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2016年08月13日

スンロクの戦跡

※2019年11月19日訂正


 ビエンホア国軍墓地を参拝した同じ日に、我々はサイゴンから東に約80kmのスンロクに残る戦争遺跡にも足を運びました。ドンナイ省(旧・ロンカン省)ロンカンに位置するティー山(Núi Thị)の山頂に佇むこの遺構は元々、仏領時代にフランス人によって別荘もしくはホテルとして建てられたレンガ造りの洋館でした。その後、この建物は1975年4月9日から21日にかけて発生した『スンロクの戦い (Trận Xuân Lộc)』において、この戦いを指揮したベトナム陸軍のレ・ミン・ダオ少将(当時准将)によって前線指揮所として使用されました。

 1975年4月初旬、ベトナム共和国軍第1・第2軍管区を突破した共産軍は、最終目標であるサイゴンを目指し最後の大攻勢を開始しました。国道1号線はスンロクから先はサイゴンまで一本道ビエンホア街道で繋がっており、スンロクの陥落は即ち共産軍によるサイゴンへの直接侵攻を意味していました。そのため、共和国軍は敵の首都進撃をなんとしても阻止すべく、第18歩兵師団の麾下に第82国境レンジャー大隊、第81空挺コマンド群および地方軍大隊の残存兵力を加えたスンロク守備隊を編成し、第18歩兵師団長レ・ミン・ダオ准将がその指揮を執りました。
 この時、共和国軍側の兵力が約1個師団であるのに対し、共産軍側は4倍の4個師団でスンロクを包囲しており、共産軍は早々にスンロクを攻略するものと目されていました。しかし実際に戦闘が開始されると、共産軍は予想を遥かに上回る猛烈な抵抗にあい、幾度となく進撃を阻止されます。そして、この小さな街を巡る12日間の戦闘が、30年に渡る戦争の雌雄を決した最後の決戦として永くベトナム国民の心に記憶される事となります。

※注
現在の地図ではこの地域はドンナイ省ロンカンであり、スンロク地区はロンカンの東側に位置する別の地域を指していますが、1975年以前はこの地域もロンカン省スンロク地区に含まれていた模様です。また、当ブログではこれまでXuân Lộcを"スァンロク"とカタカナ表記してきましたが、ベトナム語での発音は"スンロク"に近い事が分かったので、今後はこのように表記していきます。

スンロクの戦跡
スンロクの戦いにおける部隊の配置(1975年4月)と、ティー山の位置

スンロクの戦跡
ティー山の麓から見た指揮所跡。この建物は戦闘での破壊は免れたものの、現在ではその存在を忘れられ、地元民が展望台として訪れる程度の廃墟となっています。

スンロクの戦跡
車で山道登り、建物内へ。特に立ち入り禁止等にはなっていません。

スンロクの戦跡
内部は完全にもぬけの殻であり、当時をうかがわせる物は何も残っていません。

スンロクの戦跡
スンロク一帯はゴムノキ林の広がる平野であり、所々低い山(または丘)が点在する地形なので、建物の二階からは辺りを一望できます。また当時は、ここから見える全ての山の山頂に砲兵隊のファイヤーベース(火力基地)が設置され、地域一帯を隙間なく榴弾砲の射程内に収める事で防御力を高めていました。

スンロクの戦跡
父の戦った戦場に思いをはせる友人。彼のお父さんはかつて、この地で戦った第18歩兵師団の兵士でした。
戦闘では足にAKの銃弾を4発食らう重傷を負いながらもなんとか一命を取りとめ、現在もベトナム国内でご健在です。

スンロクの戦跡
山の周囲のゴムノキ林は41年前と全く変わらぬ姿を保っています。
我々はスンロクの戦いの最中、レ・ミン・ダオ少将が欧米メディアの取材に対しその決意を語った、まさにその場所(山の西側の山道入り口)に立ち、絶望的な状況の中で決死の抵抗を行ったベトナム共和国軍将兵たちを追悼しました。


ナレーション:
In anxious Saigon, the name Xuan Loc become synonymous with hope and heroism. General Le Minh Dao defied the communists.
(サイゴンの危機に際し、スンロクの名は希望と英雄的行為の代名詞となっている。レ・ミンン・ダオ将軍は共産軍に立ち向かっている。)

ダオ少将:
I will hold Long Khánh, I will knock them down here, even if they bring here two divisions or three divisions.
(私はロンカンを守り抜く。例え敵が2個師団、3個師団で押し寄せようが、私はここで敵を打ち倒す!)

レポーター:
Brigadier General Le Minh Dao told the assembled newsmen that he had beaten back 6 major attacks in 5 days..... I don't care how many divisions the other side sends me, he told us. I will knock them down.
(レ・ミン・ダオ准将は集まった報道陣に対し、この5日間で6つの主要な攻撃を撃退したと語った。彼は、敵が何個師団で攻めて来ようがかまわないと語る。私はそれを打ち倒す、と。)

ダオ少将:
I think the enemy, they think they can swallow down very easy. But now I can say with you, they hit to the rock. They hit to the rock. And we broken their heads already.
(敵はいとも簡単にここを攻略できると考えていた事でしょう。しかし今、私はあなた方に断言できます。敵は躓いた。躓いたのです。そして我々はすでに、彼らの先鋒を撃破しました。)

レポーター:
What is the morale of your men here?
(あなたの部隊の士気はどうですか?)

ダオ少将:
I can say with you they fight for 5 days already, and now today they still launch the attack, and push the enemies away, and you gone. With face of my soldiers always smiling and with good shape, good condition.
(断言します。敵はすでに5日間戦っており、今日、今現在もまだ攻撃を継続しているが、あなた方が見てきたように、我々は敵を撃退しています。兵たちの表情は常に明るく、良い状態です。士気は高いです。)

レポーター:
Is this battle crucial do you think to the future of Saigon?
(この戦いはサイゴンの未来にとって非常に重要なものだと認識されていますか?)

ダオ少将:
First.... if we can hold here, I think we can give good confidence for the people of Saigon. So we will try to do very hard, we will try our best to ...keep it.
This is the first wave of attack. Enemy can use more regiment. More fresh regiment to launch some next attack, again. But no problem! No problem!
(まず・・・、我々がここを守りきれば、サイゴン市民を安心させる事が出来ると思います。そのために我々は奮励努力し、防衛に最善を尽くします。
これは攻撃の第一波に過ぎません。敵はまだ連隊を持っています。次の攻撃にはさらに新たな連隊を投入してくるでしょう。けれど問題ありません。大丈夫です。)



 スンロクにおける第18歩兵師団の敢闘ぶりはまさに伝説的なものであり、指揮官ダオ少将は後に『スンロクの英雄』と称されます。しかし一方で、戦闘による犠牲者は確実に増え続けました。そして戦闘開始から12日目の1975年4月21日、サイゴンの総参謀部は首都防衛のための兵力を温存すべくスンロクの放棄を決定。守備隊の残存兵力はビエンホア空軍基地への撤退を命じられます。こうして、歴史に残る激戦、スンロクの戦いはその幕を閉じました。




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この記事へのコメント
充実した旅だったようで無事帰国できて何よりです。
ところで、タイガさんはチュオン・ニュ・タン著「ベトコン・メモワール」をご覧になった事はありますでしょうか。
サイゴンの最上流階級の家庭に生まれ、ベトナムの民族独立運動に身を投じ、最後はハノイの中央政権に裏切られた男の物語です。
良書ですので、是非ご一読をお薦めいたします。
私のでよければ お貸しできますよ!
Posted by 連続射殺魔 at 2016年08月15日 17:08
連続射殺魔さん

まだ読んだ事ありませんが、古本がAmazonで94円で出品されてたので、さっそく注文しちゃいました。
あらすじを一聞したところ、戦争の時は立場の違いを超えた全国民連携による民族解放を謳いながら、戦争に勝った途端一党独裁で支配するという、党お決まりの二枚舌戦略が描かれていそうですね。
越共の暴力革命を断固非難する私から見ても、気高い理想を持ちながら、党の口車に乗せられ中央の利権の為に使い捨てにされた民族主義者たちについては、本当に気の毒に思います。
こういった非共産主義の民族主義者がいかにベトミン・ベトコン勢力に抱き込まれ、最終的に一党独裁体制に至ったかについては、中野 亜里 (編集)の『ベトナム戦争の「戦後」』という本にも詳しく書いてありました。この本は元NGO職員や元ハノイの共産党系機関紙編集者など、比較的政治的にニュートラルな立場の筆者たちが、それぞれの専門分野からベトナム戦争と戦後ベトナムの問題点について記し、まとめた本です。かなりの情報量なので、私からはこの本をお勧めします!
Posted by タイガタイガ at 2016年08月16日 00:15
こんにちわ私です
その本私も今 注文しましたぞ
Posted by 連続射殺魔 at 2016年08月16日 20:06
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