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2013年12月09日

モン族を想って

一昨年のニュースですが、衝撃的な事件だったのでご紹介します。

『元フランス軍大佐、モン族への迫害に抗議し自殺』

ソース
RFI
laststandonzombieisland


 現在のベトナム北部・ラオス・タイ・中国南部には"モン族(hmong)"と呼ばれる少数民族が暮らしています。彼らはフランス領インドシナ時代"モンタニャール(山地民)"と呼ばれ、他の少数民族と同様に、多数派のベトナム人やラオス人からの迫害を避け自治権を得るために長らくフランス軍に協力していました。

第1次インドシナ戦争

 第2次世界大戦後の1946年、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟会(ベトミン)と、インドシナの再植民地化を目指すフランスとの間で第1次インドシナ戦争が始まります。もしベトミン側が勝利した場合、それまでフランスに協力的だった少数民族は共産政権によって恐ろしい報復を受けることが明白だったため、戦争が始まると多くの少数民族の若者がフランス軍に参加しました。
 中でもモン族は激戦地であるベトナム北部・ラオスの山岳地帯に住む民族であり、彼らはフランス海兵隊(植民地軍)のGCMA(混成空挺コマンドグループ)に組み入れられ、ディエン・ビエン・フーの戦いなど、幾多の激戦に投入されました。ジョンブン・グエス退役大佐は、1950年から54年にかけて、このモン族部隊を指揮したフランス軍将校の一人です。

▲フランス軍GCMAとモン族兵(黒い民族衣装) 1954年

 しかし第1次インドシナ戦争はベトミンの勝利に終わります。フランス軍は戦友であるモン族兵たちを置き去りにし、本国への撤退を余儀なくされました。そして危惧された通り、ラオス・ベトナムではモン族に対し悲惨な迫害が行われる結果となりました・・・。
 グエス大佐は戦後、置き去りにしてしまったモン族たちの事が忘れられず、彼らの救済に残りの人生の全てを捧げました。グエス大佐は軍を退役した後も、数十年間に渡ってモン族への支援を訴える活動を続けてきましたが、フランス政府が公式に動く事はなく、モン族への迫害を止める事はできませんでした。
 そしてついに、2011年10月27日、グエス大佐はフランス政府への抗議として公開遺書を新聞に投書すると、ディナン市街のインドシナ戦争記念碑壇上にて、銃で自らの命を絶ちました。

新聞社に投書された遺書
「これは私の長い失望の末に残された最後の賭け、いや最後の銃弾だ。(中略)
ラオスの友人たち(モン族)の悲劇に対し、無関心で臆病なわが国の政府に抗議する。」

モン族を想って
▲ジョンブン・グエス(Jambon Goes)退役大佐


 グエス大佐が亡くなった翌年の2012年6月、フランス中部の都市オービニー=シュル=ネールのサン·リグオーリ広場で、モン族戦死者追悼記念碑が建設されました。オービニー=シュル=ネールは1975年のラオス内戦終結以降、ラオス共産政権による弾圧から逃れて国外に脱出したモン族難民が多く移り住んだ街で、モン族コミュニティの働きかけにより記念碑の建設が実現しました。
 フランスでモン族の記念碑が作られるのはこれが初めてであり、フランスのために命を落としながら60年間も忘れ去られていたモン族たちの実情に、フランス国民が目を向けるきっかけになるのではと期待されています。

Groupe Centre France

▲昨年に引き続きオービニー=シュル=ネールでに行われたモン追悼記念式典(2013年6月8日)




ベトナム戦争・ラオス内戦(第2次インドシナ戦争)

 モン族が兵士として加わったのはフランス軍だけではありません。第1次インドシナ戦争後、撤退したフランスに代わってインドシナへの介入を強めたのがアメリカでした。
 1960年代初頭、CIAとアメリカ軍は南ベトナム領内の少数民族を兵士として利用するCIDG計画を推し進めますが、同時に隣国ラオス王国においてもCIDGと同様にモン族・ブル族を反共戦力として活用すべく軍事顧問を派遣しました。アメリカ軍によって訓練された彼らは、米軍が公式には侵攻出来ないラオス領内において、その地を拠点としている北ベトナム軍やベトコンと壮絶な戦いに身を投じました。また、モン族はラオス王国政府軍の一部として共産ゲリラの"ラオス愛国戦線(パテート・ラーオ)"とも戦いを繰り広げましたが、一方でパテート・ラーオ側に引き込まれたモン族グループも居り、彼らは同族同士で殺し合うことになります。

モン族を想って
▲ラオス王国軍HSGU(モン特別遊撃隊/Hmong Special Guerilla Unit) 1974年

 しかし1973年にアメリカはベトナム戦争から撤退し、モン族ら少数民族はまたも置き去りにされます。そして1975年4月、南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結。そして同年12月にはラオス人民民主共和国の成立によってラオス内戦も終結し、インドシナ三国は全て共産主義政権の支配下となりました。そこでは、少数民族に対する史上かつてない規模の虐殺と弾圧が繰り広げられました。
 戦後、ベトナム・ラオス共産政権による弾圧から逃れるため、数十万人のモン族が難民として隣国タイに押し寄せました。現在でも約5000名のモン族がラオス領内のジャングルの奥地で、ラオス政府軍から追われる生活を強いられています。また、タイ国内では大量のモン族難民が問題となっており、タイ政府は4000名のモン族をラオスに強制送還すると発表するなど、故郷を失った彼らの未来は、いまだ開けていません。

参考:社会派ドキュメンタリー番組


モン族を想って
▲現在も一部のモン族はベトナム戦争時代に米軍が残した武器でラオス政府に抵抗を続けています


『30年目の戦後処理:アメリカと共に戦った民族』

 アメリカ陸軍のスナッフィー・グレイ少佐は、モン族・ブル族部隊の軍事顧問として1962年にラオスに派遣されました。彼はその地で、北ベトナム軍によってモン族の女性や子供が皆殺しにされる様を目の当たりにし、また彼らが殺されるのは目に見えているのにも関わらず、軍の命令で仲間のモン族を見捨てて帰国せざるを得なかったため、心に深い傷を負っていました。 
 この番組ではグレイ少佐が、アメリカに渡った元ラオス王国軍モン族兵たちと再会する事で、心の中でまだ続いていたあの戦争と向き合っていきます。








 モン族についてはまだまだ書ききれない事だらけなので、また改めて記事にしたいと想います。



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