2023年03月11日
タハーンプラーン計画その2
上着に続いて、タハーンプラーン用のネッカチーフを作りました。材料費300円。

まだ一式は揃ってないけど、前回作った上着と合わせて自撮り。

僕が再現しようとしているのは1980年代のタハーンプラーンPCCS513(第513計画管理調整部隊)でして、その513部隊では隊員のほとんどがこの黒服と黒/赤のネッカチーフを着用しています。

▲PCCS513

一方、同じタハーンプラーンでも、第514部隊では、隊員は陸軍と同じタイ国産リーフ迷彩服を着ており、またネッカチーフは無しか、もしくは緑単色を着用している写真をよく見ます。

▲PCCS514
という事は、黒/赤ネッカチーフは513部隊の制服/識別色という事なのかな・・・。
まだ調べが足りないので結論は出さないでおきます。
2023年03月05日
王妃陛下の毒蛇
推奨BGM:クイーンズコブラ行進曲
先日の記事『作成中の服』の中で紹介した、ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ仕様の戦闘服が完成しました。.

そもそもクイーンズコブラを始めようと思ったのは、2018年にタイのリエナクター仲間と軍装撮影会をした際、クイーンズコブラの部隊パッチをプレゼントされたのがきっかけなので、あれから5年かけて、ようやく形になりました。

▲2018年、バンコクのナショナル・メモリアルにて
クイーンズコブラ連隊はベトナム派遣FWMF(自由世界軍)の一員として臨時に編成されたタスクフォースであり、またFWMFの盟主であるアメリカ軍(第9歩兵師団)の作戦指揮下に組み込まれたため、その徽章類は通常(国内)のタイ軍とは大きく異なります。
以下は今回の為にタイで購入したり、友達からもらったり、オーダーメイドしたクイーンズコブラ連隊仕様の徽章類です。

1. 帽章:タイ陸軍
2. 兵科章:歩兵科
3. 部隊章:第21歩兵連隊*1
4. 国籍タブ:タイ王国
5. 部隊章:アメリカ陸軍第9歩兵師団
6. 部隊章:クイーンズコブラ連隊
7. 近衛徽章: シリキット王妃栄誉章*2
8. 軍種章:タイ王国陸軍
9. 名札:パヤック(友人に命名してもらいました)
※1:クイーンズコブラはタスクフォースであるため、原隊(この場合は第21歩兵連隊)部隊章も佩用される。
※2:第21歩兵連隊は近衛部隊(王妃近衛)であるため、シリキット王妃栄誉章を佩用する。ちなみにクイーンズコブラの「クイーン」もシリキット王妃(現・王太后)陛下を意味している。
また、タイ軍では布製徽章類はジグザグ縫いで縫い付けられる事が多い(全てではない)ので、そこも再現しています。

これは上手く縫えた部分であって、他の部分では僕の技量不足で縫い目が汚くなっちゃったのもあります

ともあれ、これで被服・装備はほとんど揃いました。
あと足りないのは・・・プラクルアン(仏像・高僧像のお守り)。

現時点で友人からお土産としてもらった分の3個持ってますが、プラクルアンは「タイ軍のボディーアーマー」と揶揄されるくらいジャラジャラ首に下げられているタイ兵のソウルアイテムなので、少なくともこの倍は欲しいです。

2023年03月01日
80年代タハーンプラーン計画
※2023年3月15日更新
素材はアルファ社の米軍ユーティリティ裁断の黒い服。




これのポケットを四角く改造して、2015年にタイの友達にもらったパッチを縫い付け。

1980年代のタイ王国タハーンプラーン部隊(陸軍の傘下にある準軍事国境防衛組織)という設定です。
ベレーは現在タイで売っているPX品の陸軍/警察ベレーを使用。

現状で全体の7割くらいは揃いました。

ライフルは中国製の56-1式(プレス加工タイプ)が主だったようですが、当面はAKS-47で代用するつもりです。
僕はこの20年くらい、「1946-1975年のインドシナ諸国」と範囲を決めて軍装を集めてきましたが、今回この枠を初めて超えて、80年代のタイ軍装に挑戦しています。
僕にとってはかなり新しいチャレンジなので、久しぶりにウキウキしています。
早く一式そろえてタイの友人たちに写真を送ってやりたいです!
2023年02月15日
作成中の服
こう寒いと外で撮影会をする気にならないので、冬は物品収集に専念してます。
その中で、まだ一式は揃っていませんが、完成する目途が立った軍装を予告的に公開。
①ベトナム陸軍第1空挺大隊 副大隊長ド・カオ・チ中尉 夏季勤務服(1951-1954年)

▲左から2番目がド・カオ・チ

僕の一番好きなベトナム軍人であるド・カオ・チ大将の中尉・第1空挺大隊時代の夏季勤務服を作成中。
上着は米軍半袖チノで代用。第1空挺大隊の徽章・ベレー章は過去記事『ステホ10』の時に揃えてあるので、あとは階級章を自作すればすぐにできそうです。




タイの刺繍屋にオーダーしていた徽章一式がようやく完成したと知らせが来ました。ここまでの道のりは長かったんですよ。②ベトナム陸軍特殊部隊(1963-1964年)


発足当初の特殊部隊(LLĐB)の軍装です。
LLĐBはジエム総統直属の特務機関として仏教徒危機で学生とかお坊さんをボコボコに殴ってたら、ミン将軍のクーデターでLLĐB司令タン大佐はジエム総統もろとも暗殺。発足から1年経たずしてLLĐB本部は解体。翌年には新体制下で再スタートできたけど、ベレー・徽章類はその時変更となったので、この黒ベレーはとても短命に終わったスタイルです。(過去記事『LLĐBのベレー』参照)
服は民生ハンティングウェアですが、60年初頭の特殊部隊では同型の米国製ハンティングウェアが多数使われていたので、無改造で使うものありだと思っています。
③ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ(1967-1968年)


バンコクにベトナム戦争時代に実際にこれらの徽章を作っていた刺繍屋があるので、そこに頼もうと思っていたら、店主が高齢で、コロナが怖くて店を閉めてしまったそうなんです。なので店を探すところからやり直し。
幸いタイの友人がバンコクではない他の街に古い刺繍屋を見つけてくれたので、そこに頼むことが出来ました。到着が待ち遠しい!
2023年01月22日
癸卯年元旦節
※2023年1月24日更新
黄暦(中国暦)元日の今日、友人たちとアオザイを着てベトナム寺に初詣してきました。



このお寺は、僕が毎年初詣に行っているのとは別の場所で、今回初めて来ました。
新年に相応しい、良い写真が撮れました。また、こちらのお寺でもブンをご馳走になりました。

お寺なので肉類は一切入っていません。
肉っぽく見えるものは豆腐を加工したもので、ハムも(おそらく)大豆から作られています。
精進料理は日本にもありますが、ベトナムのは肉を再現しようとする努力がすごい。
本当は食いたくて仕方ないんでしょうね(笑)
ちなみにベトナムの十二支は日本や中国とも少し違くて、今年はネコ年。
ベトナムではテトを祝って、その年の動物の巨大な像が全国各地に設置されますが、同時に毎年、ベトナムのネット民の間で開催されるのが「残念な十二支像選手権」。
だいたいの動物は、とても精巧か、そうでなくてもまぁまぁの出来映えなのですが、中には「どうしてこうなった」と言いたくなる残念な像が毎年必ず出現します。
今年もいくつもの作品がノミネートされましたが、その中で今年断トツで一番キモいのが、サイゴン北東部の複合テーマパーク スォイティエン(Suối Tiên)に設置されたこの像。

さすがにネットの話題をかっさらって大騒ぎになったようで、設置からわずか3日後には目の部分だけ差し替えられました。

テーマパーク側は「最初から目は二種類用意していた」と弁明しているそうですが、それはそれで意味不明な気もします。
その他のノミネート作品はこちら
Thanh Niên
2023年01月21日
オンドーごっこ
黄暦大晦日は、おうちでオンドー(Ông đồ)のコスプレ。



このために100均で筆と墨汁を買ってきました。字が下手なのは許して・・・
オンドーとはベトナムにおける伝統的な書道家・儒学者・教師で、オンドーの書いたおめでたい書を人々が買い求めるのがベトナムの新年(テト)の風物詩となっています。
しかし実際のオンドーは老師といった感じの髭を蓄えた老人なので、こんなに若い人はいません。
なのでスマホアプリのFaceAppで老人化!

なんかベトナムと言うよりテュルクっぽい顔になった。
オンドーの書は、20世紀後半以降クォックグー(ローマ字)表記も広く用いられるようになりましたが、伝統的な漢字もまだまだ現役です。
逆に言うと、現代のベトナムでは、オンドーくらいしか漢字を読むことも書くことも出来ません。
なのでほとんどのベトナム人は、20世紀前半より前に書かれた(漢字およびチュノムで書かれた)自国の書物を理解することが出来ません。
クォックグーの普及による識字率の向上は確かに有益ではあったものの、同時にこの漢字文化の断絶は、文化面では本当にもったいない事だと思います。
ベトナム国内でも識者の中にはそういう声もあるようで、韓国同様、ベトナムでも漢字学習を再考する機運は少しずつ高まっていると聞きます。
明治時代のファン・ボイ・チャウみたいに、日本人とベトナム人が漢字で筆談できる日がいつか・・・来ないだろうけど、来ることを夢想してしまいます。
それでは皆様良いお年を。
2022年11月13日
野戦警察の迷彩ヘルメット その2
その1で筆塗りしたものがこちら。

これをペイントリムーバーで全部洗い落としてやり直し。
前回は筆塗りだったけど、今回は紙で迷彩模様のステンシルを作ってエアブラシで塗っていきます。




その結果がこちら。

ベースの色をミスりました。これでは緑色過ぎます。
でも迷彩模様は悪くないので、ステンシル作戦自体は成功。
そして、また塗装をやり直したのが、こちら。

ようやく自分的に合格点に達しました。このウグイス色を出すのが難しかったんです。
今回見本にしたヘルメットはこちら。


2022年11月07日
野戦警察の迷彩ヘルメット その1
ベトナム国家警察野戦警察隊では、迷彩服と同じホアマウダット(クラウド)迷彩柄の塗装が施されたヘルメットの使用例が散見されます。

色合いは迷彩服同様、茶系から緑系まで様々だったようです。
前々からこの迷彩ヘルメットを作ろうと思っていたのですが、つい最近押し入れから、買ったきり使っていないM1系ヘルメット(北欧のどっかの国)が出てきたので、これを素材に塗る事にしました。
まずは手持ちの迷彩服を見ながら、模様を鉛筆で下書き。

そしてMr.カラーで塗るとこんな感じ。今回は僕の好みで緑系に塗装しました。

う~ん、なんか気に食わない。
僕は迷彩服のパターンを見本にしたので5色使ったけど、写真の例をよく見ると4色(うち茶色は1色)しか使ってない!?
やめだ、やめ。
こうなったらペイントリムーバーで全部落としてやり直します。
つづく
2022年10月17日
初デンクロ
※2022年10月18日更新
日曜日にDANGER CLOSEというイベントに参加してきました。
サバイバルゲームフィールドGERONIMO様撮影のアルバムはこちら
僕はエアガン戦には参加しなかったので、午前中は友人と1970年代のFANK第294大隊*のコスプレして駄弁ってました。
友人手作りのクメール共和国国旗が非常にイカれ・・・イカしています。
※第294大隊の部隊名を正確に言うと「クメール陸軍第6歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊」です。

帰宅後、著者のConboy先生に「俺等がこうなったのはあんたのせいだ!」と、この写真を送り付けました。喜んでいただけました(笑)
午後は時代を20年遡って、今回のイベントのテーマである1954年の「ディエンビエンフーの戦い」に合わせて、ベトナム国軍第5空挺大隊(フランス連合軍第5ベトナム空挺大隊)に衣替え。
(第5空挺大隊については過去記事『ディエンビエンフー陥落から64年』参照)
今回着たWPG製リプロのTAP47/52降下服は迷彩の色を乗せる順番が間違っているので、友人たちは迷彩を手描きで描き直したり染め直したりして改善していますが、僕はまだそこまでやる気が出ないので、買ったままの状態で着ています。
お昼にGERONIMO特性の美味しいマトンカレーを食べ過ぎて、動けなくなった人が続出した(僕もその一人)ので、午後はエアガン戦をやめてフィールドの中で撮影会を行いました。塹壕がとても良い感じです。
また、フランス側とほぼ同数のベトミン軍が集まった事は正直驚きであり、とても良いものが見れました。

2022年10月01日
コルト604
※2022年10月2日更新
最近こんな物を手に入れました。
JACのガスガンがベースのM16ライフル(コルトAR-15モデル604 1964年型)、第2世代AR-15の米空軍モデル風です。
(ただしストックはJAC純正なので、1964年型ゴム底ストックに1971年型の固定スイベルがミックスされた架空の物。ボルトキャリアも違う。)


床井 雅美氏のM16&ストーナーズ・ライフルによると、このコルト604は米空軍の他にも、軍事支援として6145丁がベトナム軍に供与されたそうです。

▲M16(コルト604/1964年型)を持つCIDG兵士 [1969年ベンヘット特殊部隊キャンプ]
6千丁と聞くと凄い数のように感じますが、同時期にベトナム軍に供与されたAR-15陸軍モデルのコルト603(XM16E1およびM16A1)の数はのべ943,989丁に上るそうなので、それと比べると604の割合は1%にも満たないものでした。
ちなみに、僕は以前ベトナムのクチ・トンネルに行った際、偶然にもその貴重な604(のロアレシーバーを使った銃)を撃つ事が出来ました。(過去記事『ただ鉄砲撃ってるだけの動画』)
といった感じで、コルト604はガンマニア的には希少性が高く魅力的なモデルではありますが、それは同時に、リエナクター目線で言えばレア銃過ぎて使い道が無い事も意味しています。
上のCIDGの写真も、米空軍以外で604が使われている、かなりレアな例です。
米空軍コスプレをするなら最適な銃ではありますが、それは僕の趣味の対象外なので、この604風ガスガンは記念写真だけ撮って、さっそく別のモデルへの改造ベースになってもらいます。
何に改造するかはお察しの通り。
2022年09月27日
夏季ベレー
※2022年9月29日更新




1950~60年代、フランス軍では夏季/熱帯地域用に、カーキ/ベージュ色コットン生地製の『夏季ベレー(Béret d'été)』が広く使われていました。
こちらは僕の手持ちの夏季ベレー(実物)です。

僕はこのベレーを第一次インドシナ戦争期のフランス連合軍コスプレに使うつもりで持っていたのですが、当時の写真を見ていると、どうも革製スエットバンドを備えるこのタイプは少数派であり、大半はスエットバンドが帽体と一体の布製だったように見受けられます。
後述するデスボランティアさんに聞いた話では、上の革製スエットバンドの物はフランス本土製の正規品である一方、第一次インドシナ戦争期によく見られるスエットバンド一体型の物は極東(インドシナ)現地で生産された物だそうです。

▲フランス植民地軍第5ラオス猟兵大隊[1950年代]

▲ベトナム国衛兵隊[1951年ハノイ]

また、1954年に第一次インドシナ戦争が終結し、その後インドシナ諸国がフランス連合から脱退すると、ベトナム・ラオスでは夏季ベレーは使用されなくなりますが、クメール(カンボジア)だけは引き続き使用し続けており、1970年代前半の(第一次)カンボジア内戦期においてもクメール国軍で広く着用されていました。

▲クメール国軍[1970年]
そして、何でも作っちゃうデスボランティアさんは、なんと、その極東製夏季ベレーのレプリカを製作・販売されました!
僕は先日ビクトリーショウでそれを見つけて迷わず購入。

▲デスボランティア製 極東製夏季ベレーのレプリカ
これで第一次インドシナ戦争期のフランス連合軍の被り物はほぼコンプリートできました。
2022年09月19日
クメール陸軍ヘルメットカバー
前日のクメール撮影会で盛り上がったパッションに促され、さっそくクメール軍装の自作を開始しました。
今回作ったのは1960~1970年代を通じてクメール陸軍で広く使われたパラシュート生地ヘルメットカバーです。

これまで僕は単に米軍パラシュート生地をカバー代わりに被せてきただけでしたが、当時の写真を見ていると、どうもバンド付きのちゃんとした国産ヘルメットカバーが使われていたようです。(全てではありませんが)
残念ながらこのカバーの細部はまだ見たことが無いので分からないのですが、とりあえず外見が再現できればいいので、さっそく手持ちのパラシュート生地を裁断。ミシン掛けしてゴム紐を通しました。



その上に同じ生地で作ったバンドを装着して完成。


実物のバンドはカバーに縫い付けなのか、別に被せてあるだけなのかは分からないのですが、試しにカバー縫い付けてみたら寸法がかなり微妙で上手く作れなかったので、今回はバンド部分は別パーツとしています。
さて、次はカモフラージュネット(偽装網)だ。
続きを読む2022年09月19日
雨天撮影会
この日曜日に撮影会を予定していましたが、台風の影響で関東も大雨でした。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
でも雨は当時も降ったんだから、考証的に矛盾しない。風も大して無いので撮影決行です。
今回の設定は、久しぶりのクメール(カンボジア)陸軍歩兵部隊。1970年頃。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
と、偉そうに解説してますが、僕の持ってるクメール軍装は、現状ではとりあえず「それっぽく見える」程度で、とても満足できるレベルではありません。
友人は最近かなりクメールに熱を上げているので、これを機に僕もベトナムの片手間ではなく、ちゃんとしたクメール軍装を揃えて行きたいと思います。
2022年09月15日
最近やったこと
※2022年9月16日更新
※2022年9月18日更新
①MAS-36補強&再塗装

①MAS-36補強&再塗装
1940~50年代フランス軍・フランス連合諸国軍の制式小銃MAS-36(戦後生産型)のデコガンを個人業者にワンオフで作ってもらい、さらにそれを野外での使用に耐えるよう自分で補強、再塗装しました。
金属(実際は樹脂製)部分はインディのパーカーシール。木材(MDF材)部分は水性ニスを塗ってあります。
②黒アオババ農村振興委員仕様
コスプレ用デコガンとしては十分な見栄えになったかと思います。
先月の撮影会で人民自衛団の服を着たせいか、今度はなんだか急に農村振興委員(Cán Bộ Xây Dựng Nông Thôn)をやりたくなってきたので、手持ちの黒アオババに自家製インシグニアを縫い付けました。

農村振興計画(Chương trình Xây Dựng Nông Thôn)は1966年に開始されたベトナム共和国政府の民事心理戦プロジェクトです。
このプロジェクトは、ブンタウの農村振興訓練センターで専門教育(民事心理戦)を受けた志願者=農村振興委員を地方の農村に派遣し、その地で農業指導や教育、医療、村落自衛戦力(軍事指導)を提供する事で住民を懐柔、政府側に教化(および情報収集)する事で、農村地帯で活動する共産ゲリラ(南ベトナム解放民族戦線)の駆逐を目指すものでした。
このため、農村振興委員は農民との融和をアピールすべく、農民の象徴である黒のアオババ/クアンザイを制服として着用していました。

▲農村振興計画付きのオーストラリア軍AATTVアドバイザーが着用していた黒アオババ

▲農村振興計画付きのオーストラリア軍AATTVアドバイザーが着用していた黒アオババ
地方の農村・農民を支持基盤としていた解放民族戦線にとって、この農村振興委員の存在は自軍の組織そのものを崩壊させかねない非常に危険な存在であり、農村振興委員は次第に解放民族戦線によるテロの最重要目標となっていきます。その結果、1974年までに任務に当たった約8万人の農村振興委員のうち、1/4を超える約23,000人が解放民族戦線の攻撃にあい死亡したとされています。
▲ブンタウ農村振興訓練センターの映像
2022年09月12日
海の民兵
※2022年9月15日更新
設定は、ベトナム戦争期にベトナム海軍が保有した準軍事組織『海船部隊(Lực Lượng Hải Thuyền)』の水夫です。
海船部隊とは、漁船等に偽装して物資を密輸する共産軍輸送船を取り締まるために、ベトナム海軍が設立した準軍事沿岸警備部隊です。実は僕が海軍関係のコスプレするのはこれが初めて。
海船部隊の人員は主に、その地域について知識豊富な地元の漁師・船員で構成され、それを海軍将校が指揮する、海の民兵と呼べる組織でした。



海船部隊の船員は正式な海軍軍人ではない為、その軍装はとてもラフな物で、軍服らしいものはベレーだけで、他は陸上の民兵組織と同様に民間の黒いアオババ(襟無しシャツ)とクアンザイ(長ズボン)が半ば制服として着用されていました。

海船部隊の使用する艦艇も主に武装を施した漁船であり、1960年代初頭までは帆船を使用していたため、その部隊章・ベレー章には帆船のデザインが採用されています。
そのため海船部隊は米海軍から『Junk Force(帆船部隊)』と呼ばれていましたが、後に艦艇は帆船からより近代的なエンジン付きの小型警備艇へと更新されます。

▲1960年代初頭以前の海船部隊の帆船

▲更新後の海船部隊警備艇

▲海船部隊の部隊章・ベレー章
海船部隊の船員は正式な海軍軍人ではない為、その軍装はとてもラフな物で、軍服らしいものはベレーだけで、他は陸上の民兵組織と同様に民間の黒いアオババ(襟無しシャツ)とクアンザイ(長ズボン)が半ば制服として着用されていました。

▲黒アオババを着用して任務に当たる海船部隊の船員と米海軍アドバイザー
2022年08月22日
8月の勉強会&撮影会
先の日曜日、久しぶりに勉強会と撮影会を開催しました。
その後、河原に移動して撮影会開始。
メインテーマはベトナム戦争期、サイゴン政府の統制下にあった自警団組織、人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)です。
この組織は、1960年代中盤から1975年の終戦まで、服や装備の変化はほとんど無いので、撮影会に当たって年代設定は特に設けていません。
今回僕が着た服は、第1次インドシナ戦争期のコマンドス・ノーヴィトナム用としても着れる、ディッキーズ製の黒色ワークシャツ改造品。
それに以前製作した自家製人民自衛団ビニールバッジを装着。

なおパンツに至っては、ユニクロ製のストレッチチノパンです。
次は僕の個人的なコスプレ。
先日買ったばかりのEA製ベトナム国産SMGアンモポーチを付けて、1967年、ビンディン省に於けるサーチ&デストロイ作戦に従事するベトナム共和国国家警察第222野戦警察団という設定です。
思えばこの装備が一式揃うまでに、けっこうな歳月がかかりました。
銃だって古いハドソン製ガスガンをディテールアップし、それに自分でデータ作った3Dプリンタ製フラッシュハイダーを付けた物ですし。(過去記事『グリースガンいぢり その4:完成』)
でもこの中で一番古いのは、タイガーストライプ迷彩のヘルメットカバー。これは二十年近く前、セスラー社が最初のタイガー迷彩服を発売した際、服と同じ生地で作られたもので、上野の中田商店で(おそらく)店頭のみで販売されていました。(過去記事『タイガー迷彩ヘルメットカバー』)

このように野戦警察隊においてはタイガーストライプ迷彩ヘルメットカバーが使われている例が複数見られますが、一方で使用期間は60年代後半の限られた時期のみで、長きに渡って使用されたアイテムではありませんでした。
なので正直持っていても滅多に使わないアイテムであり、実際このカバーを使用したのは、十数年前に購入して以来、これでようやく二度目です。
2022年08月19日
ベトナム国産SMGアンモポーチ
先日、EA社からベトナム国産SMG用アンモポーチ(チェストリグ)のレプリカが発売されたので、早速購入しました。

このアンモポーチのレプリカが登場してくれるのを十数年間待っていた、と言うか、まさか本当に商品化される日が来るとは思っていませんでした。
EA社とは以前、代金を支払ったのに半年も商品を発送せず、結局注文キャンセルとなったというトラブルがあったので距離を置いていましたが、今回ばかりはこのレプリカを発売した心意気に感謝せざるを得ません。
ただし、また直接取引するのは嫌なので、今回は日本でEA社製品を扱っているベースエクスチェンジさんを通じて購入しました。

このアンモポーチはチェストリグ式ですが、ポーチが二つベルトで繋がっており、体の前後にポーチを下げるように出来ています。

またベルトを外してポーチ単体をピストルベルトに吊るす事も可能です。

なお、このポーチは当時の写真では(特に国家警察で)使用例が多数見られるものの、なぜか現存数は異様に少なく、長年インターネットを見回しても、まだ実物が紹介されている例は見たことがありません。
なのでEA社が実物を入手ないし細部を確認したとは考えにくく、このレプリカは当時の写真からおおよその形状を再現したものだろうと僕は考えています。
2022年08月04日
我が家のキャロット
これまでコスプレ用にいくつかキャロット(仏語でギャリソンキャップの意)を買ってきたものの、いまだに着用して撮影したことがありません。
なので今回は話の種に、キャロット単体でご紹介。
①フランス植民地軍歩兵部隊Mle46キャロット(デスボランティア製リプロ)

第一次インドシナ戦争~アルジェリア戦争で使われたキャロットの植民地軍仕様。錨のバッジ以外は陸軍と共通。
赤い色は歩兵の兵科色で、植民地軍の場合は植民地歩兵部隊を意味します。
②フランス植民地軍Mle47キャロット(フランス製リプロ)

第一次インドシナ戦争~アルジェリア戦争で使われた熱帯用キャロットの植民地軍仕様で、こちらも錨のバッジ以外は陸軍と共通。
上のMle46と違って兵科色を示さないので、どの兵科でも被れる便利な帽子です。
③アメリカ陸軍カーキギャリソンキャップ(実物)

フランス軍Mle47キャロットの代用品として買いました。Mle47キャロットは米軍ギャリソンキャップのコピーであるため、代用にはもってこいです。
上で述べたように錨なしのキャロットはフランス陸軍仕様であるのに加え、第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍や支援軍(民兵)でも着用されました。
またベトナム戦争期には陸軍ではキャロットは廃止されていたものの、一方でMle47と同様のカーキ色キャロットがベトナム海軍や人民自衛団(民兵)の一部、学生向け軍事教練プログラムで着用されました。
③アメリカ空軍士官ギャリソンキャップ(実物)

ベトナム空軍士官キャロットの代用品として買いました。
第2次大戦後にアメリカの支援によって創設された西側諸国の空軍同様、ベトナム空軍のキャロットも見た目はアメリカ空軍の物と瓜二つです。
ちなみにキャロット(Calot)はフランス語ですが、ベトナム共和国軍ではCalotをベトナム語読みして"カロット帽(Mũ Calot)"と呼んでいたようです。

▲Huấn Lệnh Điều Hành Căn Bản (1969)より
Calot自体に帽子という意味があるのでカロット帽だと意味が重複していますが、日本語でもベレー帽とかマスケット銃とかチゲ鍋とか言うように、外国語を輸入するとこういう事ってよく有りますよね。
2022年06月29日
金属製 天使の翼
※2022年7月1日更新
先日、ベトナム陸軍空挺部隊の職種徽章(いわゆる兵科章)『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)』の金属製レプリカを買いました。

こういった職種を示す徽章の中でも、金属製の物は多くの場合、勤務服や外出服、大礼服といった制服に佩用されます。(※憲兵など一部の部隊では作戦服にも佩用されます)
また外出服および大礼服に佩用する際は、ジャケットの襟(ラペル)に左右対称に佩用します。(※尉官・佐官のみ)

▲空挺師団師団長レ・クアン・ルオン准将(当時中佐)
しかし上の写真のようなジャケット用の左右対称デザインのレプリカは今のところ存在していない(はず)なので、今回買ったレプリカを装着できるのは勤務服(チノシャツ)に限られます。
なおこういった徽章を勤務服に佩用する場合、普通は右胸ポケットの上に装着されるのですが、空挺部隊だけは他の部隊とは違った独特の文化をもっており、天使の翼章は左エポレットに装着されます。

ただしこれは階級章が袖に付く一等中士(一等軍曹)以下の階級だけで、上士(曹長)以上は階級章がエポレットに通すスリップオン式になるため、天使の翼章はこの位置には佩用されません。
この付け方を手持ちの服で再現するとこんな感じになります。

赤い台布は有っても無くても構いませんが、有った方がカッコいいのでフェルト布を切って作りました。
なお過去に何度か記事に書いてきましたが、天使の翼章の由来は、フランス軍空挺部隊が1946年に導入した、大天使ミカエルの翼と剣をモチーフにしたベレー章になります。
このベレー章はフランス軍の麾下で1951年に発足したベトナム陸軍空挺部隊にも継承されており、1955年にベトナムがフランス連合を脱退した後も、そのデザインは空挺部隊のシンボル=天使の翼章として継承されました。

こうした経緯から、大天使ミカエルはベトナム陸軍空挺部隊の守護天使とされており、空挺部隊本部が置かれたホアン・ホア・タム駐屯地(タンソンニュット基地内)の前には巨大な聖ミカエル像が鎮座してました。


2022年05月30日
MVGでフランス連合軍
先週末のMVGに、第一次インドシナ戦争期のフランス連合軍の軍装で参加してきました。
土曜日は個人的なコスプレとして、先日シャツを作ったコマンド・ノーヴィトナム(ベトナム北部のベトナム人コマンド部隊)

物資は第一次インドシナ戦争期とかなりの部分で共通なので、アルジェリア戦争期のフランス軍のリビングヒストリー展示にお邪魔して写真を撮らせて頂きました。
日曜は仲間に声をかけて、フランス連合軍のベトナム人歩兵部隊の軍装で集まり撮影会を行ってきました。
今回はフランス連合の歩兵なら何でもありにして、細かい部隊や年代設定は定めなかったのですが、結果的にはフランス植民地軍のRIC(植民地歩兵連隊)っぽい感じになりました。
1946年の第一次インドシナ戦争開戦以来、インドシナ平定を担うCEFEO(フランス極東遠征軍団)内部ではフランス人兵士の撤退と同時に現地インドシナ人兵士の採用、インドシナ諸国軍の創設が進められており、1953年までにフランス連合軍の人員の約7割がインドシナ人で構成されるようになりました。
また一口に「歩兵部隊」と言っても、フランス連合軍内には様々な組織が存在しており、ベトナム人(キン族)の正規部隊だけでも次の部隊が存在しました。
・フランス植民地軍:BMI(インドシナ徒歩大隊)、RIC(植民地歩兵連隊)
・フランス外人部隊:REI(外人歩兵連隊)内のインドシナ人大隊
・ベトナム陸軍:BVN(ベトナム大隊/歩兵大隊)、BL(軽大隊)
(過去記事『ジェハ=ホーゼ大将 『ベトナミゼーション』:先住民のインドシナ戦争への参加』参照)
・フランス外人部隊:REI(外人歩兵連隊)内のインドシナ人大隊
・ベトナム陸軍:BVN(ベトナム大隊/歩兵大隊)、BL(軽大隊)
(過去記事『ジェハ=ホーゼ大将 『ベトナミゼーション』:先住民のインドシナ戦争への参加』参照)
とは言え、フランス連合軍ではどの部隊も同じフランス陸軍式の被服・装備が支給されたので、それを着る人間がフランス人でもセネガル人でもベトナム人でも、軍装に大した違いはありません。唯一違うのは、階級章などの徽章のデザインだけです。