カテゴリ
News! (84)
銃器 (31)
映画 (18)
音楽 (13)
言論 (30)
民生 (3)
阮朝 (1)
人物 (27)
式典 (3)
BB/歩兵 (26)
ND/空挺 (31)
KB/騎兵 (9)
PB/砲兵 (3)
TT/通信 (2)
QV/輸送 (2)
HQ/海軍 (5)
KQ/空軍 (7)
FULRO (10)
デガ (18)
モン族 (13)
ヌン族 (7)
本土軍 (2)
SDECE (3)
1914-1918 (1)
1918-1939 (6)
1939-1945 (15)
1945-1954 (53)
1954-1975 (317)
1975-1989 (8)

2021年02月07日

続・海兵隊ネームテープ色

最近ベトナム海兵隊のインシグニアについてまとめた記事の続きを書いていたのですが、この機会に以前『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』に載せた大隊ネームテープ色が本当に正しいのか改めて検証した方が良いなと思い、また写真とにらめっこを始めました。
その結果、まだ完全ではないものの、確度を高める事は出来たかなと思います。
また検証する中で、以前の記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。
以下、今回の検証の結果です。

確定
当時のカラー映像とその部隊を検証し、色と部隊の組み合わせが確定(自信アリ)



当時のカラー映像は未確認なものの、資料とそれを裏付けるベテランの使用例から、色と部隊の組み合わせが確定


未確定
当時の映像およびベテランで使用例が確認できるものの、まだ他の資料での裏付けは得られていない。


使用例未確認




また、これら色付きネームテープは、全ての部隊で一斉に導入された訳ではないようです。
導入時期については、現在調査中ですので、またあらためて記事にしようと思います。
  


2020年12月12日

ベトナム海兵隊のインシグニアについて その1

先日の記事『新作シーウェーブ』で紹介したIllusion militaria製ザーコップ迷彩作戦服にパッチを縫い付けました。
設定は1967~1971年頃の海兵師団第2海兵大隊所属の兵卒です。



ついでに、それぞれのインシグニアについておさらいしていきます。

インシグニア① 海兵隊部隊章

僕は以前このブログで、左袖の海兵隊部隊章のデザインが普通の縦型(通称 前期型)から角ばった盾形(後期型)に変わった時期は、海兵旅団が師団に昇格した「1967年」と書いたり、いややっぱり「1970年代初頭」だったと書いたり二転三転してきましたが、ついに「1971年11月」であるという確度の高い情報が得られたので、この場で訂正いたします。
つまり、いわゆる後期型の部隊章が使われているのは、実質的には1972年以降と考えて良いと思います。


なお、通称 前期型の部隊章が制定されたのは、海兵隊が独立した兵種となった1960年と言われ、実際1960年代のごく初期に撮られた写真にもこのパッチが写っているので、このデザインの採用自体はおそらく1960年で正しいのだろうと思います。
しかし、実はこのパッチは採用後、しばらくの間普及しておらず、採用から5年も経った1965年頃にようやく使用例が「復活」し始め、翌1966年頃から海兵隊全体で使われるようになったように見受けられます。
なので1960~1965年の間は、部隊章が存在していたにもかかわらず、その使用例はほとんど見られません。


インシグニア② 海兵隊胸章

胸章右胸ポケットに縫い付けられるパッチです。
これは何かの部隊章や資格章ではなく、全海兵隊員が佩用する共通のインシグニアで、言わばベトナム陸軍空挺師団の隊員が左胸に付ける『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)と似たようなものです。
そして海兵隊には、以下の2種類の胸章が存在していました。


胸章が採用された正確な時期は長らく把握できていなかったのですが、他の研究者の方々から情報を頂き、最初に胸章が制定されたのは、1966年頃である事が分かってきました。実際、1965年以前の写真に胸章の使用例は見られません。
また最初に採用されたスクロール付きの複雑なデザインのパッチは、1966年中のわずかな期間しか見られず、遅くとも翌1967年には、よく知られている丸形のデザインに変更されたようです。


つづく
  


2020年11月22日

新作シーウェーブ

先日香港のIllusion militariaから発売されたベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服のレプリカがついに手元に届きました。
今回モデルアップされたのは数あるザーコップ系迷彩の中でも、1967年頃から海兵隊で支給が開始された、通称『VMD/シーウェーブ』パターンです。
ちょうどこのパターンが導入された直後に、海兵隊はマウタン1968(テト攻勢)やカンボジア進攻など有名な激戦に投入されました。
そのせいか、シーウェーブは(アドバイザーを除き)アメリカ軍には使用されていない割にはマニアの間でも比較的人気の高いパターンの一つであり、過去に何度もレプリカが販売されてきました。
そこで今回は、某豊〇氏の協力を得て、シーウェーブの実物、過去のレプリカ、そして新発売のイリュージョン製を比較してみました。



まず古いレプリカから。
たぶん、ずいぶん前にフランスのコレクターグループが製作したものだと思われます。
その後、このレプリカのパターンをコピーしたものが中国やアメリカ、ベトナムなどで生産されました。
(コピーからのコピーを繰り返しているため、最新のベトナム製は、もはやまったくの別物になり果てています)


ぱっと見の雰囲気は悪くないのですが、こうして実物と見比べてみると、パターンの一部が再現しきれず、それっぽく想像で描いている事が分かります。


そして次が、今回発売されたイリュージョン製。


パターンに大きな欠損はなく、ほぼほぼ再現されています。
黒縞の色はけっこう青っぽいですが、こうして実物と見比べない限りは、そんなに気になるレベルではないと思います。
またレプリカの生地は大抵厚くなりがちですが、こちらは実物とほぼ同じか、若干薄いくらいペラペラで良い感じです。


またボタンも、さすがに低品質な当時物のようなバリは無いものの、厚さや色合いは忠実に再現されており、とても雰囲気が良いです。



いや~、これは買って良かったです。
まだこの服に付ける徽章が揃ってないので、縫い付けは後日のお楽しみ。


ベトナム海兵隊隊歌『海兵隊行進曲』

  


2019年11月03日

偵察中隊/ベトナム軍LRRP

※2019年11月3日加筆・訂正
※2019年11月24日加筆・訂正


これまでも、ベトナム共和国一般部隊(主に陸軍)には、特殊部隊とは別の、アメリカ陸軍のLRRPに倣った偵察中隊(Đại Đội Trinh Sát)が存在していたとちょいちょい書いてきましたが、あらためて記事にまとめてみました。
ただし、これら偵察中隊に関する詳細な資料は乏しく、未解明な部分もかなり多いです。今回の記事は、あくまで今私が把握している範囲での情報になりますので、実際にはもっと多くの偵察中隊が存在していたはずだと思います。


現在把握できている偵察中隊一覧

【歩兵師団本部付き】
全ての歩兵師団に師団本部付きの偵察中隊が存在。

第1歩兵師団 第1偵察中隊
第2歩兵師団 第2偵察中隊
第3歩兵師団 第3偵察中隊
第5歩兵師団 第5偵察中隊
第7歩兵師団 第7偵察中隊
第18歩兵師団 第18偵察中隊
第21歩兵師団 第21偵察中隊
第22歩兵師団 第22偵察中隊
第23歩兵師団 第23偵察中隊
第25歩兵師団 第25偵察中隊

【連隊本部付き】
全ての連隊が保有したかは未確認なものの、少なくとも歩兵師団内の以下の連隊には連隊本部付きの偵察中隊が存在した。

第1歩兵師団 第51連隊 偵察中隊
                 第52連隊 偵察中隊
第2歩兵師団 第4連隊 偵察中隊
第3歩兵師団 第56連隊 偵察中隊
        第57連隊 偵察中隊
第5歩兵師団 第8連隊 偵察中隊
第7歩兵師団 第11連隊 偵察中隊
第9歩兵師団 第15連隊 偵察中隊
          第16連隊 偵察中隊
第18歩兵師団 第48連隊 偵察中隊
          第52連隊 偵察中隊
第21歩兵師団 第32連隊 偵察中隊
第22歩兵師団 第40連隊 偵察中隊
          第42連隊 偵察中隊
          第47連隊 偵察中隊
第23歩兵師団 第44連隊 偵察中隊
          第45連隊 偵察中隊
第25歩兵師団 第46連隊 偵察中隊


【空挺師団】
空挺師団では3個の旅団本部に各1個の偵察中隊が存在した。

空挺師団 第1空挺旅団 第1偵察中隊
            第2空挺旅団 第2偵察中隊
            第3空挺旅団 第3偵察中隊


【海兵師団】
海兵師団では、師団本部付きと、4個の旅団本部に各1個の偵察中隊が存在した。

海兵師団 偵察中隊(師団本部付き)
     第147海兵旅団 第147偵察中隊
     第258海兵旅団 第258偵察中隊
     第369海兵旅団 第369偵察中隊
     第468海兵旅団 第468偵察中隊


【レンジャー部隊
レンジャー部隊では、全てのレンジャー群が保有したかどうかは未確認なものの、少なくとも以下の群本部に各1個の偵察中隊(長距離偵察中隊)が存在した。

第4レンジャー群 第4長距離偵察中隊
第6レンジャー群 第6長距離偵察中隊
第7レンジャー群 第7長距離偵察中隊
第12レンジャー群 第12長距離偵察中隊
第14レンジャー群 第14長距離偵察中隊
第15レンジャー群 第15長距離偵察中隊
第21レンジャー群 第21長距離偵察中隊
第22レンジャー群 第22長距離偵察中隊
第23レンジャー群 第23長距離偵察中隊
第24レンジャー群 第24長距離偵察中隊
第25レンジャー群 第25長距離偵察中隊
第31レンジャー群 第31長距離偵察中隊
第32レンジャー群 第32長距離偵察中隊
第33レンジャー群 第33長距離偵察中隊

※偵察部隊の部隊名は「偵察(Trinh Sát)」という表記が一般的ですが、レンジャーのみ「長距離偵察(Viễn Thám)」となっています。


【第81空挺コマンド群】
第81空挺コマンド群は1960年代後半にプロジェクト・デルタを実行していた特殊部隊(LLĐB)第81空挺コマンド大隊を、1970年8月のLLĐB解散後に再編成した部隊であるため、かつての「デルタ偵察チーム(Toán Thám Sát DELTA)」は第81空挺コマンド群内に「偵察中隊」として統合され、引き続き偵察任務に当たった。なお偵察中隊への統合後も、部隊の通称としては「デルタ偵察チーム」が用いられた。また偵察中隊は1975年、部隊再編に伴い「第815部隊」に改称される。

第81空挺コマンド群 偵察中隊/第815部隊(通称デルタ偵察チーム)

※この記事は特殊部隊以外の偵察部隊についてのまとめであり、LLĐB時代のデルタ偵察チームについては今回は触れませんが、1971年以降の第81空挺コマンド群は空挺師団や海兵師団と同じ「統合予備部隊(総参謀部直属の即応部隊)」に含まれるので、再編後の偵察中隊のみ記載しています。


偵察中隊の写真・映像

最初に、偵察中隊に関する資料は少ないと書きましたが、実際に彼ら偵察隊員が写っている写真・映像資料はもっともっとレアです。
僕が今まで見付けられたのは、以下の部隊だけです。

第1歩兵師団第1偵察中隊(1971年ケサン基地, ラムソン719作戦)


第22歩兵師団第22偵察中隊の偵察隊員(中隊不明)


空挺師団の偵察隊員(1970年, 旅団/中隊不明)


海兵師団の偵察隊員(旅団/中隊不明)
※左胸に米軍MACVリーコンドースクール修了章を着用している事に注目


レンジャー部隊長距離偵察隊員(/中隊不明)



長距離偵察訓練と資格証

長距離偵察証(Chứng chỉ Viễn Thám)は、ドゥックミー レンジャー訓練センターにおける長距離偵察(Viễn Thám)課程を修了した者に与えられる資格証です。この訓練はレンジャーのみならず、この記事で紹介した歩兵師団や空挺、海兵隊など、特殊部隊を除く*ベトナム共和国軍の各偵察中隊の隊員候補たちが受講する、偵察要員の登竜門でした。ちなみにこの資格を取得すると、毎月600ドンの資格手当が支給されたそうです。


 
ドゥックミー レンジャー訓練センター付きの米軍アドバイザー向けに作成された1968年当時のカリキュラム
英語表記"Long range reconnaissance patrol course"が長距離偵察課程(Khóa VIễn Thám)です。

これによると訓練期間は5週間、計419時間のカリキュラムで、内訳は以下の通りです。
・戦術    235時間
・総合課題  161時間
・武器及び破壊 23時間
(139時間の夜間訓練を含む)

フェーズ1(16日間):基礎課程、総合課題講習
フェーズ2(11日間):湿地野営、ジャングル・山岳野営
フェーズ3(8日間)  :戦術航空機動作戦(5日間)、最終筆記試験および体力テスト、卒業式(3日間)

※レンジャー訓練センターの説明では特殊部隊(NKTやLLĐB)もこの訓練を受講したとされていますが、これらの特殊部隊ではそれぞれの訓練センターで独自の偵察・コマンド訓練を行っているため、わざわざ全員がレンジャー訓練センターに出向いて同じような訓練を繰り返す意味は無いように思えます。当時の写真でも特殊部隊員がこの長距離偵察証を着用している例はかなり少ない(私はほとんど見た記憶がない)ので、おそらく実際に受講したのはごく一部の兵士だけだったと思われます。

ベトナム陸軍ドゥックミー レンジャー訓練センター正門(TTHL BĐQ ở Dục Mỹ)

なお1960年代、レンジャー訓練センターはカインホア省ドゥックミーとハウギア省チュンホアの2カ所に存在しており、長距離偵察課程はドゥックミーで行われていました。チュンホアは第3、第4軍団所属のレンジャー部隊に追加の訓練を行う補助的な訓練センターであり、さらに1968年には閉鎖されたそうです。



アメリカ軍MACVリーコンドースクール

MACVリーコンドースクール正門(1969年)

 先に挙げたベトナム軍偵察中隊の多くは、米陸軍における長距離偵察パトロール(LRRP・LRP)部隊の成功を受け、これを手本として組織されたものですが、この本家米軍LRRPのチームリーダーを育成したのが、グリーンベレーが運営するMACVリーコンドースクールでした。上記のレンジャー訓練センターにおける長距離偵察課程も、概ねこのリーコンドースクールのカリキュラムに倣ったものです。
 このMACVリーコンドースクールではアメリカ兵の他にも同盟軍兵士、特に上記のベトナム軍各偵察中隊からの研修生を多数受け入れており、訓練を終えた者はその修了章を軍服に身についている例が見られます。(海兵師団偵察隊員の写真参照)

MACVリーコンドースクール修了章

以下History Channel "Recondo School"よりキャプチャ

リーコンドースクールでグリーンベレーの指導による偵察訓練を受講するベトナム陸軍第1歩兵師団第51連隊偵察中隊の隊員

ベトナム陸軍第2歩兵師団第2偵察中隊(中隊不明)の偵察隊員

※両部隊とも、米軍SOGで開発されたSTABOハーネスを装備している事に注目
  


2019年10月19日

改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色

 過去記事『部隊識別色』で、ベトナム海兵隊の作戦服ネームテープは大隊毎に色分けされていた事、そしてその色の例を示しましたが、その後、より信頼性の高いソースから新しい情報が得られました。今まで知らなかった事や、逆に今まで知っていたものと異なる内容もあったので、改めてこの新しいソースに沿った大隊識別色一覧を作り直しました。

※2021年2月7日訂正。
内容を再度検証したところ、以前のこの記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。詳しくはこちらをご覧ください。



 今回ソースとしたものは、ベトナム陸軍空挺師団戦友会Gia Đình Mũ Đỏ Việt Nam(ベトナム赤帽家族)』のホームページ内にある、海兵隊の組織・軍装に関するページです。
※この赤帽家族は空挺師団の戦友会ですが、ホームページでは空挺師団以外のベトナム共和国軍各部隊の編制・軍装についても詳しく解説されています。一次史料ではないのでこれが確実なものとは言い切れませんが、ベテランが公式サイトで公表している情報であり、また他のどのソースよりも内容が豊富、かつ当時の写真史料との矛盾も見当たらないので、現状ではこれが一番信頼性の高いソースだと私は思っています。

 私は今まで、名前(文字)の色は、単純に刺繍製が白・黄色等の明色系で、プリント製が黒色だと考えていました。(プリント製の場合、カラー下地の上にインクを重ねる都合上、黒文字は下地を塗りつぶせるので問題ないが、明るい色では下地が透けてしまいプリントに適さない)
 しかし、この新しいソースによると、どうやらこの予想は間違いだったようです。


 例えばこれまでの認識では、上の写真では、左の人物が赤地に黒文字、右の人が赤地に白文字なので、二人とも同じ第4海兵大隊に所属しており、単にネームテープの製法がプリント(黒文字)と刺繍(白文字)で違っているだけだと考えていました。
 しかし件の新ソースに従えば、左(赤地に黒文字)は第4海兵大隊ですが、右(赤地に白文字)は衛生大隊であり、二人は別々の大隊に所属している事になります。異なる大隊の兵士が一緒に居る事はそう多くはないかと思いますが、衛生大隊であれば、海兵師団の各大隊の衛生業務を一手に担っているので、一緒に写真に写っていても不自然ではありません。なのでこの写真の場合は、たまたま下地の色が同じ赤色である第4大隊と衛生大隊の人物が一緒に居合わせたものであると解釈できます。

 ただし、第468海兵旅団およびその隷下の第14,16,18海兵大隊が編成されたのは終戦間際の1975年初旬であり、この三大隊については当時の写真はおろか、ベトナム海兵隊戦友会公式サイトにもその活動の記録はほとんど記載されていないので、実際にこのようなネームテープが使われていたかどうかは確認が取れていません。もし仮に、規定上こういった大隊識別色が制定されていたとしても、国土の半分を失陥し大混乱に陥っていた時期に、兵力補充のため訓練中だった新兵によって新設され、部隊章すら制定されなかったこれらの部隊が、各自規定通りのネームテープを作成して着用する余裕があったかは疑わしいと思いっています。


おまけ1:初期ERDLパターン迷彩服を着ている海兵隊員

 海兵隊員が初期ERDL(通称インビジブルorコマーシャル・リーフ)パターンを着ている珍しい例。
 この初期ERDLパターンは1965~1967年頃まで陸軍空挺部隊やレンジャー部隊で多用されましたが、海兵隊での使用例はこの一例しか見た事がありません。海兵隊には1967年から、改良型の1966年型ERDLパターン(通称グリーンリーフ)仕様の迷彩服の支給が始まりすが、それ以前にERDL系の迷彩服が使用されている例は初めて見ました。なので、この服は支給品ではなく、兵士が個人的に購入・着用しているものと思われます。


おまけ2:キャンペーンハットを着用する海兵訓練センター教官

 当時ベトナムでは、キャンペーンハットはボーイスカウトの制帽としては一般的でしたが、軍で使用されていた例は初めて見ました。もろにアメリカ海兵隊のスタイルを模したものだと思います。
 もともと海兵隊は陸軍や地方軍に比べてはるかに規模が小さいので、海兵訓練センターの写真自体レアなものです。
  


2019年06月11日

MVGで穴掘り

6月1・2日の二日間、サムズミリタリ屋さん主催のMVGに行ってきました。

僕はかつて、2008年に本栖で開催されたMVGには行った事がありましたが、近年再開してからは今回が初参加です。
当初、僕は屋外でコスプレ写真が撮れればいいな、くらいのつもりだったのですが、WW2米軍リエナクトチームB Coさんの呼びかけで、世界の掩体壕が一堂に集う夢の祭典『塹壕エキスポ』が開催されるという事で、僕たちベトナム軍グループも、僭越ながら男たちの狂気の穴掘り大会に参加させて頂きました。
ただし、ベトナム共和国軍の掩体を再現するにあたって、実はまだ当時の教本・資料等を入手できていないため、今回は当時の写真からおおよその寸法を割り出して機関銃用掩体を作成しました。
また作成に当たっては、当日B Coメンバー様から、掩体構築の思想から土嚢の積み方まで、今まで知らなかったたくさんの事をアドバイスして頂き、お陰様でなんとか形にする事が出来ました。本当にありがとうございます!




せっかく穴を掘ったので、撮影会もしました。
設定は1970年のカンボジア作戦*におけるベトナム海兵隊第1海兵大隊です。
また会場内で、K・Tアーツ様制作のM113APCに再び載せて頂く事もできました。
お陰様でカッコいい写真を沢山撮る事が出来ました。ありがとうございます!

以下は当日撮った写真ですが、カラーで古写真風加工するのは意外と手間がかかるので、とりあえず先にモノクロ加工しました。




カンボジア作戦
 1970年、カンボジアではロン・ノル将軍によるクーデターによって親米政権(クメール共和国)が成立したが、これに反発するカンボジア共産党軍(クメール・ルージュ)との間で内戦(カンボジア内戦。1970-1975)に突入する。
 西側陣営に転向したカンボジア新政府と同盟を結んだベトナム共和国(南ベトナム)は、ロン・ノル政権の同意の下、カンボジア領内のホーチミントレイル遮断のため、翌71年まで続く一連のカンボジア進攻作戦『全勝(トゥアンタン)41, 42, 43作戦』を開始する。ベトナム陸軍・海兵隊・アメリカ軍が総力を挙げたこの作戦はベトナム戦争で最も大きな戦果を挙げ、共産軍のホーチミントレイルは壊滅状態に陥った。
 また同時に、在カンボジア ベトナム人を内戦の戦火やクメール・ルージュによるテロから保護するため、彼らをプノンペンからメコン川(別名「九龍(クーロン)河)を伝って水路でベトナム領まで脱出させる『九龍作戦』が立案された。この作戦のためベトナム海軍艦艇100隻・アメリカ海軍30隻およびベトナム海兵師団B旅団から成る大船団『水陸両用任務部隊211』が編成され、船団はメコン川を遡上して国境を越え、一路プノンペンを目指した。船団がプノンペン郊外へと達すると、三個歩兵大隊および一個砲兵大隊から成る海兵隊B旅団はメコン川東岸のプレイベン州へと上陸し、周辺の都市において、船団脱出の障害となるクメール・ルージュおよびベトナム共産軍の掃討を行った。その間、海軍部隊によるベトナム人市民の救出が行われ、九龍作戦は成功裏に終了した。
  


2019年02月08日

右袖のパッチについて

2019年3月8日更新

 ベトナム共和国軍の一部の部隊では軍服の右袖にパッチを取り付ける場合もあったのですが、その意味合いはアメリカ陸軍等の諸外国とは全く異なったものであったので、今回はそれについてまとめました。
 まず基本的に、ベトナム共和国軍では軍服のどの位置にその徽章を取り付けるかは部隊(兵種)によって異なります。そしてその中で右袖にパッチを付ける部隊は私の知る限り、BĐQ(レンジャー)、TQLC(海兵隊)、そしてLĐ81 BCND(第81空挺コマンド群)の三部隊に限られていました。(他にも少数ですが着用例が存在しました。続・右袖のパッチについて』参照)

BĐQ(レンジャー)

 まずBĐQでは、1960年代において、稀に右袖に「大隊が所属する軍団」のパッチが付けられる例が見られます。しかしこれは全BĐQ大隊共通の規定ではなく、また同じ部隊内でも軍団パッチを付けていない人の方がはるかに多いので、末端の部隊単位または個人の裁量で独自に行われていた事だったと思われます。

▲右袖に軍団パッチ(第4軍団)をつけているBĐQ隊員の例

▲ベトナム共和国軍の第1~第4軍団の部隊章
※各軍団は各戦術地区軍管区を担当していた為、これらのパッチも戦術地区軍管区と紹介される事があるが、実際の戦術地区/軍管区本部のパッチは八角形で番号がアラビア数字となっている。


TQLC(海兵隊)

 次にTQLCでは、1960年代中盤以降、右袖には各TQLC大隊のパッチが取り付けられます。付けていない例(単に個人的に付けていない場合と、大隊の上位のTQLC本部所属者である場合とがある)も一定数見られるものの、全体としてはかなり高い割合で着用されています。

▲右袖に大隊パッチ(第1海兵大隊)をつけているTQLC隊員の例
※この写真ではブッシュハットにも大隊章が付いていますが、これはこの兵士が個人的な好みで行っているだけで、決して一般的なものではありません。

▲ベトナム海兵隊の第1~第9海兵大隊および第1~第3海兵砲兵大隊の部隊章


LĐ81 BCND(第81空挺コマンド群)

 1970年代のBCNDでは、ほとんどの場合で、右袖にLLĐB(特殊部隊)のパッチが取り付けられていました。これはBCNDが、1970年8月に解散したLLĐBの唯一の正式な後継部隊であり、その伝統を継承する形でLLĐBの部隊章とベレーを受け継いだからでした。(過去記事『空挺コマンド』参照)

▲右袖にLLĐBパッチをつけているLĐ81 BCND隊員の例 (元NKT フォー・コック・ユン氏)

▲ベトナム陸軍LLĐBの部隊章(1964-1970年)


謎の組み合わせ

 僕がこれまで右袖パッチの使用例を把握していたのは上記の3パターンのみだったのですが、先日ネット上で公開されていた1975年2月にサイゴンで開催された慰問コンサートの写真の中に、気になるものを見つけました。


 この兵士は左袖にBĐQの軍団・部隊番号タブを付けており、また右胸にもレンジャー資格章が見られる事から、この兵士の所属はBĐQであると考えてまず間違いないと思われます。しかし不思議な事に、この服の右袖にはLLĐBパッチと共に『Thám Sát(偵察)』タブが縫い付けられています。
 先記したように、BĐQ所属者が右袖に何らかのパッチを付けるとしたら、それは軍団パッチになるはずです。また右袖にLLĐBパッチが付くとしたら、その所属はLĐ81 BCNDであるはずなのです。これは明らかに矛盾しており、今までこんなパターンは見た事がありせんでした。
 そこで僕は、なぜこのような組み合わせが生じたのかを以下のように推測しました。まずヒントとなったのはBĐQ軍団・部隊タブの番号です。この番号は83のように見えるので、所属は第3軍団第33レンジャー群第83レンジャー大隊だと仮定します。するとこの第83レンジャー大隊は元々、1970年にCIDGのĐức HuệキャンプストライクフォースをBĐQに編入したBĐQ-BP(国境レンジャー)大隊として発足した部隊でした。CIDGは1960年代を通じてベトナム陸軍LLĐBが所管していた部隊であり、1970年から翌年にかけて全国のCIDGキャンプ国境レンジャー大隊に改編されていく過程で、数万のCIDG兵士およびCIDG計画担当のLLĐB隊員もBĐQに異動していきました。この事から、この兵士は1960年代にCIDGキャンプ付きもしくはプロジェクト・デルタ(LLĐB C-5本部 B-52分遣隊)等の偵察部隊に所属しており、その後国境レンジャー大隊に異動した人物であり、右袖には過去の戦歴を誇示する目的で個人的に(規定に反して)LLĐBパッチを付けているのではと考えました。※実例が見つかりました。続・右袖のパッチについて』参照

 その後、この写真および同時に取られた別の一連の写真を知り合いの研究者やベテランの方々にも見てもらったところ、「彼は傷痍軍人では?」とご指摘いただきました。この写真は慰問コンサートの際のものと上で書きましたが、そのコンサートの会場はサイゴンの軍病院 (Quân Y Viện)であり、写真をよく見ると、問題の服を着ている兵士の足元には(本人の物かはわかりませんが)松葉杖が置かれています。また横には現役の軍人ではありえない長髪の男性や、平服の民間人も大勢います。つまりこのコンサートの観客は軍病院に入院している傷痍軍人とその家族友人たちである可能性が高いとの事です。


そしてフォー・コック・ユン氏からは、「当時の傷痍軍人は(軍装規定に関わらず)過去に所属した部隊のパッチをまとめて軍服に付けている者もいた」と証言を頂きました。なるほど~、それなら納得です。なので、おそらくこの人も負傷により退役したので、自分の軍服に過去の所属部隊のパッチをまとめて付けていると考えてよさそうです。

このような退役軍人による軍服へのパッチ全部付けは戦後の元ベトナム共和国軍人にも見られる文化であり、中にはベトナム共産党政権下のベトナム国内でも、意地で共和国軍時代の軍服を着続ける傷痍軍人もいたようです。

▲戦後のベトナム国内で共和国時代の軍服を着る傷痍軍人の例。この人物はかつてNKT雷虎/MACV-SOGの偵察チームに所属していた模様。

 ハノイの共産主義政権はベトナム共和国軍人を犯罪者扱いしてたため、1975年に共産政権が南ベトナムの征服を完了した後も、当時数万人から数十万人いた元共和国軍の傷痍軍人は政府から何の公的支援も受けられませんでした。身体障害によって仕事に就けない者は、家族親戚による世話に頼って生きるしかありません。ただでさえベトナム共産党政権による経済政策の大失敗により世界最貧国に堕ち、数十万人の国民が難民として国外に逃げ出していた当時のベトナムでは、車椅子を買う余裕がある者などほとんど居らず、自由に外出も出来きない彼らはかえって人目に付く機会があまり無かったため、このように当局による摘発対象となりうる共和国時代の軍服を着ていても問題にはならなかったようです。しかしそれは同時に、それだけ彼らが社会から隔絶された環境に追いやられてしまった事の証とも言えます。
  


2018年09月23日

50年代のベトナム海兵隊

空挺の成り立ちやったんだから次は海兵だろうという事で、最近はベトナム海兵隊(TQLC)の発展についてまとめていたのですが、これがやってみるとなかなか難航しています。
というのも、海兵隊の黎明期、つまり1950年代後半に関する情報がやけに錯綜しているのです。
私は海兵隊ベテランが書いた記事や、1973年にサイゴンのアメリカ大使館が作成した報告書も翻訳しましたが、それらには海兵隊組織の発展のプロセスや、部隊が改変されたタイミング、特に後の海兵大隊の前身である「第1上陸大隊」の成り立ちについてはいくつも矛盾がありました。
なので以下の図は暫定版であり、今後改定していくつもりです。


こうした矛盾を解決するには、さらに資料を収集して地道に読み解いていくしかないので、まだまだ時間がかかりそうです。
なので、この謎多き50年代の海兵隊については、サクッと写真貼るだけにしておきます。


海兵隊の前身となったCEFEO(極東フランス遠征軍団) コマンド部隊

北ベトナム・コマンド (Commandos Nord Viet-Nam) および
南ベトナム・コマンド (Commandos Sud Viet-Nam)
▲パレードに参加する北ベトナム・コマンド コマンド13 (第13コマンド中隊)
 
海軍コマンド (Commandos marine)
勲章を受けるフランス海軍コマンドのベトナム兵 [1952年]

ベトナム海兵隊発足

第1海軍歩兵大隊 (1er Bataillon de l’Infanterie Marine / Ðệ I Tiểu Đoàn Bộ Binh Hải Quân)
 
▲フランス海軍より北ベトナム・コマンドの隊旗を受け継ぐ第1海軍歩兵大隊 [1954年]

第1海軍歩兵大隊兵士とアメリカ軍MAAGアドバイザー [1955年]

第1上陸大隊 (Tiểu Đoàn 1 Đổ Bộ)
▲領有を巡り中国と対立するホンサ諸島を占領した第1上陸大隊 [1957年]

▲アメリカ留学に発つ第1上陸大隊幹部 [1957年]
この時点では海兵隊は海軍に属していたので、野戦服と勤務服は陸軍式だが、外出服と大礼服は海軍式。

▲ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服を採用した第1上陸大隊幹部 [1950年代末]



おまけ

最近、運転中に聞く歌はHysteric Blueがお気に入り。



あとLOVE YOU ONLY。このあいだ友達と一緒にカラオケで歌ったら超気持ち良かった。




  


2018年05月15日

タイガーストライプの始まり Part 3



 僕はこれまでベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服を使用し始めた時期について、タイガーストライプの始まり続・タイガーストライプの始まりの二つの記事で以下の見解を述べてきました。

ザーコップ迷彩服が採用されたのは1960年
ザーコップ迷彩服が50年代中に支給されていたと断定できる写真はまだ発見されていない

ところが先日、その認識を覆す写真が見つかりました。

(写真: Rừng Cấm / Facebook)

元ベトナム海兵隊ズン・カム中士が公開している自身のプライベート写真の中の一枚なのですが、この写真についてカム中士は以下のようにコメントしています。(2016年11月26日書き込み)

"Người đứng đầu tiên là Đồ Sơn đó, vào khoảng thời gian 1958 "
(手前の人物はドゥ・スン・ドー、1958年頃)

 プライベート写真なので本人の記憶以外に撮影日時を裏付けるものは無いのですが、当時この部隊に所属していた人物の証言なので、その信憑性は高いかと思います。
 確かにTIGER PATTERNS (1999)に掲載されているように、ザーコップ迷彩服は最も早いもので1957年製造のスタンプが確認されているので、1958年の時点で現場に支給されていても、何らおかしくはありません。
 また僕が「ザーコップ採用は1960年」の根拠としたチャン・バン・ヒェン元中佐の証言も、それまで試験的に支給が行われていたザーコップ迷彩服が正式に採用されたのが1960年だったというだけで、実際の使用開始時期が1960年だった訳ではないとも解釈できます。
 という訳で今回の発見により、ザーコップ迷彩服は遅くとも1958年頃には(部隊ごとに支給状況は異なるでしょうが、少なくとも一部では)既にまとまった数が使用されていた可能性が高いという認識へと訂正させて頂きます。

前記事では60年代初頭の可能性もあるとしたこれら旧型パッチ(1955-1960)付きの写真も、50年代中にザーコップの支給が始まっていたことを考えれば、50年代末の撮影と見るのが自然かも知れません。



おまけ:テコンドー章

新たな発見という意味では、こちらの徽章の存在も、最近ベテランから教わって初めて知りました。

元ベトナム陸軍特殊部隊将校のフォー・コック・ユン氏によると、こちらの徽章はベトナム共和国軍のテコンドー資格章(Bằng Taekwondo)であり、なかでも左の人物が付けている大きな白っぽい図柄の上に二つの点(星?)がある物は『黒帯二段テコンドー章』だそうです。
右の空軍兵士の写真は「なんか見覚えあるな」と思って自分のHDDの中から探し当てた物なので特に説明はありませんが、上側に点はありません。初段かな?とも思いましたが、初段の次は二段なんだから、初段は点1個じゃないと変じゃないか?という疑問も湧いてきます。
なお、1960年代以降、ベトナム共和国軍は軍の徒手格闘訓練にテコンドーを全面的に採用しており、将兵のほぼ全員が一度はテコンドーを経験したはずですが、僕も今まで把握していなかったくらいこのテコンドー章の使用例は少ないので、おそらくこれらのテコンドー章は黒帯(初段)以上の者だけに与えられたのだろうと推測しています。
いずれにせよまだ詳細な画像すら見た事の無い謎の多い徽章なので、これから調べていきたいと思います。



地方軍カントー訓練基地における徒手格闘訓練(1967年5月6日)
※動画のキャプションには『空手』と書いてありますが、韓国人インストラクターが教えているとも書いてあるので、正しくはテコンドーでしょう。



ドン・バ・シン特殊部隊訓練センター内のテコンドー道場 (1970年6月23日)

この時代、テコンドーはまだ日本式の道着を使っていたから、普通に国内で売ってる道着を買えば、テコンドー訓練ごっこが出来るんです。たしか高校の体育で使ってたやつをまだ持ってるはずなんだけど、どこ行っちゃったんだろう・・・?
  


2018年03月31日

部隊識別色

 この趣味をやっていると、度々、「南ベトナム軍が付けてる色付きネームテープやネッカチーフはどういう意味?」という質問を頂きます。マニアの間では、それらは一般に『大隊または中隊の識別色』と言われており、パレード用などいくつかの例外はあるものの、前線で使われているものに関しては僕も部隊識別色と考えていいと思っています。


 では、具体的にどの色がどの部隊を示していたかと言いますと・・・ほとんど分かっていません。師団や連隊までならそれなりに研究が進んでいますが、大隊・中隊といった末端の単位までは、さすがに資料が出てきません。なおかつ、その識別色に関しては、もしかしすると全軍で統一された規定によるものではなく、それぞれの部隊が独自に決めたものである可能性もあります。その場合、色と部隊の関係を知るには中隊単位まで所属がはっきりしている当時の写真を探して確認していく、もしくはその部隊に所属していた人に聞き取りするという手段で、全国に数千個存在した大隊・中隊を一つ一つ調べていく以外に術はありません。しかし、それはいくらなんでも不可能です。なので、特に人数の多い陸軍歩兵部隊や地方軍の識別色の全容解明は、今後も期待できないかも知れません。


ベトナム海兵隊のネームテープ

 しかしその一方で、数は少いですが、資料によって把握できている部隊もあります。まずはベトナム海兵隊。海兵隊では1960年代中盤以降、作戦服に付けるネームテープに大隊識別色が採用されましたが、陸軍や地方軍と比べるとはるかに規模が小さかったため、その識別色についてはほぼ解明されています。以下は大隊とネームテープの対応関係をまとめた図になります。

※2019年10月19日
新たなソースに基づいた改訂版を投稿しました。こちらをご覧ください。


【識別色ネームテープの例】

 
(左)第2海兵大隊、(右)第1海兵砲兵大隊



空挺師団の大隊章

 また陸軍空挺師団では1960年代中盤以降、軍服の左肩エポレットに付ける大隊章の背景・台布が中隊ごとに色分けされていた事が知られています。空挺師団の各大隊は、中隊番号「0」の大隊本部中隊、「1」~「4」の歩兵中隊の計5個中隊で構成されており、大隊番号の末尾に中隊番号を加えたものが中隊名になります。そしてその0~4の各中隊に5色の識別色が割り振られており、0が緑、1が紫、2が青、3が黄(橙)、4が赤というパターンでほぼ統一されていました。例えば第11空挺大隊の本部中隊は「第110中隊」で、背景は「緑」になります。


 ただし理由は不明ですが、上の赤枠で囲っている大隊章だけはこの規則から外れています。まず、第3空挺大隊および第5空挺大隊では中隊ごとの色分けはされておらず、背景は全ての中隊(第30~34中隊および第50~54中隊)で青のみとなります。
 また更に不可解なのが第7空挺大隊の第71中隊でして、同大隊の他の中隊はすべて規則通りの配色になっているのにも関わらず、第71中隊だけは規則に倣った「紫」ではなく、例外的に「水色」で制定されています。

▲こちらの写真は戦時中、サイゴン市内の徽章屋が自社の空挺関連の徽章一覧を撮影したものですが、やはり第71中隊だけは水色であり、色の個体差等ではない事が分かります。(1964年制定の空挺部隊章があり、かつ1965年に編成される第9空挺大隊が入っていないので、撮影時期は64~65年頃だと思われます。)
同じ日に撮影されたと思われる別ショットの写真が見つかり、その中に1971年末に制定された徽章があったため、撮影時期はそれ以降である事が判明しました。[※2018年5月18日訂正]

▲左肩エポレットに取り付けられた中隊色付き大隊章。他部隊でもこの位置に識別色のスリーブを通す事はありますが、大隊章を取り付けるのは1960年代後半以降の空挺師団のみです。なお、この徽章の購入は任意だったようで、全体的には使用率は低かったようです。


レンジャー部隊の軍団タブ

[※2018年5月18日訂正]

 陸軍レンジャー部隊では、レンジャー部隊章の上にレンジャー群・大隊を示すタブが1970年頃1971年末採用されます。ベトナム共和国軍は第1~第4軍団という計4つの軍団および総参謀部直属の統合予備部隊で構成されており、レンジャー部隊はそれぞれの軍団本部直属の機動歩兵部隊であった事から、新たに制定された群・大隊タブでは、その色で所属している軍団(および統合予備部隊)を示していました。
しかし、この軍団ごとの色分けは制定から2年足らずの1972年ごろに廃止され、それ以降タブの色は軍団に関係なく全て「青」で統一される事となります。
※複数の研究者による検証・ベテランの証言などから、全ての軍団が青で統一されたとするRepublic of Vietnam Historical Societyの見解はどうやら誤りであったようです。

[2018年6月4日追記]
軍団タブについては新たに記事にしましたのでこちらをご覧ください。


▲レンジャー群・大隊タブの使用例。第33レンジャー群第83国境レンジャー大隊[※2018年5月6日追記]

レンジャー群・大隊タブと同じ場所に、同じような色付きのタブが付いている例が見られますが、これらは部隊を示す数字が入っておらず、色も軍団を示すものではありません。恐らくは各部隊が独自に作った、役職などを示すタブと思われます。群・大隊タブと非常に紛らわしいので要注意。


[2018年6月4日追記]
軍団タブ以前に使用されていた色付き大隊タブ・ネームテープについて新たに記事にしました。



僕が今現在把握している情報は以上になります。こういう地味な徽章に関してはまだまだ分からない事だらけなので、今後も地道に情報収集していこうと思います。



おまけ

突然ですが、色の話をしたのでラルクのVivid Colors。昨日車を運転しながら歌ってたら、またカラオケ行きたいモードに入ってきたので。

う~ん、最高。久しぶりに一人カラオケ行っちゃお~。うふふ。
  


2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトナム共産軍(ベトコン)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土が戦火に包まれ、以後半年間でベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ組織(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、ベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2017年02月26日

続・タイガーストライプの始まり

過去記事『タイガーストライプの始まり』の補足・訂正です。

※2017年3月1日加筆訂正

 まず、ベトナム海兵隊迷彩『Da Cọp(虎皮)』、通称タイガーストライプの原型となったのは、フランス軍の空挺部隊用迷彩(通称リザード迷彩)と言われてきましたが、それを裏付ける分かりやすい写真がM-51Parkaに関する2,3の事柄様のこちらの記事『サイゴン1955 あるいはタイガーストライプの始まり?』で紹介されています。
 一口にリザード迷彩と言っても様々なパターンがありまして、中でもタイガーストライプの原型となったのは、第一次インドシナ戦争末期に登場した、マニア間呼称で言うところのC1パターンと考えられています。フランスはフランス連合各国の空挺部隊に、このC1リザードパターン迷彩で作られたTAP47/52降下服TTA47系戦闘服を供与しており、それらの迷彩服はインドシナ諸国がフランス連合から独立した後も、1960年代まで各国の空挺部隊に使用されていきます。
※TAPとかTTAとかややこしいですが、TAPはTroupes AéroPortées(空挺部隊)、TTAはTreillis Toutes Armes(全兵科)を意味しており、同じ"Modèle 47"でも服の形が全然違います。

▲"C1パターン"TTA47/52型チュニックおよびTTA47/53型パンツ
画像引用: Vonstuck Camouflage

また、この時代のリザード系迷彩はパターンだけでなく色のバラつきも大きく、同じC1パターンであっても、全体が緑っぽく、茶色の部分がかなり黒っぽい、まるで別物のような柄があったようです。これらはあくまでフランス製のリザード迷彩なのですが、ぱっと見タイガーにしか見えません。

C1パターン亜種のTTA47/50または53型パンツ。
資料提供: デスボランティア様

 ベトナム海兵隊の新型迷彩は、当時ベトナム陸軍空挺部隊が使用していたフランス軍C1パターンをベースに、こういった亜種の影響も受けながら開発されたのではないかと推察されます。その為、現在タイガーストライプと呼ばれている迷彩の最初のモデル(通称VMX)は、ベースとなったC1と同じく、フランス軍TTA47系戦闘服の裁断で作られました。

VMXパターンTTA47戦闘服

▲フランス軍C1パターンとベトナム海兵隊VMSパターンの比較

 僕は今まで知らなかったのですが、タイガーストライプ研究のバイブルTIGER PATTERNSによると、1957年8月には既に最初のVMXパターンTTA47戦闘服が完成していたとしており、実際に1957年製造を示すベトナム国防省のスタンプの写真が掲載されています。なので『タイガーストライプの始まり』と言った場合、それは1957年まで遡れたんですね。やっぱり値段高い本は、高いなりに良い情報が載ってるんだなぁ。
 しかし1957年に開発とは言え、その時点ではタイガーストライプはまだ試作段階の迷彩であり、その服が海兵隊に制式採用され、大量発注・生産・納入されて実際に現場での着用が始まるまでには、やはり年月がかかりました。僕が他の研究者の方に意見を求めたところでも、実際にタイガーストライプの着用が確認できる最も古い時期の写真は概ね1960年頃のようです。

▲VMXパターンTTA47戦闘服を着用したベトナム海兵隊員
※これらの服の袖についているパッチは1950年代後半の海兵隊のもので、1960年に制定された新型(現在は初期型と呼ばれている)海兵隊章より前のタイプです。しかしパッチが1960年に制定されたとしても、実際に行き渡るのはもっと後なので、写真からでは50年代末~60年代初頭としか言えない感じです。その為、タイガーが50年代に支給されていたと断定できる写真はまだ発見されていないようです。

※2018年5月15日訂正
1958年頃撮影とされるザーコップ迷彩服を着た海兵隊の写真が見つかりました。また上記の写真も、50年代中にザーコップの支給が始まっていたことを考えれば、50年代末の撮影と見るのが自然かも知れません。

 このように最初に部隊への支給が始まったタイガーストライプはTTA47型からでしたが、1960年代以降TTA47に代わってベトナム共和国軍の標準的な戦闘服となる貼り付け2ポケット裁断(通称ARVN型/M59)のタイプも、1958年製造スタンプが確認されているとデスボランティア様より情報を頂きました。なんと!貼り付け2ポケット裁断はこんな早い時期に存在していたんですね!(つまりM59という呼び方は無意味になりますね)

▲1958年製が確認されたベトナム海兵隊『貼り付け2ポケット型』
1960年代以降、この貼り付け2ポケット型は海兵隊のみならずベトナム共和国軍全体の標準作戦服となり、一般部隊向けのオリーブグリーン単色が陸海空軍で広く用いられます。さらにその後、エポレットを追加し各種迷彩生地で作られた迷彩服型や、主にオリーブグリーン単色で肩当を省略した簡略型もしくは肩当なしエポレット追加型が終戦まで全軍で広く用いられました。

※それまでフランス軍式の野戦服を使っていたベトナム軍が、アメリカ軍のユーティリティユニフォームに似たデザイン(特にパンツ)を採用した背景には、当時ゴ・ディン・ジエム政権がアメリカからの支援に依存を強めていった事と同時に、国内での生産が間に合わなかったため、これら迷彩服の生産の大部分を同じ親米国家の日本や韓国に委託していた事が影響していたのではないか、という考察をデスボランティア様からご指摘いただきました。

 しかし、当初タイガーストライプ迷彩服の生産は先に登場したTTA47型が優先されていたようで、手持ちの写真を見た限りでは、現場に支給されるタイガーがTTA47から2ポケットに切り替わるのは1961~62年頃のようです。

VMXもしくは1stパターンの2ポケット戦闘服を着用したベトナム海兵隊員[1962年]

 以上が、ベトナム共和国海兵隊がタイガーストライプを着用するまでの流れになります。それ以降は米軍がCIDGに支給するために海兵隊迷彩のコピー品をアジア各国で生産させたことで種類が多くなり過ぎて、ちょっと僕には付いていけません(汗)


おまけ

海兵隊つながりで、ちょっとレアな写真

 
▲『初期型』と呼ばれる海兵隊胸章が使われてる写真。
僕はこの胸章をこの写真でしか見た事ありません。なので本当に初期型なのか怪しいと思ってます。もしかしたら一般的な丸い胸章と同時期に存在したバリエーションなのかも。
ちなみにこの女性は髪型からして軍の婦人隊員ではなく、おそらく兵士の彼女が彼氏の軍服を着て写真館で撮ったものだと思います。

 
▲ジエム政権末期の1963年頃だけ使われていた海兵隊の帽章(ベレー章)
1963年11月1日のクーデターでジエム政権が崩壊すると、この1963年式帽章はすぐに廃止されて、改定前のタイプに戻ります。

▲海兵隊胸章を訳の分からない場所に付けてる人の図
たぶん、こうした理由は「カッコいいと思った」からなんだろうな・・・
  


2017年01月25日

パッチの縫い付け

ベトナム共和国軍をはじめ1960~1970年代のインドシナ諸国の軍隊では、部隊章などの軍服に付けるパッチは米軍のような刺繍よりも、『シルク織り(通称シルク)』や『シルクスクリーンプリント(通称プリント)』製が一般的でした。これらシルク織りやプリント製パッチは服への縫い付け方が独特なので、今回は僕がこの趣味を始めたころ軍装趣味の先輩に教えてもらった縫い付け方をご紹介します。

まずパッチの他に、裏地にする布を用意します。一部の実物では裏地を使わず直接縫い付けられている場合もありますが、裏地があった方が厚みが出てヨレにくくなるので、基本的には裏地をあてた方がリアルになると思います。


裏地は服に付けた後はほとんど見えなくなるですが、見えないおしゃれという事で、今回は布の織目が当時っぽいダイソーの綿100%ハンカチ(礼装用ハンカチーフ)を使いました。また白布以外では、裏地にするためにリサイクルショップで300円で買ったオリーブグリーン色のズボンなんかも布を切り取って使ったりしています。


ハンカチを適当な大きさに切って、パッチの図柄の面を内側にして裏地と重ねて、図柄の縁(あえて2・3mm余白をつける場合もある)をミシンで縫い付けていきます。


プリント製は裏に図柄が透けて見えるので縁が分かりやすいですが、シルク織りは裏からでは見え辛いので、その場合は白色の裏地を使って、図柄を透かして見るといいと思います。(この際パッチ、裏地どちらを上にして縫っても問題ありません)

 

縁を縫い終わったら、縫い目から3・4mmくらい残して余分な布を切り取ります。この際、角の部分だけは縫い目のギチギリまで切り落としておくと、後でめくり返したときに綺麗に角を出す事が出来ます。
また裏地側の中心に、内側をめくり返す為の切れ目を入れます。(パッチを切らないように注意)


切れ目から全体をめくり返して、パッチの図柄の面を外側に出します。パッチの角は千枚通しなど先の尖った物で押し出し、角を綺麗に出してやります。


さらに縁の縫い目全体をアイロンで綺麗に整えます。


これでパッチ単体は完成。


あとはこのパッチをミシンで服の袖に縫い付けて完成です。縫い付ける糸の色はパッチによって様々ですが、色合いなんか気にせず何でも白糸で縫い付けられているパターンもかなり多いので、僕も毎回白糸で縫っちゃってます。


なおパッチ(SSI)を縫い付ける位置は、パッチの上端が肩の縫い目から20mmのところと書類上規定されているようですが、実際には30mm以上離れている例もあるので、大体で大丈夫です。



パッチ付けたついでに、東京ファントム製2ポケットERDL迷彩服リプロのボタンを、去年ベトナム行った時に大量に買ってきた超リアルなボタンに交換。


このボタンはベトナム戦争後、ベトナム人民軍の軍服に使うために共和国軍ボタンの金型をそのまま使って生産されたものだそうで、リアルで当然なのです。よく比べてみると色が若干違うみたいですが、ある意味、戦後製の『本物』と言えるかもしれません。


4月のベトベトで着る服がもう出来上がってしまった。気合い入りまくりんぐ!!!

  


2017年01月06日

ジャンクションシティー作戦におけるベトナム共和国軍部隊

新年あけましておめでとうございます。今年も年明けから平常運転で行きます。
来る4月8日・9日開催のベトベトマニアのテーマはズバリ、『ジャンクションシティー作戦』だそうです。
ベトベトマニアVol.3 -Operation JUNCTION CITY -
 ―エピローグ―
1967年2月、南ベトナム軍と米軍はタイニン省とサイゴン北西のカンボジア国境周辺の共産主義拠点を破壊する為に『ジャンクションシティー作戦』を発令、 第1歩兵部隊と第25歩兵部隊、 第 27歩兵連隊、第196軽歩兵旅団 、第173空挺旅団の空挺部隊、 第11装甲騎兵連隊の大型装甲部隊による大規模な戦闘を行うも全体的な成果を果たせなかった。カンボジア国境に隣接するベトベト地区には解放戦線第9師団が侵攻を開始し駐留する南ベトナム、米軍の混成師団は包囲される形となってしまった。弾薬、食糧は残り少なくこれを救出すべく第173空挺旅団が効果作戦を実施する。果たしてベトベト地区に残された混成師団の運命やいかに!
リエナクターを目指す以上、イベントが指定したシチュエーションに沿わない部隊を演じる訳にはいかないので、さっそくベトナム共和国軍部隊として堂々とジャンクションシティー作戦に参加する為の根拠集めを開始。以下はアメリカ陸軍指揮幕僚大学の戦史教本"Operation JUNCTION CITY, VIETNAM 1967" (1983)からの抜粋です。


 ジャンクションシティー作戦(Operation JUNCTION CITY)はアメリカ陸軍およびベトナム陸軍によって、C戦区(War Zone C)として知られるサイゴン北西のタイニン省周辺のにおいて実施された三段階の軍事作戦であり、1967年2月から5月にかけてベトナム共産ゲリラ(解放民族戦線)および北ベトナム軍(ベトナム人民軍)との戦闘が行われた。またアメリカ空軍もこの作戦の支援に加わった。
 作戦は在ベトナム・アメリカ陸軍第2野戦軍が実施し、本部をロンビンに、戦術司令部をダウティエンに置いた。作戦の指揮は3月24日までがジョナサン・O・シーマン(Jonathan 0. Seaman)中将、残りの期間をブルース・パーマー(Bruce Palmer)中将が執った。作戦部隊はジョン・ヘイ(John Hay)少将指揮の第1歩兵師団およびジョン・ティルソンIII世(John Tillson III)少将指揮の第25歩兵師団で構成された。ジャンクションシティー作戦に当たって、第1歩兵師団および第25歩兵師団の指揮下には、他の師団からも複数の有機旅団(Organic brigade: 編成に捕らわれず有機的に展開する旅団)が加わり、合計で22個の機動大隊および14個の砲兵大隊、加えてベトナム共和国軍3個大隊を指揮下に持ち、兵力はおよそ25,000名に上った。 

在ベトナム・アメリカ陸軍 第2野戦軍
ジャンクションシティー作戦 - フェーズI 作戦部隊の編成

第1歩兵師団

第1歩兵師団第1旅団
・第2歩兵連隊第1大隊
・第26歩兵連隊第1大隊
・第28歩兵連隊第1大隊
・タスクフォース・ウォーレス (ベトナム陸軍第3軍団『ウォーレス』戦闘団)
 ├ 第35レンジャー大隊 
  第1騎兵大隊第3中隊

第1歩兵師団第3旅団
・第16歩兵連隊第1大隊
・第2歩兵連隊第2機械化大隊
・第4騎兵連隊第1大隊
・第28歩兵連隊第2大隊

第173空挺旅団
・第503歩兵連隊第1大隊
・第503歩兵連隊第4大隊

第9歩兵師団第1旅団
・第39歩兵連隊第4大隊
・第47歩兵連隊第2(機械化)大隊
・第5騎兵連隊第3大隊


第25歩兵師団

第25歩兵師団第2旅団
・第27歩兵連隊第1大隊
・第27歩兵連隊第2大隊
・第5歩兵連隊第1機械化大隊

第4歩兵師団第3旅団
・第12歩兵連隊第2大隊
・第22歩兵連隊第2機械化大隊
・第22歩兵連隊第3大隊
・第14歩兵連隊第2大隊

第196軽歩兵旅団
・第1歩兵連隊第2大隊
・第21歩兵連隊第3大隊
・第31歩兵連隊第4大隊

・第11装甲騎兵連隊第1大隊
・第11装甲騎兵連隊第3大隊
・第23歩兵連隊第4機械化大隊

タスクフォース・アルファ (ベトナム海兵旅団A戦闘団)
・第1海兵大隊『怪鳥』
・第5海兵大隊『黒龍』


対して共産軍側の主力は南部中央委員会(COSVN)司令部を含む解放戦線第9師団であり、兵力はおよそ7,000名であった。

南部中央委員会
・第70親衛連隊

解放戦線第9師団
・第271連隊
・第272連隊
・第273連隊

ベトナム人民軍 第325師団
・第101歩兵連隊


アメリカ陸軍第25歩兵師団とベトナム海兵隊TFアルファ

 ジャンクションシティー作戦に参加したベトナム共和国軍3個大隊のうち、2個の海兵大隊からなるベトナム海兵旅団A戦闘団(Chiến Đoàn A TQLC)は、アメリカ陸軍第25歩兵師団の作戦指揮下でタスクフォース・アルファ(Task Force Alpha)としてベトナム・カンボジア国境沿いのタイニン省チャンスップに展開した。TFアルファの指揮官はホアン・ティック・トゥン(Hoàng Tích Thông)少佐、主任参謀をチャン・チュン・アイ(Trần Trung Ái)大尉が務めた。この米越合同作戦に際し、アメリカ陸軍第25歩兵師団のティルソン少将TFアルファの戦力向上のため二つのベトナム海兵大隊に新型のXM16E1ライフルを供与し、従来のM1ガランドとの置き換えが進められた。
 サイゴンに駐屯していたベトナム海兵隊TFアルファはジャンクションシティー作戦二日目の1967年2月23日にC戦区『蹄鉄(horseshoe)』エリアに投入され、『蹄鉄』エリアの西側を担当するアメリカ第25歩兵師団と合流した。部隊はこの日、地域の保安任務と中隊レベルでのサーチ&デストロイ作戦を実施した。
 翌2月24日、『蹄鉄』エリア北西のTFアルファはカンボジア国境に近い作戦エリア『クーガー』(AO Cougar)にヘリボーン降下し、南に向けて進撃した。この時点で敵の抵抗は軽微であった。
 2月25日から28日にかけて第25歩兵師団第2旅団および第11装甲騎兵連隊は敵の抵抗を受けながらも『蹄鉄』エリアの掃討に成功した。
 以後、第25歩兵師団はサーチ&デストロイの対象地域を広範囲に拡大したが、敵の攻撃は激化した。3月1日から9日にかけて第1歩兵師団指揮下の部隊には多数の死傷者が発生し、第25歩兵師団指揮下の第11装甲騎兵連隊付き第23歩兵連隊第4機械化大隊にも41名の死傷者が出た。しかし第11装甲騎兵連隊は引き続きカンボジア国境に沿って敵部隊の掃討を続け、3月11日には敵部隊の一部を川の東岸に追い詰め、撃破する事に成功した。
 こうしてジャンクションシティー作戦フェーズIが一定の成果を上げた事で、第2野戦軍はフェーズIIに向けて主要部隊の配置換えを開始した。この中でTFアルファは3月11日にジャンクションシティー作戦への参加を終了してサイゴンへと帰還した。


※2017年1月7日追記

アメリカ陸軍第1歩兵師団とベトナム陸軍TFウォーレス

 一方、蹄鉄』エリアの北部を担当するアメリカ陸軍第1歩兵師団第1旅団内には、ジャンクションシティー作戦に伴いベトナム陸軍第35レンジャー大隊および第1騎兵大隊第3中隊からなるウォーレス戦闘団(Task Force Wallace)が設置され、同旅団はビンズォン省ミンタンで出撃に備え編成が進められた。
 2月22日、ジャンクションシティー作戦フェーズI発動と同時に第1歩兵師団第1旅団は蹄鉄』エリア北部に3個大隊規模のヘリボーン強襲を実施し、その地でサーチ&デストロイ任務を遂行した。
 翌23日、同旅団はシャワー施設まで完備した大隊規模の敵軍ベースキャンプを発見した。この時点で戦闘は軽微であり、遭遇する敵は分隊規模かそれ以下であった。
 3月1日以降、旅団は断続的な戦闘を経た後、カツム北東に南部中央委員会(COSVN)宣伝センターを発見した。これを叩くため3月6日には、第1歩兵師団麾下の第173空挺旅団がカツムの南東Bo Tucの南に位置するLZに3個大隊規模のエアボーン強襲を実施した。一方、第1歩兵師団第1旅団は3月4日、フェーズIIに備えてビンロン省クァンロイに移動した。


 1967年3月15日17時24分、司令部はジャンクションシティー作戦フェーズIの終了を宣言した。アメリカ軍が『蹄鉄』エリアの掃討に成功した事で共産軍側の損害は少なくとも戦死者835名に上り、アメリカ軍は捕虜15名、小火器および重火器264個、その他莫大な量の物資と機材を接収した。
 その後もジャンクションシティー作戦は継続され、3月18日にフェーズIIが開始された。さらに4月15日にはフェーズIIIが開始され、5月14日の作戦終了まで戦闘は続いた。
  


2016年11月19日

ベトナム共和国軍陸軍部隊一覧

また一覧表系。
地方軍、特殊部隊と来たら、正規の陸軍部隊をやらない訳にはいかないですよね。
まだ創設年や支援部隊など調べ切れていない部分はありますが、陸上戦闘部隊に関しては大隊単位まで大体(笑)網羅出来てると思います。

※2017年8月2日更新
※2018年5月19日更新

軍団 師団 旅団・連隊・群 大隊・中隊
第1軍団 第21機動群 (1953-1954)
第21師団 (1954-1955)
第1歩兵師団 (1955-)
第1歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/1)
第2歩兵大隊(2/1)
第3歩兵大隊(3/1)
第4歩兵大隊(4/1)
第2歩兵連隊
※11/1971 SD3BBへ異動
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
第3歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/3)
第2歩兵大隊(2/3)
第3歩兵大隊(3/3)
第4歩兵大隊(4/3)
第51歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/51)
第2歩兵大隊(2/51)
第3歩兵大隊(3/51)
第4歩兵大隊(4/51)
第54歩兵連隊 (6/1968-) 第1歩兵大隊(1/54)
第2歩兵大隊(2/54)
第3歩兵大隊(3/54)
第4歩兵大隊(4/54)
(師団付き) 第10砲兵大隊
第11砲兵大隊
第12砲兵大隊
第14砲兵大隊
第7騎兵大隊 (1966-)
第1工兵大隊
第1衛生大隊
第101憲兵中隊
第1偵察中隊
強襲中隊
第32機動群 (1953-1954)
第32師団 (1954-1955)
第2歩兵師団 (1955-)
第4歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/4)
第2歩兵大隊(2/4)
第3歩兵大隊(3/4)
第4歩兵大隊(4/4)
第5歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/5)
第2歩兵大隊(2/5)
第3歩兵大隊(3/5)
第4歩兵大隊(4/5)
第6歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/6)
第2歩兵大隊(2/6)
第3歩兵大隊(3/6)
第4歩兵大隊(4/6)
(師団付き) 第20砲兵大隊
第21砲兵大隊
第22砲兵大隊
第23砲兵大隊
第4装甲連隊 (1955-1963)
第4騎兵大隊 (1963-)
第2工兵大隊
第102憲兵中隊
第3歩兵師団 (1971-) 第56歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/56)
第2歩兵大隊(2/56)
第3歩兵大隊(3/56)
第4歩兵大隊(4/56)
第57歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/57)
第2歩兵大隊(2/57)
第3歩兵大隊(3/57)
第4歩兵大隊(4/57)
第2歩兵連隊 (11/1971-)
※1971年第1歩兵師団より編入
第1歩兵大隊(1/2)
第2歩兵大隊(2/2)
第3歩兵大隊(3/2)
第4歩兵大隊(4/2)
(師団付き) 第30砲兵大隊
第31砲兵大隊
第32砲兵大隊
第33砲兵大隊
第11騎兵大隊 (1968-)
第3工兵大隊
第3衛生大隊
第103憲兵中隊
(第1軍団レンジャー) 第1レンジャー群 (1966-1973)
第12レンジャー群 (1973-)
第21レンジャー大隊
第37レンジャー大隊
第39レンジャー大隊
第11レンジャー群 (1973-) 第68国境レンジャー大隊 (1970-)
第69国境レンジャー大隊 (1970-)
第70国境レンジャー大隊 (1970-)
第14レンジャー群 (1973-) 第77国境レンジャー大隊 (1970-)
第78国境レンジャー大隊 (1970-)
第79国境レンジャー大隊 (1970-)
第15レンジャー群 (1973-) 第61国境レンジャー大隊(1970-)
第66国境レンジャー大隊(1970-)
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第4軍団より編入
第60国境レンジャー大隊
第87国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年 第8レンジャー群に異動
第1騎兵旅団 (1968-) 第17騎兵大隊 (1968-)
第20騎兵大隊 (1972-)
(第1軍団砲兵) 第1砲兵大隊
第3砲兵大隊
第44砲兵大隊
第64砲兵大隊
第101砲兵大隊
第102砲兵大隊
第105砲兵大隊
第1憲兵大隊
第1海軍管区
第1空軍師団
第2軍団 第2軽師団 (1955-1956)
第4軽師団 (1955-1956)
第12軽師団 (1956-1959)
第14軽師団 (1956-1959)
第22歩兵師団 (1959-)
第40歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/40)
第2歩兵大隊(2/40)
第3歩兵大隊(3/40)
第4歩兵大隊(4/40)
第41歩兵連隊
※1973年 SD23BBへ異動
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第24特殊戦団
第42歩兵連隊 (1969-)
※1969年SD22BBへ編入
第1歩兵大隊(1/42)
第2歩兵大隊(2/42)
第3歩兵大隊(3/42)
第4歩兵大隊(4/42)
第47歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/47)
第2歩兵大隊(2/47)
第3歩兵大隊(3/47)
第4歩兵大隊(4/47)
(師団付き) 第220砲兵大隊
第221砲兵大隊
第222砲兵大隊
第223砲兵大隊
第14騎兵大隊 (1968-)
第22工兵大隊
第22衛生大隊
第22偵察中隊
第5軽師団 (1955-1956)
第15軽師団 (1956-1959)
第23歩兵師団 (1959-)
第41歩兵連隊
※1973年 SD22BBより編入
第1歩兵大隊(1/41)
第2歩兵大隊(2/41)
第3歩兵大隊(3/41)
第4歩兵大隊(4/41)
第44歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/44)
第2歩兵大隊(2/44)
第3歩兵大隊(3/44)
第4歩兵大隊(4/44)
第45歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/45)
第2歩兵大隊(2/45)
第3歩兵大隊(3/45)
第4歩兵大隊(4/45)
第53歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/53)
第2歩兵大隊(2/53)
第3歩兵大隊(3/53)
第4歩兵大隊(4/53)
(師団付き) 第230砲兵大隊
第231砲兵大隊
第232砲兵大隊
第233砲兵大隊
第8騎兵大隊 (1966-)
第23工兵大隊
第23偵察中隊
第23政治戦中隊
第2騎兵旅団 (1971-) 第19騎兵大隊 (1971-)
第21騎兵大隊 (1972?-)
(第2軍団砲兵) 第4砲兵大隊
第37砲兵大隊
第63砲兵大隊
第69砲兵大隊
第103砲兵大隊
(第2軍団レンジャー) 第2レンジャー群 (1966-1973)
第23レンジャー群 (1973-)
第11レンジャー大隊
第22レンジャー大隊
第23レンジャー大隊
第21レンジャー群 (1973-) 第72国境レンジャー大隊 (1970-)
第89国境レンジャー大隊 (1970-)
第96国境レンジャー大隊 (1971-)
第22レンジャー群 (1973-) 第62国境レンジャー大隊 (1970-)
第88国境レンジャー大隊 (1970-)
第95国境レンジャー大隊 (1970-)
第24レンジャー群 (1973-) 第63国境レンジャー大隊 (1970-)
第81国境レンジャー大隊 (1970-)
第82国境レンジャー大隊 (1970-)
第25レンジャー群 (1973-) 第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第2軍団より編入
第90国境レンジャー大隊 (1970-)
? 第71国境レンジャー大隊 (1970-)
? 第80国境レンジャー大隊 (1970-)
第2憲兵大隊
第2海軍管区
第2空軍師団
第6空軍師団
第3軍団 第6軽師団 (1955-1956)
第3野戦師団 (1956-1959)
第5歩兵師団 (1959-)
第7歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/7)
第2歩兵大隊(2/7)
第3歩兵大隊(3/7)
第4歩兵大隊(4/7)
第8歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/8)
第2歩兵大隊(2/8)
第3歩兵大隊(3/8)
第4歩兵大隊(4/8)
第9歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/9)
第2歩兵大隊(2/9)
第3歩兵大隊(3/9)
第4歩兵大隊(4/9)
(師団付き) 第50砲兵大隊
第51砲兵大隊
第52砲兵大隊
第53砲兵大隊
第1装甲連隊 (1955-1963)
第1騎兵大隊 (1963-)
第5工兵大隊
第5偵察中隊
第10歩兵師団 (1965-1967)
第18歩兵師団 (1967-)
第43歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/43)
第2歩兵大隊(2/43)
第3歩兵大隊(3/43)
第4歩兵大隊(4/48)
第48歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/48)
第2歩兵大隊(2/48)
第3歩兵大隊(3/48)
第4歩兵大隊(4/48)
第52歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/52)
第2歩兵大隊(2/52)
第3歩兵大隊(3/52)
第4歩兵大隊(4/52)
(師団付き) 第180砲兵大隊
第181砲兵大隊
第182砲兵大隊
第183砲兵大隊
第5騎兵大隊 (1963-)
第18工兵大隊
第18偵察中隊
第18憲兵中隊
第25歩兵師団 (1962-) 第46歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/46)
第2歩兵大隊(2/46)
第3歩兵大隊(3/46)
第4歩兵大隊(4/46)
第49歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/49)
第2歩兵大隊(2/49)
第3歩兵大隊(3/49)
第4歩兵大隊(4/49)
第50歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/50)
第2歩兵大隊(2/50)
第3歩兵大隊(3/50)
第4歩兵大隊(4/50)
(師団付き) 第250砲兵大隊
第251砲兵大隊
第252砲兵大隊
第253砲兵大隊
第10騎兵大隊 (1966-)
第25工兵大隊
第25通信大隊
第25偵察中隊
第3強襲団 (1974-) 第3騎兵旅団 (1970-) 第15騎兵大隊 (1968-1974)
第315戦闘団 (1974-)
第18騎兵大隊 (1968-1974)
第318戦闘団 (1974-)
第22騎兵大隊 (1974?)
第322戦闘団 (1974-)
第33レンジャー群 (1973-) 第64国境レンジャー大隊 (1970-)
第83国境レンジャー大隊 (1970-)
第92国境レンジャー大隊 (1970-)
(第3軍団レンジャー) 第3レンジャー群 (1966-1973)
第31レンジャー群 (1973-)
第31レンジャー大隊
第36レンジャー大隊
第52レンジャー大隊
第5レンジャー群 (1966-1970)
第32レンジャー群 (1973-)
※1970-1973は統合予備
第30レンジャー大隊
第33レンジャー大隊
第38レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1973年統合予備部隊へ異動
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第65国境レンジャー大隊 (1970-)
第73国境レンジャー大隊 (1970-)
第74国境レンジャー大隊 (1970-)
第91国境レンジャー大隊 (1970-)
第8レンジャー群 (1974-) 第84レンジャー大隊 (1974-)
※第14及び第9憲兵大隊を改編
第86レンジャー大隊 (1974-)
※第14及び第9憲兵大隊を改編
第87レンジャー大隊 (1974-)
※第14及び第9憲兵大隊を改編
第9レンジャー群 (1975-) 第93レンジャー大隊 (1975-)
※第7及び第8憲兵大隊を改編
第97レンジャー大隊 (1975-)
※第7及び第8憲兵大隊を改編
第99レンジャー大隊 (1975-)
※第7及び第8憲兵大隊を改編
(第3軍団砲兵) 第4砲兵大隊
第61砲兵大隊
第104砲兵大隊
第3憲兵大隊
第3海軍管区
第3河川管区
第3空軍師団
第5空軍師団
第4軍団 第7機動群 (1953-1955)
第7軽師団 (1955-1956)
第7野戦師団 (1956-1959)
第7歩兵師団 (1959-)
第10歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/10)
第2歩兵大隊(2/10)
第3歩兵大隊(3/10)
第4歩兵大隊(4/10)
第11歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/11)
第2歩兵大隊(2/11)
第3歩兵大隊(3/11)
第4歩兵大隊(4/11)
第12歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/12)
第2歩兵大隊(2/12)
第3歩兵大隊(3/12)
第4歩兵大隊(4/12)
(師団付き) 第70砲兵大隊
第71砲兵大隊
第72砲兵大隊
第73砲兵大隊
第6騎兵大隊 (1963-)
第7工兵大隊
第7衛生大隊
第7通信大隊
第7偵察中隊
第107憲兵中隊
第9歩兵師団 (1962-) 第14歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/14)
第2歩兵大隊(2/14)
第3歩兵大隊(3/14)
第4歩兵大隊(4/14)
第15歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/15)
第2歩兵大隊(2/15)
第3歩兵大隊(3/15)
第4歩兵大隊(4/15)
第16歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/16)
第2歩兵大隊(2/16)
第3歩兵大隊(3/16)
第4歩兵大隊(4/16)
(師団付き) 第90砲兵大隊
第91砲兵大隊
第92砲兵大隊
第93砲兵大隊
第2装甲連隊 (1955-1963)
第2騎兵大隊 (1963-)
第9工兵大隊
第9衛生大隊
第9通信大隊
第9憲兵中隊
第9偵察中隊
第11歩兵連隊 (1954-1955)
第1軽師団 (1955-1956)
第3軽師団 (1955-1956)
第11軽師団 (1956-1959)
第13軽師団 (1956-1959)
第21歩兵師団 (1959-)
第31歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/31)
第2歩兵大隊(2/31)
第3歩兵大隊(3/31)
第4歩兵大隊(4/31)
第32歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/32)
第2歩兵大隊(2/32)
第3歩兵大隊(3/32)
第4歩兵大隊(4/32)
第33歩兵連隊 第1歩兵大隊(1/33)
第2歩兵大隊(2/33)
第3歩兵大隊(3/33)
第4歩兵大隊(4/33)
(師団付き) 第210砲兵大隊
第211砲兵大隊
第212砲兵大隊
第213砲兵大隊
第9騎兵大隊 (1966-)
第21工兵大隊
第4騎兵旅団 (1969-) 第12騎兵大隊 (1968-)
第16騎兵大隊 (1968-)
(第4軍団砲兵) 第47砲兵大隊
第67砲兵大隊
第68砲兵大隊
(第4軍団レンジャー)
※1973年解散
第4レンジャー群 (1966-1973)
※1973年統合予備部隊へ異動
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊

第66国境レンジャー大隊 (1970-)
第67国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第75国境レンジャー大隊 (1970-)
第76国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第25レンジャー群へ異動
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1974年第7レンジャー群へ異動
第86国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第8レンジャー群へ異動
第93国境レンジャー大隊 (1970-)
※1975年第9レンジャー群へ異動
第94国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第15レンジャー群へ異動
第98国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第9レンジャー群へ異動
第4憲兵大隊
第4海軍管区
第5海軍管区
第4河川管区
第4空軍師団
首都特別管区隊 (儀仗部隊)
第6憲兵大隊
統合予備部隊 GAP3 (1954-1955)
空挺群 (1955-1959)
空挺旅団 (1959-1965)
空挺師団 (1965-)
第1空挺旅団 第1空挺大隊 (1951-)
第8空挺大隊 (1961-)
第9空挺大隊 (1965-)
(旅団付き)
第2空挺旅団 第5空挺大隊 (1953-)
第7空挺大隊 (1953-1955, 1961-)
第11空挺大隊 (1967-)
(旅団付き)
第3空挺旅団 第2空挺大隊 (1965-)
第3空挺大隊 (1952-)
第6空挺大隊 (1954-)
(旅団付き)
第4空挺旅団 第12空挺大隊 (1974-)
第14空挺大隊 (1974-)
第15空挺大隊 (1974-)
(師団付き) 空挺支援大隊 (1954-)
空挺通信大隊
空挺工兵大隊
空挺衛生大隊
海兵群 (1956-1965)
海兵旅団 (1965-1968)
海兵師団 (1968-)
海兵戦闘団 (1965-1966)
A戦闘団 (1966-1969)
A旅団 (1969)
第147海兵旅団 (1969-)
第1海軍歩兵大隊
第1海兵大隊
第4海兵大隊 (1961-)
第7海兵大隊 (1969-)
第147偵察中隊
第1砲兵大隊
B戦闘団 (1966-1969)
B旅団 (1969)
第258海兵旅団 (1969-)
第2海軍歩兵大隊 (1955-)
第2海兵大隊
第5海兵大隊 (1964-)
第8海兵大隊 (1969-)
第258偵察中隊
第2砲兵大隊
第369海兵旅団 (1969-) 第3海軍歩兵大隊 (1957-)
第3海兵大隊
第6海兵大隊 (1967-)
第9海兵大隊 (1970-)
第369偵察中隊
第3砲兵大隊
第468海兵旅団 (1975-) 第14海兵大隊
第16海兵大隊
第18海兵大隊
第468偵察中隊
第4砲兵大隊
(師団付き) 偵察中隊
第202憲兵中隊
第91空挺コマンド大隊 (1964-1968)
第81空挺コマンド大隊 (1968-1970)
第81空挺コマンド群 (1970-)
第1戦術司令部 (1975-)
第2戦術司令部 (1975-)
第3戦術司令部 (1975-)
第811部隊 (1975-)
第812部隊 (1975-)
第813部隊 (1975-)
第814部隊 (1975-)
偵察チーム (1965-1970)
偵察中隊 (1970-1975)
第815部隊 (1975-)
(統合予備レンジャー)
※1973年 統合予備部隊として再編制
※1975年 レンジャー師団創設予定のまま未完
第4レンジャー群 (1966-)
※1973年第4軍団より編入
第42レンジャー大隊
第43レンジャー大隊
第44レンジャー大隊
第5レンジャー群 (1970-1973)
※1970-1973のみ統合予備
第30レンジャー大隊
第33レンジャー大隊
第38レンジャー大隊
第6レンジャー群 (1968-)
※1973年第3軍団より編入
第34レンジャー大隊
第35レンジャー大隊
第51レンジャー大隊
第61レンジャー大隊
第7レンジャー群 (1973-) 第32レンジャー大隊
第58レンジャー大隊
※第41レンジャー大隊より改称
第85国境レンジャー大隊 (1970-)
※1973年第4軍団より編入
第5憲兵大隊


おまけ: インシグニアについて

ベトナム共和国軍というのは部隊章に非常にこだわりのある軍隊でして、米軍では通常連隊単位までしか部隊章を持たないのに対し、ベトナム陸軍は大隊単位(中には中隊まで)で部隊章が制定されているので、その種類は膨大です。そしてその一部が米国のベトナム共和国歴史協会 (Republic of Vietnam Historical Society)さんのサイトで公開されています。
歩兵師団・連隊・大隊 http://rvnhs.com/museum/arvninsignia.html

以下、歩兵師団、地方軍、空挺師団、レンジャー、海兵師団のインシグニアの種類についてまとめ中の図解。


 
レンジャーと海兵は、そのうち作ります。
  


2016年10月04日

ベトナム共和国軍年代別歩兵個人装備

※2020/6/24訂正


※ 注 意 ※

ベトナム共和国軍(CIDG含む)では以下のM1956個人装備のうち、
エントレンチングツールカバーとフィールドパックは99.99%使われませんでした。
せっかくお金をかけて軍装をそろえても、これらを装備に加えた瞬間に間違った再現になります。
どうかご注意下さい。


念のため言っておくと、使用例が完全に無い訳ではありません。
この10年間、何万枚と当時の写真を見てきた中で、3例くらいは使用例を見つけました。
なので一応100%ではなく、99.99%としておきます。



---------------------  歩兵科  ---------------------
(Binh Chủng Bộ Binh)

  
▲1958年、1968年、1972年当時の師団章配置



[1948年~1950年代中頃]

(写真: 1951年ハノイ)

戦闘服:    仏軍半袖・半ズボンチノ制服
鉄帽:       なし
帽子:       仏軍サイドキャップ、Mle49ジャングルハット
靴:          仏軍アンクルブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍戦前期個人装備、Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍戦前期個人装備、仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1950年代初頭~1960年代初頭]

(写真: 1954年ハノイ)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、
      M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
      M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: [左]1963年、[右]1966年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装なし、擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1975年]

(写真: 1973年)

鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918A2自動小銃、M1919A6機関銃、
      M60機関銃、M26手榴弾、


[1970年頃~1975年]

(写真: 1975年スンロク)

戦闘服:    アーミーグリーン2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (擬装なし、ミッチェル迷彩カバー、手書き迷彩)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  レンジャー  ---------------------
(Biệt Động Quân)


[1960年代初頭~中頃]

(写真: 1965年頃)

鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット(手書き迷彩黒豹黒虎擬装ネット)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   米軍M1945フィールドパック、米軍M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、他


[1960年代中頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

鉄帽:       米軍M1ヘルメット、米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩・黒豹黒虎、擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   米軍M1945フィールドパックARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年代初頭]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトゥループスヘルメット  (手書き迷彩黒豹黒虎擬装ネット、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1975年頃)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット  (手書き迷彩※黒豹黒虎なし、ミッチェル/リーフ迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  空挺  ---------------------
(Nhẩy Dù)



[1951年~1960年代初頭]

(写真: 1955年サイゴン)

戦闘服:    仏軍TAP47系降下服、リザード迷彩TTA47系戦闘服、英軍ウェインドプルーフスモック、米軍ダックハンター戦闘服、他
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、空挺キャップ
靴:    仏軍アンクルブーツ、空挺ブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系一般/TAP個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TAP Mle50ミュゼットザック、TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36CR39小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、M1カービン、M1/M2A1カービン
              M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年代初頭~]

(写真: [左]1962年、[右]1963年サイゴン)

戦闘服:    リザード迷彩TTA47系戦闘服、ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51/Mle51TAPヘルメット、米軍M1/M1Cヘルメット (擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)
個人装備: 米軍M1945系個人装備M1956個人装備
背嚢:   仏軍Mle50 TAPミュゼットザック、米軍M1942マウンテンリュック、
      米軍M1945フィールドパック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1960年代頃~1960年代末]

(写真: 1967年サイゴン)

戦闘服:  ブラッシュ2ポケット空挺型作戦服、シビリアンリーフ2ポケット空挺型作戦服
鉄帽:       米軍M1/M1Cヘルメット 、グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット)
靴:    米軍空挺ブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: M1956個人装備
背嚢:   米軍M1942マウンテンリュック、ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1/M2カービン、M1/M2A1カービン、M1A1短機関銃AR-15小銃XM16E1/M16A1小銃
      M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、M60機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年ケサン)

戦闘服:    ERDLリーフ2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用 (擬装なし、擬装ネット、手書き迷彩、ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1969年頃~1975年]

(写真: 1969年)

戦闘服:  レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット一般/空挺用  (擬装なし、手書き迷彩、ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍空挺ブーツ、コンバットブーツ、ジャングルブーツ
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他

---------------------  海兵隊  ---------------------
(Thủy Quân Lục Chiến)



[1952年~1960年代初頭]

(写真: 1957年ホンサ諸島)

戦闘服:    仏軍TTA47系戦闘服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (擬装ネット)
帽子:       仏軍Mle49ジャングルハット、熱帯ベレー
靴:          仏軍アンクルブーツ、コンバットブーツ、キャンバスブーツ(ブッシュ靴)
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック、米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、
      M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード
小火器:    MAS36小銃、MAT49短機関銃、MAC24/29軽機関銃、
              M1カービン、M1928/M1短機関銃、M1918自動小銃、M1919機関銃、DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1960年頃~1960年代頃]

(写真: 1962年ベトナム)

戦闘服:  タイガー2ポケット作戦服
鉄帽:       仏軍Mle51ヘルメット、米軍M1ヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          キャンバスブーツ(黒)キャンバスブーツ(カーキ)米軍コンバットブーツ
個人装備: 米軍M1945系個人装備、M1956個人装備
背嚢:   米軍M1941パックシステム、M1945フィールドパック、M1942マウンテンリュック、M1943/M1944パックボード、
      ST-138キャリングハーネス
小火器:    M1ガランド小銃、M1903小銃、M1/M2カービン、M1A1短機関銃、M3A1短機関銃、M79グレネードランチャー、
      M1918自動小銃、M1919機関銃、MkII手榴弾、M26手榴弾、


[1967年頃~1970年頃]

(写真: 1968年サイゴン)

戦闘服:    タイガー2ポケット作戦服ERDL2ポケット作戦服
鉄帽:       米軍/国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M52ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃M79グレネードランチャー、M1918自動小銃、M1919機関銃、
              M60機関銃、M26手榴弾、他


[1970年頃~1975年]

(写真: 1972年フエ)

戦闘服:  タイガー2ポケット/4ポケット作戦服レンジャーリーフ2ポケット/4ポケット作戦服
鉄帽:       国産グランドトループスヘルメット (ミッチェル/レンジャーリーフ迷彩カバー)
靴:          米軍コンバットブーツ、ジャングルブーツ、キャンバスブーツ(黒)
個人装備: 米軍M1956個人装備、M1967個人装備、M69ボディーアーマー
背嚢:   ARVNラックサック、M1943/M1944パックボード、ST-138キャリングハーネス
小火器:    XM16E1/M16A1小銃(30rdマガジンあり)M79グレネードランチャー、M60機関銃、
              M26手榴弾、M67手榴弾、他


---------------------  地方軍・義勇軍  ---------------------
(Địa phương quânn-Nghĩa quân)


[1954年~1964年頃]

(写真: 1963年フバイ)

戦闘服:     民兵戦闘服(黒)、農作業服(黒)
鉄帽:    なし
帽子:        ジャングルハット、フィールドキャップ、その他民生品
個人装備: 仏軍Mle50s系個人装備、米軍M1936/M1945系個人装備
背嚢:   仏軍TTA Mle51ミュゼットザック
小火器:  MAS36小銃、MAT49短機関銃、M1903小銃、M1カービン、M1928/M1短機関銃、M3A1短機関銃、
      DF37/OF37手榴弾、MkII手榴弾、他


[1964年頃~1960年代末]

(写真: 1960年代後半)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


[1967年頃~1975年]

(写真: 1969年)

徽章以外は同時代の陸軍歩兵部隊とほぼ同じ


------------------------------------------

以上で基本的な歩兵個人装備はほぼ押さえられたと思います。
約30年分の変遷をまとめたのでやたら装備の種類が多く見えますが、時代を区切って、
例えばハリウッド映画の影響で人気のある1960年代末であれば、最低限必要なのはこれだけです。

・2ポッケット作戦服(グリーンまたは迷彩)
・米軍ヘルメット
・ジャングルブーツ

レプリカ使えば、だいぶお安く揃っちゃいますね。
過去に何度か「南ベトナム装備は敷居が高い」という声を耳にした事がありますが、
それは単に共和国軍の軍装が日本語で紹介される機会が少ないために、何を揃えるべきか情報が出回っていないだけで、
それが分かってしまえば差し当たって難しい事はありません。
むしろ、常に実物やリプロが何かしら市場に存在している時点で、他の大多数の国の軍装よりもずっと敷居低いんです。
日本語の情報はここに書いたので、あとは当時の写真とにらめっこしてもらえば、大体把握できると思います。


インターネットで当時のベトナムの写真を探すのであれば、
flickrにあるmanhhai氏tommy japan氏のアルバムが最強なので超超お勧めです!

あと動画では、YoutubeチャンネルNgười Nhập CuộcがクリパスやAP通信のアーカイブなどからベトナム共和国関係の
動画をピックアップしているので、こんな映像が有ったのか!と毎回驚きの連続です。

いや~、インターネット様様face05
  


2015年03月23日

ライド・ザ・サンダー

来る3月27日(金)、待ちに待った映画"ライド・ザ・サンダー"が(米国で)公開となります!
この映画は1972年、クアンチの戦いを勝利に導いたベトナム共和国海兵隊レ・バ・ビン中佐の日記に基づく物語です。

"Ride The Thunder" - A Story Of Honor and Triumph
監督: Fred Koster
原作 "Ride the Thunder" Richard Botkin


  続きを読む


2014年10月18日

クメールとかベトナム雑記

こいつがクメール軍情報部、そしてフランスSDECEの二重スパイだったと噂される、FULRO最高幹部の一人レ・コセム大佐。
自分がチャム族であることを利用してFLC(チャンパ解放戦線)を結成、南ベトナム領内の少数民族に連携を持ちかけ、FULROを結成させた張本人。
しかし実際には、FLCおよびFULROの結成自体が南ベトナム政府へのサボタージュを目的とした破壊工作であり、側近のレ・コセム大佐がシハヌークに直接提案、承認を得た作戦だったという。
クメール側の真意に気付いたFULROおよびFLHP(中部高原解放戦線)最高指導者イーバム・エニュオルは、クメールの傀儡となったFULROから離反するも、クメール軍情報部に拉致され、以後6年間軟禁状態に。これによりFLHP系FULROは指導者を失い、間もなくサイゴン政府と和解(事実上の降伏)。
この間、70年にロン・ノル将軍がクメールの政権を握ると、レ・コセムはあっさりシハヌークからロン・ノル派へ鞍替え。
ベトナムのFLHP系FULROが活動を終えた一方、レ・コセムの配下にあったクメール領内のFLC(=チャム族)系FULROは、正式にクメール共和国軍に編入。

クメール軍第181FULRO大隊の幹部とロン・ノル将軍。
なお、レ・コセムは1975年の敗戦後、消息不明・・・。
クメール軍の軟禁下にあったイーバム・エニュオルは、プノンペンがクメール・ルージュによって占領されると、クメール軍幹部もろとも市内で処刑。FULROは稀代のカリスマ指導者を永遠に失ってしまった。 
一体どの段階までフランスの関与があったのかは分からないけど、少なくともFULROが結成された1964年の時点ではSDECEと通じてた気がしてならない。
  続きを読む


2014年04月25日

またYoutubeから

空飛ぶ首相 グエン・カオ・キ(1965年)


「お!このB-57、米軍じゃなくて南ベ空軍機だ!」と思ったら、中から出てきたのはグエン・カオ・キww
この人ジェット爆撃機まで操縦してたのかw

南ベトナム空軍司令官であったキ少将はこの年の2月、グエン・バン・チューら軍の若手将軍グループと共にクーデターを実行します。(1965年クーデター)
当時南ベトナムは国家評議会議長ファン・カク・スーを首班とする文民政府がようやく復活したばかりでしたが、実際には先の権力者グエン・カーン大将が政治を牛耳っており、カーン大将の排除はアメリカの意向でもありました。
そしてクーデターの結果、カーン大将およびその一派は失脚。6月にはグエン・バン・チュー中将が国家元首である国家評議会議長へ、グエン・カオ・キ少将が首相へと就任したのでした。(1967年からはチューは総統、キは副総統となる)
  続きを読む


2014年02月08日

レアな写真

南ベトナム陸軍の各歩兵師団には師団直属の偵察中隊が存在しましたが、空挺師団(※)にも各旅団ごとに1個中隊ずつ、計3つの空挺偵察中隊(空挺LRRP)がありました。
※『空挺師団(Sư Đoàn Nhẩy Dù)』は固有の部隊名であって、第○と師団番号は付かない

▲空挺偵察中隊の部隊章(全中隊共通)

このパッチのリプロ品は持ってるんですが、肝心の当時使われていた写真を見た事が無かったんです。
それが最近ようやく見つかりました。
  続きを読む