2014年04月30日
『黒い4月』サイゴン陥落の日
39年前の今日、1975年4月30日。
ベトナム共和国(南ベトナム)の首都サイゴンが陥落し、15年間続いたベトナム戦争が終結しました。
それは同時に、祖国と自由のため戦った数万人の南ベトナム国民が、帰るべき祖国を失った瞬間でもありました。
この忌まわしい4月の出来事を、アメリカに渡った南ベトナム難民たちは『黒い4月(Tháng Tư Đen)』と呼び、ベトナム民族の歴史を物語る忘れ得ない日となっています。
そして終戦から39年目の今年も、アメリカ・カリフォルニア州ウェストミンスターのリトル・サイゴンで、戦没者と亡き祖国に思いをはせる黒い4月追悼式典が厳粛に行われました。
(4月30日は平日なので、式典は直前の休日である4月26・27日に行われました。)
僕も遠く離れたここ日本から、あの戦争に人生を奪われた幾多の人々へ哀悼の意を表したいと思います。
詳細はファム・ホア少尉(NKTおじさん)のブログで見ることが出来ます。
サイゴン陥落の経緯
1975年4月末。南ベトナムの首都サイゴンは共産軍(解放戦線という体だが、実態は南侵した北ベトナム軍)に三方向から包囲されていました。南ベトナム政府はサイゴン占領という最悪の事態を避けるため北側に停戦交渉を求めましたが、北はグエン・バン・チュー政権との交渉を拒否。そのためチューは4月21日に総統を辞任し、副総統だったチャン・バン・フォンが新たに総統に就任します。
グエン・バン・チュー総統の辞任演説(1975年4月21日)
しかし新総統のフォンもチュー政権の関係者だとして北に拒否され、1週間後の4月28日に辞任します。同日、両院合同議会が全会一致で総統に選任したのが、1963~64年にかけて幾度もクーデターで政権を握り、これで4度目の国家元首就任となる軍の重鎮ズオン・バン・ミン将軍でした。これは交渉の前提条件としてチュー政権関係者の排除を求める北の主張に譲歩したもので、ミンは1965年にチューによるクーデターで失脚して以来チュー政権とは距離を置いていた為、彼が総統ならば北も交渉に応じるのではと期待されたためでした。
チャン・バン・フォンの辞任とズオン・バン・ミン新総統の就任演説(1975年4月28日)
しかし実際には共産軍の目標はサイゴンの軍事占領であり、北の主張は南ベトナム政府・軍・警察の即時解体という無条件降伏を求めるもので、停戦交渉は拒否されました。この逼迫した状況の中、南ベトナム軍は政府の停戦交渉および一般市民が避難する時間を少しでも稼ぐため、人民自衛団(民兵)も動員して敵のサイゴン突入を食い止めるべく必死の抵抗を続けました。
一方、民間人のサイゴン脱出は4月初頭から開始されており、アメリカ海兵隊の固定翼機がタンソンニュット空港から5万人以上の南ベトナム市民を国外に脱出させていましたが、タンソンニュット空港は4月28日に共産軍の砲撃を受け使用不能となってしまいました。
翌4月29日未明には、共産軍は15個師団・兵力20万人でサイゴンへ向け最後の大攻勢を開始しました。これにより市民のパニックは最高潮に達し、タンソンニュットやサイゴン港、アメリカ大使館には共産軍による虐殺を恐れ逃げ惑う避難民が溢れかえって大混乱となり、まさに終末の様相を呈していました。
同日、固定翼機に代わってヘリコプターによる最後の救出作戦『フリークエント・ウィンド作戦』が開始されました。この作戦で翌日までに1373名のアメリカ人と、5595名のベトナム人がヘリコプターで脱出に成功し、南シナ海上のアメリカ艦隊TF76に収容されました。その際、空母の着艦スペースを確保するため、クルーが人力でヘリを押し出して海に捨てていく様はあまりに有名だと思います。
4月29日の時点で南ベトナム軍の戦況は絶望的となり、サイゴン陥落は時間の問題となっていました。同日、ズオン・バン・ミン総統は翌30日に無条件降伏を受け入れる事を決意し、各部隊司令官に電話で直接その意を伝えます。そして、それまではなんとしても敵のサイゴン市街突入を防ぐよう最後の総統命令を発しました。サイゴンには現在も400万を越す人々が暮らしており、敵の侵入を許し市内で戦闘が行われれば、確実に多くの市民が巻き添えになるからです。
これを受けてチャン・クァン・コイ准将指揮の南ベトナム軍第3軍団第3強襲団の残存兵力は、29日深夜から未明に掛けて市内へ進軍する北ベトナム軍に対し最後の強襲を行い、ビエンホア街道の敵を足止めすることに成功しました。しかしサイゴン東部を守る第18師団、北部の第5師団、南西部の第22師団、クチ基地の第25師団は、奮戦空しく30日朝までに次々と壊滅していきました。
そして4月30日午前10時30分、ズオン・バン・ミン総統はついにラジオ放送を通じて無条件降伏を宣言し、全軍に戦闘停止を下令しました。しかし北側はこれを降伏とは認めず、あくまでサイゴン中心部の軍事占領を目指して進軍し、11時30分頃先頭の機甲部隊が総統府(独立宮殿)に突入します。
正午頃、総統府のベトナム共和国旗は引き摺り下ろされ、代わりに解放戦線の旗が掲揚されます。
そしてミン総統ら政府閣僚は全員逮捕、連行されました。
午後2時30分、共産軍はミン総統をラジオ局へ連行し、予め北側が用意していた降伏声明を読み上げさせます。その後解放戦線はこの無条件降伏の受け入れを表明し、これをもって15年間続いたベトナム戦争は正式に終結しました。
突入から降伏声明までの様子は、戦後ベトナム国防省が製作した映画『サイゴン解放』で非常に忠実に再現されています。
社会主義国のプロパガンダ映画ですが、ロケ地はまさにその場所ですし、映像としての再現度は素晴らしい出来です。(南ベ・米軍の服が変なのはご愛嬌)
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