カテゴリ
News! (54)
銃器 (27)
映画 (11)
言論 (21)
人物 (22)
式典 (2)
BB/歩兵 (14)
ND/空挺 (14)
KB/騎兵 (7)
PB/砲兵 (3)
TT/通信 (1)
QV/輸送 (2)
HQ/海軍 (4)
KQ/空軍 (2)
FULRO (8)
デガ (14)
モン族 (11)
ヌン族 (6)
本土軍 (2)
GCMA (2)
SDECE (3)
1914-1918 (1)
1918-1939 (4)
1939-1945 (8)
1945-1954 (20)
1954-1975 (172)
1975-1989 (5)

2017年01月14日

警察迷彩服の続き

リプロお直し

以前『警察迷彩お直し』で手を付け始めてからしばらく放置していたリプロのベトナム国家警察迷彩服がとりあえず形になりました。

<新品状態>



<改造後>


 ジャケットはポケットの形を縫い直して、ボタンを別の物に交換、さらに自作のパッチを付けています。今後、もしやる気が出たらエポレットを追加して、半袖に改造しちゃってもいいかなと思ってます。パンツは特に面白くないので写真撮ってませんが、カーゴポケットを外して、ケツポケットは2ボタンのままマチの無い貼り付け式に改造しました。
 胸の部隊章は第222野戦警察群(Biệt Đoàn 222 CSDC)です。この部隊は要請に応じて全国に展開する即応部隊だったので、ヒストリカルイベントの際、他部隊と一緒に写真に写った時に、「その部隊は当時全く別の地域に居たので一緒に写っているのはおかしい」という状態にならないで済むので便利だなと思った次第です。しかしこの部隊内の構成はまだ調べ切れていないので、右袖に中隊パッチは付けていません。
※野戦警察の組織については過去記事『野戦警察』参照

▲第222野戦警察群と思しきパッチを付けた人たちが袖に第601中隊のパッチを(なぜか左袖に)付けている写真があったけど、まだ確証は得られていないので今回は作ってません。


野戦警察における階級章

 野戦警察はベトナム国家警察内の戦闘部隊(日本の警察で例えると警備部・機動隊)ですので、当然ながら隊員のほとんどは警察官であり、国家警察の階級章を身に着けていました。

 
▲国家警察の肩章式(制服用)階級章。この他に略式のスリーブ式(両肩)、バッジ式・金属バッジ式(胸に着用)が用いられました。

 しかし当時の写真を見ていると、野戦警察の将校の中にはしばしば警察ではなく陸軍の階級章を付けている者もいる事に気付きます。僕はこれらの例について当初、野戦警察は陸軍と共同で任務に当たる事もある戦闘部隊である為、陸軍側に階級を示すために警察将校が勝手に身に着けているものだと思っていました。ところがその後、どうもそうとは限らない事を示唆する写真が出てきました。

 この写真の撮影時期は不明ですが、皆作戦服姿で胸に警察戦誉勲章(Cảnh Sát Chiến Dự Bội Tinh)を佩用していることから、野戦警察における勲章授与式の写真だと思われます。ここに写っている兵士のほとんどは胸に警察下士官のバッジ式階級章を付けているのですが、真ん中のアーミーグリーン作戦服を着た人だけは、襟に陸軍中尉の階級章(刺繍)を付けています。そして彼の頭には、陸軍(一般兵科)将校用のベレーが乗っています。
 つまり彼は、陸軍の階級章を付けた警察官ではなく、正規の陸軍将校である可能性が高いという事が分かります。しかし警察の勲章を佩用し、胸ポケット上に青い警察のネームテープを付けている事からも、所属部隊は明らかに野戦警察のようです。なぜ野戦警察に陸軍将校が所属しているのでしょうか?
 これについて文献での確認はまだ取れていませんが、ある程度推測する事は可能です。まずベトナム共和国国家警察は、少なくともゴ・ディン・ジェム政権に対するクーデターによって軍事政権が発足した1963年11月以降、ベトナム共和国軍参謀総本部の指揮下にありました。歴代の国家警察長官や警察幹部は軍の高官が兼任しており、国家警察は国内の治安を担当する軍の下部組織という状態でした。テト攻勢の際のテロリスト射殺で知られる国家警察長官グエン・ゴック・ロアン少将も、元々は空軍の戦闘機パイロットでした。
 そのため軍人が警察に出向する事は決して珍しい事ではなく、中でも特に軍と共同で戦闘任務に当たる野戦警察は、より軍と近しい関係にあったと思われます。したがって当時の野戦警察に見られる陸軍の階級章を付けた者たちの中には、軍から警察に出向している陸軍将校が多く含まれているはずと推測しています。



今後の製作物

 警察の階級章欲しいけどレプリカ売ってないし、自作するにも銀テープの織り目が独特だから材料が無いんだよね。どこかに良い代用品ないかなぁ~と探してたら、ありましたよ。我らがダイソーに。


100円で階級章10人分くらい作れる。うひひ
  


2017年01月13日

米国のガンストアとマニアのお宅訪問

先月アメリカに行った時に見てきた場所です。

ジョージア州のサープラスストア

 友人の行きつけの店です。軍服やら個人装備、キャンプ用品やらが並んでいるのは日本のサープラスとほとんど変わりませんが、アメリカだけあって銃を扱ってるコーナーもあります。


 各種セミオートライフルが並んでいますが、コルトやH&Kなど軍隊御用達の高級ブランドは見なかったと思います。名前を聞いたことがあるようなないような、よく分からない中小メーカーがメインでした。
 面白かったのが、モシン・ナガン。YoutubeのDaijiro357氏の動画で、モシン・ナガンはアメリカで激安で売られていると聞いていましたが、確かに安かったです。一丁220ドルくらいでした。探せばもっと安い店があるらしいです。陳列の仕方もいい加減で、他の銃のように壁に掛ける事はなく、ガラスケースの前の地べたに置かれたライフルスタンドに、ワイヤーも何も掛けずに並べられてました。なので、冷やかしついでにカチャカチャいじってきました。

 また店内のジャンク箱には、どの銃に合うかすら書いていない中古マガジンや中古ホルスターが捨て値で山積みにされてました。マガジンは税関で止められそうだけど、ホルスターくらいお土産で買ってくればよかったなと少し後悔。


 結局僕がこのお店で買ったのは、米軍の特殊部隊ハンドブック(ST31-180)の複製品と、勲章などのバッジのピン留めを10個くらい。
 私が知る限り、アメリカのサープラスストアには必ず隠し部屋にロケットランチャーが置いてあるのですが、残念ながらそれを拝む機会はありませんでした。





ウエストバージニア州のアウトドアストア

 ケンタッキー州にガンシューティングに行った際、友人の友人の友人がバレット82を貸してくれる事になったなので、自分たちが撃つ分の12.7mmNATO弾を買うために、お隣ウエストバージニア州にある大きなアウトドアストアに行きました。1階建てですが、ホームセンターなみの広さのお店で、店内には銃器弾薬を含めたハンティング・シューティング用品、釣り、カヌー、登山、キャンプなどのアウトドアスポーツ用品が盛りだくさんです。店内の様子はGoogleストリートビューで見る事が出来ます。(店内は僕が行った時と殆ど同じです。)


 店の中央には、アメリカの大自然が育んだ豊かな生態系と野生動物たち、つまりハンティングの獲物たちの壮大な剥製ジオラマが展示されていて圧巻です。ハンティングは動物をスポーツ、リクリエーションとして殺す行為なので銃器好きの中でも好き嫌いは分かれると思います(僕自身ハンティングをしようとは思わない)が、このお店の剥製展示を見ていると、アメリカの美しい自然に対する深い愛情と畏敬の念が伝わってきます。少なくとも大型哺乳類のハンティングは人間の側も動物に反撃されるリスクを負っており、自然の恩恵と脅威、生と死のサイクルを体感するという意味では究極のアウトドアスポーツと言えるかもしれません。


 上記のように、この店は総合アウトドア用品店であり銃器専門店ではありませんが、それでも銃器類の品揃え、売り場面積はそこいらのガンショップの数倍~十倍くらいあると思います。陳列棚には各種ライフルが並べられ、ボルトとトリガーはロックされていますが、自由に手に取る事が出来ます。また売り場の奥には『ガン・ライブラリー』と名付けられた高級またはビンテージ銃専用の展示室があります。置かれているのは基本数千ドル、中には1万ドルを超える高級品やスコープもあり、貧乏人には雲の上の世界でした。でもラックにかけてある銃を手に取るのは自由だったので、ここぞとばかりに大戦中に製造されたビンテージのM1カービンやM1ガランド、Kar98kなどを舐めまわすように触ってきました(笑)


Sさん宅

 山の上に撃ちに行く日の朝、ケンタッキー在住のSさんの自宅に集まって、彼の銃やターゲットをピックアップトラックに積み込みしました。弾薬やターゲットなどは自宅の横にある趣味専用の小屋に保管してあります。弾もハンドロードしているので、小屋の中には作業場もあります。男の趣味の理想形ですね!


 銃を積み込みしている時、SさんのSPRアッパーレシーバー付きAR-15A2を見て「カッコいい~!」と言ってたら、なんと庭で撃たせてくれました。※ターゲットが置いてある道は公道からSさん宅に続く私道です。


スコープ付きのライフルが大好きなPくん。ナイショッ!

 ちなみにSさんは80年代アクション映画(木曜洋画劇場系)や、ゴジラシリーズが好きなギークさんなので、僕と趣味が合います。ゴジラではゴジラvsキングギドラ(1991)が一番のお気に入りだそうです。また人生最高の映画はターミネーター2という点でも意気投合しました。



フリーメイソンおじさん宅

 Sさん宅を出発した後、この日一緒に撃ちに行くSさんの友人Tさんの家にも寄りました。TさんはNFA(National Firearms Act)対象の武器を扱う事が出来る、SOT(Special Occupational Taxpayers)な銃器ディーラー。分かりやすく言うとフルオートの軍用銃やらサイレンサーやら、そういう危なっかしい武器を販売する事を連邦政府から許可された、限られた業者の一人なのだそうです。なので自宅の1階は銃の部品や弾薬を製造するための工場になっていました。


 Tさんは、はるばる日本から鉄砲好きの兄ちゃんが来たという事で、Tさんのプライベート・コレクションが収められた巨大な金庫の中から銃を次から次へと出しては、「ほれ、持ってみなと」と手渡してきます。ありがたいけど、僕の手は千手観音ではないので、2丁以上持てません。
 また銃だけでなく、金庫の中にあった古めかしいサーベルも見せてくれました。

 

 なんでも、Tさんの家系は代々フリーメイソンだそうで、このサーベルは200年前にTさんのご先祖様がフリーメイソンリーの儀式で使っていた物だそうです。うわー、スゲー!そしてTさん自身も現役のフリーメイソン。指にはフリーメイソンリーの指輪を付け、車にまでフリーメイソンリースッテカーを貼ってました。


 アメリカ合衆国という国とフリーメイソンリーは建国前から深い関係にあるという事は、話としては知っていましたが、リアルで会員の人と出会うのはこれが初めてでした。こんなにオープンでいいんだ(笑)
 またTさんの家系は数百年前に最初に北米大陸に入植した白人入植者に遡れるそうで、先祖はアメリカ独立戦争や南北戦争を戦ったという、自他ともに認める『生粋のアメリカ人』なのだそうです。そして自宅の庭の国旗掲揚竿には星条旗と共に南軍旗が高らかに掲げられ、絵に描いたようなコッテコテの南部人である事を誇りとしてるお方でした。
 Tさんが僕に「アメリカに来るのは初めてかい?」と訊いたので、僕は「二回目です。去年カリフォルニアに行きました。」と答えると、「あんな所アメリカじゃねぇよ!」と言ってました。Tさんはじめ、アメリカの銃器愛好家の白人はほぼもれなくトランプ支持の保守・白人右派なので、伝統的に民主党系のリベラルが強く、S&W社が撤退するほどの強烈な銃器規制が制定されるカリフォルニア州の政治は、彼らには非常に評判が悪いです。直接言葉にはしませんでしたが、要は「カリフォルニアは左翼とメキシコ人に乗っ取られた」と言いたいのでしょう。
 とは言えTさん自身は、アメリカは白人の国だという人種意識は持ってるでしょうけど、低能貧乏白人がハマるKKKやネオナチのようなラジカルな人種主義とは無縁の、『古き良きアメリカ』を愛する伝統的な保守と言ったところだと思います。そうでなければ、見ず知らずのアジア人にあんな大量の武器弾薬を無償で与えたりしないでしょうし(笑)



 しっかし、アメリカって知れば知るほど不思議な国。良い面と悪い面が複雑に絡み合ってて、訪れる度にとても一言では言い表せない思いを抱きます。たぶん向こうの人が日本に来ても、同じような事思うかもしれないけど。
 先日、日本で一緒に遊んだアメリカの友人に言われて自分自身不思議に思ったのが、日本とアメリカの商店のシャッターの違い。日本では多くの商店が閉店後にシャッターを閉めるけど、アメリカではよほど治安の悪いスラム街以外にはシャッターが無いのだそうです。友人は「日本は治安が良いのになんでみんなシャッター閉めるの?この光景見ると、すごい危険な街に来た気分になるよ」と言ってました。
 僕は「日本は銃やドラッグの犯罪は少ないけど、泥棒は沢山いるからね」と答えるしかありませんでしたが、確かに、言われてみればアメリカのほうがよっぽどシャッター閉めた方が良さそうなのに、逆に何故アメリカに無いのか不思議です。こういう部分も、文化の違いってやつなんでしょうか。

  


Posted by タイガ at 00:31Comments(0)【アメリカ】銃器旅行・海外

2017年01月09日

ベトナム空挺の降下作戦1955-1975

 先日ジャンクションシティー作戦について記事を書きましたが、ジャンクションシティー作戦と言えばベトナム戦争中アメリカ軍が行った唯一のエアボーン作戦として有名ですよね。一方、第1次インドシナ戦争中に40回以上のエアボーン作戦に参加していたベトナム空挺部隊(フランス植民地軍時代含む)は、ベトナム戦争においても度々エアボーン作戦を実施していました。以下は1955年から1975年までにベトナム共和国軍が行ったエアボーン作戦の概要です。


ベトナム共和国軍空挺部隊のエアボーン作戦

空挺部隊が降下した地点
黒が陸軍空挺部隊(Binh Chủng Nhẩy Dù)
青がマイクフォース(Lực lượng xung kích cơ động)

 ヘリコプターの性能向上によってヘリボーンによる迅速な展開・強襲が可能になったことから、第1次インドシナ戦争期と比べるとエアボーン作戦の回数はかなり少なくなりましたが、それでも大規模な戦闘降下作戦は少なくとも13回は実施されたようです。
 なお、マイクフォースは特殊部隊の指揮下にありましたが、マイクフォース自体は小人数で偵察や破壊工作を行うコマンド部隊ではなく、中隊規模以上の戦力でエアボーンまたはヘリボーンによる強襲を行大規模な空中機動部隊でした。

日付: 1955年9月23日・24日
降下部隊: 空挺群
目的: ビンスェン派の掃討
領域: ベトナム共和国ジアディン省ズンサック

日付: 1962年3月5日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 守備隊の支援
領域: ベトナム共和国タイニン省ボートゥック

日付: 1962年7月14日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 待ち伏せ攻撃の支援
領域: ベトナム共和国ジアディン省サイゴン北部

日付: 1963年1月2日
降下部隊: 空挺旅団
目的: 第7歩兵師団の支援(アプバクの戦い)
領域: ベトナム共和国ディントゥオン省アプバク

日付: 1965年8月3日
降下部隊: 空挺旅団
目的: ドゥッコー特殊部隊キャンプ奪還の支援
領域: ベトナム共和国プレイク省ドゥッコー

日付: 1965年11月
降下部隊: 空挺旅団
目的: 解放戦線部隊への強襲
領域: ベトナム共和国ビンディン省アンケー

日付: 1966年3月3日
降下部隊: 空挺師団
目的: 敵部隊への強襲
領域: ベトナム共和国フーイェン省ソンコウ

日付: 1966年12月27日
降下部隊: 空挺師団
目的: 解放戦線支配地域中心部の強襲
領域: ベトナム共和国チュンティエン省

日付: 1967年4月2日
降下部隊: 特殊部隊第5MSFC(第5マイクフォース), 第1MSF大隊, 第2・第3中隊
作戦: ハーヴェスト・ムーン作戦
兵員: 356名
領域: ベトナム共和国クアンドゥック省
降下地点: Bu Prang CIDG訓練キャンプ
航空機: C-130輸送機
降下方法: 昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ

日付: 1967年5月13日午前6時
降下部隊: 特殊部隊第5MSFC(第5マイクフォース), 第1MSF大隊, 第3・第4・第5中隊および4.2インチ迫撃砲小隊
作戦: ブラックジャック作戦
兵員: 486名
領域: ベトナム共和国チャウドゥック省バイニュー
降下地点:バイニュー付近の水田
降下方法:  昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ, 高度200mより水田上に降下

日付: 1967年10月5日
降下部隊: 特殊部隊第2MSFC(第2軍団マイクフォース)第2MSF大隊, 第24中隊・第25中隊
作戦: ブルーマックス作戦
兵員: 250名
領域: ベトナム共和国クアンドゥック省
降下地点: Bu Prang CIDG訓練キャンプ
降下方法:  昼間低高度戦術人員一斉スタティックラインジャンプ

日付: 1968年11月17日
降下部隊: 空挺師団
目的: 特殊部隊による掃討作戦の支援
領域: ベトナム共和国チャウドゥック省バイニュー

日付: 1972年5月4日
降下部隊: 空挺師団
目的: 進軍ルート(チューパオ・パス)の確保
領域: ベトナム共和国コントゥム省チューパオ


ベトナム共和国軍特殊部隊の越境エアボーン潜入作戦

▲NKTのコマンド部隊がエアボーンによって潜入した地点
北ベトナム領だけで少なくとも30カ所に上る。(南カリフォルニアNKTアソシエーション資料より)

  特殊部隊が敵地に潜入するために行う小人数のエアボーン降下は、空挺部隊が行ったものよりもはるかに多くの回数が実施されました。また潜入のための降下作戦は、低高度を飛行する輸送機から順に飛び出す通常のスタティックラインジャンプだけでなく、潜入作戦という都合上、より隠密性を高めるためにHALO(高高度降下低高度開傘)を、しかも夜間に行っていた点が通常の空挺部隊とは大きく異なっていました。
 ベトナム共和国軍特殊部隊による北ベトナムへの越境潜入は、1961年に開始されたパラソル・スイッチバック作戦に始まります。作戦はアメリカ軍MAAGベトナムおよびCIAによって指揮され、ゴ・ディン・ジェム総統直属の特殊作戦機関『地理開拓局(後のLLĐB)』がその実行に当たりました。この作戦はコマンド隊員が北ベトナムまたはラオス領内にエアボーン降下で潜入した後、民間人に成りすまして敵支配地域内に長期間潜伏し、諜報および破壊活動を行うという大規模なスパイ工作でした。そのため潜入要員は南ベトナムから来た者だと悟られないよう北部出身のベトナム人はたはヌン族の兵士が選抜されました。
 ゴ・ディン・ジェム政権崩壊後の1964年、ベトナム共和国軍特殊部隊LLĐBの対外工作部門(第45室)はLLĐBから分離され、新たに参謀総本部直属の特殊作戦機関SKT(後のNKT)として再編されます。そしてそのSKT/NKTが行う対外作戦の立案・指揮をアメリカ軍MACV-SOGおよびCIAが担っていきます。以後、MACV-SOGが計画しNKTが実行した越境作戦は大きく分けて2系統ありました。

OP-34 / OP-36 ※1967年12月にOP-34からOP-36に改称
敵性地域内での直接的なサボタージュ工作。米軍SOG-36およびSOG-37が担当。作戦は任務によってさらに三段階に分類される。
・OP-34A / OP-36A: NKT沿岸警備局およびNKT第68群が実行。パラソル・スイッチバック作戦に続く長期または短期潜入・諜報・破壊工作。
・OP-34B / OP-36B: NKT第11群が実行。STRATA(短期監視・目標捕捉)チームによる機動的なロードウォッチ任務
・OP-34C / オペレーション・フォーレ: 心理作戦

OP-35
敵性地域への偵察、破壊活動。NKT連絡部『雷虎』と米軍SOG-35合同のC&C部隊が実行。



※以下は特殊部隊が実施した越境エアボーン潜入作戦の一部ですが、元が秘密作戦だけあって具体的な回数や細かい日付は把握できていないものが多いです。今後資料を見つけ次第加筆修正していきます。

日付:1961年から1964年にかけて複数回
降下部隊: 総統連絡部 地理開拓局北方部 第77群
作戦: パラソル・スイッチバック作戦
領域: 北ベトナム, ラオス
航空機: C-46輸送機

日付:1964年から1967年にかけて複数回
降下部隊: SKT第68群
作戦: OP-34A
領域: 北ベトナム, ラオス

日付:1968年から1973年にかけて複数回
降下部隊NKT第68群
作戦: OP-36A / エルデストサン作戦
目的: 敵の弾薬集積地に潜入し、敵の使う銃弾に爆発物を仕込んだ物を紛れ込ます事で、敵兵に自軍兵器への不信感を抱かせ戦意を削ぐ
領域: 北ベトナム, ラオス, カンボジア
航空機: C-130またはMC-130輸送機
降下方法: 夜間HALO

日付: 1970年11月
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, CCN,  チーム・フロリダ
作戦: OP-35
兵員: 9名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法: 高度6400mより夜間HALO

日付: 1971年2月
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, CCN,  チーム・アラスカ
作戦: OP-35
兵員: 9名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法: 高度6400mより夜間HALO

日付: 1971年4月15日
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, 第1強襲戦闘団, チーム・ワンゼロ
作戦: OP-35
兵員: 4名
領域: 北ベトナム(ベトナム民主共和国)
降下方法:  高度6400mより夜間HALO

日付:1970年から1971年にかけて13回
降下部隊NKT連絡部『雷虎』, C&C部隊
作戦: OP-35
領域: 北ベトナム, ラオス, カンボジア
降下方法: スタティックラインジャンプ



おまけ

▲一昨年カリフォルニアでお世話になったレ・ホアン少尉の、
STRATA時代(当時19歳)の写真。

なんか面白い銃持ってますね。


(再現図)

発想としてはシンプルだけど、意外なほど今まで見た事ないパターンだったので目からウロコです。