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2025年03月07日

ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1発売

※2025年3月8日更新
※2025年3月9日更新
※2025年3月24日更新
※2025年3月25日更新

この度、わたしく森泉の初の同人誌『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を発売することになりました。
思い返せば2019年頃に同人誌を作成中と宣伝しておきながら、その後やる気がなくなり6年近く放置してしまいました・・・。
しかし今年2025年はベトナム共和国建国70周年、ベトナム戦争終結50周年という節目の年である事から、なんとしてもこの本を世に出すべく、今年に入ってから本気で作業を再開し、なんとか完成させました。

内容としては、第一次インドシナ戦争中の1949年に創設されたベトナム国衛兵隊時代から、1975年のベトナム戦争終結までのベトナム陸軍歩兵部隊・空挺部隊・レンジャー部隊・海兵隊の軍装の変遷・野戦服・野戦服用徽章・小火器・個人装備を解説したものです。
初心者にも分かりやすい入門書となる事を目指し、イラストをメインにA4サイズ・フルカラー76ページで構成しています。
掲載イラスト数:軍装例38点、小火器52点、個人装備145点、戦闘服・帽子53点、徽章および着用位置318点
※数が多いので数え間違いがあるかも知れません。参考程度に考えてください。


ご購入はヤフオク、BOOTH、PayPal決済、銀行振り込みから可能です。
※初回予約特典のネームテープは終了しました。

価格は4,510円(送料無料)になります。

※ヤフオクのみ匿名配送可です。


※支払い時に郵便番号、住所、氏名をご記入ください。

③銀行振り込み https://forms.gle/gDYfdFbTEfs3tBvV9
※こちらのフォームから郵便番号、住所、氏名をお送りください。振込先をメールで返信させて頂きます。
  


2024年11月27日

VMX/初代タイガーストライプ発売!!!

※2024年12月01日更新
※2025年3月24日更新
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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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ベトナムのĐLCHから、TTA47裁断のザーコップ(VMXパターン)迷彩服のレプリカが発売されました!
分かりやすく言うと、ベトナム海兵隊が1957年に開発した、一番最初のタイガーストライプです。
その後現代まで70年近く続くタイガーストライプ迷彩の歴史はこの服から始まりました。
この服自体はベトナム戦争が始まる以前の50年代末のベトナム海兵隊でしか使っていない服なのでレプリカなんて望めないと思っていましたが、出ちゃいましたよ。まさかこんな日が来ようとは!

【関連記事】
海兵隊ザーコップ迷彩について:https://ichiban.militaryblog.jp/e1084861.html
ベトナム海兵隊の歴代戦闘服:https://ichiban.militaryblog.jp/e1136674.html




この服が使われた当時、まだ海兵隊全体を示す部隊章は制定されていなかったので、左袖には『第1上陸大隊(Tiểu Đoàn 1 Đổ Bộ)』部隊章のレプリカを縫い付けています。


第1上陸大隊の部隊章は中央に「赤い星」がデザインされていますが、これは海兵隊の前身の一部となったフランス植民地軍コマンドス・ノルト・ベトナム(北ベトナムコマンド)の部隊章から継承されたもので、その後1960年にアメリカ海兵隊のEGA(鷲・地球・錨)の意匠を取り入れた新徽章がベトナム海兵隊章として制定された後も、赤い星は海兵隊のシンボルとして受け継がれていきます。


世界的に「赤い星」は共産主義のシンボルとされていますが、なぜかベトナムの場合は共産主義とは見なされず、むしろ反共主義の軍隊の部隊章に使われ続けたのは面白いですね。  


2024年09月21日

調査中の制服・徽章(第一共和国期)

※2025年3月14日更新


以下の組織の制服・徽章類については資料が少ないため、当時の写真等から得られる断片的な情報を地道に集めていくしかない状態が続いています。
なので、まとめと言える状態ではないですが、もしかしたら広い世の中には同じ分野に興味を持っている人が誰か居るかもしれないので、今現在分かっている事を公開してみます。

①保安民衛局(Nha Bảo An và Dân Vệ)

保安民衛局はベトナム共和国内務省内の民兵部門で、1955年から1964年まで全国に民兵組織『保安隊(Bảo An Đoàn)』と『民衛隊(Dân vệ đoàn)』を擁しました。
その後、これらの民兵組織は1964年に国防省に移管され、『地方軍(Địa Phương Quân)』および『義軍(Nghĩa quân)』へと発展。それらを統括する『地方軍・義軍本部(Bộ Tư lệnh Địa phương quânn-Nghĩa quân)』が設置されました。
(地方軍発足以降については過去記事『地方軍』参照)


▲保安民衛局徽章

保安民衛局の帽章

▲保安民衛局職員の制服
肩章に保安民衛局の徽章、加えてもう一つ星が付いているので、これは階級章と思われますが、この写真以外にはまだ何の情報もありません。



②公安警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Công An)

1955~1962年まで、ベトナム警察は『公安警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Công An)』の下部組織であり、その公安警察総局では警察とは異なる独自の制服・徽章が着用されていました。

▲公安警察総局職員の制服
肩章には何かケバケバしい模様とCACS(公安警察)の文字が刺繍されています。
この模様の部分は、人によってデザインが違うように見えるので、もしかしたらこの模様で階級を示しているのかも知れません。
しかし、こちらもまだまともな資料を見た事ありません。

参考までに、同時期(公安警察総局隷下)のベトナム警察の制服と肩章・帽章はこちら


その後、1962年に公安警察総局は解体され、新たに『国家警察(Cảnh Sát Quốc Gia)』へと改編されます。これ以降、すべての警察組織の制服・徽章は統一されます。



③右側飾緒

こちらはベトナム軍で第一共和国期(1955-1963年)のみ着用例が見られる飾緒です。
通常ベトナム軍で用いられる飾緒は左肩の英勇章部隊感状のみであり、この右側飾緒については何の資料も見当たりません。

 

とは言え、上の写真のように、右側飾緒の着用例が見られるのは大礼服や準礼服のような礼装の時のみであり、またデザインも英勇章部隊感状のような等級別に分かれたものではなく全て同一の金色に見えるので、この飾緒は単なる礼装用の装飾のように思えます。
しかしそうだとすると、今度はなんでジェム政権崩壊後には(国内では)一切見られないのか、という疑問も湧いてきます。(同様に詰襟の陸軍大礼服もジェム政権崩壊後に姿を消す)
もしかしてこれら詰襟大礼服や右側飾緒はジェム総統からの表彰を表すものだったりして?だからクーデター後の新政権下で着る訳にはいかなかったのかも?
想像は膨らみますが、所詮は推測なので、引き続き調べていきたいと思います。

右側飾緒に関する追加情報があります→続・右側飾緒の謎』
  


2024年06月22日

シーウェーブ塗り終わり


前記事

2020年に購入したIllusion militaria製ベトナム海兵隊ザーコップ迷彩4th(VMD/シーウェーブ)レプリカの色が気に入らなかったので、2022年1月から全ての黒い模様を油性ペンで塗るという地獄の塗り絵大会を始めた訳ですが、それがようやく完了しました。
前回同様一人で完成させる根性が無かったので、今回も引き続き友人に手伝ってもらいました。
なお今回はカラオケボックスの中で作業し、一人が塗ってる間、もう一人が歌を唄う写経&念仏スタイルを取り入れました。
二人で同時に塗るより作業スピードは落ちますが、ひたすら黙って作業するより、はるかに気が楽でした。
そうして購入から4年の時を経てようやく満足できる状態になった服がこちら。


手前味噌ですが、この世に存在するレプリカの中で最もリアルな見た目だと自負しております。
塗るのと塗らないのとでは、このくらい色が違います↓


メーカーは自社製品の間違いを認めることが出来ず、こういう青いシーウェーブも有ったと必死にアピールしていますが・・・。
そりゃあ、めちゃめちゃ探せば、そういうイレギュラーもあるのかも知れませんが、基本は無いです。
シーウェーブの黒は、青味の無い純粋な黒。色落ちしても青くならず、グレー系に薄くなるだけ。


ところで、この2年間ダイエット生活をしているお陰で、体重は最大時より11kg減、BMIは24.2にまで下がりました。(ついでに健康診断も全部A判定になった)
実はダイエットを始める前は、ウエストが太くてこのシーウェーブのパンツを履けるか怪しかったのですが、今なら余裕です。
やはり軍装趣味最大の敵は体脂肪。歳とって代謝が下がったせいで、運動しても思ったように体重は落ちません。
最も痩せていた状態に戻る事はもう一生無いのかも知れません。
それでも運動しなければ太る一方なので、なんとか年齢に抗っていきたいと思います。
  


2024年04月23日

ベトナム戦争末期の海兵隊

※2025年3月24日更新

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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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日曜日に友人とプチ撮影会を行ってきました。

先月の撮影会では1960年代前半のベトナム海兵隊の衣装を着たので、今回はそれから時を10年進めて、1973~1975年頃の海兵隊(第5海兵大隊)です。


3年近く前に作ったっきり着る機会の無かったハンティングウェア改造のTCU型ザーコップ(5th/レイトウォーラージ・パターン)をようやく着ることが出来ました。
【製作記】



上着を作った時点ではパンツを持っていなかったので、それも自作するしかないと思っていましたが、その後幸運にもギリギリ履けるサイズの実物(カーゴ型)パンツが手に入りました。生地はリップストップです。



キャップもリップストップ生地のものです。
最近作られた物でない事は確かなのですが、古い時代のレプリカは出来が良いので真贋はよく分かりません。


※海兵隊ザーコップの分類と裁断については過去記事『ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類』参照
  


2024年04月21日

VIPの謎服

ベトナム陸軍の歴代の制服については過去記事『ベトナム陸軍の制服 1949-1975』でまとめましたが、今回はそういった一般的な制服ではなく、一部の重要人物だけが着用している特殊な制服・徽章についてです。
とは言え、特殊なだけあってなかなか資料が見つからないので、詳しい事は何も分かりません。今回はただ、こういうのも有ったよと紹介するだけになります。


グエン・フク・バオ・ロン皇太子の大礼服


バオダイ(保大帝)の長男である皇太子グエン・フク・バオ・ロンが、ベトナム国軍陸軍士官候補生時代(撮影は1953年以前)に撮られた写真です。
制帽の帽章のデザインはベトナム陸軍なので、これがベトナムの軍服である事は間違いないのですが、他の士官候補生による着用は一例も見られないので、この服は皇太子バオ・ロン専用にデザインされた礼服のようです。
またこの写真の撮影地は不明ですが、当時バオ・ロンはフランスのサンシール士官学校に留学していたので、もしかしたらこの服もフランスで製作された可能性があるかも知れません。

なお父のバオダイが1955年にゴ・ディン・ジェム首相のクーデターでベトナムから追放されたため、バオ・ロンは父と共にそのままフランスに亡命します。
その後バオ・ロンは自分をフランス陸軍将校として採用するようフランスに要求しますが、フランス政府はバオロンを外国籍と見做し、正規のフランス軍人とは認めませんでした。
(かつてはベトナム等の植民地出身者も準フランス国民と見做され、ド・ヒュー・ヴィ大尉等、正規のフランス軍将校として採用された例はありました。しかし1954年のジュネーブ協定でベトナムは植民地ではなく、完全に対等な「外国」という扱いに変わっていたため、バオ・ロンについても外国人と見做されてしまいました。)
しかしそれでもサンシールでの士官教育を修了したバオ・ロンの経歴は高く評価され、特別に外人部隊の将校として採用されます。そしてバオ・ロン外人部隊の機甲偵察部隊指揮官としてアルジェリア戦争に出征し、いくつもの武功を上げる事となります。



グエン・カイン大将の大礼服


グエン・カン陸軍大将が1964年にクーデターで政権を握り、自らを国家元首「国長」に定めた後に着ている礼服です。
一見すると1963年頃まで使われていた通常の陸軍大礼服に似ていますが、上着に襟章は付かず、胸ポケットがあり、海軍の白詰襟のようなスタイルです。またパンツも白色となっており、明らかに通常の大礼服とは異なります。



チャン・ゴック・タム中将のベレー章


このベレー章もチャン・ゴック・タム中将一人しか着用例が見られません。
この写真の撮影年はタム中将が第3軍団司令だった1964年4月から10月の間と思われ、その時期はちょうど軍上層部同士でクーデターが乱発されていた時期なので、その政変の中で制定され消えていった短命な徽章だったのかもと推測していますが、正確な事は何も分かりません。



グエン・バン・テュー中将の襟章


グエン・バン・テュー中将が軍事政権のトップにいた1967年頃にだけ着用している襟章です。
しかし、1969年発行の軍装規定書では、この徽章は「陸軍将官徽章」とだけ記載されています。
これでは着用例がテュー中将ただ一人、しかも1967年頃限定でしか見られない事と大きく矛盾します。
せっかく一次史料があるのに、それが現実と矛盾しているとか、勘弁してよ~face07

なおテュー中将は1965年にクーデターでグエン・カイン大将を追放し政権を握った軍事政権の長であった一方、国民および(西側)国際社会からの支持を得るには議会制民主主義と文民統制の形式が必要と考え、1967年には自ら軍を辞職し、一政治家に転身して、1963年のゴ・ディン・ジエム政権崩壊以来途絶えていた総統選挙を実施します。
その結果テューは総統に当選し、以後ベトナムは共産軍との激しい戦いを抱えながらも、同時にテュー政権の下で民主化と経済発展を進める「第二共和国」時代を迎えます。
  


2024年03月17日

左側テープ

※2024年3月17日更新
※2024年3月18日更新
※2024年3月23日更新
※2024年4月12日更新

過去記事『ベトナム軍のネームテープ』で、「一部の例外を除き、左胸ポケット上にはテープは付きません」と書きましたので、今回はその一部の例外である左側のテープについてです。

※空挺部隊のみネームテープが左側に付きますが、今回テーマにするのは、通常の「右側にネームテープが付く場合」の左側の(名前ではない)テープについてです。


I. 公式な物

①教育隊
教育隊で訓練中の兵・下士官・士官候補生では、左胸にその教育隊内での受講生番号(Danh số Khóa sinh)*や教育隊・受講課程名が入ったテープが着用されました。
※学校での出席番号のようなもので、軍人としてのID=軍籍番号(Số Quân)とは異なる

例1:ダラット ベトナム国家武備学校

▲E24154は「士官課程第24期E中隊154番」の意


例2: クアンチュン訓練センター

▲A1B056は「クアンチュン教育隊A群第1大隊B中隊056番」の意


例3:ドンデー軍校および各訓練センター

▲部隊名は入らず受講生番号のみのパターン


例4:砲兵学校

▲CBSQは「Căn Bản Sĩ Quan(士官基礎)」課程の意と思われる。


②部隊独自に設定
基本的に教育隊以外で左側にテープが付く事はありませんが、稀に部隊毎に何らかの規定(役職)を左側テープで示す場合がありました。
しかしそれらは末端の部隊毎に独自に設定された物なので、資料が残っておらず、そのほとんどが詳細不明です。

▲地方軍将校の例


II. 非公式な物

以下は全て、兵士個人がアメリカ軍のスタイル(左胸の軍種テープ)を真似て自費でオーダーメイドした非公式な軍種テープの例です。個人が勝手に作った物なので、軍装としての意味は特にありません。また使用例も極めて稀です。

例1: TQLC: Thủy Quân Lục Chiến (海兵隊)



例2: HQVN: Hải Quân Việt Nam (ベトナム海軍)



例3: VNARMY: Việt Nam Army (ベトナム陸軍)

▲こちらは"ARMY"と英語表記になっているので、マニアによって「米陸軍付き通訳者と思われる」と解説される事があります。そうかもしれませんし、そうでないかも知れません。上で述べたようにこれら軍種テープは個人製作の非公式な物なので、テープと実際の役職を結びつける規定は何も存在しません。


例4: VNNAVYViệt Nam Navy (ベトナム海軍)

▲こちらは米海軍PBR部隊に出向しているベトナム海軍軍人です。アメリカ人が理解できるよう"NAVY"と英語表記になっています。


例5: VIET NAMViệt Nam (ベトナム)

▲こちらは軍種ではなく、単に国名=ベトナムとだけ書かれている、特に珍しい例です。
  


2024年03月06日

ベトナム海兵隊の歴代戦闘服

※2024年3月18日更新
※2024年11月28日更新
※2025年3月24日更新
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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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過去記事『ベトナム空挺の歴代戦闘服』の海兵隊版を作りました。
なお服のカットの名称については過去記事『ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類』参照


1954年~1960年代初頭:仏軍TTA47系
1954年にベトナム海軍麾下の陸戦コマンド部隊として第1海軍歩兵大隊(後の海兵隊)が発足してからしばらくは、フランス連合期にフランスから供与されたTTA47系戦闘服が海兵隊で着用されました。


▲実物のTTA47/52軽量型上衣


1957~1963年頃:ザーコップ(1st/VMX)
1957年頃、海兵隊の制式迷彩として、ベトナム初の国産迷彩であるザーコップ(タイガーストライプ)が開発されます。服のカットは仏軍「TTA47/52型」が主でしたが、1958年頃には2ポケット「肩当て型」も登場しています。



1958~1965年頃:カーキ(オリーブグリーン)
陸軍と共通のカーキ(オリーブグリーン)作戦服です。裁断は「肩当て型」と、肩当てを排した「簡略型」があり、海兵隊では1960年代前半まで着用されました。



1962~1968年頃:ザーコップ(2nd/VMS)
1962年頃に登場したザーコップの新色バージョン(パターンは1stとほぼ同じ)です。「肩当て型」、「エポレット型」に加えて、1964年には「迷彩服型」も登場します。




1964~1969年頃:ホアズン(初期ERDL/インビジブルリーフ)
1948年に米軍ERDLで開発された迷彩パターンは、当の米軍で採用される事はなかったものの、その生地は1964年以降アメリカからベトナムへと輸出され、ベトナム軍空挺、レンジャー、海兵隊などのエリート部隊共通の迷彩服となりました。なお空挺、レンジャー部隊では「空挺型」が主でしたが、海兵隊では「迷彩服型」も散見されます。




1966年~?:ザーコップ(3rd/VMS亜種)
1966年には2nd/VMSのパターンを一部変更したザーコップ迷彩服が登場します。

当時の写真では2ndと3rdは見分けづらいのですが、徽章の年代的に恐らく3rdと思われる写真


1967~1975年:ザーコップ(4th/VMD)
1967年にそれまでのVMS系ザーコップからパターンを大きく変更した4th/VMDが登場します。裁断は主に「迷彩服型」です。




1967~1970年頃:ホアズン(66年型ERDL/グリーンリーフ)
米軍は長年放置してきたERDL迷彩を1966年に改良し、自軍の熱帯戦闘服(TCU)に採用するとともに、1967年にはベトナム軍に供与する迷彩生地もそれまでのインビジブルリーフから、この新型(66年型)/グリーンリーフに切り替えます。裁断は主に「迷彩服型」です。


▲東京ファントム製レプリカ


1968~1975年:ホアズン(ベトナム国産ERDL/パステルリーフ)
ベトナム軍は1968年に米国製のERDL迷彩を国産化し、以後グリーンリーフはこの国産迷彩服/パステルリーフに更新されていきます。裁断は当初は「迷彩服型」で、1973年頃から「4ポケット」や「TCU型」も加わります。




1973~1975年:ザーコップ(5th/レイトウォーラージ)
1973年頃にはタイで生産された民生タイガーストライプの一種である「レイトウォーパターン」がベトナムに逆輸入され、ベトナム海兵隊の制式迷彩(5th)として広まりました。裁断は「迷彩服型」、「4ポケット」、「TCU型」のいずれも見られます。




  


2024年02月24日

VMSっぽい服

※2024年2月25日更新
※2025年3月24日更新
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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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2024年2月23日に投稿した同名の記事の中で、かなり大きな勘違いを載せてしまっていたので、あらためて書き直します。

最近ベトナムのĐLCHが、ベトナム海兵隊ザーコップ迷彩の中でも1962年頃に登場した「2nd/VMSパターン」と称する服を発売したので、試しに買ってみました。
なお通常ラインナップでは「迷彩服型」で販売されていますが、今回僕は特注で「肩当て型」を作ってもらいました。

(海兵隊ザーコップの分類と裁断については過去記事『ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類』参照)


ぱっと見悪くないと思います。
パターンを実物の2nd/VMSと比べてみるとこんな感じ。


パターンを印象付ける黒い模様の部分は7割くらい再現できている気がします。でも他の色の部分は完全に架空のデザインです。
ま、ĐLCHの製品はとにかく値段が安い事が取り柄で、レプリカとしての再現度は期待できないと分かった上で買ったので、そんなに不満はありません。
「VMSの代用品」としては十分なので、コスプレ撮影用に使いたいと思います。


これまでベトナム海兵隊ザーコップのレプリカと言うと「4th/VMD」ばかりで、その他のパターンはなかなか商品化されてきませんでした。
そんな中、数年前に韓国の業者が恐らく史上初のVMSのレプリカを発売しましたが、あちらはパターンはちゃんとしているのに色を大失敗していたため、僕は買いませんでした。
そして今回のĐLCH製も、色はともかくパターンの再現が中途半端。
VMDに関してはイリュージョンフォクフンから、それなりに再現度の高いレプリカが発売されましたが、VMSで決定版と言える製品はまだ存在していません。
例の韓国の業者が同じパターンで色だけ修正して再販してくれたら最高なのですが・・・。なんか自信満々で、自分の間違いを認める気はなさそうなんだよな・・・。


なお今回、僕はこの服を1962~1965年頃の設定で着るつもりなので、今のところインシグニアは一切付けないつもりです。
海兵隊の各インシグニアの導入年は、次のようになっています。
・左袖の海兵隊部隊章:1960年(実質1965年)
右胸の大隊色ネームテープ:1963年
・右胸の胸章:1966年
・右袖の大隊章:1967年?

海兵隊部隊章については、1960年に採用されたものの、実際に普及し始めるのは1965年頃です。
同様にネームテープ1963年にはすでに着用例があるものの、1960年代中盤までは着用が徹底されていませんでした。
なので1965年までは、作戦服に何のインシグニアも着用していない将兵が大勢見られます。

1965年の『南ベトナム海兵大隊戦記』で有名な第2海兵大隊第2中隊長グエン・バン・ハイ大尉も、インシグニアを着用していません。

また過去記事『レプリカ海兵ベレー』で書いたように、この年代に合わせた海兵隊兵卒ベレー(1956年~1966年頃)はすでに準備済みです。



振り返ってみれば、東大で南ベトナム海兵大隊戦記を鑑賞してから12年。ようやく、その年代の海兵の軍装が揃いました。
春になったらさっそく撮影会で着たいと思います。
  


2024年01月16日

最近行った場所

日曜日にビクトリーショウに足を運んできました。
お目当てはこちらの展示。



デスボランティアさんが所蔵する超貴重なコレクションの数々です。鼻血が出ちゃいます。
米国カリフォルニア州ウェストミンスターにはベトナム共和国軍史資料館という私設博物館があり、私は2回訪問しているのですが、迷彩服に限って言えば、こちらの展示の方が凄いです。
いや見に行って良かったぁ~face05


また順番は前後しますが、最近、成田空港の隣にある航空科学博物館にも行ってきました。
なんとベルX-1(XS-1)1号機『グラマラス・グレニス』のコックピット部分の実物大レプリカが展示されており、中に入る事ができました。
館内にはゼロ戦のコックピットもあったけど、映画『ライトスタッフ』が好きな僕的にはX-1の方が燃える!


僕は昔は飛行機と言えば軍用機しか興味ありませんでしたが、度々海外旅行で旅客機に乗るようになってから民間エアラインにも興味が湧いてきて、ここ数年はYoutubeで、エアライン系フライトシムのゆっくり実況をやっているe92m3s65b40agogoさんの動画を毎回見ています。
これで多少はエアラインのコックピットでどのようなやり取りが行われているか知識が得られたので、その上で航空科学博物館の展示を見れたのはとても良かったです。
ちなみに僕、運行しているコンコルドに乗ったことはありませんが、ドイツのジンスハイム自動車・技術博物館に展示されている実機のコンコルドの機内・コックピットに入ったことがあるのはちょっとした自慢です。


  


2023年12月21日

ベトナム国産リザード

※2023年12月23日更新

以前、『おフランスのおべべ』で、下の2枚のリザード迷彩服の写真では、上着はフランス軍と同型のTAP47(左)およびTTA47(右)である一方、パンツはベトナム国産のベイカー型(米軍ユーティリティユニフォームの派生)が着用されていると書きました。

 
▲左:1963~1964年頃サイゴン、右:1963年11月サイゴン

さらに先日、上着も国産が有ったと断定できる写真が見つかりました。
ヒュエット(ブラッドケーキ)や初期ホアズン(インビジブルリーフ)といったベトナム国産迷彩服と同じ空挺型裁断です。(パンツは上の写真と同じベイカー型)


▲1968年サイゴン
リザードを着ている兵士が被っているのは鹵獲した共産軍のガスマスクだそうです。

という訳で、1960年代にはフランス製に加えて、ベトナム国産のリザード迷彩服が使われていたことがはっきりしました。
とは言え、確実にベトナム国産だと分かる(ベトナム国産迷彩服の裁断をしている)服の着用例は上に挙げた3例ほどしか確認できておらず、極めてレアなので、おそらく官給品ではなく個人購入品だったと考えられます。

またフランス軍型(TAP47およびTTA47)のリザード迷彩服は1950年代中盤から1960年代中盤にかけて大量に使用例がありますが、写真からではそれらの服がフランス製なのか、あるいは同じ裁断のままベトナムで国産化された物なのかは判断がつきません。
なので、もしかしたら、裁断はフランス軍型だけど実はベトナム製という物もあったかも知れません。

▲TTA47/52軽量型のリザード迷彩服を着ているNKT連絡部CCN司令ホー・チャウ・トゥアン少佐(1960年代末)
リザード系迷彩服は色落ちしやすいのにもかかわらず、フランス撤退から約15年経ってもこれだけ綺麗に色が残っているという事は、この服は貴重なデッドストックであったか、もしくはベトナム製コピーのどちらかと言えそうです。
  


2023年12月15日

軍警の制服

ベトナム共和国軍の軍警(いわゆる憲兵)の制服についてご紹介します。

関連記事:QC/軍警隊


I. 制帽

軍の司法機関としての役割を持つ軍警隊では、他の職種と異なり、黒色の制帽が制定されていました。なお帽章や帽子の形状は陸軍と同一です。
制帽は礼装用の帽子ですが、同時に軍警ではヘルメットライナーも礼装時に用いられました。使い分けとしては、純粋な礼装が制帽で、礼装しつつ警備活動する場合はヘルメットライナーと言った感じでしょうか。
なお軍警ではベレーは着用されません。




II.ヘルメット

軍警隊ではアメリカ軍のMPに倣い、QCのマーキングが施されたヘルメットが常時着用されました。

①ヘルメットおよびマーキングの種類


1. 黒いヘルメットライナーに白文字QC、紅白線
軍警を象徴する最も一般的なマーキング。礼装の際もこのライナーが着用される。

2. OD色ヘルメットシェルに白文字QCのみ塗装
軍警学校の訓練生で多用される。また普通の軍警隊や捕虜収容所の一部でも使用例あり。

3. ヘルメットカバーに黒文字QC
第202軍警中隊(海兵隊付き)や第204軍警中隊(空挺部隊付き)など、迷彩服を着用する軍警中隊が前線で活動する際に見られる。

4. ヘルメットカバーに白文字QC
捕虜収容所の一部で使用例あり。


②ライナー右側面


1. 叉銃とヘルメット
軍警隊で広く使われる最も基本的なマーク

2. 翼と星
空軍付きの各軍警隊で使われるマーク

3. 交叉した錨
海軍付きの軍警隊(第201軍警中隊)で使われるマーク

4. 軍警隊部隊章マーク
一例のみ使用例を確認。詳細不明。

5. 海兵隊マーク
海兵隊付きの軍警隊(第202軍警中隊)で使われるマーク

6. 空白
使用例は比較的多いが詳細不明。


③ライナー左側面



1. ローマ数字
軍警大隊の番号。

2. アラビア数字
(独立)軍警中隊および分遣隊の番号

3. 空白
稀に使用例があるが詳細不明。


III. 被服

被服に軍警専用の物は無く、基本的には陸軍と同一です。

①カーキ作戦服
陸軍・空軍の軍警隊が勤務時に着用する最も一般的な制服
▲左:陸軍、右:空軍

▲ベトナム戦争末期(1973-1975年頃)には、軍警隊でも一般部隊と同様に4ポケット上衣/カーゴポケット付き下衣が着用されるようになる。


②迷彩服(各種)
迷彩服が支給されるエリート部隊を担当する軍警隊では、その部隊に合わせた迷彩服が着用される。

▲第204軍警中隊(空挺部隊付き):ホアズン迷彩

第202軍警中隊(海兵隊付き):ザーコップ迷彩


③海軍勤務服(ブルーグレー)
海軍を担当する第201軍警中隊では、海軍の勤務服が通常勤務・礼装の両方で着用される。



④勤務服(チノ)
儀礼用の礼装。
▲左:陸軍、右:空軍


⑤儀仗制服(白)
儀仗専用の礼装。裁断は勤務服と同じ。


その他
金バックルのピストルベルトや革製装具、警棒等は軍警ならではのアイテムですが、資料がまだまだ不足しているので、今後の課題としたいと思います。
  


2023年12月09日

続・国家警察の赤ベレー

過去記事『不可思議な写真』の中で、マウタン1968(テト攻勢)時の写真には、ベトナム国家警察の迷彩服であるホアマウダット(クラウド)を着ているにも関わらず、ベレーは赤系色(陸軍空挺もしくはレンジャー)を被っている将兵の例が複数見られると書きました。



そして先日、その中の一人が特定できました。
下の写真の中央の人物は当時の国家警察総局総監グエン・ゴック・ロアン空軍少将で、その右側の赤ベレーの人物がグエン・トゥア・ズー(Nguyễn Thừa Dzu)陸軍中佐(当時少佐)です。


ズー中佐は元々、ダナンに駐屯する陸軍第11レンジャー大隊の大隊長でした。
この第11レンジャー大隊は1966年3月に発生した中央政府(グエン・バン・テュー政権)への大規模な反政府運動の際、テュー政権に反対する立場を取り、政府の統制から離反して反政府勢力の一部となってしまいます。このまま行けば再びの軍事クーデターに繋がりかねない事態を前に、テュー政権で国家警察総監を務めていたロアン少将(当時大佐)はダナンに赴き、直接ズー中佐の説得に当たります。その結果、ズー中佐は説得を受け入れ、第11レンジャー大隊は政府の指揮下に復帰。反政府運動は鎮静化され、テュー政権は崩壊をまのがれます。以後、ベトナムでは軍事クーデターにつながるような大きな政変は起こりませんでした。
その縁からか、ズー中佐は1966年中に、ロアン少将直属の第9警察管区司令に就任します。そのためマウタン1968(テト攻勢)では、サイゴン市街戦で指揮を執るロアン少将の傍らにズー中佐の姿が見られます。

このように、ズー中佐は国家警察に出向しているレンジャー将校なので、服は国家警察の迷彩服*1であるホアマウダットを着ていますが、同時にベレーだけは自身が所属するレンジャーの物を着用していた*2ようです。
※1:ホアマウダットは国家警察全体の迷彩服なので、主に使われるのは戦闘部隊である野戦警察隊だが、その他の部署でも必要に応じて着用される
※2:通常、軍人が国家警察に出向した場合でも、ベレーは国家警察のもの(黒色)が着用される。ズー中佐のように原隊のベレーを被り続けるのは、あくまで自身の我がままを通した一部の将校のみ。
  


2023年10月02日

シーウェーブ写経会

過去記事『シーウェーブ写経』で書いたように、香港Illusion militaria製のベトナム海兵隊ザーコップ迷彩4thタイプ(通称VMD/シーウェーブ)レプリカの黒い模様の部分をサインペンで塗りつぶす作業を2022年1月に始めた訳ですが、始めてみるとマジで精神力を要する途方もない作業だという事が分かりました。
そして作業の途中で僕の心はぼっきり折れてしまい、しばらく手を付ける事すらできなくなり、作業開始から1年8ヶ月経ってもまだ半分も進んでいないという状態でした。
しかし、このままでは一生完成しないので、先日一念発起して友人に助けを求めました。(一人で完成させることは諦めました)
そして日曜、朝10:30に友人宅に行き、二人で分担して塗り進む事となりました。


途中休憩を取りつつ、計7時間ほどひたすらこの作業を行いました。
しかし二人がかりで7時間やっても、結局この日の夜までに進んだのは全体の3/4程度まででした。まだパンツが片足分残っています。
当初は、この日のうちに上下全てを完成させるつもりでいたのですが、見通しが甘かったです。シーウェーブはそんなに優しくありません。
しかしそれでも、一人で黙って作業するよりかは、はるかに精神的に楽でしたし、彼の協力無しにここまで進む事は不可能でした。マジ感謝です。

そして18:30頃、作業を終えて夕飯を食べに出発。



協力してくれた友人を労い、ちょっと良い個室海鮮レストランでご飯を食べてもらいました。
さらにその後、スーパー銭湯でひとっ風呂浴びて解散。

服自体は完成しなかったけど、久しぶりに達成感を覚える、濃密な一日を過ごすことが出来ました。
  


2023年09月09日

黒キャンバスブーツのレプリカ発売。しかし・・・

かねてよりWhat Price Glory(以下WPG)で企画されていたMDAP黒キャンバスブーツのレプリカが発売間際のようです。



なお、このレプリカには米軍コントラクト/調達局コードスタンプも再現されているようで、そのコードは『DA-92-557』となっています。これは1965~1966年に日本(沖縄含む)で生産された事を意味します。

長年待ち望んでいた初のレプリカであり、宣伝写真からもなかり精巧に再現されている事が分かったので、発売を本当に楽しみにしていました。
そして先日、WPGの中の人に近い友人から価格や在庫数などの先行販売情報が回って来たのですが・・・
今回生産されるサイズは、7 1/2から13。僕の靴のサイズは7なので、7 1/2ならなんとか履けるのですが、その7 1/2サイズは、僕に話が回って来た時点ですでに予約満了でした。次に小さいサイズは8 1/2ですが、これでは大きすぎます・・・。

本来この靴はベトナム軍・ラオス軍向けの支援物資であり、アメリカ兵に着用される事はほとんど無かったのですが、今回レプリカを作るにあたっては大柄な欧米人マニアがターゲットにされたため、小柄なアジア人サイズは無視されてしまいました。くっそ~!

という訳で、僕にとっては『発売前に完売した』という事実が分かっただけで今回は終わりです。悲C・・・。
友人が、売れ行きが良ければ再生産もあるかも、と言っていたので、それに望みをかけるしかありません。

なお、物自体はかなり良さそうなので、サイズが合う方はこの機会に買っておく事をお勧めします。
(そして僕のために再生産につなげてください)
  


2023年08月18日

不可思議な写真

ほとんど予定が無い長い夏休み(超さみしい)を利用してパソコン内の画像データを整理していたら、軍装的に変な写真が何枚か見つかったので、以前から不思議に思っていた写真とまとめて記事にしてみます。

1. 写真館系

▲制服はドンデー軍校(下士官学校および予備士官学校)なのに、制帽がトゥドゥック歩兵学校
ドンデーとトゥドゥックは共に予備士官学校なので、その部分だけは共通ですが、学校の所在地や徽章は全く異なります。

制服はドンデー軍校なのに、制帽が空軍
また袖に付いている階級章が陸軍一等兵または中士(軍曹)なのも、空軍の制帽と組み合わせるのはおかしいです。

▲服は陸軍空挺部隊のリザード迷彩TTA47/52(軽量型)なのに、制帽及び階級章は空軍
基本的にベトナム空軍が迷彩服を着ることは、地上勤務者であってもほぼ無い(ただし迷彩生地のフライトスーツのみ存在)ので、すごく変です。

上記の3枚は、いずれも写真館で撮影されたものであるため、こうしたちぐはぐな軍装は、写真館の貸衣装を使ったことによる考証間違いではないかと僕は予想しています。
(当時は軍人以外にも、兵士の家族や恋人が貸衣装の軍服を着て写真を撮る事が多くありました。貸衣装軍服の例)


2.現場系


服は国家警察のホアマウダット(クラウド)迷彩なのに、ベレーが陸軍空挺またはレンジャー部隊
僕が確認している限りでは、1968年のマウタン(テト攻勢)のサイゴンでの市街戦の時の写真に数例見られます。
ただし国家警察には軍からの出向者が数多く在籍しており、この写真と同様に、警察の被服に陸軍ベレー・階級章を組み合わせている例もあるので、赤ベレーはかなり貴重な例ですが、そこまで変ではないのかも知れません。


  


2023年07月22日

籐盾の塗装完了

『怪しいタイ土産』で書いた、タイの家具職人にオーダーメイドで作ってもらった籐盾(藤牌)を塗装しました。




ベトナム国旗をあしらった国家警察野戦警察隊の塗装を再現しました。念願がついに叶いましたface02
ちなみにこの籐盾は実物とほぼ同一の材料・構造なので、実際に投石や一定の斬撃にも耐える強度を持つ、れっきとした武具です。

塗装では、黄色と赤はMr.カラースプレーを使用。
外周の緑色は、スプレーに気に入った色が無かったので、緑と青の水性ペンキを調色したものをガイアノーツのイージーペインターで吹き付けました。面積が大きいのでイージーペインターのガス缶を2本近く消費しちゃいました。


ちなみに中国南部・東南アジア全域で広く用いられてきた武具である籐盾は、主に少数民族で構成されていたCIDG部隊でも、式典・パレード時の礼装として使用さされる事がありました。

 

7年前、このCIDG礼装用籐盾を自作しましたが、その時は手抜きして、市販の笊(ザル)に持ち手を付けて塗装しただけでした。


本物の籐盾と比べてみると、全然別物ですね。
作ったはいいものの、当時から気に入っておらず、結局一度もコスプレに使う事無く捨ててしまった記憶があります。
  


2023年07月02日

怪しいタイ土産

先日一緒にサバゲーをやったタイの友人に、日本まで運んできてもらった品物です。

その1:タイの土方バラクラバ


別のタイの友人がタハーンプラーン装備用にコレクションしていたものを譲ってもらうことが出来ました。
このバラクラバは民生品であり、タイではよく、建設工事作業員がかぶっているそうです。
友人が「その辺の工事現場からかっぱらってきてあげようか?」と言ってきましたが、汗臭そうなので新品にしてくれとお願いしておきました。

タハーンプラーンでの使用例(1980年代)



その2:ラタン製ライオットシールド(籐盾)


ベトナム戦争期のベトナム軍・警察では、ライオット任務用に、昔ながらの籐(ラタン)製の盾が使われていました。
これを再現すべく、友人の伝手でタイのラタン家具職人に、盾の制作を依頼しており、この度ついに手元に届きました。


コレクター所有の実物を参考に、構造もほぼ完全に再現しています。


▲ベトナム国家警察野戦警察隊の使用例(1974年)
軍ではOD単色塗装も見られますが、どうせなら派手派手にしたいので、これから警察仕様の国旗柄に塗装していきます。

ちなみに友人はタイを発つ際、この盾を空港に持参し、普通に手荷物として預けたそうです。



さすがに空港の係員に「なんですかこれ?」と訊かれたみたいですが、「装飾品です」とだけ答えたら、スルーしてもらえたそうです(笑)
  


2023年05月27日

ベトナム空挺の歴代戦闘服

※2023年8月17日更新
※2024年3月7日更新
※2025年3月24日更新
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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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ふと気が向いたので、ベトナム陸軍の華、空挺部隊の歴代の戦闘服をうちにある被服の写真でご紹介。
裁断は別として、迷彩はほぼコンプリートしております。


1948~1954年頃:フロッグスキン迷彩&ウィンドプルーフ迷彩
ベトナム陸軍空挺部隊の前身であるフランス軍インドシナ落下傘中隊(CIP)および、CIPから改変されたベトナム空挺部隊では、フランス人兵士と同様に、米軍フロッグスキン(ダックハンター)迷彩、英軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩、およびそれらを上下で組み合わせて着用していました。


▲上衣がセスラー製、下衣がリアルマッコイズ製レプリカ


1951~1953年頃:TTA47(一般型)
1951年にベトナム陸軍に空挺部隊が発足した当初は、迷彩服ではなく、フランス軍の全軍共通戦闘服であるTTA47が着用されていました。


▲TTA47一般型上衣の実物


1951~1953年頃:TTA47(軽量型)
TTA47の熱帯地域向け仕様であるTTA47軽量型上衣も、一般型とともに着用されました。


▲TTA47軽量型上衣の実物


1951~1954年頃:TAP47(カーキ)
ベトナム空挺にはフランス軍空挺部隊向けのTAP47降下服も支給されましたが、当初はリザード迷彩ではなくカーキ単色であり、また着用例も僅かです。



1953~1950年代末:TAP47(リザード迷彩)
1953年になると、リザード迷彩のTAP47系戦闘服が広く普及し、TTA47と置き換わってきました。
なお、この服が戦闘服として実用されるのは1950年代末までですが、第一次インドシナ戦争末期の最も戦闘が激しい時期に使用されたこのリザード迷彩TAP47は、空挺部隊の誇りを示す伝統の被服として珍重され、パレード装や個人の礼装として1975年まで着用され続けました。(過去記事いろんなTAP47』参照)


▲WPG製TAP47/52レプリカ


1954~1962年頃:TTA47(軽量型・リザード迷彩)
第一次インドシナ戦争末期の1954年には、リザード迷彩仕様のTTA47が登場し、1960年代初頭まで着用されました。




1961~1968年頃:ヒュエット迷彩
1961年にウィンドプルーフ迷彩を原型とするベトナム国産のヒュエット(ブラッドケーキ)迷彩服が登場し、以後リザード迷彩に代わって空挺部隊の標準戦闘服となります。なお空挺部隊の戦闘服に部隊章・胸章の縫い付けが始まるのは1964年末からです。




1964~1969年頃:ホアズン迷彩(初期ERDL/インビジブルリーフ)
米軍が1948年に開発したERDL迷彩は、当の米軍では不採用になった一方、その生地は軍事支援物資として1964年からベトナム軍に供与され、空挺・レンジャー・海兵隊・特殊部隊共通の迷彩服として大々的に着用されるようになりました。なお、ベトナムではその後に登場する色違いによる区別はなく、ERDL系迷彩は全てホアズン(Hoa Rừng)と呼ばれます。
また服の裁断はヒュエットと同じ(空挺型)が主でしたが、一部で海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩と同じ裁断(2ポケット迷彩服型)が採用され、これが陸軍での2ポケット迷彩服型被服の最初の例となります。




1967~1972年頃:ホアズン迷彩(66年型ERDL/グリーンリーフ)
米軍はかつて不採用としたERDL迷彩を1966年に改良し、改めて自軍の熱帯用戦闘服(TCU)に採用するとともに、ベトナムに送る迷彩服用生地もこの新型ERDL迷彩に切り替わりました。この新型ERDL迷彩は1967年以降ベトナム軍に広く普及し、インビジブリーフと置き換わりました。また裁断は最初から2ポケット迷彩服型が主です。


▲東京ファントム製レプリカ


1968~1975年:ホアズン迷彩(ベトナム国産ERDL/パステルリーフ/レンジャーエアボーンパターン)
それまでベトナム軍は迷彩服の生地を米国からの輸入に頼っていましたが、1968年になるとベトナム軍はERDL迷彩をコピー、配色を変更した国産迷彩服を採用し、以後この服が全軍共通の標準迷彩服として1975年の終戦まで多数着用されました。
なお裁断は当初は2ポケット迷彩服型でしたが、1972年には全軍の標準的な裁断として4ポケットやTCU型上衣が採用され、ホアズン迷彩もそちらに移行します。


フォクフン製2ポケット迷彩服レプリカ
  


2023年04月22日

軍装の進捗

その1:ベトナム陸軍空挺部隊(1964~1968年頃)



前回紹介したĐLCH製インビジブルリーフ迷彩服の上衣(空挺型)にインシグニアを縫い付けしました。
部隊設定は空挺部隊にしましたが、服のカットが『空挺型』だから空挺部隊にした訳ではありません。
服のカット名は僕が勝手に名付けただけであり、また部隊によってカットが決まっていた訳でもありません。
なのでレンジャー部隊でも、インビジブル迷彩の上衣主に空挺型が使用されていました。


その2:ド・カオ・チ中尉の夏季勤務服(1951~1954年頃)


過去記事『作成中の服』で書いた、1950年代前半のド・カオ・チ大将(当時中尉)の夏季勤務服再現のために、ベトナム陸軍中尉の階級章(略式肩章)を自作しました。
当時の階級章は、ベトナム陸軍で最初に制定されたもの(1949~1955年)で、将校はフランス軍と同一のデザインでした。(過去記事『ベトナム陸軍の帽章・階級章』参照)


その3:タイ王国タハーンプラーン513部隊(1980年代前半)


すでに被服・装備類は最低限は揃っていますが、それに加えて、当時使用例の多い止血用ゴム管を56式弾帯のベルトに追加しました。



おまけ:ベトナム陸軍第3空挺大隊(1954年)

このカッコいい写真、昔から持っていたけど、よく見たら手持ちの物だけですぐに再現できる。
今度この軍装で写真撮ろっと。