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2018年06月27日

週末の写真

今回は動画撮影がメインだったのでスチルは少なめです。





 



お昼ご飯は、当時前線での食事として一般的だったと聞く、乾燥米にヌックマムをかけたものと魚の干物というメニューを再現しました。
お米は市販の備蓄用アルファ米、魚はめざしをその場で焼いて食べました。






撮影会の最後にFANK第294大隊のコスプレもちょこっとやりました。
一緒にやるはずだった友人がこの日は病欠だったので、今回は僕一人だけです。



我ながら厳つい。
とても正規軍には見えないと言われました。
もっとカンボジア軍増やしたいな。
  


2018年06月23日

撮影会の準備 その2

前記事『撮影会の準備』の続きです。

去年作ったつるつるM1ヘルメットを庭にぶん投げて土でウェザリング。

メンバーに貸し出しする個人装備を組む。M1小銃/擲弾手用。
ちなみに写真のM1923カートリッジベルトは米国ではなくタイ製の代用品です。USスタンプが無い点以外は50年代の米国製と何も変わりません。アーモクリップは10個も持っていないので、段ボールでアンコ作ってポーチに詰めてあります。
M1945フィールドパックにはポンチョ(自衛隊ので代用)と鍋(タイ製)、ビーチサンダル(ダイソー製品)でデコレーション。ついでにグレネードアダプターやらアーモクリップやら、持ってるもの全部付けちゃった。これじゃあちょっとやり過ぎだな。何個か外そう。

これも貸し出し用。M1918ブローニング自動小銃射手用。これもマガジンがなくてペチャンコだったので急遽段ボールでアンコを作成しました。
 
これは僕の分。分隊長なのでベルト一本とカービンで十分です。(普通の兵隊も同様にサスペンダー無しの場合が結構多い)
M36ピストルベルトは僕が中学生の頃に親戚のお兄さんからもらった物で、メーカー不明のレプリカです。


この時代の米軍式個人装備はハトメにフック通しづらかったり、生地が縮んでいてスナップボタンが閉じれなかったりで、すんなり組める事の方が少ないのが困った所。入れ辛くとも力技でやってしまいますが、これを一日に何度も繰り返したせいで右手親指が内出血したみたいに痛くなってしまいました。夜お風呂に入ったら、血流が良くなったせいでさらに指先が痛みだし、いまだにズキズキします。いや~ん。。。


そう言えば先日32歳の誕生日を迎えました。当日は早朝から深夜まで仕事でへろへろになった一日でしたが、その前々日が知人のベトナム人の誕生日だったので彼女の家で誕生日パーティーをし、その席で僕の誕生日も祝ってもらえました。またその翌日も懇意にして頂いている在日ベトナム人グループの友人たちと食事をご一緒した際、そこでも皆さんからお祝いの言葉を頂きました。
僕は親以外に誕生日を祝ってもらった経験がほとんど無いので、急に大勢の人からおめでとうと言われるとなんだか気恥ずかしく感じてしまいますが、皆さんには縁もゆかりもない外国人だった僕をこうして暖かく受け入れて頂き、本当にありがたく思っています。
  


2018年06月21日

撮影会の準備

その1 ベトナム陸軍第7歩兵師団(1963年初頭)


自家製第7歩兵師団プリントパッチ取り付け

クラッシファイドさんのリプロはこれまでで最高の再現度なのですが、ただ一点、ボタンの表面はもうちょっと艶があった方が良いと思ったので、一旦ボタンをすべて外してピカールで磨きました。

左が研磨前、右が研磨後。あまり艶を出し過ぎても変になるので、難しい所です。

今回はM1グレネードアダプターを初投入。左側の2本がMk2手榴弾用のM1アダプター、右がM26用のM1A1アダプター。できれば種類を揃えたかったけど、M1A1は1本しか手に入りませんでした。
グレネード本体は僕が高校生の頃に買ったサンプロ製BBボトルに実物セーフティピン/プルリングを付けた物。ベトナム軍で使われた米国製手榴弾には、米軍のような黄色のマーキングが入っていない物も多く見受けられるので、レバーをOD色に塗っただけで、あえてマーキングは施していません。

このスタイルが目標。でも銃側に付けるM7グレネードランチャーはまだ入手できていません。



その2 クメール陸軍第23旅団第294大隊(1970年代前半)

『はじめてのFANK』で作った自家製第294大隊パッチを、知人から買った怪しげなTCU風ジャケットに縫い付け。

後身頃が二枚になっています。なんじゃこりゃ?

メーカータグが付いていたので検索してみたら、FAME (Fabricaciones Militares Ecuatorianas)とはエクアドル軍需産業という意味でした。てことはエクアドル軍の服なのかな。
第294大隊は『ドクロのヘルメット鉢巻き』という個性的なビジュアルのみで選んだイロモノな設定なので、手元にあったこのエクアドルTCUをとりあえず代用品として使ってしまいます。
この次はちゃんとクメール陸軍で一般的だった隠しボタン2ポケ戦闘服を再現して、もっと普通のビジュアルの部隊をやりたいと思います。
  


2018年05月14日

5月の撮影会

その1
1971年2月 ベトナム・クアンチ省ケサン
ベトナム陸軍第1歩兵師団第1偵察中隊







こちらは ラムソン719作戦に際しケサン基地から出撃する第1偵察中隊の実際の映像
[映像: ABC News Archive]

今回僕が着た服。ヒューストン製ERDL迷彩TCUをベトナム軍2ポケ風に改造したものに自家製第1偵察中隊パッチを取り付け。


その2
1952年5月ベトナム・フクトゥイ省シェンモク
フランス植民地軍およびベトナム陸軍降下兵




噂のM113に初搭乗!

撮影会を行った会場に偶然、今話題の手作りM113が来ていました。
しかも所有者様のご厚意で、我々を上に載せて走って頂けることに。ありがとうございます!
うっひゃ―!!!楽しい―!!!カッコイイ―!!!

   


2018年05月10日

お披露目

まだ十分とは言えないですが、以前から集めていた50年代前半のフランス連合軍空挺装備がだいぶ形になってきました。

ジャケット:セスラー製 米陸軍カモフラージュHBTジャケット
パンツ:リアルマッコイズ製 英軍ウィンドプルーフ迷彩仕様のP44風なパンツ
ヘルメット:自衛隊?っぽいボロボロの放出品を米軍40年代後半製M1ヘルメットっぽくレストア
ブーツ:メーカー不明品にゴムを貼って仏軍ブッシュシューズ風に改造
銃:デニックス製M1A1カービン

サスペンダー:実物TAP50(53?)サスペンダー
ベルト:ポルトガル軍ベルト改造TAP50ベルト
ポーチ類・銃剣:米軍実物

第一次インドシナ戦争期に使われていた空挺部隊(TAP)用ピストルベルトとしては『TAP50』と、その改良型である『TAP50/53』の二種類が知られています。そのうち50/53ベルトは日本でも実物が安く売られいて入手も容易ですが、このベルトが前線で使われ始めたのは終戦間際の1954年からなので、第一次インドシナ戦争に限って言えば、使用された期間はかなり短いです。一方、初期型のTAP50ベルトは1951年の配備開始以来、空挺部隊のみならずフランス連合軍のほとんどの地上部隊で広く使われていた当時のフランス個人装備を代表するベルトなのですが、残念ながら現在は入手困難かつ非常に高価なアイテムとなっています。また僕の知る限りレプリカも存在しません。
このようにTAP50ベルトはフランス連合装備の必需品であるのと同時に最大のネックでもあり、その再現は半ば諦めていました。しかし今回そのTAP50をどうにか再現すべく、フランス軍趣味の先輩に、バックルの形状がよく似たポルトガル軍のピストルベルトをベースにTAP50風に改造して頂く事が出来ました。こうして出来上がった素晴らしい出来の代用品お陰で、ようやく装備が一式形になりました。本当にありがとうございます。




おまけ:ベトナム国軍ドッグタグ

1952年(おそらく入隊年)と打刻されたベトナム国軍のベトナム人兵士の認識票です。
板自体はフランス植民地軍のものと同一ですが、ベトナム国軍らしく内容はベトナム語で記載されており、MAUは血液型(Máu)、SQは軍籍番号(Số Quân)を意味しています。金属板は少し湾曲しており、両面に同じ内容(板を割った状態でそれぞれの両面に全ての情報が載るよう上下入れ替えて)打刻されています。

凸面。文字数の制限から氏名Ngo Ba NinhのBaはB一文字に省略されています。

凹面。割板の下側は戦死した場合に遺体から回収される物なので、輸血用の血液型情報は不要なため記載されていません。

  


2018年04月16日

代用ブーツ

※2018年9月2日追記

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ブラックレザーコンバットブーツ

 ベトナム共和国軍のブーツと言えばオリーブやブラック色キャンバス生地のキャンバスブーツがよく知られていますが、実はオーソドックスなスタイルのブラックレザーコンバットブーツも1960年代を通じて大量に使われていました。ある元陸軍将校の話では、当時キャンバスブーツは兵卒に支給される安物の靴という認識だったと言い、実際当時の写真を見てみても、空挺・海兵隊等のエリート部隊の隊員や一般部隊の士官・下士官は、1960年代末まで主に米軍式のコンバットブーツを履いていた事が見て取れます。また一般部隊の兵卒でも、キャンバスブーツと併用してコンバットブーツを使用している例が多数確認できるので、コンバットブーツは部隊・階級に関係なく支給された1960年代のベトナム軍を代表するブーツだったと言えます。

1966年トゥアティエン省フエ


 なのでベトナム軍リエナクターだったら最低一足は持っておくべきマストアイテムなのですが、実は僕、今の今までコンバットブーツを持っていませんでした。だって60年代の米軍のコンバットブーツってもうレアアイテムになって久しく、そんな貴重なものを屋外で実用したくはありません。
 そこで、ほとんど同じ形で値段の安い代用品を長らく探していたところ、コレクターの先輩に、タイ軍のブーツが最適だと教えてもらいました。そしてその後2回ほどタイに行く機会があったので、そのタイ軍ブーツを探したのですが、2回ともちょうどいい物を見つける事は出来ませんでした。ぱっと見似たような物はいくらでもあるのですが、なんか所々イメージと違います。タイの友人に聞いたところ、ああいう古い形のブーツはもうタイ軍でも使ってないから、今となってはタイ国内でもレアなのだそうです。残念。
 しかし僕が帰国した後、友人から良い感じのブーツを見つけたと連絡が入りました。なんでも、今から11年前に解体されたタイ国防省関係の教育機関で支給されていたブーツらしいです。しかも幸運にも彼は仕事で日本に来る事になったので、わざわざそのブーツを持ってきてくれました。あっりがとー!


米軍のようなお尻の割れ目はありません

この靴底は今時探したってなかなか無いから嬉しいです。



トロピカルコンバットブーツ

 ブラックレザーコンバットブーツは1960年代末まで全軍で広く使用されていたと述べましたが、それ以降、60年代末から70年代にかけて急速に普及したのが米軍のトロピカルコンバットブーツ(通称ジャングルブーツ)です。これもブラックレザーと同様に、特にエリート部隊隊員や一般部隊の士官・下士官に愛用され、一般部隊兵卒にもキャンバスブーツと並行して支給されました。

1973年3月 サイゴン近郊
(Photo by Peter Bregg/Canadian Press)

 このトロピカルコンバットブーツのレプリカ(およびデザインを真似たもの)は多数のメーカーから販売されていますが、僕が今代用品として使っているのは一昔前に出回った『韓国製』と呼ばれる物です。民間メーカーがファッション用に作ったものなのか、韓国軍で使われていた物なのかはよく知りません。米軍のオリジナルと比べると、なんかキャンバスの色がやたら黄色っぽいのですが、トゥーや空気穴の形状は今売っているレプリカよりも良いと思います。また靴底がDMSソール(通称ビブラムソール)なので、使える年代が広いのもうれしいです。DMSソールトロピカルコンバットブーツ(通称3rdパターン)のレプリカは過去にエリカクラブ(現S&Graf)から発売されていましたが、今となっては入手困難ですね。

これもオリジナルとは異なり、お尻の割れ目はありません。






オリーブキャンバスブーツ(仏軍ブッシュシューズ)

 第一次インドシナ戦争中の1949年にフランス連合軍の一部として発足したベトナム陸軍は当時装備品の調達をフランス軍からの供与に依存しており、最初に陸軍の戦闘用ブーツとして普及したのがフランス軍のオリーブ色熱帯地域用キャンバスブーツ『ブッシュシューズ(Chaussures de brousse)』でした。当時インドシナに展開していたフランス軍人の間では、雨やぬかるみの多いベトナムでは革製のブーツよりもこのブッシュシューズが実用的で好まれたといいます。その後、1960年代に入りアメリカ軍による軍事援助が始まると、アメリカ軍はベトナム軍で使用されていた仏軍ブッシュシューズのコピー品を沖縄や日本本土などで生産させ、ベトナム軍に供与していきました。(詳しくは過去記事キャンバスブーツ』参照)
 ただし上で述べたように、1960年代初頭にアメリカによる軍事援助が拡大し、ベトナム軍に米軍コンバットブーツが普及すると、見た目の問題からかキャンバスブーツは将兵からの人気を失い、以後は主に一般部隊(レンジャー部隊含む)の兵卒や訓練兵、CIDG部隊に使用されるにとどまりました。とは言え、人数的にはそういった兵卒が軍の大部分を占めるので、キャンバスブーツは依然ベトナム軍の主要なブーツの一つである事に変わりはありませんでした。

キャンバスブーツを着用するレンジャー隊員
※ただし60年代後半にはレンジャー部隊ではコンバットブーツが一般的となる。


 このオリーブ色キャンバスブーツの代用品および改造については以前『短丈キャンバスブーツ』に少しの載せましたが、それとは別の代用品(改造ベース)を入手したので、これも載せておきます。仏軍ブッシュシューズのデザインはファッション業界で人気を博したため、今でもパラディウムを始めたくさんのメーカーがそのデザインをモチーフにした靴を販売していますが、残念ながらどのメーカーもことごとく、オリジナルの仏軍ブッシュシューズそのものは再現していません。なので現状では、どのメーカーの物を買おうとも改造が必要です。
 さて今回はMAG FORCEというメーカーの物らしいです。こういった中国製の安い靴は改造ベースにうってつけだったのですが、近年販売されている物は、本来内側にあるはずの踝保護用の丸いゴム板が、何故かコンバースの様に外側に取り付けられてしまっているのです。これは剥がそうと思えば剥がせない物ではありませんが、確実に跡が残るのであまりやりたくはありません。そのためコンバース風になる前の古いロットの物を探していたところ、新品をリサイクルショップで発見しました。まだ改造前なので、そのうち改造していきたいと思います。

オリジナルの仏軍ブッシュシューズが備える土踏まず保護のゴムは、どこのメーカーも再現してくれません

  


2018年03月27日

はじめてのFANK

※2018年9月2日追記

クリエーター支援サイトSESSIIONにて月額500円~のご支援(プレッジ購入)頂いた方限定で、普段ブログには書いていない最新情報や執筆中の内容などのアクティビティを配信中です。メールアドレスまたはSNSのアカウントで簡単に登録できます。プレッジ購入以外に利用料は一切かかりません。ご支援いただいた分、より一層記事の質に磨きをかけたいと思います。よろしくお願いします。
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 FANK*には以前から興味はあったものの、ベトナムと比べるとはるかに資料やレプリカの少ない軍隊なので、なかなか始めの一歩を踏み出せずにいました。ところが最近、映画「最初に父が殺された」を見た友人が「僕もロン・ノル軍やりたい!」と言ってきたので、僕もよくやく重い腰を上げてクメール軍装に手を出す事にしました。

*FANK: (仏語)Forces armées nationales khmères / クメール国軍。1970-1975年のクメール共和国時代のカンボジア軍。大統領の名から通称「ロン・ノル軍」

 さて、FANKは1975年にクメールルージュ(カンボジア共産党軍)との内戦に敗れ、たった5年で消滅してしまいましたが、その短い歴史の中では、多種多様な軍装が用いられていました。なのでまず、どの部隊を再現するか候補を探していたところ、こんな写真に出会ってしまいました。


 見た瞬間、これに決めました。ヘルメットに鉢巻きは、決して一般的なスタイルではないのですが、とにかく個性が凄い。いかつい。加えて、幸いにもあるコレクターさんがこの部隊章の実物の画像をアップしてくれていたので、それをトレースして自作パッチを作るのも容易でした。

こうしてFANK同好会立ち上げ一発目の自作アイテムが完成しました。我ながらイイネ!


 なお、この部隊については、当初は「第294大隊」という部隊名しか把握できていなかったのですが、昨日、僕が勝手に『大師匠様』と呼んでいる人物に「あの写真の人の左袖のパッチは何ですか?」と問い合わせたところ、この部隊はクメール陸軍の第9旅団群第23旅団第294大隊なので、左袖には画像の第23旅団のパッチが付いてたはずという返答を頂きました。質問からわずか2分後にこの答え。さすが大師匠様。

▲クメール陸軍第23旅団
これについてはまだ自家製造する目途が立っていないので、おいおいとなります。



クメール陸軍の野戦服について

 これらの部隊章を取り付ける野戦服についてですが、当時の写真を見る限り、その規格は統一できていなかったようで、かなり様々なパターンの裁断が見受けられます。その中で比較的多く目にするのが、この2ポケット隠しボタンのタイプ。

もちろんこの服のリプロなど存在しません。でもポプリン生地っぽいから、OD色の米軍BDUをベースに改造すれば比較的簡単に再現できそうな気がする。今度やってみます。(BDUとほとんど同じような4ポケ隠しボタン型も使用例あり)

あとはベトナム軍のカーキ作戦服によく似た2ポケや、米軍TCUをそのまま使っている例も見受けられるので、隠しボタン型を自作するまでは、とりあえずそれらの服を使おうと思ってます。

ベトナム軍2ポケとよく似た野戦服(左)。ボタンまで同じなので、もしかしたら本当にベトナム製かも知れません。

米軍TCUの使用例(右端)


またコマンド大隊や特殊部隊、空挺旅団が着ている迷彩服にも様々な種類がありましたが、比較的手に入りやすい服もあります。

MDAPタイガーストライプ。ベトナムで使われていた米軍供与(MDAP)タイガーストライプと同一です。

▲仏軍リザード迷彩TTA47/52野戦服(60年代製)。フランス連合期の供与品ではなく、60年代に改めてフランスから輸入された物(リザード迷彩のパターンが違う)が空挺旅団を中心に多く使われています。

▲米軍グリーンリーフ迷彩TCU。米軍TCUと同型、またはエポレットが追加されたグリーンリーフ迷彩がクメール特殊部隊(Forces Speciales Khmères / FSK)でよく使われています。

ベトナム軍グリーンリーフ迷彩2ポケに似た野戦服(中央)。この他にも様々な裁断のグリーンリーフ迷彩服が使われていました。


一方、かなり入手困難なのがこちらの迷彩服。

(Youtube / AP Archive動画より https://youtu.be/pzSJMMlnQPI)

1960年代以降、仏軍リザード迷彩と並行して空挺旅団で多用されていた、まだら系の迷彩服です。ダックハンター迷彩とは似て非なるものですが、研究者が少なすぎて、まだ呼び名すら定まっていません。とりあえず、『クメール空挺パターン』とでも呼んでおきましょうか。

世界の迷彩をまとめているCamopediaに、この迷彩の貴重な実物画像が掲載されています。


以上のように、クメール陸軍の軍装を再現する上で入手困難な物はそう多くはないので、レプリカや代用品で十分揃えられます。
さぁ~て、始めたからにはとことんやろうっと!
  


2018年03月22日

タイでもらったパッチ

先日のバンコクでの撮影会の際、タイの友人たちが記念にと、タイ軍関係のパッチをいろいろプレゼントしてくれたので紹介します。



タイ王国義勇連隊"クイーンズコブラ" (FWMFタイ陸軍部隊 1967~1968年)

ベトナム戦争期、ベトナムに展開した自由世界連合軍(FWMF)の中で、韓国軍・オーストラリア軍に次いで3番目(※2018年3月22日訂正: オーストラリア軍より多かったので正しくは2番目)の規模の地上戦闘部隊を擁していたのがタイ陸軍でした。このベトナム派遣タイ陸軍部隊、通称"クイーンズコブラ連隊"は1967年にベトナムに到着し、以後アメリカ陸軍第9歩兵師団の指揮下で作戦を遂行していきます。
このパッチはリプロですが、友人曰く、当時同パッチを製造していた徽章屋が当時と同じ素材・製法で制作した高品質な複製品だそうです。なのでよほどのタイ軍コレクターでないと、真贋の見分けはつかないくらいよく出来ているそうです。


タイ王国陸軍義勇軍"ブラックパンサー師団" (FWMFタイ陸軍部隊 1968~1972年)
クイーンズコブラ連隊の派遣から間もなく、タイ政府はベトナムへの戦闘部隊の増派を決定し、1968年1月に兵力約11,000名から成るタイ王国陸軍義勇軍(RTAVF)"ブラックパンサー師団"が編成されます。FWMFに加わったブラックパンサー師団は以後、ビエンホア省等においてサーチ&デストロイ作戦や、ベトナム市民への人道支援活動に従事していきます。なお派遣の翌年の1969年にアメリカがベトナムからの撤退を表明した事で、FWMFの各国軍も順次撤退を開始し、タイ軍ブラックパンサー師団は1972年に撤退完了、解散しました。※タイを含む同盟国の活動概要については、アメリカ陸軍省編のAllied Participation in Vietnam(1985)に詳しく乗ってますので、ご参照ください。
なお上のクイーンズコブラと異なり、こちらのパッチは一目で近年作られたリプロと分かる機械刺繍製です。


タイ陸軍帽章(フィールドキャップ用)
ベトナム戦争期から変わらず使われているタイ陸軍の帽章。現代製だけど、リプロと言うよりPX品。


タイ王国空軍 F-16戦闘機搭乗員
実物らしいです。裏はベルクロ


タイ王国空軍 第5航空団
第5航空団は輸送および観測を主任務とする割と地味な航空団みたいですが、調べてみると、実は過去に日本と因縁のある部隊だという事が分かりました。
太平洋戦争開戦前夜の1941年12月7日午後11時、日本政府はタイ王国政府に対し、タイ領内における日本軍の進駐・無制限通行権を要求します。日本軍の目的はマレーおよびビルマに駐屯するイギリス軍の撃退であり、その道程にあるタイ王国は問答無用で日本への服従を強いられました。これは事実上の最後通牒であり、タイ政府は日本の要求を受け入れて独立国としての尊厳を失うか、要求を拒否して日本との戦争に突入するか選択を迫られました。しかし日本軍の戦力は圧倒的であり、タイ側は対抗手段が無い事を認めざるを得ず、武力による恫喝に屈して日本の要求に渋々同意します。
そしてその数時間後の12月8日未明、真珠湾攻撃とほぼ同時刻に日本軍がタイ領内への侵攻を開始します。しかしこれに対し、戦いもせず外国の侵略に屈する事を良しとしない一部のタイ軍部隊は、中央の命令を無視して独断で日本軍の迎撃を開始します。
タイ中部のプラチュワップキーリーカン県では、タイ空軍第5航空師団(現・第5航空団)が中心となって、上陸した日本軍に対する大規模な反攻が開始されました。戦闘は翌9日まで続き、正午には第5航空師団のプラワー・チュンサーイ中佐が、備蓄燃料が日本軍の手に渡る事を防ぐため、自軍の燃料集積所を爆撃するに至ります。
しかし同日、タイ政府は改めて日本との休戦協定を締結すると共に、現場部隊に対し休戦命令の徹底を行い、33時間におよぶタイ軍の抵抗は終わりを迎えました。尊厳よりも国家の存続を優先する苦渋の決断によって降伏したタイ軍でしたが、このプラチュワップキーリーカンの戦いでは、タイ側の戦死者は42名、一方当初圧倒的優勢と思われていた日本側の戦死者は115名以上とされており、短期間ながらタイ軍の意地と愛国心を示した英雄的な戦いとして現地には記念碑が建立されています。そして現在、その戦いを主導した第5航空師団の後継である第5航空団の部隊章には、その栄光を称えプラチュワップキーリーカンの戦い記念碑の、軍旗を掲げる航空兵の像がデザインされています。

プラチュワップキーリーカンの戦い記念碑 (画像:  กรุงเทพธุรกิจ มีเดีย จำกัด)


彼らの内何人かは、今年中に日本に遊びに来るみたいだから、その時はたっぷりおもてなししてあげよ~っと!face02
  


2018年03月09日

3年ぶりのバンコク撮影会

久しぶりに台湾とタイを旅してきました。
タイでは友人たちのご厚意で、再びバンコクで撮影会を行う事が出来ました!
この時が来るのを3年間待ってたぜ!

前回の撮影会はこちら『タイでコスプレ 撮影会編』


ベトナム空軍パイロット
(飛行服は友人からの借り物)


一緒に撮影会をやったタイ人の内2名がたまたまドンムアン空港で働いてる本職の航空整備士だったので、
飛行前にパイロットが行う簡易点検を一通り教えてもらいました。


間の悪い事にH-34やUH-1などヘリコプターが展示されている建物は改装工事中で入れず、
残念ながら今回はヘリはおあずけ。




ベトナム陸軍装甲騎兵


念願のM41ウォーカーブルドッグとM113APCで撮影成功!夢がまた一つ叶ったよ。
すでにM24軽戦車では撮ってるから、残すところはM48パットンだけだな。


今回一緒に遊んでくれたタイのリエナクターグループ
Pad1968 (ベトナム派遣タイ軍)
バンコク第十八歩兵師団 (日本帝国陸海軍)
の皆さま


撮影の後はみんなでチャトチャックマーケットに移動してミリタリー系の店を周り、
その後また移動して友人お勧めのタイ東北料理レストランで夕飯を食べました。


ご飯を食べながら日本とタイのリエナクトメントイベントについて話し合いましたが、
彼らもなかなかに意識高くて、うちらも負けてられないなと思いました。

みんな、ありがとー!!!
またそのうち会おうね!
  


2018年02月10日

【祝】WAR全米大学映画祭 審査員賞受賞!

過去のハウ・ルック監督作品いついては過去記事参照

2016年12月、僕は米国ジョージア州にて、アマチュア映画監督の友人が製作しているショートフィルムの撮影に参加してきました。あれから1年強、その時撮った作品がようやく完成し、この度、全米大学映画祭(Campus Movie Fest)に出品されました。
そしてその結果・・・

審査員賞(Jury Award)を受賞しました!!やったーーーーー!!!

※動画を再生出来ない場合は他のブラウザに変えてお試し下さい。



こちらが審査員賞受賞作品「WAR」 監督 ハウ・ルック



なんとなく分かると思いますが、あるベトナム人兄弟が生き別れとなり、それぞれ別々にベトナム政府軍と共産ゲリラ兵士となり、その二人が不幸にも戦場で再会し、お互いを兄弟と知らずに殺し合ってしまうという大変悲しいストーリーです。
実はこの話には元ネタがありまして、それらを全て撮れれば、なぜ兄が首にドッグタグではなく紙を三角形に折った物を下げているのか等が分かってもらえたのですが、ショートフィルムなので時間的な制限からストーリーは大幅にカットせざるを得ず、そこは描ききれませんでした。
とは言え、撮影や編集の技術が認められ、この度賞を頂けたのですから、出演者としては素直に嬉しいです。

しかし観客も審査員も、弟役を演じているのは当日ゲリラ役やってよと言われて気軽に引き受けた日本人だなんて思いもよらないだろうな。我ながら熱の入った演技をしたものだ(笑)


世にも珍しいゲリラ役のわたくし





なお我々はアマチュアなのでプロップ買うお金が無いため、銃やナイフは全部本物です。
M16はコルトAR-15モデルSP-1、56式自動歩槍はノリンコMAK-90で代用。
空砲なんて一般人には手に入らないので、発砲シーンは全部実弾。(この作品では実弾を使ったシーンは使われていません)
銃剣で腹を刺すシーンは、「ゆっくりやれ」、「ベルトに当てろ」と言われましても、なかなか怖い物です。
あと、この作品には使われていませんが、拳銃で自殺するシーンも撮りました。
いくら弾が入っていない事を何度も確認したとは言え、やっぱり実銃を頭に当てて引き金を引くのはかなり気持ち悪いものです。
しかもテイク5くらい撮り直したし・・・。
監督曰く今年の5月ごろまでには、それらの映像も使った作品をDVDでリリースするらしいので、完成を楽しみに待っています。

  


2018年01月21日

ホンサ海戦から44年

 1974年1月19日にホンサ諸島(Quần đảo Hoàng Sa, 中国名:西沙諸島)を巡ってベトナム共和国軍と中国軍が衝突した『ホンサ海戦(西沙諸島の戦い)』における犠牲者を追悼する式典が、今年も米国在住のベトナム共和国海軍軍人協会によって執り行われました。

(映像: SBTNOfficial)

 この戦いでベトナム共和国軍は撃沈1隻、戦死者75名*という損害を出し、ホンサ諸島からの撤退を余儀なくされます。同年、ベトナム共和国軍はホンサ諸島の奪還を計画し、多数の戦闘機・攻撃機が出撃準備を完了する状態にまで至りましたが、決行直前にアメリカ政府から作戦中止の要請を受け、結局奪還作戦が実行される事はありませんでした。そしてそれ以来、ホンサ諸島は44年間に渡って中国軍の占領下にあります。
*戦死者数については資料によって数名の誤差あり

▲中国海軍艦艇のロケット砲で撃沈されたベトナム海軍掃海艇HQ-10 ニャッタオ

 なお、当時北ベトナムを支配していたベトナム労働党政権は大戦後から一貫して中国共産党の指導下にあり、中国による支援に全面的に依存しながら南侵(ベトナム戦争)を続けていた為、ベトナム民主共和国として中国に対しホンサ諸島の領有を主張する事はありませんでした。ホンサ海戦により諸島全域が占領された後も、ホンサ諸島について言及する事は避けており、ホー・チ・ミンおよびベトナム労働党は事実上、ホンサ諸島を中国に売り渡していたと言えます。
 一方、ベトナム労働党の下部組織である南部のゲリラ組織 南ベトナム解放民族戦線は、南部人による独立した組織という建前もあったため、中国軍によるホンサ諸島占領を非難したそうですが、彼らの闘争もまた中国による軍事支援に依存しきっており、いずれの共産主義勢力も事実上の宗主国である中国に抗う事はできませんでした。

 ベトナムの歴史は「中国への抵抗の歴史」と言われるように、元来ベトナム人にとって中国に国土を奪われる事は最大の屈辱であり、ホンサ海戦は今日でも多くのベトナム人にとって忘れがたい悲劇として記憶されています。その為、ベトナム共産党への服従とベトナム共和国政府への憎悪教育が60年以上続いている今日の社会主義ベトナムにおいても、このホンサ海戦で犠牲となったベトナム共和国軍人に対しては、多くの人々がイデオロギーの違いを超えてベトナム民族の英雄として追悼の対象としています。

中国に立ち向かったベトナム共和国軍、そしてベトナム民族の歴史を象徴する歌 『Đáp Lời Sông Núi (山河に応えて)』


歌詞はこちらにあるので、Google翻訳か何かで雰囲気を感じて下さい。

おまけ: 土曜日の作業

金曜日は疲れてたので、夕方帰宅したあと布団に横になったら、そのまま翌日の朝まで約12時間寝てしまいました。
なので土曜日は朝8時からじっくり趣味の作業に没頭。

◆友人依頼分の自家製プリントパッチ作成
・ベトナム国家警察野戦警察隊
・第222野戦警察群
・第611野戦警察中隊
・陸軍第1歩兵師団(サブデュード)


◆徽章縫い付け

来月着る服


多分5月ごろ着る服。気が早いけど、テンション上がって作っちゃいました。


いつ着るか分からない服。まだパッチが全て揃ってないので、続きはおいおい。

  


2018年01月14日

JACのM16A1

※2018年9月2日追記

クリエーター支援サイトSESSIIONにて月額500円~のご支援(プレッジ購入)頂いた方限定で、普段ブログには書いていない最新情報や執筆中の内容などのアクティビティを配信中です。メールアドレスまたはSNSのアカウントで簡単に登録できます。プレッジ購入以外に利用料は一切かかりません。ご支援いただいた分、より一層記事の質に磨きをかけたいと思います。よろしくお願いします。
詳しくは『SESSIION限定配信開始します』をご覧ください。
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先日、ずっと探していたJAC製のM16A1(メタルレシーバー)を入手する事が出来ました。


程度もかなり良く、素晴らしい質感です。

う~ん。やっぱAR-15はエジェクションポート周りが一番カッコいい。
30万円は下らない無可動実銃や、10万円超えのホビーフィックス製モデルガンには及びませんが、それを除けばこれが一番外観がリアルなM16のトイガンだと思います。大満足です。

でもこのM16はドア付きストックを装備した1971年タイプのM16A1を再現しているので、ベトナム戦争ごっこで使うには不適当です。(ただし1974年以降ならベトナム共和国軍でこの1971年タイプの使用例が確認できます。)
なのでベトナム戦争で最も多用された1967年タイプのM16A1を再現すべく、実物のゴム底・可動スイベルタイプのストックを取り付けました。


実物ハンドガードも手元にありますが、デルタリングの径が合わないので、取り付け方を思案中です。マルシン製モデルガンのデルタリングはサイズがピッタリなのは確認済み。
グリップはまだ実物を持っていないので、テカリが良い感じだったプラ製レシーバーの方のJAC製のグリップにとりあえず交換しました。
あとマガジンは実物を加工するのはもったいないので、JAC製の物を塗装したいと思います。



復習

過去記事でも述べてきましたが、ベトナム戦争期に地上戦闘部隊で大々的に使用されたM16シリーズは、XM16E1とM16A1(1967年タイプ)の2種類のみです。

XM16E1 (コルトAR-15モデル603 1964年タイプ)
1964年採用、1965年ベトナム派遣部隊に配備開始
主な特徴: 三叉フラッシュハイダー、可動スイベルストック、マガジンキャッチガード無し、クロームメッキ・ボルルトキャリア

M16A1 (コルトAR-15モデル603 1967年タイプ)
1967年採用、1968年ベトナム派遣部隊に配備開始
主な特徴: バードゲージ型フラッシュハイダー、可動スイベルストック、マガジンキャッチガード追加、パーカー処理ボルルトキャリア

しかし、この2機種はまだ一度もトイガンで再現された事が無い(※)ので、各メーカーさんには、もうちょっと勉強して欲しいです。
※ただし過去にクラシックアーミーが、スイベルが固定式なのを除けばXM16E1にかなり近いモデルを電動ガンで販売していました。
これまでいくつものトイガンメーカーが販売してきた所謂ベトナムタイプ(三叉フラッシュハイダー付きM16A1)は、稀に戦場での使用が見られますが、あくまで1967年に生産ラインがM16A1に移行する時期に極少数発生してしまったと思われるイレギュラーな仕様です。
【過去記事参照】

またフォアードアシスト機構の無い『M16』を採用していたのはアメリカ空軍のみであり、陸軍・海兵隊での使用例はほとんどありません。なお、このタイプはG&Pが電動ガン・ガスガンで再現していますが、レシーバーに刻印されている"MODEL 02"という文字は誤りであり、あのタイプの型番はモデル604で、刻印は"M16"であるのが正しいと考えます。
※G&Pでもこのタイプのロアレシーバーであれば刻印は"MODEL 02"で正しいですが、その場合ストックやチャージングハンドルなど各所がモデル602とは大きく異なってしまいます。
私が調べた限りでは、コルトAR-15モデル601・602はM16としては採用されておらず、またモデル602は1963年に開発されたものの翌年の1964年にはAR-15のラインは第2世代のXM16E1(モデル603)およびM16(モデル604)へと切り替わるので、モデル602は幻のモデルと言っても過言ではないくらい生産期間が極めて短いモデルです。実は生産数や使用例は602の前身のモデル601の方がはるかに多いです。
【過去記事参照】

▲AR-15 (コルトAR-15モデル602)

 
▲M16 (コルトAR-15モデル604 1964年タイプ)

AR-15モデル602の使用が確認できる数少ない例
本当にモデル602は、こギレスピー大尉ら1964年頃のCIDGキャンプ付きグリーンベレー分遣隊でしか見られないレアな銃です。
  


2017年12月24日

結果発表

メリークリスマス!!今夜はクリスマスイブという事で、男の半裸写真を見ながらお過ごしください。

今年の3月、さして親しくもない人たちから「そんな腹の出たARVNいねーよwww」と馬鹿にされてブチっと来た僕は、減量する事を決意し、「今年の年末までに成果を出す」と宣言しました。

減量開始前の2017年3月。確かに今見るとひどい。BMIは26と、完全に肥満に入ってました。
これでも20代半ばまでは、身体が細すぎてコンプレックスなくらい痩せてたのにね。

数年前から「ダイエットしなくちゃな~」とか言いながら、一方で「ヤバい、ズボン履けなくなった」とか自虐ネタに走って行動する事から逃げていた僕も、知ったかぶりの外人に小馬鹿にされた事でようやく『怒り』という動機を得て、人生初の減量を始める事となります。

【減量のために行った事】

・ダイエット(節食)
噂に聞く低糖質ダイエットとやらを始めてみました。夜は米や麺類など炭水化物を一切摂らないように心がけました。これが一番効果あったと思います。
食べる量は制限しなかったので、お米が無くてもおかずをたくさん食べる事で満腹になったので、特に苦痛はありませんでした。ただし米抜きカレーライスだけは辛かったです。
また夕食の際にサプリ替わりの減量用プロテインを飲む事で、お腹も膨れて食事量は自然と減らせました。


・ワークアウト(運動)
僕は走ったりジムでのトレーニングなど、汗をかく運動が大嫌いなので、初めからやる気はありませんでした。
なので週2回、近所のスイミングスクールで泳ぐ事にしました。水泳なら高校生までやってましたし、何より水の中なので汗だくになって気持ち悪くなることが無くて済みます。
いざ始めると、長年の運動不足から、最初は普通にクロールするのも辛かったですが、徐々に内容を濃くしていきました。初めてすぐに肩こりが治ったのはめっけもんでした。

以下、馴れてきたてからやってた基本メニュー
・アップ 50m×10
・キック(ビート板でバタ足) 50m(1分20秒サイクル)×5 
・プル(パドル+プルブイ50m(55秒サクル)×5
・キック 50m(1分20秒サクル)×5
・プル 50m(55秒サクル)×5
・スイム 125m+125m+100m+75m+75m
・ダウン 50m×10
計2500m

僕はキックが苦手で、最初は1分20秒サイクルが全然守れませんでしたが、今は最後まで1分15秒サイクルで回れるようになりました。また、ある程度体重が落ちてからは、泳ぐ距離を2000mにして、残りの時間を腹筋・腕立て・体幹トレーニングに充てています。
あと、意味あるか分かりませんが、通勤の際は駅のエスカレーターを一切使わず、常に階段で上ってます。


そして、約8か月間の減量で、このような結果になりました。

体重マイナス12kg。BMI 26→21



まじめに鍛えてる人に比べたらカスですが、単に痩身目的の減量としては、まぁ人様に見せても恥ずかしくない結果でしょう。
ここまで減らせたのなら、どうせなら昔みたいに腹筋割りたいという欲も出てきたので、来年もこの生活を継続したいと思います。


ちなみに僕に減量のきっかけを与えてくれた彼らは、単に"南ベトナム兵は痩せてる"という浅はかなイメージしか持っていなかったみたいだけど、単に食糧事情が悪くて痩せこけていた共産軍と違って、共和国の兵隊は十分な食事とトレーニングが施されていたから、細くても屈強な人が多いよ。


来年も目指せ越南男子!
  


Posted by 森泉大河 at 23:41Comments(2)リエナクト・コスプレ1954-1975News!

2017年12月23日

リプロネームテープと軍人身分証明書

【お知らせ】

先日のチャリティーパーティーの詳細を私の別ブログに投稿いたしました。よろしければご覧ください。

ベトナムウォッチ 『良心の囚人に捧げるクリスマス・チャリティー』 

もし、これら現代ベトナムの社会問題について関心をお持ちの方が居られましたら、コメント欄にその旨と連絡先をご記入いただければ、こちらからご連絡さし上げます。(そのコメントは公開しません)

ちなみに、僕と面識のない方には誤解を与えているかも知れませんが、僕自身は自分の趣味とこの活動は別物と考えているので、ミリタリー趣味の場でこういった活動に誘う事はありませんので、どこかで会っても逃げないで下さい(笑)

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外注刺繍ネームテープ完成

友人たちから注文を募って刺繍屋さんに制作していただきました。



ありがたい事に刺繍屋さんは持ち込み無料なので、これまで服を改造する度に貯め込んできた各種リプロ軍服の端切れから生地を切り出し、それに刺繍していただきました。


工賃は枚数が多い方が割安になるので、僕は思い切って15枚注文。そんなに付ける服持ってないけど、今後欲しくなった時にこんなに安くは作れないので、この機会に一生分作っちゃいました。それに友人たちの注文分も加えて、計37枚作ってもらいました。
注文する際、お店側に分かり易いよう「サバゲーで使う軍服の名札です」と説明しましたが、刺繍する名前は日本でも欧米風でもない謎のローマ字の羅列なので、不思議がられたと思います(笑)


自家製軍人身分証明書

サイゴンに住んでる友達が僕の身分証を作ってくれました。


ただ実物画像をプリントアウトしたのではなく、印字は全て僕の指定した内容にし、写真も別でプリントしたものを貼り付けてくれています
ただし、階級は下士(Hạ sĩ =伍長)にしてって言ったのに、友人は「君は士官候補生のコスプレしたんだから、今後は将校ね」と言って勝手に少尉(Thiếu úy)にされました。いや、遊びとは言え、本物の将校さん達と付き合いのある身としては、僕みたいな外人が勝手に将校の階級名乗るのは宜しくないというか、今まで気を遣って避けてたんだよねぇ。
なお、裏面の誕生日や両親の名前は実名(漢字をクォックグー表記したもの)なので載せないでおきます。友人曰く、漢字を直にクォックグーに変換した名前は、実際にホア族(在越華人)で使われているそうなので、きっと君のご両親はチョロンのホア族だねと言われました(笑)

なおベトナム共和国軍の軍人身分証明書には少なくともテンプレート番号『QĐ-849』と『QĐ-849A』2種類のタイプが確認できまして、今回作ってもらったのはその中のQĐ-849になります。


シンプルなデザインのQĐ-849
表面左下に記載されているように、このテンプレートの制定は1966年8月のようです。
問題はいつまで使われていたのかという点ですが、それを説明する資料にはまだ出合えていないません。
ネットで実物画像を集めた限りでは、1972年発行まで確認できました。

偽造防止が施された改良型の『QĐ-849A
こちらはテンプレート制定年が印字されていませんが、同じくネットにある実物画像を観察した限りでは、1973年以降に発行されたものしか見つかりませんでした。
これは上記のQĐ-849が1972年まで確認できた事と辻褄があっており、軍人身分証のテンプレートは1972~1973年頃にQĐ-849Aへと切り替わったと考えていいかもしれません。

ところで、QĐ-849は1966年制定と書きましたが、当然、じゃあそれ以前の身分証は何だ?となりますよね。
実は、僕もよく分かりません。1972年以降なら、戦況の悪化から徴兵しまくったために証明書発行が間に合わず、軍人身分証に代わる簡易な『現役証明書(QĐ-750FおよびQĐ-750G/V)』も使われていたようですが、逆に1966年以前のものはなかなか見つかりません。
書類関係はネットで画像集めるだけで、本格的に研究した事はないので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、教えて頂けると幸いです。
  


2017年12月15日

服いじりの進捗

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(近況)

レプリカ軍装メーカーEA(East Asia Supply Co.)は、企業としての態度が腐りきっていると感じました。

【経緯】

商品代金を11月3日に支払い。受注生産の為、 5-7日かかると連絡あり。
その後2週間何の連絡も無し。
納期を問い合わせたところ、11月17日に「来週やる」と返答あり。
さらにその後4週間、音信不通。メール、電話にも応答せず。
12月14日、Paypalの問題解決センターから異議申し立てした事でようやく返答あり。
「今週はスターウォーズ衣装の制作で忙しいから、来週制作して送る」


あの社長は、下手に出ると、こういう態度で返す人間だったんだな。
どうやら半端なマニア達にチヤホヤされて天狗になってるらしい。
もうあそこの製品は二度と買いません。意欲的なメーカーだと思っていたのに、残念です。

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(ここから記事本編)

外注ボタンホール

 11月25日の記事に書いた3着のボタンホールが仕上りました。僕は親が仕事で使っている工業用ミシンを借りて使っているのですが、工業用ミシンには家庭用ミシンのようにジグザグ縫いやボタンホール縫いといった機能は無いので、ボタンホールを作る際は毎回穴かがり所(ボタンホール専門業者)に外注しています。
 毎回持ち込むのは面倒くさいのですが、穴かがり以外の工業用ミシンはうちに揃っているので、わざわざボタンホールの為だけに家庭用ミシンを買うのももったいないんです。家庭用ミシンだって安くはないので、外注と比較した場合、ミシン代の元を取るためにはボタンホールを数百個作らなければなりません。さすがにそんなに作らないし。

実物4ポケ カーキ作戦服 レストア

レプリカ警察クラウド迷彩服リニューアル

ヒューストン製米軍グリーンリーフTCUレプリカ ベトナム軍2ポケ化


ボタン取り換え

 ミシンの無い人でもお手軽に服のディテールアップを楽しめるのがボタン交換。上下セット7000円で売ってたセスラー製タイガーも、ボタンを良いものに交換するだけでそれなりに見栄えします。




 先月半ばから交換作業を始めましたが、やってるうちに「どうせならこれも交換しちゃおう」と、次から次へとボタンを外しては付けて、外しては付けてを繰り返しているうちに延べ100個くらい交換しています。(うちに自動ボタン付けミシンは無いので、全て自分で手作業です。)
 だけどまた新しい服が増えたりしたせいで、上のタイガーがボタン交換対象のラスト1着だったはずが、気付いたらさらにもう3着手を付ける事になってしまいました。自分が欲かいた為とはいえ、いつになったら終わるんだよ・・・。もう針糸持つの嫌になってきたので、ボタン付けはちょっとお休みしてます。




セスラー残念リーフキャップをベトナム軍八角帽化

 セスラーのグリーンリーフは生地がとても良い感じなんですが、なぜかキャップは、大戦中のP41P44キャップの裁断でU.S.M.C. CAPとして売られています。なぜこんな事したのか意味不明ですが、幸いトップ部分をミシンで縫うと簡単に八角帽の形になるので、安価な代用品としては絶好の素材です。
(2017年12月17日訂正 P41ではなくP44でした)


 当時のベトナム陸軍空挺師団や特殊部隊の写真を見ていると、よく帽子正面に降下資格章(シルク織り)を縫い付けて空挺隊員である事を誇示しているのが確認できます。一方、当然ですが降下資格の無い者は資格章を付けられないので、降下資格者がそれほど多くはないレンジャーや海兵隊ではあまり見かけません。

空気穴はP41P44と同じ緑色のハトメだったので、油性ペンで黒く塗りました。

 実物の迷彩八角帽は、帽体前面に芯が入っているタイプと、入っていないタイプの両方が確認できますが、やはり八角帽はトップが立っていた方がカッコ良いので、今回は帽子用のポリエチレン芯を縫い込んみました。
ただし実物の様に前側三面の芯を裏地で覆うよう改造するのは面倒な作業なので、ポリ芯は正面一面のみで、むき出しになってます。しかも空挺資格章縫う位置を間違えて何度も縫い直ししたせいで、芯もご覧のあり様。中は見ないで~!(笑)
  


2017年12月09日

おもいでのダクツタイガー

※今回は僕の思いでメインの記事です。

 幼少期より銃火器・ミリタリーが好きで、小3で初めてマルイのエアコキ(ベレッタ92F)を手にして以来、ずっとエアガンで遊んでいた僕は、当然のようにサバイバルゲームというものに惹かれていました。
 そして高校に入学すると、偶然にも自転車通学ルート上に草加のエアガンカスタム・サバゲショップUENS☆DAYさんがあり、僕はそのショップ主催のサバゲに参加すると共に、学校帰りにお店に寄り、ほとんど毎日入り浸るようになりました。お金のない高校生の僕は、店に行ってもエアガンを買う金は無いので、お店で売ってるカップラーメンとスーパーBIGチョコを店内で食べるのが日課になっていました。今考えると、サバゲを始めたこの時期にUENS☆DAYさんに出会った事が、僕の人生に大いに影響あるいは悪影響?(笑)を及ぼす事になります。

 僕はサバゲを始めた時点では、1990年代の米海軍SEALs装備が好きだったので、(当然金は無いので代用品で誤魔化しながら)それっぽい服装をしておりました。

▲16歳の時のわたくし。この時点ではベトナムには何の興味もなかったです。

 しかし周囲の環境と人間は完全にナム戦モード。関東で昔からナム戦ゲームやってる人なら知っているかも知れませんが、僕が偶然通うようになったUENS☆DAYさんは、オリジナルの電動M16A1アルミレシーバーやCISOリュック、STABOハーネス、SEALベストなどのナム戦軍装アイテムを制作・発売しており、また三郷の河川敷で度々開催されていたナム戦ヒストリカルサバゲイベントの運営にも携わっておられました。また店内には、常連が置いていったベトナム軍装関連の洋書が多数置いてあり、好きなだけ読む事が出来たのです。これだけナム戦ファン率が高いのは、たぶん当時でも珍しかったと思います。
 そしてそんな場所に足しげく通う僕も、自然とナム戦装備のカッコ良さに魅せられ、自分もやりたい言い出します。そこで周りの先輩たちが、予算に限りのある僕に勧めてくれた設定が、米陸軍の師団司令部付き長距離偵察チームLRRPでした。「LRRPならタイガー着てM56装備付けるだけでOKだよ。パッチも要らないよ」と。
 まぁ今振り返るとかなり大雑把な説明ですが、「君はこれを読みなさい」と、フランク・キャンパー著『ザ・ラープ』まで渡され、僕はウキウキ気分でLRRP隊員になる決意をしたのでした。そしてこれが運命の分かれ目でした。ここでもし通常の米軍歩兵装備を勧められていたら、僕は今頃違う人生を歩んでいたかもしれません。

 そしてLRRP装備の第一歩、そしてその後十数年どっぷり浸かる事となるベトナム軍装趣味の第一号として16歳の時に買ったのが、米国タイガー・ストライプ・プロダクツ(以下ダクツ)社製のレプリカ迷彩服。中古で上下セット3000円くらいでした。当時ダクツタイガーは日本全国どこのサバゲーフィールドに行っても見られる、極ありふれた迷彩服で、サバゲ用品としてはもちろん、街の古着屋でもいくらでも中古が安く売られていました。
 その後、1年かけて小遣いやバイト代をやり繰りしながらM1956個人装備やCISOリュックを集め、晴れてナム戦デビューを果たすのですが、そこで周囲の大人たちから思いもよらぬ言葉を浴びせられました。

「どう見てもヤードwww」 「南べ似合うね~!羨ましい(笑)」

 みんなひどい!だって僕はLRRPのアメリカ兵ごっこがやりたいからコツコツお金を貯めて装備を集めてきたんですから。高校生にとって装備一式と電動ガン集める金は大金でしたよ。
 今思えば、僕が言われた「タイガー買うだけでOK」云々の甘い誘い文句は、(あくまでアメリカ人役だけやりたい)自分たちの仲間に、CIDG役を一人加えたかったから、痩せてて背の低かった僕をCIDG役として引き入れるための策略だったのでは?と疑わしく思えてきます。
 とは言え、何度も何度も「似合う」、「羨ましい」と言われていると、悪い気はしないので、自分でもだんだんその気になってきちゃいました(笑) そしてインターネットで当時のCIDGやベトナム共和国軍の写真を集めるようになったのが、現在このブログを書くに至っているベトナム研究の入り口でした。

▲一度もLRRP役を経ぬままナム戦イベントにベトナム共和国軍特殊部隊役で参加。2004年『NAMっぽいのが好き』


 当時、周囲のナム戦趣味の先輩たちと南ベトナム軍ついて話していた時に言われた言葉を今でも覚えています。ある方が僕に、冗談のつもりでこう言いました。

「もしかしてタイガ君、十年後には"南ベトナム軍の第〇師団の配置は~"とか言うようになってるんじゃないの(笑)」

 どなたが言った言葉なのかちょっと思い出せませんが・・・。その冗談、現実になってますよ。多分その人も、そして僕自身も想定していなかったレベルで。

 今も似たようなものですが、当時もベトナム共和国軍というの不人気軍隊の師団の配置に関する知識など、超マイナー・マニアックと見做される物でした。そして、そんな変態そうは居ないという意味で、この台詞は冗談になり得たのです。
 なお今現在の僕は、「マイナー」や「マニアック」という言葉に興味がありません。人の興味が千差万別なのは当たり前であり、僕にとっては多数派である事に価値は無いのと同時に、少数派である事もまた無価値です。
 ではなぜ、あれから十数年もベトナム共和国軍に興味が持ち続けているのかと言いますと、それは単純に20世紀後半最大の戦争の中心勢力に興味を持ったために、それを調ているだけなのです。僕にとってそれは歴史を振り返る上で非常にオーソドックスなアプローチの仕方であり、今となっては寧ろこれが「マニアック」と見做されている現状の方に違和感を感じています。
(マニアックという言葉の本来の意味って、「ある事に極端に熱中しているさま」なんですね。てっきり酔狂や奇特な志向の事だと思ってました。本来の意味では、確かに僕はマニアでありマニアックしてますね。)

 話が脱線しましたが、かつて自転車で1時間かけてサバゲに行っていた埼玉の高校生が、たまたまナム戦コスプレと出会い、10年後には自分がコスプレしていた部隊の元将兵たちに親しくして頂けるまでになったわけですから、我ながら数奇な縁があったものです。これは決してそうなる事を見越して努力した訳ではなく、たまたま出くわした状況に対し好奇心の赴くままに突き進んだ結果なのですが、今振り返ってみると、単なる偶然と呼ぶには出来過ぎてる気もします。なにか運命めいたものでもあるのでしょうか。
 こんな感じで僕の人生常に流動的ですので、この先どうなるのか全く予想がつきませんが、10年後の自分がこの記事を読み返した時どう思うのか、今から楽しみにしておきます。



ダクツタイガーのレストア&改造

 この記事、本当はこのレストアの話がメインのはずだったのですが、思い出話を書いているうちに随分長くなてしまい、こっちがおまけみたいになっちゃいました。まぁ大して内容も無いので、簡潔に書きます。

 上記の16歳の時にLRRPやるために初めて買ったダクツ製のタイガーは、まだ捨てずに家の軍服入れにしまってあります。しかし長いこと、ダクツなんていつでも手に入る安物リプロという認識だったので、まだ知識が浅かった時分に改造服のベースにしており、いろいろイタズラした結果、今やジャケットとパンツ共に、ポケットやボタンも無いまっさらな状態になって、箪笥の肥やしになっていました。


 しかし今になって実物や他のメーカーのリプロと見比べてみると、ダクツタイガーは案外出来が良かった事に気付かされます。タイガーストライプは現在でも複数のメーカーから絶え間なくリプロが発売される人気迷彩服ですが、値段が張るそれら新作リプロと比べても、ダクツの再現性は馬鹿に出来ません。ボタンを変えるだけで、ぱっと見本物っぽく見えてしまいます。(ただし僕が持ってるような古いロットの物だけ。それ以降だんだんおかしくなり、現行品はリプロ軍装ですらない、ただのミリタリー風ファッション)
 また、かつてはあれだけ投げ売りされていたこの服も、いつしか市場から消えてしまい、気付いたら良い時代のダクツ製品が手に入りにくくなってしまいました。
 こうして、生地取り素材として箪笥に眠っていたダクツタイガーの価値にようやく気付いた僕は、この服を再び着る為、どうにかしてレストアする事にしました。
 まず必要なのはポケット用の布です。胸ポケットだけならジャケットの袖を切って半袖にする事で生地を確保できますが、今回はパンツのカーゴポケットも必要なので、袖だけでは生地が足りません。そこでしばらくダクツタイガーの中古を探し回った結果、運良くほぼ同じロットと思われるパンツを入手する事に成功しました。
 素材さえ手に入れば、あとの縫製は馴れたものです。ただ、ダクツと同じ裁断(通称USタイプ)のリプロは他にも持っているので、オリジナルに戻すだけではつまらないと思い、今まで持っていなかったタイプを再現してみました。


MADP系タイガーストライプの裁断には多数のバリエーションがあったことが知られていますが、今回はその中でも、当時2ボタンマチポケット(USタイプ)、1ボタンマチポケット(アジアンタイプ)に次いで多く用いられた、隠しボタン雨蓋マチポケットを再現してみました。

隠しボタン雨蓋の使用例(ベトナム陸軍特殊部隊)

ボタンを留める輪っかも再現。ボタン自体は東京ファントム製ベトナム軍2ポケグリーンリーフ迷彩服に付いていた物を移植しました。またポケットの寸法はMASHのアジアンタイプから採寸して再現しています。

 
ズボンは一般的な2ボタンマチポケットで、素材用パンツからカーゴポケットをそのまま移植。

ここまでやれば、思い出の品のレストアとしては十分でしょう。
しかし毎度の事ながら、服をいじるのは良いけど、その服をイベントで着るはいったい何年先なるのか分かりません。
  


2017年11月29日

撮影会:ラムソン719作戦―ラオス1971年2月―

寒くなってきたので、防寒着を着ても不自然にならないよう、
1971年のラムソン719作戦をテーマに
撮影会&プチ演習を行いました。




番外編

最高気温10℃。でもそんなの関係ねぇ~


これで今年の撮影会は最後になると思います。
また来年も遊びましょう!

  


Posted by 森泉大河 at 23:34Comments(0)リエナクト・コスプレ1954-1975

2017年11月25日

最近やった服いじり

実物4ポケ レストア

無知な業者によって残念な姿にされてしまった『元』ベトナム軍実物4ポケット カーキ作戦服をレストア中です。


胸ポケットの形状(ほぼ正方形)や背中側のウエストを絞るフラップから、この服は元々4ポケットだった事が分かります。
ベトナム戦争末期の1970年代に普及した4ポケットは、1960年初頭以来使われている2ポケットよりも遥かに生産時期が短いため、今となっては貴重な服なのですが、ベトナム共和国軍軍装の研究が進んでいなかった一昔前は、マニアですら4ポケットの存在をあまり認識しておらず4ポケットを買い求める者が少なかったため、一部の軍装ディーラーはそれら実物4ポケットから下のポケットを取り払い、『より売れる』2ポケット風に改造して販売するという事を繰り返していました。この粗悪改造によって一体何着の実物4ポケが潰された事か…。
その内の一着が巡りめぐって僕の手元に来たので、せめてもの供養に本来の4ポケットの姿にレストアする事にしました。やる事は単純で、下ポケットを作り直せばいいのです。ただし別の布を使ってしまうと服の生地と色が合わないため、色を合わせるためにはこの服からポケット用の布を捻出するしかありません。そこで七分丈になっていた袖をさらに切って半袖にし、その布でポケットを作る事にしました。(半袖化自体は戦時中もよく行われた改造です)
ポケットの寸法は、服に元のポケットが外された跡がうっすら残っていたので、それに合わせて作成。


幸い部分的に色落ち具合が違うという事も無く、目論見通り色はマッチしています。外されていたウエストフラップのボタンも、実物と瓜二つの戦後ベトナム製ボタンを付けて再現。あとは穴かがり屋さんに持ち込んでポケットの雨蓋にボタンホールを開けるだけです。
本当にこだわってレストアするなら、ミシン糸やボタンホールの処理は現代のポリエステル糸ではなく、当時風の綿糸を使うべきなのですが・・・、僕はコレクターではないので、そこは妥協してしまいました。


警察迷彩服リニューアル

以前『警察迷彩服の続き』でいじったリプロ迷彩服を、さらにいじり倒しました。

新品状態


改造後



前回からの変更点は、エポレット追加、ポケット形状変更、半袖化、ベトナム製ボタンに取り換え、自作第611野戦警察中隊パッチ取り付け、以上です。ぱっと見本物っぽい雰囲気出てきたかも。
あとはエポレットにボタンホールを開け、注文中の刺繍ネームテープを取り付けて、階級章を自作すれば完成です。


ヒューストン製米軍TCU ベトナム軍2ポケ化

数年前ベトナム国産TCU型作戦服を再現すべく改造したヒューストン製TCUを、さらに2ポケ型に大幅改修。ついでに七分袖化も。


ポケットを作り直しただけで大分イメージが変わるけど、実は背中を見るとTCUだった名残りで当て布が残ってます。これを外すためには袖だけじゃなくて襟周りまで一度糸を解かなくてはならず、なかなか大変なので、今回は手を付けませんでした。なおボタンはクラッシファイド製を付けています。
これもあとはポケット雨蓋のボタンホールを開けるだけです。この服をどういう設定にするかは、完成するまでナイショ♥



根性のボタン交換

服自体の改造ではないものの、手持ちの各種戦闘服のボタンをよりリアルな物に交換する作業を始めました。
ボタン交換は地味に面倒くさい作業なので、そのうちやると言って何年も放置している服が何着もたまってしまいました。
このままではいつになっても出来上がらないので、上記の改造をやるついでに、ボタン交換予定の服から今付いているボタンを全て外し、ボタンを取り付けない限り着られない状態にしてやりました。ああ、せいせいした。


ここから先は自分との戦いです。やる気があるうちに一気に進めるしかありません。




EA製2ポケERDL作戦服×ベトナム製ボタン (これで手持ちのベトナム製ボタンの在庫は全て使い果たしました。)



東京ファントム(だっけ?)MDAPタイガーストライプ×EA製ボタン



改造服も含めて6着、ボタン60個以上を一気に交換しました。ああ疲れた。でもまだ1着ボタン未取り付けが残ってる。



おまけ

作業中はずっとvistlipの曲を聴いてました。良い歌作るなぁ。
特に「HEART ch.」と「深海魚の夢は所詮、」は聞く度にウルッと来るので、車の中でもいつも聞いてます。



  


2017年11月21日

いろんなTAP47

※2018年9月2日追記

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先日撮影会を行った際に、TAP47系ジャケットを着て集合写真を撮る事が出来ました。


左から
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品)
WPG製リプロ TAP47/52(旧製品・染色加工)
実物 パステルリーフTAP47
実物 TAP47/53

僕は当日メダルを忘れてしまい、さらに持参した白靴紐のジャンプブーツに履き替えるタイミングも逃してしまったので、礼装状態ではありません。また改めてフルメダルのパレード装をやりたいと思います。


 Tenue de saut Mle 1947、通称『TAP47降下服』とは、フランス軍が1947年に採用した戦闘服の一種で、落下傘降下時の防風・防寒を目的とした空挺部隊(TAP)向け被服です。折しも当時は第一次インドシナ戦争が激化の一途を辿っており、TAP47降下服はインドシナに派遣されたフランス陸軍(本土軍・植民地軍・外人部隊)の空挺部隊に大々的に使用されます。そしてその後もTAP47は改良を重ねながらアルジェリア戦争期まで使用されていました。
 また第一次インドシナ戦争中にフランス植民地軍内に組織され、後にそれぞれの国軍となったインドシナ諸国の空挺部隊もフランス軍からこのTAP47系降下服を供与されており、それらの国々では1956年にフランス軍がインドシナ半島から完全撤退した後も、TAP47という服はエリート部隊の証と見做され、1970年代まで空挺部隊の伝統を表す正装として扱われていました。この記事では特にベトナム軍で使用された各種TAP47系降下服をご紹介します。




※2017年11月26日追記

<フランス軍TAP47>
インドシナ諸国で使用されたTAP47はフランス連合時代にフランス軍から供与されたものがでした。

TAP47

最初期のTAP47にはリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在し、その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1951年]


TAP47/51

TAP47/51はTAP47の1951年改良型で、こちらもリザード迷彩生地とカーキ単色生地の二種類が存在しました。(パンツはカーキのみ)。(※ごく少数ながらリザード迷彩の47/51パンツも生産されていたとご指摘いただきました。)その中カーキのタイプがベトナム軍に供与されていたのが当時の写真から確認できます。
[画像: ベトナム陸軍第1空挺大隊, 1953~1955年頃]


TAP47/52

TAP47/52はTAP47の1952年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。1953~1954年までベトナム国軍空挺部隊に供与され、ディエンビエンフーの戦いなど数々の激戦で用いられた、TAP47シリーズの中でも最も多く戦闘に用いられたタイプです。第一インドシナ戦争終結後も、1960年代初頭までTAP47/52は空挺部隊で実用される降下用被服でしたが、後に作戦服はブラッドケーキ迷彩服等に切り替わっていったため、以後TAP47/52(主にジャケット)は礼装として珍重されるようになります。
[画像: ベトナム陸軍特殊部隊, 1960年代後半~1970年代前半]


TAP47/53

TAP47/53はTAP47の1953年改良型で、生地はリザード迷彩のみです。第一インドシナ戦争中に採用されたものの、フランスで生産されたこの服が実際にインドシナに到着したのは終戦間際の1954年前半であり、本格的に前線部隊への支給が始まったのは第一インドシナ戦争終結後と考えられています。戦後に支給されたため47/52と比べると戦闘による消耗は少なく、1960年代以降はこの47/53が礼装として多く用いられるようになります。なお上の写真のように上下揃いで着用されるのは部隊単位で在庫していたまたは購入した場合のみで、個人の場合は上下揃いで買う者は少なく、多くの場合着用されるのはジャケットのみでした。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1967年11月1日国慶日]


<非正規TAP47>

 1960年代に第二次インドシナ戦争が激化すると、需要と反比例してフランス製TAP47シリーズの在庫は枯渇していったため、特にベトナム共和国軍では当時国内に存在していた各種迷彩生地を使ったTAP47と同型の非正規な服が、パレード用の礼装や晴れ着として、部隊単位あるいは個人的に製作されるようになりました。

イギリス軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩生地
ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩は元々、第二次大戦中にイギリス軍が開発した空挺部隊の降下スモックに用いられていた生地で、第一次インドシナ戦争期にイギリスがフランス軍に供与し、さらにその後フランス軍によってベトナム軍にも供与されました。こうした経緯から、1960年代初頭にはウィンドプルーフ迷彩を基にしたブラッドケーキ迷彩がベトナム軍によって新たに開発されます。ただしウィンドプルーフ迷彩の被服は通常、イギリス軍と同型のスモックや、フランス軍独自のジャケット・パンツであり、写真のTAP47型は個人的にオーダーメイドされたと思われる非常に稀な例です。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代後半]


ベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩生地
ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩は、フランス軍のTAP47(および同じ生地のTTA47)のリザード迷彩を基にベトナム海兵隊が1950年代末に開発した迷彩です。ただし海兵隊は空挺部隊を保有していない為、実戦で降下服を着用する事はなく、写真のTAP47型は純粋にパレード用の礼装として極わずかに制作された物と考えられます。
[画像: ベトナム海兵隊海兵旅団, 1966年6月19日国軍の日]


民間ERDL(インビジブルリーフ)迷彩生地
ERDLパターンは元々、1948年に米陸軍ナティック研究所で開発されたものの、米軍での採用は長年見送られており、軍よりも先に民間のハンター用迷彩服として出回った迷彩でした。ベトナム軍は1965頃にこのERDL(インビジブル)迷彩を作戦服の迷彩として採用し、1967年頃まで支給しました。このTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1966年?]


アメリカ軍ERDL(グリーンリーフ)迷彩生地
1967年にアメリカ軍がついにTCU(熱帯戦闘服)用迷彩として改良型ERDL(グリーンリーフ)迷彩を採用すると、ベトナム軍の標準迷彩もインビジブルからグリーンリーフに切り替わり、以後70年代初頭までグリーンリーフ迷彩の作戦服が支給されました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: トナム陸軍空挺師団および海兵隊, 1967~1969年頃]


ベトナム軍ERDLレンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩生地
レンジャー・エアボーン(パステルリーフ)迷彩はアメリカ軍のERDL迷彩を基にしたベトナム国産の迷彩で、1968年頃から支給が始まり、1970年代に入るとグリーンリーフにとって代わってベトナム軍の標準迷彩となりました。写真のTAP47型はその期間中、パレード用礼装として極わずかに制作されたものと考えられます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団, 1960年代末~70年代前半]


フランス軍リザード迷彩ポンチョ生地
上記のようにベトナム国産のTAP47系降下服には様々な迷彩生地が用いられたものの、将兵の間で最もステータスとされたのはやはりオリジナルのフランス製(リザード迷彩)でした。しかしフランス連合脱退から20年近く経過し、オリジナルは入手困難であったことから、中には迷彩服ではなく、フランス軍の迷彩ポンチョを改造してまでリザード迷彩にこだわる士官もいた事が写真から伺えます。
[画像: ベトナム陸軍空挺師団衛生大隊主任軍医チャン・ドゥック・トゥオン博士, 1970年代前半]


上記以外にも、聞くこところによるとフランス製TAP47の欠乏に伴いベトナム軍が韓国に発注して作らせたという韓国製リザード迷彩や、ベトナム国家警察ナショナルポリス(クラウド)迷彩のTAP47系降下服まで存在したそうなのですが、残念ながらそれと確認できる当時の写真を僕はまだ見付けられていません。


<おまけ>

今回記事を書くにあたってTAP47系の着用例を見直していたところ、非常に気になる写真を見つけてしまいました。

 
撮影時期は不詳なのですが、クーデターによって1963年11月2日に暗殺されるゴ・ディン・ジエム総統が映っている事から、確実にそれ以前の写真です。
手前の兵士はTAP47系の降下服を着ていますが、問題は服ではなくその袖に付いている部隊章です。服装から部隊は空挺旅団である事は間違いないと思うのですが、その部隊章が、どうも当時空挺旅団で使われていたと考えられているタイプ(下向きの鷲)には見えないのです。むしろ、どちらかと言うと、1964年後半以降(※)に見られる新型(白頭鷲)に見えます。かなり不鮮明なのですが、拡大して見比べてみるとこうなります。

※新型が使われたのは、一般的には空挺旅団が師団に昇格した1965年12月末(実質的に1966年)以降とされていますが、実際には1964年中から使用されていた事を以前記事にしました。過去記事撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン』参照
 
もしこれが新型であったらなら、これまで一般に1965年12月と書かれ、僕自身も1964年中だと思っていた採用時期は、さらに遡って1963年以前という事になります。これはすごい発見かも知れません。しかしこの画像だけでは確かな事は言えないので、さらに当時の写真を調べて行こうと思います。

※2018年7月12日追記
部隊章の採用時期について新たな知見が寄せられました。
新記事参照 『ベトナム陸軍空挺部隊の部隊章』 
  


2017年11月07日

ベトナム製リプロの憂鬱

 前回の記事『2ポケット作戦服の裁断とカーキ作戦服』で紹介したベトナム製リプロにもうひと手間かけてディテールアップ、と言うか悪あがき。
 前回、この服は肩部分は迷彩服型のように肩当とエポレットの両方を備えており、カーキ作戦服としては不自然と書きましたが、変な部分はそれだけではありません。本来、2ポケット作戦服は首元まで襟を閉じられるよう第1ボタンとボタンホールが備わっているのですが、このリプロにはそれがありません。1970年代に普及する4ポケット作戦服からは第1ボタンが省略されるようになりますが、2ポケットはどのタイプでも必ずと言っていいほど第1ボタンを備えています。(改めて写真を見直したところ、無いタイプも結構見られました。)なので昨日、自分で穴かがり所(ボタンホール加工専門業者)にこの服を持ち込み持ち込み、ボタンホールを作ってもらいました。単発だと工賃は結構高くて、一カ所開けただけなのに540円しました。
 しかし、ボタンホールは単に加工すれば簡単に解決できる事なので大した問題ではありません。この服の本当の恐ろしさは下の写真の中に隠されています・・・。

おわかりいただけただろうか・・・・・・。

 そう、第2ボタン以降、前合わせのボタンホールが4つ全て縦に開けられているのだ・・・。これはベトナムで買った時点で最初からこうなっていました。無駄に肩当・エポレット付けてそれっぽい雰囲気出そうとしてるくせに、なんでこの部分を間違える・・・。
 なので当初は前合わせの生地の端を内側に織り込んで縦ボタンホールを隠し、新たに横穴を4つ開けようと考えていましたが、いざ工程を考えてみると、前合わせは襟の形に直結する部分なので、下手にいじれないという事が分かり、結局その案は断念せざるを得ませんでした。
 したがって第1ボタンを追加するにあたっては、ボタンホールの向きを正しい横向きにするか、他の穴に合わせて縦にするか悩みました。第1ボタンも縦にしてしまえば、一つだけ向きが違うという違和感は無いですが、襟はボタンホールが一番目立つところなので、そこが縦なのは恥ずかし過ぎます。結局、第2~第4ボタンは、ボタンを閉じてしまえば穴の向きなんてあまり見えよね!と自分に言い聞かせて、第1ボタンは横穴にしました。不本意ですが、僕にはこれ以上の改修は無理です・・・。

 ちなみに過去に何度か記事に載せている、このベトナム製実物パステルリーフ生地リプロ(生地は当時物だけど縫われたのは近年)も全く同じ状態でした。2ポケットなのに第1ボタン無し。前合わせボタンホールは縦穴・・・。せっかく実物生地なのにこれは残念過ぎます。もったいない・・・。


 今気付いたのですが、この服も一緒にボタンホール開けてもらえばよかったです。すっかり忘れてました。また近いうち穴かがり所に持ち込みます。

 なんで本国製のリプロがこんなにいい加減なんじゃい!と憤りを覚えます。恐らくこれらのリプロは外国のマニアや業者がベトナムの洋裁屋に発注して作らせたものですが、その際服の仕様のに指示が上手く伝わらなかった、あるいはそもそも発注する側に知識がなかったのだと思います。当然ですが、いくらベトナムであっても、その辺の町の洋裁屋さんが3・40年前に消えた旧政権の軍服について詳しい知識を持っている訳が無く、単に注文された通りに作っただだけのはずです。またその後、「こういう服は外国のマニアに高く売れる」と気付いたベトナムの業者が、先に生産した=誤った仕様の服をそのまま同じ形で作り続けた為に、このような粗悪なリプロが出回っているのだろうと推測しています。
 これはパッチについても言える事で、一度マニアがベトナムにレプリカパッチを発注すると、その後同じものが大量に出回るという現象が20年以上前から続いています。ただし、近年はナム戦マニア人口の減少によって正しい知識を持った客が少なくなってきたためか、レプリカを作る側もどんどんいい加減になり、最近ベトナム国内で作られているレプリカパッチの多くは、もはやレプリカとも言えない劣化版?お土産品?ばかりになってしまいました。これからは過去に作られた良質なレプリカパッチの値段が上がっていくかもしれませんね・・・。いや、マニア人口が減って需要が無くなるから、そうでもないか。


おまけ

なかなかしっくりくる色合いにならず、3回目の塗り直し中。塗料代えらい使ってます。
完成したら改めて記事にします。



ベトナム軍ごっこに季節は関係ない。
ベトナムやラオスでも高地なら気温は10℃くらいまで下がるし、草木も茶色くなる。


雪が降ったらアメリカ研修ごっこすればいい。


まだ冬服そろってないけど。