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2021年05月08日

撮影会② FANK第294猟兵大隊

先日の撮影会で撮った写真その2です。
その1はこちら

こちらの設定は、カンボジア内戦(1970-1975)時代のクメール陸軍第23歩兵旅団第294猟兵大隊。




クメール兵が5人に増殖しました。
次は米国製装備が行き渡る前(1970年代初頭)の共産圏装備時代のFANKをやってみようと思います。
(1970年にクメール共和国=ロン・ノル政権が成立して反共・親米体制になる前の、クメール王国=シハヌーク政権時代のカンボジアはむしろ第三世界の中でも親中・親ソが顕著な準共産陣営国家でした。だからベトナム人民軍や解放民族戦線といった外国の武装勢力が自国の領土(ホーチミン・トレイル)を我が物顔で往来していても黙認していた訳です。)



まけ:幻の空挺師団

他にも撮影会前に僕は、72年アンロクのベトナム陸軍空挺師団やるよと告知しました。


しかし当日空挺師団の衣装を持ってきたのは二人だけicon10
パッチ以外は空挺コマンドとほとんど変わらないから、上着を交換するだけで楽にできるのに、そもそもメンバーが告知をちゃんと読んでないという落とし穴。
逆によく空挺コマンドがあれだけ集まったなと思います。
  


2021年04月06日

配布物

東南アジアの軍装を趣味にしていると、実物はおろかレプリカすらなかなか手に入らない物品が多々あります。
と言うか、レプリカが山ほど出回ってる日米独等だけが異常に恵まれてるのであって、基本的にはレプリカなど望めないのが普通なんですよね。
そして欲しいものが売ってない場合、選択肢は「諦める」か「自作する」しかないので、僕はこれまで、こういった品々を自作してきました。
これらは僕個人でコスプレをする上では十分なのですが、他方で、リエナクトや撮影会は集団芸なので、できれば自分以外の人にも同じ物を身に着けて欲しいと思ってしまいます。
とは言え、他の人に「あなたも自作して」と求めるのは無駄だし厚かましい。
なので僕は、自分の好きな軍装を集団で着るという願望を叶えるために、仲間の分も自作して(有料ですが)配布しています。


以下、最近作った物


ベトナム陸軍迷彩ヘルメット

先日制作した4代目迷彩ヘルメットと同じ製法で、友人からの依頼分を塗装しました。




今回見本としたのは1971年当時に空挺師団で使われていたリーフ系パターンの一つですが、ほぼ同じ迷彩ヘルメットがレンジャー部隊や第81空挺コマンド群、一部の歩兵部隊でも使われているので、空挺以外にも使いまわす事が出来ます。



クメール陸軍第23歩兵旅団パッチ

こちらは頼まれてないけど、付けて欲しいので勝手に作って送りつける物。


3年ほど前にFANK第294猟兵大隊パッチを制作しましたが、その時は左袖に付ける(294大隊の親部隊である)第23歩兵旅団のパッチが手に入らなかったので、軍服の左袖(本当はこちらがメイン)がずっと空白のままでした。
ところが最近、ようやく23旅団に関する資料が手に入ったので、さっそく自家製プリントパッチに起しました。
これでようやく旅団・大隊のセットが揃ったので、これまで294大隊パッチを渡した人には、有無を言わさずこの23旅団パッチも付けてもらおうと思います。

自分用のパッチは、さっそく服に縫い付けました。

当初、ヘルメットに髑髏の鉢巻きという294大隊の軍装はあくまでイロモノであり、ちゃんとした(典型的な)クメール陸軍歩兵の軍装はまた別に作るので、294大隊のパッチはたまたま持っていたエクアドル製のTCU風ジャケットに付けていました。
しかしいくらイロモノとは言え、せっかく手間暇かけて徽章を作った以上、明らかに裁断が違う服を使うのはもったいないと感じるようになったので、あらためてロスコ製BDU改造のクメール軍野戦服(隠しボタン型)に付け替えました。

ちなみにこの服の設定は、『第9歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊』という長ったらしい部隊名です。
歩兵旅団群(Groupments Brigades d’Infanterie)とは、クメール陸軍が1970年に新設した編成単位です。
それまで(王国時代の)クメール陸軍の兵力は、全国で数十個の猟兵大隊(Bataillon de Chasseurs=軽歩兵大隊)が独立して存在する程度であり、師団はおろか連隊すら存在していませんでした。
しかし1970年にロン・ノル将軍によるクーデターを機にカンボジア内戦が勃発すると、陸軍は組織改編と兵力の増強を開始し、間もなく歩兵旅団(Brigades d’Infanterie)を創設して、各地の猟兵大隊を18個の旅団にまとめます。
更にその直後(1970年中頃)、人数が少ないので師団とまでは行かないものの、歩兵旅団の上位に、各2個の歩兵旅団から成る歩兵旅団群を15個創設しました。
以後、陸軍は『歩兵旅団群―歩兵旅団―猟兵大隊』を基本的な編成単位として拡大していきます。(さらに1972年からは歩兵旅団群を拡大した歩兵師団(Divisions d’Infanterie)も順次創設)

野戦服に付けるインシグニアは、今回の作例のように、基本的にはメインとなる左袖に旅団パッチが付き、右袖は大隊等の下部部隊となるようです。ただし右袖にパッチを付ける事自体が稀であり、基本的には左袖の旅団パッチのみの場合が多いように見受けられます。

また、これも稀な例ですが、左袖に旅団ではなく、その上位の旅団群のパッチを付けている例もあります。

第7歩兵旅団群パッチの着用例

今までのところ、僕が確認している旅団群パッチの着用例は、兵士が皆迷彩服を着ているので、もしかしたら彼らは歩兵旅団/猟兵大隊に所属する普通の歩兵ではなく、旅団群本部付きの偵察中隊やコマンド隊員なのかも知れません。
  


2020年12月07日

友人からの依頼

カリフォルニアでベトナム軍リエナクト(主に陸軍第5歩兵師団)をやっているベトナム系アメリカ人の友人から、チームの初心者に当時の軍装を解説するために、君のイラストを使わせてもらえないか?と問い合わせがありました。
もちろん二つ返事でOKしましたが、彼のチームはうちら日本のグループと同じく、1950年代~1975年まで幅広い年代をリエナクトの対象としているので、イラストも時代ごとに再編集しておきました。


1960年代初頭に導入(1)



1960年代初頭に導入(2)

 

1960年代中盤に導入



1960年代終盤に導入 

 

1970年代に導入




ちなみに今回のイラストは第5歩兵師団をテーマとしていますが、他の空挺やレンジャー、海兵隊といった即応(機動歩兵)部隊も、徽章や迷彩服が異なるだけで、個人装備に関してはこれとほとんど同じです。


おまけ

彼らカリフォルニアのグループはFANK(クメール国軍)も好きという事なので、僕が自作したクメール陸軍第23旅団第294大隊のパッチ&鉢巻きを使ってくれています。
これでうちのチームも含めると、最低でも世界で5人は294大隊のコスプレしている事になります。いつか全員集合したいなぁ~


ウソみたいだろ。二人ともROTC出た予備役将校なんだぜ。それで
  


2020年04月27日

STAY HOMEその2

引き続き、細々とした作業を片付けました。


①FANK(クメール国軍) 隠しボタン2ポケット・ジャケット

2年前に「そのうちやる」と言ったきり止まっていたクメール陸軍歩兵計画を再始動。

ロスコ製の米軍BDU風ジャケット(ポプリン生地)を素材に


下側のポケットと肘当て、カフスおよびウエストのストラップを外すだけの簡単なお仕事です。

部隊章はまだ作っていません。ただし、当時からインシグニアを付けていない兵士は大勢いたので、このままでも十分コスプレに使えます。
僕もクメール軍については勉強し始めたばかりなので、インシグニアを付けるのであれば、もうちょっと戦史などを調べた上で、服の設定を考えたいと思います。


②ベトナム海兵隊第1海兵大隊

以前作った第1海兵大隊仕様のグリーンリーフ迷彩服(東京ファントム製)は、自分で付けたインシグニアに誤りがあったので作り直しました。


・ネームテープ:✕青地に白文字→〇青地に黒文字
・部隊章:✕後期型(1971-1975)→〇前期型(1960-1971)

※ネームテープ色については過去記事『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』参照


③ベトナム地方軍

昔、趣味の先輩が、米軍ユーティリティユニフォーム(OG-107)から改造して作ったベトナム軍カーキ2ポケット作戦服風シャツを、地方軍仕様にしました。

自家製パッチを付けると共に、ボタンはクラッシファイド製レプリカに交換しました。


  


2019年10月13日

CIDG計画とFULRO(フルロ)

※2019年10月15日更新

 最近、CIDGごっこを計画する中でフルロ(FULRO)の話が話題に上がった(と言うか僕が話したくて仕方なかった)ので、CIDGとフルロの関係を分かりやすく図にしてみました。

▲CIDGとフルロの大まかな関係を示した図(クリックでPDF開きます)

 なお今回は触れませんでしたが、少数民族の自治・独立運動は1958年のバジャラカ運動が最初という訳ではなく、1945年には最初のデガ諸部族の連携組織が発足しており、もっと昔には、現在のベトナムの領土の南半分以上はチャンパ王国やクメール王国が支配していた場所なので、彼らが「少数民族」と呼ばれる事になるはるか以前から、この争いはず~っと続いてきたわけです。
 また1975年以降も彼らの戦いは現在に至るまで続いています。このベトナム戦争の前と後の話は、まじめに書くとかなり長くなるので、またの機会に。



これまでのおさらい&よく見る誤解を訂正

・CIDG=デガ(モンタニヤード)ではない
 CIDG計画には多数のデガ諸部族が参加しましたが、チャム族やクメール族、ヌン族など、デガ以外の少数民族も多く参加しており、また一部ではカオダイ教徒など、反政府的なベトナム人も参加していました。

CIDGフルロではない
 フルロは長年ベトナム人から迫害を受けてきたデガ、チャム族、クメール族の三勢力の連合です。その目的はベトナム(この当時は南ベトナム)からの自治・独立です。彼らにとってこの戦いは積年の恨みが詰まった人種戦争であり、当初はベトナム人であれば南北に関係なく、一般市民すらも見境なく虐殺する過激な武装組織でした。なおそれまで大した反乱も越せなかった彼らがフルロを結成し、大規模な反乱を起こす事が出来たのは、米軍のCIDG計画の賜物でした。フルロ兵士はCIDG計画に参加する事で米軍によって訓練され、米軍から与えられた武器で武装し、米軍から支払われる給料がフルロの資金源となっていました。なのでCIDGフルロではありませんが、CIDG計画無くしてフルロの活動は無かったと言えます。
 一方、CIDGに参加していたヌン族は、中国国民党の影響下にある中華系の少数民族であるため、第一次インドシナ戦争では反共主義に基づいてベトミンと戦ったものの、ベトナム人との関係は悪いものではありませんでした。1954年に北ベトナムが失陥すると、約5万人のヌン族が南ベトナムに移住し、そのままサイゴン政府軍にヌン師団が創設されます。後に政争によってヌン師団長が解任された事でヌン族兵士はサイゴン政府に反旗を翻しますが、ジェム政権崩壊(1963年)後は再び良好な関係に戻ります。よってフルロに参加する事はありませんでした。

・フルロ=CIAの工作ではない
 インターネットを見ていると、一部のベトナム人の間ではフルロは「ジェム政権を崩壊させるためのアメリカCIAの工作だった」と語られていますが、それは完全に間違いです。まずフルロが結成されたのはジェム総統がクーデターで暗殺されてから10ヶ月も後の事です。また当時CIDGを指揮していたアメリカ人たちは、言葉の壁から、自分の部下たちが秘密裏に米軍による軍事支援を利用して反政府ゲリラ組織を結成している事に気付く事が出来ませんでした。そして実際に1964年にフルロの反乱が起こった際には、CIAですらこの反乱の背後関係を把握できておらず、ベトコンまたはフランスの支援・扇動によるサボタージュ説が唱えられていました。
 後に判明する事ですが、当時実際にフルロの組織化・反乱を支援してのは隣国カンボジアのシハヌーク政権でした。カンボジアとしては、クメール王朝時代にクメール領だった南ベトナムの領土を奪還する事を最終的な目標としており、その為に、ベトコンとの内戦を抱える南ベトナムを、内部からの反乱でさらに混乱に陥れる事を目論みました。そのためカンボジアは、CIDG計画によって南ベトナム領内の少数民族に武器・資金が流入した事を確認したうえで、少数民族に連携と反乱をけしかけたのでした。


ベトコンに参加したデガ勢力

 1954年以来、南ベトナム政府に対する少数民族たちの要求は、主に自治権・民族自治区の設置(特にデガは、1946年にフランスが設定した「南インドシナ・モンタニャール国」の復活・ベトナムからの独立)でしたが、、同時に政治イデオロギー的には、ほとんどの少数民族は第一次インドシナ戦争以来、反ベトミン・反共産主義・反北ベトナムで一致していました。
 しかし1958年のバジャラカ運動の失敗後、イーバムら運動の指導者を失ったデガの間では、今後の独立運動の方針について迷いが生じていました。そこに、北ベトナムの労働党が南ベトナム破壊工作として南ベトナム領内の旧ベトミン・共産主義・民族主義勢力の再組織化(後の「南ベトナム解放民族戦線」)を1960年に開始すると、デガ内部の一部勢力は、ベトコン(労働党・解放民族戦線)が語る「勝利の暁には民族自治区が約束される」という白々しい口車にすがってしまい、約1,000名のデガが「タイグエン自治運動」を結成して南ベトナム解放民族戦線の指揮下に入りました。
 しかしその兵力は微々たるもので、またベトコンははなっから少数民族に自治権を与えるつもりなど毛頭なかったので、この共産主義系デガ組織「タイグエン自治運動」がその後どうなったのかは、定かではありません。
 もしその後の15年間、ひたすらベトコンの指揮下でアメリカやサイゴン政府軍、そして同胞のデガ兵士たちと戦い続けたとしても、その勝利の後に待っているのはベトナム共産党政権によるデガ自身への民族浄化です。
 でも、もしかしたら、デガの同胞を大量に死に追いやっておきながら、自分だけはうまく共産党で出世して、戦後英雄気取りのデガも、もしかしたら居るかもしれませんね。
 だって現に、現在のベトナム社会主義共和国には、そういうベトナム人が腐るほど大量に居て、そんな連中が戦後40年以上、独裁政権下で私腹を肥やし、ベトナム国家・国民を食い物にしているんですもの。
  


2018年06月27日

週末の写真

今回は動画撮影がメインだったのでスチルは少なめです。





 



お昼ご飯は、当時前線での食事として一般的だったと聞く、乾燥米にヌックマムをかけたものと魚の干物というメニューを再現しました。
お米は市販の備蓄用アルファ米、魚はめざしをその場で焼いて食べました。






撮影会の最後にFANK第294大隊のコスプレもちょこっとやりました。
一緒にやるはずだった友人がこの日は病欠だったので、今回は僕一人だけです。



我ながら厳つい。
とても正規軍には見えないと言われました。
もっとカンボジア軍増やしたいな。

  


2018年06月21日

撮影会の準備

その1 ベトナム陸軍第7歩兵師団(1963年初頭)


自家製第7歩兵師団プリントパッチ取り付け

クラッシファイドさんのリプロはこれまでで最高の再現度なのですが、ただ一点、ボタンの表面はもうちょっと艶があった方が良いと思ったので、一旦ボタンをすべて外してピカールで磨きました。

左が研磨前、右が研磨後。あまり艶を出し過ぎても変になるので、難しい所です。

今回はM1グレネードアダプターを初投入。左側の2本がMk2手榴弾用のM1アダプター、右がM26用のM1A1アダプター。できれば種類を揃えたかったけど、M1A1は1本しか手に入りませんでした。
グレネード本体は僕が高校生の頃に買ったサンプロ製BBボトルに実物セーフティピン/プルリングを付けた物。ベトナム軍で使われた米国製手榴弾には、米軍のような黄色のマーキングが入っていない物も多く見受けられるので、レバーをOD色に塗っただけで、あえてマーキングは施していません。

このスタイルが目標。でも銃側に付けるM7グレネードランチャーはまだ入手できていません。



その2 クメール陸軍第23旅団第294大隊(1970年代前半)

『はじめてのFANK』で作った自家製第294大隊パッチを、知人から買った怪しげなTCU風ジャケットに縫い付け。

後身頃が二枚になっています。なんじゃこりゃ?

メーカータグが付いていたので検索してみたら、FAME (Fabricaciones Militares Ecuatorianas)とはエクアドル軍需産業という意味でした。てことはエクアドル軍の服なのかな。
第294大隊は『ドクロのヘルメット鉢巻き』という個性的なビジュアルのみで選んだイロモノな設定なので、手元にあったこのエクアドルTCUをとりあえず代用品として使ってしまいます。
この次はちゃんとクメール陸軍で一般的だった隠しボタン2ポケ戦闘服を再現して、もっと普通のビジュアルの部隊をやりたいと思います。

  


2018年03月27日

はじめてのFANK


 FANK*には以前から興味はあったものの、ベトナムと比べるとはるかに資料やレプリカの少ない軍隊なので、なかなか始めの一歩を踏み出せずにいました。ところが最近、映画「最初に父が殺された」を見た友人が「僕もロン・ノル軍やりたい!」と言ってきたので、僕もよくやく重い腰を上げてクメール軍装に手を出す事にしました。

*FANK: (仏語)Forces armées nationales khmères / クメール国軍。1970-1975年のクメール共和国時代のカンボジア軍。大統領の名から通称「ロン・ノル軍」

 さて、FANKは1975年にクメールルージュ(カンボジア共産党軍)との内戦に敗れ、たった5年で消滅してしまいましたが、その短い歴史の中では、多種多様な軍装が用いられていました。なのでまず、どの部隊を再現するか候補を探していたところ、こんな写真に出会ってしまいました。


 見た瞬間、これに決めました。ヘルメットに鉢巻きは、決して一般的なスタイルではないのですが、とにかく個性が凄い。いかつい。加えて、幸いにもあるコレクターさんがこの部隊章の実物の画像をアップしてくれていたので、それをトレースして自作パッチを作るのも容易でした。

こうしてFANK同好会立ち上げ一発目の自作アイテムが完成しました。我ながらイイネ!


 なお、この部隊については、当初は「第294大隊」という部隊名しか把握できていなかったのですが、昨日、僕が勝手に『大師匠様』と呼んでいる人物に「あの写真の人の左袖のパッチは何ですか?」と問い合わせたところ、この部隊はクメール陸軍の第9旅団群第23旅団第294大隊なので、左袖には画像の第23旅団のパッチが付いてたはずという返答を頂きました。質問からわずか2分後にこの答え。さすが大師匠様。

▲クメール陸軍第23旅団
これについてはまだ自家製造する目途が立っていないので、おいおいとなります。



クメール陸軍の野戦服について

 これらの部隊章を取り付ける野戦服についてですが、当時の写真を見る限り、その規格は統一できていなかったようで、かなり様々なパターンの裁断が見受けられます。その中で比較的多く目にするのが、この2ポケット隠しボタンのタイプ。

もちろんこの服のリプロなど存在しません。でもポプリン生地っぽいから、OD色の米軍BDUをベースに改造すれば比較的簡単に再現できそうな気がする。今度やってみます。(BDUとほとんど同じような4ポケ隠しボタン型も使用例あり)

あとはベトナム軍のカーキ作戦服によく似た2ポケや、米軍TCUをそのまま使っている例も見受けられるので、隠しボタン型を自作するまでは、とりあえずそれらの服を使おうと思ってます。

ベトナム軍2ポケとよく似た野戦服(左)。ボタンまで同じなので、もしかしたら本当にベトナム製かも知れません。

米軍TCUの使用例(右端)


またコマンド大隊や特殊部隊、空挺旅団が着ている迷彩服にも様々な種類がありましたが、比較的手に入りやすい服もあります。

MDAPタイガーストライプ。ベトナムで使われていた米軍供与(MDAP)タイガーストライプと同一です。

▲仏軍リザード迷彩TTA47/52野戦服(60年代製)。フランス連合期の供与品ではなく、60年代に改めてフランスから輸入された物(リザード迷彩のパターンが違う)が空挺旅団を中心に多く使われています。

▲米軍グリーンリーフ迷彩TCU。米軍TCUと同型、またはエポレットが追加されたグリーンリーフ迷彩がクメール特殊部隊(Forces Speciales Khmères / FSK)でよく使われています。

ベトナム軍グリーンリーフ迷彩2ポケに似た野戦服(中央)。この他にも様々な裁断のグリーンリーフ迷彩服が使われていました。


一方、かなり入手困難なのがこちらの迷彩服。

(Youtube / AP Archive動画より https://youtu.be/pzSJMMlnQPI)

1960年代以降、仏軍リザード迷彩と並行して空挺旅団で多用されていた、まだら系の迷彩服です。ダックハンター迷彩とは似て非なるものですが、研究者が少なすぎて、まだ呼び名すら定まっていません。とりあえず、『クメール空挺パターン』とでも呼んでおきましょうか。

世界の迷彩をまとめているCamopediaに、この迷彩の貴重な実物画像が掲載されています。


以上のように、クメール陸軍の軍装を再現する上で入手困難な物はそう多くはないので、レプリカや代用品で十分揃えられます。
さぁ~て、始めたからにはとことんやろうっと!
  


2016年05月19日

クメールあれこれ

カンボジアは興味あるけど、ベトナムで手一杯でまだちゃんと調べる段階には至っていないので、とりあえず興味深い写真をいくつかご紹介。

<フランス植民地軍クメール人儀仗隊

▲高官を出迎える植民地軍のクメール人儀仗隊, アンコールワット, 1931年
奥のピスヘルメット(仏語ではCasque colonial=植民地ヘルメット)被ってる人たちは普通の植民地軍ですが、
手前の仏軍山岳猟兵みたいなでっかいベレー帽や腕章はこの儀仗隊独特のデザインですね。もしかしたら近衛兵とかかも?
他にもこちらのブログに1931年当時のカラー写真がいくつか載っています→http://visualhistory.livejournal.com/167749.html



<フランス軍服姿のシハヌーク国王>

▲クメール王国国王ノロドム・シハヌーク, 1953年
国王だけあって、植民地兵ではなく、正規のフランス陸軍大尉の軍服を着ていますね。
(植民地軍でもケピ帽は使われるが、着用できるのは植民地兵を指揮する正規のフランス軍人のみ)
胸のバッジは装甲騎兵(Arme blindée et cavalerie)っぽい紋章ですが、どの部隊なのかは分かりませんでした。



<ベトナム戦争とカンボジア>

1960年代、カンボジア(クメール王国)アメリカを中心とするSEATO(東南アジア条約機構)から距離を置いた独自の外交を行っており、ベトナム戦争に対しては表向きは中立国という立場でした。しかし実際には中立とは名ばかりで、シハヌーク政権はいわゆる第三世界として中国・ソ連と親密な関係にあり、北ベトナム軍がカンボジアを補給路(=ホーチミントレイル)として利用する事を黙認するなど、陰ながら共産軍を支援する立場にありました。また長年カンボジアの領土だったメコンデルタ地域をベトナム人から奪還すべく、少数民族武装組織FULROを組織してベトナム領内の少数民族に蜂起を促すなど、ベトナム共和国政府に対し様々なサボタージュ工作を行っていました。
しかし1970年、シハヌークの側近だったロン・ノル将軍がCIAからの支援を受けてクーデターを敢行し、シハヌークを追放する事で新政府『クメール共和国』の樹立を宣言します。このロン・ノル政権成立によってカンボジアは一転して西側陣営の一員、アメリカの同盟国へと転向し、アメリカは堂々とクメール国軍(Forces Armées Nationales Khmères)に対し軍事支援を行えるようになりました。


<クメール国軍戦闘序列(1970年8月)>

第1歩兵大隊 - プノンペン
第1歩兵旅団 - コンポンチャム
第3歩兵旅団 - コンポンソム
第4歩兵旅団 - プレイベン
第6歩兵旅団 - プノンペン
第7歩兵旅団 - プノンペン
第10歩兵旅団 - コンポントム
第11歩兵旅団 - コンポントム
第12歩兵旅団 - シェムリアップ
第13歩兵旅団 - プノンペン
第14歩兵旅団 - Srê Khlong
第15歩兵旅団 - プノンペン
第16歩兵旅団 - プノンペン
第17歩兵旅団 - Long Vek
第18歩兵旅団 - Romeas
特別旅団 - シェムリアップ ※自由クメール抵抗軍を編入
第1空挺旅団 - プノンペン
第2空挺旅団 - Long Vek ※1973年解散
通信旅団 - プノンペン
輸送準旅団 - プノンペン
装甲準旅団 - プノンペン
砲兵準旅団 - プノンペン
防空準旅団 - プノンペン
工兵準旅団 - プノンペン
湖水旅団 - トレンサップ湖
青年土木工兵旅団 - プノンペン
第1海兵隊 - コンポンソム ※沿岸地域2大隊、プノンペン郊外2大隊から構成
上記に加え全国4つの軍管区および特別管区に約120個の地方大隊を持つ。



<ベトナム派遣クメール国軍>

またカンボジアとベトナムは領土を巡って長年争いを続けてきましたが、カンボジア国内でもカンボジア共産党軍『クメール・ルージュ』との内戦が始まった事から、両国政府は反共・親米という立場で一致し、アメリカおよびFWMAO(自由世界軍事支援機構)を介した同盟関係が生まれました。

  
ベトナム共和国フォクトゥイ省のキャンプB-43/フォクトゥイ駐在のクメール国軍兵士, 1970年代
服に部隊章が無いので断定は出来ませんが、特殊部隊キャンプに駐屯するくらいなので、この人たちもクメール国軍の特殊部隊(Forces Speciales Khmères)だと思います。
通常クメール軍のベレー帽はフランス式の右上がりですが、特殊部隊は米軍およびタイ軍の指導の下編成された為、米軍同様左上がりのベレーが制定されたようです。

▲(写真上)クメール国軍兵士とオーストラリア軍AATTV隊員, ベトナム共和国B-43フォクトイ, 1972年。 (写真下)戦後再会を果たした3人。


<クメール国軍FULRO大隊>

FULROは元々、クメール王国軍のレ・コセム大佐がベトナム共和国政府へのサボタージュを目的としてシハヌークおよびロン・ノル将軍に提案、許可を得た破壊工作としての一面を持っていました。レ・コセムはまず自分がチャム族であることを利用してカンボジアとベトナム領内のチャム族勢力を結集しFLC(チャンパ解放戦線)を結成。さらに中部高原のデガに連携を持ちかけ、FULRO(非抑圧民族闘争統一戦線)を組織します。そして1964年の『FULROの反乱』以降、FULROは度々ベトナム共和国軍への攻撃を繰り返したものの、アメリカの仲裁によって中部高原における一定の自治が認められました。
しかしスポンサーであるシハヌーク政権の目的はデガの自治などではなかったため、クメール側の真意に気付いたFULROおよびFLHP(中部高原解放戦線)最高指導者イーバム・エニュオルは1968年、クメールの傀儡であるFULROから離反し、新たにFLPMSI(南インドシナ・モンタニャール国解放戦線)を旗揚げします。しかしこの直後、イーバムはクメール軍情報部に拉致され、以後6年間プノンペンで軟禁状態に置かれました。これによりFLPMSI(FLHP系FULRO)は指導者を失い、間もなくサイゴン政府と和解(事実上の降伏)します。
こうしてベトナムのFLHP系FULROが活動を終えた一方でレ・コセムの配下にあったFLC(=チャム族)系およびFLKK(クメールクロム解放戦線)系のFULROは、正式にクメール国軍に編入されました。

▲クメール国軍第181FULRO大隊の幹部とロン・ノル将軍, 1970年
大隊長オスマン少佐(チャム族・下段中央)
副大隊長ポー・ダルマ大尉(チャム族・下段左)※
首相ロン・ノル元帥(クメール族・上段右)

※当時副大隊長だったポー・ダルマ氏は2006年に著書『Du flm au fulro』を執筆し、FULROの歴史について詳細に綴っています。
フランス語なので読むの大変だけど、当事者が記した大変貴重な情報源なので買って良かったです。

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<リュックサック2種>

▲作戦中のクメール国軍兵, コンポンチャム, 1973年
左の人が背負ってるのが所謂『インディジナス・リュック』、右の方に置いてあるのが所謂『ARVNリュック』。
※2019年11月29日訂正 右のはARVNではなく米軍のトロピカルラックサックでした。
これらのリュックサックはそれぞれ、CIDG向け、ベトナム共和国向けのリュックとして知られていますが、実際にはカンボジアやラオス、タイ、フィリピン軍にも大量に供与されており、タイでは布地をナイロンにしたものが現在でも生産されています。
従ってこれらの個人装備はCIDGやベトナム軍といった狭い括りではなく、アメリカ国防総省ARPA(高等研究計画局)が東南アジアにおける共産主義勢力の排除を目的として1961年に開始した限定的非対称戦争計画"プロジェクト・アージル(Project AGILE)"
アメリカの東南アジア同盟国向け軍事支援の一環として見るべきだろうと思います。


<クメール装甲騎兵>

▲プノンペン陥落に際し我が子を背負って市街から脱出するクメール国軍兵士, プノンペン, 1975年4月17日
間違いなくプノンペン陥落の際の写真なのですが、この写真をサイゴン陥落時のベトナム共和国軍兵士(装甲騎兵)と勘違いしているベトナムのサイトをよく見ます。
現代のベトナム人は旧政権の軍装をよく知らず、ましてや外国の旧政権など知る由もないので、M16持っていれば何でもベトナム共和国軍だと思ってしまうようです。
ちなみに去年タイ軍の戦争博物館に見学に行った時は、壁にデカデカと『ベトナム派遣タイ軍』として飾られた写真の中の何枚かは、タイ軍ではなくベトナム共和国軍でした。当人達にも見分けつかないのね。



<理想の兵隊>

▲クメール国軍兵, 1974年
僕がこれまでのミリタリー趣味人生で見てきた中で一番カッコいいと思う兵隊さん。
軍隊でこんな長髪はありえないし、普通のクメール人も男は髪を伸ばさないので、少数民族もしくは宗教上の理由だと思うけど詳細は不明。
あらゆる面で、僕の理想がつまっている人です。よく見ると顔も僕に似ている気がする。



しかしカンボジア内戦の写真を見てると、、クメール人には日本のサムライのように殺した敵兵の首を手柄として見せびらかす文化があるようで、生首の写真ばかりで恐ろしいです。日本の戦国時代にカメラがあったら、こんな感じだったんだろうなぁ。