2022年03月08日
『儀仗・首都警備部隊』の訂正
前記事『儀仗・首都警備部隊』の内容に一部誤りがあったので訂正します。
ただし、まだ事の全容解明には至っていないので、あくまでこの記事は現時点での僕の認識であり、今後の進展次第ではまた変わってくる可能性があります。
儀仗群(Liên Đoàn An Ninh Danh Dự)
まず、以前の記事では「赤地に龍」の部隊章を第306中隊のものとしましたが、正しくは「儀仗群」でした。
その名の通り、ベトナム政府首脳や外国の来賓などに対し儀仗を行う部隊だったようです。
▲1970年 総統府,サイゴン
首都保安群(Liên Đoàn An Ninh Thủ Đô)
また、「青い城」のパッチは「儀仗群および首都保安群」のものとしましたが、正しくは「首都保安群のみ」でした。
こちらは総統府などサイゴン市内の政府重要施設の警備を行う衛兵隊であり、制服は儀仗群とほぼ同じであるものの、儀仗ではなく日常の警備が主な業務であった模様です。
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上記訂正へと至った経緯
・儀仗群は首都保安群へと改名された?
とある研究者は、「儀仗群は1969~1971年の間に首都保安群へと改名された」としており、僕も前回の記事ではその説を採用し、儀仗群と首都保安群を同一組織として説明しましたが、その後この説にはいろいろ矛盾がある事が分かりました。
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こちらの写真は1971年撮影とされており、「赤地に龍」の儀仗群パッチが見られます。
また、ある研究者は、このパッチは1974年まで着用例が見られるとしています。
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一方、こちらはHuấn Lệnh Điều Hành Căn Bản (1969年版)に掲載されている儀仗群(LĐANDD)のイラストなのですが、「赤地に龍」ではなく、首都保安群の「青い城」のパッチが描かれています。このイラストは二つの疑問・解釈を生じさせておりまして、
①「青い城」のパッチは儀仗群と首都保安群の両方で使われたのか?もしくは単にこの本の誤記なのか?
②誤記だったとしても、少なくとも1969年の時点で「青い城」のパッチは確実に存在していた。つまり「赤地に龍」と「青い城」は同時に存在しており、部隊改名に伴いに変更されたのではない。
・儀仗群は首都保安群内の組織?
「赤地に龍」のパッチは、首都保安群内の儀仗隊である第306中隊のものであるという説もありましたが、上で示したように当時の資料からこのパッチは儀仗群(LĐANDD)である事が確定した為、この説は否定されました。
また儀仗群と首都保安群の部隊規模は両方とも群(Liên Đoàn)であり、どちらか片方がもう一方の下部組織である可能性も否定されました。
以上の二点から今回僕は、部隊が改名された説を否定し、儀仗群と首都保安群は元から別々の部隊として同時に存在していたと認識を改めた次第です。
2018年10月16日
儀仗・首都警備部隊
※2019年11月29日更新
※2022年3月8日更新
※2022年7月15日更新
※2024年6月26日更新
儀仗・首都警備部隊の成り立ち
ベトナム国時代(1948-1955)、ベトナム国長(阮朝皇帝)バオダイおよびフランス要人への儀仗はベトナム国軍の近衛部隊が担っていた。
1955年10月、国民投票によりバオダイが追放され、ゴ・ディン・ジエム首相がベトナム共和国初代総統に就任。サイゴンのノロドン宮殿に総統府(Phủ Tổng Thống)が置かれる。また南ベトナムをフランスから独立させたジエム総統の功績を称え、ノロドン宮殿は「独立宮殿(Dinh Độc Lập)」と呼ばれるようになる。
共和制への移行から2か月後の1955年12月31日、ベトナム国防省はダラット駐屯の第22近衛大隊を改編し、サイゴンにて総統府防備部隊(Lực Lượng Phòng Vệ Phủ Tổng Thống, 以下PVPTT)を発足させる。
1960年1月1日、PVPTTの部隊名が総統府防備群(Liên Đoàn PVPTT)に改称される。この時点ではPVPTTは国防省直属の部隊であり、本部はサイゴン1区の総統府(独立宮殿)に隣接していた。
1961年6月1日、ベトナム共和国軍はサイゴン市およびザーディン省にまたがる首都圏を首都独立区(Biệt Khu Thủ Đô, 以下BKTĐ)に制定し、政府重要施設(総統府除く)を警備する首都独立区部隊(Lực Lượng BKTĐ)が創設される。部隊は第306、307、308、309、310中隊の計5個中隊で構成され、それぞれ国防省本庁舎、首相官邸、総参謀本部、そしてサイゴン・ラジオおよびテレビ局の警備を担った。
1962年5月25日、PVPTTは総統府防備兵団旅団(Lữ Đoàn Liên Binh PVPTT)へと発展・改称される。
1963年11月1日に発生したクーデターでPVPTTは革命軍と交戦。翌11月2日、PVPTTは解散され、BKTĐが総統府の警備も担う事となる。
儀仗・首都警備部隊の制服および部隊章
【近衛大隊: 1948-1955年】
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フランスから返還された大南皇帝の金印とサーベルをバオダイ(保大帝)に捧げる近衛兵 [1952年 ダラット]
1. 近衛兵外出服 2. 近衛兵袖章 3. 近衛大隊部隊章およびベレー章
【総統府防備隊(PVPTT): 1955-1963年】
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ジエム総統への儀仗を行うPVPTT隊員 [1962年11月18日 サイゴン]
1. PVPTT隊員 2.PVPTT部隊章兼ベレー章 3.PVPTT肩章(将校用)
ベレー色は赤だったとする説もあるが、カラー写真は未確認。袖につける部隊章は存在しない模様。
1963年11月革命で革命軍の襲撃を受け損壊したPVPTT本部 [1963年サイゴン]
【首都独立区(BKTĐ)警備中隊: 1961-1965年】
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63年11月革命から1年を祝う国慶日パレードで政府首脳に栄誉礼を行うBKTĐ警備中隊らしき部隊[1964年11月1日 サイゴン]
BKTĐ警備中隊と思われる画像はまだ不鮮明なものしか見付けられていません。
BKTĐ部隊章
なお警備中隊が独立した後も、BKTĐのその他の部隊はサイゴン市内の政府関連施設の警備や、式典の際の祝砲などの任務を継続していく。
※1965年以降の儀仗及び衛兵部隊については、『儀仗・首都警備部隊』の訂正』をご覧ください。