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2021年02月07日

続・海兵隊ネームテープ色

最近ベトナム海兵隊のインシグニアについてまとめた記事の続きを書いていたのですが、この機会に以前『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』に載せた大隊ネームテープ色が本当に正しいのか改めて検証した方が良いなと思い、また写真とにらめっこを始めました。
その結果、まだ完全ではないものの、確度を高める事は出来たかなと思います。
また検証する中で、以前の記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。
以下、今回の検証の結果です。

確定
当時のカラー映像とその部隊を検証し、色と部隊の組み合わせが確定(自信アリ)



当時のカラー映像は未確認なものの、資料とそれを裏付けるベテランの使用例から、色と部隊の組み合わせが確定


未確定
当時の映像およびベテランで使用例が確認できるものの、まだ他の資料での裏付けは得られていない。


使用例未確認




また、これら色付きネームテープは、全ての部隊で一斉に導入された訳ではないようです。
導入時期については、現在調査中ですので、またあらためて記事にしようと思います。
  


2021年01月20日

アイダホキャップ

先日500円で買ったアメリカ海兵隊ユーティリティキャップのレプリカ。



これにベトナム軍NKT連絡部(コマンド雷虎)のローカルメイド丸型パッチのレプリカを縫い付け。


すると、たったこれだけで・・・


ベトナム陸軍キャップRTアイダホ仕様が完成!!
C&C部隊を構成していたコマンド雷虎/SCUはベトナム軍NKT所属の部隊なので、この帽子は単に自国軍のユーティリティキャップ(Mũ lưỡi trai)に部隊の丸型パッチ(非公式)を付けただけであり、他の雷虎チームでも同様の例があっても良さそうですが、僕はまだCCN RTアイダホでしかこの仕様のキャップの使用例を確認できていません。なので僕はこれを「アイダホキャップ」と勝手に呼んでいます。

なお、上で「たったこれだけ」と書きましたが、実は素材が米海兵キャップなので横の空気穴の金具(ハトメ)の色がグリーンだったため、ベトナム軍キャップっぽく見せるためにハトメを油性マジックで黒く塗っています。





ちなみに雷虎の丸型パッチの使用例は他のRTでも見られますが、それらはデザイン自体は今回使った帽子用とほぼ同じであるものの、パッチのサイズは帽子用よりもかなり大きく、左胸ポケットに縫い付けられるものでした。

▲使用例 左:CCS(チーム不明) 右:CCC RTウェストバージニア


▲盾形が正規のNKT連絡部"雷虎"部隊パッチ。丸形は非公式なローカルメイド品
  


2021年01月19日

迷彩のお名前

迷彩パターンの名前というのは国によってけっこう違うもので、英語圏と日本のマニアで言い方が違うのはもちろん、ベトナムでも独自の呼び名が付けられています。
中でも英語圏で「タイガーストライプ」や「ブラッドケーキ」として知られる迷彩パターンはベトナム共和国軍が開発したものなので、英語よりもベトナム語で呼んだ方がベトナム国産感が出る気がします。
またその他のベトナム軍で使われた迷彩についても、ベトナム語で何と呼ぶか知りたかったので、幾人かの研究者・マニアの協力を得てベトナム語、英語圏、日本それぞれで使われている呼称をまとめました。
まだ呼び方が分からない迷彩もあるので、何か情報をお持ちでしたらコメントからお知らせ頂けると助かります。

↓画像クリックでPDFが開きます。


ベトナム語呼称と意味

注:
これらベトナム語呼称のうち、僕が戦争当時の資料で使用例を確認しているのは、今のところ「カーキ」のみです。
その他はあくまで現在のベトナム人が使っているもの、あるいは「~と呼んでいたらしい」と伝え聞くところに依るものですので、ベトナム戦争当時もこの呼び方であったかどうかはまだ確証が得られていません。


・Khaki / Kaki (カーキ):カーキ色
・Xanh Olive (サインオリーブ):オリーブ緑
この色は、当時のベトナム軍の資料で「Kaki」と呼ばれていた事が確認できるので、当ブログもそれに倣い、「カーキ」と呼んできました。
ただし現在では、ベトナム語でも「Xanh Olive(オリーブ緑)」と呼ぶのが普通のようです。


ベトナム語における迷彩の名前で、「パターン」や「柄」に相当する言葉が「Bông(ボン)」および「Hoa(ホア)」です。
この二つの単語は共に通常「花」を意味する言葉ですが、同時に「華やか」という意味も持ち、そこから転じて「模様」「柄」という意味で使われています。

・Bông Beo (ボンベオ):豹柄(北部発音)
・Bông Báo (ボンバオ):豹柄(南部発音)
・Beo Gấm (べオガム):豹皮
いわゆる「ダックハンター」系迷彩は、ベトナム語では「豹」系の名前で呼ばれています。
「ベオガム」というベトナム語呼称は、マニアの間では1960年代前半に米軍がCIDG向けに生産した迷彩服を指す事が多いですが、当のベトナム人は迷彩パターンの細かな違いなど気にしておらず、本来ベオガムはフロッグスキンやパラシュート生地も含めたダックハンター系迷彩の総称だそうです。


・Da Cọp (ザーコップ):虎皮
・Rằn Ri (ザンズィー):縞柄
・Sóng Biển (ソンビェン):波
・Bông TQLC (ボン テークィエルセー):海兵隊迷彩
「タイガーストライプ」系迷彩は、ベトナム語ではその模様を「虎」、「縞」、「波」に例えた名前で呼ばれています。
またベトナム海兵隊がこの迷彩を開発・着用した事から「海兵隊迷彩」とも呼ばれています。
なお当ブログでは、海兵隊の正式な迷彩服と、それを米軍や民間メーカーがコピーしたものとを区別するため、便宜的に前者を「ザーコップ」、後者を「タイガーストライプ」と分けて呼んでいます。


・Bông Huyết(ボンヒュエット):ヒュエット迷彩
ウィンドプルーフ生地の「SAS」系迷彩は、ベトナム料理の定番食材ヒュエット(血のプディング)」に例えられます。赤黒い模様の部分がヒュエットの色にそっくりなのはもちろん、なんだか緑色や薄茶色の部分も含めて、この迷彩全体がヒュエット入りのサオザヘー(野菜炒め)ブンボーフエなどの料理を連想させる気がします。
ちなみに僕はベトナム料理全体には抵抗ありませんが、もともとレバーの味・臭いも無理なくらいなので、このヒュエットも食べられません。


・Hoa Rừng (ホアズン):森林迷彩
・Bông Dù (ボンズー):空挺迷彩
「ERDL」系の迷彩は、その見た目から「森林/ジャングル」に例えた名前で呼ばれます。
また英語圏では、ベトナム国産ERDLパターン(図の一番右)は「レンジャー部隊(BĐQ)の迷彩」というイメージで呼ばれますが、ベトナムではERDL系は総じて「空挺部隊()の迷彩」と認識されているようです。


・Nho (ニョー):ブドウ
「ミッチェル」は、見たまんま、ブドウの葉の事です。


・Hoa màu đất (ホアマウダット):土色模様
「クラウド」系、つまり米軍リバーシブル迷彩のミッチェルの反対面、およびその柄から派生したベトナム国家警察の迷彩は、その色から「土」に例えられます。


  


2020年12月20日

ĐLCHのリーフ迷彩服リプロ

ベトナムのĐồ lính Cộng Hòa (以下ĐLCH)というグループが、ぱっと見良さげなベトナム軍国産リーフ迷彩服のレプリカを発売したので、試しに上下1セットを10月末ごろに注文してみました。
しかしその後、1ヶ月も音沙汰がないので「いつ送るの?」とメッセージしたら、「ゴメン、送るの忘れてた!」だって。おいおい。
でも、その後1週間しないうちにちゃんと届いたので、半年も送ってこないEAよりはマシ。


感想としては、全体的にはここ最近立て続けにベトナム国内で発売された国産リーフ迷彩レプリカの中では一番出来が良いものだと思います。
欲を言えば、茶色と黒の部分がもっと濃い色だったら文句なしでした。
裁断は、普通の迷彩服型(2ポケット・肩当・エポレットつき)と思いきや・・・


なぜか背中側には、4ポケット型が備えるウエスト調整ストラップも付いています。
このストラップとボタンは、2ポケット型としては不適切なので取ってしまった方が良いです。

でも僕は前々から4ポケット型のリーフ迷彩服も欲しかったので、せっかくストラップも最初から付いている事だし、この服は肩当とかエポレットを取り外して4ポケット型に改造しちゃう事にしました。
またやる気が出たら、徽章を付ける前に、色を少し暗めに染めたいと思います。

4ポケット型上衣および下衣(カーゴポケットつき・ベイカーポケットなし)
1973年頃にベトナム共和国軍共通の作戦服用裁断として制式化され、一般部隊(カーキ単色)・エリート部隊(迷彩服)ともに使われた、ベトナム戦争末期を代表する裁断です。

4ポケット型リーフ迷彩服を着用する陸軍空挺師団第5空挺大隊の将校たち。終戦の20日前、1975年4月10日撮影



おまけ

今実家を建て替えているので、引っ越しの為荷物を整理しています。
この際、要らない物は可能な限り捨てようと思っているので、子供の頃から取っておいたプラモデルや模型もほとんど捨てるか、売ってしまうつもりです。
でも、もう要らないとは言え、自分で作ったプラモデルにはそれなりに思い出があるので、捨てる前に写真だけ撮っておきました。

こちらは小学生の時に作ったBB戦士。



武者頑星刃(ガンセイバー)をベースに、他のガンプラの部品を色々くっつけてカスタムしました。

当時、バンダイだかコミックボンボンだかの企画で、子供たちが作ったガンプラを多方向から撮影して疑似3D化し、画面上で対戦させるという、現実版ガンダムビルドファイターズみたいなイベントがあったんです。
それが地元のジャスコの屋上で開催されたので、僕はこのガンプラを持ち込んで参加しました。
出場できたのはとても嬉しかったのですが、「撮影した画像をコンピュータが分析して自動的にステータスを算出する」ことで強さが決まるシステムだったので、子供ながらに、「どういう根拠でこのステータス決められてるんだよ」と納得いかなかった記憶があります。
今考えると、AIはもちろんインターネットすら一般には普及していなかった時代ですから、「コンピュータが分析」なんて子供騙しもいいところだよね(笑)
また地元のおもちゃ屋のガンプラコンテストにも出品し、しばらくシューケースに飾ってありました。賞はもらえませんでしたが、店に飾っておるというだけで嬉しいものです。

そんな思いでに浸ったところで、ゴミ箱にポイ。
いいんです。モノは所詮モノに過ぎません。
真に価値あるものは、あの時得た感動や興奮などの経験でしょうから。
  


2020年12月12日

ベトナム海兵隊のインシグニアについて その1

先日の記事『新作シーウェーブ』で紹介したIllusion militaria製ザーコップ迷彩作戦服にパッチを縫い付けました。
設定は1967~1971年頃の海兵師団第2海兵大隊所属の兵卒です。



ついでに、それぞれのインシグニアについておさらいしていきます。

インシグニア① 海兵隊部隊章

僕は以前このブログで、左袖の海兵隊部隊章のデザインが普通の縦型(通称 前期型)から角ばった盾形(後期型)に変わった時期は、海兵旅団が師団に昇格した「1967年」と書いたり、いややっぱり「1970年代初頭」だったと書いたり二転三転してきましたが、ついに「1971年11月」であるという確度の高い情報が得られたので、この場で訂正いたします。
つまり、いわゆる後期型の部隊章が使われているのは、実質的には1972年以降と考えて良いと思います。


なお、通称 前期型の部隊章が制定されたのは、海兵隊が独立した兵種となった1960年と言われ、実際1960年代のごく初期に撮られた写真にもこのパッチが写っているので、このデザインの採用自体はおそらく1960年で正しいのだろうと思います。
しかし、実はこのパッチは採用後、しばらくの間普及しておらず、採用から5年も経った1965年頃にようやく使用例が「復活」し始め、翌1966年頃から海兵隊全体で使われるようになったように見受けられます。
なので1960~1965年の間は、部隊章が存在していたにもかかわらず、その使用例はほとんど見られません。


インシグニア② 海兵隊胸章

胸章右胸ポケットに縫い付けられるパッチです。
これは何かの部隊章や資格章ではなく、全海兵隊員が佩用する共通のインシグニアで、言わばベトナム陸軍空挺師団の隊員が左胸に付ける『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)と似たようなものです。
そして海兵隊には、以下の2種類の胸章が存在していました。


胸章が採用された正確な時期は長らく把握できていなかったのですが、他の研究者の方々から情報を頂き、最初に胸章が制定されたのは、1966年頃である事が分かってきました。実際、1965年以前の写真に胸章の使用例は見られません。
また最初に採用されたスクロール付きの複雑なデザインのパッチは、1966年中のわずかな期間しか見られず、遅くとも翌1967年には、よく知られている丸形のデザインに変更されたようです。


つづく
  


2020年12月12日

レプリカ英雄章飾緒

先日、ベトナム軍の『英勇章飾緒(Dây Biểu Chương "Anh Dũng Bội tinh")』のレプリカの新製品が発売されたので、さっそく注文してみました。
飾緒の詳細については過去記事『英勇章部隊感状と飾緒について』参照

さっそく実物と見比べてみます。
左が実物(ペンシル欠損)、右が今回のレプリカ



こうして並べてみると、紐の赤い模様の部分の色が薄く、どちらかと言うと赤よりもピンク色に見えます。
しかし実物も日焼けして色落ちする事はよくあるので、単体で見れはほとんど気にならないレベルだと思います。

また、この新レプリカの一番素晴らしい点は、おそらくレプリカとして初めて、紐の太さ・長さがほぼ実物通りに再現された事です!

左から実物、新レプリカ、従来のレプリカ



見ての通り、従来のレプリカは太さ長さ共に実物の1.5倍ほど大きく、再現度的にはあまり良くない物でした。
それが今回のレプリカでようやく、実物とほとんど同じ寸法で再現されたのです。ありがたい事です。

ちなみにうちの実物の英勇章飾緒は、買った時点でペンシルが無くなっていたので、何かサイズの合う代用品はないかと長年探していました。
そこで、今回の新レプリカは付いているペンシルのサイズも丁度良いので、これを外して実物のレストアに使ってしまおうと思ってます。
んで、うちには英勇章飾緒とは別にもう一本、『保国勲章飾緒 (Dây Biểu Chương "Bảo Quốc Huân Chương")』の実物があるので、それに付いてるペンシルから型を取り、プラリペアで複製した物を、その新レプリカに取り付けようと考えています。
どうせレプリカなので、見た目さえ悪くなければペンシルの素材はプラスチックでも何でも良いです。
また作る物が増えちゃって、いつやる気になるか分かりませんが…  


2020年12月07日

友人からの依頼

カリフォルニアでベトナム軍リエナクト(主に陸軍第5歩兵師団)をやっているベトナム系アメリカ人の友人から、チームの初心者に当時の軍装を解説するために、君のイラストを使わせてもらえないか?と問い合わせがありました。
もちろん二つ返事でOKしましたが、彼のチームはうちら日本のグループと同じく、1950年代~1975年まで幅広い年代をリエナクトの対象としているので、イラストも時代ごとに再編集しておきました。


1960年代初頭に導入(1)



1960年代初頭に導入(2)

 

1960年代中盤に導入



1960年代終盤に導入 

 

1970年代に導入




ちなみに今回のイラストは第5歩兵師団をテーマとしていますが、他の空挺やレンジャー、海兵隊といった即応(機動歩兵)部隊も、徽章や迷彩服が異なるだけで、個人装備に関してはこれとほとんど同じです。


おまけ

彼らカリフォルニアのグループはFANK(クメール国軍)も好きという事なので、僕が自作したクメール陸軍第23旅団第294大隊のパッチ&鉢巻きを使ってくれています。
これでうちのチームも含めると、最低でも世界で5人は294大隊のコスプレしている事になります。いつか全員集合したいなぁ~


ウソみたいだろ。二人ともROTC出た予備役将校なんだぜ。それで
  


2020年11月22日

新作シーウェーブ

先日香港のIllusion militariaから発売されたベトナム海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服のレプリカがついに手元に届きました。
今回モデルアップされたのは数あるザーコップ系迷彩の中でも、1967年頃から海兵隊で支給が開始された、通称『VMD/シーウェーブ』パターンです。
ちょうどこのパターンが導入された直後に、海兵隊はマウタン1968(テト攻勢)やカンボジア進攻など有名な激戦に投入されました。
そのせいか、シーウェーブは(アドバイザーを除き)アメリカ軍には使用されていない割にはマニアの間でも比較的人気の高いパターンの一つであり、過去に何度もレプリカが販売されてきました。
そこで今回は、某豊〇氏の協力を得て、シーウェーブの実物、過去のレプリカ、そして新発売のイリュージョン製を比較してみました。



まず古いレプリカから。
たぶん、ずいぶん前にフランスのコレクターグループが製作したものだと思われます。
その後、このレプリカのパターンをコピーしたものが中国やアメリカ、ベトナムなどで生産されました。
(コピーからのコピーを繰り返しているため、最新のベトナム製は、もはやまったくの別物になり果てています)


ぱっと見の雰囲気は悪くないのですが、こうして実物と見比べてみると、パターンの一部が再現しきれず、それっぽく想像で描いている事が分かります。


そして次が、今回発売されたイリュージョン製。


パターンに大きな欠損はなく、ほぼほぼ再現されています。
黒縞の色はけっこう青っぽいですが、こうして実物と見比べない限りは、そんなに気になるレベルではないと思います。
またレプリカの生地は大抵厚くなりがちですが、こちらは実物とほぼ同じか、若干薄いくらいペラペラで良い感じです。


またボタンも、さすがに低品質な当時物のようなバリは無いものの、厚さや色合いは忠実に再現されており、とても雰囲気が良いです。



いや~、これは買って良かったです。
まだこの服に付ける徽章が揃ってないので、縫い付けは後日のお楽しみ。


ベトナム海兵隊隊歌『海兵隊行進曲』

  


2020年10月18日

トゥドゥックの作戦服 その2

トゥドゥックの作戦服 その1の続きです。

途中何度も失敗を繰り返し、試行錯誤しながら、やっと完成にこぎつけました。
失敗した分まで載せてると長くなるので、最後にたどり着いた方法だけ記事にします。


エポパテで作った原型を瞬間接着剤で土台に固定



これを100円ショップで買える『おゆまる』で型取り。



真鍮線を曲げ、服に取り付けるためのピンを作る。



型にプラリペアを流し込み、硬くなる前にピンも埋め込む。



硬化後、型から取り出すとこんな感じ。



バリや厚くなり過ぎた部分をヤスリで成形し、Mr.メタルカラーのゴールドを筆塗り。



さらに乾燥後、電動ドリルの先に不織布(使い終えたマスクの切れ端)を取り付けて磨き、金属光沢を出す。 
台布を取り付けて、襟章が完成。



服に襟章を取り付け、ボタンをクラッシファイド製ベトナム軍ボタンに交換したら完成です!!!



さっそく家の中でセルフィー


士官候補生と言えばだいたい18歳~20代前半なので、それに合わせて携帯の美肌加工で若返り。
34にもなって学生は無理があるかなと思い始めたけど、でも実年齢通りにしたら世の中のナム戦マニアの大半は高級将校や最古参の下士官しかできず、兵卒がいなくなってしまいます。
なのでこの趣味やってる人の心は皆、永遠の20代。それでいいのです。
  


2020年10月18日

100均ミニスモーク

自作の士官候補生階級章は、思ったより手間がかかっており、まだ完成していませんが、その間片手間で別の工作をしていました。

先日、仕事帰りに100円ショップのダイソーに寄ったら、良い小瓶、と言うか良い「アルミ蓋」を見つけました。2個セットで100円です。


これを見た瞬間、ある物が思い浮かびました。
そう、米軍SOG、およびSOG指揮下のベトナム軍NKTコマンド部隊御用達の超小型発煙手榴弾、通称『ミニスモーク』です。



このアルミケースは、形だけなら似たようなものがいくらでもあるのですが、
ミニスモークの代用に使えるような小さいサイズの物は、何年探しても見つかりませんでした。
それが今回偶然、蓋だけとは言えサイズ・形状がそっくりな物が手に入ったので
さっそくミニスモークを自作する事にしました。
なお、僕はこれをコスプレ時のアクセサリーとしか考えていないので、
最初から精密に再現する気も、お金をかける気もありませんでした。

まず、蓋と同じような太さのプラスチック製ボトルを切って接着。
最初は同じくダイソーで売っていたデオドラントローションのボトル(直径33mm)を使いましたが、
いざ蓋に付けてみたら思ったより太かったので他の物を探したところ、
家にあった親の白髪染めのボトル(31.5mm)が丁度良かったです。
これを目分量で切って、ダイソーのホットボンド(200円)で蓋に接着。



そしてプラスチックの部分を、これまたダイソーのアクリル絵の具(銀色)で筆塗り。


どう見ても同じ素材には見えませんし、ケース上部のリブも再現できていませんが、
どうせリグに取り付ける時はビニルテープで巻き付けるのでほとんどテープで隠れてしまい、
下の部分がちょっと見えるだけなので、僕的にはこの程度で十分です。

以上、『ダイソーから始まったのだからダイソーで終わらせる』と半分意地になりながら作ったミニスモーク制作記でした。


  


2020年10月06日

トゥドゥックの作戦服 その1

涼しくなってきたので久しぶりに軍服制作を再開しました。
今回新しく作る服は、ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生(SVSQ TB)です。
トゥドゥックの軍装は、既に夏季準礼服を持っていますが、今回は訓練時に着用する作戦服(野戦服)を再現しようと思います。
素材は1200円で買った中古の米軍ユーティリティユニフォームのシャツ(OG-107、1964年タイプ)。
この服自体、今となっては希少な物ではありますが、ボタンが欠損している上に丈も短く改造してあったので、コレクションやビンテージ的な価値は低いと見做されてこの値段になったようです。
僕としても良い状態の服を改造ベースにするのは忍びないですが、これならば遠慮なく使えます。

まず手始めに、手持ちの自作プリントパッチとネームテープを縫い付け。


左胸のテープは所属する教育隊を表していると考えられますが、この士官候補生のテープの色は(名前・部隊共に)、白やオリーブグリーンの他、黒地に赤や黄で刺繍されている例も多く見られ、期や隊ごとに異なる色が用いられていたようです。
この辺の細かい事はまだ把握できていないので、今回はとりあえず簡単に作れて無難な配色である白地黒プリントにしておきました。

次に、今回一番重要な士官候補生の階級章の制作に進みます。
(正確には『士官候補生(SVSQ)』は『階級』ではないけど、便宜上階級章と呼びます)
士官候補生の作戦服用の階級章は、陸軍将校と同様に、両襟に付ける正式な(作戦服用なのでこれ自体略式の一種ですけど)と、胸に一つだけ付ける略式の2種類が存在しました。

 

当時の写真を見ると、野戦訓練時であっても襟に付けるタイプの階級章を付けている事が圧倒的に多いので、
僕も今回は襟タイプを付ける事にします。

実は、この襟用予備士官候補生階級章は、NCHSINCさんでレプリカが販売されています。
しかし片方で25ドル、両襟だと50ドルはちょっとお高い。
いや、出来は良いのでこれを買っておけば間違いないのですが、
貧乏性の僕はつい、「こんなの自分で作っちゃえばいいじゃん」と思ってしまったので、今回は試しに自作してみます。

さっそくタミヤのエポキシパテで粘土細工開始。

 

そのままだとベタベタしていて細かい部分の形状が作りにくかったので、僕が中学生の頃に買った20年もののKSC製シリコンオイルスプレーを吹きました。


そして細かい部分は書類用のクリップで造形しました。


しかしこれが簡単そうに見えて、いざやってみると、なかなか納得いく形状になりません。 何度も作り直しをしました。


そして乾燥後、さらにヤスリで形状を整えて、ようやく及第点に至ったのが右の物。
これと同じ形状の物をもう一個作るのは無理ですし、服に留めるためのピンも付けなければならないので、
これを原型として形取り・複製しようと思います。

つづく・・・


おまけ

先日、アメリカのNKTおじさんから日本でのお使いを頼まれました。
ダニエルおじさんの義理の妹で、NKTおじさんの友人でもある女性が東京でベトナム料理店を経営されているのですが、
彼女が近々誕生日を迎えるので、自分の代わりに花束を注文してくれないか?と頼まれました。
もちろん快く引き受けてネット注文できるお花屋さんを検索してみましたが、カレンダーをよく見たらその日は日曜だったので、
配達と言わず、僕が花を持って直接出向けばいいではないかと気付きました。
僕も2年くらい彼女の店に顔を出してなかったので、ちょうどいい機会です。
そして当日、NKTおじさん分の花束と、僕からのプレゼントを持ってお店に直撃。


実は当日の朝、NKTおじさんは彼女と電話で話したそうですが、
僕が行く事は最後まで黙っていたので、まんまとサプライズが成功しました。
お二人ともに喜んで頂けて僕も嬉しいです!
  


2020年08月15日

ベトナム戦争期の56式/K-56

 ベトナム戦争中、ベトナム共産軍(人民軍・解放民族戦線)は中国から莫大な数の中国製カラシニコフ=56式自動歩槍の供与を受け、ベトナム語名称『K-56自動小銃(Súng trường tự động Kiểu 56)』の制式名で長年に渡って使用してきました。そしてその後ベトナム戦争が終結し、中国との戦争を経た現在でも、いまだに大量の中国製56式/K-56がベトナム人民軍で現役で使われています。

▲ベトナム戦争中、ベトナム共和国軍が共産軍から押収した56式自動歩槍の山(看板の文字は『中共自動小銃K-56の意)

 ところで、中国製の56式自動歩槍には、大きく分けて2つの世代がある事が知られています。一つは、ソ連製AK-47(III型の面影を強く残す切削加工レシーバーの前期型。もう一つが、ソ連がAK-47の改良型であるAKMを開発した事に伴い、それに倣ってレシーバーをAKM風のプレス加工にした後期型です。この後期型56式が登場したのは1960年代中頃と言われていますが、正確な時期は分かりませんでした。

56式自動歩槍前期型(上)と後期型(下)の比較


 ここで僕が前々から気になっていたのが、この後期型56式もベトナム戦争で使われたのか?という点です。最初に述べたように、56式は延べ数十万丁が中国からベトナム共産軍に供与されているため、戦後に撮られた写真には、後期型56式の使用例がいくらでも見られます。

後期型56式を構えるベトナム人民軍兵士(写真:Báo Lao Động)

 しかし、ベトナム戦争が終結する1975年より前の写真では、僕が確認している限り共産軍の使用している56式は前期型だけであり、後期型の使用例は一例も見た事がありません。後期型が登場したのが1960年代中頃だとするなら、時期的には後期型もベトナムに送られていて当然のような気がしますが、不思議な事にそういった例は今のところ確認できていません。
 これは私の推測ですが、もしかしたら当時中国は自軍の56式を旧型(前期型)から新型(後期型)へと置き換えている最中であり、これによって余剰となったお古の前期型56式をベトナム共産軍に援助物資として送っていたのではないでしょうか?56式には、あの特徴的な銃剣をオミットした輸出型も存在していますが、ベトナム共産軍に供与された56式の大半は輸出型ではなくスタンダードな中国軍モデルなのも、これらが最初からベトナムへ供与するために製造されたのではなく、中国軍のお下がりだったからなのかもしれません。
 また銃と同様に、56式用のマガジンポーチ(弹匣袋)も、ベトナム戦争中における使用例は金属製コキカンを備える初期型しか僕は確認できていないので、これもベトナム向けに製造されたのではなく、中国軍のお下がりだったのかもしれません。
 まるで兄の服のお下がりが弟にまわってくるような話ですが、実際中国共産党とベトナム労働党(現共産党)は第2次大戦中から兄弟政党みたいなものなので、さもありな話です。
 また中国以外も同様で、元々ろくな産業の無い北ベトナムや、反政府ゲリラである解放戦線の資金力など微々たるものなので、本来ならベトナム共産軍には、アメリカを相手に15年も戦争を続けられるような国力・経済力はありませんでした。しかしそれでも戦争を行えたのは、ベトナム共産軍が東西冷戦を背景とした対米代理戦争の実行役となった事で、ソ連を中心とする世界の共産陣営が兵器や物資をじゃんじゃん支援してくれたからでした。


うちのトイガン

 近年リアルソードやガーダーから56式自動歩槍の電動ガンが発売されていますが、残念ながらこれらは後期型を再現したモデルであり、上記の通りベトナム戦争期の時代設定で使うには根拠が乏しいと思っています。なので僕は東京マルイのスタンダードAK-47に、56式コンバージョンキット(メーカー失念)のバレル・フロントサイトのみを組み込んで前期型56式を再現した物を使っています。またハンドガードとグリップは木製、レシーバーも金属製に変えてありますが、刻印までは再現していません。
 なおNKTやLLĐBといったベトナム共和国軍特殊部隊では、兵士の外見や銃の発砲音を共産軍のように偽装するため、敵から鹵獲したAK-47や56式が多数使用されましたが、こういった部隊では56式に搭載されているスパイクバイヨネットは不要と見做され取り外されている場合が多いので、うちの56式もバイヨネットは外してあります。

▲うちの初期型56式風電動ガン

バイヨネットが取り外された初期型56式を使用するNKTコマンド雷虎SCU (MACSOG Ops-35 C&C部隊)隊員



まとめ?

 これだけ書いておいて言うのもなんですが、ベトナム戦争では共産軍・米越政府軍ともに、ソ連製AK-47(あるいはほとんど同じ外見の北朝鮮製58式自動歩槍等)もかなり多数使っているので、実は56式を使う事にこだわる必要など全く無く、むしろ無理やり後期型の56式を使うくらいなら、市販のAK-47をそのまま使った方が考証的にはよっぽど正しいという点を申し添えさせて頂きます。
  


2020年08月06日

タイ製ARVNラックサック

僕の持ち物ではないのですが、タイに住むベトナム共和国軍リエナクターの友人が、彼のコレクションの中から興味深い写真を送ってくれたのでご紹介します。



ARVNラックサック

今回はタイ製ARVNラックサックの話なのですが、その前に、こんなブログをやっていながら未だにオリジナルのARVNラックサックについて書いた事がなかったので、軽くおさらいしておきます。
ARVNラックサックとはその名の通り、ベトナム戦争期のベトナム共和国軍で用いられた代表的な背嚢です。
このARVNラックサックは、アメリカ陸軍の装備開発機関ナティック研究所が1960年代前半に、同盟軍であるベトナム共和国軍の戦力増強を目的として開発した軍事支援物資の一つであり、1964年末よりベトナム軍への本格的な支給が始まり、以後1975年の終戦まで10年間に渡って歩兵の基本装備として大量に用いられました。
なお『ARVNラックサック』は単なる通称ではなく、この背嚢を開発・生産したアメリカ軍での正式名称も『Rucksack, ARVN』であり、またアメリカ政府の予算で生産された為、8465-782-3133というFSN(連邦備品番号)も付与されています。

▲納品時に付くARVNラックサックの製品タグ

なお、過去記事『ARVNとは?』で書いたように、当時ARVNとはベトナム共和国軍全体ではなく、陸軍のみを指す言葉でした。
したがって海兵隊や地方軍も陸軍同様ARVNラックサックを支給されていたものの、これらの組織は陸軍には属しておらず、ARVN(陸軍)ラックサックという名称は支給対象を正確に反映したものではありません。
ちなみに1970年には、アメリカはARVNラックサックと同じくベトナム軍向け援助装備として、米軍3/4カラー・M69ボディーアーマーのサイズをベトナム人の体格に合わせて全体的に縮小したボディーアーマーを生産・供与しますが、その名称はARVNではなく、ベトナム共和国軍全体を意味するRVNAFを取り入れ、3/4カラー・ボディアーマー(RVNAF)』となっています。



タイ製ARVNラックサック

ここからが本題のタイ王国製ARVNラックサックについてです。
第2次大戦後、東西冷戦を背景にタイ軍はアメリカによる軍事支援によって増強され、タイはアメリカを盟主とする反共軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)およびFWMAO(自由世界軍事支援機構)の主要構成国となっていました。
ベトナム戦争にアメリカが本格参戦すると、タイもこれに同調して1967年から1972年までベトナムへの大規模派兵を行い、最終的な派兵兵力はオーストラリアを上回り、アメリカ・韓国に次ぐ第3位のベトナム駐留外国軍となりました。
こうした立ち位置から、当然タイ軍の装備は他の親米諸国と同様に、そのほとんどをアメリカからの供与品およびその国内生産品が占めており、その中には米軍がベトナム軍支援のために開発したARVNラックサックも含まれていました。
ただしタイで生産されたARVNラックサックの中には、ベトナムに供与された物とは明らかに異なる仕様の物が存在していたようです。
以下、友人が所有するアメリカ製(左)・タイ製(右)ARVNラックサックの比較です。

ポケット側に違いはほとんど見られません。

 
大きな違いは背中側にあります。
まず、オリジナルには無い、X型フレームのクロス部分を覆う布が追加されています。このフレームは四隅をストラップで締め上げる事でフレームを弓上に反らせ、背嚢本体が背中に当たることを防ぐ(腰と両サイドの縦ストラップだけが身体に触れる)ための物なので、正しい使い方をすればこのような保護布を付ける必要は無いはずなのですが・・・タイでは不評だったのでしょうか?
また背嚢そのものの寸法もおよそ1.5インチ(3.8cm)ほど縦長に延長されているそうです。


タイ製ARVNラックサック派生型

ベトナム戦争期に導入されたARVNラックサックはタイ軍でもなかなか好評だったようで、戦後も様々な派生型が生産されました。
しかし、上記のベトナム期モデルではフレームを覆う布が追加されたように、X型フレーム自体は嫌われたらしく、戦後の派生型には最初からフレームが備わっていません。

①タイ国境警備警察ラックサック

全体の構造はオリジナルのARVNラックサックとほぼ同じですが、X型フレームは廃止され、背中側の構造がシンプルになっています。
 

②タイ軍予備役将校訓練軍団学生ラックサック

素材がコットンに代わってナイロン製となっています。こちらもフレームは備わっていませんが、上の国境警備警察の物とは違って、フレームを覆うカバーのドットボタンや縦に縫い付けられたテープはオリジナルのARVNラックサックの面影を残しています。

学生ラックサックの現用モデル。
タイ人には悪いですが、これをバンコクの軍装品店で見た時は、「いつまで使ってるんだよ!」と吹き出してしまいました。(笑)
もちろんデジタル迷彩になる前のウッドランドっぽい迷彩の物も売っています。
米軍ナティックが最初にARVNラックサックを開発してから今年で56年。
それほどナティックの設計が素晴らしかったと言えなくもないだろうけど、実のところは、何十年もこの形の背嚢を使ってきたので、単に「予備士官候補生といえばこの形!」と形式化しているだけのような気がしなくも無いです。
いつもタイで遊んでくれる友人達も、ミリタリー好き+兵役が嫌という理由で、学生時代に予備役将校の訓練を受けており、みんなこの背嚢のお世話になったそうです。(予備役将校になると兵役抽選が免除になる)
普通のタイ人にとっては何の変哲もない背嚢ですが、ナム戦好きの友人たちの間では、「うちの国いまだにARVNラックサックなんですけど」とネタにされていました。
  


2020年07月11日

シルク織りパッチ改造

 すでに数年前にはほとんどのインシグニアを作成、縫い付け終わっていたのに、1枚だけ手に入らないパッチがあり作成途中になっていた服がありました。目標としている服の設定は、1967~1968年頃のベトナム陸軍第5マイクフォースです。
 第5マイクフォースのパッチはレプリカが沢山販売されているのですが、僕が欲しいのは上側に"MIKE FORCE / AIR BORNE"のタブが付いていないシンプルな細身タイプのシルク織りパッチであり、この仕様は何年も探しましたが、いまだにレプリカが製造された事はない模様です。

市販のタブ付きタイプのレプリカ(左)とシンプルタイプの実物(右)

※その他のマイクフォースの部隊章については過去記事『続・マイクフォースのパッチについて』参照

恐らく今後もシンプルタイプのレプリカが発売される見込みは無いので、自分で作る事にしました。
とは言え、シルク織りパッチを業者に頼む場合、数百枚単位で作る事になりますが、そんなに作ったところで誰も買わないのは目に見えているので、あくまで自分用として、市販のタブ付きタイプのレプリカをベースに改造しました。

最初は余分な部分をマジックで塗ろうとしましたが、思った以上にインクが滲んだので却下。
次に、必要な部分のみマスキングテープで覆って、その外側をスプレーのつや消しブラックで塗りました。
思い付きでやった割には上手くいったと思います。
さらに弩(石弓)の弦の部分もマスキングしてスプレー塗りし、あとはいつも通り裏地をあてて服に付いつけました。
なおシンプル細身タイプでは、米軍から授与されるAIR BORNEタブは後付けとなります。


今回の改造品(左)、実物(右)
ぱっと見、違和感なく仕上がったかと思います。
あくまでインチキな改造品ですが、無い物ねだりしてても始まらないので、とりあえずは形になって良かったです。



こうして念願の第5マイクフォース一式が完成!
服はMASHのシルバータイガー。ベレーはメーカー不明
胸の徽章は昔作った自作のCIDG階級章です。

 マイクフォースと言えばエアボーン、ヘリボーンによる強襲任務に特化した空中機動CIDG部隊として有名ですが、中でも第5マイクフォースは1967年4月のハーヴェスト・ムーン作戦、翌5月のブラックジャック作戦という二つの作戦において、計800名以上が戦闘空挺降下を行った実績を持つ、ベトナム戦争を代表する空挺部隊の一つでもあります。


▲降下訓練中の第5マイクフォース隊員(1967年頃)
最終的な目標はこのスタイルなので、残すはT-10パラシュートだけとなりました・・・
  


2020年06月28日

ベトナム空軍K-2Bフライトスーツ

ヒューストン製K-2Bフライトスーツ風カバーオール2着にベトナム空軍のレプリカパッチを縫い付け完了。まだ完成とはいきませんが、とりあえず形にはなりました。

第23戦術航空団第518飛行隊 A-1攻撃機パイロット


第23戦術航空団第522飛行隊 F-5戦闘機パイロット


二つとも同じ第23戦術航空団(ビエンホア基地)所属部隊です。
この航空団を選んだ理由は、彼らがベトナム空軍の中でも精鋭揃いの部隊であったこともありますが、どちらかと言うと単に、航空機の胴体に描かれるチェッカー模様の航空団マーキングがカッコ良くて好きだからだったりします。



フライトスーツの色について

1960年代以降、ベトナム空軍では主に米空軍が開発したK-2Bタイプのフライトスーツが使用されましたが、オリジナルの米国製K-2Bの生地色がオレンジとセージグリーンの2色なのに対し、ベトナム空軍では以下の種類の使用が確認できます。

ベトナム空軍で使用された各色K-2B。左からセージグリーン(グレー系・オリーブ系あり)、ERDL(グリーンリーフ)迷彩、ブラック、オレンジ
写真:
Khoá 7/68 KQ

つまり迷彩とブラックは明らかに米国製ではなく、少なくともこの2種はベトナム国産と考えられます。
このうち迷彩の方は個人購入の非正規品(テーラー製)と思われますが、一方でブラックはベトナム空軍の公式なフライトスーツ色であった事が当時の被服規定から確認できます。

『Huấn Lệnh Điều Hành Căn Bản (ベトナム共和国軍総参謀部編 基本執務指令1969年版)』より


また同資料によると、ユーティリティキャップ(Mũ Lưới trai)も、空軍では航空機搭乗員に限らず野球帽型のブラックと規定されていました



この黒いフライトスーツ・キャップの発祥については、派手好きで知られる当時の空軍司令官(後の副総統)グエン・カオ・キ少将が導入したものという説を聞いた事がありますが、まだ確かな情報はつかめていません。

黒いK-2Bを着て視察を行うグエン・カオ・キ少将と妻のドン・ティェット・マイ・レ夫人
  


2020年06月22日

BĐQヘルメットの変遷


ベトナム陸軍レンジャー部隊(BĐQ)と言えば、ヘルメットに描かれた部隊のシンボル『黒虎*』の顔が印象的ですが、部隊の歴史全体を通して見ると、実はあの黒虎ペイントは一時的なものでした。今回はレンジャー部隊が使用するヘルメットの変遷を紹介します。

※『黒虎』について
英語では『Black Tiger (黒虎)』と呼ばれますが、僕はこの記事を書くまで長年、「どう見たって虎じゃなくて黒豹じゃん。どうせアメリカ人が豹と虎を誤訳したんだろう」と思い、あえて『黒豹』と呼んできました。しかし今回改めて調べてみたら、ベトナム語表記も同じく『Cọp đen (黒虎)』でした。なんでも黒虎は古くから中国・ベトナムの伝説に登場する神聖な生物であり、現実にもメラニン色素の異常により全身の毛が黒くなる虎が稀に存在するそうです。ベトナム軍に関する記述において「英語は信用できない」という思い込みが強すぎましたね。いや、お恥ずかしい。素直に反省します。

中国で生まれた黒の赤ちゃん。よく見ると薄っすら縞模様があります。


さて、以下本題のBĐQのヘルメットを、大きく4つの時期に分けて解説します。

①1958*-1962年頃:ペイント無し
特別な塗装の無い、M1系ヘルメットを着用
ただしこの時期は作戦中もベレーが主に着用され、ヘルメット使用例は僅か。

撮影:1962年5月

※独立した兵種(Binh Chủng)としてのBĐQの設立は1960年だが、BĐQの前身の『BĐĐ (Biệt Động Ðội)』小隊は1958年に発足した。


②1962-1964年頃:迷彩ペイント期
1962年下旬からヘルメットに迷彩塗装が始まる。(1962年9月にレンジャー中隊が特別大隊に拡大した事に関係か?)
ただし無塗装のままや、ベレー着用も多い。

撮影:1962年10月


1965-1971年頃:黒虎ペイント期
1965年初頭から、迷彩ペイントに加えて、レンジャー部隊のシンボルマークである『黒虎』のペイントが、多くのレンジャー大隊で始まる。

Newswek 1965年2月掲載

ただし部隊によっては迷彩ペイントのみや無塗装、パラシュート迷彩生地改造ヘルメットカバーの着用が続く。
また1968年からは、先に海兵隊で導入されていた米軍リバーシブルヘルメットカバーの使用がBĐQを含む陸軍部隊にも広がる。

撮影:1968年


④1971-1975年頃:黒虎ペイント廃止
1971年頃に黒虎ペイントが廃止され、以後は迷彩塗装や各種ヘルメットカバー使用のみとなる。

撮影:1971年1月

また1972年以降は空挺部隊・海兵隊と同様に、ベトナム国産リーフ迷彩ヘルメットカバーの支給が進む。

撮影:1973-1975年頃

このように、BĐĐ時代から数え17年間存在したレンジャー部隊の歴史のうち、黒虎ペイントが行われていたのはその1/3ほど約6年間のみ。しかもその期間中も黒虎ペイントを行っていない、またはカバーを被せているため見えない部隊は幾つもありました。
ヘルメットの黒虎ペイントに関しては、僕が2016年に米国カリフォルニア州の『ベトナム共和国軍史資料館(Museum of History of the Republic of Vietnam Armed Forces)』を訪問した際に、元レンジャー将校の方からもお話を伺いました。

タン・テュウ・タイ中尉(写真中央)は戦時中、第9レンジャー大隊で中隊長を務めていましたが、黒虎ペイントについては
「あのペイントは嫌いだ。ただの良い的だった。あれのせいで兵士が大勢死んだ」
と嫌悪感を露わにしていました。
1960年代中盤まではレンジャー部隊の任務は国内のゲリラ掃討が主だったため、黒虎ペイントは戦意高揚や威嚇のためにあえて目立つよう塗られていたのでしょうが、60年代末からは共産軍の組織・武装が一層強化され本格的な戦争に突入していったため、タイ中尉の証言のように、ただ目立つだけの黒虎ペイントは現場の兵士から忌諱されるようになり、70年代には完全に廃止された模様です。


おまけ話

実はタイさん、レンジャー将校になる以前は空軍パイロットだったという異色の経歴の持ち主です。
タイさんは少年時代から飛行機が好きで、成長するとパイロットを目指して士官学校に入学し、苦学の末に晴れて空軍のO-1観測機パイロットとなります。
しかしタイさんのお母さんは、息子がパイロットという危険な仕事をする事に猛反対しており、終いには「パイロットを辞めないなら私が自殺する!」と大騒ぎになったそうです。
タイさんは泣く泣くパイロットの職を辞しましたが、一度将校として祖国に忠誠を誓った身である以上、戦時下に自分の命を惜しんで軍を去るという事はどうしても出来ず、タイさんは空軍から陸軍へと転属を願い出ます。その後タイさんはレンジャー課程を修了し、陸軍レンジャー将校として再出発する事となりました。
危険だからとパイロットを辞めさせた息子が、さらに危険なレンジャー隊員になった事で、お母さんはまた「自殺してやる!」と大騒ぎを始めましたが、今度ばかりはタイさんも折れる訳にはいかず、必死の説得の末、なんとかレンジャーで働く事を認めさせたそうです。
戦争だけでも大変なのに、そんな苦労まであったんですね。『人に歴史あり』とは言いますが、こんな話が聞けるとは思ってもみなかったです。アメリカまで足を運んだ甲斐がありました。
  


2020年06月15日

週末の工作

再度、70年代迷彩ヘルメットの再現にチャレンジ中。

以前『ヘルメット塗装の実験』で塗ったレンジャーのヘルメットは、スモークの効果を試す役割を終えたので、再度実験台になってもらいます。


ペイントリムーバーで塗装全落とし。水性の塗料はがしなのでお風呂場でやっちゃいました。

 
下地が結構強力で完全には落ちなかったけど、上から塗り直しするので問題ありません。


今回はプラモデル用の塗料ではなく、当時と同じようにペンキで塗っていきます。
さて、どうなる事やら。


さらに同時並行で、自分用にこんなのも作っています。

前々から温めていたAR-15モデル601再現計画を本格始動。
(上の写真はオリジナルのコルト製ではなく、Brownells社製の5.56mmNATO対応版リプロ実銃)
いろいろ自作しなくてはならない部品が多いですが、今の時代は無料の3D制作ソフトでデータを作って、DMMの3Dプリンターで出力できるそうなので、重い腰を上げて制作をスタートしました。
こういう外観上の部品だけでなく、既製品のフラッシュハイダーを取り付けるためのスペーサーなど細かいワンオフの部品も、自分で設計して1,000円以下で作れましたから、スクラッチの敷居がだいぶ低くなりましたね。
  


2020年06月08日

リュックのコキ交換

今日は空気がからっとした初夏の晴天
こんな気持ちの良い日は、ラックサックの改造がしたくなりますよね。

僕が高校生の頃に買った、UENS☆DAY製リプロのインディジナスラックサック(当時は「インディジナス」なんて呼び名は知られておらず、「LRRPリュック」で通っていた)
生地がトラックの幌用の帆布で出来ているので、硬さがあってとても雰囲気がいいです。

しかしこのリプロを企画した当時、ベルトを留めるコキ(アジャスターバックル)だけはどうしてもオリジナルと同形状の物(板コキ/角板送り)手に入らなかったらしく、一般に流通している線コキが使われています。
このコキは、いつかリアルなものに交換しようと考えてはいたのですが、コキを交換するためには一度リュック本体に縫い付けられたベルトを取り外し、再度縫い直す作業をしなければならず、それを面倒くさがっているうちに、あれよあれよと15年が経ってしまいました

しかし最近の僕は何かに憑りつかれたように、今まで後回しにしてきた軍装品改造を片付けているので、この勢いでインディジナスラックサックのコキ交換もやってしまいます。

材料となる板コキ(角板送り)はネット通販で簡単に買えました。ニッケル仕上げだったので、サンドペーパーで艶消ししてからスプレーブラッセンで黒染め。


今回は硬い帆布に分厚い織ベルトを縫い付けるので、家庭用ミシンでは歯が立ちません。
レザー用のロウ引き糸と、ごん太縫い針で手縫いしていきます。


一旦ベルトを外して、新しいコキに替えてまた縫い付け。
バッグが縫えるような工業用ミシンがあれば他愛のない作業なのですが、これが手縫いとなると話は別です。生地やベルトが硬いのなんの。指ぬきを使っても、指先が痛くなります。この作業を計7カ所やらなければなりませんでした。
昔NSドイツのコスプレやってた頃、LSSAH儀仗隊の白革装備を手縫いで自作した事がありますが、縫い穴を開けてから糸を通すレザークラフトの方がまだ楽でした。


肩ひもは分厚くて幅も広いので、この2個だけ大きいサイズの板コキを使っています。


こうして指の痛みと戦いながら、なんとか7個全てのコキの交換を完了。俺は満足だった。


今のきもち

  


2020年06月06日

迷彩ヘルメット塗り直し

以前、『迷彩ヘルメット塗装』にて、迷彩の塗り方をいろいろ試行錯誤したものの、やっぱり気に入らないので、塗り直す事にしました。




ペイントリムーバーで塗装をドロドロに溶かして剥離


防さび+下地処理のためメタルプライマーを塗布


今回も下地はMr.カラーの『艦底色』をスプレーで塗布

これから迷彩部分を塗っていくわけですが、今回はただ塗り直すだけでなく、リエナクトで使う際に仲間内で迷彩柄を統一できるよう、この迷彩ヘルメットを量産する事を目標とし、その方法を見出す実験も兼ねています。

しかし考えれば考えるほど、迷彩ヘルメットの量産は容易い事ではありませんでした。なにせヘルメットは全体が曲面で構成されていますから、単純にステンシルを使う事が出来ないのです。
マスキングテープを使うにしても、多数の形状の迷彩模様をいちいち切り出し、塗っては剥がし、使い捨てにするのは、非常に手間がかかるし効率も悪いので、とてもやる気になりません。
効率と仕上がりの点で最も望ましいのは、パソコンで描いた迷彩柄をプリントして水圧転写することなのですが、自分でやるにはA4サイズのシートでは小さすぎる上に、上手くやるには慣れも必要で、大して手間の削減にはならなそう。また業者に頼むとコストが高すぎて量産は難しい。
という訳で、自宅で出来るもっと手軽な方法を考えた末、思いついたのがゴムシートによるステンシルです。

 
ホームセンターで1mm厚のゴムシートを買ってきて、迷彩模様の穴を開け、針金ハンガーに取り付けています。
ゴムシートなら曲面にピタッと押し当てて密着させる事が出来るし、ハンガーを曲げて形を合わす事も出来る。我ながら名案じゃ!
・・・と思ったんです。


しかし結果はこの通り、大きい穴では全然密着させる事が出来ません。
また小さい穴なら密着させる事ができたものの、残念ながらヘルメットは完全な球体ではなく、リム部分が出っ張っているため、その部分に密着させることは不可能でした。
もう、これ以上なにも思いつきません・・・

という訳で、結局ステンシルは諦めて、素直に筆で手書きする事にしました。
色は、前回のように複雑に調色してしまうと量産する際に再現できないので、市販の『よもぎ色』をそのまま使用しました。


『よもぎ色』の上に『ブラック』を重ね塗り。この手の手書き迷彩に正解なんて無いので、当時の画像を見ながらフィーリングで塗っていきます。


迷彩を描き終わったら、『ヘルメット塗装の実験』の際に発見した秘密道具、タミヤの『スモーク』をスプレーして明度・彩度を下げていきます。
重ね塗りする度に良い感じになってはいるのですが、4回噴いてもまだ僕が求めている「くすみ具合」には辿り着かず、ここでスプレーの中身が空になりました。結構消費するなぁ。スプレー1本分くらい使う必要があるかも知れません。


しかも最後まで使ったらスプレー内の溶剤がプシュッと飛び散り、無残な事に。やっちまった・・・
まぁこのヘルメットは自分用の実験台だし、どの道後で泥で汚してリアル・ウェザリングするつもりだったので、そのままにしちゃいます。
次に他の人の分を作る時は気を付けます


2020年6月7日追記

さらにスモークを重ね塗りして、ここまでツヤと色のくすみを出したら完成。


スモークを吹く前と比べてみると、その効果は一目瞭然。
すでに塗装済みのヘルメットを持っている方も、スモークを吹くだけでグッと雰囲気が良くなるので是非(自己責任で)お試しあれ。
  


2020年06月02日

SOME SUNNY DAY その3

その3 1965~68年頃のCIDGキャンプストライクフォース



今回僕が着ている服は、『おもいでのダクツタイガー』でレストア・改造した、懐かしのタイガー・ストライプ・プロダクツ社製リプロ。
靴は民生品のフランス軍風ブーツ(黒)を、MDAP長丈黒キャンバスブーツっぽく改造したもの。
実は当日、スリングを自作したHT-1無線機も持参したのですが、うっかり車から降ろし忘れてしまい、写真にはほとんど写っていません。

なお実際には、1964~65年以降のCIDG部隊が着用する帽子は、タイガー戦闘服と同時に支給されるブッシュハットが圧倒的に多いのですが、今回はちょっと洒落っ気を出してベースボールキャップを被っています。
CIDG役をやる時はいつも悩むのですが、まず本来、考証的にはブッシュハットが正しいです。しかしいざブッシュハットを被ってみると、なんだか自分が「米兵のコスプレをしている日本人」に見えてしまうのです。
タイガーストライプは本来CIDG向けに生産された同盟軍支援物資であり、米軍SFやLRRP、レンジャー、SEAL隊員らはあくまで特殊作戦従事者だからという理由でこの非米軍被服の着用を黙認されていただけ(それでもMP的には気に食わない)なので、この服装を米軍のものと考えるのは本末転倒だと頭では分かっているのですが・・・
僕自身、この趣味の入り口は米軍LRRPであり、米兵役がやりたくてタイガーやインディジナスラックサックを買い揃えた訳で、その時に出来上がってしまったイメージは、こんなに長い事ベトナム軍装に浸かっているのに、いまだに払拭できていません。
このイメージ問題、そろそろ自分の中で決着をつけねばなりませんね。改めて自分自身納得のいくCIDG軍装を考えていきたいと思います。