2022年10月17日
初デンクロ
※2022年10月18日更新
日曜日にDANGER CLOSEというイベントに参加してきました。
サバイバルゲームフィールドGERONIMO様撮影のアルバムはこちら
僕はエアガン戦には参加しなかったので、午前中は友人と1970年代のFANK第294大隊*のコスプレして駄弁ってました。
友人手作りのクメール共和国国旗が非常にイカれ・・・イカしています。
※第294大隊の部隊名を正確に言うと「クメール陸軍第6歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊」です。

帰宅後、著者のConboy先生に「俺等がこうなったのはあんたのせいだ!」と、この写真を送り付けました。喜んでいただけました(笑)
午後は時代を20年遡って、今回のイベントのテーマである1954年の「ディエンビエンフーの戦い」に合わせて、ベトナム国軍第5空挺大隊(フランス連合軍第5ベトナム空挺大隊)に衣替え。
(第5空挺大隊については過去記事『ディエンビエンフー陥落から64年』参照)
今回着たWPG製リプロのTAP47/52降下服は迷彩の色を乗せる順番が間違っているので、友人たちは迷彩を手描きで描き直したり染め直したりして改善していますが、僕はまだそこまでやる気が出ないので、買ったままの状態で着ています。
お昼にGERONIMO特性の美味しいマトンカレーを食べ過ぎて、動けなくなった人が続出した(僕もその一人)ので、午後はエアガン戦をやめてフィールドの中で撮影会を行いました。塹壕がとても良い感じです。
また、フランス側とほぼ同数のベトミン軍が集まった事は正直驚きであり、とても良いものが見れました。

2022年09月27日
夏季ベレー
※2022年9月29日更新




1950~60年代、フランス軍では夏季/熱帯地域用に、カーキ/ベージュ色コットン生地製の『夏季ベレー(Béret d'été)』が広く使われていました。
こちらは僕の手持ちの夏季ベレー(実物)です。

僕はこのベレーを第一次インドシナ戦争期のフランス連合軍コスプレに使うつもりで持っていたのですが、当時の写真を見ていると、どうも革製スエットバンドを備えるこのタイプは少数派であり、大半はスエットバンドが帽体と一体の布製だったように見受けられます。
後述するデスボランティアさんに聞いた話では、上の革製スエットバンドの物はフランス本土製の正規品である一方、第一次インドシナ戦争期によく見られるスエットバンド一体型の物は極東(インドシナ)現地で生産された物だそうです。

▲フランス植民地軍第5ラオス猟兵大隊[1950年代]

▲ベトナム国衛兵隊[1951年ハノイ]

また、1954年に第一次インドシナ戦争が終結し、その後インドシナ諸国がフランス連合から脱退すると、ベトナム・ラオスでは夏季ベレーは使用されなくなりますが、クメール(カンボジア)だけは引き続き使用し続けており、1970年代前半の(第一次)カンボジア内戦期においてもクメール国軍で広く着用されていました。

▲クメール国軍[1970年]
そして、何でも作っちゃうデスボランティアさんは、なんと、その極東製夏季ベレーのレプリカを製作・販売されました!
僕は先日ビクトリーショウでそれを見つけて迷わず購入。

▲デスボランティア製 極東製夏季ベレーのレプリカ
これで第一次インドシナ戦争期のフランス連合軍の被り物はほぼコンプリートできました。
2022年09月19日
クメール陸軍ヘルメットカバー
前日のクメール撮影会で盛り上がったパッションに促され、さっそくクメール軍装の自作を開始しました。
今回作ったのは1960~1970年代を通じてクメール陸軍で広く使われたパラシュート生地ヘルメットカバーです。

これまで僕は単に米軍パラシュート生地をカバー代わりに被せてきただけでしたが、当時の写真を見ていると、どうもバンド付きのちゃんとした国産ヘルメットカバーが使われていたようです。(全てではありませんが)
残念ながらこのカバーの細部はまだ見たことが無いので分からないのですが、とりあえず外見が再現できればいいので、さっそく手持ちのパラシュート生地を裁断。ミシン掛けしてゴム紐を通しました。



その上に同じ生地で作ったバンドを装着して完成。


実物のバンドはカバーに縫い付けなのか、別に被せてあるだけなのかは分からないのですが、試しにカバー縫い付けてみたら寸法がかなり微妙で上手く作れなかったので、今回はバンド部分は別パーツとしています。
さて、次はカモフラージュネット(偽装網)だ。
続きを読む2022年09月19日
雨天撮影会
この日曜日に撮影会を予定していましたが、台風の影響で関東も大雨でした。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
でも雨は当時も降ったんだから、考証的に矛盾しない。風も大して無いので撮影決行です。
今回の設定は、久しぶりのクメール(カンボジア)陸軍歩兵部隊。1970年頃。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
と、偉そうに解説してますが、僕の持ってるクメール軍装は、現状ではとりあえず「それっぽく見える」程度で、とても満足できるレベルではありません。
友人は最近かなりクメールに熱を上げているので、これを機に僕もベトナムの片手間ではなく、ちゃんとしたクメール軍装を揃えて行きたいと思います。
2021年12月22日
最近作った物
※2021年12月23日更新
※2021年12月25日更新




ダミー.45ACP弾薬 (M1911ボール風)

M1911ピストル用のウェスタンガンベルトを注文したので、ガンベルトが届く前だけど、ベルトに挿すダミーのM1911ボール(米軍制式.45ACP FMJ弾)を24発分作成。
ケースは使用済みの米軍払い下げ(たぶんM1911ボール)をサンポール洗浄し、ピカールで研磨。
ブレットは個人製作の鉛キャスト製を購入し、自分で銅色に塗装したものです。
送料含め総額1700円弱で揃っちゃいました。こんなに安く済むとは自分でもオドロキ!
クメール国軍(FANK)陸軍第7歩兵旅団群 プラスチックパウチ部隊章

当時存在した、紙に印刷された部隊章を透明プラスチックシート(※)でパウチ加工したものの再現です。
実物はシルクスクリーン印刷ですが、僕のはコピー用紙にインクジェットプリンターで印刷したお手軽仕様です。
裏面に安全ピンがついており、普通のSSIと同じように着用します。
※塩化ビニルのシートだと溶けやす過ぎてうまくホットシーラーでパウチできなかったので、この作例ではポリカーボネイトポリプロピレン製シートを使っています。

▲パウチ部隊章の使用例。ロン・ノル大統領の閲兵を受ける第7歩兵旅団群 [カンボジア, 1973年11月]
アメリカ軍MACVハンガーバッジ

こちらは自分用ではなく、友人にプレゼントするため作りました。
刺繍パッチを塩化ビニルシートと牛皮でパウチ(ミシン縫い)したタイプです。
ちなみに中のMACVパッチは実物です。
もう10年近く前だと思いますが、今は亡き友人に、知る人ぞ知る個人経営の小さな古着屋を紹介してもらいました。その店の商品はビンテージのアメカジがメインなんですが、同時に大戦~ベトナム期の米軍払い下げ衣類・個人装備・徽章も乱雑に置かれています。しかも店主的にはアメカジしか興味ないので、それらの軍装品は捨て値。
僕は個人装備を買ったついでに、まだ紐で束ねられたデッドストックの米軍MACVパッチが置いてあったので、「これ1枚ください」と言いました。すると店主のおじさんが「紐を解くの面倒くさいから全部あげる」と言って、一束(十数枚)丸ごと1枚分の値段で売ってくれた、と言うか押し付けられました。その中の1枚が今回使用したパッチです。
あのおじさんも大雑把だけど、こんな腐るほど大量にパッチを作りまくって余らせる米軍も、どういう計算でパッチを発注してるんだか謎です。
2021年11月02日
まったりお食事&撮影会
※2021年11月9日更新
よく歳を取ると一年過ぎるのが早いと言いますが、今年は特にそう感じます。
以下、10月末にやった撮影会の写真です。
その1 クメール陸軍 猟兵大隊(1970年)
その2 ベトナム陸軍 国境レンジャー大隊(カンボジア領内 1970年)

おまけ 背景合成
その1 クメール陸軍 猟兵大隊(1970年)
クメール共和国(=ロンノル政権)成立、カンボジア内戦突入直後の1970年頃の軍装っぽくしました。
すでにアメリカから供与されたM1ヘルメットやタイガーストライプを着用していますが、武器や個人装備はクメール王国(=シハヌーク政権)期から使っている中国・ソ連製です。
その2 ベトナム陸軍 国境レンジャー大隊(カンボジア領内 1970年)
同じく1970年、それまでベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)の傘下にあったCIDGキャンプストライクフォースが、LLĐBの解散に伴い陸軍レンジャー部隊(BĐQ)に編入され、『国境レンジャー(BÐQ Biên Phòng)』へと改名されます。
この改編と並行して、キャンプストライクフォース/国境レンジャーは1970年4月から開始されたカンボジア進攻作戦へと投入され、カンボジア領内でベトナム共産軍やクメールルージュ(カンボジア共産軍)と戦いました。
この当時、国境レンジャーの軍装はCIDG時代の物を引き続き使っていましたが、その後すぐに政府軍からホアズン(ARVNリーフ)迷彩服などが支給され、見た目は一般の(キン族で構成された)レンジャー大隊と同一になります。さらに1973年には『国境レンジャー』という名称も廃止され、正式にレンジャー部隊の一部となります。

服は上のFANKと使いまわし。だって実際同じもの着てるんですもん。
その他 ベトナム陸軍第7歩兵師団、レンジャー、人民自衛団、国家警察
僕は上の2つしか着ませんでしたが、友人たちはいろいろ着ていた(と言うか前日までテーマを決めていなかった)ので、みんなの写真を加工。
おまけ 背景合成
僕は行っていないイベントだけど、友人たちの写真を加工たので、ついでに公開。
空軍付き憲兵隊の再現はおそらく日本初じゃないでしょうか。
2021年05月08日
撮影会② FANK第294猟兵大隊
先日の撮影会で撮った写真その2です。
その1はこちら
こちらの設定は、カンボジア内戦(1970-1975)時代のクメール陸軍第23歩兵旅団第294猟兵大隊。
クメール兵が5人に増殖しました。
次は米国製装備が行き渡る前(1970年代初頭)の共産圏装備時代のFANKをやってみようと思います。
(1970年にクメール共和国=ロン・ノル政権が成立して反共・親米体制になる前の、クメール王国=シハヌーク政権時代のカンボジアはむしろ第三世界の中でも親中・親ソが顕著な準共産陣営国家でした。だからベトナム人民軍や解放民族戦線といった外国の武装勢力が自国の領土(ホーチミン・トレイル)を我が物顔で往来していても黙認していた訳です。)
おまけ:幻の空挺師団

しかし当日空挺師団の衣装を持ってきたのは二人だけ

パッチ以外は空挺コマンドとほとんど変わらないから、上着を交換するだけで楽にできるのに、そもそもメンバーが告知をちゃんと読んでないという落とし穴。
逆によく空挺コマンドがあれだけ集まったなと思います。
2021年04月06日
配布物
東南アジアの軍装を趣味にしていると、実物はおろかレプリカすらなかなか手に入らない物品が多々あります。
と言うか、レプリカが山ほど出回ってる日米独等だけが異常に恵まれてるのであって、基本的にはレプリカなど望めないのが普通なんですよね。
そして欲しいものが売ってない場合、選択肢は「諦める」か「自作する」しかないので、僕はこれまで、こういった品々を自作してきました。
これらは僕個人でコスプレをする上では十分なのですが、他方で、リエナクトや撮影会は集団芸なので、できれば自分以外の人にも同じ物を身に着けて欲しいと思ってしまいます。
とは言え、他の人に「あなたも自作して」と求めるのは無駄だし厚かましい。
なので僕は、自分の好きな軍装を集団で着るという願望を叶えるために、仲間の分も自作して(有料ですが)配布しています。
以下、最近作った物
ベトナム陸軍迷彩ヘルメット
先日制作した4代目迷彩ヘルメットと同じ製法で、友人からの依頼分を塗装しました。


今回見本としたのは1971年当時に空挺師団で使われていたリーフ系パターンの一つですが、ほぼ同じ迷彩ヘルメットがレンジャー部隊や第81空挺コマンド群、一部の歩兵部隊でも使われているので、空挺以外にも使いまわす事が出来ます。
クメール陸軍第23歩兵旅団パッチ
こちらは頼まれてないけど、付けて欲しいので勝手に作って送りつける物。

3年ほど前にFANK第294猟兵大隊パッチを制作しましたが、その時は左袖に付ける(294大隊の親部隊である)第23歩兵旅団のパッチが手に入らなかったので、軍服の左袖(本当はこちらがメイン)がずっと空白のままでした。
ところが最近、ようやく23旅団に関する資料が手に入ったので、さっそく自家製プリントパッチに起しました。
これでようやく旅団・大隊のセットが揃ったので、これまで294大隊パッチを渡した人には、有無を言わさずこの23旅団パッチも付けてもらおうと思います。
自分用のパッチは、さっそく服に縫い付けました。

当初、ヘルメットに髑髏の鉢巻きという294大隊の軍装はあくまでイロモノであり、ちゃんとした(典型的な)クメール陸軍歩兵の軍装はまた別に作るので、294大隊のパッチはたまたま持っていたエクアドル製のTCU風ジャケットに付けていました。
しかしいくらイロモノとは言え、せっかく手間暇かけて徽章を作った以上、明らかに裁断が違う服を使うのはもったいないと感じるようになったので、あらためてロスコ製BDU改造のクメール軍野戦服(隠しボタン型)に付け替えました。
ちなみにこの服の設定は、『第9歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊』という長ったらしい部隊名です。
歩兵旅団群(Groupments Brigades d’Infanterie)とは、クメール陸軍が1970年に新設した編成単位です。
それまで(王国時代の)クメール陸軍の兵力は、全国で数十個の猟兵大隊(Bataillon de Chasseurs=軽歩兵大隊)が独立して存在する程度であり、師団はおろか連隊すら存在していませんでした。
しかし1970年にロン・ノル将軍によるクーデターを機にカンボジア内戦が勃発すると、陸軍は組織改編と兵力の増強を開始し、間もなく歩兵旅団(Brigades d’Infanterie)を創設して、各地の猟兵大隊を18個の旅団にまとめます。
更にその直後(1970年中頃)、人数が少ないので師団とまでは行かないものの、歩兵旅団の上位に、各2個の歩兵旅団から成る歩兵旅団群を15個創設しました。
以後、陸軍は『歩兵旅団群―歩兵旅団―猟兵大隊』を基本的な編成単位として拡大していきます。(さらに1972年からは歩兵旅団群を拡大した歩兵師団(Divisions d’Infanterie)も順次創設)
野戦服に付けるインシグニアは、今回の作例のように、基本的にはメインとなる左袖に旅団パッチが付き、右袖は大隊等の下部部隊となるようです。ただし右袖にパッチを付ける事自体が稀であり、基本的には左袖の旅団パッチのみの場合が多いように見受けられます。
また、これも稀な例ですが、左袖に旅団ではなく、その上位の旅団群のパッチを付けている例もあります。

第7歩兵旅団群パッチの着用例
今までのところ、僕が確認している旅団群パッチの着用例は、兵士が皆迷彩服を着ているので、もしかしたら彼らは歩兵旅団/猟兵大隊に所属する普通の歩兵ではなく、旅団群本部付きの偵察中隊やコマンド隊員なのかも知れません。
2020年12月07日
友人からの依頼
カリフォルニアでベトナム軍リエナクト(主に陸軍第5歩兵師団)をやっているベトナム系アメリカ人の友人から、チームの初心者に当時の軍装を解説するために、君のイラストを使わせてもらえないか?と問い合わせがありました。
もちろん二つ返事でOKしましたが、彼のチームはうちら日本のグループと同じく、1950年代~1975年まで幅広い年代をリエナクトの対象としているので、イラストも時代ごとに再編集しておきました。
ちなみに今回のイラストは第5歩兵師団をテーマとしていますが、他の空挺やレンジャー、海兵隊といった即応(機動歩兵)部隊も、徽章や迷彩服が異なるだけで、個人装備に関してはこれとほとんど同じです。
おまけ
彼らカリフォルニアのグループはFANK(クメール国軍)も好きという事なので、僕が自作したクメール陸軍第23旅団第294大隊のパッチ&鉢巻きを使ってくれています。
これでうちのチームも含めると、最低でも世界で5人は294大隊のコスプレしている事になります。いつか全員集合したいなぁ~
ウソみたいだろ。二人ともROTC出た予備役将校なんだぜ。それで
2020年04月27日
STAY HOMEその2
引き続き、細々とした作業を片付けました。
①FANK(クメール国軍) 隠しボタン2ポケット・ジャケット
2年前に「そのうちやる」と言ったきり止まっていたクメール陸軍歩兵計画を再始動。

ロスコ製の米軍BDU風ジャケット(ポプリン生地)を素材に




下側のポケットと肘当て、カフスおよびウエストのストラップを外すだけの簡単なお仕事です。
部隊章はまだ作っていません。ただし、当時からインシグニアを付けていない兵士は大勢いたので、このままでも十分コスプレに使えます。
僕もクメール軍については勉強し始めたばかりなので、インシグニアを付けるのであれば、もうちょっと戦史などを調べた上で、服の設定を考えたいと思います。
②ベトナム海兵隊第1海兵大隊
以前作った第1海兵大隊仕様のグリーンリーフ迷彩服(東京ファントム製)は、自分で付けたインシグニアに誤りがあったので作り直しました。

・ネームテープ:✕青地に白文字→〇青地に黒文字
・部隊章:✕後期型(1971-1975)→〇前期型(1960-1971)
※ネームテープ色については過去記事『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』参照
③ベトナム地方軍
昔、趣味の先輩が、米軍ユーティリティユニフォーム(OG-107)から改造して作ったベトナム軍カーキ2ポケット作戦服風シャツを、地方軍仕様にしました。

自家製パッチを付けると共に、ボタンはクラッシファイド製レプリカに交換しました。
2019年10月13日
CIDG計画とFULRO(フルロ)
※2019年10月15日更新
最近、CIDGごっこを計画する中でフルロ(FULRO)の話が話題に上がった(と言うか僕が話したくて仕方なかった)ので、CIDGとフルロの関係を分かりやすく図にしてみました。
▲CIDGとフルロの大まかな関係を示した図(クリックでPDF開きます)
なお今回は触れませんでしたが、少数民族の自治・独立運動は1958年のバジャラカ運動が最初という訳ではなく、1945年には最初のデガ諸部族の連携組織が発足しており、もっと昔には、現在のベトナムの領土の南半分以上はチャンパ王国やクメール王国が支配していた場所なので、彼らが「少数民族」と呼ばれる事になるはるか以前から、この争いはず~っと続いてきたわけです。
また1975年以降も彼らの戦いは現在に至るまで続いています。このベトナム戦争の前と後の話は、まじめに書くとかなり長くなるので、またの機会に。
これまでのおさらい&よく見る誤解を訂正
・CIDG=デガ(モンタニヤード)ではない
CIDG計画には多数のデガ諸部族が参加しましたが、チャム族やクメール族、ヌン族など、デガ以外の少数民族も多く参加しており、また一部ではカオダイ教徒など、反政府的なベトナム人も参加していました。
・CIDG=フルロではない
フルロは長年ベトナム人から迫害を受けてきたデガ、チャム族、クメール族の三勢力の連合です。その目的はベトナム(この当時は南ベトナム)からの自治・独立です。彼らにとってこの戦いは積年の恨みが詰まった人種戦争であり、当初はベトナム人であれば南北に関係なく、一般市民すらも見境なく虐殺する過激な武装組織でした。なおそれまで大した反乱も越せなかった彼らがフルロを結成し、大規模な反乱を起こす事が出来たのは、米軍のCIDG計画の賜物でした。フルロ兵士はCIDG計画に参加する事で米軍によって訓練され、米軍から与えられた武器で武装し、米軍から支払われる給料がフルロの資金源となっていました。なのでCIDG=フルロではありませんが、CIDG計画無くしてフルロの活動は無かったと言えます。
一方、CIDGに参加していたヌン族は、中国国民党の影響下にある中華系の少数民族であるため、第一次インドシナ戦争では反共主義に基づいてベトミンと戦ったものの、ベトナム人との関係は悪いものではありませんでした。1954年に北ベトナムが失陥すると、約5万人のヌン族が南ベトナムに移住し、そのままサイゴン政府軍にヌン師団が創設されます。後に政争によってヌン師団長が解任された事でヌン族兵士はサイゴン政府に反旗を翻しますが、ジェム政権崩壊(1963年)後は再び良好な関係に戻ります。よってフルロに参加する事はありませんでした。
・フルロ=CIAの工作ではない
インターネットを見ていると、一部のベトナム人の間ではフルロは「ジェム政権を崩壊させるためのアメリカCIAの工作だった」と語られていますが、それは完全に間違いです。まずフルロが結成されたのはジェム総統がクーデターで暗殺されてから10ヶ月も後の事です。また当時CIDGを指揮していたアメリカ人たちは、言葉の壁から、自分の部下たちが秘密裏に米軍による軍事支援を利用して反政府ゲリラ組織を結成している事に気付く事が出来ませんでした。そして実際に1964年にフルロの反乱が起こった際には、CIAですらこの反乱の背後関係を把握できておらず、ベトコンまたはフランスの支援・扇動によるサボタージュ説が唱えられていました。
後に判明する事ですが、当時実際にフルロの組織化・反乱を支援してのは隣国カンボジアのシハヌーク政権でした。カンボジアとしては、クメール王朝時代にクメール領だった南ベトナムの領土を奪還する事を最終的な目標としており、その為に、ベトコンとの内戦を抱える南ベトナムを、内部からの反乱でさらに混乱に陥れる事を目論みました。そのためカンボジアは、CIDG計画によって南ベトナム領内の少数民族に武器・資金が流入した事を確認したうえで、少数民族に連携と反乱をけしかけたのでした。
ベトコンに参加したデガ勢力
1954年以来、南ベトナム政府に対する少数民族たちの要求は、主に自治権・民族自治区の設置(特にデガは、1946年にフランスが設定した「南インドシナ・モンタニャール国」の復活・ベトナムからの独立)でしたが、、同時に政治イデオロギー的には、ほとんどの少数民族は第一次インドシナ戦争以来、反ベトミン・反共産主義・反北ベトナムで一致していました。
しかし1958年のバジャラカ運動の失敗後、イーバムら運動の指導者を失ったデガの間では、今後の独立運動の方針について迷いが生じていました。そこに、北ベトナムの労働党が南ベトナム破壊工作として、南ベトナム領内の旧ベトミン・共産主義・民族主義勢力の再組織化(後の「南ベトナム解放民族戦線」)を1960年に開始すると、デガ内部の一部勢力は、ベトコン(労働党・解放民族戦線)が語る「勝利の暁には民族自治区が約束される」という白々しい口車にすがってしまい、約1,000名のデガが「タイグエン自治運動」を結成して南ベトナム解放民族戦線の指揮下に入りました。
しかしその兵力は微々たるもので、またベトコンははなっから少数民族に自治権を与えるつもりなど毛頭なかったので、この共産主義系デガ組織「タイグエン自治運動」がその後どうなったのかは、定かではありません。
もしその後の15年間、ひたすらベトコンの指揮下でアメリカやサイゴン政府軍、そして同胞のデガ兵士たちと戦い続けたとしても、その勝利の後に待っているのはベトナム共産党政権によるデガ自身への民族浄化です。
でも、もしかしたら、デガの同胞を大量に死に追いやっておきながら、自分だけはうまく共産党で出世して、戦後英雄気取りのデガも、もしかしたら居るかもしれませんね。
だって現に、現在のベトナム社会主義共和国には、そういうベトナム人が腐るほど大量に居て、そんな連中が戦後40年以上、独裁政権下で私腹を肥やし、ベトナム国家・国民を食い物にしているんですもの。
Posted by 森泉大河 at
18:31
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2018年06月27日
週末の写真
今回は動画撮影がメインだったのでスチルは少なめです。






お昼ご飯は、当時前線での食事として一般的だったと聞く、乾燥米にヌックマムをかけたものと魚の干物というメニューを再現しました。
お米は市販の備蓄用アルファ米、魚はめざしをその場で焼いて食べました。



撮影会の最後にFANK第294大隊のコスプレもちょこっとやりました。
一緒にやるはずだった友人がこの日は病欠だったので、今回は僕一人だけです。


我ながら厳つい。
とても正規軍には見えないと言われました。
もっとカンボジア軍増やしたいな。
2018年06月21日
撮影会の準備
その1 ベトナム陸軍第7歩兵師団(1963年初頭)


自家製第7歩兵師団プリントパッチ取り付け
クラッシファイドさんのリプロはこれまでで最高の再現度なのですが、ただ一点、ボタンの表面はもうちょっと艶があった方が良いと思ったので、一旦ボタンをすべて外してピカールで磨きました。
左が研磨前、右が研磨後。あまり艶を出し過ぎても変になるので、難しい所です。

今回はM1グレネードアダプターを初投入。左側の2本がMk2手榴弾用のM1アダプター、右がM26用のM1A1アダプター。できれば種類を揃えたかったけど、M1A1は1本しか手に入りませんでした。
グレネード本体は僕が高校生の頃に買ったサンプロ製BBボトルに実物セーフティピン/プルリングを付けた物。ベトナム軍で使われた米国製手榴弾には、米軍のような黄色のマーキングが入っていない物も多く見受けられるので、レバーをOD色に塗っただけで、あえてマーキングは施していません。

このスタイルが目標。でも銃側に付けるM7グレネードランチャーはまだ入手できていません。
その2 クメール陸軍第23旅団第294大隊(1970年代前半)


後身頃が二枚になっています。なんじゃこりゃ?


メーカータグが付いていたので検索してみたら、FAME (Fabricaciones Militares Ecuatorianas)とはエクアドル軍需産業という意味でした。てことはエクアドル軍の服なのかな。
この次はちゃんとクメール陸軍で一般的だった隠しボタン2ポケ戦闘服を再現して、もっと普通のビジュアルの部隊をやりたいと思います。
2018年03月27日
はじめてのFANK
FANK*には以前から興味はあったものの、ベトナムと比べるとはるかに資料やレプリカの少ない軍隊なので、なかなか始めの一歩を踏み出せずにいました。ところが最近、映画「最初に父が殺された」を見た友人が「僕もロン・ノル軍やりたい!」と言ってきたので、僕もよくやく重い腰を上げてクメール軍装に手を出す事にしました。
*FANK: (仏語)Forces armées nationales khmères / クメール国軍。1970-1975年のクメール共和国時代のカンボジア軍。大統領の名から通称「ロン・ノル軍」
さて、FANKは1975年にクメールルージュ(カンボジア共産党軍)との内戦に敗れ、たった5年で消滅してしまいましたが、その短い歴史の中では、多種多様な軍装が用いられていました。なのでまず、どの部隊を再現するか候補を探していたところ、こんな写真に出会ってしまいました。

見た瞬間、これに決めました。ヘルメットに鉢巻きは、決して一般的なスタイルではないのですが、とにかく個性が凄い。いかつい。加えて、幸いにもあるコレクターさんがこの部隊章の実物の画像をアップしてくれていたので、それをトレースして自作パッチを作るのも容易でした。
こうしてFANK同好会立ち上げ一発目の自作アイテムが完成しました。我ながらイイネ!

なお、この部隊については、当初は「第294大隊」という部隊名しか把握できていなかったのですが、昨日、僕が勝手に『大師匠様』と呼んでいる人物に「あの写真の人の左袖のパッチは何ですか?」と問い合わせたところ、この部隊はクメール陸軍の第9旅団群第23旅団第294大隊なので、左袖には画像の第23旅団のパッチが付いてたはずという返答を頂きました。質問からわずか2分後にこの答え。さすが大師匠様。

▲クメール陸軍第23旅団
これについてはまだ自家製造する目途が立っていないので、おいおいとなります。
クメール陸軍の野戦服について
これらの部隊章を取り付ける野戦服についてですが、当時の写真を見る限り、その規格は統一できていなかったようで、かなり様々なパターンの裁断が見受けられます。その中で比較的多く目にするのが、この2ポケット隠しボタンのタイプ。

もちろんこの服のリプロなど存在しません。でもポプリン生地っぽいから、OD色の米軍BDUをベースに改造すれば比較的簡単に再現できそうな気がする。今度やってみます。(BDUとほとんど同じような4ポケ隠しボタン型も使用例あり)
あとはベトナム軍のカーキ作戦服によく似た2ポケや、米軍TCUをそのまま使っている例も見受けられるので、隠しボタン型を自作するまでは、とりあえずそれらの服を使おうと思ってます。

▲ベトナム軍2ポケとよく似た野戦服(左)。ボタンまで同じなので、もしかしたら本当にベトナム製かも知れません。

▲米軍TCUの使用例(右端)
またコマンド大隊や特殊部隊、空挺旅団が着ている迷彩服にも様々な種類がありましたが、比較的手に入りやすい服もあります。

▲MDAPタイガーストライプ。ベトナムで使われていた米軍供与(MDAP)タイガーストライプと同一です。

▲仏軍リザード迷彩TTA47/52野戦服(60年代製)。フランス連合期の供与品ではなく、60年代に改めてフランスから輸入された物(リザード迷彩のパターンが違う)が空挺旅団を中心に多く使われています。

▲米軍グリーンリーフ迷彩TCU。米軍TCUと同型、またはエポレットが追加されたグリーンリーフ迷彩がクメール特殊部隊(Forces Speciales Khmères / FSK)でよく使われています。

▲ベトナム軍グリーンリーフ迷彩2ポケに似た野戦服(中央)。この他にも様々な裁断のグリーンリーフ迷彩服が使われていました。
一方、かなり入手困難なのがこちらの迷彩服。

(Youtube / AP Archive動画より https://youtu.be/pzSJMMlnQPI)
1960年代以降、仏軍リザード迷彩と並行して空挺旅団で多用されていた、まだら系の迷彩服です。ダックハンター迷彩とは似て非なるものですが、研究者が少なすぎて、まだ呼び名すら定まっていません。とりあえず、『クメール空挺パターン』とでも呼んでおきましょうか。

世界の迷彩をまとめているCamopediaに、この迷彩の貴重な実物画像が掲載されています。
以上のように、クメール陸軍の軍装を再現する上で入手困難な物はそう多くはないので、レプリカや代用品で十分揃えられます。
さぁ~て、始めたからにはとことんやろうっと!
2017年09月02日
単発写真や動画
僕のブログは常に下書き記事が10件以上ある状態でして、暇な時にちょっとずつ書き進めていくようにしていますが、調べているうちにボリュームが増えすぎてなかなか記事が完成しないという状態が最近続いています。なので今回は息抜きに、最近見つけた興味深い画像や動画を脈絡なく貼っていきます。
【ベトナム関係】
◆パレード映像の中にムイ老師を発見!
▲フエで行われた地方部隊(地方軍・義勇軍・人民自衛団他)の軍事パレード。 記録映画『北ベトナム軍の侵略』のワンシーン [1972年フエ]
パレード装をした義勇軍の中に、ベトナム国旗の旗手を務めるグエン・バン・ムイが映っています。また観閲するアメリカ人の中にフェニックス・プログラムを監督するCORDS(事実上のCIA)職員たちも写っている事に注目。
米国フロリダ州の地方紙サラソタジャーナルに、ムイの小隊が夜襲に成功したという記事が掲載されていました。
Sarasota Journal - Apr 22, 1971
これによると、ムイはカマウ半島中部のチュンティェン省ドゥックロンに住む義勇軍兵士でしたが、軍の定年をとうに過ぎているため階級は持っておらず、人々は彼を"Ông (年配の男性に対する敬称)"、もしくは"Ông Moi"と敬意をこめて呼び親しんでいました。しかし数々の武功を持つムイは、高齢をものともせず第203義勇軍小隊(Trung Đội 203 Nghĩa Quân)の小隊長を務めており、民兵で構成された義勇軍小隊を率いてベトコンゲリラに対する夜襲を成功させるなど、衰えを知らない豪傑な人物でした。
またムイには五男一女、計6人の子供がいましたが、そのうち長男から三男までの3人の息子はベトコンに殺害され、四男は負傷。そして23歳になる五男が義勇軍兵士としてムイの小隊に所属していたそうです。
ムイは取材に対し、「この戦争で老人から子供まで多くの人々が死んだ。私は一刻も早くこの戦争を終わらせる事が私の使命だと確信している」、「私は死ぬまで兵士として祖国に仕えたい」と語っています。
残念ながら、私が知る限りムイがメディアに紹介されたのは1971年が最後で、この1972年のパレード以降の消息はつかめていません。
◆準軍事婦人隊(Phụ Nữ Bán Quân Sự)の制服の色が判明
モノクロ写真は何枚もありましたが、ようやくカラー写真で服の色を把握できました。
準軍事婦人隊は第一共和国(ゴ・ディン・ジエム政権期)に存在した国内軍部隊です。「準軍事」と名はついていますが、指揮権はベトナム共和国軍総参謀部にはなく、おそらく内務省が所管する政治工作機関だったようです。"ドラゴン・レディ"として知られるジエム総統の弟の妻チャン・レ・スアン(マダム・ニュー)は、自らの支持を得るために女性の政治参加を積極的に推進しており、このような女性による準軍事組織まで創設しました。この準軍事婦人隊には、チャン・レ・スアンの長女(ジエム総統の姪にあたる)ゴ・ディン・レ・トゥイが参加し、老若男女が一して共産主義と戦う姿勢をアピールする広告塔を務めていました。
▲準軍事婦人隊員としてパレードに参加するゴ・ディン・レ・トゥイ
同様に、政府が組織した反共青年政治組織としては当時、『共和国青年団』が存在しており、その女性部門である『共和国少女団(Thanh Nữ Cộng Hòa)』もチャン・レ・スアンの私兵組織として機能していました。
▲共和国少女団のパレード装(左)と通常勤務服(右)
なお、1963年11月の軍事クーデターでゴ・ディン家の独裁体制が崩壊すると、これらの政治工作組織は解体され、以後は軍事政権の下で人民自衛団(NDTV)など軍が所管する民兵組織へと再編成されていきます。
【カンボジア関係】
クメール海兵隊の戦闘 [1973年カンボジア]
クメール海兵隊の兵力は計4個大隊ほどと決して大きな組織ではなかったので、動画はおろか写真すら滅多に見つからないんです。それがこんなにはっきりと、しかもカラー映像で見られるとは。AP通信様様。
◆プノンペンの歌姫 ロ・セレイソティアの空挺降下訓練 [1971年7月カンボジア]
↓こちらは女性が参加した別の降下訓練をカラーフィルムで撮影した映像
こちらも女性が軍に参加する姿を宣伝する事で、挙国一致を国民にアピールする狙いがあったのでしょうね。
また、リザード迷彩やリーフ迷彩をエリート部隊の証として支給していたベトナム軍やラオス軍とは異なり、カンボジア軍空挺部隊はダックハンター系の迷彩を1970年代まで多用していたのが特徴的ですね。
◆南ベトナム領内のベトナム共和国軍基地で訓練を行うクメール国軍兵士 [1970年7月ベトナム]
基地はベトナム軍の施設ですが、教官はクメール人が務めているようです。
米軍特殊部隊B-43の指揮の下、ベトナム領内のキャンプ・フクトゥイで訓練を受けていたクメール軍特殊部隊(Forces Speciales Khmères)は割と知られていますが、一般部隊までベトナムで訓練されていたのは初めて知りました。
1970年のロン・ノル政権成立によって中国・北ベトナムに反旗を翻したカンボジア(クメール共和国)は、アメリカの仲介の下で南ベトナムとの協力関係を深めていきます。しかしカンボジアとベトナムは、メコンデルタ地帯を巡って中世から戦争を繰り返してきた長年の宿敵であり、現に1970年までクメール王国(シハヌーク政権)は南ベトナムを敵国と見做して北ベトナム軍に協力すると共に、南ベトナム政府へのサボタージュ工作を幾度も行っていました。
そのカンボジアが(国内の内戦に負ける訳にはいかないという事情があったにせよ)、過去の遺恨に目をつむって南部のベトナム人と一時的に和解したという事実は驚くべきことだと思います。
【ラオス関係】
◆ラオス王国軍モン族遊撃隊 GM41の日常風景 [1969年ラオス]
モン族GM(Groupement Mobile)のプライベート動画なんて初めて見ました。撮ったのはGMを指揮したCIA戦闘員(アメリカ軍人)のようです。大変貴重な映像です。感動しました。
◆同じくGMを指揮したCIA戦闘員が楽しそうに重機関銃を撃ってる動画 [1971年ラオス]
◆ラオス王国空軍に参加したCIA(アメリカ空軍)パイロットとその息子 [1971年]
CIAだからと特別に家族がラオスに住んでいたのか、それともタイの米空軍基地に住んでいて、お父さんに会いに家族とラオスまで来たのか。プライベートビデオならではの、微笑ましくも歴史の激流を感じる映像でした。
Posted by 森泉大河 at
16:04
│Comments(1)
│【ベトナム共和国軍】│【アメリカ】│1954-1975│【ラオス】│人物│【カンボジア】│モン族│ĐPQ-NQ/地方軍・義勇軍│CIA/中央情報局│クメール王国│ラオス王国
2016年05月19日
クメールあれこれ
カンボジアは興味あるけど、ベトナムで手一杯でまだちゃんと調べる段階には至っていないので、とりあえず興味深い写真をいくつかご紹介。
<フランス植民地軍クメール人儀仗隊>

▲高官を出迎える植民地軍のクメール人儀仗隊, アンコールワット, 1931年
奥のピスヘルメット(仏語ではCasque colonial=植民地ヘルメット)被ってる人たちは普通の植民地軍ですが、
手前の仏軍山岳猟兵みたいなでっかいベレー帽や腕章はこの儀仗隊独特のデザインですね。もしかしたら近衛兵とかかも?
他にもこちらのブログに1931年当時のカラー写真がいくつか載っています→http://visualhistory.livejournal.com/167749.html
<フランス軍服姿のシハヌーク国王>

▲クメール王国国王ノロドム・シハヌーク, 1953年
国王だけあって、植民地兵ではなく、正規のフランス陸軍大尉の軍服を着ていますね。
(植民地軍でもケピ帽は使われるが、着用できるのは植民地兵を指揮する正規のフランス軍人のみ)
胸のバッジは装甲騎兵(Arme blindée et cavalerie)っぽい紋章ですが、どの部隊なのかは分かりませんでした。
<ベトナム戦争とカンボジア>
1960年代、カンボジア(クメール王国)はアメリカを中心とするSEATO(東南アジア条約機構)から距離を置いた独自の外交を行っており、ベトナム戦争に対しては表向きは中立国という立場でした。しかし実際には中立とは名ばかりで、シハヌーク政権はいわゆる第三世界として中国・ソ連と親密な関係にあり、北ベトナム軍がカンボジアを補給路(=ホーチミントレイル)として利用する事を黙認するなど、陰ながら共産軍を支援する立場にありました。また長年カンボジアの領土だったメコンデルタ地域をベトナム人から奪還すべく、少数民族武装組織FULROを組織してベトナム領内の少数民族に蜂起を促すなど、ベトナム共和国政府に対し様々なサボタージュ工作を行っていました。
しかし1970年、シハヌークの側近だったロン・ノル将軍がCIAからの支援を受けてクーデターを敢行し、シハヌークを追放する事で新政府『クメール共和国』の樹立を宣言します。このロン・ノル政権成立によってカンボジアは一転して西側陣営の一員、アメリカの同盟国へと転向し、アメリカは堂々とクメール国軍(Forces Armées Nationales Khmères)に対し軍事支援を行えるようになりました。
<クメール国軍戦闘序列(1970年8月)>
第1歩兵大隊 - プノンペン
第1歩兵旅団 - コンポンチャム
第3歩兵旅団 - コンポンソム
第4歩兵旅団 - プレイベン
第6歩兵旅団 - プノンペン
第7歩兵旅団 - プノンペン
第10歩兵旅団 - コンポントム
第11歩兵旅団 - コンポントム
第12歩兵旅団 - シェムリアップ
第13歩兵旅団 - プノンペン
第14歩兵旅団 - Srê Khlong
第15歩兵旅団 - プノンペン
第16歩兵旅団 - プノンペン
第17歩兵旅団 - Long Vek
第18歩兵旅団 - Romeas
特別旅団 - シェムリアップ ※自由クメール抵抗軍を編入
第1空挺旅団 - プノンペン
第2空挺旅団 - Long Vek ※1973年解散
通信旅団 - プノンペン
輸送準旅団 - プノンペン
装甲準旅団 - プノンペン
砲兵準旅団 - プノンペン
防空準旅団 - プノンペン
工兵準旅団 - プノンペン
湖水旅団 - トレンサップ湖
青年土木工兵旅団 - プノンペン
第1海兵隊 - コンポンソム ※沿岸地域2大隊、プノンペン郊外2大隊から構成
上記に加え全国4つの軍管区および特別管区に約120個の地方大隊を持つ。
<ベトナム派遣クメール国軍>
またカンボジアとベトナムは領土を巡って長年争いを続けてきましたが、カンボジア国内でもカンボジア共産党軍『クメール・ルージュ』との内戦が始まった事から、両国政府は反共・親米という立場で一致し、アメリカおよびFWMAO(自由世界軍事支援機構)を介した同盟関係が生まれました。
▲ベトナム共和国フォクトゥイ省のキャンプB-43/フォクトゥイ駐在のクメール国軍兵士, 1970年代
服に部隊章が無いので断定は出来ませんが、特殊部隊キャンプに駐屯するくらいなので、この人たちもクメール国軍の特殊部隊(Forces Speciales Khmères)だと思います。
通常クメール軍のベレー帽はフランス式の右上がりですが、特殊部隊は米軍およびタイ軍の指導の下編成された為、米軍同様左上がりのベレーが制定されたようです。

▲(写真上)クメール国軍兵士とオーストラリア軍AATTV隊員, ベトナム共和国B-43フォクトイ, 1972年。 (写真下)戦後再会を果たした3人。
<クメール国軍FULRO大隊>
FULROは元々、クメール王国軍のレ・コセム大佐がベトナム共和国政府へのサボタージュを目的としてシハヌークおよびロン・ノル将軍に提案、許可を得た破壊工作としての一面を持っていました。レ・コセムはまず自分がチャム族であることを利用してカンボジアとベトナム領内のチャム族勢力を結集しFLC(チャンパ解放戦線)を結成。さらに中部高原のデガに連携を持ちかけ、FULRO(非抑圧民族闘争統一戦線)を組織します。そして1964年の『FULROの反乱』以降、FULROは度々ベトナム共和国軍への攻撃を繰り返したものの、アメリカの仲裁によって中部高原における一定の自治が認められました。
しかしスポンサーであるシハヌーク政権の目的はデガの自治などではなかったため、クメール側の真意に気付いたFULROおよびFLHP(中部高原解放戦線)最高指導者イーバム・エニュオルは1968年、クメールの傀儡であるFULROから離反し、新たにFLPMSI(南インドシナ・モンタニャール国解放戦線)を旗揚げします。しかしこの直後、イーバムはクメール軍情報部に拉致され、以後6年間プノンペンで軟禁状態に置かれました。これによりFLPMSI(FLHP系FULRO)は指導者を失い、間もなくサイゴン政府と和解(事実上の降伏)します。
こうしてベトナムのFLHP系FULROが活動を終えた一方で、レ・コセムの配下にあったFLC(=チャム族)系およびFLKK(クメールクロム解放戦線)系のFULROは、正式にクメール国軍に編入されました。

▲クメール国軍第181FULRO大隊の幹部とロン・ノル将軍, 1970年
大隊長オスマン少佐(チャム族・下段中央)
副大隊長ポー・ダルマ大尉(チャム族・下段左)※
首相ロン・ノル元帥(クメール族・上段右)
※当時副大隊長だったポー・ダルマ氏は2006年に著書『Du flm au fulro』を執筆し、FULROの歴史について詳細に綴っています。
フランス語なので読むの大変だけど、当事者が記した大変貴重な情報源なので買って良かったです。
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<リュックサック2種>

▲作戦中のクメール国軍兵, コンポンチャム, 1973年
左の人が背負ってるのが所謂『インディジナス・リュック』、右の方に置いてあるのが所謂『ARVNリュック』。
※2019年11月29日訂正 右のはARVNではなく米軍のトロピカルラックサックでした。
これらのリュックサックはそれぞれ、CIDG向け、ベトナム共和国向けのリュックとして知られていますが、実際にはカンボジアやラオス、タイ、フィリピン軍にも大量に供与されており、タイでは布地をナイロンにしたものが現在でも生産されています。
従ってこれらの個人装備はCIDGやベトナム軍といった狭い括りではなく、アメリカ国防総省ARPA(高等研究計画局)が東南アジアにおける共産主義勢力の排除を目的として1961年に開始した限定的非対称戦争計画"プロジェクト・アージル(Project AGILE)"の
アメリカの東南アジア同盟国向け軍事支援の一環として見るべきだろうと思います。
<クメール装甲騎兵>
▲プノンペン陥落に際し我が子を背負って市街から脱出するクメール国軍兵士, プノンペン, 1975年4月17日
間違いなくプノンペン陥落の際の写真なのですが、この写真をサイゴン陥落時のベトナム共和国軍兵士(装甲騎兵)と勘違いしているベトナムのサイトをよく見ます。
現代のベトナム人は旧政権の軍装をよく知らず、ましてや外国の旧政権など知る由もないので、M16持っていれば何でもベトナム共和国軍だと思ってしまうようです。
ちなみに去年タイ軍の戦争博物館に見学に行った時は、壁にデカデカと『ベトナム派遣タイ軍』として飾られた写真の中の何枚かは、タイ軍ではなくベトナム共和国軍でした。当人達にも見分けつかないのね。
<理想の兵隊>

▲クメール国軍兵, 1974年
僕がこれまでのミリタリー趣味人生で見てきた中で一番カッコいいと思う兵隊さん。
軍隊でこんな長髪はありえないし、普通のクメール人も男は髪を伸ばさないので、少数民族もしくは宗教上の理由だと思うけど詳細は不明。
あらゆる面で、僕の理想がつまっている人です。よく見ると顔も僕に似ている気がする。
2016年05月14日
在インドシナ・フランス連合軍 1945-1954
取り合えず一覧にしただけで、まだ作成中です。

この表に無い部隊も多くありますし、載っていても実際はもっと細かく分かれてたり、逆に部隊名が変わっただけで同じ部隊だったりで、もっと精査する必要があります。
空挺およびコマンド部隊については『CEFEO空挺部隊』
1945年以前の編成については『ヴィシー・フランス インドシナ軍団』参照
コーチシナ | トンキン | アンナン | ベトナム国軍 | ラオス | カンボジア |
CEFEO砲兵 | CEFEO機甲 | CEFEO派遣師団 | 外人部隊 | 極東コマンド | 未分類 |
日本語表記 | フランス語表記 | フランス語略 | 英語表記 |
極東フランス遠征軍団 | Corps Expéditionnaire Français en Extrême-Orient | CEFEO | |
北西作戦グループ | Groupe d'Opération Nord-Ouest | GONO | |
極東地上軍 | Forces Terrestres en Extrême-Orient | FTEO | |
北部ベトナム地上軍 | Forces Terrestres du Nord Vietnam | FTNV | |
南部ベトナム地上軍 | Forces Terrestres du Sud Vietnam | FTSV | |
第1極東旅団 | |||
第9植民地歩兵師団 | 1er Brigade d'Extrême-Orient | 1er BEO | |
第2トンキン徒歩師団 | 9è Division d'Infanterie Coloniale | 9e DIC | |
機動グループ | Groupes Mobiles | Groupes Mobiles | |
第2装甲師団機動グループ | Groupe Mobile de la 2e division blindée | GM/2e DB | |
機動グループ1 (北アフリカ) | Groupe Mobile n° 1 | GM 1 | GM 1 (N African) |
機動グループ2 (北アフリカ/空挺) | Groupe Mobile n° 2 | GM 2 | GM 2 (N African/Paras) |
機動グループ3 (北アフリカ/セネガル) | Groupe Mobile n° 3 | GM 3 | GM 3 (N African/Senegalese) |
機動グループ4 (インドシナ徒歩大隊/フランス外人部隊) | Groupe Mobile n° 4 | GM 4 | GM 4 (BMI/FFL) |
機動グループ5 | Groupe Mobile n° 5 | GM 5 | GM 5 |
機動グループ6 (SAS空挺準旅団内) | Groupe Mobile n° 6 | GM 6 | GM 6 (Fought at DBP) |
機動グループ7 (ベトナム) | Groupe Mobile n° 7 | GM 7 | GM 7 (Vietnamese) |
機動グループ8 | Groupe Mobile n° 8 | GM 8 | GM 8 |
機動グループ9 (SAS空挺準旅団内) | Groupe Mobile n° 9 | GM 9 | GM 9 (Fought at DBP) |
機動グループ10 (北アフリカ) | Groupe Mobile n° 10 | GM 10 | GM 10 (N African) |
機動グループ11 (ベトナム) | Groupe Mobile n° 11 | GM 11 | GM 11 (Vietnamese) |
機動グループ14 | Groupe Mobile n° 14 | GM 14 | GM 14 |
機動グループ21 (ベトナム) | Groupe Mobile n° 21 | GM 21 | GM 21 (Vietnamese) |
機動グループ32 (ベトナム) | Groupe Mobile n° 32 | GM 32 | GM 32 (Vietnamese) |
機動グループ42 (モンタニャール) | Groupe Mobile n° 42 | GM 42 | GM 42 (Montagnard) |
機動グループ51 (北アフリカ) | Groupe Mobile n° 51 | GM 51 | GM 51 (N African) |
機動グループ100 (コヒー連隊 ※在韓国連軍フランス大隊) | Groupement Mobile N°100 (Régiment de Corée) | GM 100 | GM 100 (Korea Regiment) |
北アフリカ機動グループ | Groupe Mobile Nord-Africain | GMNA | |
空挺 | Troupe aéroportée | TAP | |
空挺師団 | Division Aéroportée | DAP | |
SAS強襲大隊 | Bataillon de Choc S.A.S | BC SAS | |
空挺SAS準旅団 | Demi Brigade de Parachutistes SAS | DBP SAS | |
SAS空挺コマンド植民地準旅団 | Demi-Brigade Coloniale de Commandos Parachutistes SAS | DBCCP SAS | |
空挺コマンド植民地準旅団 | Demi-Brigade Coloniale de Commandos Parachutistes | DBCCP | |
空挺徒歩準旅団 | Demi-Brigade de Marche Parachutiste | DBMP | |
第1空挺猟兵連隊 | 1er Régiment de Chasseurs Parachutistes | 1er RCP | |
第1空挺猟兵連隊 | 1er Régiment de Chasseurs Parachutistes | 1er RCP | |
第10猟兵空挺大隊 | 10è Bataillon Parachutiste de Chasseurs à Pieds | 10e BPCP | |
SAS空挺大隊 | Bataillon de Parachutistes S.A.S | BP SAS | |
第1植民地空挺コマンドSAS大隊 | 1er Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes SAS | 1er BCCP SAS | |
第1植民地空挺コマンド大隊 | 1er Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 1er BCCP | |
第2植民地空挺コマンド大隊 | 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 2e BCCP | |
第2植民地空挺コマンド大隊 | 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 2e BCCP | |
第2植民地空挺コマンド大隊 | 2è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 2e BCCP | |
第3植民地空挺コマンド大隊 | 3è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 3e BCCP | |
第5植民地空挺コマンド大隊 | 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutiste | 5e BCCP | |
第5植民地空挺コマンド大隊 | 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 5e BCCP | |
第5植民地空挺コマンド大隊 | 5è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 5e BCCP | |
第6植民地空挺コマンド大隊 | 6è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 6e BCCP | |
第6植民地空挺コマンド大隊 | 6è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 6e BCCP | |
第7植民地空挺コマンド大隊 | 7è Bataillon Colonial de Commandos Parachutistes | 7e BCCP | |
空挺コマンド植民地グループ | Groupe Colonial de Commandos Parachutistes | GCCP | |
植民地空挺大隊 | Bataillon de Parachutistes Coloniaux | BPC | |
強襲空挺大隊 | Bataillon Parachutiste de Choc | BPC | |
第1強襲空挺大隊 | 1er Bataillon de Parachutistes de Choc | 1er BPC | |
第8強襲空挺大隊 | 8è Bataillon de Parachutistes de Choc | 8e BPC | |
植民地歩兵空挺大隊 | Bataillon Parachutiste d'Infanterie Coloniale | BPIC | |
第5植民地空挺歩兵大隊 | 5è Bataillon Parachutiste d'Infanterie Coloniale. | 5e BPIC | |
第8空挺コマンドグループ | 8è Groupement de Commados Parachutistes | 8e GCP | |
混成空挺コマンドグループ | Groupement de Commandos Mixtes Aéroportés | GCMA | |
コマンド・ベルジュホル | Commando " Bergerol " | ||
コマンド・ポンシャフジー | Commando " Ponchardier " | ||
軽介入軍団 | Corps Léger d'Intervention | CLI | |
第1猟騎兵連隊コマンド | Commando 1er Régiment de Chasseurs à Cheval | ||
ホアハオ空挺コマンド | Commandos Parachutistes Hoa Hao | ||
ラオス・コマンド | Commandos du LAOS | ||
コマンド・コニュー | Commando CONUS | ||
極東空挺コマンド | Commandos Parachutistes d'Extrême-Orient | ||
自由フレ軍 | Forces Hre Libres | ||
インドシナ空挺教導センター | Centre d'Instruction des Troupes Aeroportee d'Indochine | CITAP | |
空挺インドシナ中隊 | Compagnies Indochinoises Parachutistes | CIP | |
空挺グループ | Groupement aéroporté | GAP | |
歩兵 | Infanterie | ||
第3植民地歩兵師団 | 3è Division d'Infanterie Coloniale | 3e DIC | |
第3植民地歩兵師団 | 3è Division d'Infanterie Coloniale | 3e DIC | |
第9植民地歩兵師団 | 9è Division d'Infanterie Coloniale | 9e DIC | |
国連フランス軍 (BF/ONU)コヒー連隊 | Régiment de Corée | RC | |
第5植民地歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 5è Régiment d'Infanterie Coloniale | BM/5e RIC | |
第6植民地歩兵連隊 | 6è Régiment d'Infanterie Coloniale | 6e RIC | |
第6植民地歩兵連隊 | 6è Régiment d'Infanterie Coloniale | 6e RIC | |
第6植民地歩兵連隊 | 6è Régiment d'Infanterie Coloniale | 6e RIC | |
第6植民地歩兵連隊 第2大隊 | II/6è Régiment d'Infanterie Coloniale | II/6e RIC | |
第9植民地歩兵連隊 徒歩大隊 | B.M du 9è Régiment d' Infanterie Coloniale | BM/9e RIC | |
第11植民地歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 11è Régiment d'Infanterie Coloniale | BM/11e RIC | |
第16植民地歩兵連隊 | 16è Régiment d' Infanterie Coloniale | 16e RIC | |
第21植民地歩兵連隊 | 21è Régiment d'Infanterie Coloniale | 21e RIC | |
第21植民地歩兵連隊 | 21è Régiment d'Infanterie Coloniale | 21e RIC | |
第21植民地歩兵連隊 | 21è Régiment d'Infanterie Coloniale | 21e RIC | |
第22植民地歩兵連隊 | 22è Régiment d'Infanterie Coloniale | 22e RIC | |
第23植民地歩兵連隊 | 23è Régiment d'Infanterie Coloniale | 23e RIC | |
第23植民地歩兵連隊 | 23è Régiment d'Infanterie Coloniale | 23e RIC | |
第43植民地歩兵連隊 | 43è Régiment d' Infanterie Coloniale | 43e RIC | |
第43植民地歩兵連隊 徒歩大隊 | B.M du 43è Régiment d'Infanterie Coloniale | BM/43e RIC | |
第35歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 35è Régiment d'Infanterie | BM/35e RI | |
第36歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 36è Régiment d'Infanterie | BM/36e RI | |
第49歩兵連隊第1徒歩大隊 | 1er Bataillon de Marche du 49è Régiment d'Infanterie | 1er BM/49e RI | |
第110歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 110è Régiment d'Infanterie | BM/110e RI | |
第151歩兵連隊 徒歩大隊 | Bataillon de Marche du 151è Régiment d'Infanterie | BM/151e RI | |
装甲騎兵 | Blindés / Cavalerie | ||
極東機甲指令センター | Centre d'Instruction de l'Arme Blindée en Extrême-Orient | CIAB/EO | |
第1猟騎兵連隊 | 1er Régiment de Chasseurs à Cheval | 1er RCC | |
第2装甲師団機動グループ | Groupe Mobile de la 2e division blindée | GM/2e DB | |
第4装甲竜騎兵大隊 | 4è Bataillon de Dragons Portés | 4e BDP | |
第4装甲竜騎兵連隊 | 4è Régiment de Dragons Portés | 4e RDP | |
第4竜騎兵連隊 | 4è Régiment de Dragons | 4e RDP | |
第5胸甲騎兵連隊 | 5è Régiment de Cuirassiers | 5e RC | |
第9竜騎兵戦隊 | Escadron du 9è Dragon | ||
第8アルジェリア・スパッヒ・グループ | 8è Groupe de Spahis Algériens | 8e GSA | |
第8アルジェリア・スパッヒ連隊 | 8è Régiment de Spahis Algériens | 8e RSA | |
第2モロッコ・スパッヒ連隊 | 2è Régiment se Spahis Marocains | 2e RSM | |
第5モロッコ・スパッヒ連隊 | 5è Régiment de Spahis Marocains | 5e RSM | |
第6モロッコ・スパッヒ連隊 | 6è Régiment de Spahis Marocain | 6e RSM | |
極東スパッヒ徒歩連隊 | Régiment de Marche de Spahis d'Extrême-Orient | RMSEO | |
極東植民地装甲連隊 | Régiment Blindé Colonial d' Extrème-Orient | RBCEO | |
自動車偵察戦隊 | Escadron Autonome de Reconnaissance | EAR | |
第1徒歩機甲戦隊グループ | 1er Groupe d'Escadrons de Marche de l'Arme Blindée | 1er GEMAB | |
第1モロッコ・スパッヒ連隊第7戦隊 | 7th Squadron, 1st Moroccan Spahis Marche Regiment | ||
第2極東インドシナ偵察戦隊 | 1st Far East Independent Reconnaissance Squadron | ||
第3極東インドシナ偵察戦隊 | 2nd Far East Independent Reconnaissance Squadron | ||
第4極東インドシナ偵察戦隊 | 3rd Far East Independent Reconnaissance Squadron | ||
第5極東インドシナ偵察戦隊 | 4th Far East Independent Reconnaissance Squadron | ||
第1極東インドシナ偵察戦隊 | 5th Far East Independent Reconnaissance Squadron | ||
砲兵 | Artillerie | Artillery | |
第2砲兵連隊 | 2è Régiment d'Artillerie | 3e RA | 2nd Artillery Regiment |
第4植民地砲兵連隊 | 4è Régiment d'Artillerie Coloniale | 4e RAC | 4th Colonial Artillery Regiment |
第10植民地砲兵連隊 | 10è Régiment d'Artillerie Coloniale | 5e RAC | 10th Colonial Artillery Regiment |
第41植民地砲兵連隊 | 41è Régiment d'Artillerie Coloniale | 6e RAC | 41st Colonial Artillery Regiment |
第69アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ | G.M du 69è Régiment d'Artillerie d'Afrique | GM/69e RAA | 69th African Artillery Regiment |
モロッコ植民地砲兵連隊 | Régiment d'artillerie coloniale du Maroc | RACM | Moroccan Colonial Artillery Regiment |
第64アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ | G.M du 64è Régiment d'Artillerie d'Afrique | GM/64e RAA | Marche Battalion, 64th Artillery Regiment |
第66アフリカ砲兵連隊 徒歩グループ | G.M du 66è Régiment d'Artillerie d'Afrique | GM/66e RAA | Marche Battalion, 66th Artillery Regiment |
第1極東植民地対空砲兵グループ | 1er groupe antiaérien d'artillerie coloniale d'Extrême-Orient | 1er GAACEO | 1st Battalion, Far East Colonial Antiaircraft Regiment |
第35空挺軽砲兵連隊 | 35è Régiment d'Artillerie Légère Parachutiste | 35e RALP | 1st Group, 35th Parachute Regiment (Light Artillery) |
第21空中観測大隊 | 21st Aerial Observation Battalion | ||
第22空中観測大隊 | 22nd Aerial Observation Battalion | ||
第23空中観測大隊 | 23rd Aerial Observation Battalion | ||
第24空中観測大隊 | 24th Aerial Observation Battalion | ||
第216対空砲兵大隊 | 261st Antiaircraft Battalion | ||
西アフリカ・フランス植民地砲兵グループ | Groupe d'Artillerie Coloniale d'Afrique Occidentale Française | GACAOF | French East African Colonial Artillery Battalion |
レバント植民地山岳砲兵大隊 | Levant Colonial Mountain Artillery Battalion | ||
第1中央アンナン砲兵大隊 | 1st Central Annam Artillery Battalion | ||
第2中央アンナン砲兵大隊 | 2nd Central Annam Artillery Battalion | ||
インドシナ | Indochinoise | Indochinese | |
第2トンキン徒歩師団 | 2è Division de Marche du Tonkin | 2e DMT | |
第1トンキン狙撃兵連隊 | 1st Tonkin Rifle Regiment | ||
第4トンキン狙撃兵連隊 徒歩大隊 | Marche Battalion, 4th Tonkin Rifle Regiment | ||
第1カンボジア混成連隊 | 1er Régiment Mixte du Cambodge | 1er RMC | Cambodian Composite Battalion |
第2カンボジア混成連隊 | 2è Régiment Mixte du Cambodge | 2e RMC | |
第3カンボジア混成連隊 | 3è Régiment Mixte du Cambodge | 3e RMC | |
第3カンボジア猟兵大隊 | 3è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens | 3e BCC | |
第5カンボジア猟兵大隊 | 5è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens | 5e BCC | |
アンナン大隊 | Annam Battalion | ||
サイゴン・チョロン守備大隊 | Saigon-Cholon Garrison Battalion | ||
第1極東旅団 | 1er Brigade d'Extrême-Orient | 1er BEO | |
第1極東徒歩大隊 | 1er Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 1er BMEO | 1st Far East Marche Battalion |
第2極東徒歩大隊 | 2è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 2e BMEO | 2nd Far East Marche Battalion |
第3極東徒歩大隊 | 3è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 3e BMEO | 3rd Far East Marche Battalion |
第4極東徒歩大隊 | 4è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 4e BMEO | 4th Far East Marche Battalion |
第5極東徒歩大隊 | 5è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 5e BMEO | 5th Far East Marche Battalion |
第6極東徒歩大隊 | 6è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 6e BMEO | 6th Far East Marche Battalion |
第7極東徒歩大隊 | 7è Bataillon de Marche d'Extrême-Orient | 7e BMEO | 7th Far East Marche Battalion |
第1インドシナ徒歩大隊 | 1er Bataillon de Marche Indochinois | 1er BMI | 1st Indochina Marche Battalion |
第2インドシナ徒歩大隊 | 2è Bataillon de Marche Indochinois | 2e BMI | 2nd Indochina Marche Battalion |
第3インドシナ徒歩大隊 | 3è Bataillon de Marche Indochinois | 3e BMI | 3rd Indochina Marche Battalion |
第1インドシナ空挺中隊 | 1ère Compagnie Indochinoise Parachutiste | 1er CIP | |
第6インドシナ空挺中隊 | 6è Compagnie Indochinoise Parachutiste | 6e CIP | |
第8インドシナ空挺中隊 | 8è Compagnie Indochinoise Parachutiste | 8e CIP | |
第1ラオ・クメール偵察戦隊 | 1er Escadron de Reconnaissance Laotien & Kmer | ||
マキ・ラオス | Maquis laotiens | ||
ムオン族 | Muongs | Muongs | |
第1ムオン大隊 | 1er Bataillons Muongs | 1st Muong Battalion | |
第2ムオン大隊 | 2è Bataillons Muongs | 2nd Muong Battalion | |
タイー族 | Thaï | Thais | |
第1タイー大隊 | 1er Bataillon Thaï | 1er BT | 1st Thai Battalion |
第2タイー大隊 | 2è Bataillon Thaï | 2e BT | 2nd Thai Battalion |
第3タイー大隊 | 3è Bataillon Thaï | 3e BT | 3rd Thai Battalion |
ベトナム国軍 | Armée Nationale Vietnamienne | ANV | |
第1ベトナム大隊 | 1er Bataillon Vietnamien | 1er BVN | |
第2ベトナム大隊 | 2è Bataillon Vietnamien | 2e BVN | |
第3ベトナム大隊 | 3è Bataillon Vietnamien | 3e BVN | |
第4ベトナム大隊 | 4è Bataillon Vietnamien | 4e BVN | |
第56ベトナム大隊 | 56è Bataillon Vietnamien | 56e BVN | |
第82ベトナム大隊 | 82è Bataillon Vietnamien | 82e BVN | |
第1ベトナム空挺大隊 | 1er Bataillon de Parachutistes Vietnamiens | 1er BPVN | |
第3ベトナム空挺大隊 | 3è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens | 3e BPVN | |
第5ベトナム空挺大隊 | 5è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens | 5e BPVN | |
第6ベトナム空挺大隊 | 6è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens | 6e BPVN | |
第7ベトナム空挺大隊 | 7è Bataillon de Parachutistes Vietnamiens | 7e BPVN | |
第1ベトナム偵察戦隊 | 1er Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 1er ERVN | |
第2ベトナム偵察戦隊 | 2è Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 2e ERVN | |
第3ベトナム偵察戦隊 | 3è Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 3e ERVN | |
第4ベトナム偵察戦隊 | 4è Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 4e ERVN | |
第5ベトナム偵察戦隊 | 5è escadron de Reconnaissance Vietnamien | 5e ERVN | |
第6ベトナム偵察戦隊 | 6è Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 6e ERVN | |
第8ベトナム偵察戦隊 | 8è Escadron de Reconnaissance Vietnamien | 8e ERVN | |
第1ベトナム竜騎兵連隊 | 1er Régiment de Dragons Vietnamien | ||
第3ベトナム竜騎兵連隊 | 3è Régiment de Dragons Vietnamien | ||
第4ベトナム砲兵グループ | 4è Groupe d'Artillerie Vietnamienne | 4e GAVN | |
第5ベトナム砲兵グループ | 5è Groupe d'Artillerie Vietnamienne | 5e GAVN | |
ラオス国軍 | Armée Nationale Laotienne | Laotians | |
第1ラオス猟兵大隊 | 1st Laotian Chasseurs Battalion | ||
第2ラオス猟兵大隊 | 2nd Laotian Chasseurs Battalion | ||
第3ラオス猟兵大隊 | 3rd Laotian Chasseurs Battalion | ||
第4ラオス猟兵大隊 | 4th Laotian Chasseurs Battalion | ||
第5ラオス猟兵大隊 | 5th Laotian Chasseurs Battalion | ||
第6ラオス猟兵大隊 | 6th Laotian Chasseurs Battalion | ||
第7ラオス猟兵大隊 | 7th Laotian Chasseurs Battalion | ||
第8ラオス猟兵大隊 | 8th Laotian Chasseurs Battalion | ||
第1ラオス空挺大隊 | 1er Bataillon de Parachutistes Laotien | 1er BPL | |
第3ラオス空挺中隊 | 3è Compagnie de Parachutistes Laotiens | 3e CPL | |
第1ラオス空挺コマンド中隊 | 1ère Compagnie de Commandos Parachutistes Laotiens | 1er CCPL | |
第5ラオス・コマンド | 5è Commando Laotien | ||
クメール王国軍 | Forces armées royales khmères | FARK | |
第1クメール空挺大隊 | 1er Bataillon de Parachutistes Khmers | 1er BPK | |
第1カンボジア混成連隊 | 1er Régiment Mixte du Cambodge | 1er RMC | |
第2カンボジア混成連隊 | 2è Régiment Mixte du Cambodge | 2e RMC | |
第3カンボジア混成連隊 | 3è Régiment Mixte du Cambodge | 3e RMC | |
第3カンボジア猟兵大隊 | 3è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens | 3e BCC | |
第5カンボジア猟兵大隊 | 5è Bataillon de Chasseurs Cambodgiens | 5e BCC | |
プノンペン守備大隊 | Phnom Penh Garrison Battalion | ||
アルジェリア・チュニジア | Algérien / Tunisiens | Algerians/Tunisians | |
第1アルジェリア狙撃兵連隊 第2徒歩大隊 | 2è BM du 1er Régiment de Tirailleurs Algérien | 2e BM/1er RTA | 1st Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment |
第2アルジェリア狙撃兵連隊 | 2nd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment | ||
第3アルジェリア狙撃兵連隊 | 3è Régiment de Tirailleurs Algérien | 3e RTA | 3rd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment |
第6アルジェリア狙撃兵連隊 | 6è Régiment de Tirailleurs Algérien | 6e RTA | |
第7アルジェリア狙撃兵連隊 | 7è Régiment de Titailleurs Algérien | 7e RTA | 7th Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment |
第22アルジェリア狙撃兵連隊 | 22nd Algerian Rifle (Tirailleurs) Regiment | ||
第21アルジェリア狙撃兵大隊 | 21st Algerian Rifle Battalion | ||
第22アルジェリア狙撃兵大隊 | 22è Bataillon de Tirailleurs Algériens | 22e BTA | 22nd Algerian Rifle Battalion |
第23アルジェリア狙撃兵大隊 | 23rd Algerian Rifle Battalion | ||
第25アルジェリア狙撃兵大隊 | 25th Algerian Rifle Battalion | ||
第27アルジェリア狙撃兵大隊 | 27th Algerian Rifle Battalion | ||
第205アルジェリア狙撃兵大隊 | 205th Algerian Rifle Battalion | ||
第217アルジェリア狙撃兵大隊 | 217th Algerian Rifle Battalion | ||
第8アルジェリア・スパッヒ・グループ | 8è Groupe de Spahis Algériens | 8e GSA | |
第4チュニジア狙撃兵連隊 | 4è Régiment de Tirailleurs Tunisiens | 4e RTT | 4th Tunisian Rifle Regiment |
第4チュニジア狙撃兵連隊 | 4è Régiment de Tirailleurs Tunisiens | 4e RTT | |
第1アフリカ軽歩兵大隊 | 1st African Light Infantry Battalion | ||
モロッコ | Marocains | Moroccans | |
モロッコ植民地歩兵連隊 | Régiment d’Infanterie Coloniale du Maroc | RICM | Moroccan Colonial Rifle Regiment |
第1モロッコ狙撃兵連隊 | 1er Régiment de Tirailleurs Marocains | 1er RTM | 1st Moroccan Rifle Regiment |
第2モロッコ狙撃兵連隊 | 2nd Moroccan Rifle Regiment | ||
第3モロッコ狙撃兵連隊 | 3rd Moroccan Rifle Regiment | ||
第4モロッコ狙撃兵連隊 第1徒歩大隊 | 1er BM du 4è Régiment de Tirailleurs Marocains | 1er BM/4e RTM | 4th Moroccan Rifle Regiment |
第5モロッコ狙撃兵連隊 | 5è Régiment de Tirailleurs Marocain | 5e RTM | 5th Moroccan Rifle Regiment |
第6モロッコ狙撃兵連隊 | 6th Moroccan Rifle Regiment | ||
第7モロッコ狙撃兵連隊 徒歩大隊 | Marche Battalion, 7th Moroccan Rifle Regiment | ||
第8モロッコ狙撃兵連隊 徒歩大隊 | B.M du 8è Régiment de Tirailleurs Marocains | BM/8e RTM | 0st Marche Battalion, 8th Moroccan Rifle Regiment |
第201北アフリカ工兵歩兵連隊 第1徒歩大隊 | 1st Marche Battalion, 201st North African Pioneer Infantry Regiment | ||
第5モロッコ・スパッヒ連隊 | 5è Régiment de Spahis Marocains | 5e RSM | |
タボール・グループ ※タボール:アフリカ支援兵(グエミ) | Groupement des Tabors | GT | |
第1モロッコ・タボール大隊 | 1st Moroccan Tabor Battalion | ||
第2モロッコ・タボール大隊 | 2nd Moroccan Tabor Battalion | ||
第3モロッコ・タボール大隊 | 3rd Moroccan Tabor Battalion | ||
第5モロッコ・タボール大隊 | 5th Moroccan Tabor Battalion | ||
第8モロッコ・タボール大隊 | 8th Moroccan Tabor Battalion | ||
第9モロッコ・タボール大隊 | 9th Moroccan Tabor Battalion | ||
第10モロッコ・タボール大隊 | 10th Moroccan Tabor Battalion | ||
第11モロッコ・タボール大隊 | 11th Moroccan Tabor Battalion | ||
第17モロッコ・タボール大隊 | 17th Moroccan Tabor Battalion | ||
第207モロッコ極東徒歩狙撃兵大隊 | 207th Moroccan Far East Rifle Marche Battalion | ||
第214モロッコ極東大隊 | 214th Moroccan Far East Battalion | ||
セネガル・中央アフリア | Senegalese/Central Africans | ||
第13セネガル狙撃兵連隊 徒歩大隊 | Marche Battalion, 13th Senegalese Rifle Regiment | ||
第24セネガル狙撃兵連隊 | 24th Senegalese Rifle Marche Regiment | ||
第26セネガル狙撃兵大隊 | 26th Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第27セネガル狙撃兵大隊 | 27th Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第28セネガル狙撃兵大隊 | 28th Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第29セネガル狙撃兵大隊 | 29th Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第30セネガル狙撃兵大隊 | 30th Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第31セネガル狙撃兵大隊 | 31st Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第32セネガル狙撃兵大隊 | 32nd Senegalese Rifle Marche Battalion | ||
第104セネガル大隊 | 104th Senegalese Battalion | ||
チャド徒歩連隊 第4大隊 | 4th Battalion, Chad Marche Regiment | ||
第1フランス東アフリカ徒歩大隊 | 1st French East African Marche Battalion (West?) | ||
第2フランス中央アフリカ徒歩大隊 | 2nd French Central African Marche Battalion | ||
第3フランス東アフリカ徒歩大隊 | 3rd French East African Marche Battalion (West?) | ||
外人部隊 | Légion Etrangère | ||
第1外人空挺大隊 | 1er Bataillon Etranger Parachutiste | 1er BEP | |
外人空挺インドシナ中隊 | Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère | CIPLE | |
第1外人空挺インドシナ中隊 | 1er Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère | 1er CIPLE | |
第2外人空挺大隊 | 2è Bataillon Etranger Parachutiste | 2e BEP | |
第2外人空挺インドシナ中隊 | 2e Compagnie Indochinoise Parachutiste de la Légion étrangère | 2e CIPLE | |
第1外人歩兵連隊徒歩大隊 | BM du 1er Régiment Etranger d' Infanterie | BM/1er REI | |
第2外人歩兵連隊 | 2è Régiment Etranger d' Infanterie | 2e REI | |
第3外人歩兵連隊 | 3e Régiment Etranger d'Infanterie | 3e REI | |
第4外人歩兵連隊第5大隊 | 5e BM du 4è Régiment Etranger d'Infanterie | 5e BM/4e REI | |
第5外人歩兵連隊 | 5è Régiment Etranger d'Infanterie | 5e REI | |
第6外人歩兵連隊第3大隊 | 3e BM du 6è Régiment Etranger d'Infanterie | 3eBM/6e REI | |
第13外人準旅団 | 13è Demi Brigade de Légion Etrangère | 13e DBLE | |
外人中央整備中隊 | Compagnie Moyenne de Réparation de la Légion Etrangère | CMRLE | |
第1外人空挺重迫撃砲中隊 | 1ère Compagnie Etrangère Parachutiste de Mortiers lourds | 1re CEPML | |
外人徒歩連隊 | Régiment de Marche de la Légion Etrangère | RMLE | |
第1外人騎兵連隊 | 1er Régiment Etranger de Cavalerie | 1er REC | |
支援軽中隊 | Compagnie Légère de Supplétifs Militaire | CLSM | |
コマンド610 | Commando 610 | ||
コマンド620 | Commando 620 | ||
北部ベトナムコマンド | Commandos d'Intervalles du Nord-Vietnam | ||
コマンド1 | Commando n°1 | ||
コマンド2 ※ 後の海軍コマンド・ティプル | Commando n°2 (Commando Trepel) | ||
コマンド3 | Commando n°3 | ||
コマンド4 ※後の海軍コマンド・ペンフェンテニュー | Commando n°4 (Commando Penfentenyo) | ||
コマンド5 | Commando n°5 | ||
コマンド6 | Commando n°6 | ||
コマンド7 | Commando n°7 | ||
コマンド8 | Commando n°8 | ||
コマンド9 | Commando n°9 | ||
コマンド10 (コマンド・プレヴィーエ/第2外人空挺大隊) | Commando n°10 (Commando de Preville) | ||
コマンド11 | Commando n°11 | ||
コマンド12 | Commando n°12 | ||
コマンド13(モロッコ植民地歩兵連隊) | Commando n°13 (Régiment d’Infanterie Coloniale du Maroc) | ||
コマンド14 | Commando n°14 | ||
コマンド15 | Commando n°15 | ||
コマンド16 | Commando n°16 | ||
コマンド17 | Commando n°17 | ||
コマンド18 | Commando n°18 | ||
コマンド19 | Commando n°19 | ||
コマンド20 (ムオン支援軍) | Commando n°20 (Suppletifs Muong) | ||
コマンド21 | Commando n°21 | ||
コマンド22 | Commando n°22 | ||
コマンド23 (コマンド・ルイスコニー) | Commando n°23 | ||
コマンド24 (コマンド・ヴァンデンベルゲ) | Commando n°24 | ||
コマンド25 | Commando n°25 | ||
コマンド26 | Commando n°26 | ||
コマンド27 | Commando n°27 | ||
コマンド28 | Commando n°28 | ||
コマンド29 | Commando n°29 | ||
コマンド30 (コマンド・ローベル) | Commando n°30 (Commando Robert) | ||
コマンド31 | Commando n°31 | ||
コマンド32 | Commando n°32 | ||
コマンド33 | Commando n°33 | ||
コマンド34 | Commando n°34 | ||
コマンド35 | Commando n°35 | ||
コマンド36 | Commando n°36 | ||
コマンド37 | Commando n°37 | ||
コマンド38 | Commando n°38 | ||
コマンド39 | Commando n°39 | ||
コマンド40 | Commando n°40 | ||
コマンド41 | Commando n°41 | ||
コマンド42 | Commando n°42 | ||
コマンド43 | Commando n°43 | ||
コマンド44 | Commando n°44 | ||
コマンド45 | Commando n°45 | ||
コマンド61 | Commando n°61 | ||
コマンド62 | Commando n°62 | ||
コマンド63 | Commando n°63 | ||
コマンド65 | Commando n°65 | ||
工兵 | Engineer | Engineers | |
第17工兵大隊 | 17th Engineer Battalion | ||
第22工兵大隊 | 22nd Engineer Battalion | ||
第26工兵大隊 | 26th Engineer Battalion | ||
第28工兵大隊 | 28th Legion Engineer Battalion | ||
第31工兵大隊 | 31st Engineer Battalion | ||
第61工兵大隊 | 61st Engineer Battalion | ||
第62工兵大隊 | 62nd Engineer Battalion | ||
第71工兵大隊 | 71st Engineer Battalion | ||
第72工兵大隊 | 72nd Engineer Battalion | ||
第73工兵大隊 | 73rd Engineer Battalion | ||
第75工兵大隊 | 75th Engineer Battalion | ||
第61植民地工兵大隊 | 61st Colonial Engineer Battalion | ||
第71植民地工兵大隊 | 71st Colonial Engineer Battalion | ||
第72植民地工兵大隊 | 72nd Colonial Engineer Battalion | ||
第73植民地工兵大隊 | 73rd Colonial Engineer Battalion | ||
第74植民地工兵大隊 | 74th Colonial Engineer Battalion | ||
第76植民地工兵大隊 | 76th Legion Engineer Battalion | ||
後方支援 | Support | ||
第532衛生輸送中隊 | 532nd Medical Transportation Company | ||
極東暫定旅団 植民活動・輸送中隊 | Far Eastern Provisional Brigade's Colonial Service and Transportation Company | ||
第71交通管制中隊 | 71st Traffic Control Company | ||
第73交通管制中隊 | 73rd Traffic Control Company | ||
第503輸送中隊 | 503rd Transportation Battalion | ||
第515輸送中隊 | 515th Transportation Battalion | ||
第516輸送中隊 | 516th Transportation Battalion | ||
第519輸送中隊 | 519th Transportation Battalion | ||
第163伝令植民地大隊 | 163eme Colonial Battalion of Transmissions |
見ての通り、第一次インドシナ戦争を戦った『フランス軍』のほとんどが植民地軍の部隊です。つまり、フランス連合軍兵士のほとんどは植民地出身のアジア人とアフリカ人であり、本土フランス人(ウーホピアン)は士官としてその指揮を執るだけという形が大半でした。そのため第二次大戦後のインドシナ半島では、フランスの支配下で生まれ育った彼ら植民地兵が、フランスのため、インドシナ連邦維持のため、植民地解放を掲げるベトミン軍と殺し合うという矛盾に満ちた光景が繰り広げられました。
これを傍から見れば、植民地兵たちは単に帝国主義の道具として消耗された哀れな人々であります。さらに悲劇的な事に、この戦争の震源地であるベトナム出身の兵士たちにとって、敵は同じベトナム人でした。しかし、彼らは果たしてベトナム共産党が宣伝するような「フランス帝国主義に追従し、自国の解放を妨げた傀儡勢力」だったのでしょうか?
ベトミンが掲げる民族自決の理想は、植民地支配を受ける多くのベトナム人にとって悲願でした。しかしその一方で、ベトミンの一部にはベトナム人がフランスや日本軍に協力的または単に反抗しなかったというだけで裏切り者と見なす過激な思想があり、ホー・チ・ミンによる八月革命が成功した当初からベトナム国内では『裏切り者』へのテロ、虐殺が相次いでいました。独立への期待が高まる一方で、実際にはベトナム国民の中には長い植民地支配の中で抵抗を諦めフランス人との共存を選んだ者も少なくなく、ベトミンが支配地域を拡大すれば特にキリスト教徒などの親仏派住民がさらに弾圧される事が危惧されていました。
そんな中、1948年に皇帝バオダイを首班とするベトナム国が建国された事でベトナム国民の中には、戦争による犠牲者ばかりを増やすベトミンを見限り、フランスの勢力下に甘んじるとしても平和な日常を求める声が日増しに強まっていきました。ベトナム独立を志す若者の中にも、ベトミンの闘争が中国・ソ連からの支援に依存している以上、フランスに勝利したとしてもこれらの国からの干渉は避けられず、ベトナムに真の平和と独立はもたらされないと考える者も多くなり、大勢の若者がベトミン政権阻止のため国軍に志願していきました。そしてピーク時の1954年1月には、ベトナム国軍の総兵力は20万人に達し、ベトミン掃討を目指すフランス連合軍の主力として大きな役割を担いました。
しかし戦いはベトミン軍の勝利に終わり、ベトミンとフランスがジュネーヴ協定を締結した事で、ベトナム国は領土の北半分を失う結果となりました。そして北ベトナムを支配したホー・チ・ミン政権は、その後もベトナム国/ベトナム共和国政府の解体を目指し南ベトナム解放民族戦線を介した政府関係者・一般市民へのテロ攻撃と、周辺国への軍事侵攻を推し進めていきます。(=ベトナム戦争)
ベトナム共産党は現在でもこの坑仏戦争を、植民地からの解放を成し遂げた英雄的偉業と規定しており、その栄光と犠牲の物語を国内の求心力維持にフル活用しています。しかしその偉業の影には、帝国主義と過激な民族主義の板ばさみの中で祖国の行く末を案じ、あえてフランスと協調する道を選んだベトナム人も大勢いた事を忘れてはならないでしょう。
『忘れられた物語: インドシナ降下兵』 (ドキュメンタリー番組『トリコロールの帝国』より)
フランス ノジャン・シュル・マルヌのベトナム兵記念碑で毎年11月2日に行われる戦没者追悼式典

ノジャン・シュル・マルヌの記念碑にはこう記されています。
天歐赫義越───ベトナム義士欧州の天に輝く
2015年04月27日
2015年04月17日
プノンペン陥落から40年
今から40年前の1975年4月17日、クメール共和国(カンボジア)の首都プノンペンはカンボジア共産党軍クメール・ルージュによって占領され、1970年以来続いていたカンボジア内戦は一時終息しました。当時日本の一部メディアやベトナム反戦運動に熱心だった勢力は、ベトナムに先立って『アメリカ帝国主義者の傀儡政権が倒れ、カンボジア人民の真の解放が成された』と大いに賞賛したそうです。解放されたはずのカンボジア国民がその後、どれだけ凄惨な体験をするかなど知る由も無く・・・。
映画『キリング・フィールド』に描かれた陥落直後のプノンペン市内
※映画なんかで歴史を学んだ気になってはいけないけど、この作品は当時その場に居たシドニー・シャンバーグの体験に基づく物であり、ある程度信憑性のある再現VTRとして見る事もできます
続きを読む2015年03月30日
インドシナ半島の諸民族と歴代勢力
僕がベトナム戦争コスプレを集め始めた当初は米軍LRRPのつもりで装備を集めてましたが、周りから「どう見てもヤードor南ベ」と言われまくったせいで、だんだん興味がベトナム人や少数民族の方に移っていきました。
また今思えば、歴史趣味の観点から見ても、20世紀後半最大の戦争であるベトナム戦争は(当然の事ながら)インドシナ半島の人々を中心に発生しており、彼らを知ることはあの戦争を学ぶ上で避けては通れない道でした。
(つまり僕の中では、第2次大戦を学ぶ上でナチス・ドイツを調べるってくらいオーソドックスな事をしているつもり。)
そんな中、最近ベトナムの少数民族に興味があるという声を(極少数w)頂くので、自分用に作った表を公開してみます。
この表は少数民族に限らず、マジョリティーも含めたインドシナ半島に住む民族と歴代の勢力のまとめです。(ただしミャンマーやマレーシアを含めると書ききれないので、インドシナ戦争に関った人々限定)
こうしてまとめてみると、あの地域の歴史の奥深さを感じるのと同時に、何年経っても争い絶えない怨恨の根深さも垣間見れました・・・
付け焼刃な知識なもので、もしかしたら間違ってる部分もあるかも。

(↑クリックで拡大)
続きを読むPosted by 森泉大河 at
15:52
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