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2017年11月21日

いろんなTAP47

先日撮影会を行った際に、TAP47系ジャケットを着て集合写真を撮る事が出来ました。


左から
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品)
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品・染色加工)
実物 パステルリーフTAP47
実物 TAP47/53
WPG製リプロ TAP47/52(現行品)

僕は当日メダルを忘れてしまい、さらに持参した白靴紐のジャンプブーツに履き替えるタイミングも逃してしまったので、礼装状態ではありません。また改めてフルメダルのパレード装をやりたいと思います。


 Tenue de saut Mle 1947、通称『TAP47降下服』とは、フランス軍が1947年に採用した戦闘服の一種で、落下傘降下時の防風・防寒を目的とした空挺部隊(TAP)向け被服です。折しも当時は第一次インドシナ戦争が激化の一途を辿っており、TAP47降下服はインドシナに派遣されたフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に使用されます。そしてその後もTAP47は改良を重ねながらアルジェリア戦争期まで使用されていました。
 また第一次インドシナ戦争中にフランス植民地軍内に組織され、後にそれぞれの国軍となったインドシナ諸国の空挺部隊もフランス軍からこのTAP47系降下服を供与されており、それらの国々では1956年にフランス軍がインドシナ半島から完全撤退した後も、TAP47という服はエリート部隊の証と見做され、1970年代まで空挺部隊の伝統を表す正装として扱われていました。この記事では特にベトナム軍で使用された各種TAP47系降下服をご紹介します。




<フランス軍TAP47>
インドシナ諸国で使用されたTAP47はフランス連合時代にフランス軍から供与されたものがでした。

TAP47 (カーキ)

最初期のTAP47にはリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在し、その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1951年]


TAP47/52

TAP47/52はTAP47の1952年改良型で、1953~1954年までベトナム国軍空挺部隊に供与され、ディエンビエンフーの戦いなど数々の激戦で用いられた、TAP47シリーズの中でも最も多く戦闘に用いられたタイプです。第一インドシナ戦争終結後も、1960年代初頭までTAP47/52は空挺部隊で実用される降下用被服でしたが、後に作戦服はブラッドケーキ迷彩服等に切り替わっていったため、以後TAP47/52(主にジャケット)は礼装として珍重されるようになります。
[画像: ベトナム陸軍特殊部隊, 1960年代後半~1970年代前半]


TAP47/53

TAP47/53はTAP47の1953年改良型で、第一インドシナ戦争中に採用されたものの、フランスで生産されたこの服が実際にインドシナに到着したのは終戦間際の1954年前半であり、本格的に前線部隊への支給が始まったのは第一インドシナ戦争終結後と考えられています。戦後に支給されたため47/52と比べると戦闘による消耗は少なく、1960年代以降はこの47/53が礼装として多く用いられるようになります。なお上の写真のように上下揃いで着用されるのは部隊単位で在庫していたまたは購入した場合のみで、個人の場合は上下揃いで買う者は少なく、多くの場合着用されるのはジャケットのみでした。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1967年11月1日国慶日]


<非正規TAP47>

 1960年代に第二次インドシナ戦争が激化すると、需要と反比例してフランス製のTAP47シリーズの在庫は枯渇していったため、特にベトナム共和国軍では当時国内存在していた各種迷彩生地を使ったTAP47と同型の非正規な服が、パレード用の礼装や晴れ着として、部隊単位あるいは個人的に製作されるようになりました。

イギリス軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩生地
ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩は元々、第二次大戦中にイギリス軍が開発した空挺部隊の降下スモックに用いられていた生地で、第一次インドシナ戦争期にイギリスがフランス軍に供与し、さらにその後フランス軍によってベトナム軍にも供与されました。こうした経緯から、1960年代初頭にはウィンドプルーフ迷彩を基にしたブラッドケーキ迷彩がベトナム軍によって新たに開発されます。ただしウィンドプルーフ迷彩の被服は通常、イギリス軍と同型のスモックや、同じ生地を使用したパンツであり、写真のTAP47型は個人的にオーダーメイドされたと思われる非常に稀な例です。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代後半]


ベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩生地
ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩は、フランス軍のTAP47(および同じ生地のTTA47)のリザード迷彩を基にベトナム海兵隊が1950年代末に開発した迷彩です。ただし海兵隊は空挺部隊を保有していない為、実戦で降下服を着用する事はなく、写真のTAP47型は純粋にパレード用の礼装として極わずかに制作された物と考えられます。
[画像: ベトナム海兵隊海兵旅団, 1966年6月19日国軍の日]


民間ERDL(インビジブルリーフ)迷彩生地
ERDLパターンは元々、1948年に米陸軍ナティック研究所で開発されたものの、米軍での採用は長年見送られており、軍よりも先に民間のハンター用迷彩服として出回った迷彩でした。ベトナム軍は1965頃にこのERDL(インビジブル)迷彩を作戦服の迷彩として採用し、1967年頃まで支給しました。このTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1966年?]


アメリカ軍ERDL(グリーンリーフ)迷彩生地
1967年にアメリカ軍がついにTCU(熱帯戦闘服)用迷彩として改良型ERDL(グリーンリーフ)迷彩を採用すると、ベトナム軍の標準迷彩もインビジブルからグリーンリーフに切り替わり、以後70年代初頭までグリーンリーフ迷彩の作戦服が支給されました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: トナム陸軍空挺師団および海兵隊, 1967~1969年頃]


ベトナム軍ERDLレンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩生地
レンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩はアメリカ軍のERDL迷彩を基にしたベトナム国産の迷彩で、1968年頃から支給が始まり、1970年代に入るとグリーンリーフにとって代わってベトナム軍の標準迷彩となりました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代末~70年代前半]


フランス軍リザード迷彩ポンチョ生地
上記のようにベトナム国産のTAP47系降下服には様々な迷彩生地が用いられたものの、将兵の間で最もステータスとされたのはやはりオリジナルのフランス製(リザード迷彩)でした。しかしフランス連合脱退から20年近く経過し、オリジナルは入手困難であったことから、中には迷彩服ではなく、フランス軍の迷彩ポンチョを改造してまでリザード迷彩にこだわる士官もいた事が写真から伺えます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団衛生大隊主任軍医チャン・ドゥック・トゥオン博士, 1970年代前半]


上記以外にも、聞くこところによるとフランス製TAP47の欠乏に伴いベトナム軍が韓国に発注して作らせたという韓国製リザード迷彩や、ベトナム国家警察ナショナルポリス(クラウド)迷彩のTAP47系降下服まで存在したそうなのですが、残念ながらそれと確認できる当時の写真を僕はまだ見付けられていません。


<おまけ>

今回記事を書くにあたってTAP47系の着用例を見直していたところ、非常に気になる写真を見つけてしまいました。

 
撮影時期は不詳なのですが、クーデターによって1963年11月2日に暗殺されるゴ・ディン・ジエム総統が映っている事から、確実にそれ以前の写真です。
手前の兵士はTAP47系の降下服を着ていますが、問題は服ではなくその袖に付いている部隊章です。服装から部隊は空挺旅団である事は間違いないと思うのですが、その部隊章が、どうも当時空挺旅団で使われていたと考えられているタイプ(下向きの鷲)には見えないのです。むしろ、どちらかと言うと、1964年後半以降(※)に見られる新型(白頭鷲)に見えます。かなり不鮮明なのですが、拡大して見比べてみるとこうなります。

※新型が使われたのは、一般的には空挺旅団が師団に昇格した1965年12月末(実質的に1966年)以降とされていますが、実際には1964年中から使用されていた事を以前記事にしました。過去記事撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』参照
 
もしこれが新型であったらなら、これまで一般に1965年12月と書かれ、僕自身も1964年中だと思っていた採用時期は、さらに遡って1963年以前という事になります。これはすごい発見かも知れません。しかしこの画像だけでは確かな事は言えないので、さらに当時の写真を調べて行こうと思います。
  


2017年11月07日

ベトナム製リプロの憂鬱

 前回の記事『2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服』で紹介したベトナム製リプロにもうひと手間かけてディテールアップ、と言うか悪あがき。
 前回、この服は肩部分は迷彩服型のように肩当とエポレットの両方を備えており、カーキ作戦服としては不自然と書きましたが、変な部分はそれだけではありません。本来、2ポケット作戦服は首元まで襟を閉じられるよう第1ボタンとボタンホールが備わっているのですが、このリプロにはそれがありません。1970年代に普及する4ポケット作戦服からは第1ボタンが省略されるようになりますが、2ポケットはどのタイプでも必ずと言っていいほど第1ボタンを備えています。なので昨日、自分で穴かがり所(ボタンホール加工専門業者)にこの服を持ち込み持ち込み、ボタンホールを作ってもらいました。単発だと工賃は結構高くて、一カ所開けただけなのに540円しました。
 しかし、ボタンホールは単に加工すれば簡単に解決できる事なので大した問題ではありません。この服の本当の恐ろしさは下の写真の中に隠されています・・・。

おわかりいただけただろうか・・・・・・。

 そう、第2ボタン以降、前合わせのボタンホールが4つ全て縦に開けられているのだ・・・。これはベトナムで買った時点で最初からこうなっていました。無駄に肩当・エポレット付けてそれっぽい雰囲気出そうとしてるくせに、なんでこの部分を間違える・・・。
 なので当初は前合わせの生地の端を内側に織り込んで縦ボタンホールを隠し、新たに横穴を4つ開けようと考えていましたが、いざ工程を考えてみると、前合わせは襟の形に直結する部分なので、下手にいじれないという事が分かり、結局その案は断念せざるを得ませんでした。
 したがって第1ボタンを追加するにあたっては、ボタンホールの向きを正しい横向きにするか、他の穴に合わせて縦にするか悩みました。第1ボタンも縦にしてしまえば、一つだけ向きが違うという違和感は無いですが、襟はボタンホールが一番目立つところなので、そこが縦なのは恥ずかし過ぎます。結局、第2~第4ボタンは、ボタンを閉じてしまえば穴の向きなんてあまり見えよね!と自分に言い聞かせて、第1ボタンは横穴にしました。不本意ですが、僕にはこれ以上の改修は無理です・・・。

 ちなみに過去に何度か記事に載せている、このベトナム製実物パステルリーフ生地リプロ(生地は当時物だけど縫われたのは近年)も全く同じ状態でした。2ポケットなのに第1ボタン無し。前合わせボタンホールは縦穴・・・。せっかく実物生地なのにこれは残念過ぎます。もったいない・・・。


 今気付いたのですが、この服も一緒にボタンホール開けてもらえばよかったです。すっかり忘れてました。また近いうち穴かがり所に持ち込みます。

 なんで本国製のリプロがこんなにいい加減なんじゃい!と憤りを覚えます。恐らくこれらのリプロは外国のマニアや業者がベトナムの洋裁屋に発注して作らせたものですが、その際服の仕様のに指示が上手く伝わらなかった、あるいはそもそも発注する側に知識がなかったのだと思います。当然ですが、いくらベトナムであっても、その辺の町の洋裁屋さんが3・40年前に消えた旧政権の軍服について詳しい知識を持っている訳が無く、単に注文された通りに作っただだけのはずです。またその後、「こういう服は外国のマニアに高く売れる」と気付いたベトナムの業者が、先に生産した=誤った仕様の服をそのまま同じ形で作り続けた為に、このような粗悪なリプロが出回っているのだろうと推測しています。
 これはパッチについても言える事で、一度マニアがベトナムにレプリカパッチを発注すると、その後同じものが大量に出回るという現象が20年以上前から続いています。ただし、近年はナム戦マニア人口の減少によって正しい知識を持った客が少なくなってきたためか、レプリカを作る側もどんどんいい加減になり、最近ベトナム国内で作られているレプリカパッチの多くは、もはやレプリカとも言えない劣化版?お土産品?ばかりになってしまいました。これからは過去に作られた良質なレプリカパッチの値段が上がっていくかもしれませんね・・・。いや、マニア人口が減って需要が無くなるから、そうでもないか。


おまけ

なかなかしっくりくる色合いにならず、3回目の塗り直し中。塗料代えらい使ってます。
完成したら改めて記事にします。



ベトナム軍ごっこに季節は関係ない。
ベトナムやラオスでも高地なら気温は10℃くらいまで下がるし、草木も茶色くなる。


雪が降ったらアメリカ研修ごっこすればいい。


まだ冬服そろってないけど。
  


2017年11月03日

2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服

2ポケット作戦服の裁断について

改修について語る前に、まずベトナム共和国軍の作戦服の裁断についておさらいです。
ベトナム共和国軍は1950年代末まで、フランス連合時代に供与されたTTA Mle47系戦闘服を主に使用していましたが、1955年のフランス連合脱退によってフランスによる軍事援助が終了したため、TTA47系の在庫は減っていく一方でした。
そこでベトナム海兵隊(TQLC)は、独自に開発したザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服用の裁断として、TTA47が持つエポレット・肩当のデザインを残しつつも、新たな同盟国アメリカのユーティリティユニフォームの意匠から貼り付けポケットシャツ・パンツのデザインを取り入れた新たな戦闘服を1950年代末に採用します。

1960年以降は、この海兵隊作戦服から派生した各種2ポケット裁断が一般部隊向けのカーキ作戦服(Quân phục Tác chiến Khaki)の裁断としても採用され、以後1975年の終戦まで、ベトナム共和国軍の標準的な作戦服として15年以上に渡って使用されていきます。
2ポケット作戦服にはポケットの形状や袖丈・肘当て・ペンポケット・袖ボタンの有無など、細かく見ると数えきれないくらいのバリエーションがありますが、一番分かり易い肩部分の構造に絞って分類すると、大きく分けて肩当型・迷彩服型・エポレット型・簡略型の4種類の裁断がありました。
※この名称は僕が名付けたもので、一般的なマニア間での呼び方ではありません。

・肩当型

1950年代末にベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服に採用した裁断で、肩に肩当のみを持つタイプです。1960年代初頭からは一般部隊向けのカーキ作戦服の裁断としても採用され、こちらは以後1960年代末まで全軍で広く用いられました。なお、日本ではこの裁断は迷彩服型と共にM59と呼ばれてきましたが、この裁断は1958年製が確認されており、M59という呼び方は不適切だと思います。


・迷彩服型
肩当型に加えてエポレットも備えたタイプで、1960年代初頭から各種迷彩服の裁断として用いられ、1975年まで製造が続いた、エリート部隊を象徴する裁断です。一般部隊向けのカーキ作戦服にはほとんど用いられません。こちらも日本では長年M59と呼ばれてきましたが、1959年採用ではないので、M59という呼び方は不適切だと思います。



・エポレット型
肩にエポレットのみを備えたタイプで、こちらも1960年代初頭から海兵隊ザーコップ迷彩作戦服の裁断として一部で用いられました。また同時にカーキ作戦服の裁断としても採用され、以後1975年までカーキ作戦服や各種迷彩服のバリエーションとして使用例が見られます。


・簡略型
エポレットと肩当の両方を省略したタイプで、カーキ作戦服の代表的な裁断です。肩当タイプと並行して1960年代初頭から支給が開始され、以後1975年の終戦まで約15年間に渡ってベトナム共和国軍の最もスタンダードな作戦服として用いられました。また稀に迷彩服に用いられる事もあります。

[2017年11月5日追記]

また、パンツにも膝当て、カーゴポケット、貼り付けポケット等に様々なバリエーションがありますが、今回は割愛します。



戦後ベトナム製リプロをエポレット型化

昨年ベトナムに行った際、このようなベトナム共和国軍カーキ作戦服の戦後製リプロを買ってきました。使われているボタンは、ベトナム共和国軍用の実物金型をそのまま使用して戦後ベトナム人民軍の軍服用に再生産されたと思われる物で、本物と瓜二つです。


しかし上着の裁断に不満があるので自分好みに改修する事にしました。
まず、この服は肩にエポレットと肩当布の両方を備える迷彩服型の裁断ですが、カーキ作戦服にこの裁断が用いられている例はほとんど無いので、迷彩服型以外の裁断に改修する必要があります。なので今回は肩当を取り払って、エポレット型に改修してみました。一度肩口の上半分を外して肩当を取り、再度エポレットと肩口を繋げます。



ミシン跡は残るけど、生地は新品なので色違いにはならないし、何度か洗濯すれば縫い跡も目立たなくなるので大丈夫さきっと。
あと、胴体がやたら太かったので、脇から下を18cmほど詰めてスリム化しました。

残念ながら脇の辺りは立体構造なので素人には難しいく、シワになってしまいました。着てしまえば分かりませんが。
ベトナム共和国軍コスプレを始めて14年目にしてようやく気付いたのですが、実はベトナム兵を演じるにあたってスリム化すべきはパンツではなく、ジャケットである気がしてきました。確かに当時のベトナム兵の間ではパンツを細く改造する事が流行っていたようですが、それを私のような典型的な胴長短足体形の人間が真似しても、ただ足がムチムチになるだけでちっともカッコ良くありません。当時のベトナム兵はとにかく足が長くて顔が小さいモデル体型が多かったので、細いパンツも似合っていたのです。ですから、私のような体形でも足を長く見せるためには、パンツはあまり細くせず、代わりに上着を細くして上半身を小さく見せるのが一番良いと考えるようになりました。


クラッシファイド製リプロを簡略型化


こちらは友人の依頼で、肩当型を忠実に再現しているクラッシファイド製リプロから、肩当を外して簡略型にする改造を施したものです。こちらもベトナム製リプロと同様に、肩口の上半分の糸を外して肩当を取り外し、再度肩口を縫い直しています。こうする事で、肩当型の使用例が少ない1970年代の設定でも使えるようになります。
ただし、この改造は色落ちしていない新品の生地でないと、肩当を外した部分だけ色が変わってしまい恥ずかしい感じになるので、お勧めできません。やる場合は新品を購入しましょう。それだけの価値はあります。クオリティも上のベトナム製よりクラッシファイド製の方がずっと良いです。http://www.mil-classified.jp/SHOP/A-1-010-01.html

また各種裁断のカーキ作戦服はベトナム陸海空軍・地方軍・国家警察はもちろん、

CIDG(CSFおよびマイクフォース)や

PRU(米CIA指揮下)、

NKT(米MACV-SOG指揮下)、

LĐNN(米海軍SEAL出向)

といった特殊部隊にも大々的に支給されていました。
なので僕はそれぞれの部隊設定が出来るよう、カーキ作戦服をあと7着くらい欲しいです。
(パンツは7本も要らないので、できれば上着だけ売って欲しいんですけど(笑))



  


2017年09月30日

最近やった縫物

ひとまず完成したもの

◆ベトナム陸軍空挺旅団(1962-1964年頃)


◆ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生(1967-1975年頃)


◆ベトナム共和国軍ヴァンキェップ訓練センター 教導士官(1967-1975年頃)


まだ作成中

◆ベトナム国家警察 第222野戦警察群 第611野戦警察中隊"白虎" (1967-1975年頃)
本当はネームテープはプリントではなく刺繍が正解なので、いずれ作り直します。


◆ベトナム陸軍第3軍団マイクフォース (1966-1968年頃)
やる気が出たらボタン取り替えます。


◆ベトナム陸軍第5マイクフォース (1966-1968年頃)
既存の第5マイクフォースパッチのリプロは、上側にMIKE FORCE / AIRBORNEタブが予め組み合わさってるもの(画像左)しか出ていないようです。しかし当時の写真をよく見てみると、このタイプはMSF付きのアメリカ兵が左胸ポケットに付けているのは見ますが、ベトナム兵はどちらかと言うと上側にタブが無いタイプのパッチにAIRBORNEタブのみを後付けしている(画像右)事が多い気がしています。

 
なので、そのタブ無し(かつ上側が丸くなっている)タイプが、どうにか手に入らないかな~と探し中です。別にタブ付きタイプでも間違いではないのですが、思い入れのある部隊なので、どうせならそこも拘りたいんです。それに当時はパッチ付けてない兵隊も多く居ましたから、良いパッチが見つかるまでは無理して付ける事ないかと思ってます。


◆ラオス軍モン族第21機動群 (1970-1975年頃)
当時の兵隊が野戦服に徽章つけてるのあまり見ないので、、これで完成としちゃっても良いんですが、この上あえて付けるとしたら落下傘降下資格章とネームテープくらいかな。作ろうと思えばいつでも作れるので、気が向いた時にでも進めていきます。


次作ろうとしている服

◆迷彩じゃないマイクフォース (1968-1970年頃)

ベトナマイゼーションに伴い1968年に米国のCIDG計画が終了すると、マイクフォースを含む全CIDG部隊の指揮権は正式に米軍からベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)に移管されます。それまでCIDG部隊の被服・装備品の多くはCIAの予算で調達されたMDAPやCISOによる非正規装備品(タイガーストライプなど)が支給されていましたが、この移管によってそれらの支給は終わり、以後CIDG部隊にはベトナム軍2ポケ作戦服や米軍TCUなど越米軍の迷彩ではない正式な被服が支給されていく事になります。(※)
またこの際、それまでCSFおよびMSF(マイクフォース)の部隊章は部隊ごとにバラバラだった事から、それぞれCSF共通(画像左)、MSF共通(画像右)の新デザインが採用されます。

 

※ただしLLĐB移管から2年弱経った1970年にはLLĐBが解散し、CSFはベトナム陸軍BĐQ(レンジャー科)へ、MSFはNKT(越境特殊部隊)へと編入されて、それぞれの編入先でベトナム軍制式の迷彩服を支給されます。


◆ラオス陸軍モン族SGU (1960-1970年頃)

ベレー(ラオス陸軍一般兵科ベレー)入手済み。被服はベトナム軍ので代用。


あとはパッチのみ。
  


2017年09月26日

撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン

撮影会後半は、これまた念願の空挺旅団。翌年よりベトナムの新たな国慶節として記念された、1963年11月1日の出来事のワンシーンを再現。


革命軍のご飯タイム




赤帽の天使たち




おまけ: 空挺旅団部隊章の謎


ベトナム戦争だけで13回、第一次インドシナ戦争期を含めると50回以上の空挺降下作戦を行った20世紀を代表する空挺部隊の一つであるベトナム陸軍空挺科部隊ですが、その部隊章は1954年の空挺群創設から1975年の敗戦までに二度の変更がありました。
まず空挺科としての部隊章が最初に制定されたのは、それまでフランス軍の指揮下にあったベトナム国軍空挺大隊で構成されたフランス連合軍部隊『GAP3』が、フランスの撤退に伴い正式にベトナム国軍の指揮系統に統合され、『空挺群(Liên Đoàn Nhẩy Dù)』として再編された1954年5月1日でした。この時制定された空挺群の部隊章は、『赤地にペガサス』というデザインです。

  

その後、空挺群は規模拡大と陸軍の大規模再編に伴い、1959年10月26日に『空挺旅団(Lữ Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この際、一度目の部隊章の変更が行われ、『白いパラーシュートに青緑色の鷲』がデザインされたものが空挺旅団の部隊章として採用されました。

 
※2枚目の写真はモノクロ写真に後から着色されたものなのでパッチの配色は正しくない

このように、一度目の変更は空挺科部隊が群(Liên Đoàn)から旅団(Lữ Đoàn)へと昇格した際に行われたのでタイミングとしては分かり易いのですが、次の二度目の変更は少し不可解なのです。
旅団昇格から6年後の1965年12月31日、空挺旅団はついに『空挺師団(Sư Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この空挺師団では『青いパラシュートに白頭鷲』という新しいデザインの部隊章が1975年の終戦まで使われていきました。空挺科ベテラン公式サイトでも、この三代目の部隊章は空挺師団のものとして紹介されています。

しかし当時の写真をよく見てみると、実際には新デザインの部隊章は師団に昇格する1年以上前から空挺旅団の部隊章として使われている事が分かります。まだ正確な時期は把握していませんが、遅くとも1964年11月までには、新しいデザインに変更されていたのです。また同時に、空挺科の兵科章『天使の翼章』(※後述)をデザインした胸章も採用され、以後左袖の部隊章と左胸の胸章はセットで服に縫い付けられるようになります。
この1964年中に行われた二度目の変更については、一度目の時のように部隊の編成が大幅に変わったという事もなく、どのような理由で部隊章の変更と胸章の採用が行われたかについては、未だ把握できていません。

 
▲写真二枚: 1964年11月30日サイゴンで発生した反政府デモを鎮圧する空挺旅団兵士
新デザインの部隊章と胸章が確認できます。


【天使の翼について】


剣を握る大天使ミカエルをモチーフにした天使のは、元々1946年にフランス軍空挺部隊のベレー章として採用されたデザインで、フランス植民地軍から発展したベトナム陸軍空挺部隊も1955年までフランス軍と同じベレー帽およびベレー章を使用していました。またベトナムがフランス連合から脱退した後も、ベトナム陸軍空挺科はフランス連合時代の伝統と栄光を受け継いで天使ののデザインを空挺科の兵科章『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)』として採用します。
なお、天使の翼章は、英語では"Parachutist Jump Status Indicator (降下資格章)"と呼ばれますが、実際には落下傘降下資格を示す徽章は軍服の右胸ポケット上に佩用する他の金属または布製バッジ(Bằng nhảy dù)であり、また天使の翼は(兵科章なので当然)空挺科以外の部隊では一切使用されないため、Jump Statusという英語名は不適切だと思います。
  


2017年09月21日

撮影会①士官候補生 夏季準礼服あわせ

ついに、念願だったトゥドゥック歩兵学校の夏季準礼服を着て写真を撮れました。




最初に集め始めてから何年経っただろう。ようやく、しかも最高のロケーションで着ることができました。
懸念されていたパンツも、ダイエットの甲斐あってギリギリ履くことが出来ました。頑張って良かった

さらに、空軍士官候補生とのツーショットまで実現!!




兄弟(僕が兄)という設定で家族写真とかも撮りましたが、実は歩兵学校は陸軍限定ではなく三軍統合の予備士官学校です。
士官候補生はまず、ダラット国立軍事アカデミーやトゥドゥック歩兵学校、ドンジェ軍学校などの三軍統合の士官学校を卒業後、さらに陸軍の各兵科学校や空軍訓練センター、海軍訓練センターに進み、そこでの専門的な教育を経て各ブランチの士官に任官するというのが当時のベトナム共和国軍における士官養成システムでした。
そのため、すでに空軍士官候補生になっている、つまり三軍統合の士官過程(一般士官過程(4年)または予備士官過程(9か月))を修了して空軍で訓練中の弟の方が、軍では先輩という事になります。
たぶん兄貴は第一バカロレア(フランス式の高卒・大学入試資格試験)に落ちたので、浪人・再受験して歩兵学校に入ったんだと思います(笑)  


2017年09月13日

TTHL/QGインストラクターのヘルメット

今度は新潟に1週間出張中なので、ネットカフェで記事書いてます。

近々、ベトナム共和国軍リエナクトメント兼撮影会兼勉強会として、基本教練会を友人たちと行う予定です。シチュエーションとては、1960年代末から1970年代前半の国立訓練センター(Trung Tâm Huấn Luyện Quốc Gia (TTHL/QG))の新兵教育を想定しています。TTHL/QGは全国に少なくとも10か所*設置されていたベトナム共和国軍の訓練センターで、兵卒から士官候補生まで、陸海空軍・海兵隊・地方軍・義勇軍を含む、共和国軍に入隊した全ての者が最初に基本教育を受ける場所です。
僕が今現在把握しているTTHL/QGは以下の通りです。

【第1戦術地区/軍管区】
ドンダ国訓練センター (TTHL/QG/Đống Đa)
フアケム国訓練センター (TTHL/QG/Hòa Cầm)

【第2戦術地区/軍管区】
ラムソン国訓練センター (TTHL/QG/Lam Sơn)
フーキャット国訓練センター (TTHL/QG/Phù Cát)
プレイク/トュルンション国訓練センター (TTHL/QG/Pleiku / Trường Sơn)

【第3戦術地区/軍管区】
クアンチュン国訓練センター (TTHL/QG/Quang Trung)
ヴァンキェップ国訓練センター (TTHL/QG/Vạn Kiếp)
ソンマオ国訓練センター (TTHL/QG/Sông Mao) ※2017年9月24日追記

【第4戦術地区/軍管区】
チーラン国訓練センター (TTHL/QG/Chi Lăng)
カオラン国訓練センター (TTHL/QG/Cao Lãnh)

▲ベトナム共和国軍の教育機関の部隊章

教練会開催の言い出しっぺの僕は今回、インストラクター役を務めることとなったので、TTHL/QGにおける教練を再現するにあたり、教練内容に加えてインストラクターとしての衣装もちゃんと用意しなくてはと思い、当時の写真を整理・分析してみました。またそれに当たって、複数の共和国軍ベテランの方々から貴重な情報を提供していただけましたので、この場を借りて御礼申し上げます。

まず、TTHL/QGのインストラクターには、大きく分けて『教導』と『訓練』の2種類の職種があり、それぞれに士官(教官・主に尉官)と下士官(助教・軍曹・曹長クラス)が存在します。教導と訓練の違いについては、ある程度想像はできますが、まだはっきりとは言えないので今後の課題としていきます。

次に、彼らが訓練時に被るヘルメットライナーには、担当する訓練に応じてその役職名がペイントされており、多くの場合一目でそのインストラクターが士官なのか下士官なのか、何の訓練を担当しているかが分かるようになっていました。ただし後述するように、そのペイントは完全に統一されていた訳ではなく、訓練センターそれぞれや、時代によっても変わってくるため多数のパターンが見られ、僕もそれを完全に把握するまでには至っていません。


教導士官および教導下士官
(Sĩ Quan Hướng dẫn / Hạ Sĩ Quan Hướng dẫn)
ヘルメットライナーの正面に担当する訓練名(略語)が赤字で書かれ、全周に白と水色のライン(士官は上下、下士官は下のみ水色)がペイントされています。側面には何も描かれません。訓練センターで最も多く目にするパターンです。

【訓練名】

武器 Vũ Khí (VK): 射撃や整備など基本的な武器の取り扱いを担当

戦術 Chiến Thuật (CT): 障害物走や行軍、戦闘行動など戦闘訓練を担当

体育 Thể Dục (TD): 体力錬成を担当

総括 Tổng Quát (TQ) : 訓練全体を統括



訓練士官および訓練下士官
(Sĩ Quan Huấn luyện / Hạ Sĩ Quan Huấn luyện)
ヘルメット正面に階級章がペイントされ、両側面には担当訓練と訓練センター名が略語で記されます。各センターによってラインのデザインが大きく異なります。

訓練士官 Sĩ Quan Huấn luyện

訓練下士官 Hạ Sĩ Quan Huấn luyện


不明なもの

訓練員 Huấn Luyện Viên (HLV)
『教導』のように白・水色ラインがペイントされているものの、両側面には『訓練』のように担当とセンター名が書かれている例があるため、そのどちらなのか、あるいはどちらでもない他のカテゴリーが存在していたのか未だ不明です。(実物画像: Francois Millard氏コレクション)

幹部 Cadre
フランス語で幹部を意味する"CADRE"とペイントされています。1962年にフアケム演習場で撮影された訓練の映像の中に見られます。しかしこの映像以外にこのパターンはまだ確認できておらず、またフランス語で書かれていることからも、1960年代の早い時期に撤廃されたパターンだろうと予測しています。


教導士官ヘルメット作成!

さて、ある程度ペイントのパターンが出そろったところで、今回の教練会で使うヘルメット作りを始めます。
今回の設定は、比較的映像資料の多いヴァンキェップ訓練センターとし、他の設定でも使いまわせるようセンター名の入らない教導士官のヘルメットを作りたいと思います。

▲ヴァンキェップ訓練センターにおける義勇軍兵士への訓練 [1970年2月10日]


素材は以前つるつるヘルメットを作る際に買った安っすいレプリカM1のライナー。これなら失敗しても痛くありません。
それを缶スプレーと筆塗りで塗装していきます。


そして完成したのがこちら。


今回、正面の文字はTQ(統括)としましたが、実は文字は塗装ではなく赤いカッティングシートを貼ってあるだけなので、今後教練内容によってVKやCTなど他の文字にも変える事が出来るようになっています。

ヴァンキェップ訓練センターの自家製プリント部隊章も出来たし、あとは服に縫い付けるだけです。


おまけ

ヴァンキェップの訓練兵の左胸ポケット上には白や赤、青色の三角形の布が縫い付けられているのをよく目にします。

そのうち白色については、ヴァンキェップ教育隊の『タインタイ(※)大隊』を意味しているという事が当時の映像から判明しました。
※阮朝の第10代皇帝 成泰帝(Thành Thái)の事

布を三角に切って貼るだけなので、さっそく真似してみたいと思います!
  


2017年08月11日

制服計画の進捗

ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生 夏季準礼服
(1960年代後半~1975年)


トゥドゥック歩兵学校については過去記事参照

ほぼ完成。
肩章のみ実物で、チノ制服はセスラーの米軍レプリカで代用。
トゥドゥック制帽と英勇章飾緒(Dây Biểu Chương Anh Dũng Bội tinh)は米国製レプリカ。

トゥドゥック歩兵学校部隊章は、実物持ってるけど付けるのがもったいないので、自作プリントパッチを使用。

唯一の問題は、ちびちびと徽章などを集めている間に、僕のお腹にお肉がついてしまい、最初に買ったチノパンが履けなくなった事。買い直すの悔しいし、どうせ着る機会もそう無いから、引き続きダイエットに励みたいと思います。




フランス植民地軍 空挺インドシナ人中隊 准尉 外出服
(1948年~1950年頃)


部隊の歴史については過去記事参照


こちらの進捗はまだ7割くらい。
ベレーおよびベレー章、キメラのバッジはレプリカ。
肩章、降下資格章、飾緒は当時とほぼ同じデザインなので現用実物で代用。

剣を持つキメラがデザインされた第1および第2空挺コマンド植民地準旅団の徽章は1950年に向きが変更されており、
僕が持ってるレプリカは1950年以前のタイプ。当時既に編成されていた空挺インドシナ人中隊(CIP)というと、
1951年に編成されたベトナム国軍初の空挺部隊『第1(ベトナム)空挺大隊』の基となった、第1空挺インドシナ人中隊(1er CIP)
したがって正式な所属部隊を書くと、『フランス植民地軍 / 極東フランス遠征軍団 第2空挺コマンド植民地準旅団 第1空挺コマンド植民地大隊 第1空挺インドシナ人中隊』という長ったらしい肩書になります。
なので、胸に付ける大隊バッジは1er CIPの親部隊の『第1空挺コマンド植民地大隊(1er BCCP)』となるので、それのレプリカを探し中。左袖に付ける植民地軍バッジは、肩章と同じく現在のフランス海兵隊とほぼ同じデザインなので、それで代用しようと思っています。

※第2次大戦後から1950年代にかけてインドシナやマダカスカル、アルジェリアなどで相次いだ独立戦争によってフランス政府も帝国主義を放棄せざるを得なくなったため、1958年にフランス連合は解体され、フランス海軍省所属の植民地派遣部隊である『植民地軍(Troupes coloniales)』は、新たに海外即応派遣部隊と定義され、名称も『海兵隊(Troupes de marine)』へと改名されます。その後、海兵隊は1967年に海軍省の所管から離れ、正式にフランス陸軍に編入されました。
しかし海兵隊は現在も、陸軍内でも独立した地位を有する組織であり、肩章や袖章などのデザインは1940年代から変わっていません。その為、現在の海兵隊の徽章類が、第一次インドシナ戦争期の植民地軍制服用に使えちゃう訳です。
ただしデザインは変わっていないものの、実際には素材がモール刺繍からただの金糸刺繍に変わっているので、よく見ると別物なんですが・・・、当時物を集めるのはかなり大変だしレプリカも存在しないので、今は現用のもので妥協するしかない感じです。


なお、この服も、ウエストを絞らないとパンツが履けません。買った当時は履けたんですが…。
でもまぁ、水泳を始めてから5kgは減量したし、筋肉が復活した事で代謝も良くなっただろうから、このまま続ければきっと大丈夫なはず。はず。一応、スポーツ系の大学で水泳サークルに入ってる19歳の子と二人で、同じメニューの練習をしているので、オッサンのダイエットとしてはけっこうハードな練習をしてるつもり。最低でも一日2000m、週2回は泳いでるし。本気で競争すれば、25mまでなら現役にも負けないスピードで泳げています。25m過ぎると一気にバテて、どんどん引き離されるけど。
あと、ここ1ヶ月間体重が減らないのは、脂肪がより重い筋肉に変わったせいだと自分に言い聞かせてます。

  


2017年07月22日

EAリーフをレビュー

先日お伝えしたEast Asia Supplyの新商品、ベトナム共和国軍ERDLグリーンリーフ迷彩作戦服がCLASSIFIEDさんより発売となりました!

CLASSIFIEDさん商品ページ


先日アホカリに参加された方には現物をお見せしましたが、仕上がりは期待以上です!
生地はポプリン生地のERDLグリーンリーフ迷彩を再現しています。裁断はベトナム軍の迷彩服として最もオーソドックスなスタイルの、肩当・エポレット付き2ポケットジャケット、膝当て付き4ポケットパンツです。



ボタンはどのメーカーも再現を妥協しがちな部分ですが、今回のEAリーフのボタンは当時のベトナム製ボタン(厚手タイプ)の雰囲気を比較的再現できていると思います。


このくらいアップで見ると違いが分かりますが、着用してしてしまえば、ほとんど違和感は感じられません。
こだわりたい方は、完成度の高いCLASSIFIEDさんオリジナルのベトナム軍ボタンレプリカが発売されてるので、そちらに交換すればさらにリアリティが増すのでお勧めです。


雰囲気だしにTTSXQT(国防省軍需部装備生産センター)スタンプも再現されています。
この辺は着てしまえば分からないので、おまけみたいなものですね。


なお実際の服のサイズはスタンプされているベトナム軍被服サイズ表記通りではなく、現在一般的なUS-SからXLとなっているので、現代の私たちにはむしろ着やすい裁断となっています。


全体的に、コスプレやリエナクトで実用するには十分な再現度を誇るリプロであり、これを作ってくれたEAは流石だなと思います。
これが完売してしまえば、次にこのレベルのレプリカが入手できるのは何年後になるか分かりません。
ベトナム戦争コスプレに興味がある方は、迷わず最低一着は持っておくべき服だと思います!
さらに、この服さえあれば、1967年以降のベトナム共和国軍地上戦闘部隊の再現がほとんど何でも出来ちゃいます。

BĐQ (レンジャー大隊)

ND (空挺師団)

TQLC (海兵隊)


ĐĐTS (師団付き偵察中隊)

LĐNN (海軍フロッグマン/SEAL部隊)

LLĐB (特殊部隊)

NKT (技術局)MACV-SOG


またこれらの部隊を指導していたアメリカ軍、オーストラリア軍のアドバイザーたちも同じベトナム軍リーフ迷彩服を着用していました。
このようにリーフは何着持っていても困らない服なので、手に入るうちにご注文される事を強くお勧めします!


  


2017年07月10日

アホカリ準備完了


当初はレンジャーリーフを着よう思っていたので、友人と青テープ合わせをするためテープを作って縫い付け。
この服は生地は実物だけど縫製は戦後なので、遠慮せずリプロ徽章を取り付けちゃいます。
しかし後になって、参加申込書ををよく読んだら設定年代が「1967~68年頃」と書かれていた事に気付いてしまう。
レンジャーリーフは1968年中には前線への支給が確認できるので決して間違いではないし、年代設定も努力目標であって絶対ではないのは分かっているけど、やっぱり1967~68年頃といったらグリーンリーフの方がメイン。
それに、自分がコスプレしたいからと言って主催が設定したイベントの年代設定から外れるのは僕のプライドが許さないので、この服を着るのはやめる事にする


という訳で急遽、東京ファントム製のグリーンリーフを着る事に。
すでにこの状態にセットアップしてあったので、特に今回手を付け加える点はないです。


友人が今回初めて空挺師団として参加するので、
彼が購入したレンジャーリーフのリプロに、僕の自家製プリントパッチ3点セットを縫い付け。
オリジナルからトレースしたものなので、廉価版とは言え、見た目は悪くないと思います。



友人たちが土曜日に、黒のパイロットスーツを着てベトナム空軍のヘリコプター搭乗員コスプレするのを知り、
僕も仲間に入れてもらいたくて、大急ぎで自家製パッチを作って作戦服に縫い付け。
ベトナム空軍第3空軍師団(ビエンホア基地)第23戦術航空団の整備兵を再現してます。

でも一番の自慢は服ではなく、一昨年タイで入手した黒キャップです(笑)


青緑つるつるヘルメット3点完成。真ん中が自分用で、両サイドが友人からの依頼分です。


これで今回作らなくてはならない物は全て完成しました。
あとは当日忘れ物のないよう気を付けるしかありません。
最近はイベントの度に、ヘルメットやらブーツやら、なかなかの大物を忘れる事態が続いているので、
今回はちゃんとパソコンの前に持ち物リストを貼って、すべてチェックしてから出発するようにします。


そうそう、待ちに待ったEAの新作ベトナム軍2ポケット・グリーンリーフが届いたので、これも現地に持参します。
まだ日本発売前ですが、EAの社長が「欲しい?」と聞いてきたので、二つ返事で注文して、一足早く入手しました。
(たぶん僕に宣伝させたいんでしょう)

嬉しさのあまり、届いてすぐに袖を通し、リビングで弟に写真を撮らせました。
服の出来は、この表情が物語ってるとお考え下さい。
詳細は後日改めて記事にします!
  


2017年06月15日

映画 Trên Bốn Vùng Chiến Thuật ── 四つの戦術地区で ──

前回の記事に「おまけ」として書きましたが、改めて記事にします。

ベトナム出身で米国在住のセミプロ映像作家の友人が監督し、僕も制作に関わった新作ドキュメンタリー映画『Trên Bốn Vùng Chiến Thuật (四つの戦術地区で)』が6月18日(僕の誕生日!)に米国のベトナム移民系テレビ局SBTNで放映され、翌6月19日『国軍の日(Ngày Quân Lực)』にDVDでリリースされます!
この『四つの戦術地区で』は、元共和国軍人やご遺族へのインタビュー、現在の戦跡、当時の記録映像と再現VTRなどで、若い世代の目線からベトナム共和国軍とベトナム戦争の歴史を紐解いていくドキュメンタリー映画です。

画像: SBTN chuẩn bị trình chiếu và ra mắt DVD bộ phim tài liệu “Trên Bốn Vùng Chiến Thuật”


新たにDVDのCMが公開されました。



僕もまだ完成版は見てないのですが、監督本人から、本編にはタイガもけっこう登場しているよ、と教えてもらいました。
たぶんここら辺の映像が使われていると思います。

サイゴン 独立宮殿(旧総統府)

ビエンホア国軍墓地


米国ジョージア州およびケンタッキー州 ドラマ・再現VTR撮影



去年4月、彼がHồi Ức』製作しSBTNで放映された事を記事にした時、僕はこう書いていました。

「彼とはそう遠くないうちに会う事になる気がしています。情熱さえあれば、地球なんて案外狭いものさ。」

しかし、まさかその3か月後に二人でベトナムを旅し、12月にはアメリカで一緒に映画を撮る事になるとは予想だにしていませんでした。
しかも彼は、彼と出会う前に僕が日本で友達になった別の在日ベトナム人とドンタップ省の中学校で同級生だったという奇跡まで発生しました。
地球狭いとは言ったけど、狭すぎるだろ!(笑)
  


2017年05月21日

5月の撮影会

埼玉県某所で二日間に渡ってプチ撮影会をしてきました~
写真は全てスマホで撮った物をPCのPhotoshopで加工したものです。
古写真風加工についてはこちらの記事をご覧ください。

1日目 ベトナム陸軍歩兵 (1960年代前半~中盤)





以下、当時の動画


ベトナム陸軍第7歩兵師団 "アプバクの戦い" (1963年1月 ディントゥオン省アプバク)


アメリカ陸軍によるベトナム共和国軍への支援活動 (1963年)

世界的にベトナム戦争ヒストリカルというと、大抵ハリウッド映画の真似をするために1960年代末の設定にされしまいますが、僕にはその年代に拘る理由が無いので、1946年から1975年までのベトナム政府軍をリエナクトメントの対象としています。(まだ50年代以前はあまり揃ってないけど)
映画の真似をしたいと思う事自体は否定しませんが、この趣味はあくまでフィクション作品ではなく現実の歴史を題材とするものですので、もっと広い視野で歴史再現に取り組む人が増えてくれたら良いなと思っています。



2日目 ベトナム国家警察野戦警察隊(1960年代末)



同じく当時の動画


テト攻勢"チョロン市街戦" (1968年2月 ジアディン省サイゴン)


チャイマット野戦警察訓練キャンプ (1970年2月 トゥエンドゥック省ダラット)


  


2017年04月20日

コットの修理

ベトベトマニアで使った際に泥だらけになった被服や装備品を、天気の良い日を見計らって何日かに分けて庭で水洗いしました。
ベトナムが舞台なんだから、雨や泥はお友達。それに会場の地面はベトナムの大地に似た赤みがかった粘土質の土なので、多少泥汚れが残ったって、それはそれでリアルに見えるので、大体落ちればいいやという感じでやってます。

M1952Aアーマーがすごい色になってる。これは土のせいではなく、もともと使われているナイロン繊維が水にぬれると赤っぽくなるせいで、乾けば元の色に戻ります。

ついでに、去年の秋のベトベトで使ったまま洗っていなかったキャンバスブーツも洗おうとしたんですが、キャンバスの繊維に入り込んだ粘土はタワシで擦ったくらいでは落ちてくれないので、試しに桶に水を張って衣類用洗剤をブチ込んで、汚れが取れやすくなるまで放置中です。

キャンバスフォールディングコット、通称GIコットも畳む時に泥が結構付いたのでタワシでゴシゴシします。でも濡らすとどこに泥が付いているのか見え辛くて、乾いたらけっこう泥が残ったままでした。もう面倒くさいのでこれ以上やりません。
さて、せっかくコットを広げたので、1年近く先送りにしてきたコットの修理をやってしまいます。

補修箇所はお約束のサイドのバーを取り付ける"ビーチク"。それもコット2台分、計4カ所。
マニュアル上、この部品はダウエルプラグ(Dowel plug)という名前らしいですが、アメリカでも"Nipple"と呼ばれているそうです。
この灰色乳首は壊れるのが前提の消耗品らしく、米軍内でも補修されながら使われているので、まだ単品で手に入ります。
NSN(National Stock NumberまたはNATO Stock Number)7105-00-935-0433だそうです。

なお補修用プラグは2種類ありまして、こちらで販売されている補修キットは、製造時に装着されたものと同一形状のプラグになります。
見ての通りプラグと共にリベットとスクリューがセットになっており、補修の際はプラグを留めているリベットをドリルで外し、新たなリベットを打ち直す必要があります。

一方、僕が手に入れたのはプラグ単体で使われるもので、リベットを打ち直す必要が無いよう、スリットが入っています。つまり、本体の四角パイプには圧入するだけで、リベットでは固定されません。
このやり方はリベット打ち直しが無いので楽かと思いきや、とんでもない落とし穴が待っています。それは、そもそも破損した方のプラグはリベットで固定されたままだという事です。
プラグを交換するためにはまず破損した部品を取り外さなくてはなりませんが、そっちはセンターの穴にがっつりリベットが通してあるので、リベットを外さない限り簡単には外れません。

替えのリベットが無いので、やむを得ずリベットはそのままに、破損したプラグをマイナスドライバーとプライヤーでバキバキに破壊して取り出していきます。この作業がまぁ大変な事。
プラグの材質であるプラスチックにも、メーカーだか劣化具合だかで違いがあり、硬くてパキパキ割れてくれるタイプはまだやり易いですが、中には弾性があって割れにくいタイプもあり、そちらはマイナスドライバーをノミ替わりに少しずつプラスチックを削ぎ落としていくしかありませんでした。
バーナーであぶってプラスチックを柔らかくすればもうちょっと作業が捗ると思いますが、手元にバーナーが無かったので、マイナスドライバーとハンマーのみで気合で進めました。
しかしラスト1個のプラグがやたら弾性の強い材質で苦戦していたところ、僕の作業を見ていた向かいの町工場のおじちゃんが、バーナーあるけど使うか?と声をかけてくれました。
ありがたくお借りしてリベット周辺に熱を加えたところ、プライヤーで引っ張っただけでフニャ~と変形していき、2・3回熱して引っ張っただけで残骸を取り出す事が出来ました。ありがとう、おじちゃん!

トータル1時間くらいかかって、ようやく破損したプラグ4カ所を外す事が出来ました。
最初からバーナーがあったら半分の時間で出来たかもしれません。
もっと言えば、リベット打ち直しをすれば10分で終わる作業でした。
ああ腰痛い。

最後に新品のプラグを取り付け。
破損プラグを外す際にドライバーでグリグリやったせいで、アルミ製の四角パイプが変形しており、そのままではきちんと圧入できないので、パイプ側面をハンマーで叩いて形状を補正し、プラグをゴムハンマーで押し込んでいきます。
これでようやく修理完了。4カ所は大変だったけど、むしろ1カ所壊れる度にこの作業を繰り返すのが嫌だったので、複数個所壊れるまで待っていたのだから、一応計画通りです。



おまけ

先月ダイエット宣言をしてしまったので、今月から週2回、近所のスイミングスクールに通いはじめました。
僕は6歳から18歳までこのスイミングスクールに通っていたので、12年ぶりに古巣に帰った事になります。
当時教わっていたコーチも2名はまだ残っていたので、久しぶりの再会を喜んでくれましたが、コーチは見た目が当時と全く変化なくてびっくりしました。一方、更衣室の鏡に写った僕のBODYはだいぶ変わっていましたね・・・。
いざ12年ぶりに泳いでみると、クロールが辛い。腕が上がらない。まいったな。
煙草のせいで息が上がりやすいのは承知していたけど、筋力もだいぶ落ちています。
なのでまずは、泳ぎながら筋肉をつけて代謝を上げ、脂肪を燃やしやすい身体を作っていこうと思います。

中学の卒アルに載ってた水泳部時代の僕。
選手として真面目にやってたのはスイミングスクールの方だけで、学校の水泳部はほぼ毎日遊びでした。
練習がある時でも、地球防衛企業ダイガードとか、無限のリヴァイアスを見なくてはならないので家に帰ってましたし。
もっと昔、小学生の時にスイミングスクールの進級試験に出たためにVS騎士ラムネ&40炎の最終話が見れなかった僕は、その事を本気で悔い、その後高校生くらいまで生活の中心をアニメ鑑賞に据えていったのでした。

  


2017年03月25日

ボタンとっかえ

ここ3ヶ月間、仕事で週に3・4日は家に帰れない状況が続いているので、さすがにお疲れモードになってます。
なので休日は家から出ず、チクチク軍服をいじる事で疲れを癒しています。


前にも書きましたが、ベトナムに行った時に良い作戦服用ボタンを仕入れてきたので、手持ちのレプリカ軍服のボタンをそのベトナム製ボタンに交換する作業を進めています。


外したボタンは今後何かに使えるかもしれないので、全部保管しています。




◆東京ファントム(日本)製 2ポケット型ERDL迷彩 (半袖改造) 空挺師団仕様



◆東京ファントム(日本)製 2ポケットERDL迷彩 海兵旅団仕様



パンツァーファウスト(香港)製 2ポケット空挺型 ブラッドケーキ迷彩



実物レンジャー・エアボーン迷彩生地を使用した2ポケット型のリプロ 空挺師団仕様
こちらは上記のベトナム製ボタンではなく、当時の実物ボタン(たぶん)に交換しています。



(メーカー失念、日本製) 2ポケット型 クラウド・ナショナルポリス迷彩 第222野戦警察群仕様
軍と同じ緑ボタンでも良かったのですが、黒ボタンの方が警察っぽさが出るかなと思い、形の似たもので代用しています。またポケットの位置、形状も大幅に変更しました。過去記事警察迷彩服の続き』参照

 


あとは、朝起きたらハワイのウクレレガールズ Honoka & Azita (ホノカ&アジータ)の動画を見て、出来るだけ現実から目をそらすようにしています。いいなぁ、ハワイ。南国。常夏。まぢパラダイス。

  


2017年03月18日

トレーニング

 先週末、SAITAMA101さんが開催しているリエナクトメント・トレーニング会、略してリナトレに2日間参加させていただきました。リナトレはアメリカ陸軍第101空挺師団が行う演習という設定ですので、僕ら3名のベトナム兵ベトナム陸軍空挺師団からの研修生という体でお邪魔しました。SAITAMA101さんも僕らもベトナム戦争のリエナクトを目指していますが、今回は、昼間はともかく夜はコップに入ったコーラが凍るくらい寒かったので、ここはきっとベトナムではなく米国本土の演習場です。

<当日行った内容>

・ミディアムテント、CPテント設営



・基本教練 - 静止間の動作(気を付け、休め、整列休め、敬礼、右向け右、回れ右、駆け足からの停止)
・基本教練-分隊行動(集合、整頓、番号、行進、駆け足)
・戦闘訓練 - ほふく前進(第一~第四ほふく、尺取り虫)



・演習 - パトロール、負傷者発生、ダストオフ(緊急脱出)


▲ダストオフに使用したCPのM151A2トラックと衛生隊のM718A2救急トラック
衛生隊は現場に到着すると負傷者を担架に乗せ現場でトリアージ、救急トラックに載せ、後方に搬送します。
パトロール隊の出発から後方搬送までを全て通してやるので、実際にやってみると(戦闘中の搬出という体なので)現場では混乱が生じ、重傷者と軽症者を取り違えてしまったりと、すんなり行くものではありませんでした。この混乱もまたリアリティがありますね。

こうして訓練は無事終了しました。本当に沢山の事を学べた二日間でした。
終了後、米軍側より今後もベトナム軍の参加を歓迎すると仰っていただけたので、またの機会を楽しみにしています。
また教練の内容はマニュアル化して、今後のイベントで実践していきたいと考えていますface02



後日談


後日、リナトレの時に撮ったこの写真をFacebookに載せたら、ベトナムとアメリカ人から、「こんな腹の出た軍人いねーよwww」と馬鹿にされてイラッときた。きぃぃぃ!ムカつくーー!そのあとすぐにホア少尉らNKTベテランの方々が僕をかばう書き込みしたら、そいつらは黙っちゃったけど。
でも確かに、自分でも太り過ぎたと思う。会う人みんなに「太ったねぇ・・・」と言われる。そして何より、軍服のズボンがどんどん履けなくなっていく・・・。という訳で、本気でダイエットする事にしました。逃げ道作ってるといつになってもやらないので、期限を区切って、今年の年末までに成果を出すことを宣言します。

今から12、3年前。毎日登山、水泳、片道8kmの自転車通学してた頃。
-18kgか・・・長い道のりだ・・・。
  


2017年01月25日

パッチの縫い付け

ベトナム共和国軍をはじめ1960~1970年代のインドシナ諸国の軍隊では、部隊章などの軍服に付けるパッチは米軍のような刺繍よりも、『シルク織り(通称シルク)』や『シルクスクリーンプリント(通称プリント)』製が一般的でした。これらシルク織りやプリント製パッチは服への縫い付け方が独特なので、今回は僕がこの趣味を始めたころ軍装趣味の先輩に教えてもらった縫い付け方をご紹介します。

まずパッチの他に、裏地にする布を用意します。一部の実物では裏地を使わず直接縫い付けられている場合もありますが、裏地があった方が厚みが出てヨレにくくなるので、基本的には裏地をあてた方がリアルになると思います。


裏地は服に付けた後はほとんど見えなくなるですが、見えないおしゃれという事で、今回は布の織目が当時っぽいダイソーの綿100%ハンカチ(礼装用ハンカチーフ)を使いました。また白布以外では、裏地にするためにリサイクルショップで300円で買ったオリーブグリーン色のズボンなんかも布を切り取って使ったりしています。


ハンカチを適当な大きさに切って、パッチの図柄の面を内側にして裏地と重ねて、図柄の縁(あえて2・3mm余白をつける場合もある)をミシンで縫い付けていきます。


プリント製は裏に図柄が透けて見えるので縁が分かりやすいですが、シルク織りは裏からでは見え辛いので、その場合は白色の裏地を使って、図柄を透かして見るといいと思います。(この際パッチ、裏地どちらを上にして縫っても問題ありません)

 

縁を縫い終わったら、縫い目から3・4mmくらい残して余分な布を切り取ります。この際、角の部分だけは縫い目のギチギリまで切り落としておくと、後でめくり返したときに綺麗に角を出す事が出来ます。
また裏地側の中心に、内側をめくり返す為の切れ目を入れます。(パッチを切らないように注意)


切れ目から全体をめくり返して、パッチの図柄の面を外側に出します。パッチの角は千枚通しなど先の尖った物で押し出し、角を綺麗に出してやります。


さらに縁の縫い目全体をアイロンで綺麗に整えます。


これでパッチ単体は完成。


あとはこのパッチをミシンで服の袖に縫い付けて完成です。縫い付ける糸の色はパッチによって様々ですが、色合いなんか気にせず何でも白糸で縫い付けられているパターンもかなり多いので、僕も毎回白糸で縫っちゃってます。


なおパッチ(SSI)を縫い付ける位置は、パッチの上端が肩の縫い目から20mmのところと書類上規定されているようですが、実際には30mm以上離れている例もあるので、大体で大丈夫です。



パッチ付けたついでに、東京ファントム製2ポケットERDL迷彩服リプロのボタンを、去年ベトナム行った時に大量に買ってきた超リアルなボタンに交換。


このボタンはベトナム戦争後、ベトナム人民軍の軍服に使うために共和国軍ボタンの金型をそのまま使って生産されたものだそうで、リアルで当然なのです。よく比べてみると色が若干違うみたいですが、ある意味、戦後製の『本物』と言えるかもしれません。


4月のベトベトで着る服がもう出来上がってしまった。気合い入りまくりんぐ!!!

  


2017年01月14日

警察迷彩服の続き

リプロお直し

以前『警察迷彩お直し』で手を付け始めてからしばらく放置していたリプロのベトナム国家警察迷彩服がとりあえず形になりました。

<新品状態>



<改造後>


 ジャケットはポケットの形を縫い直して、ボタンを別の物に交換、さらに自作のパッチを付けています。今後、もしやる気が出たらエポレットを追加して、半袖に改造しちゃってもいいかなと思ってます。パンツは特に面白くないので写真撮ってませんが、カーゴポケットを外して、ケツポケットは2ボタンのままマチの無い貼り付け式に改造しました。
 胸の部隊章は第222野戦警察群(Biệt Đoàn 222 CSDC)です。この部隊は要請に応じて全国に展開する即応部隊だったので、ヒストリカルイベントの際、他部隊と一緒に写真に写った時に、「その部隊は当時全く別の地域に居たので一緒に写っているのはおかしい」という状態にならないで済むので便利だなと思った次第です。しかしこの部隊内の構成はまだ調べ切れていないので、右袖に中隊パッチは付けていません。
※野戦警察の組織については過去記事『野戦警察』参照

▲第222野戦警察群と思しきパッチを付けた人たちが袖に第601中隊のパッチを(なぜか左袖に)付けている写真があったけど、まだ確証は得られていないので今回は作ってません。


野戦警察における階級章

 野戦警察はベトナム国家警察内の戦闘部隊(日本の警察で例えると警備部・機動隊)ですので、当然ながら隊員のほとんどは警察官であり、国家警察の階級章を身に着けていました。

 
▲国家警察の肩章式(制服用)階級章。この他に略式のスリーブ式(両肩)、バッジ式・金属バッジ式(胸に着用)が用いられました。

 しかし当時の写真を見ていると、野戦警察の将校の中にはしばしば警察ではなく陸軍の階級章を付けている者もいる事に気付きます。僕はこれらの例について当初、野戦警察は陸軍と共同で任務に当たる事もある戦闘部隊である為、陸軍側に階級を示すために警察将校が勝手に身に着けているものだと思っていました。ところがその後、どうもそうとは限らない事を示唆する写真が出てきました。

 この写真の撮影時期は不明ですが、皆作戦服姿で胸に警察戦誉勲章(Cảnh Sát Chiến Dự Bội Tinh)を佩用していることから、野戦警察における勲章授与式の写真だと思われます。ここに写っている兵士のほとんどは胸に警察下士官のバッジ式階級章を付けているのですが、真ん中のアーミーグリーン作戦服を着た人だけは、襟に陸軍中尉の階級章(刺繍)を付けています。そして彼の頭には、陸軍(一般兵科)将校用のベレーが乗っています。
 つまり彼は、陸軍の階級章を付けた警察官ではなく、正規の陸軍将校である可能性が高いという事が分かります。しかし警察の勲章を佩用し、胸ポケット上に青い警察のネームテープを付けている事からも、所属部隊は明らかに野戦警察のようです。なぜ野戦警察に陸軍将校が所属しているのでしょうか?
 これについて文献での確認はまだ取れていませんが、ある程度推測する事は可能です。まずベトナム共和国国家警察は、少なくともゴ・ディン・ジェム政権に対するクーデターによって軍事政権が発足した1963年11月以降、ベトナム共和国軍総参謀部の指揮下にありました。歴代の国家警察長官や警察幹部は軍の高官が兼任しており、国家警察は国内の治安を担当する軍の下部組織という状態でした。テト攻勢の際のテロリスト射殺で知られる国家警察長官グエン・ゴック・ロアン少将も、元々は空軍の戦闘機パイロットでした。
 そのため軍人が警察に出向する事は決して珍しい事ではなく、中でも特に軍と共同で戦闘任務に当たる野戦警察は、より軍と近しい関係にあったと思われます。したがって当時の野戦警察に見られる陸軍の階級章を付けた者たちの中には、軍から警察に出向している陸軍将校が多く含まれているはずと推測しています。



今後の製作物

 警察の階級章欲しいけどレプリカ売ってないし、自作するにも銀テープの織り目が独特だから材料が無いんだよね。どこかに良い代用品ないかなぁ~と探してたら、ありましたよ。我らがダイソーに。


100円で階級章10人分くらい作れる。うひひ
  


2016年11月24日

撮影会

先月末から今月にかけて撮った写真です。


マイクフォース撮影会

参加者実質2名(笑) だからお互いに撮り合ったため、ピンの写真しかないです。
ロケーションは最高なので、またここでやりたいです。



マイクフォースではないけど、Pan American Airwaysさんと二人で、米軍のスナイパー(スポッター)ごっこもしました。
パッチさえ写ってなければ、ただのタイガー着た米兵さ!もしくは研修で米軍スナイパーチームのスポッターやってるベトナム兵。

ライフルはPan American Airwaysさんの並々ならぬこだわりで作らてた見事な米軍仕様のウィンチェスター・モデル70。
スポッティングスコープは実物のM49オブザベーションテレスコープです。50年前の品とは思えないほどのクリアな視界にびっくりしました。



前線司令部撮影会

こちらは総勢9名の大所帯(南べ的には)で撮影ができました。
市街戦で焼けた廃墟に設置された指揮所を想定しています。


 



楽しかった\(^_^)/


土浦秘宝館

何度行っても飽きない茨城の武器学校。
特にWW2~冷戦時代の車輛や銃器が好きな人にはお宝の山です。
今回は習志野から第一空挺団の人たちが来ていて、落下傘装着体験をやっていました。
なので『今回は』ちゃんと許可を得たコスプレです!

鉄帽は無かったのでライナー被ってます。
でも落下傘は中身の詰まった本物。
「引きたい。この綱引いて開傘したい。」と心の中で呟いていましたが、
ここを出禁にされるのは困るので、ぐっと我慢しました。

そういえば僕も高校生くらいまでは、自衛隊入るって息巻いてたなぁ。
ワンダーフォーゲル部に入ったのも、自衛隊に入るために体力付けるためだったし。
資料請求の手紙を出したら、地連の人が家に来ちゃって、両親と四者面談みたいになっちゃったし。
でも僕が自衛隊って騒いでたのは単にミリタリー趣味の延長で憧れてただけで、
真面目に仕事として考えた時に自分には務まりそうもないなと気付いてしまったので、結局志願する事はありませんでした。
よく考えたら趣味の面でも、特に自衛隊マニアって訳ではないし。
今思えば、勢いで入隊しないで良かったと思います。その後サラリーマンになった僕は、常に上司に楯突いて、
気に食わない指示は全て無視する問題児だったので、そもそも公務員が務まりません。
軍隊マニアのくせして一番軍隊に向かない性格なんです。
当然これではシャバでもうまく行かない事の方が多いので何度も打ちのめされたけど、
同時にこの性格のおかげで色々面白い体験ができたので、反省はあるけど後悔はしてないです。



おまけ: 久しぶりにお気に入りの歌

機械/妖精帝國
  


2016年10月27日

写真作りについて

リエナクトや撮影会の写真を当時風にする方法について僕なりに考えた事のまとめです。同じ趣味の方のお役に立てたら幸いです。なお、僕は主にベトナム戦争時代しかやっていないので、その時代の写真再現に主眼を置いて書きましたが、他の時代も撮影機材や画像フォーマットなどが変わるだけで、基本的な考え方は同じだと思います。

撮影機器

まず、撮影に使用するカメラ選びについて

◆当時のカメラ
一番望ましい。ベトナム戦争期(1960~70年代)の場合、屋外で使用されるカメラのほとんどは135フィルムを用いるレンジファインダーもしくは一眼レフでした。
報道関係ではニコンFなどの高級一眼レフが使用されましたが、当時すでに価格を抑えた普及型のカメラも一般庶民に広まっており、報道写真に拘らない限り、カメラは当時流通していた機種ならば何でもいいと思います。
ちなみに50年前のカメラであっても、人気機種以外であれば5,000円以下で動く中古が手に入ります。(デジカメ買うより安い)

屋外で使用されるフィルムカメラの種類

僕は私物カメラを想定してレンジファインダーカメラ『フジカ35-SE』(1959年発売)を使用しています。


後の時代のレンジファインダーもしくは一眼レフ
これも人気機種でなければ、中古が安く入手可能です。古めの一眼レフであれば当時と同じレンズを付ける事が可能ですし、また当時物でなくとも、古い機種・レンズなら写真の出来は当時物のカメラで撮影するのと大きな差はないと思います。

フィルム
当時のフィルムは入手困難である上に、仮に手に入っても経年劣化で使い物にならないので現在流通しているものを使うしかありません。
僕が思うに、写真の出来を大きく左右するのはカメラとレンズであり、それにパソコンでデジタル加工もできてしまうので、フィルムは現在一般に販売されている普通のカラーネガフィルム(ISO 100~400くらい)で問題ないと思っています。
当時はまだモノクロフィルムが広く使われていたので、写真が好きな人はモノクロフィルムを使ってもいいですが、1960年代後半以降はカラーフィルムも一般に広く流通してるので、それ以降の年代を想定するのであればモノクロに拘る必要はありません。

デジタルカメラ
とにかくランニングコストが安い。枚数を気にせずバシバシ撮れます。画像に関しては当時のカメラと同等とはいかないですが、画像を加工するのが簡単なので、工夫次第で雰囲気を出すことは可能です。
当時のカメラは、レンズを開放よりにすると背景ボケがよく出る(=F値を下げられる+35mmフィルム)ため、この状態に近付けるためには、一般的なコンパクトデジタルカメラよりもレンズとセンサーが大きいデジタル一眼レフ、ミラーレス一眼、レンジファインダー風デジカメの方が写りは良いでしょう。また一部のデジタル一眼レフでは、アダプタを使用すれば(ニコンはFマウントであれば)当時と同じレンズを付ける事が可能です。
とは言え、画像をデジタル加工する前提であれば、スマホのカメラでもそれなりの写真を撮ることは可能です。


撮影時

基本的には屋外での撮影がメインになるかと思います。スタジオや雑誌のスチール撮影などではレフ板やスピードライトで光を当てて綺麗に写るようにしますが、リエナクトやコスプレが想定している状況ではそれらの機材は不要です。
当時っぽい雰囲気が出るかどうかは、被写体、背景、そして撮影者のセンスによって左右されます。どんなにお金かけて装備を揃えても、以下の点に注意しないと一発でダッサい写真になるので気を付けましょう

◆被写体
日本で『リエナクト』と呼ばれているイベントの大半はBB弾を打ち合うサバゲなので、必ずゴーグルが写ってしまいます。かと言ってゲーム中にゴーグルを外すのはご法度なので、ゲーム中は顔が写らないアングルで撮るといった工夫が必要だと思います。また撮影のためにゴーグルを外している状態であっても、帽子の上やポケットからゴーグルやマーカーが見えていると台無しなので、ちゃんと隠しましょう。
また、当時多くの国の軍隊では、ライフルを保持しながら歩く際は、常に上に向けて保持する姿勢が一般的でした。実際には兵士全員が常にマニュアル通りの姿勢でいる訳ではないので、前線では各自が楽な持ち方をしており、銃口が下を向いている場合もありますが、それでも基本的に銃床は脇の下もしくは銃を片手で持っている状態であり、現代的な銃床を肩の前に出して銃口を下に向ける姿勢を取る事はまずありませんでした。同じく射撃時も、当時は立射の際は(右利きの場合は)左足を前に出し、左手はハンドガードを真下から支える伝統的な射撃姿勢をとるよう教育されており、近年流行している脚を目標方向に対して直角に開き、左手を伸ばしてハンドガードを横から掴む所謂タクティカルな射撃姿勢は当時存在しませんでした。

ベトナム戦争期と現在のライフル保持姿勢の違い (アメリカ陸軍)


◆背景
背景は写真の印象をガラリと変えるので、被写体以上に非常に重要な要素だと思っています。ベトナム戦争に関していえば、当時の写真を見てみると、ベトナムの戦場は一般にイメージされるようなジャングルばかりではなく、むしろ開けた地形、草木の低い(ココナッツ以外に高い木が無い)植生が多いことが分かるかと思います。ただ雑草が生い茂る草ムラですら、意外な事に草の高さは日本の雑草に比べてとても低く、腰の高さより高いのは滅多に見ません。また当然ながら、日本の山林のような杉の木はありません。なので撮影場所を選ぶ際は、これら日本特有の植生っぽい場所をできるだけ避ける事をお勧めします。ちなみに、竹林や松林はベトナムにもありますし、広葉樹林の中の風景は日本もベトナムも大して変わらない(と思う)ので、撮影の際に画角の中に杉の木が写らないよう注意するだけで大分雰囲気が良くなると思います。
加えて言うまでもないですが、駐車してある自動車や、ペットボトル、ビニール袋などのオーパーツの写り込みにも十分注意しなければなりません。一人が気を抜いてペットボトルをその辺に放置したがために、みんなで気合入れて撮った写真が台無しになる事もしばしばです。基本的には、撮影するスペースには当時存在した物以外は持ち込まないようにし、どうしても必要なものは弾薬箱や麻袋などで常に隠して置きましょう。

◆撮影者
銃を撃っている兵士の前に立って写真撮るバカはいません。いくら命知らずの戦場カメラマンと言えども、味方に撃たれて無駄死にしたくはないでしょう。かの有名なロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士(The Falling Soldier)』も、撮影者が兵士よりも前に居た事から長らく不自然さが指摘されており、最終的にはただ演習中に転んだ兵士の写真であったことが判明しています。コスプレ撮影会と言えども、撮影者自身も当時の役になりきって撮った方がアングル的にも自然になり、写真の質の向上に繋がると思います。


撮影後

撮影機材も大事だけど、それ以上に出来栄えに大きく影響するのが、その写真の『状態』をどこに設定するかという事だと思っています。人間が『写真』を見る場合、その状況は大きく分けて以下の5パターンに分かれると思います。

・デジタルカメラで撮影デジタル画像をモニタで見る
ポジフィルムを直接見る、またはポジ/スライドをプロジェクタでスクリーンに拡大投影した画像を見る
・プリントされたもの(主に印画紙、新聞などの紙媒体)を直接見る
・フィルムをスキャンしたデジタル画像をモニタで見る
プリントされたものをスキャンまたは撮影したデジタル画像をモニタで見る

これらの中から、想定している年代に合った状態を選び、それっぽく加工していけば、当時の写真に近付く事が出来ます。
以下、パターン別に方法を解説していきます。

◆デジタルカメラで撮影デジタル画像をモニタで見る
当時デジタルカメラは存在しなかったので、これは除外します。

◆ポジフィルムを直接見る、またはポジ/スライドをプロジェクタでスクリーンに拡大投影した画像を見る
リバーサルフィルムを使用して撮影すれば、ポジの状態でカラーになっているのでプリントしなくとも写真を見る事はできますが、当時風を目指す上ではあまり意味ないです。

プリントされたもの(主に印画紙、書籍、新聞などの紙媒体)を直接見る
まず、一般に『写真』という言葉が最も似合うのは印画紙へのプリントだと思いますが、これを再現するのはかなりハードルが高いです。当時と現在ではプリントに使われている印画紙の種類が違うため、パソコンのプリンターはおろか、一般的な写真店でも作ってもらえません。なので自分で当時と同じような印画紙を入手する必要がありますが、その印画紙にプリントするためには、自宅に暗室を作って、引き伸ばし機と各種現像液を用意し、焼き付けの作業をしなければなりません。これはもはや別の趣味の世界なので、僕には手が出ません。
また、当時の雑誌のグラビア印刷も専用の印刷機が無いと無理でしょう。新聞を再現する場合、新聞紙に使われるざら紙と、にじまないインクが手に入るならパソコンでデータを作成してプリントアウトできるのかも知れませんが、やろうと思ったことが無いのでよく分かりません。現在のオフセット印刷で作られた新聞・書籍ならば、印刷屋さんに注文すれば作れるかもしれませんが…。
いずれにせよ、手間と費用がかなりかかる上に、プリントを見てもらう以外に発表する手段も無いので、これを目指す人はほぼ居ないでしょう。

フィルムをスキャンしたデジタル画像をモニタで見る
今日、私たちは戦時中に撮影された貴重な写真をインターネットを通じて閲覧できる環境にあり、僕を含めた世界中の研究者・マニアたちがそこから多くの情報を得ています。これらインターネット上にある当時の写真には、その画像データが作成された過程によって2種類に分類できます。その一つが、公共団体やマスメディアのアーカイブ、もしくはライセンス企業によって公開されているものです。
これらの画像は紙媒体にプリントされたものをスキャンしたわけではなく、オリジナルのフィルムからスキャンしたデジタル画像の場合が多いです。これを再現するにあたっては、最終的にモニタに写すデジタルデータさえあれば良いので、実際にはフィルムが存在しなくとも、画像をあたかもフィルムからスキャンした風に加工することで、再現できるかと思います。
またこうしたフィルムは貴重な資料として厳重に保管されてきたため、経年による劣化が比較的少なく、40年以上前の写真とは思えないほどの鮮明さを保っている事が多いです。なので、これらのデジタル画像を再現しようとする際は、撮影した画像に対して経年による変色を再現する必要はないと考えます。したがってその写真がカラーフィルムで撮影されたと想定するなら、実際にカラーフィルムで撮った場合は何も加工する必要はなく、デジタルカメラで取った場合はフィルムっぽい風合いに加工するだけで、大きく変色させる必要はありません。同様にモノクロフィルムで撮影されたものと想定するなら、上記の工程に加えてグレースケール化+モノクロフィルムっぽいコントラストにするといった方法で雰囲気を出せるかと思います
なお、当時主流だった135フィルムの標準画像フォーマットは24×36mmなので、作成する画像のアスペクト比は135フィルムと同じ3:2 (1.5)に合わせる必要があります。ちなみに1960年代以前には、135フィルム以外にも120フィルムをはじめ各種ロールフィルムを使用する中盤カメラやスプリングカメラも使われていたので、これらを再現する場合は6×4.5cm判や6×7cm判など、想定するカメラに合わせた画像フォーマットを選択することもできます。
加えて、現在WEB上で公開されている画像には著作権やライセンスを示すロゴやキャプションが加えられているものも多いため、各社のロゴを勝手に使わせてもらってます(笑)

▲フジカ35-SE(レンジファインダー) / Kodak GOLD 100 (カラーネガフィルム)で撮影
写真屋でネガをCDに書き込んでもらい、その画像にパソコンでライセンス企業Corbis Images (現在はサービスを終了し権利はゲッティに移動)のロゴを入れました。色調などはネガのままで加工していません。

iPhone 4S(スマホ)のカメラで撮影
デジタルカメラで撮影した画像はやはりフィルムとは雰囲気が異なりますが、そのデータを画像編集ソフトなどを使ってフィルム風に加工することは可能です。この作例では、スマホで撮影した画像をPhotoshopでモノクロフィルムっぽくなるよう加工しています。色調はグレースケール化のみで、変色は加えていません。定番のLIFE photo archiveのロゴを加えています。

◆プリントされたものをスキャンまたは撮影したデジタル画像をモニタで見る
公共団体や企業がインターネットで公開している画像はフィルムからのスキャン画像が多いのに対し、個人が公開している当時写真で多いのが、プリントをスキャンないし撮影したパターンです。
こちらもフィルムからのスキャン画像を再現するのと同様に、実際にプリントが存在しなくとも、画像をあたかもプリントからスキャンされた風に加工することで再現できます。ただしフィルムの場合と違い、これらのプリントは数十年前に印画紙に焼きこまれたものであり、よほど厳重に保管されていない限り酸素や紫外線の影響を受け、カラー・モノクロ写真ともに変色・劣化してしまいます。
なので作成にあたっては、Photoshopなどの画像編集ソフトで変色や印画紙の痛みなどを付け加える事でリアリティが増すかと思います。なお画像編集ソフトが無い場合は、Web上の写真加工サービスなどを使う事で無料である程度写真を加工できます。
参考: 写真加工.com http://www.photo-kako.com/
なおフィルムスキャン画像と同様に、画像のアスペクト比は当時用いられたであろう印画紙のサイズに合わせ1.4~1.5にしておくのが無難だと思いますが、主に個人がスキャンした画像である為Web上にある画像は写真のフチが入っていたり無かったり、トリミングされていたりとまちまちなので、そこは各自の好みで変えてしまってもいいかも知れません。参考までに、当時一般的だった米国イーストマン・コダック社の写真印画紙のサイズは以下になります。
2R: 2½ × 3½(63.5 × 89ミリメートル), アスペクト比7:5 (1.4)
3R: 3½ × 5 インチ (89 × 127ミリメートル), アスペクト比10:7 (1.43) ※日本のLサイズ、欧州の9 × 13サイズ
4R: 4 × 6インチ (102 × 152ミリメートル), アスペクト比 3:2 (1.5) ※日本のKGサイズ。135フィルムの標準プリントサイズ

▲フジカ35-SE(レンジファインダー) / Kodak GOLD 100 (カラーネガフィルム)で撮影
カラーフィルムで撮影し、スキャンした画像に印画紙の劣化に伴う変色、シミ、さらに折れとスキャン時のテカりなどを加えました。

スマホ(SONY XPERIA J1)のカメラで撮影
デジタルで撮影した画像をモノクロ化し、上と同じく画像に印画紙の変色、劣化、損傷を付け加えています。シミや傷は、Google画像検索で"old photo texture"等のワードで探せばテクスチャ素材がたくさん見つかるので、それらを写真に重ね合わせて使っています。

▲オリンパスE-620 (デジタル一眼レフ)で撮影
当時のベトナム共和国軍の広報誌"Chiến sĩ Cộng hòa"の表紙を捏造しました。
印画紙へのプリントではなく、彩度を上げて当時雑誌の写真印刷に使われていたグラビア印刷風にしています。


以上が僕が今までやってきた写真の作り方です。僕自身、毎回新しいやり方試してより良い方法を探している最中なので、決してここに書いたことが全てではないと思います。今後も少しでも遊びの質を向上できるよう、チャレンジを続けていきたいと思います。  


2016年09月28日

ベトベトマニア1966 -Operation Voting-


―エピローグ―
 1966年9月、民政移管の第一歩として制憲議会設置のための選挙が行なわれる。グエン・カオ・キ政権を盤石とする為の選挙である事は明らかであり、当然のごとく解放民族戦線と統一仏教会は反発。ボイコットを決め選挙妨害の為テロを繰り返していた。
 米軍は選挙に合わせ過去最大500波の空襲を行う北爆を決定。ベトベト地区でも選挙妨害を防ぎ投票率81%を守るための-Operation Voting-≪投票作戦≫が発令された。ベトナム共和国の未来を占うこの選挙を成功させるため戦いの火蓋が今切られる!
(ベトベトマニア公式サイト http://www.viet-viet.com/)


 投票を控え、サイゴンの総参謀部とMACVはカンボジア国境に近く、かねてよりベトコンの活動地域であったコーガン村における選挙活動の警備強化を命じた。警戒監視の為、多数の米軍部隊がコーガン村周辺に派遣されると共に、コーガン村に最も近いFSBサボイに駐屯する我々レンジャー大隊、空挺師団、オーストラリア陸軍および韓国海兵隊には、サボイ周辺の警戒任務が与えられる。
 しかし、南ベトナムの混乱を収めるはずだったこの選挙の裏は、ベトコンと通じる金権政治家と高級将校、そしてベトコン内のCIA内通者それぞれの思惑が交錯し、情勢は混迷を深めていった・・・









実は今回、迫撃砲班を真面目にやりたかったので、砲に関するコラムというか台本を作成してメンバーに配布しました。
元は2年前のアホカリで105mm榴弾砲の為に作ったものですが、今回はSAITAMA101さんの教練会で教わった迫撃砲班の行動についてもまとめてあります。
僕、本当は歩兵より砲兵の方が好きなんです。出来る事ならエアガン担いで歩くのではなく、一日中陣地の中で大砲を撃っていたいんです。

(ミリブロは画像ファイルしかアップロードできないんですね。もしこの資料を使いたいという要望があれば、どこかのローダーにPDFでアップするのでお気軽にコメントください。)

曲射砲の間接射撃について

射撃・無線交信の流れ

迫撃砲班の行動


と、やる気満々だったのですが、土曜日はあいにくの悪天候で、カーバイト用いるうちの迫撃砲は外に出せず。
また日曜日はFO(前進観測班)として、FDC(射撃指揮班)に見立てたうちのテント組と実際に無線交信して迫撃砲の射撃要求などをしようと考えていたのですが、打ち合わせが完全に不足しており、結局砲に関する事は何もできずに二日間が終わってしまった・・・。
次から何か企画をやる時は、楽しいおしゃべりを中断してでも企画を優先すると決意しました。