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2024年02月24日

VMSっぽい服

※2024年2月25日更新

2024年2月23日に投稿した同名の記事の中で、かなり大きな勘違いを載せてしまっていたので、あらためて書き直します。

最近ベトナムのĐLCHが、ベトナム海兵隊ザーコップ迷彩の中でも1962年頃に登場した「2nd/VMSパターン」と称する服を発売したので、試しに買ってみました。
なお通常ラインナップでは「迷彩服型」で販売されていますが、今回僕は特注で「肩当て型」を作ってもらいました。

(海兵隊ザーコップの分類と裁断については過去記事『ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類』参照)


ぱっと見悪くないと思います。
パターンを実物の2nd/VMSと比べてみるとこんな感じ。


パターンを印象付ける黒い模様の部分は7割くらい再現できている気がします。でも他の色の部分は完全に架空のデザインです。
ま、ĐLCHの製品はとにかく値段が安い事が取り柄で、レプリカとしての再現度は期待できないと分かった上で買ったので、そんなに不満はありません。
「VMSの代用品」としては十分なので、コスプレ撮影用に使いたいと思います。


これまでベトナム海兵隊ザーコップのレプリカと言うと「4th/VMD」ばかりで、その他のパターンはなかなか商品化されてきませんでした。
そんな中、数年前に韓国の業者が恐らく史上初のVMSのレプリカを発売しましたが、あちらはパターンはちゃんとしているのに色を大失敗していたため、僕は買いませんでした。
そして今回のĐLCH製も、色はともかくパターンの再現が中途半端。
VMDに関してはイリュージョンフォクフンから、それなりに再現度の高いレプリカが発売されましたが、VMSで決定版と言える製品はまだ存在していません。
例の韓国の業者が同じパターンで色だけ修正して再販してくれたら最高なのですが・・・。なんか自信満々で、自分の間違いを認める気はなさそうなんだよな・・・。


なお今回、僕はこの服を1962~1965年頃の設定で着るつもりなので、今のところインシグニアは一切付けないつもりです。
海兵隊の各インシグニアの導入年は、次のようになっています。
・左袖の海兵隊部隊章:1960年(実質1965年)
右胸の大隊色ネームテープ:1963年
・右胸の胸章:1966年
・右袖の大隊章:1967年?

海兵隊部隊章については、1960年に採用されたものの、実際に普及し始めるのは1965年頃です。
同様にネームテープ1963年にはすでに着用例があるものの、1960年代中盤までは着用が徹底されていませんでした。
なので1965年までは、作戦服に何のインシグニアも着用していない将兵が大勢見られます。

1965年の『南ベトナム海兵大隊戦記』で有名な第2海兵大隊第2中隊長グエン・バン・ハイ大尉も、インシグニアを着用していません。

また過去記事『レプリカ海兵ベレー』で書いたように、この年代に合わせた海兵隊兵卒ベレー(1956年~1966年頃)はすでに準備済みです。



振り返ってみれば、東大で南ベトナム海兵大隊戦記を鑑賞してから12年。ようやく、その年代の海兵の軍装が揃いました。
春になったらさっそく撮影会で着たいと思います。
  


2024年01月20日

ラオスもいける

※2024年1月27日更新

昨年11月の撮影会で仏軍コマンド・ダムサンを始めたと書きましたが、その時着たのがこの、パリを散策した際にミリタリーグッズショップ『ドゥースー(Doursoux)』で買ってきたTAP47/56降下服のレプリカです。



この服を買った時はフランス製という認識だけで、どのメーカーが作ったのかは分からなかったのですが、後にフランス軍マニアの先輩に聞いたら、そのドゥースーのオリジナル製品っぽいです。
米国のWhat Price GloryでもTAP47/56のレプリカを販売していますが、ドゥースーの方が良い色してます。
良い買い物しました。

僕はこのTAP47/56を、コマンド・ダムサン用に使う事を第一の目的として買ったのですが、実は使い道はそれだけではありません。
過去記事いろんなTAP47で述べたように、TAP47降下服シリーズは第一次インドシナ戦争中の1947年に登場し、さらにフランスがインドシナから撤退したも、TAP47は空挺部隊の象徴としてベトナム、カンボジア、ラオス軍で引き続き着用されました。
ただし、TAP47シリーズの最終モデルである56型は、その名の通り1956年に改良されたモデルであり、その頃にはベトナム(南べトナム)はすでにフランス連合から脱退していたため、ベトナム軍に56型が支給される事はありませんでした。(支給されたのは53型が最後と思われる)
一方、第一次インドシナ戦争終結後もフランスと友好関係を保っていたラオスやカンボジアは、引き続きフランスから軍事物資を輸入しており、TAP47も新型がフランスから直接供給されました。
なおラオス軍では56型の使用が確認できますが、カンボジア(クメール)軍では私は54型までしか使用例を確認できていません。(クメールでも56型を使っていても何の不思議もありませんが、クメール空挺の写真を見ると、TTA47をメインで着ていたようで、TAP47の着用例自体が少ないです)

以下、ラオス王国軍でTAP47/56が使用されている写真です。

▲中立派軍所属の空挺部隊 [ビエンチャン 1962年]
話が服からは逸れますが、上の写真に写っているベレー章が何なのか分からなかったのでケン・コンボイ先生に質問したら、これは中立軍を示すもので、半年くらいしか使用されなかったレアな徽章との事です。→画像
また、1960年に王国軍(右派)から分離独立したコンレー大尉率いる王国軍中立派はこの時期、右派に対抗するためパテート・ラオと同盟を結んだことで、ソ連から軍事支援を受けていたため、ソ連製のPPSh-41短機関銃を装備しています。(その後中立派は中立を維持できず右派と左派に分裂)

空挺部隊の将校
撮影年は不明ですが、後ろにパテート・ラオの兵士が一緒に写っている事から、1973年の停戦より後と思われます。こちらの写真のベレー章が本来の空挺部隊の物。(過去記事『代用ラオス軍ベレー』参照)

空挺ベレー章も、胸の降下徽章もすでに持ってるので、最低限必要な物は揃いました。
暖かくなったら外で着て写真を撮りたいと思います。
  


2023年12月31日

2023年の思い出

毎年年末に書いている1年の振り返りです。

2015年 https://ichiban.militaryblog.jp/e724040.html
2016年 https://ichiban.militaryblog.jp/e822805.html
2017年 https://ichiban.militaryblog.jp/e898307.html
2018年 https://ichiban.militaryblog.jp/e960359.html
2019年 https://ichiban.militaryblog.jp/e1015276.html
2020年 https://ichiban.militaryblog.jp/e1054622.html
2021年 https://ichiban.militaryblog.jp/e1085803.html
2022年 https://ichiban.militaryblog.jp/e1112739.html


1月

いつも通り陽暦節(太陽暦元日)にベトナム寺に初詣。今年は同僚のベトナム人とその家族も一緒です。


元旦節(太陰太陽暦元日)にアオザイを着て初詣。


2月

何も無し


3月

ベトナム派遣タイ軍始めました。


4月

何度目かのチャーフィーと記念撮影


前年に作ったMAS-36をようやく使う


5月

タハーンプラーン始めました。


タイフェスティバルでタイ人のふりをする。


念願の空挺型ホアズン(インビジブルリーフ)迷彩服を着て撮影


6月

デンジャークローズ参加


7月

秋葉原でインドアサバゲ


大洗で海水浴


8月

当一番槍BLOGが開設10周年を迎える。


9月

クメール空挺始めました。


10月

久しぶりの野戦警察


おフランスに行くざんす


11月

ノジャンシュルマルヌ軍人墓地で開催されたベトナム軍戦没者慰霊祭に参列


コマンド・ダムサン始めました。


12月

撮影会メンバーでカラオケ忘年会


今年は撮影会をたくさん開催でき、新しい軍装もいろいろ始められ、おまけにフランスにまで行けたので、いつになく趣味が充実した一年になりました。来年も友人たちと楽しく遊べればと思います。

それでは皆様良いお年を。
  


Posted by 森泉大河 at 10:39Comments(0)リエナクト・コスプレ

2023年11月25日

11月の撮影会その2

※2023年12月3日更新

その1に引き続き11月の撮影会の様子です。

全体テーマ①:ベトナム陸軍第1歩兵師団"ラムソン719作戦" 
(1971年3月ラオス王国カムムアン県)

そろそろ寒くなってきたので、南国のベトナム軍にとって数少ない防寒着を着るチャンスの一つである1971年の南ラオス戦役(ラムソン719作戦)をテーマに集まりました。

同じくラムソン719作戦時の空挺師団の装備を身に着けた友人
ラムソン719作戦で戦場となった南ラオス山岳地帯(ルアン山脈)は標高が高いため、気温は10℃ほどと、熱帯生まれのベトナム人には相当寒かったようで、このように防寒対策している写真が多数残っています。


全体テーマ②:ベトナム陸軍第5歩兵師団(1968~1972年頃)

11月は寒い→防寒着を着ざるを得ないと思ってラムソン719作戦をテーマに集まった訳ですが、いざ当日集まってみると、この日に限ってポカポカ陽気で、むしろフィールドジャケットを着ていると汗をかくくらい気温が高くなっちゃいました。
なので一通りラオス設定の写真を撮った後は、みんなフィールドジャケットを脱いで、第5歩兵師団(地域年代は特に定めず)に衣替え。



その他:ベトナム陸軍第18歩兵師団(1973~1975年頃)

僕は個人で、ベトナム戦争末期(1973~1975年頃)に多用された4ポケット上衣+カーゴポケット付き下衣にお着換え。

撮影会の後って毎回そうなのですが、荷物を片付けるのが面倒くさい・・・。
帰宅してその日のうちに片付けるべきなのですが、荷物を車から降ろして2階の自室まで持っていく時点で、かなりかったるい。
と気乗りしないまま撮影から1週間が経ち、まだ荷物は車の中に置いたままです。いい加減、今日こそ片付けよう。ね。
  


2023年11月22日

11月の撮影会その1

日曜日に撮影会を行いました。寒くなってきたので、これが今年最後の撮影会となります。

個人撮影:フランス陸軍コマンド・ダムサン (1950年代末アルジェリア)


僕にとって初めてのアルジェリア戦争装備です。僕はフランス軍のマニアではないのですが、インドシナ人兵士が辿ったベトナム戦争とは別のもう一つの歴史という意味で、この部隊はいつかコスプレしてみたいと思っていました。
極東コマンド(Commando d'Extême-Orient)、通称「コマンド・ダムサン」は第一次インドシナ戦争終結後、フランス人と共に故郷インドシナを去った一部のフランス連合軍インドシナ先住民(主に少数民族)将兵が統合され、1956年にアルジェリアで編成されたフランス軍空挺コマンド部隊です。(過去記事『フランス連合軍のインドシナ少数民族部隊』参照)
コマンド・ダムサンは最初、植民地軍内に組織されましたが、後に外人部隊の隷下に移動しています。しかしコマンド・ダムサンのベレーは、植民地空挺連隊(赤)とも外人空挺連隊(緑)とも違い、黒ベレーに空挺ベレー章という独特のスタイルでした。なぜダムサンだけ色が違うのか僕はまだよく分かってないので、これから調べていこうと思います。

【装備まとめ】
被服:TAP47/56降下服(フランス製レプリカ)
帽子:ビジャール帽/TAP迷彩キャップ(フランス製レプリカ)
個人装備:TAP50/53系装備(実物)
背嚢:TTA51背嚢(実物)
小火器:MAT-49短機関銃(個人製作エアソフト)
  


2023年11月15日

野戦警察撮影会

実はフランスに行く前の週にプチ撮影会を行ったのですが、まだ写真をアップしていなかったので記事にします。
今回のテーマは1960年代末~70年代前半のベトナム国家警察第222野戦警察団です。

まずは野戦風景。第222野戦警察団は元は陸軍の治安部隊だっただけあり、将校は軍のエリート部隊からの出向者が占めており、その他の隊員(警察官)も陸軍と同等の戦闘訓練を受けた、実質的な軽歩兵部隊でした。



次はデモ警備/ライオット装備。野戦警察隊は日本の警察に例えると警備部機動隊のようなもので、上記のように軍隊並みの戦闘能力は有しているものの、基本的には警察の一部であるため、デモ警備野戦警察隊の主要な任務の一つでした。


今回僕が身に付けた装備はこちら
・警杖:家にあった雪かきスコップの柄を外したもの(笑)
  


2023年10月02日

シーウェーブ写経会

過去記事『シーウェーブ写経』で書いたように、香港Illusion militaria製のベトナム海兵隊ザーコップ迷彩4thタイプ(通称VMD/シーウェーブ)レプリカの黒い模様の部分をサインペンで塗りつぶす作業を2022年1月に始めた訳ですが、始めてみるとマジで精神力を要する途方もない作業だという事が分かりました。
そして作業の途中で僕の心はぼっきり折れてしまい、しばらく手を付ける事すらできなくなり、作業開始から1年8ヶ月経ってもまだ半分も進んでいないという状態でした。
しかし、このままでは一生完成しないので、先日一念発起して友人に助けを求めました。(一人で完成させることは諦めました)
そして日曜、朝10:30に友人宅に行き、二人で分担して塗り進む事となりました。


途中休憩を取りつつ、計7時間ほどひたすらこの作業を行いました。
しかし二人がかりで7時間やっても、結局この日の夜までに進んだのは全体の3/4程度まででした。まだパンツが片足分残っています。
当初は、この日のうちに上下全てを完成させるつもりでいたのですが、見通しが甘かったです。シーウェーブはそんなに優しくありません。
しかしそれでも、一人で黙って作業するよりかは、はるかに精神的に楽でしたし、彼の協力無しにここまで進む事は不可能でした。マジ感謝です。

そして18:30頃、作業を終えて夕飯を食べに出発。



協力してくれた友人を労い、ちょっと良い個室海鮮レストランでご飯を食べてもらいました。
さらにその後、スーパー銭湯でひとっ風呂浴びて解散。

服自体は完成しなかったけど、久しぶりに達成感を覚える、濃密な一日を過ごすことが出来ました。
  


2023年09月25日

中秋のクメール撮影会

日曜に久しぶりの撮影会を行ってきました。
最後に撮影会をしたのは5月なのですが、その後6月は梅雨、7月・8月は暑すぎて外に出たくないと言っていたら、4か月も間が空いてしまいました。
(ちなみに東南アジア軍装専門の僕は、冬も寒くて外でコスプレできませんface07)
そして9月も終わりに近づき、ようやく外で遊びやすい気温になってきたので、冬になる前にできるだけ沢山遊ぼうと思います。

今回のテーマは第1次カンボジア内戦期(1970-1975年)のクメール陸軍第1空挺旅団です。なんとクメール空挺が4名も集まりました。
着ている迷彩服は、以前記事にした友人のプライベート製作クメール空挺迷彩服リプロです。






さて、次は何を着て撮ろうかな。
  


2023年09月17日

補服を着たい

数ヶ月前から、なんだか急に中国史が好きになってきまして、Youtubeで『鳥人間 中国史三昧』さんの動画を毎日見ています。
特に、清代末期は以前から映画やドラマで馴染みがありましたし、歴史的にも大激動の時代でしたので、一番興味が強いです。
そして僕の趣味はコスプレなので、いっそ清代のコスプレを始めてみようかと思い、アリエクスプレスで衣装を探してみました。
すると、ありましたよ。一番着たいと思っていた清朝の官服(官吏の制服)の礼装一式のレプリカ(と言うか演劇用衣装)が。しかも1万円以下で!


(この服は官僚の礼服であり、一般人は着ることが出来ませんが、死装束として死者に着せることは黙認されていたので、日本ではキョンシーの衣装として有名かも知れません。)

よっしゃ、さっそく買おう!と思ったものの、一応僕も歴史衣装マニアの端くれなので、買う前にまず、この衣装がどういった身分のものなのか調べました。
この服装は、常勤装である『蟒袍』(大蛇の柄の長丈の上衣)の上に、礼装である『補服』を着た状態です。
そして補服の前後にある四角い文様を『補子』と言い、この補子の図柄と帽子(朝帽)の装飾で官職の等級を示しています。


そして、この衣装が再現している図柄は鶴と麒麟なので、等級は一品(正一品・従一品)の文官および武官という事になります。
一品とは官位の最上級で、歴史上の人物で言えば曽国藩や李鴻章クラス。つまり、中央政府の大臣・総督のような超大物が着るもの。品だった袁世凱よりも上です。
上の商品の他にも補服のレプリカ(キョンシー用含む)はいくつか売られていましたが、それらも皆、補子の図柄は一品でした。

う~ん、位が高すぎて着れない。いくらコスプレとは言え、そんな高官の服を僕が着るのはあまりに不釣り合いでしょう。
とは言え、補服を着るなら他に選択肢はなさそう。

・・・写真を撮った後に、補子の部分だけフォトショップで他の図柄に加工しちゃおうかな。いや、しかし・・・。

現在僕の心の中で、「メインの趣味じゃないんだから、あまり気負わず楽しめば良いじゃない」という声と、
「貴様それでも軍装マニアか。フォトショ加工が許されるなら、今までやってきたベトナム軍装も全部合成で良いじゃないか」
という声がせめぎあっており、まだ結論は出せておりません。
  


2023年09月09日

黒キャンバスブーツのレプリカ発売。しかし・・・

かねてよりWhat Price Glory(以下WPG)で企画されていたMDAP黒キャンバスブーツのレプリカが発売間際のようです。



なお、このレプリカには米軍コントラクト/調達局コードスタンプも再現されているようで、そのコードは『DA-92-557』となっています。これは1965~1966年に日本(沖縄含む)で生産された事を意味します。

長年待ち望んでいた初のレプリカであり、宣伝写真からもなかり精巧に再現されている事が分かったので、発売を本当に楽しみにしていました。
そして先日、WPGの中の人に近い友人から価格や在庫数などの先行販売情報が回って来たのですが・・・
今回生産されるサイズは、7 1/2から13。僕の靴のサイズは7なので、7 1/2ならなんとか履けるのですが、その7 1/2サイズは、僕に話が回って来た時点ですでに予約満了でした。次に小さいサイズは8 1/2ですが、これでは大きすぎます・・・。

本来この靴はベトナム軍・ラオス軍向けの支援物資であり、アメリカ兵に着用される事はほとんど無かったのですが、今回レプリカを作るにあたっては大柄な欧米人マニアがターゲットにされたため、小柄なアジア人サイズは無視されてしまいました。くっそ~!

という訳で、僕にとっては『発売前に完売した』という事実が分かっただけで今回は終わりです。悲C・・・。
友人が、売れ行きが良ければ再生産もあるかも、と言っていたので、それに望みをかけるしかありません。

なお、物自体はかなり良さそうなので、サイズが合う方はこの機会に買っておく事をお勧めします。
(そして僕のために再生産につなげてください)
  


2023年07月26日

夏の浜辺

日曜日に友人と海水浴に行ってきました。


偶然にも、服装がベトナム海軍傘下の準軍事沿岸警備組織『海船部隊(ジャンクフォース)』に似てしまったかも知れません。


インスタっぽい足元写真も


なんか小汚ねぇなあ。


この日は朝からずっと快晴だった上、気温が29℃ほどと過ごしやすく、海で遊ぶには最高のコンディションでした。
こんな天気の日は、この歌がよく似合います。

  


2023年07月22日

籐盾の塗装完了

『怪しいタイ土産』で書いた、タイの家具職人にオーダーメイドで作ってもらった籐盾(藤牌)を塗装しました。




ベトナム国旗をあしらった国家警察野戦警察隊の塗装を再現しました。念願がついに叶いましたface02
ちなみにこの籐盾は実物とほぼ同一の材料・構造なので、実際に投石や一定の斬撃にも耐える強度を持つ、れっきとした武具です。

塗装では、黄色と赤はMr.カラースプレーを使用。
外周の緑色は、スプレーに気に入った色が無かったので、緑と青の水性ペンキを調色したものをガイアノーツのイージーペインターで吹き付けました。面積が大きいのでイージーペインターのガス缶を2本近く消費しちゃいました。


ちなみに中国南部・東南アジア全域で広く用いられてきた武具である籐盾は、主に少数民族で構成されていたCIDG部隊でも、式典・パレード時の礼装として使用さされる事がありました。

 

7年前、このCIDG礼装用籐盾を自作しましたが、その時は手抜きして、市販の笊(ザル)に持ち手を付けて塗装しただけでした。


本物の籐盾と比べてみると、全然別物ですね。
作ったはいいものの、当時から気に入っておらず、結局一度もコスプレに使う事無く捨ててしまった記憶があります。
  


2023年07月15日

クメール空挺迷彩来る!

友人が個人でプロデュースしたクメール(カンボジア)軍空挺パターン迷彩服がついに完成し、我が家に届きました!
ちなみに世界限定4着のうちの1着です。
まさかこの超絶無名な迷彩服のリプロを手にする日が来ようとは。
この友人の狂気もとい熱意には敬服するばかりです。


この迷彩は1960年代にクメール王国陸軍で空挺部隊向けに採用され、その後のクメール共和国時代(1970-1975年)も引き続き着用された、第2次インドシナ戦争期のクメール空挺を代表する迷彩服です。
しかし、まだまだ研究が進んでいない分野なので、「クメール空挺パターン」と言うのは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、世界的にはまだ呼び名も定まっていません。

▲クメール陸軍第1空挺大隊(1971年)

クメール空挺パターンは、ぱっと見、米軍のフロッグスキン(ダックハンター)迷彩に似ていますが、これは第1次インドシナ戦争期に、フランス軍およびその傘下で創設されたクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を多用していた事に由来すると考えられます。
が、実はその、1952年に創設されたクメール軍初の空挺部隊である第1空挺大隊(1er bataillon de parachutistes khmers)の、第1次インドシナ戦争中(つまり1952~1954年の間)の写真が全然見つからないんです。
ベトナムやラオスの空挺部隊ならたくさん写真が残っているのに、なぜかクメール空挺だけは皆無。なんでぇ?
なので「第1次インドシナ戦争期のクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を着用していた」というのは、あくまで同時期のベトナム・ラオスに倣った推測であり、当時の写真で確認した事ではありません。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください。


  


2023年07月02日

怪しいタイ土産

先日一緒にサバゲーをやったタイの友人に、日本まで運んできてもらった品物です。

その1:タイの土方バラクラバ


別のタイの友人がタハーンプラーン装備用にコレクションしていたものを譲ってもらうことが出来ました。
このバラクラバは民生品であり、タイではよく、建設工事作業員がかぶっているそうです。
友人が「その辺の工事現場からかっぱらってきてあげようか?」と言ってきましたが、汗臭そうなので新品にしてくれとお願いしておきました。

タハーンプラーンでの使用例(1980年代)



その2:ラタン製ライオットシールド(籐盾)


ベトナム戦争期のベトナム軍・警察では、ライオット任務用に、昔ながらの籐(ラタン)製の盾が使われていました。
これを再現すべく、友人の伝手でタイのラタン家具職人に、盾の制作を依頼しており、この度ついに手元に届きました。


コレクター所有の実物を参考に、構造もほぼ完全に再現しています。


▲ベトナム国家警察野戦警察隊の使用例(1974年)
軍ではOD単色塗装も見られますが、どうせなら派手派手にしたいので、これから警察仕様の国旗柄に塗装していきます。

ちなみに友人はタイを発つ際、この盾を空港に持参し、普通に手荷物として預けたそうです。



さすがに空港の係員に「なんですかこれ?」と訊かれたみたいですが、「装飾品です」とだけ答えたら、スルーしてもらえたそうです(笑)
  


2023年07月02日

デンクロVer.3:ナムドン1964

昨年10月の第2回に引き続き、第3回目の『DANGER CLOSE 196X』に参加してきました。
今回はなんと、特殊部隊マニア以外には無名な、1964年の『ナムドンの戦い』がテーマだそうです。
CIDG好きな僕としては願ってもないチャンスなので、戦いの舞台となったナムドン特殊部隊キャンプに駐屯するCIDG部隊=ナムドンCSF(キャンプストライクフォース)役で写真撮影に混ぜてもらいました。


ナムドンCSFと、CSFを指揮するアメリカ軍特殊部隊(グリーンベレー)、ベトナム軍特殊部隊(LLĐB)



ベオガム迷彩がこれだけ一堂に会するのは、1964年という設定ならでは。いや眼福。
(一応ベオガムは1960年代末までCIDGで使われましたが、60年代後半に入るとタイガーストライプの方が圧倒的多数になります)


会場で、ナムドンCSFを構成していたのはどの民族だったのか?とご質問いただいたのですが、事前の勉強不足で回答する事ができなかったため、こちらで改めて考えてみました。
まず、CSFを擁する特殊部隊キャンプは、その地域に住む住民を家族丸ごとキャンプに移住させ、武装村落化したものなので、CSFの構成員はその地域を地元とする住民となります。(ベトナム北部出身のヌン族傭兵を除く)
なので、過去記事『あなたはなに族?』で記したように、キャンプのある場所と、その地域に住む民族の分布(1975年以前のもの*)を照らし合わせば、そのCSFを構成した民族はおおよその予想がつきます。

※1975年以降はベトナム共産党政権による少数民族への弾圧、強制移住などで彼らの住む範囲が大きく変わったため、民族分布図は1975年以前のものである必要があります。

1970年版の民族分布図と、キャンプ・ナムドンの位置


実際には、各民族の住む地域がこの図の通り綺麗に線引きされている訳ではないのですが、少なくともキャンプ・ナムドンのあった場所はカツ(KATU)族が多く住む地域である事が分かりました。


僕はこの日、イベントの大半を手作りのジャライ族衣装を着て過ごしたのですが、同じデガでもマレー・ポリネシア系のジャライ族と、モン・クメール系のカツ族では言葉も民族衣装も全然違うので、ナムドンの再現としては間違いでした。
同じ1964年の、別の特殊部隊キャンプ(プレイク周辺)とお考え下さい。

  


2023年06月06日

56-1式っぽくしたい その3

※2023年6月9日更新

前記事『56-1式っぽくしたい その2』で製作した56式風フロントサイトを塗装しました。

ビフォー



アフター



当初は横着して下地の塗料を落とさず、上からミッチャクロンマルチを塗って、その上にキャロムショットのメタルブルーコートで塗ったのですが・・・
メタルブルーコートが下地を溶かし、剥離剤を塗布した状態になってしまい大失敗。
しかたないのでワイヤーブラシで元の塗装を剥がそうとしましたが、全部は取り切れなかったので、メタルブルーコートは諦めてファイン・スプレーブラッセンで塗装しました。
残る改造箇所であるレシーバーは下地塗装が無いので、あらためてメタルブルーコートで塗りたいと思います。

※その後気が変わり、フロントサイトと同じくマットブラックに塗る事にしました。

つづく



おまけ

装備に何十万もかけるより、布団を綺麗に畳めるようになった方がよっぽど軍人らしく見えるという教えを与えてくれる動画。



  


2023年06月03日

56-1式っぽくしたい その2

前記事『56-1式(後期型)っぽくしたい』で作った部品が届いたので、マルイのAKS-47を改造していきます。
まずはフロントサイトから。

フロントサイト両サイドのガードをノコギリで切り飛ばす。



3Dプリンターで作った56式風フロントサイトガードとマズルを瞬間接着剤で取り付け。
また不要な穴をパテで埋める。



パテが硬化しないと次に進めないので、今日はここまで。



おまけ

地元にハラール屋台村八潮スタンという、パキスタンおよび各国ハラール料理フードコートがオープンしたので、友人と食べに行ってきました。

タンドリーチキン盛り合わせ



日替わりカレー(肉団子)と、マトンビリヤニ(炊き込みごはん)



おいしゅうございました!


  


2023年05月27日

ベトナム空挺の歴代戦闘服

※2023年8月17日更新
※2024年3月7日更新


ふと気が向いたので、ベトナム陸軍の華、空挺部隊の歴代の戦闘服をうちにある被服の写真でご紹介。
裁断は別として、迷彩はほぼコンプリートしております。


1948~1954年頃:フロッグスキン迷彩&ウィンドプルーフ迷彩
ベトナム陸軍空挺部隊の前身であるフランス軍インドシナ落下傘中隊(CIP)および、CIPから改変されたベトナム空挺部隊では、フランス人兵士と同様に、米軍フロッグスキン(ダックハンター)迷彩、英軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩、およびそれらを上下で組み合わせて着用していました。


▲上衣がセスラー製、下衣がリアルマッコイズ製レプリカ


1951~1953年頃:TTA47(一般型)
1951年にベトナム陸軍に空挺部隊が発足した当初は、迷彩服ではなく、フランス軍の全軍共通戦闘服であるTTA47が着用されていました。


▲TTA47一般型上衣の実物


1951~1953年頃:TTA47(軽量型)
TTA47の熱帯地域向け仕様であるTTA47軽量型上衣も、一般型とともに着用されました。


▲TTA47軽量型上衣の実物


1951~1954年頃:TAP47(カーキ)
ベトナム空挺にはフランス軍空挺部隊向けのTAP47降下服も支給されましたが、当初はリザード迷彩ではなくカーキ単色であり、また着用例も僅かです。



1953~1950年代末:TAP47(リザード迷彩)
1953年になると、リザード迷彩のTAP47系戦闘服が広く普及し、TTA47と置き換わってきました。
なお、この服が戦闘服として実用されるのは1950年代末までですが、第一次インドシナ戦争末期の最も戦闘が激しい時期に使用されたこのリザード迷彩TAP47は、空挺部隊の誇りを示す伝統の被服として珍重され、パレード装や個人の礼装として1975年まで着用され続けました。(過去記事いろんなTAP47』参照)


▲WPG製TAP47/52レプリカ


1954~1962年頃:TTA47(軽量型・リザード迷彩)
第一次インドシナ戦争末期の1954年には、リザード迷彩仕様のTTA47が登場し、1960年代初頭まで着用されました。




1961~1968年頃:ヒュエット迷彩
1961年にウィンドプルーフ迷彩を原型とするベトナム国産のヒュエット(ブラッドケーキ)迷彩服が登場し、以後リザード迷彩に代わって空挺部隊の標準戦闘服となります。なお空挺部隊の戦闘服に部隊章・胸章の縫い付けが始まるのは1964年末からです。




1964~1969年頃:ホアズン迷彩(初期ERDL/インビジブルリーフ)
米軍が1948年に開発したERDL迷彩は、当の米軍では不採用になった一方、その生地は軍事支援物資として1964年からベトナム軍に供与され、空挺・レンジャー・海兵隊・特殊部隊共通の迷彩服として大々的に着用されるようになりました。なお、ベトナムではその後に登場する色違いによる区別はなく、ERDL系迷彩は全てホアズン(Hoa Rừng)と呼ばれます。
また服の裁断はヒュエットと同じ(空挺型)が主でしたが、一部で海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩と同じ裁断(2ポケット迷彩服型)が採用され、これが陸軍での2ポケット迷彩服型被服の最初の例となります。




1967~1972年頃:ホアズン迷彩(66年型ERDL/グリーンリーフ)
米軍はかつて不採用としたERDL迷彩を1966年に改良し、改めて自軍の熱帯用戦闘服(TCU)に採用するとともに、ベトナムに送る迷彩服用生地もこの新型ERDL迷彩に切り替わりました。この新型ERDL迷彩は1967年以降ベトナム軍に広く普及し、インビジブリーフと置き換わりました。また裁断は最初から2ポケット迷彩服型が主です。


▲東京ファントム製レプリカ


1968~1975年:ホアズン迷彩(ベトナム国産ERDL/パステルリーフ/レンジャーエアボーンパターン)
それまでベトナム軍は迷彩服の生地を米国からの輸入に頼っていましたが、1968年になるとベトナム軍はERDL迷彩をコピー、配色を変更した国産迷彩服を採用し、以後この服が全軍共通の標準迷彩服として1975年の終戦まで多数着用されました。
なお裁断は当初は2ポケット迷彩服型でしたが、1972年には全軍の標準的な裁断として4ポケットやTCU型上衣が採用され、ホアズン迷彩もそちらに移行します。


フォクフン製2ポケット迷彩服レプリカ
  


2023年05月22日

5月のプチ撮影会

日曜日は仲間内でプチ撮影会を行ってきました。

その1:フランス植民地軍植民地歩兵連隊のベトナム兵 1950年代前半

これまで何度かフランス連合時代の歩兵部隊という設定で集まってきましたが、実は今まで特定の部隊を設定してきませんでした。
というのも、フランス連合軍はどの組織も(植民地軍も外人部隊もベトナム国軍も)皆同じフランス陸軍式の被服を着ており、また作戦中は部隊章を身に付けなかったので、軍装はほとんど同じだったからです。
そこで今回は作戦中だけでなく、略帽をかぶって植民地軍ですよアピールしてみました。
本当は階級章もあればなお良いんですが、この時代の仏軍の兵下士官級の階級章はレプリカが存在せず、自作も大変、と言うか材料が手に入らないので、まだ入手出来ていません。


合わせは上記のみで、あとはソロのコスプレです。

その2:ベトナム陸軍第3空挺大隊 1954年頃


こちらの写真がカッコ良かったので真似して撮ってみました。
でも後になって、TAP50ピストルベルトを付け忘れた事に気付く。完全再現ならず。トホホ・・・


その3:ベトナム陸軍空挺師団 1964-1967年頃



服は先日購入したĐLCH製のインビジブルリーフ(裁断は特注の空挺型)で、ライフルはJAC製M16A1改造のAR-15(コルト601)です。
この時期、空挺部隊の小銃はM1カービンやM1ガーランドが主でしたが、空挺部隊にはかつて1961~1962年にかけて米国より約400丁のコルト601が供与されており、この時の物が1960年代中頃まで散見されます。



  


2023年05月07日

ゴールデンウイーク撮影会

ゴールデンウィーク終盤の今日は、少人数ながら撮影会を行ってきました。
今回は全体としてのテーマは設けず、服装は各自自由です。



僕は二つの衣装を持っていきましたが、両方ともタイ王国のものです。

その1:タイ王国義勇連隊クイーンズコブラ(ベトナム, 1967-1968年)

タイ兵が二人に増殖しました。
当時のクイーンズコブラで着用されていた戦闘服は大きく分けて4種類あり、いずれも米陸軍の物をそのまま使用、もしくは同型のタイ国産品と思われます。
・ユーティリティ・ユニフォーム四角フラップ
・ユーティリティ・ユニフォーム五角ポケット
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム1stモデル(露出ボタン)
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム2ndモデル(隠しボタン・エポレットあり)
なお、将校は自費で仕立てた服を着ているので、上記以外にもかなりバリエーションがあります。


その2:タイ王国タハーンプラーン第513計画管理調整部隊(タイ東北部, 1980年代前半)


ついに一式着て写真を撮る事ができました。長かった~!
いや実際は、長年この計画をほったらかしにしてきて、それを今年になって一気に被服を揃えたので、その気になればとっくの昔に揃っていたのかも知れませんが・・・。
[過去記事]

ちなみに今回の写真は、とりあえず人様に見せれる最低限は揃ったので撮りましたが、被服・装備については今後もブラッシュアップしていくつもりです。
手始めにAKS47で代用しているライフルをちゃんと56-1式にしなくては。


もうすでに、次に写真撮りたい服の候補が渋滞しているので、できるだけ早く次回の撮影会を開催したいと思います。お楽しみに。
(こんなの見て喜ぶ人間なんか居るのかよと思う一方、このブログは毎日200~300回くらい閲覧されてるみたいなので、案外定期的に読んでくださる方が居る模様。有難いような気恥しいようなface10)