2024年09月14日
最近買った本
※2024年9月14日更新
※2024年9月22日更新
9月に入っても、まだ猛暑が続いてますね。こう暑いとお外で遊ぶ気にならないので、この夏はエアコンのきいた部屋の中で読書をしておりました。
なので今回は、最近買った本を紹介します。(買った後まだ読んでいない本も含む)
①忘れられた戦争の記憶/ソーステン・フェルナンデス
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DGFDSDSN
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実はこの本は元々フランス語で書かれたもので、すでに2015年には出版されていたそうですが、僕はフランス語が分からないので手を出せていませんでした。英語だって長文読むのは楽ではないですが、全く読めないよりはだいぶマシなので助かります。
そもそも第一次カンボジア内戦(1970-1975)についてカンボジア(クメール)軍人が語った本というのは、日本語はもちろん英語文献すらほとんど無かったのですから、そんな中で総参謀長として戦争を指揮した中心人物の回顧録が読めるといのは、それだけでありがたい話です。
②ラオスに捧げたわが青春/山根良人
こちらは打って変わって、1984年に出版された古い本。しかも僕にしては珍しく日本人が書いた本です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4120013081
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著者の山根良人氏(ラオス名:サワット)は、太平洋戦争中に日本陸軍伍長としてビルマに出征し、終戦後サイゴンの日本軍捕虜収容所から脱走してラオスに到達。そこでラオスの抗仏組織ラーオ・イサラ(後のパテートラーオ)に軍事顧問として参加します。
ここまではベトミンに参加したベトナム残留日本人と似ていますが、山根の場合はその後、自分たちパテートラーオ軍がベトミンに支配され使い捨てられている事に反発し、部下を率いて脱走。そして山根の隊はラオス王国政府からの帰順要請を受け入れ、フランス連合軍に編入。それまで敵だったフランス軍の指揮下でベトミンおよびパテートラーオ軍と戦います。
山根はその後も引き続きラオス陸軍将校として軍務を続け、ラオス戦争ではラオス王国軍(FAR)大佐として、パテートラーオおよび北ベトナム軍との戦いを20年間続けます。(この間、国王から爵位を与えられ貴族に列せられる)
1975年にラオス戦争が終結、王国政府・王国軍が消滅すると、山根(サワット大佐)は再教育キャンプに送られ、釈放後は民間人として引き続きラオスに居住。1982年に家族を連れて日本に帰国します。
日本人読者の注目を得るため、本の副題には「元日本兵の記録」と書かれていますが、山根が日本軍に所属していた期間は2年間ほど。一方、「ラオス人サワット」としてラオス軍に従軍していた期間は30年に及ぶので、彼は正真正銘のラオス軍人なのです。
私は、巷にある「日本兵が戦後アジアを独立に導きました」等の日本人の自慰行為的な美談を冷めた目で見ているのですが、少なくともこの本は、「ラオス軍将校の回顧録を日本語で読める」という点において非常にありがたい資料だと思っています。
③カウボーイ/ダニエル・フォード
ベトナム戦争中、アメリカ兵から『カウボーイ』と渾名されたFULRO(被抑圧民族闘争統一戦線)大佐フィリップ・ドロウイン(ジャライ族)についての記録です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BK7BG2T
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著者は映画『Go Tell the Spartans(邦題「戦場」)』の原作者ダニエル・フォードです。
カウボーイことフィリップ・ドロウイン大佐については、CIDG部隊で彼と共に戦った米陸軍ジム・モリス少佐が著書「WAR STORY(邦題「グリーン・ベレー」)」で、彼との思い出やFULROとの関係を詳しく記しており、私はそのストーリーに心酔してイラストや漫画も描いていました。(過去記事『カウボーイ』参照)
ただしWAR STORYはあくまでモリス少佐の回顧録なので、カウボーイに関する情報はモリスがカウボーイと関わった事柄に限定されていました。
一方、今回買ったダニエル・フォードの本は、そのカウボーイという人物に的を絞って調査研究した本なので、まさに僕の求めていた情報の塊なのです。
一生モノの本になると思うので、じっくり読み進めたいと思います。
④ボーイズ・イン・ブラック/デズモンド・ボール
おそらく英語で書かれた本では唯一の、タイ王国準軍事国境警備組織タハーンプラーンに関する研究本です。
https://www.amazon.co.jp/dp/9744800461
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Amazonで買うと高いので、タイの出版社から直接買いましたが、送料の高さと円安のせいで、結果的には全然安くなりませんでした。
中をざっと見た感じ、割と最近の2000年頃の情報がメインですが、一応タハーンプラーン黎明期かつ最も戦闘の激しかった1980年代についてもある程度ページを割いています。
⑤ベトナムの少数民族定住政策史/新江利彦
タイトルの通り、ベトナムの少数民族問題を研究、まとめたすんごい本です。これが日本語で読めるのが素晴らしい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4894891158
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僕はこの本を国会図書館で見つけ感激したのですが、価格が高くてなかなか手が出ない状況が続いていました。
ところが先日、偶然にもメルカリで中古が安く売られているのを発見。迷わず購入しました。
[おまけ] チャーリー/ケン・コンボイ
こちらは先日来日したケン・コンボイ先生(著者自身)からプレゼントして頂いた本です。
https://www.goodreads.com/book/show/55857681-charlie
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この本はインドネシア軍特殊部隊コパスス(Kopassus)が1980年代末から行った特殊工作計画『プロジェクト・チャーリー』について研究した本です。
私は東南アジア軍事史好きを自認していますが、対象はあくまで大陸部のみで、正直インドネシアについてはほとんど何も知りません。
しかし、あのコンボイ先生が何十年も熱中するくらいですから、インドネシア軍の歴史も相当厚みのある(そして闇が深い)ものなのでしょう。
現時点で読まなきゃいけない本が何冊も溜まっているので、ぶっちゃけこの本を読むのがいつになるのかまだ分かりませんが、いつか折を見て読んでみたいと思います。
2024年01月28日
クメールとベトナムの同盟
※2024年9月28日更新
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カンボジア(クメール王国)は1960年代を通じて、ベトナム戦争に対し「中立」を表明し直接戦闘には関与しない一方で、ベトナム共産軍がカンボジア領内を通行・拠点(ホーチミン・トレイル)とする事を許可し、またFULROによる反乱を支援するなど、ベトナム共和国(南ベトナム)に対する間接的な攻撃を続けていました。
しかし1970年にクメール軍のロンノル将軍がクーデターで政権を掌握すると、ロンノル政権(クメール共和国)はアメリカを盟主とする反共・西側陣営に転向し、同時に国内外の共産軍(クメールルージュおよびベトナム共産軍)との戦争に突入します。これに伴い、クメール共和国は共産軍を打倒するため、一転してベトナム共和国と同盟を結ぶ事となります。
この同盟は両国共にアメリカの傘下に入ったからこそ成しえたもので、両国の千年に渡る対立の歴史を鑑みると、これは非常に驚くべき出来事でした。
そもそもベトナム人国家は現在のベトナム北部(紅河流域)から始まり、そこから千年以上かけて徐々にクメールおよびチャンパ王国(チャム族)から領土を奪いながら南に拡張していった国でした。
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なのでクメール人にとってベトナム人は侵略者であり、現在のベトナム南部は18世紀にベトナム人に奪われるまで約800年に渡ってクメール人が支配していた土地、すなわち「奪還すべき自国の領土」でした。
そのためクメール人の間には強い反ベトナム感情が存在しており、それは1970年に起ったクメール軍による在カンボジア・ベトナム人虐殺事件の背景にもなりました。
(同様にチャム族やデガもベトナム人に征服された人々で、これが現在まで続くFULRO運動に繋がります)
しかし、こうした対立の歴史がありながらも、1970年のクメールとベトナムの同盟成立以降は両国の軍が歩み寄り、かなり親密な関係になります。
それまでクメールは中国・ソ連から細々と軍事物資を輸入していましたが、ベトナム戦争には参戦していなかったため、軍の規模も装備も、また能力的にも周辺国と比べるとかなり遅れていました。(周囲のベトナム、ラオス、タイはアメリカからの強力な軍事支援を受けていた)
そこで1970年にクメール共和国が成立すると、クメール軍は自国の兵士の訓練を、実戦経験も訓練設備も豊富なベトナム軍とタイ軍に頼るようになります。そして多くのクメール兵がベトナム領内で訓練を受けた後、クメールルージュとの戦闘に投入されました。
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▲ベトナム軍訓練センターで訓練中のクメール軍新兵 [1970年ベトナム・フクトゥイ省]
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また同年、ロンノル政権の承認の下、ベトナム軍がホーチミン・トレイルを叩くためクメール領内に進攻(カンプチア作戦)を開始すると、ベトナム軍とクメール軍は連携して作戦を行い、共産軍に大打撃を与えることに成功します。
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▲クメール軍第2軍管区本部で合同で指揮を執るクメール軍・ベトナム軍将校[1970年カンボジア・コンポンスプー]
顎に手を当てている人物がクメール軍第2軍管区司令ソーステン・フェルナンデス将軍で、ベレーを被った2人がベトナム軍将校。
フェルナンデス将軍は当初シハヌーク派と見做されロンノル将軍のクーデター時に失脚しかけますが、後にロンノルの信頼を得て1972年からはクメール軍総参謀長を務めます。
こうした協力関係から、両国の将校の中には、互いの階級が認識できるよう、相手国の階級章を身に着ける例も一部で見られました。
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▲右襟にベトナム軍大佐の階級章を佩用するクメール軍大佐
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▲左肩にクメール軍少佐の階級章を佩用するベトナム軍少佐(第1歩兵師団チャン・ゴック・フエ少佐)
しかし、この同盟は1975年に両国とも共産主義勢力に敗北した事で消滅します。
一方、同様にベトナム戦争中は同盟関係にあった共産主義勢力、すなわちベトナム労働党とクメールルージュ(カンボジア共産党)も、戦争が終結した事で互いに利用価値を失い、終戦の翌週には同盟を反故にして局地的な戦闘状態に入ります。
そして対立はエスカレートし、1978年のカンボジア・ベトナム戦争に発展。この戦争はベトナム側の勝利に終わりましたが、その後もベトナムが擁立したカンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)とカンボジア駐留ベトナム人民軍に対し、カンボジア領内に残存する反ベトナム勢力は10年に渡って武力闘争を続ける事となります。
2023年09月25日
中秋のクメール撮影会
日曜に久しぶりの撮影会を行ってきました。
さて、次は何を着て撮ろうかな。
最後に撮影会をしたのは5月なのですが、その後6月は梅雨、7月・8月は暑すぎて外に出たくないと言っていたら、4か月も間が空いてしまいました。
(ちなみに東南アジア軍装専門の僕は、冬も寒くて外でコスプレできません
)
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そして9月も終わりに近づき、ようやく外で遊びやすい気温になってきたので、冬になる前にできるだけ沢山遊ぼうと思います。
今回のテーマは第1次カンボジア内戦期(1970-1975年)のクメール陸軍第1空挺旅団です。なんとクメール空挺が4名も集まりました。
着ている迷彩服は、以前記事にした友人のプライベート製作クメール空挺迷彩服リプロです。
さて、次は何を着て撮ろうかな。
2023年07月15日
クメール空挺迷彩来る!
友人が個人でプロデュースしたクメール(カンボジア)軍空挺パターン迷彩服がついに完成し、我が家に届きました!
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ちなみに世界限定4着のうちの1着です。
まさかこの超絶無名な迷彩服のリプロを手にする日が来ようとは。
この友人の狂気もとい熱意には敬服するばかりです。
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この迷彩は1960年代にクメール王国陸軍で空挺部隊向けに採用され、その後のクメール共和国時代(1970-1975年)も引き続き着用された、第2次インドシナ戦争期のクメール空挺を代表する迷彩服です。
しかし、まだまだ研究が進んでいない分野なので、「クメール空挺パターン」と言うのは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、世界的にはまだ呼び名も定まっていません。
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▲クメール陸軍第1空挺大隊(1971年)
クメール空挺パターンは、ぱっと見、米軍のフロッグスキン(ダックハンター)迷彩に似ていますが、これは第1次インドシナ戦争期に、フランス軍およびその傘下で創設されたクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を多用していた事に由来すると考えられます。
が、実はその、1952年に創設されたクメール軍初の空挺部隊である第1空挺大隊(1er bataillon de parachutistes khmers)の、第1次インドシナ戦争中(つまり1952~1954年の間)の写真が全然見つからないんです。
ベトナムやラオスの空挺部隊ならたくさん写真が残っているのに、なぜかクメール空挺だけは皆無。なんでぇ?
なので「第1次インドシナ戦争期のクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を着用していた」というのは、あくまで同時期のベトナム・ラオスに倣った推測であり、当時の写真で確認した事ではありません。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください。
2022年10月17日
初デンクロ
※2022年10月18日更新
日曜日にDANGER CLOSEというイベントに参加してきました。
サバイバルゲームフィールドGERONIMO様撮影のアルバムはこちら
僕はエアガン戦には参加しなかったので、午前中は友人と1970年代のFANK第294大隊*のコスプレして駄弁ってました。
友人手作りのクメール共和国国旗が非常にイカれ・・・イカしています。
※第294大隊の部隊名を正確に言うと「クメール陸軍第6歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊」です。
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帰宅後、著者のConboy先生に「俺等がこうなったのはあんたのせいだ!」と、この写真を送り付けました。喜んでいただけました(笑)
午後は時代を20年遡って、今回のイベントのテーマである1954年の「ディエンビエンフーの戦い」に合わせて、ベトナム国軍第5空挺大隊(フランス連合軍第5ベトナム空挺大隊)に衣替え。
(第5空挺大隊については過去記事『ディエンビエンフー陥落から64年』参照)
今回着たWPG製リプロのTAP47/52降下服は迷彩の色を乗せる順番が間違っているので、友人たちは迷彩を手描きで描き直したり染め直したりして改善していますが、僕はまだそこまでやる気が出ないので、買ったままの状態で着ています。
お昼にGERONIMO特性の美味しいマトンカレーを食べ過ぎて、動けなくなった人が続出した(僕もその一人)ので、午後はエアガン戦をやめてフィールドの中で撮影会を行いました。塹壕がとても良い感じです。
また、フランス側とほぼ同数のベトミン軍が集まった事は正直驚きであり、とても良いものが見れました。
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2022年09月19日
クメール陸軍ヘルメットカバー
前日のクメール撮影会で盛り上がったパッションに促され、さっそくクメール軍装の自作を開始しました。
今回作ったのは1960~1970年代を通じてクメール陸軍で広く使われたパラシュート生地ヘルメットカバーです。
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これまで僕は単に米軍パラシュート生地をカバー代わりに被せてきただけでしたが、当時の写真を見ていると、どうもバンド付きのちゃんとした国産ヘルメットカバーが使われていたようです。(全てではありませんが)
残念ながらこのカバーの細部はまだ見たことが無いので分からないのですが、とりあえず外見が再現できればいいので、さっそく手持ちのパラシュート生地を裁断。ミシン掛けしてゴム紐を通しました。
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その上に同じ生地で作ったバンドを装着して完成。
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実物のバンドはカバーに縫い付けなのか、別に被せてあるだけなのかは分からないのですが、試しにカバー縫い付けてみたら寸法がかなり微妙で上手く作れなかったので、今回はバンド部分は別パーツとしています。
さて、次はカモフラージュネット(偽装網)だ。
続きを読む2022年09月19日
雨天撮影会
この日曜日に撮影会を予定していましたが、台風の影響で関東も大雨でした。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
でも雨は当時も降ったんだから、考証的に矛盾しない。風も大して無いので撮影決行です。
今回の設定は、久しぶりのクメール(カンボジア)陸軍歩兵部隊。1970年頃。
過去にやった第294猟兵大隊は、ビジュアル的にはすごく印象的なものの、ヘルメットに鉢巻きというのは決して一般的な軍装ではありませんでした。
一方、今回は「歩兵部隊」という括りだけで特に部隊を設定しませんでしたが、こちらの方が当時のクメール陸軍では一般的な軍装です。
なお、今回は時代設定が第一次カンボジア内戦(1970-1975)開始直後の1970年なので、ライフルは内戦前(シハヌーク政権期)に導入されたカラシニコフ(AK-47/56式自動歩槍)を使っていますが、その後米国からの軍事支援が増すにつれクメール陸軍の制式小銃はM16A1に置き換わっていきます。
と、偉そうに解説してますが、僕の持ってるクメール軍装は、現状ではとりあえず「それっぽく見える」程度で、とても満足できるレベルではありません。
友人は最近かなりクメールに熱を上げているので、これを機に僕もベトナムの片手間ではなく、ちゃんとしたクメール軍装を揃えて行きたいと思います。
2021年12月22日
最近作った物
※2021年12月23日更新
※2021年12月25日更新
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ダミー.45ACP弾薬 (M1911ボール風)
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M1911ピストル用のウェスタンガンベルトを注文したので、ガンベルトが届く前だけど、ベルトに挿すダミーのM1911ボール(米軍制式.45ACP FMJ弾)を24発分作成。
ケースは使用済みの米軍払い下げ(たぶんM1911ボール)をサンポール洗浄し、ピカールで研磨。
ブレットは個人製作の鉛キャスト製を購入し、自分で銅色に塗装したものです。
送料含め総額1700円弱で揃っちゃいました。こんなに安く済むとは自分でもオドロキ!
クメール国軍(FANK)陸軍第7歩兵旅団群 プラスチックパウチ部隊章
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当時存在した、紙に印刷された部隊章を透明プラスチックシート(※)でパウチ加工したものの再現です。
実物はシルクスクリーン印刷ですが、僕のはコピー用紙にインクジェットプリンターで印刷したお手軽仕様です。
裏面に安全ピンがついており、普通のSSIと同じように着用します。
※塩化ビニルのシートだと溶けやす過ぎてうまくホットシーラーでパウチできなかったので、この作例ではポリカーボネイトポリプロピレン製シートを使っています。
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▲パウチ部隊章の使用例。ロン・ノル大統領の閲兵を受ける第7歩兵旅団群 [カンボジア, 1973年11月]
アメリカ軍MACVハンガーバッジ
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こちらは自分用ではなく、友人にプレゼントするため作りました。
刺繍パッチを塩化ビニルシートと牛皮でパウチ(ミシン縫い)したタイプです。
ちなみに中のMACVパッチは実物です。
もう10年近く前だと思いますが、今は亡き友人に、知る人ぞ知る個人経営の小さな古着屋を紹介してもらいました。その店の商品はビンテージのアメカジがメインなんですが、同時に大戦~ベトナム期の米軍払い下げ衣類・個人装備・徽章も乱雑に置かれています。しかも店主的にはアメカジしか興味ないので、それらの軍装品は捨て値。
僕は個人装備を買ったついでに、まだ紐で束ねられたデッドストックの米軍MACVパッチが置いてあったので、「これ1枚ください」と言いました。すると店主のおじさんが「紐を解くの面倒くさいから全部あげる」と言って、一束(十数枚)丸ごと1枚分の値段で売ってくれた、と言うか押し付けられました。その中の1枚が今回使用したパッチです。
あのおじさんも大雑把だけど、こんな腐るほど大量にパッチを作りまくって余らせる米軍も、どういう計算でパッチを発注してるんだか謎です。
2021年11月02日
まったりお食事&撮影会
※2021年11月9日更新
よく歳を取ると一年過ぎるのが早いと言いますが、今年は特にそう感じます。
以下、10月末にやった撮影会の写真です。
その1 クメール陸軍 猟兵大隊(1970年)
その2 ベトナム陸軍 国境レンジャー大隊(カンボジア領内 1970年)
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おまけ 背景合成
その1 クメール陸軍 猟兵大隊(1970年)
クメール共和国(=ロンノル政権)成立、カンボジア内戦突入直後の1970年頃の軍装っぽくしました。
すでにアメリカから供与されたM1ヘルメットやタイガーストライプを着用していますが、武器や個人装備はクメール王国(=シハヌーク政権)期から使っている中国・ソ連製です。
その2 ベトナム陸軍 国境レンジャー大隊(カンボジア領内 1970年)
同じく1970年、それまでベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)の傘下にあったCIDGキャンプストライクフォースが、LLĐBの解散に伴い陸軍レンジャー部隊(BĐQ)に編入され、『国境レンジャー(BÐQ Biên Phòng)』へと改名されます。
この改編と並行して、キャンプストライクフォース/国境レンジャーは1970年4月から開始されたカンボジア進攻作戦へと投入され、カンボジア領内でベトナム共産軍やクメールルージュ(カンボジア共産軍)と戦いました。
この当時、国境レンジャーの軍装はCIDG時代の物を引き続き使っていましたが、その後すぐに政府軍からホアズン(ARVNリーフ)迷彩服などが支給され、見た目は一般の(キン族で構成された)レンジャー大隊と同一になります。さらに1973年には『国境レンジャー』という名称も廃止され、正式にレンジャー部隊の一部となります。
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服は上のFANKと使いまわし。だって実際同じもの着てるんですもん。
その他 ベトナム陸軍第7歩兵師団、レンジャー、人民自衛団、国家警察
僕は上の2つしか着ませんでしたが、友人たちはいろいろ着ていた(と言うか前日までテーマを決めていなかった)ので、みんなの写真を加工。
おまけ 背景合成
僕は行っていないイベントだけど、友人たちの写真を加工たので、ついでに公開。
空軍付き憲兵隊の再現はおそらく日本初じゃないでしょうか。
2021年05月08日
撮影会② FANK第294猟兵大隊
先日の撮影会で撮った写真その2です。
その1はこちら
こちらの設定は、カンボジア内戦(1970-1975)時代のクメール陸軍第23歩兵旅団第294猟兵大隊。
クメール兵が5人に増殖しました。
次は米国製装備が行き渡る前(1970年代初頭)の共産圏装備時代のFANKをやってみようと思います。
(1970年にクメール共和国=ロン・ノル政権が成立して反共・親米体制になる前の、クメール王国=シハヌーク政権時代のカンボジアはむしろ第三世界の中でも親中・親ソが顕著な準共産陣営国家でした。だからベトナム人民軍や解放民族戦線といった外国の武装勢力が自国の領土(ホーチミン・トレイル)を我が物顔で往来していても黙認していた訳です。)
おまけ:幻の空挺師団
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しかし当日空挺師団の衣装を持ってきたのは二人だけ
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パッチ以外は空挺コマンドとほとんど変わらないから、上着を交換するだけで楽にできるのに、そもそもメンバーが告知をちゃんと読んでないという落とし穴。
逆によく空挺コマンドがあれだけ集まったなと思います。
2021年04月06日
配布物
東南アジアの軍装を趣味にしていると、実物はおろかレプリカすらなかなか手に入らない物品が多々あります。
と言うか、レプリカが山ほど出回ってる日米独等だけが異常に恵まれてるのであって、基本的にはレプリカなど望めないのが普通なんですよね。
そして欲しいものが売ってない場合、選択肢は「諦める」か「自作する」しかないので、僕はこれまで、こういった品々を自作してきました。
これらは僕個人でコスプレをする上では十分なのですが、他方で、リエナクトや撮影会は集団芸なので、できれば自分以外の人にも同じ物を身に着けて欲しいと思ってしまいます。
とは言え、他の人に「あなたも自作して」と求めるのは無駄だし厚かましい。
なので僕は、自分の好きな軍装を集団で着るという願望を叶えるために、仲間の分も自作して(有料ですが)配布しています。
以下、最近作った物
ベトナム陸軍迷彩ヘルメット
先日制作した4代目迷彩ヘルメットと同じ製法で、友人からの依頼分を塗装しました。
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今回見本としたのは1971年当時に空挺師団で使われていたリーフ系パターンの一つですが、ほぼ同じ迷彩ヘルメットがレンジャー部隊や第81空挺コマンド群、一部の歩兵部隊でも使われているので、空挺以外にも使いまわす事が出来ます。
クメール陸軍第23歩兵旅団パッチ
こちらは頼まれてないけど、付けて欲しいので勝手に作って送りつける物。
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3年ほど前にFANK第294猟兵大隊パッチを制作しましたが、その時は左袖に付ける(294大隊の親部隊である)第23歩兵旅団のパッチが手に入らなかったので、軍服の左袖(本当はこちらがメイン)がずっと空白のままでした。
ところが最近、ようやく23旅団に関する資料が手に入ったので、さっそく自家製プリントパッチに起しました。
これでようやく旅団・大隊のセットが揃ったので、これまで294大隊パッチを渡した人には、有無を言わさずこの23旅団パッチも付けてもらおうと思います。
自分用のパッチは、さっそく服に縫い付けました。
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当初、ヘルメットに髑髏の鉢巻きという294大隊の軍装はあくまでイロモノであり、ちゃんとした(典型的な)クメール陸軍歩兵の軍装はまた別に作るので、294大隊のパッチはたまたま持っていたエクアドル製のTCU風ジャケットに付けていました。
しかしいくらイロモノとは言え、せっかく手間暇かけて徽章を作った以上、明らかに裁断が違う服を使うのはもったいないと感じるようになったので、あらためてロスコ製BDU改造のクメール軍野戦服(隠しボタン型)に付け替えました。
ちなみにこの服の設定は、『第9歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊』という長ったらしい部隊名です。
歩兵旅団群(Groupments Brigades d’Infanterie)とは、クメール陸軍が1970年に新設した編成単位です。
それまで(王国時代の)クメール陸軍の兵力は、全国で数十個の猟兵大隊(Bataillon de Chasseurs=軽歩兵大隊)が独立して存在する程度であり、師団はおろか連隊すら存在していませんでした。
しかし1970年にロン・ノル将軍によるクーデターを機にカンボジア内戦が勃発すると、陸軍は組織改編と兵力の増強を開始し、間もなく歩兵旅団(Brigades d’Infanterie)を創設して、各地の猟兵大隊を18個の旅団にまとめます。
更にその直後(1970年中頃)、人数が少ないので師団とまでは行かないものの、歩兵旅団の上位に、各2個の歩兵旅団から成る歩兵旅団群を15個創設しました。
以後、陸軍は『歩兵旅団群―歩兵旅団―猟兵大隊』を基本的な編成単位として拡大していきます。(さらに1972年からは歩兵旅団群を拡大した歩兵師団(Divisions d’Infanterie)も順次創設)
野戦服に付けるインシグニアは、今回の作例のように、基本的にはメインとなる左袖に旅団パッチが付き、右袖は大隊等の下部部隊となるようです。ただし右袖にパッチを付ける事自体が稀であり、基本的には左袖の旅団パッチのみの場合が多いように見受けられます。
また、これも稀な例ですが、左袖に旅団ではなく、その上位の旅団群のパッチを付けている例もあります。
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第7歩兵旅団群パッチの着用例
今までのところ、僕が確認している旅団群パッチの着用例は、兵士が皆迷彩服を着ているので、もしかしたら彼らは歩兵旅団/猟兵大隊に所属する普通の歩兵ではなく、旅団群本部付きの偵察中隊やコマンド隊員なのかも知れません。
2020年12月07日
友人からの依頼
カリフォルニアでベトナム軍リエナクト(主に陸軍第5歩兵師団)をやっているベトナム系アメリカ人の友人から、チームの初心者に当時の軍装を解説するために、君のイラストを使わせてもらえないか?と問い合わせがありました。
もちろん二つ返事でOKしましたが、彼のチームはうちら日本のグループと同じく、1950年代~1975年まで幅広い年代をリエナクトの対象としているので、イラストも時代ごとに再編集しておきました。
ちなみに今回のイラストは第5歩兵師団をテーマとしていますが、他の空挺やレンジャー、海兵隊といった即応(機動歩兵)部隊も、徽章や迷彩服が異なるだけで、個人装備に関してはこれとほとんど同じです。
おまけ
彼らカリフォルニアのグループはFANK(クメール国軍)も好きという事なので、僕が自作したクメール陸軍第23旅団第294大隊のパッチ&鉢巻きを使ってくれています。
これでうちのチームも含めると、最低でも世界で5人は294大隊のコスプレしている事になります。いつか全員集合したいなぁ~
ウソみたいだろ。二人ともROTC出た予備役将校なんだぜ。それで
2020年04月27日
STAY HOMEその2
引き続き、細々とした作業を片付けました。
①FANK(クメール国軍) 隠しボタン2ポケット・ジャケット
2年前に「そのうちやる」と言ったきり止まっていたクメール陸軍歩兵計画を再始動。
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ロスコ製の米軍BDU風ジャケット(ポプリン生地)を素材に
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下側のポケットと肘当て、カフスおよびウエストのストラップを外すだけの簡単なお仕事です。
部隊章はまだ作っていません。ただし、当時からインシグニアを付けていない兵士は大勢いたので、このままでも十分コスプレに使えます。
僕もクメール軍については勉強し始めたばかりなので、インシグニアを付けるのであれば、もうちょっと戦史などを調べた上で、服の設定を考えたいと思います。
②ベトナム海兵隊第1海兵大隊
以前作った第1海兵大隊仕様のグリーンリーフ迷彩服(東京ファントム製)は、自分で付けたインシグニアに誤りがあったので作り直しました。
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・ネームテープ:✕青地に白文字→〇青地に黒文字
・部隊章:✕後期型(1971-1975)→〇前期型(1960-1971)
※ネームテープ色については過去記事『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』参照
③ベトナム地方軍
昔、趣味の先輩が、米軍ユーティリティユニフォーム(OG-107)から改造して作ったベトナム軍カーキ2ポケット作戦服風シャツを、地方軍仕様にしました。
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自家製パッチを付けると共に、ボタンはクラッシファイド製レプリカに交換しました。
2019年10月13日
CIDG計画とFULRO(フルロ)
※2019年10月15日更新
最近、CIDGごっこを計画する中でフルロ(FULRO)の話が話題に上がった(と言うか僕が話したくて仕方なかった)ので、CIDGとフルロの関係を分かりやすく図にしてみました。
▲CIDGとフルロの大まかな関係を示した図(クリックでPDF開きます)
なお今回は触れませんでしたが、少数民族の自治・独立運動は1958年のバジャラカ運動が最初という訳ではなく、1945年には最初のデガ諸部族の連携組織が発足しており、もっと昔には、現在のベトナムの領土の南半分以上はチャンパ王国やクメール王国が支配していた場所なので、彼らが「少数民族」と呼ばれる事になるはるか以前から、この争いはず~っと続いてきたわけです。
また1975年以降も彼らの戦いは現在に至るまで続いています。このベトナム戦争の前と後の話は、まじめに書くとかなり長くなるので、またの機会に。
これまでのおさらい&よく見る誤解を訂正
・CIDG=デガ(モンタニヤード)ではない
CIDG計画には多数のデガ諸部族が参加しましたが、チャム族やクメール族、ヌン族など、デガ以外の少数民族も多く参加しており、また一部ではカオダイ教徒など、反政府的なベトナム人も参加していました。
・CIDG=フルロではない
フルロは長年ベトナム人から迫害を受けてきたデガ、チャム族、クメール族の三勢力の連合です。その目的はベトナム(この当時は南ベトナム)からの自治・独立です。彼らにとってこの戦いは積年の恨みが詰まった人種戦争であり、当初はベトナム人であれば南北に関係なく、一般市民すらも見境なく虐殺する過激な武装組織でした。なおそれまで大した反乱も越せなかった彼らがフルロを結成し、大規模な反乱を起こす事が出来たのは、米軍のCIDG計画の賜物でした。フルロ兵士はCIDG計画に参加する事で米軍によって訓練され、米軍から与えられた武器で武装し、米軍から支払われる給料がフルロの資金源となっていました。なのでCIDG=フルロではありませんが、CIDG計画無くしてフルロの活動は無かったと言えます。
一方、CIDGに参加していたヌン族は、中国国民党の影響下にある中華系の少数民族であるため、第一次インドシナ戦争では反共主義に基づいてベトミンと戦ったものの、ベトナム人との関係は悪いものではありませんでした。1954年に北ベトナムが失陥すると、約5万人のヌン族が南ベトナムに移住し、そのままサイゴン政府軍にヌン師団が創設されます。後に政争によってヌン師団長が解任された事でヌン族兵士はサイゴン政府に反旗を翻しますが、ジェム政権崩壊(1963年)後は再び良好な関係に戻ります。よってフルロに参加する事はありませんでした。
・フルロ=CIAの工作ではない
インターネットを見ていると、一部のベトナム人の間ではフルロは「ジェム政権を崩壊させるためのアメリカCIAの工作だった」と語られていますが、それは完全に間違いです。まずフルロが結成されたのはジェム総統がクーデターで暗殺されてから10ヶ月も後の事です。また当時CIDGを指揮していたアメリカ人たちは、言葉の壁から、自分の部下たちが秘密裏に米軍による軍事支援を利用して反政府ゲリラ組織を結成している事に気付く事が出来ませんでした。そして実際に1964年にフルロの反乱が起こった際には、CIAですらこの反乱の背後関係を把握できておらず、ベトコンまたはフランスの支援・扇動によるサボタージュ説が唱えられていました。
後に判明する事ですが、当時実際にフルロの組織化・反乱を支援してのは隣国カンボジアのシハヌーク政権でした。カンボジアとしては、クメール王朝時代にクメール領だった南ベトナムの領土を奪還する事を最終的な目標としており、その為に、ベトコンとの内戦を抱える南ベトナムを、内部からの反乱でさらに混乱に陥れる事を目論みました。そのためカンボジアは、CIDG計画によって南ベトナム領内の少数民族に武器・資金が流入した事を確認したうえで、少数民族に連携と反乱をけしかけたのでした。
ベトコンに参加したデガ勢力
1954年以来、南ベトナム政府に対する少数民族たちの要求は、主に自治権・民族自治区の設置(特にデガは、1946年にフランスが設定した「南インドシナ・モンタニャール国」の復活・ベトナムからの独立)でしたが、、同時に政治イデオロギー的には、ほとんどの少数民族は第一次インドシナ戦争以来、反ベトミン・反共産主義・反北ベトナムで一致していました。
しかし1958年のバジャラカ運動の失敗後、イーバムら運動の指導者を失ったデガの間では、今後の独立運動の方針について迷いが生じていました。そこに、北ベトナムの労働党が南ベトナム破壊工作として、南ベトナム領内の旧ベトミン・共産主義・民族主義勢力の再組織化(後の「南ベトナム解放民族戦線」)を1960年に開始すると、デガ内部の一部勢力は、ベトコン(労働党・解放民族戦線)が語る「勝利の暁には民族自治区が約束される」という白々しい口車にすがってしまい、約1,000名のデガが「タイグエン自治運動」を結成して南ベトナム解放民族戦線の指揮下に入りました。
しかしその兵力は微々たるもので、またベトコンははなっから少数民族に自治権を与えるつもりなど毛頭なかったので、この共産主義系デガ組織「タイグエン自治運動」がその後どうなったのかは、定かではありません。
もしその後の15年間、ひたすらベトコンの指揮下でアメリカやサイゴン政府軍、そして同胞のデガ兵士たちと戦い続けたとしても、その勝利の後に待っているのはベトナム共産党政権によるデガ自身への民族浄化です。
でも、もしかしたら、デガの同胞を大量に死に追いやっておきながら、自分だけはうまく共産党で出世して、戦後英雄気取りのデガも、もしかしたら居るかもしれませんね。
だって現に、現在のベトナム社会主義共和国には、そういうベトナム人が腐るほど大量に居て、そんな連中が戦後40年以上、独裁政権下で私腹を肥やし、ベトナム国家・国民を食い物にしているんですもの。
Posted by 森泉大河 at
18:31
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2018年06月27日
週末の写真
今回は動画撮影がメインだったのでスチルは少なめです。
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お昼ご飯は、当時前線での食事として一般的だったと聞く、乾燥米にヌックマムをかけたものと魚の干物というメニューを再現しました。
お米は市販の備蓄用アルファ米、魚はめざしをその場で焼いて食べました。
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撮影会の最後にFANK第294大隊のコスプレもちょこっとやりました。
一緒にやるはずだった友人がこの日は病欠だったので、今回は僕一人だけです。
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我ながら厳つい。
とても正規軍には見えないと言われました。
もっとカンボジア軍増やしたいな。
2018年06月21日
撮影会の準備
その1 ベトナム陸軍第7歩兵師団(1963年初頭)
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自家製第7歩兵師団プリントパッチ取り付け
クラッシファイドさんのリプロはこれまでで最高の再現度なのですが、ただ一点、ボタンの表面はもうちょっと艶があった方が良いと思ったので、一旦ボタンをすべて外してピカールで磨きました。
左が研磨前、右が研磨後。あまり艶を出し過ぎても変になるので、難しい所です。
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今回はM1グレネードアダプターを初投入。左側の2本がMk2手榴弾用のM1アダプター、右がM26用のM1A1アダプター。できれば種類を揃えたかったけど、M1A1は1本しか手に入りませんでした。
グレネード本体は僕が高校生の頃に買ったサンプロ製BBボトルに実物セーフティピン/プルリングを付けた物。ベトナム軍で使われた米国製手榴弾には、米軍のような黄色のマーキングが入っていない物も多く見受けられるので、レバーをOD色に塗っただけで、あえてマーキングは施していません。
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このスタイルが目標。でも銃側に付けるM7グレネードランチャーはまだ入手できていません。
その2 クメール陸軍第23旅団第294大隊(1970年代前半)
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後身頃が二枚になっています。なんじゃこりゃ?
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メーカータグが付いていたので検索してみたら、FAME (Fabricaciones Militares Ecuatorianas)とはエクアドル軍需産業という意味でした。てことはエクアドル軍の服なのかな。
この次はちゃんとクメール陸軍で一般的だった隠しボタン2ポケ戦闘服を再現して、もっと普通のビジュアルの部隊をやりたいと思います。
2018年03月27日
はじめてのFANK
FANK*には以前から興味はあったものの、ベトナムと比べるとはるかに資料やレプリカの少ない軍隊なので、なかなか始めの一歩を踏み出せずにいました。ところが最近、映画「最初に父が殺された」を見た友人が「僕もロン・ノル軍やりたい!」と言ってきたので、僕もよくやく重い腰を上げてクメール軍装に手を出す事にしました。
*FANK: (仏語)Forces armées nationales khmères / クメール国軍。1970-1975年のクメール共和国時代のカンボジア軍。大統領の名から通称「ロン・ノル軍」
さて、FANKは1975年にクメールルージュ(カンボジア共産党軍)との内戦に敗れ、たった5年で消滅してしまいましたが、その短い歴史の中では、多種多様な軍装が用いられていました。なのでまず、どの部隊を再現するか候補を探していたところ、こんな写真に出会ってしまいました。
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見た瞬間、これに決めました。ヘルメットに鉢巻きは、決して一般的なスタイルではないのですが、とにかく個性が凄い。いかつい。加えて、幸いにもあるコレクターさんがこの部隊章の実物の画像をアップしてくれていたので、それをトレースして自作パッチを作るのも容易でした。
こうしてFANK同好会立ち上げ一発目の自作アイテムが完成しました。我ながらイイネ!
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なお、この部隊については、当初は「第294大隊」という部隊名しか把握できていなかったのですが、昨日、僕が勝手に『大師匠様』と呼んでいる人物に「あの写真の人の左袖のパッチは何ですか?」と問い合わせたところ、この部隊はクメール陸軍の第9旅団群第23旅団第294大隊なので、左袖には画像の第23旅団のパッチが付いてたはずという返答を頂きました。質問からわずか2分後にこの答え。さすが大師匠様。
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▲クメール陸軍第23旅団
これについてはまだ自家製造する目途が立っていないので、おいおいとなります。
クメール陸軍の野戦服について
これらの部隊章を取り付ける野戦服についてですが、当時の写真を見る限り、その規格は統一できていなかったようで、かなり様々なパターンの裁断が見受けられます。その中で比較的多く目にするのが、この2ポケット隠しボタンのタイプ。
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もちろんこの服のリプロなど存在しません。でもポプリン生地っぽいから、OD色の米軍BDUをベースに改造すれば比較的簡単に再現できそうな気がする。今度やってみます。(BDUとほとんど同じような4ポケ隠しボタン型も使用例あり)
あとはベトナム軍のカーキ作戦服によく似た2ポケや、米軍TCUをそのまま使っている例も見受けられるので、隠しボタン型を自作するまでは、とりあえずそれらの服を使おうと思ってます。
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▲ベトナム軍2ポケとよく似た野戦服(左)。ボタンまで同じなので、もしかしたら本当にベトナム製かも知れません。
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▲米軍TCUの使用例(右端)
またコマンド大隊や特殊部隊、空挺旅団が着ている迷彩服にも様々な種類がありましたが、比較的手に入りやすい服もあります。
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▲MDAPタイガーストライプ。ベトナムで使われていた米軍供与(MDAP)タイガーストライプと同一です。
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▲仏軍リザード迷彩TTA47/52野戦服(60年代製)。フランス連合期の供与品ではなく、60年代に改めてフランスから輸入された物(リザード迷彩のパターンが違う)が空挺旅団を中心に多く使われています。
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▲米軍グリーンリーフ迷彩TCU。米軍TCUと同型、またはエポレットが追加されたグリーンリーフ迷彩がクメール特殊部隊(Forces Speciales Khmères / FSK)でよく使われています。
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▲ベトナム軍グリーンリーフ迷彩2ポケに似た野戦服(中央)。この他にも様々な裁断のグリーンリーフ迷彩服が使われていました。
一方、かなり入手困難なのがこちらの迷彩服。
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(Youtube / AP Archive動画より https://youtu.be/pzSJMMlnQPI)
1960年代以降、仏軍リザード迷彩と並行して空挺旅団で多用されていた、まだら系の迷彩服です。ダックハンター迷彩とは似て非なるものですが、研究者が少なすぎて、まだ呼び名すら定まっていません。とりあえず、『クメール空挺パターン』とでも呼んでおきましょうか。
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世界の迷彩をまとめているCamopediaに、この迷彩の貴重な実物画像が掲載されています。
以上のように、クメール陸軍の軍装を再現する上で入手困難な物はそう多くはないので、レプリカや代用品で十分揃えられます。
さぁ~て、始めたからにはとことんやろうっと!
2016年05月19日
クメールあれこれ
カンボジアは興味あるけど、ベトナムで手一杯でまだちゃんと調べる段階には至っていないので、とりあえず興味深い写真をいくつかご紹介。
<フランス植民地軍クメール人儀仗隊>
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▲高官を出迎える植民地軍のクメール人儀仗隊, アンコールワット, 1931年
奥のピスヘルメット(仏語ではCasque colonial=植民地ヘルメット)被ってる人たちは普通の植民地軍ですが、
手前の仏軍山岳猟兵みたいなでっかいベレー帽や腕章はこの儀仗隊独特のデザインですね。もしかしたら近衛兵とかかも?
他にもこちらのブログに1931年当時のカラー写真がいくつか載っています→http://visualhistory.livejournal.com/167749.html
<フランス軍服姿のシハヌーク国王>
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▲クメール王国国王ノロドム・シハヌーク, 1953年
国王だけあって、植民地兵ではなく、正規のフランス陸軍大尉の軍服を着ていますね。
(植民地軍でもケピ帽は使われるが、着用できるのは植民地兵を指揮する正規のフランス軍人のみ)
胸のバッジは装甲騎兵(Arme blindée et cavalerie)っぽい紋章ですが、どの部隊なのかは分かりませんでした。
<ベトナム戦争とカンボジア>
1960年代、カンボジア(クメール王国)はアメリカを中心とするSEATO(東南アジア条約機構)から距離を置いた独自の外交を行っており、ベトナム戦争に対しては表向きは中立国という立場でした。しかし実際には中立とは名ばかりで、シハヌーク政権はいわゆる第三世界として中国・ソ連と親密な関係にあり、北ベトナム軍がカンボジアを補給路(=ホーチミントレイル)として利用する事を黙認するなど、陰ながら共産軍を支援する立場にありました。また長年カンボジアの領土だったメコンデルタ地域をベトナム人から奪還すべく、少数民族武装組織FULROを組織してベトナム領内の少数民族に蜂起を促すなど、ベトナム共和国政府に対し様々なサボタージュ工作を行っていました。
しかし1970年、シハヌークの側近だったロン・ノル将軍がCIAからの支援を受けてクーデターを敢行し、シハヌークを追放する事で新政府『クメール共和国』の樹立を宣言します。このロン・ノル政権成立によってカンボジアは一転して西側陣営の一員、アメリカの同盟国へと転向し、アメリカは堂々とクメール国軍(Forces Armées Nationales Khmères)に対し軍事支援を行えるようになりました。
<クメール国軍戦闘序列(1970年8月)>
第1歩兵大隊 - プノンペン
第1歩兵旅団 - コンポンチャム
第3歩兵旅団 - コンポンソム
第4歩兵旅団 - プレイベン
第6歩兵旅団 - プノンペン
第7歩兵旅団 - プノンペン
第10歩兵旅団 - コンポントム
第11歩兵旅団 - コンポントム
第12歩兵旅団 - シェムリアップ
第13歩兵旅団 - プノンペン
第14歩兵旅団 - Srê Khlong
第15歩兵旅団 - プノンペン
第16歩兵旅団 - プノンペン
第17歩兵旅団 - Long Vek
第18歩兵旅団 - Romeas
特別旅団 - シェムリアップ ※自由クメール抵抗軍を編入
第1空挺旅団 - プノンペン
第2空挺旅団 - Long Vek ※1973年解散
通信旅団 - プノンペン
輸送準旅団 - プノンペン
装甲準旅団 - プノンペン
砲兵準旅団 - プノンペン
防空準旅団 - プノンペン
工兵準旅団 - プノンペン
湖水旅団 - トレンサップ湖
青年土木工兵旅団 - プノンペン
第1海兵隊 - コンポンソム ※沿岸地域2大隊、プノンペン郊外2大隊から構成
上記に加え全国4つの軍管区および特別管区に約120個の地方大隊を持つ。
<ベトナム派遣クメール国軍>
またカンボジアとベトナムは領土を巡って長年争いを続けてきましたが、カンボジア国内でもカンボジア共産党軍『クメール・ルージュ』との内戦が始まった事から、両国政府は反共・親米という立場で一致し、アメリカおよびFWMAO(自由世界軍事支援機構)を介した同盟関係が生まれました。
▲ベトナム共和国フォクトゥイ省のキャンプB-43/フォクトゥイ駐在のクメール国軍兵士, 1970年代
服に部隊章が無いので断定は出来ませんが、特殊部隊キャンプに駐屯するくらいなので、この人たちもクメール国軍の特殊部隊(Forces Speciales Khmères)だと思います。
通常クメール軍のベレー帽はフランス式の右上がりですが、特殊部隊は米軍およびタイ軍の指導の下編成された為、米軍同様左上がりのベレーが制定されたようです。
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▲(写真上)クメール国軍兵士とオーストラリア軍AATTV隊員, ベトナム共和国B-43フォクトイ, 1972年。 (写真下)戦後再会を果たした3人。
<クメール国軍FULRO大隊>
FULROは元々、クメール王国軍のレ・コセム大佐がベトナム共和国政府へのサボタージュを目的としてシハヌークおよびロン・ノル将軍に提案、許可を得た破壊工作としての一面を持っていました。レ・コセムはまず自分がチャム族であることを利用してカンボジアとベトナム領内のチャム族勢力を結集しFLC(チャンパ解放戦線)を結成。さらに中部高原のデガに連携を持ちかけ、FULRO(非抑圧民族闘争統一戦線)を組織します。そして1964年の『FULROの反乱』以降、FULROは度々ベトナム共和国軍への攻撃を繰り返したものの、アメリカの仲裁によって中部高原における一定の自治が認められました。
しかしスポンサーであるシハヌーク政権の目的はデガの自治などではなかったため、クメール側の真意に気付いたFULROおよびFLHP(中部高原解放戦線)最高指導者イーバム・エニュオルは1968年、クメールの傀儡であるFULROから離反し、新たにFLPMSI(南インドシナ・モンタニャール国解放戦線)を旗揚げします。しかしこの直後、イーバムはクメール軍情報部に拉致され、以後6年間プノンペンで軟禁状態に置かれました。これによりFLPMSI(FLHP系FULRO)は指導者を失い、間もなくサイゴン政府と和解(事実上の降伏)します。
こうしてベトナムのFLHP系FULROが活動を終えた一方で、レ・コセムの配下にあったFLC(=チャム族)系およびFLKK(クメールクロム解放戦線)系のFULROは、正式にクメール国軍に編入されました。
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▲クメール国軍第181FULRO大隊の幹部とロン・ノル将軍, 1970年
大隊長オスマン少佐(チャム族・下段中央)
副大隊長ポー・ダルマ大尉(チャム族・下段左)※
首相ロン・ノル元帥(クメール族・上段右)
※当時副大隊長だったポー・ダルマ氏は2006年に著書『Du flm au fulro』を執筆し、FULROの歴史について詳細に綴っています。
フランス語なので読むの大変だけど、当事者が記した大変貴重な情報源なので買って良かったです。
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<リュックサック2種>
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▲作戦中のクメール国軍兵, コンポンチャム, 1973年
左の人が背負ってるのが所謂『インディジナス・リュック』、右の方に置いてあるのが所謂『ARVNリュック』。
※2019年11月29日訂正 右のはARVNではなく米軍のトロピカルラックサックでした。
これらのリュックサックはそれぞれ、CIDG向け、ベトナム共和国向けのリュックとして知られていますが、実際にはカンボジアやラオス、タイ、フィリピン軍にも大量に供与されており、タイでは布地をナイロンにしたものが現在でも生産されています。
従ってこれらの個人装備はCIDGやベトナム軍といった狭い括りではなく、アメリカ国防総省ARPA(高等研究計画局)が東南アジアにおける共産主義勢力の排除を目的として1961年に開始した限定的非対称戦争計画"プロジェクト・アージル(Project AGILE)"の
アメリカの東南アジア同盟国向け軍事支援の一環として見るべきだろうと思います。
<クメール装甲騎兵>
▲プノンペン陥落に際し我が子を背負って市街から脱出するクメール国軍兵士, プノンペン, 1975年4月17日
間違いなくプノンペン陥落の際の写真なのですが、この写真をサイゴン陥落時のベトナム共和国軍兵士(装甲騎兵)と勘違いしているベトナムのサイトをよく見ます。
現代のベトナム人は旧政権の軍装をよく知らず、ましてや外国の旧政権など知る由もないので、M16持っていれば何でもベトナム共和国軍だと思ってしまうようです。
ちなみに去年タイ軍の戦争博物館に見学に行った時は、壁にデカデカと『ベトナム派遣タイ軍』として飾られた写真の中の何枚かは、タイ軍ではなくベトナム共和国軍でした。当人達にも見分けつかないのね。
<理想の兵隊>
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▲クメール国軍兵, 1974年
僕がこれまでのミリタリー趣味人生で見てきた中で一番カッコいいと思う兵隊さん。
軍隊でこんな長髪はありえないし、普通のクメール人も男は髪を伸ばさないので、少数民族もしくは宗教上の理由だと思うけど詳細は不明。
あらゆる面で、僕の理想がつまっている人です。よく見ると顔も僕に似ている気がする。