2023年11月11日
フランスでお会いしたベテラン達
※2023年11月12日更新
※2025年1月11日更新

右:チャン・ドゥック・トゥン博士・陸軍中佐

トゥン中佐は陸軍空挺師団所属の軍医で、長らく第3空挺大隊の主任軍医を務め、最終的に空挺師団衛生大隊長を務めておられました。
トゥン中佐は後述するカオ准尉のご親戚(トゥン中佐はユー家の養子。ユー・コック・ルォン大佐、ドン中将の義兄弟)であり、家も近いので、慰霊祭の日はカオ准尉の車で自宅から送り迎えしました。
私は民間人なので軍隊式の敬礼はしないつもりだったのですが、別れ際に、トゥン中佐が私たちに敬礼をされたので、この時ばかりは心を込めて答礼させて頂きました。
(写真は衛生大隊長時代。1975年)
左:チャン・ディン・ヴィ ベトナム陸軍大佐/フランス陸軍大佐

ヴィ大佐は第1次インドシナ戦争期に、フランス植民地軍麾下のベトナム人コマンド部隊であるコマンドス・ノーヴィトナムの中でも最も勇名を馳せたコマンド24"黒虎"の副隊長(当時曹長)として有名です。
その後1952年にフランス軍からベトナム軍へと移籍し、ベトナム戦争中は陸軍大佐として第41歩兵連隊長、ビンディン省長官(=地方軍ビンディン小区司令)等を歴任しました。
ヴィ大佐の軍歴はこれに留まらず、1975年の敗戦によりベトナムを脱出した後、1976年に特例的にフランス外人部隊に少佐として採用され、第1外人連隊連隊長に就任します。
(通常、元将校であっても、外人部隊に入隊する際は兵卒として採用されます。かつてフランス軍下士官であったとは言え、外国人がいきなり将校、しかも連隊長になるのは異例中の異例の人事です)
その後ヴィ氏は12年間フランス軍で勤務し、フランス軍でも大佐となり、1988年に退役しました。
ヴィ大佐の軍歴の長さと軍功の多さは、数多のベトナム軍人、そしてフランス軍人の中でも抜きんでており、恐らく最も多数の勲章を受章したフランス軍人と言われています。
そんな生ける伝説的な人物と直接お会いできた事は、この旅最大の感動でした。
(写真はコマンド24副隊長時代。1951年ナムディン省)

右から:
チャン・ドゥック・トゥン陸軍中佐
私
ホアン・コー・ラン陸軍大佐
グエン・バン・トン陸軍一等兵

ホアン・コー・ラン博士・陸軍大佐

ラン大佐は在仏ベトナム空挺協会の代表として、毎年ノジャンシュルマルヌ墓地での慰霊祭を主催しておられる人物です。
ラン大佐はハノイ出身で、ハノイのベトナム陸軍衛生学校に在学していましたが、1954年にジュネーヴ協定によって北ベトナムがベトミン政権に明け渡されたため、衛生学校が南ベトナム領内に移転し、それに伴ってラン大佐も南ベトナムに移住しました。そこで訓練の一環として空挺部隊(当時は空挺群)による落下傘降下訓練を受講し、1957年に衛生学校を卒業すると軍医として空挺群に志願します。
当時空挺群に軍医はたった3名しかおらず、その後も空挺部隊、ひいてはベトナム軍全体が慢性的な軍医不足に悩まされていたため、部隊がひとたび戦場に出ると、一般の空挺部隊将兵がシフトを終えて基地に帰還する一方、ラン大佐を始めとする軍医は何か月も前線に留まり続けたそうです。そうした困難な任務に臨み続け、ラン大佐は空挺師団軍医長、そしてサイゴン衛生学校校長を務めておられました。
ラン大佐は昼食を食べながら私に、「私は20年近く空挺部隊にいた。それはあまりに長かったし、あまりに人の死を見過ぎたよ」と語ってくださりました。
(写真は空挺師団軍医長時代)

ユー・コック・ルォン空軍大佐

ルォン大佐は長らく、総参謀部直属の特殊工作機関NKT内の航空支援部司令として、米軍MACV-SOGが企画した全ての特殊作戦の航空部門を統括していた方です。
またルォン大佐はベトナム空軍が創設されて間もない1953年にフランスに派遣され、フランス空軍による飛行訓練を受けた、ベトナム空軍の最初期のパイロットの一人でもあります。
戦時中は同じくパイロットであったグエン・カオ・キ空軍中将(副総統)と近しい関係だったそうですが、戦後のキ中将の言動には他のベテランそして多くの元ベトナム共和国国民と同様にうんざりしており、キ中将の話題を振ったら「奴は話し過ぎなんだよ・・・」と嫌悪感を露にしていました。
ちなみにルォン大佐の弟さんは、陸軍空挺師団師団長として有名なユー・コック・ドン陸軍中将で、先述のトゥン中佐も義兄弟です。
(写真はNKT航空支援部司令時代)

"ルイ"タン・ロック・カオ(ベトナム名カオ・タン・ロック)フランス海兵隊准尉
今回、私がフランスでご自宅にホームステイさせて頂いたのが、ルイおじさんことカオ准尉です。
カオ准尉はベトナム共和国サイゴン出身ですが、ベトナム戦争中はまだ子供だったため、ベトナム軍に従軍した事はありません。彼は1980年に国連の難民脱出プログラムによってフランスに移住し、その後フランス海兵隊将校となりました。
しかし母方のおじがベトナム陸軍空挺師団師団長として有名なユー・コック・ドン陸軍中将(ユー・コック・ルォン空軍大佐の弟)であった縁から、現在では在仏ベトナム空挺協会の若手リーダーを務めていらっしゃいます。
(カオ准尉の現役時代の所属は海兵歩兵連隊であり空挺部隊ではありませんでしたが、落下傘降下資格は持っているそうです)
ホームステイしていた5日間、カオ准尉からはフランスや旧フランス植民地におけるベトナム人コミュニティに関する興味深い話を毎日聞くことが出来ました。
例えばカオ准尉が現役時代に偶然出会った外人部隊のベトナム人曹長。彼はコテコテの北部ベトナム語を話しつつも同時にフランス語も完ぺきに話していたので、カオ准尉は不思議に思い、彼に話しかけたそうです。すると彼は仏領ニューカレドニア生まれ、元ベトナム人民軍少佐、そしてフランス外人部隊曹長という異色すぎる経歴の持ち主だったそうです。大変数奇な人生を送られた方なので、この人についてもまたあらためて記事にできればと思います。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。