2014年10月18日
クメールとかベトナム雑記

こいつがクメール軍情報部、そしてフランスSDECEの二重スパイだったと噂される、FULRO最高幹部の一人レ・コセム大佐。
自分がチャム族であることを利用してFLC(チャンパ解放戦線)を結成、南ベトナム領内の少数民族に連携を持ちかけ、FULROを結成させた張本人。
しかし実際には、FLCおよびFULROの結成自体が南ベトナム政府へのサボタージュを目的とした破壊工作であり、側近のレ・コセム大佐がシハヌークに直接提案、承認を得た作戦だったという。
クメール側の真意に気付いたFULROおよびFLHP(中部高原解放戦線)最高指導者イーバム・エニュオルは、クメールの傀儡となったFULROから離反するも、クメール軍情報部に拉致され、以後6年間軟禁状態に。これによりFLHP系FULROは指導者を失い、間もなくサイゴン政府と和解(事実上の降伏)。
この間、70年にロン・ノル将軍がクメールの政権を握ると、レ・コセムはあっさりシハヌークからロン・ノル派へ鞍替え。
ベトナムのFLHP系FULROが活動を終えた一方、レ・コセムの配下にあったクメール領内のFLC(=チャム族)系FULROは、正式にクメール共和国軍に編入。

クメール軍第181FULRO大隊の幹部とロン・ノル将軍。
なお、レ・コセムは1975年の敗戦後、消息不明・・・。
クメール軍の軟禁下にあったイーバム・エニュオルは、プノンペンがクメール・ルージュによって占領されると、クメール軍幹部もろとも市内で処刑。FULROは稀代のカリスマ指導者を永遠に失ってしまった。
一体どの段階までフランスの関与があったのかは分からないけど、少なくともFULROが結成された1964年の時点ではSDECEと通じてた気がしてならない。
続きを読む2013年12月27日
CEFEO空挺部隊
南ベトナム軍を調べていると、必然的にその前身であるフランス軍に興味が沸いてきます。

続きを読む中でも第1次インドシナ戦争時代の空挺部隊(Troupes Aéroportées)が超カッコいいんですわ。

しかしフランス軍の空挺部隊って、なんか部隊名がコロコロ変わってて、どういう組織だったのか全体像が分かりにくかったんです。
なので今回は、第1次インドシナ戦争でベトミン軍と戦ったCEFEO(極東フランス遠征軍団)の空挺部隊の変遷をまとめてみました。