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2021年06月20日

自撮りと縫物

昨日塗ったM9風ガスマスクを付けてさっそく部屋で自撮り。

設定は1965年のサイゴンにおける仏教徒デモ対応に出動したベトナム陸軍空挺旅団です。
ただし写真のように、ベトナム軍が60年代初頭~中盤にライアット装備として使用したボディーアーマーとしては米海兵隊のM52(初期型および普及型)が多く見られるのですが、僕はまだ持っていないので、今回は代わりに米陸軍のM1952Aボディーアーマーを着ています。
銃は先日完成したAR-15モデル601です。






また、迷彩服は以前から持っていた香港パンツァーファウスト製リプロのボンヒュエット(ブラッドケーキ)迷彩服ですが、この服は今まで1962~1964年頃の時代設定にしていたので部隊章などは付けていませんでした。
しかしもう一着別のメーカーのボンヒュエット迷彩服リプロが手に入る見込みが立ったので、そちらを62~64年仕様にする事とし、手持ちのパンツァーファウスト製には部隊章および天使の翼章を縫い付け、1964年末~1968年頃のインシグニアに変更しました。

もともとボンヒュエット迷彩服の裁断はマチ付きの大ポケットが基本であり、パンツァーファウストが再現したこの小ポケット仕様は60年代中盤に登場したバリエーションの一つ(かつジッパーポケットは官給ではなくテラー改造品)なので、やはり1964年以前を再現するなら大ポケット仕様が欲しかったのです。



おまけ

以前作った第81空挺コマンド群第4強襲中隊仕様のホアズン迷彩服(フォクフン製リプロ)にインシグニアを追加しました。
今回追加したのはローカルメイドの米軍ジャンプウィング(ベーシック)と、袖のBiệt Cách Nhẩy Dù(空挺コマンド)タブです。


空挺コマンドは1970年までプロジェクト・デルタの主力として米軍グリーンベレーB-52の指揮下にあり、また同じく米軍MACV-SOGの指揮下にあったNKTからの転属者も多く居るため、米軍からジャンプウィングを授与されている兵士も多くいました。


空挺コマンドは1970年のLLĐB解隊に伴い第81空挺コマンド群として再編成され、その際に部隊章も上の写真の物へと再制定されましたが、それがベトナム軍の部隊章としては珍しい三角形をしているのも、プロジェクト・デルタの伝統を継承している為だそうです。

  


2021年06月19日

M9風ガスマスク

今さらですが最近、米軍のM9ガスマスク(フィールドプロテクティブマスク)が欲しくなってきました。

そろそろライアット装備も始めてみようかと。

なのでさっそくネットでM9を探してみたのですが、もうあまり出回っていないんですね。
数年前、デッドストックの缶入りM9が安く売りに出ているのに気付きながら、ついスルーしてしまったのが悔やまれます。

しかし無い物ねだりしてても始まらないので、今手に入る物で代用することにしました。
フランスのガスマスクマニアのサイトLe Masque à Gazによると、M9はアメリカ以外にも世界各国でコピーが製造されてたそうです。
中でもセルビア製のM-1/MC-1ガスマスクは形状がM9そのまんま、かつ日本国内でも安く出回っているので、これを使う事にしました。

デッドストック品のセルビア軍MC-1ガスマスクを購入。
形状はオリジナルのM9とほぼ同じですが、アイピースリングとフィルターの色だけは違うので、ちゃっちゃと塗っていきます。


アイピースリングはMr.カラーのブラックを筆塗り。


フィルターはホワイト、ブラック、ブルーでそれっぽく調色してエアブラシで塗装。



出来上がり。左がM9風塗装MC-1、右が実物のM9
オーケイ。ぱっと見パチモンとはわからないでしょ。


ちなみに、このマスクを装着して我が家のワンコに近寄ったら、その不気味さに怯えて吠えまくってました。
ちょっと怖がらせ過ぎたのか、その後マスクを外しても、僕から逃げてしまいます。おお、ごめんよハルちゃん。
  


2021年06月06日

自撮りと加工

先日、スマートホン用三脚アタッチメントBluetoothリモコンシャッターを買ったので、さっそく家の中でスマホで自撮りしてみました。



まずは無加工:ベトナム陸軍空挺師団 1975年(左は当時の写真)




続いて、背景の合成にチャレンジしました。
本当はグリーンの背景を使ってクロマキー合成したいのですが、僕のPCに入っているソフトは古いため、うまくクロマキー合成ができなかったので、家の白い壁紙を背景にして、昔ながらの手動切り抜き合成を行いました。


①屋外/カラー:ベトナム陸軍空挺師団 1971年頃

う~ん、やっぱりカラーだと色の調整が難しいです。
また屋外という設定だと、光と影の向きも合わせるのも面倒です。


②スタジオ写真/モノクロ:フランス植民地軍コマンドス・ノルトベトナム 1953年頃

こちらは成功。もともとは合成ではなく、このような写真館にある風景画が描かれた布を探して実際に部屋に設置しようと考えていたのですが、なかなか好みの図柄が見つからず、またオーダーメイドしようものなら結構なお値段になるため、とりあえずは合成で済ませました。


③スタジオ写真/モノクロ+手着色:ベトナム海兵師団第2海兵大隊 1969年頃

当時の写真によくある、モノクロのプリントに持ち主が油性ペンで色を着色した物っぽくしました。


スタジオ写真風は割と手軽に作れたので、買ったのにまだ着て写真撮ってない服を(腹が出て着れなくなる前に)さっさと撮ってしまおうと思っていたのですが・・・
その後、家の中に棚とかが増えたせいで、背景に使える広い壁が無くなってしまいました。
やはり撮影の都度スクリーンを設置できるクロマキーに移行するしかなさそうです。
  


Posted by 森泉大河 at 04:26Comments(0)【ベトナム共和国軍】1954-1975

2021年06月02日

最近縫ったもの

ĐLCH製ホアズン作戦服 NKT作戦部"コマンド黒龍"仕様


以前の記事では、この服にはレンジャー部隊の徽章を付けていましたが、その後気が変わって、徽章を黒龍仕様に付け替えました。
なおボタンは全てクラッシファイド製に交換してあります。


フォクフン製ホアズン作戦服 空挺師団仕様


以前紹介したPhuoc Hung製リプロの2着目を買いました。
こちらの徽章は空挺師団仕様にしています。
フォクフン製のボタンは元々とても出来が良いので、付け替える事なく、そのまま使っています。


ビンテージ・ハンティングウェア ベトナム海兵隊化改造中

まずはパンツに比べれば比較的簡単な改造で済むジャケットを先に片付けていきます。

胸囲や腹囲がブカブカだったので、服の内側を縫ってサイズダウン。


ついでに袖を、ロールアップした時にちょうど良くなるくらいの長さに(半袖)にカット。



ツナギの上半分をバラした布を上前身頃に追加して、前立てを隠しボタン化。
一般論として、ベトナム製のTCU型作戦服の前立ては、必ずしも米軍TCUと同じように隠しボタンになっている訳ではないのですが、今回再現しようとしている海兵隊作戦服の場合は前立てが隠しボタンになっている例を多く見かけるので、それに倣いました。
また原型となった米軍TCUは上前身頃自体が前立てを覆っており、その下に別の布でボタンホール用の前立てが縫い付けられていますが、ベトナム海兵隊のものは前立てを覆う部分も前身頃と別の布になっているのが当時の写真から読み取れるので、幸いこうして自作が可能でした。(前身頃と一体だったら隠しボタン化は無理でした。)

つづく
  


2021年05月22日

最近やった作業

人民自衛団ビニールバッジ

仲間内に配布するため、ベトナム共和国軍の指揮下にあった反共民兵組織『人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)』のビニールバッジの自作レプリカを量産しました。

実物をスキャンし、印刷に適したデータに修正。プリンターで紙に印刷します。

ホームセンターで買ってきたビニールシートではさみ、縁をローラー型ホットシーラーで溶着。
今回初めてホットシーラーという道具を使いましたが、これ簡単そうに見えて意外と難しかったです。
接着部分に当てる時間が短すぎるとちゃんと溶着せず、長すぎると表面がグチャグチャに溶けたり、切断していまいます。

こうして出来上がったもの。左が実物、右が自作品。

当時の使用例

人民自衛団の服装は基本的に民生品の黒シャツ/スラックス、または黒アオババ/クアン(所謂ブラックパジャマ)なので、それらの服にこのバッジを付けるだけで簡単に再現できます。


ドラゴン製ホアズン迷彩服

先日買ったドラゴン製のホアズン(ERDL)迷彩服のボタンをクラッシファイド製ボタンに交換。
インシグニアの設定は、陸軍レンジャー部隊にしました。
赤いネームテープを付けたので第11,21,30,31,32,34レンジャー大隊のどれかという事になりますが、この服にはまだ軍団/レンジャー群を示す徽章は付けていないので、大隊も特定していません。(過去記事『レンジャー大隊識別色』参照)
レンジャー部隊は一つのまとまった部隊ではなく、各軍団の隷下に分散して配置される即応部隊でした。なので同じレンジャー部隊でも、サイゴンとフエでは、レンジャー大隊が所属する軍団/レンジャー群は異なります。
なので軍団パッチを付けるのは簡単ですが、付けてしまうとリエナクトの際にその服が着れる設定が限定されてしまうので、僕はこの服に関してはあえて軍団を特定しない事にしました。


海兵隊末期ザーコップ迷彩服作成開始

実物のベトナム海兵隊最終型ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服と同じ生地を使った民生ハンティングウェアが手に入ったので、これを素材にベトナム海兵隊迷彩服を自作しようと思います。

ジャケットはそのままベースに。ツナギは上下をバラして、下をパンツに、上側を生地取りにします。

目指すはベトナム戦争末期の1973~1975年頃に多く見られる、米軍TCU(ジャングルファティーグ)を模した裁断のタイプ。
大隊をどれにするかはまだ決めていません。
  


2021年05月15日

ダオ少将のサイン復元

2016年4月、アメリカ在住の映像作家の友人が、彼が作成しているドキュメンタリー作品の一環として、1975年の『スンロクの戦い』で共和国軍最後の英雄として勇名を馳せた元ベトナム陸軍少将レ・ミン・ダオ氏にインタビューを行いました。
友人はその際、ダオ少将に僕の事を話し、そしてありがたい事に、戦時中のダオ少将(撮影当時は准将)の写真の裏に、本人から僕(あだ名Tiger)宛てに直筆サインを書いてもらいました。

▲友人から「サイン書いてもらったから今度送るよ」というメールと共に来たサインの写真

しかしその後、友人はあろう事か、このサイン入り写真を、僕に送る前に紛失しやがりました。
僕から頼んだ訳ではなけど、もったいなぁ~face07

ところがその年の12月、僕もアメリカに赴き、その友人と一緒にカリフォルニア在住の元ベトナム共和国軍軍人の方々にインタビューする機会を得ました。そしてその際、なんとダオ少将にもお会いできることになったのです。
がしかし、実際には、約束を取り付ける際の手違い(ダオ少将側が日程を勘違いしていてカナダへの家族旅行とダブルブッキングしていた)でインタビューはキャンセルになったので、残念ながら直接お会いする事は叶いませんでした。

そして昨年2020年3月、ダオ少将は永眠。
インタビューが叶わなかったのはしょうがないけど、せめて本人に書いてもらったサインくらいは欲しかったので、上の友人から送られてきた画像からサイン部分を抽出し、このような形に復元しました。



直筆ではありませんが、大切に残しておきたいと思います。


【再掲】
スンロクの戦いにおけるダオ少将(当時准将)


ナレーション:
In anxious Saigon, the name Xuan Loc become synonymous with hope and heroism. General Le Minh Dao defied the communists.
(サイゴンの危機に際し、スンロクの名は希望と英雄的行為の代名詞となっている。レ・ミンン・ダオ将軍は共産軍に立ち向かっている。)

ダオ少将:
I will hold Long Khánh, I will knock them down here, even if they bring here two divisions or three divisions.
(私はロンカンを守り抜く。例え敵が2個師団、3個師団で押し寄せようが、私はここで敵を打ち倒す!)

レポーター:
Brigadier General Le Minh Dao told the assembled newsmen that he had beaten back 6 major attacks in 5 days..... I don't care how many divisions the other side sends me, he told us. I will knock them down.
(レ・ミン・ダオ准将は集まった報道陣に対し、この5日間で6つの主要な攻撃を撃退したと語った。彼は、敵が何個師団で攻めて来ようがかまわないと語る。私はそれを打ち倒す、と。)

ダオ少将:
I think the enemy, they think they can swallow down very easy. But now I can say with you, they hit to the rock. They hit to the rock. And we broken their heads already.
(敵はいとも簡単にここを攻略できると考えていた事でしょう。しかし今、私はあなた方に断言できます。敵は躓いた。躓いたのです。そして我々はすでに、彼らの先鋒を撃破しました。)

レポーター:
What is the morale of your men here?
(あなたの部隊の士気はどうですか?)

ダオ少将:
I can say with you they fight for 5 days already, and now today they still launch the attack, and push the enemies away, and you gone. With face of my soldiers always smiling and with good shape, good condition.
(断言します。敵はすでに5日間戦っており、今日、今現在もまだ攻撃を継続しているが、あなた方が見てきたように、我々は敵を撃退しています。兵たちの表情は常に明るく、良い状態です。士気は高いです。)

レポーター:
Is this battle crucial do you think to the future of Saigon?
(この戦いはサイゴンの未来にとって非常に重要なものだと認識されていますか?)

ダオ少将:
First.... if we can hold here, I think we can give good confidence for the people of Saigon. So we will try to do very hard, we will try our best to ...keep it.
This is the first wave of attack. Enemy can use more regiment. More fresh regiment to launch some next attack, again. But no problem! No problem!
(まず・・・、我々がここを守りきれば、サイゴン市民を安心させる事が出来ると思います。そのために我々は奮励努力し、防衛に最善を尽くします。
これは攻撃の第一波に過ぎません。敵はまだ連隊を持っています。次の攻撃にはさらに新たな連隊を投入してくるでしょう。けれど問題ありません。大丈夫です。)

  


2021年05月08日

撮影会② FANK第294猟兵大隊

先日の撮影会で撮った写真その2です。
その1はこちら

こちらの設定は、カンボジア内戦(1970-1975)時代のクメール陸軍第23歩兵旅団第294猟兵大隊。




クメール兵が5人に増殖しました。
次は米国製装備が行き渡る前(1970年代初頭)の共産圏装備時代のFANKをやってみようと思います。
(1970年にクメール共和国=ロン・ノル政権が成立して反共・親米体制になる前の、クメール王国=シハヌーク政権時代のカンボジアはむしろ第三世界の中でも親中・親ソが顕著な準共産陣営国家でした。だからベトナム人民軍や解放民族戦線といった外国の武装勢力が自国の領土(ホーチミン・トレイル)を我が物顔で往来していても黙認していた訳です。)



まけ:幻の空挺師団

他にも撮影会前に僕は、72年アンロクのベトナム陸軍空挺師団やるよと告知しました。


しかし当日空挺師団の衣装を持ってきたのは二人だけicon10
パッチ以外は空挺コマンドとほとんど変わらないから、上着を交換するだけで楽にできるのに、そもそもメンバーが告知をちゃんと読んでないという落とし穴。
逆によく空挺コマンドがあれだけ集まったなと思います。
  


2021年05月06日

GW撮影会① 赤火の夏1972-アンロクの戦い

この連休中に撮影会を行いました。
今回の設定はベトナム戦争最大の激戦の一つである1972年の『赤火の夏(イースター攻勢)』の中でも、ビンロン省で発生した『アンロクの戦い』におけるベトナム陸軍第81空挺コマンド群第4強襲中隊を想定しています。




アンロクの戦いと言えば、カンボジア経由でビンロン省に侵入しアンロクに大挙して押し寄せた北越軍機甲部隊に対し、ベトナム軍の歩兵部隊(主に第5歩兵師団、空挺師団、第81空挺コマンド群)がM72対戦車ロケットで戦いを挑み、そして激戦の末に多数の戦車・装甲戦闘車両を撃破し、北越軍を撤退に追いやった事で歴史にその名を残しています。

そして我々のもとにも、世にも恐ろしいT-54/55戦車が襲いかかりました。




獲ったど~!!!


注:我々の軍装の設定は第4中隊(赤いネームテープ)ですが、この当時の写真は第3中隊のものです。
なお、この時第3中隊長だったファム・チャウ・タイ少佐(写真一番左手の人物)とは2016年にアメリカでお会いしてきました。
  


2021年05月01日

AR-15モデル601完成


【前記事】


最後に残っていた改造箇所を片付けました。


エジェクションポートカバー

もともとJACのエジェクションポートカバーはAR-15第2・第3世代(つまりM16/XM16E1からM16A1シリーズ)の形状をとても良く再現しているのですが、今回はこれをプラ棒等で、もっと古い第1世代の形状に改造しました。

改造前、改造後


ちょっと接着剤の跡が汚くなってしまいました・・・



マガジンリリース

これもセレーションが水平になっている第1世代タイプに改造。


元からある円形のセレーションを削り落とし、パテで水平の溝を作成

改造前、改造後


う~ん、やはりセレーションは難しい。
でも細かい部分を気にしだすとキリがないので、ひとまずこれで完了とします。


レシーバーピボットピン


ジャンク箱に入っていた、中がメスネジになっている謎のボルトをベースに改造。
第2世代以降が備えている脱落防止のピンを内蔵したエジェクションポート下のリブが第1世代のレシーバーには無いので、第1世代の脱落防止機構はピボットピン側に付いています。
しかし、それを再現するのは大変なので、ピンの太さをレシーバー側の穴の径ギリギリにして圧入する事で簡単には落ちないようにしました。

改造前、改造後



こうしてついに、全ての改造が完了しました・・・

これが我が家のコルト・アーマライトAR-15(モデル601)


刻印はいじってないし、僕の工作技術も未熟なため、まだ完璧とは程遠いものの、なんとか形になりました。
当面はこの状態で使うつもりですが、もしかしたらそのうち我慢できなくなって刻印も打ち直す事になるかも。でもその時はちゃんと業者に頼みます。


モデル601とベトナム軍

そもそも僕がモデル601を作った動機は、この銃がコルトによって製造された最初のAR-15であるという銃器マニア的な興味に加えて、ベトナム共和国軍マニアとしても長年渇望していた銃だったからであります。
AR-15モデル601は1960年にアメリカ空軍に採用され、さらにその後ベトナムにおいて米陸軍特殊部隊が実地テストを行った事は広く知られています。
しかし実はその陰で、1961年から1962年にかけて約1,000丁のモデル601が軍事支援物資としてアメリカからベトナム共和国軍に供与されていました。
当時、東南アジアにおける共産主義勢力の排除を目的とした限定的非対称戦争『プロジェクト・アージル(Project AGILE)』を実行していたアメリカ国防総省ARPA(高等研究計画局)は、軽量・高威力を両立しているAR-15(モデル601)は従来の米軍火器よりも体格の小柄なベトナム人兵士に適していると考え、コルトに対し新たにモデル601発注、1962年に計965丁のモデル601と5.56mm弾薬55万発をベトナム軍の各部隊に供与しました。

モデル601ベトナム軍における配備先】
空挺旅団 390
CIGD 125
第7歩兵師団 100
レンジャー部隊 100
海兵隊 100
特殊部隊 100
第5歩兵師団 40
(出典:Black Rifle: M16 Retrospective, R.Blake Stevens, Edward C. Ezell, 1992)

こうして米軍はモデル601を空軍基地の地上警備および特殊部隊による小規模なテストでしか使用しなかった一方、ベトナム軍はAR-15という銃を初めて実戦で本格的に運用した組織となりました。

▲AR-15モデル601とベトナム陸軍空挺旅団の兵士(1960年代前半撮影)

それから2年後の1964年、アメリカ陸軍および海兵隊はようやく重い腰を上げてAR-15(モデル603 1964年型)を『XM16E1』として試験採用。翌65年からベトナム派遣部隊に大々的に配備していきます。
その一方でベトナム軍へのAR-15の供与は1962年分で一旦打ち切られており、新型のXM16E1が配備されるのは米軍から2年遅れの1967年となりました。
なおXM16E1の改良型として1967年に制式採用された『M16A1』(モデル603 1967年型)の配備はアメリカ・ベトナム両軍共に順調に進められ、米軍での採用翌年の1968年初頭にはベトナム軍でも、一線級部隊の主力小火器はM16A1に置き換わりました。
  


2021年04月26日

衛生兵の装備

先日、ベトナム軍の衛生兵の装備についてご質問頂いたので記事にまとめてみました。
しかし私自身まだ衛生兵について本格的に調べた事が無いので、以下は今現在持っている情報からの推測になります。
今後新たな情報が得られ次第、認識が変わる可能性がある事をご容赦ください。

まず1950年代においては、衛生兵の装備は同時代のフランス軍と全く同一だったはずですが、手元に資料が無いため、割愛させて頂きます。申し訳ありません。

1960年代前半からは、米国製の衛生物品セットNo.3(通称M3メディカルバッグ)の使用例が、終戦まで長きに渡って多数見られます。
ベトナム戦争中の衛生兵の個人装備としては、小銃兵の装備に加えてM3メディカルバッを身に着けるのが最も一般的だったと思われます。




またM1945フィールドパックに赤十字マークをペイントしている例もありました。



赤十字マークが描かれていないと写真から衛生兵だと識別できないだけで、実際にはもっと多くの衛生兵がフィールドパックやARVNラックサックに衛生キットを入れて持ち運んでいた可能性はあると思います。
ただし米軍で使われていたバックパック式のM5メディカルバッグの使用例はまだ確認できていません。


ヘルメットについは、全ての衛生兵ではないものの、赤十字マークがペイントされている例が多数見られます。
写真のように、歩兵や空挺部隊ではヘルメットの正面に、正面に黒虎マークがペイントされるレンジャー部隊ではヘルメット側面に赤十字マークが入るようです。




最後に被服に付ける徽章についてですが、これについては前線の衛生兵の徽章がはっきり写っている写真が見つからなかったため、あくまで推測となります。
まず一般的に衛生隊所属者は軍医・一般の衛生隊員ともに、衛生科を右胸の名札上側に着用していたので、部隊付きの衛生兵も同様に衛生科章を着用していたものと推測されます。


こちらの徽章はアメリカのNCHSINCからレプリカが販売中です。


次に左袖に付ける部隊章に関しては、単に衛生隊員が五角形の衛生隊の部隊章を着用している写真なら沢山あります。



しかしこれらの多くは後方の衛生隊を写した写真であり、この衛生隊パッチが前線部隊付き衛生兵でも着用されたかについては、まだ確認が取れていません。
上で示したヘルメットを被っている衛生隊員の写真も、前線ではなく軍病院で警備中の兵士を写したものです。


とりあえず、ベトナム戦争期の装備被服に関しては以上になります。
私自身気これまで手を付けてこなかったテーマですので、今後もっと調べていきたいと思います。
  


2021年04月21日

最近買ったリプロ迷彩服

[表記について]
この記事では、米軍ERDLパターンを基に開発されたベトナム国産迷彩(通称レンジャー/エアボーン/パステル/ARVNリーフ)を、ベトナム語におけるERDL系迷彩の総称である『ホアズン(Hoa Rừng)』と称し、米国製の1966年型ERDLパターン(グリーンドミナント)を『グリーンリーフ』と呼称しています。詳細は迷彩のお名前』参照


Đồ lính Cộng Hòa (ベトナム)


昨年の記事『ĐLCHのリーフ迷彩服リプロ』で紹介したホアズン迷彩服です。この記事で書いたように、当初はこの服を4ポケット型に改造しようと思っていました。しかしその後、よく考えたら4ポケット型はベトナム戦争末期の2~3年しか使われていない一方、2ポケットの『迷彩服型』は1968~1975年までのおよそ7年間も使われていたのでリエナクトの際に使い勝手が良いため、まずはそのまま迷彩服型として持っておく事にしました。そのため、4ポケット型の特徴である背中側のウエスト調整ストラップは外しました。
またボタンの再現度はあまり良くないので、クラッシファイド製ベトナム軍ボタンに交換しようと思います。
なお徽章の設定はレンジャー部隊ですが、レンジャー群や大隊を示す徽章はあえて付けていません。その方が部隊・年代を問わず幅広く使えて便利なのです。


Phuoc Hung RVN Insignia (オーストラリア)



過去記事『CSDC白虎中隊』で紹介した国家警察の『土色迷彩(ホアマウダット)』服を製作したのと同じメーカーが最近発売した服です
実はこのメーカーは一昨年にもホアズン迷彩服を発売していたのですが、その時の製品は色の再現度が悪く、ほとんどタイ軍リーフ状態だったので買いませんでした。
しかし今回新発売された物はその時の汚名返上とばかりに、かなり良い仕上がりです。生地は薄手のポプリン生地です。ポプリンのホアズン迷彩服リプロが発売されたのは今回が初めてではないでしょうか。
違うメーカーから6・7年前に発売されたホアズン迷彩服(メーカー名失念。僕は持っていない)もかなり出来が良かったですが、それと並ぶ歴代トップクラスの出来だと思います。
徽章の設定は、まずは長年やりたかった第81空挺コマンド群第4強襲中隊にしましたが、他の部隊用にももう何着か買おうと思います。


DRAGON(香港)


グリーンリーフは既に他メーカーの物を5着ほど持っていたので、この上さらに買い足す事を躊躇していたのですが、このDRAGON製を購入した友人がとても良いと絶賛していたので、買わずに後悔するよりはと思い注文してしまいました。
確かに、生地の再現度は最高です。またリップストップ生地というのも嬉しい所。これまでベトナム軍グリーンリーフ迷彩服のリプロはみんなポプリン生地で作られてきましたが、実物の生産数はポプリンよりもリップストップの方が主だったろうと僕は考えています。
ただしボタンは実物(直径18mm)よりも一回り大きい20mmの物が付いているので、これもクラッシファイド製ボタンに交換しようと思います。
なおこの服をどういう設定にするかはまだ決めかねているので、徽章は付けていません。裁断も、もしかしたら肩当を取ってエポレット型にするかも。

  


2021年04月15日

続・ベトナム海兵隊のベレー

先日の記事『ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー』でベレー章について書きましたが、その後新たな疑問と発見があったので、あらためて記事にします。
問題となったのはベトナム海兵隊が1956年~1966年頃にかけて使用した2代目ベレー章について。
2代目ベレー章には、交叉した錨の周りに月桂冠(ローリエ・リース)が有る物と無い物、2種類の意匠が存在した事が知らています。


しかし、この二種類がそれぞれがどういった使い分けをされていたのかを明示する資料はまだ見つかっていないので、使用例が写っている当時の写真から推測するしかありませんでした。

<これまでの定説>

月桂冠あり

左:中尉および少尉 右:少佐
月桂冠つき徽章は、士官による着用例が多数ある。


・月桂冠なし

月桂冠なし徽章の使用例では、階級章の着用が一例も見られず。
その為、直接的に階級は示されてはいないが、当時は兵卒が階級章を着用する事は稀であり、
逆に士官はほぼ必ず階級章を着用していたので、これらの写真は兵卒であると推測できる。

これらの例から、2代目ベレー章は『月桂冠つきが士官用、月桂冠なしが兵・下士官である』と考えられてきましたが・・・


<疑問>

よくよく調べたら、この定説には当てはまらない新たな着用例が見つかりました。

左:中士(軍曹/一等兵曹) 右:一等中士(一等軍曹/上級一等兵曹)
下士官、しかも階級としては下から4番目の中士までも月桂冠つきを着用しています。
どういう事?やはり階級は関係無いのか???


<仮説>

そこで、この疑問を解決するヒントは無いかと海兵隊の徽章をもう一度見直していたところ、けっこう基本的な所に糸口が見つかりました。それは、海兵隊(および海軍)における『下士官の範囲および地位』です。


図① ベトナム海兵隊の階級章(1955-1967年版)/作:Michael Do


図② ベトナム海軍の階級章・軍帽(1963年版)画像:NGUOI TIEN SU


図①のように、海兵隊の階級章は、二等兵から一等下士(伍長)までは袖に着用するV型ですが中士以上は士官と同じ環付きになります。
また図②のように海軍の軍帽は中士以上が士官と同じ様式の下士官制帽になります。なお海兵隊の制帽は海軍と同一であるため、この区分はそのまま海兵隊にも適応されていると考えられます。

つまり、一般的には伍長/二等兵曹から一等曹長/上級上等兵曹までが下士官に分類される階級ですが、ベトナム海兵隊および海軍では、中士(軍曹/一等兵曹)からが下士官であり、諸外国では下士官に分類される下士(伍長/二等兵曹)および一等下士(一等伍長/上級二等兵曹)は兵卒(水夫)級だったのです。

また、どうも普段陸軍をメインに考えているせいで、軍隊の階級は大きく分けて『士官』と『兵・下士官』に二分されると思い込んでいましたが、海軍では下士官が担う役割がとても大きいため、二つに大別する場合は『士官・下士官』と『兵』と考えた方が良さそうです。
(よく考えたら『下士官』という言葉自体が下級の士官とい意味ですし)

という訳で、現状では2代目ベレー章の月桂冠の有無については、
・月桂冠なし:兵卒(一等下士以下)
・月桂冠あり:下士官および士官(中士以上)
という使い分けであったと解釈しています。

  


2021年04月06日

配布物

東南アジアの軍装を趣味にしていると、実物はおろかレプリカすらなかなか手に入らない物品が多々あります。
と言うか、レプリカが山ほど出回ってる日米独等だけが異常に恵まれてるのであって、基本的にはレプリカなど望めないのが普通なんですよね。
そして欲しいものが売ってない場合、選択肢は「諦める」か「自作する」しかないので、僕はこれまで、こういった品々を自作してきました。
これらは僕個人でコスプレをする上では十分なのですが、他方で、リエナクトや撮影会は集団芸なので、できれば自分以外の人にも同じ物を身に着けて欲しいと思ってしまいます。
とは言え、他の人に「あなたも自作して」と求めるのは無駄だし厚かましい。
なので僕は、自分の好きな軍装を集団で着るという願望を叶えるために、仲間の分も自作して(有料ですが)配布しています。


以下、最近作った物


ベトナム陸軍迷彩ヘルメット

先日制作した4代目迷彩ヘルメットと同じ製法で、友人からの依頼分を塗装しました。




今回見本としたのは1971年当時に空挺師団で使われていたリーフ系パターンの一つですが、ほぼ同じ迷彩ヘルメットがレンジャー部隊や第81空挺コマンド群、一部の歩兵部隊でも使われているので、空挺以外にも使いまわす事が出来ます。



クメール陸軍第23歩兵旅団パッチ

こちらは頼まれてないけど、付けて欲しいので勝手に作って送りつける物。


3年ほど前にFANK第294猟兵大隊パッチを制作しましたが、その時は左袖に付ける(294大隊の親部隊である)第23歩兵旅団のパッチが手に入らなかったので、軍服の左袖(本当はこちらがメイン)がずっと空白のままでした。
ところが最近、ようやく23旅団に関する資料が手に入ったので、さっそく自家製プリントパッチに起しました。
これでようやく旅団・大隊のセットが揃ったので、これまで294大隊パッチを渡した人には、有無を言わさずこの23旅団パッチも付けてもらおうと思います。

自分用のパッチは、さっそく服に縫い付けました。

当初、ヘルメットに髑髏の鉢巻きという294大隊の軍装はあくまでイロモノであり、ちゃんとした(典型的な)クメール陸軍歩兵の軍装はまた別に作るので、294大隊のパッチはたまたま持っていたエクアドル製のTCU風ジャケットに付けていました。
しかしいくらイロモノとは言え、せっかく手間暇かけて徽章を作った以上、明らかに裁断が違う服を使うのはもったいないと感じるようになったので、あらためてロスコ製BDU改造のクメール軍野戦服(隠しボタン型)に付け替えました。

ちなみにこの服の設定は、『第9歩兵旅団群第23歩兵旅団第294猟兵大隊』という長ったらしい部隊名です。
歩兵旅団群(Groupments Brigades d’Infanterie)とは、クメール陸軍が1970年に新設した編成単位です。
それまで(王国時代の)クメール陸軍の兵力は、全国で数十個の猟兵大隊(Bataillon de Chasseurs=軽歩兵大隊)が独立して存在する程度であり、師団はおろか連隊すら存在していませんでした。
しかし1970年にロン・ノル将軍によるクーデターを機にカンボジア内戦が勃発すると、陸軍は組織改編と兵力の増強を開始し、間もなく歩兵旅団(Brigades d’Infanterie)を創設して、各地の猟兵大隊を18個の旅団にまとめます。
更にその直後(1970年中頃)、人数が少ないので師団とまでは行かないものの、歩兵旅団の上位に、各2個の歩兵旅団から成る歩兵旅団群を15個創設しました。
以後、陸軍は『歩兵旅団群―歩兵旅団―猟兵大隊』を基本的な編成単位として拡大していきます。(さらに1972年からは歩兵旅団群を拡大した歩兵師団(Divisions d’Infanterie)も順次創設)

野戦服に付けるインシグニアは、今回の作例のように、基本的にはメインとなる左袖に旅団パッチが付き、右袖は大隊等の下部部隊となるようです。ただし右袖にパッチを付ける事自体が稀であり、基本的には左袖の旅団パッチのみの場合が多いように見受けられます。

また、これも稀な例ですが、左袖に旅団ではなく、その上位の旅団群のパッチを付けている例もあります。

第7歩兵旅団群パッチの着用例

今までのところ、僕が確認している旅団群パッチの着用例は、兵士が皆迷彩服を着ているので、もしかしたら彼らは歩兵旅団/猟兵大隊に所属する普通の歩兵ではなく、旅団群本部付きの偵察中隊やコマンド隊員なのかも知れません。
  


2021年04月02日

4代目迷彩ヘルメット

初代/2017年11月
マスキングで迷彩を作り、エアブラシで塗装。迷彩が変なのでボツ


2代目/2020年06月
筆による手書き塗装。スモーククリアー塗布。クリアー噴いた感が出過ぎなのでボツ。
ただし、かえってクリアー感が60年代後半のレンジャー部隊用として良い感じだったので、レンジャーのヘルメットとして再利用しました。


3代目/2020年06月
塗料を変えて水性ペンキで筆塗り。塗装後、自宅の庭の地面にこすりつけてリアルウェザリング。
イイ感じになってきたけど、まだ迷彩柄が変+塗装が厚くなり過ぎ均一ではないのでボツ。


以上、過去に作成した3つの70年代空挺師団用迷彩ヘルメットは、どれも見本とした資料写真が不鮮明で、色や迷彩パターンがイメージ通りにならなかったので、あらためて当時の写真・映像を探していました。
その後、ようやく僕のイメージ通りの迷彩ヘルメットが写っている比較的鮮明な映像を見つける事が出来たので、前回のヘルメット塗装から1年弱経った先日、重い腰を上げて迷彩ヘルメットの制作を再開しました。


南ラオス=ラムソン719作戦から帰還した空挺師団将兵を激励するグエン・バン・テュー総統
(クアンチ省ドンハ 1971年3月31日)

映像からキャプチャ。4代目はこの迷彩パターンを目標に塗装したいと思います。


4度目の正直。今回こそはと、いつになく真面目に調色しました。
過去の反省を踏まえ、今回は全ての色にグレーを入れて、コントラストの低いくすんだ色にしています。


素材とするヘルメットは、失敗作となった3代目。前回の塗装をペイントリムーバーではがす。
サンダーとか持ってないので前の塗料を全部取る事は出来なかったけど、塗膜の厚いペンキを使うため多少の凹凸は埋まってしまい問題にはなりません。
ステンレスたわしで残った塗料をガリガリ削りながら均し、錆止めを兼ねてメタルプライマーを塗布したら下地処理完了。


ベースの茶色(レッドブラウン+つや消しブラック+フレッシュグレー+つや消し剤)


黒い模様(つや消しブラック+フレッシュグレー)



緑色の模様(コバルトグリーン+フレッシュグレー)


本物の土をゴリゴリ擦り付けて、汚し・傷つけ。


ヘルメットはこのくらい汚いくらいが丁度いいと思ってます。


とりあえず今回はこれで完成。
まだ改善したい部分はあるものの、過去3つと比べると、我ながらようやく及第点に達してきたなと感じます。

こうして自分用は出来上がったので、次は同じ塗料を使って、友人たちからの注文分(約1年遅延中)も塗装していきます。
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2021年03月29日

ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー

2021年4月3日訂正
2021年4月15日訂正


今回は海兵隊のベレーについて見ていきます。

ベレー章



丸枠付き交叉アンカー
概要:当時の海軍の紋章である交叉アンカーの意匠。1954年の海兵隊発足と共に導入。ごく初期にのみ確認できる。
使用時期:1954~1956年?
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

②交叉アンカーのみ
概要:兵卒(一等下士以下)用。1956年の群(海兵群)への昇格と共に導入か?1966年のデザイン一新まで最も広く使われたベレー章。
使用時期:1956?~1966年
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

月桂冠付き交叉アンカー
概要:下士官および士官(中士以上)用。と同時期に使用されている。詳細不明(少なくとも階級とは無関係)。※
使用時期:1956?~1966年
徽章の形式:モール刺繍のみ確認

※③の『交叉アンカー(リーフ付き)』の徽章は、当時の海軍・海兵隊の制帽用帽章とよく似た同じデザインなので、もしかしたら②は野戦用、③は正装用という使い分けがあったのかも知れませんが、まだ推測の域を出ません。
まだ史料による裏付けはありませんが、再度当時の写真を検証したところ、シンプルに②は兵下士官、③は将校用であった可能性が高くなりました。
再度検証した結果、現状では以下のように解釈しています。
・②:兵卒(一等下士以下)
・③:下士官および士官(中士以上)

④総統紋章
概要:ジエム政権末期の1963年に全軍で導入された総統紋章(竹林)がデザインされた帽章の海軍・海兵隊型。同年、ジエム政権崩壊に伴い廃止。※廃止後、ベレー章は再び②および③に戻る。
使用時期:1963年中のみ
徽章の形式:真鍮プレスのみ確認

EGA
概要:海兵隊部隊章(アメリカ海兵隊のEGA=Eagle, Globe and Anchorの意匠が基)のデザインを帽章にも導入。 
使用時期:1966~1975年
徽章の形式:真鍮プレス、金モール、糸手刺繍あり

EGA(小型)
概要:小型のEGA型徽章。⑤と同意匠のリーフ付きタイプも存在。正式な帽章ではないと思われる。
使用時期:1966?~1975年
徽章の形式:真鍮プレスのみ確認



ベレー色

ベトナム海兵隊は元々、第一次インドシナ戦争で活躍したフランス海軍コマンド(Commandos Marine)および舟艇部隊等に所属するベトナム人兵士を、1954年にベトナム海軍の陸戦コマンド部隊として再編する事で発足しました。その為、ベトナム海兵隊のベレー色である緑色は、フランス海軍コマンドのベレー色を継承したものと言われています。
なおフランス海軍コマンド自体も第二次大戦中にイギリス海兵コマンドの傘下で発足した事から、ベレー色および帽体を立てる向きはイギリス海兵隊の様式を踏襲しています。したがってベトナム海兵隊の緑ベレーの起源は、間接的にイギリス海兵隊にまで遡る事が出来ます。
(ただしフランス海軍コマンドでは帽体を立てる向きはイギリス式でしたが、ベトナム海兵隊では他の兵科と同じくフランス式に変更されています)

左:イギリス海兵隊 中:フランス海軍コマンド 右:ベトナム海兵隊


しかし、こんなカラー写真が出てきてしまいました・・・

1955年に撮影されたベトナム海兵隊将兵とアメリカ海兵隊アドバイザーだそうですが・・・
ベレー色が完全に『青』です。なんだこりゃ・・・?

当時はフランス軍にも同様の青色ベレーが存在していましたが、そちらはフランス陸軍(本土)空挺部隊のものであり、ベトナム海兵隊とはほとんど関係ありません。
そこで、あくまで推測ですが、この青ベレーを説明するため以下のような仮説を立ててみました。

・当時緑ベレーはベトナム海兵隊の中でも、元フランス海軍コマンドを中心とした歩兵部隊(当時は第1海軍歩兵大隊)の物だった
・歩兵部隊を輸送する舟艇部隊(こちらもフランス海軍舟艇部隊から独立)は写真の青色ベレーだった
・後に舟艇部隊は海軍に移管されたため青ベレーは見られなくなった

う~ん、どうでしょう。

海兵隊に限らず、1950年代後半のベトナム軍に関する資料は全般的に少ないので、この時代の解明はなかなか進みません。
しかし、それはそれで新たな発見があった時の喜びも一入なので、引き続き情報収集に努めたいと思います。
  


2021年03月24日

ディエンビエンフーお散歩会

ようやく春の陽気となってきたので、先日友人たちと、今年最初のリエナクトメント/撮影会を行いました。

今回の設定は1954年3月、ベトナム国ライチャウ省ディエンビエンフー。

1953年末の『キャスター作戦』以来、ディエンビエンフー一帯はフランス連合軍の一大拠点として強化されていた。
それから3ヶ月が経ったある日ディエンビエンフー郊外の前哨陣地ベアトリスがベトミン軍による攻撃を受ける。
これを受け、植民地軍空挺部隊の一隊に、ベアトリスへの増援として出撃命令が下る
それが後に『ディエンビエンフーの戦い』と呼ばれる、2か月間におよぶ死闘の始まりであると知る由もなく・・・。


という訳で、今回の我が隊の任務はベアトリス(と設定した地点)に機関銃と弾薬を届ける事とし、M1919A4機関銃とM2三脚架1セット、そして持てる限りのM1弾薬箱(一部ダミーカート満載)を分担して運搬します。機関銃と三脚架はレプリカとは言え、なかなかの重さでした。



しかしベアトリスに向けて、1時間ほど歩いたところでトラブル発生。
まだ野外で1回しか使っていないイタリア軍ブーツ(仏軍TAP50ブーツの代用)を履いていたせいで、足が靴擦れになっちゃいました。
最終的に踵の皮が2センチほどベロッと剥がれる事態に。もう痛くて歩けません。
こうして僕は歩兵としてあるまじき失態を演じ、一人落伍してビジャール少佐の待つ指揮所に引き返したのでした(泣)

その後、他のメンバー達が数時間におよぶ行軍を終え帰ってきたので、あらためてやらせ撮影会をしたのですが・・・

僕の足はこのありさま

撮影:たまさん
  


2021年03月20日

手榴弾ディテイルアップ、と言うか悪あがき

最初からちゃんとしたレプリカを買えば済む話なのですが、ケチって安く済ませようとしたばかりに、手持ちのレプリカ手榴弾の形状・塗装に満足できず、結局自分で手を加えて少しでもリアルに見えるよう誤魔化し(悪あがき)する羽目になっています。

その1 G&G製M18スモークグレネード

G&G製M18金属製かつ低価格というのが魅力的ですが、いかんせん塗装がおかしい。
十歩譲ってベースのOD色が明るすぎるのに目をつぶっても、さすがに本体底面にまで色が塗ってあるのはいただけません。
なので全体をMr.カラーのオリーブドラブ(2)で塗装。(本体の白い帯のみマスキングで残しました)
上面の煙の色を示すカラーを(縁の内側のみに)再塗装しました。


本物は底面に煙の噴出穴があり、水・異物侵入防止のためにテープで穴を覆ってあります。なのでテープを貼ってしまえば実際に穴を開けなくても誤魔化せるのですが、ちょうど家にODテープの在庫が無かったので、後日買ったら貼り付けます。

また本体にプリントされるM18 SMOKE...等の文字は、ステンシルで一文字ずつ切り抜いて塗る事も可能ではあるのですが・・・面倒くさい。家庭用のプリンターでは白インクによるデカールを作ることも不可能。
という事で、この際割り切って印字は省略しました。実物も印字がかすれてほとんど見えなくなってる物も多いし。リグに付けちゃえばほとんど気にならないでしょう。


その2 TMC製M18スモークグレネード

TMC製M18は、G&Gのようにスモーク色が上面の縁の外側まで塗られているので、縁の外側のみODで塗って隠しました。
これだけでグッと雰囲気が良くなります。


本当は、本体のサイズ自体が細かったり、上面の形状が違うのですが、それを修正するのは難しいので無視しています。


その3 サンプロジェクト製M33→M67フラググレネード

貧乏装備の定番、サンプロ手榴弾型BBボトル。数を揃えるのには良いのですが、再現度は、さすがに価格相応。
特にM67(セーフティクリップが無いので正確にはM33と呼ぶべき)は、使われているヒューズ・レバーが同社のMk.IIやM26と共通なのでレバーが長過ぎて不格好でした。
なので、これまた定番改造ですが、プラスチック製の本体上部に穴を開け、M67と同型(たぶんM69訓練用手榴弾)の実物ヒューズ・レバー一式を無理やりねじ込んで装着。レバーは訓練用の青色だったのでOD色に塗装してあります。
あと本体は、如何にもプラスチックと言う感じにテカっていたので、800番のサンドペーパーで表面を荒らしてつや消ししました。


雰囲気はかなり良くなりました。なお、こちらも印字は省略します。


その4 サンプロジェクト製Mk.IIおよびM26フラググレネード

実物ヒューズもそんなに安くはないので、レバーの形状がそこまで変ではないMk.IIとM26に関しては、レバーの色をODに塗っただけで、そのまま使用しています。
ただしセーフティーピン&リングは、他の実物手榴弾(機種不明)のものに変えてあります。リングを太くするだけで、雰囲気はだいぶ違って見えます。


大してディテールアップしてないので単体で見るとショボいですが、グレネードアダプター(左がM1、右がM1A2)に装着する事で全体的に迫力が出で、細かい部分など気にならなくなる・・・はず。
そして今初めて気付いたのですが、よく見たら、実物M1A2アタプターにプラスチック製のグレネードを何年も付けっ放しにしていたせいで、アダプター側の板バネの力に負けてM26の本体がベッコリへこんでます。いや~ん、恥ずかし。
  


2021年03月12日

調査中のインシグニア① 共匪防衛パッチ

調査中なので、まだ正体がよく分かっていないベトナム軍のインシグニアについてです。
本当はちゃんと調べがついてから発表したいのですが、なかなか情報が集まらず行き詰っているので、情報提供を呼びかけたく記事にしました。


このパッチは米陸軍特殊部隊のヴァーノン・ギレスピー大尉も着用していた事から、デザインだけは有名なのですが、実はその詳細はよく分かっていません。
なおパッチの上下端に入る文字には、少なくとも二種類のバリエーションがあった事が知られています。

左:CHỐNG CỘNG PHI (反共匪)/BẢO-VỆ QUYỀN TỰ-CHỦ (自主権防衛)
右:DIỆT CỘNG PHI (滅共匪)/BẢO-VỆ TỔ-QUỐC (祖国防衛)
カッコ内は日本語訳

このように文言は若干異なるものの、「CỘNG PHI(共匪)」と「BẢO-VỆ(防衛)」の部分は共通なので、以下便宜的に「共匪防衛パッチ」と呼びます。

この共匪防衛パッチは長年、ほとんど『ギレスピー大尉が着けている』という部分でしか注目されてきませんでした。
なので当時ギレスピー大尉が第2戦術区ダルラク省内のCIDGキャンプ、ブォンブリェン基地(Căn cứ Buôn Briêng)を担当していた事から、共匪防衛パッチは「CIDG(の何か)」やダルラク省CIDG」のパッチと呼ばれてきました。


疑問

しかし僕は、この通説について前々から疑問に思っていました。
・・・これ、本当にCIDGなの?

共匪防衛パッチのデザインを、ブォンブリェン基地が存在した1964年5月~1965年9月と同時期に、同じ第2戦術区内に存在した他のCIDGキャンプのパッチと比べてみても、共匪防衛だけはその意匠がかなり異なるように見えます。

※下段の西暦はその基地が存在した期間であり、パッチが使用された時期と必ずしも同一ではない。

一部例外はあるものの、60年代前半から1970年のCIDG計画終了まで、CIDGの部隊章に使われるモチーフは多くの場合『虎』でした。
また大半のCIDGパッチに入る基地の名前も、共匪防衛パッチには入っていません。
そして何より、共匪防衛パッチに描かれている人物が被っているノンラー(葉笠)は、ベトナムの支配民族であるキン族の庶民・農民の象徴であり、CIDGを構成する少数民族、特に中部高原のデガ(南インドシナ・モンタニャール)諸部族がノンラーを被ることはほとんど無いのです。(なお1975年以降は共産党政権下でキン族への同化政策が強行され少数民族固有の文化は衰退しつつあるので、デガも単に安い日傘としてノンラーを被ることがあります)
このように共匪防衛パッチには、CIDGの部隊章としては不自然な点が多数あり、通説をすんなり受け入れる事は到底できないのです。

一方、ノンラーを被った民兵のデザインから連想されるのが、ベトナム共和国軍の指揮下にある、共産ゲリラからの自衛・自警を目的とする民兵組織『人民自衛団(Nhân Dân Tự Vệ)』です。

 
人民自衛団の徽章
ノンラーを被った民兵の意匠が描かれている。

ノンラーを着用する人民自衛団の女性団員(1968年フエ)
この黒アオババ(通称ブラックパジャマ)+ノンラーの組み合わせは、ハリウッド映画において典型的なベトコンゲリラの服装として描かれていますが、実際には黒アオババは政府側民兵の制服でもあり、決してベトコンの象徴ではありません。
なお、ノンラーは伝統的に(キン族の)庶民の象徴であるためパッチのデザインに採用されましたが、実際の活動時にはもっと実用性の高い軍隊式のブッシュハットやキャップが着用されました。

このように、共匪防衛パッチのデザインは、少数民族主体のCIDGよりも、キン族を主体とした人民自衛団にふさわしい印象を受けます。
ではなぜCIDGキャンプを担当する米軍将校が、キン族民兵を示すデザインのパッチを着用しているのでしょうか?


仮説

その答えとして、僕は「少なくとも1960年代中盤まで、CIDGは人民自衛団の一部として扱われていたのではないか」と推測しています。
米軍側呼称『Civilian Irregular Defense Group(通訳「不正規民間防衛隊」)』は、ベトナム語では『Lực Lượng Dân Sự Chiến Đấu(民間戦闘部隊)』と呼ばれていました。
つまり構成員が少数民族かキン族かの違いこそあれCIDG・人民自衛団のどちらも基本的には、民間人で構成された民兵なのです。

1961年に米国がCIDG計画を開始した当時、ベトナム共和国政府はすでに人民自衛団を始めとするキン族による民兵組織を保有していました。
一方、ベトナムでは南北どちらの政権でも、少数民族への差別・圧政が敷かれており、少数民族はほとんど自国民とは見なされていませんでした。そのため政府としては、反乱の危険性がある少数民族に武器を持たせる事などもっての他であり、第一次インドシナ戦争中にフランスによって組織され、後にベトナム国軍に編入されたモンタニャール大隊も、1955年のフランス連合脱退後、すぐさま解体されていました。
ところが、最大のスポンサーであるアメリカが、フランスのように少数民族を戦力として活用したいと言い出したのです。軍事・経済の両面でアメリカからの支援に依存していたベトナム政府は不本意ながらこれを承認せざるを得ませんでした。(そして実際にCIDG計画開始から3年後の1964年、ベトナム政府が懸念した通りCIDGによる大規模な武装蜂起『FULROの反乱』が発生し、短期間ながら民族紛争に発展します)
こうして少数民族が米軍によって懐柔されCIDGとして武装化されていく訳ですが、CIDG計画の目的は国境付近に住む少数民族自身にベトコンの侵入を阻止、掃討させる事であるため、兵士は毎日家族の住む自宅に帰り、地元を離れる事はありません。その有り様は民兵そのものです。
またベトナム政府としても、本心では少数民族を二等国民以下と見下していながらも、対外的には一応ベトナム国民なので、CIDGは『ベトナム国民で構成された民兵』という事になります。つまりCIDGは、構成民族や指揮系統以外の面では既存の人民自衛団と同じ形態の組織なのです。

また人民自衛団の構成員は、必ずしもキン族でなければならないという訳ではありません。キン族以外が人民自衛団に編入された例として、主に中国人(漢族)で構成された武装組織『海燕(ハイイェン)』があります。海燕は中国共産党による弾圧を逃れ、1959年にベトナムのカマウ半島に集団移住した中国キリスト教難民(元国民革命軍兵士を多数含む)が村落防衛のため結成した自衛組織です。(過去記事『グエン・ラック・ホア神父』参照)
つまり元から国内に居た少数民族ですらない、外国人(ただし政府から市民権は与えられている)の組織であっても、人民自衛団に編入された例があるという事です。無論、ベトコンに対抗する政府側戦力であり、政府の指揮監督下にあるという事が必須条件ですが。

以上の点から、僕は以下のように推測します。
・共匪防衛パッチは人民自衛団内の何らかの徽章である。
CIDGは形式的には人民自衛団の一部とされていた。
・それ故、共匪防衛パッチはCIDG関係者にも着用された。

とは言えまだ史料による裏付けは得られていないので、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非お教えください。
  


2021年02月07日

続・海兵隊ネームテープ色

最近ベトナム海兵隊のインシグニアについてまとめた記事の続きを書いていたのですが、この機会に以前『改訂版 ベトナム海兵隊のネームテープ色』に載せた大隊ネームテープ色が本当に正しいのか改めて検証した方が良いなと思い、また写真とにらめっこを始めました。
その結果、まだ完全ではないものの、確度を高める事は出来たかなと思います。
また検証する中で、以前の記事に載せたネームテープ色一覧の中には、出典に書かれていた内容は正しかったのに、僕がその内容を読み間違い、一部に誤った情報を載せていた事が分かりました。お詫びして訂正いたします。
以下、今回の検証の結果です。

確定
当時のカラー映像とその部隊を検証し、色と部隊の組み合わせが確定(自信アリ)



当時のカラー映像は未確認なものの、資料とそれを裏付けるベテランの使用例から、色と部隊の組み合わせが確定


未確定
当時の映像およびベテランで使用例が確認できるものの、まだ他の資料での裏付けは得られていない。


使用例未確認




また、これら色付きネームテープは、全ての部隊で一斉に導入された訳ではないようです。
導入時期については、現在調査中ですので、またあらためて記事にしようと思います。
  


2021年01月20日

アイダホキャップ

先日500円で買ったアメリカ海兵隊ユーティリティキャップのレプリカ。



これにベトナム軍NKT連絡部(コマンド雷虎)のローカルメイド丸型パッチのレプリカを縫い付け。


すると、たったこれだけで・・・


ベトナム陸軍キャップRTアイダホ仕様が完成!!
C&C部隊を構成していたコマンド雷虎/SCUはベトナム軍NKT所属の部隊なので、この帽子は単に自国軍のユーティリティキャップ(Mũ lưỡi trai)に部隊の丸型パッチ(非公式)を付けただけであり、他の雷虎チームでも同様の例があっても良さそうですが、僕はまだCCN RTアイダホでしかこの仕様のキャップの使用例を確認できていません。なので僕はこれを「アイダホキャップ」と勝手に呼んでいます。

なお、上で「たったこれだけ」と書きましたが、実は素材が米海兵キャップなので横の空気穴の金具(ハトメ)の色がグリーンだったため、ベトナム軍キャップっぽく見せるためにハトメを油性マジックで黒く塗っています。





ちなみに雷虎の丸型パッチの使用例は他のRTでも見られますが、それらはデザイン自体は今回使った帽子用とほぼ同じであるものの、パッチのサイズは帽子用よりもかなり大きく、左胸ポケットに縫い付けられるものでした。

▲使用例 左:CCS(チーム不明) 右:CCC RTウェストバージニア


▲盾形が正規のNKT連絡部"雷虎"部隊パッチ。丸形は非公式なローカルメイド品