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2024年03月14日

ベトナム語学習再開

私、2年前の2022年4月からベトナム語のオンラインレッスンを受け始め、同年6月に実用ベトナム語技能検定試験の6級に合格した訳ですが、あれ以来勉強をサボっていました。
ところが最近、毎日Youtube見てばかりの日々に嫌気がさしてきたので、勉強を再開する事にしました。
目標は6月に行われるベトナム語検定の5級合格です。
同時に4級も受けるつもりですが、こちらは様子見&ダメもとで受けて運良く受かれば良いな程度。



手元に5級の過去問があるので中を見てみると、そんなに難しくはなさそうな印象。



でも一方で、2年前に勉強した6級レベルの内容を忘れてる部分もあるので、もう一度基礎から勉強しなおします。


簡単な単語でも、なんとなくローマ字では覚えていても、ベトナム語独自のアルファベッドや声調(リスニングに直結する)は忘れているものが多いので、もう一度発音を確認しながらノートに書き練習しまくる。
どんなに金出してレッスン受けたり教科書を買ったりしても、実際に単語を覚えるにはこれ以外に方法が無いんですよね。

試験まであと3ヶ月。集中していきます。
  


2024年02月11日

甲辰年元旦節

新年明けましておめでとうございます!
今年もいつものベトナム寺に元旦節の初詣に行ってきました。





お寺で偶然、知り合いの元ベトナム共和国軍将校(陸軍中尉)Tさんと再会。


Tさんと初めて会ったのは今から約10年前の2014年で、その時の感想は過去記事『生き証人』に記したとおりです。
僕にとっては初めて生で会話したベトナム軍ベテランであり、またその時に地雷を踏んで義足になった足を見せてもらい、自分の歴史・軍事趣味は、今現在生きている人間の人生の記録でもあるのだと強烈に印象付けられました。

また、会場ではTさんのご友人方ともお話しさせて頂きました。皆さん40数年前に難民として来日し、そのまま定住された方々です。(戦争中は学生だったので、元軍人ではない)
日本におけるインドシナ難民の受け入れと支援体制は、『無いよりはマシ』程度のもので、同じく難民として欧米に移住したベトナム人コミュニティと比べると、日本のベトナム難民はだいぶ苦労したと皆さん仰っていました。
そんな中、Tさんは自身が身体障害を負いながらも、年下の仲間の相談に乗り、仕事の世話をするなどし、周囲からの尊敬を集めていたといいます。

この10年で僕は、日本・ベトナム・アメリカ・フランスに住む大勢のベテランおよび難民の方々とお会いしてきましたが、初めて出会ったベテランがこの方で本当に良かったと思います。
  


2024年02月09日

オンドー再び

昨年の(太陰太陽暦の)大晦日に、アオザイを着てオンドーの真似事をしたのですが、その時書いた春聯(新年の飾りに使う対)を同僚のベトナム人にプレゼントしたところ好評だったので、それに気を良くした僕は今年も(頼まれてもいないのに)春聯を書くことにしました。

去年は半分ウケ狙いだったので、アオザイを着て写真撮る部分がメインで、紙はホームセンターで買ってきた大きな赤い紙を切った物でしたが、今年は中国雑貨 華蔵さんで、ちゃんとした春聯用の用紙(金の文様入り)を買いました。



そしてネットで春聯の見本をいろいろ見て、字面が気に入ったこの二つを書きました。



そして今日、会社で同僚にプレゼント。彼は間もなく第一子を授かるので、本当に幸せになって欲しいと気持ちを込めて書きました。
(筆で字を書くなんてこんな時だけなので、決して上手くないけど)


それでは皆様、よいお年をお迎えください!
  


Posted by 森泉大河 at 20:50Comments(0)【ベトナムの文化】【中国】

2024年01月06日

新年と昔の写真

新年あけましておめでとうございます。
今年の正月は初詣に3回行ってきました。(いや初詣と言えるのは最初の1ヵ所だけか?)

まず大晦日の夜は、地元の氷川神社(我が家の氏神)で年超し・初詣。
そして元日の朝、いつものベトナム寺の陽暦節のお参り。


しかしこの日の夕方、能登半島地震が起き、とんでもない新年のスタートとなってしまう。人間の暦など、自然には無関係か・・・。
最後に、三が日最終日に友人と高尾山薬王院をお参りしてきました。


そしてここ数日、正月休みを利用してパソコン内のデータを整理していたら、懐かしい写真が出てきました。
今から22年前、僕が中学3年の時の写真です。手に持ってるのは自衛隊の9mm拳銃。



とある陸上自衛隊の駐屯地祭に一人で行った際、僕が警務隊の白パジェロを写ルンですで嬉しそうに撮っていたら、背広を着た警務隊一団が「兄ちゃん、写真撮ってあげるよ」と声をかけてきました。
お言葉に甘えてカメラを渡すと、今度は一番年長のおっちゃんが、「これ持ちなよ」と、背広の下のホルスターからピストル(9mm拳銃)を取り出し、僕に手渡してきたのです。
本物の拳銃に触るのはこれが初めてだったので、とても興奮しました。
さすがに弾は入ってなかったと思いますが、展示用ですらない、実際に私服警備に使用中の拳銃を子供に持たせちゃうとは、今では考えられないいい加減もとい大らかな時代でした(笑)


  


2023年12月30日

ベトナム共和国とカトリック(概説)

※2023年12月31日更新

1860年代から1954年まで1世紀近くフランスの統治下にあったベトナムは、アジアの中でも特にキリスト教(主にカトリック)の割合が多い国です。
ベトナムとカトリックの関係については、掘ろうと思えばいくらでも深く掘れる分野ではありますが、僕もまだそんなに詳しくは分かってないので、今回は概説だけ書きたいと思います。


第一次インドシナ戦争

第二次大戦における日本の敗北と同時にベトナムの政権を握ったホー・チ・ミンらベトミンは、共産主義・民族主義的イデオロギーからカトリックを敵視し、カトリック信徒に対するテロ攻撃を開始します。
その後すぐにフランスがインドシナの再占領に成功し、カトリックはフランスによって保護されますが、ベトミンによるテロは続き、フランス連合側ではベトナム人カトリック信徒による民兵組織『キリスト防衛機動隊 (UMDC)』等が組織され、カトリック勢力はフランスと団結してベトミンと対峙しました。(過去記事第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍 その3:その他の戦闘部隊』参照)
しかし1954年、ジュネーヴ協定によってフランスが撤退し、北ベトナムにホー・チ・ミン政権(ベトナム民主共和国)が成立すると、北ベトナム領に住むカトリック信徒は生命の危機に晒されます。そしてホー・チ・ミン政権による弾圧から逃れるため、30万人以上のベトナム国民(内8割がカトリック信徒とされる)が北ベトナムを脱出して南ベトナム(ベトナム国)に退避しました。

米仏軍による輸送作戦Operation Passage to Freedomにより北ベトナム領を脱出するカトリック難民[1954年]


第一共和国期

一方、1955年に無血クーデターによって南ベトナム(ベトナム国改めベトナム共和国)の実権を握ったゴ・ディン・ジェム総統は熱心なカトリック信徒であり、カトリックはむしろ政府によって優遇される事になります。
1964年の時点で、ベトナム共和国人口1450万人の内、カトリック信徒の割合は約10%に過ぎませんでしたが、ジェム政権(第一共和国期)下では政府・軍高官の大半、そして全国の省長官の2/3をカトリック信徒が占めるなど、ベトナム共和国の政治権力はカトリック勢力が握る事となりました。
また歴史的にベトナム人は中国人を快く思っていませんでしたが、それでもジェム総統は中国共産党に弾圧された中国人カトリック難民のベトナム共和国への移住を受け入れ、土地を与えたばかりか、中国人難民が国内で武装・民兵組織化する事も許可しました。(過去記事グエン・ラック・ホア神父』参照)

▲第一共和国期を率いたゴ家の兄弟3名。左からゴ・ディン・ニュー(カンラオ党=事実上の秘密警察指導者)、ゴ・ディン・トゥック(カトリック教会フエ大司教)、ゴ・ディン・ジェム(ベトナム共和国総統)

しかし、こうした極端なカトリック優遇政策が国内に深刻な宗教対立をもたらします。
ベトコンとの内戦を抱えながら、内政でも混迷が続いた事で、ついにはジェムのスポンサーだった米国CIAもジェムを見限る結果となりました。そして新たにCIAの支援を取り付けたズオン・バン・ミン将軍ら軍部の反ジェム派は1963年11月にクーデターで政権を奪取し、ジェム総統と弟のニューは革命軍によって暗殺され、ジェム政権関係者も軒並み粛清されます。
しかしそれでも、カトリック信徒には仏領時代から続く良家・エリート層が多く、ジェム政権を倒した軍内部にもカトリック信徒が多かったため、カトリックそのものが排斥される事はなく、以後カトリック勢力とベトナム共和国政府は共存していくこととなります。


ベトナム共和国軍の従軍司祭

上記のようにベトナム共和国の人口の10%はカトリック信徒だったため、当然ベトナム共和国軍に所属する将兵の中にもカトリック信徒が一定数存在しており、特に軍の高官やエリート部隊ではカトリックの割合が非常に高かったそうです。なのでベトナム共和国軍には欧米の軍隊のようにカトリックの従軍司祭およびカトリック司祭局(政治戦総局所属)が存在しており、これは他のアジア諸国には無いベトナム共和国軍の特徴と言えます。

▲前線で礼拝するベトナム共和国軍のカトリック信徒[1970年カンボジア領内]



左胸に十字架の職種章を佩用する従軍司祭(陸軍大尉)。キャロット(略帽)にも十字架を付けていますが、陸軍ではキャロット用いられないので、カトリック司祭局独自の軍装かも知れません。

▲キャソック(司祭平服)を着た従軍司祭。恐らく上の写真と同一人物。ベレー章は他に使用例のないデザインなので、これもカトリック司祭局独自の物かも知れません。

▲陸軍第1歩兵師団所属の従軍司祭/陸軍大尉(右の人物)。[1971年ラオス領内]
前線部隊に同行する従軍司祭は、カトリック司祭局ではなく師団パッチを佩用していた模様。

▲政治戦総局カトリック司祭局の部隊章

政治戦総局カトリック司祭局局長ポール・レ・チュン・ティン神父(陸軍大佐)
ティン神父は元ブンタウ聖ヨセフ神学校の校長であり、ベトナム共和国軍カトリック司祭局の最後の局長として終戦を迎える。終戦後、ティン神父は共産政権に逮捕され、再教育キャンプに10年間投獄された後、1985年にアメリカに移住。1994年にその地で死去する。


なお、政治戦総局にはプロテスタント司祭局や仏教司祭局も存在していましたが、ベトナムにおけるプロテスタントの信徒数は非常に少なく、しかもその信徒の大半は中部高原に住むデガ(少数民族)なので、プロテスタント司祭局の活動に関する情報はほとんど見た事がありません。仏教司祭局に所属する従軍僧については、現在資料集め中ですので、ある程度揃ったら記事にしたいと思います。


カトリック民兵(人民自衛団?)

こちらはカトリック民兵とされる組織です。人民自衛団は本来、都市村落毎に編成される政府指揮下の自警団ですが、これはそのカトリック教区版と言ったところでしょうか。映像を見つけただけで、詳しい事はまだ分かりません。


ボーイスカウト


ベトナム共和国時代のボーイスカウト/ガールスカウトは、公にはカトリック教会所属の組織ではありませんでしたが、教会・修道院との繋がりが深く、事実上のカトリック関連組織と言って良いと思います。(ただし非カトリックでも入団できる)
戦時中、ボーイスカウトは軍の補助組織として後方支援任務の一部を担いましたが、公には民間の慈善団体であり、またカトリック教会直営という訳でもなかったため、戦後の共産主義政権下でも(共産党への忠誠を第一義とする条件で)解体をまのがれ、今日でも存続しています。
  


2023年01月22日

癸卯年元旦節

※2023年1月24日更新

黄暦(中国暦)元日の今日、友人たちとアオザイを着てベトナム寺に初詣してきました。
このお寺は、僕が毎年初詣に行っているのとは別の場所で、今回初めて来ました。


新年に相応しい、良い写真が撮れました。

また、こちらのお寺でもブンをご馳走になりました。


お寺なので肉類は一切入っていません。
肉っぽく見えるものは豆腐を加工したもので、ハムも(おそらく)大豆から作られています。
精進料理は日本にもありますが、ベトナムのは肉を再現しようとする努力がすごい。
本当は食いたくて仕方ないんでしょうね(笑)


ちなみにベトナムの十二支は日本や中国とも少し違くて、今年はネコ年。
ベトナムではテトを祝って、その年動物の巨大な像が全国各地に設置されますが、同時に毎年、ベトナムのネット民の間で開催されるのが「残念な十二支像選手権」。
だいたいの動物は、とても精巧か、そうでなくてもまぁまぁの出来映えなのですが、中には「どうしてこうなった」と言いたくなる残念な像が毎年必ず出現します。
今年もいくつもの作品がノミネートされましたが、その中で今年断トツで一番キモいのが、サイゴン北東部の複合テーマパーク スォイティエン(Suối Tiên)に設置されたこの像


さすがにネットの話題をかっさらって大騒ぎになったようで、設置からわずか3日後には目の部分だけ差し替えられました。


テーマパーク側は「最初から目は二種類用意していた」と弁明しているそうですが、それはそれで意味不明な気もします。

その他のノミネート作品はこちら
Thanh Niên
  


Posted by 森泉大河 at 21:12Comments(0)【ベトナムの文化】

2023年01月21日

オンドーごっこ

黄暦大晦日は、おうちでオンドー(Ông đồ)のコスプレ。


このために100均で筆と墨汁を買ってきました。字が下手なのは許して・・・

オンドーとはベトナムにおける伝統的な書道家・儒学者・教師で、オンドーの書いたおめでたい書を人々が買い求めるのがベトナムの新年(テト)の風物詩となっています。

しかし実際のオンドーは老師といった感じの髭を蓄えた老人なので、こんなに若い人はいません。
なのでスマホアプリのFaceAppで老人化!

なんかベトナムと言うよりテュルクっぽい顔になった。

オンドーの書は、20世紀後半以降クォックグー(ローマ字)表記も広く用いられるようになりましたが、伝統的な漢字もまだまだ現役です。
逆に言うと、現代のベトナムでは、オンドーくらいしか漢字を読むことも書くことも出来ません。
なのでほとんどのベトナム人は、20世紀前半より前に書かれた(漢字およびチュノムで書かれた)自国の書物を理解することが出来ません。
クォックグーの普及による識字率の向上は確かに有益ではあったものの、同時にこの漢字文化の断絶は、文化面では本当にもったいない事だと思います。
ベトナム国内でも識者の中にはそういう声もあるようで、韓国同様、ベトナムでも漢字学習を再考する機運は少しずつ高まっていると聞きます。
明治時代のファン・ボイ・チャウみたいに、日本人とベトナム人が漢字で筆談できる日がいつか・・・来ないだろうけど、来ることを夢想してしまいます。


それでは皆様良いお年を。
  


Posted by 森泉大河 at 22:50Comments(0)【ベトナムの文化】

2023年01月02日

陽暦節2023

新年あけましたね!(喪中なのでこの表現)
喪中ですと神社に初詣する事はできませんが、仏教寺院ならOKだそうなので、今年もグレゴリオ暦の新年(陽暦節)を祝うベトナム寺の初詣に行ってきました。
もう10年くらい前から初詣は毎年このお寺なので、ここにお参りしないと新年が始まった気持ちがしないのです。


今年は会社のベトナム人の同僚5人を初詣に誘ったので、その奥さんや子供たちも来て、計10人のグループになりました。
彼らは今回僕が誘うまでこのお寺の存在を知らず、来日してから今まで、こういったベトナム人コミュニティーに足を運んだ事が無かったのだそうです。
なので日本でこんな盛大にお祭りをやっている事に驚いていました。ベトナム本国では安全上の理由から禁止されてしまった爆竹も、日本ではまだ健在です。
遠い異国の地で働く同僚たちに、少しでも故郷の雰囲気を味わってもらえたなら嬉しいです。


  


2022年08月17日

夏の思い出

今年のお盆休みは、ベトナムで5日間過ごしてきました。
ベトナムには今年の3月に映画撮影ロケで行ったばかりですが、今回は純粋にバカンスを楽しんできました。

タンソンニュットに着くと外は雨で、気温はなんと24℃。
日本より10℃も低い!ベトナムとは思えない涼しさでした。

寝床は今回もドンタップ省にある友人の実家。
親戚同士が隣同士で、一つの大家族として住んでいるので、夕方は親戚で集まりほぼ毎日宴会が開かれました。


生まれて初めてネズミを食べました。
味や触感は手羽先みたいなもので、普通に食べれる味です。
でもやっぱり見た目がキモいので、1匹食べて止めました。

家で飼ってるワンコがやたら僕に懐いてくれました。


そして今回も家族旅行に同行させてもらい、ベトナム南西部を巡ってきました。
まず、カンボジア国境沿いにある有名なお廟の主處聖母(Miếu Bà Chúa Xứ Núi Sam)をお参り。




そこからさらに西に移動して、ハーティエン市の海鮮市場で食材を購入。


そしてハーティエン市のムイナイ浜で海水浴。
海鮮市場で買ったエビやカニを、浜辺のレストランで調理してもらい食べました。




遠出したのはこのハーティエンのみで、あとはドンタップ省内をバイクで行ける範囲でちょっとコーヒーや食事に行った程度です。
あと日本への帰国に必要なPCR検査のために、ヴィンロン市内の病院まで2往復。(検査と陰性証明書受け取り)
最終日なんてやる事なくて、ずっと家の中のハンモックで寝ていました。

今回は、これまでの旅行と違ってミリタリー・歴史趣味に関する事は何もありませんでしたが、元々ベトナムに関係する事全てが趣味みたいなものなので、これはこれで得るものがあります。

休みが明けて今日からまた退屈な日常に戻った事で、あの5日間がいかに贅沢な時間だっかのか、今になってじわじわと感じています。
  


2022年07月21日

ViLT6級合格

6月に受験した実用ベトナム語技能検定試験(ViLT)の結果が、今日届きました。
6級・準6級ともに合格です!!!

やった~!!!


実用ベトナム語技能検定試験には1級から準6級まであり、今回合格した6級のレベルはこんな感じ。



前記事でも書いたように、6級は僕にとってまだ難しい問題も多く、半分くらいしか解けた気がしなかったのですが、届いた得点結果を見てみると、意外にも筆記問題は7割取れてました。
リスニングはもっと自信なかったのですが、こちらもなんとか合格ラインの6割を超えてくれてました。(運もあると思います。)



僕はもともと、趣味を通じてほんの少しだけベトナム語の知識があったとは言え、実際にはごく基本的な単語も文法も知らない状態でした。
そんな状態からオンラインレッスンに申し込んで本格的に勉強を始めたのは今年の4月からですから、試験までの勉強期間は2か月ほどしかありませんでした。
またレッスンを始めた当初はそもそもこの試験の存在すら知らなかったので、勉強もこの試験を目標としていた訳ではなく、単に腕試し程度の気持ちで受験したのですが、意外にも一発で受かってしまいました。
これもひとえに、丁寧にレッスンをつけて下さった先生方のお陰であり、感謝でいっぱいです。

Xin cảm ơn các thầy cô nhiều ạ 


  


2022年06月19日

ベトナム語技能検定試験を受けてきました

以前こちらの記事で、今年の4月から本格的にベトナム語の勉強を始めたと書きましたが、そのレッスンの中で先生から実用ベトナム語技能検定試験を受けてはどうかとお話がありました。
当初は、ただベトナム人の友達と会話できるようになりたいという気持ちだけでレッスンを受け始めましたが、せっかく勉強しているのだから試しに受けてみようという気持ちになり、さっそく試験申し込みと過去問集を購入。
そして今日、6級と準6級を受験してきました。

 


試験を終えた感想としては、準6級はほとんど余裕をもって回答できたので問題無さそう。と言うか、のべ90回もレッスンを受けててこれに落ちてたら恥ずかしくて先生たちに顔向けできません。
問題は6級。6級から急に問題が難しくなるので、過去問やってる段階で、合否は半々な感じがしてました。特にリスニングと長文読解はまだ僕には難しく、結局半分くらいは運任せで適当な回答をマークしました。
ただし合否基準はリスニング・筆記それぞれ65%なので、運が良ければ合格点に達しているかもしれません。
結果発表は7月下旬だそうですので、結果が出たら報告します。

ちなみに僕が使っている教材はこちら。


オンラインレッスンで使っている教材

試験対策

実のところ、ベトナム語技能検定の6級の段階では、文法は簡単なものしか出でこないので、文法の面では『ベトナム語レッスン初級1』だけでカバーできてしまう気がします。
ただしベトナム語技能検定に出題範囲というものが存在せず、テキストの中から出題される訳ではないのが、この試験の難しいところ。
特に単語に関しては、手持ちのテキストには出てきていないものも試験に出題されるので、突然現れる新しい言葉にいちいち思考停止してしまいます。。。

写真にある『ベトナム語が面白いほど身につく本』は、僕が本格的なベトナム語学習を始める前に買った本で、内容的には初歩中の初歩ですが、要点がまとまっいて分かりやすい便利な本です。
オンラインレッスンを始めた後も、自分でベトナム語の文章を書く時などは、テキストよりもこちらの方が使い勝手が良かったりします。

あと昔、話のネタとして買ったのがこちらの『男と女のベトナム語会話術


ナンパに始まりエロトークや卑猥な単語集も収録されてるので、ベトナム人男性に見せると毎回爆笑を取れる優秀なネタ本です。
ただし当のベトナム人が言うには、「こんな言い方しないよ」という変な例文がけっこう多いそうです。
また例文には日本人向け(=ベトナム人ネーチャンをナンパするため)にカタカナが振ってありますが、実際にはベトナム語をカタカナ読みしても99%通じないので、例え全ての例文を暗記しても、その発音が正しくなければ一つも言葉として機能しません。
また相手の言葉を聞き取り理解できなければ、会話も成り立ちません。
結局は地道に、ベトナム語の発音とリスニング、語彙という基本的な会話能力を身に着けるしかなさそうです。


  


2022年05月20日

最近やってること

なんだか最近、興味がミリタリー趣味から離れていて、この2か月くらい新たな買い物や調べ物はしていません。

そのかわり本腰入れてベトナム語を勉強する事にしたので、ほぼ毎日オンラインレッスンを受講しています。


レッスンのあとは、1時間くらいかけて習った内容や新しい単語をノートにまとめています。
こんなにまじめに勉強したのは中学校以来です。
(中学の時、僕はテストで学年2位、かつ生徒会長という人生の絶頂期でした)

その中学時代に英語をまじめに勉強したおかげで、大人になってからも英語に関しては独学でどうにか話せるレベルになれたので、英語学習のためにお金を使ったことはありませんでした。

しかしベトナム語に関しては英語のように基礎を学んだ経験が無いため、6年くらい前にテキストを買って独学で学ぼうと試みたものの、すぐに挫折してしまいました。
また、僕が今まで付き合いがあったベトナム人は皆、日本語か英語を話せたので、ベトナム語を使わずともコミュニケーションが取れました。それもベトナム語学習をサボってきた要因の一つです。

しかし3月のベトナムロケで出会い、一緒にベトナム各地を回った仲間たちはベトナム語しか話せなかったため、英語を話せるベトナム人の監督にその都度通訳してもらわないと全くコミュニケーションが取れない状態でした。
みんなベトナム語で楽しそうにおしゃべりしてるのに、僕だけずっと黙っているしかなく、とても寂しかったです。
また、店でコーヒーやタバコ一つ買うにも毎回監督に通訳してもらう必要があり、これについては十年以上ベトナムを趣味としてきた人間として、なんと情けない事だろうと自分を恥じました。
(僕の感覚では、ベトナムの店員の9割は簡単な英単語も全く通じない)

こうして僕はこの旅で本当に悔しい思いをしたので、日本に帰ったら速攻で外国語学校にベトナム語のレッスンを申し込んだ次第です。
なのであの旅は僕にとって一言で「楽しかった」と言えるものではなかったのですが、こうしてベトナム語学習に奮起するきっかけになったので、結果的には僕にとって大きな意味のある旅になったと感じています。


またベトナム語以外では、家でずっとYoutubeでゆっくり解説系動画を観ています。
僕は昨今のインターネット文化が苦手なので、ツイッター等のSNSはおろか、人が何かやったり話してる動画もなんだか鼻について不快なので全く観ないのですが、ゆっくり等の合成音声系だけは人間の声ではないので不快に感じることなく受け入れられました。

僕が好きな合成音声系チャンネルはこちら
へんな生き物や面白い動物について解説

SF系アニメ・映画の紹介や解説

世界史にまつわる事件・人物を解説

神聖ローマ帝国やモンゴル帝国の歴史

科学に関する疑問など

ガンダムの解説・考察


最近は、夜こういう動画を観ながら寝落ちしてしまい、朝まで動画が自動再生で流れっぱなしという事も少なくありません。
部屋の電気を消して布団に入ると眠れないのに、動画観てると自然に眠くなるのは困ったものです。
  


2022年04月25日

BGIと飲料ボトル

※2022年8月5日更新

今年3月のベトナム訪問の話に戻りますが、今回の旅は動画撮影ロケがメインだったので、個人的にミリタリー物を買いに行く時間はなかったです。
しかし現地で友人に紹介してもらった歴史アイテム収集家の人から、知り合った記念にと、ベトナム共和国時代のBGI社製飲料ボトルを3本プレゼントして頂いちゃいました。


BGIの歴史

『BGI (Brasseries et Glacières d’Indochine:インドシナ醸造・冷蔵)』は、1975年までベトナム共和国国内でトップシェアを誇る大手飲料メーカーとして君臨した企業です。
BGI社の始まりは、インドシナ諸国がフランスに征服されてから間もない1875年にフランス人のヴィキトール・ラルー(Victor Larue)がサイゴンで創業した醸造所であり、この醸造所がベトナムで最初のビール工場とされています。
そしてラルー1927年に同地でBGI社を設立し、以後ビールや清涼飲料、氷、アイスクリームなどを主力商品としてインドシナで事業を拡大していきました。
BGIの製品として特に有名なのがビールのバーバー(33)とラルー(Larue)で、この二つのブランドは戦争や事業再編を経た現在でも製造・販売されている人気商品です。
BGIは知らなくとも33 / 333ビールは知っているという人はかなり多いのではないでしょうか。
ちなみに発売年で言うと、ラルーはBGI創業前の1909年、バーバーは第2次大戦後の1949年に発売されています。

歴史を見ても分かるようにBGI社はフランス資本でありながらベトナムに根付いた企業であり、BGI社は第一次インドシナ戦争を経て1955年にベトナム共和国がフランス連合を脱退した後も、1975年まで現地で営業を続けました。
1975年以前のベトナム共和国時代を生きた人々にとって、BGI製のビールや清涼飲料はごく身近な生活の一部であったそうです。

▲BGIサイゴン営業所





ベトナム統一後

しかし1975年、北ベトナム軍の侵攻にサイゴンが陥落し、ベトナム全土が共産主義化されると、旧ベトナム共和国内の全ての企業・資本は共産主義に則り解体、国有化されます。
BGIも例外ではなく、ベトナム国内のBGIの会社組織は完全に解体され、その製造施設は1977年に創設された国営の『サイゴン・ビール工場(Nhà máy Bia Sài Gòn)』へと引き継がれました。

時は流れて1985年、サイゴン・ビール工場は、かつてのBGIの主力ブランドである33ビールの国内外での人気を背景に、この33ブランドを継承するビールとして『333』を発売します。
さらにドイモイ政策以降、サイゴン・ビール工場は事業を拡大し、現在はサベコ(SABECO:サイゴン・アルコール・ビール・飲料総合会社)という社名で、引き続き333ビールを含む各種飲料を製造販売しています。

※ちなみにベトナムのビールというと日本では333が有名ですが、実は今のベトナムでは落ち目。少なくとも僕が行った事のある飲食店で333が置いてあるのを見た記憶はありません。

またハイネケン・グループが1991年にベトナムに進出し、ハイネケン・ベトナム社が創立されると、同社は1995年に、BGI創業者ヴィキトール・ラルーの名を冠し、かつて33と双璧をなした人気ブランド『ビアー・ラルー(Biere Larue)』を復活させました。
(1975年から1995年の間に何らかの形でラルーのブランドが存続していたか否かはまだ確認できていません。)

一方、BGIは元々フランス資本の企業のため、ベトナム戦争終結後もベトナム以外での事業は存続しました。
ベトナムを含むインドシナ諸国の営業所を全て失ったため、社名は1975年に『Brasseries et glacières internationales (国際醸造・冷蔵)』へと変更されましたが、略称は変わらずBGIであり、現在ではアフリカ大陸で大きなシェアを持つ大手飲料メーカーの地位を保っています。
またドイモイ政策以降、BGIはベトナムにも再進出しており、数十年の時を経て再びベトナムの地で『BGI Beer』などのビールを製造販売しています。



ベトナム共和国時代のBGI飲料ボトル

①ビアー・ラルー(Biere Larue)

サイゴン・ビール工場の展示を信じるなら、このボトルは遅くとも1965年には登場していたそうです。(参考サイト:NGƯỜI ĐÔ THỊ ONLINE)
またこのように瓶に直接プリントされたもの以外にも、紙製ラベルのものも存在しました。


▲1975年以前のラルーの広告看板


②コン・コップ(Con Cọp)
コン・コップ(虎)はアルコールではなく、清涼飲料(ソフトドリンク)です。
実物を飲む術が無いので、どんな味だったか気になります。


コン・コップのボトルは2本もらい、それぞれデザインが異なっています。


瓶だけなら簡単に手に入るけど、蓋つきはけっこうレアかも。

1975年以前のコン・コップの広告

ドリンク屋台で売られるコン・コップ [1967年ニャチャン]


今回はビールの話が多かったですが、僕自身はお酒がとても弱いので、ほとんど飲みません。
付き合いで仕方なく1杯程度なら飲むこともありますが、基本的には飲みたくありません。
今回の旅でも、仲間のうち、僕以外=ベトナム人は毎晩、午前3時・4時まで飲んでいたので正直困りました。
これは日本でも同じだけど、酒が飲めないというだけで仲間外れ感をすごく感じます。
ますますアルコールが大嫌いになりました。
  


2022年01月02日

陽暦節2022

明けましておめでとうございます。
また今年も元日に、いつものベトナム寺に陽暦節の初詣に行ってきました。



お寺でふるまわれる精進ブン(米粉麺)には、お好みで唐辛子の調味料を入れることができるのですが、この調味料が異様に辛いです。なんか辛み成分が濃縮されている感じで、見た目の数倍辛いです。
僕はいつも控えめに入れているつもりなのに、それでも辛くなりすぎます。今回もつい入れ過ぎてしまいました。
なのでこの日は気温5℃で風も強く、器を持っている手は凍えているものの、額だけは汗をかきながら食べることとなりました。



年末に作った物の続き

友人に着用してもらうため、MACVハンガーバッジに続き、ベトナム軍の上級降下章(Bằng Nhảy Dù Cao Cấp)も製作しました。
降下章については過去記事戦技系技能章』参照

まず手持ちの降下章(基礎)レプリカをおゆまるで型取る。



型にプラリペアを流し込むと同時に、太さ1.2mmのステンレス針金を足として埋め込む。
また今回は上級降下章なので、上級を示すヤシ葉のデバイスをエポキシパテで自作。



ヤシ葉をくっつけて塗装したら完成!



あまり出来の良くないレプリカからの複製なので見苦しい点はありますが、コスプレ用の間に合わせとしては見れるレベルかなと。

  


2020年10月02日

庚子中秋

今日は中秋なので、久しぶりにお月様の写真を撮りました。


ベランダの 物干しの先に 十五夜の
名月 鈴虫 ヤブ蚊の音


こんな感じで今年の中秋節は一人寂しく過ごしておりますが、
去年、一昨年は楽しくお祝いできたので、ちょっと振り返ってみます。

2018年

日本在住ベトナム人協会の中秋節祭のお手伝い(主に荷物運び)


2019年


夕食後、僕の生徒の技能実習生たちを、誰かが問題を起こして全員怒られるような深刻な雰囲気を出しながら食堂に集め、
「うっそー!チュントゥー(中秋)パーティーだよ~ん!!」とサプライズ開催。
インドネシア人の子には馴染みが無い文化だけど、何であれパーティーは楽しいので、一緒にカラオケで盛り上がりました。

あれから1年。次々入れ替わる生徒たち全員とつながりを維持するのは無理だけど、一部はFacebook経由で近況を聞いています。
ある人は「当たり」な会社に入って時々観光しながら貯金して、楽しく過ごせてたり。
ある人はブラックな建築現場で日本人上司に日々罵声を浴びせられ日本が嫌いになりつつも、一方で日本人女性をナンパして恋人になってたり。

そういうのを見てきて、僕も考え方が少し変わってきました。
以前は「困っている人の力になりたい」というシンプルな動機で色々首を突っ込んでいましたが、
その結果、自分ごときが他人の人生をどうこうするなど不可能であり、
「救ってやる」なんて考えはとんだ思い上がりだった事に気付かされました。

まぁそれでも、国際貧困ビジネスで暴利を貪る国内外の悪党ども、
特に自国民を売って儲けた金でカリフォルニアの不動産投資に勤しむハノイのウジ虫どもを許す気は無いので、
外国人技能実習制度の暗部については、聞かれたらいくらでもペラペラ喋りますよ~。
  


2020年01月03日

2020年陽暦節

新年あけましておめでとうございます。
今年も例年通り、日付が変わると同時に地元の氏神様をお参りし、お昼にいつものベトナム寺にも初詣に行ってきました。



2020年陽暦節 / Google Photos


お寺の公式チャンネル




東アジア・東南アジア全域で広く親しまれており、ベトナム語では「ムアサップ(Múa Sạp)」と呼ばれる、
リズムに合わせて竹の間をケンケンパする遊びを僕も友人とやってきました。
僕はこの遊び、たぶん保育園時代にやって以来です。
今年のテト(元旦節)は1月25日と早いから、あと3週間もすれば、またお正月が来るんですよね。

僕がこのお寺に初詣に来るようになって今年で8年目ですが、年々参拝者も増え、飾りも豪華になっていきますね。
でもこれは、手放しで喜べることではありません。
つい10年前まで、日本に住んでいるベトナム人のほとんどは、インドシナ難民として来日した1万人足らずでした。
ところが近年、日本政府は「人手不足だから(=日本人の給料上げる気はないだけ)」と、なりふりかまわず技能実習生という名目の出稼ぎ労働者を年間8万人呼び込み、留学生がバイト漬けになる事を最初から見込んで労働力確保のために留学ビザを発給しまくり、ついに在日ベトナム人の数は35万人を超えました。
日本という国は、もうベトナム人無しにはやっていけない国なっています。日本政府が、そうしてしまいました。
でもはたして日本社会は、ベトナムの事をどのくらい分かっているんでしょうかね。
僕は、たまにはベトナムの明るい面も見ておきたいので度々このお寺に参拝しておりますが、そうでもしないとマジで関わるのが嫌になるくらいベトナムには暗い面が沢山あります。
本当にベトナムを理解するのであれば、「ベトナムの人々は貧しくても心は豊か」などと言う日本人特有のアホな幻想を捨てて、60年以上続くベトナム共産党独裁政権の下で庶民から政府レベルまでモラル・道徳が荒廃した現在のベトナムの実態にもっと目を向けるべきだと考えます。
その辺は僕の別ブログベトナムウォッチ』で記事にしていますので、是非ご高覧下さい。



そして三が日最終日、こちらの初詣にも。

ラーメン二郎越谷店 ラーメン小「ニンニク、アブラ」で今年の二郎お食い初め。


  


2019年07月09日

主にタイ、一部ベトナムな週末。

タイの軍装マニア友達がまた来日したので、2日間一緒に遊んできました。
なんか彼とは、最近は半年に一回くらい会ってる気がする。

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1日目 横浜

お昼に合流して新横浜ラーメン博物館でお昼ご飯

ラーメンを食べ終わり外に出ると、友人がTVの街頭インタビューに捕まる。
外国人に漢字を書いてもらう企画のやつ。

加えて、TV局のお姉さんが彼にいろいろ質問する。
「なぜ日本に来ましたか?」、「どのラーメンが好きですか?」
そして最後の質問「日本のどこに興味がありますか?」

彼は慎重に言葉を選びながら
「う~ん... 歴史とか...」と口を濁して終了。
お姉さんは、期待していた観光客っぽい答えを得られなかったので、少し残念そうにインタビューを終えました。

インタビューの後、僕は彼に言ってやりました。
「正直に『大日本帝国陸軍です!』と言っちゃえばよかったのに(笑)」
彼 「いや、やばいっしょ~(笑)」

普通のガイジンの振りをするのも大変ですね。
気を取り直して、みんなで『抜刀隊』を歌いながら次の目的地に移動。
※僕は今は日本軍マニアではありませんが、一応、中高生の頃はそっちもかじっていたので、多少わかります。


キリンビール横浜工場を見学。見学の最後にビールを三杯まで無料で味わう事が出来ます。
見学無料、ついでにビールにおつまみまで無料と来て、みんな「なんでそんなに太っ腹なの!?」と本気で驚いていました。
「これタイにあったら、タイ人毎日来て大行列だよ」って言ってます(笑)


神奈川県庁や赤レンガ倉庫周辺を散策。
みんなレトロな街並みを見て、案の定、『檄!帝国華撃団』をで歌いながら歩く。
ほんとサクラ大戦好きね~

みんな、みなとみらいの事は知らないようだったので、
「ああ~!わかった!」と一発で理解してもらえました。


夜は中華街で夕食。
2,000円で食べ放題の店でたらふく食う。
調子乗って注文しすぎ、苦しくてちょっとテンション下がるくらい食べ過ぎてしまいました。


2日目 東京

有楽町でショッピングと食事して、日比谷公園に移動。


途中、某所で上半身だけコスプレ撮影会が始まってしまった。
こんな所でやるなんて聞いてなかったよ(汗)
さすがに鉄砲持つわけにはいかないので、陸軍報道部と言う設定だって。
とは言え場所が場所だけに、大急ぎで撮って撤収させました。
隣の〇の内署が建て替え工事中だったのは本当にラッキー。


日比谷公園を散策し終えたところで、僕は前々から別のグループのフットサルに行く約束があったので、ここで皆とお別れ。
今回は1日半と短い時間しか一緒に遊べなかったけど、まぁ、どうせそのうち、日本かタイでまた会う事になるでしょう。


新宿に移動して、月一で開催されている、日本在住ベトナム人のフットサル交流会に参加。今回は20名近く集まりました。
僕のスポーツマンっぷりをアピールしたいところだけど、残念ながら煙草で肺をやられているので、まともに体が動く時間は3分が限界。
もう、すぐに足がもつれて転びそうになるので、日本在住歴40年超えの長老にバトンタッチして、僕は2/3くらいピッチの外で休んでました。
でも暇そうにしてたら、僕の一歳年下で同じくメタボに危機感を抱き始めた友人から、一緒に腹筋やろうと言われたので、ピッチの外で腹筋してました。
久しぶりの運動だったので、翌日は足だけでなく腹まで、仕事やる気にならないくらい、重度の筋肉痛になってしまいました。


フットサルのあとは大塚のベトナム料理屋で飲み会。
今回初めて会った人たちとも友達になりました。
みんな、「タイガーさん早くベトナム人の彼女つくってよ!」と言ってくるので、
「うるせー!がんばってるけど毎回フラれるんだよ!」と答えてたら、
次第に店員の女性の方も混ざって、僕のためにベトナム人女性の口説き方講座が始まりました。
ただし、その講義をしている男たちも全員独り身。ああ、悲しい。
  


2019年01月14日

年明けの近況

だいぶ時間が開いてしまいましたが、あらためまして、皆さまあけましておめでとうございます。
年末年始はなにかと忙しくて、例の軍装ガイド「ベトナム共和国軍軍装史」は可能な限り進めるようにしていましたが、他の趣味関係は何もしないまま元日から二週間も経ってしまいました。


ベトナム軍装史

ベトナム軍装史については、去年、「なんとか年内に完成させる」と宣言しましたが、結局完成には至りませんでした。待っていただいている方には本当に申し訳ありません。
言い訳になりますが、この本ではインドシナに復帰したフランス植民地内にベトナム人部隊が再組織された1945年から、共産軍がサイゴンを占領してベトナム共和国政府が滅亡する1975年までの30年分の携帯火器・個人装備を網羅する事を目標にしています。
また扱う部隊の範囲も陸軍正規部隊だけでなく、フランス軍内のベトナム人コマンドからMACV-SOG指揮下のNKTコマンドも含めているので、イラスト化すべき物品があまりに多すぎて、そもそも年内完成という見通しが甘すぎました。
(特殊部隊の装備は別の号にしようと何度も考えましたが、SOGがNKTに支給したSTABOやV40グレネードなどいかにも特殊部隊っぽい装備の多くが、実は1970年代に入るとベトナム陸軍の一般部隊でも使われるようになっており、確実に「特殊部隊限定」と言えるような装備などほとんど無い事が分かってきました。そのため一冊にまとめざるを得ないのです)
以下、現状でほぼ仕上がってるページをすこしチラ見せいたします。

  
あれもこれもとアイテムを書き足しているうちに現状でページ数が39ページにまで増えてしまいましたが、どうせ発表するからには自分自信満足のいくものを作りたいので、ページ数はまだ増える見込みです。


神風航空団パッチ

先日、サイゴンに住んでいる知人から、仲間内でレプリカパッチを作ったから一枚あげると連絡があり、今日そのパッチが届きました。

ベトナム空軍第83特殊作戦航空団『神風(Thần Phong)』です。

神風部隊と言えば空軍司令時代のグエン・カオ・キ少将(後の副総統)が直接指揮し、時にはキ将軍自ら愛機のA-1スカイレイダー攻撃機を駆って出撃した事でも知られる、ベトナム空軍で最も目立っていた航空団ですね。
同航空団所属のスカイレイダーに描かれているノーズアートについては過去記事参照。


ベトナム寺で念仏フルコース

昨年11月に亡くなった恩人の四十九日法要の翌日、ご遺族と一緒にベトナム寺で定例の念仏会に参加してきました。
僕は実家の菩提寺ですら、墓参りに行くだけで本堂に入って拝んだ事の無い不束者ですが、誘われるとなんでもホイホイ付いていっちゃう性格なので、今回ベトナム寺で法衣着てベトナム語のお経を読むことで念仏デビューと相成りました。

何時間読んだか分からないNam Mô Bổn Sư Thích Ca Mâu Ni Phật (南無本師釈迦牟尼仏)

念仏会は9:00~19:00まで、途中休憩をはさみつつ10時間続きました。何時間もお経を読み続けるというのはなかなか体力を使うもので、初めて参加する身としては、けっこう過酷です。
この念仏会は毎週日曜に開催されており、信徒全員が毎週来ている訳ではありませんが、それでも会で知り合った若い女の子ですら、月に一回は来ていると言っていました。
自分は今まで仏教徒のつもりで生きてきましたが、お寺に来てる他のベトナム人信徒と比べると、墓参りと葬式でしかお寺と接点が無い僕なんか、仏教徒と名乗るのが恥ずかしいレベルですわ。
しっかし、このお寺で出される精進料理は全部美味しいです。年配の人が多かったので、余ったおこわを僕が全部平らげましたが、そのせいで午後が眠くてたまりませんでした。
  


2018年11月01日

アオヤイドール

数年前、たまたま立ち寄ったリサイクルショップでベトナム土産らしきアオザイ(南部発音ではアオヤイ)姿の女性の人形を見つけました。僕は本来こういうグッズは集めていないのですが、この時はつい買ってしまいました。だって値段がたったの50円だったので。

お土産品にしては、なにげにノンラー(笠)の構造が凝ってて面白いのですが、見ての通りお顔がいまいち。センスが古臭い。
なので、どうせタダ同然で手に入れた物なので、頭だけ1/6ドールのものに付け替える事にしました。
こうして1/6ドールの女性ヘッドをネットや秋葉原で探してみたのですが、気に入ったものはどれも最低でも4000円以上しました。
「本体が50円なのに頭に4000円出すのか・・・。なんか悔しいな」と思ってしまい、そういった出来の良いヘッドを買う気にはなれず、結局それから数年間放置していました。

ところが先日、実家を掃除していた際に、昔僕の弟がゲーセンのUFOキャッチャーで取ってきたアニメキャラのフィギュアが見つかり、その頭部の大きさがあのアオザイドールとほぼ同じくらいだったので、これを使っちゃうことにしました。
フィギュアの頭部をバラシてみると、顔の部分は案外小さかったので、頭部そのものを付け替えるのではなく、ドール側の頭部から顔面部分を切り取り、顔だけ付け替える事にしました。こうする事で元からあった化繊の黒髪もそのまま生かせます。
人形とは言え頭部から顔面を剥ぎ取る作業はなかなかグロいものがあるので、作業途中の写真は飛ばします。作業と言っても空洞になった頭部にエポキシパテを詰めてフィギュアの顔面を埋め込んだだけですし。

こうして完成したのがこちら。

うん、だいぶ見れるようになりましたね。完成度を上げるのであれば、いかにも安っぽい手の部分を直すとか色々加工すべき点はありますが、もとからそんなに手間をかける気は無かったので、これで終わりにします。


そう言えば2年前に初めてベトナムを訪れた時は、サイゴンでアイヤイねーちゃん拝むのを楽しみにしてたんです。
こんな感じのを期待して。



でも実際行ってみたら、タンソンニュット出た瞬間からず~とこんなのばっか。


ちょうど夏休みの時期だったので学生すらアオヤイ着ていません。
結局10日間の滞在期間中、アオヤイを目撃したのは空港内のベトナム航空のスタッフだけでした。かぁ~!夢がないね。
言うなれば、外国人が京都観光に行って、芸妓も舞妓も見れずに旅が終わるようなもの。


ちなみにベトナムの民族衣装としてよく知られているアオザイ(アオヤイ)ですが、ベトナム人の中には現代のアオザイは西洋のデザインを取り入れ1930年代にデザインし直されたものであり「ベトナムの民族衣装」ではないと考える向きもあります。
一方そうした声に対しアオザイ研究者からは、1930年代に登場したデザインは現代のアオザイとはかけ離れた西洋風ドレスであり、そうした前衛的なデザインはとうに廃れており、現代のアオザイはむしろ伝統的な姿に回帰しているとする指摘もあるなど、ベトナム人自身の中でも認識は分かれているようです。
ベトナムの民族衣装の歴史について書き出すと長くなるので、これについてはまた改めて記事にしたいと思います。
  


Posted by 森泉大河 at 18:47Comments(0)【ベトナムの文化】

2018年08月30日

サマーキャンプ

日本在住ベトナム人協会サマーキャンプ2018

 先日、日本在住ベトナム人協会主催のサマーキャンプに参加してきました。今年のキャンプにはテレサ・チャン・キウ・ゴック氏とナンシー・ハン・ヴィ・グエン氏が特別ゲストとして参加し、日本に住む大勢の若いベトナム人たちと議論会をおこないました。一番槍の姉妹ブログ[ベトナムウゥッチ]に、その討論の要約を日本語で記してあります。私はこのお二方とお話しする事が出来てとても光栄です。彼女たちが持つ祖国ベトナムと国民への愛情、思いやりは、必ずや善良な人々の心に届くものと信じています。

またキャンプではリクリエーションとして、口にくわえたスプーン同士でビー玉を渡してリレーし、かつ水鉄砲で紙の的を破くという、けっこう難易度の高い競争をしました。


実は私はナンシーさんと同じチームだったので、ずっとナンシーさんにビー玉を渡す役でした。まさかあんな有名人とこんなに顔面近付けて遊ぶことになるとはね。けっこう本気で照れちゃいました(笑) 下の写真のピンク色の服着ているのがナンシーさんで、黒いのが私。

 

バーベキューでは日本各地に住んでいる、初めてお会いする方々ともお話しする事ができて良かったです。


キャンプファイヤーでは皆で輪になって踊りました。


この時私は酒が入っていたので、ボビナム(ベトナム格闘技)やってる友達に酔拳で戦いを挑み、何度も投げ飛ばされたので服が泥だらけになりました。また来年も参加したいと思います。



ニュース:ヴェト・ルォン少将、在日米陸軍司令官に就任

 当ブログでは旧ベトナム共和国出身のベトナム系アメリカ軍人ヴェト・ルォン(ベトナム名 ルゥン・スァン・ヴェト)少将が2014年に、アメリカ陸軍第1騎兵師団副師団長に就任した事をお伝えしましたが、この度ルォン少将は在日米陸軍(USARJ)司令官に任命され、2018年8月28日に神奈川県のキャンプ座間米陸軍基地にて司令官交代式が執り行われました。ベトナム系初の米軍将官であるがルォン少将が、北朝鮮とも近い≪実戦的な≫在日米軍の陸軍司令官に任命されたニュースは、世界のベトナム移民系メディアで大きく取り上げられています。


動画: U.S. Army in Japan / Facebook


過去記事にも載せていますが、改めてルォン少将の経歴を記します。

ヴェト・ルォン氏は1965年、ベトナム共和国ビエンホア生まれ。
彼の父はベトナム共和国海兵隊(TQLC)第6海兵大隊『聖鳥』大隊本部所属のルン・スァン・デュウン少佐で、1972年の"クアンチの戦い"ではベトナム戦争で最大の対戦車戦闘を指揮し、多大な戦果を挙げた人物でした。

ン・スァン・デュウン ベトナム海兵隊少佐

デュウン少佐と子供達(左端がヴェト・ルォン)

しかし1975年、敗戦に伴いルン一家はサイゴンからの脱出を余儀なくされ、政治難民としてアメリカに移住します。この時、ヴェト・ルォンは9歳でした。
カリフォルニア州マウンテンビューで成長したルォン氏は、父の影響で軍人を志し、勉学に勤しみます。
そして南カリフォルニア大学(USC)で生物学の学士号を取得後、同大学院で軍事科学の修士号を取得。1987年、アメリカ陸軍歩兵中尉に任官しました。

【ルォン少将の軍歴】

第8歩兵連隊第1大隊/小銃小隊長・対戦車小隊長・副中隊長・大隊管理将校 〔コロラド州フォート・カーソン〕
第82空挺師団第325空挺歩兵連隊第2大隊/大隊S-3(作戦参謀)補佐・A中隊長 〔ノースカロライナ州フォート・ブラッグ〕
Theater Quick即応部隊/指揮官 〔ハイチ〕
JATC(統合即応訓練センター)/総監部員 〔ルイジアナ州フォート・ポーク〕
陸軍指揮幕僚大学/参謀教育受講 〔カンザス州レブンワース〕
SETAF (南欧タスクフォース)/SETAF G-3(作戦参謀)主任参謀 〔イタリア ヴェニツィア〕
第173空挺旅団第508空挺歩兵連隊第1大隊/副大隊長 〔コソボおよびボスニア・ヘルツェゴビナ〕
JTF North (北部統合タスクフォース)/計画参謀・国土安全保障省訓練開発部門主任 〔テキサス州フォート・ブリス〕
第82空挺師団第3旅団戦闘団第505空挺歩兵連隊第2大隊/大隊長 〔イラク〕
第101空挺師団第3旅団戦闘団第187歩兵連隊/連隊長 〔アフガニスタン〕
スタンフォード大学/国家安全保障研究員 〔カリフォルニア州スタンフォード〕
統合参謀本部J5(戦略計画・政策)パキスタン・アフガニスタン調整部/副部長 〔ワシントンDC〕
第1騎兵師団/副師団長 〔テキサス州フォート・フッド〕
在日米陸軍/司令官(現職) 〔日本キャンプ座間〕