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2020年12月07日

友人からの依頼

カリフォルニアでベトナム軍リエナクト(主に陸軍第5歩兵師団)をやっているベトナム系アメリカ人の友人から、チームの初心者に当時の軍装を解説するために、君のイラストを使わせてもらえないか?と問い合わせがありました。
もちろん二つ返事でOKしましたが、彼のチームはうちら日本のグループと同じく、1950年代~1975年まで幅広い年代をリエナクトの対象としているので、イラストも時代ごとに再編集しておきました。


1960年代初頭に導入(1)



1960年代初頭に導入(2)

 

1960年代中盤に導入



1960年代終盤に導入 

 

1970年代に導入




ちなみに今回のイラストは第5歩兵師団をテーマとしていますが、他の空挺やレンジャー、海兵隊といった即応(機動歩兵)部隊も、徽章や迷彩服が異なるだけで、個人装備に関してはこれとほとんど同じです。


おまけ

彼らカリフォルニアのグループはFANK(クメール国軍)も好きという事なので、僕が自作したクメール陸軍第23旅団第294大隊のパッチ&鉢巻きを使ってくれています。
これでうちのチームも含めると、最低でも世界で5人は294大隊のコスプレしている事になります。いつか全員集合したいなぁ~


ウソみたいだろ。二人ともROTC出た予備役将校なんだぜ。それで
  


2019年07月28日

ベトナム共和国軍の小火器・個人装備1945-1975(制作途中)

昨年末までに完成させると息巻いたくせいにそれを達成できず、今年に入ってからも意欲が低下して半年くらいほとんど手を付ける事が出来ず。完成したら販売しようと思っていましたが、僕の目指す「完成」は何年先になるのか分からないので、今できている分を無料公開しちゃいます。はぁ、情けない。

質問等ありましたら、お気軽にどうぞ。





閲覧はこちら⇒https://photos.app.goo.gl/GADpC1gt49gtVPcq9

  


2019年01月14日

年明けの近況

だいぶ時間が開いてしまいましたが、あらためまして、皆さまあけましておめでとうございます。
年末年始はなにかと忙しくて、例の軍装ガイド「ベトナム共和国軍軍装史」は可能な限り進めるようにしていましたが、他の趣味関係は何もしないまま元日から二週間も経ってしまいました。


ベトナム軍装史

ベトナム軍装史については、去年、「なんとか年内に完成させる」と宣言しましたが、結局完成には至りませんでした。待っていただいている方には本当に申し訳ありません。
言い訳になりますが、この本ではインドシナに復帰したフランス植民地内にベトナム人部隊が再組織された1945年から、共産軍がサイゴンを占領してベトナム共和国政府が滅亡する1975年までの30年分の携帯火器・個人装備を網羅する事を目標にしています。
また扱う部隊の範囲も陸軍正規部隊だけでなく、フランス軍内のベトナム人コマンドからMACV-SOG指揮下のNKTコマンドも含めているので、イラスト化すべき物品があまりに多すぎて、そもそも年内完成という見通しが甘すぎました。
(特殊部隊の装備は別の号にしようと何度も考えましたが、SOGがNKTに支給したSTABOやV40グレネードなどいかにも特殊部隊っぽい装備の多くが、実は1970年代に入るとベトナム陸軍の一般部隊でも使われるようになっており、確実に「特殊部隊限定」と言えるような装備などほとんど無い事が分かってきました。そのため一冊にまとめざるを得ないのです)
以下、現状でほぼ仕上がってるページをすこしチラ見せいたします。

  
あれもこれもとアイテムを書き足しているうちに現状でページ数が39ページにまで増えてしまいましたが、どうせ発表するからには自分自信満足のいくものを作りたいので、ページ数はまだ増える見込みです。


神風航空団パッチ

先日、サイゴンに住んでいる知人から、仲間内でレプリカパッチを作ったから一枚あげると連絡があり、今日そのパッチが届きました。

ベトナム空軍第83特殊作戦航空団『神風(Thần Phong)』です。

神風部隊と言えば空軍司令時代のグエン・カオ・キ少将(後の副総統)が直接指揮し、時にはキ将軍自ら愛機のA-1スカイレイダー攻撃機を駆って出撃した事でも知られる、ベトナム空軍で最も目立っていた航空団ですね。
同航空団所属のスカイレイダーに描かれているノーズアートについては過去記事参照。


ベトナム寺で念仏フルコース

昨年11月に亡くなった恩人の四十九日法要の翌日、ご遺族と一緒にベトナム寺で定例の念仏会に参加してきました。
僕は実家の菩提寺ですら、墓参りに行くだけで本堂に入って拝んだ事の無い不束者ですが、誘われるとなんでもホイホイ付いていっちゃう性格なので、今回ベトナム寺で法衣着てベトナム語のお経を読むことで念仏デビューと相成りました。

何時間読んだか分からないNam Mô Bổn Sư Thích Ca Mâu Ni Phật (南無本師釈迦牟尼仏)

念仏会は9:00~19:00まで、途中休憩をはさみつつ10時間続きました。何時間もお経を読み続けるというのはなかなか体力を使うもので、初めて参加する身としては、けっこう過酷です。
この念仏会は毎週日曜に開催されており、信徒全員が毎週来ている訳ではありませんが、それでも会で知り合った若い女の子ですら、月に一回は来ていると言っていました。
自分は今まで仏教徒のつもりで生きてきましたが、お寺に来てる他のベトナム人信徒と比べると、墓参りと葬式でしかお寺と接点が無い僕なんか、仏教徒と名乗るのが恥ずかしいレベルですわ。
しっかし、このお寺で出される精進料理は全部美味しいです。年配の人が多かったので、余ったおこわを僕が全部平らげましたが、そのせいで午後が眠くてたまりませんでした。
  


2018年12月03日

年内完成を目指して

現在制作中の『図解 ベトナム共和国軍軍装史:1945-1975』の進捗です。
もう3年以上前から出したいと言ってきながら先送りにしてきたので、今度こそ絶対年内に完成させるという決意で作業中です。
やってるうちに載せたい内容が増えすぎてしまい、このままではいつになっても発表できないので、小分けにして出していきます。
Vol.1の内容は歴代の【武器・個人装備】と【陸軍歩兵部隊の徽章・軍装例】になります。(画像は12月3日現在の進捗状況です。完成版はデザインが異なる可能性があります)

歴代の野戦服や各部隊についても進めているのですが、まだ時間がかかりそうなので、そちらはVol.2以降となります。

なおSESSIIONにてご支援いただいている方には、ダウンロード版を無料配布させて頂きます。

公開までもう少々お待ちください。

※2019年11月24日追記
気力が続かず、公開できる見通しが立たなくなりました。ご期待に副う事が出来ず誠に申し訳ありません。
  


2018年07月21日

軍装ガイド進捗

服以外の小物も出来る限りイラストにしております。



正直、風呂敷広げ過ぎたかも知れない・・・
つい「1946年からやる(=植民地軍も含める)」と口走ってしまったせいで、ベルティエ小銃なんて19世紀の骨董品を一から調べる羽目になっております。(これがまたバリエーションが多いんだ・・・)

こんなにこだわっても、タイトルが『ベトナム軍』である限りろくに売れないのは分かってます。
もしこれが『フランス外人部隊』とか『ナム戦アメリカ軍』だったら、この本の3分の1の内容で3倍は売れるでしょう。
でも、それは出来ません。


そもそも愛がなければ、こんな七面倒くさい事やってないですしね。
まだ個人装備の方には手を付けてないので、まだまだがんばるゾーイ!!



【おまけ】

アイドルに興味無かった僕が唯一好きになった台湾のアイドルグループ 伊梓帆(イー・ツー・ファン)を宣伝。


伊梓帆はもともと台湾プロ野球のチアリーダーからアイドルとして独立した3人組で、グループ名の由来は各メンバーの名前/ニックネームから。

末っ子:陳奕如陳伊(チェンイー)または伊伊(イーイー)
隊長:董梓甯/梓梓(ツーツー)またはChloe(クロエ)
副隊長:楊曉帆/小帆(シャオファン)またはFan(ファン)

僕は特に小帆ちゃんが好きです。
僕は4年前から彼女たちのFacebookをチェックしており、その間2回も台湾に行く機会があったのですが、向こうは芸能人なのでそうそうお目にかかれるものではないですね。ライブの日にちも合いませんでしたし。
逆に伊梓帆は時々日本にも来てるようなのですが、いつも写真集やVTR撮影で来るだけで、ライブやファンとの交流会はありません。
おそらく日本にファンがいるって事自体認識してないかも・・・。ここにいるぞー!!!
もともとチアだけあって今まではイベントでのダンス活動が中心だったけど、今年4月にはついに1stシングル『Boy,Why Boy』をリリースした事だし、いつかK-POPみたいに日本進出する日を待ってるよー


  


2018年05月03日

おフランスのおべべ

前回の続き

仏軍供与の戦闘服を一気に作りました。





カットがいろいろあって困っていたフロッグスキンは結局、米海兵隊のP44で描きました。同じくウィンドプルーフも仏軍によるジャケット改造型とかありますが、今回は一番数が多いであろうオリジナルの英軍プルオーバー式スモックにしておきました。
これで1948年から1975年までのベトナム陸軍空挺部隊の主だった戦闘服は一通り書き終えました。次は小火器と個人装備。



おまけ:国産リザード迷彩パンツ?

リザード迷彩の戦闘服はいつ頃まで現場で使われていたんだろう?と60年代の写真を調べていたところ、今まで把握していなかった謎のパンツの存在が浮かび上がってきました。

この人の着てる服、上着は普通のTAP47/52っぽいですが、パンツに付いているべきカーゴポケットがありません。という事はTAP47でもTTA47でもないという事になります。なんじゃこりゃ?生地は上着と同じフランス製に見えます。
(写真: Southeast Asia US Army Security Agency Veterans Association, 1963-1964年頃, サイゴン)

こちらのパンツにいたっては、カーゴポケットが無いどころか、あきらかに米軍およびベトナム国産作戦服と同じ「貼り付け式ポケット」を備えている事がわかります。こんなパンツがあったんだ~!こちらも生地は上着と同じに見えるので、フランス製の生地から縫製したと考えられます。
(写真: 1963年11月, サイゴン)

しかしこれらのパンツ、個人がテーラーで作らせたにしてはデザインが地味過ぎると思います。フランスが置いていったTAP47は1960年代には在庫が枯渇しており、将兵の間でプレミア価格で取引される人気の服のはずなのに、そのオリジナルの生地を使ってわざわざ地味な国産型を作る意味が分からない。となると、このパンツは個人オーダーではなく、国産型の裁断が採用された1960年以降に工場で正規に生産された物である可能性もあります。リザード迷彩を含むフランスから供与された被服は全てフランスで縫製された後、インドシナに輸送されたという認識だったのですが、縫製前の生地も送られていたのでしょうか・・・?
  


2018年04月28日

イラスト進捗

とりあえず、空挺とレンジャーの迷彩服は1962~1975年までほぼ完了。海兵隊はまだ。


僕は常々「あの戦争を理解するためには、1940年代から1975年までの歴史を通しで捉える必要がある。」
と考えているので、そうなると軍装ガイドも1946年から始めたくなってしまいます。
当初は1960年以降に絞る気だったけど、もうここまで来たら、思い残す事の無いよう全部やってしまおう。
まだまだ時間かかるぜこりゃ。

あと問題は、その時代のフロッグスキンのカットがバラバラ過ぎて、
どれを一般的なスタイルとして載せたらいいか判断しかねる事。

(フランス植民地軍空挺インドシナ人中隊のベトナム人落下傘兵 1950年代前半)

「何でもいい」は困るんだよ。
夕飯何がいい?って聞いてるお母さんの気分。


  


2018年02月25日

軍装例:マウタン1968(テト攻勢)

軍装ガイドの完成ははまだまだ先になりそうですが、来週から家を空ける為しばらく作業できないので、現在描き終わっているイラストだけ先に公開しちゃいます。解説はまたおいおい書きます。
イラストは1968年当時に見られるベトナム共和国軍歩兵の軍装例です。実際にはこの他にも無数に組み合わせがありますが、イラストは私が1968年当時の例として最も典型的、あるいは特徴的だと思うものをまとめました。
当時支給されていた被服・個人装備・銃器は絶えず新たな調達品へと切り替わっていったため、その軍装は1年足らずで様変わりしています。なのでイラストはあくまで1968年前半のみの例であり、15年間続いたベトナム戦争のほんの一部分でしかない事にご注意ください。


【Mậu Thân1968】
今から50年前の1968年2月、ベトナムで最も神聖な祝日である元旦節(テト)を狙ったベトナム共産軍(ベトコン)による同時多発テロ<マウタン1968>、通称『テト攻勢』によって、南ベトナム全土が戦火に包まれ、以後半年間でベトナム戦争始まって以来最大の犠牲者を出す大惨事となりました。激しい戦闘の末、ベトナム政府軍およびアメリカ・自由世界軍(FWMF)は国内の共産ゲリラ組織(解放民族戦線)をほぼ壊滅状態にまで追い詰める事に成功しましたが、ベトナム戦争の様相はその後、アメリカ軍の撤退と北ベトナム軍による南侵の激化によって南北ベトナム正規軍同士による総力戦へと突入していきます。


(クリックで拡大)





  


2018年02月20日

作画工程

 今作ってるベトナム軍装ガイドに使うイラスト(名付けて新マネキン男くん)がほぼ完成しました。
 僕はパソコンで絵を描く時はいつも、ちょいちょい途中経過を画像で保存し、それを見直す事で、「うん、進んでる。進んでる」と自分に言い聞かす事で、どうにか絵を描くモチベーションを保つよう心がけています。
 今回はちょっとした思い付きから、それら途中経過を繋ぎ合わせてGIFアニメを作ってみました。

参考にしたのはこちら
 isLog〜イズログ〜 https://www.islog.jp/entry/gif-animation/


新マネキン男くんの作画工程

 



2010年に描いた2011年テトの年賀状


 爆れつハンターのショコラとティラがベトナム共和国軍の女性軍人(Nữ Quân Nhân)制服を着ているという、なんともオタクくさいイラスト。しかしこんな絵でも、ネット上で拡散した末に、このイラストの題材とした政治戦総局厚生局にかつて所属していた元女性将校の方が、米国で開催されるNQNベテランの集会の告知に毎回このイラストを使ってくれているのだから、嬉しいやら恥ずかしいやら。


 僕は素人にしてはまぁまぁ絵が得意な方ですが、本当は絵を描くのが好きではありません。理由は簡単で、とても面倒くさいからです。僕にとって絵は、写真や文章と同じ情報伝達手段の一つに過ぎず、またその中でも絵はとんでもなく時間と気力を使う、極めて効率の悪い手段だと感じています。
 なので僕が絵を描くのは、その情報を表現するにはイラストしかないと諦めた場合のみ。つまり他に良い手がないので仕方なく描くといった感じです。こんな心構えなので、描くのが毎回億劫でなりません。電脳化して脳内で作った映像を直接デジタルで出力出来たらどんなに楽だろうと、いつも考えています。
 ないものねだりしても始まりませんが、やっぱり面倒なものは面倒なので、いかに効率良く情報を伝えるか考えた末に生まれたのが、上の新マネキン男くんなのです。その名の通りマネキンとして着せ替え人形になってもらいます。
 昔は自分の可能性を広げようと風景画から美人画、アダルトまで何でも描きましたが、数年前に気付いてしまいました。やっぱり僕は軍服それ自体にしか興味が持てない人間です。これを自分で認められるようになってからは、今まで『手抜き』だと思い避けていた手段を、『効率化』の名目で遠慮なく使えるようになったので、むしろやる気がアップしました。今後の新マネキン男くんの活躍に乞うご期待。
  


2018年01月28日

SOGの組織構造

※2022年10月23日更新

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【お知らせ】

 このブログでも岡山県美作市が市営博物館に設置した『ホーチミン空間』なる展示に世界中のベトナム人から批判が集まっている事をお伝えしましたが、今月に入り、日本在住ベトナム人協会も、ホーチミン空間の撤去を求め美作市長および市議会議員へ送付する請願書へのウェブ署名運動を開始しました。

Change.org: 美作市作東芸術文化博物館のホー・チ・ミン像撤去に関する請願書

 私の別ブログ ベトナムウォッチに、日本在住ベトナム人協会会長グェン・フォン・カィン氏による日本語版請願文を掲載してありますので是非ご一読いただき、ご賛同いただけるようでしたらウェブ署名へのご協力をお願いいたします。



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【以下、記事本文】


 当ブログでは度々、米軍SOGが支援するベトナム共和国軍の特殊作戦機関 NKT(技術局, 英略称STD)について紹介にしてきましたが、SOGそのものについてはまだちゃんと解説していなかったので、今回は戦争当時SOG本部がペンタゴンの統合参謀本部に向けて作成した報告書"Draft MACSOG Documentation Study (U) (1970年7月10日)"に掲載されている組織図で、SOGの組織構造についてざっとまとめてみます。



※SOGの意味と邦訳について
 SOG (Studies and Observation Group)という組織名は、実は"Special Operations Group (特殊作戦群)"のカバーネームであるという噂が、現在のマニアはもちろん、当時SOGに所属していた兵士たちにも実しやかに信じられています。現在Studies and Observation Groupの日本語訳としては"研究・観測グループ"という訳が定着しており、多くのマニアが「『アメリカ軍最強特殊部隊』の名称に"研究"や"観測"という不相応な言葉が使われているのは、実態を隠すためのカバーネームだろう」と考えているようです。しかし私はこれに異を唱えたいと思います。
 まずStudyの意味は一般的には"研究"や"勉強"ですが、ジーニアス英和辞典によるとStudyはもともと"努力する"を原義としており、"専門とする"というような意味もあるようです。さらに複数形のStudiesの場合には研究対象の題目を表す時に用いられる事もあるそうで、例えば"cultual studies"で"教養学科"となるそうです。これは軍隊風に意訳すれば、"専門分野=技術"と捉える事ができ、SOGのようなアメリカ陸海空軍海兵隊・CIA・NSAなどから集結した各分野における特殊作戦の専門家集団の名称としては自然だと思います。また実際、SOGと一体で作戦を遂行するベトナム軍側の特殊作戦機関は"技術局(Nha Kỹ Thuật)"という名称です。その為この記事では、意味が分かり易いよう"Studies"を"研究"ではなく"技術"と訳しています。
 次に"Observation (観測)"ですが、これは科学の分野での観測だけでなく、"オブザーバー(観測者)"という言葉に表されるように、"意見する"も意味します。これもSOGの主任務であるベトナム軍特殊部隊への支援・助言と合致します。
 以上の点から、"Studies and Observation"は実態を隠すための無意味なカバーネームではなく、SOGの任務をありのままに表記した、非常に実態に即した名称だと私は考えています。
 
MACVと列記する場合の表記について
 SOGはアメリカ軍ベトナム軍事援助司令部(MACV, MAC-V))直属の機関であったことから、MACV-SOGあるいはMACSOGとも表記されます。民間の書籍ではMACV-SOGが一般的ですが、今回引用している報告書など、当時の米軍の公式文書ではMACVのVは省略されて"MACSOG"が使用されている場合が多いです。

作戦計画について
 SOG参謀および作戦部門の各部署は、ペンタゴンおよびCIAが策定した"作戦計画(Operation Plan)"に合わせて編成されていました。例えば作戦計画30(Operation Plan 30)の担当はSOG-30となります。なお、Operation Planの略称としてはOP, OPLAN, Opsなどが使われますが、意味はどれも同じです。




【SOGの全体像】

▲SOG組織図(1965年1月)

▲SOG組織図(1968年12月)

▲SOG組織図(1969年6月)

▲SOGとベトナム軍NKT(STD)各部署の対応関係



【SOG本部】

SOG-00 司令室 (Office of the Chief)

SOG-01 次席司令 (Deputy)
SOG-02 副司令 (Executive Officer)
SOG-03 特別補佐官(Special Assistant)
SOG-04 総監 (Inspector General)
SOG-05 本部支援隊 (Headquarters Support)


SOG-10 人事・管理部 (Personnel and Administration Division)


SOG-20 情報部 (Intelligence Division)



SOG-40 兵站部 (Logistics Division)



SOG-50 計画部 (Plans Division)


SOG-60 通信部 (Communications Division)



SOG-90 監査部 (Comptroller Division)



【SOG参謀部門】

SOG-30 / OP-30 作戦・訓練技術部
(Operations and Training Studies Division)


SOG-31 / OP-31 海上技術課 (Maritime Studies Branch)
SOG-32 / OP-32 航空技術 (Air Studies Branch)
SOG-33 / OP-33 心理戦技術 (Psyops Studies Branch)
SOG-34 / OP-34 地上技術 (Ground Studies Branch)
状況分析班 (Status and Analysis Section)




【SOG作戦部門】

SOG-35 / OP-35 地上技術グループ (Ground Studies Group)


OP-35はベトナム軍NKT連絡部(コマンド雷虎)で構成されたC&C部隊(SCU)による国境地帯への越境偵察作戦。
規模はSOG作戦部門の中で最大。また本部での指揮だけでなくSCU偵察チームの現場指揮もSOG-35隊員が担った。

▲SOG-35隊員
主に陸軍第5特殊部隊群隊員で構成

▲NKTコマンド雷虎(SCU)とSOG-35隊員(右)
雷虎は元々正規のベトナム軍人のみで構成されていたが、後にOP-35の規模拡大に伴い、CIDG兵士で構成されたプロジェクト・シグマやガンマのチームもSCUに編入された。


SOG-36 / OP-36 空挺技術グループ (Airborne Studies Group)


OP-36はNKT第11群および第68群による空挺降下潜入工作作戦。主に敵軍または民間人に変装して敵性地域に潜入し、情報収集および破壊工作を行う。
1961年にCIAの指揮の下開始されたパラソル・スイッチバック作戦を起源とし、1964年にOP-34AとしてSOG所管の作戦となる。後に作戦の実行はOP-36として独立した作戦となる。
SOG-36隊員は本部での指揮・運用のみで出撃はしない。

▲NKT第11群STRATAチーム(チーム111)

▲NKT第68群アースエンジェルチームとSOG-36隊員(左)


SOG-37 / OP-37 海上技術グループ (Maritime Studies Group)

OP-37はNKT沿岸警備部による海上からの越境工作作戦。1964年にOP-34Aとして開始され、後に作戦の実行はOP-37として独立した作戦となる。
SOG-37は当初はNAD(海軍顧問団)として編成され、主に本部での指揮・運用を担ったが、一部でSOG-37所属のSEALおよび特殊ボート隊員がNKT沿岸警備部部隊と共に出撃する事もあった。

▲SOG-37隊員
主に海軍および海兵隊員で構成

▲NKT沿岸警備局シーコマンド(特海部隊)とSOG-37のSEAL隊員

NKT沿岸警備局シーパトロール(海探部隊)のナスティ高速哨戒艇


SOG-38 / OP-38 教導技術グループ (Training Studies Group)


OP-38はNKTの各コマンド部隊への訓練計画サイゴン東部ロンタンに設置されたNKT訓練センター"クェッタン / イェンテー"を運営する。またOP-35の規模が拡大すると、C&C部隊のチームリーダー(1-0)を育成するため、SOG-35所属のアメリカ兵に訓練を施す『ワンゼロ偵察訓練プログラム(通称ワンゼロスクール)』も実施した。
SOG-38は主に陸軍第5特殊部隊群B-53分遣隊で構成され、NKT訓練センターのインストラクターを務めた。

▲SOG-38のインストラクターとNKTコマンド訓練生

SOG-38によるワンゼロ偵察訓練コースを受講するSOG-35隊員



SOG-39 / OP-39 心理戦技術グループ (Psyops Studies Group)


OP-39はNKT心理戦部による北ベトナム・ラオス・カンボジアへの心理戦工作。
宣伝ラジオ放送はOP-70でも行われたが、OP-39は偽情報による攪乱を行う、心理戦の中でも『ブラック』と規定される作戦を行った。
例えばベトナム人とカンボジア人の歴史的な対立感情を煽る事で、ベトナム共産軍とクメールルージュ間での対立を画策するなど、より攻撃的な心理作戦を担った。


SOG-70 / OP-70 ラジオ技術グループ (Radio Studies Group)


OP-70は当初はSOG-40として編成された、NKT心理戦部によるラジオ放送心理戦工作。
偽情報を流すOP-39と異なり、OP-70では『ホワイト』ないし『グレー』と規定される、概ね事実に基づいた情報を放送した。


SOG-75 航空技術グループ (Air Studies Group)

SOG-75はNKT航空支援部およびアメリカ軍飛行隊の運用調整を行う。
以下の飛行隊が常時SOG-75の調整の下、NKTによる作戦の支援にあたった。

SOG第1飛行隊(1st Flight Squadron): C-123輸送機
アメリカ空軍 第15特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第90特殊作戦飛行隊: C-130輸送機
アメリカ空軍 第20特殊作戦飛行隊: UH-1Fヘリコプター
ベトナム空軍 第219ヘリコプター飛行隊: H-34ヘリコプター
アメリカ海軍: EC-121電子戦機

また上記以外にも必要に応じてベトナム空軍・アメリカ空軍の飛行隊を運用した。

▲SOG-75第1飛行隊

▲NKT航空支援部/ベトナム空軍第219飛行隊"龍馬”/キングビー飛行隊とSOG-75隊員


SOG-80 / OP-80 救難技術グループ (Recovery Studies Group)


OP-80はにNKT作戦部隊を支援する特殊作戦レスキュー計画。
人員はSOG-80 "統合捜索救難センター(Joint Personnel Recovery Center)"のアメリカ兵で構成され、行方不明となったNKTおよびSOGのコマンド隊員の捜索・救難を担った。
1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退した後も、JPRCは"統合遭難者解決センター(Joint Casualty Resolution Center)"と改称してベトナムに残留し、NSA(国家安全保障局)およびDIA(国防情報局)の指揮下でアメリカ軍捕虜・行方不明者の捜索にあたった。
1975年にサイゴンが陥落すると、JCRC本部はハワイ ハーバーズポイントのNSA秘密施設972に移転。その後インドシナ地域を担当するJCRCは他の捜索機関と統合されていき、現在はハワイ州ヒッカム空軍基地に本部を置くJPAC(統合捕虜・不明者対策コマンド)となっている。




おまけ: ベトナム軍装ガイド制作進行中


 以前、アニメ風女性キャラクターが軍服を着ているイラストでベトナム軍装ガイドを制作している事をブログに載せてきましたが、その後気が変わり、男性の絵に描き直す事にしたので、時間がかかってしまいました。イラストさえ出来てしまえば、解説なんていつもブログで書いているのと大差ないので、完成まで大してかからないはずです。多分。
 残念ながら、これまで日本のベトナム戦争ヒストリカルにおいて、<フィクションではなく現実の>ベトナム共和国軍への理解度は非常に低いものだったと言わざるを得ない為、今後少しでも正しい情報が普及する事を祈って、イベントで最も需要があると思われる1968~1969年頃の軍装については無料公開しようと考えています。
 なお有料版では、仏領インドシナ成立後、初めてベトナムに国軍が創設された1948年から、サイゴン政府が消滅する1975年までの約30年分の各部隊の軍装を紹介する事が最終的な目標です。なのでこの軍装ガイドのタイトルは『南ベトナム』ではなく、『ベトナム』軍装ガイドなのです。
  


2016年05月29日

逆男体化

以前載せたように、僕のイラストを喜んでくれる元ベトナム共和国軍関係者の方々が大勢いた一方で、こういう絵がよほど珍しかったのか予想外にネットで拡散してしまった結果、日本国内に住む元ベトナ陸軍将校の方とお会いした際、「個人的には、我々の制服を女性(萌えキャラ)に着せるのは納得いかないな…。私たちは今でもその制服に誇りを持っている」とやんわりクレームを頂いてしまいました。そりゃそうですよね。ごもっともです。(汗)

僕としては、やっぱり萌絵の方が描いていて楽しいので軍装少女(男性兵士の女体化)という題材を止める気は無いですが、自分の絵が関係者の皆さんに不愉快な思いをさせるのも避けたいので、今後は公開する範囲を限定していきます。
(僕個人は二次元美少女が大好きだけど、同時にこういうオタク趣味はいい歳した大人にとって誇れる事ではなく、世の中的には日陰者であるべきだと思っています。だから例えば街で萌絵の自衛官募集ポスターとか見ると正直キモいというか、国家がそういう手段で募兵をしているという事に非常に違和感を感じています。)

という訳で、現在制作中のベトナム共和国軍軍装ガイドは完成したら戦友会に見てもらう予定のものなので、萌絵を使うのは止めにしました。従って婦人隊員以外は全て男性のイラストになる訳ですが、使うイラストを全部一から描き直すのは正直面倒くさい。
そこで、これまで描いてきた女体化兵士イラストを男体化することにしました!これまでも(一から描くのが面倒くさいので)過去に描いた絵の修正を年単位で繰り返してきましたが、ついに性別まで変える事になるとは。もの凄い回り道をした結果、最終的に至極スタンダードな所に戻ってきてしまいました。バイバイ、僕のオリジナル娘さん。

しかし、手抜きのために過去絵を使いまわしたのに、やっぱり萌系少女とリアル系男性じゃ全然体形が違うので、気付いたらほとんど全部描き直しになってしまいました。アイヤー。


  


Posted by 森泉大河 at 00:44Comments(0)イラスト

2016年03月21日

カラオケとアニメの思い出

日曜日、地元の友達とラーメン二郎JR西口蒲田店で夕飯食べた後、超久しぶりにカラオケに行きました。

[歌ったお歌]
GLAMOROUS SKY / NANA starring MIKA NAKASHIMA
女々しくて / ゴールデンボンバー
深海魚の夢は所詮、 / vistlip
喝采と激情のグロリア / 摩天楼オペラ
Driver's High / L'Arc~en~Ciel
MY HEART DRAWS A DREAM / L'Arc〜en〜Ciel
CHASE / L'Arc〜en〜Ciel
花葬 / L'Arc〜en〜Ciel
群青日和 / 東京事変
檄!帝〜最終章〜 / 大神華撃団
突撃ラブハート / FIRE BOMBER
魂のルフラン / 高橋洋子
SKILL / JAM Project 



『魂のルフラン』は人生で初めて買ったCDなので、思い出深い曲です。
当時はビデオ屋でOVAをレンタルしまくるようなアニメ漬け小学生だったので、エヴァもテレビ放映が始まった瞬間どハマりしてました。
そんで小5に上がる春休みにシト新生が公開されたので、大きなお兄さん達に混じって映画館の前で並んでいた記憶があります。
最初観た時は、シンジがアスカの病室で何をしていたのか理解できなかったけど、間もなく自分自身がセンズリモンキーに進化すると、シンジの手に付いていた物体の正体が分かり、「これかぁ!」と合点がいったのでした。


そのあとは失楽園というエヴァのアンソロ本にずいぶんお世話になりましたねぇ。僕の少年時代は大体こんな感じ。
一応今でも新劇場版は(なんか義務的に)全部映画館に見に行ってるけど、エヴァに関しては腐るほど見たせいで、腐り果てた感じです。

▲エヴァンゲリオンの思い出 by タイガ


もっと小さいころに見てたBLUE SEEDは、今でも大好きな作品です。


子供の頃の僕のヒーローと言えば、BLUE SEEDの草薙か、ターミネーター(T-800)でした。
あれから二十数年経った今も、僕にとって『カッコイイ』の基準はこの二つで出来ている気がします。
  


Posted by 森泉大河 at 22:56Comments(0)イラスト音楽漫画・アニメ

2016年03月07日

オリジナルアイテム企画

また鉄砲の話。
以前作った図解『M16ライフルの系譜』が割と好評だったので、さらに加筆増強して、一番槍オリジナルアイテムとして販売してみようかと考え中。
形態としてはポスターやタペストリーになると思うけど、こんなのも面白いかも。

【完成イメージ】

オモテ:モデル一覧

ウラ:等身大俺の嫁

お好みの名前を付けて、毎晩ベッドで「ディス・イズ・マイ・ライフル・・・」と愛の言葉をささやいたり、劣情を持て余してぶっかけたりと、使い方はあなた次第です。
もしやる気が出たら、カービン版とかスナイパーライフル版も作ってみたいです。




おまけ 『うろ覚えライフル』
Pixivである絵描きさんが、うろ覚えでどれだけ銃のイラストを描けるかやっていたのを見て、僕もやってみました。

 

7機種描きましたが、M16系はレシーバー部使いまわしなので実質5機種。
元ネタの作者さんは18機種も描かれていました。凄いです。僕は上記以外の銃は、どんな形だったか全然思い出せませんでした。
M14は好きな銃だけど、正解と見比べてみると、これじゃない感が。ルガー・ミニ14みたいになっちゃった。
  


2015年07月04日

軍装ガイド製作中

これまでちょくちょくベトナム共和国軍(南ベトナム軍)に関するイラスト・図解を書いてきましたが、どうせなら初心者の方にもとっつき易い入門用の軍装ガイドを作ろうと思い立ち、現在鋭意作成中です。
入門編とは言え、これ一冊有ればベトナム共和国軍についての基本的な事は大体把握できるような内容にしたいと思っています。

[第一弾で予定している内容]

装備例と部隊の概要
・歩兵師団
・地方軍/義軍
・空挺師団
・レンジャー大隊
・海兵師団
※イラストは全て、ヒストリカルイベント等で人気が高い1968年頃の装備例です。

歩兵装備の解説
・戦闘服
・帽子
・迷彩
・個人装備
・小火器
※コスプレに役立つレプリカや代用品の情報も載せます。

完成時期は未定ですが、年内に仕上がればいいな~とは思ってます。
配布方法はおそらく、ダウンロードもしくはCD-ROMになると思います。
(迷彩の種類はカラーじゃないと説明不可、だけどカラー印刷は高いので紙媒体は諦めました)
それでは完成まで今しばらくお待ち下さい!
  


2015年03月17日

ナチス忍者大戦~ゲルマン忍法帖~

だいぶ前から構想している一大仮想戦記の登場人物などを先行公開。
前作『青筋マラの大冒険』は話がシリアスな方向に進んでしまったため途中で飽きてしまったけど、人物はそのまま流用。続編的な感じで。


登場人物

アルベルト・マラ

主人公。丁稚先の陶器工場を退職し、女の子にモテたい一心で親衛隊(徒歩連隊の非常勤隊員)に入隊する。
なので本業は、日雇い労働者。
親衛隊の仕事の際は、自宅からチャリで2時間かけてミュンヘンに出勤する。
自分では知性派なつもりだが、時々どうしようもないドジっ子になる。
頭の中はセックスのことばかり。通称『青筋のマラ』

▲遅刻した罰として中隊全員分の背嚢を運ばされるマラ
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Posted by 森泉大河 at 13:56Comments(0)イラスト

2015年01月07日

Gen1~Gen3期のM16ライフル


以前『ベトナム戦争期のAR-15』でいろいろ書きましたが、その後新しい発見や僕が勘違いしていた事がいろいろ出てきたので、補足・訂正したいと思います。

以前も書きましたが、コルトAR-15を語る上でお馴染みの"Model 〇〇〇"というコルト社における軍用モデルナンバーは、あくまでメーカー側の品番であり、米軍におけるモデル分類とはあまり対応していません。
(ただし、Model 606, 653, 723, 725など制式採用以外で米軍が購入・テストした物は、モデルナンバーがそのまま米軍での取り扱い名になっていますが)
また、同じモデルナンバーや米軍制式名でも、生産時期によって銃の仕様がかなり異なるため、特にGen1(第1世代)~Gen3のM16ライフル(コルトModel 01からModel 604)あたりはかなりややこしいです。
Model 603にいたっては、実戦配備されたもので5種類、テストモデルを含めると8種類もありますし。
なので今回は、各モデルの固有名とて軍制式名+採用年を使って、Model 01からModel 604の各仕様を見直していきたいと思います。

なお日本では米国のAR-15研究者が用いる"世代(Gen)"という概念については意外と認知度が低いので、以下にコルト製AR-15軍用モデルの大まかな世代分けを記しておきます。

Gen1: 1959年開発のアーマライトAR-15およびコルトによる最初期の改良型
Gen2: 1964年採用のM16 / XM16E1およびその派生。ロアレシーバーにダストカバーを浮かすリブあり
Gen3: 1967年採用のM16 / M16A1およびその派生。ボルトキャリアーにカーボン対策、マガジンキャッチボタン周りにガード追加
Gen4: 1983年採用のM16A2およびその派生。5.56mmNATO弾対応、リアサイト他多数改良
Gen5: 1994年採用のM4カービン以降のモデル。M1903ピカティニーレイル・フラットトップレシーバー仕様

なお、この記事では上記の各世代数に加えて、僕の独断でその世代内での仕様レベルにも登場順に数字をふっています。
仕様レベルはモデルナンバーが異なっても各モデル共通で並行して発展していく、世代(Gen)をより細分化した概念です。※僕が発案した分類法なので、他人に言っても通じません(笑)
例) Gen3-2 : 第3世代の中で2番目に制作された仕様レベルという意味。Model 603でも604でも、仕様レベルは並行して発展していきます。

Gen レベル 概要 非フォアードアシスト フォアードアシスト
1 1 アーマライトAR-15をコルトで生産 アーマライトAR-15 (Mod 601, 1959)
2 樹脂部品変更 アーマライトAR-15コルトモデル (Mod 601, 1959)
3 弾薬の仕様・バレルツイスト変更 コルトAR-15 (Mod 602, 1963)
4 フォアードアシスト追加検討 コルトAR-15 (Mod 602, 1963)
2 1 ダストカバー下リブ追加 M16 (Mod 604, 1964) XM16E1 (Mod 603, 1964)
2 円筒ハンドガード仕様案 XM16E1 (Mod 603, 1964)
3 改良(Gen3)案 (Mod 603, 1967?)
3 1 ボルトキャリアー、レシーバー他改良 M16 (Mod 604, 1967) M16A1 (Mod 603, 1967)
2 ストックを工具収納ドア付きに変更 M16 (Mod 604, 1971) M16A1 (Mod 603, 1971)
3 円筒ハンドガード仕様案 M16 (Mod 604, 1983?) M16A1 (Mod 603, 1983?)
3 NAVY 1 海軍チャイナレイク・ラボがSEAL向けに海水対策 Mk4 Mod0 (Mod 603, 1970)
2 海軍SEAL向け改良型 Mk4 Mod1 (Mod 603, 1981?)

Gen4以降については過去記事M16ライフルの系譜』参照
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Posted by 森泉大河 at 00:24Comments(0)【アメリカ】銃器1954-1975イラスト

2014年12月29日

今年入手したもの

※2019年11月24日訂正
※2021年12月12日更新

うちのブログはなんかウンチクばかりで、手持ちの軍装品の写真を載せるのをすっかり忘れていたので、年末という事でまとめて書いてみます。

まず今年最もテンション上がったアイテムと言えば、既にこのブログで何度も取り上げていますが、これです!


待ちに待ったベトナム軍2ポケット作戦軍服のリプロが販売されました!!
もう米軍ユーティリティ代用でお茶を濁す必要は無いのです!
これ一着あればもう、歩兵に限らず陸海空軍・地方軍・国家警察・CIDG・NKT(SOGのRT・スパイクチーム)など、60年代のベトナム軍装備がほとんど何でも出来ちゃいます!




フランス軍タイプキャンバスブーツ(リプロ)

同じくCLASSIFIEDさんで扱ってる仏軍タイプキャンバスブーツも、ベトナム軍ブーツへの代用にピッタリなので、購入・改造しました。
ブーツの改造ポイントについては過去記事『MVCキャンプ&撮影会 その2』をご覧下さい。
※ステマじゃないですよ(笑) けど良い物を作ってくれる業者さんは一趣味人として応援したいです



ベトナム軍/インドシナ諸国 日本韓国製キャンバスブーツ

上は代用品でしたが、こっちは資料用に入手した実物。
詳細は過去記事『キャンバスブーツ』参照

 



ベトナム国家警察迷彩ジャケット

警察迷彩ジャケットとしては一般的な、米軍M51フィールドジャケット風の服。
なぜか日本ではこの迷彩が『レオパルド』と呼ばれてるけど、欧米のコレクター界ではレオパルドは『ベオギュン(ベオガム)』を指す言葉ですよね。
この迷彩は見ての通り、まんまミッチェルの茶色側(クラウド)のコピーであり、ベオギュンとは無関係。欧米では『ナショナルポリス』または『クラウド』と呼ばれてます。
まぁ、それも戦後のマニアが名付けたものなので、どれが正しいなんて無いんだけど。
じゃあこの迷彩の本当(ベトナム語)の名前は?と言うと・・・僕もまだ未確認。
現在はベトナム語で『Mây』と表記される事もありますが、これは英語の『Cloud(雲)』を翻訳しただけで、当時使われてた本来の名称とは言えないし。

 



ベトナム軍4ポケット作戦軍服

先輩コレクターからいただいた物。
本当は4ポケットだったけど、おそらく「4ポケットは売れない」という理由でどこかの商売人に下のポケットを取られてしまった哀れな服。
背中側のウエスト調整フラップが、かろうじて4ポケットだった事を物語っている。

 



フランス/インドシナ諸国軍 TAP M47/53降下ジャケット

 

 



ベトナム軍トゥドゥック歩兵学校ベレー

僕は士官学校が好きなので、前々からトゥドゥック歩兵学校(予備士官学校)関連のアイテムを集めてました。
次は制帽と長袖チノの常勤服を揃えたいです。そしていつかは憧れのパレード服を!
トゥドゥック歩兵学校に関する詳細は過去記事陸軍予備士官候補生(SVSQTB)』参照




ベトナム軍軍犬隊腕章

詳細は過去記事『ヘルメットと腕章』参照



ベトナム軍装甲騎兵隊ベレー・下士官用(リプロ)

今年ヤフオクに何度か出品されてたこのレプリカベレーシリーズ、出所不明ながら、けっこう出来が良いんです。
ベトナム製でもけっこうダメダメな物は多いですが、これは誰かちゃんとしたマニアの人が監修してますね。
しかもバリエーションも豊富で、装甲騎兵の下士官・将校用ならまだしも、プレス製の兵用ベレー章まで用意されてるんだからビックリ。
いい買い物しました。



タイ軍TCU風迷彩ジャケット

この服はタイ軍リーフ生地で作られた、いい具合に怪しいTCU風テーラーメイドジャケット。
なにげタイって第2次インドシナ戦争、そして冷戦期の東南アジアのパワーバランスに深く関与していた国なので、最近一気に興味が沸いてきました。
このタイ軍リーフの服は、TCUスタイルは写真では未確認だけど、正規のタイ軍戦闘服スタイルだとこんな感じ。
まぁベトナムやラオス派遣タイ軍SFなら、普通にTCUスタイル仕立てて着てると思います。
パッと見ブラウンリーフっぽいですが、手にとってよく見ると微妙にグリーン系の色合いなんです。
元々米軍の生地ではないので、グリーンなのかブラウンなのかなんて悩むだけ無駄かもしれませんが。



ラオス軍空挺ベレー章(リプロ)


比較的最近作られたリプロです。近々ラオス軍のモン族コマンド部隊のコスプレしようと目論んでます。
ラオス軍の空挺部隊は、フランス軍植民地空挺大隊が育成した組織なので、ベレー章も当時のフランス軍空挺部隊のデザインを踏襲しています。※植民地空挺大隊は第1次インドシナ戦争後に海兵空挺歩兵連隊に改編され、ベレー章のデザインも変更されています。
しかし大きく異なるのが、握られている剣。本家フランス軍では、このベレー章は『サン・ミシェル(聖ミカエル)の剣』を表していますが、ラオス軍ではこの剣が、ラオス王家の紋章であるトリシューラ(三叉戟)になっています。超カッコイイー!!

  



メーカー不明ザーコップ迷彩ベレー(リプロ)

マイクフォースでよく使われてるローカルメイドのタイガーのベレー。
ヤフオクで新品で買いましたが、いったいどこの業者が作った生地なのかさっぱり分かりません。色や作りはいい感じです。
詳しい人に聞いて回ったら、某業者の試作段階の生地がゴニョゴニョされたものでは?等の憶測に行き着きました(笑)



日本製ファーストエイドポーチ風な何か(リプロ?)

僕が愛して止まない、笠敏商店にぶら下がってる謎装備シリーズの一つ。
普通、あんなの誰が買うんだよって思いますよね。
でも急に欲しくなったので、僕が在庫全て買い占めました。
こんな感じにして使ってます。

ちなみに、この時はピストルベルトもキャンティーンケースも日本製。
年々米国製装備の比率が下がってきております。






最後に、今年描いたイラストまとめ





それでは皆さん、良いお年を!
  


2014年12月14日

ドイツ国防軍@1919年



1919年、ドイツ内戦(ドイツ革命)の最中に創設された当時のドイツ国防軍(Reichswehr)のおべべ。



元々ドイツ帝国の陸軍部隊は、帝国を構成する各領邦が持つ陸軍を集結し、ドイツ皇帝(プロイセン国王)が統率しているという体で存在していました。(海軍は帝国直轄)
しかし第一次大戦でドイツの敗色が濃くなるにつれ、ドイツ国内では経済破綻と反戦運動が深刻化。国民は生活に窮し、社会は混乱の極みに達します。
そして1918年、ついにキール軍港でドイツ海軍水兵による反乱が発生。この反乱は全土に広がり、反乱兵士と労働者・社会主義者で組織された革命勢力『レーテ(ロシア語:ソビエト)』による『ドイツ革命』がおっ始まりました。
この革命でバイエルン王国など帝国領邦の君主は相次いで廃位に追いやられ、ついにはドイツ皇帝も退位は止む無しという情勢に至ります。そしてドイツ政府はドイツ国の共和制への移行を宣言。皇帝ヴィルヘルム2世は我が身を案じ、まだ前線で戦っている帝国軍人や困窮する国民を置き去りにして国外逃亡してしまいました。
これによりドイツ帝国(帝政ドイツ国)という体制は完全に崩壊し、残されたドイツ政府は連合国に対し降伏を受け入れます。こうして第一次世界大戦は、ドイツ帝国の内部崩壊によって終結しました。

しかし、戦いはまだ終わりません。革命によりレーテがドイツ各地で社会主義政権を樹立したものの、ベルリンの新政府はレーテ政権を認めず、革命の鎮圧に乗り出します。
けれど新政府は当初、旧ドイツ帝国軍の指揮権を手中に出来ていませんでした。なぜなら皇帝の廃位によって帝国軍の統帥者は失われており、また軍は皇帝陛下を退位に追いやり、ドイツ降伏という屈辱をもたらした政治家たちを裏切り者と捉えていたためです。
その一方で、軍としても社会主義者によるレーテ政権やドイツの国家分裂を認める訳にはいかず、戦場から帰国した軍人達は自主的に非公式な軍事組織『義勇軍(フライコーア)』を組織します。
そしてフライコーアはレーテ政権打倒と、どさくさに紛れて国土に侵入する周辺国軍からの国境防衛に挑んでいきました。
この旧帝国軍による武力による掃討に対して、レーテ側の共産主義者も大規模な武装蜂起を起してフライコーアに対し徹底抗戦を開始します。こうしてドイツは、第一次世界大戦の敗北と同時に、右派対左派の『ドイツ内戦』に突入しました。

翌1919年1月、内戦の戦火が拡大する中、ベルリンでは正式に『ヴァイマル共和政』政府が発足し、ドイツ国家再建への試みがスタートします。
そして同年3月、ついに皇帝ではなくドイツ国家が保有する、ドイツ史上初の国軍たる『国防軍(Reichswehr)』が創設されました。
創設当時の国防軍は、戦地から帰還した旧帝国の各領邦軍を再集約すると共に、レーテ討伐で功績を挙げた4つのフライコーア(計約15万人)を統合しており、総兵力は40万人に上りました。
こうして創設された国防軍はフライコーアと共に共産勢力の鎮圧に投入され、数ヶ月の内に敵を制圧してドイツ革命の終結と国土の維持に成功しました。

イラストはこの当時の、国防軍第21旅団の各部隊です。第21旅団は『フォン・エップ義勇団』を国防軍に編入した部隊で、旧バイエルン王国軍部隊から構成されていました。
左からバイエルン第1/第41国防軍狙撃兵連隊、バイエルン/第21国防軍猟兵大隊、バイエルン/第21国防軍騎兵連隊、バイエルン第1/第21重砲兵大隊
※帽子は正確ではないかもしれません。


とまぁ、初陣で素人同然の共産軍(しかも同じドイツ人)相手に華々しい勝利を挙げたドイツ国防軍ですが、彼らは同年6月28日に、残念なお知らせを聞くことになります。
この日、フランスのヴェルサイユ宮殿で、第一次世界大戦の講和条約『ヴェルサイユ条約』が調印されました。
その内容は敗戦国ドイツにとって致命的に厳しい条件ばかりでしたが、特に国防軍的にショックだったのがこの条項。
『国防軍の兵力は10万人以下ね!ドンマイ!』
こうしてドイツ国防軍は、創設からたった1年ほどで人員の3/4がリストラされるという大ダメージを受けてしまいました。
以後ドイツは国防において周辺国に大きく遅れをとり、フランス軍によるルール地方占領を許すなど幾多の屈辱を味うなど、ヴェルサイユ条約と戦勝国に対する怨恨は長く国防軍軍人の心に残り続けます。

それから十数年後、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が台頭し『ヴェルサイユ条約の破棄と再軍備』という国防軍にとって甘い誘惑を掲げると、国防軍は積極的にナチス政権樹立やナチスによる白色テロルを支援。
そして1935年、ナチス政権がついにヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を宣言すると、ヴァイマル共和制ドイツ国防軍"Reichswehr"は、ナチ政権国防軍"Wehrmacht"として再建されていきます。
こうしてヒトラーの誘惑に負けたドイツ国防軍は、自ら進んで国家と憲法ではなくアドルフ・ヒトラー個人に忠誠を誓うナチスの党軍へと成り下がってしまったのでした・・・



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関係ないけど、『ドールズ・パーティー32』に行ってきました。
今までアキバのボークスのショールームとかでドールは見た事あるので、どういうものか分かっているつもりだったけど、イベントでディーラーさんが展示しているドールを間近で見てみると、想像以上の可愛さに心が奪われました。
なんか、ため息が出るほど美しい物でした。iPhoneのカメラでしか撮れなかったのがホント心残り。


高い物なので衝動買いすることは無いけど、いつかお迎えする方向で情報収集はしていくと思います。
たぶん軍服衣装を自作するんだろうな俺。
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Posted by 森泉大河 at 23:07Comments(2)【ドイツ】イラスト1918-1939

2014年12月01日

カラオケ&黒服

一月ぶりにカラオケ行ってきました。
最盛期は休みの度に、カラオケ好きの友達と2人でフリータイム入って8時間ぶっ続けで歌ってましたが、最近めっきりカラオケに行く機会が減ってしまったので、喉の筋肉の衰えを感じてます。

前回と今回歌った曲

10/31

NEXUS 4/L'Arc~en~Ciel
GLAMOROUS SKY/中島美嘉
喝采と激情のグロリア/摩天楼オペラ
X/X (X JAPAN)
ジュリア/河村隆一
ロマンス/PENICILLIN
旅立ちの日に/合唱曲
SKILL/JAM Project
이등병의 편지(二等兵の手紙)/金光石(キム・グァンソク)
英雄故事/成龍(ジャッキー・チェン)
MASK/奥井雅美・松村香澄
撲殺天使ドクロちゃん/ドクロちゃん(千葉紗子)
巫女みこナース・愛のテーマ/Chu☆


11/30

街/SOPHIA
北風小僧の寒太郎/堺正章・東京放送児童合唱団
喝采と激情のグロリア/摩天楼オペラ
虚空の迷宮/聖飢魔Ⅱ
snow drop/L'Arc~en~Ciel
Mizérable/Gackt
紅/X (X JAPAN)
Journey through the Decade/Gackt
Vivid ColorsL'Arc~en~Ciel
Try Again/FIRE BOMBER
GOOD LUCK MY WAY/L'Arc~en~Ciel
NEXUS 4/L'Arc~en~Ciel


来週から、ラルクの『WORLD TOUR 2012』の模様を映画化した『Over The L'Arc-en-Ciel』が公開されるので、
今回はラルク多めにして気合いれました。((o(^-^)o))わくわく

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Posted by 森泉大河 at 03:37Comments(4)イラスト音楽

2014年10月25日

イラストが戦友会で紹介されました

このところFacebookで、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、ベトナムに住んでいる元ベトナム共和国軍のベテランや、そのご子息と交流の輪が広がってきてて嬉しく思っています。

その中で最近、僕の趣味である軍装少女のイラストを、意を決して自分のアルバムに載せてみました。

正直、本物の軍人さん達に、あんなオタク丸出しな絵を見せて良いのか、けっこう迷いました。気を悪くするかもしれないし。

なので、まずは『異性装』ではないNQN(婦人隊)の制服イラスト等を「僕のマンガ・アートです」と見せて様子見しました(笑)

(けどこの絵も、制服を着ているキャラクターは『爆れつハンター』のティラとショコラなので、分かる人が見ると分かってしまうw)

見てもらった評判は上々だったので、こうなれば勢いだ、と過去作品を全部載せちまいました。

すると、意外や意外。ジャパニメーションとは無縁であろう、60歳過ぎの元軍人のおじさん達から、けっこう良い反応と言うか「なんだこれー!すげー!」と驚きの声があがってしまいました。

縁もゆかりも無い外国人がこんな絵描きまくってるんだから、そりゃ驚くでしょうね(笑)

反響はFacebookに留まらず、いつもお世話になってるNKTおじさん(ファム・ホア少尉)がすごく喜んでくれて、

なんと、氏が運営するベトナム共和国軍ベテランズ・アソシエーション(戦友会)のブログに、僕の作品が掲載されてしまいました!(て言うか勝手に転載されてたw)

Sinh Hoạt QLVNCH (ベトナム共和国軍の活動)
http://vnchtoday.blogspot.jp/2014/10/hinh-anh-qlvnch-qua-net-ve-cua-mot-hoa.html

おいおい、マジかよ。

こんなファッキンジャップの歪んだ妄想の産物を、歴史の生き証人の方々が取り上げてくださるなんて・・・

(多分、孫が見てるオタク向けアニメを、祖父母が「最近はこういうのが人気なんだねぇ」とよく分からず一緒に見てるパターンと同じ気がするけどw)

なんだか、嬉しいような恥ずかしいような。

いや、素直に絵描きとして、また共和国軍人を敬愛する者として、本当に名誉な事だと思います。一生の思い出ですわ。

ともすれば怒りを買いかねないリスキーな行為でしたが、寛容にもこれらを受け入れてくれたベテランの方々の懐の深さに、ただ感謝するのみです。
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