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2023年01月08日

ダラットの徽章

※2023年1月9日更新
※2023年1月16日更新


第1次インドシナ戦争からベトナム戦争期にかけてのベトナム軍(ベトナム国軍・ベトナム共和国軍)士官学校「ダラット」の徽章についてまとめました。

※この士官学校の校名は、ベトナム士官学校→ダラット統合武備学校→ベトナム国立武備学校と時代によって移り変わっていますが、この記事では「ダラット」で統一します。
※士官課程第1期および2期のみ、ダラットではなくトゥアティエン省フエ市ダップダのベトナム士官学校時代に実施されました。
※同じくダラットには政治戦士官を養成するダラット政治戦大学が存在しましたが、これは本記事で言う「ダラット」とは別の学校です。


I. 校章

第1~2期(1948年~)
未確認


②第3期~(1950年~)
仏軍式の金属製バッジを右胸ポケットに佩用する。

 


③1959年~
校名がベトナム国立武備学校に改称。米軍式の布製パッチを左袖に佩用する。



II. 帽章

第1~11期(1948年~)
ダラット独自の帽章は制定されず、陸軍(ベトナム国軍陸軍)帽章が用いられる。またダラット学生は黒または濃紺色ベレーを常時着用するが、ベレー章は制定されていない。

▲制帽章(上)、ベレー章なし(下)


第12~31期(1955年~)
赤地の制帽章が制定される。また後(1959年より後)にベレー章も制定される。

▲制帽章(上)、ベレー章(下)


III. 士官候補生学年章

階級章に相当。任官前の士官候補生(Sinh Viên Sĩ Quan)は正式な軍人ではなく、階級を持たない。ただし士官候補生である事を示す『α(アルファ)』の意匠の徽章を階級章と同様に着用する。またこの徽章は学校ごとにデザインが異なる。

第1~11期(1948年~)
初代のダラット士官候補生章は肩章のみ。台布色は黒で、アルファの上に龍の刺繍が施されている。当時の教育期間は1年未満であったため、学年による等級は無い。



第12~31期(1955年~)
台布色が赤色に変更される。また服装に応じて正肩章(準礼服・外出服)、略肩章(勤務服)、襟章(作戦服)、胸章(作戦服で襟に指揮官章が付いている場合)の4種が使い分けられる
さらに教育期間が延長され、最終的に4年制となったため、学年による等級が設定される。2年生以降アルファの下に線が追加され、4年生で3本線となる。




IV. 学生隊指揮官章

第12期から学生隊内での役職を示す指揮官章が制定される。

①第12~21期(1955年~)
作業着(作戦服)および外出服の両襟に佩用される学生隊指揮官章は以下の通り。


▲第17期生の参謀(モノクロのため等級不明)


②第22期(1965年~)
第22期以降の学生隊指揮官章は、ブルゾンまたはジャケット着用時(冬季大礼服・冬季準礼服・冬季勤務服・冬季外出服・夏季外出服)のみ両襟に佩用される。なお1965年に制定された指揮官章は第22期のみ用いられた。



③第23~31期(1966年~)
第23期から改定された学生隊指揮官章は1975年の終戦まで使用された。

▲連隊参謀(左)、連隊長(右)


V. 初年生教育隊指揮官章

ダラットでは初年生への教育は上級生が担い、学生隊とは別に、初年生教育隊における指揮官章が設定された。
(採用時期は未確認だが、デザインが1965年制定学生隊指揮官章と似ているので、同時に制定かも?)



▲ 初年生教育隊小隊長。胸の徽章は学年章(2年生)


VI. 部隊感状

ダラットは学校の部隊感状として英勇章飾緒 (Dây Biểu Chương "Anh Dũng Bội tinh")を佩用する。


英勇章飾緒については過去記事『英勇章部隊感状と飾緒について』参照
  


2021年10月28日

外注ネームテープ縫い付け

刺繍屋さんに生地持ち込みで注文していたネームテープが届きました。
実は手元には4年前にまとめて作った分がまだ残っているので、今回自分用に作成したのは4枚だけです。


これらをネームテープ待ちだった服に縫い付け。

その1 ベトナム海兵隊最終型ザーコップ迷彩服(TCU型)第5海兵大隊仕様

民生ハンティングウェアから改造した服です。服の制作記はこちら

これで上着は完成しましたが、まだパンツは何も手を付けていません・・・



その2 ベトナム軍カーキ作戦服(2ポケット型)トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生仕様


こちらは服本体は米軍のユーティリティーユニフォームで代用し、ボタンのみクラッシファイド製に交換してあります。
部隊章、襟章は自家製です。


残るRTミシガン用のテープですが・・・
単にテープを付け替えるだけでなく、ベースの服をEA製ではなくドラゴン製にしたくなってきたので、徽章を全て移植する事になると思います。
また服本体もいじりたい箇所があるので、作ったらあらためて記事にします。
  


2020年10月18日

トゥドゥックの作戦服 その2

トゥドゥックの作戦服 その1の続きです。

途中何度も失敗を繰り返し、試行錯誤しながら、やっと完成にこぎつけました。
失敗した分まで載せてると長くなるので、最後にたどり着いた方法だけ記事にします。


エポパテで作った原型を瞬間接着剤で土台に固定



これを100円ショップで買える『おゆまる』で型取り。



真鍮線を曲げ、服に取り付けるためのピンを作る。



型にプラリペアを流し込み、硬くなる前にピンも埋め込む。



硬化後、型から取り出すとこんな感じ。



バリや厚くなり過ぎた部分をヤスリで成形し、Mr.メタルカラーのゴールドを筆塗り。



さらに乾燥後、電動ドリルの先に不織布(使い終えたマスクの切れ端)を取り付けて磨き、金属光沢を出す。 
台布を取り付けて、襟章が完成。



服に襟章を取り付け、ボタンをクラッシファイド製ベトナム軍ボタンに交換したら完成です!!!



さっそく家の中でセルフィー


士官候補生と言えばだいたい18歳~20代前半なので、それに合わせて携帯の美肌加工で若返り。
34にもなって学生は無理があるかなと思い始めたけど、でも実年齢通りにしたら世の中のナム戦マニアの大半は高級将校や最古参の下士官しかできず、兵卒がいなくなってしまいます。
なのでこの趣味やってる人の心は皆、永遠の20代。それでいいのです。
  


2020年10月06日

トゥドゥックの作戦服 その1

涼しくなってきたので久しぶりに軍服制作を再開しました。
今回新しく作る服は、ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生(SVSQ TB)です。
トゥドゥックの軍装は、既に夏季準礼服を持っていますが、今回は訓練時に着用する作戦服(野戦服)を再現しようと思います。
素材は1200円で買った中古の米軍ユーティリティユニフォームのシャツ(OG-107、1964年タイプ)。
この服自体、今となっては希少な物ではありますが、ボタンが欠損している上に丈も短く改造してあったので、コレクションやビンテージ的な価値は低いと見做されてこの値段になったようです。
僕としても良い状態の服を改造ベースにするのは忍びないですが、これならば遠慮なく使えます。

まず手始めに、手持ちの自作プリントパッチとネームテープを縫い付け。


左胸のテープは所属する教育隊を表していると考えられますが、この士官候補生のテープの色は(名前・部隊共に)、白やオリーブグリーンの他、黒地に赤や黄で刺繍されている例も多く見られ、期や隊ごとに異なる色が用いられていたようです。
この辺の細かい事はまだ把握できていないので、今回はとりあえず簡単に作れて無難な配色である白地黒プリントにしておきました。

次に、今回一番重要な士官候補生の階級章の制作に進みます。
(正確には『士官候補生(SVSQ)』は『階級』ではないけど、便宜上階級章と呼びます)
士官候補生の作戦服用の階級章は、陸軍将校と同様に、両襟に付ける正式な(作戦服用なのでこれ自体略式の一種ですけど)と、胸に一つだけ付ける略式の2種類が存在しました。

 

当時の写真を見ると、野戦訓練時であっても襟に付けるタイプの階級章を付けている事が圧倒的に多いので、
僕も今回は襟タイプを付ける事にします。

実は、この襟用予備士官候補生階級章は、NCHSINCさんでレプリカが販売されています。
しかし片方で25ドル、両襟だと50ドルはちょっとお高い。
いや、出来は良いのでこれを買っておけば間違いないのですが、
貧乏性の僕はつい、「こんなの自分で作っちゃえばいいじゃん」と思ってしまったので、今回は試しに自作してみます。

さっそくタミヤのエポキシパテで粘土細工開始。

 

そのままだとベタベタしていて細かい部分の形状が作りにくかったので、僕が中学生の頃に買った20年もののKSC製シリコンオイルスプレーを吹きました。


そして細かい部分は書類用のクリップで造形しました。


しかしこれが簡単そうに見えて、いざやってみると、なかなか納得いく形状になりません。 何度も作り直しをしました。


そして乾燥後、さらにヤスリで形状を整えて、ようやく及第点に至ったのが右の物。
これと同じ形状の物をもう一個作るのは無理ですし、服に留めるためのピンも付けなければならないので、
これを原型として形取り・複製しようと思います。

つづく・・・


おまけ

先日、アメリカのNKTおじさんから日本でのお使いを頼まれました。
ダニエルおじさんの義理の妹で、NKTおじさんの友人でもある女性が東京でベトナム料理店を経営されているのですが、
彼女が近々誕生日を迎えるので、自分の代わりに花束を注文してくれないか?と頼まれました。
もちろん快く引き受けてネット注文できるお花屋さんを検索してみましたが、カレンダーをよく見たらその日は日曜だったので、
配達と言わず、僕が花を持って直接出向けばいいではないかと気付きました。
僕も2年くらい彼女の店に顔を出してなかったので、ちょうどいい機会です。
そして当日、NKTおじさん分の花束と、僕からのプレゼントを持ってお店に直撃。


実は当日の朝、NKTおじさんは彼女と電話で話したそうですが、
僕が行く事は最後まで黙っていたので、まんまとサプライズが成功しました。
お二人ともに喜んで頂けて僕も嬉しいです!
  


2019年06月22日

ダラットの大礼服

※2019年6月25日更新
2023年1月8日更新

今回は、ベトナム共和国軍の士官学校として名高いダラットの大礼服(Quân phục Đại Lễ)についてのまとめです。
でもその前に、ダラットの歴史について軽くおさらい。

1945年~1948年
第二次大戦終結と同時にフランス軍がインドシナへの進駐を再開。翌1946年にはサイゴンを中心とするコーチシナ地方をホー・チ・ミンのベトミン政権から切り離し、コーチシナ自治共和国としてフランスの保護国とする。同時に、コーチシナの治安維持を担う『コーチシナ共和国衛兵隊』がフランス軍によって創設される。
同時期、フランス軍内ではフランス人将兵の人員不足が深刻化したため、これを補うべくベトミン政権を拒む現地の反共派ベトナム人をフランス軍に組み入れていく。またベトナム人部隊を指揮するベトナム人将校を育成するため、ヴィエンドン極東士官候補生学校を始めとする簡易な武備学校(士官学校)をベトナム各地に開設する。

1948年
バオダイ(保大帝)を首班とするベトナム国がフランス連合構成国として独立。これに伴い、コーチシナ共和国衛兵隊は『南ベトナム衛兵隊』に改称し、ベトナム国の国軍となる。
また南ベトナム衛兵隊の士官学校として、フエのダップダに『ベトナム士官学校(Trường Sĩ quan Việt Nam)』が設立。ベトナム国として初の士官課程第1期が開始。

1949年
南ベトナム衛兵隊は『ベトナム国衛兵隊』に改称。

1950年
士官課程第3期開始時に、士官学校がダップダからダラットに移転。『ダラット統合武備学校(Trường Võ bị Liên quân Đà Lạt)』が開校。

1952年
ベトナム国衛兵隊が『ベトナム国軍』に改称。同時期、フランスからベトナム国政府への権限移譲(ベトナマイゼーション)拡大により、ベトナム国軍がベトミン掃討の主戦力となる。

1955年
ベトナム共和国成立、フランス連合脱退。ベトナム国軍は『ベトナム共和国軍』に改称。

1959年
ダラット統合武備学校は校名を『ベトナム国立武備学校(Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam)』に改称。

1975年4月30日
サイゴン政府の降伏宣言により閉校

最終的に、ダップダにおける第1期から1975年の終戦までに、計35期*の士官課程が実施され、累計6,583名**が卒業した。
*最後の士官過程は第31期だが、途中、戦時の緊急増員で同年度に複数の過程が設置されたため。
**在学中に終戦を迎えた第30期、第31期生は含まない。


ダラットの士官候補生大礼服の変遷

ダラットの大礼服は年代によってデザインが幾度も改訂されていますが、それらが具体的にいつ切り替わったのかについては資料がそろわず長年把握できていませんでした。ところが先日、アメリカで開催されたダラット卒業生の同窓会で展示されていたこちらのパネルから、大礼服の変遷の全貌を把握する事が出来ました!



フランス連合期(第1期第11期)

フランス連合期はまだベトナム軍独自の礼服は制定されておらず、士官候補生もフランス軍の被服を礼服として着用した。
※上のイラストでは4ポケットの仏軍熱帯勤務服が礼服として描かれているが、この写真のように、ダラットでは同仏軍のMle1946外出服(ブルゾン)が礼服として用いられている例の方が多い。


1956年制定(第12期のみ)

フランス連合脱退後に、ベトナム軍独自の大礼服を制定。
ただし大礼服のデザイン自体はフランス陸軍士官学校(サン・シール特別軍学校)のものに影響を受けている。
ただし使用期間が短いため、当時の写真はいまだ発見できず。
また学生隊の指揮官章が制定され、大礼服の際は袖のアルファーの装飾の下に帯状に縫い付けられる。
(2019年6月24日追記)
この記事を投稿してたった2日後に、偶然ネット上で当時の写真を発見しました!なんというタイミング!
本当にレアな写真なので興奮しています。

1957年制定(第13期~第18期)

袖のアルファーおよびパンツの側線の色を青から赤に変更、またエポレット色も黄色から赤に変更される。
さらに上着の袖に赤い飾りカフスが追加される。

第13期から第21期までの大礼服の袖に付く学生隊指揮官章。なおアルファーの装飾の色とカフス以外は第12期も同様。
[Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam (1963)より]


1962年制定(第19期~第21期)

パンツの色が白から黒に変更される。上着に変更はないが、赤色のサッシュ(帯)が導入される。


1965年制定(第22期~第31期)

夏季大礼服 (Đại Lễ mùa Hè)
デザインが一新され、肋骨服のようなコード付き短丈上衣と、ブルーグレー色のパンツが導入される。
なお後述の冬季大礼服が制定されたため、冬季以外に着用するものは『夏季大礼服』と規定された。
また学生隊指揮官章は夏季大礼服には佩用されなくなる。

冬季大礼服 (Đại Lễ mùa Đông)
ダラットは高原に位置し気温が低い季節もある為、新たにブルゾン(Blouson)が冬季大礼服として制定される。
なおブルゾンは冬季準礼服・冬季勤務服でも用いられ、冬季大礼服の場合は、エポレットやサッシュなど大礼服用の装飾が付く

また第22期より学生隊指揮官章のデザインが一新される。この学生隊指揮官章はブルゾンまたはジャケット着用時(冬季大礼服・冬季準礼服・冬季勤務服冬季外出服・夏季外出服)にのみ両襟に佩用される。
[以下、Trường Võ Bị Quốc Gia Việt Nam Theo Dòng Lịch Sử(2017)より]
第22期のみ使用

第23期以降

新課生(初年生)学生隊用の指揮官章


おまけ:ダラット映像集


第14期(1957-1960年)



1972年撮影(何期生かキャプションは無いが、1972年の時点で新課生という事は第28期生だと思われる)
冒頭の行進シーンで学生が着ている服は冬季勤務服。



第27期卒業式(1974年12月27日)


米国で開催されたダラット卒業生による記念式典(2009年)
行進しているベテランが着ている服は、夏季準礼服。
  


2017年09月21日

撮影会①士官候補生 夏季準礼服あわせ

ついに、念願だったトゥドゥック歩兵学校の夏季準礼服を着て写真を撮れました。




最初に集め始めてから何年経っただろう。ようやく、しかも最高のロケーションで着ることができました。
懸念されていたパンツも、ダイエットの甲斐あってギリギリ履くことが出来ました。頑張って良かった

さらに、空軍士官候補生とのツーショットまで実現!!




兄弟(僕が兄)という設定で家族写真とかも撮りましたが、実は歩兵学校は陸軍限定ではなく三軍統合の予備士官学校です。
士官候補生はまず、ダラット国立軍事アカデミーやトゥドゥック歩兵学校、ドンデー軍学校などの三軍統合の士官学校を卒業後、さらに陸軍の各兵科学校や空軍訓練センター、海軍訓練センターに進み、そこでの専門的な教育を経て各ブランチの士官に任官するというのが当時のベトナム共和国軍における士官養成システムでした。
そのため、すでに空軍士官候補生になっている、つまり三軍統合の士官過程(一般士官過程(4年)または予備士官過程(9か月))を修了して空軍で訓練中の弟の方が、軍では先輩という事になります。
たぶん兄貴は第一バカロレア(フランス式の高卒・大学入試資格試験)に落ちたので、浪人・再受験して歩兵学校に入ったんだと思います(笑)  


2017年08月11日

制服計画の進捗



ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生 夏季準礼服
(1960年代後半~1975年)


トゥドゥック歩兵学校については過去記事参照

ほぼ完成。
肩章のみ実物で、チノ制服はセスラーの米軍レプリカで代用。
トゥドゥック制帽と英勇章飾緒(Dây Biểu Chương Anh Dũng Bội tinh)は米国製レプリカ。

トゥドゥック歩兵学校部隊章は、実物持ってるけど付けるのがもったいないので、自作プリントパッチを使用。

唯一の問題は、ちびちびと徽章などを集めている間に、僕のお腹にお肉がついてしまい、最初に買ったチノパンが履けなくなった事。買い直すの悔しいし、どうせ着る機会もそう無いから、引き続きダイエットに励みたいと思います。




フランス植民地軍 空挺インドシナ人中隊 准尉 外出服
(1948年~1950年頃)


部隊の歴史については過去記事参照


こちらの進捗はまだ7割くらい。
ベレーおよびベレー章、キメラのバッジはレプリカ。
肩章、降下資格章、飾緒は当時とほぼ同じデザインなので現用実物で代用。

剣を持つキメラがデザインされた第1および第2空挺コマンド植民地準旅団の徽章は1950年に向きが変更されており、
僕が持ってるレプリカは1950年以前のタイプ。当時既に編成されていた空挺インドシナ人中隊(CIP)というと、
1951年に編成されたベトナム国軍初の空挺部隊『第1(ベトナム)空挺大隊』の基となった、第1空挺インドシナ人中隊(1er CIP)
したがって正式な所属部隊を書くと、『フランス植民地軍 / 極東フランス遠征軍団 第2空挺コマンド植民地準旅団 第1空挺コマンド植民地大隊 第1空挺インドシナ人中隊』という長ったらしい肩書になります。
なので、胸に付ける大隊バッジは1er CIPの親部隊の『第1空挺コマンド植民地大隊(1er BCCP)』となるので、それのレプリカを探し中。左袖に付ける植民地軍バッジは、肩章と同じく現在のフランス海兵隊とほぼ同じデザインなので、それで代用しようと思っています。

※第2次大戦後から1950年代にかけてインドシナやマダカスカル、アルジェリアなどで相次いだ独立戦争によってフランス政府も帝国主義を放棄せざるを得なくなったため、1958年にフランス連合は解体され、フランス海軍省所属の植民地派遣部隊である『植民地軍(Troupes coloniales)』は、新たに海外即応派遣部隊と定義され、名称も『海兵隊(Troupes de marine)』へと改名されます。その後、海兵隊は1967年に海軍省の所管から離れ、正式にフランス陸軍に編入されました。
しかし海兵隊は現在も、陸軍内でも独立した地位を有する組織であり、肩章や袖章などのデザインは1940年代から変わっていません。その為、現在の海兵隊の徽章類が、第一次インドシナ戦争期の植民地軍制服用に使えちゃう訳です。
ただしデザインは変わっていないものの、実際には素材がモール刺繍からただの金糸刺繍に変わっているので、よく見ると別物なんですが・・・、当時物を集めるのはかなり大変だしレプリカも存在しないので、今は現用のもので妥協するしかない感じです。


なお、この服も、ウエストを絞らないとパンツが履けません。買った当時は履けたんですが…。
でもまぁ、水泳を始めてから5kgは減量したし、筋肉が復活した事で代謝も良くなっただろうから、このまま続ければきっと大丈夫なはず。はず。一応、スポーツ系の大学で水泳サークルに入ってる19歳の子と二人で、同じメニューの練習をしているので、オッサンのダイエットとしてはけっこうハードな練習をしてるつもり。最低でも一日2000m、週2回は泳いでるし。本気で競争すれば、25mまでなら現役にも負けないスピードで泳げています。25m過ぎると一気にバテて、どんどん引き離されるけど。
あと、ここ1ヶ月間体重が減らないのは、脂肪がより重い筋肉に変わったせいだと自分に言い聞かせてます。

  


2015年03月13日

ダラット政治戦大学の軍装

ダラット政治戦大学(Trường Đại học Chiến tranh Chính trị)は政治戦総局(TCCTCT)が所管する政治戦士官(SQ/CTCT)教育機関で、ダラット国家軍事アカデミー(VBQG)と並ぶ、ベトナム共和国軍のエリート養成施設でした。※過去記事政治戦総局/TCCTCT』参照
しかし、設立は1966年と比較的遅く、卒業者数も少ない(6期のみ)ため、当時の写真はネット上でも意外と少ないのです。そのため、僕にとってはベトナム軍の士官学校の中で最も謎の多い学校でした。
それが先日、フェイスブックで知り合ったベトナム共和国軍人のご子息が、この政治戦大学の制服に関する当時の資料を公開されていたので、非常に勉強になりました。とても貴重な資料ですので、僕のブログでも紹介してみようと思います。

大礼服
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2014年11月25日

生き証人

※2019年11月24日訂正


突然ですが昨日、日本に住んでいる元ベトナム共和国陸軍将校の方とお会いし、ロイヤルホストでお茶しながら当時のお話を伺う機会がありました。

ご本人の希望で、あまり詳しくは書きませんが、以下Tさん(仮名)の大まかな来歴です。

1950年 メコンデルタ付近の町に生まれる

1968年 ダラット・ベトナム国家軍事アカデミー(TVBQG)25期に入学 (※三軍統合の士官学校。日本の防衛大のようなもの)

在学中に中隊指揮課程、空挺降下課程、レンジャー課程、一般大学教育を修了

1972年 TVBQG 25期卒業。陸軍中尉に任官

同年    メコンデルタ地帯に展開する第7歩兵師団第11連隊第1大隊第1中隊本部に着任

1973年 任務中に地雷を踏んで右足を失う。この負傷により除隊

1979年 ボートピープルとして共産党政権下から脱出

1980年 広島県に漂着。日本政府のインドシナ難民受け入れ施設に入居

1983年 東京の国際救援センターにて日本語教育、就職斡旋を受け、日本に定住


Tさんは僕の趣味を知って、日本人がここまでベトナム共和国軍に関心を持っていることに喜んで頂けましたが、僕にとっても本物のベトナム軍人の方と直接お話するのはこれが初めての事なので、とても貴重な体験になりました。

それは当時の体験を語って頂けた事もありますが、何より全体として、除隊から40年以上経った今でもTさんが持ち続けているベトナム陸軍将校としての矜持を感じられた事が感慨深かったです。

特に、国家軍事アカデミーの卒業生であるという自負は、Tさんの人生の中でかなり大きな部分を占めるものだという事が強く伝わってきました。

Tさんが持参した、アメリカで発行されている国家軍事アカデミー卒業生アソシエーションの機関誌"Đa Hiệu (最精鋭)"
内容はPDFで公開されているので、こちらからダウンロードすることが出来ます。


国家軍事アカデミーのカリキュラムや制服について詳しく伺う事が出来ましたが、そういう趣味的な部分はまた今度の記事にします。

正直今は、地雷で吹き飛ばされ義足になった足や、そのせいで除隊を余儀なくされ祖国を守る事が出来なかった悔しさ、共産ベトナムからの決死の脱出と、身体障害を抱えながら言葉の通じない異国での生活と、Tさんが目頭を熱くしながら語ってくれた言葉の一つ一つの重みに、言葉が出ません。

いくつかの戦史上有名な戦闘が話題になりましたが、そこでTさんの口から出るのは、「ああ、その戦いで友達が死んだ」という言葉です。

僕はいまさら自分の趣味を恥じるほど純粋な人間ではないですし、Tさんも好意的に受け取ってくれているので何も問題は無いのですが、改めて自分がやっている遊びは人の生き死にや人生をネタにしている行為なのだなと自覚させられました。

縁もゆかりも無い外国人の僕にとっては、Tさんの人生もベトナム戦争も、単なる趣味の対象、興味本位でしかありません。

だけど、興味を持ってしまった以上は、マニアとしてとことん真実に近付きたいという気持ちを新たにしました。
  


2014年04月21日

士官候補生の礼装



南ベトナム軍に存在した各士官学校の士官候補生制服(礼服)をいくつかイラストにしてみました。

  続きを読む


2014年04月18日

素晴らしきYoutube動画

最近Youtubeに上がってるベトナム戦争期の記録映像がマジで素晴らしい!
今まで何千枚も当時の写真を見てきたのに、初めて見るような映像が次から次へと出てきます。
また写真では分からない、兵士の動きや雰囲気も動画ならビンビン伝わってきますねぇ。サイコーです。
今回はその中から、つい見入ってしまった興味深い動画をいくつかご紹介します。


PRU(1968年8月31日)

南ベトナム領内で村落探索をしているアメリカ陸軍第1歩兵師団第18歩兵連隊第2大隊を記録した映像ですが、なんと南ベトナム軍のPRU(Đơn Vị Thám Sát Tỉnh, 地方軍偵察中隊)が同行し、通訳や捜索の指導をしていました。PRUの動画なんて初めて見ましたよ。
確かに米軍の一般歩兵部隊は対ゲリラ戦に関しては素人なので、グリーンベレーに一から特殊作戦を叩き込まれたPRUが、オブザーバー兼通訳として歩兵部隊を指導するのは理にかなっていますね。

なお、PRUやプロジェクト・フェニックスは『CIAが雇った殺戮部隊』などイメージ先行の誇張した内容で語られがちですが、実際の活動は1961年以来ベトナムで幾度となく行われてきた典型的な対ゲリラ作戦の一つに過ぎないと僕は考えています。
なので、PRUは秘密傭兵部隊などではなく、れっきとした南ベトナム軍の地方部隊の一つです。逆に言えば、プロジェクト・フェニックスと同等の掃討作戦が十数年間もの長きに渡って繰り返されたのがベトナムという戦場でした。
この部隊の目的はCIDG部隊とまったく同様(※)で、ベトコンの活動が疑われる地域に政府軍部隊が村落単位で駐屯し、その地域の防衛・防諜を担うと同時に、医療支援等の民事心理戦を行って住民をサイゴン政府側に抱き込む事を目的としていました。
こうする事によって、住民に対しベトコンへの関与があれば容赦なく攻撃するという脅しになると同時に、住民自身にサイゴン政府への帰属・自衛意識を芽生えさせてベトコンを密告させる等、敵に浸透する隙を与えない体制作りが作戦の肝と言えます。
これはまさしく、CIA・グリーンベレーが指導する対ゲリラ作戦の典型であり、ベトナム以外でも韓国や中南米、ラオス、タイでも成果を挙げた効果的な戦術でした。
※そもそものCIDG計画はこのように国境地帯の村落の防衛のみを目的としており、マイクフォース等の大規模な戦闘部隊への発展は後になって考案されたものでした。
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2014年02月02日

テト年賀イラストまとめ

今年も、某県にある在日ベトナム仏教寺院で行われたテト(旧正月)のお祭に参加してきました!
(本当のテトは1月31日でしたが、平日なので日本の会社に勤めるベトナム人は仕事なため、お祭は日曜に開催されました。)
ベトナムの正月料理(お寺なので精進料理)やデザートを振舞って頂き、念願だった獅子舞も見れて最高でした!

しかし、先日このお祭をレポートすると書きましたが、ごめんなさい。やっぱやめておきます。
ベトナムの皆さんの文化や親切さを多くの日本人に知って欲しいという気持ちは強いのですが、僕のブログはミリタリー色が強すぎるので、そんな偏った日本人(彼らにしてみれば外国人)が神聖な寺に興味本位で来ていると思われると、今後の交流に差し障るので詳細は差し控えたいと思います。
僕の『趣味・遊び』の対象であるベトナム戦争は、彼らにとっては親や肉親の命を奪い、同族同士で殺し合い、国土を焦土と化した悲しすぎる歴史なので・・・。

代わりと言っちゃなんですが、前の記事のようにここ数年テト年賀イラストを描いてるので、今まで描いてきたものをご紹介します。
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2013年11月08日

予備士官候補生(SVSQTB)

今回はうちにある数少ない実物コレクションの一つと、その歴史をご紹介します。

じゃーん

ベトナム共和国軍トゥドゥック歩兵学校 予備士官候補生の半袖シャツ制服です。
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