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2019年10月13日

CIDG計画とFULRO(フルロ)

※2019年10月15日更新

 最近、CIDGごっこを計画する中でフルロ(FULRO)の話が話題に上がった(と言うか僕が話したくて仕方なかった)ので、CIDGとフルロの関係を分かりやすく図にしてみました。

▲CIDGとフルロの大まかな関係を示した図(クリックでPDF開きます)

 なお今回は触れませんでしたが、少数民族の自治・独立運動は1958年のバジャラカ運動が最初という訳ではなく、1945年には最初のデガ諸部族の連携組織が発足しており、もっと昔には、現在のベトナムの領土の南半分以上はチャンパ王国やクメール王国が支配していた場所なので、彼らが「少数民族」と呼ばれる事になるはるか以前から、この争いはず~っと続いてきたわけです。
 また1975年以降も彼らの戦いは現在に至るまで続いています。このベトナム戦争の前と後の話は、まじめに書くとかなり長くなるので、またの機会に。



これまでのおさらい&よく見る誤解を訂正

・CIDG=デガ(モンタニヤード)ではない
 CIDG計画には多数のデガ諸部族が参加しましたが、チャム族やクメール族、ヌン族など、デガ以外の少数民族も多く参加しており、また一部ではカオダイ教徒など、反政府的なベトナム人も参加していました。

CIDGフルロではない
 フルロは長年ベトナム人から迫害を受けてきたデガ、チャム族、クメール族の三勢力の連合です。その目的はベトナム(この当時は南ベトナム)からの自治・独立です。彼らにとってこの戦いは積年の恨みが詰まった人種戦争であり、当初はベトナム人であれば南北に関係なく、一般市民すらも見境なく虐殺する過激な武装組織でした。なおそれまで大した反乱も越せなかった彼らがフルロを結成し、大規模な反乱を起こす事が出来たのは、米軍のCIDG計画の賜物でした。フルロ兵士はCIDG計画に参加する事で米軍によって訓練され、米軍から与えられた武器で武装し、米軍から支払われる給料がフルロの資金源となっていました。なのでCIDGフルロではありませんが、CIDG計画無くしてフルロの活動は無かったと言えます。
 一方、CIDGに参加していたヌン族は、中国国民党の影響下にある中華系の少数民族であるため、第一次インドシナ戦争では反共主義に基づいてベトミンと戦ったものの、ベトナム人との関係は悪いものではありませんでした。1954年に北ベトナムが失陥すると、約5万人のヌン族が南ベトナムに移住し、そのままサイゴン政府軍にヌン師団が創設されます。後に政争によってヌン師団長が解任された事でヌン族兵士はサイゴン政府に反旗を翻しますが、ジェム政権崩壊(1963年)後は再び良好な関係に戻ります。よってフルロに参加する事はありませんでした。

・フルロ=CIAの工作ではない
 インターネットを見ていると、一部のベトナム人の間ではフルロは「ジェム政権を崩壊させるためのアメリカCIAの工作だった」と語られていますが、それは完全に間違いです。まずフルロが結成されたのはジェム総統がクーデターで暗殺されてから10ヶ月も後の事です。また当時CIDGを指揮していたアメリカ人たちは、言葉の壁から、自分の部下たちが秘密裏に米軍による軍事支援を利用して反政府ゲリラ組織を結成している事に気付く事が出来ませんでした。そして実際に1964年にフルロの反乱が起こった際には、CIAですらこの反乱の背後関係を把握できておらず、ベトコンまたはフランスの支援・扇動によるサボタージュ説が唱えられていました。
 後に判明する事ですが、当時実際にフルロの組織化・反乱を支援してのは隣国カンボジアのシハヌーク政権でした。カンボジアとしては、クメール王朝時代にクメール領だった南ベトナムの領土を奪還する事を最終的な目標としており、その為に、ベトコンとの内戦を抱える南ベトナムを、内部からの反乱でさらに混乱に陥れる事を目論みました。そのためカンボジアは、CIDG計画によって南ベトナム領内の少数民族に武器・資金が流入した事を確認したうえで、少数民族に連携と反乱をけしかけたのでした。


ベトコンに参加したデガ勢力

 1954年以来、南ベトナム政府に対する少数民族たちの要求は、主に自治権・民族自治区の設置(特にデガは、1946年にフランスが設定した「南インドシナ・モンタニャール国」の復活・ベトナムからの独立)でしたが、、同時に政治イデオロギー的には、ほとんどの少数民族は第一次インドシナ戦争以来、反ベトミン・反共産主義・反北ベトナムで一致していました。
 しかし1958年のバジャラカ運動の失敗後、イーバムら運動の指導者を失ったデガの間では、今後の独立運動の方針について迷いが生じていました。そこに、北ベトナムの労働党が南ベトナム破壊工作として南ベトナム領内の旧ベトミン・共産主義・民族主義勢力の再組織化(後の「南ベトナム解放民族戦線」)を1960年に開始すると、デガ内部の一部勢力は、ベトコン(労働党・解放民族戦線)が語る「勝利の暁には民族自治区が約束される」という白々しい口車にすがってしまい、約1,000名のデガが「タイグエン自治運動」を結成して南ベトナム解放民族戦線の指揮下に入りました。
 しかしその兵力は微々たるもので、またベトコンははなっから少数民族に自治権を与えるつもりなど毛頭なかったので、この共産主義系デガ組織「タイグエン自治運動」がその後どうなったのかは、定かではありません。
 もしその後の15年間、ひたすらベトコンの指揮下でアメリカやサイゴン政府軍、そして同胞のデガ兵士たちと戦い続けたとしても、その勝利の後に待っているのはベトナム共産党政権によるデガ自身への民族浄化です。
 でも、もしかしたら、デガの同胞を大量に死に追いやっておきながら、自分だけはうまく共産党で出世して、戦後英雄気取りのデガも、もしかしたら居るかもしれませんね。
 だって現に、現在のベトナム社会主義共和国には、そういうベトナム人が腐るほど大量に居て、そんな連中が戦後40年以上、独裁政権下で私腹を肥やし、ベトナム国家・国民を食い物にしているんですもの。
  


2019年04月01日

56式腹掛け

前々から欲しかった、中国軍の56式自動歩槍用のマガジンポーチ(弹匣袋)の古いモデルが手に入りました。
56式用マガジンポーチには複数のバリエーションがありますが、今回手に入れたのはベルト長を調整するバックルが金属製のものです。僕が知る限り、このモデルが56式用のチェストリグ型マガジンポーチとして中国人民解放軍で最初に制式化されたものなので、便宜的にこのモデルを『初期型』と呼称します。

ベトナム戦争期、軍事支援として56式自動歩槍と共に中国からベトナム共産軍(特に解放戦線)に対して大量に供与された56式用マガジンポーチは、ほとんどがこの初期型でした。

初期型マガジンポーチを着用する南ベトナム解放民族戦線の兵士


またベトナム共和国軍や米軍の特殊部隊も、潜入作戦の際に共産軍に変装するため、しばしば敵から鹵獲した56式用マガジンポーチを使用していましたが、その場合も当時の写真で見られるのは初期型ばかりです。

初期型マガジンポーチを始め共産軍の軍装を着用するベトナム共和国軍NKT第68群チーム『アースエンジェル』*
(※SOG-36の指揮下にあった、共産軍に偽装して潜入破壊工作を行う専門チーム)


しかしこの初期型は今まで、日本国内では滅多に出回らなかったため、僕は入手が容易な、バックルが革製となった改良(簡略化?)モデルを代用品としてコスプレに使っていました。(スタンプが滲んでいて製造年は不明)
以下、初期型(写真上)と手持ちの改良型(下)の比較です。




ようやくこの初期型ポーチが手に入った事で、心置きなく特殊部隊コスプレで身に着ける事が出来ます。
と言うか、まさか普通のサバゲー用品店がAmazonで売っていたとは・・・。もう品切れですが、これをレアものと分かって買った人って少ないかも。

ところで、これまで代用品として使ってきた改良型のポーチは、もうお役御免なのでしょうか?
そう思って、56式用ポーチについて検索してみたら、興味深い例がこちらのブログに掲載されていた。

人生楽しく行きましょう!! 56式小銃用チェストリグ

僕はベトナム戦争における56式用ポーチの使用例は初期型しか見た事がないので、改良型に移行したのは1970年代なのだろうと考えていました。
ところがどっこい!この形は1966年度製が存在しているのだそうです。今回僕が入手した初期型のスタンプは1965年度製でしたから、たった一年しか変わりません。
改良型が遅くとも1966/67年頃に存在していたのなら、それらがベトナム共産軍に渡っていた可能性は十分にあるはずです。
しかし不思議な事に、その使用例はいまだ見付けられていません。僕は共産軍の軍装を専門的に調べた事がないので、絶対に無かったとは言い切れませんし、むしろ年代的には使われていない方がおかしいくらいだと思います。
しかしその一方で、現に実際の使用例が全然見られないという事は、もし存在した場合でもごく少数だっただろうと言うしかありません。
また共産軍は1975年の終戦の時点でも初期型しか使っていない事から、仮に改良型が1960年代中盤に登場していたとしても、中国の全ての工場における生産が改良型に切り替わった訳ではなく、その後も初期型の生産が続き、ベトナムに供与された物のほとんどはその初期型だったのだろうと推察されます。

という訳で、ベトナム戦争における改良型ポーチの使用については、可能性は否定は出来ないけど、実例が確認できない以上肯定する事も出来ないので、今のところは代用品の域を出ないのではと考えます。
もし改良型の使用例をご存知の方は是非コメントでお知らせください!お願いいたします。