2024年04月11日
ベトナム軍衛生士官候補生の階級章
※2024年4月12日更新


ベトナム軍の軍医の卵、「衛生士官候補生(Sinh Viên Sĩ Quan Quân Y)」の階級章は、他の士官学校と同様に士官候補生を表すアルファ(通称「魚のフライ」)の意匠が用いられていますが、当時の写真ではそのアルファの下に追加される図柄には、ダラット国家武備学校のような金色の棒(通称「鍋の取手」)が付く場合と、(海軍を除く)士官と同様のボンマイ(別名マイヴァン, ホアマイ)の花が付く場合の2パターンが見られ、その使い分けについては長年把握できていませんでした。

▲左がボンマイのパターン、右が棒のパターンの例
特にボンマイは(海軍を除く)士官の階級章なので、それがまだ士官ではない士官候補生にアルファと一緒に使われているのは不可解でした。
そこで最近、SNSでベトナム軍ベテランに情報提供を呼び掛けたところ、核心に迫る情報をお寄せ頂くことが出来ました。
下の図はそれらをイラスト化したものです。

まず、アルファの下の図柄が2パターン存在したのは年代によるもので、同時に存在した訳ではありませんでした。
そして1970年までボンマイの階級章が使われた理由ですが、これは衛生士官候補生は他の士官学校の士官候補生と異なり、入学した時点で士官(准尉)扱いになるためでした。
例えばトゥドゥック歩兵学校やドンデー下士官学校の予備士官課程では9か月のカリキュラムを終え卒業する事でようやく准尉に任官しますが、衛生士官候補生は入学すると同時に准尉扱いとなり、准尉の給与を得ます。さらにその後すぐに少尉扱いに昇進し、4年次以降は中尉扱いとなるそうです。
なので衛生士官候補生は正式な将校でなないのにも関わらず、アルファと共に准尉・少尉・中尉の階級章を用いていました。
しかし1970年、総参謀部はこの衛生士官候補生独特の階級章制度を廃止し、ダラット等他の士官学校と同じ、棒で年次を示す制度に改めたそうです。
そして1970年の前後いずれの場合も、衛生士官候補生は6年間の医師課程(医師・歯科医・薬剤師コースに分かれる)を修了すると、医師免許を取得し、軍医(Sĩ Quan Y Sĩ=医師士官)となり、正式に中尉に任官します。
なお、医師養成にかかる莫大な学費は国が負担しているため、軍医になった者は一定期間軍での勤務が義務付けられており、その期間を満了するまで自らの意思で除隊する事は出来ませんでした。
この衛生士官候補生を養成した衛生学校そのものについて書き出すと長くなるので、また改めて記事にしたいと思います。
2021年04月26日
衛生兵の装備
先日、ベトナム軍の衛生兵の装備についてご質問頂いたので記事にまとめてみました。

またM1945フィールドパックに赤十字マークをペイントしている例もありました。

赤十字マークが描かれていないと写真から衛生兵だと識別できないだけで、実際にはもっと多くの衛生兵がフィールドパックやARVNラックサックに衛生キットを入れて持ち運んでいた可能性はあると思います。
ただし米軍で使われていたバックパック式のM5メディカルバッグの使用例はまだ確認できていません。
ヘルメットについは、全ての衛生兵ではないものの、赤十字マークがペイントされている例が多数見られます。
写真のように、歩兵や空挺部隊ではヘルメットの正面に、正面に黒虎マークがペイントされるレンジャー部隊ではヘルメット側面に赤十字マークが入るようです。

最後に被服に付ける徽章についてですが、これについては前線の衛生兵の徽章がはっきり写っている写真が見つからなかったため、あくまで推測となります。

しかし私自身まだ衛生兵について本格的に調べた事が無いので、以下は今現在持っている情報からの推測になります。
今後新たな情報が得られ次第、認識が変わる可能性がある事をご容赦ください。
まず1950年代においては、衛生兵の装備は同時代のフランス軍と全く同一だったはずですが、手元に資料が無いため、割愛させて頂きます。申し訳ありません。
1960年代前半からは、米国製の衛生物品セットNo.3(通称M3メディカルバッグ)の使用例が、終戦まで長きに渡って多数見られます。
ベトナム戦争中の衛生兵の個人装備としては、小銃兵の装備に加えてM3メディカルバッグを身に着けるのが最も一般的だったと思われます。
今後新たな情報が得られ次第、認識が変わる可能性がある事をご容赦ください。
まず1950年代においては、衛生兵の装備は同時代のフランス軍と全く同一だったはずですが、手元に資料が無いため、割愛させて頂きます。申し訳ありません。
1960年代前半からは、米国製の衛生物品セットNo.3(通称M3メディカルバッグ)の使用例が、終戦まで長きに渡って多数見られます。
ベトナム戦争中の衛生兵の個人装備としては、小銃兵の装備に加えてM3メディカルバッグを身に着けるのが最も一般的だったと思われます。

またM1945フィールドパックに赤十字マークをペイントしている例もありました。

赤十字マークが描かれていないと写真から衛生兵だと識別できないだけで、実際にはもっと多くの衛生兵がフィールドパックやARVNラックサックに衛生キットを入れて持ち運んでいた可能性はあると思います。
ただし米軍で使われていたバックパック式のM5メディカルバッグの使用例はまだ確認できていません。
ヘルメットについは、全ての衛生兵ではないものの、赤十字マークがペイントされている例が多数見られます。
写真のように、歩兵や空挺部隊ではヘルメットの正面に、正面に黒虎マークがペイントされるレンジャー部隊ではヘルメット側面に赤十字マークが入るようです。

まず一般的に衛生隊所属者は軍医・一般の衛生隊員ともに、衛生科章を右胸の名札上側に着用していたので、部隊付きの衛生兵も同様に衛生科章を着用していたものと推測されます。
次に左袖に付ける部隊章に関しては、単に衛生隊員が五角形の衛生隊の部隊章を着用している写真なら沢山あります。

しかしこれらの多くは後方の衛生隊を写した写真であり、この衛生隊パッチが前線部隊付き衛生兵でも着用されたかについては、まだ確認が取れていません。
上で示したヘルメットを被っている衛生隊員の写真も、前線ではなく軍病院で警備中の兵士を写したものです。
とりあえず、ベトナム戦争期の装備被服に関しては以上になります。
私自身気これまで手を付けてこなかったテーマですので、今後もっと調べていきたいと思います。