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2022年01月22日

シーウェーブ写経

一昨年買った香港Illusion militaria製レプリカのベトナム海兵隊ザーコップ迷彩(通称VMD/シーウェーブ)。
このレプリカ、パターンは良くできているのですが、購入当初から気になっていたように、迷彩の黒い模様の色がやたら青いのが、やっぱり気に入りません。

このように実物のシーウェーブは色落ちしても黒の部分は黒いまま薄くなり、青みはほとんど無いもいのが多いのです。

そんなに安いレプリカではないので、どうにか手を加えてちゃんとした色にしたいのですが、逆に黒以外の色は悪くないので全体を染めるわけにはいきません。
そこで残された最後の手段が、迷彩マニア界の奥義、と言うか業深き茨の『マジック手書き』。
これしかないのは分かっていながらも、苦行になるのは目に見えていたので、決心するのにかなりの時間を要しました。


まず失敗した場合を考え、最悪切り取ることが可能な袖から塗り始めました。
ペンは布に書いても比較的にじみにくく、また広い面積を塗るのに便利な極太芯のあるサクラクレパス マイネームツイン太字・細字を使用。
思った以上に下地を隠してちゃんと濃い黒色になってるし、適当に塗りつぶしても塗りムラ(濃淡)が出ないので、この用途にばっちりでした。
こうして細芯で輪郭をなぞり、太芯で中を塗りつぶす作業をひたすら繰り返します。



1日作業して左袖まで完了。上着だけでなくパンツもあるので、気の遠くなるような作業です。
なんだか子供のころにやった漢字練習帳のような、あるいは写経で精神統一しているような気分です。(やった事ないけど)
しかし、これも覚悟の上で始めた事。もう後には引けないので、ペンを追加で3本注文しました。
2・3日でできるような作業ではないので、気長にやっていきたいと思います。
とは言え、呑気に押し入れにしまってしまうと、そのまま何年も放置しかねないので、この服は部屋の見える位置に置き、まだ作業が残っている事を自分に意識させたいと思います。



おまけ

先日ネットでベトナム戦争期の写真を検索していたら、見覚えのある写真が出てきました。
丸で囲った写真は2008年頃に撮った、まだ僕が茶髪ロン毛だった頃のコスプレ写真です。


これまでもSNS上で、僕や友人たちのコスプレ写真が無断転載され、本物の戦時中の写真として拡散される事は度々あったけど、今度はアメリカのローカルTV局かよ。しかもベテランから投稿されたベトナム戦争の記憶をまとめる特設サイトで・・・。
一緒に載ってる他の写真もGoogle画像検索で出てきた写真を無断で使ってるだけっぽいし。仮にもマスメディアなんだから、ソースや権利くらい確認しなさいよ・・・。
僕は自分のコスプレ/リエナクト写真はリエナクトであると明示したうえで公開しているので、それを他人が勝手に転載し、本物と勘違いされようが、それは嘘と本物を見分けられないそいつらが間抜けなだけなので知ったこっちゃないというスタンスなのですが、さすがに今回は(いい加減なサイト制作者はともかく)ベテランが関わったまじめな企画のサイトなので、運営者に「その写真は私が日本でコスプレしてる写真ですよ。」とメールを送りました。
5日経っても返事はなく、サイトもそのままですが・・・。
僕は趣味としてできる限りリアルなコスプレ/リエナクト写真を作る事を追及していますが、そんなお遊びと実際の歴史研究・保存は全く別物。他人の写真を(大半はSNSでのイイネ欲しさに)ソースを隠匿、本物と詐称して転載する自称歴史好きの三下どもには呆れ果てています。
  


2022年01月02日

レプリカ海兵ベレー

※2022年1月8日更新

先月アメリカのショップに注文していた3ピースベレーとベトナム海兵隊ベレー章のレプリカが年末に届いたのですが、それぞれ気に入らない部分があるので手直ししました。

まずはベレー章。1956年~1966年まで使われた、兵および下級下士官(二等兵~一等下士)用です。
(ベレー章の変遷については過去記事『ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー』参照)


しかしこのレプリカ、八角形なのはまだ許せるにしても、刺繍の中心がずれていやがる。
モール刺繍部分が良くできているだけに勿体ないです。


なので一旦バラして中の八角形の芯を外し、中心が合うように新しい円形の芯を入れて接着しました。


次にベレー本体ですが、こちらは1950年代から1960年代前半に多く用いられた3ピース構造で、全体的な雰囲気はとても良いのですが、なぜかサイズを絞るリボンが付いていません。


仕方ないので針金を曲げて作った紐通しで、スエットバンドの中にリボンを通しました。

こうして海兵ベレーが完成。


当時の着用例



実はすでに、1962~1967年ごろまで支給されたVMS風ザーコップ迷彩服もオーダーしてあり、1月中に届く予定なので、これで念願の1963年クーデターや、ベトナム海兵大隊戦記(1965年)の頃の海兵隊の軍装が一応揃います。



おまけ:最近見つけたスタイリッシュ海兵

①いろいろと変

▲年代不詳なものの、階級章は1967年以降のタイプ

本来左袖に付ける海兵隊の部隊章(SSI)をベレーに付けてる中佐。しかもベレーは通常とは逆の左立て(英米式)。
さらに本来右胸ポケットに付けるはずの海兵隊胸章(1966年タイプ)も左胸という規定ガン無視状態。
さすが中佐ともなると叱る人が居ないのでやりたい放題といったところでしょうか。


②イキるとはこういう事

▲年代不詳なものの、徽章・ネームテープから1971年頃と推定

情報過多なので箇条書きにします。
・ベレー章は非公式な小型の金属製バッジ
・ベレー章の下に下士(伍長)の布製階級章。襟用か?
・ネームテープはベトナム語をフォネティックコード表記したもの(SƠN→SOWN)
・名前の後ろに大隊中隊番号の「3」(非公式だが稀に使用例あり)
・迷彩服はテーラーで大幅に改造された2ボタンポケット+ジッパーポケット

もうこれ以上のオシャレ海兵は見つからないと思います。
もしこれが現代の軍装コスプレだったら、僕は「こんなやり過ぎの改造軍服ありえない」と非難するでしょう。
それくらい、一枚の中にいろんな要素が濃縮されている写真でした。
  


2021年12月08日

ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類

※2021年12月11日更新
※2021年12月18日更新


ホアン・トゥウン 「海兵隊顕彰歌 (Bản Hùng Ca Thủy Quân Lục Chiến)


ベトナム海兵隊の制式迷彩であるザーコップ(Da Cọp)は、その派生であるタイガーストライプ迷彩に多くのファンがいることから、タイガーストライプの一種としてマニアによって研究・分類が行われてきました。
もちろんこのブログでも過去に何度かザーコップについて取り上げてきましたが、それらはザーコップという迷彩が最初に導入された時期についての考察であり、以後十数年の間に起ったパターン・カットの変遷についてはまだ取り上げていませんでした。と言うか、僕自身分かっていない部分が多くありました。
そこで詳しい先輩コレクターに教えを乞いながら、ザーコップについて自分なりにまとめを作ってきました。そしてある程度で発表できるボリュームにまとまったので、ここに記します。
なお、これらはあくまで、現時点で僕が持っている情報のまとめであり、内容は今後更新される可能性があります。
また、ご指摘や追加情報がありましたら、コメントからお知らせいただけると幸いです。



I. パターンの分類

現在では、ザーコップ迷彩のパターンは分類の仕方よって計「3ないし4種」とみなす場合と、細分化して「5ないし6種」とみなす場合とがあります。
どちらの分類法を使うかは人によってバラバラなので、ザーコップに関して「1st~3rd」という言葉が出てきたら、それがどちらを意味しているのか注意が必要です。

パターンで大別した場合(1st~3rd)

・1st: VMS
・(1st): トランジション
・2nd: VMDシーウェーブ
・3rd: レイトウォーラージ/タイランド



パターンと色で細分化した場合(1st~5th)

・1st: VMS エクスペリメンタル
・2nd: VMS ベトナムクラシック
・3rd: VMS
・(3rd): トランジション
・4th: VMDシーウェーブ
・5th: レイトウォーラージ/タイランド

トランジションはVMSの亜種なのでVMSに含める場合あり。
※色は同系列の中でも生地の生産ロットや個体の色落ち具合によって様々なので、あくまで目安。
レイトウォーラージにはタイランド」という通称もあるが、実際には生地は韓国製、縫製はベトナムであったと考えられている。

この中で、これまでNCHSイリュージョンミリタリアがリプロを製作してきたのはVMD
先日僕が民間のハンティングウェアから改造したのがレイトウォーラージです。


II. カットの分類

服のカット(裁断)についても、タイガーストライプのマニアたちがVNMCタイプ1~タイプ3と分類したり、ジョンソン式分類コードがあったり、さらに日本限定で『M59』という呼び方もあったりします。
しかしこれらのカットは実際には3タイプ以上あり、また早い段階で陸軍と共通となっているので、僕はそれらの分類法は使わないようにしています。
特にM59は資料の乏しかった時代に名付けられたもので、現在では2ポケット肩当て(エポレットなし)型の上衣は1958年製が確認されています。さらに肩当てとエポレット両方を備えるカットが登場するのはボンヒュエット(ブラッドケーキ)なら1961年頃ザーコップは1964年頃なので、M59という呼称は間違いだったことが確定しています。

そこで僕が使っているカットの分類・呼称は以下の通りです。

【上衣】

・軽量型TTA47/52: フランス軍のMle. 1947/1952 TTA "modèle allégé" (略して軽量型TTA47/52)戦闘服上衣のカット。1957年に開発された初代サーコップ迷彩はこのカットで生産された。


・2ポケット肩当て型: 1958年にザーコップ用として登場したカット。エポレットなし。60年代初頭からは全軍共通のカーキ作戦服にも用いられる。


・2ポケット迷彩服型: 1964年頃に登場した、肩当て型にエポレットを追加したモデル。ザーコップ以外にもERDL系などベトナム軍迷彩服の基本カットとなる。ただしカーキ作戦服には用いられない。


・4ポケット型: 1973年に登場した全軍共通の最終モデル。


・TCU型: 1973年に登場した、米軍TCUを模したカット。こちらも4ポケット型と同じく全軍共通。TCU型には複数のバリエーションが存在するが、海兵隊では特に隠しボタンタイプが多い。



『パターン66』と呼ばれるカットは、海兵隊のVMS(ベトナムクラシック)生地製が存在しているが、実際に海兵隊に支給されたかは未確認。


【下衣】

・TTA47: 上衣と同じくフランス軍TTA47戦闘服のカット


・ベイカー型: 1958年にザーコップ用として登場したカット。アメリカ軍のユーティリティユニフォームを模したベイカーポケット付き。60年代初頭からは全軍共通のカーキ作戦服や迷彩服にも用いられる。膝当てやウエスト調整ストラップは省略されている場合あり。


・ベイカー・カーゴ型:1960年代中盤に登場した、ベイカー型にカーゴポケットを追加したタイプ。ただし使われたのは主に陸軍のカーキやERDL系であり、海兵隊での使用例は少ない。


・カーゴ型: 1973年に登場した全軍共通の最終モデル。ベイカーポケットを廃止し、カーゴポケットのみとなる。カーゴポケットの形状はバリエーションあり。



【特殊な例:TAP47】

TAP47降下服(カーキ及びリザード迷彩)はもともと、第一次インドシナ戦争中にフランス軍およびその傘下のベトナム国軍空挺部隊で用いられた戦闘服でしたが、1960年代に入るとベトナム軍では、TAP47は実用する戦闘服ではなく、フランス時代から続く空挺部隊伝統のアイコンと見做され、晴れ着礼装として重用されるようになります。
こうして実戦で着用されなくなった事で、いつしかTAP47は「エリート部隊の礼装」と見做されるようになり、ついには歴史的にはTAP47と関係がない海兵隊も、礼装としてザーコップ迷彩版TAP47を新たに製作するに至ります。
ただしこのTAP47が確認できるのは1966年の国軍の日(6月19日)式典のみで、それ以外での使用例は未確認です。(※第369海兵旅団長グエン・テー・ルウン大佐の着用例がありました。ただしこちらは個人で仕立てたものと思われます。
またその後、海兵隊でも陸軍のホアズン(ERDL)系迷彩服の使用が始まると、海兵隊でもアズン迷彩のTAP47が用いられている例があります。

▲仏軍TAP47/53のカット
ただしTAP47には複数のバリエーションがあり、TAP47型ザーコップがどのタイプだったかは判別できていない。

ベトナム軍で用いられたTAP47のバリエーションについては過去記事『いろんなTAP47』参照
  


2021年10月28日

外注ネームテープ縫い付け

刺繍屋さんに生地持ち込みで注文していたネームテープが届きました。
実は手元には4年前にまとめて作った分がまだ残っているので、今回自分用に作成したのは4枚だけです。


これらをネームテープ待ちだった服に縫い付け。

その1 ベトナム海兵隊最終型ザーコップ迷彩服(TCU型)第5海兵大隊仕様

民生ハンティングウェアから改造した服です。服の制作記はこちら

これで上着は完成しましたが、まだパンツは何も手を付けていません・・・



その2 ベトナム軍カーキ作戦服(2ポケット型)トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生仕様


こちらは服本体は米軍のユーティリティーユニフォームで代用し、ボタンのみクラッシファイド製に交換してあります。
部隊章、襟章は自家製です。


残るRTミシガン用のテープですが・・・
単にテープを付け替えるだけでなく、ベースの服をEA製ではなくドラゴン製にしたくなってきたので、徽章を全て移植する事になると思います。
また服本体もいじりたい箇所があるので、作ったらあらためて記事にします。
  


2021年08月15日

TUC型ザーコップ上着完成

前回に引き続き部品作成していきます。

TCU型ポケットのマチを作成。


作ってみて分かったのですが、このTCU型ポケットって物凄い布を消費しますね。
普通のマチなし貼り付けポケットの2倍くらい生地を使いました。


さらにエポレット、ウエストアジャストタブも作成。


今回ボタンホールは家庭用ミシンのボタンホール機能を使って作ったのですが、途中でミシンの調子が悪くなって汚くなってしまいました・・・


こうして揃った部品を上着本体に縫付け。

上側(胸)ポケット



下側(腰)ポケット


ポケットのボタンの留め方はベトナム軍が独自に簡略化したもので、原型となった米軍TCUとはかなり異なります。


今回はお洒落として、師団章と一体のペンポケットも追加。



こうしてなんとか、上着を縫い終わりました。



なお、インシグニアは第258海兵旅団第5海兵大隊『黒龍』という設定にしましたが、まだネームテープが準備できていないので、それが揃ったらこの服の本当の完成となります。


さて、お次はこれのおパンツを作らなきゃですが・・・

もともとジャケットとして縫ってあった本体にポケットなどの部品を付け加えるだけで済んだ上着とは違い、パンツはツナギをバラして、その下半分を通常のパンツ型に仕立て直すつもりなので、上着よりもはるかに手間がかかりそうです。
そのくせインシグニアを付ける訳でもないので、がんばって作っても見た目パッとしないというのがパンツの悲しい所。

  


2021年08月07日

TUC型ザーコップ

ベトナム海兵隊の第5世代ザーコップ迷彩、通称「レイトウォーラージ」パターン生地で出来た民製ハンティングスーツを素材に、海兵隊の作戦服に仕立て直す作業の進捗です。

前回手を付けてから2ヶ月も経ってしまいましたが、先週まで机を占領していた自作40mm榴弾が片付いたので作業再開しました。

今回はTCU型の服を作るので、過去に実物から採寸したデータを基に型紙を作っていきます。

僕はコレクターではないので実物はほとんど持っていませんが、コレクターの友人の手伝いをしていると実物に触れる機会も多いので、その都度細部を採寸、ノートに記録してきました。
このTCU型を採寸したのは、もう5年も前の事ですが、ついに役に立つ日がやってきました。
こういうデータも、この趣味の上では立派な財産と言えるかもしれません。


ポケットの型紙と、生地素材の山



ポケットやエポレットなど、ジャケット本体に取り付ける部品を作成



できた部品を本体に仮置き

おー!かなり完成形が見えてきました!

なおベトナム軍のTCU型作戦服の原型となった米軍TCUのポケットは、『外下がりフタ/内側マチ』ですが、ベトナム軍では反対に、『内下がりフタ/外側マチ』という仕様も多く見られます。
なので今回はベトナム式*TCUとして、『内下がりフタ/外側マチ』仕様で作っています。

米軍TCUとベトナム軍TCU型作戦服のポケット比較

※ただし米軍と同じ『外下がりフタ/内側マチ』や、他にも『外下がりフタ/外側マチ』といったバリエーションも多く存在します。
  


2021年05月22日

最近やった作業

人民自衛団ビニールバッジ

仲間内に配布するため、ベトナム共和国軍の指揮下にあった反共民兵組織『人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)』のビニールバッジの自作レプリカを量産しました。

実物をスキャンし、印刷に適したデータに修正。プリンターで紙に印刷します。

ホームセンターで買ってきたビニールシートではさみ、縁をローラー型ホットシーラーで溶着。
今回初めてホットシーラーという道具を使いましたが、これ簡単そうに見えて意外と難しかったです。
接着部分に当てる時間が短すぎるとちゃんと溶着せず、長すぎると表面がグチャグチャに溶けたり、切断していまいます。

こうして出来上がったもの。左が実物、右が自作品。

当時の使用例

人民自衛団の服装は基本的に民生品の黒シャツ/スラックス、または黒アオババ/クアン(所謂ブラックパジャマ)なので、それらの服にこのバッジを付けるだけで簡単に再現できます。


ドラゴン製ホアズン迷彩服

先日買ったドラゴン製のホアズン(ERDL)迷彩服のボタンをクラッシファイド製ボタンに交換。
インシグニアの設定は、陸軍レンジャー部隊にしました。
赤いネームテープを付けたので第11,21,30,31,32,34レンジャー大隊のどれかという事になりますが、この服にはまだ軍団/レンジャー群を示す徽章は付けていないので、大隊も特定していません。(過去記事『レンジャー大隊識別色』参照)
レンジャー部隊は一つのまとまった部隊ではなく、各軍団の隷下に分散して配置される即応部隊でした。なので同じレンジャー部隊でも、サイゴンとフエでは、レンジャー大隊が所属する軍団/レンジャー群は異なります。
なので軍団パッチを付けるのは簡単ですが、付けてしまうとリエナクトの際にその服が着れる設定が限定されてしまうので、僕はこの服に関してはあえて軍団を特定しない事にしました。


海兵隊末期ザーコップ迷彩服作成開始

実物のベトナム海兵隊最終型ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服と同じ生地を使った民生ハンティングウェアが手に入ったので、これを素材にベトナム海兵隊迷彩服を自作しようと思います。

ジャケットはそのままベースに。ツナギは上下をバラして、下をパンツに、上側を生地取りにします。

目指すはベトナム戦争末期の1973~1975年頃に多く見られる、米軍TCU(ジャングルファティーグ)を模した裁断のタイプ。
大隊をどれにするかはまだ決めていません。
  


2021年04月15日

続・ベトナム海兵隊のベレー

先日の記事『ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー』でベレー章について書きましたが、その後新たな疑問と発見があったので、あらためて記事にします。
問題となったのはベトナム海兵隊が1956年~1966年頃にかけて使用した2代目ベレー章について。
2代目ベレー章には、交叉した錨の周りに月桂冠(ローリエ・リース)が有る物と無い物、2種類の意匠が存在した事が知らています。


しかし、この二種類がそれぞれがどういった使い分けをされていたのかを明示する資料はまだ見つかっていないので、使用例が写っている当時の写真から推測するしかありませんでした。

<これまでの定説>

月桂冠あり

左:中尉および少尉 右:少佐
月桂冠つき徽章は、士官による着用例が多数ある。


・月桂冠なし

月桂冠なし徽章の使用例では、階級章の着用が一例も見られず。
その為、直接的に階級は示されてはいないが、当時は兵卒が階級章を着用する事は稀であり、
逆に士官はほぼ必ず階級章を着用していたので、これらの写真は兵卒であると推測できる。

これらの例から、2代目ベレー章は『月桂冠つきが士官用、月桂冠なしが兵・下士官である』と考えられてきましたが・・・


<疑問>

よくよく調べたら、この定説には当てはまらない新たな着用例が見つかりました。

左:中士(軍曹/一等兵曹) 右:一等中士(一等軍曹/上級一等兵曹)
下士官、しかも階級としては下から4番目の中士までも月桂冠つきを着用しています。
どういう事?やはり階級は関係無いのか???


<仮説>

そこで、この疑問を解決するヒントは無いかと海兵隊の徽章をもう一度見直していたところ、けっこう基本的な所に糸口が見つかりました。それは、海兵隊(および海軍)における『下士官の範囲および地位』です。


図① ベトナム海兵隊の階級章(1955-1967年版)/作:Michael Do


図② ベトナム海軍の階級章・軍帽(1963年版)画像:NGUOI TIEN SU


図①のように、海兵隊の階級章は、二等兵から一等下士(伍長)までは袖に着用するV型ですが中士以上は士官と同じ環付きになります。
また図②のように海軍の軍帽は中士以上が士官と同じ様式の下士官制帽になります。なお海兵隊の制帽は海軍と同一であるため、この区分はそのまま海兵隊にも適応されていると考えられます。

つまり、一般的には伍長/二等兵曹から一等曹長/上級上等兵曹までが下士官に分類される階級ですが、ベトナム海兵隊および海軍では、中士(軍曹/一等兵曹)からが下士官であり、諸外国では下士官に分類される下士(伍長/二等兵曹)および一等下士(一等伍長/上級二等兵曹)は兵卒(水夫)級だったのです。

また、どうも普段陸軍をメインに考えているせいで、軍隊の階級は大きく分けて『士官』と『兵・下士官』に二分されると思い込んでいましたが、海軍では下士官が担う役割がとても大きいため、二つに大別する場合は『士官・下士官』と『兵』と考えた方が良さそうです。
(よく考えたら『下士官』という言葉自体が下級の士官とい意味ですし)

という訳で、現状では2代目ベレー章の月桂冠の有無については、
・月桂冠なし:兵卒(一等下士以下)
・月桂冠あり:下士官および士官(中士以上)
という使い分けであったと解釈しています。

  


2021年03月29日

ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー

2021年4月3日訂正
2021年4月15日訂正


今回は海兵隊のベレーについて見ていきます。

ベレー章



丸枠付き交叉アンカー
概要:当時の海軍の紋章である交叉アンカーの意匠。1954年の海兵隊発足と共に導入。ごく初期にのみ確認できる。
使用時期:1954~1956年?
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

②交叉アンカーのみ
概要:兵卒(一等下士以下)用。1956年の群(海兵群)への昇格と共に導入か?1966年のデザイン一新まで最も広く使われたベレー章。
使用時期:1956?~1966年
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

月桂冠付き交叉アンカー
概要:下士官および士官(中士以上)用。と同時期に使用されている。詳細不明(少なくとも階級とは無関係)。※
使用時期:1956?~1966年
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

※③の『交叉アンカー(リーフ付き)』の徽章は、当時の海軍・海兵隊の制帽用帽章とよく似た同じデザインなので、もしかしたら②は野戦用、③は正装用という使い分けがあったのかも知れませんが、まだ推測の域を出ません。
まだ史料による裏付けはありませんが、再度当時の写真を検証したところ、シンプルに②は兵下士官、③は将校用であった可能性が高くなりました。
再度検証した結果、現状では以下のように解釈しています。
・②:兵卒(一等下士以下)
・③:下士官および士官(中士以上)

④総統紋章
概要:ジエム政権末期の1963年に全軍で導入された総統紋章(竹林)がデザインされた帽章の海軍・海兵隊型。同年、ジエム政権崩壊に伴い廃止。※廃止後、ベレー章は再び②および③に戻る。
使用時期:1963年中のみ
徽章の形式:真鍮プレスのみ確認

EGA
概要:海兵隊部隊章(アメリカ海兵隊のEGA=Eagle, Globe and Anchorの意匠が基)のデザインを帽章にも導入。 
使用時期:1966~1975年
徽章の形式:真鍮プレス、金モール、糸手刺繍あり

EGA(小型)
概要:小型のEGA型徽章。⑤と同意匠のリーフ付きタイプも存在。正式な帽章ではないと思われる。
使用時期:1966?~1975年
徽章の形式:真鍮プレスのみ確認



ベレー色

ベトナム海兵隊は元々、第一次インドシナ戦争で活躍したフランス海軍コマンド(Commandos Marine)および舟艇部隊等に所属するベトナム人兵士を、1954年にベトナム海軍の陸戦コマンド部隊として再編する事で発足しました。その為、ベトナム海兵隊のベレー色である緑色は、フランス海軍コマンドのベレー色を継承したものと言われています。
なおフランス海軍コマンド自体も第二次大戦中にイギリス海兵コマンドの傘下で発足した事から、ベレー色および帽体を立てる向きはイギリス海兵隊の様式を踏襲しています。したがってベトナム海兵隊の緑ベレーの起源は、間接的にイギリス海兵隊にまで遡る事が出来ます。
(ただしフランス海軍コマンドでは帽体を立てる向きはイギリス式でしたが、ベトナム海兵隊では他の兵科と同じくフランス式に変更されています)

左:イギリス海兵隊 中:フランス海軍コマンド 右:ベトナム海兵隊


しかし、こんなカラー写真が出てきてしまいました・・・

1955年に撮影されたベトナム海兵隊将兵とアメリカ海兵隊アドバイザーだそうですが・・・
ベレー色が完全に『青』です。なんだこりゃ・・・?

当時はフランス軍にも同様の青色ベレーが存在していましたが、そちらはフランス陸軍(本土)空挺部隊のものであり、ベトナム海兵隊とはほとんど関係ありません。
そこで、あくまで推測ですが、この青ベレーを説明するため以下のような仮説を立ててみました。

・当時緑ベレーはベトナム海兵隊の中でも、元フランス海軍コマンドを中心とした歩兵部隊(当時は第1海軍歩兵大隊)の物だった
・歩兵部隊を輸送する舟艇部隊(こちらもフランス海軍舟艇部隊から独立)は写真の青色ベレーだった
・後に舟艇部隊は海軍に移管されたため青ベレーは見られなくなった

う~ん、どうでしょう。

海兵隊に限らず、1950年代後半のベトナム軍に関する資料は全般的に少ないので、この時代の解明はなかなか進みません。
しかし、それはそれで新たな発見があった時の喜びも一入なので、引き続き情報収集に努めたいと思います。
  


2021年02月07日

続・海兵隊ネームテープ色

最近ベトナム海兵隊のインシグニアについてまとめた記事の続きを書いていたのですが、この機会に以前『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』に載せた大隊ネームテープ色が本当に正しいのか改めて検証した方が良いなと思い、また写真とにらめっこを始めました。
その結果、まだ完全ではないものの、確度を高める事は出来たかなと思います。
また検証する中で、以前の記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。
以下、今回の検証の結果です。

確定
当時のカラー映像とその部隊を検証し、色と部隊の組み合わせが確定(自信アリ)



当時のカラー映像は未確認なものの、資料とそれを裏付けるベテランの使用例から、色と部隊の組み合わせが確定


未確定
当時の映像およびベテランで使用例が確認できるものの、まだ他の資料での裏付けは得られていない。


使用例未確認




また、これら色付きネームテープは、全ての部隊で一斉に導入された訳ではないようです。
導入時期については、現在調査中ですので、またあらためて記事にしようと思います。
  


2020年12月12日

ベトナム海兵隊のインシグニアについて その1

先日の記事『新作シーウェーブ』で紹介したIllusion militaria製ザーコップ迷彩作戦服にパッチを縫い付けました。
設定は1967~1971年頃の海兵師団第2海兵大隊所属の兵卒です。



ついでに、それぞれのインシグニアについておさらいしていきます。

インシグニア① 海兵隊部隊章

僕は以前このブログで、左袖の海兵隊部隊章のデザインが普通の縦型(通称 前期型)から角ばった盾形(後期型)に変わった時期は、海兵旅団が師団に昇格した「1967年」と書いたり、いややっぱり「1970年代初頭」だったと書いたり二転三転してきましたが、ついに「1971年11月」であるという確度の高い情報が得られたので、この場で訂正いたします。
つまり、いわゆる後期型の部隊章が使われているのは、実質的には1972年以降と考えて良いと思います。


なお、通称 前期型の部隊章が制定されたのは、海兵隊が独立した兵種となった1960年と言われ、実際1960年代のごく初期に撮られた写真にもこのパッチが写っているので、このデザインの採用自体はおそらく1960年で正しいのだろうと思います。
しかし、実はこのパッチは採用後、しばらくの間普及しておらず、採用から5年も経った1965年頃にようやく使用例が「復活」し始め、翌1966年頃から海兵隊全体で使われるようになったように見受けられます。
なので1960~1965年の間は、部隊章が存在していたにもかかわらず、その使用例はほとんど見られません。


インシグニア② 海兵隊胸章

胸章右胸ポケットに縫い付けられるパッチです。
これは何かの部隊章や資格章ではなく、全海兵隊員が佩用する共通のインシグニアで、言わばベトナム陸軍空挺師団の隊員が左胸に付ける『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)と似たようなものです。
そして海兵隊には、以下の2種類の胸章が存在していました。


胸章が採用された正確な時期は長らく把握できていなかったのですが、他の研究者の方々から情報を頂き、最初に胸章が制定されたのは、1966年頃である事が分かってきました。実際、1965年以前の写真に胸章の使用例は見られません。
また最初に採用されたスクロール付きの複雑なデザインのパッチは、1966年中のわずかな期間しか見られず、遅くとも翌1967年には、よく知られている丸形のデザインに変更されたようです。


つづく
  


2020年11月22日

新作シーウェーブ

先日香港のIllusion militariaから発売されたベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服のレプリカがついに手元に届きました。
今回モデルアップされたのは数あるザーコップ系迷彩の中でも、1967年頃から海兵隊で支給が開始された、通称『VMD/シーウェーブ』パターンです。
ちょうどこのパターンが導入された直後に、海兵隊はマウタン1968(テト攻勢)やカンボジア進攻など有名な激戦に投入されました。
そのせいか、シーウェーブは(アドバイザーを除き)アメリカ軍には使用されていない割にはマニアの間でも比較的人気の高いパターンの一つであり、過去に何度もレプリカが販売されてきました。
そこで今回は、某豊〇氏の協力を得て、シーウェーブの実物、過去のレプリカ、そして新発売のイリュージョン製を比較してみました。



まず古いレプリカから。
たぶん、ずいぶん前にフランスのコレクターグループが製作したものだと思われます。
その後、このレプリカのパターンをコピーしたものが中国やアメリカ、ベトナムなどで生産されました。
(コピーからのコピーを繰り返しているため、最新のベトナム製は、もはやまったくの別物になり果てています)


ぱっと見の雰囲気は悪くないのですが、こうして実物と見比べてみると、パターンの一部が再現しきれず、それっぽく想像で描いている事が分かります。


そして次が、今回発売されたイリュージョン製。


パターンに大きな欠損はなく、ほぼほぼ再現されています。
黒縞の色はけっこう青っぽいですが、こうして実物と見比べない限りは、そんなに気になるレベルではないと思います。
またレプリカの生地は大抵厚くなりがちですが、こちらは実物とほぼ同じか、若干薄いくらいペラペラで良い感じです。


またボタンも、さすがに低品質な当時物のようなバリは無いものの、厚さや色合いは忠実に再現されており、とても雰囲気が良いです。



いや~、これは買って良かったです。
まだこの服に付ける徽章が揃ってないので、縫い付けは後日のお楽しみ。


ベトナム海兵隊隊歌『海兵隊行進曲』

  


2019年11月03日

偵察中隊/ベトナム軍LRRP

※2019年11月3日加筆・訂正
※2019年11月24日加筆・訂正


これまでも、ベトナム共和国一般部隊(主に陸軍)には、特殊部隊とは別の、アメリカ陸軍のLRRPに倣った偵察中隊(Đại Đội Trinh Sát)が存在していたとちょいちょい書いてきましたが、あらためて記事にまとめてみました。
ただし、これら偵察中隊に関する詳細な資料は乏しく、未解明な部分もかなり多いです。今回の記事は、あくまで今私が把握している範囲での情報になりますので、実際にはもっと多くの偵察中隊が存在していたはずだと思います。


現在把握できている偵察中隊一覧

【歩兵師団本部付き】
全ての歩兵師団に師団本部付きの偵察中隊が存在。

第1歩兵師団 第1偵察中隊
第2歩兵師団 第2偵察中隊
第3歩兵師団 第3偵察中隊
第5歩兵師団 第5偵察中隊
第7歩兵師団 第7偵察中隊
第18歩兵師団 第18偵察中隊
第21歩兵師団 第21偵察中隊
第22歩兵師団 第22偵察中隊
第23歩兵師団 第23偵察中隊
第25歩兵師団 第25偵察中隊

【連隊本部付き】
全ての連隊が保有したかは未確認なものの、少なくとも歩兵師団内の以下の連隊には連隊本部付きの偵察中隊が存在した。

第1歩兵師団 第51連隊 偵察中隊
                 第52連隊 偵察中隊
第2歩兵師団 第4連隊 偵察中隊
第3歩兵師団 第56連隊 偵察中隊
        第57連隊 偵察中隊
第5歩兵師団 第8連隊 偵察中隊
第7歩兵師団 第11連隊 偵察中隊
第9歩兵師団 第15連隊 偵察中隊
          第16連隊 偵察中隊
第18歩兵師団 第48連隊 偵察中隊
          第52連隊 偵察中隊
第21歩兵師団 第32連隊 偵察中隊
第22歩兵師団 第40連隊 偵察中隊
          第42連隊 偵察中隊
          第47連隊 偵察中隊
第23歩兵師団 第44連隊 偵察中隊
          第45連隊 偵察中隊
第25歩兵師団 第46連隊 偵察中隊


【空挺師団】
空挺師団では3個の旅団本部に各1個の偵察中隊が存在した。

空挺師団 第1空挺旅団 第1偵察中隊
            第2空挺旅団 第2偵察中隊
            第3空挺旅団 第3偵察中隊


【海兵師団】
海兵師団では、師団本部付きと、4個の旅団本部に各1個の偵察中隊が存在した。

海兵師団 偵察中隊(師団本部付き)
     第147海兵旅団 第147偵察中隊
     第258海兵旅団 第258偵察中隊
     第369海兵旅団 第369偵察中隊
     第468海兵旅団 第468偵察中隊


【レンジャー部隊
レンジャー部隊では、全てのレンジャー群が保有したかどうかは未確認なものの、少なくとも以下の群本部に各1個の偵察中隊(長距離偵察中隊)が存在した。

第4レンジャー群 第4長距離偵察中隊
第6レンジャー群 第6長距離偵察中隊
第7レンジャー群 第7長距離偵察中隊
第12レンジャー群 第12長距離偵察中隊
第14レンジャー群 第14長距離偵察中隊
第15レンジャー群 第15長距離偵察中隊
第21レンジャー群 第21長距離偵察中隊
第22レンジャー群 第22長距離偵察中隊
第23レンジャー群 第23長距離偵察中隊
第24レンジャー群 第24長距離偵察中隊
第25レンジャー群 第25長距離偵察中隊
第31レンジャー群 第31長距離偵察中隊
第32レンジャー群 第32長距離偵察中隊
第33レンジャー群 第33長距離偵察中隊

※偵察部隊の部隊名は「偵察(Trinh Sát)」という表記が一般的ですが、レンジャーのみ「長距離偵察(Viễn Thám)」となっています。


【第81空挺コマンド群】
第81空挺コマンド群は1960年代後半にプロジェクト・デルタを実行していた特殊部隊(LLĐB)第81空挺コマンド大隊を、1970年8月のLLĐB解散後に再編成した部隊であるため、かつての「デルタ偵察チーム(Toán Thám Sát DELTA)」は第81空挺コマンド群内に「偵察中隊」として統合され、引き続き偵察任務に当たった。なお偵察中隊への統合後も、部隊の通称としては「デルタ偵察チーム」が用いられた。また偵察中隊は1975年、部隊再編に伴い「第815部隊」に改称される。

第81空挺コマンド群 偵察中隊/第815部隊(通称デルタ偵察チーム)

※この記事は特殊部隊以外の偵察部隊についてのまとめであり、LLĐB時代のデルタ偵察チームについては今回は触れませんが、1971年以降の第81空挺コマンド群は空挺師団や海兵師団と同じ「統合予備部隊(総参謀部直属の即応部隊)」に含まれるので、再編後の偵察中隊のみ記載しています。


偵察中隊の写真・映像

最初に、偵察中隊に関する資料は少ないと書きましたが、実際に彼ら偵察隊員が写っている写真・映像資料はもっともっとレアです。
僕が今まで見付けられたのは、以下の部隊だけです。

第1歩兵師団第1偵察中隊(1971年ケサン基地, ラムソン719作戦)


第22歩兵師団第22偵察中隊の偵察隊員(中隊不明)


空挺師団の偵察隊員(1970年, 旅団/中隊不明)


海兵師団の偵察隊員(旅団/中隊不明)
※左胸に米軍MACVリーコンドースクール修了章を着用している事に注目


レンジャー部隊長距離偵察隊員(/中隊不明)



長距離偵察訓練と資格証

長距離偵察証(Chứng chỉ Viễn Thám)は、ドゥックミー レンジャー訓練センターにおける長距離偵察(Viễn Thám)課程を修了した者に与えられる資格証です。この訓練はレンジャーのみならず、この記事で紹介した歩兵師団や空挺、海兵隊など、特殊部隊を除く*ベトナム共和国軍の各偵察中隊の隊員候補たちが受講する、偵察要員の登竜門でした。ちなみにこの資格を取得すると、毎月600ドンの資格手当が支給されたそうです。


 
ドゥックミー レンジャー訓練センター付きの米軍アドバイザー向けに作成された1968年当時のカリキュラム
英語表記"Long range reconnaissance patrol course"が長距離偵察課程(Khóa VIễn Thám)です。

これによると訓練期間は5週間、計419時間のカリキュラムで、内訳は以下の通りです。
・戦術    235時間
・総合課題  161時間
・武器及び破壊 23時間
(139時間の夜間訓練を含む)

フェーズ1(16日間):基礎課程、総合課題講習
フェーズ2(11日間):湿地野営、ジャングル・山岳野営
フェーズ3(8日間)  :戦術航空機動作戦(5日間)、最終筆記試験および体力テスト、卒業式(3日間)

※レンジャー訓練センターの説明では特殊部隊(NKTやLLĐB)もこの訓練を受講したとされていますが、これらの特殊部隊ではそれぞれの訓練センターで独自の偵察・コマンド訓練を行っているため、わざわざ全員がレンジャー訓練センターに出向いて同じような訓練を繰り返す意味は無いように思えます。当時の写真でも特殊部隊員がこの長距離偵察証を着用している例はかなり少ない(私はほとんど見た記憶がない)ので、おそらく実際に受講したのはごく一部の兵士だけだったと思われます。

ベトナム陸軍ドゥックミー レンジャー訓練センター正門(TTHL BĐQ ở Dục Mỹ)

なお1960年代、レンジャー訓練センターはカインホア省ドゥックミーとハウギア省チュンホアの2カ所に存在しており、長距離偵察課程はドゥックミーで行われていました。チュンホアは第3、第4軍団所属のレンジャー部隊に追加の訓練を行う補助的な訓練センターであり、さらに1968年には閉鎖されたそうです。



アメリカ軍MACVリーコンドースクール

MACVリーコンドースクール正門(1969年)

 先に挙げたベトナム軍偵察中隊の多くは、米陸軍における長距離偵察パトロール(LRRP・LRP)部隊の成功を受け、これを手本として組織されたものですが、この本家米軍LRRPのチームリーダーを育成したのが、グリーンベレーが運営するMACVリーコンドースクールでした。上記のレンジャー訓練センターにおける長距離偵察課程も、概ねこのリーコンドースクールのカリキュラムに倣ったものです。
 このMACVリーコンドースクールではアメリカ兵の他にも同盟軍兵士、特に上記のベトナム軍各偵察中隊からの研修生を多数受け入れており、訓練を終えた者はその修了章を軍服に身についている例が見られます。(海兵師団偵察隊員の写真参照)

MACVリーコンドースクール修了章

以下History Channel "Recondo School"よりキャプチャ

リーコンドースクールでグリーンベレーの指導による偵察訓練を受講するベトナム陸軍第1歩兵師団第51連隊偵察中隊の隊員

ベトナム陸軍第2歩兵師団第2偵察中隊(中隊不明)の偵察隊員

※両部隊とも、米軍SOGで開発されたSTABOハーネスを装備している事に注目
  


2019年10月19日

改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色

 過去記事『部隊識別色』で、ベトナム海兵隊の作戦服ネームテープは大隊毎に色分けされていた事、そしてその色の例を示しましたが、その後、より信頼性の高いソースから新しい情報が得られました。今まで知らなかった事や、逆に今まで知っていたものと異なる内容もあったので、改めてこの新しいソースに沿った大隊識別色一覧を作り直しました。

※2021年2月7日訂正。
内容を再度検証したところ、以前のこの記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。詳しくはこちらをご覧ください。



 今回ソースとしたものは、ベトナム陸軍空挺師団戦友会Gia Đình Mũ Đỏ Việt Nam(ベトナム赤帽家族)』のホームページ内にある、海兵隊の組織・軍装に関するページです。
※この赤帽家族は空挺師団の戦友会ですが、ホームページでは空挺師団以外のベトナム共和国軍各部隊の編制・軍装についても詳しく解説されています。一次史料ではないのでこれが確実なものとは言い切れませんが、ベテランが公式サイトで公表している情報であり、また他のどのソースよりも内容が豊富、かつ当時の写真史料との矛盾も見当たらないので、現状ではこれが一番信頼性の高いソースだと私は思っています。

 私は今まで、名前(文字)の色は、単純に刺繍製が白・黄色等の明色系で、プリント製が黒色だと考えていました。(プリント製の場合、カラー下地の上にインクを重ねる都合上、黒文字は下地を塗りつぶせるので問題ないが、明るい色では下地が透けてしまいプリントに適さない)
 しかし、この新しいソースによると、どうやらこの予想は間違いだったようです。


 例えばこれまでの認識では、上の写真では、左の人物が赤地に黒文字、右の人が赤地に白文字なので、二人とも同じ第4海兵大隊に所属しており、単にネームテープの製法がプリント(黒文字)と刺繍(白文字)で違っているだけだと考えていました。
 しかし件の新ソースに従えば、左(赤地に黒文字)は第4海兵大隊ですが、右(赤地に白文字)は衛生大隊であり、二人は別々の大隊に所属している事になります。異なる大隊の兵士が一緒に居る事はそう多くはないかと思いますが、衛生大隊であれば、海兵師団の各大隊の衛生業務を一手に担っているので、一緒に写真に写っていても不自然ではありません。なのでこの写真の場合は、たまたま下地の色が同じ赤色である第4大隊と衛生大隊の人物が一緒に居合わせたものであると解釈できます。

 ただし、第468海兵旅団およびその隷下の第14,16,18海兵大隊が編成されたのは終戦間際の1975年初旬であり、この三大隊については当時の写真はおろか、ベトナム海兵隊戦友会公式サイトにもその活動の記録はほとんど記載されていないので、実際にこのようなネームテープが使われていたかどうかは確認が取れていません。もし仮に、規定上こういった大隊識別色が制定されていたとしても、国土の半分を失陥し大混乱に陥っていた時期に、兵力補充のため訓練中だった新兵によって新設され、部隊章すら制定されなかったこれらの部隊が、各自規定通りのネームテープを作成して着用する余裕があったかは疑わしいと思いっています。


おまけ1:初期ERDLパターン迷彩服を着ている海兵隊員

 海兵隊員が初期ERDL(通称インビジブルorコマーシャル・リーフ)パターンを着ている珍しい例。
 この初期ERDLパターンは1965~1967年頃まで陸軍空挺部隊やレンジャー部隊で多用されましたが、海兵隊での使用例はこの一例しか見た事がありません。海兵隊には1967年から、改良型の1966年型ERDLパターン(通称グリーンリーフ)仕様の迷彩服の支給が始まりすが、それ以前にERDL系の迷彩服が使用されている例は初めて見ました。なので、この服は支給品ではなく、兵士が個人的に購入・着用しているものと思われます。


おまけ2:キャンペーンハットを着用する海兵訓練センター教官

 当時ベトナムでは、キャンペーンハットはボーイスカウトの制帽としては一般的でしたが、軍で使用されていた例は初めて見ました。もろにアメリカ海兵隊のスタイルを模したものだと思います。
 もともと海兵隊は陸軍や地方軍に比べてはるかに規模が小さいので、海兵訓練センターの写真自体レアなものです。
  


2019年06月11日

MVGで穴掘り

6月1・2日の二日間、サムズミリタリ屋さん主催のMVGに行ってきました。

僕はかつて、2008年に本栖で開催されたMVGには行った事がありましたが、近年再開してからは今回が初参加です。
当初、僕は屋外でコスプレ写真が撮れればいいな、くらいのつもりだったのですが、WW2米軍リエナクトチームB Coさんの呼びかけで、世界の掩体壕が一堂に集う夢の祭典『塹壕エキスポ』が開催されるという事で、僕たちベトナム軍グループも、僭越ながら男たちの狂気の穴掘り大会に参加させて頂きました。
ただし、ベトナム共和国軍の掩体を再現するにあたって、実はまだ当時の教本・資料等を入手できていないため、今回は当時の写真からおおよその寸法を割り出して機関銃用掩体を作成しました。
また作成に当たっては、当日B Coメンバー様から、掩体構築の思想から土嚢の積み方まで、今まで知らなかったたくさんの事をアドバイスして頂き、お陰様でなんとか形にする事が出来ました。本当にありがとうございます!




せっかく穴を掘ったので、撮影会もしました。
設定は1970年のカンボジア作戦*におけるベトナム海兵隊第1海兵大隊です。
また会場内で、K・Tアーツ様制作のM113APCに再び載せて頂く事もできました。
お陰様でカッコいい写真を沢山撮る事が出来ました。ありがとうございます!

以下は当日撮った写真ですが、カラーで古写真風加工するのは意外と手間がかかるので、とりあえず先にモノクロ加工しました。




カンボジア作戦
 1970年、カンボジアではロン・ノル将軍によるクーデターによって親米政権(クメール共和国)が成立したが、これに反発するカンボジア共産党軍(クメール・ルージュ)との間で内戦(カンボジア内戦。1970-1975)に突入する。
 西側陣営に転向したカンボジア新政府と同盟を結んだベトナム共和国(南ベトナム)は、ロン・ノル政権の同意の下、カンボジア領内のホーチミントレイル遮断のため、翌71年まで続く一連のカンボジア進攻作戦『全勝(トゥアンタン)41, 42, 43作戦』を開始する。ベトナム陸軍・海兵隊・アメリカ軍が総力を挙げたこの作戦はベトナム戦争で最も大きな戦果を挙げ、共産軍のホーチミントレイルは壊滅状態に陥った。
 また同時に、在カンボジア ベトナム人を内戦の戦火やクメール・ルージュによるテロから保護するため、彼らをプノンペンからメコン川(別名「九龍(クーロン)河)を伝って水路でベトナム領まで脱出させる『九龍作戦』が立案された。この作戦のためベトナム海軍艦艇100隻・アメリカ海軍30隻およびベトナム海兵師団B旅団から成る大船団『水陸両用任務部隊211』が編成され、船団はメコン川を遡上して国境を越え、一路プノンペンを目指した。船団がプノンペン郊外へと達すると、三個歩兵大隊および一個砲兵大隊から成る海兵隊B旅団はメコン川東岸のプレイベン州へと上陸し、周辺の都市において、船団脱出の障害となるクメール・ルージュおよびベトナム共産軍の掃討を行った。その間、海軍部隊によるベトナム人市民の救出が行われ、九龍作戦は成功裏に終了した。
  


2019年02月08日

右袖のパッチについて

2019年3月8日更新

 ベトナム共和国軍の一部の部隊では軍服の右袖にパッチを取り付ける場合もあったのですが、その意味合いはアメリカ陸軍等の諸外国とは全く異なったものであったので、今回はそれについてまとめました。
 まず基本的に、ベトナム共和国軍では軍服のどの位置にその徽章を取り付けるかは部隊(兵種)によって異なります。
そしてその中で右袖にパッチを付ける部隊は私の知る限り、BĐQ(レンジャー)、TQLC(海兵隊)、そしてLĐ81 BCND(第81空挺コマンド群)の三部隊に限られていました。
(他にも少数ですが着用例が存在しました。続・右袖のパッチについて』参照)

BĐQ(レンジャー)

 まずBĐQでは、1960年代において、稀に右袖に「大隊が所属する軍団」のパッチが付けられる例が見られます。しかしこれは全BĐQ大隊共通の規定ではなく、また同じ部隊内でも軍団パッチを付けていない人の方がはるかに多いので、末端の部隊単位または個人の裁量で独自に行われていた事だったと思われます。

▲右袖に軍団パッチ(第4軍団)をつけているBĐQ隊員の例

▲ベトナム共和国軍の第1~第4軍団の部隊章
※各軍団は各戦術地区軍管区を担当していた為、これらのパッチも戦術地区軍管区と紹介される事があるが、実際の戦術地区/軍管区本部のパッチは八角形で番号がアラビア数字となっている。


TQLC(海兵隊)

 次にTQLCでは、1960年代中盤以降、右袖には各TQLC大隊のパッチが取り付けられます。付けていない例(単に個人的に付けていない場合と、大隊の上位のTQLC本部所属者である場合とがある)も一定数見られるものの、全体としてはかなり高い割合で着用されています。

▲右袖に大隊パッチ(第1海兵大隊)をつけているTQLC隊員の例
※この写真ではブッシュハットにも大隊章が付いていますが、これはこの兵士が個人的な好みで行っているだけで、決して一般的なものではありません。

▲ベトナム海兵隊の第1~第9海兵大隊および第1~第3海兵砲兵大隊の部隊章


LĐ81 BCND(第81空挺コマンド群)

 1970年代のBCNDでは、ほとんどの場合で、右袖にLLĐB(特殊部隊)のパッチが取り付けられていました。これはBCNDが、1970年8月に解散したLLĐBの唯一の正式な後継部隊であり、その伝統を継承する形でLLĐBの部隊章とベレーを受け継いだからでした。(過去記事『空挺コマンド』参照)

▲右袖にLLĐBパッチをつけているLĐ81 BCND隊員の例 (元NKT フォー・コック・ユン氏)

▲ベトナム陸軍LLĐBの部隊章(1964-1970年)


謎の組み合わせ

 僕がこれまで右袖パッチの使用例を把握していたのは上記の3パターンのみだったのですが、先日ネット上で公開されていた1975年2月にサイゴンで開催された慰問コンサートの写真の中に、気になるものを見つけました。


 この兵士は左袖にBĐQの軍団・部隊番号タブを付けており、また右胸にもレンジャー資格章が見られる事から、この兵士の所属はBĐQであると考えてまず間違いないと思われます。しかし不思議な事に、この服の右袖にはLLĐBパッチと共に『Thám Sát(偵察)』タブが縫い付けられています。
 先記したように、BĐQ所属者が右袖に何らかのパッチを付けるとしたら、それは軍団パッチになるはずです。また右袖にLLĐBパッチが付くとしたら、その所属はLĐ81 BCNDであるはずなのです。これは明らかに矛盾しており、今までこんなパターンは見た事がありせんでした。
 そこで僕は、なぜこのような組み合わせが生じたのかを以下のように推測しました。まずヒントとなったのはBĐQ軍団・部隊タブの番号です。この番号は83のように見えるので、所属は第3軍団第33レンジャー群第83レンジャー大隊だと仮定します。するとこの第83レンジャー大隊は元々、1970年にCIDGのĐức HuệキャンプストライクフォースをBĐQに編入したBĐQ-BP(国境レンジャー)大隊として発足した部隊でした。CIDGは1960年代を通じてベトナム陸軍LLĐBが所管していた部隊であり、1970年から翌年にかけて全国のCIDGキャンプ国境レンジャー大隊に改編されていく過程で、数万のCIDG兵士およびCIDG計画担当のLLĐB隊員もBĐQに異動していきました。この事から、この兵士は1960年代にCIDGキャンプ付きもしくはプロジェクト・デルタ(LLĐB C-5本部 B-52分遣隊)等の偵察部隊に所属しており、その後国境レンジャー大隊に異動した人物であり、右袖には過去の戦歴を誇示する目的で個人的に(規定に反して)LLĐBパッチを付けているのではと考えました。※実例が見つかりました。続・右袖のパッチについて』参照

 その後、この写真および同時に取られた別の一連の写真を知り合いの研究者やベテランの方々にも見てもらったところ、「彼は傷痍軍人では?」とご指摘いただきました。この写真は慰問コンサートの際のものと上で書きましたが、そのコンサートの会場はサイゴンの軍病院 (Quân Y Viện)であり、写真をよく見ると、問題の服を着ている兵士の足元には(本人の物かはわかりませんが)松葉杖が置かれています。また横には現役の軍人ではありえない長髪の男性や、平服の民間人も大勢います。つまりこのコンサートの観客は軍病院に入院している傷痍軍人とその家族友人たちである可能性が高いとの事です。


そしてフォー・コック・ユン氏からは、「当時の傷痍軍人は(軍装規定に関わらず)過去に所属した部隊のパッチをまとめて軍服に付けている者もいた」と証言を頂きました。なるほど~、それなら納得です。なので、おそらくこの人も負傷により退役したので、自分の軍服に過去の所属部隊のパッチをまとめて付けていると考えてよさそうです。

このような退役軍人による軍服へのパッチ全部付けは戦後の元ベトナム共和国軍人にも見られる文化であり、中にはベトナム共産党政権下のベトナム国内でも、意地で共和国軍時代の軍服を着続ける傷痍軍人もいたようです。

▲戦後のベトナム国内で共和国時代の軍服を着る傷痍軍人の例。この人物はかつてNKT雷虎/MACV-SOGの偵察チームに所属していた模様。

 ハノイの共産主義政権はベトナム共和国軍人を犯罪者扱いしてたため、1975年に共産政権が南ベトナムの征服を完了した後も、当時数万人から数十万人いた元共和国軍の傷痍軍人は政府から何の公的支援も受けられませんでした。身体障害によって仕事に就けない者は、家族親戚による世話に頼って生きるしかありません。ただでさえベトナム共産党政権による経済政策の大失敗により世界最貧国に堕ち、数十万人の国民が難民として国外に逃げ出していた当時のベトナムでは、車椅子を買う余裕がある者などほとんど居らず、自由に外出も出来きない彼らはかえって人目に付く機会があまり無かったため、このように当局による摘発対象となりうる共和国時代の軍服を着ていても問題にはならなかったようです。しかしそれは同時に、それだけ彼らが社会から隔絶された環境に追いやられてしまった事の証とも言えます。
  


2018年09月23日

50年代のベトナム海兵隊

空挺の成り立ちやったんだから次は海兵だろうという事で、最近はベトナム海兵隊(TQLC)の発展についてまとめていたのですが、これがやってみるとなかなか難航しています。
というのも、海兵隊の黎明期、つまり1950年代後半に関する情報がやけに錯綜しているのです。
私は海兵隊ベテランが書いた記事や、1973年にサイゴンのアメリカ大使館が作成した報告書も翻訳しましたが、それらには海兵隊組織の発展のプロセスや、部隊が改変されたタイミング、特に後の海兵大隊の前身である「第1上陸大隊」の成り立ちについてはいくつも矛盾がありました。
なので以下の図は暫定版であり、今後改定していくつもりです。


こうした矛盾を解決するには、さらに資料を収集して地道に読み解いていくしかないので、まだまだ時間がかかりそうです。
なので、この謎多き50年代の海兵隊については、サクッと写真貼るだけにしておきます。


海兵隊の前身となったCEFEO(極東フランス遠征軍団) コマンド部隊

北ベトナム・コマンド (Commandos Nord Viet-Nam) および
南ベトナム・コマンド (Commandos Sud Viet-Nam)
▲パレードに参加する北ベトナム・コマンド コマンド13 (第13コマンド中隊)
 
海軍コマンド (Commandos marine)
勲章を受けるフランス海軍コマンドのベトナム兵 [1952年]

ベトナム海兵隊発足

第1海軍歩兵大隊 (1er Bataillon de l’Infanterie Marine / Ðệ I Tiểu Đoàn Bộ Binh Hải Quân)
 
▲フランス海軍より北ベトナム・コマンドの隊旗を受け継ぐ第1海軍歩兵大隊 [1954年]

第1海軍歩兵大隊兵士とアメリカ軍MAAGアドバイザー [1955年]

第1上陸大隊 (Tiểu Đoàn 1 Đổ Bộ)
▲領有を巡り中国と対立するホンサ諸島を占領した第1上陸大隊 [1957年]

▲アメリカ留学に発つ第1上陸大隊幹部 [1957年]
この時点では海兵隊は海軍に属していたので、野戦服と勤務服は陸軍式だが、外出服と大礼服は海軍式。

▲ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服を採用した第1上陸大隊幹部 [1950年代末]



おまけ

最近、運転中に聞く歌はHysteric Blueがお気に入り。



あとLOVE YOU ONLY。このあいだ友達と一緒にカラオケで歌ったら超気持ち良かった。




  


2018年05月15日

タイガーストライプの始まり Part 3



 僕はこれまでベトナム海兵隊がザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服を使用し始めた時期について、タイガーストライプの始まり続・タイガーストライプの始まりの二つの記事で以下の見解を述べてきました。

ザーコップ迷彩服が採用されたのは1960年
ザーコップ迷彩服が50年代中に支給されていたと断定できる写真はまだ発見されていない

ところが先日、その認識を覆す写真が見つかりました。

(写真: Rừng Cấm / Facebook)

元ベトナム海兵隊ズン・カム中士が公開している自身のプライベート写真の中の一枚なのですが、この写真についてカム中士は以下のようにコメントしています。(2016年11月26日書き込み)

"Người đứng đầu tiên là Đồ Sơn đó, vào khoảng thời gian 1958 "
(手前の人物はドゥ・スン・ドー、1958年頃)

 プライベート写真なので本人の記憶以外に撮影日時を裏付けるものは無いのですが、当時この部隊に所属していた人物の証言なので、その信憑性は高いかと思います。
 確かにTIGER PATTERNS (1999)に掲載されているように、ザーコップ迷彩服は最も早いもので1957年製造のスタンプが確認されているので、1958年の時点で現場に支給されていても、何らおかしくはありません。
 また僕が「ザーコップ採用は1960年」の根拠としたチャン・バン・ヒェン元中佐の証言も、それまで試験的に支給が行われていたザーコップ迷彩服が正式に採用されたのが1960年だったというだけで、実際の使用開始時期が1960年だった訳ではないとも解釈できます。
 という訳で今回の発見により、ザーコップ迷彩服は遅くとも1958年頃には(部隊ごとに支給状況は異なるでしょうが、少なくとも一部では)既にまとまった数が使用されていた可能性が高いという認識へと訂正させて頂きます。

前記事では60年代初頭の可能性もあるとしたこれら旧型パッチ(1955-1960)付きの写真も、50年代中にザーコップの支給が始まっていたことを考えれば、50年代末の撮影と見るのが自然かも知れません。



おまけ:テコンドー章

新たな発見という意味では、こちらの徽章の存在も、最近ベテランから教わって初めて知りました。

元ベトナム陸軍特殊部隊将校のフォー・コック・ユン氏によると、こちらの徽章はベトナム共和国軍のテコンドー資格章(Bằng Taekwondo)であり、なかでも左の人物が付けている大きな白っぽい図柄の上に二つの点(星?)がある物は『黒帯二段テコンドー章』だそうです。
右の空軍兵士の写真は「なんか見覚えあるな」と思って自分のHDDの中から探し当てた物なので特に説明はありませんが、上側に点はありません。初段かな?とも思いましたが、初段の次は二段なんだから、初段は点1個じゃないと変じゃないか?という疑問も湧いてきます。
なお、1960年代以降、ベトナム共和国軍は軍の徒手格闘訓練にテコンドーを全面的に採用しており、将兵のほぼ全員が一度はテコンドーを経験したはずですが、僕も今まで把握していなかったくらいこのテコンドー章の使用例は少ないので、おそらくこれらのテコンドー章は黒帯(初段)以上の者だけに与えられたのだろうと推測しています。
いずれにせよまだ詳細な画像すら見た事の無い謎の多い徽章なので、これから調べていきたいと思います。



地方軍カントー訓練基地における徒手格闘訓練(1967年5月6日)
※動画のキャプションには『空手』と書いてありますが、韓国人インストラクターが教えているとも書いてあるので、正しくはテコンドーでしょう。



ドン・バ・シン特殊部隊訓練センター内のテコンドー道場 (1970年6月23日)

この時代、テコンドーはまだ日本式の道着を使っていたから、普通に国内で売ってる道着を買えば、テコンドー訓練ごっこが出来るんです。たしか高校の体育で使ってたやつをまだ持ってるはずなんだけど、どこ行っちゃったんだろう・・・?
  


2018年03月31日

部隊識別色

 この趣味をやっていると、度々、「南ベトナム軍が付けてる色付きネームテープやネッカチーフはどういう意味?」という質問を頂きます。マニアの間では、それらは一般に『大隊または中隊の識別色』と言われており、パレード用などいくつかの例外はあるものの、前線で使われているものに関しては僕も部隊識別色と考えていいと思っています。


 では、具体的にどの色がどの部隊を示していたかと言いますと・・・ほとんど分かっていません。師団や連隊までならそれなりに研究が進んでいますが、大隊・中隊といった末端の単位までは、さすがに資料が出てきません。なおかつ、その識別色に関しては、もしかしすると全軍で統一された規定によるものではなく、それぞれの部隊が独自に決めたものである可能性もあります。その場合、色と部隊の関係を知るには中隊単位まで所属がはっきりしている当時の写真を探して確認していく、もしくはその部隊に所属していた人に聞き取りするという手段で、全国に数千個存在した大隊・中隊を一つ一つ調べていく以外に術はありません。しかし、それはいくらなんでも不可能です。なので、特に人数の多い陸軍歩兵部隊や地方軍の識別色の全容解明は、今後も期待できないかも知れません。


ベトナム海兵隊のネームテープ

 しかしその一方で、数は少いですが、資料によって把握できている部隊もあります。まずはベトナム海兵隊。海兵隊では1960年代中盤以降、作戦服に付けるネームテープに大隊識別色が採用されましたが、陸軍や地方軍と比べるとはるかに規模が小さかったため、その識別色についてはほぼ解明されています。以下は大隊とネームテープの対応関係をまとめた図になります。

※2019年10月19日
新たなソースに基づいた改訂版を投稿しました。こちらをご覧ください。


【識別色ネームテープの例】

 
(左)第2海兵大隊、(右)第1海兵砲兵大隊



空挺師団の大隊章

 また陸軍空挺師団では1960年代中盤以降、軍服の左肩エポレットに付ける大隊章の背景・台布が中隊ごとに色分けされていた事が知られています。空挺師団の各大隊は、中隊番号「0」の大隊本部中隊、「1」~「4」の歩兵中隊の計5個中隊で構成されており、大隊番号の末尾に中隊番号を加えたものが中隊名になります。そしてその0~4の各中隊に5色の識別色が割り振られており、0が緑、1が紫、2が青、3が黄(橙)、4が赤というパターンでほぼ統一されていました。例えば第11空挺大隊の本部中隊は「第110中隊」で、背景は「緑」になります。


 ただし理由は不明ですが、上の赤枠で囲っている大隊章だけはこの規則から外れています。まず、第3空挺大隊および第5空挺大隊では中隊ごとの色分けはされておらず、背景は全ての中隊(第30~34中隊および第50~54中隊)で青のみとなります。
 また更に不可解なのが第7空挺大隊の第71中隊でして、同大隊の他の中隊はすべて規則通りの配色になっているのにも関わらず、第71中隊だけは規則に倣った「紫」ではなく、例外的に「水色」で制定されています。

▲こちらの写真は戦時中、サイゴン市内の徽章屋が自社の空挺関連の徽章一覧を撮影したものですが、やはり第71中隊だけは水色であり、色の個体差等ではない事が分かります。(1964年制定の空挺部隊章があり、かつ1965年に編成される第9空挺大隊が入っていないので、撮影時期は64~65年頃だと思われます。)
同じ日に撮影されたと思われる別ショットの写真が見つかり、その中に1971年末に制定された徽章があったため、撮影時期はそれ以降である事が判明しました。[※2018年5月18日訂正]

▲左肩エポレットに取り付けられた中隊色付き大隊章。他部隊でもこの位置に識別色のスリーブを通す事はありますが、大隊章を取り付けるのは1960年代後半以降の空挺師団のみです。なお、この徽章の購入は任意だったようで、全体的には使用率は低かったようです。


レンジャー部隊の軍団タブ

[※2018年5月18日訂正]

 陸軍レンジャー部隊では、レンジャー部隊章の上にレンジャー群・大隊を示すタブが1970年頃1971年末採用されます。ベトナム共和国軍は第1~第4軍団という計4つの軍団および総参謀部直属の統合予備部隊で構成されており、レンジャー部隊はそれぞれの軍団本部直属の機動歩兵部隊であった事から、新たに制定された群・大隊タブでは、その色で所属している軍団(および統合予備部隊)を示していました。
しかし、この軍団ごとの色分けは制定から2年足らずの1972年ごろに廃止され、それ以降タブの色は軍団に関係なく全て「青」で統一される事となります。
※複数の研究者による検証・ベテランの証言などから、全ての軍団が青で統一されたとするRepublic of Vietnam Historical Societyの見解はどうやら誤りであったようです。

[2018年6月4日追記]
軍団タブについては新たに記事にしましたのでこちらをご覧ください。


▲レンジャー群・大隊タブの使用例。第33レンジャー群第83国境レンジャー大隊[※2018年5月6日追記]

レンジャー群・大隊タブと同じ場所に、同じような色付きのタブが付いている例が見られますが、これらは部隊を示す数字が入っておらず、色も軍団を示すものではありません。恐らくは各部隊が独自に作った、役職などを示すタブと思われます。群・大隊タブと非常に紛らわしいので要注意。


[2018年6月4日追記]
軍団タブ以前に使用されていた色付き大隊タブ・ネームテープについて新たに記事にしました。



僕が今現在把握している情報は以上になります。こういう地味な徽章に関してはまだまだ分からない事だらけなので、今後も地道に情報収集していこうと思います。



おまけ

突然ですが、色の話をしたのでラルクのVivid Colors。昨日車を運転しながら歌ってたら、またカラオケ行きたいモードに入ってきたので。

う~ん、最高。久しぶりに一人カラオケ行っちゃお~。うふふ。
  


2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトナム共産軍(ベトコン)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土が戦火に包まれ、以後半年間でベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ組織(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、ベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


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