年の夢がついに叶いましたface02
  


2016年01月23日

ARVNとは?

以前、このブログではあえて"ARVN"という用語を使わないようにしていると書きましたが、そもそもARVNとは一体何を指す言葉なのでしょうか?
現在ARVNは、日本はもとより米国・ベトナムでも単に"南ベトナム軍"を指す言葉として使われていますが、実はその意味するところはもう少し複雑なのです。

その説明の前に、まず大前提として、ベトナムの軍隊の正式名称は、当然ながらベトナム語で命名されました。
そして1954年のベトナム南北分断後に"南ベトナム"となった国家の軍隊は、時期によって以下の三つの正式名を持ちます。

1952-1955年
第一インドシナ戦争中にフランス連合内で独立したベトナム国(Quốc Gia Việt Nam)の国軍。1954年のジュネーヴ協定によって国土の北半分を失う。
Quân Đội Quốc Gia Việt Nam (QĐQGVN):軍隊國家越南

1955-1965年
ベトナム国首相ゴ・ディン・ジェムのクーデターによってベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa)が成立。同時に国軍も改称。
Quân Đội Việt Nam Cộng Hòa (QĐVNCH):軍隊越南共和

1965-1975年
グエン・バン・チュー軍事政権発足によって再び改称。
Quân Lực Việt Nam Cộng Hòa (QLVNCH):軍力越南共和

※ベトナム語の文字は19世紀にラテン文字(クォックグー)が採用されるまで長く漢字が使われてきたので、現代でもベトナム語の名詞の多くが漢字で表記できます。私を含む日本語話者には漢字の方がよりニュアンスが分かり易いので補足として載せていますが、20世紀後半になると公に漢字が使用されることはなくなるので正式な表記ではありません。

この中で、主に"南ベトナム"と認知されているのは1955年から1975年までのベトナム共和国時代だと思いますが、その時代ベトナム共和国政府は、アメリカを初めとする同盟軍とのコミュニケーションに、自国(ベトナム語)の軍事用語を英訳して用いていました。
今回はその公式な訳語を、1962年に発行されたベトナム共和国軍総参謀部編纂の越・仏・英軍事用語辞書からご紹介します。
まず国軍の名称ですが、軍が制定した公式な英語表記は、"Republic of Vietnam Armed Forces (RVNAF)"でした。
なお軍のベトナム語正式名がQĐVNCHからQLVNCHに変わった後も、RVNAFという表記は引き続き使用されました。


そしてアメリカ政府・アメリカ軍も、このRVNAFをベトナム共和国軍の公式な英語呼称をとして使用していきます。(ただし一部に"Republic of Vietnam Military Forces (RVNMF)"という表記揺れも見られます。)


また1975年にベトナム共和国政府が消滅した後も、アメリカ陸軍戦史センターが作成する公式資料にはRVNAFが使用されます。


次に、先記の軍事用語辞書によると、軍を構成する陸・海・空軍・海兵隊の外国語訳は、それぞれ以下のようになっています。

陸軍

海軍

空軍

海兵隊(水軍陸戦)
※この資料が作成された1962年当時、海兵隊は海軍の下部組織であり、1965年に独立した組織に発展すると"Viet-Nam Marine Corps (VNMC)"と英語表記されるようになる。

ここで気になるのが、ベトナム陸軍の英語表記。軍が制定した公式表記は"Việt-Nam Army (VNA)"だという事です。
しかしアメリカ軍は、ベトナム海軍・空軍の英語表記をベトナム側に合わせたのに対し、なぜかベトナム陸軍のみVNAという表記を使いませんでした。
その理由は定かではありませんが、ベトナム陸軍の英語表記として当時アメリカ軍が使ったのが"Army of the Republic of Vietnam (ARVN)"でした。

VNN、VNAFと列記されている事から、ARVNは国軍全体ではなく、陸軍を指している事が分かります。


このように、1975年以前の公的文書で使われる英語表記は、ベトナム共和国軍=RVNAF、ベトナム陸軍=ARVNという使い分けがなされていました。
ではなぜ、戦後ARVNが陸軍のみならずベトナム共和国軍全体を指す言葉として認知されているのでしょうか?
その理由としてひとつ思い当たるのが、上の国軍の名称に記載されているフランス語表記の"Armée de la République du Việt-Nam (ARVN)"です。
英語の"Army"は(軍隊の組織名で使われる狭義では)陸軍という意味ですが、フランス語の"Armée"は陸軍に限らず軍隊全般を意味し、言わば漢字の"軍"に相当する言葉です。
なのでフランス語において陸軍は単に"Armée"ではなく、"Armée de terre (陸の軍隊)"と、同様に空軍は"Armée de l'Air (空の軍隊)"と表記されます。
従って、フランス語におけるARVNとは陸軍ではなく、ベトナム共和国軍を意味する言葉なのです。
ベトナムでは20世紀中盤まで、軍人を含む上流階級・エリート層はもれなくフランス語で教育を受けていたため、ベトナム共和国では1955年にフランス連合から独立した後もフランス語が第二公用語として扱われていました。
そのため、ベトナム戦争当時にベトナム人が国軍という意味でARVNというフランス語名称を使った可能性はありますし、当然フランス語で書かれた文書ではARVNは国軍という意味で使われています。
さらにフランス語の"Armée"と同様、狭義には陸軍を指す英語の"Army"も語源はラテン語の"Armada (武装する)"から来ており、広義には軍隊全般を意味します。
なので言葉の上では英語圏の人間が"Army of the Republic of Vietnam"を陸軍以外も含むベトナム共和国軍と解釈する事は不自然ではありません。
したがって戦後に生まれたARVN=ベトナム共和国軍という認識は、フランス語的には正しいですが、同時に英語的には、Armyを陸軍ではなく国軍と解釈をしたために起こった非公式ものと私は考えています。

まとめると、ARVNという言葉には以下の三つの意味があります。

・フランス語 Armée de la République du Việt-Nam:ベトナム共和国軍(ベトナム政府公式)
・英語 Army of the Republic of Vietnamベトナム共和国陸軍(アメリカ政府公式)
英語 Army of the Republic of Vietnamベトナム共和国軍(非公式・戦後)


ね、面倒臭いでしょ?だから僕はARVNという言葉を使わないんです。
それに、私やこのブログの読者である日本語話者がベトナム語の単語を理解するのに必要なのは、元のベトナム語と日本語訳のみで、わざわざそれ以外の外国語を使う意味なんて無いし。
(ただし上記のように、英語・フランス語表記も知っておいて損はありません)

ちなみに、この記事ではさらっと"ベトナム共和国軍"や"国軍"と書いちゃったけど、日本語で何と表記するかは、いろいろ考えるべき事があるんです。
正式な国名である"ベトナム共和国"と呼ぶか一般的な"南ベトナム"と呼ぶかとか、QĐVNCHとQLVNCHを区別するべきか?とか。
ここは人それぞれだと思いますが、私は1955年~1975年まで一貫して"ベトナム共和国軍"と書くというスタンスでやってます。
  


2015年01月13日

おすすめベトナム映画

僕のところには時々、「南ベ装備やるのにお勧めの映画ってありますか?」というご質問を頂くことがあります。

あります。あるんですよ。超お勧めのが。

Chiếc bóng bên đường (道端の影) / 1973年
出演: Kim Cương, Kiều Chinh, Thành Được, bà Bảy Nam, Vũ Thành An
監督 : Nguyễn Văn Tường 


<ストーリー>
ある日、少年が外で遊んでいたところベトナム地方軍(DPQ)駐屯地の地雷原に足を踏み入れて身動きが出来なくなってしまった。
少年の姉マイが見守る中、部隊指揮官のトゥアン中尉は自ら地雷原に入り少年を救出。後日、駐屯地近くの洋裁店に勤めるマイはお礼を言う為駐屯地を訪問し、DPQ兵士達と親睦を深める。
マイは弟を助けてくれたトゥアン中尉に惹かれていったが、トゥアンと同部隊のロアン中尉は以前からマイを好きだったためトゥアンをライバル視し、恋の三角関係に発展する。
(中略)
ようやく結ばれたトゥアンとマイだったが、戦争は無情にも二人の中を切り裂き、トゥアンは戦死する。
トゥアンを失ったマイと弟たちは悲しみにくれるが、トゥアンが教えてくれた勇気と慈しみの精神はいつまでも消えることは無い・・・
(中国語とフランス語字幕しかないので台詞がぜんぜん分からないんですが(笑)、映像と中国語字幕の漢字、あとキャプションから何となく分かったストーリーはこんな感じ)
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2015年01月04日

陽暦節2015


先日はグレゴリオ暦(新暦・太陽暦)の元日でしたね。
現代の日本で生活している以上この暦法に従うしかないので、一応「あけおめ」と申しておきます。
タイムスクープハンターの特番でもやってましたが、日本政府は明治6年に突如、伝統的な太陰太陽暦(天保暦)を廃止して暦法を西洋の太陽暦(グレゴリオ暦)に変更。
以後日本では、太陰太陽暦的には何の意味も無い日が、元日となっています。
まぁグレゴリオ暦の導入自体は(西洋式)近代化を進める上で避けては通れないもので、太陰太陽暦の本家中国や朝鮮・ベトナムも同様にグレゴリオ暦を導入していきました。
だけど、アジア人の文化や宗教観の根本に関る太陰太陽暦と元旦の定義をコロっと忘れて、グレゴリオ暦の元日を心から元旦として祝うようになったのは日本だけ。
寺社の神仏は、役所の都合で新設された、文化的には何の意味も持たない新正月にぞろぞろ押しかける参拝者をどういう目で見てるのかな~?
なんて捻くれた事を考えつつも、僕もお正月の雰囲気は好きなので、地元の氏神様のところで、中学の同級生たちと年越し・初詣してきました。

そして元日の昼は、うちから車で30分ほどの距離にあるベトナム仏教寺院にも初詣。(例によって、寺の人に僕の趣味を知られたくないので、写真とかは載せないでおきます。)
このお寺では毎年元日に、陽暦節(Tết Dương lịch)というグレゴリオ暦(陽暦)の新年を祝うお祭が開催されています。
先に述べたとおり、本来日本を含む東アジア地域において、文化的に意味のある年越しは太陰太陽暦の元旦(日本で言う旧正月)であり、中国および華人文化圏では春節、ベトナムではテト(Tết Nguyên Đán・元旦節)として現代でも盛大に祝われる事は有名だと思います。
一方、グレゴリオ暦も19世紀末に東アジア各国で導入されてから100年以上経っており、むしろ現代ではどの国も、普段の生活ではグレゴリオ暦を使うのが普通。
更にベトナムには仏領時代に広まったキリスト教の信徒も多く居るため、キリスト教と密接に関っているグレゴリオ暦の新年は、テトには及ばないものの広く受け入れられているようです。(日本人がクリスマスを祝うような感覚か?)
本来、仏教とグレゴリオ暦は全く関係無いんですが、このお寺は在日ベトナム人全体のコミュニティを兼ねているため、ベトナム人にとっての祝日の一つとして寺をあげて祝っています。
また、ここに来るベトナム人たちは皆さん日本の会社で働いているので、テト(旧正月)休みが取れない人も多いため、会社が正月休みになる陽暦節の方が人が多く集まるそうです。

このお寺のテトや仏誕大礼(Đại Lễ Phật Đản・日本で言う灌仏会)には数年前からお邪魔していますが、実は陽暦節に行くのは今回が初めて。
どんな感じだったかと言うと、テトの時と全く同じ。
僧侶から新年の説法を頂き、大量の爆竹を鳴らして、少年達が獅子舞(Múa lân - sư - rồng)やって、いつもの精進ブン(野菜スープとビーフン)とお汁粉っぽいものを頂き、あとはカラオケ大会。
前回のテトと違うのは、獅子舞がガンナムスタイルを踊るようになった事(笑)

↑こんな感じ(映像はこのお寺ではありません)

あと今回は、寺の外にプチ露店を開いてるベトナム人の姉ちゃんから、笹団子っぽいもの(150円)を買って食べました。
黒ゴマ団子でクルミ等の具を包み、笹の葉に巻いて蒸した物です。甘さ控えめで超美味かったです。

このお寺はいつ来てもいい場所ですが、今回は一見さんらしき日本人のおっさんがわざわざ外国人の前に出向いて馬鹿を爆発させ、日本の恥を晒してくれてました。
いきなり暴走族みたいな爆音でスーパーセブンに乗って現れ、駐車場の出入り口に無断駐車して大渋滞を巻き起こし、終始ベトナム人たちに横柄な態度をとって上機嫌で去っていったおっさん。
テンガロンハット被って春日部ナンバーのシルバーのスーパーセブンに乗った50代の糞オヤジです。恥を知れ。顔と車は覚えたぞ。


さ~て、次のお寺のイベントはテト!
今年はグレゴリオ暦の2月19日が元旦節ですが、平日のため在日ベトナム人は休みを取れないので、次の日曜である2月22日にテトのお祭があります。
あと2ヶ月しないうちに、もう一回正月が来るわけです。今から楽しみ!

また、頂いたお寺のカレンダーに乗っている年中行事は以下の通り
※()内は太陰太陽暦の日付

陽暦節(Tết Dương lịch) 2015年1月1日(11月1日)
元旦節(Tết Nguyên Đán) 2015年2月22日(1月4日)
仏誕大礼(Đại Lễ Phật Đản) 2015年5月24日(4月7日)
盂蘭大礼(Đại Lễ Vu Lan) 2015年9月6日(7月24日)
中秋節(Tết Trung thu) 2015年9月26日(8月14日)

  


Posted by 森泉大河 at 21:28Comments(0)News!【ベトナムの歴史・文化】

2014年07月18日

リアル

自宅から車で10分ほどの場所にまだ入ったことの無いベトナム料理店があり、前々から気になっていたので友人と二人で食べに行ってみました。

感想としては、リアルなベトナムを体験できる場所でした。

※僕みたいな旧体制(南)の愛好者が店に出入りしていると知られると無用なトラブルを招きかねないので、店名や場所は伏せさせて頂きます。


まず、店の前に着くと、ちょうど店の人らしいベトナム人のおばちゃんが車で来て、歩道を塞いで無理やり駐車。

エアコン代節約のためか店の戸は開きっぱで、中に入ると扇風機2台がキュルキュル回ってます。

連中にしてみれば、このくらいの暑さは扇風機でしのげるレベルなのでしょう。

店の中は4人掛けのテーブルが4つくらい。飾りっけの無い壁には、ベトナムの伝統楽器や絵が申し訳程度に架けてあります。

面白いと言えば、カウンターの前にある神壇ですかね。仏壇ではなく、道教の神棚です。(写真撮り忘れました)

僕ら以外に客は居らず、店内には店員の女の子と先に入った関係者らしきおばさん、厨房にもうひとりおばさんが居るだけ。もちろん全員ベトナム人です。

そんで、決して美人ではない店員の娘が慣れない感じでお茶だしてくれて、メニュー見て注文。高くもなく、安くもなくって値段です。

料理を待ってるあいだ、店内を観察しながら雑談。

店内にBGMはなく、開け放たれた戸の前を走る幹線道路の騒音、日本製だけど埃たまって汚い扇風機の作動音、テレビから流れる忍たま乱太郎の音声がこだまします。

そしてさっきのおばさんは空いてる席に座り、靴を脱いで素足であぐらをかいて、電器屋のチラシを広げて、厨房のおばさんとデカい声であーだこーだベトナム語で喋くってます。

う~ん、実にいい具合に東南アジアです。エアコンのないじっとりとした暑さとも相まって、もう空気がネイティブです。

日本人向けの小洒落たベトナム料理・エスニックレストランでは味わえない、リアルなベトナムの雰囲気を満喫できました。とてもデートにはお勧めできません。

※悪口のように聞こえますが、僕はこの感じがとても気に入りました。褒める気もないけど。
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2014年05月21日

ベトナム共和国軍伝統保存会

先日、元南ベトナム軍特殊部隊将校ファム・ホア少尉(NKTおじさん)の紹介で、カリフォルニア在住のベトナム系三世、Dさん(20代・仮名)と知り合いました。
Dさんは、南ベトナム陸軍第7師団で指揮を執った中佐のお孫さんで、現在はDさんとDさんの父上、叔父さんと一緒にベトナム共和国軍伝統保存会(Hội Bảo Tồn Truyền Thống Quân Lực Việt Nam Cộng Hòa / Republic Of Vietnam Armed Forces Preservation Association)』に所属し、ホア少尉と一緒にアメリカ各地のイベントに参加されているそうです。
彼はこれまでベトベトやアホカリで僕達がしてきた日本での南ベトナム軍リエナクトメントを大変喜んでくれて、日米のリエナクターとしてお友達になることが出来ました。とても嬉しいです(ノ≧∇≦)ノ
実はDさんが所属する伝統保存会とは単なるミリタリーマニアの集まりではなく、その名の通り39年前のベトナム戦争の敗北によって祖国と共に消滅してしまったベトナム共和国軍の名誉と伝統を後世に語り継ぐための真面目な協会なんです。
メンバーのほとんどはDさんのように在米二世・三世の南ベトナム軍人子息の有志で構成されており、難民としてアメリカに脱出した数万人の南ベトナム移民と、アメリカで生まれ育ったベトナミーズ・アメリカンが、祖国の歴史と民族の絆を共有し続けるよう、様々な活動に取り組んでおられます。

ベトナム共和国軍伝統保存会 公式ブログ(書いてるのはホア少尉)

伝統保存会の皆さん(この中でDさんもインタビューされています)


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2014年04月07日

ナンバーテンブルース さらばサイゴン

ベトナム戦争最末期の1975年、全編南ベトナムロケで製作された幻の日本映画が40年の時を経てついに公開!

『ナンバーテンブルース さらばサイゴン』

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2014年04月06日

小道具

理想とする形にはまだ程遠いけど、一応はリエナクターを志してるので、イベントで使う日用品も生活展示のつもりで選んで使ってます。
せっかくのヒストリカルイベントなのに、タイムスリップできるのが戦闘行動時の数時間だけなんて勿体無い!
僕はテントを張ったら撤収するまで、24時間ベトナムに居たいのです。


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2014年02月10日

ベトナム共和国軍歌『名もなき戦士』

僕の好きなベトナム共和国軍の軍歌『名もなき戦士』の歌詞の振り仮名表記と、日本語訳をしてみました。
練習して覚えたいと思います。

Chiến Sĩ Vô Danh (名もなき戦士)

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