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2020年09月05日

14年ぶりのサバゲー

仕事終わりの夜に、いつもベトナム軍リエナクトを一緒やっている友人たちと集合して、貸し切りインドアサバゲーをやってきました。
ただし今回は気分転換に、ベトナムとは関係なく服装は各自自由です。



僕がヒストリカルとは関係ない純粋なサバゲーに参加するのは、実に14年ぶりです。
せっかく普段と違う事をするなら何か変わった服装がしたいと思い、今回のために友人の協力を得て揃えたのが、映画「ザ・ロック」の反乱海兵隊。



政府に見捨てられた戦友の無念を晴らす為(そして何より金のため)、英雄ハメル准将の決起に馳せ参じ候!

でも、タクティカルベストってけっこう暑いんですね。インドアなので一応エアコンはかかってますが、それでも汗だくで気持ち悪くなったので、早々に装備は脱ぎ捨てました。



結局、僕にとってはこのラーメン店員スタイルが最善でした。
銃もマルイのエアコキ1911一丁。セガール映画で学んだ近接戦闘術が役立ち、思った以上に撃ちとることが出来ました。

3時間強のゲームでしたが、ものすごく楽しめました。
また近々やれたらと思います。  


2015年10月25日

アンクル・ビル/モンスーン少佐

過去記事『ウェストミンスターにて』で少し書きましたが、7月に米国リトル・サイゴンで食事をご一緒させて頂いた『アンクル・ビル』について、氏がSNSで公開されている写真と共に改めてご紹介します。



『アンクル・ビル』ことウィリアム・ミミエイガ氏は1946年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる
ウィリアムの祖父スピリットはアメリカン・インディアンであった








1964年、高校卒業後アメリカ海兵隊入隊
サンディエゴMCRD(海兵新兵訓練所) 第156小隊卒業







第3海兵師団第3海兵連隊第3大隊に所属、1965年よりベトナムに派遣。以後7期、計26ヶ月間ベトナムに駐留し、クアンナム省チューライ、アンホアで戦う
ベトナム派遣中、あらゆる騒動がウィリアムの周りで起こるため、海兵隊員たちは彼を嵐を呼ぶ男『モンスーン』とあだ名した
(写真右: ベトナム共和国クアンナム省チューライ, 1965年)


ベトナムでの任務を終えた後、海兵隊に勤務しながら1968年~1969年にサンタ・アナ短期大学で学び、準学士号取得

1970年、MCRDサンディエゴの教練指導官に赴任
(写真: カリフォルニア州サンディエゴ, 1970年)







この後、第1海兵師団第11海兵連隊(キャンプ・ペンドルトン)に異動

1975年、士官昇級試験に合格し准尉に昇進

同年、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地のインドシナ難民キャンプ建設に第11海兵連隊の現場監督として従事
第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争・ラオス内戦・カンボジア内戦)は1975年4月に相次いで終結するが、各国で共産政権が成立したため累計144万人のインドシナ難民が発生
アメリカ・オーストラリア・カナダ等が難民を受け入れ、キャンプ・ペンドルトンには1975年4月より5万人の難民(主にベトナム人)を収容する大規模な難民キャンプが設置された

1978年、中尉(輸送科LDO: 限定当直士官)に昇進





1980年より第5海兵連隊第3大隊『ダークホース』(第1海兵師団隷下)に異動
沖縄、韓国、日本、フィリピンで勤務




グアンタナモ湾にて地上警備任務に従事
(写真: キューバ グアンタナモ米海軍基地, 1985年)






1984年~1986年、チャップマン大学にてBA(人文科学学士号)取得

1980年代末、少佐に昇進

1990年~1991年、湾岸戦争に派遣。サウジアラビア、クウェートに展開
(写真中央: クウェート, 1991年)




以後、ロサンゼルスMEPS(米軍入隊事務局)に勤務




苦楽を共にした戦友たちと海兵隊を心から愛し、生涯レザーネックスを貫くつもりだった『モンスーン少佐』ですが、突如人生の転機が訪れます。
それは膝の関節炎の悪化でした。そして松葉杖無しでは歩けなくなったミミエイガ氏は1994年についに退役を決断し、31年間の海兵隊生活に幕を下ろしました。

[在隊中の受勲]
Defense Meritorious Service Medal, Meritorious Service Medal, Navy Commendation, Navy Achievement with Combat “V” with 2nd & 3rd Gold Star, Combat Action Ribbon, Presidential Unit Citation with one Bronze Star,
Joint Meritorious Unit Citation, Navy Unit Citation, Meritorious Unit Citations with 2 Bronze Stars, Good Conduct Medal with 2 Bronze Stars, National Defense Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Service Medal with 1 Silver and 1 Bronze Star, Southwest Service Medal with 2 Bronze Stars, Korean Defense Medal, Vietnam Cross of Gallantry with Palm, Humanitarian Service Medal, Sea Service Deployment Ribbon with 2 Bronze Stars, Drill Instructor Service Ribbon with 1 Bronze Star, Overseas Service Ribbon with one Bronze Star, Vietnam Cross of Gallantry with Palm and Frame, Vietnam Civil Affairs First Order with Palm and Frame, Vietnam Campaign Medal with 60 device, Kingdom of Saudi Arabia Medal, and Kuwait Liberation Medal. Combat promotion to Staff Sergeant in Vietnam 1970 Meritorious promotion to Gunnery Sergeant MCRD San Diego Drill Field 1974


しかし退役してもなおモンスーンの覇気は衰えませんでした。ミミエイガ氏は第二の人生を、国の未来を担う若者たちの支援に捧げることを決意します。
丁度その頃、アメリカ空軍の入隊募集官をしていた妻のクリスさんがハワイ州に異動となった事から、これを機に夫婦でハワイに移住し、1995年にオアフ島のシャミナード大学およびハワイ大学マノア校に入学します。

そして1996年よりハワイ州内の中学校で特別教員として勤務を始めます。1999年からは地元のカリフォルニア州ロングビーチのステファンス中学校にて16年間に渡って特別教員を務め、『アンクル・ビル』として多くの人に親しまれています。
アンクル・ビルが専門とするのは複雑な家庭環境などで心を閉ざし、問題行動を起こしてしまう子供たちへの授業です。そういった子供たちはしばしば暴力的になり、刑事事件を起こしたりギャングに入ってしまったりと、普通の教師では対応しきれない問題を沢山抱えています。アンクル・ビルはそのような子供たちの助けとなるべく、リクリエーションなどを通じて彼らが前向きに生きる手助けを行っておられます。この活動は非常に高い評価を受け、ミミエイガ氏は現在までにカリフォルニア州年間優秀教員賞(2005年・2006年)、ロングビーチ特別児童協議会年間優秀教員賞(2008年)、カリフォルニア州議会勤続10年優秀教育賞(2009年)を受賞しています。

またアンクル・ビルは元海兵隊将校として、退役軍人の互助、および傷痍軍人・殉職者遺族への支援活動を積極的に行っています。
中でも氏が理事を勤めるNPO団体スノーボール・エクスプレスアメリカン航空をスポンサーとし、殉職した軍人の子供たちに少しでも笑顔を取り戻してもらえるよう、遺族を無料でツアーに招待する活動を行う団体です。



ハリウッド俳優のゲイリー・シニーズ氏スノーボール・エクスプレスの顧問を勤めており、アンクル・ビルと共に長年この活動に尽力されてきました。
シニーズ氏は進んで米軍USOショーに出演するなど、長年軍人への支援活動を続けてきた功績を認められ、2013年に海兵隊司令官より『名誉海兵隊員』の称号を授与されています



『ダン中尉バンド』としてUSOショーを行うゲイリー・シニーズ氏
(日本 普天間海兵隊航空基地, 2013年)


またアンクル・ビルは第1海兵師団協会副会長でもあります。





なので海兵隊と言ったらこの人、皆大好きガニー軍曹ことロナルド・リー・アーメイ氏とも旧知の仲。
二人ともベトナム従軍経験があり、かつ同じMCRDサンディエゴで教練指導官を務めていました。(勤務していた時期は別々です)




また、アンクル・ビルは全米ベトナム従軍兵協会785支部(カリフォルニア州オレンジ郡)の支部長も務めておられます。





この地域はウェストミンスター市およびガーデングエローブ市にまたがる世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンを擁することから、米軍ベテランとベトナム共和国軍人・ベトナム系市民との交流がとても盛んです。
中でもリトル・サイゴンの顔役を務めるファム・ホア少尉とは各種ベテラン系イベントを通じて親交を深め、今ではプライベートも共に過ごす『義兄弟』の仲です。







リトル・サイゴンは1970~80年代にチェリー農園しかなかった寒村をベトナム移民が開拓した街であり、現在では20万人のベトナム系住民が暮らしているため、若い世代のベトナム系アメリカ市民が手腕を発揮する、正に移民の街です。
アンクル・ビルはそのリトル・サイゴンで開催されるイベントに頻繁に参加し、彼らとも強い絆で結ばれています。

ガーデングローブ市議会議員クリス・ファン氏(左)と、同じくファット・ブイ氏(右)と
クリス・ファン氏は市議会議員と同時にアメリカ海軍判事・オレンジ群副地方検事・大学での法学教授を務めています。
(写真: ウェストミンスターベトナム戦争記念碑, 4月30日『国恨の日』式典にて)



カリフォルニア州議会上院議員ジャネット・グエン氏
(写真: リトル・サイゴン テト・パレードにて)







またプライベートでは、アンクル・ビルはバイクを趣味としています。絵に描いたようなコッテコテのハーレーおじさんで、69歳になった今でもベトナムベテラン仲間と共に『ラン・フォー・ザ・ウォール』に参加しています。
ラン・フォー・ザ・ウォールはベトナム戦争および全ての戦争犠牲者の追悼を目的とした全米のバイク愛好家によるツーリング活動で、毎年アメリカ西海岸をスタートし、ワシントンDCのベトナム従軍者記念碑(通称 ザ・ウォール)までたすきリレー形式で走行会を行っています。





ホア少尉の紹介とは言え、まさか僕のような一介のマニアがあのような立派なお方と知り合えるとは思いもよりませんでした。
69歳になってもいまだ熱意の衰えない『モンスーン』の愛と勇気の人生を垣間見れたこの幸運を天に感謝しています。
  


2015年07月21日

帰国しました

サンフランシスコでジャンキーに絡まれたり、LAXでコンタクトの洗浄液没収されたり、飛行機の中で放屁が止まらなくなったりと色々ありましたが、無事日本に戻ってきました。

アメリカではホア少尉をはじめとする元ベトナム共和国軍人および関係者の皆さんには、お宅に泊めて頂いたりユニバーサルスタジオに連れて行ってもらったりと、何から何までお世話になりっぱなしでした。
私のような外国人をここまで暖かく迎えて頂けるなんて、本当に感謝してもしきれません。
今回アメリカで過ごした日々は、私にとって単なる趣味の延長を超えた、人生最高の旅となりました。
このご恩は一生忘れません。Cảm ơn nhiều!

お世話になった皆様

グエン・バン・フェップ少尉(左) 元NKT本部P3(作戦・訓練参謀室)
レ・ホアン少尉(右) 元NKT作戦第11グループ"STRATA(短期監視・目標捕捉)"
STRATA時代のホアン少尉(写真右側 1973年)


元NKTの皆様 左より
トゥン・カーベイ氏 元NKT連絡"雷虎"
タイガ
フェップ氏の奥様
チュン氏の奥様
チュン氏 元NKT作戦"黒龍"第75作戦グループ
ヒュー氏 元NKT連絡"雷虎"


元NKT沿岸警備副指令
および元NKT連絡"雷虎"第3戦闘強襲団北カリフォルニアCCS連絡会の皆様


トム・トラン氏 陸軍大佐(第21歩兵師団副師団長)のご子息


カン・ブイ氏 空軍大佐(ベトナム総統専用機の機長)のご子息


ウィリアム・ミミエイガ少佐 元アメリカ海兵隊第3海兵師団


ファム・ホア少尉 元NKT作戦"黒龍"チーム723


ヴゥ・フン少尉 元地方軍第4軍管区PRU



こうして見ると最終階級が少尉(Thiếu úy)の方が多いですが、これには訳があります。
まず、お世話になった方の多くが士官学校もしくはNKT配属時にホア少尉とほぼ同期(1972年前後)であり、だから今回ホア少尉の呼びかけで皆さんが僕をお世話して下さったという訳です。
また、本来将校は任官後も軍の様々な学校で教育を受けて昇進するそうなのですが、1970年代に士官学校を卒業したホア少尉ら若い将校は、戦況の悪化から常に前線で戦っていたため、新しい教育を受ける機会が無かったのだそうです。
さらに仮に教育を受けた者はすぐに大尉に昇進してしまうため、この年代の尉官は中尉が少なく、少尉のまま終戦を迎えた方が多かったのだそうです。なるほど~
  


2015年07月16日

ウェストミンスターにて

カリフォルニア州ウェストミンスターに位置する世界最大のベトナム移民街リトル・サイゴンにて、
ついに長年憧れていた僕のヒーロー、ファム・ホア少尉と、またホア少尉の親友のミミエイガ少佐ともお会いする事が出来ました。



左からご紹介します。

ウィリアム ”ビル” ミミエイガ氏
元アメリカ合衆国海兵隊少佐
悠々と葉巻をふかす姿は豪快で、それでいて優しさの溢れる、見事なまでにアメリカンヒーローを体現するお方でした。
(2015年10月25日訂正。詳細な紹介は『アンクル・ビル/モンスーン少佐』参照)


トム・トラン氏
ウェストミンスターで僕を案内してくれているベトナム共和国出身のおじさん。
トム氏のお父様はベトナム共和国陸軍第21歩兵師団の副師団長でしたが、1975年に共産政権に逮捕され強制収容所に10年間も投獄されました。(それでも病気を患った為、他の高級将校より数年早く釈放されたそうです)
父が囚われ生活の糧を失ったトラン一家は1982年にベトナムから脱出。タイ、フィリピンを経由して1983年にアメリカに定住されました。
トム氏は14歳で終戦を迎えたため軍隊経験はありませんが、お父様を初めとするベトナム共和国軍人を大変尊敬されてます。
またトム氏の息子さんは現在、大学でアメリカ軍のROTC(予備役将校訓練課程)を受講中です。


タイガ・クン
日本からやって来た性欲の奴隷。
ユニバーサルスタジオハリウッドのジェットコースター(ハメナプトラ)で、走行中恐怖のあまり「オマンコやらせろー!」と絶叫し続けたが、周囲にそのような極東の少数言語を理解できる者は誰一人居なかった。


ファム・ホア氏
元ベトナム共和国陸軍特殊部隊少尉。
人呼んでリトル・サイゴンのゴッドファーザー。
サングラスして黒塗りのメルセデスから出てくる姿はベトナム・ヤクザにしか見えない。
実際ホア少尉がアメリカに来た当初は、周りのアメリカ人から舐められないよう、上から下まで映画で見たイタリアンマフィアの服装を完コピして、内緒でピストルまで携帯してたそうです(笑)
でも実はベトナム語の他にフランス語、英語、スペイン語を話せて、しかも本業は世界規模の某有名企業に勤めるエリートエンジニアだということが今回発覚しました。端的に言うと、Windowsが生まれる前からコンピュータ開発に携わっていた人。
アメリカに来てからの話が面白過ぎて、つい戦争中の話を聞くのを忘れてしまいました。
過去記事参照


またこの日は、トムさん、ホア少尉と共に元PRUのホン少尉が経営するベトナム共和国軍専門軍装店へもお邪魔しました。
元共和国軍人および在米二世、三世のベトナム共和国市民向けにリプロ軍装を作成・販売するお店です。
マジで動悸息切れするくらい素晴らしい、夢の中にいるような気分になるお店だったので、後日詳しいレポートを書きます。
  


2015年03月23日

ライド・ザ・サンダー

来る3月27日(金)、待ちに待った映画"ライド・ザ・サンダー"が(米国で)公開となります!
この映画は1972年、クアンチの戦いを勝利に導いたベトナム共和国海兵隊レ・バ・ビン中佐の日記に基づく物語です。

"Ride The Thunder" - A Story Of Honor and Triumph
監督: Fred Koster
原作 "Ride the Thunder" Richard Botkin


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2014年03月29日

タイガー迷彩ヘルメットカバー


普通に売ってたリプロ品なのでレア物でも何でも無いんですが、実際これをコスプレ用に使ってる人が居るのかと言うと、
恐らく限りなくゼロに近いであろうと思われる、ある意味レア(=需要無し)なヘルメットカバーです。

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